高校卒業後すぐに就職した会社の同僚、Mちゃんの話をさせてほしい。
Mちゃんと私は、県立の商業高校を卒業して自動車の部品関連の会社に就職した。
高校時代のMちゃんとの関係性は、友達の友達くらいの間柄でそれほど深い関係ではなかったものの、就職後すぐに仲良くなった。
彼女はとっても美人というわけではないけど、ブスでもない。おしゃれと洋服が好きな70点くらいの女子だ(因みに私は20点くらいのブスな女だ)
彼女は明るい容姿とは裏腹にネガティブで、そこが当時無駄にポジティブだった10代の私と引き合った。
業務内の宿泊を伴う研修は必ず2人で行っていたし、慰安旅行でもいつも一緒だった。仕事帰りに定期的にお茶をしたし、先輩を交えてご飯に何度も行った。
取るに足らない無駄話や妄想話を何時間も続け、とても楽しかった事を今でも覚えている。
ただ、私は思う。Mちゃんは友達ではなかった、と。
Mちゃんと一緒にご飯に行っていた先輩は後に友達になれた。それなのに、Mちゃんとは最後まで友達になれなかった。
Mちゃんとの距離が離れていったのは、Mちゃんの結婚がきっかけだった。所謂おめでた婚、である。
MちゃんとMちゃんの旦那と私は同じ年で、セッティングされた飲み会で知り合った(因みにその飲み会は一言で称するとクソ)
Mちゃんはその時旦那を好きになり、数か月後めでたく付き合うことになった。
告白からの初セックスの流れを事細かに説明してくれたMちゃんの恥ずかしそうな顔は忘れられない。おかげで雨の日にタクシーに乗ることを数年間拒否したほどだ。
結婚式にも一応参列した。少しお腹が膨らんでいたものの、Mちゃんは純白のドレスがとても似合っていた。おめでとう、と当時の私は声を発せたはずだ。
Mちゃんは綺麗で、とても幸せそうに見えた。
ビンゴの景品でコンドームと精力剤が当たるような2次会を終え、私は帰宅するためにタクシーに乗った。見知った街並みを眺めながら、タクシーの中で声を殺して泣いた。
悔しかったのだ。結婚できない自分が。何かの烙印を押され、欠陥ができてしまったような自分が許せなかったのだ。
今となってはお笑い草だが、あの頃は結婚できない自分か最下層だと思っていたのだ。
結婚さえできれば、人間的に評価される。結婚できない自分は不出来であると。我ながら、小さな世界でしか生きていなかったと今なら思える。
ただ、その頃は全く思えなかったのだ。
結婚式から数か月後、Mちゃんから子供が産まれたとの報告があった。悩んだが、仲良くしていた先輩と一緒に赤ちゃんの顔を見に行くことに決めた。
地元から車を飛ばして数百キロ、1DKの荷物が多めのアパートの一部屋にMちゃんと子供がいた。
キラキラネームを多少かすったような女児の名前を伝えられ、口にするたび澱が溜まっていくように感じた。
決して子供が嫌いとかそんなことではない。子供に害はないのに、Mちゃんの子供というだけで何だか存在が不快そのものになった。
子供を抱いてみるか、と言われやんわりと拒否をしたのは、赤ちゃんという物体への恐怖心だけではなかった。
やわらかさやあたたかみに触れて、自分がちっぽけでみじめな存在だと再確認したくなかったからだ。
そして子供を産み、多少ふっくらして母となったMちゃんが心底羨ましく思えたのだ。
そうだ。羨ましかったのだ。
結婚、出産。自分には叶わない事をMちゃんはいとも簡単に手に入れた事に。
赤ちゃんを見に行った数日後、Mちゃんから来た御礼メールに返信をしてそれ以降Mちゃんとの連絡は暫く途絶えた。
それから約7年の月日が経つ。
その間、私には色々変化があった。
まず地元を離れ、首都圏に移り住んだ。様々な仕事を転々とした結果、現在は在宅で仕事をしている。
まだまだ雀の涙くらいの収入だが朝晩の通勤ラッシュと煩わしい人間関係から解放されることができ、とても快適な毎日だ。
そして数か月前、1年半同棲していた彼氏と結婚をした。7年前の私だったら結婚した事実だけでうれしくて死にたくなっていたかもしれない。
7年前の私に言ってやりたい。結婚なんて呆気ないよ、と。
あと、結婚しても大して何も変わりはなしないよ、と。
同棲からの結婚だったし、結婚しても引っ越すことなく同じ家に住み続けているし、結婚式も新婚旅行も互いの仕事の都合と飼っている2匹の猫と片時も離れたくないという理由でしなかった。
結婚に付随するイベントをほとんど回避し、浮いたお金で電化製品、家具、寝具を一新した。
家に居ることが多い私は、お気に入りのものに囲まれながら猫と昼寝することを何よりの楽しみにしている。
親からは、何度か孫の催促をされているが、やんわりと流し続けている。
Mちゃんは第1子を出産した2年後、第2子を授かった。今度は男の子らしい。
旦那が免許停止になり失職し、人に言えない仕事をすることになった結果「これまで経験したことのないような貧乏」に陥ったと聞いた。
どれほど貧乏かは知らないが、Mちゃんの父親は公務員で母親は専業主婦という比較的富裕層に属していたので、貧乏を経験したことがなかったのだろう。
Mちゃんは寿退社した会社にパートで復職し、時給950円で頑張っているらしい。おそらく、いまも。
これから子供が大きくなるにつれ、養育費が更にかかるんだろうな。大変だろうな、ってMちゃんのLINEのアイコンの中で笑ってる子供の写真を見ながらふと考える。
LINEで一応友達登録をしているが、連絡しあったことは一度もない。ただ、ブロックはしていない。Mちゃんもブロックしていないので、Mちゃん家族の成長をLINEのアイコンで確認している。
お金には苦労するかもしれないけどしあわせでいてほしいな、と今ならそう思える。
これに関しては、まだ答えがでない。おそらく一生でないだろう。
子供を産む人生と産まない人生、ひとりで生きる人生と誰かと生きる人生。選択するのは自分自身だ。
後悔はしていない、今は。