はてなキーワード: ヘッドライトとは
懐かしい夜の峠にやってきた。まもなくオリオン座流星群がピークを迎えるという。瞬く星空の下、久しぶりに日記を書き始めた。この場所で書くたび、いつも新たな発見がある気がする。
夜の峠には、昔から私を惹きつける何かがあった。人影のない暗闇の山道、ひたすら続く曲がりくねった道に誘われるように、一人車を走らせる。スピードを求めているわけではない。少しだけ開けた窓から流れ込む風が、自然の気配を静かに運んでくれるだけでいい。季節の変わり目には、その匂いや温度の微妙な変化が、峠をより新鮮に感じさせてくれる。
ヘッドライトだけが頼りの世界で私が感じるのは、寂しさや侘しさだけではなく、それらが心の奥底を満たしていく奇妙な充足感だった。普段は目を背けている孤独に身を委ねると、孤独は私を優しく迎え入れてくれる。曲がりくねった道を一つ一つ越えるたびに、この世界にただ一人存在しているという感覚が押し寄せる。それは恐怖でも不安でもなく、むしろ包み込まれるような安らぎだった。
故郷から峠を越えると、別の世界が広がっている。麓のコンビニの駐車場で飲む缶コーヒーから、その地での生活の一端が垣間見える。峠はまさに、異なる現実を分け隔てる境界線だった。深夜、その境界の真っ只中では、何にも囚われず、ただ私だけの時間が流れていく。郷愁と内省が美しく重なり合うこの場所の魅力は、何度訪れても色褪せることがなかった。
しかし、私の生活にパートナーが現れてから、峠での体験は少しずつ変わり始めた。かつての充足感はどこか薄れ、代わりに微かな違和感が芽生えた。その正体は掴めないが、何かが欠けているような感覚だった。景色も匂いも変わらないはずなのに、なぜか以前のようには心に染み込まない。それ以来、夜の峠へ向かう足は自然と遠のいていった。
気がつけば、私はもはや独りではなかった。自分とパートナーとの境界は曖昧になり、日々の充足感の源泉にはパートナーの存在が横たわっていた。相手の幸せを想う気持ちが、自分の幸せと繋がっていた。それは単なる依存ではなく、確かに愛でもあった。けれども、私にとって孤独もまた大切なものだったのだろうか。
時折、峠のことを思い出した。季節の星座に記憶された木々の匂い、エンジンの音と共に静寂の中へと溶け込んでいく体験。独りが故に触れることのできた神秘的直感の世界は、遠い記憶へと変わりつつあった。それでも、あの時間は心の奥底で密かに息づき、再び訪れる時を待っているようにも感じられた。
そんなことを考えているうちに、私たちは別れることになった。心にぽっかりと穴があいた。無意識のうちに広げられてしまった自分。そこにできた空白を埋めるものは見つからず、私はまた独りだった。そうなると、やはり峠が私を呼んでいるような気がした。あの安らかな時間が、再び私を癒してくれるに違いなかった。
車を走らせながら、胸の中には息苦しい緊張感があった。空っぽのはずの助手席が、車を重く感じさせた。やがて見晴らしのいい場所に車を停め、故郷の灯りを見下ろす。こうして今、私は再び峠にいる。しかし、ここには冬の訪れを予感させる冷たさが広がるだけで、私を満たすものは何もなかった。確かに独りでいるはずなのに、もうあの頃の独りには戻れない気がする。これほど人生が長く感じられる瞬間が来るとは思わなかった。かつてはここで未来への希望を映し出していたオリオン座も、今はただ無機質に私の涙を照らすばかりである。
大手IT企業に勤めて10年。入社当時は希望に満ちていたが、今やブラック労働環境が俺の精神を削り取っていく。
上司からの終わりなき要求、毎晩深夜残業、休日出勤も当たり前。さらには納期前の修羅場が終わったと思ったら、すぐに次の案件が舞い込んでくる。
俺の心と体は既に限界を迎えていた。
30代に突入した俺、彼女なし、非モテで童貞。そんな俺の未来は一体どうなるんだろう。
そんなある日のことだ。
いつものように深夜になってから会社を出た俺は、無意識に道路を横断していた。
反射的に飛びのく俺。
もしあのまま死んでいたら、俺の人生はどうなっていたんだろう。俺は一度、死んだようなものだ。
…もう限界だ。今までの俺を捨てよう。俺はトラックに轢かれそうになったことを転機に、人生をやり直す決意をした。
決意した俺は、退職届を叩きつけるように提出し、その日のうちに会社を後にした。
ある日、町役場の掲示板で「町役場 IT担当者募集」という求人を目にした。
今までのITスキルを活かせる仕事じゃないか。早速、役場に電話をかけてみると、なんと即採用。田舎の求人ってこんなに簡単に決まるのか?
それはともかく、これで俺も新しい生活が始まることになった。
初出勤の日、俺は役場に足を踏み入れた。
周りには地元の人々がいて、みんな穏やかな表情をしている。なんだか、これまでのIT業界のギスギスした雰囲気とは全然違う。
古いPC、紙ベースの書類、さらには手作業で処理される業務の数々。
どうやら3日かかるという資料の整理やデータの入力作業があるらしい。
こんな非効率なことをやっていたのか…と俺は驚きを隠せなかった。
「え?」
上司は驚いた顔をしていたが、俺は早速作業に取り掛かることにした。
例えば、エクセルのVBAで自動化するマクロを作成し、データ入力の手間を大幅に削減。
紙ベースのデータをスキャンしてクラウドにアップロードし、共有フォルダを作成。
さらにGoogleスプレッドシートと連携させてリアルタイムでの共同編集も可能にした。
その他、タスク管理には「Trello」を導入し、進捗管理を視覚的に把握できるようにするなど、次々と改善を行っていった。
「ほら、終わりました」
俺がにっこりと微笑むと、周りの人々は唖然としていた。
「す、すごい…!これまで3日かかっていた作業が、1時間で終わるなんて…!!」
拍手が湧き起こり、俺は周囲の称賛を浴びることになった。
俺は動揺した。
「あれ?な、なんか俺…やっちゃいました?」
周囲の評価は急上昇し、町役場のスーパースター扱いに。さらには、なんと女の子たちから告白されるという事態に発展したのだ。
と、いつも仕事のことしか話さなかった女史社員が、俺に突然告白してきた。
これには正直驚いた。俺みたいな非モテ童貞が、まさかこんな田舎で女性に告白されるなんて夢にも思っていなかったからだ。
それだけじゃない。田舎の空き家に引っ越してからというもの、なんと3人の女性と同棲することに成功した。
彼女たちはみんな俺に好意を抱いてくれていて、こうして俺の田舎転生生活は順風満帆に進んでいる。
毎日仕事も早く終わり、夕方には家に帰って猫と一緒にのんびりする。
あの頃の俺に伝えたい。無理をして都会で働かなくても、田舎にはこんな幸せな生活が待っているんだぞ、と。
【環境・想定】
都内11階建て賃貸マンション在住 夫婦+中二息子(娘は他県大学生)
住居倒壊時もより避難所(小学校)は満員。隣接する広場にテントか自家用車避難の想定。
【持ち出し物品】
・妻 水運搬用キャリーバッグ
・子 大きなリュック80ℓ
500㎖水×6 乾パン6缶とアルファ米など各3食分 が入れてある。
非常持出しリュックの中
防燃袋(金庫等から出して詰める)
右ポケット
外傷救急箱 多機能ナイフ 簡易うちわ マスク 消毒薬 ウエットティッシュ
バイバルストロー 石鹸とbox 電池単2×6個 エマージェンシーシート
左ポケット
手巻充電USBポート付LEDライトラジオ ラップ・養生テープ 歯ブラシ
箸類・マジック・櫛・髭剃りUSBコードセット 洗濯紐洗濯ばさみ
真ん中ポケット
大バッテリー 財布 防燃袋
晒 水バッグ 水タンク 簡易トイレ袋(数回分) 皿とコップ各3
レジャーシート 笛・ライター モーリアンヒートパック ドライシャンプー ロールティッシュ
液体歯磨き カイロ ポリ袋大小 箸・スプーン・フォーク スリッパ 下着
総重量7.4㎏
水運搬用キャリーバッグの中
車に積載 ※()は状況に応じて家から運ぶ
エマージェンシーシート(2つ) 簡易トイレ2回分 防災ライト
粉ドリンク 水・アルファ米・ビスケット缶 シガーソケット電源折畳みケトル500㎖
(寝袋 毛布 マット・ゴザ) (ポップアップテント)
ちなみに、避難の時はパニクッてるだろうから避難までの順序を玄関に貼っておく予定
・玄関の扉を開ける
・外の消火器のチェック
・着替える ショルダーバッグ
・金庫を開け通帳類をリュックに入れる
・非常持ち出し袋の準備
・水運搬用キャリーバッグの準備
・リュックサックの準備
・避難物品のチェック
・毛布かヘルメットの準備
・ガスの元栓を閉める
・ブレーカーを落とす
・鍵を閉めて避難
〔追記〕
水はあれから1ケース追加購入し、簡易トイレも凝固剤と黒ビニールのセット販売を100回分購入し、在宅避難用にしようと思います。
お菓子は沢山あるのですが、厨二な人達が夜な夜な減らしにかかるので、供給とデブの相関関係がすでに出来ていて困りものです(笑)
大量の期限切れのアルファ化米の非常食があるのですが、不味いと言って誰も食べないんですよねぇ。お菓子の備蓄缶を購入しようと思います。
あと避難するか在宅避難にするかの見極めが難しいなぁと感じました。避難経路も階下のベランダに物が置いてあって逃げる妨げになりそうな問題も発見しました。
というよりか、学歴も職歴も資格も、手に職もないままに、年齢だけ重ねてしまった、社会不適合者の虚無感が、マジでやば過ぎて恐ろしい。
この僕にしても、ちょっと油断しただけで、虹の橋が見えてきて、生きた心地がしなくなる。
だからこそ最近は、自宅でひとりきりの時も、シャドーボクシングならぬ、シャドートーキングとして、目の前にドッペルゲンガーの僕がいると想定し、ひっきりなしに喋るようにしている。
もしくは、僕の作業部屋――、後ろでいつも見守ってくれている、グッドガイ人形のチャッキーに、「おめめパッチリで可愛いな」「おまえのクレイジーさを見習うぜ」などと話し掛けて、心を上向かせてゆく。
要するに、『セルフトーク(心の声)』の狂気版であり、なるべくアホでポジティブな話題を、たった1人の時にもばら撒いて、頭を前向きにバグらせる……という寸法。
ではなぜ、これらの事を全力でやるのかと言えば、いつだって鬱々しさのスタートは、『自分の視線が脳に向かう感覚』『意識が内側に閉じこもる感覚』から始まるゆえ、思いつきの言葉を物理世界に投げ込むことで、悩ましさから脱出するのだ。
それだけじゃなく、なるべく貧乏揺すりをしたり、部屋の中でも歩き回ったり、横になる時間を減らしたりして、自動的な思考を止めるようにしている。
正直な話、なんの安定感もない暮らしの為、横断歩道を渡っているとき、4トントラックで跳ねられたくなったり、交番の前を通っているとき、発狂した警察官に射殺されたくなったりと、「そろそろ魂を休ませたいな」と、しょっちゅう願ってしまう。
これってのは、鬱症状だとか、考え過ぎだとか、そうした個人の問題ではなく、社会病理――是正されない格差の問題だ。
たとえばアメリカでは、学歴の格差、経済の格差により、尊敬されたり、感謝されたり、愛し愛されたりする機会を損失し、やり甲斐をなくして不健康になり、そのままぶっ倒れてしまう事を、『絶望死』と呼んでいるらしい。
よくよく思い返してみれば、そんな別大陸の話をせずとも、僕たちが住む日本――『氷河期世代』以降の人々はとくに、薄給の非正規がゴロゴロといて、ストレスだらけで暴飲暴食し、孤独な日々で自暴自棄になり、身も心もズタボロであるから、「続々と早死にするのではないか?」と言われている。
稼ぎを得る体力/知力/精神力も……技術も人脈も資金力もないとなれば、年々、生命力が衰えるごとに、より不安定で貧窮した暮らしになりやすい。
こうした現実を直視すると、「不幸のどん底に堕ちる前に、若年性のぴんぴんころりで、さくっと全てが終わったら良いな」と、巨大なる虚無感に襲われる。
だからこそ、頭のネジを外して問題を起こしまくるか、死んだ魚の目でぼけ~っと過ごすか……そうやって自分の心を守る為に、極端に生きがちになる。
よく世間では、『中庸こそが幸せの秘訣』と叫ばれる――「何かに偏らずに、真ん中の道をゆっくりと進もう!」という教えだが、そんな悠長な事は言っていられない。
統計的に見ても、経済的に困窮した弱者は、健康を害しやすく、孤独を来しやすく、早死にしやすいからだ。
――そうは言いながらも、闇雲に生き急いでしまうと、ちっちゃなミスを連発し、コツコツと修行できなくなり、周囲の人間をないがしろにし……などなど、より一層、ピンチを招きやすくなる。
だからこそ僕は、カオス型の幸福論――『矛盾を愛する、混沌を愛する、狂気を愛する』、そんな姿勢を磨き上げて、ぐちゃぐちゃな日々に突入しても、それを全てネタにして物を書き、腹の底から喚き散らして、己が生きている全時間を、無条件で肯定してゆきたい。
ちなみに、僕がハマっているお笑い芸人、ヘッドライトの町田(50歳/男性/独身)は、寝る間を惜しんで、バラエティ番組を片っ端から録画し、DVDの整理整頓をし続けている。
しかも、バイトとダビング作業で忙しいゆえ、録るだけ録っておきながら、ろくに視聴していないらしい。
もはや録画の為の録画であり、ただの惰性というか、「きっと将来に役立つんだ」「大事な物なんだ」と固く信じて、心の安定を得る為の、儀式みたいなモンなのだろう。
こうやって頭をバカにせねば、売れていない現状で目が痛い……
年齢的な厳しさ――など、
曲目
Google翻訳のアプリを利用して画像から文字を取得したため、曲名、歌手名が正しく表記されていない場合があります。
蒼い星くず 加山 雄三
青葉城恋唄 さとう 宗幸
アケミという名で十八で 千 昌夫
あざみの歌 伊藤 久男
あじさいの雨 渡 哲也
あの鐘を鳴らすのはあなた 286 和田 アキ子
雨 1256 三善 英史
雨の御堂筋 欧陽 菲菲
逢わずに愛して 内山田洋とクール・ファイブ 13
22 小柳ルミ子 漁火恋唄
射手座の女 敏いとうとハッピー&ブルー 232 愛しき日々 堀内孝雄 40
命の花 大月みやこ 383
祝い酒 坂本冬美 26
455 門脇 陸男 祝い船
ザ・ピーナッツ ウナ・セラ・ディ東京 355
松原のぶえ 461 男なら
おもいで酒 小林幸子 195
想い出の渚 ザ・ワイルド・ワンズ 199
お嫁においで 加山雄三
松原のぶえ 305 おんなの出船
悲しい色やね 34 上田正樹
がまん坂 18 北島三郎
北の漁場 41 北島三郎
京都の恋 196 渚 ゆう子
くちなしの花 462 渡哲也
圭子の夢は夜ひらく
369 藤圭子 恋あざみ
高山厳 152 心凍らせて
343 森山良子 この広い野原いっぱい
伊東ゆかり 197 小指の思い出
酒よ 36 ジジサン
さざんかの宿 大川栄策 88
サチコ ニック・ニューサー 481
里がえり 嶋三喜夫 1278
435 河島英五
田端義夫 483 十九の春
大橋 純子 155 シルエット・ロマンス
ジジサン 90 酔った歌
杉良太郎 47 すきま風
60 谷村新司 1 森田公一とトップギャラン 若者 小林幸子 1280 雪泣夜(せつないよ) 小柳ルミ子 48 瀬戸の花嫁 森進一 1281 セビアの雨 ジローズ 7 「戦争を知らない子供たち 平和勝次とダークホース 360 宗右衛門町ブルース 北海道民謡 1561年 ソーラン節 内山田洋とクール・ファイブ 2 そして、神戸 49 五木ひろし そして・・・めぐり逢い 布施明 50 そっとおやすみ にしきのあきら 187 空に太陽がある限り 増位山太志郎 283 そんな女のひとりごと 増位山太志郎 157 「そんな夕子にほれました 上田正樹 301 たかこ 真木 柚布子 1282 黄昏のルンバ
トワ・エ・モア 480 誰もいない海
三船和子 198 だんな様
五木ひろし 442 契り
敵は幾万 1570年 軍歌
時の流れに身をまかせ テレサ・テン 63
和田アキ子 160 どしゃぶりの雨のなかで
内山田洋とクール・ファイブ 191 長崎は今日も雨だった
ザ・タイガース 164 花の首飾り
165 はしだのりひことクライマックス 花嫁
167 佳山 明生 氷の雨
釜山港へ帰れ 67 渥美次郎
ブルー・シャトウ 169 ジャッキー吉川とブルー・コメッツ
箱崎晋一郎 抱擁 142
北海道民謡 北帰行 365
骨まで愛して 大泉逸郎 96 孫
75 北島三郎 まつり
坂本九 83 見上げてごらん夜の星を
伍代夏子 441 水なし川
渡哲也 51 みちづれ
シャオ・リンシュウ 419 昔の名前で出ています
香西かおり 260 静けさ
藤あや子 377 むらさき雨情
やっぱすきやねん やしきたかじん 84
山 北島三郎 378
雪の進軍 1575 軍歌
夢追い酒 76 渥美次郎
夢の夜 181 南こうせつ
雨音もしないし降ってんだか降ってねーんだかよく分からんけど、水たまりに波紋もないし歩いてる人らも傘を差さずに握ってるから自分もそれにならう。
ヘッドライトを反射する霧雨が結構ガッツリ舞ってるのを見て、初めて確信を持って傘を差す。
降ってるのをはっきりと認識した途端、なんでこんだけ降ってて気付かんかったのかとにわかに自分が間抜けに思えてくる。
恐る恐る差してみたり畳んだりを繰り返すのがなんだか気恥ずかしかったけど、自分の正しさを確信すれば周りも滑稽に見えてくる。こんな奴らに自分は迎合してたんかと。なんでアンタらはその握りしめてる棒を使わんのか。すました顔して。イギリス紳士ごっこか?
霊山「妙見山」にあるしおき場(処刑場)は、大阪では有名な心霊スポットだ。
しおき場のすぐ手前には、これまた心霊スポットである「野間トンネル」がある。
一気に2つも心霊スポットを巡れるのだからお得だ、という妙な損得勘定を持ちながら、車を進めていった。
野間トンネルは長さ10mもない、トンネルとも言えない規模だった。
車のヘッドライトが照らすコンクリートの白さが不気味で、穴の先はライトで照らしても真っ暗だった。
時速20kmで、のろのろと入っていく。
入った先は、雰囲気が全く違っていた。
ここに入るまででも、狭い山道、街頭がほとんどない暗さ、廃墟のような家が不気味で、雰囲気は十二分にあった。
特に「しおき場」に入るために「わざわざ」入った妙見山からは特に暗く、これから心霊スポットに入るんだ、という気持ちを高めてくれていた。
トンネルの先は、真っ暗だった。
風に吹かれ、杉だろうか、月明かりに照らされた木々の葉が揺れている。
それだけだが、その静けさ、雰囲気はまるで時間が止まったようだった。
まだ夜の7時なのに、深夜の2時を過ぎているとしか思えなかった。
野間トンネルに入って、20~30mほど進んだだろうか、「目的地へ到着しました」とナビが教えてくれた。
だが周囲には何もなかった。
その先の道は狭く、お寺に続いているようだ。
お寺に用はない。引き返してみることにした。
もっと注意深く、何があるかを観察せねばならなかった。
隣の妻から、息を吞む声が聞こえた。
「違う違う、たぶんここじゃない」
妻の声は上ずっていた。
「この先?」
「うん」
少し進むと、脇道が見えた。
「ここや」
俺がそれだけ言うと、2人とも黙ってしまった。
ここに到着する前は、外に出て探検しようと思っていた。
だが、とてもできなかった。
しおき場は、戦国時代、2つの家の諍いを収めるために、豊臣秀吉の名で「両家から農民を10名差し出して、斬首する」ことから始まった場所だ。
そんな場所に、面白半分で車を停めて中に入ることは、その霊を冒涜しているような気になったのだ。
今更な話だった。
だが今なら、たまたま通りがかった、道に迷った体で帰れるのではないかと思った。
ようやく窓を開けたのは、山を降り、コンビニが見えた時だ。
緊張が抜けたせいか、頭が痛かった。
妻と2人、車の中で寝た。
これは先週の出来事だ。
あれからずっと、しおき場のことを考えている。
その真っ白な威容、ぽっかりと空いた真っ黒な穴。
その先は異世界のようだった。
今でも鳥肌がたつ。
妻もあの光景が忘れられないのだという。
妻は「しおき場の中を調べなかったから、よけいに怖いのかもしれない」と言う。
それもあると思う。
だが、それだけでもないような気がした。
こうした心霊スポットに耐性がないせいだろうか、非日常に浮かれているのだろうか。
この客の中には、また同じ山に、同じ企業のツアーで参加した者がいたらしい。
それに比べるとお子様もいいところだが。
また行こうと思う。
10年ほど前のこと。
深夜に車で家に帰る途中、曲がる道を間違えて、小さな住宅地に迷い込んでしまった。
Uターンするには道が狭いが、見たところ山に囲まれているので、外周をぐるっと一周すれば元の道に復帰できそうな気がする。
「行き止まりになりませんように」と祈りながら真っ暗な住宅地をそろりそろりと奥に進んだ。
ヘッドライトに照らし出される道路の様子がおかしいことに気づいた。路面が白く輝いている。
近づいて車を止めると、そのあたりの路面全体に、おびただしい数のペットボトルが散乱していた。
みんな車に踏み潰されてぺしゃんこだが2Lサイズのペットボトルだ。
「なんだこりゃ…」と声に出してしまった。
さらに、周りを見回すと、道の両側にもこれまたおびただしい数の2Lペットボトルがびっしりと並べられていた。
「ひっ…」と声にならない叫びが出た。
数百本のペットボトルの群れに囲まれているのは1軒の荒廃した家。
庭木は伸び放題で、隣の家にも路上にも枝がはみ出しまくっている。
門柱には、黄色いビニール傘が道に向かって開かれた状態で固定されていた。
なんなの。早くこの場を離れたい。
車を進めるとタイヤがペットボトルの残骸を踏みつけてバリバリガシャガシャと派手な音を立てた。やばいやばい。
何度もバックミラーを見ながら逃げるようにその住宅地を離脱した。
家に帰ってストリートビューを確認すると、ストリートビューにもあのおびただしいペットボトルははっきりと記録されていた。
過去にさかのぼっても一貫してそのあたりはペットボトルだらけである。
路上の残骸がきれいに片付けられた写真もあるが、その場合でも「フタ」がびっしりと敷き詰められていたりする。
なんなんだこの家は一体。
今日の事はどこかに書き記して、そして忘れたかったから、この日記帳に記して捨てるつもりだ。
昨日、初めて限界を超えて酒を飲んでいた。
自分は酒を好む性格ではなく、ましてや日常的に飲むことはない。
3%の酒くらいが関の山で、それでも2,3本飲めば終わりしておく。
その原因はもっと単純で、計画中の旅行の代金をもっと安くできたはずなのに、それを選ばなかった事を後悔したこと。
そして、その後悔を覆すためのキャンセルができないと知ったことだった。
しようと思えばもっとできるのかもしれないが、そうしたならば折角の休学中の身分を活かしきれないと思っている。
それに何より、休学後、つまりは来年度の内定先の月収を超えてしまうのは、何となく、来年度からの仕事に身が入らなさそうで嫌だったのだ。
そんな我が儘による月10万程度の稼ぎ。
それを優に超える出費というのは、慎重に選ばなければいけなかった。
それなのに、キャンセル不可。ついでに変更不可。
もっと安くする手段があったはずなのに、慣れていないという理由から友人に全てを任せてしまって、いろいろと決められた時には手遅れだった。
数万単位の金は戻ってこない。やり場のない感情だったから、愚痴を言うほかは無かった。
私は母に対し、愚痴を言った。
母がよくそうするように。
私はもう解決しないことを愚痴って、気持ちの整理を付けようとしたのかもしれない。
もっと働いて金稼げとか、過ぎた事なんだからしょうがない、とか、そんなありきたりの回答は欲しくなかった。
しかし、愚痴を聞いた母の回答は私の予想以上のものではなかった。
もっと働いて金稼げとか、過ぎた事なんだからしょうがない、とか、そんなありきたりの回答をくれた。
私はその回答を予想していた。母はその通りに答えた。だから最初から、濃いめの酒を私は準備していたのだろう。
それでは足りなかった。
いつもは母が愚痴を言う方で、それが逆転した希少な状況。
そして、私の愚痴の原因は、数万円程度の失敗。取り返そうと思えば、いつでも取り返せる額だ。
だから、私を面白おかしくいじろうとする意図が見て取れた。例えそうでなくとも、私はそう感じた。
私はすぐに酒を飲み干し、買い物に行くと言って外に飛び出した。
そして、コンビニで濃いめの酒を数本買った。
外は幸いにも涼しく、天気が良かった。
日はすっかり沈んでいて辺りは暗く、住宅街を抜けた先の河川敷に移動してしまえば、辺りの暗さは一層に増している。
つまらなかった。
すぐに酔いは回らない。酔いが回っても楽しくもない。自分を責める声だけが、自分の口から漏れ出していく。
だけれど、その大小を決めるのは私である。
途中で何人もの人々とすれ違ったはずだ。
自転車のヘッドライト、ペットの光る首輪、ランニングする人々。
誰も私を気に留めない。
発狂した。
だから、いろいろ上手くいったこともあるし、だからこそ、上手くいかなったこともある。
休学の理由もそうだ。
研究室という閉鎖空間において、パワハラ気質の教授という最悪な人間にあたってしまったが、それでも魅力的な研究をしていると思っていたから、ついていこうと頑張ってきた。
だが、そんなもので人を見るべきではなかった。
研究という科学的なプロセスにおいても、科学的事実よりも人格という感情論を優先して上に立つ者を選ぶべきだったのである。
幸いにも私は、その環境を脱し、色々な苦労を経て、就職先とバイト先を見つけることができた。
ただ、私の性格というものは、どうにも変わり切れていなかった。
今は実家に戻っていて、いわば、居候のような状況で、居心地が良いとは言い難い。
だから度々、客観的には帰りの遅くなる母を思いやって、主観的には居心地の悪さを緩和するために、そして、小言を言われないように、家事を手伝った。
そして、度々、私は母の愚痴を聞いてやるのだった。
さて、発狂した私の話に戻そう。
私は発狂のあと、酷くなる頭痛を治めるために水を買いにコンビニに行った。
水のペットボトル、酒の缶。
それを買って、再び、河川敷に戻る。
空を仰ぎ、水を飲む。頭痛はずっと続き、私を苦しめる。
自分が何もかもの原因で、自分のせいであり、自分が悪いんだと、私は自覚した。
その時、自転車が通り過ぎた。
座り込んでいる私に一瞥もくれずに。
私は買って来た酒の缶を地面に叩きつけた。
噴水みたいに酒があふれ出す。
私の心の中のように。
気が付けば時刻は夜11時を回っていた。
私のスマートフォンは、何の通知も受け取っていなかった。
膨大な数のラインを母に送った覚えはある。それを受けてから、掛かってきた母の電話に出る気は無かった。
これからの私も、これまでの私も、今の私も、他人の事を思いやるくらいはできると思っていた。
傲慢だったらしい。
帰ってみれば、母は寝る準備を済ませていた。
私は一言だけ、たぶん「ただいま」とかいう当たり障りのない言葉を取りあえず投げつけて、ベットの上で、床で、風呂で、眠れない時間を過ごした。
一度だけ、母が目を覚ましていたような気がするが、あれは気のせいだったということにしておく。
そして、朝日が昇った。
私はまだ痛む頭を抱えながら、外に出た。
清々しい朝だった。
私の気分も晴れ晴れとしていた。
心の枷が外れたような気がした。
そのことに気づいただけでも、十分だった。
思いやりは、最小限で十分だと気が付けた。
病院に入れて経済活動に関わらせないのが本人のためにもなるのではないだろうか
https://friday.kodansha.co.jp/article/324024
そんな中、「利益至上主義」へ大きく傾倒する出来事があった。’15年に息子の宏一氏が取締役に就任したのだ。
「この頃から、たとえば保険を使って修理する車1台あたり14万円の利益を出すといった強引なノルマが横行し始めました。過剰な要求に応えるため、私の店でもヘッドライトをハンマーで割るとか、普通の中古車と偽って水没車を売るといった行為がありました」(前出・元店長)
さらにハラスメント行為も常態化していたようだ。下のLINE画像を見てほしい。これは本誌が入手した、宏一氏と幹部たちのやりとりの一部とされるものである。宏一氏が「死刑」という言葉を使い、一方的に罵声を浴びせている。幹部たちは平謝りするしかない。
このやりとりの真偽についてビッグモーターに質問状を送ったが、「問い合わせには順次対応しております」と繰り返すだけで、具体的な回答はなかった。
7月28日発売の『FRIDAY 8月11日号』では、宏一氏が人事権を私物化していたという驚きの実態や兼重親子の自宅、別荘、高級クルーザーなどの資産について詳報。さらに有料版『FRIDAY GOLD』でも複数の写真を公開している。
https://www.youtube.com/watch?v=4aeETEoNfOg
ビートルが小石みたいに跳ねて
すべてがずっと
このまま続いていくんだと思い込んでいた
でも僕は 気になんてしない
どうなるかなんてわからない
どこに骨が埋められるのか
どうせ忘れ去られて 大地へと還っていくだけ
空虚と退屈を裏切った僕らが
何に備えているのか 彼らにはわかってない
報いを受ける
でも僕らは 気になんてしない
いつまでも落ち着きがないまま
みんな引き寄せられていく
数えきれない罪と セメントで塗り固められた
あの場所へと
足元に広がる街の明かりに
嘆きながらも 安堵して
音速よりもはやく
考えるよりもはやく
希望の音を仰いでいく
薬中やひどい連中と一緒にいた
上辺の謝罪なんていらなかったのに
嘘をついてみせても 僕はよく知ってるから
でも僕は 気になんてしない
どうなるかなんてわからない
どこに骨が埋められるのか
どうせ忘れ去られて 大地へと還っていくだけ
街はサイレンの音で騒がしくて
見ての通り
みんなもういない
#外航船員に限る。
荷物入れ
・登山バッグ
・キャリーオンバッグ
外地乗船の場合も含めて考えると、キャリーオンバッグは過剰かも。
PCCの場合はランプウェイ(車の通り道)から乗り込めると思うから、気にしなくてもいいけど、
その他はギャングウェイ(狭い階段)だからスーツケースが重くなりすぎないようにしよう。
ギャングウェイワッチの部員がクレーンを動かしてくれることを期待しつつ見上げてみよう。多分気づかないけど。
取り出しやすいところに作業着、トーチと安全靴(機関士の場合)、デジカメ、メモ帳は入れておこう。
忘れたら取りに帰らされるぞ!その他書類で会社が忘れることもあるから、先輩にも確認。
何が何でも書類だけは肌身離さず持っといて、ロストバッケージしても仕事できるようにしとこう。
仕事用
・トーチ タンク点検もあるから航海士機関士問わず。ヘッドライトも便利っちゃ便利だけど、トーチは必須。
・耳栓 2,3セット
・ゴーグル 時たま使うけど、船内にも基本ある。
船内備品は粗悪品も多いから(買付地の関係)、耐久性が求められるものは自分で持っておくとよい。
そういう意味ではボールペンは必須。職務上手書きが多いから、新品で使えないゴミを
つかまされると悲しい気分になる。
・普段着 4,5着(作業着の下に着る用と普段使い用) 乗船時の恰好は綺麗目にして上陸でも着れるものが吉
・タオル 5枚ぐらい
・髭剃り 日本人来るなら身だしなみを整えとこう。
・ゴシゴシタオル
・洗顔
・洗剤 柔軟剤はよりけり
・寝巻 着ている人を見たことないけど、寝るときは基本動きやすいもので。
・目薬 船内乾燥してるので
・薬 酔い止めとか腹痛用とか。飲料水がよろしくないこともあるから。
生活日用品は、乗船後の私物品買い付けや上陸地で手に入るから心配せず1セットで。
ただ、こだわりがあるなら下船まで持つように入れておこう。
その他
・充電器 Cタイプ、Bタイプ、ライトニング、カメラ用、パソコン用と忘れないように
・コンセント変換アダプタ 下船地が読めないなら1個持っとこう。
・POKEFI 通信安いし、窓際に置くルーターとして使えるから便利。
娯楽
・楽器 エレキ単音なら隣室に聞こえないと思う。レクルームならアコギとか弾いても怒られない。
・釣り 沖待ち中とかならお好きにどうぞ。
・お酒
次の乗船に持って行ってみるものをこっそり追加(2023年3月13日)
・消臭剤
以上。足りないものがあったら教えてね。
https://anond.hatelabo.jp/20230105180645 の続き
カフェレーサーというのは1960年代にイギリスで流行ったロッカーズという街道レーサー達の乗っていた改造バイクで、ハンドルを下げて前傾姿勢にしてロケットカウルを付ける。因みに当時の英国ではモッズという改造VESPAやランブレッタスクーター乗りのもいて、両者は反目して喧嘩ばかりしていた。モッズとはmodern+sである。
カフェレーサーで使われるロケットカウルはセパレートハンドル、通称セパハンとの組み合わせが前提だ。フロントフォークの上に付く一本バーハンドルを取っ払って両方のフロントフォークに直接短いハンドルを付けて高さを下げるのがセパハンだ。
このロケットカウルを族車ではプレスライダー由来の上向き絞りハンドルと組み合わせてしまう。
すると、カウルのハンドルの逃げの切り欠き位置が合わないのでハンドルが切れない。
そこでハンドルの逃げの位置が合うようにカウル高さを上げる→族車の珍奇なデザインの完成だ。
珍奇とは他と違うという事だから、所属を表す象徴の作用が出てきて、要するに「カウルがより高い方が暴走族的である」という文脈が出来てくるんである。「過剰」の意味付加である。
これはバックミラーを鬼のように付けたモッズのベスパも同じだな。歌舞伎のすみとりとか戦前の祭りの山車の高さとか豪華なのに耐火性が消えたうだつとかもそうだ。実用や元の文脈から切り離されると非実用的であることが意味を持つので「過剰」が持て囃され時には粋の評価がされる。
一方で上り龍のようにとんでもない高さにカウルを上げる族車バイクもあるが、これは実は実用の問題が絡んでいる。
カウルの真ん中にはヘッドライトがあるので、ある程度の高さまでカウルが上がると前が見えなくなるんである。当たり前だ。
だから更に上げたい場合は前が見えるように目の位置より上にヘッドライトが来る高さまで上げるって事である。
あんな高い所にカウルとヘッドライトがあったら、スラロームしたら慣性が凄そうなんだが、スラローム中に取れちゃったりしないんですかね?ハリボテエレジーの悲哀再びである。
車両からは離れるんだが、google:image:コルク帽とかコルク半と呼ばれるヘルメットについて。被ってると暴走族に狩られるってやつ。
これは確か昔、増田かどっかで詳しい説明のエントリがあったはずだが忘れてしまった。
もともとレースでの保護帽というのは革帽子だった。保安性は余りなく、頭を強打すれば脳がやられて死んでしまう。
次に出来たのが半帽で、半球型のプラスティック保護帽に革の耳当てと顎ひもが付いたもので、1950年代~60年代のバイクレースで使われた。クロムウェル(Cromwell)というメーカーが有名だ。ヤマハSRなどに乗る人らに好まれている(危ないから使うべきではない)。
これは内装材がコルクだった。発泡スチロールが普及する前の製品だ。
次に保護面積が大きくなったジェットヘル→フルフェイスと進化してきて、内装材は発泡スチロールと発砲ウレタンになった。
現在ヤンキーの間でコルクと呼ばれているのは、半帽にツバ(前バイザー)がついて端をビニールテープで巻いてあるという簡素な製品(但し端部の始末はクロムウェルなども同じ)で、元々主婦向けである。
1968年に富士重工がラビットスクーターをディスコンにし、イタリアのランブレッタも1971年にディスコンになるとスクーターはベスパ以外製造されない時期が続いた。
ホンダはここにバイクと無縁な主婦の市場があると見抜き、1976年にラッタッタでお馴染みのソフトバイク、ロードパルを開発した。因みにラッタッタというのはエンジンスタート用のゼンマイを足でキックして巻く動作の事で、軽量化と低価格化の為にバッテリーを搭載せず、キックスタータより楽な始動方法としてゼンマイスタータを採用したのだな。足でゼンマイを巻いてハンドル部のボタンでリリースする。
この当時、原付にはヘルメット装着義務はなかったが、広告などでは安全の為にヘルメットを被る写真が使われた。当時はすでにジェットヘルが一般的だったがそれだと軽快感がない。気軽に乗れます、バイクとは違うものですってイメージにならない。
そこで採用されたのが「70年代の半帽」だったのだ。50~60年代の半帽と違うのはポップでツバ付きになってる事。更に旧型品なので安価。どういうのかについては1972年発売のカワサキマッハⅢの広告を見てもらった方が早い。
http://captain-alfred.cocolog-nifty.com/blog/2012/09/post-6b6e.html
歴史上のバイク広告で一番カッコいいんじゃないかこれ。モデルは小川ローザだ。
それで主婦層が乗るソフトバイクの激安ヘルメット=このタイプの半帽というイメージが出来た。主な販売場所はスーパーや自転車屋であってバイク屋ではない。内装はナイロンベルトやプラスティックと布、発泡スチロールなど。
ヤンキー層はその頃はノーヘルやフルフェイスを使っていてこのタイプのは使われていなかった。
1986年に原付もヘルメット義務化されるとノーヘルだったヤンキー層は一番安くてノーヘルに近い効果のこの半帽を被らずに首の後ろにぶら下げて走るというスタイルになった。
こんな安全性が無くて昔の主婦向けのダサいヘルメットを被るのなんて暴走族やヤンキーしかいない。なのでまた所属の象徴化である。それで90年代にはヤンキーや暴走族を象徴するアイテムになった。
だからロードパルが発売されて主婦向けマーケアイテムとして流行した頃から10年以上経っている。「ダサい」が一回りして肯定的意味が出る現象の一つなのだ。
更にこのヘルメット内装にはコルクは使われていない。使われていたのは60年代だ。呼称は60年代を借用して実体のオリジナルは70年代にある、という錯綜した現象なんである。
ついでなんだが、マッドマックス1の暴走族が被ってるようなフルフェイスヘルメットをgoogle:image:族ヘルという。今のものと違って下側の首回りが丸くすぼまっていなくて寸胴になってるのが特徴だ。
70年代末~80年代前半の暴走族もフルフェイスを被っていたので、バイク免許実技試験参考書(大型は教習所では免許が取れなかった)などには「フルフェイスは暴走族的なのでジェットヘルにしましょう」などと書かれていた。安全性より暴走族的でない事の方が重要だったのだ。
このタイプのデザインは今でもレトロアイテムとして人気があるが、危ない代物である。下側がすぼまっていないので、高速で下や後ろを確認すると風圧でヘルメットが浮き上がり、顎ひもで引っかかって脱げ掛かった状態になってしまう。デザインが変更されたのには理由があるのだな。
暴走族が振り回す旗やステッカー見ると、○○レーシングみたいな峠ドリフト小僧的チーム名と○○聯合のような画数が多い漢字の名前と分かれている。
これは前述の通りに街道レーサーチームから変化してきた名残で、別にレースしなくてもレーシングという名前や峠小僧的なカタカナの名前を使う。
一方、時代が下るにしたがって硬派=学ランや右翼に傾倒してきて、軍国主義モチーフや漢籍的な名称が好まれるようになる。夜露死苦とか漢籍じゃない訳なんだがそこは偏差値の問題である。
街道レーサーから右翼標榜へと変化した為に、時代が下るに従ってメカ音痴になっていったという面もある。初めは自分でエンジンも改造してその技術も先輩から後輩へと受け継がれていたが、やがて改造は外見に留まり工具も持っていない、という風になっていく。
こういう風に族車デザインは当初はスピードの象徴であったものが文脈から切り離されて過剰になり、「過剰」それ自体が価値を持つという現象である。
特に大きい影響を残したのがバイク便の前身で「PRESS」や新聞社旗をはためかせてすり抜け爆走していたプレスライダーだった。
カウル昇竜拳みたいなデザインも組み合わせ不可のプレスライダーとロケットカウルを組合わせ、その珍妙さがそれ自体意味を持つようになった為である。
こんな珍奇な族車だが、実は日本のキッチュを好む人々というのは世界中に居て暴走族もその一つとして愛好されているのだ。
試しに「google:image:bosozoku」で画像検索してみて欲しい。多数がヒットするばかりか、自国でBosozokuカスタムをしている変態愛好者もいる。しかもその竹槍出っ歯の車がランボルギーニだったりするのはいかがなことなのか?
日本でも一時流行った巨大フルエアロパーツ、フェイクファー敷き詰め、巨大スピーカー搭載で浜崎あゆみを流すハイエースもBosozoku Vanとしてカスタムカーの一ジャンルになってる上に、タイでは社会現象に近いくらいのブームになっている。バンコクのあちこちが大黒パーキング状態なんである。というかタイ人は日本のキッチュ大好き国民なんじゃないかな?
更にebayで探せばBosozoku刺繍特攻服もわんさか出てくる。 https://www.ebay.com/sch/i.html?_nkw=bosozoku
出品&発送元が中国企業のケースが多い。日本の暴走族ファッションを中国で作って発売して世界中に出荷しているというビジネスだ。色々とおかしい。レディースの特攻服風着物が特に人気のようだ。
そういう訳で、英語が出来る人らは是非海外でBosozoku愛好してるトンチキ変態さんらに、デザインの源流が報道の爆走バイクである事やシルエットフォーミュラの事などを教えてあげて欲しいと思う。