はてなキーワード: 孤立とは
「また、増田が言うところの“弱者男性(=ブサイクで金のないおっさん)”は男性の中だけでみても“最低辺”でもなければ“真の弱者”でもない。障碍者や在日外国人、セクシャルマイノリティ、引きこもりなど、社会的・制度的に見て“より弱い存在”はたくさんいる(実態を無視して“問題として認識されてないから最弱”なんて言うなよ?)。弱者男性は彼らに対して具体的にどんな“積極的な支援”をしているのだろう。」
inumash氏のような立派な方がなぜこういうことを言ったのか少々疑問である。
話は変わるが、
http://b.hatena.ne.jp/entry/anond.hatelabo.jp/20140114181404とかhttp://b.hatena.ne.jp/entry/anond.hatelabo.jp/20150515201907とか見るに付け
労働組合が大企業はともかく中小企業だとない企業も山のようにありアクセスできない人も多い現状があり、さらに役に立たないと思われている。
そんな中いわゆる貧困層(年収125万)より上から年収の中央値(年収250万)。ひょっとしたらそのちょっと上(年収300万)あたりまでの層
(要は一人でぎりぎり食えるけど男性だと結婚できるとみなされない年収のゾーン、当然女性もたくさんいる)にいる人たちに対して、
はてなだとブラック企業の文脈だと語られるけど、実際問題この層はどう生きればいいのだろうか。
男女とも結婚もできず子供も残さず、一人で静かに暮らしていけばいいのか。
その年収のまま男女とも共働きで子供を育て社会を再生産できるのか。
特にコミュニケーションが重視される社会において、就活失敗組も多く孤立しがちなこの層にリベラルはこの先生きのこるのにどういうメッセージがあるのか。
相談できる人もいなくて、困って困っていろんな局面に立たされたけど、なんとか頑張った。
中学入学から15歳までってすごい影響受けやすいし、自分の人格すらまだできあがっていなかった俺には、人の悪意を読み取るセンサーなんてなかった。
ただひたすら自分は、こんな自分で申し訳ないとおもいながらぼっちでもコツコツ頑張ってただけだった。
ちょうどwin95発売されたころで、自分がはじめて手にしたパソコンは大学生協で入学時に購入した26万のくっそおもたいモニターとはじめてのFMV。
ダイヤルアップ接続を初めてした頃の感動と、検索やメールだけに限定された頃で、特にはまるものとかいってもネットで好きな漫画のエロ同人サイト読みあさることくらい。
ネトゲには手を出さなかったし、PSもセガサターンもなにもゲームもやったことない自分で良かった。
19年くらい前の話だけど、あの頃の自分が愚鈍でよかったって思う。
他人に入れ知恵されて家庭崩壊一直線とか、当時はあやしい宗教団体くらいだと思う。
俺は、ひたすら。普通にぼっちでもがんばって卒業できて、目標ややりたいことを定められる過程を得て幸運だった。
ジョルジュ・サルマナザールはフランス生まれの白人だったが、ウィリアム・イネスという牧師の協力を得て「キリスト教に改宗した台湾人」になりすました。「台湾人の先祖は日本人である」「香草をまぶした生肉を食べている」などデタラメな風習を広め、独自の「台湾語」まで作りだした。当時のヨーロッパでは台湾のことなど全く知られていなかったので、サルマナザールは25年ものあいだ台湾の専門家と見なされ、彼が執筆した『台湾誌』は知識人からも信頼されていた。しかし、ハレー彗星で知られるエドモンド・ハレーが、『台湾誌』に掲載された星図などから矛盾を見つけ出して突きつけたため、彼はついに自らの虚偽を告白した。
数学教授ロデリックと図書館司書エックハルトは、横柄な態度のヨハン・ベリンガーに腹を立て、悪質ないたずらを仕掛けることにした。二人は石灰岩に細工をして、カエルやミミズの化石、彗星や太陽の形をした化石、「ヤハウェ」という文字が刻まれた化石などを作り出し、ベリンガーが化石を採集していた山に埋めておいた。当時は化石が生まれる原因が分かっておらず、神秘的な力によって形成されると考えられていたので、いま見ると明らかにおかしな化石でも、ベリンガーは本物だと信じこみ、図版を収録した書籍まで出版してしまった。話が大きくなって慌てた犯人の二人は偽造であることを明かしたが、ベリンガーはそれを中傷だと考えてまったく取り合わなかったという。
コック・レーンにあるリチャード・パーソンズの家に、ウィリアム・ケントとファニーという夫妻が下宿していた。しばらくしてファニーは天然痘で亡くなったが、それ以来、パーソンズの家では何かを叩くような音や引っかくような音がたびたび聞こえるようになり、パーソンズは「ファニーの幽霊に取り憑かれた」と主張した。ファニーの幽霊は、自分がケントに毒殺されたことを訴えているのだとされた。幽霊のことはロンドン中の話題になり、見物客が連日のように集まってコック・レーンを歩けないほどだった。しかし調査の結果、パーソンズが自分の娘を使って、木の板を叩いたり引っかいたりさせていたのだということが分かり、彼は有罪となった。
ヴォルフガング・フォン・ケンペレンは「トルコ人」という名の人形を完成させた。それは完全な機械仕掛けでチェスを指し、しかもほとんどの人間より強いというものだった。「トルコ人」はヨーロッパ中を旅してチェスを指し、その中にはベンジャミン・フランクリンやナポレオン・ボナパルトなどの名だたる人物がいた。多くの人間がその秘密を暴こうとしたが果たせなかった。ヴォルフガングの死後、「トルコ人」はヨハン・メルツェルのもとに渡り、ふたたびアメリカなどで大金を稼いだが、1854年に火事によって焼失した。その後、最後の持ち主の息子が明らかにしたところでは、やはりチェス盤のあるキャビネットの中に人が入っていたのであった。
宝石商シャルル・ベーマーは、自身が持つ高額な首飾りを王妃マリー・アントワネットに売りたいと思い、王妃の友人だと吹聴していたラ・モット伯爵夫人に仲介を依頼した。伯爵夫人は、王妃に渡すと言って受け取った首飾りを、ばらばらにして売りさばいてしまった。その後、ベーマーが代金を取り立てようとしたことから事件が発覚し、伯爵夫人は逮捕された。しかし「王妃と伯爵夫人は同性愛関係にあった」「本当は王妃の陰謀だった」といった事実無根の噂が流れ、マリー・アントワネットの評判は貶められた。ちなみに、かの有名なカリオストロ伯爵も巻き添えで逮捕され、のちに無罪となっている。
19歳のウィリアム・ヘンリー・アイアランドは、父親を喜ばせるためにシェイクスピアの手紙や文書を偽造するようになった。多くの専門家がそれを本物だと鑑定し、ジェイムズ・ボズウェルなどは「我らが詩人の聖遺物を生きて見られたことに感謝する」と祝杯を上げたほどだった。ついにウィリアムは戯曲の偽作まで行うようになったが、その戯曲「ヴォーティガンとロウィーナ」はあまりにも悲惨な出来栄えだった。また、その頃にはエドモンド・マローンによる批判も広まっていた。ウィリアムは罪を自白したが、世間はそれをウィリアムの父親が息子に言わせているものだと受け取った。当の父親も、無能な息子がそんなものを書けるわけがないと、死ぬまで贋作であることを信じなかった。
イギリスで異国の言葉を話す身元不明の女性が保護された。ある船乗りが「言葉が分かる」というので通訳となった。船乗りによれば、彼女はインド洋の島国の王女カラブーであり、海賊に囚われていたが逃げ出してきたのだということだった。彼女は地元の有力者たちのあいだで人気となり、またその肖像画は新聞に掲載されて広まった。しかし、その新聞を見た人から通報があり、彼女はメアリー・ベイカーという家政婦で、架空の言語を作り出して、カラブー王女のふりをしていただけだということが判明した。
イギリス軍人グレガー・マクレガーは、中南米で実際に功績を上げたのち、イギリスに戻って「ポヤイス国」への移住者を募集した。ポヤイス国は南米の美しい楽園で、土地は肥沃であり、砂金が採れると喧伝された。ポヤイス国の土地や役職、通貨などが高額で売りに出された。それを購入した二百七十人の移住者グループが船で現地へ向かったが、そこにポヤイス国など存在しなかった。荒れ地に放り出された移住者たちは次々に死んでいった。マクレガーはフランスに高飛びし、そこで同じ詐欺を働こうとして失敗した。さらにベネズエラへと逃げて、そこで英雄的な軍人として死んだ。
アメリカの冒険家だったジョシュア・ヒルは、ハワイへ移住しようとして失敗した後、タヒチ島からピトケアン島へと渡った。ピトケアン島は、イギリスからタヒチまで航海したのちに水兵たちが反乱を起こしたという「バウンティ号」の生き残りと、その子孫たちが暮らす絶海の孤島だった。ヒルは、自分はイギリス政府から派遣された要人だと嘘をつき、独裁者として君臨した。逆らう者には容赦なく鞭を振るい、恐怖で島を支配した。それから6年後、通りすがりのイギリス海軍の船に島民たちが助けを求めたことで、ついにヒルは島から追放された。
イギリスの名門ティッチボーン家の長男ロジャーは、1854年に南アメリカ沖で海難事故に遭って亡くなっていたが、その10年後にオーストラリアで肉屋を営む男が「自分がロジャーである」と名乗り出た。翌年、ロジャーの母である未亡人と「ロジャー」はパリで面会した。華奢だったロジャーとは違い、「ロジャー」は体重100kgを超える粗野な男だったが、未亡人は彼こそがロジャーだと認めた。貴族を名乗りつつも労働者であった彼は、イギリスの庶民からも大いに人気を集めた。しかし未亡人が亡くなった後、裁判において彼は偽者であるとの裁決が下され、14年の懲役刑を課されることになった。
ジョージ・ハルは進化論を支持する無神論者だったが、聖書に登場する巨人の実在について口論となり、それがきっかけで巨人の化石を捏造することを思いついた。石膏を巧みに加工し、毛穴まで彫り込んで、いかにも偶然発見したかのように装って大々的に発表した。専門家たちはすぐに偽物であることを見抜いたが、キリスト教原理主義者の一部は進化論への反証としてこれを支持し、また全米から多くの見物客がやってきた。フィニアス・テイラー・バーナムが同様に巨人の化石を見世物にしはじめたことで、ハルはバーナムを訴えるが、その裁判を取材していた新聞記者がハルの雇った石工を突き止めて自白させたため、ハルも観念して偽造を認めてしまった。
ドイツの靴職人ヴィルヘルム・フォークトは、古着屋で軍服や軍刀などを購入し、「プロイセン陸軍の大尉」に変装した。彼は大通りで立哨勤務をしていた近衛兵に声をかけ、十数名の兵士を集めさせると、ケーペニック市庁舎に踏み込んだ。フォークトは、市長や秘書らを逮捕し、また市の予算から4000マルクほどを押収すると、兵士たちにこのまま市庁舎を占拠するよう言いつけ、自分は悠々と駅に向かい、新聞記者からの取材に応じた後、列車に乗り込んで姿を消した。彼はすぐに逮捕されたが、ドイツ全土で人気者となり、時の皇帝によって特赦を受けた。
イギリスのピルトダウンでチャールズ・ドーソンによって発見された化石は、脳は現代人のように大きいが、下顎は類人猿に似ている頭蓋骨だった。ドーソンはこれをアーサー・スミス・ウッドワードと共同で研究し、人類の最古の祖先として「ピルトダウン人」と名付けて発表した。当時は大英帝国の繁栄期であり、人類発祥の地がイギリスであるという説は強く関心を持たれた。しかし1949年、フッ素年代測定により、ピルトダウン人の化石が捏造されたものだと断定された。捏造の犯人は未だに分かっておらず、『シャーロック・ホームズ』の作者であるアーサー・コナン・ドイルが真犯人だという説まである。
後に作家となるヴァージニア・ウルフを含む6人の大学生たちは、外務次官の名義でイギリス艦隊司令長官に「エチオピアの皇帝が艦隊を見学するので国賓として応対せよ」と電報を打ってから、変装をして戦艦ドレッドノートが停泊するウェイマス港に向かった。ぞんざいな変装だったにもかかわらず正体がバレることはなく、イギリス海軍から歓待を受けた。彼らはラテン語やギリシア語を交えたでたらめな言葉を話し、適当なものを指して「ブンガ!ブンガ!」と叫んだりした。ロンドンに帰った彼らは新聞社に手紙を送って種明かしをし、イギリス海軍の面目は丸潰れとなった。
ドイツの曲芸師オットー・ヴィッテは、アルバニア公国の独立の際に「スルタンの甥」のふりをしてアルバニアへ赴き、嘘がバレるまでの五日間だけ国王として即位した、と吹聴した。そのような記録はアルバニアにもなく、当時からオットーの証言は疑わしいものとされていたが、オットーはドイツ国内でよく知られ、新聞などで人気を博していた。オットーが亡くなったとき、その訃報には「元アルバニア王オットー1世」と書かれた。
コティングリー村に住む少女、フランシス・グリフィスとエルシー・ライトは、日頃から「森で妖精たちと遊んでいる」と話していた。ある日、二人が撮影してきた写真に小さな妖精が写っていたことに驚いた父親は、作家のアーサー・コナン・ドイルに鑑定を依頼した。そしてドイルが「本物の妖精」とのお墨付きを与えて雑誌に発表したため、大騒動となった。50年後、老婆となったエルシーは、絵本から切り抜いた妖精を草むらにピンで止めて撮影したと告白した。しかし、フランシスもエルシーも「写真は偽物だが妖精を見たのは本当だ」と最後まで主張していた。
オーストラリアの現代詩誌『アングリー・ペンギンズ』に、25歳で亡くなったという青年アーン・マレーの詩が、彼の姉であるエセルから送られてきた。『アングリー・ペンギンズ』誌はこれを大きく取り上げて天才と称賛した。しかし、これは保守派の詩人であるジェームズ・マコーリーとハロルド・スチュワートが、現代詩を貶めるためにつくったデタラメなものだった。この事件によりオーストラリアの現代詩壇は大きな損害を蒙ったが、1970年代に入るとアーン・マレーの作品はシュルレアリスム詩として称賛されるようになり、以降の芸術家に大きな影響を与えるようになった。
フィリピンのミンダナオ島で、文明から孤立したまま原始的な暮らしを続けてきたという「タサダイ族」が発見された。彼らの言語には「武器」「戦争」「敵」といった言葉がなかったため「愛の部族」として世界的な話題になった。彼らを保護するため、世界中から多額の寄付が集まり、居住区への立ち入りは禁止された。しかし15年後、保護地区に潜入したジャーナリストは、タサダイ族が家に住み、タバコを吸い、オートバイに乗っているのを目撃した。全ては当時のフィリピンの環境大臣マヌエル・エリザルデJr.による募金目当てのでっちあげだったとされた。
評論雑誌『ソーシャル・テキスト』は、「サイエンス・ウォーズ」と題したポストモダニズム批判への反論の特集に、アラン・ソーカルから寄せられた『境界を侵犯すること 量子重力の変換解釈学に向けて』という論文を掲載した。しかしそれは、ソーカルがのちに明かしたとおり、きちんと読めば明らかにおかしいと分かるような意味不明の疑似論文であり、ソーカルはそうしたでたらめをきちんと見抜けるかを試したのだった。それはポストモダンの哲学者たちが科学用語を濫用かつ誤用している状況に対する痛烈な批判だった。
周囲とのコミュニケーション取るのが苦手な人は、一言言っとけば何でもないことなのになあと
思うことを面倒くさがる上に、責任の所在をまず他に求めようとすることが多い。
周りの人はエスパーじゃないんだよ?
話しかけるのが面倒な人には、自身が思うほど注意を払ってない。
自分からアクションせずに、指摘されると自分は悪くないから始まる。ひとつひとつは大した
ことなくても、それが積み重なっていったらこいつはそういう人間だってなってしまう。
このままだと孤立を深めていく懸念があるからアドバイスしてるのに、何で自分がそんな些細
なことでお説教されなきゃいけないんだとしか思ってないのが見てるとよく分かる。
☆モラトリアムとは
・学生など社会に出て一人前の人間となる事を猶予されている状態を指す。心理学者エリク・H・エリクソンによって心理学に導入された概念で、本来は、大人になるために必要で、社会的にも認められた猶予期間を指す。
・日本では、小此木啓吾の『モラトリアム人間の時代』(1978年(昭和53年))等の影響で、社会的に認められた期間を徒過したにもかかわらず猶予を求める状態を指して否定的意味で用いられることが多い。
・"moratorium"の語源は、ラテン語の "mora"-遅延,"morari"-遅延する である。
(Wikipediaより)
後れることなく大学まで進学し卒業した同年齢の人々は、明日から新社会人となるそうだ。
私は、彼らに対して大きな隔たりを感じる。
私は進学を自分で決めたにもかかわらず、新社会人となる彼らに数年の後れをとってしまっている。
それも、特に理由があったわけではない。同じような人間に囲まれて、ただ時間を過ごしただけだ。
高校を卒業して暫くの間、なんとなく自分が大学でやっていけるかどうか、漠然とした不安は抱えていた。
ところが、大学に入ってみて今に至るまで、ほとんど不自由していない。
孤立が根深い日本社会の一部とはおよそ考えられぬ程度には交友が広がり、特に不満もない。
―私の過ごした「モラトリアム」は、一体何だったんだろう
無為に過ごした時間は返ってこないが、せめて人並みになれるよう努力せねばならない。
卒業、おめでとう。
功利主義で言えば、差別を悪としなくても最大多数の最大幸福は満たされうるよね。
と言っても別に「夫の地位=アテクシの地位ザマス、結婚しただけでアテクシの地位大幅上昇したザマス」とか考えてる訳じゃない。
夫がいかに高収入だろうが社会的地位が高かろうが、私はただの低学歴の無職でしかないってのは百も承知だ。
じゃあ何が楽かと言うと、夫に嫉妬しなくて良いんだ。
夫の都合で人生左右され、あちこち引っ越しし回ったり仕事も辞めさせられたり孤立育児したり等々あろうと、
「だって性別とは全く関係なく、私の方が無能なんだから仕方ないじゃん」と心の底から思える。
何せ夫の大学の偏差値は私より10は軽く超えている。収入は私の独身時代の3倍以上だ。
これで夫が同じ大学の同級生だとか、同じ仕事をしていた同僚だとかだったら
人生で女ゆえの不利益を得る度に、絶対に「何故本来の能力は同じor自分の方が高いのに、男ってだけで常に夫が優先なんだ、良い目をみれるんだ」と思ってしまうと思う。
実際「夫に猛烈に嫉妬してしまう」と言う人をネットのどこかで見たけど、その気持ちはよく分かる。
私も昔は同級生や同僚の男に対してそう思っていた。
男であるというだけで楽々良い所に就職し、仕事でも自分より評価されチャンスも与えられ、給料も無条件に上がる男に対して理不尽な思いを抱えていた。
当時は割り切ったつもりで気にしていなかったけど、今考えれば全然割り切れていなかった。
(と言うと「てめえの能力を買いかぶり過ぎ、実際は男の方が能力高かったんだよwww」とか言われるんだろうけど、
自分だけではなく周りの他の女と男を客観的に比べても、明らかに男の方が能力が低かろうと評価されていた)
これで自分と同レベルの男と結婚してたら、職場では同僚男に嫉妬して、家に帰ったら夫に嫉妬する人生になる訳で。
しかも歳を取るほど男と女の差は広がるわけで。子供でも産んだら絶望的な差になる訳で。定年まで嫉妬し続ける職業人生。
或いは途中で仕事辞めさせられて、死ぬまで納得出来ず「こんな男の為に私は犠牲になったのだ」と恨み言を言う人生。嫌すぎる。
かと言って結婚しなければしないで同僚男に嫉妬し続ける人生な訳で、やっぱり不毛だ。
でも夫に対してはそんなの関係ない。私が男だろうと、比較対象ですらない事に変わりはない。
どちらかが仕事を辞めなければならないのなら、私が辞めるのが当たり前だ。給料3倍だもの。
女だから出来ないんじゃなくて、夫の同僚にも女性は何人もいる。私は彼女達の足元にも及ばないもの。無理無理。
それは単に私が夫より遥かに無能だからであって、女だからじゃない。
と言うとまた「三食昼寝付き」とか言うんだろうけど、そんなんじゃない。と言うか昼寝してる暇ねえよ。三食は自分で作らなきゃ食えねえよ。
女である事がデフォな世界、女だらけの世界、女だからと言って差別されるという事が無い世界、むしろ男の方がマイノリティな世界だから、楽なんだ。
(そもそも専業主婦そのものがある意味それ以外から差別されてる世界だろう、ってのは見ない事にして)
こんな事は他の女はもっと若いうちから考えてる事なんだろうなあ。
よく独身女が挙げる理想の結婚相手として「尊敬出来る男」ってのがあるよね。
「専業主婦になりたい」ってのも増えてるとか。
あれはこういう事なんだろうなあと、若くもなくなってからようやく気付けた。
フェミをかじった時期もあるので、政治的に正しくないのでは的な罪悪感を感じた事もあったけども、
もういい。私は開き直って実利を取る。
もう疲れた。
事の発端は、季節外れの人事異動。
この部に異動してきて1年目の私が、部内のとあるチーム ―― さわらぬ神に祟りなしとされいる、いわゆる“厄介な”チームに異動になった。
そこでの環境に私が耐えられず、このたび会社をお休みすることになったのだ。
通うようになった理由は、その当時の上司からのパワハラで、自分にだけ業務をまわしてもらえない、仕事が無いからもちろん評価もされない(職種柄、自分で仕事を見つけるようなものではないため、自分から進んで仕事を行うというのには限界があった)皆の前で理不尽に怒られる等々、今思えば、様々なパワハラに該当することをされており、精神的に参ってしまった。
もちろん、会社の人事に訴えたりもしたが、このパワハラ上司は役員も兼ねており、周囲はもちろん、上役の人でも誰も咎めることができない(めんどくさいことは起こしたくない)という環境だったため、問題は解決せず、結局私は、会社の誰にも相談できず、一人で心療内科の扉を叩いたのだ。
心療内科に通いはしたが、メンタルに支障がでていることを周囲に話す訳でもなく、私は休むことなく会社に通い続けた。時々、体調不良で休んだり、猛烈な吐き気に襲われたりもしていたが、何とか出社できていた。
その過程では、パワハラ上司が厄介払いのために行った私の異動もあったが、異動先での人間関係や業務も順調で、周りの人にも助けられたこともあり、ここ最近は年単位で調子も良くなってきて、薬もほとんど飲まなくても大丈夫になっていたので、早く心療内科に通うのをやめたいな、と思っていた所だった。
そんな所に、今回の異動があった。
私なら大丈夫かと思ったって、ああそうですか。
確かに、ここ数年はメンタルに支障が出ることもなく、むしろ仕事が好きだから真摯に楽しく業務をこなしておりました。
でも、今回の異動先での業務は、私はまったくの初心者でしたし、他の人の目がほとんどない孤立した場所が仕事場で、リーダー+同じチームのほとんどの人から仕事も教えられず、あげく質問しても答えてくれない環境は、さすがに堪えました。
私の前に異動してきた人達も、そのリーダーにやられているって聞きましたよ、4人も。
私で5人目ですね。しかもその5人目は休職になっちゃいましたね。
前の方々は、休職になる前にチーム内での移動があったり、新しく入ってきた人にターゲットが移ったりで、休職まではいかなかったようですが。
それでも、精神的に参ってお休みがちにはなっていたみたいですけど。
以前、被害者だった人に相談しても、「私の時よりは全然ましよ」って言われて、耐えられない私が悪いみたいな感じでした。
正直、それも辛かったです。
そもそも、私が心療内科に通院していたということを知っていれば、この人事異動もなかったかもしれないですね(まあ、それもどうかと思いますけど)。
そして、今回、休職者が出てしまった理由は、おそらくそのパワハラ上司を放置していたことじゃなく、メンタルが弱かった私が悪いという会社判断になるんですよね。
私が休むことによって、困る人がいることや負担が増える人がいることは否めなく、それは大変申し訳ないです。
でも、今回一番堪えるのは、「私が心療内科に行っていること」が、会社の人にばれてしまったことなのです。
私は元々、親族の中に軽くはない鬱系の病気の人がいるので、心の病がどのようなものかを知っていました。
そして、周囲の人々の偏見があることもよく知っていました。
「気の持ちようだ」と言われても「できることならとっくにしているよ!」という憤りも、
何より当人がこんな自分になってしまって情けないと強く思ってしまうことも知っています。
ですが、心の病にかかったことのない“正常”な人達の中には、これらのことが信じられず、なまけている、自分だって嫌なことがあっても頑張っているのに、なんでこの人達は自分勝手に休むんだ、と思っている人も少なくないかと思います。
現に、会社の人との会話でも、メンタル系の病気で休職した人や復職してきた人達に対して、「あの人は休めていいよね」「俺だって休んでみたい」「復職しても定時に上がれていいよね、こっちは残業なのに…」「なんであの人達の面倒を見なきゃいけないんだ」という無神経な発言をしてしまう人もいます。
私の親族に同様の病の人がいると知っていても、私の目の前でそのような話しをする人も少なくありませんでした。
ある時、ふと気が付いたのですが、そんな人達に対して有効なのは、「心の病にかかったことのない“正常”な人間が、その話に同調せずに、心の病に対して理解を示す。」ということでした。
“自分達と同類である正常な人間”がそういうんだったら、まあ、ねぇ・・・となる人が多かったように思います。
ですから、「私は身内に同じような人がいるんですけど、辛いみたいですよ」と言うようにしていました。
また、「心療内科に通ったことのない私」は、社内のメンタル系で休職をして復帰した人に対して、自然に寄り添うように心掛け、その人達の負担にならない程度に話しかけたり、サポートしたりするように努めていました。
草の根運動かもしれませんが、それって結構重要だと自分では思ってました。
しかし、それらも“正常”な人間がやっていたから意味があったこと。
今まで一度も、メンタル系の精神疾患にかかったことのない“正常な人”が、その病に対して理解を持っていることが一番重要だったのに。
今まで一緒に仕事をしていた人で、私の前でメンタル系の病の悪口を言っていた人は離れていくのだろうか。他の人たちも離れるのだろうか。
普通に仲良くしてたんだけどな。
あー・・・
きちんと復職できるかしら。
「もっと下手に出て、マジョリティの気分を害さないように説明しないと聞いてあげませんよ?」派の皆さまへ - みやきち日記
てめえが勝手にそう感じてるだけじゃねえか、誰がそう言ったんだよ。
俺そんなこと思ったこともないし言ってもねえよ、お前の受け取り方一つじゃねえか。
そうだね。言ってもいないこと、思ってもいないことで文句言われるのはいやだよね。
でも、みやきちさんのエントリのどこに『id:kyomoeが「もっと下手に出て、マジョリティの気分を害さないように説明しないと聞いてあげませんよ?」と言った』とか『id:kyomoeは「もっと下手に出て、マジョリティの気分を害さないように説明しないと聞いてあげませんよ?」派だ』ということが書いてあるのかな?何度読んでもそんな箇所は見当たらないし、そもそもリンクされたエントリのタイトル以外の所にkyomoeさんの名前は出てきてないように見えるんだけど…。kyomoeさんのブログもリンクされてないよね。
あれ?もしかして「kyomoeさんが勝手にそう感じてるだけ」「kyomoeさんの受け取り方一つ」って話じゃない…?
念のためみやきちさんの前のエントリで「もっと下手に出て、マジョリティの気分を害さないように説明しないと聞いてあげませんよ?」っていう言葉が出てきた部分も抜き出してみるね。
【ノーマルカップリング呼びをやめたら死んじゃう病の人たちは】、誰が何をどう説明しようと、「英語わかんなーい」、「歴史的経緯なんて知らなーい」、「日本と外国とは違うしー」、「差別する意図はないんだからいいじゃなーい」、【「もっと下手に出て、マジョリティの気分を害さないように説明しないと聞いてあげませんよ?」】、「言葉狩りをするオマエこそ差別者だあー!」とかなんとか言い続けるだけで、絶っっっ対にやめないからね。
「どこかの同性愛コミュニティから『ノーマルは差別的だ』っていう意見が出てきてるわけじゃなく」? デマを流さないでくださいよid:kyoumoeさん。 - みやきち日記
うーん、みやきちさんは『【ノーマルカップリング呼びをやめたら死んじゃう病の人たちは】【「もっと下手に出て、マジョリティの気分を害さないように説明しないと聞いてあげませんよ?」】とかなんとか言い続けるだけで、絶っっっ対にやめない』とは書いているけど、kyomoeさんがそうだとも、kyomoeさんがそう言ったとも書いてないよね。kyomoeさんが“ノーマルカップリング呼びをやめたら死んじゃう病の人”なら話は別だけど、みやきちさんはそう書いてないし、kyomoeさん自身も消したエントリでこう書いてるから違うよね。
「英語わかんなーい」、「歴史的経緯なんて知らなーい」、「日本と外国とは違うしー」、「差別する意図はないんだからいいじゃなーい」、「もっと下手に出て、マジョリティの気分を害さないように説明しないと聞いてあげませんよ?」、「言葉狩りをするオマエこそ差別者だあー!」とかなんとか言い続けるだけで、絶っっっ対にやめないからね。
http://kyoumoe.hatenablog.com/entry/20150208/1423403189 - 2015年2月8日 23:50 - ウェブ魚拓
みやきちさんの前のエントリを読んでみても『kyomoeは「もっと下手に出て、マジョリティの気分を害さないように説明しないと聞いてあげませんよ?」と言う』なんて書いてないんだよね。やっぱり「kyomoeさんが勝手にそう感じてるだけ」「kyomoeさんの受け取り方一つ」って話になっちゃうんじゃないかな?
だとしたら「誰も言ってないことをお前が言い始めたんだから俺も言う」っていう前提が崩れて、kyomoeさんは“言われてもいない悪口を「言われた」と思い込んで一方的に相手を罵倒した残念な人”ってことになっちゃわないかな・・・心配だなぁ・・・。
…と、茶番はこの辺でやめて“「俺はそんなこと言ってない」メソッド”のまとめを。
“「俺はそんなこと言ってない」メソッド”は基本的に“自分の発言”と“言及先のそれ”との差異を武器として使い、「あいつはこちらの言うことを理解していない」「あいつはこちらの言うことを曲解している」と主張することで相手方の信頼を落とそうとする手法です。特に自身が“批判されている側”の場合は攻守を逆転させることもできる強力なカードになります。
しかし“「俺はそんなこと言ってない」メソッド”が有効なのは“相手の言質が確実に取れた場合”に限ります。中途半端な状態で使うと上のように「え、そんなことどこに書いてあるの?お前の方こそ俺が言ってもいないことを“言った”とか決め付けんなよ」という形でブーメランとして自分に返ってきます。最悪のケースでは「これに反応するってことは自覚があるからじゃないの?」という形で墓穴を掘ることにもなります。
特に、今回のkyomoeさんのようにそのことを免罪符にして相手を罵倒してる場合は免罪効果もなくなり“一方的な思い込みや決め付けで相手を罵倒した残念な人”という結果だけが残るので注意が必要です。
“「俺はそんなこと言ってない」メソッド”を有効に使うのであれば“相手の言質を確実に取ること”と“相手に言質を取らせないこと”の両方を意識する必要があるので、思考力や文章力に自信がない人は止めておいた方がよいと思います。特に一時の感情に任せて書き散らすタイプの人には向かない手法です。
ちなみに“言ってもいないことを「言った」と決め付けてくる人”は本当に存在します。そうした人を相手にする場合は自分の書いたテキストを明示しながらその意味や意図を冷静に解説することをお勧めします。その際「もし誤解されたのならそれは自分が言葉足らずだった」などといった形で譲歩や反省の姿勢を見せることも有効です。
もちろんそれで“言ってもいないことを「言った」と決め付けてくる人”が納得する保障はありませんが、ちゃんとやれば見ているギャラリーの反応は変わりますので、いずれ“言ってもいないことを「言った」と決め付けてくる人”は孤立します。そこまでいけばその人がいくら騒ごうとも炎上にまで発展することはないので安心です。
皆さんはどうか「自分が使った武器は相手も使える」ということを肝に銘じつつ明るく楽しいインターネットライフを送ってくださいね。
以上、inumashでした。
ちなみに私はkyomoeさんのこのエントリを“批判のアウトソーシング”と捉えており、それ以前の“逆ギレ”も踏まえたうえで彼を“「もっと下手に出て、マジョリティの気分を害さないように説明しないと聞いてあげませんよ?」派”だと認識しています。
※以前の“逆ギレ”はこちらから→http://anond.hatelabo.jp/20150209164159
PGは、まず見積もりを依頼されます。この時ほとんどの場合、要求仕様書が無いか、あっても伝聞で情報が欠落もしくはエラーを起こしています。残念ながらエラー訂正機構は装備されていません。CRC、せめてパリティでも入っていればちょっとは違うかもしれません。期待出来ませんが。
ここでプロジェクトマネージャー(又は管理者・経営者等。以後PMと称する)から「最速でやった場合」「割り込みが入らない場合」「君がやった場合」or「部署内で最高ランクのPGがやった場合」「仕様変更が無い場合」という条件が付きます。
底辺PG諸君。ここでこの言葉を額面通りに受け取ってはいけません。
「【最速で】3ヶ月かかります」
と答えたらPMは【普通に】3ヶ月の工程を工程表に書き、見積書に3人月分の金額を書きます。そしてこれは後述する危険と隣り合わせとなります。
この危険を経験したPGは大抵リスクを込みで【黙って】見積もりを伝えます。
しかしPMはお見通しです。「高い」「そんなに時間がかかるわけが無い」と言い、受け付けません。何故なら実はPMの頭の中では既に「3ヶ月」なのです。PMは追い込むために見積もりの詳細を聞いてきます。
ここで素直に「リスク込み」と答えてはいけません。既にPMは前述の前提条件を述べているからです。無下に却下されます。
戦いたいPGかつPMが同じ会社であれば「後学のためにPMの詳細見積もりをお聞かせ下さい」と聞いてみるのも良いでしょう。ただし確実に印象悪化は避けられません。PMが発注元の場合は禁句です。まずキレます。そのまま発注されない事もあるでしょう。発注されなかった事を喜びましょう。
なぜキレるか。それは簡単です。「明確で論理的な理由が無いから」です。理由が無い上に実は既に予算が決まっており、それを超える事は許されません。予算を超えた見積もりはPMがさらに上層部・経営陣から怒られる事を意味するからです。理由が無いから理由をPGに考えさせているのです。PMが仕事をした気にさせるのも底辺PGの役目です。
予算を超えた見積もりはあり得ませんので、答えは「がんばります」しか残りません。しかしPMはそれすらもPGの口から言わせたいのです。でもよく考えて下さい。あなたの脳はオーバークロック出来ますか?
底辺PGが出来る事は、PMやユーザーが分からないように期間と予算を加算するくらいです。
一応、市場原理が働くため、安い方がいいに決まっています。金払いのいいユーザーや元請けってのはあんまり無いです。そして金払いの悪い所ほど後々してやられますので、最初の予算の付け方でどういう所かが大体予測出来ます。
そんなわけで、予算と期間に品質と内容は関わりがありません。もちろん企業の使命として、安くて良い品を、安くても利益を、は追求してしかるべきなのですが、日本の場合質と金額が比例するのは極一部。IT業では基本的に、安くて良い品を出来るだけ高速に、がモットーです。受注しなければ会社がやっていけないのは分かりますが、「安さ」だけしか売り物に出来ない会社は、IT会社として失格でしょう。
かくして、短納期低予算のプロジェクトが組まれるわけです。そのPMの理論からすると、高速バスで東京から新大阪へ行く方が、新幹線のぞみの指定席グリーン車で行くより高く、書留速達の郵便より普通郵便の方が値段が高い、という事になりますが。質、時間、価格の何がIT業と違うんでしょうか。
実のところ発注や作業開始は遅れている事が多く、納期に間に合わせるには発注前に作業を開始せざるを得ない場合が8割ほどです。実はここにも罠が仕掛けられています。
作業に取りかかろうとようやく出てきた仕様書を見ると、見積もり時の時と変わっていたり、追加されていたり、未だに仕様が無い場合がほとんどです。
「こんなものをこんな期間で出来やしない!」と憤慨してはいけません。なぜなら
という答えが返ってくるだけです。PMが見積もらない理由がここです。PMに見積もりを聞いてはいけない理由がここです。これは後々まで効いてきますので注意が必要です。「前提条件と違う」と反論するのは無駄です。PMはそれは忘れています。そもそも考えて発言していないので口が勝手に脊髄反射で言った事であり脳は関知していないのかもしれません。PMにとって最重要な事は「PG自身が言った事」です。そう、工程表にも議事録にも「3ヶ月」という数字のみが記載され、いわゆる「リスク」は何処にも書かれて残っていません。
PMやユーザーは絶対にリスクや前提条件を書き残しません。それがこの業界の伝統ある慣習だからです。
ここで言った言わないの不毛な戦いをしてもいいのですが、確実に査定は最低です。もしプロジェクトから外されたらそれは喜びましょう。
管理者や経営陣等からは「やる前に出来ない言うな。やってから言え」と怒られます。残念ながらこれも真に受けてはいけません。
設計、構築など作業をしている間もどんどん仕様変更・追加は流れ込みます。
PMは工程進捗を把握しているのでは無く、PGが【自ら】工程表や報告書に纏めます。遅延していれば遅延の理由も書き、挽回策があればそれも書きます。しかしPG個人が取れる挽回策などたかがしれています。と言うよりそれが分かっていれば遅延などしません。他の策は既に実行済みなので、挽回策には「残業・休日出勤」くらいしか書く事が残りません。しかしこれは現実にこれしか書く必要がありません。なぜならPMはこれ以外の挽回策は理解不能だからです。
仮に報告をしても「早すぎる。もっとやってみてから」「がんばれ」という答えが返ってくる事でしょう。
遅れを放置するPMもいますが、許容範囲はPMにもよりますがある程度遅れが見えてくるとPMから追求がやってくるようになります。
「なぜこんなになるまで報告しなかった」
そう、報告出来る時期というのは非常に限られています。多分プロジェクト工程(今の例なら3ヶ月)の中の30分くらいです。それより早いと相手にされず、それよりも遅いと怒られます。報告時期を見誤らないのもPG業の技です。
実装が難しかったり、無理難題は多々あり、その上工程が遅延しているので、相談をしに行きます。しかし、それは無駄です。
「自分で考えろ」
「やってから言ってるんじゃねぇ。やる前に言え」
他似たような答えしか返ってきません。非常に非生産的です。理不尽です。時間の無駄と考え報告・相談に行かないPGも多いとか。非生産的ですが、一応相談はしておきましょう。ただし時間は取られないように。
同僚やチーム員に相談してもいいのですが、昨今のプロジェクトは人員がスタンドアロンで動いています。したがって、隣の人やチーム員がが何をやっているのか知らない事が非常に多く、相談出来ない事も多いのです。PGにメンタル病が多いのは実は理由がここにあると自分は思っています。孤立感が半端無いのです。まぁ、元を追えば、そいういうチームを組む事、教育訓練しない事など、実は管理者・経営者が「カイゼン」や「効率向上」を題目に目の前の超短期的コスト削減だけを考えている結果なので、PGとしては何も出来る事はありません。管理者・経営者は中長期について考える必要が無いからです。なぜなら「その頃には自分は満額の退職金を貰って定年退職済み」だから。
実のところ単独の仕事をしていればいい、と言う事はあり得ません。同じプロジェクトの中からも割り込みや、他のプロジェクト・部からも割り込みは多々入ります。
始めに言ったじゃん。どうにかして。というのは無駄です。覚えてないし、「会社員なら当たり前だ」という答えが返ってくるだけです。「15分だけ」「ちょっとだけ」が頻発しますが、塵も積もればなんとやら、です。ちなみにこの件は査定・人事評価には全く影響がありません。
相談すれば「午前中はこの仕事、午後はこの仕事、定時後はこの仕事をすれば並列同時が可能だ」とあたかも新発見超名案を出したかのように返されるのが落ちです。そう、1日が24時間しかない事は忘れ去られ、PGが人間である事は忘れ去られ、思考の分断は効率を激しく低下させる事を知らないのです。
ここで断る勇気を持つのが大事ですが、職場内の雰囲気は格段に悪化します。評価は「人でなし」「自分勝手」「自分本位」「冷たい」。これらの視線に耐えられるのなら断りましょう。こちらからすれば「自分の時間を奪う方がよっぽど人でなしだ」と言い返したい気分です。
テスト工程も始まり、遅延が激しくなる上に、バグが発見されさらに遅延という状況が始まります。
ソフトウェアである以上、バグが無いプログラムなんてのはあり得ないのでバグを出す事自体は不可避です。
ところがPMは激しく怒り出します。バグの発見はPMに一報が行きPMが怒られるからです。
底辺PGはバグを出す毎にこっぴどく怒られます。中には仕様変更の事実がPGまで伝わっていないのにバグ扱いされる事も多々あります。
バグを出すと修正、テスト、再発防止策の考案などの厄介事が増えます。
再発防止策は通常「どうやったら自動的にそうならないか」を考えますが、あまりに根幹すぎるので、底辺PGの身分では権限が無く、出来る事が限られます。そしてPMが理解出来る策を考えねばなりません。結果「テストを増やす」「チェックシートを作る」とかになりがちです。しまいには「チェックシートのチェックシートを作る」などという意味不明の現象に陥ったプロジェクトを何度も見ています。
厳しく、それは厳しく怒られる上に、チームの前でさらし者にされる事、人格を否定される事も多々あるので、PGはバグを出さないように、見つけても出来るだけ極秘裏に解決しようとします。
「恐怖駆動型開発」
というもので、日本の場合ほとんどがこの開発手法をとられていると聞きます。この開発手法は書籍になっておらず、書籍としてよく売られているのはアジャイルな開発手法の本が多いです。知識として持っているのはいいと思いますが、役に立たないと思いますねぇ、恐怖駆動型開発の前には。まわりの人間も恐怖に巻き込まれないようにするため、どんどんスタンドアロン化が加速します。
その上、バグを隠すようになり、バグが出るようなテストを避けるようになるため、短期的に収束しているようにみえます。だから効果絶大と見るようです。リリースしてからが楽しみですね。
PMが空想から覚め、もう救いようが無くなった事が事実と認識出来るようになった時、ようやく、2度目の相談・報告時期が訪れます。ただし、PMの第1声は「どうしたらいい?」です。そんな事が分かっているのなら実行済みなので、黙っているしかありません。
するとPMは「何人入れれば良い?」と聞いてきます。意味が分かりません。IT業を労働集約型産業と勘違いしているのが未だに存在している事に驚きです。頭脳集約型の形態に人を入れて解決しようとはどういう脳をしているのか。一度解剖してみたいものです。多分、高校を受験する中学3年生の受験者が100人集まれば旧帝大の入試に合格すると考えているのでしょう。もしくは1Km走というのは1000人が一斉に1m踏み出せば1Km走った事と同じ記録である、と考えているのでしょう。
脳を電通で直結出来れば若干違うかもしれませんが、IT業の1+1は2では無く、良くて1.5。ましてやこれで増えていくのは3~4人までが限界でそれ以上は人を入れても上がらないどころか、マイナスになる事が常。
PGなら他のプロジェクト、他の部、他の会社に信頼出来るエース級のPGを何人か知っているかと思います。なのでついPMに「エース級を3人」等と提案しがちです。しかしこれは叶わぬ望みです。その提案に対する答えは「そんな事出来るわけないだろ」です。そりゃそうです。予算が無いのだから。
自分の仕事があるのに、何故かこの後から来た人員を纏めるようPMから指示が出ます。PMが指示出来ないからです。破綻は間近です。いや、既に破綻しています。
プログラムが出来上がっていく以上、バグをつぶす速度以上の割合でバグを注入していく事になります。
「混乱しているプロジェクトに人を入れれば、なお混乱するだけ」
という有名な文を実感する事でしょう。なお、実感するのはPGだけであり、PMは実感出来ません。
この辺で思わぬ事態が発覚します。実は発注が遅れていた事です。
発注日以前にドキュメントがあっては監査にひっかかるため、今まで作ったドキュメントを作り直しをしなければならないという、まさに想定外の事態です。ほとんどのドキュメントには作った日付や判子が押されているはずです。それを全部作り直しするのです。納期は間際です。これも納期までに間に合わさねばなりません。
PM(重ねて書くが、プロジェクトマネージャだけでなく管理者や経営者も含む)が発狂し始めます。宛先は底辺PGです。
中には「お前を精神的に追い詰めるしか手がねーんだよ」とストレートに言ってくれるPMもいたりしますが、あまり出会った事は無いですね。
あの手この手で精神的圧迫を始めます。圧迫すれば脳がオーバークロックして作業が進むと考えているからです。残念な事に、脳の別の部位がオーバークロックしてショートしてしまいます。
こういうプロジェクトを経験し、運がいいのか実力なのか、生き残った人達がSEとなり、いずれPMとなっていきます。
不思議な事に日本では、PGが成長してSEに、SEが成長してPMに、とクラスチェンジするものだと考えられている会社が多のですが。
自分としては、座標軸のX,Y,Z軸の様にPG軸とSE軸とPM軸と全く異なるベクトルだと考えています。X軸の先にY軸Z軸があるわけでは無い、と。もちろん、軸に沿っているだけでは無く、他の軸のベクトルも併せ持つのもよいエンジニアでしょうし、ベクトルの方向を伸ばし続けるのもよいエンジニアでしょう。
ところが、クラスチェンジするものだと管理者・経営者は思っているから、給与体系もPG<SE<PMとなっていたりします。この時代錯誤的階級社会はどうにかならないものでしょうか。
自分はPMを否定しているわけではありません。いいPMの元でいい仕事をしたい、と思っているだけです。今までに何度かそういう良い経験をした事はあります。それは成功経験としてモチベーションを保つために必要な事なのです。
PG至上主義でもありません。分業形態として、SEやPMは必要不可欠だと思っています。ただ、PGを粗末に扱っておきながら高品質の製品を要求する風習・慣習が納得出来ないだけなのです。
自分と同じような感じですね
私も遠いところに行きたいです
遠いところで誰にも迷惑をかけないように誰にも知られないまま命を止めようとおもってます。
おそらく毒親持ちなんだと思います。
子供が社交性がなかったり、人生を切り開く能力が備わってこないのは親とのこれまでの養育関係がすごく関わってきます。
親はあなたが不幸になることで優位を感じ、あなたが自立や未来に羽ばたく努力や結果を(善し悪しはどうあれ)だすと、毒親自身のかくれたプライドから子に対する弑逆心や支配欲から詰ってきます。
失敗経験をした子供に共感してあげるという心や同調能力がないので罵ってばかりになります。
また、毒親自身も同じように罵られて執着されて心を壊して育ってきたので、自分が毒親という自覚がありません。
どんなに時間がかかっても、失敗してもかまいません。
いろんなことにチャレンジして失敗してもかまいません。
毒親がそこでどんなに干渉してきてあなたを傷つけても、毒親を利用してください。
たとえばメリットだけを用いるのです。デメリットは聞き流しましょう。
一人暮らしで家を借りるのに連帯保証人がいるなら毒親をヨイショしてサインだけさせるメリットに使ってください。
人生を切り開くカードの使い捨て道具に毒親を使って、あなたはあなたで社会に関わっていく手段を得る努力をしてください。
毒親育ちだとなかなか、自己実現能力がなく、誰からも孤立しがちになりますが、それでもいいんです。
それでもどうしようもない結果になったらこの世から去ってみるのもいいかもしれません。
毒親と割り切って、見方を変えて少し傷が癒えたら何かにチャレンジしてみることからまずはじめてみませんか
乱文ですみません。