落ち込んだので吐き出す。
幼少期、スポーツ系の習い事をしていた。指導役が肉親だったこともあり、脂の乗っていた時期には、練習が朝の五時まで続くことも稀ではなかった。
そんな日々が数週間も続けば嫌にもなる。
しかし、その「やらされていた」時間のお陰で(当時の精神状態や幸福度はさておきとして)当時はそこそこの成績を維持していた。
時が経ち、今、私は別の趣味を得た。
少しでも上手くなりたいと思った私は、技術書を読み、習慣的に練習を続けている。甲斐あって、以前の自分と比べれば巧くなってもいる。6年も続ければ当然の話だとも言える。
しかし不満がある。それは、自分が他者に嫉妬を抱けないという点だ。
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不満に至るまでの流れを思い出す。
練習法を探す私は、さまざまな媒体に触れた。本、Webサイト、動画、SNS、有償授業…ほんの少し探しただけでも、モチベーションの維持の重要さに触れている記事は多い。
未熟さを笑われたことへの反発、同世代のライバルへの負けん気、嫉妬…それらの感情は、素直に認められるのであれば、たしかに努力に対する強い原動力になるだろう。
私自身、覚えがある。
かつて習い事を「やらされていた」私は、隙さえあれば体を休めることや他の遊びをすることに執心していた。しかし、本当にその競技で人よりも巧くなりたいと思っていた友人は、常に積極的な努力を怠らなかった。鬼気迫るやる気を抱いていた。私が限界を感じた時間をゆうにこなし、同じ時間の練習でも密度に差が出来た。
当時は「こんなこと、よく好きでできるな…」止まりで、彼よりも巧くなりたい、彼に負けない結果を出したいとは一切思わなかった。当然だ。好きでやっていた事ではないのだから。
押し付けられた内容量が規定値に達したので、最低限たどり着いた。かつて私の技量はそんなものでしかなかった。
しかし今は違う。
今の自分は好きなことをやりたくてやっている。他の事が充分できる時間もあって、そのジャンルに固執しなければいけない理由もない。
だのに、だ。自分は、明らかに自分よりも優れた者相手に、全く嫉妬や反発心と言ったものを抱くことができない。
素晴らしいな、これは良いものだな、これは見たことのない表現だな、これはどのような意図で行われているのだろう…色々思うところはあるが、そのどれもがせいぜい感動や興味、憧れ止まりであるのだ。
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勿論、負の感情抜きでも練習は出来る。惰性にならないように心がけながら、自分なりに努力を続けている。
それでも、折に触れ彼のガッツを思い出す。
というか、逆に、どうして自分はあれを抱くことができないのだろうと思う。
思いつつもわかっている。負の感情や情熱と言うものは、抱きたくて抱くようなものではない。
あれは、抱いてしまったから抱くしかない類いの感情なのだろう。
つまり、今の趣味を、自分自身が好きでありたいと思っているほどには好きではない……それだけの話なのかもしれない…
まぁ、だとしても、この趣味が今一番楽しい趣味であることには変わりないので、マイペースに進めていくだけの話なのだが。
色々と吐き出してるうちに、気持ちも落ち着いてきた。
日が昇ってきた。朝食を作ろう。