はてなキーワード: 所謂とは
今はコンビニで朝飯
風俗行っても勃たない 荷物を運ぶだけのロボット アイデンティティのかけらも残ってないから人と話すときは誰かのマネをするか聞いた話を自分の話のようにするだけ。
誰であっても相手に合わしてしまうから都合が悪くなる。どっちが良いとか悪いとか
正直なところどうでもいい
俺はただ適当にやり過ごしたいだけ
出来るなら誰とも関わりたく無くて でもできるだけ傷つきたくなくて けど少し寂しくて
今更 彼女とか 結婚とか 無理だなって思ってはいるものの家族連れとか見るとやっぱり少し羨ましくて、ただ数年前に適当に合わせて付き合っていた彼女に結婚を迫られた時はとてつもなく嫌で嫌でそんな重い責任背負えなくて逃げ出していいよって言った癖に連絡絶ってそれから今まで彼女に殺されるんじゃないかと怯えながら過ごしてきて、昨日LINEの彼女の名字が変わっていてウエディングドレスの後ろ姿のアイコンに変わっていて久しぶりに涙が溢れてきて飯も喉を通らなくて道も間違えるし事故りそうになるしでも休ませてなんて上司には言えなくて体は勝手に動くし思ってもないようなセリフを吐くし寝る前に起きたら世界が変わっていたらいいのにとか思いながら寝たりしてでもさ覚めても現実は昨日のままで季節が変わったことさえ気付くのに時間がかかる昔彼女と同棲してた時にやった街を作るゲームに出てくる住民のように思えてくる。あのゲームに出てくる住民はプログラムされたように動くだけで意思がない。まるで俺じゃんとか思っちゃったりして
意味もなく何時間も空とか海とか山を眺めたりして同僚は釣りとかキャンプとか女の話し家族の話ばかりしてなんでそんなに何かに熱中できるんだろうか俺には理解できなくていっそのこと大災害でも起きたらいいのにとか心の中では思っちゃりしてそしたら皆んな平等じゃん本当の本当にいつ誰が死んでも仕方ないって思うくらいの災害そしたら学歴とか地位や名声なんてものは無くなるし自分が自分である事を確かめられると思う。でもそんなの不謹慎だよね分かってるよ。この世はちゃんと努力して周りの人とちゃんと向き合って生きていくことが正しくてそれが社会に求められる人間でそれでも考えすぎだよとか自分は自分らしくとか人それぞれとかありのままの自分でいいとかもう訳が分からなくてどっちにしたらいい?どっちがいいの
それは自分で決めることなのは知っていてそこには大人の責任とか付き纏ってきてそんなうじうじしてても誰もお前に興味ないとか心の声が聞こえてきてただ休日は狭い部屋に閉じこもるかYouTubeで動画見るかスマホゲームやってコンビニ飯スーパーの飯を食べて無駄に時間過ごしたら終わっていて自己嫌悪に陥ってテレビを見るたびに平日は会社に行って悪戦苦闘しながらサラリーマンして休日は自分の趣味や家族を大切にしてなんて所謂人生のモデルみたいな生き方が正しいって言われてる気がしてそれってつまらないんですけどなにそれ?俺もしたけど全然面白くなかったわ俺が面白いって思った経験を綴ると金出して若い子と話したり酒飲んで若い女性とイチャイチャしたり仲の良い友達とつるんで馬鹿みたいなことで笑ったりスノボで飛んだり高い山から見下ろしたり嵐の中外出たり頑張ってる女性アイドルのライブを見たり天気の良い日に散歩したり腹減ってる時に丼ものがっつりかきこんだり温泉のサウナでたっぷり汗かいた後に冷えた飲み物飲んだりジムで死ぬほど走った後に風に当たりながら一服したりSF映画見たり好みの女性とお話できたり自己啓発本読んで強くなった気がしたり母親となんでもないような近況報告したり祖母の手料理食べたりそんなんだよ。当てはめるなよこれが正しい人生ですとかやめてくれ俺はこういうことしてる時に幸せ感じるんだよ思い出した。悪いことばかりじゃないかもしれない人生ってただちょっとどうしても元気が出ない時はあってでも幸せだなって感じることもあるから頑張ろうと思うきっとこれを繰り返しながらこれからも生きていくんだと思う。人は人俺は俺だ。
今はコンビニで朝飯
風俗行っても勃たない 荷物を運ぶだけのロボット アイデンティティのかけらも残ってないから人と話すときは誰かのマネをするか聞いた話を自分の話のようにするだけ。
誰であっても相手に合わしてしまうから都合が悪くなる。どっちが良いとか悪いとか
正直なところどうでもいい
俺はただ適当にやり過ごしたいだけ
出来るなら誰とも関わりたく無くて でもできるだけ傷つきたくなくて けど少し寂しくて
今更 彼女とか 結婚とか 無理だなって思ってはいるものの家族連れとか見るとやっぱり少し羨ましくて、ただ数年前に適当に合わせて付き合っていた彼女に結婚を迫られた時はとてつもなく嫌で嫌でそんな重い責任背負えなくて逃げ出していいよって言った癖に連絡絶ってそれから今まで彼女に殺されるんじゃないかと怯えながら過ごしてきて、昨日LINEの彼女の名字が変わっていてウエディングドレスの後ろ姿のアイコンに変わっていて久しぶりに涙が溢れてきて飯も喉を通らなくて道も間違えるし事故りそうになるしでも休ませてなんて上司には言えなくて体は勝手に動くし思ってもないようなセリフを吐くし寝る前に起きたら世界が変わっていたらいいのにとか思いながら寝たりしてでもさ覚めても現実は昨日のままで季節が変わったことさえ気付くのに時間がかかる昔彼女と同棲してた時にやった街を作るゲームに出てくる住民のように思えてくる。あのゲームに出てくる住民はプログラムされたように動くだけで意思がない。まるで俺じゃんとか思っちゃったりして
意味もなく何時間も空とか海とか山を眺めたりして同僚は釣りとかキャンプとか女の話し家族の話ばかりしてなんでそんなに何かに熱中できるんだろうか俺には理解できなくていっそのこと大災害でも起きたらいいのにとか心の中では思っちゃりしてそしたら皆んな平等じゃん本当の本当にいつ誰が死んでも仕方ないって思うくらいの災害そしたら学歴とか地位や名声なんてものは無くなるし自分が自分である事を確かめられると思う。でもそんなの不謹慎だよね分かってるよ。この世はちゃんと努力して周りの人とちゃんと向き合って生きていくことが正しくてそれが社会に求められる人間でそれでも考えすぎだよとか自分は自分らしくとか人それぞれとかありのままの自分でいいとかもう訳が分からなくてどっちにしたらいい?どっちがいいの
それは自分で決めることなのは知っていてそこには大人の責任とか付き纏ってきてそんなうじうじしてても誰もお前に興味ないとか心の声が聞こえてきてただ休日は狭い部屋に閉じこもるかYouTubeで動画見るかスマホゲームやってコンビニ飯スーパーの飯を食べて無駄に時間過ごしたら終わっていて自己嫌悪に陥ってテレビを見るたびに平日は会社に行って悪戦苦闘しながらサラリーマンして休日は自分の趣味や家族を大切にしてなんて所謂人生のモデルみたいな生き方が正しいって言われてる気がしてそれってつまらないんですけどなにそれ?俺もしたけど全然面白くなかったわ俺が面白いって思った経験を綴ると金出して若い子と話したり酒飲んで若い女性とイチャイチャしたり仲の良い友達とつるんで馬鹿みたいなことで笑ったりスノボで飛んだり高い山から見下ろしたり嵐の中外出たり頑張ってる女性アイドルのライブを見たり天気の良い日に散歩したり腹減ってる時に丼ものがっつりかきこんだり温泉のサウナでたっぷり汗かいた後に冷えた飲み物飲んだりジムで死ぬほど走った後に風に当たりながら一服したりSF映画見たり好みの女性とお話できたり自己啓発本読んで強くなった気がしたり母親となんでもないような近況報告したり祖母の手料理食べたりそんなんだよ。当てはめるなよこれが正しい人生ですとかやめてくれ俺はこういうことしてる時に幸せ感じるんだよ思い出した。悪いことばかりじゃないかもしれない人生ってただちょっとどうしても元気が出ない時はあってでも幸せだなって感じることもあるから頑張ろうと思うきっとこれを繰り返しながらこれからも生きていくんだと思う。人は人俺は俺だ。
タイトル通りなにもない
今はコンビニで朝飯
風俗行っても勃たない 荷物を運ぶだけのロボット アイデンティティのかけらも残ってないから人と話すときは誰かのマネをするか聞いた話を自分の話のようにするだけ。
誰であっても相手に合わしてしまうから都合が悪くなる。どっちが良いとか悪いとか
正直なところどうでもいい
俺はただ適当にやり過ごしたいだけ
出来るなら誰とも関わりたく無くて でもできるだけ傷つきたくなくて けど少し寂しくて
今更 彼女とか 結婚とか 無理だなって思ってはいるものの家族連れとか見るとやっぱり少し羨ましくて、ただ数年前に適当に合わせて付き合っていた彼女に結婚を迫られた時はとてつもなく嫌で嫌でそんな重い責任背負えなくて逃げ出していいよって言った癖に連絡絶ってそれから今まで彼女に殺されるんじゃないかと怯えながら過ごしてきて、昨日LINEの彼女の名字が変わっていてウエディングドレスの後ろ姿のアイコンに変わっていて久しぶりに涙が溢れてきて飯も喉を通らなくて道も間違えるし事故りそうになるしでも休ませてなんて上司には言えなくて体は勝手に動くし思ってもないようなセリフを吐くし寝る前に起きたら世界が変わっていたらいいのにとか思いながら寝たりしてでもさ覚めても現実は昨日のままで季節が変わったことさえ気付くのに時間がかかる昔彼女と同棲してた時にやった街を作るゲームに出てくる住民のように思えてくる。あのゲームに出てくる住民はプログラムされたように動くだけで意思がない。まるで俺じゃんとか思っちゃったりして
意味もなく何時間も空とか海とか山を眺めたりして同僚は釣りとかキャンプとか女の話し家族の話ばかりしてなんでそんなに何かに熱中できるんだろうか俺には理解できなくていっそのこと大災害でも起きたらいいのにとか心の中では思っちゃりしてそしたら皆んな平等じゃん本当の本当にいつ誰が死んでも仕方ないって思うくらいの災害そしたら学歴とか地位や名声なんてものは無くなるし自分が自分である事を確かめられると思う。でもそんなの不謹慎だよね分かってるよ。この世はちゃんと努力して周りの人とちゃんと向き合って生きていくことが正しくてそれが社会に求められる人間でそれでも考えすぎだよとか自分は自分らしくとか人それぞれとかありのままの自分でいいとかもう訳が分からなくてどっちにしたらいい?どっちがいいの
それは自分で決めることなのは知っていてそこには大人の責任とか付き纏ってきてそんなうじうじしてても誰もお前に興味ないとか心の声が聞こえてきてただ休日は狭い部屋に閉じこもるかYouTubeで動画見るかスマホゲームやってコンビニ飯スーパーの飯を食べて無駄に時間過ごしたら終わっていて自己嫌悪に陥ってテレビを見るたびに平日は会社に行って悪戦苦闘しながらサラリーマンして休日は自分の趣味や家族を大切にしてなんて所謂人生のモデルみたいな生き方が正しいって言われてる気がしてそれってつまらないんですけどなにそれ?俺もしたけど全然面白くなかったわ俺が面白いって思った経験を綴ると金出して若い子と話したり酒飲んで若い女性とイチャイチャしたり仲の良い友達とつるんで馬鹿みたいなことで笑ったりスノボで飛んだり高い山から見下ろしたり嵐の中外出たり頑張ってる女性アイドルのライブを見たり天気の良い日に散歩したり腹減ってる時に丼ものがっつりかきこんだり温泉のサウナでたっぷり汗かいた後に冷えた飲み物飲んだりジムで死ぬほど走った後に風に当たりながら一服したりSF映画見たり好みの女性とお話できたり自己啓発本読んで強くなった気がしたり母親となんでもないような近況報告したり祖母の手料理食べたりそんなんだよ。当てはめるなよこれが正しい人生ですとかやめてくれ俺はこういうことしてる時に幸せ感じるんだよ思い出した。悪いことばかりじゃないかもしれない人生ってただちょっとどうしても元気が出ない時はあってでも幸せだなって感じることもあるから頑張ろうと思うきっとこれを繰り返しながらこれからも生きていくんだと思う。人は人俺は俺だ。
マテゴ!言いたかったが最初に出てた。知ってる人みつけてそれはそれで嬉しいけど。
主人公の定義にもよるがグレンラガンかなー。たぶんダブル主人公といえる作品なんだけど、片方途中で死んじゃうんだよね。死んだ後も面白いし所謂意義のありまくる死だからおすすめ。有名だから知ってそうだけど。
しかし、ほんと思うんですけど偽フレの言う「たつき信者」って本当に変な名称っすなぁ〜〜
いやちょっと聞いて下さいよ奥さん。所謂、真フレって奴らの事なんですがねェ。まあ僕は彼等の事を偽フレって呼んでるんですが。
え?真フレって何かって?そんなの決まってるじゃないですか〜知らないなら調べてみて下さいよ。あ、ニコニコ大百科はダメっすよwwwザックリその辺りなんか編集がキツいみたいなんでwwwww
まあ簡単に言うとですね、真フレってのはKFP……所謂「けものフレンズプロジェクト」の現コア(中心的)メンバーに対する熱狂的ファンの事を指すんですが。もしくはアニメ「けものフレンズ」1期や1期たつき監督のアンチと言うべきかもですね。まあ、その辺の定義は正直どうでもいいすね。客観的評価はとかく、自分が真フレだと思えば誰でも真フレなんじゃないっすかね。
何にせよコイツらがですねぇ、実に酷いんですよ?自分達の好きな「けもフレ2」、通称□を悪く言うと「たつき信者」って言ってくるんですよぉぉぉぉおお〜〜?酷いっしょおおお?
あ、別に僕らにとっちゃ何も全く酷くはないんですよ。まずほとんど誰も反論しようとしない程度にはね。
……ま、それは置いといてすね。
しかし、ホント思うんですけど、彼ら偽フレの言う「たつき信者」って本当に変な名称なんッスよ〜〜
だって、たつき監督を本気で宗教の神レベルで信じてる輩が居るとしたら、そもそも偽の言うような言葉を信じたりしないから全スルーでしょ。
□?何それ?みたいなね。
そんな事をガチで思ってそうな真の「たつき信者」ってのが彼らの言う12文字(注釈:有名けもフレ関連まとめサイト)なんてのに居るのかね?って僕には疑問に思えて仕方ないんですねェ……
強いて言えば、□を見た上で後から信者になるパターンもなくはないっすけど、それだって□のしょーもない出来なぞ刹那で忘れるでしょ?みたいなね??
いやぁ、これだから論理的に考えれない人間は困るっすねぇ…………
え?そんなに□ってのは酷いんですかって?そんな風に言うのは無いんじゃないかって?
そんな事を言う人は実物を見てから、見た人は他のアニメと比べてから、また来てみて下さいよ。
そりゃね?原作ゲームやイラストは兎も角として。アニメ1期を作った著作者はたつき監督だろうけど、そもそも□の問題ってのは制作陣の悪意的なまでの杜撰さ劣悪さが問題でしょ???って僕は思うんすよ。
それに加えてKFPコアメン(主に吉崎テレ東AGN)自体の信が問われてるんですけど、まあそれは□関係とはいえ別問題なんですね?ま、それはそれで炎上してくれると楽しいかもですが??興味ないけど、どうせなら話題になった方が下s……大衆メディア的には良いじゃないですか。
何にせよ。たつき信者でなくたって□は単純に言ってダメでしょ?そういう他の情報なしに□見たら、1期にも期待できる訳がないレベル。
それこそが現実で、それを明らかに□を見たこともないガチの信者に押し付けたところで意味がない。
□が不人気なのは、君達の大好きなKやYやIという人達のォ責任であって、それを既に関わりのない前作の監督に押し付けようなんてのは……とても彼等のがんばりに失礼だヨーー????ってね!!!
君達の信じるKFPってのは、そんな一監督の影ごときに永遠に囚われ続けるような雑魚なのかい?違うのかい??そう思えないのは信者レベルが足りないんじゃないかい!?
もしも現実そうなら、まあ仕方ないけどね♪……みたいなね?
この辺りを理解してない限り、永遠に□信者は見えない「たつき信者」に囚われ続けちゃうと思うんですが。どうしても彼らは、そう呼称して憚らないんですよねぇ〜〜
現実問題マジで正直どうでもいいんですけど、慈悲深い僕としては彼等が可哀想で仕方ないんですよ。いや、割とマジで。
ホント、この世からあらゆる諍いが無くなると良いっすね〜〜。どうせ無理だろうけど。
なにせ、人を悪に落とすのは……いつだって、自分が正しいと思う心なんですから。
自分は普通だと普遍的だと異常でないと……普通こそ善だと思い込んでる限り、ずっっとその人間は純粋で……それ故に、ひたすら邪悪なんです。
ただ、それに気付けるかどうかでしかない。
ま、それは偽フレを無為に叩いてる過激派連中にも言える事かもですけどね。戦う相手、違うんじゃないです?みたいな。
とはいえ本音としては好きにすれば良いんじゃないですかって思ってますがw
人生、長いんで。自分で自分の事に気付くまで時間まだまだあるっしょwww
ただ、一石くらいは投じても良いかなというね。気まぐれ。
しかし、ほんと思うんですけど偽フレの言う「たつき信者」って本当に変な名称っすなぁ〜〜
いやちょっと聞いて下さいよ奥さん。所謂、真フレって奴らの事なんですがねェ。まあ僕は彼等の事を偽フレって呼んでるんですが。
え?真フレって何かって?そんなの決まってるじゃないですか〜知らないなら調べてみて下さいよ。あ、ニコニコ大百科はダメっすよwwwザックリその辺りなんか編集がキツいみたいなんでwwwww
まあ簡単に言うとですね、真フレってのはKFP……所謂「けものフレンズプロジェクト」の現コア(中心的)メンバーに対する熱狂的ファンの事を指すんですが。もしくはアニメ「けものフレンズ」1期や1期たつき監督のアンチと言うべきかもですね。まあ、その辺の定義は正直どうでもいいすね。客観的評価はとかく、自分が真フレだと思えば誰でも真フレなんじゃないっすかね。
何にせよコイツらがですねぇ、実に酷いんですよ?自分達の好きな「けもフレ2」、通称□を悪く言うと「たつき信者」って言ってくるんですよぉぉぉぉおお〜〜?酷いっしょおおお?
あ、別に僕らにとっちゃ何も全く酷くはないんですよ。まずほとんど誰も反論しようとしない程度にはね。
……ま、それは置いといてすね。
しかし、ホント思うんですけど、彼ら偽フレの言う「たつき信者」って本当に変な名称なんッスよ〜〜
だって、たつき監督を本気で宗教の神レベルで信じてる輩が居るとしたら、そもそも偽の言うような言葉を信じたりしないから全スルーでしょ。
□?何それ?みたいなね。
そんな事をガチで思ってそうな真の「たつき信者」ってのが彼らの言う12文字(注釈:有名けもフレ関連まとめサイト)なんてのに居るのかね?って僕には疑問に思えて仕方ないんですねェ……
強いて言えば、□を見た上で後から信者になるパターンもなくはないっすけど、それだって□のしょーもない出来なぞ刹那で忘れるでしょ?みたいなね??
いやぁ、これだから論理的に考えれない人間は困るっすねぇ…………
え?そんなに□ってのは酷いんですかって?そんな風に言うのは無いんじゃないかって?
そんな事を言う人は実物を見てから、見た人は他のアニメと比べてから、また来てみて下さいよ。
そりゃね?原作ゲームやイラストは兎も角として。アニメ1期を作った著作者はたつき監督だろうけど、そもそも□の問題ってのは制作陣の悪意的なまでの杜撰さ劣悪さが問題でしょ???って僕は思うんすよ。
それに加えてKFPコアメン(主に吉崎テレ東AGN)自体の信が問われてるんですけど、まあそれは□関係とはいえ別問題なんですね?ま、それはそれで炎上してくれると楽しいかもですが??興味ないけど、どうせなら話題になった方が下s……大衆メディア的には良いじゃないですか。
何にせよ。たつき信者でなくたって□は単純に言ってダメでしょ?そういう他の情報なしに□見たら、1期にも期待できる訳がないレベル。
それこそが現実で、それを明らかに□を見たこともないガチの信者に押し付けたところで意味がない。
□が不人気なのは、君達の大好きなKやYやIという人達のォ責任であって、それを既に関わりのない前作の監督に押し付けようなんてのは……とても彼等のがんばりに失礼だヨーー????ってね!!!
君達の信じるKFPってのは、そんな一監督の影ごときに永遠に囚われ続けるような雑魚なのかい?違うのかい??そう思えないのは信者レベルが足りないんじゃないかい!?
もしも現実そうなら、まあ仕方ないけどね♪……みたいなね?
この辺りを理解してない限り、永遠に□信者は見えない「たつき信者」に囚われ続けちゃうと思うんですが。どうしても彼らは、そう呼称して憚らないんですよねぇ〜〜
現実問題マジで正直どうでもいいんですけど、慈悲深い僕としては彼等が可哀想で仕方ないんですよ。いや、割とマジで。
ホント、この世からあらゆる諍いが無くなると良いっすね〜〜。どうせ無理だろうけど。
なにせ、人を悪に落とすのは……いつだって、自分が正しいと思う心なんですから。
自分は普通だと普遍的だと異常でないと……普通こそ善だと思い込んでる限り、ずっっとその人間は純粋で……それ故に、ひたすら邪悪なんです。
ただ、それに気付けるかどうかでしかない。
ま、それは偽フレを無為に叩いてる過激派連中にも言える事かもですけどね。戦う相手、違うんじゃないです?みたいな。
とはいえ本音としては好きにすれば良いんじゃないですかって思ってますがw
人生、長いんで。自分で自分の事に気付くまで時間まだまだあるっしょwww
ただ、一石くらいは投じても良いかなというね。気まぐれ。
小中ずっと秀才キャラだったのに高校でコンタクトデビュー以降容姿を褒められるようになった
中学の仲良しグループで集まると昔から綺麗な子はかわいい扱いで私はそうでもない
兄は何度か褒めてくれたけど母に顔褒められたことは無い
ただ今どきの顔って感じじゃない
鏡見るときは脳内補正が入る説を信じてるので、調子いい時は自分イケるじゃん!ってなるけど現実は3割減だと言い聞かせてる
冷静に考えて七十点くらいのパーツがあるべきところに付いてる顔って感じ
色白細身で加点されてるのはありそう
でも垢抜けてる気はしないんだよな
とりあえずブスではないのかもしれない
褒めてくれるの嬉しいけど言われ慣れてないから勘違いしちゃうよ
若い女性はお世辞なり社交辞令なり美人やかわいいって言われると思うんだけど、みんなどうしてるんだろう
私は褒められるの嬉しくて全部覚えてる
すれ違う時に急ブレーキかけたと思ったら「かわいいね!」って言ってきた自転車おじさんとかレジで「あなた綺麗ね」って話しかけてくれたマダムだとか、友達の親とか教師とか全部
友人知人だとお世辞を疑って交わせるんだけど知らない人が難しい
私は知り合いでもない人にお世辞なんか言わないから、ひょっとして美人なのかもって勘違いしそうになる
小学生と言えど高学年になるとカップルが生まれ始めてて、勇気ある男子は好きな子に告白してた
ある日男子に告白されたことあるか聞かれて「あるわけない」と言うと意外そうな反応で理由を聞いたら「顔がいいから」と返ってきた
本当にびっくりした
「クラスで三番目にかわいい」って言われたのはそのときで、そのあと一番目と二番目は誰か聞いて確かにかわいいよねって話したのを覚えてる
あれから何年経った今改めて思うけど一番が芸能人、二番がサロンモデルやインスタグラマーだとして、私は三番目なんだよ
三番目ってのはあくまで喩えなので本当はもっともっと後ろの方にいるのは分かってる
要するに中途半端なんだよね
謙遜しすぎるのはウザイけど受け入れすぎて勘違いブスになるのは辛い
いやもうなってるのかな
お世辞って嫌だな
恋愛関係における「理不尽冷め」は自分にはないと思ってた。でもまさにそれになった。
現時点で「この人以上にベタ惚れできる人はこの先いないだろうな」と未だに思っている人と別れて半年が経った。
そう思っているなら何で別れたんだよって話だが、互いが譲歩できない決定的な見解の相違があったので、別れてしまった事自体は仕方ない。
それなりに色恋をしていたい願望はある。けれど、異性の友人もいないしクラブやバーに行くタイプでもない。その半年前に別れた人よりも前にお付き合いしていた『元カレ』とは社内恋愛で、何年か続いたがまぁ~~~酷い別れ方をして仕事にも危うく支障をきたしそうになったトラウマから、もう社内で相手を探す気もない。何度か行ったことはあるけど上辺だけの会話やマウントにほとほとウンザリしたので合コンは嫌……
という事で力を借りたのは某有名なマッチングアプリだった。
抵抗は正直そんなになかった。一昔前なら出会い系サイトだのなんだの言われていた(今でもヤリモクもたくさんいる)だろうが、プランナーをしていた友人に聞くと、マッチングアプリがきっかけで出会って結婚しますというカップルは大勢見てきたという。
ちなみに「結婚式で2人のエピソードムービーとか流したりするけど、マッチングアプリで出会った人達はなんて説明するの?」と聞いたら「2人は2017年に出会い~って言うだけ。経緯は省く」んだそうだ。
その内、バチバチに趣味が合い、恋人や結婚に求める条件や思想が色々合致して、しかも見目も(プロフィール写真を見る限り)結構タイプ…という人が出てきた。
かなり舞い上がっていた。何かしら趣味がある人の方がお互いの趣味に関して口出ししないし、趣味が合うならそれに越したことはない。LINEも交換して、毎日LINEでくだらないやり取りや下ネタすら交わした。それくらい良好な関係が築けそうだと思ったからだ。
しかし実際に会う日が近付いてきてはいたが、その時点ではまだメッセージ上でのやり取りしかしていなかったのである。
相手からはすぐにでも付き合いたい旨を伝えられたが、まだ1度もちゃんと顔を合わせたことがないという事実が自身を少し冷静にさせていた。
そしてXデーが来た。
めちゃくちゃ緊張していた。何せ恋人同士になるかもしれない相手だ。デートってどんな風にするんだっけ?LINEでどれだけ親しくやり取りしても、初対面なんだからまともにくだけた会話なんてできないだろうな。色々思いを巡らせて、待ち合わせ場所に遂に事前に聞いていた服装をしている男性が現れた!
まぁ~~~酷い別れ方をした元カレだった。
いや、違う。出身地と趣味と年齢と身長が違う、外見が元カレに超絶そっくりな人だった。
内心「うっそだろお前!!!!!!!!!」と自分にツッこんだ。
「まんま元カレじゃん!!!!!!!!親戚か!?!?!?!?!!!!?」ってレベルでそっくりだった。
いやいやいやいやいやいや落ち着け自分。体型だって………似てるんだよな~~~~~いやいや聞いてたよ?主に脂肪による恰幅が良いって。そこはいいんだよ。でもプロフィール写真に貼ってたのよりも更に倍デカくない?アレ何年前の写真???君写真と違わない???元カレに余計そっくりなんだが???
いやいやいやいやいやいや落ち着け自分。見かけが全てじゃない。実際に話したら全然違うかもしれないじゃん。見かけで判断するなんて最低だぞ自分。この人は元カレじゃない。元カレじゃない。
↑ここまで2秒
かつてない程の動揺をなんとか押し隠し、予約してくれていたお店で食事を共にした。
話し方も仕草も、小ボケを挟む時の間の取り方もちょっと高めの声もめ~~~~~~~~~~~~っちゃそっくりじゃんマジかよ~~~~~~~~~~~~~~~~コピーロボットかなにか?異なる環境で育った双子?クローン?
ハッキリ言って元カレはかなり変わってる人だった。もちろんそれは彼の個性として認めるべきなのだが、「俺以外の人類皆バカ」という価値観を隠しもせず、傍にいる時間が長い恋人相手であろうと言葉にはしないまでも「お前はバカだから」と見下す態度が続き、対等な関係など程遠いといつの日か目が覚め、後々酷い別れ方をして尚の事トラウマになった。
その元カレとそっくりな人物が今目の前にいるという事は、トラウマに向き合わなければならない気分だった。トラウマと向き合うのは想像以上にキツい。
相手からすればただ生きてるだけで初対面の人間にトラウマ扱いされるなんてたまったもんじゃないだろう。こちらも初対面の人と会った瞬間に心臓が違う意味でギュゥッとなったのは初めてだった。赤の他人である初対面の人を、トラウマ扱いしている元カレの影を勝手に重ねてしまうのは本当に大変失礼な事なのだが、あまつさえ恋人になるかもしれないと互いに期待したメッセージを交わしていただけに、こういった事態をまったく考慮していなかったのは本当に迂闊でバカだったと激しく後悔した。
お付き合いや結婚生活を送る上では、性格や考え方の合致は最重要事項だと思う。価値観を共有したり尊重できる相手が良い、と。
でもこの時に思いましたね、実際に会わなきゃ駄目だなと。顔は美醜なんてどうでもよくて(自分好みであれば万々歳ではあるけれど)、仕草や話し方、歩くスピードや他人への振る舞いや気遣い方など全部含めて、互いに「この人とならずっと一緒にいられるな」と思えるそういう相性がめっっっっっちゃ大事なんだなと。ある程度は目をつぶるとしても、その目をつぶった程度で互いに譲歩できる範疇を見極める必要がある。当たり前のことだけど、ようやくそれを理解した。
所謂クチャラーが苦手だったとして、文字だけのやり取りじゃ相手がクチャラーかどうかは分からない。あなたはクチャラーですか?なんて聞かないし、気が付いていないだけでもしかして自分がクチャラーかもしれない。その人はクチャラーではなかったけど。ただ元カレにそっくりだっただけだけど。
お相手には本当に申し訳ないことに、そういった経緯で理不尽冷めしてしまったのである。元カレとの過去がなかったらもう少し前に進めたかもしれない。おどけ方や人への態度とか気遣い方とか、もう少し気長に吟味できたかも。冷めてしまった以上その気持ちもないのだが。舞い上がっていきなりエンジン吹かして話を進め過ぎたのが原因なので出会いのきっかけ程度に留めるなら捨てたものではないとは思うものの、これに懲りてマッチングアプリもログアウトしてそれきりだし、これからは実生活で何か出会いがあって良い関係が築けられればハッピーくらいに思う事にした。それが友人関係でも恋人関係でも。
LINEのやり取りも急に距離を感じるようになったとめちゃくちゃ怒られたが、もう本当にこればかりはこちらが理不尽冷めしてしまった事が原因なので謝るしかできなかった。
でも結局「酷い別れ方をした元カレと遺伝子レベルでそっくりな貴方とはやっぱりお付き合いできません。ごめなさい」とはハッキリ言えないままだ。嘘だと思われそうだし、あまりにも理不尽過ぎる。
が、最近とても辛く感じるようになってきた。
人の話を注意して聞こうとすると「聞く」ということに意識がいって周りの雑音まで入ってくる。
そして、一度仕事に集中すると周りが見えなくなってくる。
薬でその傾向を和らげて、なんとか所謂「ギリ健」枠に入ることはできるが、薬が効かなくなってくると一気にパニックが襲いかかる。
社会の歯車になりたくないという人も結局社会の歯車であり、私は何処にも噛み合う歯車がないように思える。
仕事となるとストレスのゲージがあっという間に溜まり、心にバキバキとヒビが入ってしまう。
心というのは、どう鍛えればいいのだろうか。心を鍛えるというのは、自分の精神を追い込んでまで「頑張る」ということだろうか。
辛いのなんて、何も私だけじゃない。
最近、今までやらなかったのに二の腕に刃物を当てるようになった。身体の痛みが心の傷を和らげるというのは本当なんだと思った。
ベルトを何回も輪にしてかけて、首を吊るのを繰り返すようになった。でもまだ怖くて、しっかり実行できていない。
昔鬱によく効く漢方の先生に言われた「本当の鬱の人ならベッドから立てないはずだから、あなたのは鬱じゃなくて甘え」という言葉が今でも頭から離れない。
皆嫌な仕事でも頑張って、耐えてやっている、なのに何故私はできないのだろう。
注意されたことは二度としないようメモを復習したりしているのに、話を聞くことだけが致命的にできない。
両親もいつまでもは生きていない。
友達も、好きな人も好きなのは元気な私であってこんな私じゃない。
いつまで経っても、頭では理解しているのに心が理解してくれない。
このような気持ちでたからか、最近死という言葉がとても近くにいる気がする。
窓から外を見ると、飛び降りようよと囁き道路に立つと背中を押されるような感覚がする。
前は絶対にしなかった、ベルトを使った首吊り未遂も何回も繰り返すようになった。
死んだら解放されるのだろうか。
そう思うたびにちらついた家族や友人の顔も、だんだん薄らいでいっている気がする。
もう、私はだめかもしれない。
この前Twitterに久しぶりにログインした。前々から繋がっていたフォロワーの1人がアカウントを変えていたので改めてフォローした。どうやら前からあったオタクアカウントと統合したようだ。
その人が別垢で某コンテンツの絵師としてかなり人気があったことは認識していた。(まあ私はずっと前からその人の絵が良いことを知っていたんですが...)(フォロワーの厄介古参オタク??)
で、いろいろあってその大きなアカウントは消えて、今はオタクアカウントは身内垢だけのようだ。
ある日彼女がスペース名らしきものをつぶやいていたので、インターネット情報あつめ大好きな私は、なんやかんやでその即売会を特定した。
女性向けジャンルの同人誌、即売会はどんなものかと興味本位で見ようとしたが、パスワードを入れないと進めないのだ。ジャンル名を数字にしたものだとか、有名な3文字だとか。あと、その作品を見ていないとわからないクイズなどなど。
なんやかんやでその壁は突破し(この行為がダメだったらすみません...)、私の知的好奇心は満たされた。しかし、男性向けエロ文化に浸っていた私にとってここまで厳しいゾーニング文化は衝撃だった。噂には知っていたが。
その即売会は所謂ナマモノってジャンルのものだったのでゾーニングをしっかりしているらしい。納得だね。
そこで疑問なのだが、ナマモノじゃない、フィクションの二次創作でも女性向けジャンルはここまでゾーニングは厳しいものなのか?ますます女性オタク文化に興味が湧いてきたぞ!!
高校を卒業してしばらくした頃、所謂ネットワークビジネスに手を染めた同級生が何人か居た。彼らはアツい仲間だの、人生逆転だの、そういった言葉をかつての仲間たちに振りまいて何人かの人生をともに陥れようとした。
本当に儲かるんだぞ、ってことの証拠に彼らがこぞってInstagramに載せるのは、ルイヴィトンとモエシャンドン、そして肉寿司だった。
俺の周りでは、こうした詐欺にのめり込んでしまう者の大半が元高校球児だった。生き甲斐を失った空虚感に餌を蒔かれたことが、簡単に想像できる。
あまりに稚拙で下品な誘いに、どういう生き方をしていたら引っかかってしまうんだと、こちらからしたら想像もつかないくらい馬鹿げたことだけど、それも仕方ないことなのかもしれない。それぐらい彼らの世界には野球しかなくて、それに人生を捧げていたわけだから。
部活に熱中し汗流す学生時代を過ごすのはとても素晴らしいことだけれども、
何も知らない大人にならない様、これから各高校では、このようなケースを未然に防ぐ教育を、被害者のOBを招いて講演をするなどして行うべきではないかと思う。
よく仮眠の時の睡眠導入剤として、YouTubeやニコニコ動画で人の声が入ってない耳かき音声を聴いたりする。
お気に入りの音声はいくつかあるがそれらを繰り返し聴いても少し物足りなくなってくるので、他のものを漁ったりもするんだけど、よく適当にマイクガリガリやってるだけとか明らか鼓膜破れてるか突き破ってない?っていう音声が見つかる。
そういう音声もある程度需要があるのもわかるしそれ自体も聞いてる人も批判するつもりは毛頭ないけど、みんなよくああいう音でリラックスできるな……と思う。
ちょっと聞いた時は実際鼓膜を刺激されてるわけではないのにいてて…となったのである意味音作りは上手いんだろうな。
いっそ機材買って俺が最高の音声作ってやるぜ!ってなればいいんだけどね、宝くじの当たりクジが降ってくれればいいんだな。
いつもいい音を作ってくれる人たち本当にありがとう。
ちやほやされたかったばかりにこんなことに
私は昔から周りの人にちやほやされたくて、でもされなくて、特別な存在になりたくて、でもなれなくて、そういった鬱屈した思いを抱えたまま大人になった
子供の頃からコミュ力が低く友達付き合いが上手くいかなかったことが原因ではないかと思われるが、
人の輪の中に入れないまま輪の中心にいてちやほやされる妄想をしていた
でも結局はそれは叶わないまま終わった
コミュ力もなく、器量も悪く、学校の成績も悪く、要領も悪く、当然仕事も出来ず、
新卒就活に失敗して所謂普通の企業の一般職にもなれずに零細と派遣で食い繫いできた私は
一般的に特別な存在というのは、生まれながらに人とは違う才能や素質や肉体を持っているひとのことである
社会において特別なのは他の人と同じ条件で競争して成績や売上実績などが突出する人のことであって
なんの根拠もなくある日突然特別な存在になる人間なんていないわけで
自分でもおかしな妄言であることは頭の片隅では認識しているものの、
丸一日中妄想して過ごすことがあったり、妄想のせいで変な開き直りをしてしまいまともに就職活動をしなかった時期さえあった
この時点で多分30歳はとっくに超えていたかと思う
自分でも頭の病気だなとは思うが、この妄想による自己防衛がなければ、
私が正しく自分というものを客観的に自己認識できるような人間だったなら、
今頃この世にいないかもしれない
本当はもっと先の人生とか、仕事とか、周りの人への気遣いとか、考えなくてはいけないことはたくさんあったはずなのに、
ありえない妄想に時間と脳のリソースを費やしてしまって後悔している
なれるはずもないのにその妄想は転職活動での会社選びにも反映されていた
基本的にはノースキル高齢のため選べる仕事はあまりないのだが、
派遣社員として数年間就業してきた秘書職ならば採用してくれそうな会社はあったのに他人への気遣いができる性格ではないことをこの数年間で身に染みて感じていたために辞退してしまった
求人広告の「社長直下の経営管理部」とかいう惹句に惑わされて入社したらこれだよ
特にやることもなく毎日使い道も分からない資料作りの練習に費やし早2ヶ月目
社内ニートか?
これはタイトル通り、大手のヘイト解釈が広がりすぎて私の推しカプが完全に潰された思い出話です。
当時の悲しみとか主観が色々と含まれていますが、ようやく吐き出せるようになったので書きます。
私の推しカプのABは、最終的に公式で結婚する公式カプなんですが、所謂同人人気はそんなに。
一方、別カプのACは公式でCの片思い表現は出てくるけど、AはCのことを恋愛的な視線では見ていない非公式カプ。(基本、Aは恩人であるB一筋)
ただ、Cの報われない悲恋要素が受けて同人人気はけっこうある方でした。
同人人気があまりないカプなので、ABの作品数は少なかったですが、その分いっぱいABの話を書いたりしてました。
AとBが出会う前の話とか、AやBがそれぞれどんなキャラかの掘り下げとか、エンディング後のABの新婚幸せ話しとか、ABに子供が出来た話しとか。
原作をそれはもう舐めまわすように読んで、出来るだけ原作の世界観を重視して、時代考察にも力を入れて、ヘタレなりに頑張って、楽しくABという推しカプを書いていました。
今思い返しても、ABのことを考えるのが楽しくて楽しくて、本当に幸せな時間でした。
そんな時、とある大手さんがこのジャンルにハマったという話を同カプの友人から聞きました。
その大手のことは私も別ジャンルで知っていて、画力も構成力も全部最高で。
まさか今のジャンルであの大手さんの作品が見られるとは!とめちゃくちゃ浮かれていました。
あと、大手さんは過去のジャンルで公式カプをすごく丁寧に描いてくれていたので、もしかしてABも…?と勝手に期待も抱いていました。
大手さんが公開されたのは、原作の話を再構築するタイプのものでした。
ただ原作と違って、BがAにした恩人エピソードは全てCのものになっていて、それを切欠にAはCに恋心を抱いたことになっていました。
それどころか、他のB存在そのものが、悪役がCを陥れるために変装して行ったことになっていました。
え?Bは?Bはどこに行ったの?
なんでBが存在しないどころか、悪役に出番を奪われているの?
大手さんの作品を読んだ時はもうその言葉で頭がいっぱいで、初めは辛すぎて最後まで見れませんでした。
でも、もしかしたら最後にBが出てきて原作通りAと幸せになるかも……。
と思って、何度目かの挑戦で最後まで見ました。
(本当に止めておけばよかったと思います)
結果、大手さんの作品で悪役が変装したBは、AがCを守るために、Aに殺されました。
そして、AとCは二人の愛を阻むものは無くなったと、皆に祝福されながら結婚する終わり方でした。
大手さんはその作品をCの悲恋が報われたハッピーエンドと言っていました。
正直Bの存在を消したどころか悪役にした話のどこがハッピーエンドなんだと思いましたし、そんな無理矢理原作を改変してAC結婚のハッピーエンドとか、今で言うところのヘイト創作なんじゃないのかと思いました。
なので正直、いくら大手さんとはいえ、この話は賛否両論なんじゃないかと思いました。
Cの悲恋が報われたとか、公式で叶わなかったACハッピーエンド展開最高ですとか、AC幸せになってほしいとか。
特にAC界隈には大絶賛で、大手さんの作品こそ公式だと言わんばかりの盛り上がり方でした。
元からACもAC界隈もあまり否定的なことを思ったことはなかったんですが、AC界隈の人にとってBは悪役にされてAから殺されても何も感じないキャラだと思われていたのかと、とてもショックを受けました。
原作で結ばれたAとBを引きはがして、Bの手柄を全てCのものにして、最後は原作では想い合っていたAに殺されるヘイト展開を見ても、ACさえ結婚して幸せならなんでもいいのかと、ドン引きしました。
今でもACどころかCが単体でいる絵だけでも嫌悪感が沸いてきます。
無論、中には「Cは悲恋だからこそ、原作のテーマが生きるし、これは改悪だ」と大手さんの作品を批判される方も居ました。が、かなり少数でした。
ただ、地獄はそれだけでは終わりませんでした。
大手さんは固定のファンも多く、中には原作は知らないけど大手さんの作品は読むという方々も居ました。
そういった方々は、ACがハッピーエンド()は公式なんだと勘違いされていました。
実際そういうコメントを見た時は、あまりのショックにしばらく何も出来ませんでした。
Bなんて存在はACを邪魔する悪役で、最後はAに殺される悪役なんだという解釈が、ジャンル内外問わず広まりました。
それでも気にせずABを書いていられればよかったんだと、今では思います。
でも、私には駄目でした。
大手さんの解釈がジャンル内に広がり、そういう二次創作(というか大手さんの三次創作)がいっぱい出ました。
Bのした善行はCの手柄になり、それ以外は全て悪役のしたこと。
原作では互いに想い合った末Aと結婚したBが、Aに殺されて『成敗』される展開。
そういった展開が、どんどんジャンル内に広がっていきました。
ACカプを避けてオールキャラものを読んでも大手さんに影響された、AC前提の作品が出てくる。
(というかそもそも、大手さんもAC作品としては発表していませんでした)
書きたいABや、Aがどれだけ素敵で、Bのどんな所に惹かれたのか、原作で結ばれた二人がどんな未来を築いていくのか、書きたいものはいっぱいありましたが、続けることが出来ませんでした。
ただ、私のような底辺書き手が一人居なくなったところで、ジャンルになんの変化もありませんでした。
ジャンルではその後も、大手さんの解釈がずっと公式かのように扱われ続けました。
この話で何を伝えたい、とかはありません。
ただ、世界には大手の作品や、その解釈が蔓延したせいで筆を折った
どこにでも居る底辺書き手が居たことを知っていただければ幸いです。
【解説】
この話に出てくるジャンルとは、皆さまご存知『人魚姫』のことです。
・A → 王子
・B → 王子を助けた娘
・C → 人魚姫
元々は私の推しカプが愚痴垢で「あのカプは全てヘイト創作!」的なことを言われており
二次創作界隈で対抗カプをヘイト創作扱いするのはよくある話ですが
これでヘイト創作ならリトルマーメイドもヘイト創作やろ!と思った末に
実際に二次創作界隈の常識とか言語に当てはめると、かなり酷い話に思えるのでは……?
間違ったことは言っていないけど、言っていないことも多い、推しカプ主観マシマシ文章にしました。
ディズニーを二次創作大手扱いするなとか色々あるとは思いますが
さも酷い話のように書かれている愚痴も、内実はこんなものかもしれません。
また、ただの思い出話ですが、
公務員の夫は、モラハラと嘘を繰り返した。そんな折、SNS上で交流のあった男性に一緒に飲もうと誘われた。彼はコスプレイヤーのカメラマン、所謂カメコをしているそうだ。
何度も逢瀬を重ねる内に、頼れるのはこの人だけだという気分になった。
福祉に興味があり、努力の結果資格を得た事。私は元々福祉に携わる友人を見て好ましく思っていた。彼は滔々と将来の展望を述べた。行く行くは、養護施設の子供の教育に携わりたい。熱心な態度は公務員の普段のそれと大きくかけ離れていて、二人の軌道はまるで同一のように思えた。
試しに、婚姻届に名前を記入して貰うとスラスラと名前を書いてくれた。これが本当なら良いのにねとずっと言っているうちに、形になったらどれ程幸せだろうと夢想していた。
愛された事のない人生で、あの人だけが私をまともに見てくれた。彼は劣等感を抱えていたようだけど、それも含めて愛していた。彼を変えてあげたい、支えてあげたいという姉気質が何となく、芽生え始めていた。
息子は、終始良い子にしていた。これから宜しくねと可愛く笑っていた。ここに二人だけの居場所がある。希望しかなかった。息子は兄弟離れ離れになってしまったが、月一で遊びに行かせると満足している様子だった。
そうして、血の繋がりのない家族を続けて数ヶ月。
正直言って9歳の息子の方がしっかりしていて、3人分の食器を洗っている。
演技は苦しくはなかった。けれど、どうしたらこのゴミのような亭主を棄てられるのか、それだけを考えるようになった。
いつか絞殺してやりたい、そう思いながら隣の家のメーターボックスに紐を忍ばせた。幼い息子に殺しは依頼出来ないが、きっと一人でやり遂げてみせる。
元夫に話すとどうやら協力を得られそうだった。不要な人物を追い出し、元の生活を送るのが子供の為にも良いだろうという約束で。決行日は、来週の日曜。
前置きの長い愚痴です。
キングダムへの愚痴ではないです。映画キングダムは素晴らしい作品でした。
娘が2歳の秋に鬱病の診断を受けました。その時点で夫は海外への転勤が決まっており、帯同してくれと頼まれました。
鬱っぽくなってきていると気がついたのは、診断を受ける1年ほど前のことです。
日中何度も記憶が飛ぶようになり、抗えない眠気で1歳の子どもと二人きりなのに眠ってしまうという症状から始まりました。
夫は激務で、休日と名のつく日でも昼まで寝て、夕方から出勤。その年の12月には一ヶ月で2日しかまともに家にいる日が無かったとTwitterに記録されています。
夫と地域の子育て支援課に相談し、心理士さんと面接もしましたが、その時点では私の意識を変えれば精神科などに通う必要はないという結論を出しました。
しかし翌年の6月に活字が読めない、料理の段取りができず調理に時間がかかり味も感じないなどの症状が出始め、7月から通院開始。11月に医師から鬱病だと言われました。
途中、ほぼ1日ベッドから起き上がれないほど体調が悪くなった時期もありました。小さな娘には長時間テレビを観せてしまったり、自分の感情がコントロールできずに強く当たってしまったこともありました。虐待をしているのではないかと自分を責め、家事をしたいのに動かない身体が悔しくて、毎日泣いて暮らしていましたが、夫がその様子を見る機会はなく、状況の深刻さは伝わりませんでした。
私は4人兄弟の長女で、実家は愛に溢れた仲の良い家庭でしたが、親に甘えることを遠慮して育ちました。
親への甘え方を知らず、甘えている妹弟を羨みながら生きていた10代の頃の私は、嫉妬から逆恨みのような形で勝手に家族から孤立して、漫画の世界に逃亡しました。友人に恵まれて、成人する前に漫画とは適切な距離を置いて付き合えるようになりましたが、その後も漫画を読む時間は心の支えであり続けました。
職場で出会った夫とは漫画の趣味が一致したことが結婚を考えるきっかけになりました。
自分と漫画との関係を理解してもらうことは、家族になる上でとても重要なことだと考えていました。平たく言えば、オタクの自分を知った上で女性として見てくれる男性と出会うことは簡単ではないけれど、オタクを隠して家族になることはできないと考えていました。
夫の転勤を機に入籍し、実家からも義実家からも離れた関東圏に住むことになりました。夫はオタクと言えるほど漫画やアニメを好きな人ではありませんでしたが、休日にはレンタルショップで漫画やアニメのDVDを借りて、二人で感想を言い合って過ごすこともありました。卑屈な性格の私は、自分がこんなにも幸せな生活を送っていいわけがない、いつかドンデン返しが来るに違いないと不安に思っていました。それほど、毎日は幸せでした。
そんな中で、夫がレンタルショップで借りてきたのが原泰久作の漫画キングダムで、私は夢中になりました。
子育てをする中で鬱になってしまったのは、恵まれた家族の中ですら孤立してしまった自分が親になる自信が全く無かったのが原因だと思います。自信がないから頼りたい、相談したいと思っていても夫は激務、実家も義実家も遠く、実母はダブルワーカーになっていて電話のタイミングを合わせるのも難しい、義母は癌と闘っていてそれどころではないという状況でした。
何故産んだのかと思う方もいると思いますが、子どものいる生活を夫が希望しており、その時は産まれたら仕事をセーブすると言っていました。しかし、妊娠中に義母が癌を患っていることが発覚。夫は新幹線で片道2時間かけて義実家へ通い、義母の闘病のサポートをしました。義母の病状が落ち着くと、通勤距離片道2時間半の職場へ異動。彼も想像できなかったことでしょう。娘が1歳を迎えるまでは、彼の方が「自分が思うほど育児に協力できない」というフラストレーションで鬱っぽくなっていたように思います。そしてそれは私を余計に追い詰めました。
娘2歳の2月、夫は海外転勤の辞令を受けて一足先に引っ越しました。私と娘は実家に二ヶ月ほど居候させてもらって、渡航の日を待っていました。バタバタと引っ越しの準備を進める中で、映画キングダムの告知を見ました。私は所謂「原作厨」というやつで、アニメ化ですら自分のイメージと違って不満を持つことがあるので、実写化はとても不安でした。中国の歴史ものなのに、どうして日本で映画化されるのかという疑問もありましたし、原作のスケールを日本映画が表現できるのかという不安もありました。しかし、その不安はメインキャストを知ると共に期待に変わりました。それが自分の中のイメージにぴったりハマっていたからです。勿論、なんで日本人が演じるんだという疑問は残りましたが、日本の漫画のキャラクターの顔は日本人の顔なんだなと、メイクをした俳優さんたちを見ながら思いました。
キングダムの公開日は渡航の日程ギリギリでした。私は夫に、渡航日を少し後ろ倒しにして観に行かせて欲しいと頼みました。夫は早く家族と住みたいと言っていましたが、私の願いを聞くと「今まで映画を観に行かせてあげられる機会を作れなかったね、楽しんでおいで」と手続きをしてくれました。
実家で過ごした二ヶ月半の間、ほとんど母に娘を預けることはありませんでした。私よりも先に、実家の近くに住んでいる妹が子どもを預けに来るからでした。
映画公開日翌日、映画館のあるショッピングセンターまでバスで向かおうとしていた私に、両親が「車で送っていくからついでにお昼ご飯も食べよう」と誘ってくれました。(今、この一文を打ちながら涙ぐんでしまうほど、私は両親への甘えに飢えていたんですよね)
子どもの頃は仲の良かった両親も、子どもが独立するとお互いどう接していいのかわからなくなってしまったらしく、少しギクシャクしていました。二人で連携して支度を進め、おしゃれをして車に乗り込む両親を見ることですら、私には感慨深いものがありました。
私が選んだ定食屋で、両親と娘が順番を待つ間に一人、チケットを買いに行きました。何年かぶりの映画で、有人カウンターが無いことに大きな衝撃を受けつつ、自動券売機で席を選んで発券しました。「キングダム」と印字されたチケットを手に取った時、私の心は幸せな気持ちで満たされました。大好きな作品が納得のいく形で実写化されて、それを今から観られるという幸福だけではありません。今自分がこの場に立つために、今まで甘えられなかった夫が、両親が協力してくれたことが嬉しくて熱いものが込み上げました。
定食屋に戻ると、父が娘にお子様ランチを注文していました。まだ2歳の娘は食べきれないと言うと、「おじいちゃんが孫を甘やかしたいんだよ」というような事を言った気がします。実は、娘の初節句の時ですら、私は自己主張ができずに両親にも参加して欲しいと言えませんでした。妹の子を預ける予定を聞いて、それを優先してくれと言ってしまったのです。娘がおじいちゃんおばあちゃんに甘える機会すら奪ってしまった自分を責めていた私は、父から孫への愛情にすら感動してしまいました。お子様ランチの残りを食べきるのは大変でした。
食事を終えて、娘は眠くてグズリながら両親の車に乗りました。「すぐに寝るから大丈夫、気にしないでゆっくり楽しんでね」と母は言って去って行きました。
今まで抱えていたマイナスの感情から解放された私は映画館に向かって踵を返しました。
「今から観るよ」と、定食を背景に撮ったチケットの写真を貼ったツイートには、いいねが数件付いていました。私のアカウントのフォロワーにはキングダムファンはいないので、「よかったね」「いつも頑張ってるから楽しんで」という意味でつけてくれたのだと勝手に感じました。
着席してから、泣く事と、好きなキャラクターが出てきた時に声を上げてしまう事を想定して、ハンカチを握りしめました。
左隣には50代くらいのご夫婦が座っていました。旦那様が原作のファンなのかな?同世代の女性のファンをあまり知らないけど、それくらいの世代の男性に人気があるのかな?などと考え、どう見てもオタクではない一般人のご夫婦が不快にならないように、オタクっぽい反応を出さないように鑑賞しようと思いました。
映画は素晴らしかったです。俳優さんたちは、キャラクターそのものでした。
特に、吉沢亮さんの演じられたキャラクターの演じ分けには感動しました。私が漫画を読んだ時には読み取ることが出来なかった部分まで演じられているように感じました。
私の好きなキャラクターも、あのキャラクターの歩き方だ!あのキャラクターの戦闘の動きだ!といちいち納得し、感動しました。
俳優さんたちの身体の作り込みにも驚き、感動しました。キャラクターの背景を描く体格を、生身の肉体に再現されていたからです。血の滲むようなトレーニングの成果なのだと思います。
作品全体に、俳優さんをはじめスタッフの方々がそれこそ命懸けくらいの愛情を注いでくださっているのだなと感じ取ることが出来る作品でした。
私の好きな漫画作品を素晴らしい映画にしてくださったスタッフの方々に心から感謝します。そして、映画化されなかったらキングダムに触れることがなかったであろう、俳優さんのファンの方や映画好きの方の元に、キングダムを届けてくださってありがとうございます。
観賞後、細かい部分の感想と共に、「こんなに幸せなオタクはなかなかいない」とTweetしていました。
さて、ここまでが長い長い前置きです。
映画観賞中のこと。
ここまで書いてきた背景の中で幸せな気持ちで胸を膨らませて、私はその席に座っていました。
CMが一通り終わり、本編が始まりました。キングダムの世界観を説明するナレーションは重厚感があり、期待が膨らみました。
冒頭の映画オリジナルのシーンには戸惑いながらも日本映画とは思えない画面の良さに不安が和らぎ、主人公たちの生活を描くシーンに変わった頃には集中して映画の世界に入り込んでいました。
その時
ピカっ
左の席が眩く発光しました。
隣の奥様がスマホの画面をチェックする光でした。
すんっと高鳴っていた胸の音が消えたのを感じました。
私は映画の世界から弾きだされ、現実世界の、スマホを見る女の隣に座っていました。
その後も何度もスマホチェックをする女性に声を掛けようかなと思いました。しかし、私には映画館でこの作品を観賞する機会がもうありません。少しも見逃したくないし、聞き逃したくありませんでした。
注意をする間の数十秒、彼女の方を向き、口を開く。その間もスクリーンの中の時間は流れ続けます。なんと注意するか、棘のない言葉を考えることに脳を使う時間も必要だし、声を掛けて素直に謝罪してやめるとは限らない。後の鑑賞に支障が出るような反応が返ってくる可能性もあります。出来れば声を掛けたくありませんでした。
きっと連れの方が観たくて、あまり興味がないのに入ったんでしょう。スマホで何をチェックされているのかはわかりません。お仕事のことかもしれないし、緊急性のある連絡が来るかもしれない状況なのかもしれません。優しい気持ちで察してあげることはできなくはないのですが、私の中の幸せな気持ちは、スマホが光る度に萎んでいきました。
「私の好きなキャラクターが出てくるシーンが近づいてきている。出てきた後に光ったら声を掛けよう」そう思って、なるべく横を気にしないように心掛けました。幸い、その後彼女がスマホを出すことはありませんでした。
たかがスマホが光るだけ。目くじらを立てるほどこだわる人は気持ち悪い、そう思う人もいるかもしれません。
私もキレ散らかすほど怒った訳ではないです。その後、Twitterにも残念だった。運が悪かったくらいのテンションでTweetしただけだったと思います。
そんな事に執着して作品の素晴らしさへの感動が占める心の面積を縮小するのは勿体無い事ですしね。
でも、やりがちな人が知らないなら知ってもらいたいな。一緒に鑑賞している人の中にはその上映が特別な意味を持っている人がいるかもしれないこと。
知っててもやっちゃう人のことはもうどうでもいいです。
前々から自分のワンオペ育児からの鬱について、自己消化のためにどこかに吐き出したい欲求があった中、Twitterで映画観賞時のスマホについての話題をいくつか見かけたので。親にも甘えられない赤ちゃんが、インターネットユーザーに甘え散らかす愚行なのは承知の上です。
私の心の状態は随分良くなってきましたが、この話に対する反応を見る勇気はないので、書き逃げします。
とあるコンサートチケットの高額転売について、色々考えた事があるので記録しておく。
チケット高額転売とは、その名の通りチケットを定価を超える金額で販売する行為である。
高額転売と聞くと大量のチケットを高額で売り捌く業者、所謂転売ヤーを連想しがちだが、その内業者と思われる割合は意外と少ない。
では他には誰か。
それは非常に悪質な、しかし悪質という自覚のないファンたちによる転売なのである。
ここで一例を挙げる。
友達を誘って行けばそれまでだが、折角なら2公演分入りたい。
なので、残りの1枚は同じコンサートで他の日時のものと交換する。こうすれば金銭も発生しないで、2公演楽しめてハッピー。勿論、合法。
自分のチケットの座席は3階席の後列で需要が少ない。地方公演のチケットなので、人気都市の公演に行きたくても同じ会場同士でしか交換できない。平日なので土日公演と交換してもらえない。
ここで、一度転売し換金してから、希望の公演のチケットに金を積んで入る、という行動を取る。金を経由しチケットを得る。
そうすれば相場の差額を払うだけで当選していない公演に入れるのだ。
相場が定価の5倍だとすると、定価5000円のチケットが大体25000円で取引される。
自分のチケットは何らかの理由で、相場で18000円分の価値しかないが、人気都市・人気日時・良い座席のチケットは70000円で取引されている。
交換してもらえるはずがない。価値も需要も埋められない差があるからである。
しかし例えば同じ会場、少し良い座席、土日公演のチケットが26000円で取引されてるとする。勿論自分は交換したいが、相手にとってメリットは少ない。
(勿論一定数定価主義のファンも存在するが、運良く交換成立する場合は稀である)
そこで一度転売、換金し8000円金を積んで26000円のチケットを手に入れる。
もし残りの1枚を友人に譲ってしまうと2公演目は26000円のマイナスだが、転売すると8000円マイナスで済む。
この場合18000円、定価の3倍強の高額転売だが、その売り上げは26000円のチケットを売った別のファンへ流れている。ファンは結局アーティストの為に金を使い、別のファンもアーティストに払う。
ファンの同士の中で金が回り、アーティストの為に消費される金である。
単純に、通路横席、最前席、いわば「神席」などと呼ばれる座席と、3階の後列や埋もれ席など、「天井」などと呼ばれるクズ席が同じ金額で売られているのに問題がある。
もしくはコンサート中盤と最終日が同じ金額、地方公演と人気都市公演。
肉眼で見れ、触れそうな位置でパフォーマンスをする2時間と、豆粒くらいの見えてるのか見えてないのか、TVで見ている方がマシな2時間が同じ金銭価値な訳がない。
コンサート中盤の中弛みしてきた公演と、最終日の涙ながらに気合の入った公演が同じでいいのか。
基本的にランダム、良い公演良い座席に当たるかは運だ、と言われている。
もしくは手数料である。良い座席、良い日程、良い会場を当てた人へのチケット分プラスアルファの手数料である。
ある界隈では最前席は20歳以下の若いファンしか当たらないという、公表されてないが共通認識の裏ルールがある。若くないが金のあるファンは、絶対に手に入れる事のできない若さを金で買っているのである。
この様に他にも公表されていない選択基準があるのかもしれない。それらは全て運という言葉で片付けられている。
1枚のチケットに、条件が揃えば20万だの30万だの法外的な金額がつく。そしてそれを買うファンが存在する。少なくない数、存在している。
しかし、どうしてもそれが悪だと思う事ができない。良い座席にはその金額に見合う価値があると思い、法外な金額を積んでしまっているのである。
実際、その価値はある。と思う。
通路横の座席の、すぐ近くをアーティストが通り、匂いを感じ、顔を目視でき、喉から声を絞り上げる姿を見れ、マイクが拾わない声を聞ける、そんな生の体験と。
ステージから遠く離れた天井席で、豆粒のようなアーティストを双眼鏡で必死に追いかけている、悲しくなる絶望感。
その2つを経験してしまうと、とてもじゃないが同じ価格だと思えない。
その気持ち、金を出してでも運を買いたいという気持ちは十二分に理解できる。
問題は、運営から離れたファン同士(もしくは転売屋)の間で金が動いてしまっている点である。
だからやはり、金銭差がなく運のみでチケットが選ばれる制度自体に問題がある。元凶である。
舞台であればS席、A席、B席…など前列の座席程料金が高く設定されている場合がある。金を出せば対価としてより良い観劇環境を手に入れられる訳である。
この制度自体は問題ないが、現時点で高額転売は多数存在する。やはり値段設定と座席の区分が相場と合っていない上、日時による区分が存在しないのである。
全席オークション形式にすれば金を払いたいファンは自分の希望する座席に入れる。金のないファンは去るしかない。これなら
運営に金が入り、金があるファンはいくらでも払う。正にwin-winな関係である。
誰かに仲介される事なく純粋なチケットへの対価が金額に表れる。
小金持ち程度のファンも集まれば立派な金づるである。新規ファンを常に増やしたい運営にとって得策とは思えない。
特にSNS主体の現代では、金は無くとも拡散力のあるファンはアーティストの立派な広告塔なのだ。少しの太客よりより多い茶の間ファンなのである。
また道徳的にもよろしくない。という風潮が現在存在しているだろう。
運営から離れたところで相場が生まれる、というのはある種の主張である。
定価以上の金を払ってでもよい席に入りたい、それだけの価値がそのチケットには存在する。良いチケットをくれ、その分金は払う。
しかしその声が届く事はない。
高額転売は終わらない。
憧れの接客系アルバイトはとても楽しい。人と関わることが好きで、特にレジをやっているときの目を見て笑顔で接客する時間が割と好きだ。緊張するけれど。
だけど、わたしの働くところは所謂ブラックなバイト先だ、たぶん。ネットでも有名らしい。
わたしがその記事に気づいたのは採用が決まってからだったので、気の持ちようだ、と気持ちを前向きに頑張ってきたはずだった。
びっくりした。友人たちに夏休みの間、バイトで言われた嫌味について話していたら、顔をしかめ、「早くやめなよ」と即答された。そんなにやばいの?
自分で気づかないのもなかなかだけど、それより怖いと思ったのは嫌味を「あはは」って無意識のうちに受け流してること。メンタル成長してる、笑
早くやめたいなあ。
■誰もやってくれない、手伝ってくれない
とある美術系大学生です。チームで共同制作する研究室、所謂ゼミに入ってます。
やりたくないけど誰かがやらなきゃいけないイベントの幹事をやらされています。毎回誰も手伝ってくれないし、感謝の言葉もありません。
先輩の追い出しコンパで色紙を先輩に渡したら同期のやつが「色紙いらなかったら燃やしていいと思いますよw」って。
この色紙11人分くらいを全部私が作ったんですよね。
かき氷作るイベントでは当日寒くて「違う日にやれよ」とか。私ひとりで企画して全員の予定確認した時、日程出さなかった癖にねwwwwww
大学指定の毎年恒例の卒業アルバムでのこと。パロディものでやるのですが、加工がやりやすいからという意味でこちらでとあるゲームのパロディに決定しました。
説明とか私の話を聴いていなかったのに、○○のパロディがいいとか突然ゴチャゴチャ言い出しました。
私だけセットアップのせいで自分のポーズ考える暇なくて適当なポーズ取るはめになってこれが卒業アルバムに乗るのかって思うとつらい。
加工も私がやらざるを得ない状況で(画像の加工技術がある人が私しかいない)、嫌いな人達の顔加工するのが辛くて鬱が悪化しかけている。
去年作った作品のデザイン1部やったんすけど、キャストの所に付き合ってないけどカップルみたいな2人の名前しか無くて私のキャスティング外されてました。
こんな事なら手伝わなかった。
それとチームマークが2人を象徴するようなロゴマークでキモかった
まだあるけど指が疲れてきたんでこれで。
どうしようもない人ばかりだから自分のために距離置いてるんですけどね。取り敢えず吐き出したかったので結構投げやりに書いてすいません。もう嫌だ、自殺したい。
ちょっと前に二次の字書きが絵師に表紙を頼んだ話を読んで自分も思い出した話。
少し前に長年付き合いのあった絵師との縁が切れた。
ことの発端は私だから仕方ない話なのだけど、ずっと心の中に燻っているものがあったので匿名者の日記として吐き出してしまおうと思う。
私と彼女との出会いは前ジャンルに遡る。所謂マイナーCPというやつで全盛期をとうに過ぎたジャンルで細々と小説を投稿し10年過ごした場所だった。
彼女からの熱い感想メールをもらったことが切っ掛けでメールのやり取りをする仲になった。投稿した小説の感想やイメージイラストをくれたりと、当時ネット上のみで小説を投稿していた私にとってはとても貴重で有難い存在でありモチベーションをあげてくれる人でもあった。
しかし段々と交流が続くにつれて彼女に対して心に引っかかることが増えていった。私は基本的に他の字書きさんや絵師さんとの交流もない引きこもりで、イベントやオフ会も参加したことがなく10年もの間投稿を続けいていたにも関わらず、知り合いが全くといっていいほどいない状況だったので、彼女から聞くことが創作人口の少ない界隈での全てだと思い込んでいた。
私が○○さんのお話好きだなと言うと「あー…でもあの人さ、他の書き手さんから嫌われてるんだよね」とネガキャンが始まる。そう言われてしまえばお話を読む際にどうしても書き手さんの印象が脳裏に過り素直に本を読めなくなった。そういった流れが何回か続き少し疲弊し始めていた頃。
ある時、彼女に小説内容のリクエストをしてもらった。日頃、イラストや感想を下さる感謝の気持ちを込めて此方からお願いした形だ。彼女はとても喜んでくれて俄然やる気になり彼女の希望した内容で小説を投稿した。けれどあれだけ感想をくれていた彼女からの反応は一切なし、むしろリクエストしたことすら忘れているのかと疑いたくなるほどこの件はスルーされてしまった。折角書いたのにという気持ちと虚しさで心が折れつつも「書いたよ」と連絡すると、少し時間をおいて「あー…あれか」という反応。どうやら彼女のリクエストには添わなかったようだった。
その件が引き金になり「人に媚を売るような小説を書いてはダメなんだな」と、今までそのCPが好きで小説を投稿していたものが、誰かの反応が欲しくて、感想がもらいたくて投稿しているという自己承認欲求の塊のような自分に嫌気がさして小説を書くことが嫌になってしまった。
小説からも彼女からもジャンルそのものからも距離を取りはじめた頃、SNSが普及し始めた。久しぶりに連絡が来た彼女から登録しなよと言われるがままSNSのアカウントを開設したものの、有難いことにフォロワーさんが徐々に増え以前よりも交流が出来るようになった。それが嬉しくてSNSでよくコメントを投稿していたところ、連絡が取りやすくなったからか彼女から頻繁に連絡がくるようになった。
DMで届く内容はオフでも活動する書き手さんへの愚痴が主だった。「あの人とオフで本を作ったり、プライベートでも仲良くしてるんだけど段々と失礼な態度をとられるようになった。ある日急にSNSをブロックされた。なのにアチラは私のアカウントを監視していて文句を言いまくっている、ひどい」という相談事もあり私は私なりに親身に話を聞いていたと思う。
ただ私には彼女がいう突然ブロックされたという言葉には違和感があった。彼女は割と積極的に交流をする方なので多方面で付き合いが多いのだが、とにかく物忘れがとても多くまた人にマウントをとりたがる節があった。彼女はイラスト絵師でもあり、字書きでもありグッズ製作をしたりと活動内容が多岐に渡るのでオフでのノウハウがあり、それを人に吹聴するところがある。私のようにオフド素人の人間に指南をするのが楽しいようでもあった。そういった面で人を不快にさせてしまうところがあったり、物言いが直接的で逆鱗に触れてしまい縁が切られるということが何回か続きジャンル撤退を考えているようだった。
私はとめなかった。ジャンル撤退には人それぞれ様々な理由がある。二次での交流で嫌気がさして撤退する人も少なからずいるのは分かっていたので、そうなってしまうとジャンル愛も枯渇してしまうのも納得だったからだ。
私は私で別件でジャンル愛が枯渇していた。そんな時に今のジャンルに目移りしてしまった。
そのジャンルは全盛期を迎えていて活気づいていた。私は一番人気のCPに傾倒し、久しぶりに思うがままに小説を投稿し続けることが出来た。その熱意なのか投稿した小説がランキング入りを果たしたりと嬉しいことが重なり益々現ジャンルにドハマリしてしまい前ジャンルのアカウントを閉じてしまった。
心機一転、自ジャンルで新しいお仲間さんとワイワイしていた時、見慣れたアカウント名と特徴的な絵柄が私の小説をブクマしていることに気付いてしまった。
私は新しい名前、アカウントにも関わらず私の小説をブクマしてくれた彼女に嬉しくなってしまってついつい自分から声をかけてしまった。
苦い思いをしたにも関わらず懲りない人間だなと今は痛感しているのだけれど、新天地でも出会えたことに盛り上がってしまいジャンル愛が勝って初めて彼女から「表紙描くから本を作ってよ」という言葉に頷いてしまったのだ。
はじめてのオフ活動にやる気になりWEB上で書いた投稿作に書下ろしを加えて本にすることにした。
彼女と何度も連絡を取り合い表紙の進行なども聞きながら書下ろし部分の調整をしていると、彼女から一枚のイラストが届いた。
とても美しい大好きなCPが手を繋ぎ歩いている原風景。私はその美しさに感動して何度も賛辞のコメント送り、表紙の二人を思い浮かべて小説を書き続けた。
しかし数日後その素晴らしいイラストが別の字書きさんの本の表紙になったことを、その字書きさんのSNSのコメントで知ることになった。
私に見せた表紙案といって送られてきたイラストがSNSで投稿されている。
私は何も聞いていなかったので内心かなり取り乱しショックで何も手につかない状態だった。彼女がその字書きさんを神のように崇めていたことも知っていたし、絶賛していたことも知っていたけれど本の表紙を頼まれていたことは知らなかったので「どうして言ってくれなかったのか」という勝手な思いに苦しんだ。そんなこと彼女が私にいう必要なんてない。けれどじゃあ何故、表紙案といって私に送ってきたのか。
結局、私の本の表紙は全く違うものになった。私は最初に見せてもらった表紙案をかなり気に入ってしまったので、その表紙を見ることが少し悲しかった。何よりその表紙は私の小説のシーンに一度も出てこない場所で私が小説の中で着せている恰好ではない装いの二人の日常的なシーンで「なんでこの表紙なんだろうか」と思ってしまったのだ。
とても丁寧に描いてくれた表紙だということは分かっている。けれどCPの二人よりその場所を目立つように描かれた表紙が好きになれなかった。それでもいい顔をしたい私は彼女に有難うと謝礼を振り込み、菓子折りを送った。
本は有難いことに完売した。再販も希望してもらえたが私の事情で出来なかったので悲しいことにオークションでかなり高額に転売されてしまった。
「オークションで買わないで欲しい」とSNS上でコメントをすると「再販しないお前が悪いんだろ」と匿名で何通もお怒りのメールをもらってしまった。
私は自分の自己満足で本を作った。一度もオフ活動をしたことがなかった私にとって誰かに表紙を描いてもらい本を作ることは夢の先のことだったから。
でも本を作るということはそれで終わってはいけないのだと痛感した。「なんで再販しないのか」というDMに心が折れてしまった。
一度に何十万と支払う本の制作にはリスクがありすぎる。私はしがない主婦なのでそんな大金を一度に使う趣味に気が引きてしまう。
結局、どうしても欲しかったけれど買えなかったという方になけなしで手元に置いておいた1冊をお譲りすることにした。その方は私がとても敬愛している書き手さんでSNS上でお付き合いのある方だった。
そのことは伏せて現ジャンルで活動を続けていたある日、彼女から連絡があった。以前私が大好きだった表紙で本を出された字書きさんに「突然ブロックされ、縁を切られた。ひどい」という内容だった。
私は以前にもこんなことがあったな、と前ジャンルのことを思い出していた。
こんなニッチで複雑な感情が絡み合った世界だから同じCPが好きだからといってウマが合うとは限らない。解釈が違えれば逆CPより地雷になる人がいる世界。
最初は仲良くやれていても上手くいかないこともある。付き合いがプライベートにまで進めば仕方ないことかもしれない。
長いこと二次創作を続けていればこういうことは起こりうる。私は彼女を慰めながら色んなことを考えるようになった。
一番大事なのはジャンルを好きでいられること、そのCPを好きでいられること。
好きなことをする為に始めていることで大元を嫌いになるようなことをするくらいなら、人付き合いは一定の距離があっていい。そう思うようになった。
深く関われば関わる程、悲しいことも増えていくくらいなら私はSNS上のお付き合いだけでいい。
彼女のように活動の幅を広げる度に誰かと衝突し縁を切り、ジャンルを嫌いになりそうと言い出すくらいなら。引きこもりのままで構わないと。
彼女は頻繁に私と会いたいと言い出していたが、結局一度も会うことはなかった。
10数年つかず離れずを繰り返し、彼女の私生活からジャンル内のごたごたを時には夜中の2時3時まで付き合って聞いたりもしたけれど彼女の顔を見たことは一度もない。
そんな時間を過ごし、一定の距離感を持って付き合いを続けていたある日。
彼女に私が最後の1冊だった本を手放していたことがバレてしまった。自分から言ったのだけれど、それが彼女の逆鱗に触れてしまった。
「この10数年間付き合いを続けて来たけど、貴方と私は会ったことがない。だからニュアンスは違うのかもしれないけれど、貴方が最後の1冊を手放したというその不躾な態度は、創作者である私のプライドを傷つけた。許せない、涙がとまらない」ということだった。
私はその一言に物凄く腹立たしさを覚えた。彼女に全く同じ感情を抱えたことがあったからだ。「前のジャンルでさ、リクエストした内容も忘れたけど誰かから頂いた小説内容が超地雷でさ、あの解釈はないわって思ったんだよね」と送った相手(私)に堂々と言った(物忘れの多い)貴方にめちゃくちゃ傷つき凹んだことがあるからだ。その時私は面と向かって言われていないからニュアンスが違ったのかもしれないって思うようにしてやり過ごしたのに。
山ほどあった言いたいことを飲み込んで「ごめんね、こういう思いをした相手とずっと縁を続けていてもいずれまた嫌な思いをさせてしまうかもしれないから、もうお互い連絡をとることはやめよう」と伝えた。
「泣くほど嫌な思いさせられた相手となんか趣味で繋がる必要ないよ」と「どんだけ私が謝ろうと、言い訳をしようと貴方は納得しないだろう」旨を告げて連絡手段を断つことにした。
彼女に今までのお礼と好きな創作を続けて欲しい。今回は嫌な思いをさせてしまったけど、貴方の素敵なイラストの表紙の本を今後も楽しみにしていると告げてブロックした。
きっと私次第で彼女との縁を続けることは出来たのかもしれない。
でも毎回聞いていた彼女の「突然ブロックされた、縁をきられた」という連絡を思い出してしまったのだ。
なんでだろう。ブロックした人の気持ちが分かってしまった。怒りよりも悲しみよりも先に「疲れた」と思ってしまった。
「ずっと本当はわだかまりがあった相手ではないか。SNS上では仲良し、大好きアピールを続けていたけど、本当はずっと思うところがあったじゃないか。それをずっとないことにしていい顔をしたい自分の自尊心を尊重してしまった結果がこれなのではないか」と気がついた時に、私は自分の至らなさを実感した。
彼女は時折、激しい自己嫌悪と承認欲求で鬱に近い状態になっていた。幼少期のトラウマを切々と語り今の人生への疲弊を漏らしていた。
感情の起伏が激しく、よくSNSの呟きを全部消したり、鍵をかけたり、いなくなったりしてた。
きっと今日もどこかで誰かに私にブロックされた時の愚痴を言っていることだろう。
もう誰かに振り回されてジャンルもCPも書き手も嫌いになりたくない。
そのためには「相手に何かを求めない」「自分の為に小説を書いていることを忘れない」「好きでいられる為に最良の選択をする」ことを忘れないようにしよう。
新たに興味の出てきたジャンルに見慣れた名前と絵柄があったので自戒を込めて。
まぁもう二度と連絡をとることはないだろうけど!!
所謂ぶりっ子って不当に貶められる場合が多い気がする。なんつーかぶりっ子という属性に勝手に「実は嫌な奴」という属性が付け足されるというか。
フィクションだと裏でいじめしてるみたいなのがテンプレートだけど、実際は気に入られたい相手以外でもそこそこ愛想がよくて気を使える人の方が多いと思うんだけど。仮に裏でいじめしてた場合はいじめるという部分がダメなんであって、ぶりっ子自体に害はないわけだし。
ぶりっ子は相手によく思われる為の努力ともいえるのに、叩かれがちなの気の毒だと思う。この増田さんの義妹候補さんだって、これから親族になる可能性ありの相手に気に入られようとがんばったのに、それを騙すとか言われたり、義妹さんの愛想振り撒きに素直に好感を持つご両親に失望されたりと多難だなあ。
無職のこどおじを自己責任のように扱う風潮があるが、全くもって俺は悪くない。
●まず時代が最悪。1998年間卒の超氷河期。俺自身は所謂1.5流大卒だが時代には勝てず。
●日本的な会社組織が非効率。契約社員で入った会社では、誰でもできる事務作業や会議の手配ばかりで呆れた。俺大卒やぞ?
私は新作発表されたSという某ゲームが好きだった
新作が発表されて、めちゃくちゃモヤモヤしたのでここに書き留めることにした。
Sはハードも変わっているものの、1〜5までナンバリングされている。
OVAだったりドラマCDだったり舞台、Sのグッズが販売されている専門店だったりと、20年前の作品にしては多種多様なジャンル展開がされていたと思う。
私が通ったものとすれば、
ドリームキャストが1〜4
ゲームだけでは語られないOVAで、キャラたちの過去だったり、設定だったりが知れたりして、子どもの頃は本当にその作品に冠するものしか見ていなかったかもしれない。
気付けばずっとやりこんでいた。
誰が一番好きかと聞かれれば、1に出てくる主人公のお姉さん的立ち位置の人だ。
いろいろあって、敵の女になってしまう。所謂、悪堕ちお姉さんなのだが。
その格好がめちゃくちゃエロい。闇堕ちお姉さんが性癖かと聞かれれば、そうかもしれない。
でも、闇堕ちにもちゃんと理由があるし、単純に敵の男が好きだったからなんていう理由だけじゃない。
Sと私の人生はほとんど一緒だったと言っても過言ではないと思う。
グッズ専門店には幼少期によく連れて行ってもらって、マスコットキャラのネコのぬいぐるみも買ってもらった。
閉店した時はめちゃくちゃ泣いた。大人になって一人で跡地に行った時もちょっと泣いた。
グッズ専門店に併設されていたコンセプトカフェのノベルティも今でも持ってる。
劇場版も映画館に連れて行ってもらって、パンフレットや映画館限定グッズも家にある。
サウンドトラックを聞いてある程度のシーンまでも分かるぐらいにはやり込んだと思う。
Sとコラボした桜色のドリームキャストだって動かないけど、ずっと持ってる。
新作とまではいかないけれど、移植版が出て同じハードで遊べるようになればいいな、というのが願いだった。
ちゃんと情報を追ってみると、事実だったので仕事の昼休みに泣いた。
あれだけ待ちわびていた新作だ!!!!!
ソシャゲじゃないといいな、なんて不安もPS4となった瞬間に吹っ飛んだ。
けれど、キャラデザもプロデューサーも全然違う人。唯一同じなのは音楽の人だけ。
本当にSという作品なの?と思ったけど、完全新作なんだし、仕方ない。コンセプトは同じなんだし、何よりSというタイトルを背負ってる以上、やらないという選択肢はなかった。
絵柄の統一性のなさ
え?なんで?どういうことなの?
本当に今までのシリーズを通して遊んだことがある人が作ったものなの?と疑わざるをえなかった。
絵柄の統一性のなさは昨今のソシャゲによくあるような流れだったから、まだ受け入れられた。
でも、前作メインヒロインの闇堕ちの可能性だけは信じたくなかった。
ゲーム、OVA、劇場版と通して見てきたメインヒロインを裏切られたような気持ちだった。
そんな簡単に闇堕ちなんかしないし、父親も闇堕ちした設定だったから、連続で同じようなことする?
あの時、流した涙ってなんだったの?
いろいろなキャラから託されたメインヒロインが闇堕ちの可能性で?しかも中の人も同じで?
そんなのシャア・アズナブルとフル・フロンタルみたいなものだとしても納得いかない。
新キャラageのための要員だったとしたら、意味も薄っぺらい闇堕ちだとしたら…。
ここで一気に不信感が増してきた。
設定も取ってつけたような設定だらけで、前作のこと知ってる?って聞きたくなるようなことばかりだ。
タイトルだけ間借りしてるんじゃないの?
私が待っていた新作ってこれだったんだ。
正直、こんなことなら完全新作なんていらなかったのかもしれない。
人生と一緒に見てきた作品がぶち壊された気分で、正直やる気が出ない。
でも割と周りは好意的な意見だから、こんなこと言えないけど、移植だけで良かったんじゃないのかな。
でも離れることは出来ない。
ナンバリングされている以上、どれだけモヤモヤしても、やってみないことにはなんとも言えない。
分かってはいるけど、闇堕ちの可能性があるメインヒロインを出してきた時点で、この作品に期待は全くなくなってしまったのだ。
それでもまだまだ私はSファンとは言い切れない。
12月に新作が発売される。
正直、メインヒロインの闇堕ちだったとしたら、私はディスクをフリスビー代わりにしてぶん投げるかもしれない。
あるいは新作をなかったことにするかもしれない。