はてなキーワード: 孤立とは
この知人AはBだけでなく、あらゆる事に対して文句を言っている人だった。
自分も言われた。
悪口の言い方は、明確に誰とは言わないけれど「○○が好きな人って本当に気持ち悪い」その○○は前に俺が好きだと言ったやつだよね。それ俺のことだよね。と判るような言い方。
反応しなかったけれどヘイトはどんどん溜まっていき、Aの攻撃もひどくなってきたので、ある日ついに縁を切ることになった。
途端にAは、前まで散々悪口を言っていたBに媚びはじめ、
Aが言っていた悪口を、「増田が言ってた」とBに吹き込んだようだ。
なおBとは「顔見知り」程度で、共通の知人は居るが本人とは親しくはない。
が、この件で共通の知人からも距離を置かれるようになり、すっかり孤立してしまった。
悪口を言わないほうが好かれるとか嘘だよ。
百歩譲ってAが周囲から内心嫌われていたとしても、結果としてAが孤立しておらず、周囲の感情に気がつかなければ好かれてるのと同じだからね。
因果応報なんて無い。
人に取り入る力、要領がすべてだなと思い知らされた。
そう聞かされて来た。
それに対してどうのこうの言うつもりは毛頭なく、ただ、何かに似てるなと思ったら、
日本は9条があるから守られていると言う変な幻想を未だに唱えてる集団と、根本は同じじゃないだろうかと。
戦前、日本はその特殊なメンタリティ、国民性、さらに外交の稚拙さ故に世界から孤立し、戦争へ走った。
きっとばあちゃんの「神の国」という言葉も、そういう中で周囲からそう教育されて来たんだろうと。
でも、その周囲を作ったのは誰なんだろうと考えると、それは当時の政府・軍部もあるだろうけど
それを煽り立てたメディアであると言う事は、今では誰もが知っている事。
翻って現代、「戦争法案」を唱え、本質を歪曲し誇張して煽動しているメディア。
9条と言う実体のない「神」が居れば救われると思ってるお花畑の人達。
そういう意味で、「戦争は悪だ」「日本が悪い」だけを植え付け、「なぜ戦争に走ったのか」について
正面で向き合ってこなかった戦後教育の恐ろしさが、ここに凝縮されている様な気がする。
神である9条を唱え、自分たちは独立独歩でやって行くと、他国に一切干渉せずやって行くと、
それが出来るならそれでいい。だが、それならば尚の事軍備を強化する以外、自国を守る手段が無いよ?
おいおい、これって戦前と同じ構図じゃないか?
その上司、多分昔からそれでしか周りに味方を作れなかった人なんだろうと思う。
童貞キモヲタの女性観などにも言えることだが、学生時代にまともな交流ができなかった人間というのは、交友関係の認識が学生時代のそれでロックされる。
当然そういう未熟な認識のまま年だけ取るので、年齢相応の人付き合いというものができない。普通の人ならお前中学生かよって思うような幼稚な行動を平気で取る。
大抵はどこかで自分の異常性に気がついてある程度是正されるものだが、たまに環境に恵まれず、是正されないまま修復不可能な年齢になってしまう人がいる。
それは例えば二次元に現実逃避した引きこもりのキモヲタだとか、孤立してはいるけれど仕事自体は品質が高くしかもあまりやりとりしなくとも仕事ができてしまうとか、零細企業で比較対象になる人がいないとか、周囲もみんな異常者だったとか、あるいは増田の空想の中にだけ存在するとかである。
この前提を共有しないと「いじめ」をなくすことなんて無理だわな
大阪2中学生殺害容疑の山田浩二だって小中は孤立して誰も遊びに誘わなかったそうだ
小学校時代にいじめを経験して、中高では孤立することでそれから逃れていた自分の視点で書く。
図書館に逃げるって、すごくすごく正解かも知れない。
絵と言っても漫画絵だ。
授業中に落書きしていた教科書を生徒全員の前で先生になじられたことからいじめが始まった。
先生としても、いじめを容認することでぼくがそんな趣味をやめてくれればありがたいくらいに思っていたのだろう。
自分にしてみればそんなことは知ったことがない。
別に誰に迷惑をかけるでもなく、自分は好きなことをやっていたかったんだ。
というか、その頃は自分の衝動なんて上手にコントロールできなかった。
いじめられる全員がそうとは限らないけど、すくなくともぼくがいじめられる原因はその特異な趣味ももちろんだけど、周りの輪に馴染めなかったことにあった。
外で遊ぶくらいなら趣味に没頭したかったのだから、そっとしておいて欲しかったのだ。
彼らにしてみれば、良かれと思う誘いを断るのだから罰っせられて当然くらいに思っていたのだろう。
先生からの余計なお墨付きも手伝って、いじめは日に日にエスカレートしていくばかりだった。
輪を作ってそこに参加することが学校の常識だから、それに参加できない人間は罰を受ける。
すくなくともいじめる側の行為を正当化していた理由はここにあったと思う。
ぼくの唯一の救いは、両親共働きで夜が遅かったから、体調が悪いと嘘をついてもさほどうるさく言われなかったことだ。
その代わり布団に入ってないと疑われるので、その時間は好きな絵を書くことを我慢しなくてはならなかった。
すべり止めを滑った人間があつまるような落ちこぼれ学校だったせいか、自分が輪に入ることを拒んでいたらそのうちだれも誘うようなことはなくなっていった。
おかげで幸いいじめられるようなことにはならなかったが、親にも心配をかけず孤立が許されるという環境の存在は大きかった。
そう考えると、図書館っていうのはもともと一人で作業をするための場所だ。
空間が開けていたり、テーブルが続いていたり、うるさくしてはいけないとか最低限のルールはあれど。
コミュニティを作ることが前提である学校と違い、それぞれがそれぞれの目的をもって訪れる場所であり、そもそもコミュニティの存在が不要なのだ。
だから輪にはいらないことは罪ではないし、逆に目的を共有できる人間とは自由にコミュニティを作ることができる。
この、入らないことが罪ではないということはとても重要だ。
しかも何が素晴らしいって、そこには生涯の時間をかけても読みきれないほどの本があるんだ。
その気になれば、どんな道のプロにでもなれるほどの情報量があるんだよ。
義務教育という考えには反するかも知れないけど、これからの時代はそれこそそうした教育なんかが役に立つとは思えない時代になってきているんだ。
常識なんて普通の生活を担保するための保険みたいなものなんだから、それを全て捨てて好きなことに突き抜けて世の中に新しい価値を生み出すことだって選択肢としてあってもいいと思うんだ。
それに、共通の趣味の本から始まるコミュニティなんて、考えただけでも素晴らしいと思わない?
だから、本当に、そういう同じ問題を抱える人達と、それに理解がある大人たちとが集まって、すごく慎重にルールを作り上げていくことができたら、少なくとも悲惨ないじめだけでもなくすことができるかもしれない。
当然、子供を食い物にしようとする大人とか、すぐにお金の匂いを嗅ぎつけてくる大人とかから守らなくてはいけないから簡単なことではないと思う。
でも、図書館って、孤立と自分の好きなことに没頭することが許される類まれな空間かもしれないって思ったんだ。
これがきっかけになって、たとえ世間からは逃げ込んだ人間同士と言われても、そこで立派な知識や大切な仲間を見つけることができたらどんなに素晴らしいことだろう。
もちろん、心も体も疲れている人は何もせずに休んでほしい。
すべての図書館がそれをすぐに許しくれるわけではないかもしれないけど。
何かをするには体力も精神力も必要なのだから。どこかに隠れてでもそれを蓄えてほしい。
スクールカースト(大人の世界だと何て言うのかわからんのでこれに例える)でトップにいたような人が、別の地域に行くとそこの住人とかみ合わず、カーストの底辺になってしまう例がある。
トップにいたぐらいだから頭も要領も良く何でもできたりするが、それでも受け入れられない。低能の集団は能力など目に見えない価値は理解できず、地位や収入などはっきり見える形で差があると、嫉妬や異物排除などの感情から理不尽な行動を取る。
明らかにそいつらがおかしいのだが、どんなに優れた人でも数には勝てないので、基本何もできない。
余程の変わり者でもない限り、そのような集団とは付き合いたくないので孤立する。するとますます関係が悪化する悪循環に…。
この罠を回避するのはなかなか容易ではない。
周りには競技そのものが楽しかっただとか、同期と仲が良かったからだといったことを言っているのだけど、結局のところ運動をしている限り、自分は人並みの青春を送れているのだろうかといったことや、高校生活何をやっていたかといったことを自信を持って言うことができるのか、などといった思春期にありがちな悩みについて考えずに済んだからなのかもしれない。もともと友達を作るのは苦手だし、体を動かすよりは家でインターネットとか本を読んでいたいオタク気質だし、クラスでも孤立しがち(実際高校2年生の頃は友達ができなかった)なほうなんだけど、部活動にさえ所属していれば練習の前後にはメンバーと話せるし、長期休暇も大方部活に費やされるので「夏休み何もしなかった」なんてこともない。平生は大会で勝ち進むために練習やトレーニングをして、テストが近くなったらただただその対策をすればいいし、引退したら受験に向けて勉強するだけでいい。こういった決まりきったレールが部活動に所属してさえいれば半自動的に敷かれるし、周りからも運動していましたといえば聞こえはいい。
大学生活でもそうしたレールが敷かれればよかった。周りに流されてサークルに入ったものの大学生特有のノリが苦手というか、正直言って面白くなかったし、それがいつの日か疎外感へと変容して、そのまま1年と立たない間に辞めてしまい、そのまま今まで彼女ができることもなく、ただ授業を受けてアルバイトをしているうちに時間が過ぎていって無為に過ごしているような気がしてならない。それ故か人並みの大学生活は送れているのだろうかとか、大学生活これをしましたといったことが胸を張って言えるのかどうかとか、そういった考えばかりが浮かんでくる
結婚式が二人のためのものなのか、招待客のためのものなのか、花嫁のためのものなのか
それから肩を持って欲しいってのは義両親の過干渉とコントロールが怖いんだと思う
増田のこと、増田と二人での関係はよく知っていても、増田の親のこと、家族ぐるみの付き合いがどうなるかはわからない
増田の家が嫁入りって文化がどの程度残ってるかわからないけど怖いだろうね
義両親の干渉で増田との関係が変わってしまうこと、孤立してしまうことが一番ね
だからって何してもいいとは思わないよ
でもその恐怖に対して配慮をしめせば不安は軽くなるんじゃないかな
そんな不安知ったこっちゃない、自分でどうにかしろというなら確かにその彼女と結婚は難しいね
あと彼女の意見と親の意見をよく聞いて自分の意見を作って、増田の先の親、増田の先の彼女をにおわせないように、自分の意見と彼女の意見の擦り合わせ、自分の意見と親の意見の擦り合わせをしたらいいと思う
親が〜って言ってるからとか彼女が〜って言ってるからって言うんじゃなく、自分は〜だと思うっていう風な感じ
そうすると角も立たない
大変だけどうまくいくといいね
≒世界の不毛化された記憶が凝結する地下墓地=ミイラや<死者>の住処
≒社会的あるいは象徴的に交換されなかった大文字の他者の語らい
≒自己複製子の乗り物(?)
≒相互性の平面の下方に放逐された過剰な欲動の場≒バタイユのいう「呪われた部分」
≒自己幻想の世界=無条件の連帯の肯定も平等も存在しない共同体で自己愛を過剰に傷つけられ自己認識が悪くなった存在=承認の供給不足にある存在
≒権力者側の情報ネットワークからヨソモノとして外されている存在
≒仕返しを招くような親密な共同体の絆が欠けている存在
≒植民地化された地域の周縁化された存在=ほかで許されないことが許される別世界=誇大自己を持った者の自尊心の基盤
≒暴言連発したり失礼な言葉を吐いても責任をとらされる事なく看過される対象
≒パノプティコン的な匿名の不可視の視線の下で見世物化された監視付き生活を強制されている存在≒近代社会の合理的理性を自称する存在による抑圧的意志の対象
≒生政治的範例
≒排除された後も外での動きも捉えられる存在 ≒日常においては禁止され構造から排除されている部分=構造内で下層に抑圧された者
≒非差異、無差別、連続=差異の抹消=相互暴力状態=怒号と喧嘩の音
≒警察権力が市民生活の内に力を発揮する場=秩序創成暴力の対象
≒一般市民より下の階層の者として認識され、愚か者の範疇に入っており、隠している愚かな事物を暴いても重大視されていない
•理想自我=想像界=小文字の他者a=内在的な他者=生物的な世界
≒マスコミやカタログ文化でつくり出された美化・理想化された自己イメージ
≒貧しい文化や洗練されていない不自然な表現=モテない存在=影の薄い人
≒掟の門の前で衰退していく棄民=勝手に「悪」とされ共同体メンバーに愛されず衰退していく者
≒状況を自覚していない灰人と知らされている共同体メンバーとの境界線上にいる人
≒「象徴的他者」の位置より一段下の、原始的な対象の位置(想像的なもの、性的慰安の対象)に留めおこうとされた「想像的他者」。ラカンは「対象a」とよぶ。転移を拒否された患者が、分析家をおく場所も、この「対象a」としての場所である。この関係は、相手に社会的な幻想を抱いていた転移の局面と比べてはるかに不安定で、患者の攻撃性が分析家に向け、容易に発動しやすい状態
≒外部の情報が入ってこない<下>に見られた人のいる壁に囲まれた世界の外の世界を知ろうと巨人のいる世界を調査しようとする人
≒他者から尊重されたり対等な存在としてメッセージを交換する「人間」の壇上に上げないように弾圧される<生ける死者>といった世界
≒暴力誘発性、脆弱性を帯びた存在
≒「傷つけられる」という条件により発動した摸倣欲望
≒自己をそれとして措定してくれる言葉をもつ代弁者の探索にとらわれている状態
≒自己の統一を預けることのできるような相手を探してさまよう、鏡像としての他者の中への囚われの関係
≒動物のルアーへの反応をモデルにして語りうるような直接的な関係
≒理想化された鏡像として他者の表現の複製を取りこみ、融合しつづける動き
•自我理想=象徴界=大文字の他者A=超越的な他者=社会的な世界
≒文化の秩序、象徴秩序、言語的秩序としての構造=サンボリック
≒エディプス期につくられる=父、母、子どもの三者関係の中ではじめて成立する一つの小社会
≒掟によって自己中心的な万能感の感覚を否定し、その掟を守ることで成立する秩序と理念をもった世界
≒個々人の欲望や自己中心的な感情を一度克服してはじめて、確立されるような世界
≒自己中心的な個人的な自己愛を一度否定したところから成り立っている
≒万能感を捨てて入っていく世界=個人の実質、個人の存在全体の基盤
≒社会的絆であり、信頼を保証し、義務の支えとなる基本的な象徴的契約
≒共同幻想の世界=個体保存の欲望と各人のナルシシズムを言語の内に吸収し共同化された世界≒豊かな影を持った存在
≒仲間意識で連帯した世界=倫理的関心を内輪に限定する世界=感情で動く世界=ビオスの世界
≒魅力を持った生に変わらなければならない場であり、魅力による上下関係や差別や排除がある世界
≒魅力の低い者が客観的な理屈として正しいと思って主張した事も認められない世界
≒魅力の高い者が客観的な理屈として間違っている事を主張しても容認される世界
≒目に見えない効力をもつ法としての場の空気や人間関係の網の目に支配された世界
≒掟の門の門番
≒セミオティックの位置にある存在が自我理想を持った対等な「人間」であると主張すると生意気に感じて苛立ち権力や言葉の暴力を振り回し「下」に置こうとする存在
≒「下」に見られた人の過失は吹き散らすが自分達の過失は隠してしまう存在
≒長い例外的状態にある<エス>や<対象a>など存在しないという主権者
≒「小文字の他者a」を対等な人間として文字に残る形式で相手にする必要がないと判断している存在
≒近代国家の一市民の世界=国家の保護の下にある者=権力者側のウチワの情報ネットワークの中にいる存在
≒ネットの掲示板やコミュニティを教育的な豊かな知識を与える場所として使う事が禁止されている世界
≒労働や勉強で生産的な成果を挙げ社会的に評価される事が美徳であるとされる世界
≒人が自分を社会化するために選ぶ標識=名誉の対象=美徳のもとになる秩序
≒人が憧れる、かくありたい存在=モテる存在=小文字の他者aに模倣される存在
≒第三者の審級=規範的な判断の究極的な帰属先=権威を感じ自発的に従おうと思う存在
≒言語的、父権的な中心ないしコード=象徴的父の表象であり、制度であり、掟
•超自我
≒誇大自己に執着した存在=他者を非人間的に判断したりする存在=モラルのない世界
≒法の影=狂った法であり法を無視する=「享楽せよ」という命令
≒集団の「エス」や「セミオティック」の位置にある存在を徹底マークして情報を「自我理想」の位置にある存在に流している存在
≒植民地主義の国家、民族差別を容認する国家、人権侵害を推奨する国家、死刑を支持する国家、同じ国民の中に棄民を作り出す国家
≒近代社会の合理的理性を自称する存在=非理性的な「エス」とした存在を抑圧的制裁の対象としていいとしてもいいとする存在
•対象a
≒羊抜け
≒現実の領域は対象aの除去の上になりたっているが、それにもかかわらず対象aが現実の領域を枠どっている
≒犠牲のメカニズムにより歪められた表現を犠牲者よりに修正した回顧的な文章を書く暴力行為を告発する探偵
≒秘密の宝=他者にとっての私に還元されない<私> ≒象徴秩序の外
≒寄る辺ない存在
イギリスの新聞「ガーディアン」に、反五輪の会のインタビューが掲載されました。
The troubled history of Zaha Hadid’s Tokyo Olympic stadium project
(“The Guardian”,Oliver Wainwright,Friday 17 July 2015 14.27 BST)
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問題だらけのザハ・ハディド作東京五輪新国立競技場プロジェクトの沿革
東京都心の明治公園に、それはそれは巨大な銀河系自転車ヘルメットのような格好で、白いアーチを描きながら、低層の環境に覆いかぶさってそそり立つように現れる予定だった。このザハ・ハディドのデザインによる2020年夏季オリンピックの競技場は、今や叶わないものとなった。2520億円(13億ポンドまたは20億ドル)までのぼった建設費は、計画当初の予算のほぼ倍に達している。近代における競技場の中でも一番高く、このなんとも過大なアリーナの計画はついに中止された。
多くの人は、今回決定した白紙撤回は2年遅れでやってきたと感じている。2013年の計画発表当時から、あらゆる方向から厳しい批判を受けてきたこのデザインは最初からボツになる運命にあったようなものだ。発表直後から日本でも最も著名な建築家陣がこぞってシンポジウムを開き、反対署名を集め、抵抗心丸出しでこの計画を叩いた。彼らは「周辺の住宅地等の環境と完全に不釣り合いな怪物」と述べている。
彼らは、競技場の予定地は、建築物の高さ20メートルの制限がある歴史のある場所であり、ハディドのデザインによるとこの場所に高さ70メートルにものぼる競技場が明治神宮を上から眺めるような形で建てられることになる、という点を強調した。プリツカー賞受賞者の槇文彦をはじめ、伊東豊雄、隈研吾、藤本壮介といった建築家が名前を連ねた反対署名は、8万人もの署名を集めた。この数は予定されていた大競技場の収容人数とちょうど同じ数だ。
署名活動に加えて、バルセロナ五輪の競技場を担当した磯崎新による猛烈な攻撃が続いた。磯崎はハディドのデザインを「歴史的な誤謬」と呼び、「後世に恥をさらすことになる」と警告した。2020五輪の企画を担当する日本スポーツ振興センターへの長い公開状のなかで、彼は「歪んだ」建設計画が「列島の水没を待つ亀のような鈍重な姿」と述べた。
「東京は世界で最初の例を実現するチャンスがあるのにもかかわらず」と記し、この建設計画はオープニング・セレモニーのための無駄な装飾品を造るという欲によってのみ動かされていることを指摘した。磯崎はさらに、いかに競技場の規模の縮小が可能になるかを詳細にわたって提案したが、オープニング・セレモニーにおいては、皇居のそばに規模の小さな臨時特別会場を建て、江戸城の外壁を使ってドラマチックな背景にすることなどを挙げた。しかしこのライトで低コストな気の利いた提案はすべて政府側に無視された。
それにもましてハディドは、自分の建築デザインを批判する者に対し「彼らにとっての恥だ」と述べながら素早く反撃した。「これは彼らの街に建つものです」と理解をただよわせながら、「でもこの競技場をあの場所に建てることに反対するのなら、初めから五輪開催地候補になんてなるべきではなかった。ただの偽善者だ。新競技場計画がつぶれた原因は彼らの問題だ。国立競技場を外国人建築家に作らせることを拒んでいるが、日本人は世界中で起業しているではないか。」と話した。
しかし、反対派の主張は建築界や専門家の内部抗争などの領域をはるかに超えたところで展開されている。地元の反対派グループは、新競技場がもたらす影響により都心でも数少ない自然の残されている場所を破壊することになる、と腹を立てている。この地域は1900年代初頭に孤立した島国日本を近代化に導いた明治天皇を偲んで植えられた銀杏の木や庭園が多くある場所である。
神宮外苑と国立競技場を未来へ手わたす会共同代表の清水伸子は「ここはオアシスのような場所です。」と話す。「ここは散歩したり、おしゃべりしたり、ピクニックのできる場所。新競技場ができたら、こんな公園と緑が失われてしまう。ありえないことです。」
環境問題はさておき、さらに地域の怒りをもたらしたのは、ハディドの新競技場計画にしたがい、周辺の都営霞ヶ丘アパートから約300戸もの住民が強制退去を強いられたことだ。退去令はアパート住民に限らず、公園内で寝泊まりするホームレスの人々にも襲いかかった。「年配の方々がたくさん住むこの場所で、新たな住居への移動によるストレスは大変なものです。」五輪に圧力をかける反五輪の会メンバーの小川てつオはこう話す。「霞ヶ丘の住民のあいだには、実に強いコミュニティー感覚がある。でも強制移住によってこれが壊されてしまいます。」
実際のところは、現状よりもはるかに低コストで周辺への影響も小さい代替案も存在していたのである。旧競技場は1964年オリンピックの会場でもあり、54000人収容できる。1936年ベルリン五輪や1932年と1984年のロサンゼルス五輪で成功した例があるように、実在する競技場を改築または再利用して開催する手もあったのだ。
伊藤豊雄は代替案まで提案したが、これはもし国立競技場が解体されてさえいなければ、実現したかもしれなかった。結局、ハディド作の宇宙船の着陸帯をもうけるために、国立競技場は今年の5月には瓦礫の山へと化していた。
東京のテンプル大学のジェフ・キングストンは、「ホワイトエレファントになるのを待っているような状態だった」と話している。「東京のわずかな緑地帯を損なってまで建てても、ここまで巨大な競技場が必要になるようなイベントはほとんど存在しない。多少の費用で古い競技場を改築すれば、新競技場よりはその後の管理もずっと少なくて済んでいたはず。税金を納める人にとって、これは迷惑にしかならない贈答品をもらうようなものです。」
ザハ・ハディド建築事務所のスポークスマンは、予算が急騰したのはデザインのせいにされるべきではない、と話す。しかし同事務所は今後も競技場に関する仕事を続ける予定だと述べている。
「先の予算上昇はデザインに原因がある、と言われていますがこれは事実と異なります。このデザインは、基準どおりの資材を使い、建設業者の技術範囲と日本スポーツ振興センターの予算内に収まるように設計されています。」とハディド事務所は声明のなかで述べている。加えて、「新競技場の実際の課題は、東京の建築業界の年間費用上昇、そして定められた期限に対応した予算を打ち出す、という点でした。」と述べた。
これは2012年ロンドン五輪委員会がメイン競技場の配備において避けようとした問題だ。当時は相当な批判を浴びたにもかかわらず、通常行われる国際競合を廃止した上、時間と予算の削減を考慮して、建築業者のリードする企業連合によってすすめられた。
時間通り完成はしたものの、ロンドン競技場の建設費もまた収拾がつかなくなるほどに跳ね上がった。当初の予算だった2億8千万ポンド(約535億円)から、4億9600ポンド(約948億円)にまで昇った。解体される計画だったが結局のところまだ残されており、今はサッカー競技場にするために改築中だ。この改築費も含めた総工費予算は7億ポンド(約1339億円)にまで上がってしまった。
もともとは「コンパクトなオリンピック」と称されていたが、東京の開催委員会もスリムな理想像に沿った制御をするために、ロンドンと似たような道を辿っている。ハディドの過剰なデザインが、いま拡大しているこの高価な試みに対する不満分子の中心だ。安倍晋三首相の支持率は最近になり新たな降下をみせているが、政府関係者によると五輪に対する世論の悪化が原因のひとつだという。五輪開催までわずか5年となった今、五輪推進派は、まだ旧競技場が残っているうちに自国の建築家たちの必死の警告を受け止め、彼らの極めて思慮深いアドバイスに耳を傾けるべきだった、と後悔しているのではないか。
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それ男女の社会的な評価が平等になる男女平等という言葉とは違うものではないか。
男女の性的指向性などが同一の方向性をもつという同一性であって平等性とは関係なくないか。
また、外的特性をなくして嗜好はどこを基準点とするようになるのだろう。
心か?年収か?何にせよマッチングを仲介する機関が介在しなくては出会いがほとんどまったくないということになりそうだ。
ざっくり鑑みて、男女平等というものの主眼を男女のあり方についてを問うたら少子化まっしぐらコミュニケーション断絶孤立社会を促進する気がするのだがどうだろうか。
孤立社会の促進効果により化粧がもっと流行するのと反面化粧しないから誰にも会いたくない外に出たくないという二派の大きさが増す気もする。
最近、藤田伸二の名前をさっぱり聞かないなと思って、暴露本を出していたことを思い出して購入。
この本は福永と岩田はへたくそ、ディープは良い繁殖をもらってるだけ、エージェント制度が悪い。全部JRAが悪い・・・要するに「昔は良かった。今は駄目だ」以上でも以下でも無い。競馬ファンに多そうな懐古趣味者には受けるだろうが、建設的な提言は何もない。今の競馬界がとにかく気にくわないけど、惰性化・依存症化してて馬券を買うのを辞められないという人にはお勧めだがそれ以外の人は読んではいけない。
馬主や大手生産者の発言力が多い現状には弊害点もあるだろうし、昔気質のホースマンにはそれが我慢ならないだろうが、しかし今さら騎手を徒弟制度の下で育成するようには戻れまい。そもそも藤田だって自分で営業をするような昔気質の騎手ではなく、かつてはエージェントを付けていたような騎手である。そのエージェントが亡くなって以来馬の質が落ちたと言われるが、手を差し伸べるエージェントや厩舎は居なかったのだろうか?あるいは藤田は営業をしなかったのだろうか?それほど藤田は競馬界から孤立してるのだろうか?
「サンデーサイレンスは良くない繁殖からでも走ったけど、ディープインパクトは良い繁殖しか与えてないから走るのは当たり前」というのは藤田自体は血統に詳しくないとはいえ明らかな事実誤認であろう。例えばトウショウボーイがくじ引きさえ当たれば零細牧場の繁殖に気楽に種付け出来る種牡馬だったのは有名だけど、サイレンススズカの稲原牧場がワキアにサンデーを種付けしようとしたときだって、デビュー前の一番安価な次期なのに「他の種牡馬の株を処分すればなんとかつけれなくはない」という感じだったと聞いている。
競馬ブームの余韻で中小牧場だって今よりは潤ってたかもしれないが、サンデーサイレンスが駄目な繁殖に気軽に種付けできるような種牡馬ではないはずである。日高産のサンデーサイレンス産駒の一番の出世頭であろうスペシャルウィークだって、母系はシラオキ系で母父はマルゼンスキー。ボトムラインを辿るととその時代時代の日本で種付けの出来る最高級の種牡馬がゴロゴロ出てくるようなスジの通った血統である。
さて、この本が書かれた当時は武は落馬事故の後遺症と社台グループとの確執が噂された絶不調期だったためか、全体的に藤田は武に擦り寄るような記述が多く見られる。しかし、2年建ち武は、リーディングも五指に入る程度まで回復し、サンデーレーシングの有力馬にコンスタントに騎乗する機会も増えつつある。しかし、藤田はこの本の出版から二年が経つが相変らずの状況だ。気力・体力が限界というなら「さらば競馬界」とまで啖呵を切ったのだから、鞭を置くべきではないのか?それとも、「2000勝したら画家に肖像画を描いてもらうのが恥ずかしい」と言いつつ、2000勝に拘っているのだろうか?
男を自称する人間ほどその本性は女々しい物があるが、要するに藤田も本性は女々しい男なのだ。競馬界を批判しつつ競馬界にしがみついているのだ。
仮に騎手を続けたいなら、現在の藤田のような札幌と内地の競馬場(の調整ルーム)との二重生活ではなく、栗東に腰を落ち着け、厩舎回りや追い切りを積極的にすべきだし、札幌住まいに拘るならホッカイドウ競馬に移籍すればいい。今の藤田は重大な決断をすることも出来ず中途半端に生き霊のように、惰性で生きているようにしか思えない。
相手の立場に自分が乗るかもしれない、立場の差は運かもしれないから、みたいなことで自分より不利な立場の人間に関してその状況差を利用した価値観の露呈や接触方法の選択を良好なものにするというのはブービートラップ。
募金をして貧しい人間を救ってる大半は同じ貧しい人間。ホームレスのビッグイシューを買ってあげているのは小遣いを削って特価品を狙って買うおじちゃんおばちゃん。思いやりというのは増殖を促す危険サインといっても過言ではない。
そんなやつらの気が知れない、というほどの距離があればその状況を少なからず遠ざけることができているということではないか。真摯に向き合うというのは危険な状況に身をおいているに他ならないのではないか。
その異常な状態に近い子供を抱えた親が、その状況から離れてほしいと願うのは当然起こりえることだろう。
親はなにもわかってない。現実に困窮している人たちがいて僕になにかできることがあって人としてすべきことがある、なんて考えは方向性と目的地をもってはじめて到達のための犠牲を払えるものでそれが狂気である可能性も否めないが計画として遂行を予定するとなると多くの関係者と資材を必要とする。
道理として多くを巻き込む際に個人単独での行動には制限と限界がでてくるためおのずと「普通」になる。異常な行動や方向性に多人数を巻き込むことができるのはある種の才能だろうし被害が大きくとも社会的な価値にはなんらかの貢献ができるはずだ。
近い人間からすると現実にある問題について考えているということを続けているその姿は孤立を深め不理解と非生産好意の連続で消耗しつづけているだけに見えるのだろう。実際何の生産性も高まっていないかと思う。あなたが野良猫を何匹助けたかしらないけれどもノーベル平和賞にはノミネートされないし町内会から表彰されたりもしないだろう。
ひとまず普通をこなしてから普通の無意味さを知ったと言えと親はいいたいだろう。無駄ということが無駄とわかったところで意味がないだろうと僕くんはいいたいだろう。
言い方を他に持ち合わせていないだけで、普通にいてほしい、普通という環境維持に僕を巻き込み参画してほしいと願っていそうというのは僕に対する心配ではなくて環境に対する心配だとかいう表現は、自分より家庭が大事なのか体裁を気にするのかと連続しそうな思考だが、家を守ること自体が家族を守ることと同義として目的を明確化することに問題はなかろう。
いちいち項目を別にして明示しなくては効果がないとか保証がないとかそれは証券権利と信頼信用でなりたつ代替通貨経済だけの話だろう。自分が隣の人ひとりをまもることで世界が平和になるといえるとしたら、ひとりまもるだけですむならそれに集中して行動するのは効率的だろう。
どこかで悲惨な被害にあっている名も知らぬだれかの心配をするより自分の子供だけを心配するくらいしか余裕はないしそれをするだけでみなが救えるとしたら要らぬ心配をするより効果的だろう。
自分の考えている普通だけを必死にまもり他人である僕を巻き込んで迷惑をかけている親というのは、親のほうからたどって考えると普通の状況を用意することで僕くんがふつうに馴染んでくれてふつうである僕くんは、いきなり火をつけたりする異常な行動は「普通かんがえたりしない」ふつうの子になってくれるんじゃないかと思っているのではないか。
どこかでいきなり爆発したりしないふつうの生活をすごしていく上で、ふつうより大きなチャンスをふつうの視点から探すことができるなら、そのときにシフトチェンジしたらよいのではないか、ふつうの選択肢をすててはじめから異常な選択肢による解決しかもたない僕になってほしくないのではないか。
異常な僕が普通の家庭にいるのがうざったいような態度をしてくるのは、普通になってほしいからではないか。
それがつらいのか。つまり普通をこわして異常を侵食させたいのか。そう生まれたのもそういう因子を必要としたのも親の世代まで続いた遺伝子とうまれた僕くんの生物的なバランスなのだろう。
僕くんの異常な行動でその家庭の貯蓄を無用に減らすことがあったら、そういう形で再配分する構造を生態系が求めたのかもしれないし、学歴がひくくあるのならだれかに学歴を積むコースを譲る立場の生物的ポジションなのだろう。
凶行に出て社会機能の充足を確認したり向上を図るための犠牲になるよう本能が仕向けることもあるのかもしれない。
しかしなやんでも生体はそう仕向ける方向に動くだけなのでしょうがない。ストレスを覚えるならそれを蓄えてどこかで爆発するのも致し方ないだろう。平穏にその生涯をすごして次の世代に異常な行動者がでることもあるかもしれない。
連綿とつづく命の端々はだれかれのため、自分の話ばっかり、などと思わず結局はみなひとつの歯車でしかないのだから、せめて気落ちだけは楽にいたほうがいいのではないかと思う。
ただひとつ、だれかと比べて自分の話をするときの僕くんは自分を糾弾するという形で相手を陥れているだけでなんら救いがないことだけは気をつけてほしい。
相手を自分の体に乗り移らせて自分の身を切り裂く呪いのようなその行為に美徳を感じているのだとしたら、かなり精神的におかしな方向に行ってしまっているといわざるを得ない。
担任とのやり取り
先生にはいじめの多い人の名前を教えましょう→上から目線ですね
もう死ぬ場所は決めてあるんですけどねwまあいいか…→明日からの研修楽しみましょうね。
父親「知っていれば学校には行かせなかったのに」
やり取りの前者は去年の担任とのやり取りであり、
ボクがいつ消えるかわかりません。ですが、先生からたくさん希望をもらいました。感謝しています。もう少しがんばってみます。ただ、もう市ぬ場所はきまってるんですけどねwまあいいか…
それに対して担任の返事が
時系列順に並べてみていく。
少年は中学一年生の頃もいじめられていて、その時は別の担任だった。
『上から目線ですね』、『どうしたのでしょう、最近イライラしているようですが、自分で、ストレスを解消できるといいね』
昨年9月中旬、父親の相談を機に、生徒と部活顧問、嫌がらせをしていた生徒が話し合いをして、いじめは解決したようだ。
しかし、二年にあがって4月上旬頃から父親に「ちょっかいを出されてウザい。学校に行きたくない」と話すようになった。
(同級生の親が少年が泣いて帰宅していたこと、いじめられているということを父親に話していたそうだが、これがいつの話かはわからず、一年生のいじめの時の話かもしれない。しかし父親も少年が学校生活に問題を抱えていたことは知っていた)
4月中旬頃からノートにも孤立やいじめの内容についての記述がはじまり、6月8日まで出る。
ニュースでおった限りでは月2回程いじめについて書かれていたようだが、その他にもあったかもしれないので頻度はわからないし、この間担任とそれについて話をしているかはノートからは見えてこない。
しかし同級生の話では少年が担任に泣きながら相談をしていたり、担任がいじめている生徒たちを別室に連れて行き叱ったりもしていたようだ。
6月中旬頃には、昨日は話ができてよかったです、という教師のコメントがある。
それ以降主にテストについて書いていたようだが、6月28日頃に何かあったらしく
ここだけの話、ぜったいだれにも言わないでくださいね。もう生きるのにつかれてきたような気がします。氏んでいいですか?(たぶんさいきんおきるかな)
と書いた。それに対して
と担任は返している。
どうしたの?じゃねーよ、とネットで言われたりしていたが、一度話をして落ち着いた後にまたいじめの話が再開したので、どうしたの?というのは不自然ではない。
また、その頃書くことはテストについてが多かったこと、一年生の時は部活顧問と話し合いをしていることから、問題はテストなのか、クラブ活動なのか、クラスでのいじめなのか聞くことも自然だし、死にたい、という子に元気を出そうと言うのも自然である。
そして翌日の29日には、先生には希望をもらいました感謝しています、と少年が書いているので、おそらく何か話をしたのだろうと思われる。
そこで死にたいというような話もたくさんしたとすれば、7月1日、2日の研修に向けて前を向いてもらおうと、研修楽しみましょうというコメントをしたことも納得できる。
6日に警察からノートの返却があり、7日にマスコミがノートについて報道、父親はインタビューにこたえた。
マスコミは少年のノートから担任への感謝の言葉や、誰にも言わないでくださいという言葉を切り取り、担任のコメントがないものには無回答と報道した。
話し合いが行われていれば無回答のケースがあるのも自然であるが、話し合いがあったかのような報道はしなかった。
一年のノートと二年のノートをごちゃまぜにして、一人の担任という悪役を作り上げた。
訂正:7月8日時点で別の担任のコメントであるという報道があったそうです。情報ありがとうございます。
父親はいじめについては知っていたがノートの存在を知らなかった。
もしノートについて知っていれば、と答えたのに、まるで父親は何も知らず大人は担任だけがいじめを知っていて見殺しにしたかのような報道がされた。
本文ではそう書いていてもニューストピックでは省略されていたりして誤解が起こりやすい記事も多かった。
また2ちゃんねるや、2ちゃんねるのまとめでも作為的な報道とそれを受けてのひどいコメントやバッシングがあった。
単に刺激的なニュースになればいいと考えていなかっただろうか。
しかし少年は希望をくれた担任がこうやって責められることを望んでいただろうか。
追記:できるだけたくさんのニュースをおって、真実を求めたつもりですが、間違いがあれば指摘してください。
マスコミを妄信しないことも大事だが、マスコミを敵対視しながらマスコミの情報を引っ張ってくるのも自ら歪ませる行為なので難しい。
https://t.co/RU8KLintq5 10;三沢君は「頭が悪い」し本物川氏が彼の無礼な態度に怒り「ぶん殴る」のは当然の事ではあるが、それでもその周辺の発言には実に不愉快な物、胸糞が悪くなるものが多かったのでまあ頑張れ。君の反省を求めるのも無理っぽいから前向きにやれとしか。— maximam357@三十路茄子 (@maximam357) 2015, 6月 16
実に不愉快千万だった点その1。「此れは本来彼の他者に対する礼儀の欠如や他者に対する不遜な態度、見方に関する問題である」、にもかかわらずそれを、「彼がマジョリティの逆鱗に触れてもそれを理解できない点が問題」「論者としての本物川氏と三沢君の能力の圧倒的な強弱の差」に還元する類の— maximam357@三十路茄子 (@maximam357) 2015, 6月 16
発言が散見された事は実に「不快」としか言いようが無い。詰まる所この姿勢は「三沢君の悪意無き他者への不遜な蔑視」と「何一つ変わる事の無い傲慢で不遜な姿勢・考え方」であるからだが。— maximam357@三十路茄子 (@maximam357) 2015, 6月 16
実に不愉快千万だった点その2。にも拘らず、「三沢君に制裁を加える」と言う意味において、彼をシバキ回している本物川氏御当人はさて置き、他の論者がそうした「論点の看過しがたいズレ」に対してなんら気を留めることなくむしろ「三沢君の欠損を強調する意味において追認した事」。これは実に筋が違— maximam357@三十路茄子 (@maximam357) 2015, 6月 16
う話ではないか。そうしたズレ・見方を放置する事は結果的に「彼の傲慢」自体は容認しつつ単に「彼が頭が悪く、鈍感で学習能力が低い」=劣った個体であるから叩く、という話にはならないのか。彼に「倫理的非違」を認めて批判する事は間違っては無いが「彼が弱いから叩く」のであれば醜悪だ、と言う事— maximam357@三十路茄子 (@maximam357) 2015, 6月 16
同じような不遜や傲慢を「もっと口が旨く議論が達者な人間が言ったなら」「同じようには叩かない」と言うならば、そうした姿勢は「全く評価するに値しない」どころか「下劣」以外の何物でもあるまい。— maximam357@三十路茄子 (@maximam357) 2015, 6月 16
その点非常に「不愉快でけった糞悪かった」のでとりあえず書いておく。あらゆる意味で碌でもない(嘲)— maximam357@三十路茄子 (@maximam357) 2015, 6月 16
この話題は本当にすべてがムカつく(御下品な表現)馬鹿は馬鹿でしょうがないがその反対側にもある種の同調圧力っぽい空気が在ってそれも無茶苦茶に不愉快だ。— maximam357@三十路茄子 (@maximam357) 2015, 6月 16
よくぞ言ってくれた。モヤモヤしてたけど俺もこれが言いたかった。
人によって感覚が違うから俺の見方が正しいというつもりはないが、
とにかく俺は青二才より青二才を晒しものにして楽しんでるやつらの発言の方が不愉快だ。
俺から見ると青二才はすんごいバカだ。だけど青二才はただ頭が悪いだけだ。
深く関わってないからそう思うだけかもしれないけどそんなに嫌なやつという印象は受けない。
時々頓珍漢な発言をしてたり気持ち悪い発言をしてたりなんといっても頭が悪いから
友達になってくれって言われたら断るし話しかけられ無い限りは相手にしたくないけどそこまで悪だとは思わない。
ただバカだなって思うだけだ。
ただこっちには寄ってこないでほしいな、俺の好きなものには関わらないで欲しいな、視界の外にいてほしいなと思うだけだ。
相手にしなければいい。
だけど青二才を攻撃してる奴は青二才とくらべてたちが悪い。ほんと胸糞悪い。
逐一発言をチェックして失言をしたら仲間内でRTで共有しあって嗤いものにしたり。
自分より劣った人間を晒しものにして笑いものにしようというしょうもない人間性とどす黒い魂胆が透けて見える。
青二才はただのバカなんだから相手にしなければいいのにわざわざちょっかいを出す。
青二才が馬鹿な発言をしたら、そういうことを言っちゃダメですよって一言言えばいいだけなのにいきなり死ねばいいのに、と攻撃する。
青二才がつまらないことや間違っていることを言ってるなら、それをただ指摘すればいい。
それ以上のことをやるやつは、青二才を侮って、相手を自分の好きなようにいじくって楽しみを得ようとしてる。
青二才のことを馬鹿だと思うなら、馬鹿でもちゃんと会話できるようにこっちが譲ってやるべきなのに
青二才に関わる理由がそれを諫めることでも青二才の馬鹿さを心配してのことでもなく最初からそれを笑いものにしようというものになっている。
最初からおちょくるつもりで接しておいて、それを青二才が嫌がるのは当たり前なのに、
相手が自分の思った通りに踊ってくれなかったら急に真顔になって正論で追い詰めマウンティングしようとする。
こんなのどう考えてもいじめっ子の発想だが。
青二才の頭の悪さや馬鹿さを笑うなとは言わないが、笑うなら青二才の見えないところでやれよ。
目の前でこれみよがしに馬鹿にしておいて怒るなネタだろうって押し付けるのは人間として胸糞悪いだろうが。
ただの馬鹿と、ちょっとくらい頭が良くても胸糞悪いやつだったらまだ青二才の方がマシだよ。
青二才の人格がダメってさんざん騒いでる奴いたが、まず青二才攻撃する前に自分が省みろよ。
わたしたちがマジョリティで、青二才は空気の読めない悪者だ、みたいな構図を作って攻撃するのやめろってこと。
青二才の発言に問題がなかったとは言わない。青二才は青二才はで反省しろ。
ただそれにしたって「他人に気軽にブスっていうのは失礼だからやめろ」という点に絞って青二才に抗議するだけだったら何も文句なかった。
それなのに、途中から「お前そんなんじゃ社会で孤立するぞ」とか、「頭の弱いかわいそうな人」みたいに扱って
態度とか発言以上に存在そのものを貶めて青二才が何をいっても青二才が青二才であるという点をもって見下す、みたいな態度を取るなと。
あーつまりだ。
青二才がブスを見ると安心するのは、女を容姿によって評価し、劣るものを見下してる発言だと攻撃してる割に
お前たちも青二才という社会的知性が自分より低い人間を見て安心してるんだから同じ穴のムジナじゃねえかと。
そのことに全く自覚がなく、自分たちは正しくて青二才だけが間違ってる、みたいなツラしてんじゃねえよ、ってことだ。
さらにまとめる。
青二才がお前らにとってどんなに馬鹿でクズに見えたとしても、青二才をちゃんと一人の人間として扱ってやれってこと。
クズ相手だったら自分たちもクズな振る舞いをしていいってわけじゃねえってことだ。
お前ら青二才を同じ社会的立場にいるとして扱ってなかっただろ。教化が必要な蛮族か棄民くらいのつもりで接してただろ。
そういうのをやめろって言ってんだ。初手から相手を見下してるのが見え見えってことが胸糞悪いんだよ。
今回に限って言えば、途中からはこういう無自覚な悪意(本人たちは善意と思ってそうなところが怖いが)に晒されながら
青二才は頑張った、みたいにすら感じたぞ。
発端として青二才は誰からどうみてもひどい発言をしたのにもかかわらず。
お前らは、他人の差別意識やミソジニーを攻撃するときに、自分がそれと同じかそれ以上に醜悪な振る舞いをしてないかもうちょっと考えろ。
ちゃうわ!って言いたいところだけどタイトルがそういう煽りになってるからそう思われても仕方ないな。
その上で説明すると、どっちがいいとか悪いの話はあんまり興味が無い。
そうじゃなくて、とにかく「気に入らない相手と話してる時でも、相手をちゃんと対等な人間として扱え」ってことが言いたい。
だから、青二才を擁護するつもりはない。相手がどんだけひどくて、それを指摘したところで青二才の糞ぶりは一切変わらない。
ただ、青二才は他の人がすでにボコボコに殴ってるから、バランス取るためにこういう書き方をした。
本音を言えば、どちらもひとしくぶん殴りたい。 そう思ってるよ。
自分が生まれた時から存在するものは、過去もずっと同じであったと人間は思いがちだ。
ニュースを見聞きしていれば薄々感じてると思うが、現状は薄氷の上を歩くが如く、危うい状態にある。
戦争ってのは、そう特殊なことじゃないし、わりと簡単に日常生活の延長線上に起こりうる。
そして、現在の緊迫した状況を理解しておくことは、個人にとっても悪いことじゃない。
それを理解した上で、どう行動するかは、それぞれの信念によると思う。
「大韓民国(韓国)」と「朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)」は停戦状態で、まだ終戦していない。
それぞれ「国」の設立に、アメリカ合衆国とソビエト連邦とが強く関与しており、
いわば、この二国間は、未だ第二次世界大戦から直結した冷戦状態にある。
「李氏朝鮮」は、13世紀から19世紀まで中国の冊封国家として朝鮮半島を統一していた。
16世紀に豊臣秀吉が侵攻したのがこの李氏朝鮮で、一時的に国土の大半を征服されている。
(つまり朝鮮の征服は成功しており、事実上、中国(明)との戦争であったと言われている)
まあ、歴史の通り豊臣秀吉は死に明は押し返し、19世紀まで李氏朝鮮は存続している。
しかし、お隣の国である日本は、明治時代を迎え近代国家として発展していた。
李氏朝鮮の近代化を目指す一派が、日本に頼りクーデターを企んだ。コレが1884年の甲申政変だ。
時の政権は「中国(清)」に助けを求め、クーデター側は「日本」を頼り、代理戦争が勃発。
結局、双方割にあわないと気が付き、「天津条約」が結ばれ手打ちとなった。
(ちなみに、クーデター首謀者一派はかなり悲惨な結末を迎えている)
ここで、内乱が鎮圧された後、中国(清)が「日本だけが撤兵せよ」とツッパった。
政府内でクーデターも置きてしまい、朝鮮政府も日本に「清を追い出してくれ」と依頼する。
つまり、「李氏朝鮮」は、中国(清)の冊封国家から離脱したわけだ。
これが、1897年の「李氏朝鮮」から「大韓帝国」への国号変更(独立)である。
まあ頼られたわけだし、と、当然のように日本は「大韓帝国」に干渉し始める。
これに「大韓帝国」は、危機を感じ、李承晩(イ・スンマン)をアメリカに派遣する。
アメリカに頼って、日本を排除しようとしたわけだ。これは失敗する。
そして、1910年「日韓併合条約」により統治権を日本に握られる。
勝った国は、その土地を分け合おうとする。
ここで、戦勝国である「ソビエト連邦」と「アメリカ合衆国」が現れる。
北のソビエトが「金日成」の「朝鮮民主主義人民共和国」を、
1948年の事だ。
筋金入りの抗日パルチザン活動家で、その流れでソ連軍の一員として行動していた。
そして、ソ連当局の支援を受けて、北朝鮮の指導者としての地位を確立した。
言ってみれば北朝鮮とは、正当なスターリン型ソ連の落とし子であり、中国共産党のシンパである。
李承晩(イ・スンマン)は、「大韓帝国」時代にアメリカに頼ろうとした調整役だ。
それは失敗したが、そのままアメリカのハーバードで修士を、プリンストンで政治学博士号を取得している。
そして、アメリカ当局の支援を受けて、大韓民国の初代大統領となった。
言ってみれば韓国とは、アメリカの援助で復活した「大韓帝国」である。
そして、「連合国」であることを望んだ。「戦勝国」の一員でありたかった。
対馬領有の宣言は、1949年に行われている。対馬と竹島を日本領から除外すべく、アメリカ政府に執拗に要求していた。
アメリカ政府は、共産主義国家が朝鮮半島を占領するのは良しとしなかったが、正直日本で手一杯だった。
1950年にアメリカ国務長官が「アメリカは、フィリピン、沖縄、アリューシャン列島しか責任を持たない」と宣言した。(アチソンライン)
ここで、キム・イルソンは、アメリカは朝鮮半島を重視していないと踏んで、朝鮮戦争に踏み切った。(当然ソ連のスターリンや中国の毛沢東に周到に根回してだ)
大韓民国軍は総崩れとなり、ほぼ北朝鮮は、韓国を占領しかかった。
ただ、結局のところアメリカ(国連)軍は、一気に押し返し、北朝鮮をほぼ制圧した。
もはや第3次世界大戦まで秒読みの段階だ。
ただ、軍を指揮していたマッカーサーが暴走(原爆を落とす気だった)した結果として軍から追放されたこと、
ソ連を率いていたスターリンが死去したことで、状況が大きく動いた。3年に及ぶ戦争は、一旦休戦することになる。
(休戦なので、未だ戦争は終わっていない)
朝鮮戦争後も、北朝鮮は社会主義国家からの支援を受け、基本的に韓国よりも常に優位に立っていた。
キム・イルソンが中国共産党出身であり、ソ連にも大きなコネがあることが全ての力の源泉だった。
しかし、ソビエト連邦が崩壊する。大きな後ろ盾を失い、経済的な援助が打ち切られた。
そして、キム・イルソンが死去し、コネクションを失い、世界から孤立する。
ソ連の援助は打ち切られたとはいえ、軍事国家は、軍事で物事を解決しようとする。
そして、そのキム・イルソンも死去し、金 正恩(キム・ジョンウン)が国家を継いだ。
売り家と唐様で書く三代目と良く言われるが、親の遺産はその子供まではなんとか保っても、孫の代には残らない事が多い。
北朝鮮は、いままさに三代目だ。いつ崩壊してもおかしくはない。良く保っていると言える。
朝鮮戦争は、未だ終結していない。
第二次世界大戦でソ連とアメリカが朝鮮半島の取り分を巡ってそれぞれ国家を建てたことで発生し、
代理戦争としてはまれに見る規模で地上戦が展開され、冷戦時代には相当の緊張を強い、ソ連の崩壊でバランスが崩れた。
韓国は、有り体に言えば反日イ・スンマンの意思を継ぐ、アメリカの属国だ。
ただ、真の独立をずっと願っているし、南北統一を夢見てもいる。
北朝鮮は、スターリン型独裁共産主義国家であり、ゴリゴリの軍事国家だ。
そもそも、国として存在するために、常に周囲を牽制し続ける必要がある。
韓国とアメリカは軍事的な同盟を結んでいるし、日本もアメリカとは事実上の軍事同盟を結んでいる。
そして、北朝鮮が発作的に何かを始めた場合、まず間違いなく最初に韓国が標的になる。
「軍靴の音が聞こえる」等とのんきなことを言えるのは、「平和」があると思い込んでいるからだ。
38度線の非武装中立地帯の北にも南にも、軍隊が常に靴を鳴らして警戒している。
軍靴の音が「聞こえなくなった」と感じ始めていることが、真の危機だ。
目を逸らしても、北朝鮮はまだそこにいる。
母になっても叶えられなどしないよ。
専業主婦なら社会から孤立している扱いだし、働いていれば主婦(母)の世界からも労働者の世界からも半端者として扱われる。
そもそも人間社会の構成員のデフォ=男とされている中、女と言う時点でそこから疎外されているわけで
女にとってしっくり来る自分の居場所なんてはなから無いから、強い帰属意識も生まれないんだろうね。
男に分かり易く例えるなら「海外の日本人村の住人」みたいなもんじゃない。
その日本人村に帰属したって所詮その国の社会のデフォから外れたガイジンの集まりに過ぎないし、かと言ってそれ以外の社会に帰属しようとしても常にガイジン扱いされると言う。