2024-10-01

子どもを無事に産めなかった

二人目か犬かの答えが出ない ※追記あり

 これを書いてから1年後。

 奇跡的に二人目を授かり、結果的に亡くした。

 妊娠が分かったのは1月の半ば。生理が遅れて、検査薬を試した。まさか自然妊娠だった。元々卵巣機能が低く、第一子は不妊治療を経て出産し、その後いくつかのことを試したが結局授かることはなく。家族3人で楽しくやっていけばいいと完全に諦めていた矢先、妊娠したことが分かった。

 最初夫婦ともに戸惑った。子どもはもう5歳になって、生活に随分余裕ができた。夜は寝るし、言葉を話せて、気軽に旅行にも行ける。経済的にも子どもひとりなら安心して程良い生活ができる。そう高を括っていたところに0歳の存在が加わると。思い出される、寝ない、食べない、忍耐の日々。兄弟を望んだこともあったが、もはや5歳と0歳は多分一緒に遊ばない。仕事責任のある立場になって、引き継ぎや調整にかかる労力は計り知れず、正直マジかという気持ちになった。

 そもそもこれまでどんなに頑張っても妊娠しなかったポンコツ身体にぽっと出の命が宿ったとして、うまくいきっこないはずだ。最初はどうせ化学流産子宮妊娠関の山だと思い込んだ。そうでないと、自然に授かれた喜びが爆発してしまいそうだったから。今さらマジかと思う一方、もう一度この手に赤ちゃんを抱けるかもしれないことが、子どもに弟か妹を産んであげられるかもしれないことが、本当は嬉しくて嬉しくて仕方なかった。

 初期の検診は毎回、あまり期待せずに通った。子宮内に胆嚢が確認できたときリングのような卵黄嚢がくっきりと美しく見えた時、力強い心拍の音が病室に響き渡った時。涙が出るほど嬉しかった。期待しないように、期待しないようにと言いながら、毎朝毎朝、アプリで週数日数ごとの胎児の様子を丁寧に読んだ。第二子で、次の検診までがあっという間だとか、うっかり存在を忘れるとか、そんな瞬間は一度もなかった。ずっとずっと心配だったし、いつも赤ちゃんのことを考えていた。

 私の心配をよそに、赤ちゃんはすくすくと大きくなった。検診の度に週数以上の大きさで、何の異常もなく、胎動も痛いくらい力強くて。深夜に目が醒めて、お腹に少し合図すると、もこもこと蹴り返してくる存在が何よりも愛おしかった。どんどんお腹が大きくなって、腰が痛くて、苦しくて、上の子に優しくできずイライラしたり落ち込んだ日もあったけど、元気な胎動を感じながら過ごす毎日は満ち足りていて幸せで、幸せで仕方なかった。

 7月、何とか仕事をやりきって、気持ちよく産休に入った。体質的に上の子は早産だったから、もしかしたら近日中に産まれしまうかもなとは思った。検診では何も問題なかったが、体感的にそれくらい身体限界で、8月を乗り越えられる気がしなかった。早産はいつも不安だったけど、28週を過ぎたあたりで、もう大丈夫だと思った。かかりつけは家から近く、NICUのある大学病院で、例え早産になったとしても何も問題もないはずだった。

 その日。

 前日も当日も暑くて外出はできず、家でゆったりと過ごした。夜になり、脇腹辺りに痛みを感じた。陣痛のように収縮するような波のある痛みではなくて、何かズキズキした痛み。食あたりを疑いつつ、どんどん増してくる痛みに違和感を覚えすぐに病院へ向かった。深夜の救急外来で、すぐにエコーを当てられたけど、いつもなら聞こえるはずの力強い心拍音がいつまで経っても聞こえない。ドッドッドッとうるさいくらいのあの音が。死ぬまでずっと覚えていたいと思った音がいくら探しても聞こえなかった。

 腹痛を感じてから約45分、病院到着から約15分で帝王切開が始まった。にも関わらず、全身麻酔から目が覚めたとき赤ちゃんは生きていなかった。診断名は子宮破裂、常位胎盤早期剥離、胎児機能不全、子宮筋腫核出後、子宮内膜症性嚢胞合併。要は子宮が15cm裂けていて、そこから胎盤が脱落し、赤ちゃんは仮死状態で生まれものの、蘇生に反応しなかった。

 産まれた姿は大きくて、体重が1950gもあった。まだ体毛がたくさんあって、眉毛が立派だったけど、私と、上の子が産まれときそっくりだった。手足はむっちりと太く、小さな指もそれぞれ5本ずつしっかりあった。小さなお口が三角形に開いていて、かわいくてかわいくてしかたなかった。目が開いたら、どんなお顔だったんだろう。どんな声で泣いたんだろう。何が好きで、何が嫌いだったんだろう。もう冷たくて、ところどころ固まって、点滴や機械の痕が痣になって痛々しくても、かわいくて愛おしくて悲しくて、泣きながら何度も何度も名前を呼んだ。

 どんなに寝なくても、食べなくても、元気に生まれてくれたらそれでよかった。ふにゃふにゃの体で、息をして、目が合うだけで、どんなにかわいかっただろう。こんなことなら、1日でも早く、早産になればよかった。子宮が破裂する前に、お腹から出してあげたかった。3日前の検診では何の異常も無かったし、子宮破裂の可能性なんて考えさえしなかった。あかちゃんは私のせいで亡くなった。子宮さえ丈夫だったなら、元気に生まれてきたはずなのに。

 

 手術から1週間後に退院して、夫の運転する車で家に帰った。信号待ちで車が止まると窓の向こうに、大きなお腹で上の子と手をつないで幸せそうに帰り道を歩く自分の姿が、お腹をおさえてふうふうと息をつきながら頑張って坂道をのぼる自分の姿が浮かんで涙が止まらなくなった。家についても、しばらく中に入れなかった。新生児用の抱っこ紐も、ベビーベッドも準備していた。上の子のおさがりも整理して、みんなで楽しみにしていた。名前もたくさん考えて、一番良い字画を選んでつけたのに。自分だけ家に帰ってきてしまたことが悔しくて悲しくて死にたいと思った。ごめんねといくら言っても言い足りなくて、自分に拳を叩きつけながら叫ぶように泣き続けた。

 あれから2ヶ月が経った。納骨はせず、毎日お線香と小さな哺乳瓶でお水を供え、遺骨に話しかけて暮らしている。泣かずに過ごせる日が増えてきた一方で、妊婦さんや小さな赤ちゃんを見かけてはひどく落ち込む日もある。最初の数週間はとにかく出産前に戻りたい、戻りたいと思いながら過ごした。前日でも、当日の朝でも、何とか時間を巻き戻せたなら、先生懇願してすぐにでも帝王切開をしてもらう。赤ちゃんはしばらくNICUで過ごすけど、上の子の時のように、きっと元気に退院できた。

 1ヶ月くらい経つと、この悲しみが死ぬまでずっと続く気がして、妊娠前に戻りたいと思った。そもそもからなくても、私達は十分幸せだったから。子どもは一人と納得していて、他人を妬ましく思う気持ちもなかった。大好きな夫と子どもがいて、決して不幸ではないはずなのに。失ったことが悲しくて、足りないものを嘆き続ける毎日ならば、授かる前に戻りたいと思った。

 そして2ヶ月経った今、子宮破裂について考えることが増えた。子宮破裂は極めて予後が悪いもので、8割の赤ちゃんが亡くなり、例え救命できたとしても、寝たきりとなる可能性が高いそう。私は子どもに一生、経管栄養の寝たきりで意思の疎通が全くできなくても生きていてほしかったとは思わない。もちろん結果的にそうなったなら大事に世話して必死に生かそうとするに違いないけど、それが死よりベターだとも思わないから、唯一そういう意味では今回の結果に納得できる気もしている。

 でもやっぱり、失った未来を想うと悲しくて、もう一度取り戻せないかと思ってしまう。もう一度妊娠できたなら、今度は無事に産むから。亡くなった子と新しく生まれる子を同一視してはいけないとか、そういう話はどうでもいい。ただただ、もう一度授かって、今度こそ元気な赤ちゃんを抱きたい。これはもう、女としての私のエゴだ。止血のために両側の卵管を結紮したから、自然妊娠はできない。また次の妊娠医師から真剣に止められている。本来なら子宮摘出すべきところ、小腸癒着して摘出できず、仕方なく残しているだけです。妊娠しても無事に産める確率は極めて低く、次もまた同じか、それ以上に悪いことが起こります。本当にお母さんと赤ちゃん生命に関わります。そう言われても、じゃあもうきっぱり諦めて、次の子は二度と望みません、とは思えない。

 赤ちゃんとたくさんお散歩がしたかった。上の子絵本読み聞かせる様子を動画に撮りたかった。寝顔を見て、上の子と同じ顔だねと夫と一緒に笑いたかった。泣き声に、イヤイヤ期にうんざりしても、熱が下がらなくて大変でも、くたくたになりながらもう一度家族赤ちゃんを育てたかった。全部、あと少しだった。もう少しだったのに、全部失ってしまった。悔しくて悔しくて、このまま終わることができない。

 何のために授かったのか。どうすれば失わずに済んだのか。

 自分エゴ家族迷惑をかけてでも、もう一度リスク承知子どもを望むか。足るを知り、諦めて日常を受け入れるべきか。

 どんなに答えが決まっていても。

 迷うことをやめられません。

 いつまでも

記事への反応 -
  •  うちには子どもがひとりいる。4歳の男の子。かわいくて元気。本当にめっちゃ元気。楽しいこと、面白いことが大好きで、知らん人にも気にせずバンバン話しかける。でも意外と常識...

    • 二人目か犬かの答えが出ない ※追記あり  これを書いてから1年後。  奇跡的に二人目を授かり、結果的に亡くした。  妊娠が分かったのは1月の半ば。生理が遅れて、検査薬を試した...

      • 辛い

      • へー  円光しては子供おろすこと4回 大人になってから子供3人育てた知人って体丈夫だったんだ ダメなのもいるんだね

        • 🐊「グッフッフッ・・冗談はやめてくれ」 🐊「仮にも“獣王”と異名をとるこのオレに👑」 🐊「こんなガキの相手をしろというのか!?」

      • ほぼ不可避で誰も悪くないじゃん。 しゃーない切り替えていけ。

      • 自分の体を大事にして下さい。

    • 難しいよね 時代が悪いんだと思う 専業主婦が難しい時代だから うちは結局一人っ子だな〜

    • 俺の場合、親が「犬を飼いなさい」と兄に言って、でも犬が死んで、兄が「犬じゃ嫌だ!」と言って、俺が生まれた

    • やっぱ犬よりヒトの方が良いよ

    • 両方すりゃええ 犬は毎日歯磨きしてやれよな

    • もう一人作る時は、また不妊治療から?なんかそれで犬に目が向いてるように見える。 子供は産まれてきたならもうお腹には戻せないから、 勢いで妊娠しちゃったらいいのにね。

    • まず妊活、ダメだったらワンコの二段構えで。 ワンコはいつでもお迎えできるし、子を選ばなかった後悔はずっとついてまわる気がする。 妊活どこまでやるかだけど、諦めるライン(期...

    • 俺が第二子になりましょうか

    • 第二子を望んでて現実的に妊娠可能なら第二子がいいんじゃないかな。 第二子は第一子ほど手間かからん。(手間かけられない)

    • 一人より二人の方が楽よ。二人で遊んでくれるし

    • それだけ歳の差あれば一緒には遊ばない可能性高いよ。どちらもあなたに、構って、と要求してきて2倍大変になると思う。第一子の相手をさせることが主な動機ならやめた方がいいと...

    • 大丈夫、生まれてしまえば一人目のときみたいに絶対がんばれるから。 (不妊治療のことはわからないけど。) 子どものこと考えたら、子どもだよ!

    • 旦那は死んでるのかってくらい存在感がないのすごー

    • 子育ての大変な部分を知っているからこそ尻込みするけど 犬は飼ったことがないから良い部分だけを見ているという気もする 不妊治療でお金はかかるし生まれるかわからんし子育ては...

    • 実際兄弟なんか友達でもないんだから遊び相手になるかわからない。年の離れた妹は何でもしてやれるくらい本当に可愛いけどそれこそ5歳差の弟はさっさとタヒなねえかなと思ってる。...

    • うちは私がひどい生理不順で5年以上不妊治療した結果子どもを諦めて犬を飼い始めた瞬間妊娠しました!子どもが出てくる頃には犬がやっと1歳になるから犬の手がかからなくなるのでま...

    • 「わふわふと無邪気な愛想をふりまいて家族みんなを癒す」 犬の個性によってはそうならない場合もあるかもね。気難しかったり

    • 自分が独身だからだろうけど、こういう家族計画をする母親はなぜ子供に障害がある可能性を一切考慮しないのか不思議だ 健康な夫婦に健康な第一子が生まれたから次の子も健康だと思...

      • だから少子化解消のためには「気軽に捨てられる体制」が必須だと常々主張しています ブラック企業問題解決のためには「気軽に転職できる体制」が大事だというのと同じ

    • 歳の近い兄弟(1~2歳差ぐらい)になるなら二人目を選択するのが楽だし毎日賑やかになって楽しいと思うけど、5歳差ぐらいだとお兄ちゃんに弟の面倒を見るという役割を転嫁されそうで...

    • 私も1人目から不妊治療で、2人目は5歳差で産んだよ。4歳だと普通に会話もできるし育児が少し楽になるころだよね。 朝も夕方以降もずっとバタバタで正直しんどいけど、どっちもすごく...

    • 自然妊娠トライではダメなん? うち兄弟つくれんかったせいかひきこもりになったわ

    • 経験則で言わせてもらうと、もう一人つくって同時に犬だ。 ただあまり小型でも大型でもない中型の犬をお勧めする。 イメージとしてはビーグルくらいの大きさ。

    • 単に「子供かわいー私もう一人ほしいー」なら別に全く構わないと思うんだけど(もちろん稼ぎとかあるだろうから配偶者とも相談しての話だろうけど) 「一人目の遊び相手に」という...

    • は?犬だぁ? ネコだろ!!

    • 後悔したくないなら犬にしておけ 犬は飼ってみれば可愛くて可愛くて「ああ、犬にしてよかった」と思うけど、 二人目の子供がもし障害児だったり将来犯罪者になったりしたら「犬に...

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