はてなキーワード: コピーロボットとは
恋愛関係における「理不尽冷め」は自分にはないと思ってた。でもまさにそれになった。
現時点で「この人以上にベタ惚れできる人はこの先いないだろうな」と未だに思っている人と別れて半年が経った。
そう思っているなら何で別れたんだよって話だが、互いが譲歩できない決定的な見解の相違があったので、別れてしまった事自体は仕方ない。
それなりに色恋をしていたい願望はある。けれど、異性の友人もいないしクラブやバーに行くタイプでもない。その半年前に別れた人よりも前にお付き合いしていた『元カレ』とは社内恋愛で、何年か続いたがまぁ~~~酷い別れ方をして仕事にも危うく支障をきたしそうになったトラウマから、もう社内で相手を探す気もない。何度か行ったことはあるけど上辺だけの会話やマウントにほとほとウンザリしたので合コンは嫌……
という事で力を借りたのは某有名なマッチングアプリだった。
抵抗は正直そんなになかった。一昔前なら出会い系サイトだのなんだの言われていた(今でもヤリモクもたくさんいる)だろうが、プランナーをしていた友人に聞くと、マッチングアプリがきっかけで出会って結婚しますというカップルは大勢見てきたという。
ちなみに「結婚式で2人のエピソードムービーとか流したりするけど、マッチングアプリで出会った人達はなんて説明するの?」と聞いたら「2人は2017年に出会い~って言うだけ。経緯は省く」んだそうだ。
その内、バチバチに趣味が合い、恋人や結婚に求める条件や思想が色々合致して、しかも見目も(プロフィール写真を見る限り)結構タイプ…という人が出てきた。
かなり舞い上がっていた。何かしら趣味がある人の方がお互いの趣味に関して口出ししないし、趣味が合うならそれに越したことはない。LINEも交換して、毎日LINEでくだらないやり取りや下ネタすら交わした。それくらい良好な関係が築けそうだと思ったからだ。
しかし実際に会う日が近付いてきてはいたが、その時点ではまだメッセージ上でのやり取りしかしていなかったのである。
相手からはすぐにでも付き合いたい旨を伝えられたが、まだ1度もちゃんと顔を合わせたことがないという事実が自身を少し冷静にさせていた。
そしてXデーが来た。
めちゃくちゃ緊張していた。何せ恋人同士になるかもしれない相手だ。デートってどんな風にするんだっけ?LINEでどれだけ親しくやり取りしても、初対面なんだからまともにくだけた会話なんてできないだろうな。色々思いを巡らせて、待ち合わせ場所に遂に事前に聞いていた服装をしている男性が現れた!
まぁ~~~酷い別れ方をした元カレだった。
いや、違う。出身地と趣味と年齢と身長が違う、外見が元カレに超絶そっくりな人だった。
内心「うっそだろお前!!!!!!!!!」と自分にツッこんだ。
「まんま元カレじゃん!!!!!!!!親戚か!?!?!?!?!!!!?」ってレベルでそっくりだった。
いやいやいやいやいやいや落ち着け自分。体型だって………似てるんだよな~~~~~いやいや聞いてたよ?主に脂肪による恰幅が良いって。そこはいいんだよ。でもプロフィール写真に貼ってたのよりも更に倍デカくない?アレ何年前の写真???君写真と違わない???元カレに余計そっくりなんだが???
いやいやいやいやいやいや落ち着け自分。見かけが全てじゃない。実際に話したら全然違うかもしれないじゃん。見かけで判断するなんて最低だぞ自分。この人は元カレじゃない。元カレじゃない。
↑ここまで2秒
かつてない程の動揺をなんとか押し隠し、予約してくれていたお店で食事を共にした。
話し方も仕草も、小ボケを挟む時の間の取り方もちょっと高めの声もめ~~~~~~~~~~~~っちゃそっくりじゃんマジかよ~~~~~~~~~~~~~~~~コピーロボットかなにか?異なる環境で育った双子?クローン?
ハッキリ言って元カレはかなり変わってる人だった。もちろんそれは彼の個性として認めるべきなのだが、「俺以外の人類皆バカ」という価値観を隠しもせず、傍にいる時間が長い恋人相手であろうと言葉にはしないまでも「お前はバカだから」と見下す態度が続き、対等な関係など程遠いといつの日か目が覚め、後々酷い別れ方をして尚の事トラウマになった。
その元カレとそっくりな人物が今目の前にいるという事は、トラウマに向き合わなければならない気分だった。トラウマと向き合うのは想像以上にキツい。
相手からすればただ生きてるだけで初対面の人間にトラウマ扱いされるなんてたまったもんじゃないだろう。こちらも初対面の人と会った瞬間に心臓が違う意味でギュゥッとなったのは初めてだった。赤の他人である初対面の人を、トラウマ扱いしている元カレの影を勝手に重ねてしまうのは本当に大変失礼な事なのだが、あまつさえ恋人になるかもしれないと互いに期待したメッセージを交わしていただけに、こういった事態をまったく考慮していなかったのは本当に迂闊でバカだったと激しく後悔した。
お付き合いや結婚生活を送る上では、性格や考え方の合致は最重要事項だと思う。価値観を共有したり尊重できる相手が良い、と。
でもこの時に思いましたね、実際に会わなきゃ駄目だなと。顔は美醜なんてどうでもよくて(自分好みであれば万々歳ではあるけれど)、仕草や話し方、歩くスピードや他人への振る舞いや気遣い方など全部含めて、互いに「この人とならずっと一緒にいられるな」と思えるそういう相性がめっっっっっちゃ大事なんだなと。ある程度は目をつぶるとしても、その目をつぶった程度で互いに譲歩できる範疇を見極める必要がある。当たり前のことだけど、ようやくそれを理解した。
所謂クチャラーが苦手だったとして、文字だけのやり取りじゃ相手がクチャラーかどうかは分からない。あなたはクチャラーですか?なんて聞かないし、気が付いていないだけでもしかして自分がクチャラーかもしれない。その人はクチャラーではなかったけど。ただ元カレにそっくりだっただけだけど。
お相手には本当に申し訳ないことに、そういった経緯で理不尽冷めしてしまったのである。元カレとの過去がなかったらもう少し前に進めたかもしれない。おどけ方や人への態度とか気遣い方とか、もう少し気長に吟味できたかも。冷めてしまった以上その気持ちもないのだが。舞い上がっていきなりエンジン吹かして話を進め過ぎたのが原因なので出会いのきっかけ程度に留めるなら捨てたものではないとは思うものの、これに懲りてマッチングアプリもログアウトしてそれきりだし、これからは実生活で何か出会いがあって良い関係が築けられればハッピーくらいに思う事にした。それが友人関係でも恋人関係でも。
LINEのやり取りも急に距離を感じるようになったとめちゃくちゃ怒られたが、もう本当にこればかりはこちらが理不尽冷めしてしまった事が原因なので謝るしかできなかった。
でも結局「酷い別れ方をした元カレと遺伝子レベルでそっくりな貴方とはやっぱりお付き合いできません。ごめなさい」とはハッキリ言えないままだ。嘘だと思われそうだし、あまりにも理不尽過ぎる。
私はもういい年の三十路の女です。
最近、SNSで知り合い仲が良くなって、頻繁に遊びに行ったり、自分の部屋に呼んで飲んだり泊まったりできる友人(女性)ができた。
それなりの時間をかけて、トラブルもなく順調に仲良くなっていって、本音も少しずつではあるけど話せるようになっていった。
しかし、それは突然終わりを告げた。
つながりを切られていた。
切られたことに対してのショックはなく、純粋に驚いた。
ネット上だけの関係なら繋がりを切ることに躊躇など必要ないとは思うのだが、自宅に行き来するような仲でもそういうことができるのか、と。
しかし、切られたことに対して攻める気持はないし、あちらからしたらその程度の関係だったということだろう。
と、思ってはいるのだが、これがキッカケで「友人を作る」ということの難しさをまた痛感することになった。
誰しもそうだとは思うが、人間関係で大きかれ小さかれトラブルを経験すると「マイルール」ができてくると思う。
それは事あるごとに変化していくものだが、今回の件でそのマイルールが全て無駄だったと思った瞬間、友達を作ることができなくなるのでは、と恐怖を覚えた。
仲を深める、ということは、会話が重要だと思う。
自分はなるべく会話で相手を知る、自分を知ってもらおうと思っている。
当然、後悔している。
「あの時、なんで話をちゃんと聞いてあげなかったのだろう」
「あの時、ああ言わなければよかったんじゃないか」
よくある、と表現するのは不適切かもしれないが、本当にそう後悔している。
死ぬまで後悔しつづけると思う、だからこの後悔は当然マイルールに影響している。
おそらく誰しもがそうしてるであろう内容なので、書かないといけないのか?と思われるかもしれないが、自分メモとして、ざっと書き出してみたい。
・相槌は必ず打つ。
・相手の立場になって話を聞く。(相手の心情をなるべく理解できるように)
これは私が相手にすることであって、相手が必ず私にしてくれることではない。
他にも、会話の内容だけではないが、自分にとっての常識が他人にとっての非常識な場合もあるし、その時の相手の精神状態などもあるだろうから、一概に全てをこのマイルールに適用させることはあまりない。
そうやって色々、相手のことを考えつつ、自分のことも考えて築いていくのが人間関係なのだと、思っている。
私にはそれができない、できていないようだ。
「気が合う友達」というのが親友以外名前を挙げれないのだが、親友は私に対してそう思ってくれていたのか、今では確認のしようがないから不安と疑問と恐怖でいっぱいだ。
だからと
いって、その気持を払拭するために、もし今後「気が合う友達」ができた時に「私はこう思っているがそう思ってくれているか」なんて聞けることもないだろう。
私は「遊びや旅行などに誘いあえる」「なんでも話ができる」「助け合える」ことができる友人が欲しいと思っている。
突き詰めていけば、もう一人自分がいればいいのだが、この世にコピーロボットは存在しないから無理な話。
しかしどうすればそんな友人ができるのだろうか。
そもそも、人付き合いがとても苦手なのだ。
だから受動的になったというか、自分から率先していくことはなくなった。
自分から見て、この人とは付き合わないほうがいい、と思って離れると、自分だけが離れてしまうことばかりだった。
いつも孤立する側で、周りに人が残らなくて、全てリセットされてしまった。
その度「私がおかしいのだ」と思ったし、今でも思っている。
それと私には「人を見る目がない」から友人がいない。
たまに「あなたは人が良すぎる。もっと自分を出したほうがいい」と言われるのだが、そういうことばかりだと自分はなかなか出すことができない。
どうにかしないと、と思って入るが、出会いの場もそもそもどこにあるのかわからない、一般的に使われているSNS以外のどこで友人ができるのだろうか。
皆どこで友人を作っているのだろう、出会っているのだろう。
よく「趣味の集まりで」等きくが、その集まりはどこでできた集まりなのか。
そこには人と人の繋がりがあってできる集まりと、ネットサービスでの集まり等様々があるのだろうが、そもそもそこにたどり着くプロセスが形成できない。
仕事でも社内以外の人間と接することは一切ないただの事務職なので、その繋がりを作ることもできない。
もし仮にまたできたとしても、コミュ障特有の気持ち悪いしゃべりしかできないので、そこから関係を広げられるかどうか不安もある。
不安を言い出したらキリがない。
そもそも、人と付き合うことに対して恐怖を持っているのかもしれない。
私は「親しくなりたい」と思ってもらえない人間なのだろうとも思う。
どうすればそれを覆せるのかもわからない、多分今までもそう思って行動を取っていたかもしれないが、失敗しているんだろう。
こんな人間が結婚できると思えないし、そもそも結婚願望もない、子供がほしいとも思わない。
ただ、諦めることはなく、これからも友人を作りたいとは思っている。
ずっとこんな気持でいながら作らねばならないのか、と気が重くはなるが。
ここまで読んでくれた人、ありがとう。
検索しても誰もやってなさそうなのでやって見た
S+ 堂本瞬一
A アレックスガルシア、中村名人、アルベルト(ドイツのリーダー)
B+ 霧崎マイ、小暮宙太
B ヒュエル(ドイツの女),安濃寺円馬(日本チーム最年長、北海道大会1位、貧乏)
C+ 輪刃剛志、桜場 丈一郎(関西大会3位),十川四郎(四国大会1位),南郷番(九州大会1位),伊達 将悟(東北大会1位)
E ロングスリーパーしかしない瞬一を馬鹿にしてたスーパーレベル6の二人組
同格のような描写でしたが、安定感と実績から北条院を上にしました。
ポルックス(コピーロボットみたいなやつ)は決勝戦で出てきた方です。
人間に近い外見になっていて、合宿で瞬一たちが戦ったやつより強くなってるでしょう。
ポルックスのテストは終わったみたいな発言を決勝前に黒岩が言ってたので
決勝まではスーパーヒューマノイド輪刃、桜場を使わずポルックスのみで勝ち上がってきたと思う。
アメリカ代表完封されてるのでアメリカ主将のアレックスより上で。
ライバルの中村名人も同じぐらい、同じ強豪チームのドイツの主将も同じぐらい
動画や写真の被写体が本人であるかどうかなんてことは、つまるところ、その場にいた人間にしかわかり得ない。
もっと言えば、その場にいた人間ですら、本当にそれが本人であるかどうかなんて証明することなど不可能だろう。
その人物が本人であるかどうかなんて本人にしかわからないし、本人ですら自分が本当に自分であるかなんてわからない。
赤の他人の空似かもしれないし、生き別れの姉妹かもしれないし、どこか宇宙の科学力によるコピーロボットが決して存在しないとも断言はできない。
(ただし鼻が赤くないのであればコピーロボット説は否定してもいいだろう)
1秒前の私も1秒後の私も今この時の私とは別人なのだ、と言う人だっているだろう。
従って、我々は信じることしかできないのだ。
「この映画の撮影において動物の虐待は行われていません」と明記してあれば動物は虐待されていないのであるし、
「このゲームの登場人物は全員18歳以上です」と明記してあればその登場人物たちは18歳以上なのであるし、
「言ってることは分かるけど、でも、君の人生のほうが大事なんだから、今は休むことを考えなさい」
と言われた。つまり、休職しろという通知。人事より。
仕事のパフォーマンスが落ちているな、と感じ始めたのは1月くらいからだった。社内に吹き荒れるリストラの嵐。部下が、同僚が次々と去る。そんななか、俺は超重要案件を独りで回してるという理由でそのリストラ対象からはノーマークだった。ただ、頼りにしていた仲間たちが消えていくことで、自分が指示者ではなく、作業者を兼任することを余儀なくされていることは感じていた。まあ、いつもの俺ならそのくらいはなんとかなる、ハズだった。
2月。社内政治は混乱を極め、俺は作業も指示も出来ず、ひたすら社内政治の調整だけを行っていた。ただ、その時はそれがこの先の仕事の成功につながると信じていた。
3月。協力して仕事をしている部署が、まるごと別の会社にたたき売られることになった。頼りにしている担当者も、辞めた。その頃から、焦燥感が強くなっていた。
「このままだとヤバい。確実にこのプロジェクトは沈む」
その言葉だけが、脳裏をずっと飛び交っていた。
4月。さようなら協力部署。これからは君たちとお金の話をしなくちゃいけなくなった。とたんに増えるファクター。代替となった担当者の不理解。焦燥感はより強くなる。そして、人間のリストラが一段落したあと、プロジェクトのリストラも始まった。超重要案件とはいえ、バジェットがでかい。あいつらはいったい何をやっているのか。説明を尽くした。もはや会社上層部の意向一つで潰せる案件ではなくなっていること。いや、潰せはするが、その後の代償はどれだけのものなのか。一応PMの地位にある俺ですら、全容は把握できなくなってきていた。
5月になる直前。α版ができた。だが、中身はボロボロだった。それは当然だ。これだけ引っ掻き回されて、手戻りが大きく発生している。かつ、エンジニアへのディレクション不足が祟って、一番難しい部分は、まるまるリストラクチャリングが必要な状況にあった。ゴールデンウィークの間、「先生」にお願いしてリファクタリングを実施してもらうことになる。「先生」も俺もこの時点で体調はかなり良くない。そして、関係各所へこの「不完全なα版」について、謝り倒し、内情をぶっちゃけ、頼むからプロジェクトを潰さないようにお願いして回る。そんな日々が続いた。
6月。なんとか軌道修正をし、スケジュールを引き直し、俺は指示者と作業者の地位に戻ることができた。しかし、この時にはもう遅かったのかもしれない。
まず、焦燥感で眠ることができなくなった。元々睡眠導入剤を飲んでいたのだが、全く効かなくなる。仕方なく、若干のOD。普通に頓服として処方されるギリギリの量くらいまでで抑えた。薬とは10年来の付き合いだから、そこらへんは分かっている。それでも眠れなかった日は、一度だけお休みをもらうことにした。どれだけ無理を言ってるのかは承知の上だ。
次に、記憶がこぼれていった。症状は2つ。
1つは「仕事中にした作業や指示のことを覚えていない」。割と致命的だが、そもそも鳥頭だった俺は行動を頻繁にログとしてテキストファイルに書き出したり、バージョン管理ツールのログを細かく書くよう心がけていたりしたため「記録」としては残っていた。それでも、記録に残さなかったささいなことは全て消えているし、自分の中で「それをやった実感」が全くないのが恐ろしかった。
もう1つは「自分がどこにいるのか分からなくなる」。よく「私は誰? ここはどこ?」っていう記憶喪失のギャグがあるが、あれに近いだろうか。自分が誰だかは分かっている。俺は、おそらく俺だ。しかし、俺がここにいるのは何故だ? そしてここはどこなんだ? そういう瞬間が訪れる。要するに以前の文脈がぷつんと切れてしまった状態。ほとんどが交通機関に乗っている時に発生しており、しかも日常の往復での出来事だったので、ケータイのGPSなどを使って必死に推測することでオオゴトにせずに済んだ。ただ、一度だけ徒歩での移動中に発生したことがあり、その時は途方に暮れた。同僚と一緒だったため、なんとなく付いて行くことでなんとかなったのだが。
友人のライブに行っても、温泉に行っても、あるいはデカいホールでのコンサートにいっても、考えることは一つ。「今のプロジェクトは、大丈夫だろうか。俺がここで稼働して、先生にここまでお願いして、若手にここは任せて…足りるか? 足らないようならここも俺がやるしかなくて…」無限ループ。しかも、恐らくだがその要件には「記憶の穴」が多数存在していて、きっと何か大事なことを忘れている。
7月。退職を決意した。ただし、このプロジェクトが無事離陸するのを見届けてから倒れたい。そう上司に希望を出した。だが、上司は俺のことをかなり過大評価しており、切り札として残しておきたい気満々らしい。
「こんなにぶっ壊れている人間を置いておく余裕、あるんですか? 使えるところまで無理やり使って、その後希望退職すればあと腐れないんですよ?」
「ダメだ、ボクにはそういう判断はできない。若いんだから、まだ生きて欲しい」
意味がわからなかった。さらに
「このプロジェクトより、君の人生が大事だ。誰か代わりの人間に任せて、休むことは出来ないか」
とも言われた。理解ある上司の、建設的な提案だと思うだろうか。一見、そう見えるかも知れない。だが、俺の視点から見ると、これは違うのだ。
そもそもこの不況下、これだけのバジェットをかけたプロジェクトを潰すには「物理的に」腹を切る人間が必要。だが、その結果がでるのはもうちょっと先のことなのだ。今、俺がこの会社から去ると「物理的に」腹を切る人間がいなくなるのが、困るのだ。
そして、代わりの人間。二重の意味で、代わりの人間を調達するのは困難だ。このプロジェクトはそもそも作業者、指示者、企画営業、そして政治的調整の全てを俺が担当している案件である。作業者になるつもりはなかったのだが、人減らしの結果、そうなってしまったというのが正しい。これを全部やれ、というのは、俺のコピーロボットを作る程度で済むのかどうか。それよりなにより「物理的に」腹切りするべき人間が増えてしまうことを、俺は危惧している。
だからこそ、立ち上がるところまで見守り、上手くいかなかったことを持って腹切り退職。それが俺の願いであった。その道を塞がれたのだ。
そもそも俺は若くはない。アラフォーで体中が悲鳴を上げている。ここらが潮時だと思っていたのだが。
もう一つ。たとえ休職して復活しても、戻るべき部署はなくなっている。かなり強い確信を元に、俺はそう思っている。戻るべき部署のない俺を抱えるこのお人好しな会社はなんだ? …うん、お人好しな訳はない。俺はどう利用されようとしているのか。そこまで想像して、吐き気を催した。
だけど。俺は今やってるこの仕事が好きだ。天職だと思っている。俺にしかできないことをやっていると信じている。ただ、体も心も全く追いつかなくなっているだけで。このプロジェクトを立ち上げて死ぬなら、本望なんだ。でも、それは許されないことだという。
自分の人生なんて、何があるわけでもない。親の面倒を診て、死んだら墓の手配をして、親戚の皆様に「申し訳ないですが独り身のもので」と謝り、日々の楽しみはアニメと漫画程度のもので、それもホントに面白いなんて思っているわけでもなく。どちらにしても、仕事をしている限りは自分の人生なんていうものはないも同然だな、という諦めの気持ちを持っている。
そんな人生と、体を心をこれだけ傷めつけて、まあ概ね再起不能から死の方向へ行く仕事の仕上げ。どっちが大事かと言われれば、俺に取っては仕事のほうがいい、死ぬまで仕事をやらせてくれ、と言いたい。
そんなに人間の命なんて大事か? 俺みたいな壊れかけのbotみたいなのでも大事なのか? 誰にでもリア充のような人生が待っているわけではないんだよ。
それとは別に、残り僅かな体調を整えるために早朝出勤、定時退社している俺に陰口を叩く連中もいるわけで…。そうだね、君たちも過労死ラインを優に超えていることは知っているし、俺もそれを何とかしようとかけずりまわったさ。でも、これだけ人が減らされちゃ、無理だよな…。
どうしよう。どうしようもないか。DEAD END。
こうなる事を今まで思い至らなかったんなら、あまりに考えなさすぎだけど。
というか、別れた奥さんは離婚した相手のコピーロボットとなんて一緒に暮らしたくないんじゃないの。
一緒に暮らせるなら離婚してないだろうし。