はてなキーワード: 遭難事故とは
三毛別羆事件は内容が削られてたので選外。
1902年(明治35年)1月に日本陸軍第8師団の歩兵第5連隊が青森市街から八甲田山の田代新湯に向かう雪中行軍の途中で遭難した事件。訓練への参加者210名中199名が死亡(うち6名は救出後死亡)するという日本の冬季軍事訓練において最も多くの死傷者を出した事故であるとともに、近代の登山史における世界最大の山岳遭難事故である
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%82%A417%E4%B8%96
フランス国王ルイ16世と王妃マリー・アントワネットの次男。8月10日事件以後、国王一家と共にタンプル塔に幽閉されていたが、父ルイ16世の処刑により、王党派は名目上のフランス国王(在位:1793年1月21日 – 1795年6月8日)に即位したものと看做した。名目上のナバラ国王でもあった(ナバラ国王としてはルイス6世)。しかし解放されることなく2年後に病死した。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%B0%E6%96%B9%E7%97%85_(%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BD%8F%E8%A1%80%E5%90%B8%E8%99%AB%E7%97%87)
山梨県における呼称であり、長い間その原因が明らかにならず、住民らに多大な被害を与えた感染症である。ここではその克服・撲滅に至る歴史について説明する。
https://ja.wikipedia.org/wiki/4%E5%8D%83%E5%B9%B4%E7%B4%80%E4%BB%A5%E9%99%8D
3001年以降の予測
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E6%9E%97%E3%83%8F%E3%83%AB
日本の瞽女。生後3か月で失明し、5歳の時に瞽女修行を開始。数多くの苦難を経て晩年に「最後の長岡瞽女」、「最後の瞽女」として脚光を浴びた
経歴詐称や仮病などの手段を駆使して「故障療養中の優秀なサッカー選手」のふりをすることで、実際には1試合しか出場せず、長年にわたってプロサッカー選手としての報酬を得ていたことで知られる。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8F%8D%E3%81%97%E3%81%84%E6%AD%BB%E3%81%AE%E4%B8%80%E8%A6%A7
(はしがき…Safariで日本語のURLをコピペしたら自動で記号に変換してくれるようになってたので記念日記です。前から?)
他にあったら教えてね!
オールアンラーッキーデイズでは基本的に1日に1件しか挙げていないが、3月20日には以下の出来事も起きていた
おそらく増田はオウムだからサリンを採用し、イラクは前日から作戦開始ということで3月19日に採用したんだろう(同日は甲山事件、フォークランド紛争、東電OL殺人事件、名古屋大空襲などがある)
霊山「妙見山」にあるしおき場(処刑場)は、大阪では有名な心霊スポットだ。
しおき場のすぐ手前には、これまた心霊スポットである「野間トンネル」がある。
一気に2つも心霊スポットを巡れるのだからお得だ、という妙な損得勘定を持ちながら、車を進めていった。
野間トンネルは長さ10mもない、トンネルとも言えない規模だった。
車のヘッドライトが照らすコンクリートの白さが不気味で、穴の先はライトで照らしても真っ暗だった。
時速20kmで、のろのろと入っていく。
入った先は、雰囲気が全く違っていた。
ここに入るまででも、狭い山道、街頭がほとんどない暗さ、廃墟のような家が不気味で、雰囲気は十二分にあった。
特に「しおき場」に入るために「わざわざ」入った妙見山からは特に暗く、これから心霊スポットに入るんだ、という気持ちを高めてくれていた。
トンネルの先は、真っ暗だった。
風に吹かれ、杉だろうか、月明かりに照らされた木々の葉が揺れている。
それだけだが、その静けさ、雰囲気はまるで時間が止まったようだった。
まだ夜の7時なのに、深夜の2時を過ぎているとしか思えなかった。
野間トンネルに入って、20~30mほど進んだだろうか、「目的地へ到着しました」とナビが教えてくれた。
だが周囲には何もなかった。
その先の道は狭く、お寺に続いているようだ。
お寺に用はない。引き返してみることにした。
もっと注意深く、何があるかを観察せねばならなかった。
隣の妻から、息を吞む声が聞こえた。
「違う違う、たぶんここじゃない」
妻の声は上ずっていた。
「この先?」
「うん」
少し進むと、脇道が見えた。
「ここや」
俺がそれだけ言うと、2人とも黙ってしまった。
ここに到着する前は、外に出て探検しようと思っていた。
だが、とてもできなかった。
しおき場は、戦国時代、2つの家の諍いを収めるために、豊臣秀吉の名で「両家から農民を10名差し出して、斬首する」ことから始まった場所だ。
そんな場所に、面白半分で車を停めて中に入ることは、その霊を冒涜しているような気になったのだ。
今更な話だった。
だが今なら、たまたま通りがかった、道に迷った体で帰れるのではないかと思った。
ようやく窓を開けたのは、山を降り、コンビニが見えた時だ。
緊張が抜けたせいか、頭が痛かった。
妻と2人、車の中で寝た。
これは先週の出来事だ。
あれからずっと、しおき場のことを考えている。
その真っ白な威容、ぽっかりと空いた真っ黒な穴。
その先は異世界のようだった。
今でも鳥肌がたつ。
妻もあの光景が忘れられないのだという。
妻は「しおき場の中を調べなかったから、よけいに怖いのかもしれない」と言う。
それもあると思う。
だが、それだけでもないような気がした。
こうした心霊スポットに耐性がないせいだろうか、非日常に浮かれているのだろうか。
この客の中には、また同じ山に、同じ企業のツアーで参加した者がいたらしい。
それに比べるとお子様もいいところだが。
また行こうと思う。
今日3月11日や9月11日を毎年不謹慎だと叫ぶ連中や、「何らかの記念日だし普通の日とすべきだ」と書かれたアンサイクロペディア、全てにぶちぎれた増田が1年全ての日付(8月32日や11月31日なども含める)を不謹慎の日と扱うリスト
それがオールアンラーッキーデイズ(All anrakki days)だ
勝手にまとめたリストだから、勝手に日めくりカレンダーも薄い本も商品化もなんだってしてもらってもいいぜ
以下の順番でその日に起きた出来事をチェック
基本は日本縛りだが、あまりにもデカすぎる事件や事象の場合や、不謹慎がない場合は海外も対象に入る
私はホームページで創価学会を批判して以来、過去20年間以上創価学会のサイバー攻撃を受けてきましたが、その関係でカルト集団である創価学会についていろいろと調べてきました(「最近気づいたこと」の「ウイルス・メールを意図的に送りつけても犯罪にならない国」や「楽天が、弱気の見通しを公表したアナリストを出入り禁止に」や「最近いただいたメールから ― Part II」をご参照ください)。その結果に基づいて、死亡・行方不明者が26人に達している4月23日に発生した知床観光船遭難事故には、創価学会が深く関係していると考えるようになりました。さらに、6月1日に陸揚げされた、観光船「KAZU I(カズワン)」についての調査結果が、(2022年6月15日の執筆時点で)陸揚げ後2週間も経っているにもかかわらずいっこうに発表される様子がないことから、その確信を強めています。こう考える理由の第1は観光船「KAZU I」の運航会社である「知床遊覧船」の桂田精一社長が経営指南を受けていた小山昇というコンサルタントは創価学会系とみられること、第2に沈没のわずか3日前に受けた国土交通省による検査で信じがたい見落としがあったとみられ、こうした見落としは上層部からの圧力がなければあり得ないと考えられ、さらに2012年以来過去10年間の国土交通大臣は公明党員(太田昭宏氏、石井啓一氏、赤羽一嘉氏、(現職)斉藤鉄夫氏)であったためです。
このあたりは事実として報じられてるよな
それを踏まえて、船長のリスク管理が甘かったんじゃないかとか、あるいは経営者が利益優先で安全に配慮しなかったのが悪いんじゃないかという憶測が報道の中で形成されだしている
「わかりやすい敵」というか、まあ腹落ちしやすい構図ではあるよな
これを否定できるような具体的な材料もないし、追記ではさらに変なことしか書いてない
同業他社の出港予定はなかった
事故を起こした「知床遊覧船」は同業他社よりも1週間ほど早く営業を開始していて、遭難事故はその初日に発生したんだから
漁師について言えば、むしろ海況が落ち着いてるうちに時化を予見して帰港したというのが正しい
単なる同業組合なら他社の営業を無理に決めることはできないのは当然では?
そもそも協議会が知床遊覧船の出港に否を唱えたのかどうかは知らんけど
今回の事故を受けてそろって営業を休止すると発表したようだが、だとしたらむしろ普通に機能してないか?
そりゃ掛かってるかもしれんけどさ、じゃあお前の話には何かしらのバイアスとやらは掛かってないんですか?って話になるだろ
(作成中)
最初に述べておくと、ファスト映画が法的にどうか、という話は門外なのでするつもりは無い。また、創作物に対して真摯な視聴者や読者がしばしば語る「創作物は制作者の意図に従って、制作された形のままで楽しむべきだ」というような精神論についてもここでは触れない。この記事ではあくまでもファスト映画の実体と実利、そしてその意味するところのみを考える。
ファスト映画とは(YouTubeなどにアップロードされる映画のダイジェスト版のような動画)
ファスト映画についてまず第一に受け入れなければならないのは、情報伝達が非常に早く冗長性が無いということだ。この点は、娯楽作品の溢れたこの時代に決して無視できない「価値」であることをまず意識しなければならない。現代人は娯楽にスピード感を求める、ということはしばしば言及される話だが、これもそのひとつと言えよう。ファスト映画がオリジナルとしての映画を改変したものである、という話は本質を不明瞭にする。これを避けるために次の例を考えてみよう。私は「Wikipediaで色んな事件について調べると読み物として面白い」と言っている人を見かけたことがある。たしかトムラウシ山遭難事故の話だったと思う。Wikipediaの記事では事件の経過や結末が端的に語られているわけだが、これは事実のみを書き綴った冗長性が全く無いストーリーだ。ではここでトムラウシ山遭難事故を映画化した作品があったとしよう。Wikipediaの記事と映画のどちらが面白いく、創作・娯楽として優れているだろうか。映画の方が面白いと断言はできないのではないだろうか。そしてこの構造は先にあったもの、オリジナルが逆転しているというだけで、実態としては映画とそのダイジェストの関係と変わりない。
創作の視点からファスト映画を見た時に重要なことの第一はこれである。創作物というのは作品としての体裁を整えるために多くの要素を付け加えられる。だが実際には登場人物のセリフなどなくてもストーリーは成り立つし、あるシーンが無くても全体の流れに影響は無い、ということは決して少なくない。つまり、創作物というのはそもそも余分が多過ぎるのではないかという問いかけに結びつくのだ。そこに私が感じるのは新しい創作の可能性、ダイジェストのように簡略化された創作物のイメージである。
第二に考えたいのは、ファスト映画をきっかけに本編を見るという視聴者の存在である。私はファスト映画を見たことはないが、小説のあらすじを読んでから購入を決めることならある。例えば私はミステリ小説の叙述トリックというものが好きになれない。そのため読む前に除外しておきたいと思っている。()。その意味ではファスト映画が提供している価値は映画の面白さを盗用したものというよりも、むしろスコッピング(未読・未視聴の創作物の中で面白そうなものをピックアップすること)の助け。いっそのこと製作者が自ら「ファスト版」を発信して宣伝としてもいい。()知っているストーリーであれば面白くないのか、という問いかけも浮上する。
吾妻連峰雪山遭難事故(あづまれんぽうゆきやまそうなんじこ)とは、1994年(平成6年)2月13日早朝から翌日にかけて福島・山形両県にまたがる吾妻連峰が猛吹雪に見舞われ、登山者5名が低体温症で死亡した事故。吾妻連峰での山岳遭難事故としては最悪の事故となった。
https://www.youtube.com/watch?v=9aSBmp3Riu0
山を登るわけではないが、読み始めると止まらない。
有名なもので言うと、トムラウシ山遭難事故、八甲田山で行軍時に起こった遭難事故がそれにあたる。
どこが怖いのかというと、大きく三点ある。
穏やかな天気だったのに、突然ふぶく。
すぐ止むと思っていたのに、ずっと雨や雪が振り続けている。
天気が悪いだけで、道のりは険しく危険になる。命を落とすリスクがグンと上がる。
変に経験があると、やめときゃいいのに、これくらいの雨なら大丈夫だったと歩き続けてしまう。
滑落や雪崩はほぼ一瞬で全てが変わってしまうが、悪天候によるものは、疲労や風向きでどんどん悪化していく。
ここでやめとけば、ここでああしておけば、と助かる余地がいくつもあっただけに、読んでいる方からすると、ハラハラする。
死亡までしてしまった事故では、これは避けられなかったよね、というのはほとんどない。
ここでまず間違って、さらにここで判断を誤って、引き返す判断ができずに…とどんどん逃げ場を失っていく。
正気を失っていくさまが生々しく、恐ろしい。
三つ目は、近くにいた人が、なくなっていくところ
やむなくビバークし、夜を明かし朝になったら、隣にいたひとが冷たくなっているのが怖い。そばで死を体感するのが恐ろしい。
また、亡くなる直前に、滑舌が悪くなり、言動がおかしくなり、最終的には「おかあちゃん」と中高年の女性が叫んでなくなったりする。
そもそも夜の山ってだけでも怖いのに。
季節の変わり目なので、山に登る人はくれぐれを気をつけて欲しい
悪趣味かも知れんが、大好き
「ドキュメント 気象遭難」は、ほかの作品に比べて、ものすごく人が亡くなる。
吾妻連山の楽しい仲間たちでの中高年の登山から、道迷い、天気の悪化、体力がないことにより、一人また一人と欠けていく。
すごく怖い。
絶対山には登らないぞと思う
トムラウシのツアーによる大量遭難が有名だけれど、その前にほぼ同じ場所で類似の気象遭難事故があったことも知る。
悪天候なのによろよろと山頂を目指したのはどういう気持ちなんだろう。
間近で友人が絶命するとはどういった状況だろう。
こわい、絶対山には登らない
山岳部に所属する高校生が、近所の山で遭難する、「空と山のあいだ」も恐ろしい。慣れ親しんだはずの山が、突然牙をむく。
年末年始、剱岳に挑戦し帰ってこなかった3人のメンバーを、同じ登山会の人が目撃証言を辿って、行動を推測し、遺体の場所を特定する「いまだ下山せず」も面白い。
証言や性格から、足跡を辿って答えに至る様は、ミステリのようでもある
後者は、高度8000メートルを超える、その場所にいればいるほど死に近づくデスゾーンで、ほかの仲間のサポートをしていた、若い男性登山家が力尽きてしまう
その人が生き残ったのは、何がよかったのか、逆にそういう苦境に陥ったのは何が悪かったのか、が知りたいのかな、と思う。
何度も思い出してしまうのは、羽根田治「ドキュメント 道迷い遭難」にあった、遭難者が行き合った、犬を連れたおじいさんの話だ。
遭難者は不安になりながらも、「こちらだとおもう」と進んでいた。
そこでおじいさんに出会い、話す。
「この道で合っているか?」と尋ねられ、遭難者は「合っているとおもう」と返した。おじいさんは犬を連れて道を進んでいく。
その後、遭難者は迷っていたことに気が付き、生還することができた(自力で下山までできていたと記憶している)。
しかし、そのあと犬だけが戻ってきて、おじいさんの姿を見た人はいない。
そのエピソードがずっと胸に残って忘れられない