はてなキーワード: 五指に入るとは
「カジマ」
しかし呼ばれたのは、その視線を突き抜けた先、俺の真後ろの席にいたクラスメートの名前だった。
「お前がやってみろ」
「えー、自分っすか?」
目が合ったというのに、明らかに俺を当てるのを避けた。
何らかの力が働いたってことだ。
再現の失敗に落胆こそしたが、結果として大きな成果を得られた。
ここに来て明確な謎が、ようやっと目の前に浮かび上がったんだ。
「はあ……カジマ、もう書かなくていい。前途ある若者の手を、無駄にチョークで汚したくない」
「えー、まだ書ききってないっすよ」
「そもそも2次方程式で、その問題は解けない。更に言うと計算も間違ってる」
前回と同じように行動したにも関わらず、全く異なる結果。
これは何らかの要素、或いは条件に過不足があるからだろう。
まずは不確定要素となりやすい外的要因の精査だ。
「ちょっと、よろしいですか。先ほどの授業について質問があるのですが」
「ほう、質問しなければ分からないような教え方をした覚えはないが、君の向上心を尊重して貴重なハーフタイムを割いてあげよう」
「ありがとうございます。では先ほどの問題をカジマに答えさせたのは何故ですか。直前で俺と目が合ったのに」
シマウマ先生は怪訝な表情をすると、これ見よがしに大きい溜め息を吐いてみせた。
「教師人生20余年、生徒が私にしてきた質問の中でも五指に入るナンセンスさだな。大した意図も目的もなく人にモノを尋ねるのは無知無学以前の問題だ」
よほど俺の質問が期待はずれだったらしく、彼は嫌味たっぷりの説教を披露する。
「ちなみに1位は『バナナはおやつに入りますか』だ。おやつに入らなかったら遠足で1房もってくるのか? それ全部、食べきれるのか?」
こんなことを喋ってるくらいなら、さっさと答えた方が手っ取り早いだろうに。
まあ、彼の反応も分からなくはない。
科目に関する補足説明を求めてくるかと思えば、直接的には関係のない質問をしてきたのだから。
俺が教師の仕事を邪魔する、大人をおちょくるしか能がない不健康優良児に見えたのだろう。
否が応でも答えてもらわねばならない。
「先生、どー、どー」
捲くし立てるシマウマ先生の顔前に、俺は勢いよく手を突き出し、彼の言葉を無理やり静止した。
「な、なんだそれは」
「落ち着いてください。あなたにとってクダらないことも、誰かにとっては意外と重要だったりするんです。俺の向上心を本気で尊重するつもりがあるのなら、皮肉じゃなく回答に言葉を尽くしてくれませんか」
俺がそう言うと、彼はバツが悪そうに「ふん」と鼻を鳴らし、渋々と理由を説明し始めた。
手を動かさずに風を当てるだけだったり、
従来のハンドドライヤーみたいに手を揉んだりする人が多いんだよな。
あれじゃ乾かないよ。
正しいやり方は、横から手を入れて、掌を広げたままゆっくり引き上げていくんだよ。
風のブレードで水をこそぎ落としていくようなイメージ。
それなら一回〜二回でほとんど乾くよ。
http://www.mitsubishielectric.co.jp/ldg/ja/air/products/jettowel/advantage/detail_02.html
俺は、初めてジェットタオルを使ったときに、こんなに早く綺麗に乾くんだって感動したんだ。
だから誤った使い方で「ジェットタオルって乾かねえよな」って過小評価されるのが許せねーんだよ。
正しい使い方をしてくれよな。頼むぜみんな。
異動はしてない。人員増もない(むしろ減ってる)。業務内容に大きな変更もない(量は増えてる)。
この状況で必死こいて業務こなしてなんで人事評価がマイナスやねん。せめて据え置きやろ。
あーアカンわ。金の切れ目が縁の切れ目と言うが、忠誠心もざっくり切れたわ。頑張んのが完全に馬鹿らしなった。
何せ会社にカネがないから頑張りも評価できないんですゥ、ってな調子やからな。そのくせ降格者が出たわけでもない。
仕事せん奴の給料削らん代わりに働く奴の昇級昇進が食われてまうというカラクリや。
こんなん完全に働いたら負けや。
ほんなら残業なんぞ全額出たって誰がやるかい。残業増で評価ガタ落ち食らっとんやから、残業代なんぞ端金や。その端金も通院費と薬代でパァときた。
もともと体調悪かったのに完全に燃え尽き症候群や。食欲ゼロやし空腹のはずやのに好物見ても吐き気が消えん。
ヘドが出る。
なにが一番馬鹿馬鹿しいって、この状況で「転職のツテができるまで出来るだけ働かない」ってな作戦でいこうと、決めたのに覚悟が決めきれない自分自身が一番馬鹿馬鹿しい。
あんなに頑張ったんに、あんなにやったんにと、裏切られた裏切られたとぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃ芯から腐れたガキみたいに内心でウジウジ恨み言こいとる自分が一番馬鹿すぎて死にそうや。
いやそれよりも、まだアレが残っとるコレが話つけてる途中やと仕事するつもりなのが心底情けない。
しっかりせえやオレ。もう明日一日寝潰したら、月曜から俺は五指に入るレベルの働かないオッサンにならなあかんのや。
誰か神経太くなって心臓に毛ェが生えたみたいになるコツ教えてや。
なんかマーティン・スコセッシ監督(人生で五指に入るほど好きな映画監督)が遠藤周作の『沈黙』を映画化したらしいので、積ん読していたのを読んだ。以下はそのメモ(間違ってるかも)。
どうもテーマは以下の3つらしい。
① 信徒がどんなに辛い目にあっても神が彼らを助けもせずに沈黙しているのは何故か(神はいないのではないか)
② クリスチャンと言えど、拷問に対する恐怖から、踏み絵を踏んでしまう心の弱い者もいる。これら弱き者は救われないのか。
③ 日本にキリスト教が伝来しても、それは日本特有の何かに変容してしまって、本来のキリスト教は日本に根付かないのではないか。
◇結論:神は沈黙しているのではなく、信徒に寄り添い、その苦痛・苦悩を分かち合って下さっている。
◇考えたこと:神がいるならなぜ苦悩に満ちた人生で何か声をかけてくれないのか、とは誰しもが考えたことだろう。それに対する卓抜な回答だと思う。辛い人生の慰めになる。
本作の元ネタの1つはヨブ記だろうけど、この解釈をヨブ記に逆照射すると面白いかもしれない。信徒に苦悩を与えるヤハウェと、それを分かち合ってくださる「仲保者」(=キリスト)ということになるか。
◇結論:弱き者も救われる。弱き者には弱き者なりの苦悩があり、踏み絵を踏むことを拒否して拷問を受ける信徒と変わりはない。
◇考えたこと:これも大変慰めになる。誰しもが踏み絵を拒否できる強い信徒ではないし、むしろ弱き者の方が大多数だろう。そんな中でのこの結論は心強い。
◇結論:書いてない?
◇考えたこと:神の存在が聖書というテキストで表されている以上、そこには解釈が入らざるを得ないし、解釈に際してはその人の人生観・世界観がそこに入り込まざるを得ない。
その意味で、西洋のキリスト教と日本のキリスト教は違うと言われても、そらそうだろうという感じだった。
おわり。一読目だし、『切支丹屋敷役人日記』がいまいち理解できてないしで、間違ってるかも。
日本の小説だけあって、論文がネット上にpdfでいくつか転がっているので、読んでみたい。
[追記]
本作にまつわる良いQ&Aがあったので貼っておく。
最近、藤田伸二の名前をさっぱり聞かないなと思って、暴露本を出していたことを思い出して購入。
この本は福永と岩田はへたくそ、ディープは良い繁殖をもらってるだけ、エージェント制度が悪い。全部JRAが悪い・・・要するに「昔は良かった。今は駄目だ」以上でも以下でも無い。競馬ファンに多そうな懐古趣味者には受けるだろうが、建設的な提言は何もない。今の競馬界がとにかく気にくわないけど、惰性化・依存症化してて馬券を買うのを辞められないという人にはお勧めだがそれ以外の人は読んではいけない。
馬主や大手生産者の発言力が多い現状には弊害点もあるだろうし、昔気質のホースマンにはそれが我慢ならないだろうが、しかし今さら騎手を徒弟制度の下で育成するようには戻れまい。そもそも藤田だって自分で営業をするような昔気質の騎手ではなく、かつてはエージェントを付けていたような騎手である。そのエージェントが亡くなって以来馬の質が落ちたと言われるが、手を差し伸べるエージェントや厩舎は居なかったのだろうか?あるいは藤田は営業をしなかったのだろうか?それほど藤田は競馬界から孤立してるのだろうか?
「サンデーサイレンスは良くない繁殖からでも走ったけど、ディープインパクトは良い繁殖しか与えてないから走るのは当たり前」というのは藤田自体は血統に詳しくないとはいえ明らかな事実誤認であろう。例えばトウショウボーイがくじ引きさえ当たれば零細牧場の繁殖に気楽に種付け出来る種牡馬だったのは有名だけど、サイレンススズカの稲原牧場がワキアにサンデーを種付けしようとしたときだって、デビュー前の一番安価な次期なのに「他の種牡馬の株を処分すればなんとかつけれなくはない」という感じだったと聞いている。
競馬ブームの余韻で中小牧場だって今よりは潤ってたかもしれないが、サンデーサイレンスが駄目な繁殖に気軽に種付けできるような種牡馬ではないはずである。日高産のサンデーサイレンス産駒の一番の出世頭であろうスペシャルウィークだって、母系はシラオキ系で母父はマルゼンスキー。ボトムラインを辿るととその時代時代の日本で種付けの出来る最高級の種牡馬がゴロゴロ出てくるようなスジの通った血統である。
さて、この本が書かれた当時は武は落馬事故の後遺症と社台グループとの確執が噂された絶不調期だったためか、全体的に藤田は武に擦り寄るような記述が多く見られる。しかし、2年建ち武は、リーディングも五指に入る程度まで回復し、サンデーレーシングの有力馬にコンスタントに騎乗する機会も増えつつある。しかし、藤田はこの本の出版から二年が経つが相変らずの状況だ。気力・体力が限界というなら「さらば競馬界」とまで啖呵を切ったのだから、鞭を置くべきではないのか?それとも、「2000勝したら画家に肖像画を描いてもらうのが恥ずかしい」と言いつつ、2000勝に拘っているのだろうか?
男を自称する人間ほどその本性は女々しい物があるが、要するに藤田も本性は女々しい男なのだ。競馬界を批判しつつ競馬界にしがみついているのだ。
仮に騎手を続けたいなら、現在の藤田のような札幌と内地の競馬場(の調整ルーム)との二重生活ではなく、栗東に腰を落ち着け、厩舎回りや追い切りを積極的にすべきだし、札幌住まいに拘るならホッカイドウ競馬に移籍すればいい。今の藤田は重大な決断をすることも出来ず中途半端に生き霊のように、惰性で生きているようにしか思えない。