はてなキーワード: 地銀とは
表題の審査過程で、あまりに腹に据えかねる扱いを受けたと感じた。
この記事を書く主な目的はもちろん憂さ晴らし。まあ、他の人にとっても何かの参考になればいいな、くらいの気持ちはある。
なお、正式審査申し込みからとうに一か月近くが経つがまだ結果が出ていないということもあるので、なるべく中立的に、感情的にならないように書くつもり。
30台後半、男
東京都に隣接する県に在住。
現在住んでいる家は5年半ほど前に買った持ち家(新築建売の一戸建て)。
しかし子どもたちが成長するに連れて、早くも手狭になってしまった。
言い訳をさせてもらうと、この物件を購入したときはある事情で物件をあまり選べなかったというか、限られた選択肢と限られた時間の中で住む場所を決めなければいけない状況だった。
その条件の中では最適な物件を選んだつもりだったのだが、いろいろ妥協した点もあったし、いつかはこうなる(手狭になる)ことは予測できてはいた。
それで主にネットを使って新しい家探しをしていた。
いい物件を見つけると不動産屋に連絡して何件かを内見したりしていた。
現在住んでいる物件を売りに出すとしたらいくらで売れるか、複数社に見積りをとったりもした。
結果、購入時の金額よりも高く売れそうということがわかった。控えめに見ても購入時と同じ金額で売れそうだという見積りだった。
築20年の中古戸建てだが、間取りや立地、金額などの条件がほぼ完璧な物件だ。
すぐに内見の申し込みをした。
複数の銀行に一括して仮審査を申し込めるというサイトがあったのでそこを利用した。
住信SBIネット銀行と、都市銀行一行、地銀一行を選んで仮審査の申込みをした。
地銀からは電話で連絡がきて、「新しい家の住宅ローンの融資実行前に、現在住んでいる家の住宅ローンの返済が済んでいないとお貸出できない」とのことだった。
それは無理なのでお断りした。
地銀と同じような条件(融資実行までに現在の住宅ローンを完済)が住信SBIにも無いかどうか、Web サイトをくまなく探し回ったがどこにも書かれていない。念のため住信SBIのカスタマーセンターに問い合わせたところ、そのような条件はない、完済予定という旨を正式審査申込書に一言書き添えてあれば問題ない、との回答を得た。
ということで住信SBIで正式審査を申し込んだ。(7月10日)
同時に、仮審査が通ったということで物件の購入を正式に申し込んだ。
正式審査用の書類がなかなか届かないな、、、と思っていたら、7月14日に住信SBIのカスタマーセンターからメールが来た。自宅住所の件で確認したいことがあるから電話をしろとのことだった。
電話をしてみると、住所が見つからず書類が戻ってきたというのだ。
一括申し込みサイトでの記入時に現住所を書き間違えたのだろうかと思ったが、カスタマーセンターの方と話してわかったのが、「丁目」が抜けていたとのこと。
一括申し込みサイトでは郵便番号から丁目まで自動入力されたのでそれは無いのでは、、、と思ったが、先方がそう言うので仕方がない。
このため、今回の正式審査申し込みはいったん取り下げ、もう一度正しい住所で仮審査申し込みから行う必要があるとのことだった。
しかし、同じ氏名・生年月日で審査の申込みは(バッチが回って既存のレコードが消されたあとの)翌営業日でないとできないとのことだったので、連休明けの7月18日まで待った。
7月18日に再度仮審査を申し込み、同日仮審査 OK が出て、今度は申し込み書類が自宅に届いた。(記憶によれば、7月21日に届いた)
7月25日、正式審査開始のお知らせというメールを受け取ったので、先方に書類が届いたと判断した。
この時点では、こんな酷い目に遭うことになるとは思ってもみなかった。
7月27日、住信SBIのカスタマーセンターから電話があった。
追加で提出してほしい資料があるとのことで、FAX か郵送で送るようにと言われた。
少しでも早い方が良いと思い、FAX 番号を教えてもらった。
7月27日は出張中だったので、帰宅後7月31日にFAXを送付した。
8月7日、FAX を送ってから(おそらくすべての必要な書類が揃ってから)一週間、正式審査開始からだとそろそろ2週間になるが何の音沙汰も無いので進捗状況が気になったのと、もともと売買契約上はこの日までに住宅ローン審査が終わっていなければ自動的に解約になってしまうということだったので、カスタマーセンターへ問い合わせた。
すると、こちらから送ったはずの FAX が届いていないという。
FAX が届いていないのに1週間以上も放置されたことに非常に気分を害したが、すぐに同日 FAX を再送付した。
また、不動産屋に事情を話し、売買契約の期限を延長してもらった。
翌日、FAX が届いたかどうかカスタマーセンターに確認。届いたとのこと。この時点で、「3〜4営業日以内には結果が出る」とのことだった。
ちょうどお盆休み期間だが、その影響は無いかどうか聞いたところ、暦通り営業するので問題ないとのことだった。
8月14日、FAX を送付した日から 4 営業日目だが、午後になっても連絡がなかったのでカスタマーセンターに連絡。
蕎麦屋の出前の如く、「あと3〜4営業日で結果が出る」とのことだった。
この時点でかなり不信感が募る。
仕方なくさらに4営業日待った8月18日、再度カスタマーセンターに電話。
すると、今更になって「確認させていただきたいことがある」とのこと。
なお、確認したかったことというのは、送付した売買契約書に書いてあることで、わざわざ確認するまでもないことだった。
8月22日、不動産屋さんもさすがにしびれを切らし、住信SBIに電凸したらしい。
すると、私に確認したいことがあり、私のせいで審査が止まっているというようなことを言われたようだ。
私の認識では8月18日の電話で済んでいると思っていたのに、ここで私が悪いような言い方をされ、さすがにキレ気味にカスタマーセンターに電話をした。
確認すると、8月18日の件は確認済みで正式審査を進める上で必要な情報は揃っていたと住信SBI側にも記録があった。その上で、念のため他に確認事項が無いかどうかを担当部署に確認するとのこと。
すると担当部署からは現在住んでいる物件の売却予定額と売却予定時期について確認したいと言ってきたそうだ。
地銀が仮審査時点で確認してきたような基本中の基本を、1ヶ月近くも待たせた今になって今更訊くか???!?!?とキレそうになったが、可能な限り怒りを抑え、「オペレーターの方は何も悪くない」と自分に言い聞かせながら話した。
すると、「現在お住まいの物件が売却済みでない場合、審査結果に影響が出る(=審査が通らない)場合があることをご承知おき下さい」とのことだった。
電話を切った数時間後、住信SBIのカスタマーセンターから電話があり、「不動産屋さんから翌営業日までに審査結果を出すように言われたが、無理なのでその旨お知らせください。また、審査が通ったとしても、満額回答ではない場合や、支払期間を短くしてもらう場合があるのでご承知おきください」とのことだった。
この人達は今更何を言ってるんだろう。。。という感想しか出てこなかった。
明日は売買契約の期限で、これ以上の延長は無理と売主様に言われたとのこと。
通常7日から10日で審査結果が出るはずのものが、一ヶ月近く経って結局審査結果が出ないまま強制終了ということになりそうな感じがしている。
私のケースが「通常」ではなかったのかもしれないが、今回の結果がどうあれ、二度と住信SBIを使うことはないだろうと思ったし、銀行として大丈夫かな、と心配になるレベルだった。
初カキコ、ども。
俺みたいに新卒で入った会社辞めた腐れ野郎、他にいますかって、いねーか、はは。
あの流行りの風邪つらそう、とか、深夜に来た患者がヤク中っぽいだとか
ま、それが普通ですわな
It's a Burakku kigyou.狂ってる? それ褒め言葉ね。
なんつっている間に0時っすよ(笑) 宿直勤務の辛いとこね、これ。
病院に勤めて今年でx年になるのだが、一向に残業や夜の勤務(宿直と言われるアレ)が減ってくれる兆しもないしそろそろ退職しようと思う。
自分が就職活動をしていたのは少し景気が上向きになりつつあった20XX年頃なので、今とは少し勝手が違うかもしれないが、病院事務員として働こう! などという狂った思想を持つ若者を少しでも減らすべくここにその実態を書き残しておこうと思う。もちろん、これらすべてが真実ではない。が、すべてが嘘ということでもない。そこらへんはうまいこと察してほしい。
自分は田舎の病院に就職したので、基本給は安い方だった。地銀と同じくらいかな。
公表されていた額は基本給19万円強だったが、実態は基本給が約16万円でそこに種々の手当がついて19万円、といった感じ。
・医療事務系
うちの医療事務は少し特殊だったのでぼかして書くが、同業種ならなんとなく察してもらえるのではないだろうか。
未収患者の督促と、入院している患者の処理が主な業務だったのだが、月末月初はとんでもなく忙しかった。10日前後に土日祝日が被っていると強制的に休日出勤になるのもつらい。が、こちらの仕事はきちんとデジタル上で行われていたので、総務にいた時に比べるとストレスとは少なかったように思う。
面倒なのは、患者のクレーム対応もこちらに回ってくることだ。窓口にいるのは基本的にパートの人たちなので、クレームが入るとすぐにこちらに電話して来て自分たち正職員が対応するという謎ルールのせいである。すぐに終われば良いのだが、もちろんそんなことはめったにない。
就業時間だが、月の繁忙期はみんな11時ごろまで仕事していたとだけいっておく。が、朝はゆっくりできたので、そこまで辛くはなかった。残業代が全て出てくれていたら、辞める気は起こらなかったように思う。それ以外の時は定時で帰れた。と、いっても、月に2.3日だけだが。
・総務系
主業務は経理及び給与。1000人規模の事業所だった上に、給与の計算の方はそのほぼすべてがExcel(しかも紙データを手打ち)だったのでかなり辛かったことを覚えている。経理の方はデジタルデータばかりで楽だったが、クレジットカードの計算だけレシートを手打ちしていたのでそれはかなり面倒だった。あと、どちらの業務もフロッピーディスクでデータのやり取りをしていたのだが、他のところはどんな感じなのだろう。
就業時間は9時から18時だったが、自分の部署及びた部署の鍵開けも自分の担当だったため、7時半〜8時には出社するように求められていた。当然ながら、その間は無給である。
さて、勤務時間についてだが、基本的に定時で終わることはない。総務の仕事は18時から、というのが、上司に言われた最初の言葉だったのだが、まさにそんな感じだ。通常の勤務時間内は、他部署から回ってくる雑用のせいで自分の席にいることができないと思って良い。診察の時間が終わると少し静かになり、自分の仕事ができる。繁忙期でなければ9時には帰ることができるが、年末調整や決算期だと余裕で午前に突入する。残業代はその時の運によって決まる。上司の機嫌が悪いと出ない。タイムカードなんてなかった。
・宿直について
病院は診療時間がいでも人がひっきりなしに来るところなので、必然的にその対応をするために人員が割かれる。自分の病院では、18時の勤務が終わったタイミングでパートさんと交代し、その人たちが再び出勤する翌日朝9時までが自分たち事務員が代わりに窓口で働いていた。
小児及び産婦人科の救急患者は全てうちでの引き受けだったので、基本的にほとんど眠ることはできない。ひっきりなしに電話が鳴るので、宿直の番になった事務員は皆その時間に自分の仕事をやっていた。自分とて例外ではない(上司からもそのように指導される。もちろん残業代は略)。ちなみに、次の日は有給を使わないと通常勤務である。
夜18時から朝の9時まで、通常の業務を含む諸々の作業をこなしても支払われる手当はたったの三千円程度である。これは違法だと思うのだが、労基に相談したところ「すべての職員の時給を求めて、手当がその1/3以下であると立証できない限り違法ではない」と言われた。総務にいる頃に一度計算したことがあるが、もちろん下回っていた。が、そこから労基が開いている時間に仕事がなかったことがないので結局告発していない。
この形態の勤務が月に5〜6回程度あり、それが繁忙期と重なると地獄であることは想像に難くないと思うのだが、いかがか。
メリットについて
さて、こんな仕事がだが、もちろん悪いことばかりではない。そうでなければ、x年続けることはできなかった。
まず、病院は一般的に福利厚生がとても手厚い。看護師の方が働きやすいように、という配慮からか、育児休暇や産休が取りやすいよう環境が整備されている(有給は不可)。保育園も併設されているので、子供が生まれてもなんだかんだで復職して来る人が多い。
また、副業がフリーなのも大きい。うちにもいわゆるスーパードクターみたいな先生がいたのだが、思うに公演や印税の方が給与よりも多かったのではないかと思う(邪推)。仕事ができる人間はどんどん稼ぐことができるが、そうではない凡人、例えば自分のような人間は一生奴隷のごとき労働条件で働くことになる。
何より大きいのは、医療費がかからないことだろう。事務員の場合、入院しても病室で仕事ができるので、有給を使うことなく治療に専念できる。もちろん、入院中に調子が悪い時は有給を使うこともできたが。
自分は無能なので役職はつかなかった。もし、役職があり、責任のある仕事を任されていたのであれば、もっと続けよう、という気になったかもしれない。が、若い間はともかく、高齢になった時にこんな生活を続ける気は無いし、自信もない。今ですら徹夜明けの通常勤務はかなり身体にこたえる、というのが正直なところだ。現在は、次の決算期が終わったあたりで退職するべく準備を進めているところである。
誤字脱字が多々あり、読みづらいとは思うが、ここまで読んでくださった増田の方々には感謝しかない。ありがとう。
それから、病院を就職先・転職先に選んでいる方たちへ。悪いことは言わない。やめておきなさい。
いつも、ありがとうございます。
宿直明け勤務に戻ります。では。
などがあって、各業界で労働組合が重なっているので、労働者の奪い合いになっているのが現状だ。
ぶっちゃけ、カネ出してタダ働き(活動)してくれる労働者を奪い合っている。
末端で共産党系と民進党(社民党)系が仲悪いのに国の方だけ協力するなんてちゃんちゃらおかしい!
http://s.news.mynavi.jp/news/2017/03/30/133/
この記事で、おやおやCOBOLが入ってないぞ?と私も思ったし、他の人も思ってたようだ。
なんでだろう。
個人的には、この21世紀にコボラーとかヤバい、という認識で今まで生きてきたのは事実だが、はて、COBOLで嫌な思いをしたことがあるかというと、幸いにもそんな経験はない。
むしろ、
・関わった人たちが、ちゃんとした金融機関(某大手地銀)とかちゃんとした元請け(N社)だったので、ムチャな開発にもならなかったし、お金もちゃんともらえた
・それまではJAVA専門だったが、COBOLの仕組みとかは勉強になった
・一緒に仕事したおじさんがすごい優秀で経験豊富な技術者で、いろいろ教えてもらえた
と、悪い思い出がない。
やっぱ、悪い言語があるわけじゃなく、向いてないのに無理に採用するのが良くないんだよね。
今年の四月にUターンして西の方の地銀に入行した元MARCH文学部生だけどすでに辞めたい。
なにより辛いのがほとんど誰とも話が合わないこと。
趣味はゲームと漫画とインターネットな量産型オタク大学生を文学部環境でやってたので感覚が狂っているのかもしれないけど、それにしてもひどい。
雑談で週末の過ごし方の話になり、最近話題だからいいだろうと「君の名は。見に行ったんですよ」と言ってみても
「誰と見に行ったの?」以外の質問が出ない。もちろん一人でなんて答えようものなら大ブーイング食らうので友達といったことにするしかない。
お前らは映画を何だと思ってるんだと。シナリオとか美術とか音楽とかの話をさせろと。
一事が万事こんな調子で、スポーツ観戦とかテレビドラマとか子育てとかパチンコとか競馬に興味を持てない人間の居場所は皆無。
せめてプライベートでそういう話をしたり気軽に出かけられる友達がいればいいのだけれど、中学以前は疎遠、高校以降はみんな県外で一人取り残された形。
親と親戚からは早く結婚しろ子どもを作れ介護にも備えろ貯蓄をしろと突き上げをくらい。
外に逃避しようにも本屋まで車で10分、映画館までは30分。それ以外はなし。
休日出勤(ボランティアは除く!)なし、早出なし、残業ほぼなしの3なしホワイト環境だけど堪えられない。
仕事自体は嫌いじゃなし、職場の人達とウェイソイヤできるような人格になるかどこか違う土地に行くしかないと思い始めた。
実家の犬が死んだら出ていこうと思う。
僕はインターネットが好きだった
そう思ってたんだけど違うんだよね
大好きなインターネットに僕も進出しようとブログでも作ろうかと思って
いろんな人のブログを見た
そして気づいた
面白いブログの人はみんなリアルでも何かしらの特殊性がある人だってことに
そして自分自身も
「この人は医者だけあってためになる話をするなー」
とか
とか
と考えてみたんだけど驚くほど何もない
普通すぎる
なんの面白味もない
かといってFランク大学とか極端に悪いわけでもない
あーーつまんねーーーー
平均よりはほんの僅かだけ勝ち組寄り
みたいな中途半端さ
じゃあ年齢は…「28歳」
わお!中途半端ー!!
若さあふれる感じでもないし
昭和とも平成ともつかない微妙な時期に生まれてるせいで昭和生まれにも平成生まれにも仲間に入れてもらえない微妙さ
じゃあ生活の面はどうだ…
「既婚子無し」
やっぱり中途半端ー!
徹底的な非モテとかでもないし
と、まあなんというか
僕の人生って「30年前の典型的日本人」みたいな感じなんだよね
自分で言うのもなんだけど
「そこそこ良い」みたいな人生
ようは僕のことなんてわざわざ発言しなくてもみんな予想できてるみたいな人生
現状を破壊しなきゃいけないほどの不満もない
江戸時代の日本は米・金・銀という三種類の通貨システムを平行して扱っていた。徳川幕府と諸侯領(明治時代以降藩と呼ばれるようになるやつ)が入り乱れた連合国家であった。諸侯領間における政治経済システムの違いは大きかった(要するに戦国の遺風を引きずった藩とそうでない藩があった)。上記のような事情があった結果金融業の発達は著しく、幕末には多くの諸侯がこうした金融業者の支配下に置かれるありさまだった。
などといった問題に対処するために、新貨条例および国立銀行条例が制定した。これらの制度は
というなにがなんだか分からない制度になっていた。しかしこれは当時の国際情勢を考えると仕方がない話で
といった状態で、日本は近代的金融システムを構築するにあたって模範とすべき制度はまだなかった。結果アメリカを真似して兌換券の分権的発行を主軸とする制度が作られた。このため各地に割拠していた金融資本は国立銀行への転換が進んでいった。
しかし殖産興業の進展、西南戦争による莫大な戦費などといった問題に対処するために、不換紙幣の発行を国立銀行に認めるに至った。
結果インフレなど金融システムの混乱が見られたため、ここにアメリカ型分権型金融システムには限界があることが明らかになり、日銀法と旧銀行法が導入されイギリス式の中央銀行制度が導入されることになった。これが 1882 年。
このような経緯があったため、金融資本の再編といった事態にまでは話が進まず、そのまま第一次世界大戦→関東大震災 に突入する。戦争景気による企業の無理な業容拡大と戦後の景気後退に震災によって銀行には不良債権が蓄積された。
上記のように各地に雑多に存在する金融資本は江戸時代のそれを引きずっていたため近代的銀行としては規模が小さく、これによって金融不安が高まり昭和金融恐慌に至った。これが 1927 年(1929 年や 1930 年ではない)。
その状態でさらに 1929 年 10 月 24 日はやってきた。 1930 年にはその影響が日本にも及ぶに至った。
かかる状況の中で昭和二年旧銀行法改正により 1927 年から中小銀行の整理が進められていたが、 1936 年馬場鍈一大蔵大臣により「一県一行主義」が掲げられた。馬場は大蔵大臣としては失格者で財界との対立の結果大蔵大臣から放逐され憤死することになるのだが、翌 1937 年に日中戦争が開戦、日米開戦もほぼ既定路線となるなかで一県一行主義は継続され日米開戦のころには中小銀行の整理は完了した。
こうした集権的かつ計画的な経済運営にあたったのはいわゆる革新官僚たちで、その親玉は吉田茂だった。彼らは社会主義的な経済思想と国家主義的な政治思想を併せ持っており、戦中戦後の日本の内政を主導した。
全然関係ない話だが、社会主義、国家主義、反自由主義という思想セットは革新官僚のリーダーの一人である岸信介の孫の安倍晋三にも受け継がれていることはよく指摘される。
戦後岸が政界に進出したこともあり、結果として一県一行主義体制および統制的な銀行体制はほぼそのまま戦後に引き継がれることになった。もちろん建前上は一県一行主義は廃止され、戦後の資金流通の円滑化のために戦後地銀がいくらか設立されたが大勢に大きな影響をあたえることはなかったのだった。
このような情勢のなかで、戦後日本の金融当局==大蔵省は銀行に対して
を求めて各種の行政指導や各種許認可を縦横にもちいて銀行群をコントロールした。これをいつしか護送船団方式と呼ぶようになっていた。
これは実際うまくいっていた。バブル崩壊までは。バブル崩壊の余波は大きく、護送船団方式では銀行を守り切れないことは明らかになっていた。 1995 年には木津信用組合と兵庫銀行が倒産するに至った。
また長らくの護送船団によって日本の金融システムの陳腐化は著しく国際社会において東京が金融都市としてまったく影響力が無い点も問題とされた。
これらの問題に対処するためとして金融ビッグバンと称し護送船団は解体されてしまった。銀行はここに自由なサービスや投資を行えるようになった。
ところで足元の経済情勢を見るに 1993 年から 1996 年にかけて経済成長率は 2-3% を維持しており、ここに橋本総理大臣はバブル崩壊による不景気は終了したという判断をするに至った。また 1995 年には武村正義大蔵大臣により「財政危機宣言」が出されており財政再建を開始すべきという機運が高まっていた。
そこで橋本内閣は 1997 年、消費税増税などを含んだ超緊縮予算を成立させる。これが大失敗であった。緊縮財政により景気は悪化、金融システム不安は再発し北海道拓殖銀行、山一證券が破綻、翌 98 年には橋本内閣は総辞職、現在まで続く長い長い不景気が始まった。
しかしここに至って護送船団方式の再開は難しく、銀行はノーガードで野に放り出されてしまった。かかる状況のなかでは銀行の経営効率を上昇させるような積極投資は難しいことは明らかで、銀行は合併による規模の拡大によって身を守るという手段をとらざるを得なかった。
結果生まれたのが三大メガバンクである。このような事情によって、消極的な理由で成立した合併であるから当事者たちは乗り気であるはずもなく、旧来の自己の立場の防衛のために果てしない内紛が始まることは、それはもう仕方のないことだったと言えるのではないか。
そのような事情の中で銀行システムの開発にあたる SIer や技術者は内紛の道具の一つとなり疲弊を重ねている。
僕が言いたいことは何か。誰か頭が悪い人が一人いたからこのような状況になっているという訳ではないということ。むしろ一人ひとりができることを着実にやった結果がこうなのだということ。つまり、逆に言えばこの状況を解決する手段など無いということ。みずほの現場で苦しむエンジニアにできることは、逃げることだけだということだ。
(このエントリは http://anond.hatelabo.jp/20160703171723 へのレスです)
2014年に元増田へのレスとしてこんなエントリーを書きました。
Re: 民主党支持者としての執行部のアベノミクス批判への愚痴 http://anond.hatelabo.jp/20141127162302
当時はコメントもらえなかったなー。
2014年の元エントリは「経済学的にみれば企業収益を良くするには失業率を下げるにはデフレ脱却が必要で、そのためには金融緩和しかない。だから安倍のやってることは正しいのに、民主党やマスコミや知識人がそんなことも理解できなくて残念」という内容だった。でも、2013年以降の経済成長の主因は金融緩和じゃなくて円安誘導政策だったよね。元増田が夢見るような、金融緩和→投資促進→市場創造というマクロ経済学的に美しい正帰還ループが廻ってたわけじゃない。なんでかといえば国内市場に底堅い実需がないから。だから今、外部環境要因で円高に振れたとたんに企業収益の悪化が確定してる(世界同時株安のなかでも、日本の株安は円高インパクトと国際市場の減速の両方が向かい風になってんだよね)。
さて、当時の金融緩和路線はさらに進んで、いまやマイナス金利政策まで飛び出したわけだけど、この一連のマネーサプライ促進は景気の好転にはほとんど資してこなかったと思う。おれも会社やってるけど、ほんと銀行が持ってくる長期金利はめちゃくちゃ下がった。メガバンクなんて一声で0.4%とか言ってくるからね。これって金利としちゃ事実上タダみたいなもんでさ、少しでも成長性がある国内市場が存在するなら、信用ある限り借り入れてそこに投資したほうが絶対得なわけ。でも実際そうなってないよね。理由は投資によって着実にリターンが得られるような潜在的ポテンシャルのある市場が国内から失われてるからだよ。だからダブついた投資余力の唯一の出口としてマンションとかの高額不動産を使った節税スキームにマネーが向かったわけだけど、これも実需を反映したものじゃなかったし、もうバブルははじけちゃった。
今回エントリでも「金融緩和の継続を」って言ってて、ということは元増田は金融緩和には景気回復効果が確かにあって、その効果は今も続いてるという認識みたいだけど、自分から見たら期待されたような効果は全くなかったよ(それ以前もマネーサプライは十分に潤沢だったんだから)。もし自分が経営者だったらと想像してみて、いま0.4とか0.5%の借入金利で資金調達して、確実に鞘取りできそうなビジネスを指折り挙げてみてよ。それがあなたから出てこないなら、他の人からも出ないよね。カネの使い道がなければ、金貸しがどんだけ気前いい金利オファーを出してきたところで、借りる意味はないんだよ。
その一方で、マイナス金利政策の煽りで、今期から金融機関の収益は確実に悪くなっていくだろうね。銀行の営業がみんな愚痴ってる。地銀や信金の統廃合も加速するだろうなー。
夫はその県で一番大きい銀行(第一地銀と言うらしい)に勤めてる
ちなみに私は在宅の仕事でパートしてる人よりはもらってるかなー程度にほそぼそと仕事してる
で、まあ去年子供が産まれて夫の地元の人とも付き合いがあるようになったんだけど
夫の仕事の話になると「増田さんのとこの旦那さんは○○銀行ですものねー(だから将来安泰ですよねー)」みたいなことを直接的なり間接的なり言われる
ぶっちゃけほんの少しだけ他の家庭よりお金はあるかもしれないけど
それは家賃タダみたいな社宅に住んでるのと夫が結構な倹約家だからというだけ
ブランド物なんかは他の人たちのほうが持ってるし
車だってうちの中古車よりいいの乗ってる人ばかりだ(ちなみに車は贅沢品じゃなくて必需品の地域だ)
私自身は父が自営業をしていたから銀行員はよく家に来てたけど、いつも疲れた顔をしてた記憶があるし
しいていうなら銀行員は真面目な人なんだろうなーってくらい
夫は夫で
「俺は所詮こんなクソ田舎の地方銀行でしか雇ってもらえないダメ人間だ」
なんて自虐的に言ったりすることがよくある
まあとにかく
私の感覚としては我が家は「ふつーのサラリーマン家庭」って感じなんだけど
周囲の反応や
http://anond.hatelabo.jp/20160507191001
と思った
「憲法9条と、基本的人権の各条文は、それこそ丸暗記してください」
これ、もし「改憲」なんてことになると、中学受験の社会は大混乱するなあ。
上の子の受験は兎も角、下の子(小学2年)の際は、憲法変わってそうで怖い
「主権者は天皇から国民に変わりました」と教えているが、これも雲行き怪しい。
2.N能研の社会時事問題で、「戦後70年談話」が出題されていた
3.「日本地理のポイントは、①②が農業と工業、③が水産、④が林業です。」
自分が子供の頃は、筑豊三池とか北炭とか、それなりに覚えさせられていたのだが、国内炭鉱全滅だから、不要なのか。
今風に言えば、「九州は太陽光発電が盛ん」とか「北海道は風力発電が盛ん」のような、
4.そして「①②が農業と工業、③が水産、④が林業」ということは、
「第一次産業、第二次産業の立地は覚えさせるが、第三次産業は覚えるのは不要」というだよね。
例えば小売がどこで多いか、地方では郊外商業化しているとか、首都圏では駅前商業が隆盛とか、インバウンド商業とか。
「地方中核都市(札幌仙台広島福岡)には企業の支店が多い」とか
「県庁所在都市では県庁公務員や地銀・大学・地方紙の勤務者が多く、割と高収入な人が多い」とか、
「介護産業は首都圏で不足している」とか「医療産業は東京都心と西日本に多く、首都圏外縁部では少ない」とか、
第三次産業の立地論の話の方が、実生活では第一次産業よりはるかに要求されていると思うのだが。
でも、ついて行ったらついて行ったで子なし専業主婦なんて舐めてるって言うんでしょ?
地銀って事は転勤先も大体県内だろうし、って事は単身赴任でも週末に帰るのは容易だろうし、メガバンと違ってそう給料も高くないんだろうし、
実家近くに新居構えて共働き続けて遠距離転勤なら単身赴任ってのは賢い選択だと思うけどね。
専業主婦になってついて行って経済的に困窮しながら知り合い居ない土地で孤独育児で苦労しても、結局子が大きくなったら単身赴任になるんだろうし。
早慶マーチや関関同立などから都落ちした人ならともかく、出身地の国立大や私立大学を出てそのまま同じ地方の地銀に行った人はエリートだと感じていそう。
先日直接自分が頂いたわけではないけれど、うちの支店にきたとあるクレームが印象に残った
要約すると次のような内容だ
「先日A銀行のB支店(僕の所属している支店)に行ったが、電話は3コール以上鳴っていることが多いし、挨拶にも元気がない。A銀行の皆さんは一流の大学を卒業したエリートたちかもしれないが、高卒が大半の私の会社(経営しているという意味なのか所属しているという意味なのかは不明)の人たちのほうがよっぽど社会人として立派だ。やはりエリートだとかそうでないとかは社会では関係ないのだ」
店内に常駐しているのは、大半が高卒含む女子行員で、このお客様のいうところの「エリート」は店内にいないことが多いのだが…それは置いといて、だいたいにおいて同意できる内容だ
だけれど看過できないところが一つだけある
このクレームに限ったことではなく、「A銀行のエリート様」みたいに認識されていると感じることは頻繁にある
僕がこの銀行で働いているのは、長男なので地元に…ということもあるが、それ以上に東京の大企業にことごとく落ちまくって、唯一内定がでたのが地元の地銀だった、というところが大きい
ついでにどこの田舎の地銀もそうだと思うがこのくらいの学歴がボリューム層だ
僕以外の行員だって「できれば都会の大企業がよかったけれど受からなかった」「地元に残るなら公務員がよかったけど落ちたので仕方なく」という人は多い
(少なくとも僕の年代の場合は)うちの銀行に勤めている人たちは大卒の落ちこぼれや地元に残らざるを得ないので…といった人が大半で
「ヒャッハーーーー!A銀行に内定もらえればエリート様として順風満帆の人生が送れるぜー!!」なんて思っている人はほとんどいない
なのに県内ではエリート様扱いされるのだ
確かに「県内で」という条件がつけば、まあ順当にいけば将来的には年収額面1千万近くはなるかもしれないし、地方にしては福利厚生はまともだし、残業代だって分単位ででる優良企業かもしれない
でもそれはあくまで「県内で」という前提がある状態での話であって、日本全体で見ればエリートなんて口が裂けてもいえない むしろ落ちこぼれだ
ご多聞に漏れず当行でも地方創生というのは大きな目標になっているけれど
この前地元の県庁に勤めている友人と話をした時イラッとした事を吐き出したい
その友人とは大学が同じだったのだが
その友人曰く日本と言うのは中央政府の役人が自分がいる東京を繁栄させたいから
各種法律や規制・産業政策で東京を有利にするように仕込んでいる
よってヒト・モノ・カネが東京ばかりに集中し
だから地方分権をして東京にあるものを半ば強制をしてでも地方に持って来るべき
まあ言い方が悪いがまとめると
のようなことを力説していたのだが
地方である地元で起業して事業が軌道に乗ってから事業ごと東京へ移転した自分にわせると
起業のような新しい物に対する地方の人間の保守的な態度のほうが余程障害になったということ
例えば上京してびっくりしたのが
あと事務所等借りる際も
結局彼らが理解できるのは地方大学や地方の名士が営んでいる起業が絡むような
そしてこれが一番でかい
自分も将来起業したいと言い出した時には親や教員は頭が狂ったんじゃないか
確かにその勧めは安定を基準にすればとても正しいしよく分かる
ただ自分のようにチャレンジしてみたいと思うような若者が出てきにくい土壌を作っている
こういった国がどうのだから地方が衰退すると嘆いたり文句を言っている人に対して切に思うのは
それなら現状あなたのところでは新しい事や新しい事をしようとしている人たちにやさしいですか?
と聞いてみたい
大概は国が悪いと文句をたれて入るが
その実そういった人たちをないがしろにしている人が大半だと思う
特にイケダハヤトなんかに影響を受けたような、意識高い系(笑)の若者はIターンなんかしないほうが賢明である。絶対に後悔することになるから。
首都圏・中京圏・近畿圏以外はとにかく仕事が無い。いや、厳密に言えば選ばなければ仕事ある。
例えば介護、ホテルや飲食、建設土木業などはどんな不景気な地方都市でも仕事はあるし、年間休日80日のブラック営業なんかの仕事はいくらでもある。
しかし意識高い系のやるような仕事、WEBとかIT系の技術者や広告代理店などはもちろん無いし、電機や自動車メーカーの工場の現地採用は給料のやすさの割に競争倍率が高く、とても就けるものではない。
あなたがまだ第二新卒でMARCHか駅弁大学を卒業したぐらいの学力の持ち主でコネがあれば、市役所や県庁、あるいは地方銀行や地方紙、ローカル局などに潜り込めるかもしれないが、それらがないならやめておいたほうがよい。大卒でも東京の高卒初任給レベルの給料で使われるのが落ちである。
イケダハヤトはクラウドソーシングなどを活用してフリーで仕事をとれというが、残念ながら東京の発注主は東京近郊在住のフリーランスにしか仕事をよこさない。あったこともなければ、いざとなった時にあうのに莫大なコストがかかる人物に仕事を頼むほど、世の中のクライアントは甘くないのだ。
さて、ある程度妥協してそれなりの仕事についたとして、今度は職場に不満を持つことになるだろう。こう言っちゃなんだが、地方というのは全体的に仕事のレベルが低い。
例えば仕事外部に発注するときに優先するのは、単価でもクオリティでも納品スピードでもなく、地縁やら血縁やらコネやらまず人間関係が優先される。たまに地方都市でコピー機やら光回線やら広告枠やらを飛び込みで売っている営業マンを見かけるが、彼らは首都圏の2/3ほどの給料を首都圏の1.5倍の苦労をしなければ稼げないのである。
そんな調子なので、仕事をしている連中のレベルも低くなる。地方のエリートが集まっているはずの地銀やローカル局ですら、いわゆる「都落ち」みたいな連中が多く、やたらエリートぶって威張るくせに仕事ができない連中がのさばっている事が多い。
「都落ち」以外では、いわゆる一度も地元から出たこともないような、本格的な世間知らずも多く、こいつらもはっきり言って仕事のレベルは低い。レベルが低い上に、他人の足を引っ張ることに情熱をす注ぐので、ますますレベルが下がっていく。彼らにとって仕事は何かを作るとか、何かを成し遂げるとか、そういう目的ではなくただ時間だけいて給料をもらう行為なのである。
エリートどころか、そこら辺のショップの店員のレベルもはっきり言って低い。注文したものを何日も連絡もされず放置されたり、間違えられたりなんてこともよくある。おかげでネットでしか買い物をしなくなるのだが、今度は配送員のレベルの低さに悩まされることになる。
Iターンを目的とする連中は、東京で疲れたとか田舎でのんびりとかそんな理由なんだろうけど、はっきり言って地方は給料が安い上に休みも少ない。下手すれば労基に引っかかるような求人がまかり通っていたりする。
あなたがもしIターンを画策していたなら、Iターン先のハローワークの求人をネットで見ることをおすすめする。一例として、とある県のバス会社の求人情報をここに引用してみよう。
求人広告内容 ・乗合路線バスの運転業務・就業時間内での6時間前後の運転(バスの運行時間により出退勤時間が変ります)*大型2種免許がない方でも養成いたします。*正社員登用あり(採用時45歳以下の方で、約1年半の期間を経て審査となります)※大型2種免許養成期間(9日~3週間)の賃金は時給675円となります
募集資格 保有資格:普通自動車一種運転免許(AT限定可) 経験について:不問 学歴:不問
勤務地 **県**市、**県**郡**町、**県**郡**町
勤務時間 変形 1ヶ月単位05:30~01:30の間の7時間程度(残業月10〜20時間程度)
休日 5働1休を基本とした勤務割*有給休暇は、入社2ケ月後より付与となります 年間休日:66日
給与 日給月給 a 基本給(月額平均)又は時間額150,400円~150,400円
b 定額的に支払われる手当a + b150,400円~150,400円
c その他の手当等付記事項拘束手当他20,000円~60,000円
勤務待遇 加入保険:雇用 労災 健康 厚生 通勤手当:実費支給 上限あり 月額:6,500円 マイカー通勤:可会社敷地内に無料駐車場あり 定年制・再雇用:なし 育児休業取得実績:あり 入居可能住宅:
上記の求人は大体月の休日が平均5〜6日(良くて隔週、下手をすれば週休1日)で、月の労働時間が残業が有った場合250〜260時間、手当を含めても手取り20万行くか行かないかというところである。ちなみにこのバス会社は去年事故連発で行政処分を何回も食らっている。
こういう、ウンコ見たいな求人が当たり前のように転がっているのが地方都市である。年間120日休めて、手取り300万円を超える仕事はないと思った方がいい。イオンに入っているようなショップで、年間休日105日で、手取り200万円代といったところか、これでもマシな方である。
もっとわかりやすい話をすると、北東北の県庁所在地のファストフードの時給は680円、東京都中央区のファストフードの時給は1200円である。
「そうは言っても物価は安いだろ」と思うかもしれないが、安いのは家賃と生鮮食品だけである。イケハヤなんかは一戸建てが1万円で借りられるぞとアジっているが、築60年で上下水道なし、10年ほど前に老夫婦が他界して以来空き家でほとんど廃屋なんて家にあなたは住みたいだろうか?そういう家に住もうとしてらリフォームが必要になるし、浅築物件だとせいぜい東京より2割安い程度の家賃になる。
更に地方は自動車必須になるので、自動車本体とその維持費がかかる。走行距離も伸びるので、保険料・タイヤ代・オイル代で大体年間40〜50万円ほど、もちろん車本体は別である。そのせいか、東京じゃまず見かけない2代目マーチや初代デミオ、5ナンバー時代のカローラやすでにモデル自体が生産されていないサニー、車検が通るかどうかも怪しい軽トラ軽バンが走っていたりする。
更に東北や北陸などの場合は、光熱費がかかるので結局家賃や食料品の部分で浮いた部分を引いても、生活費は東京と変わらないぐらいとなる。
イケハヤが「近所の人が野菜をくれる」なんて嘘を言っているが、よそ者にくれる野菜などもちろん無い。秋田県には上小阿仁村という、よそ者の医者を老害がいびって追い出し続けている、絵に描いたようなクソ田舎の無医村があるが、はっきり言って首都圏以外近畿圏以外の地方都市はあれよりマシという程度の排他性である。名古屋や京都ですらあやしい。
あなたが豊臣秀吉や田中角栄や水無灯里級のコミュ強で、地元の消防団に入団したり、知らないばあさんを病院へ送って行ったり、知らない爺さんの葬式に出たりすることが苦痛でなければやっていけると思うが、意識高い系には無理だろう。地元の消防団はマイルドヤンキーみたいなのがゴロゴロしてるし、ジジイやババアは不条理な存在である。
ちなみにドラゴン桜の三田紀房も、岩手県へのUターンに一度失敗し漫画家デビューして再上京している。
よく「何の能力もない人間は東京になんかこないで地方でおとなしくしてろ」的な言説を見かけるが、むしろ逆である。バカとブスは大げさかもしれないが、平凡な人間こそ首都圏で仕事して生活するべきである。確かにブラック企業や倒産寸前の零細企業の労働条件は、日本全国どこでもいいものではないだろう。それでも、首都圏では地方都市に比べればそういうハズレ会社に当たる確率は大幅に低い。少なくともウンコみたいな労働条件で、事故と行政処分を連発するようなバス会社は、東京では存在すら許されないのだ。
何も東京都港区や千代田区で生活しろということではない。埼玉県所沢市でも東京都町田市でも、神奈川県藤沢市でもいい。大都市圏にいる人は頑張ってそこで生活すべきだし、駅弁大学の若者は一度大都市圏で生活してみるべきだし、大学から首都圏に出てきた若者は、そのままそこで就職したほうがよい。国は地方再生など諦めて、都市化をもっと進めるべきである。
結構気合を入れて書いたのに、全然トラバもブコメもつかなかくてがっかりしてたらいきなりホッテントリ入りしてびっくりした。
いやいや、お前のほうがいい加減だろ。こっちは地方のハローワークの求人状況と家賃相場と公共交通機関のダイヤとか、人口動態統計ともろもろの地方経済統計データとかを調べながら書いたのに、そんな特殊な成功例を2個あげられてドヤ顔されても困る。島根県海士町とか徳島県神山町とかDMMとかそういう「地方で成功した企業」とか「成功した町おこし」の裏には、ウンコみたいな地方零細企業と失敗した役所の町おこしの屍が山のようにつまれてるんだから。
ちなみに県庁所在地レベルならITの仕事もなくはないが、技術レベルがアレなSIerか東京に本拠を置くWEB系企業のオフショアセンターみたいなのになる。もちろん薄給激務。技術も身につくかどうか微妙。そういうのも含めれば、無くはないといえる。