はてなキーワード: ゲイタウンとは
俺は公共の場でハッテン行為をしたことはないが、お仲間たちにハッテン場扱いされてる公共の施設を「社会見学」と称して冷やかし目的で利用すること、その利用中に実際にハッテンと覚しき行為を目撃すること、知人から公共の場でのハッテン体験談を聞くことは結構ある。
なので公共の場でハッテンするゲイの思考の一端を推測を交えながら紹介することで、元増田のブクマに寄せられてるノンケブクマカ諸兄たちの疑問に答えてみようと思う。
俺はそういう行為を実践してないし肯定もしてないしさっさと警察捕まれとも思っているが、そういうゲイのアングラな生態を大いに面白がってもいるので、こういうリテラシー低めの人間が無理な方はバック願います。あと当然ながら露骨な性描写も含む。
ゲイのハッテンにもグラデーションがある。アナルを使ってのバックプレイからただ互いの勃起を見せ合うだけのプレイまで、行為のハードソフトの濃淡もあるし、ラブな気持ちにも濃淡がある。
アプリで出会った2人が意気投合して、あるいは事前にリクエストして初ベッドからカップルのようにイチャイチャプレイすることもゼロではないが、基本ハッテンは「性処理」が目的で皆ドライなのだ。
例えば現場がトイレだと、小便器で互いの奮い立った逸物を確認したあと目と目で通じ合えば個室に籠もり、手や口を使って発射して立ち去るまでお互い一言も発しないなんてこともザラなんだそうだ。
そういう濃淡の淡のほう、サクッと抜きたいときにタイプの男の手や口を借りるだけ。その処理にわざわざ移動して金払ってラブホには行かないのだ。
あとハッテン場扱いされてる公衆トイレや一般銭湯・サウナに行くと指にキラリと光るものをお持ちの殿方が結構多い。いわゆる既婚ゲイ・既婚バイ諸氏であり、ゲイバレしたら困る人たちである。
既婚ゲイの秘匿・隠密行動度合いにも個々人でグラデーションがある。例えば後述の有料ハッテン場はゲイタウンじゃない繁華街でも雑居ビルの上階にひっそりあったりするのでバレ率はそこまで高くないから利用するが、ゲイ向けマッチングアプリは家族のスマホチェックや誤爆投稿、マッチ相手からの個人特定が怖いから利用しない、といったようなリスクの捉え方は人それぞれだ。
それでいうとラブホに男2人は現場押さえられたらもう言い訳できないのである、本人の感覚としては浮気でも本気でもなくただの性処理なのに。
だから外回り中の駅トイレや退社後の一般サウナ等、ノンケ男が出入りしても問題無い場所でそそくさとハッテンするのである。俺としてもそっちの方が通報されたときのリスクがヤベーだろどんな判断だよ!とは思っているんだが。
実際若い世代は真剣交際目的でもヤリ目でもゲイアプリやXのDMを駆使して出会っている、健全でよろしい。アプリ自体の普及もあるが、コロナ禍初期の行動調査や燃料費高騰による入場料値上げで若い子が有料ハッテン場から足が遠のいたのもアプリ全盛の一因である。
しかし同じヤリ目でも女子を落とすゲーム感覚だったり、多少タイプから外れていても女性器ついてれば興奮するからOKだったりするノンケ男子と違い、ヤリ目ゲイ男子は男の好みが細かいのである。ヤるだけなので収入や性格は無視して問題ない、要は顔とガタイとチ●ポの好みである。
マッチして顔とガタイとチ●ポの画像交換したあといざ待ち合わせしても、「おめー過去の全盛期のマッチョ画像送りやがったな!今ガチムチ通り越してピザデブじゃねーか!」ってこともしょっちゅうである。
そうすると互いに顔・ガタイ・チ●ポさらした状態で即マッチ即ハッテン出来る有料ハッテン場が楽チンすぎて恋しい……でもお金ないから頻繁には行けない……そうだ一般銭湯なら低価格で全部見放題!という思考回路に実際なるのかは、俺はもう若くないのでほぼ推測だ。ただそういう話をぼかしてジョークの体で語る20代知人はいる。
有料ハッテン場にも店ごとにいろいろ入場コードがあって、先ほど言及したプレイの濃淡の淡、ライトなプレイ専門の店も無くはないが、シャワー完備の店はアナルプレイ指向の客がほとんどで、手や口でサクッと抜きたいだけの人が公共施設なんて使わずお行儀よく出向いたとしても以外とマッチしづらい。
抱きたい・抱かれたい男たちからのバックプレイのお誘いを一回一回断るのもなかなかしんどいのである。(タチネコのポジションをロッカーキーのバンドをどこに付けるかでアピールするタイプの店だと、バック無し希望もバンドでアピールできる場合もある)
そしておそらくここが一番のポイントなんだが、全世代ウェルカムなハッテン場はそこまで多くないのである。
旅館業法の宿泊拒否にあたるからかどうかは知らないが、しっかりした個室で宿泊できるタイプのハッテンサウナは年齢制限がない一方、
クルージングスペースと呼ばれる、簡易なシャワー室と仮眠室(という名目のプレイエリア)だけあるタイプのハッテン場は、すぐヤれるノリの良い空気感を維持するため、来店頻度の高い性欲ギンギンの若い顧客のマッチ率や満足度を高めて利益をあげるため、大抵40歳以上の入場を制限する。
鍛えていて筋肉ムキムキなら多少トシいってても可のマッチョ専門ハッテン場なんかもあるがそれでも大抵40代までだ。ゲイのおっさんには若いゲイとサカる権利がないのである。
そしてゲイおじは当然全世代向けのハッテン場でもアプリでもハブられなかなかマッチしないので残る道は2つ。
1つは金で解決。ゲイ向け風俗、通称売り専のコア顧客層が50代おじになるのはこのためである。
もう1つはゲイ市場から抜け出す、すなわち公共施設でハッテンするのである。もちろん公共でヤる若いゲイにもタイプはあるしおじのモテ度もそう変わらないんだが、
ハッテン場の入場料ほどコストを払ってないし本番プレイでは無いぶん「サウナでオナニー見せ合うだけだし別にこのオッサンでもいっか」と妥協する子も稀にいるし(ヤリ目ゲイは好みが細かいという前段での話と多少矛盾してしまうが、プレイの濃淡で相手の許容範囲が変わる子はいる。痩せてるチビの巨●なら咥えてみてもいいが抱かれるのは嫌だとか)、
「トイレに籠もって何本咥えられるかチャレンジ」みたいなタイプとかオッサンとか関係ない変態趣味の子も極々稀にいるそうだ。そういう子をゲイおじはデマだらけの出没予告書き込みからモノホンを精査して日々ハントしているのである。
とはいえどんな理由があろうとも迷惑行為には違いない。ノンケ諸兄に迷惑かけない場でいちばんライトなハッテンがしやすい場所はどこだろう……脱ぎ系ゲイバーとゲイクラブイベントだろうか。自分はあまり出向かない業態なのでそれほど詳しくないが説明してみる。
脱ぎ系バーは下着一枚になった客同士が酒を飲みながら交流するゲイバーの形態で、店のコンセプトによって褌やケツワレ(ジョックストラップ、スポーツ向けの布面積少ない下着)等のドレスコード指定もあったりする。
服を脱いでゲイの心も解放する!のが主目的の健全なバーも多いが、広い店だとなぜかバーエリアの手前、ロッカーエリアの裏手に薄暗いダークルームがあり、そこに意気投合した2人が吸い込まれていったりする。
脱ぎ系クラブイベントも同様に下着一枚に着替えた客がクラブのフロアで踊りつつ、何故かフロア端の薄暗いダークエリアに消えていくスタイル。
もちろんバーでヤってもクラブでヤっても公然わいせつだし店側もはっきり「禁止」と告知してるのだが、要は「客同士が勝手にやってるだけで店は関知してないしサービスとして提供してない」のポーズのための告知で、現場はほぼお目こぼしされてる状態だし、過激を謳うクラブイベントだとフロアど真ん中、ミラーボール輝く下で尺八がおっ始まるのである。
妊娠の心配がないのと現在はおハーブも大っぴらには出回ってはないことから「風紀の乱れ」的な当局の摘発はないが、まあ本気出されたらしょっぴかれてもしょうがない乱痴気騒ぎだとは思う。
そしてここまでハッテンの舞台はすべて東京を想定して語ってきたが、地方の田舎はゲイ人口も少ないので当然有料ハッテン場も脱ぎ系バーもゲイクラブも商売として成り立たないから存在しないし、男同士でラブホに入ってるところなんか目撃されたら瞬く間に噂は広がり即死である。(繰り返しになるが公共施設でわいせつ行為を目撃通報されても即死の筈なんだがな)
そういう訳もあって公衆浴場でのわいせつ行為で逮捕というニュースは地方発のものが多い印象がある。(東京のローカルメディアが警視庁発表の同様の事件をわざわざニュースとして取り上げていないだけかも知れないが)
この10連休は、LGBTプライドウィークになっていて、今日は代々木公園でプライドパレードもあるらしい。
何年か前までは、自分(もしくは誰か)の環境を変える一助になればと思ってパレードも歩いたし、募金とかもしてたんだけど、ある時から急に行かなくなってしまった。
1番の原因は、LGBTムーブメントに近い場所にいると心底疲れる、ってことだったと思う。
同性愛者やトランスの人、結婚したい人、過激派の人、活動家の人、ゲイやオネエなどのコンテンツとして捉えてる人、真剣にセクシャリティについて悩んでる人、ファッションセクマイの人、性に奔放な人、アライの人、新宿二丁目(などのゲイタウン)で飲むのが好きな人...。
いろんな人がいて、そんな、いろんな人たちを理解したり、存在を認めたり、場合によってはスルーしたりする事でより良く共存しようね、みたいな感じがあったかくて嬉しかった時期もあったけど、気が付いたら全方位に過剰な気遣いが強いられていて、コミュニティでパワーを持ってる人にペコペコして、繊細すぎてすぐに暴れちゃうような人にヒヤヒヤしていた。
より良く共存するためには、ヒステリックに怒り散らす人に過剰に気遣いしないと輪に入れない雰囲気になっていて息苦しかった。
自分のカテゴリを示すために、パワーのある人や発言力のある人、顔の広い人気のある人、人脈のある人に嫌われないかヒヤヒヤしながらコミュニケーションを取り続けなければならなかった。
LGBTコミュニティに顔を出していた時期もあったから、生きにくさを感じている人も沢山見てきたし、そんな友人達にとって生きやすい世界をつくる活動(署名とか、募金とか、居るということを拒絶しない姿勢を示すとか)をやってきたけど、その「変えたい気持ち」を、LGBTコミュニティ内での"生きづらさ"が上回ってしまった。
差別発言をした人に対する激しい暴言とか、バイセクシャルはストレートに戻る論とか、いつ何時も色恋に目をギラつかせている人とかにも晒され過ぎて疲れちゃった。
状況がより良くなったり、選択肢が増えることは望んでいるし、セクシャルマイノリティに限らないマイノリティ(障害者とか)も少数派だからと虐げられることのないようになればいいとは思っているけど、そう思う気持ちがこれ以上削がれるような不快な場面に直面したくなくて、離れることを選択した。
「今までポリコレ棒で叩かれてたオタクがポリコレに守られてるわけねえだろ、反ポリコレになって当然だ」ってのは違うって。
「ポリコレがオタクを殴る」ってのは、ソフ倫の「近親相姦や獣姦禁止」とか、コンビニエロ漫画の「ランドセルやセーラー服は禁止」の方だよ。
駅乃みちか辺りの話は、「オタクが棒を所構わず振り回しだしたので、それで殴られるやつがいるからやめろ、と、棒を取り上げられた」って話なんだよ。
自分が持ってたはずの棒を他人に取り上げられたから、「あの棒で俺を殴る気だ!」って言ってるだけのことだ。
棒を振るなって言われたら「じゃあ、この棒はどこで振っていいのか。誰に向けてなら振っていいのか」をちゃんと突き詰めて、お互いに気持ちよく傷つけ合わずに好きな棒を振れる距離を見出さなきゃいけないのに、「その棒、こっちに当たりそうなんですけど」「じゃあ、もう棒振らない……」って逃げちゃうやつが悪い。
「そうか、この棒はお前の前髪掠ってるか。じゃあ、これくらい短めに持っておこう。代わりにあっちの空いてるスペースは、お前に当たらないから好きに振る」そういう話をちゃんとしていかなきゃいけない。
でも、「どこででも好きに棒を振り回していい」という状況に慣れきってた奴らは、それが出来ない。話し合うのがめんどくさい。というか、話し合う方法が分からない。
オタクは別に好きなように棒を振り回してない? むしろ、振り回さないように遠慮してた?
それは違うだろ。最近はちょっとマシになったけど、エロゲブーム末期の秋葉原はすごかったぞ。大通り沿いに平気でスジ晒した幼女のポスターが貼ってあった。
でも、それはそれで正しい(大通り沿いはどうかと思うけど)。秋葉原はオタクに特化した街で、そういう表現を好む人間が好んで集まる場所だから、そこではそれがメジャーなのだ。
そう、メジャー。秋葉原のノリはマイノリティのノリじゃなくてメジャーのノリ。
マイノリティがマイノリティとして、メジャーとの距離感を図る表現じゃなくて、メジャーがメジャーとして、それ以外の表現を駆逐する表現。だから、よそに持ち出した時に「お前、それはちょっと待てよ」と制止がかかる。
ゲイタウンでは、ムキムキマッチョが小さいパンツで股間をモッコリさせたセクシーポスターがいくらでも飾ってある。そういうのはゲイタウンの外では滅多に見ない(意味もなくビキニ姿な女性の広告はいっぱいあるけど)。
しかし、年に何回か、ゲイパレードではそういう人たちがみんなの前に出てくる。普段はみんなの目に触れないけれど、こう言うふうに暮らしている人がいます、という『自分の権利』を主張するために出てくる。
おネエタレントがいる。おネエと呼ばれる中には、ただのゲイもいれば口調が女っぽいだけのノンケもいるし、トランスセクシャルもいて、それが一緒くたになってる。
性転換手術済みのMtFでも、いっしょくたに「女みたいな格好したおっさん」として「きもーい」と扱われる。
「そう扱われるのは嫌じゃないですか?」というインタビューに「本当は女性タレントと同じように扱ってほしい。でも、今はまだそういう時期ではない。自分の次の世代からは変わっていくと思う」と答える。
隠れた場所で独自進化したものが外に出ていくときは、「どこまで受け入れてもらえるか」手探りで、全部を最初から受け入れてもらうのではなく、自己主張と融和を繰り返して「どこが中立か」を探っていくものだと思う。
それをせずに、いきなりどこででも秋葉原ノリで棒を振り回しだせば、「きもい!」と同じ棒で叩かれて当然だわ。
今までは意味もなくビキニ姿の女性のポスターが、街中のどこにでも貼ってあった。それは、そういう広告を出展するメジャー勢力であるおっさんが振り回してる棒で、その棒に殴られてた人が「すいません、今まで社会的立場が弱かったので黙ってましたが、もうそういうのやめてください」と言いだす。
そして、「少なくともビキニや下着姿である意味のない広告はやめよう」「そういう広告にするにしても、おっさんだけでなく様々な立ち位置の人に良い印象を与える表現にしよう」と『中立』を探っていく。
ビキニで胸の谷間を強調するポスターがどこにでも貼ってあったおっさんからすりゃ、窮屈で意味不明だろう。「女は露出して胸を寄せて男を楽しませるべきものなのに、なんで遠慮しなきゃならないんだ」って平気で言う。自分が振り回してた棒を取り上げられて、「みんなが俺の価値観を攻撃する!」と泣き喚く。
ビキニ姿の女性を、上司に無理やり酒を飲まされる若い社畜に変えても同じだよな。
ポリコレ棒はターン制ってのは正しい。棒を取り上げられたやつらは、その棒を取り戻してまた相手をボッコボコにしていく。
だから、これからはポリコレ棒を振り回してくるやつも全く容赦しなくなるだろう。お前らの息を完全に止めるまで、自分たちは棒で叩かれるって分かったわけだから。
少し前に男の娘という言葉が流行ったが、そのムーブメントは去ったように思われている。
http://matome.naver.jp/odai/2134149251375308901 『男の娘ブームです!』
http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/asaloon/1405243950/ 『男の娘ブームとは何だったのか』
しかし僕はどちらかといえば定着したのではと考えている。ある一定の市民権を得て、男の娘というジャンルとムーブメントから離れて、女装、もしくは女装子という一段階上のステートとしてくくられたのではないかと思う。
少し近接してしまいそうなので先に断っておくことがある。
世間ではLGBTについて、ジェンダーの課題について議論されているようだ。僕はあまり調べていないが、そのような特集がよくあるようである。
心のことであるとか、様々な議論がなされているのだけれども、僕はもっと深いところでの事情があるのではないかと思っている。
ここではそのような課題について気論するつもりはない。
それでは何の話題なのかというと、性別の境界が曖昧になっているのではないかという疑問が主題である。
若い人はセックスをしないというけれども、データでもそれは少しづつ出てきている。
http://matome.naver.jp/odai/2142314033149402301 『草食系⇒絶食系へ退化?若者のセックス離れが止まらない!!』
http://saras-media.com/12982 『20代処女や高齢処女が増加中?年代別・処女の割合が明らかに』
調べ始めたのが最近だろうから昔のデータとの比較はできないだろうけれども、それでも肌感的にも自分は同じように感じている。
ただし、スーパーマジョリティー、スーパーメインな人たちというこれまで(もこれからも)メインカルチャーど真ん中にいる人たちが世の中の大部分を占めていることは間違いない。そしてそういう人たちは上記記事には当てはまりにくいだろう。
しかし、その傍ら、女装や中性的、もしくは無性といった輪について、20年前であればスーパーマイノリティだったジャンルがスーパーとはつかないマイノリティになってきているのではないだろうか。それこそ20年前であれば、人口比0.0いくつ%という数が、下手をすると予備軍を含めると1%台まで急伸しているのではないかと想像している。(あくまで想像の範疇であることに留意されたい)
かといって、新宿二丁目の規模が100倍になっているかと言われればそれは違う。むしろ横ばいか、下火なのではないだろうか。
【最もゲイで溢れていた1990年代と比べると、目抜き通りは閑散とし、人通りは減っている[要出典]。異性愛者向けの店舗やオフィス、そして異性愛女性の客が増え、ゲイタウンとしての特色も薄れてきている。(抜粋出典wikipedia : https://ja.wikipedia.org/wiki/新宿二丁目)】
2丁目はまた別の機会にきちんと調べる必要がありそうだが。
そこでまた仮定になってしまうが、変身願望と十把一絡げにしてしまうのは間違っているような気がしないでもないが、女装は単純に化粧をして、女物の下着と洋服を履いて着て、オネエ言葉を使い、一時的な女性の偽物になりたいのではないかと、考えてみた。また、現代女装において、ゲイが必須の項目でなくなったこともあるのではないだろうか。
自分に置き換えて考えてみる。(自分は女装をする、限定バイセクシャルである)
女装をすることに対し、一時的な非日常感を味わいたいわけではない、自分がそれでは継続的に留まるべき性であるという責任も持ちたくない。かといって、男性であることを意識したくない。体の良い逃げだとも考えられるが、そうすることで自律することを怖がる自分をなんとか支えているのではないかと思う。
たまたまかもしれないが、女装さんのフォロワーを見ていると、決して異性と上手に、もしくは世間と上手に渡っていけている人間が多いとは思えない。これは僕個人の一所感である。
話は変わってしまうが、女装をしたいという人間が増えているような気がする。僕の過疎放送に来てくれる中にも、少なくない数の、女装をやってみたいんですがどこからやればいいかわからなくて、という質問が寄せられる。僕は暦だけは長いが、何も教えられるようなことはないと思い、うまく言語化できないのだけれども。
これは、またあくまで憶測でしかないのだが、学校や社会といったものとうまく馴染めない、もしくは馴染んでいるつもりなのだが、心ここに在らずといった、自分を三人称視点で見てしまう人間が、自分を肯定する手段の一つとして、女装という選択をとったりするのではないだろうか。
昔で言えば一人でゲーセンでスコアラーとかしていたような、もう少し最近ならヒトカラが好きな層、そんな人たちが、違う選択肢として取るのではないだろうか。
ゲーセンはあまり明るいニュースもなく、カラオケ自体も、以前に比べて減っているように思う。
その代わり、もうニコニコ生放送は古いかもしれないが、ツイキャスやショウルームなど、自分から少ない人間に発信できるメディアは、どんどん増えている。自己承認欲求をかむアウトすることはしないがインターネットならばさらけ出せるという人間が増えているのではないか。
ユーストや、YouTubeなどと決定的に違うのは、コンテンツを作っていくのではなく、自身をコンテンツとして売っていこうとしている点であろう。
これは、エロライブチャットとあまり違いはない。言い方は悪いが、安く身売りをしているのだ。
これまで明言してこなかったが、女装する男性は、多くはヘテロセクシャルだと僕は考えている。女装同士は友達にはなれど、性的交渉の相手ではないのではないだろうか。どの程度がバイ、ゲイ、MTF、ノンセクシャルなのかはわからないが。今の所調べようがない。
想像するに、童貞というキーワードが気づきをもたらせてくれるのではないかと思った。
女装をする人は、もちろん例外はあれど、ほとんどが独り身の男性である。童貞ではなくとも、童貞感覚を持った人間、童貞観念を捨てられない人間なのではないかと思う。自己愛が強く、他人からの愛情を上手に受け止められない人が多いのではないかと思う。もしくは他人からの愛情というのはデータや証明されるもの(言葉や行動など)が伴わないと感じ取りにくいのではないだろうか。
脱線してしまった。童貞というキーワードを持ってくるには少し理由がある。
比喩として童貞を失うということは、大人への強制的な一歩を踏み出させるものではないかと思う。
また、僕が師事させていただいた教授が『日本という国は、年齢に比例するように年を取らなければならない社会である』というようなことを言っていた。そのように、すべての行動に責任を取っていかなければいけない社会なのである。
もちろんこれは成熟した成人であれば、何を当たり前のことを、となるのかもしれないが、成熟した人間がどんどん減ってきているのだと仮定すると、(あえて厳しい言葉で書くと)未成熟な人間が取るべき責任から逃れる方法を模索してもおかしくないと考える。
責任というと、あまりにも重いものに感じるかもしれないのだけれどもうまいたとえが見つからない。
さて、そこで冒頭の性別があいまいになってきているという話である。
この国において、終身雇用制度は終わりを迎えようとし、世界的に見ても賃金の低い国になりつつある。
そんな社会で生まれ持った持つべき男らしさというものから身を離そうとするのは不思議なことではないのではないだろうか。
嫁を取り、社会に貢献する義務を果たしたくないと思っても仕方がない。
かなり突飛な発想であることは意識しているが、あえてここでは上記のように締めくくらせていただく。
そのうえで、そのように責任を負いたくないモノと社会とがもう一度きちんとささあえあっていけるインフラが必要だと考えている。
女装者が、女装者として生きていかなくてもよい社会づくりをするのか、女装者として生きても十分な責務を果たせる社会を作るのか、それはわからない。
ただ、こうあえて書いてしまう。
自分はアラフォーゲイだけど、まさに身内でもこういう話をして「RUSHなつかしい~」とか言って飲んでたところ。
RUSHなんて、二丁目や堂山みたいなゲイタウンとか所謂ハッテン場によく行く現在30歳以上のゲイなら、ほとんどの人が1度は使ったことあるんじゃないの?
規制前は、ゲイアイテムが置いてあるショップとかでフツーに売られてたし、セックスの際に使うアイテムとしてはかなりポピュラーだった。
例えば、エッチなお店に電動マッサージ器が置いてあったら、セックス経験のある男性なら使い方が書いてなくても何に使うかだいたい想像出来るでしょ?
それと同じように、当時のセックス経験のあるゲイなら、黄色いラベルの貼られた茶色い小瓶(=RUSH)を何に使うかだいたい想像出来るぐらい浸透してた。
もちろんゲイの全員が全員、毎回キメセクしてるわけじゃないけど、普段よりもう少し気持ちいいセックスがしたいぐらいの感覚で使ってた。
自分も例に漏れず、何度も使ったことがある。相手が持ってるのを使ったり、自分で買って使ってたりした。
規制されるって時も、これが無くなったらヤバいとは思わなかった。
例えるなら「体の相性バッチリだったウリ専の子が、お店辞めてヤれなくなった(ノンケなら風俗嬢とか?)」ぐらいの感覚。
規制後はあっという間に二丁目からRUSHは無くなったし、フツーにみんな使うのを止めた。
そして、急に止めたからと言って依存症に苦しむこともなかった。というか、そもそもそんな人見たことも聞いたこともない。
危険ドラッグって聞くと、ハーブ吸って危険運転して泡吹いて焦点定まらなくてラリッてる的なの想像するかもだけど…。
依存性がどうとか人格変わるとか、あんなテキトーなこと言ってるマスコミや専門家より、今でも二丁目で遊んでる40代のゲイに聞いた方がよっぽどRUSHがどういうものか知ってるよ。
もちろん、今使うことを肯定するつもりはない。ただ、大げさに報道されてるのが解せないだけ。
それにしても、性的好奇心が強すぎたのか何なのか知らないけど、RUSHごときで人生棒に振っちゃうなんて、アホというか不運というか哀れというか…。