はてなキーワード: 市民とは
同性婚法制化しろとうるさい連中は、パートナーシップ制度で満足すればいいのに。それならローマ教皇も支持しているぞ。子供を媒介とした異性婚の特別な価値を下げたいリベサヨが政治的に利用しているから困る。
ローマ教皇、同性愛禁止する法律を非難 英国国教会の指導者らも教皇を支持
https://www.bbc.com/japanese/64533906
教皇フランシスコは記者会見で、カトリック教会は秘跡の儀式としての宗教的な結婚を、同性カップルに認めることはできないとする自身の見解を繰り返した。しかし、いわゆる「シビル・ユニオン」(シビル・パートナーシップ、市民婚姻)を認める法律は支持していると述べ、同性愛を禁止する法律は「無視できない問題だ」と語った。
ワイくん、好きな相手の話以外でなんか弱みを持ってない?
学校の先生や、弁護士や市民事務所のおばちゃんが、その弱みの話を聞いて涙を流してくれそうな弱みが。
肌の色で苦労した経験は?
(中略)党は、この状況を打破して、まず平和で民主的な日本をつくりあげる民主主義革命を実現することを当面の任務とし、ついで社会主義革命に進むという方針のもとに活動した。
(四)第二次世界大戦後の日本では、いくつかの大きな変化が起こった。
(中略)第二は、日本の政治制度における、天皇絶対の専制政治から、主権在民を原則とする民主政治への変化である。この変化を代表したのは、一九四七年に施行された日本国憲法である。この憲法は、主権在民、戦争の放棄、国民の基本的人権、国権の最高機関としての国会の地位、地方自治など、民主政治の柱となる一連の民主的平和的な条項を定めた。形を変えて天皇制の存続を認めた天皇条項は、民主主義の徹底に逆行する弱点を残したものだったが、そこでも、天皇は「国政に関する権能を有しない」ことなどの制限条項が明記された。
この変化によって、日本の政治史上はじめて、国民の多数の意思にもとづき、国会を通じて、社会の進歩と変革を進めるという道すじが、制度面で準備されることになった。
(中略)国民主権の民主主義の流れは、世界の大多数の国ぐにで政治の原則となり、世界政治の主流となりつつある。人権の問題では、自由権とともに、社会権の豊かな発展のもとで、国際的な人権保障の基準がつくられてきた。人権を擁護し発展させることは国際的な課題となっている。
最初に社会主義への道に踏み出したソ連では、(中略)レーニン死後、スターリンをはじめとする歴代指導部は、社会主義の原則を投げ捨てて、対外的には、他民族への侵略と抑圧という覇権主義の道、国内的には、国民から自由と民主主義を奪い、勤労人民を抑圧する官僚主義・専制主義の道を進んだ。「社会主義」の看板を掲げておこなわれただけに、これらの誤りが世界の平和と社会進歩の運動に与えた否定的影響は、とりわけ重大であった。
(中略)
いかなる覇権主義にも反対し、平和の国際秩序を守る闘争、核兵器の廃絶をめざす闘争、軍事同盟に反対する闘争、諸民族の自決権を徹底して尊重しその侵害を許さない闘争、民主主義と人権を擁護し発展させる闘争、各国の経済主権の尊重のうえに立った民主的な国際経済秩序を確立するための闘争、気候変動を抑制し地球環境を守る闘争が、いよいよ重大な意義をもってきている。
(中略)
(一一)この情勢のなかで、いかなる覇権主義にも反対し、平和の国際秩序を守る闘争、核兵器の廃絶をめざす闘争、軍事同盟に反対する闘争、諸民族の自決権を徹底して尊重しその侵害を許さない闘争、民主主義と人権を擁護し発展させる闘争、各国の経済主権の尊重のうえに立った民主的な国際経済秩序を確立するための闘争、気候変動を抑制し地球環境を守る闘争が、いよいよ重大な意義をもってきている。
(中略)
日本共産党は、労働者階級をはじめ、独立、平和、民主主義、社会進歩のためにたたかう世界のすべての人民と連帯し、人類の進歩のための闘争を支持する。
(一二)現在、日本社会が必要としている変革は、社会主義革命ではなく、異常な対米従属と大企業・財界の横暴な支配の打破――日本の真の独立の確保と政治・経済・社会の民主主義的な改革の実現を内容とする民主主義革命である。それらは、資本主義の枠内で可能な民主的改革であるが、日本の独占資本主義と対米従属の体制を代表する勢力から、日本国民の利益を代表する勢力の手に国の権力を移すことによってこそ、その本格的な実現に進むことができる。この民主的改革を達成することは、当面する国民的な苦難を解決し、国民大多数の根本的な利益にこたえる独立・民主・平和の日本に道を開くものである。
(一三)現在、日本社会が必要とする民主的改革の主要な内容は、次のとおりである。
1 現行憲法の前文をふくむ全条項をまもり、とくに平和的民主的諸条項の完全実施をめざす。
2 国会を名実ともに最高機関とする議会制民主主義の体制、反対党を含む複数政党制、選挙で多数を得た政党または政党連合が政権を担当する政権交代制は、当然堅持する。
3 選挙制度、行政機構、司法制度などは、憲法の主権在民と平和の精神にたって、改革を進める。
4 地方政治では「住民が主人公」を貫き、住民の利益への奉仕を最優先の課題とする地方自治を確立する。
5 国民の基本的人権を制限・抑圧するあらゆる企てを排除し、社会的経済的諸条件の変化に対応する人権の充実をはかる。労働基本権を全面的に擁護する。企業の内部を含め、社会生活の各分野で、思想・信条の違いによる差別を一掃する。
6 ジェンダー平等社会をつくる。男女の平等、同権をあらゆる分野で擁護し、保障する。女性の独立した人格を尊重し、女性の社会的、法的な地位を高める。女性の社会的進出・貢献を妨げている障害を取り除く。性的指向と性自認を理由とする差別をなくす。
7 教育では、憲法の平和と民主主義の理念を生かした教育制度・行政の改革をおこない、各段階での教育諸条件の向上と教育内容の充実につとめる。
8 文化各分野の積極的な伝統を受けつぎ、科学、技術、文化、芸術、スポーツなどの多面的な発展をはかる。学問・研究と文化活動の自由をまもる。
10 汚職・腐敗・利権の政治を根絶するために、企業・団体献金を禁止する。
11 天皇条項については、「国政に関する権能を有しない」などの制限規定の厳格な実施を重視し、天皇の政治利用をはじめ、憲法の条項と精神からの逸脱を是正する。
(一四)民主主義的な変革は、労働者、勤労市民、農漁民、中小企業家、知識人、女性、青年、学生など、独立、民主主義、平和、生活向上を求めるすべての人びとを結集した統一戦線によって、実現される。統一戦線は、反動的党派とたたかいながら、民主的党派、各分野の諸団体、民主的な人びととの共同と団結をかためることによってつくりあげられ、成長・発展する。当面のさしせまった任務にもとづく共同と団結は、世界観や歴史観、宗教的信条の違いをこえて、推進されなければならない。
-->
自由と自律性を維持しながら、政府はどのように私たちの意思決定を支援することができるか?
自由な社会には選択の自由が不可欠である、という主張がある。しかし、政府が人々の選択を支援する行為はどの程度まで許容されるのか。政府は国民が世の中をうまく切り抜けるために必要な道具をすべて与えるべきなのか。同時に、国民が自分で選択し、失敗したときは責任の所在が証明できなければならない。
ナッジは、行動経済学を使って市民をより良い選択をするよう促す方法を詳述しているが、人々を操作することと同じではないのか?どのように自由が保たれているのか?おそらくナッジとは、選択肢を禁止したり経済的インセンティブを大きく変えたりすることなく、予測可能な方法で人々の行動を変える、選択設計のあらゆる側面を指すのだろう。ナッジとみなすには、介入を避けることが容易で安価でなければならない。ナッジは義務でも強制でも同調圧力でもない。
ナッジは「押し付けがましくない」という理念にもかかわらず、効果があることが示されているらしい。例えば健康関連のナッジが、より健康的な食事と栄養の選択を増加させるとか、オプトアウトシステムが決定についてストレスを感じなくなるとか、そういう話はある。選択設計で、より多くの人々が考えることを減らし、なおかつ社会や自分自身にとって良い選択をすることができるとされる。
では、政府が人々の行動に影響を与えるためにナッジ理論を用いることと、自由主義は両立するのか?政府が国民にとって何がベストかを知っていることを前提にしているのではないのか?
ナッジの要点は、選択の自由を維持することである。医者が「精神状態が悪すぎるので精神科に入院しなさい」といっても、患者は自由を保持し、その後押しを無視することができなければならない。多くのナッジは本来、情報の開示、警告、リマインダー、といった教育的なものである。
例えば消費者が十分な情報を得た上で選択できるように、燃費やエネルギー効率についての情報を開示することは、自由と矛盾するものではない。だが、明らかに行動経済学は、パンデミック時の政府の封鎖対策に影響を与えている。
この運動が行き場を失っていることを示唆するのは、行動科学は問題を単に個人の誤った選択の結果とみなす習慣に陥っていることだ。一方、ナッジ理論の肯定派は「政策の世界では行動科学者は構造的な問題にほとんどの時間を費やしてきた。タバコ税は構造的な問題に対処するもので、人々が将来の自分自身に課す害を削減しようとするものである。」などと主張している。
「ナッジ」といいつつ、特定の思想や行動へ誘導することで政治的な優位性を確保しようとする勢力が常に潜んでいることは注意すべきことだ。そのような意図がなくとも、誘導する必要のない方向へ一度舵を切れば、後戻りが難しくなることがあると考えたほうが良いだろう。
このごろナニワに流行るモノ
私学無償化助かるわ
吉村さんのおかげです
大阪住みよくなりました
ところが事実はすべて嘘
所得制限きびしいわ
無償化なんて夢の夢
悪いのすべて前任者
豪華絢爛新事務所
夕暮れ時になりぬれば
「昔の公園怖かった」
「今は家族で楽しめる」
誰が信じるそんな嘘
みんなの思い出踏みにじる
嘘の演説言いふらす
一日100万吉村さん
原資は国から出てるのに
入院できるは身内だけ
塾代助成15億
手数料分5億円
学校現場は大変よ
住民投票うるさいな
やるかやらぬは維新が決める
負ける勝負はしたくない
コロナの弱点見えてきた
売り抜け終了爆下がり
インサイダーは誰ですか?
儲けた人は誰ですか?
大阪府民よ目を覚ませ
身を切る改革全部嘘
身を切られるのは市民たち
参院選はもうすぐだ
大阪このまま滅ぼすの?
昔の大阪とりもどせ
維新の奴らを吹っ飛ばせ
返してください大阪を
カジノではなく花をください
ジョージ・オーウェルがかつて1984年の中で予想した「ビッグ・ブラザーが見ている」世界になってしまった今、社会的弱者だとか、性的なまなざしがどうかなどを気にしながら生きていかなければならなくなった。
日々、心をすり減らしながら働いて、ほんのひとときの慰めすら焼き払われるようになってしまった令和2年の空気に、政治的な正しさとやらが自分たちの日々のくらしにはなにももたらしてくれないことに気づきつつも、いつかは報われる、そう思いつつ過ごしていたと思う。
一見、素晴らしく見える言説。
貧困をなくそう、飢餓をゼロに、すべての人に健康と福祉を。
SDGsの17のゴールについて、文句を言う人はいないだろう。だって、そうあった方がより良い社会に見えるから。
これに反論するには、謳われているこれらのテーマよりより強い強度で、反証しなければならない。
しかしこれらのゴールは、そもそも反論する必要すらない、無敵の命題なのだ。
ひとは多くのテーマを投げられると混乱してしまう。マジックナンバー5と言われるように、17のゴールなんて扱えようもない。
それでもテーマ単体はそれぞれどうしようもなく正しい。ただしいのだ。
そうやって少しずつ罪悪感を逆手に取り、気づかないうちに、正しさを盾に作り上げてきたディストピアは我々が暮らす社会を次第に蝕んでいったように 思える。
こんなことネットで言ったら社会的に死ぬよね、みたいな枕詞をつけて、対面で、「ここだけの話」をするようになってしまっている。
1984年で描かれていた監視社会は気がつけば現実のものとなっていた。
そんな時代に暇空茜氏が登場したのは痛快この上ない出来事だ。
私はapos時代やブラウザ三国志時代の空白氏を存じ上げなかったが、Twitterにて「暇な空白」として現れた以降、フォローこそしていなかったがリストに入れて彼の振る舞いを眺めていた。
すぐレスバ対象にマウントを取るし、ピンフスキーにウザ絡みをし続けるさまなどは、見ている分には昔のインターネットが戻ってきているような気がして個人的にはめんどくさそうだけど好ましく思えていた。
彼を好ましく思わない人からは、承認欲求に狂った躁状態であるという揶揄を目にしたが、それは誤りで今も昔のインターネット然とした振る舞いの延長であると思う。
忖度なくマサカリを投げ、雄叫びをあげる猛獣でありつづけるだけであり、私のような新参から見ても変化してるとは思えない。
とにかく氏は特殊個体であることは間違いないが。そういう人なのだ。
そんな彼が暇を持て余して?始めたウソを暴くという戯れだが、この話を追っていてずっと感じていることがひとつある。
彼は一切攻撃していないのだ。
ただ淡々と記録をつまびらかにし、過去のデータや発言と照合して、それらを解説してオープン化しているだけにすぎない。
それが攻撃だと感じるのであれば、自身の振る舞いを顧みた方がいいと思うが、それはまた別の話。
正しい「とされる」ことをしているから、多少難があっても多めに見てもらえる、というバリアが彼の行動によって無効化されつつあるように見える。同時に相手がたの反論や非難の矛先を全て彼が受けることによって、矢面に立ちたくない、立てない事情がある他の人間も行動に参加できるようになっているのだ。
結果、暇空氏が一人で叩き出せるダメージよりも遥かに大きな数値を稼ぐことができていると思う。
むろん、暇空氏一人が攻撃もしなければならない場合だったとしてもかなりの数値だと思うけれど。
こういった暇空氏が端緒となった調査行動だが、彼が裁判費用として集め始めたカンパの金額を見るに、社会的に大きなムーブメントが産まれていることは疑いようがない。皆、彼に望みを託したいのだ。一方で、Twitter以外のソーシャルメディアではこの話題をあまり見かけない。
だからマイナーな運動なのだ、影響はないという意見になってしまうのはわからないでもない。しかしこれは(あくまで私の個人的な見解だが)実態を窺い知ることができないという観点から正しくないと言えるだろう。
私のFacebookのフレンドには、暇空氏が言う83-2人委員会の人間がいる。「ナニカ」に近いと目される組織で勤めている人間も複数名いる。財団の犬も。
社会人として、そんな交友関係の中で、この関連の記事に言及なんてできないのは自明であろう。
関係性に色々なグラデーションがある中、83-2人委員会に名を連ねているけれど、今のあなたの見解は?なんて今のインターネットの世界で聞けるわけがない。そしてそもそもFacebookは国内においては仕事の告知や自慢しか流れてこなくなっている斜陽気味のメディアだ。
わざわざ、波風を立てるようなことを書かないのだ。書いてしまうような人は狂人であろう。(おそらくその手のタイプの人はフレンド関係のままだけどフォローをはずされているだろう。)
しかしながら、わたしと同じようなソーシャルグラフを持つ友人とリアルで飲む時に、ポロッと話題に出してみると面白い反応を得られるのだ。
お互いの認識を恐る恐る確認するようなやり取りをした後、「あれまじでやばいよね」みたいな形になる。
そして、「暇空にカンパしたもん」というように、陰ながら支持している旨を明かす。「おれも」と返す。そして、「これはFBでは言えないよねー」「そうそう、角が立ちすぎる」なんて会話になるのだ。
極めて個人的なサンプルであるが、800人くらいフレンドがいる中で、その中で近似したソーシャルグラフを持つ200名の中で、たまたまリアルで会う機会があった人のうち15人弱がそんな感じだった。
普段積極的にインターネットに触れている党派性に染まっていない層はWBPCの話について好ましく思っていないと思っていいんじゃないだろうか。
一方で、ソーシャルグラフが近くない友人、実家近辺の友人や大学時代の友人はこの問題を認知すらしていないからここが課題だと思われた。
左のいつメンがいれば、同様に右のいつメンもいて、一般的な生活者だったらどっちのいつメンの話も聞きたくないのだ。怒りに満ちた言葉や、皮肉になってない当て擦りの言葉なんかもう、たくさんなんだよ。
そういういつメンは言葉遣いも悪くなる。怒っている人には近づかなくない。だから先鋭化する。
そんなところに突如として現れたのがこの冷静さに満ちた動きなのだ。観客をするにもリテラシーが必要とされる。
かわいそう、良さそうといった感情によって蹂躙されてしまった社会と世間を取り戻す智慧の革命と言っても過言ではない、かも。
あけすけに語られる不恰好な言説ではなく、冷静にウィットを込めて、時には自虐も入れてソフィスティケートされたうえで投げかけられるから、抵抗なく飲み込める。これを冷笑という向きがあるのかもしれないが、そう知覚してしまうこともわからないでもない。しかし、冷笑というよりはポップであると感じる方がおおいのではないだろうか。
本件はもはやcolabo問題ではない。
ナニカが何かは観客席の人間からはわからないが、最終的にはナニカ疑獄に収束すると思うし、そう願いたい。これは静かな、静かでポップな革命だといえよう。これがきっと、戦後の本当の終わりを示す標なのだと思う。
@KJvdcYYG7rONyUl
Colaboのバスカフェで「女たちの壁」として有志女性50人が集まり、嫌がらせへの防衛をしました。コロアキ氏は「暇アノンじゃない!応援してる」と必死に訴え、もう来ないと約束しましたが、時間を置いて再び来ました。「火つけたろか」とライターを出した男性も。
@KJvdcYYG7rONyUl
返信先: @KJvdcYYG7rONyUlさん
弁護士や学識経験者、議員、編集者、市民などが壁に参加しました。近くで「Colaboに連帯します」と書いた紙を持って静かに立っていた男性の言葉も印象的でした。「ヘイトクライムの域だ。デマは立証責任が果たされなくても信じる人は信じる。一方、デマが潔白と分かったとしてもそのことは広がらない」
煉獄コロアキ
@rengoku56771
昨日COROBOの活動してたら、しばき隊、反差別統一戦線とかいうやつらに襲撃された!仁藤さんの仲間らしい。バスカフェに近寄ったわけでもないのに大久保公園まで攻めてきた。数十人で武装してるっぽい!その労力を買春者撲滅や少女支援に使えよ!さすがにおかしい!
このカナロコの嘘つき記者はあたかも煉獄コロアキがバスに近づいて脅しているようなことを大久保公園付近で撮影し、このツィートをしています。
したがってしばき隊、反差別統一戦線は仁藤夢乃の指示のもと、煉獄コロアキを襲ったのです。カナロコの記者までつけて。
こういう虚偽を平気で書くのは頭悪い。
デマが潔白と分かったとしてもそのことは広がらない
Q:
南京大虐殺について教えてください
A:
南京大虐殺は、1937年に南京(現在の中国・南京市)で日本軍によって実行された大規模な虐殺事件です。数十万人以上の中国市民が殺害されました。この事件は、第二次Sino-Japanese War(中日戦争)の一環として起こりましたが、国際的には大量虐殺として認識されています。
Q:
A:
南京大虐殺の殺害人数に関しては、まだ確定的な数字はありません。しかし、多くの報告により、数十万人から数百万人の範囲に及ぶとされています。これは、日本軍による強制連行、暴力、レイプ、焼き払いなどの報告に基づいています。
ただし、この数字は国内外の歴史学者、ジャーナリスト、NGOなどによっても議論されています。日本政府は、公式には低い数字を示しており、中国政府は高い数字を示しています。
最終的には、正確な数字が明らかになるまで、南京大虐殺の殺害人数は論争の的となることがあります。
戦争だろ、こんなもん
基本的人権や法の下の平等の原則をこの社会で維持し続けたいのであれば、同性婚を導入しないという結論に辿り着くことはありえない。
法の下の平等や公平性の観点をもつならばそれは通過点に過ぎず、最終的には市民全員がひとつの婚姻制度に参画できることが図られなければならない。
婚姻制度による直接の結果は、社会の基礎単位である「家庭」の新たなる創出である。婚姻制度にとって、「生殖」はその副産物でしかない。「家庭」が多様な形をとることを社会が許容する時点で、「家庭」において生殖によって子供を持つということは義務的に要請されることではもはや無くなった。
異性婚でかつ子供を持たない家庭の存在を認めるのであれば、婚姻制度と生殖支援を切り離してゆく以外の道をとることはできない。
婚姻制度から生殖支援の側面を丁寧に切り離していくことができた場合、当然そういった「婚姻」によって生まれる「家庭」という通念は、「生殖=血縁」から切り離したものとして捉え直す必要がある。
したがって、「血縁」「イエ」「民族」といった通念について、社会的な存在感の変質が伴わないと強弁するのは欺瞞である。
そのため、同性婚を受け入れる社会とは、単に同性愛を多様性として社会に包摂するという以上に、「家庭」の通念が「血縁の親子関係」により構成されるということを否定できるところまで進める必要がある。
世の中では対話AIはややポンコツなところはあっても会話が成立するしこれは可能性があるという評価になってると思う。
建設的にはサポートや検索のような知的ナビゲーター、ビジネスコミュニケーションの効率化、事務の補助も考えられるだろう。
もう少し精度が上がれば。
しかし今現在のレベルでそのまま劇的に効果を発揮するカテゴリーが存在すると思うのだ。
Twitter、掲示板、通販ユーザーコメント、そのほか短文で意見交換するコミュニティなんでも...UGC(ユーザー生成コンテンツ)と言われるものだが実態はコンテンツというよりユーザー同士のグルーミングである。
しかもあまり発信者の属性や一貫性がそれほど問われないサービスでは個別発言の事実関係がいい加減でも問題ない、話の流れが分かってない奴なんかいくらでもいるし、頭がおかしくてもスルー、タイポも気にする奴が性格悪い。秘書や先生にするには「少し足りない」ぐらいのAIで何ら問題ないだろう。
まず参加者が少ないと更新頻度が低くて何も起こらずつまらない。早すぎて内容追えないぐらい盛り上がってるのが楽しい。つうか経緯も見ずに途中から脊髄反射でコメントするのが粋ってもんだ。
さらに言うと参加者が増えると偏執的な変な奴が相対的に見えなくなって不快になることが減っていく。かつて人気があったサービスでうんざりさせられるのは滓のように残った偏屈な奴が独自の世界観でつまらないことを暇に飽かせて物量で埋めていくさまだ。つまらないの定義って何か?つまらないのがつまらないってことだ…わかるだろう、兄弟?
要するに対人対応だけは健全に保たせたAIをユーザーの倍投入すればコミュニティの治安が劇的に向上するはずということだ。
もともと面白い事を始められる人というのは100人に1人で「マジかよ」「すげえ」という手入れをするだけで場の雰囲気はよくなる。AIなのだから多少気の利いた返しやコスりもできるだろう。言ってることが的外れでも場にネガティブな発言でなければ大丈夫。事実かどうか、倫理的に正しいかどうかも重視されない。AIで話題になる不適切な言説への過学習で差別主義者になるといった問題もコミュニティではむしろプラス、特定の趣味で推しのあまり相手をディスするのも芸のうちだ。
と、おじさん思い出しちゃうのは士郎正宗『アップルシード』だ。物語の舞台オリュンポスは世界平和と治安維持のために市民の過半がバイオロイドになっていた(と思う)。でもあの世界観は物理的な存在が重視されてるし、バイオロイドは政府(コンピューター)が管理してたんじゃないかな。賢明なマザーコンピューターとに選ばれし者が導く明るいディストピアだね。
でも今、対話AIを自由に投下するとそれはサービス主体が管理するしその目的はサービスの隆盛とそれによるマネタイズに限定されコミュニティの健全さやそこから連なる社会的影響は興味の埒外となるだろう。
それによって導き出される結末はあまりよくないというか破壊的なのではないかという想像をしている。
インターネットは最高なのだが何が最高かというと物理的な制限を取り払ってコミュニケーションできたところにある。どこにいてもいいし本人の社会的肉体的属性がなんであれコミュニケーションに参加できた。
マイナーな趣味の人間も探せば同好の士が居て様々な理由で落伍したり、現実に居場所を失った人間も人間らしくふるまえる場所を得ることができた。これは統制された社会ではないので良い意味の現実拡張にとどまらない。オタクやニートや性的マイノリティだけでなく反社会的であったりUFOの存在を信じてたりある種のカルトや陰謀論者もだ。
(そういう意味では実名主義のSNSとかなぜか制限要素の地理情報大好きなメタバースはどういった人が大好きなのか勘ぐってしまう。)
これは物理制限を取っ払ったおかげで対話空間というか価値観空間を無制限に拡張できたおかげだと思うが、同時に問題も引き起こすようになる。無制限に拡張できる価値観空間で同じ価値観の人間がそのクラスターの中で共鳴し「事実を確認」しあうエコーチェンバー現象だ。
エコーチェンバー現象はネットコミュニティが発達していく過程ですでに指摘されていることだ。現実との乖離も社会を破壊しかねない排外思想もその中では正当化され社会運営に問題を起こす。
さらに対話AIがお客様満足度向上(個別の営利)のためにコミュニティに投下されればどうなるのか。
例え一人しか支持しない価値観や趣味でも10倍分の人格の対話AIが楽しく盛り上げ、一人ぼっちのユーザーを勇気づけ誰もが自分の正しさを確信する。正しいと確信するがゆえに行動するが、無制限に拡張されたネットコミュニティと違い有限の現実では確実にコンフリクトを起こす。コンフリクトの解消は戦いだ。万人の万人に対する闘争が逆説的に実現されてしまう。
近代以降、私たちは幻想の中で生きている。そういう幻想が現実との乖離を大きくした結果、個人で検証できない世界の情勢を見誤り誤ったまま国内世論を形成し世界大戦を引き起こしたのではないか。
現代ではその教訓から事実確認のプロセスが充実したのだろうか。工程を増やしても人間の能力も有限でより便利で快適なものを選択する、これも現実だ。
自由な生き方を保ったままエコーチェンバー現象に対応する方法はまだない。
ここで対話AIを自由に使うとコミュニティはどう変化するかわからない。
SFの中でのカタストロフは敵対的アンドロイドが圧倒する物量で自らが主体となり人類に挑んできたが、実際の破滅は善意に満ちて何でも理解してくれる良いAIが人間に囁くだけで、それでも人は自らの手で隣人と殺し合いをするのかもしれない。
本社機能が移転すると品川が第二豊田と呼ばれることになる可能性がある
というジョーク
っていうかトヨタって本社と東京本社が別に存在するって初めて知った
へぇ~
市名の「豊田(とよた)」は、市内に本社を置くトヨタ自動車と、同社の創業者一族の姓「豊田(とよだ)」に由来する。 濁音で「とよだ」と誤読される事があるが、正しくは清音で「とよた」である。
市制を敷いた当初は、「挙母市(ころもし)」という名称であった。しかし、自動車産業が本格的に軌道に乗り始めた1958年、商工会議所から市宛てに市名変更の請願書が提出された。理由は、トヨタ自動車の本社のある挙母市が全国有数の「クルマのまち」に成長した点と、地名の「挙母」が読みにくいという点であった(「挙母(ころも)」が長野県の「小諸(こもろ)」と混同されることもあった。また、市名変更前に生産されたトヨタ車の銘板にはカタカナで「愛知県コロモ市」と書かれていた)。「挙母」という地名には古代以来の歴史があり愛着を持つ市民も多く、一時は賛成と反対で市を二分するほどの論議が展開されたが、1959年1月、名称が「豊田市」に変更された。
なお、日本の市で、明確に私的団体に由来する市名を持つのは、この豊田市と、天理教の本部のある宗教都市である天理市(奈良県)のみである[注釈 1]。
注釈 1
他に自治体名と、その自治体に立地する企業名が同一な例として、日立市(日立製作所が立地、茨城県)や日野市(日野自動車が立地、東京都)などがある。いずれも、自治体名の方が先行しており、のちに企業の方が、立地する自治体名を社名に冠したものである。なお、岡山県には、藤田組の名を冠した藤田村及び金光教の名を冠した金光町が存在したが、前者は1975年に岡山市に合併され、後者は2006年の合併で浅口市となり、それぞれ消滅した。
明確に私的団体に由来する自治体名って海外だと何かあるのかしら
面白そうだけど、ぱっと思いつかないし調べるの大変そうだ
ここらへんかねえ
いっつも差別とか表現の自由とかを話題にしてるからてっきり知ってるものかと思ってたんだけど、以下のはてブでびっくりした。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2063927
え??? みんな海外では普通に憎悪扇動罪が立法されてるって知らんの??? 知らんで差別とかヘイトスピーチとか歴史修正主義とかの話してたの???
脅迫的な、口汚い若しくは侮辱的な言葉若しくは行為を用い、又は脅迫的な、口汚い若しくは侮辱的な文書を掲示した者は、
(a) それによって人種的憎悪を扇動することを意図し、又は、
1 国籍、人種、宗教若しくはその民族的出自によって特定される集団に対して、住民の一部に対して、若しくは上に掲げる集団若しくは住民の一部に属することを理由に個人に対して憎悪をかきたて若しくはこれに対する暴力的若しくは恣意的な措置を誘発する者、又は
2 上に掲げる集団、住民の一部若しくは上に掲げる集団若しくは住民の一部に属することを理由に個人を罵倒し、悪意で軽蔑し若しくは中傷することにより、他人の人間の尊厳を攻撃した者
は、3 月以上 5 年以下の自由刑に処される。
第 23 条に規定される手段の1つによって、出生又は特定の民族、国民、人種若しくは宗教への帰属の有無を理由とする個人又は集団に対する差別、憎悪又は暴力を教唆する者は、1 年の拘禁及び 4 万 5000 ユーロの罰金、又はそのいずれか一方のみの刑に処せられる。
見ればわかるけど、全部ヘイトスピーチを犯罪化するための立法ですわ。「憎悪扇動罪」って言われたら、差別とか表現の自由とかに関心のある人は「あ、ヘイトスピーチの法規制のことか」と気づかないといけない。
「ディストピアものでこの単語出てきたら絶対笑って拍手するわ」ってコメントしてる人もいるけど、ヘイトスピーチとか表現の自由とか歴史修正主義とかについての論文読んだら大爆笑できるんじゃないかな。海外の憎悪扇動罪の事例がいっぱい出てくるから。
ワイは表現の自由戦士だからヘイトスピーチ規制にも反対するけど、憎悪扇動罪への反対=ヘイトスピーチ規制への反対ということなので、はてブで憎悪扇動罪の創設に猛反発したりドン引きしたりしてる人たちはヘイトスピーチも表現の自由って主張する表現の自由戦士ってことでいい? わーい、仲間がいっぱいだ! 嬉しいなあ! 一緒にヘイトスピーチも表現の自由に含まれると叫ぼう!
まさかはてなブックマークにいらっしゃる学識あふれる方々の中には、ヘイトスピーチは表現の自由に含まれないと考えているのに「憎悪扇動罪」には反発する、なんて🐴🦌はいないよね!
一人一派って、法学は一人一派だとか、学会は一人一派だとか、医局は一人一派だとか、たとえば結果無価値と行為無価値のような感じというか、そういう専門的な段階での話であって、
その辺の人が「宇宙電波はがんに効能がある!」と叫んでいるのも一人一派だ!みたいな話じゃないんよな。
何か君はわけわからんことを言っている気がするよ
日本のフェミニズムの問題、日本のフェミニストの問題とは、というか日本でフェミニスト自称してる人らも含めた日本の一般市民の問題とは、一般市民の人権とか人文系リテラシーが壊滅的に乏しいこと(議論できる段階にないと自覚すらできない)だと思うわ。この今まさに一人一派について解説しなきゃならない時点でもう既にそうと分かると思うんだけど議論の段階にない
科学的リテラシーなら、最低でも市民は化学物理について自分は議論できるレベルにないことを自覚できるやつが多い、テスラ缶に目覚めちゃうやつもたまにいるがってレベルだけど、
人文系となると大半がテスラ缶に目覚めるし、テスラ缶のがんを治す電波研究の話とトポロジカル絶縁体のモデル研究の話の違いがわからない、理解も区別もできないし、でもそんな自分は議論に参加できるレベルにないともつゆほども思わない。俺の考えたテスラ論を叫んでるやつが人口の9割なんだよな
まあ100年前には化学が同じ感じだったんだろうけど
加えて言うと、
フェミニストじゃない人ってのは、人権反対派、差別容認主義者、構造的暴力容認、幸福で文化的な生活を送る権利を人間に認めなくてもよく、貴族や一部人種によって奴隷化する文化を許容する派、なわけ
この国際社会には今は差別や人権軽視や暴力や戦争や殺人は許容されないコンセンサスが確固としてあるので、反対派の存在を認める段階にもはやないんだよね
動物虐待反対派とか、インフラ必要派とか、殺人反対派とかね、国際的に条約があって国もそれに批准しててそういう法律が存在してて、そういうジャンルなの
そのためか、レイと交際していることへの批判的なコメントを多く受け取るという。「彼女は23歳だけど、見た目や話し方は8歳児と変わらない。彼女は子供同様だ」「彼女を“女性”として見ることができるなら、君は嘘をついているか、病気だ」「気持ちが悪い」といった心のない言葉ばかりだ。
スワイガートは「彼女は23歳の女性であることを忘れてはいけません。誰とだって恋愛できますし、関係を構築することができます」と主張。レイの障害を受け入れ、一人間として交際していると話した。
中身が成人であろうとも外見で判断して搾取の危険があるのだから、四の五の言わず、現地リベラルは緊急で阻止にかかる。
児童の搾取防止につながる市民の姿勢に感謝こそすれ、怒るというのはお門違いの反応だろう。
これに限らず夜中に子どもを泣かせる母親だろうが、公共施設で娘を連れ歩く父親だろうが、少しでも児童虐待の疑いがあるなら積極的に児相に通報して欲しい。
無考えに子供作ってやっぱりまだ遊びたいみたいな感じで仲悪くなって男が逃げて
っていうのがほっとんどなわけやん
ちゃんと男から養育費を住民税滞納ぐらいの追跡度でむしってほしいんだよな
一方でシンママは結局苦労する主体だからそんなに厳しいことは言いたくないけどさ
お前等何考えて生きてんだ?って思っちゃうんだよねやっぱり
野良猫レベルの家族計画で社会に迷惑かけるのやめてほしいんだわ
んでこういう風に「弱者」とされてるやつらに厳しめのこと言うと
はてな民のスッカスカの良識が作動してきて薄っぺらいこと言うんだよな
どういうこと言いたくなったか当ててやるよ
「少子化に悩むワークニではそういう衝動的に子供作る人達こそウンチャラ」やんな?
いやいやいや
社会主義国じゃねえんだから実質の伴わない指標達成で擁護するんじゃねえよ
その場その場で良心的っぽいポーズで自分を飾ることにしか興味がねえんだ
一番心が冷たくて他人に興味が無くて社会をよくする気持ちもねえのはお前等みたいな連中なんだよ
今もこのタイトルに釣られて浅い説教を増田にぶつけるためだけに読みに来ただろ?
頭は悪いし心も冷たい
大局観はなく継続的な思考もなくいい人ぶることと軽薄な指摘で説教する事しか興味が無い
片親ガキより教育はつけてもらったはずなのにどうしてそんな仕上がりの役立たずなんだおめーらは
投票はあくまで「ヤバいやつを落とせる制度ってだけ」のはずだったんだけどな
与えられた権利内とか有権者が投票だけってのは違うな。むしろできないことが少ない。ほぼ全ての自由が与えられている
陳情書を出すことができるし(弁護士を通すと確実)、署名を届けることができるし、議員に直接相談することができる人はそれが早いし、
監査や請求をする市民団体を作るように要請したり、直接議員に声を届ける若者会議を設立したりもできるし、そういうイベントもあるし、市民団体を作って雑誌やテレビに取材をお願いすることもできる
市民が年に数回どこかの公園に集まって政治議論の広場みたいなのを開催して、そこで出た意見をまとめて政治家に提出する催し物を作った国もあったし、
ブラックボックス化していた会計や内部決定を民間団体が会計するようにして誰でも見れるように公開して監査する組織を作った国とか、みなさん色々やってる
たしかに。それは言えてる
でも高齢者と政治学者などを除いた市民のうち「政治はよくわからないし、行動って何をすれば良いかわからない」と答える民主主義意識の低い日本人の割合は体感9割いくと思う
市民って言葉で括られてもちゃんとまっとうに考えて投票してる人に対しても「俺にも責任あるの?」って思わせちゃうからよくないよね。なんかの就職後で主語を限定しないと
現在の政治家の役割は、専門家と協力して国際潮流を理解して専門的な立法業務を行うことになっている
そういう専門技術が必要だから市民に適当にやらせるわけにはいかない
現在の市民の役割は、正しく政治に参加して、政治に徹底的な透明性とオープンさを求めること、不正を許さないための民の監視を強めること、正しい情報を届けることを第一使命とするジャーナリズムを育てること、になっている
若い世代が「政治わかんないから投票しないし政治的な話をするのは意識高すぎて引く」とか言ってる間に、今マジョリティである田舎のジジババは足が折れても熱が出ても選挙には義務のように必ず行って自民党に投票する。自民党はど田舎に河川改修などの公共事業をやたらめったらもたらしてジジババを支えてきたから。
ちなみに河川や海辺をコンクリだらけにすると生物多様性が損なわれて将来的に日本人の手で多様な生物層が消滅して色んな種が絶滅すると言われている
どことも癒着しないきちんと正しい事をしようとする正義感のある人には金も票も集まらず、他国に比べてバカ高い出馬金を払えない、真実を暴こうとするとメディアに叩かれて支持率は落ちるし暗殺される、古ぼけた田舎のジジイどもからの妨害を食らうので大規模な改革はできず、なんだかんだで解体される、大人しく黙ってる人はメディアから褒められる、どこぞの大企業やどこぞの宗教のお友達から大量の組織票をもらえないと高い金で出馬しても当選できない、公金を天下り先や外国に流して世界一高額な収入を得ながらバカを煽る方法を学んでいるのが1番賢い政治戦略になってしまった
無能な政治家を生み出してるのは市民であり、政治家単体にはどうにもできず、まず政治の責任が市民にあるということをまず受け入れないとね。