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2024-11-17

anond:20241115195932

追記3まで読んで、本意が分かった。頑張ってきたね。応援してるよ。

書類上、彼氏との調整が必要になる時が来るかもしれないけど、そん時はそん時に考えればいいよ。事情説明すれば、多分相手も腹括る内容だよ、増田人生

あとは出産直後は1ヶ月は体しんどくなる。そんな中で1人で深夜構わず3時間ごとに新生児の面倒見るのは死ぬほどしんどいから、体力つけるなり味方増やすなり準備はしときなよ。育児情報はそこら中にある。味方はとても少ないけどね。

2024-11-09

anond:20241109130717

女性10妊娠については、

臓器の発達 臓器の発達が不十分なため、妊娠高血圧症や常位胎盤早期剥離などのリスクがある

子宮骨盤 10代では子宮骨盤が十分に成長していないため、妊娠出産自体が大きなリスクを伴う

ホルモンバランス 20代以降の妊娠に比べ、ホルモンバランス不安定で、体調や精神面の管理も難しい

出産後のリスク 重症感染症産後うつ病になるリスク高まる可能性がある

新生児へのリスク 低出生体重児や早産児が生まれ確率高まるほか、新生児死亡も増える

などの様々なリスクがあり、病院でも35歳以上初産や経産婦の40歳以上妊娠などと同様にハイリスク群として特別扱いされるけど、

男性が早期に父親になることについては何のリスクも報告されていないんだよね…。

35歳以上になると精子発達障害の原因になりやすいという、高齢精子デメリットしか報告されてない。

anond:20241109114015

正直カネには困ってないか税金使われることへの怒りはないんだけど、子供相手するのが個人的に本当に消耗して心底苦手だから「苦労して育てられた子供あんなに雑に終わらされていく」がニュース見るだけで圧倒される

親戚の子供も中学生くらいになると会話できるようになるけど、新生児~小2くらいの相手がどうしようもなくきっつい、マジで無理

昔と違って子供一人育て上げるのが本当に大変だから

手間もお金も本当にかかるものだと分かっているからさあ

バイト一発で数日で人生終わらされていく様子を見てると本当にやりきれなくなるんだよね

ホワイト案件」に引っかかるのがバカだってのも分かるんだよ

でもバカを成人まで育てるのにも相当な金と労力がかかっているんだよね…

新生児の世話って本当に大変だし思春期にも荒れるし…

どれだけ手間かけて育てても社会が良い雇用提供してくれないかもしれない、子供怠惰に育って「簡単高収入案件」の闇バイトに釣られて強盗殺人するかもしれない、その可能性をゼロにすることはどんなに頑張ったって無理なことが本当にやりきれないわ

毒親ブームが起きて子供の辛さのすべての原因を親に求める流れがあったけど、虐待モラハラのような明らかな子供への攻撃はまだしも、「子供が嫌な気持ちを感じたか毒親」は行き過ぎてるし

2024-11-08

少子化問題とかアホだよな、少子高齢化問題なのに。今更増やしても遅いだろ馬鹿なの?

新生児社会に出るまで20年かかるけど

既に移民を受け入れる以外の選択肢しかないけど、なんで誰も認めないの?馬鹿から

大体地球規模で見たら人口増えすぎなんだが、これ以上増やしてどうすんの?頭悪い?

2024-11-05

新生児を見て可愛いと思ったことがない

だって、人なのか猿なのかも分からない見た目じゃん どこが可愛いのか全然からない

赤子を見たら可愛いというのが世間一般ルールらしいので一応そう言うことにはしてるけど 棒読みかもしれない 

1、2歳の頃もまだ可愛くない ただ危なっかしいだけの生き物 3歳くらいでお喋りも遊びも一人前になってくると「たしか可愛いな」と思う

子供がいないからかなと思うけど

なぜみんな、あのフヤフヤとした首も座っていなければ焦点も合わない謎な感じの生き物を可愛いと思えるのだろうか よく分からん Twitterで見る猫の赤ちゃんなら、ほぼ生まれたてでも可愛い!て思えるのに

2024-10-26

なぜ陣痛を使って産むという発想がないのか

最近無痛分娩流行ってるから、無痛を選ぶ人多いけども

どうしても、事情があって、無痛をすることができなくて自然分娩になってしまって

「あぁ、どうしよう」って妊婦不安になるのはわかるけども

自然分娩をすることで、無痛分娩するリスク回避できたんだから

ある意味ラッキーなんだよね

無痛を選んだがために、感覚が鈍くなって上手く息めなくて

子供障害児になったり

無痛分娩を選んだがために吸引分娩になって、何度も吸引して子供が血まみれになってしまったり

無痛分娩を選んだ母親全てが幸せ出産をしているわけではない

妊娠中は順調でも、出産ときちょっとした出来事のせいで子供障害児になることがあるんだけど

そのちょっとした出来事の原因が無痛分娩だとしたら

母親自分選択を悔やんでも悔やみきれないよね

私は自然分娩を選んだけども、つらい思いをしても無事に子供を産めたから、陣痛を味わった価値はあったなと思ってる

自分の体がどんなにボロボロになろうと、最終的に治って健康体に戻れたらそれでよし

無痛分娩だと体力温存できるよって人は言うけど、自然分娩でも夜間赤ちゃん新生児室で預かってくれる病院なら体力温存できます

スパルタ病院で、出産した翌日からほとんどの時間母親赤ちゃんの二人で過ごさせる病院なら体力温存できません。だってお母さんがゆっくり寝れないから。

2024-10-17

ヨッピー育児本について

自分はめちゃ良かったでー。

批判してた人とかそれに対してヨッピーが応答してたことに対しては、外野の「そんなに強く否定しないであげてよー!」って反応が何かめんどくさそうだったので、ほぼ読んでない。

けど、さすがに内容に対してゴミみたいな反応ばかりなのは可哀想と思ったので、ノンアルビール飲みながら感想を書いていくよー。

正直電子書籍で買うから1000円くらいにしてやーとも思ったけど普通に新刊本として妥当価格ではあると思う。

内容は主に、テクノロジーとか外部サービス育児負担をなるべく軽くしようというもので、洋服が好きな自分としてはそんなミニマリストみたいなライフハック無理やーと思いつつリンサークリーナー買った方がいいとか自分が知らなかったことも書いてあったので普通にためになった。

それと、もちろんヨッピー自分の本だけで育児の悩みが全て解決するとは思ってないので育児本3冊くらいは事前に読んどけよと書いる。

普段から育児についてネットで読み漁ってる人には多少物足りないのかもしれないけど、押し付けがましくこのベビーカーを買え!とか書かずに、スマホ格安プランに入れ!とか書いてるのがヨッピーっぽくて面白いなと思いました。あと、文中からサウナ脳なのが伝わってくるのに疲れたサウナに入れ!って押し付けてこないのも面白かった。

以下余談、

育児書を数冊読んで思ったのは、お医者さんでも子供の発達に関しては分かってないことが多いってこと。

新生児科医・小児科ふらい先生子育て「これってほんと?」答えます

って言う本が読んでて面白くておすすめだけど、これでも育児の悩みなんて解決しないよ!って人の方が多いと思う。

専門家っぽい人が育て方について書いた本ってAmazonでめちゃくちゃ売れてたとしても、主観経験則(母数不明)によって適当に書かれてることがまじで多いので「はいはいせずに歩かせると上半身の力が育たないから歩き出してもたくさんはいはいさせろ!あと、上半身を鍛えるために室内用のジャングルジムを買え!」とかなんの根拠もなく書かれてたりして、当たり前のように先ほど挙げた本の中で否定されてたりする。

鼻くそほじりながら読む程度の価値しかないものが多い中で、ヨッピーが本の中で紹介してたモンテッソーリ教育の本とか普通に当たりの本で助かったでー。

最後の方に書かれてた子供が生まれからの心境の変化についても良かった。人の子の親になったヨッピーからメッセージお酒入ってたら泣いちゃってたと思う。

だらだら書いたけど、これから子供産む人とか産んで半年も経ってない人には読んでほしいと思った。

タイムマシンがあったら、ヨッピーふらい先生、真船佳奈の本(漫画」は過去自分に読ませたい。

子どもが生まれるせいで転職できない。日本死ね

転職を決意して辞表を提出したあとに、妻の妊娠が発覚した。

半年ほど妊活していたが、このタイミングで来るとは思わなかった。

転職前の企業じゃ子育てできるほどの賃金の余裕はないし、かといって転職を待っていたら、精子卵子かどっちかがダメになってしまうと思って並行して進めたのがマズかった。

いくつかカジュアル面談はしてみたのだけど、どこも1年未満は育休取らせないための労使協定が組まれてる。

育休取得妨害違法になったとはなんだったのか。こんなん片手落ちじゃん。

育休しないという選択肢はない。

妻にばかり負担をかけたくないし、なにより新生児に夜中叩き起こされた状態で、昼間まともなパフォーマンスが出るとも思えない。

それにケチくさい条件を出してる経営者の下で働きたくない。奴隷じゃないんだから


どうやら日本ではキャリア子どもどっちか諦めないといけないらしい。

せーのっ、

日本死ね

2024-10-15

夫婦関係は結局、夜の営み次第

夫婦関係には夜の営みが大事だと思いはじめた話。

今、未婚の人は、結婚する際は夜の相性か趣味の一致を真剣に気にした方が良いというアドバイスになるだろう体験

そして、既婚の人からは何か助言が欲しい。

自分たち場合、7、8年くらい交際して結婚した。

いまは結婚5年目の30代夫婦

結婚たころにはもうレス気味だった。

こちらは向こうに性的な魅力を大して感じてないから誘わないし、向こうも大して誘ってはこない。

ただ、それでお互い大きな不満はなかったのだと思う。

少なくともこちらに不満は無かった。


結婚後、妊活期間があった。

そして子供に恵まれた。

妊活のために一時的レスは解消されたが、妊娠を機にまた止めておこうとなった。

そして、出産以降は女性身体は大きな負担がかかった後だし、なにより新生児育児が大変で、こちらもそんな気持ちにはならなかった。

そうして、またレスに戻った。

子供が生まれると、仕事家事育児に追われるようになった。

乳幼児がいると家事が数倍に増えるが、子供相手をしながらになるので、能率は急激に低下する。

1人暮らし比較すると、家事は3倍程度に増えるが、能率が半分以下になる感じか。

そして、10kgを超える子供の抱っこやおんぶのせいで、肩こり腰痛をかかえることになる。

夜も子供が泣いたり、寝返りで顔や腹を蹴られたりして、十分に休めない。

土日が休める訳でもない。

昔は一緒にテレビYoutubeを見たりして、それを和気あいあいと話したりしてたが、そんな時間も無くなる。

時間もないが、それ以上に夜は早々に子供が寝るので、出来る限り夫婦で静かに過ごすようになる。

すると、夫婦の会話は子供の成長か、互いの家事の至らなさの指摘ばかりになる。

自分たちフルタイム共働きなので、互いに家事を分担するから、互いに不満がある。

仕事が終わるのがこちらの方が早く、家事育児負担こちらが多い。8:2くらいだ。

せめて、共通趣味でもあれば違ったのだろうが、うちはそういう夫婦ではない。

まり、俺たち夫婦は、特に一緒に何かをすることもないし、話すこともない。

家事育児関連で溜まった押し付け合いで、喧嘩だけは随時勃発する。

すると、時間を経るごとに夫婦関係が冷めていくのが分かる。

ふと、「もし夜の営みを維持してたら、もう少し違ったのか?」という考えがよぎった。

ただ、自分別に相手とヤりたい訳ではないし、夜の営み一度で夫婦関係改善する根拠もない。

互いに忙しいし、ムード関係なく無理やり誘うことになると思う。

そこまでして、誘う気になれない。

から夜の相性が良い夫婦は良いなと羨ましく思う。

結局、男女関係にとって、夜の営みは切っても切れないものじゃないかと思いはじめた。

このままだと、二人とも不幸になる気がしているし、何より子供のためにも良くないように思っている。

先人たちはどうやって夫婦関係を維持しているんだ?

良好とまではいかずとも、悪くない夫婦関係にしたい。

何か良いコツや知恵があれば教えてほしい。

2024-10-14

ガチャという言葉が明確に間違いなのは子供は単なる両親の遺伝子の混成コピーに他ならず、そこに偶然が介在する余地存在しないからだよ。

親が優秀ならば優秀に、そうでないならばそれなりに、障害者ならば障害者に、反社ならば反社に。そこにある程度の幅はあるにしても、極めて狭い範囲内での推移に過ぎない。

一部の人達の間で、障害児なんて滅多に産まれて来ないという楽観論が見受けられるが、違うからね?発達障害の子供の割合だけでも10分の1と、実にありふれた存在です。

しかも親に障害があればその障害子供に受け継がれる可能性は格段に上がるし、

中でも発達障害に関しては認定されるハードルが年々下がっているので、両親のどちらかがグレーゾーンならば子供はまず間違いなく発達障害認定を受けるだろう。

ごくごく稀な例外として、病院における新生児の取り違え事例という例外もあるにはあるけれど、この場合にも実の子は全く異なる環境で育ったにも関わらず、きちんと実の両親の遺伝子を受け継いでそっくりに成長したらしいからなぁ…。

2024-10-13

anond:20241009134633

キモチはわかる

今の日本社会保障制度障害者に冷たいからね。

産んだ親が悪い自分責任取れって制度設計になってる

 

障害者を「大当たり」にすりゃいいのにね。

両親は仕事辞めて子どもケアだけしてりゃ悠々自適で暮らせる金を国が渡す

 

結局、民間でもそのような保険は無い

検討したことはあるだろうが採算が取れないと判断したのだろう

 

それを個人、親にすべて責任おっかぶせてる社会制度なんだから矛盾が起きる

出生率は下がるわ

まともな計算ができる人なら子どもなんて作れんよ

 

ちなみに、新生児先天的障害を抱えて生まれてくる確率はおよそ4%

2024-10-08

anond:20241008120339

まれてる方だけどそれだけに追い落とされるリスクあるポジションやね

増田子育て選んでキャリア諦めた誰かの代わりにあてはめられたのかもしれないし

両取りはまあ、無理よ

両方とも持ってない人間多数派からこそ、日本はあっという間に新生児70万人に突入したんだから

2024-10-01

子どもを無事に産めなかった

二人目か犬かの答えが出ない ※追記あり

 これを書いてから1年後。

 奇跡的に二人目を授かり、結果的に亡くした。

 妊娠が分かったのは1月の半ば。生理が遅れて、検査薬を試した。まさか自然妊娠だった。元々卵巣機能が低く、第一子は不妊治療を経て出産し、その後いくつかのことを試したが結局授かることはなく。家族3人で楽しくやっていけばいいと完全に諦めていた矢先、妊娠したことが分かった。

 最初夫婦ともに戸惑った。子どもはもう5歳になって、生活に随分余裕ができた。夜は寝るし、言葉を話せて、気軽に旅行にも行ける。経済的にも子どもひとりなら安心して程良い生活ができる。そう高を括っていたところに0歳の存在が加わると。思い出される、寝ない、食べない、忍耐の日々。兄弟を望んだこともあったが、もはや5歳と0歳は多分一緒に遊ばない。仕事責任のある立場になって、引き継ぎや調整にかかる労力は計り知れず、正直マジかという気持ちになった。

 そもそもこれまでどんなに頑張っても妊娠しなかったポンコツ身体にぽっと出の命が宿ったとして、うまくいきっこないはずだ。最初はどうせ化学流産子宮妊娠関の山だと思い込んだ。そうでないと、自然に授かれた喜びが爆発してしまいそうだったから。今さらマジかと思う一方、もう一度この手に赤ちゃんを抱けるかもしれないことが、子どもに弟か妹を産んであげられるかもしれないことが、本当は嬉しくて嬉しくて仕方なかった。

 初期の検診は毎回、あまり期待せずに通った。子宮内に胆嚢が確認できたときリングのような卵黄嚢がくっきりと美しく見えた時、力強い心拍の音が病室に響き渡った時。涙が出るほど嬉しかった。期待しないように、期待しないようにと言いながら、毎朝毎朝、アプリで週数日数ごとの胎児の様子を丁寧に読んだ。第二子で、次の検診までがあっという間だとか、うっかり存在を忘れるとか、そんな瞬間は一度もなかった。ずっとずっと心配だったし、いつも赤ちゃんのことを考えていた。

 私の心配をよそに、赤ちゃんはすくすくと大きくなった。検診の度に週数以上の大きさで、何の異常もなく、胎動も痛いくらい力強くて。深夜に目が醒めて、お腹に少し合図すると、もこもこと蹴り返してくる存在が何よりも愛おしかった。どんどんお腹が大きくなって、腰が痛くて、苦しくて、上の子に優しくできずイライラしたり落ち込んだ日もあったけど、元気な胎動を感じながら過ごす毎日は満ち足りていて幸せで、幸せで仕方なかった。

 7月、何とか仕事をやりきって、気持ちよく産休に入った。体質的に上の子は早産だったから、もしかしたら近日中に産まれしまうかもなとは思った。検診では何も問題なかったが、体感的にそれくらい身体限界で、8月を乗り越えられる気がしなかった。早産はいつも不安だったけど、28週を過ぎたあたりで、もう大丈夫だと思った。かかりつけは家から近く、NICUのある大学病院で、例え早産になったとしても何の問題もないはずだった。

 その日。

 前日も当日も暑くて外出はできず、家でゆったりと過ごした。夜になり、脇腹辺りに痛みを感じた。陣痛のように収縮するような波のある痛みではなくて、何かズキズキした痛み。食あたりを疑いつつ、どんどん増してくる痛みに違和感を覚えすぐに病院へ向かった。深夜の救急外来で、すぐにエコーを当てられたけど、いつもなら聞こえるはずの力強い心拍音がいつまで経っても聞こえない。ドッドッドッとうるさいくらいのあの音が。死ぬまでずっと覚えていたいと思った音がいくら探しても聞こえなかった。

 腹痛を感じてから約45分、病院到着から約15分で帝王切開が始まった。にも関わらず、全身麻酔から目が覚めたとき赤ちゃんは生きていなかった。診断名は子宮破裂、常位胎盤早期剥離、胎児機能不全、子宮筋腫核出後、子宮内膜症性嚢胞合併。要は子宮が15cm裂けていて、そこから胎盤が脱落し、赤ちゃんは仮死状態で生まれものの、蘇生に反応しなかった。

 産まれた姿は大きくて、体重が1950gもあった。まだ体毛がたくさんあって、眉毛が立派だったけど、私と、上の子が産まれときそっくりだった。手足はむっちりと太く、小さな指もそれぞれ5本ずつしっかりあった。小さなお口が三角形に開いていて、かわいくてかわいくてしかたなかった。目が開いたら、どんなお顔だったんだろう。どんな声で泣いたんだろう。何が好きで、何が嫌いだったんだろう。もう冷たくて、ところどころ固まって、点滴や機械の痕が痣になって痛々しくても、かわいくて愛おしくて悲しくて、泣きながら何度も何度も名前を呼んだ。

 どんなに寝なくても、食べなくても、元気に生まれてくれたらそれでよかった。ふにゃふにゃの体で、息をして、目が合うだけで、どんなにかわいかっただろう。こんなことなら、1日でも早く、早産になればよかった。子宮が破裂する前に、お腹から出してあげたかった。3日前の検診では何の異常も無かったし、子宮破裂の可能性なんて考えさえしなかった。あかちゃんは私のせいで亡くなった。子宮さえ丈夫だったなら、元気に生まれてきたはずなのに。

 

 手術から1週間後に退院して、夫の運転する車で家に帰った。信号待ちで車が止まると窓の向こうに、大きなお腹で上の子と手をつないで幸せそうに帰り道を歩く自分の姿が、お腹をおさえてふうふうと息をつきながら頑張って坂道をのぼる自分の姿が浮かんで涙が止まらなくなった。家についても、しばらく中に入れなかった。新生児用の抱っこ紐も、ベビーベッドも準備していた。上の子のおさがりも整理して、みんなで楽しみにしていた。名前もたくさん考えて、一番良い字画を選んでつけたのに。自分だけ家に帰ってきてしまたことが悔しくて悲しくて死にたいと思った。ごめんねといくら言っても言い足りなくて、自分に拳を叩きつけながら叫ぶように泣き続けた。

 あれから2ヶ月が経った。納骨はせず、毎日お線香と小さな哺乳瓶でお水を供え、遺骨に話しかけて暮らしている。泣かずに過ごせる日が増えてきた一方で、妊婦さんや小さな赤ちゃんを見かけてはひどく落ち込む日もある。最初の数週間はとにかく出産前に戻りたい、戻りたいと思いながら過ごした。前日でも、当日の朝でも、何とか時間を巻き戻せたなら、先生懇願してすぐにでも帝王切開をしてもらう。赤ちゃんはしばらくNICUで過ごすけど、上の子の時のように、きっと元気に退院できた。

 1ヶ月くらい経つと、この悲しみが死ぬまでずっと続く気がして、妊娠前に戻りたいと思った。そもそもからなくても、私達は十分幸せだったから。子どもは一人と納得していて、他人を妬ましく思う気持ちもなかった。大好きな夫と子どもがいて、決して不幸ではないはずなのに。失ったことが悲しくて、足りないものを嘆き続ける毎日ならば、授かる前に戻りたいと思った。

 そして2ヶ月経った今、子宮破裂について考えることが増えた。子宮破裂は極めて予後が悪いもので、8割の赤ちゃんが亡くなり、例え救命できたとしても、寝たきりとなる可能性が高いそう。私は子どもに一生、経管栄養の寝たきりで意思の疎通が全くできなくても生きていてほしかったとは思わない。もちろん結果的にそうなったなら大事に世話して必死に生かそうとするに違いないけど、それが死よりベターだとも思わないから、唯一そういう意味では今回の結果に納得できる気もしている。

 でもやっぱり、失った未来を想うと悲しくて、もう一度取り戻せないかと思ってしまう。もう一度妊娠できたなら、今度は無事に産むから。亡くなった子と新しく生まれる子を同一視してはいけないとか、そういう話はどうでもいい。ただただ、もう一度授かって、今度こそ元気な赤ちゃんを抱きたい。これはもう、女としての私のエゴだ。止血のために両側の卵管を結紮したから、自然妊娠はできない。また次の妊娠医師から真剣に止められている。本来なら子宮摘出すべきところ、小腸癒着して摘出できず、仕方なく残しているだけです。妊娠しても無事に産める確率は極めて低く、次もまた同じか、それ以上に悪いことが起こります。本当にお母さんと赤ちゃん生命に関わります。そう言われても、じゃあもうきっぱり諦めて、次の子は二度と望みません、とは思えない。

 赤ちゃんとたくさんお散歩がしたかった。上の子絵本読み聞かせる様子を動画に撮りたかった。寝顔を見て、上の子と同じ顔だねと夫と一緒に笑いたかった。泣き声に、イヤイヤ期にうんざりしても、熱が下がらなくて大変でも、くたくたになりながらもう一度家族赤ちゃんを育てたかった。全部、あと少しだった。もう少しだったのに、全部失ってしまった。悔しくて悔しくて、このまま終わることができない。

 何のために授かったのか。どうすれば失わずに済んだのか。

 自分エゴ家族迷惑をかけてでも、もう一度リスク承知子どもを望むか。足るを知り、諦めて日常を受け入れるべきか。

 どんなに答えが決まっていても。

 迷うことをやめられません。

 いつまでも

2024-09-29

anond:20240927222157

まさに今、新生児(3人目)を抱えてる産婦だよ!

わかりやすポイントがまとめられてて良い増田個人的に気になったところ書くね!!

 

 https://support.pigeon.co.jp/notice/microwave/

2024-09-27

産後男性作業マニュアル

子どもが生まれて、奥さんは「全治1か月の事故にあったと思え」と言われつつ、その中で、2-3時間おきの授乳が昼夜問わず必要だったりで、男性側はどうしていったらいいのかな?何か優しさとか精神論とかではなく実効性のある詳細マニュアルみたいなものがあればいいのになと思って過ごした。

ミルク母乳か、男性の育休の有無、赤ちゃん個体差など、変数が多くて、何が正解というのも一概には言えないけど、あくまで一例として、もし生まれる前に戻れるのなら、自分自身マニュアルとして渡すとしたらどんなものになるかな?をまとめてみた、備忘。

恐らく、最初変数は「どこで育てるか?」で、

【A】産んでしばらくは奥さん実家で過ごす場合

家事などは義母さんなどに家事などを外部化でき、負荷軽減につながる。

旦那さん側は一番イージー一人暮らし状態なので自由度が高い。ただ奥さん側の実家新生児対応で大変なので負荷のギャップが大きくなる。

通える範囲であれば週末は泊まりで行くなどして新生児対応に慣れておいた方がよい、実家から帰ってきたときに慣れていない状態になるし、新生児対応の大変さを共有していた方がきっとHappy

【B】産んですぐ夫婦新生児生活になる場合

Aよりは難易度が高い、家事新生児対応をどれだけカバーできるかが重要

子の中で難易度を分ける変数はきっと、①ミルク母乳か?、②男性の休暇がどれだけ取れるか? 夜間対応家事をどれだけ巻き取れるかが重要ポイント、以下は早い段階で旦那さん単体できるようになっておくといいと思った。

重点5業務
おむつを替える
新生児おむつなんて期間限定で余らしても無駄なので、大量に買っておいて練習と思ってこまめに変える、替えたおむつの保管・廃棄などもストレスの元になるので無臭袋など100枚単位で買っておく。このあたりはお金解決
ミルクを作る
液体ミルクもあるが基本は粉で作れるようになっておいたほうがいい。深夜帯できついときは液体ミルクに頼るのもアリ、このあたりもお金解決
ミルクをあげる・げっぷをさせる
げっぷをさせるまでが一連、げっぷなかなか出ないこともあるけど。忍耐。
哺乳瓶を洗う・消毒する
衛生観念のズレは早めに解決しておく、煮沸かミルトンか、煮沸の方が安価だがガス代など考えると結局あまり大差ないかも、手間はミルトンの方が簡単なので、ここもお金解決
寝かしつけ・泣きやまし
赤ちゃん個体差が大きい、寝る子寝ない子、でも結局は寝るまで・泣き止むまで、揺らしたり何たり、昨日効いた方法今日は効かないかも。ただひたすらに忍耐。空腹とオムツ可能性を先に確認してから挑む。ここが奥さん時間を巻き取れるポイントになるのでがんばる。腕とか肩とか痛くなるので、新生児用の抱っこ紐や、スリングなどを買っておくとよい。ここもお金解決
夜間対応難易度

ミルク母乳かで奥さんの負荷レベルが異なる。周囲の意見奥さんの体調・ポリシーなどあるのでそこを優先しつつ、仮に完全母乳としても一部ミルクで補うなどできると負荷軽減につながる。

どうしても睡眠不足になるが、奥さんがひたすら睡眠不足になるか、夫婦ともに睡眠不足になるかの違いでしかないので、少しでも奥さん睡眠時間確保に尽力する方がきっとHappy、でも2人とも倒れたら元も子もないので、そこだけは注意。

B-1】完全母乳
奥さんの負荷大、授乳タスクを巻き取れない。夜間帯で巻き取れるタスクは、授乳後のげっぷ→寝かしつけと、夜泣きの泣きやまし。
【B-2】母乳ミルク混合
奥さんの負荷中、深夜帯の授乳1回をミルクで許容できるのであれば、そこは男性対応にしてシフト制が組める。3時間おきとして中1回を男性対応にすると、奥さんは6時間休養できる。夜間帯で巻き取れるタスクは、深夜帯1回のミルク→寝かしつけ、夜泣きの泣きやまし
【B-3】完全ミルク
一番負荷分散やすい、奥さんシフトを組んで対応可能。夜間帯で巻き取れるタスクは、担当回のミルク→寝かしつけ、夜泣きの泣きやまし
日中家事

これは旦那さん側の育休取れるかどうか、生まれる直前でなく半年前くらいから調整しておくとよかったと後悔。取れるなら3食、掃除洗濯など頑張る、取れないなら、家事代行でも冷食でもお金で負荷軽減できるのであれば、お金解決

などなど、上記けがすべてじゃないし、N=1のサンプルだし、奥さん側や有識者から見たらあんぽんたんなこと言っているかもだし、きっと「うちは違うそうじゃない」があるかもだけど、前向きなナレッジが溜まっていくと嬉しいな。

2024-09-17

anond:20240917144927

覚悟を決めて子づくりをしても、生まれたあとは後悔の連続ミルクをあげながら、新生児の鼻と口にサランラップを落としたらどうなるだろう。って毎日考えてた。子供もそうだけど、その彼女と一生暮らす覚悟がある? 覚悟がないなら、はやめに決断したほうがよい。中絶薬(メフィーゴ)は妊娠9週目が期限だよ。

2024-09-08

anond:20240908030207

ガチャを無くして公平にするために国が新生児をすべて回収して全員平等に育てればいいよ

2024-09-06

anond:20240906070626

うちの子最初の1ヶ月半くらい母乳ぜんぜん飲まなかった。

小さく生まれた(ぎりぎり2500g以下)こともあり、上手に母乳を飲めなかった。

母乳育児最初が肝心と聞いて、入院中は産後ホルモンで一睡もできないなか、ずっと母子同室で頑張ったが、乳首をなかなか吸ってくれない。

助産師さんには「吸いやすそうな乳首してるんだけどねぇ」と言われた(産後乳首は吸いやすいか吸いやすくないか評価される!)が、乳首がそこにあるのに乳首を探して左右に顔を振って泣く我が子を見ると悲しくて泣けてくる。

退院前に退院指導と言ってその日退院するお母さんたちが集められて一斉に授乳するのだが、他のお母さんが「母乳たくさん出てるからミルクさなくていいよ」などと言われる中、自分一人が乳首を咥えてもらうというスタート地点にも立てず一人みじめな思いをした。

乳頭保護器という付け乳首みたいなものをつけながら哺乳させる方法を教えてもらい、あとは搾乳で乳量を増やすという指導を受けて(もちろんミルクも追加で飲ませる)、一週間後に母乳指導で様子を見ますので、と追試をくらいつつも退院した。

乳頭保護器を使うと乳首が長くて飲みやすいのか、直で吸うよりは吸ってくれたが、吸わせるのは5分が限界だった。

搾乳は手動だと握力が死ぬので電動搾乳機のを買ったが、一度使うごとに分解洗浄の必要があり、乳頭保護器や哺乳瓶もあわせると洗い物と消毒が無限に発生した。

新生児は3時間ごとに目を覚まして授乳する必要があるというが、我が子は新生児からまとめて寝るタイプだったので、授乳間隔が5時間ほど開くことがあり、ラッキー!と思っていたら、1週間後の母乳指導で「授乳回数が少ない!1ヶ月までは寝てても起こして3時間ごとに授乳させてください!」と叱られ、このとき産後メンタルあいまってガチ泣きしてしまった。

深夜に赤ちゃんをわざわざ起こしてるのに母乳を飲まないとメンタルに来るので深夜はミルクだけにしたりして乗り切った。

赤ちゃん普通に母乳を飲めるようになったのは生後1ヶ月半ぐらいたったころで、地域助産師相談で「そろそろ直接母乳飲めるんじゃない?」と言われ、試しに直接飲ませたところ飲めるようになっていた。

最初は根元ではなく、乳首を強く吸って、乳首に血豆ができたりしたが、1週間もたたずに上手に飲めるようになり、それまでミルクよりの混合だったのが、母乳よりの混合となった。

何がきっかけで飲めるようになったのかははっきりわからないが、体が小さくてうまく飲めなかったのが、体が大きくなって飲めるようになった、というのもあるのかもしれない。

今思うと、赤ちゃん母乳を飲まないと苦戦していたあの時期は何だったのか思うが、当時は真剣だった。

心の支えになってたのは「あんたには最初の1ヶ月しか母乳あげてないで」という実母の言葉であった。

自分自身がミルクで育ったのに、母乳にこだわる自分が滑稽に思えた。

自分語りが長くなって申し訳ないが、元増田のお子さんも何かの拍子に母乳を飲めるようになるかもしれないし、ミルクにしたっていい。

今、授乳しんどいのはお子さんのことをそれだけ考えているからで、何も間違っていない。

我が子は今は離乳食をもりもり食べて授乳回数も減ってきたが、もうあの左右に首を振って乳首を探す(探索反応)我が子には会えないのかと思うと、さみしい。

2024-08-31

anond:20240828221738

新生児って外に出さないしテレビかにもほぼ出てこないか

一番かわいい生後1週〜3ヶ月ぐらいを見る機会って身内が赤ちゃん産まないとほぼないんだよね

あの小ささを生で見たら自分赤ちゃん欲しいって思う人は多いだろう。

よくある出産ドキュメンタリーだと生まれたてすぎて血色が悪い。1週ぐらいで綺麗になる。

映画とかドラマに出てくるのは3ヶ月〜なのでデカすぎる。

手足が細くて綺麗な新生児というのが一番かわいい

2024-08-30

専業主夫経験からの生後すぐの子育てについてのコメント、の補足

https://anond.hatelabo.jp/20240829222653

思ったよりも反応があり答えていく。

### 自分の両親を頼らなかったのは何故か?

頼るのも面倒くさすぎて、もう考えるのも嫌だったから。

自分の両親の方が頼れそうだったが、あくまでワイフの両親と比べて、という点。

自分実家まで片道1時間半。ワイフの実家より近いが気軽に行くには遠い。

・両親共に働く現役世代子どもをみてもらうのなら、仕事を休んでもらうか、仕事終わってからになる。両親にも生活があるので、それと両立させなければいけない。

・世話を頼むにしても休みタイミング一時的にきてもらうか、僕らが実家に行くしかない。

一時的ものだったら親を頼るのもありだったが、ワイフの産後うつ状態をみると、数回やたまに見る程度では良くならないのは明らか。

・僕らが実家に住むとなると、僕は職場までの通勤問題に、ワイフだけ僕の実家に置いても遠慮して自分でやってしまうので良くならない気がした。

・僕自身が4人兄弟、母は保育士子育てに関して常に最新情報をいれてるスペシャリストで、口移しやハチミツなどの地雷を踏むことはないが、それが故に気になることが多く、母の愚痴が激しくなる気がした。母はワイフに遠慮してる部分もあり、僕の家庭に関する文句は基本僕に言ってくる。精神的に消耗してる僕がそれを受け止めることができる気がしなかったし、そこで僕が逃げたらワイフがやられるし、文句を誰にも言わなかったら母がやられる気がした。

・事前に準備してあれば、多少頼りやすかったのかもしれなかったが、その準備は全くやれてなかった。母は「今は昔に比べ子育てに関わる事情が変わって考えることやることが多くて昔の1人分多めで見てる感覚で大変だよ」とも言ってて理解があったが、理解があるが故に大変さも分かっており、実家との調整を考えるだけで、あーめんどくせー、というものが勝ってしまった。そういう点では、ワイフが、というよりも、僕自身が面倒くさ過ぎて止めた、というのが正しいのかも。

### うつで休んでるなら子育てやらず休めや

そうしたかったが、できなかった。

うつで休んでたのは、仕事&プライベートでのストレスが許容値を超えていたからで。

1番ストレスが少ない状況はなにか?となった場合、その答えが僕が子育て積極的に関わるということだった。

結局休んだ後、半月はまともに動けなかったので、相当疲れてたのだと思う。

### うつで疲れてたか子育て大変だっただけだろ

このテの意見みて、最初の僕の反応は、「オイオイ、それ産後女性には絶対に言うなよ、殺られるぞ、大丈夫か」という感じ。

産後1ヶ月、ワイフは自分実家に帰っていたので、そこまで致命的に大変だと当時気付いていなかったのだが、自然分娩or帝王切開をすると女性文字通り身体がガタガタになり数日動けなくなる。

帝王切開文字通り切るわけだし、自然分娩だと20時間上りきみっぱなしなんてこともザラなので、全身筋肉痛の酷いやつとか血管があちこちブチ切れてたりする。

その状態産後すぐから赤ん坊を見ることになるので、母親の方がもっと酷い状態からスタートすることも多いんやで………

と反射的に思ったわけだが「健康だったら」という点に関してはそれはそうだな、と思う部分も。

身体しんどいのが続くから精神的にもつらくなるので、身体がしんどくなければつらくなくなる!?とも考えることができる。

よく4人も育てられるな、と言われるが、精神にしんどい、の前の、身体しんどい、を色々駆使して軽減してきたからこそやれたわけで。

ココに書きたかった理由も、その事例をいくつか紹介して参考にできれば、と思ったから。

結局うちはやらなかったのだが、その点オススメしたいのが、無痛分娩

色々なママさんネットワークで見聞きする限り、産後母親の体調が明らかに良いようで、子育て最初スタートダッシュ健康である分、だいぶ良くなると思う。

もし次産むんだったら、絶対無痛分娩だわー、もう絶対嫌だけど、とワイフは言っている。

### 正常性バイアスだろ

まさにその通りで1人目でやったノウハウをそのまま他人に展開するのはかなり危険だと思ってるし、どちらかというとちゃんと働きながら育てた2人目以降の話の方が皆には参考になると思う。

ただ大変だよねーツライよねー、男性目線から見た子育てって?という話は1人目の話の方が分かりやすいので、まずは1人目の時の話を書いた。

### あの時欲しかったのは「乳の出る乳首」では?

これは当時ワイフにも同じこと言われたのだが、結果的に欲しいとは思わなかったかな。

それは乳の出る乳首が便利すぎるから

何やっても大人しくならないのに、乳首を使えば一発で大人しくなる、マジで便利、マジで救世主

だが故に、乳首を外せばまた泣いてしまう、泣いている→乳首を!!という感じになり、他の人に渡していても泣き声聞くだけで落ち着かなくなってしまう。

超便利な乳首が一人に依存するという状況が、母親が休めない要因になってるようにも思う。

その点僕は、土日の昼にお昼寝して、ワイフに預ける時、安心してぐっすり眠れた。

きっと僕に便利な乳首があったのなら、気になって眠れなかったかもしれないし、土日の昼間眠れなかったら僕も子育てで病んでたかもしれない。

### そうは言っても、産後の恨みは一生、はおかしいでしょ

コレ言う人全般に関しての所感なんだけど、産後の恨みはどのようなものなのか?の重さを理解できていない気がしたので、ココに書いた次第。

かに社会的には罪の重さに対してのトレードオフ釣り合ってないのかもしれない。

しかし、夫婦加害者/被害者関係ではなく良き伴侶なのだから贖罪/刑期を終えたから良いッショ!と開き直るのでなく、つらかったことを分け合って寄り添うが大事

一方で、夫婦加害者/被害者関係では無い、というのは妻側にも言えることなので、夫だけが完全に悪いわけでなく、夫婦問題だと思う。

ただ、夫側はそこで開き直る態度がでがちなので批判されるような気がする。

### どうして4人も……

これはね……完全な間抜け自業自得不可抗力なんですよ。

おかげさまで、夫婦仲は良く、身体関係ちゃんと続いていて……

子どもができないように、ってゴムを常備するんですが、ちょこちょこ買い足すのを忘れることがあり、テンションが上がったまま、今回だけなら……というのをやって、結果的に……

結婚したら避妊とか気にしなくても良いんじゃないの?とか馬鹿なこと考えていた過去自分が恨めしい。

子どもができた、と分かった時、いつも経済的にやっていけるのか?という試算を一緒に見直し大丈夫そうなら、どうする?→あー産むか!!みたいな感じでなぁなぁの勢いで決まる感じなので、完全に褒められる状況じゃない。

ワイフの最後一言で決まる感じなので、何故産んだのか、の真意は僕には分からない。

けど、いつも産前産後には、産むのも産んだ後の世話もあまりにつらすぎる記憶から記憶に残ってない、忘れるんだよね、でもその時になってくると段々思い出してきてもう嫌だー!!ってなる、と言ってる。

今思えば笑える話なのだが、付き合っていた当時、ワイフに子宮筋腫が見つかり手術をすることになり、将来的に子どもができる可能性が下がるかもしれないから別れよう、と別れ話を打診されたことがある。

その時僕はとっさに、子どもができる確率が1/10になるのなら他の夫婦10倍やればいい、僕らが仲良くやっていければ何があっても問題ないよ、と返した。

確率1/10なら10倍、というフレーズとともに僕ら夫婦の思い出深い一幕になったわけだが、今や子どもが増えすぎないように心配する事態になるなんて……

母や子どもらは無邪気に、5人目は?みたいに聞いてくるが、流石に歳を重ねてきて体力的にも経済的にも厳しい。

ゴムの常備は前よりもちゃんとするようになった。

### 次に書こうと思ってた内容

ネタはまだまだ大量にあるのだが、書き続ける精神力が足りなさそうで、ここまで長く書きすぎて何書くかを今さら迷子になってる。

もうわけわからんから、書きたかったであろう内容を適当に。気になるやつがあれば深掘りするかも。

専業主夫、2週間目あたりからにしんどくなる問題。疲れとストック管理、誰にも指示されず自分で決めるコストしんどい

専業主夫をやっていて良かったこと。メインとサブ、でなく、メインと(メインもやれる)サブに。つらさが分かるので寄り添いやすい。

子どもの寝かしつけや大人しくさせるテクニック哺乳類輸送反応に起因してるようなものが多い。背中スイッチでなくお腹スイッチ

・寝かしつけるためにやった事例集、苦労話。上の子を夜中寝かしつけるため、抱っこ紐で背中に背負い、自転車で走るのを毎晩のようにやっていた。

・1人目と2人目の間に1人子どもが流れてしまった話。流産確率は15%くらいなので普通にありうる。それも外からみて妊娠したと分からない妊娠初期がほとんど。

・同じ遺伝子から始まったはずなのに4人とも個性が違いすぎる、子どもに対するテクニックは相性があるので探り探り開発してくしかない

・両親を頼るのも良いが、子どもの世話は想像以上に体力を使う。頼り過ぎると両親が病むのでほどほどに。

子どもに関する情報ノイズが多すぎる。NHK「すくすく子育て」が一番バランスが良い。

・この10年で育児グッズは大分便利になった。新しく出てきて助かったものおむつゴミ箱、1歳から飲めるゼリー、丸いスタイ、傾けても飲めるコップ、サマーシューズ、缶のミルク

家事負担を減らすと、育児も楽になる。家電など札束で叩く選択肢も入れる。食洗機乾燥機ロボット掃除、電鍋等。

ご飯を食べる子は色々楽。ご飯食べないことを起因に色々な問題が誘発する。

体調不良家族崩壊危機をもたらす。体調不良新生児でなくとも、世話が大変になる。それが連続コンボだと……

子どもとのトラブルエピソード。不測の事態が起きるのが日常に。出先での非日常トラブルが起きやすい。

子どもがいるのが何が良いのか、単純に楽しいよ、大変なことも多いけど刺激にあふれている日々は最大級の娯楽といえるかも。

子どもの姿を見て自分の忘れていた過去を振り返ることになる、ちょうどゼルダBoWみたいな感じで急に思い出す。それがきっかけで自分の親に対する目線が変わったり、それを夫婦で話すことで何年一緒にいても知らなかった面を知ることになる

結果的仕事フィードバックされた能力精神的に追い込まれた人へのケアトラブル発生時の安定感落ち着き具合、パワハラ気質の人への対応力胆力など。

他にもある気がするが、もうわけわからんので、またそのうち続きでも……

私の『産後の恨みは一生』エピソード

推敲してないので途中で口調が変わるけれど許して。ブームが去る前に公開しておきたい。

2000~2001年の話です。そのときまれた娘は健康に育ち独立して離れた場所生活。私は当時の夫とは娘が1際の時に離婚し、その後、娘の高校卒業と同時に別の相手再婚しました。

情報だけでおわかりの通り、産後の恨みが原因で離婚しました。そして産前から出産の時も含めて広い期間ダメダメだったので、『産後の恨み』どころか『出産前後およびその他諸々の恨み』が正しいかも。今はもう相手のことを恨んでいることはありませんが、それはスッパリと関係を断ち切ったからであり、今でも共同生活を送っていたなら、頭の中でグチグチと恨みを反芻させ骨髄に入るまで温存させていたでしょう。

当時の夫とはデキ婚でした。この時点で当時の自分説教したいのですが二十歳そこそこの世間知らずの恋愛脳だった自分には、説教したところで、どんな言葉右から左に貫通していったこと間違いなし。ほんとにしょうもない体験して失敗しないと脳に染み込まない。本当のうえで理解したのは全部が終わって数年たったころだったと思う。相手もまた1歳年上の二十歳過ぎたばかりのペーペーです。

この時点でアカンと思うでしょ。私も書いてて「こりゃ、アカンわ」と思ってる。

とにかく妊娠きっかけに結婚し、新居として安アパートを借り新生活開始。妊娠による体調不良であれよあれよと働けなくなり退職

田舎だったこともあり『育休産休』という制度はあっても実際に取っている人が周りに居なかったため、辞める以外の選択肢があるなんてその時の自分には思いもよらなかった。男性だって明らかな労災でも自己負担病院に行ったりしていたのが普通だったため、そういうものだと思ってました。

というより育休とる以前に、安定期入る前に何度も貧血を繰り返し、ホルモンバランスが崩れて顔・体全体にアトピーが出てしか赤ちゃんのために薬も飲めず、肌がグルート(ガーディアンズ・オブ・ギャラクシーにでてくる木のやつ)みたいな見た目になって人前に出るのがまず精神的に無理になった。膿んで乾いたカサブタが、振り向くたび、お弁当を食べて大きく口を開くたびにこぼれてデスクの周りが汚れた。客前に出ることはおろか、お茶を淹れることも、書類仕事にも支障が出た。上司(女性)からはその都度迷惑そうに「もうお茶淹れなくていいから」「書類汚れてるので、長袖かつ手袋できないだろうか」「また貧血? もう帰ったら?」と言われた。

「働きたかったけれど、働けなくなった」という気持ち微塵もなく、逃げ出すように退職して、もう人前に出なくて済むと思ったのが当時の心境。自分視点で書いてるから被害者っぽい書き方になっちゃうけれど、上司視点から見て私は困った対象だったと思う。ギリギリ人員で回している仕事を私の都合で滞らせていたので、迷惑だっただろうなと。当時は優しい言葉をかけて欲しかったけれど、求め過ぎな気がする。今、自分は同じ立場になって、昔の自分のために当事者気遣い言葉をかけるようにしている。

ホルモンバランス不安定で誰にも会いたくない状態病院通いだけしていたころ、夫の友人がお祝い持って当日にアポ無しで現れた。

こんな顔で人になんて会いたくなかった。しかし部屋が汚かったので、リビングに座ってもらいながら大急ぎで片付け、その周りの掃除機をかけた。すごく迷惑そうな顔をしていたと思う。夫友人が少しだけ話しをして申し訳無さそうにお祝いを置いて帰ったあと、夫には「せっかくお祝い持ってきてくれたのに」と小言を言われた。自分自身も申し訳ない気持ちになって落ち込み、具合が悪いからと部屋で休んだ。

8時過ぎに目が覚め、夕飯を用意してなかったことを思い出して、「ごめん、夕飯用意してなかった」とキッチンへ行った。夫は優しい気遣う声で「気にしなくていいよ。もう食べたから」と。シンクにはカレーヌードルの汁だけ入った箸の刺さった容器と、お湯を沸かしただけなのに、そこら中にお湯が飛び跳ねている状態になっていた。もちろん外装フィルムもそこに横たわっている。なんならストックしてないはずのパックご飯のカラもあったし、ゲームしてる夫の脇にはポテチもあった。コンビニで買ってきたのだ。そして私の夕飯はもちろん買ってきておらず。

その光景だけ見て、私は脱力し再び寝室に戻った。夫から「〇〇(私)の分どうする?」という言葉もなく、朝起きたら、ゴミゴミのままそこにあった。私のことを気遣ってほしかったし、自分で出したゴミ自分で捨てて欲しかった。けれども、当時は言葉にするのも面倒で、ただ黙ってゴミを捨て、キッチンキレイにしてから朝ご飯を作った。

夜の生活も続いていた。妊娠のある期間は中出しOKボーナスタイムという知識はあったらしい。

それで妊娠はしないものの、出されたものがそのまま留まってくれるでもなく、しばらくして排出されたものトイレで流す必要があって億劫だった。ゴムをしているときより滑りが良いと判断したのか、回を重ねるごとに前工程が雑になっていって辟易した。ついにはキス、胸、即挿入になってビックリした。今、書いてて不思議に思うけれどグルート肌の女を良く抱けたな。

そして臨月お腹が大きくなって寝返りもうてなくなった。腰も痛いし、便秘になるし、車に乗れば車酔いするし、妊娠間中は種類の違うあらゆる不調が手を変え品を変え一身に降り掛かった。体型が変わって服も替えなければならなかったが、幸いなことにホルモンも安定期に入ったらしくこの頃には、「ちょっと肌荒れが酷い人」くらいまで回復した。買い物している時、重い荷物など明らかに大変なものは持ってくれたが、かがむ必要がある軽いダンボールなどは放置され、お願いすると「これくらいでも?」と言われ、「これくらいでも」と返した。夫のぺったんこのお腹が恨めしかった。

そして出産。予定日になっても生まれず、あらかじめ病院入院して陣痛促進剤を打って臨む運びとなった。前もって出産日がわかるというのはありがたい。夫は有給をとって分娩直前まで一緒に居てくれることとなった。(立ち会い出産は断られていた。このころ周囲でもテレビでも今のように「立ち会いがむしろデフォルト」のような時代でもなかったので、そういうものかと受け入れていた)

朝一番から付き添ってくれるハズが夫は来なかった。夫が居なくても処置は進む。促進剤を入れ、やがてジワジワと兆しらしい変化が現れ、そして昼過ぎには痛みは最高潮。それが夕方まで続いた。

夫が現れたのは14時過ぎ。あとで聞いたところ朝方までゲームしていて寝過ごしたそう。出産までの陣痛マックスの時も夫は病室の隅っこの椅子にちょこんと座り、手を握ることもしてくれなかった。原因不明子ども心音がとまり、慌ただしく右往左往する先生助産師さんの邪魔にならないようにしたかったのかも。メチャメチャ苦しがってる私に何をすればいいのかわからなかったのかもしれない。夫は部屋の隅で怯えていた。

原因不明心停止は、あるとき突然原因不明のまま復活。そして分娩。生まれた。

いざ、産み落とす!となった瞬間から急に助産師さんが鬼軍曹になって叱咤してきて、まじでビビった。命に関わることなので、それくらい追い立てなきゃスムーズにことが運ばないんだと思う。それは出産後の入院時期にも続き。いろんな助産師さんがいる中で、比較若い人は穏やかに経験値の高そうな人ほど厳しくビシビシと授乳や寝かしつけ、沐浴などの指導がされた。(そして点滴やらおっぱいマッサージやらは、そういう厳しい人ほど巧い) 結婚する以前までは、自分の目指すべきところは『プリンセス』にぼんやり置いていたけれど、出産した直後からは『ソルジャー』になることを求められた。そうしないと子供が死んでしまう。強く賢く逞しくならないといけない。生まれたての弱々しい我が子を抱いて、自分の目がカッと見開いたような気持ちになった。

入院中、夫はあまり見舞いに来なかった。義両親が来た時に案内して少し話してすぐ帰宅。2~3週間の入院期間の内、来たのは3回くらい。夫が毎日会社帰りに寄って、面会時間ギリギリまで一緒にいる同室の夫婦たちを眺めていたので羨ましかった。

退院の数日前、夫に「◯日の◯時に、車で迎えてにきて欲しい」とお願いしたら、「出産日に休んだので、会社申し訳なくてもう休めない」と言われた。は? 真冬に、新生児を抱えて、2週間分の入院荷物と、これからのためにと持たされたオムツやら何やらを一人で家に持ち帰れと???? 私、ついこの間、股が裂けて縫っているので、重い荷物とか持って踏ん張れないんですけど?

退院日なんて入院する前から決まってた。しか出産日に休みをとったって、お前現れたの午後じゃん! ゲームして寝坊してきて、来たあとも全っっっっ然、役に立たなかったじゃん! 実際の処置医療者じゃなきゃ無理にしても、励ましの言葉もかけてくれなかったじゃん。さすがにキレて怒った。そしたらキレ返された。「お前に俺の何がわかる!」

全然からない。苗字も体調も体型も仕事生活も変わらず、私がこれまで持っていて失ったものほとんど失わず健康体で子供のことを気にせず働けて、余った時間ゲームを楽しめる人の気持なんて何一つ。

結局、退院日は母にバスで来てもらい、帰りはタクシーを使った。

帰宅後、愕然とした。部屋が寒かった。お互い地元結婚し、新居を構えたのでそれぞれの実家が近い。私の入院中、夫は実家に帰ってご飯を食べそのまま寝泊まりをキメていた。人の住まない北国の部屋はひとき寒い。そしてうっすらとそこら中に積もった埃。休日は家でゲームを過ごしていたらしい場所だけ埃はなく、人型にそこだけ綺麗だった。ゲームドライヤーもコップも出しっぱなし。何かあればうっかり死んでしま新生児が私の腕の中に居た。「赤ん坊ウィルスから守って」と言われた退院していた。ストーブを焚き、母に子供をみてもらいながらそこら中を掃除をした。この件に関しては怒ったら素直に反省してくれた。キレ返さないだけでも嬉しかったのを覚えている。

さて、ここから季節が変わるまで記憶が定かじゃない。どうやって新生児期を乗り越えたのかとんと思い出せない。若くして子供を産んだこともあり、体力があった。「母親になった。子供を死なせちゃいけない」という、これまでにないプレッシャーアドレナリンみたいなものがドバドバ出ていたと思う。夜泣きも平気だったし、数時間おきの授乳も辛いとは思いながらも、病院で指示されたとおりにやれた。私は助産師さんから指導甲斐あって『ソルジャー』にクラスチェンジしてたのだ。ある時、友人に誘われコートを着て買い物に出たら、「え、なんで暑いの? 空気が張り詰めてなくて穏やかなんですけど!!?」となって春の訪れを知った。

夫は沐浴とか『これは父親役割』という分かりやすいことはやってくれた。混合で育てていたので、哺乳瓶での授乳もお願いすれば嫌な顔せずやってくれたし。夜泣き対応も、私の腕が限界になればやってくれた。当時はありがたいと思っていたけれど、今の価値観だと足りてないですね。

そして決定的に離婚の原因となった出来事が明るみになる。

ある時、子供に急な発熱があって、でも保険証は夫のカバンに入っていたため、職場に行って受け取り、その足で病院に行こうとした。夫の職場子供を抱えながら自己紹介し、夫を呼び出すようお願いしたら「この一週間、無断欠勤してます」と。

夫には結婚から借金があった。遊ぶ金欲しさにどうするアイフルしていたのが発端。会社に返済催促の電話がかかってきて、そこから居づらくなって行ってないと言う。どうして黙っていたのかと問いただしたら「◯◯(私)や、生まれてくる子供のことを考えたら言えなかった。二人を幸せにしないと……と思って、隠し通さなきゃと頑張ってた」と。当時、ニュースで取り上げられてた多重債務地獄に落ちていた。闇金だ。

それから義両親も巻き込んで話し合い、アパートは引き払って夫の実家で暮らすことになった。生まれ半年くらいの子供は私の実家に預けて私もパートに出た。

この時、社会問題化していたものの、今のように銀行個人ローンはお断り(家や車を買うのや学資はOK債務の一本化などは受け付けられませんと審査すらしてもらえなかった)、弁護士が『債務整理承ります!』と宣伝打つようになるのも、もっと何年も先の話。家族ぐるみでひたすらその月、その月の返済に追われた。

正直、アパートでのほぼ子供と二人きりのような暮らしに飽き始めていたので社会に出られることはありがたかった。新生児がいては気軽に出かけられず、夫は帰宅して夕飯を食べたら即ゲームこちからしかけないと会話が始まらないことがストレスだった。今のようにスマホがあったわけでもなく、重いデスクトップPCを起動して、ピーヒャラー電子音ならしてネットに繋いでいた時代世間とのつながりはほぼテレビで感じていた。『ダサいダンナ改造計画』とか、今となっては炎上しそうな内容ですら、貴重な娯楽となっていた。もともとソロ活が得意な方だったものの、自分から一人で過ごすのと、強制的社会から断絶させられるのとは違う。いつの間にか「外で働きたい人」になっていた。もちろん、子どもは可愛かったけれど、ほとんど寝るか泣くかご飯を食べるかの暮らしで、コミュニケーションが取れるようになるのはもう少し先だった。

それと専業主婦立場に居心地悪さも感じていた。自分お金で稼いだものじゃないので、ちょっとしたおやつ趣味雑誌を買うのも躊躇していたのだ。

自分の稼いだお金子供の服を買ったときちょっと感動すらしてしまった。結婚前は当たり前だったのに、自分の稼ぎで必要ものを買うことの『当たり前』に『誇らしさ』がオマケでついてきた。とはいえ、結局稼ぎの殆どは夫の借金返済に充てられていたのだが。

あと外に働きに出て、ある程度自分裁量物事を決め、今後の見通しが立てやす作業子育てに比べてとてもやりやすかった。

そして夫実家で近居の義兄からこっぴどく叱られたことがあった。義兄もまた夫の作った借金のため金策に励み、会社をクビになった夫の働き口を探してくれていたのだ。それを知らず、夫婦食材の買い物に行き、やってきた義兄に対して、義父が『二人で遊びに出かけてる』と伝え、激怒された。

こっちが苦労して東奔西走している間に、遊びに行くとは何事だと。家庭を持つことに対する自覚がなさ過ぎると。

遊びに行ってたわけではないのだが、自覚がないというのは最もだ。もっと『夫を』怒ってくれ……と思っていたら、私も一緒に叱られた。夫が私に黙ってこさえた借金は、親子三人の生活費にも使われていたため、周囲から見れば私も同罪だったのだ。今となっては「それはそう」と思うけれど、その当時の自分にとっては「そうなの?」という気持ちでいっぱいだった。私は自覚のないまま、分をわきまえない借金をこさえた大馬鹿者になっていたことにこのときようやく気付いた。一緒に買物に行って、私のカバン商品を入れて万引きした絶縁した友達を思い出した。夫は私が叱られている間、ずっと「カミナリこちらに降りかかりませんように」と空気になっていた。義兄の帰宅後もフォローはまったくなかった。この時、夫の中では「お前のせいで借金が膨らんだ」と思われていたのだ。

その後も夫は新しい職場でもうまくいかず、家出もした。もうこの頃には「怒って詰めたら、話し合いまで発展しない」と分かっていたので、諭すようにこれからのことを話した。……が、「もう無理。人間はそんな簡単に変わらない」と弱音しか吐かなくなり、ついには「お前、変わったよな」と言われた。私は出産をキッカケに『ソルジャー』になった。しかし夫はまだ私に『プリンセス』を求めていた。

家出中に何をしていたのか、今後のために携帯のチェックをさせてもらったら、出会い系登録していた。この頃は『メル友募集』とかそういうヤツだ。実際に出会うところまではいってなかったけれど、出会おうとしているところまでは確認した。夫は自分を慰めてくれる『プリンセス』を探していた。

そこから自分実家を頼り、出戻ってお互いの両親を交えて話し合い。養育費が払えるとは到底思えなかったので、最初から請求せず。代わりに面会もさせない運びとなった。夫はその頃にはもうとにかく「自分けがかわいそう。この世のすべてが自分を傷つけにくる敵」みたいな状態に陥っていたので、子供に執着もなく揉めることはなかった。生活の中で新しく二人で買った家電生活雑貨はすべてこちらで引き取ることとなった。ほとんどは私の独身時代貯金から出していたので異論はでなかった。しかプレステ2だけは譲ってくれなかった。それくらいの執着を私と娘にも向けてほしかったと思う。

若気の至りで周囲の人に迷惑をかけた。その恩返しではないけれどやがて訪れた実父の闘病生活はできる限り付き添い、実父が亡くなり一人暮らしになった実母にも、今も頻繁に実家を訪れ日常の買い物や困り事を解決したりしている。(義父除く)義実家は一緒に暮らしている間によくしてくれたので、今でも申し訳ないと思っている。孫の成長も見せたかったが、連絡を取らない取り決めに巻き込んで会わせていない。

いろいろ私視点から書いたので夫の言い分もあると思う。振り返ると二十歳過ぎたばかりのアンチャンには荷が重すぎたとも思う。

夫には良いところももちろんあったし、私にも至らない点が多々あった。さら離婚することで借金から逃げたとも言えるし、今の価値観判断すると、子どものために養育費請求するべきだったかもしれない。

長々と書き綴ったアレコレもそれぞれが離婚の原因にはなったものの今となっては大方許せる。時が経てば大抵のことはどうでも良くなるし、人を恨み続けるほどの胆力は、その後のシングルマザー人生で別のところで必要になったため雲散霧消した。

でもそれでも出産日に寝坊して遅刻してきて退院の時に迎えに来てくれなかったうえ逆ギレしてきたことと、借金を隠して、さらにその理由に「私と娘のため」と発言したことは、今でも絶対さないと思っている。

2024-08-29

こどもが一歳になった。もとい妻に恨まれない産後の過ごし方について

産後の恨みは一生とかなんとかというポストが荒れているので、ここぞとばかりに自分体験を投下する。何かの参考になれば(特に妻の出産を控える夫よ)と思いつつ、実際は自己顕示欲を満たしたいだけなので好き放題書く。

さて、自分は約1年ほど前に妻が初産した夫の立場だ。

妊娠発覚

フリーター自分正社員計画妊娠ではない。とりあえず安定期に入るまでは静観。心拍確認できた(妊娠2ヶ月くらい?)段階で両両親に報告。

妊娠期間

互いに仕事に余裕があり融通が効いたので、1,2ヶ月ごとの検診に必ず2人で通っていた。この時期のデートは専ら病院から始まる。医療の民に色々聞きながらぼちぼち出産準備を進めることに。

互いに実家から遠く離れたエリア暮らしていたので、ゼロから2人で情報を調べ始めた。身内の経験者にソースをあたれないデメリットはありつつ、変にバイアスからずよかったとも思う。実際自分の両親世代情報は古いものだったりギャップのあるケースも少なく無いので、情報ソースはまず医療関係者、そして身近で出産経験のある友人を頼ろう。親は目の色変えて口出そうとしてくるに違いないが、心を鬼にして病院自治体に頼るんだ。

しかしまあ、人によって出産体験十人十色で、時に癖の強い看護師なんかは平気でやばいこと言ってくるケースもある。調べすぎは禁物。ちなみにその時妻はインスタで妊婦が絶叫する動画を漁り、こえーとかいって鬱になっていた。誇張抜きに、100人居たら100通りの出産体験がある。肝に銘じよう。

妊娠中は母体メンタル不安定になるケースも多いらしいので、とりあえず全力フォローだ。妻を救えるのはお前しか居ない。

自分はというと、特段変わらず普段どおり過ごしていたように思う。今となっては記憶は朧げだけど。妻は一時つわりがしんどそうだったものの、その期間を除けば概ね普段どおり。予定日の3ヶ月前くらいまでは働いていたような気がするし、もともとお互い飲み歩いたりする性分でも無い。

早めに仕事の終わった妻は、歩いて近所のスーパーへ買い物へ行き、カフェで甘いものを食べるのをささやかな楽しみにしていた覚えがある。帰って一緒に料理を使って、一緒に食べて、ベッドで寝ながら映画を見て眠る日々がとても幸福だったことを覚えている。

自治体サービス

すごい手厚い。母子手帳妊婦検査健診補助券、出産一時金、小児医療助成児童手当、その他報奨金・補助金。色々あるぞ。すごいぞ。絶対活用するんだ。申請は全部お前がやれよな。妊婦の手を煩わせるな。

出産

妻は無痛分娩を望んだが、近所に対応している病院が少なくやむを得ず普通分娩に。ちなみにいわゆる無痛(麻酔)が良いなら、妊娠発覚時点で即座に実施しているすべての病院ローラーして予約すべし。首都圏競争激しいし、地方地方そもそも対応している病院が少ない(産婦人科医だけでなく麻酔医が必要らしい)ので結局激戦だ。その際夫が電話しても妊婦から直接電話くださいとかクソみたいな仕様があったりもするが、めげずに電話をかけまくるんだ。無痛分娩にも、自然陣痛を待ってから麻酔をする場合と、あらかじめ出産日を決めて強制的に産ませる計画分娩がある。詳しくは調べてくれ。ちなみに自然陣痛を待つ場合陣痛の進捗が遅れると余計に課金されるクソみたいなシステムもあったりするので把握しておこう。妻じゃなくてお前がだ。

余談が過ぎた。で、結局普通分娩を渋々選択した妻は予定日を2週間過ぎたあたりで強制的入院となった。陣痛が来なくて予定日を超過すると、胎盤のパワーが劣化して胎児危険が及ぶらしい。なので薬剤を投与して強制的陣痛を促す。ただ、陣痛が起こるだけでは赤子は生まれない。なぜなら陣痛の進捗と並行して子宮口を開く必要があるからだ。子宮口が開いていないと陣痛を起こしたところで赤子は出ずにケツが裂ける。妻の場合子宮を柔らかくする錠剤を飲んで経過観察、効果が思わしくないのでバルーンという風船的なもの子宮口に挿入して強制的に拡げること一晩(ちなみにこれが痛みを伴うという人も居る)。ようやく子宮口が開き始めたので翌朝に漸く陣痛促進剤の点滴を開始。このタイミングで自宅に待機して無限ゼルダをやっていた自分召喚。立ち合いのもと出産に臨むことに。

で、結論から言うと、立ち会いの経験については特に書けることはない。というのも促進剤を打ってから3時間というスピード出産であっという間に超絶安産に終わってしまたからだ。勇んでテニスボールを持参し全力サポートする構えでいたが、ぶっちゃけ出産立ち会い時に夫にできることは無い。自分のやったことと言えば、陣痛の波に合わせてテニスボールを全力で妻のケツに押し当てて効果がないと文句を言われる。痛みで妻が暴れるのでベッドの手すりにクッションを置く。分娩室に移動する際に使い捨て割烹着みたいなエプロンを逆に着て看護師失笑さらう。妻の口元に水分補給用のペットボトルを持っていくがストローが無いので役に立たない。そうだ、ストローは持っていけ。

なので、ただただ自分の無力を悟る一瞬の3時間だったが、人によっては24時間以上かかることもザラなので、とにかくそばにいること、無力感に苛まれながらも全力で妻を支える気持ち、あと絶対に寝ないことが大切なのだと思う。知らんけど。

産後

妻は4泊くらい入院して母子共に問題がなければ自宅に帰される。その間に妻は体を療養しつつ、満身創痍の体で看護師から母乳とか沐浴など一通りの訓練を受ける。自分場合は運良く個室に空きがあり、夫も泊まって良いとのことだった(無論育児指導も一緒に受けた)ので、妻と同時にスタートをきれた。あと妻はミルク育児(いわゆる完ミ)を希望しており、看護師に渋い顔をされながらも鋼の意志出産したその日のうちに乳を止める薬を飲み、初乳をあげることもしなかった。自分としてはなんだかなあと思いつつ(本音を言えば乳をあげる妻の姿を見たかった)も、即ち育児を全て自分ができることになるので、妻は自分の療養に専念できることを思えば悪くない。実際に退院後は大部分の育児自分が行い、今もそれは変わらない。

育休

自分は超絶ホワイト企業に勤めていたので、妻の出産予定日以降は会社休み、妻の出産後に即1年間の育休を取得した。初産だったこと、会社の融通が効いたこと、両親のサポートが得られない事情から、互いのリソースを全て来たる赤子に全力を注ぐ体制で望み、結果として夫婦不和などもなく、1年をクリアすることができた。他所死ぬほど書かれているかと思うが、とにかく夫は仕事を休め。育休を取得しろ。育休は権利。育休制度もいくつか選択肢があり、ややこしかったりするので(会社の人事も制度を全て把握しているわけではない)事前に調べて取れる選択は全て検討すべし。

新生児

新生児ほとんど寝ている。3時間ごとにミルクを飲んで寝る。泣く。うんこをする。おむつを変える。ミルクを飲む。寝る。泣く。風呂に入れる。ミルクを飲む。寝る。というルーティーン自分場合特に時間の分担は決めていなかった。新生児もそうだが、それ以上に妻の回復が最優先ということで可能な限り自分が行っていた。といっても妻は元気そのもので、退院翌日にケツから血を流しながら自動車運転美容室に髪を切りに行ってた。本当はブリーチたかったけど産後は禿げるから美容師拒否されたらしい。ハゲてもいいのでやってくださいって言ったらしいけど無理だったって。当たり前だろ。

いや、止めたよ。全力で。絶対に行くなって。行ったら死ぬって。安産だったけど無理矢理いきんで出したか出血がひどく股が裂けて何針も縫ったって。けど狂人には何を言っても無駄だった。結局傷が開いて痛えとか言っていたけど。出血産後1ヶ月くらいは続き、妻の産後に最も辛かったことを聞いたら退院後1週間溜めた特大のうんこをひり出したことだってさ。妻が超人でよかった。

通常は母体が元に戻るまで半年とか1年かかる場合もザラにあるらしいのでとにかく母体を気遣えと。産後骨盤がゆるゆるらしいので、歩行もなるべく避けた方が良いのだとか。

完全母乳場合、この時期に病む母は多いと聞く。なにせ満身創痍で初めての3時間おきにミルクをあげるぐにゃぐにゃの今にも死にそうな謎の生命体の世話を強要されるのだから。乳も初めは出ない。乳を出すのにも訓練がいる。いまだに母乳信仰は根強いが、躊躇なくミルクを使え。ミルクなら父でもあげられる。そしてとにかく母体を守れ。子より母だ。頼れるなら両親でも親戚でも友人でもなんでも使え。産後母体負担を減らすことに全力だ。ここさえ乗り切れさえすれば、妻に以後何十年も三行半を突きつけられることは無かろう。え?そんなの無理だって馬鹿野郎。このご時世に1ヶ月すら休めない会社なんて辞めちまえ。

その後

赤子はすくすく成長するが、基本的ルーティーンはさほど変わらない。子育てをする上で気づいたことは、子育ての適性の有無が難易度を大きく左右するということ。例えば子ども泣く→おむつを変える→ダメミルクを飲ませる→ダメ→寝かしてみる→ダメ→あやす→気晴らしに外に連れていく→ダメ→車に乗せる→ダメ風呂に入れてみる→ダメ放置する→以下ループみたいな事態が発生するが、この辺りの試行錯誤を労せず淡々とこなせる人間がいると極端に難易度が下がる。昆虫少年で何かと生き物の世話が得意だった諸君、君たちは有望だ。夫に育児を望む女性は、交際相手に幼少期にペットの世話をしていたかどうか聞いてみるといい。

ちなみに参考にはならないが我が子は生後1ヶ月で毎日6〜8時間まとまって夜に寝ていた。妻もエリートなら赤子もエリートだ。新生児期を除けば、産前よりもよっぽど我々は寝ていた。一応、申し訳程度に自然光のサイクルに任せて日没後は間接照明で過ごすとか、ベビーベッドで1人で寝かすなどの試みはしていたが、実際のところこれは赤子そのもの個性に寄るところが大きいと思う。寝ないやつはマジで寝ないらしい。3ヶ月目には暗い部屋でベビーベッドに放置すると1人で寝るようになり、寝かしつけが要らなくなった。6ヶ月目には1人でミルクを飲むようになった。夕方、眠そうなタイミングを見計らって風呂に入れ、服着せたらミルク渡してベビーベッドに転がしとくとほとんど朝まで寝てる。

これまで散々煽っておきながら、自分はいまだに育児に困難を覚えたことが無い。妻はというと、赤子の鳴き声が黒板をキーキーされる程度にイラつくらしいので、赤子が泣き止まない頃はよくキレていた。適性大事。あと赤子の性質。その意味SSR引いた自分に言えることは何も無い。まあ、必要以上に不安を煽る記事も多いので、育児余裕だったという例もあるということで。

離乳食

最初から変に気合い入れて手の込んだ料理を作ろうとするんじゃないぞ。いいか大切なことを言うぞ。

離乳食は「食事」ではなく「食べる練習」だ。肝に銘じろ。6,7ヶ月くらいから始めるのが一般的だと思うが初めはろくに食べられない。食えたところでどのみちろくに消化できない。消化器官や腸内環境だったりが未熟だから大人のように消化吸収できるわけではないんだ。ならばなぜ食べさせるのか。そう、食べる練習だ。大切なのは、柔らかさと粒度、そして粘度だ。それが備わってさえいればゴムでも紙でもなんだっていい。味なんてどうせ初めはわからん

お前が食っている時なんて何も意識していないだろうが、初めての人間にとってはどうやら複雑な作業らしい。まず食材を舌に乗せる、そして舌で喉に送る、そして飲み込む。この三段活用にそれなりに反復作業必要なのが赤子という存在だ。だが安心しろ、誰もが初めからできたわけじゃない。お前だってそうやって練習してきたんだ。いずれできるようになる。まず赤子を観察しろ。どこのプロセスで詰まっているかを想定してトライアンドエラーを繰り返す。もう一度言う。柔らかさ、粒度、そして粘度だ。毎回少しずつ変えて、こどもの様子を観察しろ。それをひたすら続けるんだ。食材や味にこだわるのは、まず赤子が固形物を難なく飲み込めるようになってからで遅くない。

これまでエリート面してきた我が子もそれなりに苦戦したくらいだから離乳食で苦労する親は多いと思う。結局いまひとつうまくいかずに自治体相談したら、やたら癖の強いスパルタなオバはんが出てきて事細かに教えてくれた。困ったとき自治体を頼れ。

保育園

これ、実は妊娠発覚時点から活動(いわゆる保活)を進めるべき案件。マジだよ。保育園は神。えー、3歳まではやっぱり自宅でみたいなあとか悠長なことほざいてるお前。お前だよ。今すぐ自治体webサイトを漁って保育園を探せ。そして見学に行け。産後戦争から余裕のある今のうちにやっとくんだ。絶対だぞ。ちなみによほど田舎でなければ、基本的には共働き+両親が同居ないし近隣に住んでいないことが公立保育園利用の最低条件となる。競争率の高い自治体によってはそれでも収入が高かったりすると平気で落としてくる。出産時期によっては最も入園確率の高い0歳児の4月入園できないケースもある(つまり10月くらいには産まれてないといきなり苦戦を強いられることになる)が、毎月自治体が欠員を公開しているので、めげずにトライだ。もしどちらかが育休中や無職場合ダメ元でも就職活動中として無理矢理にでも入園できる可能性を追うべきだ(その場合入園後3ヶ月以内に就職することが条件)。入園希望は第10希望くらいまで書けるだけとりあえず書け。

ちなみに公立保育園情報はまともな自治体なら事細かに情報を公開している。23区内なら、例えば片方働いて20点、両方なら40点、その他の加点や減点要素、この保育園に入るなら最低41点は必要ですよ、みたいな情報を親切に公開してくれていたりもする。が、とにかく資料が難解で理解するのには訓練が必要だ。法律の条文や自治体の公開している公募要領だったりを難なく読めるスキルがあればそんなに苦労はしないと思うが、常人には難しい。理解させる気さえないと感じる。逆に、多くの人がろくに読解していないとしたら希望はそこにある。高学歴増田諸君であれば多少の苦行を受け入れさえすれば難なくこなせる範囲だろう。

保育園復職するのにはもちろんのこと、こどもの遊び相手だったり退屈しのぎだったり新しいことを覚えてくることだったり良い点は書ききれないほどあるが、自分が一番助かったと感じるのは食事だ。0歳児入園場合食事も当然こども用に作る必要があるのだけど、これをおやつも含めて1.5食分、しかも豪華で自宅ではとても作れないクオリティで出してくれるのが保育園。これには本当に助かってる。真っ当な大人がこどもの面倒見ながら自分の他にこどもの食事を2食ないし3食作って仕事してとかどう考えても無理だから復職たかったら全力で保育園に入れろ。いやむしろ保育園に入れるために復職ないし就職しろ

我が家は無事10ヶ月で保育園入園をキメ、妻は就職し、超絶ホワイト企業に勤める自分はフルリモートで働き、食事を作り、保育園の送り迎えをする菩薩のような父業をしている。無論、妻の方が圧倒的に収入は高い。

大丈夫保育園に通わせても十分こどもと遊ぶ時間は作れるから。どうせ入園して半年くらいは毎週のように病気もらっていくらでも病院連れてってあげられるし自宅療養できるから安心して保活に全力ベットしてくれたまえ。

1歳

だいぶ人間になってきた。人によっては歩くし、意味のある言葉も発するし、芸もいくつか覚えるし、意思疎通もできたりする。喜怒哀楽がはっきりある毎日楽しそうに暮らしてる。当たり前だけどみんな個性バリバリ。いいぞこどもは。おもろいぞ。

これまでこれといった危機も苦労もなくやってきたけど、この先も色々困難はあるだろう。これからが本当の地獄だ...って多分先輩諸兄は誰もが言うだろう。そしたらその先をぜひ増田に書いてくれよ。みんないろんな体験談を読みたいんだ。

長くなったが以上だ。参考にならないって?冒頭に書いた通りだ。妊娠出産もこどもも妻も夫も十人十色。あー、本当に育児体験てなんてのは全く参考にならないね。みんな頑張れ。そして楽しんで。妻(夫)を大切にな!

2024-08-15

anond:20240814233647

そろそろ1歳になる双子がいる

乳児の子育ては子の数+1大人がいないと綱渡りなので嫌がられなければ戦力なることを伝えよう

新生児からがんばれば一緒に戦力になれるよ

もし大丈夫って言われても必要になったらいつでも行くと伝えてあげてくれ

あとロボット掃除機食洗機ドラム式洗濯機ホットクックなどの自動調理家電を持ってなかったら買ってあげて

あと使うか分からなくて買えてない育児グッズがないか聞いて買ってあげて

ネムリラとかその代表格だと思う

両家が遠い身からすると頼れる実家が近いのとても羨ましい

anond:20240814233647

2歳の双子の親です。

誰かも書いていますが、旦那さんに育休を取らせないと離婚になるはずです。

最低でも1か月は休んでもらいましょう。

完璧シミュレーションをしておいてもうまくいかないのが子育てです。

人員について

子どもの人数より1名多く大人がいないときついです。

厳密には何とかなりますが休む暇がないです。

三つ子だと大人3名いてギリギリで、理想は4名体制になると大人1人が休憩できます

なのでお嫁さんを休ませるのであれば、少なくとも他に3名大人が必要です。

おじいさんは娘さんのご両親と一緒に子守をされた方が良いです。

◎色々なサービス対応

どこに住んでいるかからないけれど、多くの自治体子育て支援をやっているので調べて代わりに相談手続きをしてください。

手続き時間を要すので前倒しで動きましょう。

行政相談に乗ってくれます書類申請は代わりにしてくれません。


保育園を調べる

正直、三つ子ちゃんだと早めに保育園に入ってもらった方が楽です。

保育園は神です。

この辺りも役所へいった時にいつから募集するのかは聞いてみましょう。

妊娠中に保育園見学へ行った方が良いです。

まれると忙しくて無理です。

◎増員の準備

ベビーシッター

・ファミサ

の手配は早めにしましょう。

遅くとも1か月前には依頼しないと来てくれません。

奥様のおっしゃる通り、お金を払ってあげるのが一番で理想ベビーシッターを少なくとも2人は雇ってあげることです。

1人のベビーシッターさんで3人の新生児は無理です。

自治体によっては助成金が出ます

ただ来てもらうまでの調整がとても大変なので代わりにやりましょう。

息子さんの奥さんに習うより、ベビーシッターさんと一緒に子守をして色々と教えてもらいましょう。

奥さんも気を遣いませんし、ベビーシッターさんはプロで親切です。

その間、奥さんを休ませてあげましょう。

それでも夜中に順番で泣き続けるので大変です。

宿泊ケアをやっている産婦人科を調べておいて、週1日程度泊ってきてもらうのもよいかと。

おじいさんがいくつかわからないけど、友達が多いのであれば元保母さんとか直近で孫が産まれ女性に頼んでおくといいですよ。

頼めばOKしてくれる人も多いです。

単純に見ている人がだれかいるというだけでも心に余裕が産まれます

児童館を調べておく

事前に児童館に「子どもを連れて行っても良いか」と相談しておきましょう。

だいたいベビーベッドがあります

そこで2時間くらい面倒みましょう。困ったことは先生が教えてくれます

お嫁さんも仮眠が取れます

小児科や夜間外来を調べておく

土日やっている小児科や夜間外来を調べておきましょう。

代わりに連れて行ってあげるだけでも喜ばれます

というかお嫁さん一人だと3人を連れて移動は無理です。

そんな感じです。

最後

頑張れ!じいさん!

双子でもとても楽しいので三つ子もっともっと楽しいはず!

ただめちゃくちゃ大変なので今からウォーキングしたり筋トレしておいた方が良いぞ!

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