はてなキーワード: 所謂とは
>実は川端康成を読んだのは、雪国が初めて。で、べらぼうに感激したので、他も読み始め。。。たものの、雪国を超える感動はなかったです。川端自身、雪国を超える作品は無理だと自分に絶望したのも自殺の原因だろうと、勝手に推測しています。
川端康成はめちゃくちゃ無口な人だったらしく、作品や対談は残しているものの、
本人が何を考えていたかって実はあまり赤裸々に書かないまま、人生を終えてしまったんですよね。。。
僕は「山の音」が好きですけど、晩年の作品読んでると、老いへの恐れが大きかったんじゃないかという気がしますね。
ずっと自分の中にある作品を、好き勝手書いていたら、いつか世間が評価してくれるという気持ちでいましたが、
いい年になってきて、そうではないなと思った次第です。
いやジャンルがもっとマス受けするような内容であれば、どこかでバズることもあると思うのですが、
純文学というのはそもそも間口が狭く、好きなものを好きなように書いているだけだと1次落ちのまま人生が終わるのに気づいたんですね。
そもそも読者がたくさん欲しいのであれば、ジャンルを変えた方がいいというのは、賢いアドバイスだと思います。
かつて幼い僕自身が感動したような、美しい文章を書きたいんですよね。
なんだか逆説的ですが、自分の好きなものを書くために、世の中で求められている小説を探っている気がします。
>あ、なんか偉そうなこと言ってますな。実績も無いくせに。
そんな印象はありませんでしたよ。
所謂、旧エスタブリッシュメント的な習わしってどの世代を境に薄まっていくんだろう..
思い出す度に気分悪くなるし、考えるだけ無駄ということもわかっている。
初めてバイトしたのは10代の時で、友達の紹介で単発の飲食だった。
特にこれといって忙しくもなかったけど、楽しくはない。バイトってこんな感じか、という気持ちでいた。
酒が入った席で、男の人が5、6人はいた。机に注文された品を届ける度に酔っていってるのが分かる感じで賑わっていた。
あと1時間もすればバイトも終わるだろうというところで、またそのテーブルに配膳しにいった時、ひとりの男から突然「彼氏いるの?」と聞かれた。周りの人ももちろん話に参加して聞いている。
私は若かった。
どういうこっちゃ、と思いながら
「いないです」
と端的に事実を答えた。
すると周りの中のひとりが
と聞いてきた。
この質問に対しても私は
「いないです」
と端的に事実だけを述べた。
「エッ⁉︎
俺でもイケんじゃん!!」
と最初のひとりの男が言った。
私は何をいわれたのか、その瞬間すぐにはわからなかった。
ただ返す言葉もなくて、ハハ…と笑って(本当に笑えていたのかは不明)少しずつ後ずさりして、その場を去った。
この少しのやりとりが、もうずっと何年も消えない。
私は若かった。
初対面の人間にこういう話をされることを知らなかった。
そういう人種がいることを知らなかった。
出来ればずっと知らないままで生きて、そして死んでいきたかった。
そして、その時いえなかった気持ちがどんどん腐っていって私の思考まで侵食する。
当時の気持ちを今の私に語らせれば、この発言、出来事、相手の男、周りの男、社会環境、全てが憎く、
きっっっっっっったな!!!
である。
10代そこらの女の子がいい年した男に声かけられて嬉しいと思ってんのか???思ったんだろうな!だから平気で「彼氏いるの?」とか聞けるんだろうよ!!ゴリラみてぇな容貌してよくそんな恥ずかしい真似が出来んな!!どうやったらそんな自信がつくんだよ!不思議でならねぇよ!!!きったな!!周りの男もうるっせぇんだよ、生きたまま地に埋まっとけ!
なーーーにが「俺でもイケんじゃん!!」だよ!イケねぇよ!!!!!!!!!!
なんで私に選ぶ権利がねぇんだよ!!!!きったねぇゴリラは断固こっちから願い下げすぎんだろうがよ!生き地獄味わわせるつもりなんか!??てめぇこそが常時死ぬほど苦しんで長生きしろゲボが!!!!!!!!!
10000000000歩譲ってやって仏かってほど慈悲深い私の情けをかけてやって言葉にすると、私がいない聞こえない所でその話をするべき。
こういう事が許されてる世界に社会に絶望した。周りの人たちは止まるどころか持て囃すような雰囲気でいたのが、私にはとても理解できなかった。みんな私よりひとまりは上のはずなのに、誰ひとりとして私を助けてくれようと、手を差し伸べようとはしてくれなかった。
「酒が入ってるからしょうがない」って思った人おる?
じゃあ私も酒飲んだら、そう思ったお前のこと殺そうとしてええか??
根本的に話が違う??
いや一緒だよ。あの男、私の人権まるっと無視して体狙ってきてんじゃん。
レイプを筆頭とする性犯罪は人殺しだ。自分の欲のためだけに人権を無視した行為してるんだから。まさに生き地獄という他ない。
私にいわせてみれば一方的にイケるだの、ヤる、だのは殺害予告も同然。
普段生きてて初対面の相手に性体験の話する??話のレパートリーそれしかないんか??
とここまで怒りを撒き散らすと、今度は自分の存在に疑問がわいてくる。
怒りに任せている時は強い自分でいられるのに、考えれば考えるだけ自分のことも嫌いになってしまう。
私が若くて女だったからナメられた態度をとられた…?
私が屈強な男だったらいわれなかったのに、と。
あんな汚ねぇゴリラに自分でもイケると思われるような存在だった…?
私は人並みには容姿に気をかけているのに、と。
それからは可愛くなりたい、可愛くありたい自分とナメられたくない、気持ち悪い目で見られたくない自分のせめぎ合いで、髪を伸ばしたりベリーショートにしたりの繰り返しで生きている。
可愛い格好をした自分を、無限に湧く自己評価男が、あれ男ウケ狙ってるよな?俺イケちゃう?と思われてしまうかも、と考えてしまってオシャレが出来ない。
あの発言がなけりゃ、こんな観点持ち合わせず、変に縛られて生きることもなかったのに。
ツイッターをしているとここに書いてあるみたいに、嫌な思いをした人のツイートも流れてくることがある。
共感のリプがある一方で、所謂女叩きをしたい人たちが目に入ってしまいウンザリすることがある。
お前もツイフェミの一派か!と思われていることだろうな、と思いながら今もこれを書いている。
ツイッターではそういう活動とかはしていないけど、もうそれでいいです。という気持ちが最近よくある。
もうそろそろ終わりにしたい。
とりあえずクソキモ男は私に慰謝料5億払ったうえで去勢しろや。
うーん、私って本当どこまでも仏。
私はタイトルは伏せるがとあるソシャゲをやっている。それも配信された日に始めたゲームでかれこれ数年以上は経つ。今も私の中の旬ジャンルだ。
私は所謂腐女子なので、そのゲーム内で推しカプを見つけた。かれこれ10年程腐女子をやっているが、1番ハマったカプがこのカプだった。(以後ABと表記)もともとジャンルに長くいるタイプで前のジャンルにも3年程いたのだが、ABにハマる頃には完全に今のジャンルにどハマりしていた。完全にABの存在のおかげである。
ABにハマった私はまずABを描いている作家がいないか支部とツイッターを駆使して探した。早く2次創作が読みたくて仕方がなかった。やはり始まったばかりのジャンルだからか、ポツポツと作家を見つけた。その作家を全てフォローして、作品を読み漁った。最高だった。
もともとABの関係性の掘り下げは配信開始当時の後半のストーリーで明かされているため、所謂顔カプで書かれる事もなかった。
配信が開始されて半年くらいが経ち、だんだんと界隈に人が集まってきた。あの時は全てのAB作家をフォローしようと毎日ABを検索したり、すでにフォローしている作家さんのフォローを見たりして探していた。我ながら執着ぶりが凄まじい。だからか、AB作家が少しずつ相互になっていくのを蚊帳の外でいつも見ていた。当時はBAの方が人気であまり作家がいなかった事もあり、AB作家さんは大きなグループになっていたように思う。私はあくまでROM専だから推測でしかないが。
そして1周年が来るのを待ち遠しくしていた時に、ABの中でもフォロワーの多い方がアンソロジーを作ると発表した。参加メンバーはABの作家さんが大集合していた。私はその告知を見ながら大歓喜した。それまで即売会に行った事が無かったが、そのアンソロジーだけを買いに行くために即売会に行くことにした。マナーも全く分からないため、ネットを読み漁って周りに迷惑をかけないように、ただ当日にアンソロジーが買えるように祈りながら即売会当日を迎えた。
即売会ではアンソロジーをABのコスプレをした売り子が売っていてかなり緊張をした事と予算を大幅に超えて本を買った事を覚えている。ちなみにアンソロジーを含め買った本は最高だった。
そんな即売会の余韻が忘れられず、また別の機会でも行ってみたいと思っていた頃、ABの人口は益々増えていった。所謂古参と言われる作家さんは神として崇められていたように思う。でも界隈の雰囲気は和やかなものだった。新規を拒んだりする事は全くなく、なんならAB作家さんが新たなAB作家を発掘してリツイートをよくしていた。
その間にも1周年のソシャゲのイベントや新章でABの供給が投げ込まれたりして界隈が焼け野原になったりしたが、それは置いておく。ついにABのプチオンリーが決定したのだ。私はまた歓喜した。何が何でも行かなくては。個人的に忙しい時期ではあったが、無理やり予定を空けて行ったのを覚えている。
プチオンリーも最高以外の何者でも無かった。プチオンリーには初めてサークル参加する作家さんも多くいて、作家さんの初めての同人誌を買えた事に歓喜した。その時に初めてサークルに差し入れしたのも覚えている。とにかく最高潮に楽しかった。
その後事件は起こる。界隈内で少し揉め事が起きて古参の大手さんが1人辞めてしまったのだ。ABを知っていたら必ずは通る作家さんだから界隈でも少し騒ぎになった。その際に他の大手さんも4人程やめてしまったように記憶している。あの時がターニングポイントだった。
もうこの頃になると所謂旬ジャンルの仲間入りをしていたのでAB界隈にもどんどん作家さんが入ってきた。あの時に謎の年功序列制は無くなったように思うし、ジャンル纏めての大きいグループが無くなった。
私はそれからなんとなく即売会に行ってないのでわからないが、それでもAB界隈にはいる。最近になって少し話も書くようになった。でも前までの熱量はないのかもしれない。
そういえば最近見かけてない作家さんがいるなと思ってアカウントを調べたことがある。そのほとんどが無くなっていた。あのアンソロジーを書いた作家さんのほとんどはもうAB界隈にはいない。私の1番好きな作家さんもいつのまにかツイッターの更新をやめていた。
別に今のAB作家さんが嫌いなわけでもないし、最高な作品を作ってくれている事に感謝している。公式もABの供給をよくくれるため私は大歓喜だ。だけど、あのまるで1からAB界隈を作り上げてきたかのようなメンバーがいない事が時代を感じるのだ。というか私どれだけこの界隈にいるんだって感じではあるけれど。
ただ消えて欲しくはないから、下手くそながらもABの作品はこれからも書いていきたいし、最高なABを見つけたらちゃんといいねをつけて感想を送っていきたい。ABよ永遠なれ
生きがいとか、やりたい事がない。
精神科医的な見解だと、まずそういう事を考えてる事が通常ではないと言う。
これが17,8の高校生や大学生ならいざ知らず、30代をむかえてこの状態だって事がおかしいらしい。
(面と向かっておかしいと言われたわけではないけど、要するにそんなことを言われた。)
でも、だからと言って、30代では何がなんでも仕事に食らいつこう、所謂、社畜な精神状態になるのも難しいとも言ってた。
そろそろ、週3ぐらいで居酒屋のバイトをしながらのナマポ生活も1年が立とうとしてる。
とりあえず精神科に通い、何かしらで病名が必要な時につけられそうな病名がついた精神状態の改善と、将来的にはナマポ生活をやめて、朝からしっかりと働かねばいけないと思っている。と担当と医師に相談したら、居酒屋での生活サイクルからすぐに午前仕事にシフトするのが難しいだろうから、とりあえずは、昼から夕方で出来そうなバイトをはじめてみては。という事になり、居酒屋を辞めた。
新しい環境に身を置くことを考えられない。
求人を眺めて、ここは良さそうだな。って思うことはあるけど、面接のことを考えると萎縮してしまう、まず電話をしなければって思うと手が震えて、喉がつまる。
どうせ受からないだろう、受かってもまた続かないだろう。受かったとして今度は続けていけるのか?
スタートラインにもたってないのに、先の障害の心配をしてしまう。
別に受からなくても、続かなくても、生活は保証されてるわけだからやるだけやってみればいいのだ。
そうは思うものの行動できない。
世間ではこれを甘えと言うだろう。
働いてる人は、人の税金で生きてるくせに。と、こっちだって、働きたくて働いてるんじゃないけど、働いてるんだから働けよ。と思うだろう。
ごもっともだ。
がむしゃらに働けばいい。
四の五の言わずに何も感じずに働けばいい。
そう思うんだけど…
そもそもに手すらかけれない。
人はなんのために働くのか。
食べていくために働く。
人はなんのために食べるのか。
生きていくために食べる。
薬中を克服したベストセラー作家も考えることが同じだと思うと少し正気になる。
けど、彼は学があり文才が開花したから後世語り継がれる人物になれたわけで、私は違う。
生きるために食べ
食べるために働き
働くために生きるのか?
だったら死んでもかまわないんたが。
じゃぁ、なんのために生きよう。
生きがいや、やりがいが欲しい。
そんな事を永遠と自問自答している。
フェミニズムがあまり好きではない。というとその手の人間に袋叩きにされそうだが兎に角、あの空気感というか、いらないのに押し付けてくるみたいな感じが苦手だ。
可愛い服が好きで、テンプレート的な可愛女の子に昔から憧れていて、そうなりたくて色々やっていた。それを突然それは押し付けられてきたんだよね! 無理しなくていいんだよ! と、善人面して押しかけてくるのはやめて欲しい。確かに、そういう世間の目とか、価値観とかに雁字搦めになって悩んでしまった人はいるんだろうし、そういう方々の気持ちは申し訳ないけど推し量ったところでわかる訳では無い。そっか、辛かったねなんて寄り添った振りをした言葉をかける方が嫌なのでノーコメント。私はお料理が出来て、お菓子とかもたまに作っちゃって、可愛い服を着て、可愛く着飾って、女の子! という感じになりたいんだ。ほっといてくれ、頼む。あと男が女がと騒ぎ立てないで、みっともない。
フェミニストってなんで自分に都合の良い世界だけを平等って言うんだ? 多分、真にフェミニストという人達はそんな事しない人ばかりで、それがあなたの選択ならばと互いに不干渉でいてくれるんだと思うし、やな奴というか、変な人だけが目立ってるんだろうな。(これが所謂ツイフェミという人達なのかな、分からない)
最近、主にTwitterだが「界隈や人が嫌だと思ったら距離を置け」と言われがちである。まあ、それは正しい。合わないものに無理にしがみ付いて心が折れては元も子もない。
…では、例えばの話。
この場合、「距離を置くべき」ものはどれなのか、思考実験をしてみたい。
自分自身の中で「好きなジャンルA」「好きなジャンルB」と、複数の好きなジャンルがあるとする。
そしてジャンルAが好きなフォロワーCと繋がり、いいねやリプ等のやり取りもするようになる。
しかしその後、フォロワーCが「ジャンルBが苦手」であることを公言……所謂「地雷」だと判明する。
それが判明することで「これはフォロワーCの地雷だ」というフィルターがかかり、気付けば「ジャンルB=フォロワーCの地雷」だと刷り込まれ、徐々に自分自身がジャンルBに触れられなくなっていく。
ここで「フォロワーCをリムーブなりミュートなりすればいい」と思った際に沸くのが、「でもフォロワーCによるジャンルAの話は読みたい」という感情だ。ジャンルAを楽しむためのモチベーションの一つとしてフォロワーCにやるジャンルA話の存在がある場合、フォロワーCを切ることでジャンルAへの気持ちが薄れてしまうかもしれない。
勿論他人の好みと自分の好みは違う、と切り離して考えられる人もいるだろうが(むしろ本来は切り離して考えるべき点だが…)、いずれかとは距離を置かねば自らの「好き」を保てない…となった場合、この段階で距離を置くべきは果たして、
・ジャンルA
・ジャンルB
・フォロワーC
さあ、いずれだ。
…個人的見解だが、正解は「どこに重きを置くか」によってくるはずだ。
例えばフォロワーCがジャンルBに対して何故苦手意識を持っているか…に何となく同意ができるのなら離れるべきはジャンルBだし、それでと作品への気持ちを大切にするならフォロワーCだ。しかしこの場合、フォロワーCから離れたという事実を再確認してしまい、共倒れでジャンルAにまで嫌悪感を抱いてしまう危険はある。
それなら「Twitter自体」が一番いいのだろう……と結論付けようとしても、Twitterに馴染み過ぎてしまったらなかなか離れるのは難しいだろう。特に創作活動をする人だと発表の場を失ってしまう。
距離を置くにしても「自分自身に取って一番大切なものは何なのか」、そこを見極めないと距離を置いても全く意味がないと私は考える。
そこを見極められずに闇雲に距離を置くだけでは、逆に「距離を置いた」という事実が枷になって、かえって未練が膨らむだけで完全に逆効果なのだ。
今回はあくまで思考実験だが、同じ状況に陥った時、「何を捨てて何を取るのか」「距離を置くべきはどれなのか」は、その時が来た際のために考えておく必要があると思っている。
……自戒も込めて。
私はポケモンが好きである。初代からサン・ムーン全てやってきており、グッズや派生ゲームやあらゆるコンテンツにおいてポケモンが好きである。
ポケモン剣盾については私は両方買うほど楽しみであるが、昨今のポケモン界隈はギスギスしすぎて大きな声で楽しみなことを言えない雰囲気がある。
知らない人の為に言うと、最新作からポケモンゲーム本編に一部ポケモンが連れていけないという事が6月発表された。所謂、実質の互換切りだ。この発表は深夜のインタビューのコメント程度で発表されたが、世界中に瞬く間に来た真実はポケモンファンに阿鼻叫喚を与える形となってしまった。海外では署名活動まで発展し、以後剣盾の情報が出る度に「その要素のせいでポケモンがリストラされた」と言われるばかり。
確かに公式の発表の仕方や態度、1年おきの開発という制作時間の短縮など公式側の怠慢もあって良くなかったとは思う。私も好きなポケモンを連れて行く事が出来ないのは悲しいとは思う。
しかし、ポケモンコンテンツの肥大化は最早ゲームだけで解決できない程になった。私も互換切りについえは新作の度に考えていた為、ショックであるが遂にそれが来たと覚悟はできていた為さほどショックとは思わなかった。制作側の怠慢という意見はわかるが、ここまで凄いゲームというものを作る側が過労死してまで作るとしたらそれは問題だし、なによりポケモン新作は新作で新たな出会いや世界観を楽しみたい気持ちが大きかった。きっと増田さん制作側にとっても英断だと私は思う。
さて、この衝撃的な真実が世界中に知れ渡ってだいぶ日にちが経った。
新ポケモンや新要素もちょくちょく出て、アニメもクライマックスへ話数を重ねてきた。
相変わらず私は新たな情報一つ一つが楽しみな気持ちを大きくするばかりで早くやりたくてたまらなかった。
そんな中、ニンテンドーダイレクトでまた新たなポケモン剣盾の情報が公開された。ポケモンキャンプだ。今までポケモン触れ合い要素はあったが、ポケモンキャンプはその最高傑作ではないかと私は感じた。ポケモン一対一での触れ合いしかなかった今までのポケモンとの触れ合いが、ポケモンとポケモンの交流を眺められ、触れ合いもおもちゃを使ったり話しかけたり。更にネット通信により他の人のポケモンとも触れ合える。最高な機能で嬉しかった。
そんな最高な機能とともに、カレーというポケモンシリーズ新たな食品が登場した。文字通りあのカレーだ。昔あったポフレ作りに似ていて懐かしく、ポケモンがうちわであおいだりポケモンが食べる姿が非常に可愛い。しかも100種類もあるので素材集めからの制作ゲーム好きな私は面白いと思った。これもまたわくわくしたし、材料からポケモンの世界観をまた知れるのも一興だと思った。
楽しみだからこそ、人々の反応が気になって見たくなった。これがまさかの事態になるとは思わずに。
ネットにあった反応は、カレーについて否定的な反応が多かった。確かにカレーというポケモンの世界観において突如現れた現実要素だ。100種類もあるのは衝撃的だろう。よくよく考えれば50種類でも多い。
だが、そんな否定的な反応は別にどうとは思わなかったのだが、ネットに溢れていたある言葉に声を失った。
えっ…??
私は本気でその言葉が溢れかえっていたのに衝撃を受けた。しかも、SNSではポケモンアイコンの人も言う。ちょっと待ってほしい、本気でそれを言っているのかを。
最初に説明した通り、このポケモン新作には連れていけないポケモン、すなわちリストラされたポケモンがいる。カレー図鑑100種類よりポケモンを出せと思う者の気持ちも分かる。そしてこのリストラ問題は今も尚新たな情報の度に言われていた。最早ねちっこい荒らしのような存在でスルーすればいいと思っていた。
だが、だがポケモンリストラが許せないからと言って冗談でもそれは言ってはいけないと私は思う。カレーの中身は公式ではソーセージが描かれていてポケモン入りかもしれない。過去、アニポケではコイキングのお刺身も出た。昨今のポケモンは弱肉強食も図鑑に明記されている。だがそれを、リストラが許せないからとポケモン好きが言ってはいけない。それはつまり、愛するポケモンに死ねと言うのと変わらないことだ。ポケモンが殺されてもなんとも思わないのか?私は笑って草生やすなんて絶対に言えない。
リストラに対して不満に思うならいくらでも言えばいい。署名活動なり公式への問い合わせなり自由にすればいい。なんなら買わない選択もしても構わないし、あえて買ってひみつクラブのメッセージに投稿したって構わない。
しかし、リストラされたポケモンをカレーに使うという言葉の意味を考えてほしい。つまり、貴方の好きなポケモンを平気で殺す事になんとも思わないのと同じだ。最早それは「愛するポケモンが連れていけなくて悲しいポケモン大好きなファン」ではない。「ポケモンを殺す事になんとも思わない犯罪者」だ。たかがキャラクターで現実にはいないが、というか現実にいないからリストラ問題を今も尚言い続けるのはどうかと思うが。それでも、それでもポケモンが本当に大好きだから絶対に良くない。
私は剣盾から登場したメッソンが好きだ。もし、メッソンを殺してカレーにすると言われたら悲しいどころじゃない。それは最早明確な殺意であり草とか言える冗談ではない。ゲームというサブカルチャーを好きなら推しを殺された事で恨む者がいる事を知っているはず。
正直、そんな事を言うポケモンファンは剣盾を買うどころかポケモンコンテンツから一切いなくなってほしい。ポケモン剣盾売れなくなっていいの?とか言うかもしれないが、ポケモンという愛するキャラクターを殺すならそれはもうファンではなくアンチ。いや、アンチも生ぬるいと思う。
もしかしたら、「リストラは殺されたのと同じ」と考えて復讐のつもりだと言う者もいるかもしれない。だが分かってほしい。
ポケモンが大好きで、剣盾が楽しみで、どんな要素もポケモンを成り立たせると考え、今日もポケモンを愛でる者は少なくとも一定数いる。
もう1年くらい悩んでいる。男性と上辺の友情ではなく本当に仲良くなったこともなく、交際経験もなく、大学生まできてしまった。大学に入ってからも、その人に会うまでは女の子としか仲良くしていなかった。とにかく男性との人付き合いの時点で慣れてない、内向的なヲタクなのだ。
私のヲタクとまではいかない趣味関係で知り合った20歳以上のその人とは、相手が私に話しかけてくれたのが最初だったけれど、気が付いたらすごく仲良くなっていた。私はLINE嫌いなはずなのに1年近く毎日LINEしてるし、よく食事に行ったり出かけたりもするし、車で遠出とかも数回している。私から誘うことは少なくて、いつも相手から声をかけてくれるのに、私がほいほい着いていってるというか。とにかく話が合って、私が今いる環境のこともよく知っている人なので、真面目なことからふざけたことまで何でも話せる。相手も半分以下の年齢の私を前に年上ぶるような人ではないし、割と私には本音で話してくれていると思う。
ここまで話すと友人には「付き合ってるじゃん」「デートでしょ」と言われるけど、お互いその気はないと信じている。所謂いい雰囲気になったことは今までないし。正直言えば私は面食いなので、今まで一緒に過ごして不快に思ったことがないし、友人としては大好きだけど、付き合うとかはないかなって思っている。
一度、いきなりプレゼントをもらったことがあって、その時には受け取ったけどとても戸惑ってしまった。なんでくれたのかと理由を聞いてしまったので、後から相談した別の知り合い男性には「流石に相手がかわいそう」と怒られた。でも本当に慣れてなくて、どうしたらいいのかわからなかった。
その少し後にはその人の誕生日がくると知った。プレゼントをもらってしまったし、いつもお世話になってるし、とちゃんとしたものを用意しなければならないと思った。ない頭を捻ったり、近い年齢の男性にアドバイスを求めたりして、結局仕事で使えそうな小物をプレゼントした。喜んでもらえて嬉しかった。でも消えものじゃないものをあげちゃったのは良かったのかなーと今でも時々思い出してしまう。
ここまで読んでいて懸命な方はお気付きかもしれないが、私はとにかく考え込むタイプである。好きな人がいた時は、付き合いたいわけでもないけれど、四六時中その人のことを考え、どうしたらその人の印象に残れるのかと思っていた。今仲良くしてる男性のことは恋愛対象ではないという割に、この1年近く常に頭の片隅にいる気がする。マメに連絡を取ってるってこともあるかもしれないが、常にあのLINEの返信でよかったのかとか、あの時のあの発言は正しかったのかとか思ってしまう。LINEでのやりとりは顔が見えない分、私にとっては疲れる。この文章で相手がどう受け取るかとか、相手から少し私を咎めるような内容がきたときに本気で怒っているのかとか、考えてしまう。相手が年上ってだけでどうしても気を遣ってる部分はあるし。相手はたぶんそんなこと気にしてないんだろうなとは思うんだけど。というか本当の意味では、相手が何を考えてるのか全然わからないんだな。私はたぶんものすごくわかりやすい人だと思われてるし、実際そうだと思うんだけど。年上男性の考えてることってわかんないよねっていうのは、高校時代に20歳くらい年上の人が好きだった時に経験した。いやその人とは何もなく、ただ綺麗な思い出だけもらった感じですけど。
なんか話がズレてきたな。とにかく、今の仲良くしてる男性との関係は友人関係なのかな。このままでいいのかな。私はこのままでいたいけれど。わかんないなあ。
世の中には、絵を描くことは好きで幼い時より描いてはいたが、特にその道に進むほど情熱をかけているでもなく、かと言って、趣味の範囲で同人誌を出すアクティブ・タイプなオタクでもなく、ただ気の向いた時や萌えの気持ちを発散するためだけに描くことで満足するタイプのオタクも存在する事をご存知だろうか。そう、私のようなタイプのオタクだ。
描くことは幼い日々より続けていたものの、どうも絵がうまくない。うまくないのだ。高校生になる頃には自分の限界に気付き、同人誌を出すのは絵の上手な人の特権!私みたいな絵の下手なオタクは一生見る側なんだ!と即売会や中古同人誌ショップを巡り、描き手様たちの作品をいそいそ収集する日々だった。
一つ目の転機は、大学に入学してからだったと思う。友人が腐趣味に目覚めたのだ。今までこの友人はオタクでありながらも腐女子ではない、夢女子に近い立ち位置のオタクだった。当時、じわじわ人気が出ていた少年漫画に彼女は「腐女子」としてハマったのだ。わたしはひとまず、近くで同人誌を買うことができるショップを教えたり、それとなくネットマナーを教えたような気がする。一緒に即売会に一般参加などもした。そう楽しんでる中、ある日彼女から「pixivで小説を書いている。今度本を出してみたい。」と言う話を聞かされた。
私は、驚くと同時に、1年も経たないうちに生産者側に回ろうとする行動力に驚嘆した。もちろん応援することにしたし、最初の彼女の小説の表紙デザインを作ったり、売り子として即売会に同席するなどした。あっという間に生み出す側となり、その後も一人でサークル参加を続けていた。「絵を描くのに○○ちゃんは出ないの?もったいない。」などと言われたこともあったが、「私は絵が上手くないから」と言葉を濁した。
私はこの時は、「彼女は特に行動力があったただけ」と思いつつ彼女がやりたいことに真っ向から挑戦できる彼女が眩しく見えた。
二つ目の転機は、私がデジタルイラストを描くことができるようになったことだった。大学半ばから社会人になるまで、およそ4年近く忙しさで絵を描くことができなくなっていた。私は当時「もう社会人になるし、いつまでもオタクでいるわけにはいかないと思っていたしちょうどいいのかな」と思いながら過ごしていた。幼少の折より続いていた唯一の趣味が無くなりつつあるのには常に一抹の物悲しさが付き纏ってはいたが、それを上回る日々の忙しさがそれをも掻き消して行った。社会人になると、日々消耗し、毎日泣いて泣いて過ごしていた。そんな中、友人がとある2.5次元の作品の観劇に誘ってくれた。昔から好きな作品で、是非にと観劇しに行くと、それは素晴らしく楽しく、素敵だった。同時に今すぐ絵を描きたくなった。久々の感覚だった。スケッチブックを引っ張り出して、演者さんが演じていたキャラクターを描き殴った。その日から、毎日毎日スケッチブックに絵を描き、ふと思い立ちそれ専用のツイッターのアカウントを作り、イラストをアップした。その作品を好きな人とも繋がることができ、とても楽しかった。
ある日、彼氏が「お前、デジタルでは描かないの?」と言ってきた。私はどうもデジタル向きではなく苦手意識もあったが、ペンタブを貸してくれて、一からイラストソフトの使い方を教えてくれた。彼氏もオタクで、小説も絵も描けるハイブリッド型のデジタル人間だった。暫く私が絵から離れていたから、今までは提案しなかったそうだ。そしてそこから私はデジタルイラストを導入するに至ったのだ。
三つ目の転機。オタクとしての楽しさを思い出させてくれた前ジャンルで人間関係がゴタつき、私はジャンル移動するに至った。ちょうど熱も少し引いたタイミングに、原作を読んだことのあるアニメが放送となり見事にのめり込んだのだ。ポツポツイラストを上げているとアニメ化中の作品だからか、たくさん反応を貰えてとても楽しくなった。フォロワーもすごく増えて、毎日楽しく過ごしていた。所謂ROM専と呼ばれる人たちにもフォローされたり、何か少し絵師っぽいかもしれないと内心喜んでいた。
そんな中、好きなCPで萌え語りをしていると、よく反応をくれるROM専の方からリプライが飛んできたのだ。内心、ROM専の人も話しかけたりするんだな、と驚いた。内容は「最高です。ぜひ本を出してください。後、小説も書いてください」と。とても驚いた。私は絵を描いてはいるが、同人誌を描く側には一生行けない。本を出せるのは、だって、絵が上手い人だけの特権なのだから、と。私は絵を描くくらいはしていいが、出す側には行くことができない側の人間なのだから。嬉しいが期待に添うことはできない。その気持ちに感謝をしつつ、当たり障りのない文章を返した。「出せる機会があれば出したいですね」などと返したと思う。私はデジタルイラストを描くことは出来るようにはなっていたが、漫画は描くことができなかった。落書き程度ならまだしも、きちんと製本できるような規定を守ったやり方での描き方は知らなかったのだ。しかし時々、その言葉を思い出して、元気を貰っていた。フォロワー同士の付き合いではなくて、ROM専の方からのお言葉だからきっと本当に私に目をかけてくれたんだろうな、と自意識過剰になりながら。
四つ目の転機。仲良くなったフォロワーが、漫画ソフトを一から教えてくれる、という、何とも親切きわまりないフォロワーだった。私は悪いし、すごく迷惑かけるし、と言ったが、私と一緒にイベントに出て本を出してくれるなら一から教えるから!と息を巻いていた。私は、ROM専の方から声をかけていただいた言葉から、いつか機会があれば出したい、と思い続けていたこともあり、とりあえず彼女の使っているのと同じソフトを買い、通話で三日三晩迷惑をかけ時には叱られながら使い方をレクチャーされた。結果として、拙いながらも原稿が作れるようになった。マスターしていないので、基本動作しかできないが、デジタルオンチの私にしては上々だ。まさか、アラサーになってから同人誌を作るよう動くことになるとは思っていなかった。年甲斐がないとか、今から始めるのか?とか、たくさん悩んだが、家族や友人周りが肯定してくれた。
そして先日、はじめてのサークル参加をした。大学時代の字書きの友人も、○○ちゃんが出るなら、と同じ即売会に出てくれた。初めてのサークル参加に浮き足立ち、前日は寝れなかった。まさか、一生描き手には回らないと思ってた自分がサークル参加をするという事実に夜中に感極まり、号泣した。本を出してと声をかけていただいたROM専の方には迷惑を承知の上で、長文のDMで感謝の気持ちを綴った。「あなたの言葉があったから本を出せました。あなたが私を同人作家にしました」と打ちながら泣いた。気持ち悪いDMにその方から丁寧にまた返信をいただいて、また泣いた。
即売会当日、売り子はフォロワーさんに頼んだ。徹夜でむしろハイになっていたので、意外に現場に立つと緊張しなかった。道中の電車では、感極まって二、三回程半泣きになったが。
始まるとお隣さんの同CPのフォロワーさんが初参加で年も近いこともありたくさん話してくださり楽しかった。
早めに撤収し、売り上げは、30弱程。いいのか悪いのかわからなかったが、友人に「そんなもん」と言われたので多分そんなもんなのだろう。何より、「貴方が出るから来るのを決めました!」と言って貰えたり、「pixivでサンプル見てほしくて…」と言って貰えたり、差し入れを貰ったり、とにかく、嬉しかった。こんなに幸せなことが世界にあっていいのかとも思った。
そして帰り道、気付いた。「あぁ、私も同人誌出す側になったんだ…」と。
同人誌の在庫は自宅郵送したが、一冊だけ手元に持って帰ってきた。何度も何度も読み返した。自分が描いたものが本になるのは不思議で、奇妙だった。その夜は、枕元に自分の同人誌を置いて寝た。なんだか自分の本がとても可愛かったのだ。
友人にイベント終わりに、「初めてのサークル参加はどうだった?」と聞かれた。私は、「今まで、同人誌って絵の上手い人だけが出していいと思ってたけど、違うんだね」と言った。友達は「そんなの、やる気の問題だよ」と言っていた。そして全く、その通りだな、と思った。
同人は、何歳から始めてもいいし、誰がやっても良かったのだ。それに気付くのに、何年もかかったが。そして私は、人生二回目のサークル参加をするべく、今もせっせと二冊目の同人誌の原稿をしているのだった。
その原因は、とっくにわかっていて
毎月書類のやり取りを500件以上、60社以上と一人でやり取りしている。
一人はお局、一人は私の1年下。
彼女たちが普段どれくらいの仕事量で、どれくらい大変なのかはわからない。
でも、私よりは暇なんじゃないのかとは思ってしまっている。
携帯で漫画を読んだり、パソコンでゲームをしたり、読書をしたり、ネットショッピングをしたり
暇の潰し方は様々だが、隠そうとしないあたりがまたひどい。
毎日発生する郵送だとか、1日に何件もかかってくる内線対応だとか
私じゃなくてもできるようなことを、やってくれてもいいのではないかと思ってしまう。
数か月前まで、私の仕事に一部をお局に手伝ってもらっていた。
だがある日、「これって一人では処理できないの?」と言われ
お願いできなくなってしまった。
鋼の心でお願いすることもできるのだろうが、私にはできなかった。
お局は単純に怖いよな。
そんな彼女らが、私と同じ評価を会社から受けていることも知っている。
そんなんでモチベーションもくそもないよな、と毎月給料日に思う。
おじさんたちは、事務はみんな一緒だと思っているに違いない。
だが、事務の女の言葉が通るような所謂「風通しのいい会社」ではなかった。
転職も考えた。
が、産休を取る予定などを考えると転職できるかどうか不安になって
手取り16万円台で、この状況で、どうやってモチベーションを保つのがいいのか。
結局のところ、私が忙しいのに暇を持て余してる態度に腹が立っているだけだし
私が無になって働くしかないのだろうな、と思っている。
新しいコンテンツが生まれゆく傍ら、命を落とすコンテンツもある。
オタク同士が推しコンテンツを勧め合い、アクティブユーザーという名の陣地を広げる。
そして、コンテンツのサービス終了はソシャゲを嗜む者ならば1度は考えたことのある悲しい未来ではないだろうか。
これはとある国で林檎をもぎり、スマホをタップする戦士の悩み。
*
1年前、私生活が辛くて仕方がなかった私は死にたいと毎日思っていた。
当時大好きだったコンテンツは流れが早くてついていけず、心の安寧のためにコンテンツから離れた。
でも、根っからのオタクだった私は何かしらのコンテンツに触れていたくて何百回と聞いたアニソンをイヤホンから垂れ流していた。
新しい情報を体内に取り込む気力は無かった。アニソンは耳とイヤホンがあれば良い。
毎日のログインに追われることも無いし、ストーリーを読む必要も無かった。ガチャの結果に一喜一憂することも無い。
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イヤホンからアニソンを垂れ流す引きこもりだった私は、某アイドルプロデュースコンテンツの男性アイドルver.(以下M国)に出会う。
耳とイヤホンがあれば良い。
iTunesで気になったユニットの曲を片っ端から購入して、朝から晩までM国の曲を聞いた。
楽しかった。新鮮だった。未来への希望に満ちた歌。届けたい言葉がある。前を向くための理由がある。
背中を押されるってこういうことなんだって思った。コンテンツを詳しく知らなくても楽しめる歌は素晴らしいなと思った。
歌を聞く余裕しか無かった私に、この歌を歌うキャラクターを知りたいという気持ちが遅ればせながら湧いた。
そこからは早かった。
歌からコンテンツに入ったので音ゲーを先にインストール。引くほど簡単な音ゲーを何度も練習してユニットと歌をイコールで結んだ。ユニットを覚えてからは、ストーリー重視のゲームをインストール。雑誌をたくさん読んでキャラクターの内面を知っていった。
担当ユニットが出来た。ファンとして応援したいキャラクターが出来た。
冬を迎える頃、引きこもりは外に出た。
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私には、学生時代大好きだったソシャゲがサービスを終了した経験がある。
課金戦士になり得る力を持ち合わせていなかった私はオネーサンたちのおこぼれでゲームをする無課金ユーザー。働き始めてやっと課金が出来る。恩返しが出来る。と、思った矢先のサービス終了。
サービス終了は呆気ない。
それまでに貯めたダイヤも、ゲーム内で使えるアイテムも、私に向けて笑ってくれたアイドルも今じゃ開かないただのアイコン。それでもアンインストール出来ないからオタクの恋は難しい。
どんなに製作会社が大きくても呆気なくサービスが終わることを私は知っている。
始まりがあれば終わりがある。でも、その終わりを長引かせることは出来る。
でも、このままM国で林檎をもぎりながらスマホをタップする未来に不安を覚えたので今筆をとっている。
もう少し話は続く。
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M国の課金戦士になった頃、心に余裕が生まれた私に友人がとあるゲームを勧めてきた。奴は陣地を広げるつもりであった。
勧められたゲームは、潰れかけた劇団を再興するために役者たちと苦楽を共にするストーリー(以下A国)でフルボイス。
繊細に描かれる役者たちの人生。フルボイス。耳とイヤホンがあれば良い。
ちまちまと画面をタップして話を読み進める行為が好きになれなかった。それならいっそのこと音読してくれといつも思っていた。
だから、A国のメインストーリーがフルボイスなのは大変助かった。
何より演者の芝居を耳で実際に感じることが出来る経験が新鮮だった。
このキャラクターはこの脚本を、言葉をこんな風に感じ取ったんだ。傷ついたんだ。泣いたんだ。笑ったんだ。演者の息遣いひとつに"生"を感じた。
そして、A国ではキャラクターが歌を歌う。
アイドルコンテンツでは無いけれど、公演にちなんだ歌を披露してくれる。ソロ曲とグループ曲、全体曲もある。
歌に命を救われた私がハマらないわけが無かった。
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ただ一言、凄かった。
ビックリした。歌に合わせて用意されたキャラクターと同じ公演衣装。めくるめくバックモニターの映像。歌毎に装飾が変わるトロッコ。火も上がった。スモークもでた。
"課金"が活きていると思った。
目に見える形で課金の成果が出ている。
M国のライブはどうだろうと思った。
M国のライブも映像でしか見たことが無いけれど、M国のライブはどうだろう。
前のライブ映像でも聞いた歌、見覚えのある振り付け。作りの甘いモニター映像。布まで安っぽく見えてきてしまう。
私がした課金はどこに活きているんだろう。ゲーム?ライブ?アニメ?コラボ?なんでも良いから演者に気持ちよくステージに立ってもらいたいと思った。悔しかった。
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それでも、この国の作物が少ないことは分かる。大母体は肥えた土壌のはずなのに実らない作物。水をあげてもあげても干からびたままの大地。水をあげすぎて根が腐ったのかも知れない。
痩せた土地で立派な実は実らない、と誰かが言ったけどコンクリート出身の強い果実に最終的には負けてしまった。
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課金が活かされる日は来るのだろうか。
後発組のアニメが作られる日は来るのだろうか。もっとスムーズな踊りを画面越しのアイドルが披露してくれる日は来るのだろうか。差別無く商業コラボを行える日は来るのだろうか。
コンスタントにユニットとしての曲が出る未来はあるのだろうか。
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A国は2期に分けてアニメを放映するらしい。1人1人にしっかりスポットを当ててストーリーを進めるのだろう。ゲームのストーリー3部の配信も発表された。
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所謂いちご鼻と言われる鼻の毛穴の黒ずみで悩んでいる人に役立ててほしいと思い記録する。
現在21歳。
ニキビができやすい体質で鼻や顎、額には常にじっとりと油が浮いている。
洗顔をしようがピーリングジェルを使おうが消えなかったこの黒いものがなんときえたのだ。
簡単に取れた経緯だけ記すことにする。
起床後、しゃぼん玉石鹸をよく泡立て鼻の頭や窪みの部分に泡を押し付けるように洗顔。
洗い流してこすらないよう拭いたあと鏡を見ると一時的に黒ずみは取れている。しかし毛穴から白いニョロっとした角栓がふつふつと出てきている。これは一時的に水分を含み膨張し出てきている角栓らしく乾いて毛穴の中に戻っていくとおそらく黒ずみや開いて見える毛穴の原因になるのではないかと考える。
そこでラボラボのSKAローションという拭き取り化粧水を使ってみることにした。オレンジ色の容器に入った柑橘系の香りのするさっぱりとした液体。これは毛穴の汚れを溶かしてくれるらしい。コットンにたっぷりと化粧水を含ませ軽く角栓が飛び出した鼻の頭を撫でてみると表面の角栓はなくなった。しかしじっと観察をつづけると拭き取った先からどんどん新しい角栓が出てくるから仕方なくまた拭き取った。しばらくこれを繰り返しようやく角栓は出てこない状態になった。このあと別の化粧水でしっかり保湿をし一時間ほど様子を見ることにした。(この段階では黒ずみは完全になくなっていた)
一時間後鏡を見ると起床時程ではないが黒ずみは復活していた。不安になったのでやりすぎは良くないと思いつつラボラボのSKAローションを再びコットンにたっぷりと染み込ませ、今度は十分ほど鼻パックをしてみることにした。
そして黒ずみは消えた。
しっかりと保湿をし観察もしたが黒ずみが復活することはなかった。
ドクターシーラボの宣伝のようになってしまったが鼻の黒ずみに悩んでいる人はこれを使ってみるのも手だと思う。値段は安くはないが使用後はスースーして清涼感がありこれによってしばらく毛穴が閉じてくれるらしい。私の場合一度で取れなくても何度もしつこく取り続けることで黒ずみが消えた。参考までに。
最終的に好意?に甘える事にしたんだけれども、諸々の費用総額うん十万を無償で
今までも例えば旅行だとか高額なデジタル機器だとか無償でくださってたんだけど、私自身その方には一切金銭的性的な見返りは払っていない
風俗関係とは一切無縁の業種なんだけど、所謂贔屓にしてくれる客※1ではある
それにしては業種と直接関係ない資格取得にまで(私自身が取りたいと要望したことは一切無い)援助するとは
最早これ贔屓の度を越してる気がしてたけど考えないようにしてた
単純に相手がvipなので贔屓の額が私の知るノーマル階級とは違うのかなと
ああ、でも物ではなく教育にまで援助?って贈り物の範疇から逸脱してる、よね?
そもそもホステスでもないのに最新のPCとか贈られる時点であれか?!
パパ活とか言う言葉があるけど、世間的には市場価値無い年齢だしそもそもそんな活動したこと無い喪女だし普通に口に出来る真っ当な職場の顧客だしで違う
愛人は最も違う(恋愛関係全く無いですしおすし、そういった行為の片鱗も無い/今後あるかもと言われれば男女である以上0ではないやもしれんけど、少なくとも10年近くの馴染みで妻子あり)
じゃあ言語化するにはあたって近いものはと思考した結果正当な意味でのパトロンなのではと思い至る
勿論ここに書いた文面だけ読めばパトロン※2という概念が一番近い気がしてきたけど仕事で繋がっているので今後も顧客として認識するしそのつもり
でないと仕事に対するスタンスが狂うから、感覚がvipの方の贈与品はスケール流石じゃのうと思っていく
※1
もしかして私が提供しているサービスにお客の方はそれだけの価値を見出だしてくれてるのかも?
※2
家族とレストランで食事をしていたら、隣に座った知らない人たちが僕の友人の話をしていた。
厳密には友達の所属しているバンドの話だ。めちゃめちゃ好き!全部の曲がいい!そんな話をしてて、僕は食事の手が止まった。
友人は出会った時からからハチャメチャに歌が上手くて、ハチャメチャに顔が良かった。性格は変だった。
僕と友人は所謂仲良しグループに所属していた程度の関係で、一緒に旅行に行った事もあるが、二人きりで遊んだりした事はなかった。それも五年ぐらい前の話だ。最近は皆で遊ぶこともめっきりない。
彼のバンドがはじめてYouTubeに動画を上げたとき、カラオケでよく聞いたあのハチャメチャに上手い歌が同じように流れてきて感動した。ハチャメチャにいい歌だったから、数カ月で人気バンドになってしまった。自分の耳は正しかった、と変な誇りに包まれた。
今では街でもCMでも彼の声を聴くし、新曲が出ればトレンドを席巻する。海外でもニュースが流れていた。でも僕は他の友達がファンだと言っていても、自分が彼と知り合いであることは明かさなかった。いや本当は明かしたかったけど。当時の仲良しグループが誰一人としてそれを明かしていなかったから。
彼はすべてのSNSを消してしまったし(過去を掘られたりすると困るし当然だ)今はほとんど交流もない。厳密には連絡先を知っているけれど。有名人になったから連絡するなんて最低だし、特に話すこともない。
でも、今でもバンドのニュースを目の当たりにする度に、ドキドキしてしまう。僕は彼と知り合いなんだぞ、凄いだろう。なんて言いそうになる。何がすごいのか。他人の褌だ。ダサすぎるけども。
彼がバンドをはじめた直後、一度だけ彼から「今度のライブに来てほしい、君に見せたくて」とメッセージが来たことをとても良く覚えている。関係者としてライブに入るなんてはじめてだった。その頃はまあまあの箱だったけど、ステージ上の彼はすごく遠くて、綺麗で、やっぱり歌が上手くて、人種が違うんだな、と素直に思った。ライブが終わったあと、彼はたくさんの人に囲まれながらこっちにやってきて、「来てくれて嬉しい」と言った。それが彼に会った最後だ。
バンドの新譜をダウンロードしながら、何度もその光景を思い出す。僕のことを忘れているかな。顔を合わせたら同じように笑ってくれるかな。そんなこと考えること自体ちっぽけでダサい。
レストランの隣の客は我々より先に帰った。
ここ数十年で、平面の電子化はほぼされただろ!!所謂ペーパーレス化だよ!!!
それが未来は空間が電子化されるんだよ!!!!VRによってな!!
どうだよ!凄くないか!!、
etc...
実際にハマっているアプリで、alt spaceっていうアプリがあるんだけど、空間にログインして外国人や日本人とお喋りできるよ!!!
もう駅前留学どころじゃねーじゃん部屋で留学できるじゃん!!!英会話スクールいらねーじゃん!!!
だかちょっと考えてみてほしい!!
だから現在のVRは電話でいうところのショルダーフォン時代みたいなもんなんだよ!!!しもしもってな!!
ショルダーフォンの時代から、スマホとか、わけわかんない進化してるけど、VRもわけわかんない進化してんぞきっと!!!
VRの本や情報読みまくった俺の予想だけど、未来はロボットをVRで遠隔操作とかできると思う!!!ロボットの感覚をVR上で再現して、VRで操作している人が感覚を感じるとかいう未来になっていると思う!!!
いやなってろ!!