「職人」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 職人とは

2024-04-03

anond:20240403161711

問題は先鋭的な現代アートではなくて、ファインアートイラストレーションなど職人的な技術作風個性価値が置かれるフィールドAIオペレータ学習素材を簒奪していることだろう

漁師が最新の設備で魚獲るのは結構だが、他人ルアーフィッシングしてる渓流をせき止めて一川魚を網打尽にしようとするのはインモラルだろ

2024-04-01

anond:20240401145243

出だしはしゃーなし

ただ、普段から勉強してるやつはしっかり独立して職人になってるわ

2024-03-30

誰をターゲットにした商品なのか。

アニメダンジョン飯』×村の鍛冶屋 包丁や両手鍋、カニフォークなど作中登場する調理器具燕三条の鍛冶職人が具現化!先生直筆イラスト刻印が入ったコラボアイテム

https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000035.000025656.html

 

はぁ~(クソデカため息) 誰をターゲットにした商品なのか作る前に考えて欲しいよ。

料理好きな人普通にプロ用品買うからこんなの買わないし、じゃあ料理しないファンが買うの?ったら料理する訳無いし、まあ転売ヤー専用商品だよねこれ。

一切料理に使われる事無く転売で回るだけの転売専用アイテム。 嗚呼ダンジョン飯

2024-03-29

anond:20240329205755

やってみればいいじゃん

たとえばバングラディシュ職人の手縫いとどう差別化するのか知らんが

2024-03-27

anond:20240327203335

( ^ω^ )

肥後守を造り続けて百有余年、伝統を受け継ぐ。

明治27年1894年創業五代継承

初代駒太郎美嚢郡留美大字平田(現:兵庫県三木市平田)の地で『平田ナイフ』の製造を始めて百有余年、五代伝承肥後守職人として唯一相伝となりました。

永尾かね駒製作所が作る肥後守が、唯一無二の肥後守です。」

https://www.higonokami.jp/

2024-03-26

anond:20240326230203

白石脱獄王。ゴールデンカムイコミックリリーフ

なんか快楽殺人を繰り返して、エドワード・スィアドア・ゲインみたいに大量の死体を自宅に保管したキャラだったっけ。

エドワードゲインモデルなのは江渡貝(エドガイ)くんというキャラ剥製職人

快楽殺人者ではないが、人皮を使った服飾品を作るために墓荒らしをしたり、亡くなった母親脳内会話したりと精神面にちょっと異常がある。

anond:20240326220622

増田には蕎麦職人がたくさんいる。ここで聞くといいよ。

 

おれからアドバイスは、水まわしのためにスプレーを買うことだな。

プシュプシュするときれいに水まわしできるよ。工程が半分ぐらいに減る。

anond:20240326134447

ウィリアム・モリスの講演「芸術目的」における分業と競争に関する言及(https://www.marxists.org/archive/morris/works/1882/hopes/chapters/chapter4.htm)

Will you, therefore, look upon me as a craftsman who shares certain impulses with many others, which impulses forbid him to question the rules they have forced on him? so looking on me you may afford perhaps to be more indulgent to me if I seem to dogmatise over much.

Yet I cannot claim to represent any one craft. The division of labour, which has played so great a part in furthering competitive commerce, till it has become a machine with powers both reproductive and destructive, which few dare to resist, and none can control or foresee the result of, has pressed specially hard on that part of the field of human culture in which I was born to labour. That field of the arts, whose harvest should be the chief part of human joy, hope, and consolation, has been, I say, dealt hardly with by the division of labour, once the servant, and now the master of competitive commerce, itself once the servant, and now the master of civilisation; nay, so searching has been this tyranny, that it has not passed by my own insignificant corner of labour, but as it has thwarted me in many ways, so chiefly perhaps in this, that it has so stood in the way of my getting the help from others which my art forces me to crave, that I have been compelled to learn many crafts, and belike, according to the proverb, forbidden to master any, so that I fear my lecture will seem to you both to run over too many things and not to go deep enough into any.



19世紀芸術家であり社会思想家でもあったウィリアム・モリスは、1880年に行った講演「芸術目的」の中で、分業と競争芸術に与える悪影響について鋭い指摘を行っている。モリスは自らを「多くの職人衝動を共有する一人の職人」と位置づけた上で、かつては商業下僕だった分業が、いまや文明のもの支配するまでに至り、本来人類の喜びと希望、慰めの源であるはずの芸術をも困難な状況に陥れていると訴えた。

モリス自身仕事例外ではなく、分業の弊害により他者の助けを得ることが難しくなり、多くの技術を学ばざるを得なくなる一方で、どの技術も極められなくなってしまったと吐露している。

この指摘は、現代の音楽制作における問題にも通じるものがあるのではないだろうか。チームの肥大化制作規模の拡大に伴い、個々のクリエイター芸術性が発揮しづらくなり、音楽おもしろさが失われていくのではないか?分業と専門化が進むほど、全体を見渡せる人材が不足し、音楽芸術性が損なわれるという事態が、いま起こっているのではないか

2024-03-25

anond:20240324173938

絵師と違い芸術家クリエイターではない何か、よくて職人悪ければ単純労働者、ってな所だろうな

2024-03-24

anond:20240324235431

「社内資格」という認識大事だよね

丸亀のやつらは麺職人としてよりいい肩書きもらえるように努力して夢を描いてるつもりなんだろう

でも「麺職人」と「麺匠」の間の道は事実上絶たれている

「麺匠」は役員に箔をつける物語のために存在するだけなのでで、バイトパートが一生頑張っても大卒ホワイトカラー役員のための社員資格などとれないんだよ

あーかわいそ

「麺匠は役員専用の肩書きなのでお前らがいくら頑張ろうがこの肩書きを与える気は死んでもない」と明言ぐらいしとくのが、察しの悪い低学歴に対するせめてもの親切だと思うんだけどねえ

丸亀製麺の「麺匠」って胡散臭くね?

「このうどんは生きている」と同じように麺匠もどうせ広告代理店が作り出した「物語」なんじゃないの?

麺匠などと箔付けされた藤本智美という方は、どの程度の腕前なのでしょうか? そもそも、彼の情報として、食品メーカー運営する飲食店支配人をしていたと書いてある記事もあれば、和食料理人の経歴を持っているという記事もあるのですが、これは支配人現場調理もしていたということなのでしょうか?私のイメージだと飲食店支配人経営のために置かれるもので、料理の腕はむしろからっきしというイメージがあるので、しっくり来ないのですが…

ミシュランに載るような名の知れた飲食店ならそこはアピールするはずでしょうが、一体どの程度の店で料理人としての立場を持っていたのでしょうか?実は、香川県とかのそこら辺のうどん屋やってるおっちゃんにも劣る腕しかないということはないのでしょうか?

でもそうだとしたら、今個人うどん屋やってるような人が丸亀製麺転職したら簡単に麺職人の上のランクを取れることになっちゃうでしょうし、自分で店経営してるより丸亀製麺簡単に麺職人になれて厚遇された方が手取りが増えるというならそういう流れが出来そうなものですし…

私は丸亀製麺の麺匠というのは、本来料理人とは無縁ないわゆるホワイトカラー幹部ヘッドハンティングされたついでに「料理人としての顔」を大袈裟でっちあげ・脚色された姿なのではないかと思っています

実際彼がただの料理人ヅラしてるホワイトカラー高学歴ぼっちゃんなのか、本当にかなりの料理の腕があるのか、そのあたり知ってる方は詳しく教えてもらえるとありがたいです。

2024-03-23

民主化を忌み嫌ってるバカってさ

眼の前で使ってるコンピューター民主化の賜物だっていう理解が薄いよね

特にWindowsが出てから顕著

あと自動車もそうオートマ

産業機械だってそうだ

今まで職人芸だったのが設定してボタンポチーで誰も同じ処理ができる

産業革命以前に戻りたいなら勝手にやってればいいぜ!

俺は嫌だからしないけどな

2024-03-22

anond:20240322233839

読めないの?

やっぱ2次受けのエクセル職人なの?

anond:20240322233322

会社の規模でマウント取るようなエンジニアっているの?

2次受けのエクセル職人くらいじゃないの?

anond:20240322000014

本当に地域によるなあ

自分が通っていた小学校の学区はまともで中学校から

いくつかの小学校の学区が一緒になったんだけど

ヤンキーっぽいのは大体みんな違う学区の連中だった

そういう連中の親は昔気質職人だったりシングルマザーだったり

チンピラだったり人種的マイノリティーだったりで

教師もびびって強く言えない感じではあった(特に体育教師)

才能の民主化が気に入らないなら

職人技の機械化とかいえばいいんか

どう表現しているかという話でしかなく常識的範囲なら別にどう呼んでもどうでもいいと思うんだが。

才能の民主化が気に入らないなら

職人技の機械化とかいえばいいんか

どう表現しているかという話でしかなく常識的範囲なら別にどう呼んでもどうでもいいと思うんだが。

2024-03-21

「才能の民主化」を「才能の共産化」だろと揶揄してるのがいっぱいいるけど

よくよく考えたら昨今の職人世界でも行われてる「技術の数値化」や「見える化」って「才能の共産化」そのものだと思うんだけど大丈夫なんだろうか?

2024-03-19

anond:20240319164420

その通りなんだよな…

社会が変わっていくのは仕方ないけど、そもそも変える必要がないものを変えた人間には腹が立つ。

農村破壊して職人労働者にしたイギリス資本家

同業者を叩き潰して石油市場支配したスタンダードオイル

同業者不文律を破って現金掛け値なし薄利多売をやめて他の呉服屋をけちらし江戸越後屋

インターネットで本を売って書店を潰したアマゾン

世の中ってのはいつも、周りを蹴散らしてでも自分1人がより多くの利益を得たいっていうバカ勝手に形をかえられてその度に悪くなっていく。

2024-03-17

anond:20240317123834

キロもあると運動できないレベルから

膝が持たないんだよ

ネタ職人知識がいるんだよ

2024-03-16

高校受験失敗から人生盛り返した人いる?

高校第一志望不合格するとその後の人生はどうなるのだろう

→第二志望の低偏差値校でブルーカラー世界に馴染んでしま

 →F欄or高卒就職

→第二志望の低偏差値校を中退してしま

 →フリーター

 →高認を経て大学

→第二志望の低偏差値校でリベンジし始める

 →高偏差値大学脱出成功

 →イマイチ大学しか届かず

お笑い芸人、靴職人デイトレーダーなど学業関係ない道へ

 

ちなみに自分第一志望の高校合格したが中退した加藤熊沢コース

2024-03-14

サルベージした日記

 私の故郷は、海抜六〇〇メートル丘陵地に佇む半農半漁の村で、後方は形のよい峯が三つ並び、前方には大きな入江があって多島海に伸び、子供の頃は、その入江で魚つりに興じました。

竹の棒に糸を張った粗末な釣具で、餌もミミズでしたが、満潮の時などは入れたら釣れ、入れたら釣れで、一時間もすれば小鯛などバケツいっぱいになりました。

腹が立つのフグで、五回に一度はかかり、フグに毒があることは子供にも分かることでしたから、腹立ちまぎれフグの白い腹を石にこすりつけるとみるみる大きくなり、このガキッとばかりに思い切り石に叩きつけと、パーンという音がして腹が裂け、溜飲を下げました。

 私は五人兄弟次男として畑仕事や魚釣りに勤しんでいましたが、田舎の貧しい暮らしから豊かな生活を夢見て、一足先に日本へ行った八歳年上の兄祥雨を追いかけて◇◇へ来ました。

その時十七歳で、一九三九年でした。兄は布施(東◇◇市)でセルロイド工場経営し、腕輪やクシを作っていました。

その兄の元へ身を寄せ、普通学校四年を卒業したものの、価値ある社会活動をしていくためにはさらに学が必要だと感じ、向学心に燃えて◇◇・東成区夜間学校(◇◇商工実務学校)へ通うことにしました。

工場住込の私の仕事はまず、朝五時に起きて無煙炭をおこし、六時半に出勤する職人さんの仕事に間に合うように湯を湧かしておくことでした。

そして、仕事が終わるのは夕方の六時。急いで自転車を走らせ学校へ行き、帰りは一〇時で、それから夕食をとり、深夜の一時過ぎ、二時過ぎまで勉強して、寝るのが連日三、四時間でした。

休日は一日と一五日でしたが、それも畑仕事に追われました。

 その死にものぐるいの努力が効を奏して、成績はトップとなり、幸か不幸か、級長をやらされました。

戦時中でしたから、訓練ばかりで、「前へ進め」「全体とまれ」と号令をかけるのが級長の役目でした。

ところが、私は強度の「どもり」でしたから、その号令の文句がなかなか言えず、落ち込んでしまって、《死んでしまおう》と何度線路に寝込んだかわかりません。

星の光が目に入るたびに、《ちょっと待て、死ぬんだったら、もういっぺん努力してみよう》という気持になり、「どもり」の矯正学校を五つも修了して、死ぬほどの努力を重ね、矯正しました。

こうして、《ヤレバデキル、ダメナコトハナイ・・・》の信念を貫いて苦節の日々を克服したことが、大きな自信となりました。

 終戦後の一九四八年のことですが、体を悪くして、マイシン注射を打ったところ、耳に障害が発生し、聞こえなくなってしまいました。

これまた、苦節の日々で、断食をしたり、いろんなことをやってみましたが、完治するまでには至らず、補聴器の世話になる毎日となりました。

ところで、戦争は激しくなり、私も協和会の勤労報国隊に徴用されて、九州炭坑で二ヶ月ほど働かされました。

石炭を掘って出てきたら顔は真っ黒で、目が辛うじて見え、つらい日々でした。

そうこうするうちに戦争が終わり、兄はそのまま日本に残りましたが、私は里心がついて故郷へ帰りました。

ところが、祖国はとても住める状態ではありませんでした。

日本兵が釜山の港からどんどん引き揚げて行くさなか、私も小さな船で玄界灘の荒波を掻き分け、決死覚悟日本へ戻ってきました。

一九四八年に兄と、資本金二〇万円の◇◇グリップ化工株式会社設立し、自転車ハンドルグリップセルロイド製造し、販売しました。

以来、資材をセルロイドからプラスチックに変え、◆◆◆グリップの普及に努力しました。

その途上、兄を交通事故で失い、私が会社を引き継ぐことになりましたが、中小企業信用保証協会や育成協会から資金融資韓国人業者としては第一号だと思います

 一九九〇年に◇◇グリップ化工から◆◆◆技研に社名を変え、現在では日本全国の占有率九〇パーセントを獲得し、一億人以上の人に◆◆◆グリップを握ってもらっています

私は、金属木材等で作られている従来の物をプラスチックに代えて作るという物づくりを企業の基本理念の一つにしてきましたから、事業の発展に伴い、グリップの他にも車輪、カゴ、チェインケース、泥除け等、タイヤ以外のものは全てプラスチック化し、その間の特許も数百にのぼって、◆◆◆製品世界ブランドとなりました。《継続は力なり》の精神で、より精度の高い関連商品の開発に努めています

 一九六〇年頃、日本韓国との間にはまだ国交はなく公式には往来できない時で、金融機関祖国産業視察団の一員として、初めて祖国訪問しました。

公式の日程を終えて、私の生まれ故郷に帰りました。

懐かしい山河景色幼なじみの顔、感激の涙に浸るばかりでした。

その感激もさめやらぬ時、町からキロも離れていず、一六〇戸もあるわが懐かしい村には電気水道設備もないことに気づき、昔と変わらぬ貧しい古い部落がそこにありました。

故郷のために何かしてやりたい》という衝動かられ、その後、回を重ねて訪問する毎に藁葺きの集会所を二階建の近代的な建物にして

事務所や老人らの憩いの場に使用できるようにし、また、電気架設の資金協力や子供たちの遊び場等も寄贈し、植木スピーカー等も添えて故郷の人の心を癒やすことに努めました。

 人間は誰しも食うがため、生活するがために働き、事業するものだと思いますが、私もご多分に漏れ世間並みの生活を夢見て渡日し、口では言えない苦労と努力を重ね、一応の目的は達したと、自分を顧みています

これまで、通産大臣府知事税務署長などの表彰を受け、韓国政府から国民勲章冬柏章を受章しましたが、私の企業活動に対� =キる評価だと喜んでいます

現在、◆◆◆ー技研のグループ企業として◆◆◆販売韓国◆◆◆があり、◆◆◆技研は私の長男に任せています

◆◆◆販売は兄の息子が取りしきり、ヘルメットを中心としたオートバイスポーツ用品製造販売し、韓国◆◆◆は弟の息子が社長を務め、スキー水泳用品を主力としたスポーツ製品製造販売し、輸出による外貨を稼いで祖国経済発展寄与しています最近中国青島にも進出し、六〇〇人ほど雇用しています

 兄の処世訓は《まず、自分自身が立派になり、次に家族の支えなり、その次に身近な社会に貢献する》ということでした。

私は、兄の遺志も引き継いで、家族会を設け、年一回会合を開いて、十親等以内の全学徒に、成績に応じて奨学金支給しています

その家族会の会長は私ですが、弟の息子がすべて代行してやってくれています

いわば、祖国故郷で私の夢を実現してくれる代理人のような存在です。後は、全家門の子孫たちが末永く仲良くしてくれればいいと願うばかりです。

振りかえってみれば、私の人生は苦しいことのみの連続で、喜びや楽しみというものがあっただろうかと思う時がありますが、◆◆◆販売の新社屋落成式(一九八四年)に、私が挨拶をし、息子夫婦、兄の子夫婦韓国の甥夫婦を紹介し、その三人を後継者として披露しました。

三人はそれぞれに立派に成長してくれ、私の夢を実現してくれる後継者になってくれたことが人生最大の喜びです。それに子孫たちが、私の喜寿(七十七歳)をニューオオタニホテルで祝ってくれたことも忘れられない喜びです。

 外孫まで入れると四十五、六人になりますが、アメリカに行っている七、八人の子孫たちもその日(一九九八年九月一八日)にはみな帰っ� =トきて祝ってくれました。

私たち韓国人は、税金人一倍納め、社会に貢献しているにもかかわらず、後ろ指をさされる傾向が強いのですが、人間というもの生存競争なかにあってライバル意識を持ち、自分より事業を大きくやっていたり変わったことを大きくやっていたりすると、ねたみの心が出てきて、あらぬ中傷に走るのではないでしょうか。

私たち韓国人の側にも虐げられたひがみ根性というものが抜けきれないのではないかと思いますが、真面目に生き、社会に貢献していくことが肝心で、価値ある社会人になるためには自分自身が努力し、そのためには人の話を聞くことです。

何か疑問を感じたら、聞くのが一番の近道で、その疑問を解いてくれる人が見つかるまで聞きつづけたらいいのではないでしょうか。聞くことにお金はかかりませんし、それが私の処世訓の一つです。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん