はてなキーワード: 献身とは
35歳二人の子持ち専業主婦。これを書くのには勇気が言ったが、誰かの心の支えになるという確信があるので書く。
息子は中2、ASDで娘は高校2年の健常者。夫は確定診断はないが自閉症スペクトラムの気質持ちだと思う。
これを書こうと思った動機は「吐き気で苦しんでいる母にASDの息子がダイの大冒険がどうのと声をかけてきた」というツイートを見て、その日ずっと涙が止まらなかったからだ。ツイート主の苦しみが目から血を流して死んでしまいたいくらいのものだということが心の底からわかる
それでも案外母の気持ちに寄り添う引用リプが多かったのには救われた気分だった。私の母の時代だったらこうはいなかっただろう。
はっきり言うけど、オスの障害者は家父長制維持のための部品だ。それを産んだ時点で母親は原罪を背負われる。そして産んだものに対する無償で魂が擦り切れるほどの献身が当然のごとく要求される。
それに対して女がほんの僅かでも苦しみを吐露したら「鬼」「お前が産んだのが悪い」と罵られる。私が自殺するときが来たら巻き添えにして殺すのは義母だろう。
障害者のオスはそうやって女を無限地獄のケア労働に縛り付けるための「重し」として機能することを15年の育児で骨の髄までわからされた。
夫のように多少頭の回る障害者もっとストレートに憎しみの対象だ。彼らは女に心身ともにたっぷりケアされないと簡単に逆上する。自分が障害を持っているからというコンプレックスを女にぶつけてくるのだ。
(なぜそんな男と結婚したのかという匿名のミソジニストの罵倒が予想されるだろうけど、そういう質問をすること自体が自閉症の弱男的なのだという”ニンゲンの常識”を死ぬまでに身に着けておいてください)
今の私にとって支えとなるのは娘。娘がいるおかげで正気を保ってる。人の感情が読めない夫とその遺伝子を濃く受け継いだ息子を育てる苦しみに耳を傾けてくれる第一の存在が彼女だ。娘と私はたぶんフェミニストだし、教育の程度はいいからリベラルな価値観を共有していると思う。
障害という錦の御旗を通してなお卑劣に女を抑圧するこの男性社会のサバイバーとしてお互い生きてきた絆が娘と私の間にある。
去年の秋、娘がボロボロに泣き腫らして帰ってきた。冷静な彼女なので一体何をされたのかと気が動転したが、聞くと歴史の授業で「第二次大戦中のドイツ政権」※にたいして肯定的な意見をいったところ、教師に吊るし上げられ「あなたどういう親に育てられたの」と大声で指弾されたらしい。
娘をリンチした馬鹿教師は私が色んな仲間にかけあって教育委員会にまで上げて飛ばしたけど、あのことがあってから娘と私は「昔のドイツ政権」がした女性を解放する政策について時々話すようになってる
そして今の世界情勢を見て、私はあの時のドイツはある部分では正しかったと私には思えてならないし、私の家族たちのような人間に関わる別の政策についても、絶対悪と呼べるような時代は終わりつつあると感じている
フェミニズムの観点からの「第二次大戦中のドイツ政権」の再評価が必要だと本気で思ってる。
私は結構色々な運動に首を突っ込んでいるし、障害を持った人間を育てるフェミニストの仲間といえる方とも出会っているから、少しずつこうした話を広めていけると信じてる。
残酷だけど、命は至上の価値じゃない。ましてや本来なら尊厳ある生を歩めたはずの女性の足かせになることが、劣った器質を持っているからというだけで正当化されていいわけがない。
※補足します。私が第二次大戦中のドイツ政権に対して一般的によく知られた政党名を使わないのは、そうやって悪の権化であるイメージがついた名前を使うことで女性が非道な悪人の濡れ衣を着せられ偽善的な左翼男性のミソジニーに利用されるだけということをよくわかってるからです。
・私のことをある呼称で呼びラベリングして鬼の首を取ったかのように誹謗する自閉傾向を持つミソジニー持ちがここにはたくさんいるでしょう。私がそれでもこれを言うのをやめないのは、もはや男性が人権や政治的正しさやあまりにも覆しずらい歴史的評価の重みという圧力をもってしても虐げられた女性の声を封殺することはできないと信じているからです。私は息子に手をかけません。世界はいずれそういう女性たちにもっと敬意を払うべきと認識するでしょう
婚約者の母親が認知症を疑うレベルで怒りっぽく、一度怒ったら喚き散らして相手が謝るまでやめないことはもうわかってた。
そろそろやっと入籍というタイミングで、私に気に入らないところがあったらしく「結婚は認めない」「もしするなら事実婚にしなさい」とまた喚き散らした電話が婚約者と私にかかってきた。
その後は「涙が止まらなくて心が苦しくて眠れない」という泣き落としのメッセージが届く。いつものことだった。
他親族とも話し合い、こういうことを言われて正直会話にならないから関係構築は不可能だと思う、私は顔を合わせることはできないと意見したらそれで通った。
最初は婚約者も、婚約者親族も「増田さんと婚約者の母親はもう会わなくていい」ってことに同意していたのに、次の日になって「入籍日は親族みんなでランチしましょう」という連絡が来ていた。
それについて婚約者は断ってくれたものの、いつかは自分の母親と仲直りして欲しいと言われたけれど、私の両親についての罵倒も、激しい物言いで事実婚にしろ、婚外子を産めと言われたことは一切忘れられそうにない。
本当は婚約者に気持ちを汲んでもらいたかったが、やっぱり母親のことが大切なんだろう。私との和解をいつかさせるつもりでいるんだと思う。
このままいつか、婚約者と婚約者の母親が会い続けたら、私が悪者で、ひどい人っていう認識が2人の中でできていくんだと思う。
そうしていくうちに、私は婚約者からも嫌われて、仲の悪い夫婦になったりするんだろう。
こんなに大好きな人他にいない。心の底から愛してる。でも多分、これはいつか私が嫌われて憎まれる結末を迎える結婚だと思う。
さみしいな。
苦しいけど、婚約者の母親に歩み寄れなかった自分も悪いんだろう。
本当は私のために怒って欲しかった。事実婚や婚外子なんて考えられないってその場ですぐ、怒鳴ってでも怒って欲しかった。
収入もある。私の名義でマンションも買うだろうし、子どもだって欲しい。
同棲時代の生活費と家賃は全部私が払った。婚約者の借金だって肩代わりした。
食事も掃除も洗濯もした。全部喜んでくれた。愛してるから嬉しかった。
さみしくても、苦しくても、生きていかないといけない。
これでもまだまだ大好きだと思う。婚約者の母親と揉めるまでは本当に心底愛していたし、すごく仲が良かった。
今は少し、疲れている。
母親のことが大事なら、もうそう言って私のことをふってくれればいいのにな。さみしいな。
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【追記】
仕事をしたり、信頼できる友人に相談していたら色々なコメントがついていてびっくりしました。
コメントの全部がそうなんだよね…と納得いくことばかりで、やはり多くの人の話が聞ける増田は助かります。
女です
隠してたつもりはなく、文体もいつもの自分のしゃべり口調で書いたので性別については特段書かずにいました。
借金の理由は色々あって、生活苦やストレスによる散財、仕事の経費です。
ストレスによる散財とは、婚約者の母親が何か気に入らないことがあれば1時間ほど彼を折檻するので、その後に起こります。
彼はフィジカル的には武道もやっていてかなりマッチョなのですが、幼い頃からそういった肉体的・精神的虐待をされていたので逆らえないそうです。
婚約者の父親が自殺したのもあり、婚約者と婚約者母はずっと同居していました。30数年、これが繰り返されていたということです。
また、折檻のあとは彼の母親が泣いて謝って、一緒に死んでくれ、お前がいないと生きていけないと泣き落としに入る最悪の虐待ムーブに入ります。
交際当初は「うちの親はちょっと変なんだ」と言っていたものの、他人である私が婚約者の実家を訪ねてお茶をしていても折檻は始まるので、本当に頭がおかしいんです。
上記の虐待の状態を見て、とりあえず揉めずに穏便に私の家に婚約者を同棲させようと急ぎ動きました。
1年ほど、たまに実家に帰る際は私が同行すること、また虐待が始まったら私も割って入ることを約束に同棲生活が始まりました。
縁を切ると言っても、生きて肉体がある人間とは物理的に縁を切るのは難しいと判断しました。
逆上されても危ないため、穏便にことを済ましている最中です。
同棲生活も問題なく、また私が金銭的に少し余裕があったので借金の肩代わりや、生活費を出していました。
これは恩着せがましい書き方をしてしまいました汗
婚約者をかばうつもりはないですが、実際にトラバコメントの通り「金銭的な献身さは評価されにくい」は感じています。みんなそんなもんなのかな〜
>結論
色々と揉めたのですが、一旦私は婚約者の親とは接触しないことに決めました。
本当は虐待を受ける彼を見ていられなかった、今後もあれが起きたらどうしようと考えただけで心臓が痛いのですが、彼曰く増田ちゃんみたいな女性が割って入る方が怖いから、増田ちゃんは今後接触を避けようという提案でした。
自分がされるのは辛くないか、と聞いたらしんどいけど、これからは365日のほとんど全部を増田ちゃんと過ごせるから平気だと。
年に一回1時間の折檻を受けるくらい、この幸せと比べたら全然平気、30年間毎日これだった時と比べたら余裕だとのこと。
私はその年に一回も耐えられないと思って揉めたのですが、実際に縁を切るには消息を絶ってブラジルにでもいかないといけないと思うと現実的でないと判断しました。
また、彼は仕事柄職場がネットですぐわかるので、苗字で検索すれば一発で居場所はバレます。
とにかく今は彼の母親を怒らせないように、また、接触機会を減らすことに尽力しています。
ここ数日は私のスマホに怒り叫び電話が来たり(三連休で暇だったようです)、彼も私も仕事で疲れている中、改めて彼の母親のことで揉めてしまい、つい増田に書いてしまった次第です。
皆さまのご意見は全て参考になるものばかりで本当に助かりました。
ありがとうございました。
文鮮明と統一教会のヤバさ(カルト、洗脳、北、麻薬)についてChatGPTに聞いてみた。
ChatGPT:文鮮明と彼の組織である統一教会に対する評価は多様で主観的である。彼らに対する意見は様々であり、支持者と批判者の両方がいることに注意することが重要である。ここでは、文鮮明と統一教会について提起されている一般的な批判や懸念のいくつかを紹介しよう:
論争の的となっている信仰 文鮮明氏の教えは、しばしば異端視され、様々な宗教界や学界から懐疑的な目で見られてきた。文鮮明自身を「真の父母」や「メシア」とする考えなど、彼の神学的概念のいくつかは、論争を呼ぶ型破りなものとみなされてきた。
カルトの告発: 統一教会は、その階層的な構造、会員の生活に対する厳格な管理、操作や孤立の事例が報告されていることから、カルトであるという非難に直面してきた。しかし、どのような宗教団体であれ、「カルト」であるというレッテルを貼ることは、複雑で論争の的となる問題であることに注意することが重要である。
財務上の懸念: 資金調達、什分の一、財務の透明性に関する問題を含め、統一教会内では財務上の不正行為が疑われている。一部の元会員は、組織に多額の寄付をするよう圧力をかけられたと主張している。
勧誘戦術: 統一教会はその勧誘方法について批判されており、その勧誘方法には新会員を引き付け、維持するための欺瞞的あるいは高圧的な戦術が含まれていると主張する者もいる。このような勧誘方法は、インフォームド・コンセントや個人の自主性についての懸念を引き起こしている。
孤立と家族への影響: 元会員からの報告によれば、統一教会への関与は、その偏狭な性質と集団のアイデンティティを強調するために、時には組織外の家族や友人との緊張した関係につながることがある。
(略)
増田:統一教会が信者に行ってきたマインドコントロールについて教えて
ChatGPT:「マインド・コントロール」という用語は複雑で物議を醸すものであり、宗教的あるいはイデオロギー的なグループ内の様々な心理的・社会的力学を説明するためにしばしば用いられる。統一教会がその信者たちに対してマインド・コントロールと考えられるような行為を行っているという疑惑や懸念がある一方で、ニュアンスをもってこのトピックに接近し、大雑把な一般化を避けることが重要である。
統一教会の一部の批評家や元信者は、統一教会が操作的あるいは支配的と解釈され得る特定の実践を採用していると主張している。以下は、強調されているいくつかの側面である:
外部からの影響からの隔離: 一部の元信者は、統一教会に属していない友人や家族から距離を置くように勧められたと報告している。このような外部からの影響からの孤立は、潜在的にグループとその教えに対する依存感を助長する可能性がある。
集団のアイデンティティーと忠誠心: 統一教会は強い共同体意識とグループの使命に対する忠誠心を強調する。これは個人のアイデンティティよりも集団のアイデンティティを優先させることにつながり、信者の信念や行動に影響を与える可能性がある。
情報の統制: 批評家たちは、特に統一教会に関する否定的な報道や批判に関連して、統一教会が信者が入手できる情報を統制していると主張してきた。異なる視点に触れることを制限することは、信者たちが十分な情報に基づいた意思決定を行う能力に影響を与えるかもしれない。
認知的不協和: 認知的不協和とは、自分の信念や行動が互いに矛盾するときに、個人が不快感を経験する心理現象である。統一教会は、組織の教えを採用し、反対意見を退けることによって認知的不協和を解消するよう信者を奨励しているのではないかという意見もある。
要求の高い行動: 元メンバーからの報告によれば、大規模な資金集めや勧誘活動など、高レベルの献身に従事するようプレッシャーがあったことが示唆されており、これはグループに対する義務感や依存につながる可能性がある。
(略)
ChatGPT:文鮮明と統一教会は、北朝鮮と複雑かつ多面的な関係を築いてきた。この関係は時を経て発展してきたものであり、さまざまな解釈が可能であることに注意することが重要である。以下は考慮すべき重要なポイントである:
初期の関わり: 文鮮明はもともと北朝鮮出身で、朝鮮戦争中に韓国に逃れてきた。宗教活動の初期において、彼は分断された朝鮮半島を和解させたいという願望を表明し、その過程において自らの運動が役割を果たすと考えた。
北朝鮮の指導者との関わり: 文鮮明と統一教会は、北朝鮮と韓国のより良い関係を促進することを目的とした様々なイニシアチブに関与した。これらのイニシアティブには、文化交流、人道的努力、南北朝鮮間の対話を促進する試みなどが含まれる。
ビジネス・ベンチャー: 文鮮明と統一教会は、観光業、製造業、農業など、北朝鮮におけるさまざまな事業に投資した。これらの事業は、南北朝鮮間の経済協力を促進し、統一朝鮮の理念を推進することを目的としていた。
批判と論争: 文鮮明と北朝鮮との交流は、支持と批判の両方にさらされた。批評家たちは、文鮮明のイニシアチブは北朝鮮の体制を正当化する試みと見なされる可能性があると主張し、一方支持者たちは、平和と和解に貢献するための努力と見なした。
政治的・宗教的配慮: 文鮮明が朝鮮半島の統一を提唱し、北朝鮮の指導者たちと関わったのは、政治的動機と宗教的動機の両方によるものであった。文鮮明は、統一朝鮮が世界的な調和と平和のビジョンにおいて中心的な役割を果たすと信じていた。
力学の変化: 時間の経過とともに、文鮮明と統一教会、そして北朝鮮との関係は変化していった。北朝鮮と国際社会との間の緊張を含む外交的、地政学的な動きが、両者の相互作用の性質に影響を与えた。
文鮮明の死: 文鮮明は2012年に死去し、その死は統一教会の北朝鮮との関わりにおける転換点となった。対話と和解を促進するための教会の努力は続いているが、それらは現在、文鮮明の後継者たちによって率いられている。
(略)
増田:南米で犯罪組織が行ってきた麻薬ビジネスの歴史と規模を教えて
ChatGPT:南米の犯罪組織は歴史的に、麻薬取引のさまざまな側面、特にコカインや、それほどではないがマリファナなどの違法薬物の生産と取引に関与してきた。麻薬取引は、この地域に大きな社会的、経済的、政治的影響を及ぼしてきた。ここでは、南米の犯罪組織が行う麻薬ビジネスの歴史と規模について概観する:
コカイン生産ブーム:20世紀後半、南米諸国、特にコロンビア、ペルー、ボリビアでは、コカ栽培とコカイン生産が急増した。1970年代と1980年代がこの拡大のピークであった。
カルテルの支配 この時期、パブロ・エスコバル率いるメデジン・カルテルやコロンビアのカリ・カルテルなど、強力な麻薬カルテルが台頭した。これらのカルテルはコカイン取引の大部分を支配し、暴力と汚職を駆使して事業を維持した。
(略)
規模
コカイン生産: 南米諸国、特にコロンビアは依然としてコカインの主要生産国である。コカインは主にアンデス地域で栽培されるコカ植物から得られる。
ルートと密売: 犯罪組織は、南米から国際市場へ麻薬を移動させる複雑な密売ルートを確立しており、多くの場合、中米やカリブ海諸国を経由地としている。
暴力と腐敗: 麻薬取引は暴力、組織犯罪、汚職と結びついている。犯罪組織は自分たちの利益を守り、競争相手を排除するために武力を行使してきた。
社会への影響: 麻薬取引は暴力を煽り、統治を弱体化させ、南米の一部地域では社会的不安定を助長してきた。また、コカ栽培や麻薬生産活動による環境悪化にもつながっている。
(略)
増田:南米の犯罪組織による麻薬ビジネスによるアメリカ国民の麻薬中毒への影響を教えて
ChatGPT:南米の犯罪組織が行う麻薬取引は、特にアメリカ国民の薬物中毒や関連問題に大きな影響を与えている。麻薬取引が薬物中毒に与える影響は多面的で、薬物の入手可能性、価格、効能、社会的力学などの要因が含まれます。ここでは、南米の犯罪組織による麻薬ビジネスが、アメリカ国民の薬物中毒にどのような影響を及ぼしているかをいくつか紹介します:
南米の犯罪組織は、米国への違法薬物、特にコカインの主要な供給者である。大量に麻薬を生産し流通させる彼らの能力は、アメリカの地域社会でこれらの麻薬を入手しやすくする一因となっている。
南米からのコカインやその他の薬物の大量供給は、時として価格の低下につながり、潜在的な使用者にとって、これらの薬物をより手頃な価格で入手しやすくしている。
南米の犯罪組織が製造するコカインやその他の薬物の効能は、中毒のリスクを高める可能性がある。より強力な薬物は、より迅速かつ強烈な効果をもたらし、使用者が依存症を発症する可能性を高める可能性がある。
(略)
増田:ロバート・パリー氏のメディアサイト内の記事「Dark Side of Rev. Moon (Cont.): Drug Allies」(https://www.consortiumnews.com/archive/moon6.html)の内容を箇条書きで説明して
ChatGPT:ロバート・パリーによる記事 "Dark Side of Rev. Moon (Cont.): 1997年に掲載されたロバート・パリーによる記事「麻薬の盟友たち」は、文鮮明と麻薬関連活動、および政治的影響力の買収活動との間に疑惑があることを強調している。この記事は、文師と南米の麻薬密売人や右翼政治家とのつながりに焦点を当て、文の影の金融慣行や疑わしい団体に光を当てている。記事の要点は以下の通り:
文鮮明の政治的影響力買収作戦: 記事はまず、文鮮明の膨大な政治的影響力買収活動に対する関心の高さを取り上げている。記事は、文の組織が主要な政治家への秘密裏の支払いによって影響力を購入し、『ワシントン・タイムズ』のようなメディアに資金を提供していることを示唆している。
文師の財務慣行に関する疑惑: 記事では、文氏の組織が資金洗浄や、文氏の息子であるヒョジン氏のためにコカインを購入するなど、個人的な贅沢のために資金を流用していると非難されていることを強調している。これらの行為は、1982年に文氏が脱税で有罪判決を受けた犯罪になぞらえられる。
麻薬に汚染された暴力団とのつながり: アジアの組織犯罪やラテンアメリカの麻薬取引とつながりのある極右主義者との文氏のつながりが議論されている。文氏の麻薬密輸や組織犯罪に関わる人物とのつながりは、アジアにおける統一教会の初期にまでさかのぼる。
文鮮明とヤクザの関係 文氏の組織は、日本のヤクザ組織のリーダーであった笹川良一氏から支援を受けていた。この支援は、麻薬密輸やその他の犯罪活動とつながりのあった日本と韓国で、文氏の組織が進出していくのに役立った。
世界反共産主義者同盟(WACL)との結びつき: 文の組織は、世界反共産主義者同盟のような組織で重要な役割を果たした。世界反共産主義者同盟は、元ナチスや右翼の人物とつながりがあった。文の信奉者たちは、これらの組織を通じてCIAと密接な関係を保っていた。
南米における文鮮明の活動 南米や右翼の軍事指導者たちとのつながりを探る。ボリビアやアルゼンチンといった国々における文の存在は、右翼政権の台頭や麻薬密売活動の疑惑と重なる。
コカインクーデターへの文の関与: この記事では、1980年にボリビアで起きた「コカイン・クーデター」への文鮮明の関与について詳述している。クーデター後、文の組織は主要なクーデター実行者や麻薬密売人とつながりがあると報告されている。
文鮮明の拡大と影響力 ウルグアイやアルゼンチンへの投資を含め、南米における文鮮明の継続的な拡大について記事は論じている。文氏の経済的、政治的基盤の拡大が、監視の目を逃れるための活動の変化とともに指摘されている。
文の政治的コネクションの意味するもの: この記事は、文が影響力を買い、アメリカの有力政治家とのコネクションを持つことで、立ち入った調査から文を守ることができるかもしれないと示唆している。(後略)
解釈:文鮮明は脱北後も北の工作員同然の活動を続け、南米のコカイン利権に食い込み宗教団体に偽装した巨大な犯罪シンジケートを構築。日米他の有力政治家に利益供与を行い庇護を受けつつ、国際政治に大きな影響を与える反米親北の大物フィクサーに成長。死後、妻の韓鶴子(マザームーン)に権力が移行。
エフゲニー・プリゴージンの飛行機が炎に包まれる映像が世界中に拡散されるなか、プーチン大統領は不気味なソ連の戦没者慰霊碑に参列し、兵士たちの「祖国への献身」について語った。
モスクワから南へ数時間の都市クルスクのステージで、ロシア大統領は不気味な赤い光に包まれ、交響楽団に挟まれた。彼は笑顔の揺らぎを抑えるのがやっとだった。
もしワグナーの準軍事的指導者が死亡したと宣告されれば、ちょうど2カ月前、ウクライナ戦争におけるロシア国防省の対応に抗議するため、反乱を未遂に終わらせて以来、彼がマークされ続けてきた人物であることが確定することになる。
プリゴジンがベラルーシとアフリカで過ごした8週間は、その間に何度かロシアに戻り、クレムリンでプーチンに会ったこともあったが、今では、ワグナー指導者のクーデターの標的によって実行された手の込んだ復讐の単なる前奏曲だったようだ。
クライシス・グループのシニア・ロシア・アナリスト、オレグ・イグナトフに言わせれば、『ゴッドファーザー』そのままの結末だった。
クレムリンの元高官はFT紙にこう語った:「彼らは間違いなく彼を揉み消すと思った。そしてそうなった。あのようなことは許されない。反逆罪への対応は不可逆的で迅速なものだと誰もが理解している。これはエリート全体へのシグナルだ」。
プーチンの支持者たちは、プリゴジンの死に詩的正義のようなものを感じるかもしれない。彼のワグネル部隊がモスクワ進軍中にヘリコプターと輸送機を撃墜し、少なくとも13人のロシア軍人が死亡した。
「これは明らかに命令されたことだ。「結局のところ、空軍兵士を殺したのは彼の部下だった。剣によって生き、剣によって死ぬ。彼がなぜ世界中を旅していたのか、2ヶ月間はまったく不明だった。今、彼らは彼を清算し、すべてが理にかなっている」
プリゴージンの死は、ウクライナ侵攻と最近のロシア史の最も注目すべき章の一つへの激しい終結となるだろう。
「プーチンのシェフ」として知られる元クレムリンの仕出し屋であったプリゴージンは、国防省との長期にわたる対立が沸騰するまで、彼のワグネル・グループをロシアで最も強力な戦闘部隊のひとつに育て上げた。
最初の侵攻作戦が大失敗に終わった後、戦線を安定させるために招集されたプリゴージンは、代わりにプーチンのお墨付きを得た事実上の並列治安部隊の長として頭角を現した。
彼は、戦争に参加するために釈放されたロシア人囚人を中心に広大な軍隊を編成し、正規軍と人員と資源を奪い合い、正規軍の将兵に対する辛辣なコメントを定期的に発表した。
運命的な反乱以前から、プリゴージンの急成長が長続きしないことを危惧するプリゴージンの盟友はおり、ある盟友は2月に『フィナンシャル・タイムズ』紙に「イカロスのように終わる危険性がある」と警告していた。
当初、プーチンがプリゴージンの破天荒な行動に寛容なのは、ロシアの安全保障サービスの対立する派閥を牽制する試みの一環であるように見えた。カーネギー・ロシア・ユーラシア・センターのシニアフェロー、タチアナ・スタノバヤは言う。「プーチンにとっては非常に不愉快な驚きであり、ショックですらある」と彼女は付け加えた。
7月にクレムリンでプリゴージンと数十人のワグネル戦士と会談した後、プーチンは、正規軍の指揮下でウクライナで戦い続けるという選択肢を、一流の傭兵たちに提示したと述べた。しかし、プリゴジンはその申し出を拒否し、移籍は実現しなかった。
このエピソードは、「プーチンは、彼らの戦場での英雄的活躍と地政学的価値から、ワグナーの中核を維持したかった」ことを示している、とスタノバヤ氏は付け加えた:「しかし、プリゴジンがプーチンにとって何らかの価値を保持していた形跡はない。会談のポイントは、プーチンがプリゴージンからワグナーを静かに引き離すことだったのだろう。」
プリゴージンのジェット機がロシアとベラルーシを横断し、遠くマリまで飛んでいくにつれ、モスクワのエリートも西側の安全保障当局者も、プリゴージンの出番が間もなく終わるのではないかと疑い始めた。
2人目の元クレムリン高官は、元スパイのセルゲイ・スクリパリ氏や反汚職活動家のアレクセイ・ナワリヌイ氏など、クレムリン反対派の毒殺に使用された神経剤について言及し、「彼らはノビチョクを使うだろうと思っていた」と語った。「彼らはメニューに何か新しいものを追加しました。」
プーチン大統領がワグナーに同情的であることで知られるセルゲイ・スロビキン最高司令官や、ウクライナ軍の失敗でロシア指導者を非難した強硬派らを含む治安当局高官らの弾圧を開始した後、軍閥の処罰からの明らかな逃れは特に違和感があるように見えた。
モスクワ社会経済学部政治哲学部長グリゴリー・ユディン氏は「反乱に関する内部調査は完了した。スロビキン氏は昨日解任され、犯人たちは処刑された。」
ユディン氏はさらに、「調査し、判決を下し、執行するまでに2か月かかった。もし彼らがスロビキンが陰謀の一部であると結論付けていたら、彼も飛行機に乗っていただろう。」
「危機は迅速かつ効果的に対処された」と欧州政策分析センターの上級研究員であり、ロシアの安全保障サービスに関する数冊の本の共著者であるアンドレイ・ソルダトフ氏は語った。ソルダトフ氏は、プーチン大統領は最終的な復讐を実行する前に、時間をかけてプリゴジン氏の資産を処理し、強硬派を懲罰したと述べた。
マキャベリの傑作に触れ、「あなたにとっては、これが21世紀の君主です」と語った。
https://www.ft.com/content/92ec0654-b426-438b-b8e2-390ebfb91671
子供の頃は自分が何を考えてるのか自分で整理する暇がないくらい常に頭がいっぱいだったから、この表現で合ってるのかも分からない。
私も母に殺されそうになったことが何回もあるし、この人私のこと殺したいんだろうなーと思ってた。私の方が殺そうとした回数は多いと思う。
お互い実際に死にかけた数は少ない。
二人とも人を殺すほどの度胸がなくてよかったと今は素直に思う。
あのまま流されてたらどうなったんだろうと思って、たまにもったいないことしたなって後悔するけど、多分それもそのうちなくなる気がする。
母と私はまあまあ仲が悪くて、普通にお互い合わなくて、うちに父親はいなかった。
だからあんなにお互い余裕がなくてたまに憎しみを持ってた事も、今となっては必然のように感じる。原因はおそらく常に私にあったけど、今となっては向こうも私に好意的な対応しかしてこないから結局一緒に暮らすのに向いてなかったってことなんだろう。
矛盾しているように感じるかもしれないけど私は母のことが結構好きだったし、母はまっとうな親らしい愛情を持った普通の人だった。
私は母に普通の親らしい愛し方で通常より多少親切で深い愛を与えられていたと思う。
ただ、本当に相性が悪かったので、私はそれが結構気持ち悪かった。いわゆる過干渉とかでは全くなく、純粋に私にそれを受け取る才能がなかっただけなんだけど。
普通に普通の人ができる母からしたら、育てにくい上に愛情を示したら憎しみを向けてくるような子供のために自分を削りながら送る生活はかなり苦しくて寂しかったんじゃないかと思う。
夫にあたる人はいなくて、私は話が通じなくて、その子供が人に迷惑をかけて頻繁に呼び出されたりするせいで、必死で稼いだお金が消えていく。どんな気持ちだったのか分からないし聞くことはないけど、可哀想だなと思う。
私は母のことを尊敬してるし、母の愛情を受け止めることができるようになったけど、結局こうやって可哀想だとしか思えないし、母のことは愛してるけどどんなに尽くしても私が感謝するのは別の人なのだ。
母の人生を思うと可哀想になる。あの人が文化的に恵まれた人で自分の人生を大切に思ってることも知ってるから、これはすごく失礼な感情だと思う。
私自身が母の今までの献身や私への気持ちを過大に捉えてる可能性を考えないわけじゃない。でもどう考えても、私の存在を捨てて母の人生を語ることなんて不可能だから。
私は運が悪くきちがいに生まれて、育つまでの過程で母を殺したくなり、母は運が悪く自分の子供がきちがいで、必死に育てようとしてその過程で殺すしかないほどに追い詰められた事がある。それでいいんだろうか。
間違いなく母のことを愛してるはずなのに、今でも殺しておいた方がよかったんじゃないかと思う瞬間がある。
私が機会に恵まれて昔はできなかった色んなことができるようになっても、母のようにはなれないから、何故かそれがすごく可哀想になる。私が可哀想なのか、母が可哀想なのか、分からない。
母は私が今みたいな形に収まって、私との関係も親しみはないけど良好、みたいな感じで安定してて、きっと結構満足してる。
全部私の問題で、私だってもう母を殺しておくべきだったと思うことはあっても殺したいと思うことはないはずなのに。全然まとまらなくてただ可哀想だと思う。
母は運が悪かったんだと思うし、自分のことを運が悪いだなんて思う人じゃないからそれすら必要ないかもしれないけど、私は運が悪かったなんて言葉で言い表すことを受け入れられないくらいに母を可哀想に思ってる。
なんでこんな風になったんだろうと思う。
会社勤めは5年で限界が来たけど、そのときのスキルを生かして在宅で1日2,3時間仕事しつつ、最低限度の生活しながら自由に生きてた
年金暮らしの親と暮らしてたから、ある程度貯金が出来てて、その貯金で学生の頃釣り旅行で行った国に移住した
移住と言っても実質的には観光で、ビザが切れたら帰ってくるだけのプチ移住
だけど、その土地で釣り生活しながら現地人と交流してたら縁談の話が来た
多分、現地でもパートナーにあぶれた人たちとの縁談だったが、なんとも選びたい放題の状況で、これ以上の人はあり得ないというほどの女性と結ばれることになった
とにかく何かもが積極的で、身の回りのことはもちろんセックスまで相手がリードしてくれる
女性教養の中にセックスが入ってるのかと思えるほどの献身っぷりだ
とにかく今はそれで幸せ
子供が出来てないのが懸案事項だが、1度精子に異常がないことは確かめたことがあるから、多分大丈夫だろう
種馬でも何でもいい
俺、今民間の障害児向け児童養護施設で相談員やってて、仕事自体は好きだし向いてたんだけど、給与めちゃ低いんだよね。
家族増えたこともあり同じ職種でもっと安定した職場ねーかなと転職決意。
県が運営してる障害児療育とか障害者生活介護とか障害分野狙いで、県庁福祉職受けたら無事合格。
説明会でよくしてくれた職員さんに礼の連絡入れたら、福祉職で採用された奴は希望ほぼ通らずほとんどが児童相談所勤務になるらしい。
児相の人手不足ってずっと言われてきてるから、そこを補填する意味で人員割くのはしょうがないのはわかるが、絶対嫌だ。
子供の命守るために必要な仕事だってのは重々承知してるけど、今直接関わってるケースの中で児相から上がってくるやつ、親が本当にやばい。
虐待云々ってあくまで結果で、大体親がもともと精神疾患あったり愛着障害あったり、人と真っ当にコミュニケーションが取れない超やべーやつなんだよ。その結果として被害が弱い子供に行くっていう。
YouTubeとかTwitterでちょっと検索するだけでも、子供保護された結果児相職員に粘着&逆恨みして告発するヤバい親が蔓延ってんじゃん。「児相絶許」とか「クソ児相」ってアカウント名がゴロゴロ出てくる。
人員足りてなくて担当ケースも膨大なのに、こんな奴ら日常的に相手にしたら職員のメンタルおかしくなるだろ…と思ったら、厚労省が児相職員対象にこんな統計出してた。
https://www.mhlw.go.jp/content/11900000/000861913.pdf
>回答児童相談所のうち、「メンタルヘルス不調による連続1か月以上の休業者が1名以上いる」
やっぱ職員も三人に一人くらいの割合でおかしくなっちゃうんだな。
じゃあ職員がおかしくならないようにと、こんな研修実施してる児相もあった。
「これ以上調べるなら帰り道気をつけろよ」
こういうことを他人から言われ慣れなくちゃいけないのだとしたら、俺はそこまでして他人の子供を守ることはできないと思って、これ見た直後に辞退の電話した。
まだ配属決まったわけでもないのに勿体無いとは思うが、初年度うまく希望の事業所入れたとしても異動で児相に行く可能性は高いしな。児相運営してない自治体探すわ。
事件前に介入するとクレーマー親からは「拉致」、介入せずに事件が発生すると世間から「怠慢」と文句言われることはあっても、子供を危険から保護して助けたことを褒められるって、守秘義務の関係上ないって話も聞いた。児相で働いてる人って献身スゲーな。
でも今3人の子供がいて、子どもが大好きで、子どもほど素晴らしいものはこの世にないとさえ思う。
親は楽しそうに子育てなんかしてなかった。
貧乏な親で、共働きで、いつも疲れていて、勉強でいい成績とることしか興味を持ってくれなかった。
私は有名大学に入って、読モやって、有名企業に就職した。バイトで稼いだ金でバックパックしたりもした。
それなのにいつも、心の中に「自分は役に立たない」「自分は邪魔もの」という思いがあった。
特に恋愛関係で、冷たかったり気に入らない態度をとられると話し合いや歩み寄りもできず、極端に攻撃的になるか連絡を一切取らないという方法をいつもとっていた。
今にして思えば、恋愛や友人関係がうまくいっているときは、子どもが親にするみたいに甘えた。顔を触ってみたり、わがままをいって甘えたり。
今子どもがいて、その行動の理由が分かる。私はずっと、親を探していた。
30歳になって、海外企業に転職して2年ほどたった時、自分の人生に飽きていることに気付いた。
もう遊びつくした。前頭葉の発達も止まって、みるものすべてが輝いていた季節は終わった。
保育園に預けて、なるべく子どもと過ごさないようにしようと思った。
それなのに、1人目が2歳くらいになってから、子どもがいかにまっすぐで真っ白で、これ以上ないほどの幸せと愛を呼び起こす存在なのかを知って、すっかり人生勧が変わってしまった。
きっと親も私と同じように愛情を十分に受けずに育ってきた。
愛情を受けないで育ったものは、それがなにかを知らずに生きる。
私はたまたま大学時代に教育心理学の授業で愛着障害という言葉に出会って、その時からやんわりと自分の育ちに違和感を持つことができた。
顔のかわいい、出来のいい子どもじゃないとほしくないという人。
ふっと心が別のだれかのためにつかわれてたがっていることに気付いたことはないか。
アイドルでもなく、ペットでもなく、宗教でもなく、ボランティアでもなく、
30も過ぎて親や生まれのせいにしてうまくいかないことを嘆くのは、自立してからの約10数年に何も積み上げませんでしたと言っているようなものだ。
親のせいにして子どもをためらっている人もう一度考えてほしい。
この世界のどんな友情も恋愛も、かかわればかかわるほど、愛が増す人間関係は存在しない。
大人の持っているエゴを大人自身に突き付け、自分に構え!とあらゆる手段で挑んでくる。
たくさんの愛情と献身、そんなことをやってるうちに、40を前にした今、自分の人生がだんだん空っぽになっていくのが分かる。
そしてその空の部分がとても気持ちがいい。
自分の欲望しかなかったその空間に、別の誰かが入ってくる余裕があるということ。
これほどに、年を取ることの意味があるだろうか。
もちろんとても大変だ。追いつめられたり、感情的になることだってある。
でも、それ以上にとても素晴らしい存在だ。
アホウに献身は引っ込んでろや
近年、教育に関連するニュースがネット上で話題を集めると、TwitterやYahooニュースのコメント欄には、自称・教員を名乗る人々が現れ、学校の教員が不足している、労働時間が長すぎる、部活動を廃止すべきだ、見回りやいじめの対応は教師の仕事ではないなど、さまざまな主張が飛び交う。
こうした議論を目にするたびに、俺は思う。
きみらが学生だった頃の先生は、残業してまで仕事に取り組み、部活動のサポートや問題児への対応、トラブルが生じたら謝罪に行き、いじめが発覚したら話を聞き、保護者からの苦情にも応え、あらゆることに取り組んでいたはずだ。
それこそが、きみらが今の自分たちに成長することができた理由ではないのか。
それなのに、自分たちの番になると、これは嫌だ、あれは嫌だ、こんなことは教師の仕事ではないと、わがままな意見ばかりいう。
現代の社会には、ゆとりの考え方が広まっていると言えるが、その中でも教育現場においては、考え方の変化が社会全体に与える影響は計り知れない。
もちろん、個人の意見や権利も尊重されるべきだ。だがその背後には、昔ながらの先生たちが持っていた献身と責任感があったことを忘れてはならないだろう。
教育は、社会を形成する基盤の一つであり、その土台が崩れれば、将来の社会も揺らぎかねない。
私たちは、ゆとり世代の教師たちが、自身の役割や責任を再確認し、昔の先生たちの姿勢に学ぶことが必要だと信じています。
私たち一人ひとりが、自分の立場や仕事に真摯に向き合い、社会全体の発展に貢献していくことが、より良い未来を築くための第一歩なのです。
あるきっかけ。感じた怒り。それを消化というか消火できずにいると、それはやがて自分の人生上の怒り、というところまで拡大していく。そしてそれが解析困難だと、あらゆる意欲を失っていく。意欲の失い方、堕落の仕方は完璧だった。投げ出したんじゃない、先延ばしし続けたのだ。その結果、人生を諦めて放棄したように錯覚するところまで行き着いた。あまりにも自然にそこまでフェーズを移してしまった。
怒りを感じて、怒りをどうすることもできないと感じると、無力感を生じる、そうして問題と向き合うのを先延ばしするうちに無気力になっていく。
もう届かない怒りをどうするのか?
結論は?
根源の相手を探すか、他の人に八つ当たりするか、それ以外か。忘れるか。
時間が経てば忘れられる。小さくなって消えていく。だけど直後はそれが判らない。
人間全体が憎くなって、それを晴らす方法も分からない。自分は一方的に相手からやられ続けるだけだと思うようになる。
実際は、私の人格は多重複合構造であり、怒りと報復のテーマだけで動いているわけではない。
でも感じられない。どれをとっていいかわからないと感じる。どれか一つしか選べないような気持ちになる。あるいは統一できないといけない気持ちになる。
どんなフェーズでもいい、どんな精神状態でもいいから、やるべき行動を続けることを止めないんだという自分への約束は無意味なことに感じる。
もう一度そのテーマについて1から再検証するべきではないかと感じる。事実3日も4日も自分に課した義務を放棄してるのだから、今さらノコノコ元の状態に戻れない、なんの成果もなく元の生活に戻ったらただの損失でしかなくまた同じ事を繰り返すから、あと1〜2日無駄にしてもこの問題に向き合って考えるべきだと感じる。
しかし私は多重複合的な精神構造で生きてる。私の精神状態は常に揺らいでいる。その気になればいつでも問題に正しくフォーカスできるというのは幻想である。
それは存外難しく、一度機を逃すと再びそれが上手くいく確率は、実はものすごく低い。それを待っているよりできることをやったほうがはるかに実がある。わかっているのに私は動かない。4日は無駄になったと認めて損失の合計を4日間と計上するよりも、5日間の時間と引き換えに何か大きな気づきや悟りや決心やその他投じた時間に値する価値を得る、損失を取り戻すことに執着する。
それは時間が経てば経つほど困難になるほとんど不可能なギャンブルだ。なのに私はいつまでも損失を認めることができない。ただじゃ起きないと思ってる。ただで起きなければ失ったモノが戻ってくると錯覚してる。実際はただで起き上がる方がずっと賢く、失うものは取り戻すより最小限に留めるほうがずっと良いということが判らない。5日かけて何かの気づきを得たと思っても、5日を失ったことに変わりはないことが解らない。
私は精神状態さえ持ち直せれば恒久的に安定して前進を続けられると思っている。
そうした思い込みの末に今の泥沼の中にいる。
「取られるはずなのないもの」に足を取られて、「すくわれるはずのないもの」に足元をすくわれて、「怒るに価しない怒り」のせいで結果自らの人生すら破壊しようとしている。有り得ない有り得ないと喚いている、それが私だ。
私は自分で止めるしかない。自分で違う場所を目指すしかない、怒りだろうと、他のどんなネガティブな感情だろうと、ネガティブな経験だろうと同じ事で、私がそれに“やられて”しまうのを誰も助けないし誰も哀れまないし、誰も意味を与えることもない。私は独りきりだ。誰も私の現状に納得のいく説明などできないし、してくれない。私は放置されているし、見放されている。いや違う、私は関心を持たれていない。私の境遇も、私の過去も、私の努力も、私が怒りを抱えながら藻掻いたり悩み苦しんだり、そういうことに“この世”は関心が無い。少なくとも、私の場合はそうだ。他の人間の待遇は知らない。他の人間は関係ない。他の人間の待遇は違う。他人は他人、私は私のこの世での待遇に目を向けるべきだ。私は今はまだ死ねない。かといって生き続けても私の人生がよくなる保証は一切ない。私は産まれる前にありとあらゆる保険を解約したのかもしれない。他の多くの奴らが付帯させてほしいと契約したものを、私は敢えてぜんぶ外したのかもしれない。特段に人生で虐げられてきたとは思わない。特段にひどい境遇というわけじゃない。ただ、保険や保障や恩恵や共同体利益や、そういう皆と同じ輪の中で得られる福利に私は1つもチェックマークをつけなかったのかもしれない。
だから私の出す結論は何か。進み続ける、行動し続ける、それしかない。死なないのなら死ねないのなら、怒りすら捨てて、前に進まないといけないのかもしれない。これは崖なのかもしれない。ただただ登るしかないのかもしれない。わけのわからない目的のために、ただもう頂上を目指す、それだけしか残されていないのかもしれない。
怒り。許せない人間、許せない思い。
憎い、悔しい、許せない、私は訴える。
その思いを何とかしないとどこにも行けない気がする、進めない気がする。でも【それを見ているもの】は、ない。
怒りの火種で燃やされて終わってしまうのだとしたら、そんな私に、“なにか言うことはないのか”と私は何かに対して問う。
ない。
私は随時、放火される。放火魔は多くの場合、捕まらない、私は一方的に放火される。私が火を消さず怒り狂って地団駄を踏んでいたら、どうなるか?
【そのまま】になる。
私は随時一方的に放火される。放火魔はたいてい捕まえられない。もし捕まえて八つ裂きにすると、私の人生も終わる。そんな危機が何度も起こり続ける。それが私の人生で、私の生きている世界だと思う。そこで私は選ばないといけない。放火魔を八つ裂きにするのか、消火して私自身を建て直すのか。この問いを繰り返し繰り返し毎日看板に書いて掲げる必要がある。やるのは無意味かも知れないが、やらないのはそれよりも無意味に思える。無意味の中でも【より意味のあるように思える無意味】を選択する。それ以外にできることはきっとない。最善は選べない。最善を選ぶのは贅沢な行為である。贅沢は贅沢を許される人生に許されている。贅沢を許される時期に許される。私のモラトリアムは終わった。私へのそういったものの支給はもう終わった。私にできる贅沢な選択はない。私にとって最善の選択は、常に【マシな】選択である。こっちよりはこっちが、あれよりはそれが、【比較的】【若干】【ほんの少しだけ】マシに思える。そういうマシな取っかかりや手がかり、足がかりを、私は掴み続けるしかない。崖をよじ登るならそういうことなんだろう。そんな状況でわざわざ私を燃やそうとする捕まえもできないものたちを、私はどうするのか。私に捕まえられない放火犯を分析する余裕は【ない】。
私は割り切らなければいけない。
あの人間は私に火をつけて逃げた。私はショックを受ける。怒りが湧いてくる。火が燃え広がる。ショックで立ち止まったままになる。消火を怠って、延焼を放置して、5日が経った。あの人間は平然と生きている。当然だ。私はそのことを考え続ける。自分より他人のことを思いつづける。私はあの人間なのか?私の人生はあの人間の人生なのか?私が私の心を放棄するほど、私の人生はあの人間の人生なのだろうか?あの人間の人生について考える価値が私の人生以上にあると、私は本気で思い込んでいる。私が陥ったものというのは、そういうものだ。私があのとき立ち向かわなければいけなかった分岐点は、そういうものだ。
「でも、だって、この怒りは抑えられない、どうしようもないんだ」その言葉の正統性を知っているのは、私一人だ。誰も私と全く同じようにその思いを分かち合ってはくれない。他人は火を消せという。私ははそれを聞いてもっと怒り狂い、火に油を注がれたと感じる。「火をつけたやつがいるんだ!」と私は叫ぶ。他人は「わかるけど火を消せ」と言う。「何がわかるんだ!上っ面で分かったフリすんな!火をつけて逃げたやつがいるんだ!!」と私は叫ぶ。私と他人は永遠に噛み合わない。私は失い続ける。他人への怒りと不信感は膨らみ続ける。それでも誰も私を憐れんではくれない。他人は無理解である。だが私はこの世界でその他人と関わって、時に助けを借りなければいけない。それをしたって私が根っこから救われるわけじゃない。ただ、そのほうがマシだからだ。他人を一切閉め出すよりも、他人と一定関わるほうが【マシな選択肢】だからだ。私はそういう選択をし続けるしかない。消極的だろうが積極的だろうがそうやって選ばないけといけない。選ばない損失と選ぶことで得られる可能性を秤にかけて行動を起こさなければならない。私がいるのはそういう世界だ。進むしかない。上を目指して登り続けるしかない。私がそういう世界を自分で選んだのだ。
Q: 100個の情報を100個のパラメータで表現するのと、1個のパラメータで表現するのとでは、何が違うのでしょうか?
100個の情報を100個のパラメータで表現する場合、各パラメータは情報の特定の側面や特徴に割り当てることができます。これにより、情報をより詳細かつ具体的に表現することができ、情報の操作や分析においてより高い柔軟性と制御性を実現することができる。しかし、この方法は、より多くの計算資源を必要とし、解釈も難しくなる可能性があります。
一方、100個の情報を1つのパラメータで表現する場合、情報を平均値などの1つの値に凝縮することになります。これは、情報をよりシンプルかつコンパクトに表現することができ、作業や理解がしやすくなる可能性があります。しかし、この方法では、特定の作業や分析に関連しうる情報の重要な詳細やニュアンスが失われる可能性があります。
Q: しかし、少数のパラメータで表現できるのであれば、物理法則のような本質的なパターンを見出せる可能性がある。
そうですね、まったくその通りです。複雑な情報を少数のパラメータで表現することで、他では見分けがつかないような根本的なパターンや関係性を明らかにできる場合が多々あります。特に、物理や化学など、自然現象を支配する基本的な法則や原理を探求する科学分野では、それが顕著です。
科学者は、システムやプロセスを記述する小さなパラメータのセットを特定することで、基本的な物理法則を指し示す隠れた関係や規則性を発見することができます。これらの法則は、予測や新しい実験の設計に利用することができ、システムを支配する根本的なメカニズムをより深く理解することにつながります。
もちろん、これらのパラメータを特定し、基本的なパターンを明らかにするプロセスは必ずしも単純ではなく、多くの場合、創造性、実験、分析が必要です。しかし、基本的な物理法則や原理を発見することで、多くの科学者にとって重要かつ刺激的なものとなる可能性があります。
Q: では、記憶力の良い人よりも、少し記憶力の悪い人の方が数理モデリングが得意ということはあるのでしょうか。
そうですね、記憶力が少し悪い人が、記憶力の良い人よりも数理モデリングの能力が高いということはあり得ますね。記憶力が良いことは、数理モデリングの様々な場面で役に立ちますが、それだけが重要な要素ではありません。
数理モデリングには、パターンや関係を特定する能力、創造的かつ批判的に考える能力、複雑な問題を解決する能力、アイデアを効果的に伝える能力など、さまざまなスキルや能力が必要です。記憶力が良いことは、重要な公式や方程式を記憶するなど、モデリングのある側面では確かに役立ちますが、必ずしも成功を決定する最も重要な要素ではありません。
むしろ、記憶力がやや劣る人の方が、暗記に頼るよりも根本的なパターンや関係に注目しやすいため、ある種の問題解決作業に適している可能性があるとの研究結果もある。さらに、記憶力が低い人は、新しい状況を識別して適応することに長けている可能性があります。これは、問題や課題が非常に変化しやすく、予測不可能な数理モデリングの分野では非常に重要です。
結局のところ、数理モデルで成功できるかどうかは、生まれつきの能力、経験、訓練、献身など、さまざまな要因に左右される。記憶力の良さは確かに役立ちますが、それがこの分野での成功を決定する唯一の、あるいは最も重要な要素ではありません。
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経済に焦点を当てて社会を憂うと、「この数十年間、日本経済は衰退してきた。様々な新技術や規制緩和によって、ある程度の物質的・時間的リソースを得たはずなのに、それらをただ無駄にしてきた。日本の偉い人たちは無能だ」という話になりがちだ。
でも、私はこれに必ずしも同意しない。
私は、日本はリソースを治安や安全に注ぎ込んできたのだと思う。(中抜きによってリソースが目減りしているというのは由々しき問題だが今回は扱わない)
「マジョリティの日常生活において、事件や事故が起きず、おおむね便利で安全な暮らしができるようにする」という方向に日本は特化してきたし、それはまあまあ成功してきた。
それでも事件が起きているし、不安があると言うことはできるが、ある程度の広さの国土全体を、地域差を抑えて安定した治安で保っていることは人類トップレベルであり、今の人類ができる限界に近い成果だろう。
理想をどうのこうのと言ったところで現実にリソースは限られており、それを短期的な治安上昇に注ぎ込めば、他がおろそかになってしまうのは仕方がない。
ここで「短期的な」と言ったのは、今後は経済の衰退していくにつれて日本の治安が悪化していくだろう、という指摘に同意するからである。
今日明日の清潔、安全、安心を選んだために、将来はその安全すらも失っていくことは予想されている。
だいたい、極論すれば安全を追求したければ熱的死したような動きのない社会にすればいいわけで、過剰な安全志向というのはリソース分配の問題を除いても経済や社会の活性化と相反しやすいのである。(念のため言っておくが、ある程度までの治安向上や安心感は活性化に繋がる。一定以上を求めると、平穏という名の不活性に繋がってしまうという話だ)
だが人々は、今日明日の治安の悪さ、今日明日の苦痛の甘受、献身や奉仕的姿勢の推奨などを受け入れられない。
自分や身内が傷ついても仕方ないかで済ませたり、やりたくないストレスを受けることを我慢したり、それをヨシとするなんて嫌だ。
「個人は尊重すべきであり、自由意志でやることを選び、やりたくないことはやらない方がよく、命は大切にすべきで、社会のために個人が何かを捧げよというのは時代の逆行であり、悪しき全体主義に繋がるしゆくゆくはファシズムや戦争への動員になるのだ、第二次世界大戦の教訓を忘れたのか」――と言われれば、社会的地位(≒発言力)のある人ほど抗弁しづらいだろう。
或いは、「苦痛や死傷やストレスを甘受する必要があると主張するなら、お前たやお前の家族から身を捧げてからにしろよ」というのも有効だ。
でも、しかし、だからといって、短期的な治安にリソースを注ぎすぎることで、中長期的には社会の持続性がなくなるし、治安すら失うのだということは変えられない。そこからはがんばって目をそらしている。
日本のかじ取りはどうすべきだ、日本の国民はどう考えるべきだ、みたいな提案は特にない。
だが、日本はこの数十年のリソースを社会や経済の猥雑な活性化ではなくて、平穏で治安が良くて安全で清潔で不快なものと関わらずに済む静謐化に注いできたんだから、数十年が魔法のようにどこかに消えたというわけじゃないよね、って指摘はしておきたい。