2019-10-09

生きるということ

が、最近とても辛く感じるようになってきた。

人の話を注意して聞こうとすると「聞く」ということに意識がいって周りの雑音まで入ってくる。

そして、一度仕事に集中すると周りが見えなくなってくる。

薬でその傾向を和らげて、なんとか所謂「ギリ健」枠に入ることはできるが、薬が効かなくなってくると一気にパニックが襲いかかる。

仕事ができない、ということはこの社会では致命的な欠陥だ。

社会歯車になりたくないという人も結局社会歯車であり、私は何処にも噛み合う歯車がないように思える。

仕事となるとストレスのゲージがあっという間に溜まり、心にバキバキとヒビが入ってしまう。

心というのは、どう鍛えればいいのだろうか。心を鍛えるというのは、自分精神を追い込んでまで「頑張る」ということだろうか。

辛いのなんて、何も私だけじゃない。

私よりひどい状態でもしっかり仕事をしている人は何人もいる。

最近、今までやらなかったのに二の腕刃物を当てるようになった。身体の痛みが心の傷を和らげるというのは本当なんだと思った。

ベルトを何回も輪にしてかけて、首を吊るのを繰り返すようになった。でもまだ怖くて、しっかり実行できていない。

昔鬱によく効く漢方先生に言われた「本当の鬱の人ならベッドから立てないはずだからあなたのは鬱じゃなくて甘え」という言葉が今でも頭から離れない。

皆嫌な仕事でも頑張って、耐えてやっている、なのに何故私はできないのだろう。

注意されたことは二度としないようメモを復習したりしているのに、話を聞くことだけが致命的にできない。

両親もいつまでもは生きていない。

友達も、好きな人も好きなのは元気な私であってこんな私じゃない。

いつまで経っても、頭では理解しているのに心が理解してくれない。

このような気持ちたからか、最近死という言葉がとても近くにいる気がする。

から外を見ると、飛び降りようよと囁き道路に立つと背中を押されるような感覚がする。

前は絶対にしなかった、ベルトを使った首吊り未遂も何回も繰り返すようになった。

死んだら解放されるのだろうか。

そう思うたびにちらついた家族や友人の顔も、だんだん薄らいでいっている気がする。

もう、私はだめかもしれない。

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