はてなキーワード: 市民とは
それが傲慢だっていうのだよ。市民がマスコミからそっぽ向いてるのが現状で、マスコミがカウンターされているのだ。
マスメディアは権力者。自分たちの発表も別の大本営発表にすぎない。そういう認識が無い。
マスコミにカウンターしている役人の方がむしろ支持を受けてるのが今回でもある。
自浄作用とか働いた試しがないしな。お前みたいな正当化してるやつが主流な以上、残当だよ。
水曜だっけ提出日?」
「それな
来週の水曜でごわす」
みたいなやつLINEだのWhatsAppだので起こるじゃん。個人対個人のチャットチャンネルが1つしかないから話題が同時に3つくらい進行するやつ。
発言にタグ付けしてどの話題か分かるようにする!はい解決!でもタグだと冗長だからリプライ機能とか引用でどの話題か明示させれば?
こういうの議論でも起こるじゃん。
目立たない消火栓は優れた消火栓か?φっ!!!
・職員が対応できるって申告すれば通りがちでガバガバ!(行政とかの観点)
この内、下3つは混ざりやすい!チャンネル分けて話そうや!そして統合しようや!
わたしも同じようなことを思った。
専門家の側が「宇宙航空分野の慣習からするとこれは《失敗》ではなく《中止》である」と言う権利を持つなら、逆に市井の人々が「日常的な感覚ではこれは失敗だよな」と言ったって別に自由ではないか。
特に今回の打ち上げ停止はかなり異常系寄りだったわけでしょう。
もちろんペイロードは無事だし機体が全損したわけでもないから、完全な失敗と呼ぶこともまた違うと(日常的な感覚で)感じるが。
何が言いたいかというと、ある事象について、それを表現する専門用語があるとしても、その用語法を一般人に強制する権利を専門家は持っているわけではない、ということだ。
もちろん専門性は尊重されるべきだが、それとこれとは別の話である。
「言葉の用法を決定する」ことは極めて大きな権力であり、そのような権力を「専門家である」というだけで特定の組織に簡単に与えるのは危険だ。
もちろん、専門家が「専門的にはこう言う」と主張することは構わない。
問題なのは、だから無知な市民はその専門性に従うべきだ、という風潮が存在することだ。
用語法の権力に無自覚なままだと、いずれ撤退を「転進」と呼ぶような世界に戻りかねない。
たぶん、件の記者はそういうほのかな権力の匂いを感じ取ってあのようなことを言ったのだと思う。やり方は稚拙だけれど。
勘違いしてほしくはないが、わたしはJAXAの人たちを避難しているわけでもない。彼らは「単に我々はそのように言葉を使う」と素朴に述べただけだ。
今や郵便屋さんはバイクだったり電動アシストだったり銀行営業マンとかクロネコヤマトの宅急便も電動アシストなのに
警察官だけずっと普通の自転車で長い距離を走ってる。市民の安全を守るために安全管理をずっとしてくれてるのに電動アシストじゃない。
同じ外回りの仕事に従事してる自転車のライダーさんは皆電動アシスト乗ってて公務員だけはダメなんだってそれもう(市民からの)パワハラじゃないの?
例えばイマドキ根性論で電動アシストに乗ると体力が衰えるんだ!って発想で警察上層部から電動アシストが与えられてないならそれも変な話よね。だって科学的根拠がないもの。
市民から自分たちはアシストに乗ってないのにお巡りさんが乗れるのはおかしい!ずるい!って苦情が入るんならお前らも乗れよってなる。自治体によっては電動アシスト自転車購入すると補助金がいくらか出てそこまで高額な買い物にならない訳で。それなのに乗らないっていうのはもはや市民の権利だから仕方ないよねって感じだけど
この手の拒絶意見で困るのは国民の血税で~って頓珍漢な主張する奴ね
警察官は公僕ではあるけど備品はちゃんと血税とは別の所から予算が出てるから血税ガーの人は無知と偏見だよ
そもそも市民の血税は行政(各自治体)からのサービスを受けられる、そういう権利を有してるのであって警察官を含む公務員を雇ったり賃金を支払ってる訳じゃないんだよね
というか行政からのサービスに警察が市民を守るサービスが含まれてる訳で給料を支払ってやってるのに電動アシスト自転車を買い与えるのは違う!と反発する人がいたら、それは単なる勉強不足だよ。
昭和の道理を令和になってまで当てはめようとしてる社会がおかしいのであって電動アシスト自転車を警察官が乗る事に反対する理由にはならないよね。
それに電動アシスト自転車をお巡りさんが利用する事によって深刻な社会問題(迷惑行為など)とか高度な犯罪を未然に防ぐ助けになるんであればむしろ電動アシスト自転車を貸与してるべきだよね。
中にはバイクとか車とか電動アシストとか電動キックボードとかある中で普通の自転車のままだと追い付けないよね。皆こち亀の両津じゃないからね。
警察の捜査は初動が大事だから普通の自転車で見逃してしまったらそれこそ市民が行政からのサービスを受けられる権利が失われる可能性もある訳で。
だから交番勤務のお巡りさんに電動アシスト自転車乗らせてあげてよ。巡り巡って皆の安全を守ってくれる事になるんだし。実に建設的で合理的。
これは非常に厄介な事態だと思う。今日のロケット関連の記事のトップコメントを見てほしい。
[B! 増田] 「JAXAに打ち上げ失敗を認めさせたい人」への説明に悩んでいる
frothmouth 「普通は失敗」「一般論では失敗」みたいな市民感覚と、科学技術の専門家の使う言葉の意味が違うのは当たり前で、2者の科学コミュニケーションを繫げるのがメディアに求められる役割なんだけど、記者がコレでは困る
[B! メディア] 国産ロケットH3の打ち上げは「失敗」である
steel_eel 「別にノーミス打ち上げチャレンジじゃないんで失敗じゃないですね。運ぶものやロケットが爆発四散とかしたら失敗です」って何度説明されてもノーミス打ち上げチャレンジだと思い込んでいる人々。
(太字強調は引用者)
どちらの人気コメントも記者に批判的な立場なのにもかかわらず、その書き方は失敗を認めてしまっているように見えることに注意してほしい。ノーミスのミスは和製英語だが、mistake には失敗の意味が含まれる。これでは開発側に何らかの失敗があったようにも読めてしまう。
ロケット開発に明るい方の分析によると、JAXAのような権威ある機関が「失敗」を認めてしまうと取り返しのつかないことになるらしい。
ロケット業界の中には「絶対に失敗してはならない」という意識下の前提条件がある。だからひと言でも失敗と発言してしまえば、「JAXAだって失敗してる」「失敗してもいいんだ」とはならずに、失敗の共通認識の前線が後退してしまうことになる。「今回の打ち上げは失敗」が未来の業界を、失敗を避けるために一か八かの勝負に出るような打ち上げをするような体制に変化させてしまう。失敗は成功のもと、と発言した文科相が直ちに追及されて謝罪したのも必要なことだった。
ロケット開発に限らず、あらゆる業界で「失敗」が避けられる。皆んなもちょっと思い出して見てほしい。自分からあれは失敗でした、などと言い出した人を、一人でも思い出せますか? … いないでしょ。
失敗だなどという認識を持てば自己肯定感は下がり、部下や仲間の士気も落ち、悪いと鬱傾向になってしまいかねない。集中力を失えばプロジェクトは瓦解する。また、失敗感は未来の自分や後輩の首を絞める側面もある。失敗するかもしれないという恐怖が心理的安全性を著しく損なう。だから近年、「失敗した」という人は少なくなってきた。長い歴史のなかで人類は「失敗の悪さ」を学んだのだと思う。
にも関わらず「失敗」は相変わらず言われている。主に、敵によって。例えばアベノマスクだって明確に失敗だったとは言えないはずだろう。当時のコロナ禍の五里霧中の状況ではチャレンジングな施策だった。確かに注意深さは十分ではなく、後から見れば問題は多々あった。だけど反体制側の人間は躊躇なく「アベノマスクは失敗だった」と言う。これは立場の問題だ。敵側の人にとってはあらゆる隙は「失敗」のレッテルを突きつけるチャンスになる。映画版スラムダンクは失敗だった。はてなブックマークのUI変更は失敗だった。ツイッターのイーロンマスクは失敗だった…。「失敗」は敵の言葉だ。
味方のフリをして足を引っ張る悪者にならないように、注意深く「失敗」のワードを避けるべきだと思う。失礼ながら、冒頭のトップコメントたちの修正案を考えてみた。
簡単に諦めてしまいがちな部外者である市民の感覚と、責任を持って問題に向き合う専門家が使う言葉の意味が違うのは当たり前で、2者の科学コミュニケーションを繫げるのがメディアに求められる役割なんだけど…
「別に一発クリア打ち上げチャレンジじゃないんで失敗じゃないですね。運ぶものやロケットが爆発四散とかしたら失敗です」って何度説明されても一発クリア打ち上げチャレンジだと思い込んでいる人々。
できるだけポジティブな表現に置き換えるのがコツ。見てる人の気分をダウナーにしないように時間をかけるのは時に難しいかもしれないけれど、必ずプラスの意味を持つ。誰の心にも響かなかったとしてもマイナスにはならない。そういう細かいケアが求められる時代になってきたと思う。ずっと勘違いされてきたけど、実は、ヒトの心は簡単に折れてしまうのだから。
これですけど
https://courrier.jp/news/archives/316350/#paywall_anchor_316350
という2ステップに分けて、論文を解説したニュース記事だが危うい。まず「これらの技術はまだ利用できる状態ではない」とあるけど、PGT-Pについては(対象を知能にはしていないかもしれないが)利用できる。
https://www.lifeview.com/tests_pgtp.html
次に、以下の2つの論文はPGT-Pで「出生前に知能・身長の遺伝的スコアに基づく受精卵選別を行なっても、良い結果に結びつく可能性はあまりないが、悪影響はかなり大きい」と言っているが、その文脈を反映していない。
https://www.nejm.org/doi/full/10.1056/NEJMsr2105065
https://www.cell.com/cell/fulltext/S0092-8674(19)31210-3
これらの論文は、今後技術が進んでも、選択によるゲインは理論的に小さいと言っている。公開している雑誌はいずれも世界で最も権威がある雑誌であり、この観点からの注意喚起という意味や、学会の権威がこの見解に合意しているという雰囲気の醸成を目指しているのかも。
PGT-Pについてはこのように問題があり、多分効果がないのに、市民向けにサービスを開始している業者があるということ自体が問題(日本でも、PGT-Pではないけど、遺伝情報の市民向けサービスについては同様のことが起きている)。
また、遺伝子編集はどうかというと、ポリジェニック(多遺伝子)が絡む特徴なので、非常にたくさんの編集をしなければいけない(実際にどれくらいかというと、多分数千とか数万とか)。これを行う技術はない。なので、PGT-Pは理論的にゲインなし、数千以上の遺伝子編集するにはまだイノベーションが足りない、とこういう状況。
現実にはそれよりも、例えば、小学校の一学年120人のうち、大卒確率が他より10倍くらい高い10人、というのは選べることになっている。そうすると、我が子を優秀にする手段というのはどうも大したことはないか、結構未来まで出来そうにないけど、国民のうち優秀なグループを選別する手段、というのは、実はすでにありそう(ただしわかるのは「大卒」ということからは、現在の受験システムに適応した者を選んでるだけかもしれないけど。IQもわかるけど、そっちはどうだか知らないけど)。するとその優秀グループだけに教育資源を投下する、というのが国の意思としてはあり得るのかも。
もちろん日本ではそんなことはしないだろうが、他国は知らない。もし現れたらどうなるのか、何が起こるのか。知らない。もちろんここで言っているのは大卒だけ。天才とかのレベルで議論すると、高確率群以外にいたりするのかもしれない(というか多分そうなる可能性の方が高そう)。知らないんですけど、とにかくアメリカに共通してるのは「もっと一般市民みんなゲノムのこと知るべき」であるのに対して日本では未だ隠すように議論を忌避するところがあり、みんな知って議論した方がいいとは思うのですまる
「可愛くてごめん」や「うっせえわ」は主に若年層に流行している楽曲だが嫌いな人間が多い。なぜ嫌われるのか?それは、聞いてる側が誰かに見下されるコンプレックスを刺激されているからである。
実際、自分はこれらの曲を聞いても何も思わない。むしろ、うっせえわと叫ぶしかない哀愁やざまあ、というしかない自己防衛を感じる。弱者の為の歌だと思う。
なぜなら、否定されたり馬鹿にされたりした経験がある人間かつ、自らを常に正しく清らかで努力を怠らない一般人だと思い込んでいるからである。
そういう人間もどこかで人を見下して攻撃して自分を守る事しか出来ない時があったにも関わらず、自分は正常な真人間で多数派の善良な一市民だと思い込んでいるのだ。
史上最年少で政令指定都市である千葉市の市長になり、その後千葉県知事になった熊谷俊人という政治家がいる。
SNSを積極的に活用していて発信力があり、若くてリーダーシップのある有能な人物だと思っていた。
が、最近彼の言動に違和感を感じていて、自分の中での彼の人物評価が悪い方向に変わりつつある。
https://note.com/kumagai_chiba/n/n3a62ddf3ca1c
一見しっかりしたこと書いてるなと思いつつ、違和感を感じる部分がちらほらあった。
個人的に気になった部分はこんな感じ。
・医療の専門家でも何でもないのに、現場に過度に干渉するマイクロマネジメント的な発言
「内科や小児科などは基本的に全ての医療機関が発熱患者に対応することが原則であるべき」
「小さな診療所で物理的に動線が分けられないなどのケースは発熱患者の診察時間を分ければよく」
「幼児・小学生が事実上、マスクを常時つけ、私たち大人が当たり前のように経験してきた貴重な経験を一部、一方的に奪われ続けてきたことは日本人が永遠に十字架として背負うべきものだと考えています。」
「4月に見直せるなら、昨年の春~夏の時点で見直せたはずです。」
そして私が彼の評価を変える決定打になったのは、最近のTwitterでの小学校での黙食見直し論争である。
彼のTwitterのフォロワー数は29万人。地方のローカル局の情報番組並みの影響力はあるだろうか?
そのTwitter上で意見の異なる一般市民の発言にリプライをかまして反論し、知事に賛同するアカウントの意見をリツイートして吊るしあげのように振舞っているのは暴力的に感じてしまう。
なんていうか、意見が異なるフォロワーとの間に自ら進んで分断を作りに行っているようで、褒められたふるまいではないなと思ってしまった。
政治家である以上、意見が異なる人が出るのはやむを得ないし、公の場で論争が起きるのは当然だ。
だけど、地方自治体のトップという立場の強い存在である以上、自身のもつ暴力性には十分気を付ける必要があると思う。
例えば今回の黙食見直しの議論をSNS上でしたいのであれば、Twitterアカウントを持っている千葉県議とか、医療の専門家とかの公人同士でやるべきだったのではないだろうか?
そうすればフォロワーから見ても異なる意見についての理解が深まるし、政治家と市民の間の分断も広がることがないと思うのだけど。
ただの感想になるけど、若くして地位を得て周りから持ち上げられてしまうと、自身に対する全能感を得たり、権力の暴力性に鈍感になったりと、その辺の感覚が狂って行くのかなと思わずにはいれらなかった。
前文
国民議会として構成されたフランス人民の代表者たちは、人の権利に対する無知、忘却、または軽視が、公の不幸と政府の腐敗の唯一の原因であることを考慮し、人の譲りわたすことのできない神聖な自然的権利を、厳粛な宣言において提示することを決意した。この宣言が、社会全体のすべての構成員に絶えず示され、かれらの権利と義務を不断に想起させるように。立法権および執行権の行為が、すべての政治制度の目的とつねに比較されうることで一層尊重されるように。市民の要求が、以後、簡潔で争いの余地のない原理に基づくことによって、つねに憲法の維持と万人の幸福に向かうように。こうして、国民議会は、最高存在の前に、かつ、その庇護のもとに、人および市民の以下の諸権利を承認し、宣言する。
ブロックをフリーライドとか言ってる人はそもそもブロックの仕組みを理解してないんだと思う
これは自分のデバイス上の表示コントロール権限を自分が持つべきていうシンプルな話だよ
これが目に見えないマイニングスクリプトだったら気持ち悪がるけど、普段から親しんでる広告だと同情的になるのは認知バイアスにすぎない
現代の広告というのは各種のトラッキングが織り込まれた高度なスクリプトと言えるレベルのもので本質的に大差ないんだよ
行儀の悪いものを他人のデバイス上に押し込んでマシンやヒューマン側の処理リソースを奪って来ているのは広告事業者のほう
ブロックアプリによっては行儀のいい広告だけは許可するものもあるのが、それが現代広告の本質を表してる
もとからアクションする気がないものをローカル上で非表示にしたところで広告の収益性は変わらないし、やせ我慢して表示させて注意力と時間を奪われ続けるのは愚かな行動としか言えない
そもそも悪質なものはブロックしていかなければ、成果がでないように無視していかなければ、この業界というのは健全化しない、前進していけないんだよ
FBIですら市民に情報セキュリティ上の理由で広告ブロックツールの利用を推奨しているのが現代のインターネット広告の惨状だ
ブロックを一律にフリーライドと揶揄して使用するべきでないかのような圧をかけるのは、健全な業界の成長を阻むという意味で反社会的行為とすら言える
そのへんをよく学んでみてくれ
今の広告の在り方というのは絶対的な、Webエコシステムの前提とするべきようなものではないと分かるはずだ
昔のインターネットを知らない人には想像できないかもしれないが、このような不快な広告スキームに頼らないで済む未来のWebのあり方を模索していくのが今後の人類の課題でもあるだろう
でも人口は常に有限なわけじゃん
仮に今後、加茂市がゴリゴリに金突っ込んで明石市から10万人くらい人口奪って
中核市になってその財源で突っ込んだ金回収してさ
そういう制度があるかわからんけど、明石市の人口が20万人割れたので中核市指定取り消し
お国からの支給も取り消しますってなったら、明石市は子育て政策を縮小せざるを得なくなるよね
だって明石市は中核市になった財源でそこを充実させたわけだから
税収はどんどん下がって政策の質は落ちてって、人が去って行ってってループになるわけじゃん
「子育て支援を摺れば人口が増えて人口が増えれば国が支援してくれて国が支援してくれれば人口が増えます」
という話だけをしている
お前が人口吸ってるせいで子育て政策を打ち出す財源すら減って行っとるんじゃい!じゃん
明石市長と他増田が「住んでる人ベースで考えようぜ!」とか言ってたけど、明石市長は明石市民を幸福するために他の市民を不幸にしているわけ
先にやって中核市になっちゃったもん勝ち、地域の中で勝ち組と負け組を作ってその格差がどんどん大きくなる仕組みづくりをしていこうぜ!というのを数字だけ出して釣ってる明石市の主張は間違ってる、というその理屈は理解できる
あるけど、「いいから人口吸って金が入ってくればみんなハッピーじゃん!(吸われた市は知らんけど)」という態度は俺は不誠実だと感じる
それはそれでそうなっていけばええんちゃう?とは思う
ヤバいかなって思って、リーズナブルに改善できるような公共窓口をググってみた。
ググラビティはIT勤めだけどググってるときはストゼロ500ml 2本ぐらいキメてるので人並みかそれ以下。
自分が住んでる市のHP見たらページの上の方に横浜市の相談窓口とメアドが載っていたので、そこにメールしてみた。
現在***市に住んでいて、アルコール依存症になりそうで悩んでいます。
まだ目立った被害を出さずに済んでいるのですが、週末に一人でいると酒が止められません。
経済的にも余裕が無いので、リーズナブルで、早いうちから対策を打てるような相談窓口はないか教えていただけないでしょうか。
****市在住なので所轄ではないかもしれません。***市のHPには該当する情報もなかったので、適切な接続先を教えていただけると助かります。
3日後返信が来た。
このたびは、横浜市こころの健康相談センターへのご連絡ありがとうございました。
せっかくご連絡をいただいたところですが、相談先はお住まいによって異なっております。
相談窓口としては神奈川県精神保健福祉センターになります。
また***市では「保健師によるこころの健康相談」が実施されており、
依存症に関するご相談が可能かどうかお問合せした上で、検討いただけるとよいかと思います。
(***市のリンクなど)
そんな訳で酒との向き合い方に悩む神奈川在住で横浜市以外のご同輩は、県の相談窓口にGO!
横浜市在住の上級市民は、税金納めてるだけあって、もっと上質な相談窓口があると思われるよ!
てか、HPのユーザーエクスペリエンス低いよね。メールに返信する担当さんもかわいそう。
接続先がちゃんと適切に処理されるならChatGPTでいいよね、とは思った。
でもそれが実現したら返信してくれた担当さんの仕事がなくなるのかな。きっと市が雇ったパートナーさんだよね。
って自分が助けてほしいのにメール返信してくれた担当さんを気にしちゃう。お疲れさまです。
で、いろいろ思ったらやっぱ死ぬのが一番コスパいいのかな、って思えちゃう世界観だよね。
人に迷惑かけちゃいけない、というこの国のアビスの呪いみたいにまとわりついてくる。
でも、なんとか抗いたいな。爪痕残したい。