はてなキーワード: 娘と私とは
35歳二人の子持ち専業主婦。これを書くのには勇気が言ったが、誰かの心の支えになるという確信があるので書く。
息子は中2、ASDで娘は高校2年の健常者。夫は確定診断はないが自閉症スペクトラムの気質持ちだと思う。
これを書こうと思った動機は「吐き気で苦しんでいる母にASDの息子がダイの大冒険がどうのと声をかけてきた」というツイートを見て、その日ずっと涙が止まらなかったからだ。ツイート主の苦しみが目から血を流して死んでしまいたいくらいのものだということが心の底からわかる
それでも案外母の気持ちに寄り添う引用リプが多かったのには救われた気分だった。私の母の時代だったらこうはいなかっただろう。
はっきり言うけど、オスの障害者は家父長制維持のための部品だ。それを産んだ時点で母親は原罪を背負われる。そして産んだものに対する無償で魂が擦り切れるほどの献身が当然のごとく要求される。
それに対して女がほんの僅かでも苦しみを吐露したら「鬼」「お前が産んだのが悪い」と罵られる。私が自殺するときが来たら巻き添えにして殺すのは義母だろう。
障害者のオスはそうやって女を無限地獄のケア労働に縛り付けるための「重し」として機能することを15年の育児で骨の髄までわからされた。
夫のように多少頭の回る障害者もっとストレートに憎しみの対象だ。彼らは女に心身ともにたっぷりケアされないと簡単に逆上する。自分が障害を持っているからというコンプレックスを女にぶつけてくるのだ。
(なぜそんな男と結婚したのかという匿名のミソジニストの罵倒が予想されるだろうけど、そういう質問をすること自体が自閉症の弱男的なのだという”ニンゲンの常識”を死ぬまでに身に着けておいてください)
今の私にとって支えとなるのは娘。娘がいるおかげで正気を保ってる。人の感情が読めない夫とその遺伝子を濃く受け継いだ息子を育てる苦しみに耳を傾けてくれる第一の存在が彼女だ。娘と私はたぶんフェミニストだし、教育の程度はいいからリベラルな価値観を共有していると思う。
障害という錦の御旗を通してなお卑劣に女を抑圧するこの男性社会のサバイバーとしてお互い生きてきた絆が娘と私の間にある。
去年の秋、娘がボロボロに泣き腫らして帰ってきた。冷静な彼女なので一体何をされたのかと気が動転したが、聞くと歴史の授業で「第二次大戦中のドイツ政権」※にたいして肯定的な意見をいったところ、教師に吊るし上げられ「あなたどういう親に育てられたの」と大声で指弾されたらしい。
娘をリンチした馬鹿教師は私が色んな仲間にかけあって教育委員会にまで上げて飛ばしたけど、あのことがあってから娘と私は「昔のドイツ政権」がした女性を解放する政策について時々話すようになってる
そして今の世界情勢を見て、私はあの時のドイツはある部分では正しかったと私には思えてならないし、私の家族たちのような人間に関わる別の政策についても、絶対悪と呼べるような時代は終わりつつあると感じている
フェミニズムの観点からの「第二次大戦中のドイツ政権」の再評価が必要だと本気で思ってる。
私は結構色々な運動に首を突っ込んでいるし、障害を持った人間を育てるフェミニストの仲間といえる方とも出会っているから、少しずつこうした話を広めていけると信じてる。
残酷だけど、命は至上の価値じゃない。ましてや本来なら尊厳ある生を歩めたはずの女性の足かせになることが、劣った器質を持っているからというだけで正当化されていいわけがない。
※補足します。私が第二次大戦中のドイツ政権に対して一般的によく知られた政党名を使わないのは、そうやって悪の権化であるイメージがついた名前を使うことで女性が非道な悪人の濡れ衣を着せられ偽善的な左翼男性のミソジニーに利用されるだけということをよくわかってるからです。
・私のことをある呼称で呼びラベリングして鬼の首を取ったかのように誹謗する自閉傾向を持つミソジニー持ちがここにはたくさんいるでしょう。私がそれでもこれを言うのをやめないのは、もはや男性が人権や政治的正しさやあまりにも覆しずらい歴史的評価の重みという圧力をもってしても虐げられた女性の声を封殺することはできないと信じているからです。私は息子に手をかけません。世界はいずれそういう女性たちにもっと敬意を払うべきと認識するでしょう
真偽の程は定かでない。
しかし実際に自分の子どもの身に起こったとしたら、あなたならどう対処するか?
息子が給食のカレーをこぼして女の子の服にかけてしまった。帰りが遅いので学校に行ったら必死で洗っていたとのこと。泣きながらママごめんと。先生と相手の親に許可を取り持ち帰って色々な方法を試みたけど取れない。
担任の先生も一緒に洗ってくれたそうですが、何らかの理由で途中から男の子1人になり、そこに自分(男の子ママ)が迎えに行ったのだと思うとのことです。
驚きの返事
「私(母)は別にいいと思うけど、やられたのは娘。娘には普段から『例え謝られても許せないことは許さなくていいよ』と教えてる。許しは強制されるものじゃない。〇〇君には娘に誠心誠意謝って許してもらえるように頑張ってと伝えてね』
そこから3ヶ月。未だに許してもらえず事あるごとにみんなの前で
「〇〇はほんとだめ。カレーとかやらかすから😆」とネタにされる。
周りの子まで真似し出しさすがに度を越しているのでやめて欲しいと相手の母に伝える。
「始まりは〇〇君だから仕方ないよね。娘は被害者。言われたくなければさっさと娘に赦して貰えば良いのよ。ここからが本番。お手並み拝見ね」
受け取り方によって言葉がこうも変わってしまうのかと本当に残念。それから相手の謝意を弄ぶな。許せなくてもいいから「わかりました」で気持は受け取ってよ
女の子も母親も私含め周りに言われたことに対して本気で「?」って顔をするんです。
「なんで被害者を責めるの?やられた方だよ?未成年が罪を犯した時に報道で被害者ばかり映すのと同じ。加害者は責められずに刑期が終われば終了。私はそれはおかしいと思う。そんなの全然反省してることにならない
私(母)を言いくるめようとしてもダメ。娘と私は別の人間だから。母子分離できてない親子と一緒にしないでほしい。
どうしたら謝罪の言葉が娘に届くか親子でよく考えたら良い。そもそもやらなきゃ良かった話。やってしまった以上仕方ない。ここからよく学んで成長していって欲しい。
「おばあちゃんにお誕生日のプレゼントに買ってもらった大切な服だからそれ以外はイヤ!」とはねつけられてしまったそうです。そしてそれは娘の意見だから尊重しなきゃね、と女の子のママ。
そんな事言われてもどうやって教えたらいいんだ。
私は一応碁が打てるんだが(囲碁クエストの9路でレーティング1400~1500台を行きつ戻りつしている。)、打てるといってもパソコンやスマホのアプリなどでしかやったことがなくて、リアルの碁石や碁盤は持っていないし触った事すらない。なのでまずは囲碁セットを購入する事から始めないといけないのか。
碁盤のアプリで教えるのは子供にはわかりづらくて厳しいと感じる。将棋を教えた時も本物の将棋セットで教えた。
将棋を教えるのは案外簡単だった。将棋は駒の役割とルールがはっきりしているからだ。娘は駒の動きを頭に入れて、基本的なルールを覚えただけで、あとは勝手にめきめきと強くなっていった。
しかし囲碁はどうだ。基本ルールはとてもシンプルなのに、自由度が高いが故に大人が見ても訳のわからないこのゲーム。子供に教えるなんて大変過ぎるだろうと、やってみる前から私は挫けている。
子供向けの教本を見ながらやっていきたいところだけれど、将棋を教えた時、教本を出した途端に娘の目が死んだ魚の目みたいになったのを思えば、それはきっと無理だ。
棋譜並べ、やりたくなーい。
詰め将棋、やりたくなーい。
と将棋を教わった時に言い張っていた娘である。思えば娘は教わっていたというより、ルール説明だけを受けてあとは好きなようにやっているだけだった。
囲碁も基本ルールだけ覚えさせてあとはほっとけばいいのだろうか?あとは「銀星囲碁」にでもお委せする事にして。挫折したらそれはそれで別にいいかな、みたいな。
ところで、先日地域の文化祭てきな催しがあって、そこで地元の将棋クラブが教室を開いていたので、娘を連れていった。
将棋教室といっても、いきなり娘と私とで指させられて、それをクラブの人達が取り囲んで観戦し、軽く感想を言ったり指導したり、というものだった。特に上達の助けになるというほどでもない。しかし収穫はあった。
教室には娘と同い年の女の子が来ており、それが娘には大変良い刺激になった様だ。初めて一緒に将棋を指せるおともだちが出来る予感で娘はわくわくしている(ただし、その女の子自身は家族ぐるみでガチで将棋をやっている子なので、あまり将棋で「遊ぶ」というテンションではないのだが)。
そして、将棋クラブの人が、毎週開かれている将棋教室の場所と日時を教えてくれた。私の住んでいる市には将棋教室は一つもないものとばかり思っていたが、ネットや広告等で宣伝していないだけでずっと存在していたらしい。次回の教室を見学させて貰える事になった。
娘の前にはこうして新たな世界が開かれようとしている。
娘はもうすぐ17歳になります。
そもそもの原因は、このバカ娘が部屋を片付けない、これに尽きるのです。
私はきれい好き、異常なほどのきれい好きではなく、ごく普通のです。
まず床が見えない。ドアを開けたら足を踏み入れる場がないのです。
何十という服が団子状態で床にころがったまま、
洋服ダンスの引き出しは、服がだらしなくはみ出して全て開けっ放し、
使用済みのティッシュが床に散乱、ベッド下は食べ残しの食べ物((お菓子はもちろん、
ケンタッキーフライドチキンの骨とか腐ったサンドイッチ、果物とかもあったりします)
靴下、アクセサリー、紙切れ等挙げたらキリがありません。
引き出しの中に汚れた下着、使用済みの生理ナプキン(汚すぎてスミマセン)を見つけた時には閉口しました。
飼ってる犬が何やら口にくわえて嬉しそうに出てきました、まさかの使用済みパンティライナー...
部屋を片付けろ!のバトルが始まって6年ぐらいが経ちますが、その時は一応片付けます。
でも翌日には元通りです。
もうあまりウルサく言うのは止めようと思い、ここ何年かは1ヶ月ぐらい放っておきます。
でもたまたま娘に用があって部屋を覗くと、つい怒ってしまうの繰り返し。
これが娘を嫌いな原因ですが、それに加えて娘は13歳の頃から部屋にこもりっきり、
ごはんの時しか顔を合わせない、週末は友達や彼氏と映画に行ったり買い物に出かけたり、
それは別にいいのです。この年頃で親にくっついてる方が心配です。
が、部屋を片付けない、話しかけてくる時はお金が欲しいときだけ、
ほとんど家にいないことでだんだん娘への愛情が無くなったような気がするのです。
たまに食卓で娘と私の2人きりになる時があったりすると、その場にいたくありません。
家の中ですれ違っても目も合わせたくありません。口をききたくありません。
旦那は部屋が散れてようと、別に何とも思わないみたいです。(旦那も片付けない人)
だから娘に特別怒る事もない、だからでしょうか、食卓で娘が相手を特定せずに話する時は
旦那の顔を見て話します。あちらも私を嫌ってるということなんでしょうね。
でも嫌っている反面、今日は娘の好きなお寿司を作ろうとか、お腹すかせて帰ってくるから
アップルパイ作っといてあげようとかもあるんです。
これって、嫌いではあるけれど愛してはいるってことなんでしょうか?
娘が大きくなったら友達みたいな関係になりたいと夢見ていました。
自分の娘を嫌いとは、なんて悲しいくてショックなことでしょう。
こんな私は異常ですか?
ちなみに息子2人もいます。14歳と10歳です。
下はまだ小学生でかわいいですし、上の子は思春期に入ってますが、
部屋は娘のと比べれば宮殿のようですし、娘と違ってよく話しかけてくるし、
いっしょにゲームをやりたがったり、皿洗い手伝おうか?とかもあって大好きです。
これから私は娘にどのように接していけばよいのでしょう?
部屋のことにガマンして目をつむって怒らないようにすれば元に戻るでしょうか?