2019-11-08

宇崎ちゃん問題フェミニズムとかそういうことじゃないんだよなあ

宇崎ちゃんポスターの件で、なんか自分たちの持っている差別感情無自覚な人たちが横っ面ひっぱたいて、一方的内心の自由人権侵害されたことにしたい男が一斉に反発して一切論点が噛み合わないまま無駄にぶん殴り合いをしているように見えるけど、ツイッターの向こう側にいるやつなんか性別もわからなければそもそも人間である保証すらないわけでそんな奴らの空中戦に惑わされるのもバカバカいから俺が「これってこういう問題なんだよね?」というのを頑張って書いてみたい。文章下手ですまん。

最初一言でいうと「表現の自由って誰かの人権侵害してまで守られるべきものなの?この問題って全ての人が今一度立ち止まって考えるべきものだよね?というのが論点では?」だ。

以下ダラダラ書いてるだけのチラシの裏。何でそう思ったのかの記録。

まず、議論フェミニズムから起こった。これは間違いがないと思う。

宇崎ちゃんポスターを見た外国人男性ツイートしたのが始まりだと思われるけど、彼もまたフェミニズム的な観点で物を言ったと思う。「性的にすぎるんじゃない?」と。

これに乗っかったのが国内フェミニスト陣営(またはそう演じて煽りたい人)。

環境セクハラだ!」

一方反発したのは誰かよくわからないけど雑にアンチフェミニストとしておこう。カウンターフェミニストではなく、アンチフェミニスト、要はフェミニスト的な文脈ものを語られることに反発心を持っている人(またはそう演じて煽りたい人)

「どこがセクハラだ!どこまで譲歩すりゃいいんだ!オタクばかり狙い撃ちにしている!表現の自由だ!」

ここから悲劇的なほどに議論明後日な方向に行く。いちいち発言の揚げ足を取って更に議論感情的な暴力応酬になっていく。「わかってほしい!」「人権侵害だ!」というのをずっと繰り返している感じ?

かに宇崎ちゃんポスターから始まったので、現時点ではフェミニストオタク(またはそういうのになんの問題も感じていない人)になっているんだけど、この議論提示していることはもっと奥深くて

表現の自由ってそもそも何?」

という話だと思う。

議論をおもいっっっっっきり単純にすると

「こういうの嫌だ、公共の場はらないでほしい」

vs

別に問題ないだろ、排除するほどのものじゃない」

だと思っている。

これってつまり、どちらも表現の自由内心の自由をぶつけ合っているとも言える。

なので、結論は「どっちの言い分が正しいか」ではなくて「本来あるべき落とし所ってどこよ」に行くべきものだけど、なんだか論破合戦になっているのであまりにも不毛

お互いが「アイツラの人権制限すべき!」ていっているに過ぎない。

まず、宇崎ちゃんポスターの件に戻ろう。

びっくりするくらいの巨乳女の子がなんか挑発的な表情で挑発的なことを言っている。

これがセクハラか、そうでないか、と言う話はとても微妙なんだけど、こういう極端なデフォルメ表現は極端な反応が帰ってくると思う。

セクハラ文脈として語られてはいからセクハラか否かが論点にされているんだけど、本当はこういう話なんじゃないか

1. このポスター献血ポスターにしたのは何でか?

赤十字社もそんなに深く考えているようには見えない。「単にこのキャラポスター作って貼っただけ」くらいなんじゃないだろうか。仮にこのキャラクターと献血が紐づくと言うなら「これこれこういう理由でこのキャラクターにしました」ということをスッキリ説明できると思う。特定の層がよく献血するから彼らに合わせたとかそういうのは理由ではない。だったらそういう層に響きつつ他の層にも啓蒙できるようなポスターを目指すべき。

2. ポスターデザイン理由はあるか?

始めて見た時「俺はお前の先輩じゃないしお前に注射が怖いかとか勘ぐられるいわれもないわ」と思った、要は軽くイラッとしたんだけど、多分このキャラクターはこういうキャラクターなんだろうなーくらいに思った。ただ、「何でこんなポスターなの?」とは漠然に思っていた。別に脈絡はないようなので、このキャラクターが好きな人に響くのがこういうデザインなんだろうとは思うけど、公の場で特定の層にだけ響くことばかり考えていて、そうじゃない響き方をする人たちを考慮していないんじゃないかと思った。だって赤十字社はこのポスターに対してなにか理由があってこうして言るというわけじゃなさそうだから

3. 広報目的で貼っているんだから「より多くの人に見せようとして貼っている」という点が普通に書店に並んだ漫画とは性質が違うんじゃないか

次にこれ、こういう漫画書店のどこかに置いてある分には別にどうでも良いと思う。こういうのは「好きな人が探しに来る」からだ。だけど広報としてポスターを貼る、ということは「これが好きだろうが何だろうができるだけ多くの人の目に触れるように貼る」ということが大事だ。なのでこのポスターは多くの人の目に着くところにはられている。じゃぁ「こういう漫画が嫌いな人、嫌悪感を抱く人もできるだけ多く見てほしい」と言う性質があるんじゃないだろうか。

4. 表現の自由内心の自由は誰かを無自覚に傷つけることが許される位に重要ものなのか?どこかでバランスを取る必要があるんじゃないか

さて、最後にこれだ。多分ここでものすごい摩擦が起きていると思っている。こういうキャラクターが好きだと言うのは内心の自由だし、嫌悪するのも内心の自由だ。こういうポスター行政によって検閲されて発禁になったり燃やされたりしないのは表現の自由だ。別に何を書いてもいいだろう。変な話もっと際どいポスターを書いたって「表現の自由からみたらOKだ。だけど、「表現をする場所」というのは考えなくてはならないと思う。

だれかが「表現をしている以上誰かを傷つけないことは不可能だ」といった。これは真理だ。だが、真理だからといって「表現の自由=誰かを傷つけて良い権利」にはならない。

多分フェミニスト陣営はこういうことを言っているんじゃないだろうか。言えてないけど。一方でポスター擁護側は表現の自由を盾にする以上は「俺達はお前らが嫌な気持ちになろうがどうでもいいしそんなことより俺達の宇崎ちゃん公共の場はられることが大事だ!」ということを言っているのと変わらないと思う。

まとめてみると、今回の宇崎ちゃんポスターについては「評価が大きく分かれそうな微妙デザインポスターをできるだけ多くの人の目に触れるように張り出した、大した考えもなく」と言うことに端を発している問題なのだと思う。

ここまで言うとなんかフェミニズム側の肩ばかり持っているような感じがするんだけど、今回の問題って、「ある特定属性集団差別的に利用する表現って自由範疇はいるの?」という問題なので、宇崎ちゃんに限らない。

例えばゆうなさんやトラブルセクハラ表現ルフィ孫悟空の何の考えもない言動行為についてもそうだし、一方で自分イケメンがどんどん何人も惚れていくけどどっちつかずな感じでズルズル行くナナやつくしもけっこうひどい。というか少女漫画恋愛者って自分にぞっこんなイケメンたちを良いように振り回してるよね?こういうのありなの?と言う疑問もある。

こうやって見てみると、俺達が触れてきた漫画というものは常にある属性が別の属性差別している表現ばかりだったことに気がつく。

「xxが差別だと言うならあれはどうだこれはどうだ」と一生懸命揚げ足取りをする人がいっぱい出てきていたり、なんかアカデミックな事言ってそれっぽく解説を試みる人もちょこちょこいる。だけど結局「表現の自由って実際なんなの?」と言う話なんだと思った。昔よくあった「ぶん殴るのはだめだけど言葉暴力OKなのか」と言う話とよく似ていると思う。

  • ネットフェミとオタクの間の過去の闘争を無視して、「宇崎ちゃんの件は~」なんて語るのがそもそも間違ってる。

  • つーか表現の自由とか内心の自由って結局憲法改正でもしない限りその定義を大きく変えることは出来ないんじゃねえの? 現行の憲法が変わらない以上、今まで以上に規制するのってい...

  • その通り。 これは表現規制派 vs 反表現規制派の問題であり、フェミニストは関係ない話です。    最初に一言でいうと「表現の自由って誰かの人権を侵害してまで守られるべきもの...

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