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はてなキーワード: 洋服とは

2016-11-30

わたし橋本奈々未という女の子を好きなった話。

私が橋本奈々未を見つけたのは乃木坂46第一期最終オーデション。本人はこんな昔の写真やめて〜っていつもの調子で嫌がるかもしれないけれど、完全に、一目惚れだった。

わたしはこんなに綺麗な人を知らない。

綺麗は正義だ、美人は宝だ。そして橋本奈々未はそれを持ち合わせた女の子だった。

顔が整っているから黙ってるとクールビューティなんて言われてるけど、私が知ってる橋本奈々未クールだったことがない。ふわふわおっとりした雰囲気だけならどこにでも居そうな女の子握手会ちょっと変わったネイルをしていけば握手そっちのけでネイルの話をしたり、その洋服どこの?池袋マルイ可愛いー帰りに寄ろっかな。なんて話もした。自分が同じ土俵にたってるなんて考えるのも烏滸がましいけれど、橋本奈々未との会話はいつも友達との会話みたいだった。

から、ハマった。ずるずるずるずる。

橋本奈々未を思い出さなかった日はないし乃木坂46の歌を聞かない日はなかった。

握手会ライブテレビ収録も、そして同性だからこそできる橋本奈々未を創るキラキラしたものを真似るのも。

今日考えればわたしアイドル橋本奈々未じゃなく橋本奈々未というひとりの女の子が好きだったのだろうと思う。

だってこんなに美しい子好きにならない理由がない。

でも、橋本奈々未からアイドル性は感じられなかった。美しすぎてアイドルから得られる多幸感を感じることが出来ない。橋本奈々未から与えられるのは圧倒的な美だけ。全てを殴ることができる、美。橋本奈々未のことを考えると胸が苦しかった。

そして本人もそれは自覚していたんじゃないだろうか。自分アイドル天職ではないこと。

そして、橋本奈々未引退

散々話題になってるから橋本奈々未実家貧乏で弟の学費を払う為にアイドルになったこと、その学費の目処がついたか卒業芸能界引退することは乃木坂ヲタじゃなくても知ってるんじゃないだろうか。美談だとか嘘っぽいとか色んな意見感想がうずまくなか私は今月半ばに行われたの個握にいった。

それががわたし橋本奈々未に会った最後の日になった。もう握手会イベントも行かない。だって会えば会うほど辛くなるから

どこにでもいる普通で顔が整っているだけの女の子に戻ってしま橋本奈々未によかったねお疲れ様といいたい反面、わたしiPhone橋本奈々未フォルダはもう増えることは無いのだ。橋本奈々未と私の関係は終わった。わたしファンという立場から追い出される。いままで騙し騙し凌いでいた橋本奈々未のことが好きという感情の真理には真正からはどうやったって向き合えない。向き合ったら私の中の何かが崩れてしまうから、だからすべて思い出にする。わたし橋本奈々未が好きだった。

ありがとうななみん










この感情は恋だったのか?誰に問えば答えが出るのだろうか

それでもセクシャリティを超えられる日が私に来たら真っ先に思い出すのはななみんでありたい。

そう思う。

2016-11-28

焼き鳥を串から外して食べないで」と言った店主は経営者として失格

こちらの記事話題になっています

焼鳥屋からの切なるお願い


概要説明すると、

最近焼き鳥を串から外してシェアする客が多い。

焼き鳥は串から外すと風味が落ちる。

・だからから外さずに食べて!


これを見てオレはこの焼き鳥屋の店主は経営者としては失格だなと思った。

この人がどんなにいい焼き鳥を作っていたとしても経営者としては失格だ。

ブログジャンルが「社長」となっていたが「職人」にした方がいいんじゃないか?


そもそもどうやって食べるのかは客の自由だし、

そんなに串から外して食べられるのがイヤなら、

規約でも作って入店前に見せて同意できる客だけ入店させたらいいだけの話である。(そんな店行きたくないが)


それをグチグチ言うのは本当に気持ち悪いし、本当に腹が立った。


それと串から外してみんなでシェアするのは自然な流れなんだよ。

今はシェア時代。店主知ってるか?今は”シ・ェ・ア”の時代なんだよ。

Airbnbで家もシェアするし、駐車スペースはakippaでシェア洋服シェアオフィスシェア、他にもライドシェアとか子育てシェアなんかもある。

要は何でもシェアする時代なんだよ。

から食べ物シェアして当然の流れ。

それをわかってないのか?この店主は。


いか?この店主に忠告しておく。

時代に乗り遅れたら死ぬだけだぞ?


お前は潰れた町の本屋になりたいのか?


違うなら時代に合わせるのが経営者としての仕事なんじゃないのか?

から外さずにシェアできる方法を考えたらいいだけの話じゃないのか?

そんな方法が実現したら最高じゃないか


なぜそれをしない?

なぜそれを考えようとしない?


いか最後にもう一度言っておく。

時代に乗り遅れたら待ってるのは死だけだ。


よく覚えておくんだな。

2016-11-20

女の高すぎる自意識はどこから来るんだろう

女の不思議なところに、「若い時の異常な自意識の高さ」がある。

しかも、どーも、『若い時』だけらしい。

『老いたとき』は、さすがに、「身の程を知る」らしい。

  

これは別に女叩きでもなんでもなく、純粋に、異常だなと感じている。

若い女が優遇される』のは事実でも、『それに乗っかる』のは本人の判断だ。

『それに乗っかる』ってのは、ようするに、『老いた時の発言権は無くてもいい』ということを認めている。

じゃあ、乗らないよ。って女はそうそう居ない。

そういうのに乗っかかった発言ってのは、『若い時分だけ許される発言』だから、老いたら発言したこと自体が『調子に乗った言動』と認定されてしまうからだ。

  

しかし、最近はこれも違うらしい。

あいうのは、『作られたもの』だという主張がある。

例えば、キャバクラ高慢ちきな態度をとるのは、『そういう調子に乗った態度をとれるんだよ』という求人のためのアピールらしい。

女を集めるには、『キラキラ女子になれるよ』という釣り必要らしい。

げんに、キャバクラ求人に乗っている高いバックや洋服写真ってのは、どーも『借りてきたもの』らしい。自分のものではないらしい。

そういうのにつられるバカ女を釣るための道具らしい。

  

いやでもさ。

つられてるじゃん。

釣られてるってことは、そういう価値を認めてるってことじゃん。

  

本音では、調子に乗りたいんでしょうが

2016-11-17

見られるよりも見たいまじで

はてな匿名ダイアリーの『売れないジャニーズJr.を好きになった。』『ジャニーズjr.認知された感想』という記事を読んだ。

私は5年ほど前からあるジャニーズjr.応援をしている。好きになった当時は、私も彼も中学生だった。身の回りではTwitter流行りはじめた頃だった。ジャニーズjr.個人テレビコンサートについての出演情報ジャニーズネットなどには掲載されない。情報収集のために私もアカウントを作ったが、それでも今よりはずっと少ない情報、そして小さな財力でファンをしていた。

現在アルバイトで稼いだお金ほとんどをジャニーズに使う生活だ。現場のための費用以外にヲタク遊んだり飲んだりするお金やそのための洋服代なども含む。正直、リア友と話すよりヲタクとして知り合った友達と話す方が私は好きだ。リア友と話しているとどうしても共通の知人の悪口や噂話に発展してしまうことがある。面倒くさい。その点ヲタクと共有する悪口などといえば、よくある事務所に対しての文句自担が置かれている環境に対しての愚痴などが多い。少なくとも私の場合はそうだ。そうだった。真剣に悩んではいものの、こんな話をやめられないのもヲタクの性である

ところがここ数年で仲良くなった友達数名の中に、いわゆる「つよいヲタク」がいた。担当はそれぞれ違うが、一緒にいると現実を忘れられてすごく楽しいし、ヲタクとしても人としても尊敬できる人たちだった。ただある日突然、会話の中に「列」という単語が浮上した。私は足を踏み入れていない域だったのでその場ではふーんそんな世界もあるのねと会話を聞いていた。しかし、その場にいた私以外全員が経験者だった。話を振られてしまった私が「そういうの行かないんだ…」と白状すると、一瞬静まり返った。怖かった。そしてスルーされた。

別に、だからじゃあ次並んでみようとかは思わなかった。並ぶ理由がないと思っていたからだ。けれど、並ばなければ聞けない楽しい話や、ヲタクだけじゃ予想しきれない次の現場についての話などもたくさんされるようで、少し悩んだのも事実だ。私は今の担当担当して5年経つが、そういった世界に足を踏み入れていないばかりに、最近好きになった人より私の方が彼のことを知らないような気がしてきてしまって、少し悲しくなった。担当歴が長い方が偉いなんて思ったことはあまりない。けれどそこで、なんだか少し悔しくなってしまった。

私が、応援しているjr.に求めてるものって、そういえばなんだっけ?

「見られたい」わけではなかった。なんなら私は自分顔面に恐ろしく自信がないのでできるだけ見てほしくない。彼の目にはキラキラ輝くペンライトと彼の名前が貼り付けられたうちわだけ入ってくれれば幸いだった。同担拒否というわけでもないので、彼が彼のファンに対しファンサをしている姿も好きだし喜んでいる彼のファンの子の姿を見るのも好きだ。たまに、私がその立場になってしまう時もある。正直、超うれしい。にやけてしまったり驚いたりしてしまう私の反応を見て楽しんでいる彼を見るのも大好きだ。書いていて、すごい矛盾してんなって思った。

私は、見られたい<見たい派だなと気づいた。どんなに近い席で入っても、バックを務める彼はどうしてもメインや他のjr.に被って見えなくなってしまう時がある。私はいつもそれが耐えられない。いるのに見えないのが耐えられない。だから、近すぎず遠すぎない距離を選ぶようになった。

そんなこんなで、5年という少なくはない期間、特定jr.をそこそこマメに追って来た。が、おそらく自担には認知はされていないだろうなと思う。(その周りのjr.やメインのタレントには認知されてしまたかなと感じるタイミングはある)

ファンレターは1度だけFC宛てに出したことがある。担当になった当時だ。好きになった理由やこれから応援したいんだというような旨の文章を書いた記憶があるが、なんせ中学生だった自分が書いた拙い文章だ。正直思い出したくもない黒歴史匹敵する。それ以来書いていない理由は、書こうとしても単に伝えたいことが「大好きだよ!」「応援してるよ!」以外に毎回見つからなかったかである。もともと、私は彼の自己プロデュース力に惹かれたのだ。そのため、「こうしてほしい・こうすればいいのに」という私の感情Twitterに吐き出したりたまに雑誌はがきを送ったりすればもう充分だった。なんだかんだ最終的には彼を信頼したいのだ。

私は妙に、自らの応援スタンスに潔白さを求めてしまう。チケットを定価の10倍以上で買うこともあるが、もうそれはその時の自担を見るためには仕方なかったと思い、割り切っている。

例えばEXではカンペ公式ペンラ以外使わないだとか、少年収で持つうちわは1本だけとか、本当にそういう変なところにこだわってしまうのだ。くだらないなと思うかもしれない。自分でも思う。相変わらず矛盾もしている。自担jr.の中では人気がある方だと思っているが、予測しきれない現場がなくなったわけではない。そしてなんとなく知る手段も知ってしまったわけだが、この性格のせいかそれを使う気にはなれないのだ。知りたいのに、踏み出せない。

少し考えて、そこまでするのがヲタクなら、私はヲタクじゃなくていいやと思った。

ヲタク友達から赤裸々な色々な話を聞くのは勉強にもなるしやっぱり楽しい。けれど、私がそこに足を踏み入れる勇気はまだない。

踏み入れれば、もう少し彼のことを知れるのかな。もっとみんなと色々な話ができるのかな。

私なんかの存在や感じたことを知ってほしいんじゃなくて、彼が思っていることを知りたいのに。

私なんかを見てほしいいんじゃなくて、彼のことが見れればそれでいいのに。

踏み入れれば、もっと深い闇を見ることになるんだろうな。

ヲタクって面倒くさい。

なのに、彼の担当はやっぱり楽しい

2016-11-03

二次元キャラに恋をして苦しいとき備忘録

これはネガティブな苦しさが勝ってしまってる人のために書いています

キャラから与えられる喜びと苦しみを差分したとき、「喜び」が多いとはっきり言える人はどうかそのままお幸せに。

自分は今まさに二次元キャラに恋をして苦しいのですが、目に見えて不健康になったのでこれはいけないと思い

感情の整理がてらこれを書いているところです。

以下は私が二次元キャラに恋をして苦しいという状態を脱するためにあれこれと試した備忘録です。



・恋する二次元キャラを増やす


できることならこれが一番手軽でマイルド解決である

恋を止めるのではない、というところがポイント

推しは変えるものではなく増やすもの、と指原莉乃が言っていたがまさにそんな感じで恋する対象を増やす

執着心を分散するのだ。

あなたが好きなキャラほど深く恋しなくても良い、おっぱい大きいな、とかイケメンだとか、そういう感じで気軽に好意を持っていこう

人間の脳というのは二つのことを「同時に」は考えられないらしいので、恋をしている時間はそのまま、対象をすり変えてしま作戦である

同じ作品よりは別の作品二次元なら三次元などガラリと変えてしまうとより克服しやすいが

こればかりはその人の哲学もあると思うので調整してほしい


・恋心を信仰心に変えてみる


恋と信仰はすごく近いところにある、というのが私の二次元への恋愛遍歴で知った事実である

そして信仰心というのはすごくポジティブものである生きる力をくれるのである

今まで「あ~○○がかわいい、好き、キスしたい」だったのが

「あ~○○がかわいいこの世界は美しい、この美しい世界に生きてる私は幸福だ」

となってくれる

ただしこれは、シンプルに好きな気持ちをこじらせてしんどい人にはたやすいし、オススメだけど

劇中でキャラ恋人が出てきてしんどいというタイプは、その恋人ごと神聖化しないとたどり着けない場所である


筋トレをする


筋トレによって快感物質放出されるので気分が良くなり、軽度ならば「なんでこんなことで悩んでたんだ」となれる

重症でも「筋肉だけは、自分を裏切らない」という錨を心にもつことで、立ち直るための最初の一歩を踏み出せる

あと、恋に苦しんで重症ってのは原因が「考えすぎ」なので、筋トレに集中して物理的に考える時間を減らすことで緩和する効果もある


現実に目を向けてみる


掃除料理など、やるべきことがおろそかになってはいいか

話題映画洋服を買ってみる、美容室ヘッドスパを申し込んでリラックスする

英語勉強をする、絵の練習をする、ダイエットする、などなど、自分価値をあげるのも効果的だ

とにかく手をつけてみることで、すいすい時間がたって、恋のことを考えている時間が減っていることはよくある



ここまで書いてなんだけど、私はやっぱりまだだいぶ重症なことわかった

キャラ好きな人がいるような感じで、置いていかれると怯えてるんだよね

置いていかれるってなんだよそれ頭大丈夫かって感じだけど、心の状態性格にあらわすとそうなる

あとそのキャラが唯一無二でそれをなくすと全部終わりだみたいな二元的思考にもなってる

そんなことないのにね。馬鹿だよねえ

2016-10-26

ゴリラキラキラスイーツ(笑)社会への適応日記

まずはじめに、とんだ場違い愚痴であることを謝罪させてくれ。

愚痴垢は所持しているものの、「やだ…知らない人たちに私の恥ずかしいとこ見られちゃってる…っ!」な気分を味わいたいだけだ。

ほんとただそれだけだから、この時点で「こいつ無理だわ」と思ったらブラウザバック→スルー推奨。

これだから女は…な男もとりあえずブラウザバックしてオナニーして寝とけ。




ツイッターで今まさに経験していることなのだが、

私はそこらへんにいる一介のゴリラだ。

そんなゴリラが、好きな洋服ブランドが同じという繋がりで、キラキラスイーツ(笑)ツイッタラーたちと繋がることとなった。

相手左手の薬指にリングをつけている。こっちは推しの陰茎の根元に射精管理用のリングをつける日々を送っている。

もう本当に文明が違う。生きてきた環境が違う。


そして感じたのだが、ゴリラスイーツ(笑)たちとはツイッターの使い方の認識がはなから違うらしい。

スイーツ(笑)たちのノリにゴリラはついていけねえ。

ぽつり…と呟いた独り言ツイートにも「わかる!私は○○で〜…」などと聞いてもいないのに自分の話をし始める。

お静かに願います黄色バナナの内側には入らないでください。幅50mくらい引き伸ばしておきますね。

50のいいねより1のリプライの方が大切らしい。うるせえいいねがつくだけありがてえと思え。

常に誰かと誰かが社交辞令丸出しの長文リプライ飛ばしあっている。TL埋まるやめろ。

旦那」「相方」「彼氏さん」うるせえこちとら喪女ゴリラなんだよ!!!


スイーツ(笑)は、常に誰かと絡んでいたい馴れ合い巣窟みたいなツイッターの使い方をしているようだ。

馴れ合いなら顔本いけよ。ツイッターは呟くところだ全部独り言だ。用事があるならリプ飛ばすわ。

というか常に誰かとお喋りしてないと落ち着けないこいつらなんなんだ。マダム井戸端会議か。小学生連れションか。

ジャングルで生きてきたゴリラは、リプライを送る=部屋のドアにノック くらいの感覚だと思っていた。

今や常に誰かから

トントントントン!ヒノノニトン!じゃあね!バタン!

トントントントンワシントン!じゃあね!バタン!

とクソノックを繰り返される日々だ。(当然だが例えだ。これくらい内容がないようなんだ)

感覚の差なのか、やめてくれ。

ゴリラも一応社会適応する技術練習中なので、送られてきたクソリプを無下にすることもできず、

「そうですね✧‎\\ ٩( 'ω' )و //✧」とスイーツ(笑)擬態しながらリプを返すのである

もう疲れたゴリラ適応できない。バナナ食う。美味しい。




そうだ、ミュートしよう。アカウントを分けよう。そうしよう。

2016-10-23

http://anond.hatelabo.jp/20161017210031

乗っかって、自分語り。許して。

 

さいころはピンクとかリボンとかスカートとか大好きだったのが、小学生になって自分がブスだと気づいてしまい、以来スカートワンピースリボンピンク等々は封印していた小中時代小学校高学年でオタク発症したのもそれに拍車をかけていた。高校遠足修学旅行私服がいやだった。というより困った。高校の友人の中には、髪を染めてみたりピアスを開けてみたりマクドナルドアルバイトしたり体育祭では男子と手を繋いでお姫様抱っこをしてもらうようなダンスをしたりするようないわゆる「フツウの女子高生」な子もいたので、遠足前にはそのような子と一緒に買い物に行くこともしたけれど、ブスダサオタクはそもそも服が似合わないのだから何の意味もないのだった。

 

ボーボーの眉毛、一重の厚ぼったいまぶた、たらこのような唇、ぱんぱんのほっぺた。

伸ばしっぱなしの真っ黒剛毛、所狭しとはびこる無駄毛、ニキビだらけの顔。

ごわごわの肌、地黒の肌、へたくそ笑顔

プリクラで盛られないレベルのブス。(当時のプリクラはおよそ今のそれほど盛り盛りではなかったし、ほぼ写真に近かったけれどそれでも多少は可愛く写るものだ)

下校途中、他校の男子高校生にすれ違いざまに「うわブス!」と言われるレベルのブス。驚かせてごめんよ。

 

私の場合、「ブスダサオタクからおしゃれしちゃいけない」という強迫観念よりは「どーせブスダサオタクだしセンスもないし、つまりもし仮に多少は可愛くなれるとしても限度はあっという間に来る上に人並み以上に努力する必要があるわけでしょ、やってられっかめんどい」という、人になる努力<ブスでいる楽さを選んでいた節はある。-100を努力で0にしたところで0は0だし、そもそも普通の人は10努力10が手に入るんだからずるい。やだ。めんどくさい。というわけだ。

諦めというか、言い訳がましい。

それでも、そんな時間より漫画を描いたり読んだりする時間のほうが圧倒的に大事だった。平面に在る美しさが美だった。

 

転機がどこだったかは、はっきりとは覚えていない。多分、男性アイドルにはまって、コンサートに行くようになって、三次元の美しさ・可愛さを見るようになったせいだと思う。アイドルは総じて可愛いしかっこよかった。ちょっとおへちゃだったりぶさいくだったりするところも含めてだ。そこでおそらくは、私の中の美に対する概念が変わったのだ。

あと、アイドルを見る女の子たちも可愛かった。

コンサートへ行くにはおしゃれをするのが通例らしいと知り、別のアイドル好きな大学の友人に連れられて好きなメンバーカラーワンピースを買ってみた。褒められたし、その色がとても似合うと言われた。基本的単細胞なので、それに気を良くしてコンサートのたびにその色の服を新調した(これが紫だったので今思えば大変扱いにくい色の服ばかりよく集めたなそして着ていたな!と思うがそのあたりはアイドルオタクの性なので何も言えない。もっと扱いやすい色の人を好きになればよかったのに、なぜよりによって紫だったのだろう…)。その色を着慣れると、今度は「そうか君は濃い色が似合うんだね」と言われ、そうかと気をよくして赤だの青だのいきなりビビッドな色を取り入れ始めた。おしゃれし慣れていない人間ビビッドファッションなど、今思い出してもおぞましいけれど、とにかく「似合う(らしい)色」を言ってもらえて楽しくなって、せっかくならいい感じに着こなしたいと思ってファッション雑誌に手を出した。

With2007年2月号。なんとまだとってある。

ファッション誌には、服だけでなく、化粧品メイク方法特集も載っていたからそれに乗せられ、大学に入って2年ほどしたところでやっと毎日のお化粧もするようになった。派手色趣味と一重コンプレックス反動が相まって、カラーシャドウと極太アイラインでギラギラだった(当時アイプチはそこまで流行していなかったように思う)。できあがったのは、勘違い派手派手オタクブスだった。それでも、楽しかった。今思い出しても、恐ろしいけどおぞましくはない。楽しかった。

 

それから紆余曲折を経て、一重コンプレックスは根強くいまだにアイメイクは濃いものの、気づけばダイエットもなしに高校時代から10kgほど痩せ、メイクファッションビビッドカラーの使い方はある程度覚え、職場では一応人間の扱いを受けている。

新しいコスメ用品を買うのは楽しい。新しいお洋服を買うのも楽しい。お風呂上りにパックをするのが楽しいすっぴんから化粧を施して、いまだに一番慣れなくて苦手でへたくそヘアスタリングちょちょいとやって(でも頑張るとたまに褒められてまた嬉しくなる)、昨日買ってきたお洋服なんかに腕を通すのは、とても楽しい

痩せた分容姿をほめられることは増えたけれど、心の中では「いや目が覚めるほどのブスなんで」と思っている。周囲にあんまりイタリアンな感じの人が男女問わずいから、たまに勘違いして「私結構いけてるのかも??」なんて思っちゃいそうになるときもあるけれど、結局毎朝鏡を見ては「…おう、目が覚めるほどのブスとはこのことだな……」と思いながら顔を洗っているので勘違いしきれない。残念。

それでも、楽しい

人生のどの時間を切り取っても総じてオタクなので、いわゆる世間の可愛くて綺麗でセンスもよくておしゃれなフツウの女性とはまったく別の生き物なのは分かっているのだけれど、自分可愛いと思ったものを買って、身につけて、それを誰かが可愛いと言ってくれて(もちろんその「物」を)、言ってくれなくてもまあ別に私が可愛いと思って買ったんだしちょっと変でもまあいっかー劇的に変だったら誰か何か言ってくれるだろうで済ませて、それで働いてまた自分可愛いと思ったものを買う。可愛いと思ったものを少しでも可愛く身につけるために、パックしたりマッサージしたりする。楽しいんだな、これが。JKがおばちゃんに次ぐ強キャラなのは認めるけれど、私は明らかにJKより今が楽しいです。よく「人になる努力<ブスでいる楽さ」な精神が首をもたげるけれど、

今はブスでいる楽さよりも、人になる努力のほうが楽しいので、必要最低限の、苦にならない程度の「人になる努力」はしていこうと思える。-100を0にする作業も悪くない。深海から水面に上がってくる感動は、きっと空を飛ぶより大きい。

果たして0になれているのか、水面まで上がれているのかは分からないけれど。(多分なれていないし、上がれていない)

2016-10-18

子供を産む人生と産まない人生、どちらがよかったのかな

高校卒業後すぐに就職した会社の同僚、Mちゃんの話をさせてほしい。

Mちゃんと私は、県立の商業高校卒業して自動車部品関連の会社就職した。

高校時代のMちゃんとの関係性は、友達の友達くらいの間柄でそれほど深い関係ではなかったものの、就職後すぐに仲良くなった。

彼女はとっても美人というわけではないけど、ブスでもない。おしゃれと洋服が好きな70点くらいの女子だ(因みに私は20点くらいのブスな女だ)

私たちはいつも一緒に居た。

彼女は明るい容姿とは裏腹にネガティブで、そこが当時無駄ポジティブだった10代の私と引き合った。

業務内の宿泊を伴う研修は必ず2人で行っていたし、慰安旅行でもいつも一緒だった。仕事帰りに定期的にお茶をしたし、先輩を交えてご飯に何度も行った。

取るに足らない無駄話や妄想話を何時間も続け、とても楽しかった事を今でも覚えている。

私たちはいつも一緒に居た。

ただ、私は思う。Mちゃんは友達ではなかった、と。

Mちゃんと一緒にご飯に行っていた先輩は後に友達になれた。それなのに、Mちゃんとは最後まで友達になれなかった。

Mちゃんとの距離が離れていったのは、Mちゃんの結婚きっかけだった。所謂おめでた婚である

私とMちゃんの共通の知人の弟とMちゃんは結婚した。

MちゃんとMちゃんの旦那と私は同じ年で、セッティングされた飲み会で知り合った(因みにその飲み会一言で称するとクソ)

Mちゃんはその時旦那を好きになり、数か月後めでたく付き合うことになった。

告白からの初セックスの流れを事細かに説明してくれたMちゃんの恥ずかしそうな顔は忘れられない。おかげで雨の日にタクシーに乗ることを数年間拒否したほどだ。

結婚式にも一応参列した。少しお腹が膨らんでいたものの、Mちゃんは純白のドレスがとても似合っていた。おめでとう、と当時の私は声を発せたはずだ。

Mちゃんは綺麗で、とても幸せそうに見えた。

ビンゴの景品でコンドームと精力剤が当たるような2次会を終え、私は帰宅するためにタクシーに乗った。見知った街並みを眺めながら、タクシーの中で声を殺して泣いた。

しかったのだ。結婚できない自分が。何かの烙印を押され、欠陥ができてしまったような自分が許せなかったのだ。

今となってはお笑い草だが、あの頃は結婚できない自分か最下層だと思っていたのだ。

結婚さえできれば、人間的に評価される。結婚できない自分は不出来であると。我ながら、小さな世界しか生きていなかったと今なら思える。

ただ、その頃は全く思えなかったのだ。

結婚式から数か月後、Mちゃんから子供が産まれたとの報告があった。悩んだが、仲良くしていた先輩と一緒に赤ちゃんの顔を見に行くことに決めた。

地元から車を飛ばして数百キロ、1DKの荷物が多めのアパートの一部屋にMちゃんと子供がいた。

キラキラネームを多少かすったような女児名前を伝えられ、口にするたび澱が溜まっていくように感じた。

決して子供が嫌いとかそんなことではない。子供に害はないのに、Mちゃんの子供というだけで何だか存在不快のものになった。

子供を抱いてみるか、と言われやんわりと拒否をしたのは、赤ちゃんという物体への恐怖心だけではなかった。

やわらかさやあたたかみに触れて、自分がちっぽけでみじめな存在だと再確認したくなかったからだ。

そして子供を産み、多少ふっくらして母となったMちゃんが心底羨ましく思えたのだ。

そうだ。羨ましかったのだ。

結婚出産自分には叶わない事をMちゃんはいとも簡単に手に入れた事に。

赤ちゃんを見に行った数日後、Mちゃんから来た御礼メールに返信をしてそれ以降Mちゃんとの連絡は暫く途絶えた。

それから約7年の月日が経つ。

その間、私には色々変化があった。

まず地元を離れ、首都圏に移り住んだ。様々な仕事転々とした結果、現在は在宅で仕事をしている。

まだまだ雀の涙くらいの収入だが朝晩の通勤ラッシュと煩わしい人間関係から解放されることができ、とても快適な毎日だ。

そして数か月前、1年半同棲していた彼氏結婚をした。7年前の私だったら結婚した事実だけでうれしくて死にたくなっていたかもしれない。

7年前の私に言ってやりたい。結婚なんて呆気ないよ、と。

あと、結婚しても大して何も変わりはなしないよ、と。

同棲から結婚だったし、結婚しても引っ越すことなく同じ家に住み続けているし、結婚式新婚旅行も互いの仕事の都合と飼っている2匹の猫と片時も離れたくないという理由でしなかった。

ついでにいうとイニシャルだって結婚前と結婚後、変わらない。

結婚に付随するイベントほとんど回避し、浮いたお金電化製品家具、寝具を一新した。

家に居ることが多い私は、お気に入りのものに囲まれながら猫と昼寝することを何よりの楽しみにしている。

からは、何度か孫の催促をされているが、やんわりと流し続けている。

おそらく、今後自分の子供は産むことはないだろう。

から、Mちゃんと同じ階層に立つことはない。

Mちゃんの情報は、周りから少しだけ聞いていた。

Mちゃんは第1子を出産した2年後、第2子を授かった。今度は男の子らしい。

旦那免許停止になり失職し、人に言えない仕事をすることになった結果「これまで経験したことのないような貧乏」に陥ったと聞いた。

どれほど貧乏かは知らないが、Mちゃんの父親公務員母親専業主婦という比較富裕層に属していたので、貧乏経験したことがなかったのだろう。

Mちゃんは寿退社した会社パート復職し、時給950円で頑張っているらしい。おそらく、いまも。

これから子供が大きくなるにつれ、養育費が更にかかるんだろうな。大変だろうな、ってMちゃんのLINEアイコンの中で笑ってる子供写真を見ながらふと考える。

LINEで一応友達登録をしているが、連絡しあったことは一度もない。ただ、ブロックはしていない。Mちゃんもブロックしていないので、Mちゃん家族の成長をLINEアイコン確認している。

お金には苦労するかもしれないけどしあわせでいてほしいな、と今ならそう思える。

子供を産む人生と産まない人生、どちらがよかったのかな。

これに関しては、まだ答えがでない。おそらく一生でないだろう。

子供を産む人生と産まない人生、ひとりで生きる人生と誰かと生きる人生選択するのは自分自身だ。

私は子供を産まず、誰かと生きる人生を選んだ。

後悔はしていない、今は。

あぁ、つらつらと書いていたらこんな時間になってしまった。

カレーでも作りながら旦那の帰りを待とうと思う。

人間機能拡張するモノ

ときに考えると楽しいよ。

靴:足

車:足

洋服:肌

ハサミ:手

電話:口、耳

マイク:口

眼鏡:目

http://anond.hatelabo.jp/20161018042701

検索たらこういうのが出てきた。面白いね。

http://www.f-biz.net/kiso01/kisotisiki009.html

みんな洋服に関しては個人のこだわりがないじゃん、というのは正しい指摘。

でもファッションって「こだわり」を持つのが難しい趣味なんだよね。

たとえば映画漫画密室趣味から個人のこだわりをとことん追求できるけど、ファッション密室じゃなく公衆晒す趣味なので、とことん追求するのが難しい。

奇妙な映画をどれだけ見ても基本差別はされないが、奇妙な服を着ていると差別されることがある。

私は流行空気を読んでみんなに合わせるファッションより、こだわりを持った格好をしている人が好きですね。

服の流行ってどうやって出来るんだろう

眠れないのでくだらないこと書く

流行、例えば最近…といってももう一ヶ月くらい前か?君の名は。シンゴジが流行っていた。これらが流行っていた理由はなんとなくみんな分かるだろう。1.映画の質が万人が満足できるものだった2.題材、美術音楽などどこかに誰かの心を惹くものがあった3.監督がわりと有名かつ作品の質において信頼性の高い人だった…大方こんな感じだと思う。この質でこの題材である程度話題にならなかったら嘘だろ!?と思われる映画達だったように思う。色んな人がネットでもリアルでも話題にしていた。

さて、服の流行…なぜこの服が流行るのか、映画と一緒の理由に当てはまるだろうか。

服には詳しくないのだが、だからこそ当てはまらないように思う。

例えばレギンスというアイテムはアレは夏でも生足を隠せて、しかも空調で冷えた足にも良いなーみたいな感じだったのだが…今ではすっかり廃れてしまった。

かなしい。

他に例…例えばシュシュというアイテム。髪留めの一種である。なんか布がクシャクシャなって巻きついてる髪ゴムだと思ってくれればいい。

アレも手軽に可愛さを演出できて楽だぜと思っていたのだが…先ほどシュシュは数年前に流行ったアイテムと言われてしまった。かなしい。

テレビをたまにみ見ると「今年の流行はこのアイテム!」なんて言葉が飛び交っているように思う。しかし「今年の流行」は一体誰が決めているのだろうか?

自分は服に疎いのでトンチンカンなことを言っているかもしれないが、一般の人は「今年はこのアイテムが良い!質が高い!流行るだろう!」なんて未来予測して着ないと思う。では選ぶ基準は?

流行っているからなんとなく着る」「これを着ていればなんとなく浮かないだろう」「なんとなく傷付かない」…これらのなんとなくだと思う。なんとなくクリスタル

そこに機能性や機能美、デザイン性、などの確固たる選択基準…言い換えると拘りは無い。ただ皆「なんとなく」で選んでいるのだ。

ではそのなんとなく選ばせる基準がどこから作られるかと言うと…恐らく「これを売り出したい!」服屋とかメディアとかなのだろう。

「これを売り出したい!」を「今年の流行!」にしてしまう…のかもしれない。

…少し陰謀論めいてしまったと我ながら思う。ファッション陰謀論ちょっとここはマジ間違ったこと言ってると思う。

まあ只、漫画とかアニメとか小説とかゲームは、「流行っているからなんとなくこれは楽しむ」とか「テレビでよく宣伝してるから雑誌でこの漫画プッシュしてるからこの漫画面白いんだろう!」とはならないことが多い。これは洋服流行との違いだと思う。ここになんとなくはそこまで介入しない。

例え流行っていようと、自分に合わない作品は楽しめないって思った人もいるだろう。また、万人ウケしないけどこのような作品が俺は好みだ!という人もいたかもしれない。最後に関しては、雑誌で例えムリヤリプッシュしようとアンケートが低くて結局プロテクトが解けて打ち切られる漫画…というのもある。ここで言いたいのは2つ、これらは個人個人の確固たる拘り、選択基準を持っている人が多い。これらのコンテンツはなんとなくのゴリ押しでは人々にけして受け入れられないのである

でも服に関しては例えオタクじゃ無い方でも適当に、なんとなくで選んでいるように思う。選択基準がない、個人のこだわりもない、浮かなければそれでいい…。流行しているものが何故流行しているのか誰にも分からない。

そう思うと、「今年の流行アイテムはこれだ!」なんて言葉を聞くたび少し空虚気持ちになる。

流石に先のファッション陰謀論を唱えるつもりはないし、ここまで来て言うのもなんだが日本ファッション批判する気もない。私もなんとなく浮かなければなんでもいーやと思う人間からだ。浮いてない自信はないが。

私はただ気になるのだけだ。ファッション流行はどこから来るのだろう?

2016-09-27

須田慎一郎氏の講演会メモ。今のアベノミクスは「質より量」だそう。

須田慎一郎氏の講演会があって聞いてきたんだけど、いやあすごかったわ。プロはやっぱりすごい。

ツイートはするな言われたけど(もちろん冗談だと思うが)増田ならいいよね?国会にも出てるし。そこでプロはすごいと思った2点を話す。

政経の専門ジャーナリストすごい

自分政治経済にはそれなりに興味をもって接しているから、いろいろな経済の動向を知っているつもりでキーワードは抑えていたんだけど、ぼんやり認識していた部分をここまで分かりやすく端的に表すのは流石プロだわ。年間100本こなすらしいから、当然といえば当然だが。

納得したところ

と言うことであった。

正直、アベノミクスが第二弾になって、そういえば失敗失敗と言われている「トリクルダウン」が確かになくなった。その後、経済対策はばらまき系になった、と認識していたのだが、須田氏の見立てでは、新しいアベノミクス本質は、一般に、と言うか、少なくとも自分がは福祉政策だと考えていた一億総活躍社会の方にあると言う。

一人当たりの給与は伸びない。トリクルダウンが起きないのなら、そういった「質」の向上よりも「量」として、世帯収入を伸ばそうとしていると言う。

なるほどな、と思った。これは安倍首相が再三唱えてきた「イエ」を重視する姿勢にも沿っているし、なるほど分かりやすく腑に落ちる分析に思う。

今までぼんやりと考えていたことが、ひとまとめに繋がって腑に落ちた感じで、流石政経専門家だと思った。

これが政策として良いかというと色々と議論は有り、突っ込みどころとしては

などがあるが、これはこの日記本質じゃないのでとりあえず置いておきます

ヤクザ専門家じゃないんですね(途中でご本人もネタにしてたので)

時事問題講演会プロすごい

年間100件以上の後援会をこなすという須田なのだが、一番最初に掴みからはいって、枕の「やわらかい」話から始まる。

そこで、楽屋裏のような話や、親友と言う他のジャーナリストの方、さらにはこの金がなさそうな講演会のギャラまでネタにして、上手いこと話を混ぜていく。さらに受講者の年齢層や、反応などを見ながら話を組み立てて言っているらしい。

落語のつかみみたいな。

一応原稿っぽい話が入ったクリアファイルを持っているのだが、それを広げた形跡がない。パワーポイントなども使わない。ただ、前に立って喋るだけ。これは講談師落語家に通じるモノがある。トリクルダウン説明をするときちょっとだけ水を飲んで見せた以外、途中で水分の補給もせず、90分喋りっぱなし。

眠くなって眠っちゃうひとがでる、と言う講演会あるあるや、会場の人たちをちょっとずついじる姿なども、漫談家というか私はちょっと綾小路きみまろ氏みたいなプロ司会を思い浮かべた。

もちろん、内容は先ほど書き出してみて気づいたのだが、結構堅い話なのだ。きちんとガチ経済の話。それを引き込ませて、満足度の高い内容をやるというのは流石プロという感じである

また立ち振る舞いもなれたもの。100件もやってりゃそりゃもう、と言えばその通りなのだが、実った稲穂ほど頭を垂れるとはよくいったっもので、きちんと周りに配慮をしており、いすを引いてくれた係の一にちょっと挨拶をしたり、公演の最後には深々と頭を下げて回る様子なども、印象に残る。

そして講演が終わったら、のこって妙なことにならないようにさっと退くなども見事だった。

また、正直それほど大きな影響力のある寄り合いでは無かったし、おそらくギャラなどはネタになるぐらい安い(と言うか、半公的機関みたいな団体なのでめっちゃ安いはず。はてな話題になったら総叩きになるぐらい安いはず)のに、きちんと最後交流会まで出席していくのである

いやあ、そもそも顔が怖いひとだから、ひとよりきちんと丁寧に礼節を尽くしてこないと誤解される感じだったのかなとか余計な事まで思った。俺もそう言う感じなので見習いたいと思う。

結論

プロってしゅごい。

実は予習で須田氏の本を買って読んだのだが、おそらく客層で変えてきたのでずいぶん印象が違い、「需要に応える講演」って自称されていたけど流石だと思った。

惜しむべくは、自分はすでに電子書籍派であったため、買った本は裁断して自炊してリサイクルしてしまっており、サインをもらい損ねたことだ。つうか交流会出るとか思わなかった。こういうひとさっさと帰るイメージがあったのに。こんなことなら2冊買ってサインもらえばよかった。

2016-09-18

女の子から降りた日

部屋を片付けよう、と思って、何週間もかけていろんなものを捨てた。

洋服食器、果ては家具まで。

いらないものを捨てるのは別に苦しくなかった。

でも、ぬいぐるみを捨てるのはためらった。

愛着があるとか、呪われそうとかとはまたちがう。

私にとって、ぬいぐるみは「女の子」の象徴だったからだ。

大学に入るために東京に出てきて、一人暮らしを始めた。

都会の女の子たちはみんな可愛かった。

うちの大学の子達は特に、きゃあきゃあと高い声ではしゃぐ「女の子」な子達だった。

若くて明るくて可愛いをそのまま形にしたような周りの子が羨ましくて、彼女達の真似をしてみた。

パステルカラー可愛い服を着て、ピンクチークを塗って、茶色く髪を染めて。

彼女達が喜んで買うからキャラクターの小物も買ってみた。

ぬいぐるみは、その中の一つだった。

可愛くって、明るくて、ちょっとおバカだけど周りにとびきり愛されている友達ピンク色に囲まれた部屋にぬいぐるみをいくつも飾っていた。

田舎にいた頃、周りの友人達は垢抜けなくて、バイトもできない私たちは少ないお小遣いで地味な雑貨を買っていた。

でも、それがすごく楽しくて、みんなと街に出て買い物をするのが好きだった。

友人たちは、たくましくて、負けず嫌いで、愛されキャラとは言えなくても、私は彼女たちが大好きだった。

都会に出てきて出会った女の子たちは愛され上手で、身に付ける色はピンクと白。

部屋に飾るぬいぐるみは、彼氏とのデートで買ったものだそうだ。

キラキラしてふわふわした女の子はこういうものが好きなんだ、とぼんやり思いながら見ていた。

一人暮らしが寂しくなった頃からピンク色とぬいぐるみを真似してみた。

意外と女の子らしいんだねと言われて、少しだけ舞い上がった。

でも、私はピンク色もぬいぐるみ全然すきなんかじゃなかった。

そんな自分も、好きじゃなかった。

就職活動を始めて、大人にならなきゃという焦りから、まず服の色が変わった。

選ぶのはシックな色になって、だんだん服のラインスマートに変わっていった。

髪の色は当然黒で、チークは肌になじむオレンジリップ無難ベージュ

部屋のものが減っていって、寂しさを感じなくなった。

昔好きだった歌の「したいことが多すぎて散らかった狭い部屋 何から何まで捨てられたなら」という歌詞を思い出した。

ものを捨てながら、散らかっていた頃が少し眩しいと思ってしまった。

捨てて捨てて、最後に残ったぬいぐるみ

それを、明日の朝、捨てようと思う。

カラフルぬいぐるみを優しく袋に詰めたら、何だか悲しくなってきた。

多分、もうこの先では出会えない色。

心のどこかで、ずっと女の子でいられたらと思っていた。

でも、それが叶わないことは知っていた。

今は、それが叶わないことを受け入れられるようになってしまった。

私が憧れた女の子が言っていた。

本当はまだピンク色のスカートフリルブラウスを着たい。

でも、今は2コ下の後輩がそのポジションから

女の子を降りても、女と言うにはまだ私たちは未熟だ。

赤いリップ自然に笑えるようになる頃には、こんな寂しさも思い出になっているのだろうか。

2016-09-15

http://anond.hatelabo.jp/20160903225901

世の中の人間は皆うんこ支配された人生を送ってるんじゃないの?

私はうんこの出やすいご飯を食べて、

うんこを出すために運動をして、

うんこを滞らせないような洋服を着てるよ。

通勤の時は便意を我慢してうんこチャンスを逃さないよう各ポイントトイレ場所を把握してる。

そのトイレランク付けしてできるだけ良い環境トイレに入ることにしてる。

偶に好きな様に食べたり運動時間ロゴロしながら読書する時間に充てたいって思うこともあるけど

やっぱりツルッとうんこが出た時は爽快で至上の喜びを感じる。

そして2日も便秘が続いたら気分も鬱々として何をやっても楽しくない。

毎朝ツルッとうんこが出る限り私はこの生活を止めないと思う。

2016-09-10

http://anond.hatelabo.jp/20160909160400

それってお菓子洋服に関しても1000万の利益が出るくらい売れるって言ってるわけ?

それプラマイゼロっていうんだよアホかw

2016-09-08

面接落ちまくった奴の末路

http://www.iwata09.com/entry/blog1year

「いわタワー」は洋服を着る意味を考えさせる、そして提案できるブログにしたい。

ぼくは今月から、自らの手で本格的に服作りを始めます



仲間ならブログカレッジ責任とってやれよ。

2016-08-31

アニメ本編よりレビュー面白い

NEW GAME!、第9話もおっさんたちの幻覚が炸裂しております

まだ彼らは過労死して全滅してはいないようです。先に逝った者たちを弔うためにも最終話まで観ましょう。

百合

いつものコウりん。きっともう、おっさんたちは婚期を逃したんだよ。

風邪くらいでりんが早退っていうのも社畜の叶わぬ願望ですが、りんの付き添いでコウも早退という展開は願望を通り越してSFですね。企業社会における物理法則無視しています

フリがありながらりんの着替えシーンがなかったのは、作画コスト(お洋服)が割けなかったからでしょう。唐突に挟まれるコウのシャワーシーンはその埋め合わせ、代償行為です。

銭湯シーン

童貞を殺すひふみんサービスサービスぅ〜

彼女の声、表情、おっぱいエロいのは平常通りですが、今回はシャワーシーンがヤヴァイ。

魔法少女変身バンクみたいに、下から螺旋状に舐め上げるようなカメラワークであのボンキュッボンが撮られるのですよ。

もう普通えっちぃ画ではおっさんたちの神経回路が持たないのだなぁ。

青葉ちゃんおトイレ着替えシーンも斬新なアングルでしたね。コンテ(おっさん)に天才がいる。

あと、お湯がリオ五輪プール並に緑色なんですけど、円盤では適切な透明度になるんでしょうかね?

ひふみんとはじめは良いとして(良くない(いや(・∀・)イイ!!))、青葉ちゃんとゆんが児ポ法Yesタッチ!しちゃいそうです。

随所に垣間見える現実

退社前の打刻、泊まり込み、仕様変更(おいやめろ)、終電があるから帰れる。

誰か早く助けてやれよ。

次回サブタイも魂に"""クル"""

正社員ってお給料を安くするための法の抜け穴……」

 

幻想文学としての一線を越えた感がありますなぁ。

三六協定裁量労働制あたりが経団連的には最終防衛線なのでしょうが、そのあたりは大人の事情うわなにをするやめ

2016-08-27

自分長所を引き出すヘアメイクファッション

30になってやっとわかってきて、とても楽しい


脚が短くてO脚なのに、ショートパンツスキニーに拘る必要はなかった

高めにウエストマークするワイドパンツか膝下スカートワンピース

長所である鎖骨や長めの首がきれいに見えるボートネックトップスをを着る

肩幅狭いのが目立つから流行Vネックは着ないこと


足がゴツくて細いパンプスは辛いから履かない

快適度の高いスポーツサンダルか、スニーカーローファー

小顔に産んでもらったおかげで、低身長でもハイウエストマークしてればヒールじゃなくてもバランスが取れる


猫っ毛、細毛、薄毛だから手入れできないなら髪を伸ばさな

ショートにしてくせ毛を活かしたスタイリングにした方が垢抜ける


地味顔にいくら化粧を盛ってもケバくなるだけ

くすみやクマを完全に消し、透明感のある磨りガラスのようなハーフマットの肌を作って

目元はツヤ感重視のシャドウ、目の位置が高いから下まつげだけ少し盛る

チークリップはほんのり血色を足す程度良い


着心地の悪い物(スキニー化学繊維洋服)は着たり履いたりしなくなって、気分的にも楽になった


毎日楽しい

2016-08-26

物販の個人商店やってるんです。

ほとんどいいお客さまで感謝しきりなんですが、たまにちょっと寂しいなという方がいらっしゃいます


入店されて、無言でお店を見て回って、無言で出ていく。

別に何かのルール違反していないので、悪くはないんですが、なんか気持ちに引っかかるんですね。


コンビニスーパー商業施設テナントとかならなんとなく分かるんですが、

街中にあって扉を開けて入ってこられる、あまり大きくもない店内なので、

いらっしゃいませとか、迷ってるようなら、それに則した短いお声かけなどするわけですが、

まったく無言、無視で、顔をそらしている。


ゆっくり見たい人もいるのだし、自分洋服屋の積極接客辟易したことがあるので、

そういう方は放置接客がいいのだろうと思い、そうするわけですが、

何も買わず店を出るときに、ちらりと一瞥もなく、だいたい不機嫌そうな顔で無言で出ていかれる。

店への、そういう形でのダメ出しなのかもしれませんので、こちらも反省もしないといけないのですが。


そういう方が、後につながるかもしれないとも思うのだけど、覚えている限りで、その類の人がその後、来店されたことはない。

だいたい大人が多い。老人も子連れもいる。

若い人は意外と礼儀正しい。若いとこういう店に慣れてないだろうし、しょうがないな、という気もするので気にならない。

就職してもっと大人になったらまた来てね、という気持ちになります

外国人も大概礼儀正しい。出るとき目を見てニッコリしたりして。


これは別に悪いことじゃないのだけど、自分だったら「見るだけだけどいいですか」とか「お店見せてください」とか、

出るときには「どうも」や目礼くらいのコミュニケーションはとる。


実際そういうお客さまもいます。もうどんどん見てってくださいという気になるし、そう言う。

大人だなと思うし、買い物されなくても、良い人柄に触れたようでなんだかありがたい。

それが若い人だったりすると、別の感慨もあります

子連れの方がそういう方だと、お子さんに良い影響があるのではと思えます


ただなんとなく、ひと言、ひと素振りあるだけで、お互い円滑で気分がいい、と思うのです。

仏頂面で出ていくというのも心理的な防御作用のような気がしますが、お客様の方もそういう小さな緊張を感じる事もなく済みますし。

店側からお客様へ何か求めるというのは、批判も多いかもしれませんが、こういう考えは良くないでしょうか。

追記---------------------------------

・私は日本人です。書いてある通り、普通にコミュニケーションできるお客様の方が圧倒的に多いです。

ですから、筆者は日本の習慣を知らないようだから外国人だろう、日本にはこのような習慣がない、と言い切るのはやや飛躍と曲解かと思います

ちょっとしたコミュニケーションで互いが円滑なのはより良いですよね、という話です。

2016-08-18

社会問題としての広がる女装裾野

少し前に男の娘という言葉流行ったが、そのムーブメントは去ったように思われている。

http://matome.naver.jp/odai/2134149251375308901 『男の娘ブームです!』

http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/asaloon/1405243950/ 『男の娘ブームとは何だったのか

しかし僕はどちらかといえば定着したのではと考えている。ある一定市民権を得て、男の娘というジャンルムーブメントから離れて、女装、もしくは女装子という一段階上ステートとしてくくられたのではないかと思う。

少し近接してしまいそうなので先に断っておくことがある。

世間ではLGBTについて、ジェンダー課題について議論されているようだ。僕はあまり調べていないが、そのような特集がよくあるようである

心のことであるとか、様々な議論がなされているのだけれども、僕はもっと深いところでの事情があるのではないかと思っている。

ここではそのような課題について気論するつもりはない。

それでは何の話題なのかというと、性別境界曖昧になっているのではないかという疑問が主題である

若い人はセックスをしないというけれども、データでもそれは少しづつ出てきている。

http://matome.naver.jp/odai/2142314033149402301 『草食系絶食系へ退化?若者セックス離れが止まらない!!』

http://saras-media.com/12982 『20代処女高齢処女が増加中?年代別・処女割合が明らかに』

調べ始めたのが最近だろうから昔のデータとの比較はできないだろうけれども、それでも肌感的にも自分は同じように感じている。

ただし、スーパーマジョリティー、スーパーメインな人たちというこれまで(もこれからも)メインカルチャーど真ん中にいる人たちが世の中の大部分を占めていることは間違いない。そしてそういう人たちは上記記事には当てはまりにくいだろう。

しかし、その傍ら、女装中性的、もしくは無性といった輪について、20年前であればスーパーマイノリティだったジャンルスーパーとはつかないマイノリティになってきているのではないだろうか。それこそ20年前であれば、人口比0.0いくつ%という数が、下手をすると予備軍を含めると1%台まで急伸しているのではないか想像している。(あくま想像範疇であることに留意されたい)

かといって、新宿二丁目の規模が100倍になっているかと言われればそれは違う。むしろ横ばいか、下火なのではないだろうか。

【最もゲイで溢れていた1990年代と比べると、目抜き通りは閑散とし、人通りは減っている[要出典]。異性愛者向けの店舗オフィス、そして異性愛女性の客が増え、ゲイタウンとしての特色も薄れてきている。(抜粋出典wikipedia : https://ja.wikipedia.org/wiki/新宿二丁目)】

2丁目はまた別の機会にきちんと調べる必要がありそうだが。

ここから先はほとんど僕の勝手想像上の物語だ。

そこでまた仮定になってしまうが、変身願望と十把一絡げにしてしまうのは間違っているような気がしないでもないが、女装は単純に化粧をして、女物の下着と洋服を履いて着て、オネエ言葉を使い、一時的女性の偽物になりたいのではないかと、考えてみた。また、現代女装において、ゲイ必須の項目でなくなったこともあるのではないだろうか。

自分に置き換えて考えてみる。(自分女装をする、限定バイセクシャルである

女装をすることに対し、一時的な非日常感を味わいたいわけではない、自分がそれでは継続的に留まるべき性であるという責任も持ちたくない。かといって、男性であることを意識したくない。体の良い逃げだとも考えられるが、そうすることで自律することを怖がる自分をなんとか支えているのではないかと思う。

たまたまかもしれないが、女装さんのフォロワーを見ていると、決して異性と上手に、もしくは世間と上手に渡っていけている人間が多いとは思えない。これは僕個人の一所感である

話は変わってしまうが、女装をしたいという人間が増えているような気がする。僕の過疎放送に来てくれる中にも、少なくない数の、女装をやってみたいんですがどこからやればいいかからなくて、という質問が寄せられる。僕は暦だけは長いが、何も教えられるようなことはないと思い、うまく言語化できないのだけれども。

これは、またあくま憶測しかないのだが、学校社会といったものとうまく馴染めない、もしくは馴染んでいるつもりなのだが、心ここに在らずといった、自分三人称視点で見てしま人間が、自分肯定する手段の一つとして、女装という選択をとったりするのではないだろうか。

昔で言えば一人でゲーセンスコアラーとかしていたような、もう少し最近ならヒトカラが好きな層、そんな人たちが、違う選択肢として取るのではないだろうか。

ゲーセンはあまり明るいニュースもなく、カラオケ自体も、以前に比べて減っているように思う。

その代わり、もうニコニコ生放送は古いかもしれないが、ツイキャスやショウルームなど、自分から少ない人間に発信できるメディアは、どんどん増えている。自己承認欲求をかむアウトすることはしないがインターネットならばさらけ出せるという人間が増えているのではないか

ユーストや、YouTubeなどと決定的に違うのは、コンテンツを作っていくのではなく、自身コンテンツとして売っていこうとしている点であろう。

これは、エロライブチャットとあまり違いはない。言い方は悪いが、安く身売りをしているのだ。

そうすることで、数字も伸び自尊心は保たれる。

これまで明言してこなかったが、女装する男性は、多くはヘテロセクシャルだと僕は考えている。女装同士は友達にはなれど、性的交渉相手ではないのではないだろうか。どの程度がバイゲイMTFノンセクシャルなのかはわからないが。今の所調べようがない。

想像するに、童貞というキーワード気づきをもたらせてくれるのではないかと思った。

女装をする人は、もちろん例外はあれど、ほとんどが独り身の男性である童貞ではなくとも、童貞感覚を持った人間童貞観念を捨てられない人間なのではないかと思う。自己愛が強く、他人から愛情を上手に受け止められない人が多いのではないかと思う。もしくは他人から愛情というのはデータ証明されるもの言葉や行動など)が伴わないと感じ取りにくいのではないだろうか。

脱線してしまった。童貞というキーワードを持ってくるには少し理由がある。

比喩として童貞を失うということは、大人への強制的な一歩を踏み出させるものではないかと思う。

また、僕が師事させていただいた教授が『日本という国は、年齢に比例するように年を取らなければならない社会である』というようなことを言っていた。そのように、すべての行動に責任を取っていかなければいけない社会なのである

もちろんこれは成熟した成人であれば、何を当たり前のことを、となるのかもしれないが、成熟した人間がどんどん減ってきているのだと仮定すると、(あえて厳しい言葉で書くと)未成熟人間が取るべき責任から逃れる方法模索してもおかしくないと考える。

責任というと、あまりにも重いものに感じるかもしれないのだけれどもうまいたとえが見つからない。

さて、そこで冒頭の性別あいまいになってきているという話である

この国において、終身雇用制度は終わりを迎えようとし、世界的に見ても賃金の低い国になりつつある。

そんな社会で生まれ持った持つべき男らしさというものから身を離そうとするのは不思議なことではないのではないだろうか。

嫁を取り、社会に貢献する義務を果たしたくないと思っても仕方がない。

かなり突飛な発想であることは意識しているが、あえてここでは上記のように締めくくらせていただく。

そのうえで、そのように責任を負いたくないモノと社会とがもう一度きちんとささあえあっていけるインフラ必要だと考えている。

それは産業であり、インフラであり、思想である

女装者が、女装者として生きていかなくてもよい社会づくりをするのか、女装者として生きても十分な責務を果たせる社会を作るのか、それはわからない。

ただ、こうあえて書いてしまう。

上記はれっきとした社会問題なのだ

2016-08-17

http://anond.hatelabo.jp/20160817195739

そう思うけど、具体的には何が違うのかわから無いんだから

わかって無いのと同じじゃん

みんなそう思うよな〜ってのはお前が裸の王様洋服を着てると思い込んでるのと同じ

証明でき無いくせにえらっそうな事ばっか言って調子乗ってんなよ雑魚

2016-08-10

http://anond.hatelabo.jp/20160810194942

•大きいゴミ箱

ゴミ箱満タンになった時の作業ガチでめんどくさい

•生ごみ処理用とかのゴミ箱

専用の匂いがしなかったり、虫がわかないようなもの

•部屋干し環境乾燥機付きの洗濯機

浄水器

集合住宅の貯水はウィルスやら細菌やらだらけでガチやばいらしい

洋服ラッククローゼット

本当に場所を食うのでなるべく何列もついてるのがいい

2016-08-04

http://anond.hatelabo.jp/20160804013006

ちがうよ、全然違うよ。あんたの服選びじゃ救われない人が多すぎる。本当に服装で悩んで試行錯誤したことがあるやつなら絶対そんな答えは出てこない。元記事の最大の欠点、それは「標準よりやせ形であまり汗をかかない」人しか想定していないこと。ここ10年くらい、日本男性ファッションは『細身できれいめ』のトレンドに縛られている。だから初対面の人から、「柔道部アメフト部、それとも砲丸投げとかやっていた?」と聞かれる俺みたいながっちり目で汗かきな人間には選択肢がなかった。元記事のような格好をしよものなら、ピチピチの服が汗でビショビショになってすごく悲惨だった。じゃあどうすればいいかって?答えはこうだ。

1) 仕事スーツシャツは仕立てる

ユナイテッドアローズ」や「ジャーナルスタンダード」のスーツを買う金があれば「麻布テーラー」で仕立てられる。費用を抑えたければ「PSFA」のイージーオーダーもあり。

2) 私服ジャケットズボン既製品を買ってサイズを直す

伊勢丹高島屋に入っているようなメンズブランドは大抵サイズ直しのサービスをやっている。肩幅や手の長さに合わせてサイズを直しても、2〜3000の出費で収まる。サイズが合うものを探して何軒もさまようよりも選択肢が一気に増える。ゆったりサイズ揶揄されるユニクロだって洋服のお直し屋さん的な店でで直せば驚くほど見栄えが良くなる。

3) 髪型

くせ毛だったり、汗っかきだったらワックスつけてセットしても、溶けたり崩れたりするので基本短髪に保つ。店は1000円カットでいいから最低月一通うこと。気になるなら2週間に1度でも良い。

4) 汗対策

下着は綿一択ユニクロのAIRismみたいな化繊だと大量に汗をかいた時に吸収しなくて臭いの元になる。あとは腋にはデオナチュレつけとけ。まじこれ最強。

以上、元記事で救われない人向けの修正版を書いてみたが、いかがだろうか。特にサイズをなんとかするには仕立てるか、直すしかない。今の日本メンズファッションマジで細身が多すぎるから

■追記

記事違和感を覚えたので少し気合い入れて書いたら何人かからブコメをもらえてうれしい。

いろいろ思うところがあるのでいくつか返信を書いてみる。

・悲しいけど、標準体重まで痩せるのは前提条件だと思うんだよね。綿素材最高なのは完全に同意だが、そんなに元増田と違うこと言ってる?

サイズ重要だっていうのは元増田同意。ただし、努力で何とかなる部分(腹をへこめるとか)とどうにもならない部分(骨格や汗かき、くせ毛等の体質)は分けて考えないといけない。どうにもならない部分が足を引っ張ってる人にはなんで最低限のことすらやらないのと小ばかにするのではなくて、別の解決策を提示することが必要なんじゃなかろうか?

清潔感ハードルどんどん上がってるなインターネット

そう、それこそが問題。平均からやや痩せ気味の人なら10の労力で手に入る清潔感も、標準から外れた体型、体質だと100の労力が必要だったりする。そして平均的な人から見れば必要な労力が全く見えないので無邪気な悪意をガンガンぶつけられる。そんなのおかしいと思わないかい?

ダサい人たちを救うべく脱オタテクニック提唱されてから10年超。それからというもの、元記事のように数か月周期でわいてくるどこかで見た上から目線ファッション指南。そろそろ俺たちはこのループを抜けて次の段階へ進むべきじゃないのだろうか?

蛇足

http://anond.hatelabo.jp/20160805213720

2016-08-03

洋服通販サイト

モデルさんが178センチ外人さんなんだが、一体誰の参考になると言うのか。160センチくらいの日本人にしてくれませんかね。

足の長さが違いすぎて何の役にも立たん。

2016-08-02

もう女の子ではなくなってしまった

もうすぐ30歳。自分としてはまだ可愛い女の子意識を引きずっているが、端から見るととっくに女の子ではないんだろう。

洋服を買う時も30歳が着て大丈夫ものか考えながら選んでいる。自分に何が似合うのかもいまいちからない。

若い時の方が太っていたから今の方が可愛いんじゃないかとか考えてしまう。自分客観視できなくて辛い。

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