はてなキーワード: 耕地とは
(追記)
もう今更読む人も少ないかもしれないが、いくつかコメントをもらったので返信する。
コメント自体を引用した方がいいのは分かっているが、面倒なのである程度類型化して返答する。
・君は全くヴィーガンじゃないよね
そうです。肉も乳製品も摂っているので似非ヴィーガンというのもおこがましいかもしれません。
私はヴィーガンどころか様々な菜食主義者の範疇の大体から外れるものだと思っています。
タイトルに「ヴィーガン」の文字を入れたのはインパクト重視です。
ただ私は畜産のサステナビリティを重視しており、この観点から言えば
肉食をやめなくても減らせば減らすほど意義があるとは思っており、
私は生活スタイルや経済状況の許す範囲で消費を減らすようにしています。
ヴィーガンと肉食のどちらが健康か(もしくはどちらでも健康維持は可能か)という
未だに様々な研究がなされている内容に対して一人の意見を聞いて信じること自体が危険ということです。
顕名の方が自らのキャリアに対して責任を負った発言をする動機が生じるため、信頼性は高いとは思っています。
あと何故か「匿名の栄養士を批判している」ならば「顕名のヴィーガンのインフルエンサーを支持している」というロジックが
成り立つと考えている方もいましたが、私はあのインフルエンサーのことは知りませんでしたし、
元記事での言動は断定的で、対話を拒絶するような印象を受け、全く支持していません。
「3の論点は個人の価値観に依存する面が大きいので、ある程度自由に選んでいいとは思う。」
と書いたのに引っ掛かりを覚える人が多かったようです。言葉少なですいません。
ここで言いたかったのは
「そもそも健康の追求は個人的な幸福追求の一つの側面でしかないため、それをどれほど重視するのかは個人の自由である」
ということです。
つまり(そもそもヴィーガンが肉食よりも健康かどうか自体不明なことですが)
仮にヴィーガンの方が健康であったとしても、食べる喜びや畜産業界への思い入れなどの理由で
健康よりも肉食を重視するという選択は当然あり得、その選択はかなりの程度個人に委ねられているということです
(例えば酒とかタバコを長期的な健康を害することを知っていても飲む人がいるように)。
(注:他の2つの論点も勿論考えなくてはならない義務があるということではない。
ただ、ヴィーガンを検討するのであれば他の2つの論点はそれに対する態度を表明する必要性が高い(と私が考える)のに対し、
3の論点は、ヴィーガンの検討において重要な判断基準とはなるものの、取り立ててそれに対する立場を表明する必要性が薄いということ。)
(追記終わり)
はてなブックマークのトップを見たら、ヴィーガン関連の記事がトップに上がっていた。
https://locafra.com/2021/02/27/anatanoketsudan/
この記事はヴィーガン的な価値観とそうでない価値観を検討して、
こう要約すればありがちな記事で、探せば類似の記事も容易に見つけられるだろう。
ただこの記事の特色としては畜産の現場まで行き、そこで短期間ではあれ働いたレポートを含んでいる点で、
労作であると思うし、実地に行かなくては得られない知見も含まれている。
しかし私はこの記事はヴィーガンを検討するという意味では良いものではないと考える。
こんな面もある、こんな面もある、とばらばらと提示するばかりで、
何を犠牲にし、何を選び取るかを明確にしないまま、最終決定をしているからだ。
具体的に言うと、当該記事でも扱われていたが、ヴィーガン関連でよく論点となるのは以下の3つだろう。
2.畜産は環境負荷が過大で、持続可能性がない(サステナビリティ、食糧問題)
で、ヴィーガンを検討するというのであれば、少なくともこれらの論点に対してどのような立場をとるのかを明示すべきだろう。
(注:ヴィーガンを批判するときに、アニマルウェルフェアのみに反論して論破したつもりになっている人が
未だに散見されるが、さすがに時代遅れなので価値観をアップデートした方がいい。)
1の論点であれば、例えば
このときにヴィーガンを選ばない(もしくは肉食を減らさない)ということは、
ある程度動物に苦痛や犠牲がでるのは仕方がないという判断をすることだ。
結局、自らがそのように苦悩したことが贖罪にでもなるかのように、
「アニマルウェルフェアには反するかもしれないが、○○という理由で肉を食べる」
と言うべきではないか。
(注:私は誰もがこのように自らのあらゆる行動の理由を説明できるべきだと考えているわけではない。
あくまでもヴィーガンを検討するというのであれば、この点に関して立場を明らかにするのは必要だということ。)
アニマルウェルフェアに気づいていないなら仕方がないかもしれないが、
筆者はアニマルウェルフェアに触れておきながら最終的な結論を言明しないのだ
(害獣や害虫を殺すのと並列して肉を食べるのも仕方がないかのように言っているが、
これは欺瞞ではないだろうか。
2の論点であれば、
・地下水の枯渇や森林伐採による砂漠化や温室効果ガスによる気候変動を考慮すべきでないか
(注:農耕地の大部分は家畜の飼料栽培のために費やされている。家畜の排せつ物やゲップが温室効果ガスを生みだす。
3の論点は個人の価値観に依存する面が大きいので、ある程度自由に選んでいいとは思う。
「論点をごちゃごちゃにして丸めたら、なんだか分からないがヴィーガンにはならないという結論ができました」
という個人の感想程度のもので、読んで共感や反感を抱く程度ならいいが、
これをヴィーガンの価値観の判断に用いるのは知的でないと思う。
・元記事のブクマの上位に良識派みたいな、(知的でない)よくわからんコメントが並んでいるのには正直苦笑した。
・名前も伏せてある一人の栄養士の意見を信じるのは普通に危険では。
・畜産のサステナビリティについては映画『カウスピラシー』がプロパガンダ映画っぽくはあるけど
とりあえず最低限の知識を図示しながら説明してくれるのでいいと思う。ネットフリックスで観られる。
・私はヴィーガンではないがもっぱら自炊はヴィーガン基準で作っている。
メリットとしては乾燥豆や豆腐は安いので、食費が安くなったこと、
肉を使わないのでいちいちまな板を洗わなくていいことがある。
・肉を日常的に食べている人にとってはヴィーガンはあまりに不可能に見えて、
しかし意外に難しくはないので、縛りプレイぐらいの気分で一週間でもやってみるといいと思う。
私も最初はヴィーガンは何となく意識高くてキモいと思っていたが、
試しにやってみるとそんなに大袈裟なものでなく、大抵の人にとってはやろうと思えばできる程度のものだ。
・肉食をやめるというとあれも食べられない、これも食べられないと失うものばかり考えてしまうかもしれないが、
菜食には菜食の面白さがあるので是非一度は試してみてほしい。
・インド料理は野菜、豆料理で美味いものが色々とあるのでおすすめ。
私はもともとインド料理をよく作っていたので、菜食に抵抗が薄かったのかもしれない。
どれくらいそれらを摂っているかというと、筋トレをしているので日に2回飲むホエイプロテイン、
サイゼリヤ(週に5回は行っている)に行くときに頼むチキンとブロッコリーのサラダとミラノ風ドリア、
たまにワインのつまみに買うチーズと鶏肉系のテイクアウトぐらい。
というわけで、割と食べているんだけども、大抵の人よりは少ないと思う。
でもどう考えてもヴィーガンではないので、特に菜食主義者を自称もしていない。
・半年以上、ヴィーガンスタイルの食生活(ただし一部のサプリは摂った)で生活したが、
特に不調はなかった。現在、上に書いたように肉や乳製品を摂っているのは、
生活スタイル上、一食は外食になるのと、筋トレをしているので安価にたんぱく質を摂るため。
ワインのつまみに関しては完全に嗜好品だが、最近ワインを飲み始めたので食べ物との相性を
見るために食べているという感じで、今後も食べ続けるかは分からない。
・ヴィーガン的な食生活をしていたときも、今も特に肉をどうしても食べたいと思ったことはない。
食べれば普通に美味いと感じるが、それだけ。その後も尾を引いて食べたくなるということはない。
ただサシの入ったような脂の多い肉は少し受け付けにくくなった。ただの加齢による嗜好の変化かもしれないが。
足りない知恵を工夫して、日本が 全日本人が 消費しているエネルギーを計算した。
間違いが有れば指摘して欲しい。
参考ページ。日本植物生理学会 > みんなのひろば > 植物Q&A > 一人当たりの緑量
https://jspp.org/hiroba/q_and_a/detail.html?id=1519
"日本人1人の生存、活動の結果として発生する二酸化炭素をすべて植物光合成によって固定するためには、農耕地であれば約35000平方メートル以上が必要になります。"
35000平方メートルってのは、=0.035平方キロメートル。
0.035平方キロメートル × 一億人 =3500000平方キロメートル
え~と……。
日本の面積はWikipediaより、377,972.28km2
……。取り敢えず雑に割ってみるか……。
3500000平方キロメートル ÷ 377,972.28km2
=9.2599382724048532214856961389566
……。全日本人の年間消費エネルギーを"すべて植物光合成によって"賄うには、日本全土の【9倍強】の面積の農耕地が必要っぽい……。
終わってるだろ。
基本的に、人間に限らず全ての動物は、植物が太陽光から光合成して固着したエネルギーで生存してきた。
日本だと、このエネルギーの循環を自然の恵みを太古の昔より こう呼んできた筈だ。
天照大神 と……。
現在、我々日本人は、悍ましい事に[普通に]1年間生活するだけで、
天照大神 九柱 以上の神通力≒エネルギーを消費している事になる。
天照大神ですら現代日本のエネルギー消費量の1/9以下のエネルギーしか供給出来ないのだ……。
って、封建時代の農民の大半は小作農で継がせるべき自分の土地や財産など持ってなかったんだが。
昔の農村にあった夜這いとか乱交の風習とかはそういう所から生まれてるわけで
封建社会においては資産を守るのがすごく難しかった。と言うか、相続可能な資産の形が非常に限られてたんで、生産設備たる農耕地を家で継承するくらいしかなくて、そのためには継承主体の家を存続する必要があり、そのためには結婚して世継ぎを作る必要があった。結婚大事。結婚しないなんて考えられない。という社会だった。
近代になって財産がお金の形に集約できて、銀行とか投資とか、比較的信用できる管理方法が定着した結果、そういった制約が緩和されていった。そこで不自由を解決して、「結婚しないでも良い社会」を作ることが可能になった。
すごくざっくり言えば、これは、進歩の問題であって、多かれ少なかれ先進国ではすべてこの種の少子化が見て取れる。
地上権とは何か、一般的な知識として、最も必要とされていない増田で解説したい。
・
①地上権に付いての概略
⇒土地所有者が持つ権利で、簡単にいうと所有地で発生した物の権利は所有者に帰属するという考え方。
たとえば土地を耕地化して作物を育てた場合、この一般的に所有権は耕作者にあるのだが、これは地上権によるものだと考えることが出来る。
耕作地等を他人から借りる場合、同時に地上権も貸与を受けていると考えられるので、無許可で他人の土地を耕したりした場合、作物の所有権に付いては土地所有者がこれを主張できる。
山に入って山菜や草木、石などをを採取する場合、土地所有者の許諾を得ていないとそれが自然発生したものであっても地上権の侵害に当たる。
・
②入会権との兼ね合い
入会権とは一種の地上権の分与であって、特定の土地(地区共有地)の薪等の燃料、草などの飼料、落ち葉などの農業資材について、複数の入会権所有者(入会権者)が採取権を共有している状態のことである。なお、当該地近隣付近に居住していないと失効する権利でもあり、入会権を喪失した後は入会林野の地上権を所有することは出来ない。
・
③一般的な注意事項
通常、土地所有者以外は地上権の存在を知らずに侵害している事がある。
山菜や貴石、希少な花の持ち去りは当然だが、商品としての価値がない様なものでも所有者に無断で持ち去ると厳密には地上権の侵害になる。
○谷口弥三郎君 私は問題が余程違いますが、人口政策の確立をこの際特に希望したいと存じておるのでございます。(「自由討議はそういうことを言うて貰わねばならん」と呼ぶ者あり)
我が國の人口の状況は、皆さん御承知の通りに、実に飽和状態になつておるのでございます。即ち國土の関係から申しましても、この戰争のために、敗戰の結果、四割三分強の國土をなくしておるのでございます。從つて只今のところでは、國土におきまして耕地面積が僅かに六百万町歩しかないのでありますから、これに生存するのには六千万ぐらいの人口でなければ、なかなか食糧問題その他に困難をいたして來るのでございます。それに拘わらず、昨年度のごときは、出生におきましては二百七十一万、死亡におきましては百七十五万というのでありますから、自然増加が百五十六万余になつておるのでございます。從つて現在におきましては、八千万人目を超えておるのでございますが、この状況で参りますというと、八千万どころか、昭和二十七年頃には、すでに八千七八百万というような状況になつて來るのでございます。これをこのままにして置きますというと、今後食糧問題その他について非常な困難がやつて参ると思いますが、これに対しまして、第二國会におきまして優生保護法というのができました。あれのお蔭によりまして、不良な分子の出生の断種手術によつて或る程度少くすることができると思いますが、これは余程うまく行きました場合に、僅か一年に五万人ぐらいの出産を防ぐ程度にしかならんのでございます。尚不良な分子に対しまして、又母性保護という立場からいたしまして、合法的に或る程度人工妊娠中絶を許すことになりましたが、これにおきましても実際の人口調節は我々の思うように多数には上つて参らんのであります。それで是非今後受胎の調節をやらなければならんと存じておるのであります。受胎の調節は併しこれは、やり方によりますと、現在方々で行われておるようなことをやりましたら、優秀な階級のみに行われて不良な階級には全然顧みられぬ。言い換えれば国民素質の低下がずんずん起つて來ると存じますのでございます。それで今後の人口対策といたしましては、或る程度のいわゆる不良な分子とか、経済的に無能力な者とかいうような方面に……この方面の者をよく調べて見ますというと、日本に約六百万人ぐらいの人々がおられるように思うのでございます。六百万人と申しますと、それは特にそれに適合する者でございまして、年齢から申しますと十七八歳以後五十歳ぐらいの婦人でございます。而もその方々はいわゆる生活能力に非常に困つておる、貧困で多産な者でありますとか、病弱な者でありますとか、或いは子供を持ちましてから間もない方々であるとかいうような方々をずつと調べて見ると、約六百万人ぐらいの人口になるのでございます。その六百万人の方々に受胎調節をいたしますというと、一年に約八十万人ぐらいの出生を低下することができるのであります。それには方法が特に必要でありまして、これに対しましては、例えば現在の助産婦に一定度の講習をいたしまして、そうしてそういう方々をずつと訪問いたしまして、勧告いたしまして、そうして受胎調節をやるように勧めるのでございます。そうしますと、助産婦は現在六万人ぐらいおりますけれども、そういう講習をしてから後の助産婦と申しますのは約四万人ぐらいになるのでございます。言い換えれば一人が百五十人ぐらいづつを担当いたしまして、そうして十分な受胎調節をいたしますというと、そうすると不良の或いは困つた家庭の出生を低下することができますので、即ち現在の八千万人口を先ずそのままに喰い止めることができると存じておるのであります。尤もこの方法は、或いは未婚者とか未亡人の方には、これは道徳的頽廃防止の関係上、絶対に行わないようにいたしたいと思います。又精神病の患者とか癩の患者とか申しますのは、これはいわゆる断種手術を行なつて、この方面の方には入つて來ないのであります。この方面に入る階級は前にも申しましたように、六百万人の或る程度の人のみに行なつて見たい。又この方法によりまして人口の急激な増加を防ぎますと共に、國民素質の低下を防ぐのが目的でございますが、その方法については新聞、雑誌、ラジオなどではこれは到底……そういうものを使うと却つて或る優秀な階級、特に子供を持つて貰いたいと思われるような階級の者に惡用される危險がございますので、これは是非とも或る一種の特別な指導者を作つて行わせたならば、必ず目的を達し得るだろうと思うのでございます。即ち今後の我が國の人口対策は量よりも質に重きを置かんければならんと思つておるのでございます。現在各地におきまして、或る方面から頻りとバース・コントロールをやるようにという示唆があるとかいうような話も聞きますが、これは非常に私共の考えでは危險であると思つておるのでございます。即ち前に述べましたような優秀な階級に行われる危險がございますので、不良の階級にこの方法を採ること、即ち国家は一日も早くこの対策をやつて頂きたい、政府は是非これを採用して、大いに速かにこの方面に十分な施策を行なつて頂きたいと思いまして、実はここに自由討議の時間を拜借いたしまして、私の平素考えておることを申上げ、皆さんの御賛同を得て、大いにこれが実施を一目も早く進めたいと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。(拍手)
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/003/0512/00311150512011c.html
日教組の人たちは
他国の国歌が
砲弾が赤く光を放ち宙で炸裂したりとか
敵の不浄なる血で耕地を染め上げたりとか
強硬なる争いだとか猛烈なる闘いだとか
この身を捧げて祖国を守ったりとか
敵の砲火に立ち向かったりとか
敵を撥ね退け神に身を委ねたりとか
今は帝国でもなんでもない(元帝国)なのに帝国をたたえたりとか
名指しで連合王国の一員をディスったりとか(ディスられた側は王の名前しか出してないのに……)
大砲轟き銃声鳴り響いたりとか
そういう実情を知らないのでしょうか。
命を捧げて自分たちが生活していく土地や未来を守ろうという意志とか、自由を得るまでの戦いへの敬意とか、歴史とかが込められてるじゃないですか。
大体そもそもお隣の歌詞に海が涸れて山がなくなるまで国よ続けみたいなのあるじゃあないですか。
(参考:http://www.world-anthem.com/index.html。どうでもいいけどメキシコ国歌の歌詞がぱっと見ギリシャ)
それはそれとして。
他国の国歌の歌詞をおとしめる意味は全く無いのですが君が代には戦のいのじも勝利のしのじもでてきませんよ。
元ネタは長寿を祈る歌ともとれるし、ラブソングともとれる、超平和な歌ですよ。
天使にラブソングをではMY GUY をMY GOD に読み替えたり
him がhim(彼、恋人)ともHIM(大文字ヒム、神)とも読めたりするのと一緒で
恋歌の恋人を君主に置き換えるなんてすてきじゃね? と私は思うんですが。
http://orteil.dashnet.org/cookieclicker/
画面ぼーっと眺めてたらヘルシングコピペのネタが出来そうだなーってことで
諸君 私はクッキーが好きだ
諸君 私はクッキーが好きだ
諸君 私はクッキーが大好きだ
マドレーヌが好きだ パルミレが好きだ
台所で 耕地で
この地上で行われる ありとあらゆるクッキー作りが大好きだ
戦列をならべたおばあちゃんの伸ばし棒が 轟音と共に生地を圧し伸ばすのが好きだ
空中高く放り上げられたカーソルが 順序良くつんつんする姿など心がおどる
鼻腔に充たした時など胸がすくような気持ちだった
鍬先をそろえた農民の横隊が 成熟したクッキーを蹂躙するのが好きだ
強硬不倒のコンバインが 既に掘り返されたクッキーを 何度も何度も撹拌している様など感動すら覚える
少食主義の体重を肥満区分に押し上げていく様などはもうたまらない
泣き叫ぶ嫌糖家達が 私の降り下ろした手の平とともに
金切り声を上げるおばあちゃんに 為す術なく給餌されるのも最高だ
哀れな抵抗者達が雑多な低カロリークッキーで健気にも立ち上がってきたのを
8000万cps砲の4.8Mcalバター弾がささやかな健康ごと木端微塵に粉砕した時など絶頂すら覚える
十指を熱中して遊ぶあまりに滅茶苦茶にされるのが好きだ
気軽に楽しむはずだった予定が蹂躙され 指の腱が疲弊し引き裂かれていく様は とてもとても悲しいものだ
生産ノルマに追いまわされ 自動装置に平伏するのは屈辱の極みだ
諸君 私はクッキーを 世界を覆い尽くす様なクッキーを望んでいる
諸君 私に付き従うおばあちゃん諸君
君達は一体 何を望んでいる?
更なるクッキーを望むか?
油脂粉糖の限りを尽くし 三千世界の嫗を活かす 嵐の様な洋菓子を望むか?
「曲奇餅(クッキー)!! 曲奇餅(クッキー)!!曲奇餅(クッキー)!! 」
よろしい ならばクッキーだ
我々は満身の力をこめて今まさに振り下ろさんとする伸ばし棒だ
だがこの暗い闇の底で引退してからの間 堪え続けてきた我々に ただのクッキーでは もはや足りない!!
ならば我らは 諸君と私で総兵力100万と1人の製菓集団となる
我々をケアハウスの彼方へと追いやり 眠りこけている連中を叩き起こそう
髪の毛をつかんで引きずり降ろし口を開けさせ味わわせよう
連中におばあちゃんの味を思い出させてやる
連中に我々の伝統の味を思い出させてやる
愛と伝統の結晶には 奴らの哲学では思いもよらない事があることを思い出させてやる
世界を肥やし尽くしてやる
征くぞ 諸君
育った町は関東に位置している田舎だ。電車に乗れば東京まで一時間半か二時間程度の場所だが、それでも十分田舎だった。電車を目の前で逃すと一時間は待たなければならない。隣駅は無人駅で、最寄駅は7時にならないと自動券売機で切符が買えない。バスに至っては二時間来ないこともざらだ。終電や終バスの時間も早く、夕方が差し迫ってくれば、乗り継いで行った先の終電のことを考えなければならない。東京は近くて、でも遠い街だった。
電車に乗ってあの町が近づいてくると、見渡す限りの田んぼとその中をうねうねと伸びる農道が見える。街燈がぽつぽつとしかない道を闇におびえながら全力疾走で駆け抜ける夜も、夏になると井戸からくみ上げた水が滔々と流れる用水路も、稲穂の上を渡る金色に光る風も、その中を喜んで走る犬も、道端で干からびている車にひかれたイタチも、うっそうと道上に生い茂り時々大きな枝を落としている木々も、なにもかもが呪わしかった。どこへ行くにも車がなければ不便で、こじゃれた店は大規模なショッピングモールの中にしかない。それで、中高生はいつもそこに特に理由もなくたむろしていた。
みんな都会に行きたかったのだ。すぐにつぶれてしまう店も、郊外型の広い駐車場も、市街地から外れればとたんに何もなくなって農耕地だけになるニュータウンも、なにもかも厭わしかった。私たちはたまに触れるなにか新しいものを含んだ風にあこがれ、騒がしい日常を羨み、便利さに憧憬を抱いた。都会に行かなければいけない、という思いはまさに呪縛だった。こんな田舎にいてはいけない、田舎はつまらなく、古びていて、垢抜けない。だから都会に行かなくてはいけない。
高校を卒業するとともに私を含めほとんどの友人は都会へと向かった。何人かは都会に住みかを確保し、住みかを確保できなかった人たちはどこかに拠点を確保して、毎日何時間もかけて都会へと通った。
私は住みかを確保できた幸運な一人だ。山の手のかたすみにある、静かな住宅地に最初の下宿はあった。学生用の木造二階建ての、半分傾いたアパートだ。四畳半で風呂がなく、トイレと玄関は共同だ。同じ値段を出せば、田舎では1DKが借りられる。しかしそんな場所でも、私にとってそこは「トカイ」だった。
トカイでは駅までの道に田畑はなく、駅では10分も待たずに電車が来る。どの駅でもかなりの人々が乗り降りし、夜が更けても街燈が一定の間隔で並んで夜を追い払ってくれる。月明かりに気付く余裕をもって往来を歩けるほどの安心が都会にはあった。そのくせ、私が慣れ親しんできた大きな木々や古い河の跡や、四季はきちんとそこにいて、祭りがあり、正月があり、盆があり、そうやって人々は暮らしていた。盆正月は店が閉まってしまうということを知ったのも都会に出てからだった。
都内にありながら広大な面積を有する大学の中には山があり、谷があり、そして池があった。そこにいると、田舎のように蚊に襲われたし、アブラゼミかミンミンゼミくらいしかいないとはいえ、蝉の声を聴くことができた。近くに大きな道路が走っているはずなのに、喧騒はそこまでやってこず、昼休みが過ぎると静寂が支配していた。水辺で昼食をとるのが私は好きで、亀と一緒に日を浴びながらパンを食べた。
あるいは、田舎でそうしていたようにどこへ行くにも自転車で行き、アメ横からつながる電気街や、そこから古書街、東京駅、サラリーマンの街あるいはおしゃれな店が並ぶ一帯までどこへでも行った。都会は平坦につながっているように見えるが、どこかに必ず境目があるのだった。境界付近では二つの街の色が混ざり合い、ある臨界点を超えると途端に色彩の異なる街になってしまうのが面白かった。その合間にもところどころ自然は存在していて、いつからそこに植わっているのか知らない大きな木々が腕を広げて日陰を作り、その下にベンチが置いてある。くたびれた老人がその下に座り、コミュニティが形成される。それが私の見た「都会」だった。
山の手の内側で育ち、閑静な住宅街で育った人たちは、ここは「イナカ」だから、東京じゃないという。私はそれを聞くたびに笑いをこらえきれなくなる。あなたたちは田舎を知らない。電車が10分来ないとか、駅まで10分くらい歩かなければならないとか、店がないとか、繁華街が近くにないとか、そんな些細なことを田舎だと称するけれど、田舎はそうじゃない。
田舎は不便だが、時に便利だ。車で移動することが前提だから、どこか一箇所にいけばだいたいのことを取り繕うことはできる。都会のように一つの場所に店が集まっていないせいで、あちこち足を運ばなければいけない不便性が田舎にはない。確かに近くに店はない。駅も遠い。でもそんなことは本当に全然大したことじゃないのだ。
大きな木が育っていてもそれを管理せずに朽ちていくばかりにする田舎、邪魔になればすぐに切ってしまうから、町の中に大木は残らない、それが田舎だ。古いものは捨て、新しいもので一帯を覆い尽くすのが、田舎のやりかただ。昔からあるものを残しながら新しいものをつぎはぎしていく都会の風景とは全く違う。人工の整然とした景観があり、そことはっきりと境界線を分けて田畑が広がる区域が広がる。その光景をあなたたちは知らない。人工の景観の嘘くささと、そこから切り離された空間の美しさをあなたたちは知らない。新しく人が住む場所を作るために農地や野原を切り開いて、道路を通し、雨になれば水が溜まる土壌を改良し、夏になればバスを待つ人々の日陰となっていた木々を切り倒し、そうして人工物とそれ以外のものを切り離していくやり方でしか町を広げていくことのできない田舎を、あなたたちは知らない。人々は木漏れ日の下に憩いを求めたりしないし、暑さや寒さに関してただ通りすがった人と話をすることもない。車で目的地から目的地へ点と点をつなぐような移動しかしない。それが田舎なのだ。あなたたちはそれを知らない。
盆や正月に田舎に戻ると結局ショッピングモールに集まる。友人とだったり、家族だったり、行くところはそこしかないから、みなそこへ行く。しばらく帰らない間に、高校時代によく暇をつぶしたショッピングモールは規模を拡大し、店舗数も増えていた。私が「トカイ」で足を使って回らなければならなかったような店が、都会よりずっと広い売り場面積で所狭しと並ぶ。それがショッピングモールだ。上野も秋葉原も新宿も池袋も渋谷も原宿も東京も丸の内もすべて同じところに詰め込んで、みんなそこは東京と同じだと思って集まる。田舎は嫌だ、都会に行きたいと言いながらそこに集まる。
ABABというティーン向けの店でたむろする中高生を見ながら、私は思う。下町を中心としたチェーンのスーパーである赤札堂が展開しているティーン向けの安い服飾品を、田舎の人は都会より二割か三割高い値段で喜んで買う。これは都会のものだから、垢抜けている、そう信じて買うのだ。確かにその服はお金のない中高生が、自分のできる範囲内で流行りを取り入れて、流行りが過ぎればさっさと捨てるために、そういう目的に合致するように流通している服飾品だ。だから安い代わりに物持ちが良くないし、縫製もよくない。二、三割その値段が高くなれば、東京に住む若者はその服は買わない。同じ値段を出せばもう少し良いものが変えることを知っているからだ。田舎に暮らす私たちにとってのしまむらがそうであるように、都会に住む彼らにとって最低限の衣服を知恵と時間をかけてそれなりに見えるように選ぶのがABABだ。そのことを彼らは知らない。
ABABのメインの事業である赤札堂は、夕方のサービスタイムには人でごった返し、正月が近づけばクリスマスよりもずっと入念にかまぼこやら黒豆やらおせちの材料を何十種類も所せましとならべ、思いついたようにチキンを売る。あの店はどちらかというと揚げ物やしょうゆのにおいがする。店の前には行商のおばさんが店を広げ、都会の人たちはそれを喜んで買う。若いこどもはそれを見てここは「イナカ」だという、そういう光景を彼らは知らない。田舎ではショッピングモールの商品棚のなかにプラスチックでくるまれた商品があるだけだ。そうするほうが「トカイ」的で便利でコミュニケーションがいちいち必要ないから、田舎の人間はそれを喜ぶのだ。
そして私は「トカイ」という呪縛から逃れていることに気付くのだ。
どちらもよいところはあり、悪いところはある。便利なところはあり、不便なところもある。都会の人も「トカイ」にあこがれ、ここは田舎だというけれど、「トカイ」というのは結局幻想でしかないということを、私は長い都会生活の中で理解したのだった。便利なものを人は「トカイ」という。何か自分とは違うと感じるものをひとは「トカイ」のものだという。それは憧れであり、決して得られないものだと気づくまで、その呪縛からは逃れられないのだろう。
「イナカ」はその影だ。「トカイ」が決して得られない憧れであるなら、「イナカ」は生活の中に存在する不便さや不快さや、許し難い理不尽やを表しただけで、「トカイ」と表裏一体をなしている。「イナカ」も「トカイ」も幻想でしかない。幻想でしかないのに、私たちはそれを忌み嫌ったり、あこがれ、求めてやまなかったりする。だから田舎はいやなんだというときのイナカも、都会に行けばきっとと願うときのトカイも私の心の中にしか存在しない、存在しえない虚構なのだ。
私はオフィス街の中で聞こえるアブラゼミの声が嫌いではない。でも時々その声が聞こえると、田畑を渡る優しく澄んだ夕暮れ時の風を思い出す。竹の葉をすかす光とともに降り注ぐ、あの鈴の音を振るようなヒグラシの音が耳に聞こえるような気がする。
記憶の片隅に、一面に広がる田んぼと、稲穂の上で停止するオニヤンマの姿が残っている。
父方の田舎は、人口の一番少ない県の市街地から車で一時間半かかるところにあった。周りは山と田畑しかなく、戦前から10軒もない家々で構成される集落だ。隣の家は伯父の家だったはずだが、確か車で15分くらいかかったと思う。幼いころにしかいなかったので記憶はもうほとんど残っていない。免許証の本籍地を指でなぞるときにふと頭の中によぎる程度だ。父はあの田舎が嫌いで、転職と転勤を繰り返して、関東に居を構えた。あの村で生まれて、育ち、その中から出ることもなく死んでゆく人がほとんど、という中で父の都会へ行きたいという欲求と幸運は桁はずれだったのだろう。時代が移り変わって、従兄弟たちはその集落から分校に通い、中学卒業とともに市街地へ職や進学先を求めて移り住んでしまった。今はもう老人しか残っていない。日本によくある限界集落の一つだ。
引越をした日のことは今も覚えている。きれいな街だと思った。計画的に開発され、整然と並んだ町並み。ニュータウンの中には区画ごとにショッピングセンターという名の商店街があり、医療地区があり、分校ではない学校があった。電柱は木ではなくコンクリートだったし、バスも来ていた。主要駅まではバスで40分。駅前にはマクドナルドも本屋もミスタードーナツもある。旧市街地は門前町として栄えていたところだったから、観光向けの店は多くあったし、交通も車があればどうとでもなった。商店に売られているジュースは何種類もあったし、本屋に行けば選ぶだけの本があった。子供の声がして、緑道があり公園があり、交通事故に気をつけろと学校では注意される。
バブルにしたがって外側へと広がり続けたドーナツの外側の淵にそのニュータウンは位置しているが、新しい家を見に来たとき、祖父母はすごい都会だねぇと感嘆混じりに言った。
父は喜んでいた。田舎には戻りたくない、と父はよく言った。都会に出られてよかったと何度も言った。ニュータウンにはそういう大人がたくさんいた。でも、都心で働く人々にとってニュータウンは決して便利の良い町ではなかった。大きな書店はあっても、ほしいものを手に入れようとすると取り寄せるか、自分で都心に探しに行くしかない。服屋はあるけれど、高いブランド物か流行遅れのものしかない。流行はいつも少し遅れて入ってきていた。都心に日々通う人たちはそのギャップを痛いほど実感していたに違いないと思う。教育をするにしても、予備校や塾は少なく、レベルの高い高校も私立中学もない。食料品だけは安くて質のいいものが手に入るが、都会からやってくる品は輸送費の分、価格が上乗せされるので少し高かった。都会からじりじりと後退してニュータウンに落ち着いた人々にとって、言葉にしがたい都会との微妙な時間的距離は苦痛だったのだろう。
子供にはなおさらその意識が色濃く反映された。簡単に目にすることができるからこそ、もう少しでつかめそうだからこそ、都会は余計に眩しいものに思えた。引力は影響を及ぼしあうものの距離が近いほど強くなるように、都会が近ければ近いほどそこへあこがれる気持ちも強くなるのだ。限界集落にいたころには市街地ですら都会だと思っていたのに、ずっと便利になって都会に近づいた生活の方がなぜか我慢ならない。
そして子供たちは大きくなると街を出て行き、後には老人だけが残った。さながらあの限界集落のように、ニュータウンもまた死にゆこうとしている。幸運なことに再び再開発が始まっているようだが、同じことを繰り返すだけだろう。
祖父母にとって東京は得体のしれないところだった。東京駅に降り立った彼らは人込みの歩き方がわからず、父が迎えに来るまでじっと立ちつくしていた。若いころだってそうしなかっただろうに、手をつないで寄り添い、息子が現れるまで待つことしかできなかった。そういう祖父母にとってはあのニュータウンですら、生きていくには騒がしすぎたのだ。あれから二度と都会へ出てくることはなく二人とも、風と、田畑と、山しかないあの小さな村で安らかに一生を終えた。
たまに東京に出てくる父と母は、あのとき祖父母が言っていたようにここは騒がしすぎて疲れる、という。どこへ行くにもたくさん歩かなければならないから不便だと言う。車で動きにくいから困ると言う。智恵子よろしく母は、東京にイオンがない、と真顔で言う。私が笑って、近くにイオン系列のショッピングモールができたし、豊洲まで出ればららぽーともある、といっても納得しない。田畑がない、緑が少ない、明るすぎるし、どこへ行っても人が多い。すべてがせせこましくてあわただしくて、坂が多くてしんどい。それに、とことさら真面目な顔になって言う。犬の散歩をする場所がない。犬が自由に走り回れる場所がない。穴を掘れる場所もない。彼らはそう言う。
あんなに都会に出たいと願ってやまなかった若いころの父と母は、あのニュータウンの生活に満足し、さらに都会へ出ていくことはできなくなったのだ。それが老いというものかもしれないし、身の丈というものなのかもしれない。生きてゆくべき場所を定めた人は幸せだ。幻想に右往左往せず、としっかりと土地に根を張って生きてゆくことができる。
私の住む東京と千葉の境目も、不満に思う若者は多いだろう。都内とはいっても下町だからここは都会ではない、と彼らは言うかもしれない。都下に住む人々が都会に住んでいない、と称するように自分たちの住む街を田舎だと表現し、もっともっとと願うのかもしれない。引力は近づけば近づくほど強さを増すから逃げられなくなるのだ。でも、もしかすると、都会の不便さを嫌って、彼らは田舎を志向するかもしれない。一つのところへ行きさえすれば事足りる、点と点をつなぐだけの便利な生活。地をはいずりまわって丹念に生きる必要がある都会と違って、郊外は行く場所が決まっているし、ネットがあればなんとかできる。彼らには、私たちが引力だと思ったものが反発力として働くかもしれない。未来は分からない。
それでもきっといつかは、みんな、どこかに愛着を抱くか、よんどろこのない事情で立ち止まるしかなくなるのだろう。祖父母がそうであったように、父と母がそうであるように、どこかに満足して、ここ以外はどこにも行きたくない、と主張する。それまではきっと都会と田舎という幻想の間を行き来し続けるのだ。