はてなキーワード: 古巣とは
俗に言うゲスパーや弱者への追い討ちを望む者っぽいタイトルしてるが、気持ちとしてはむしろ間逆であることを前置きの言い訳として述べておこう。
さてさて、この『はてな匿名ダイアリー』という"自称"匿名書き捨てサイトだが、ここ最近…でもないがいわゆる「告発怪文書」の場にもなっている。
無能増田とやらをきっかけにNTTに対する不満は日々投稿され、それ以外にもブラック企業のクソな所の告発や、古巣の炎上を喜ぶ元社員の呪いの言葉がそこそこある。
実際、"一応は"匿名であるから、ツイッターやインスタやフェイスブックなどと違い。「バズって」も炎上にはつながらないし炎上しても"一応は"匿名のままだ。
だからそういうの書きやすいって気持ちは凄い分かるよ。ぶっちゃけ俺も炎上怖いからツイッターで言えないような事をここで書いて発散してる。だからツイ垢が燃えたことは無い。
ツイッターで燃えたらネットストーキング勢やイナゴにお家特定されちゃうもんね。本人悪くなくても「とりあえずビールで」の感覚で特定されちゃうし。
しかし、本当に特定されないのだろうか?そもそもネットに匿名の保障なんてモンは無くて、ナニかしら結び付けられているモンである。そもそも増田は"はてなアカウント"なんていう垢が存在しないと書き込めない。
匿名掲示板だろうがなんだろうが、時間だの文体だのでバレる時はバレるもんである。Torやプロキシ使ってもバレる。
あるブロガーがはてなに開示要求を求め、増田を一人特定した事がある。個人でこれだ。じゃあ告発された側の企業も同じことをすんじゃないかと。
『使い捨て奴隷の戯言なんて掃いて捨てるほどあるから気にしてない』なんて言い切れる?大企業としては「企業の沽券に関わるから、ちょっと一人吊し上げとくかァ!」なんて思うかもしれないし、中~小なら口コミや怪文書で評価が変わるトコあるので本当に報復を仕掛けてくる可能性がある。大企業でも偉いやつの頭がマトモじゃないなら尚更。
先述のNTTなんて腐っても大企業、しかも日本の電話線を7割ぐらいは牛耳ってると思われる連中だ。あんま告発が増えると何か仕掛けそうだよね、うん。
企業が悪いのにそいつ訴えたり出来んの?って、そりゃ「風評被害で利益を落とした」とかそれらしい事言ってしてきますよ。俗に言うスラップ訴訟ってヤツだわ。
勿論これは陰謀論者で悲観主義者の俺の空想だ。糖質の空想だろね。でもさ…本当に無いと思える?
告発者達が企業によって報復攻撃を受けた時、増田への告発書き置きは減るのではないかと思う。
私の場合はwifiがあればどこでも働けるので、大概、マックかスタバ、ファミレスか最近はコンビニのイートインにも出没。
ほとんどの人が兼業でやるコーチ職を私は本業にしたので、面談相手との時間との時間調節も苦ではない。
(暇なくせに、時間はきっちり指定。でないと時間がバラバラになって大変)
給与は地方で実家暮らしするには十分な金額。一応、家庭教師のバイトもしてるし。
贅沢はしないけど、古着屋で服買ったり、たまに旅行したりと身の丈な生活。
どの職場でも人間関係に悩んできた。ブラックあり、いじめ、パワハラなど、人間不信で鬱になりかけた私に今の人に会わずに出来る仕事は本当に天職!
(ずっと接客業だったんだけどね)
ストレスが無く時間もたっぷりあって、でも友達も彼氏もいないのが無念。
でもお陰で、ダイエットが出来た。
ずっと太ってて気にしてたけど、ストレスで過食に走り続けた私が、三食栄養バランスを考えた食事をとり、毎日一万歩歩いてエクササイズも取り入れる健康的な生活を始めて4ヶ月で7キロ減。
顔の輪郭と、眼の大きさが明らかに違うし、デニムも10CM位細くなった☆
それでも一人ライフは快適。
実家暮らしだけど、事情あって家では存在が抹消されてるので(苦笑)下宿人か座敷わらし状態。
ストレスだったけど、割り切ったら楽になった。
最近、弟の18年ものの中古車を5万円で譲り受けて、うれしくて乗り回す日々。
丘の上のカフェや海にいって読書したり、ものを書き散らしたり。暖かい季節は浜辺で仕事することも。
後は図書館で本借りたり、本屋で立ち読みしたり、モールで服みたり、古着屋で服買ったり、菜の花見に行ったり、新しいカフェを探したり、今度百均素材でイヤリング作ろうと思ってる。買うと高いし。
一番の楽しみは、古着とユニクロでそろえた服で毎日のコーデを作ること。流行を追うより、定番服を着回しながら、小物で自分の個性を加えるスタイルが好き。
誰にも見せるわけじゃないので、本当の意味で自由に好きな服をきている。
かわいい小物を持つようになったのもフリーになってから。職場でなめられないようにシンプルなものしか持たなかったけど、今は猫柄やらカラフルな文具やら、自分の好み爆発。クリアのPVCバックの中に入れてわざわざ見せびらかしながら持つのも楽しい(笑)
冬にバケツ型かごバックを持つのも新鮮。質のいいファーがついていて、大人が持っても上品。でも、コンサバな地方都市では目立つんだよな。みんなすごいカゴ見てた(笑)ショップの店員さんも凝視してたし。
ほぼ100%毎日、一人だし。
家庭教師で中高生やその親と話すのが数少ないコミュニケーションの場というね。
糞親に「ひきこもり」呼ばわりされたけど、一理あるかもなぁ。
コーチ職で食べていけるし、新しい生徒と関係を作るのが面倒で。。
ホント今までのフリーになるまでの生活が地獄だったから。二度と戻りたくない。コーチ職はだから真面目に取り組んでる。
37歳独身。
婚活始めるには遅いけど、時間に余裕もあるし多少は痩せたから、するべきなんだろうが。。。
やばいと思いつつ、今が本当に幸せで、これがずっと続くことはないと知ってるから今はこの状況を楽しみたいというか。
結婚線ないみたいだしね(苦笑)
老後の積み立てと年金はしっかり払っておこうと思ってる次第。
…そんな毎日を過ごしてるんです、はるねえさん。私が平日昼間からマックに入り浸ってるの、カウンターから心配げに見てるのは気づいてますが、大丈夫ですから!
※はるねえ:大学時代マックバイトでお世話になった女性。大人になって古巣のマックでまだ勤務していた彼女に再会。挨拶を交わすくらいの関係。
入社して1年余り経つが、同じ日系企業でもこんなにまで違うのかという衝撃が冷めない。
それと同時に、古巣での日々を思い返してその異常性を強く感じられるようにもなったので、俺が所属したブラック企業の特徴を書いておく。
以下の特徴は、俺が所属した3つのブラック企業において気味が悪いくらい似通っていた。そして、巷間ささやかれる「ブラック企業の特徴」でなかなか指摘されないようなものだった。
・離職率が低い
・平均年齢が高い
・イジリと揚げ足取りが凄まじい
・周囲に対するパフォーマンスとして説教したり、恥をかかせたりする人がたくさんいる
・東京一工卒がいない
・やたらめったら「うちの会社は良い人ばかり」と言う人が多い
・最速出世コースに乗るくらい仕事できたとしても学生時代のカースト低そうなタイプの人ならクッソ馬鹿にされる
・本読む人がいない。読むとしても歴史小説か話題のビジネス書(さおだけ屋とかドラッガーとかそういうの)。
・主語を省いて指示を出す人が多い
・新卒社員に対して「あいつは無能。イジっていい笑」みたいなレクチャーが楽しげな雑談という体でまず施される
・めちゃくちゃ怖い人や精神的にダメージ与えるスキルが高い人が格好いい的な文化がある
・パワハラモンスターが全く問題視されない。それどころか「あの人は怖いかもしれないが俺にはめちゃくちゃ優しい」と誇る人すら少なくない
・部署オフィシャルの飲み会が開催される場が学生御用達の居酒屋
新しい商品はうまくいかない可能性があるので、失敗したときにそのヘッドハンティングしてきた高給取りは無能の穀潰しになるんだけどね。
失敗と言っても、単に時間がかかるだけというものも有るから、その場合でも会社を存続させればうまくいく可能性もある。
だが、高給取りヘッドハンティングのやつはバーンレートを上げる。
新規事業を完全にやめたとしても会社は存続させないとならない。
何も考えず高給ヘッドハンティングだと新規事業なんかなおさら不可能。そこらへんの失敗したときの方針も考えておいてうまくいく。
必要なスキルが見極められて、それに合致したやつは高給でも雇うことは有るが、きみの「どこかに全能なやつがいる」なんてので雇うことはない。
うん、きみが経営者どころか、新規事業もやったことはないのはわかった。
あとね、優秀な人間というのは得てして、与えられた仕事を高い技術スキルできちんとこなすことが優秀で、新しい仕事を作り出すということができないことも多い。
というより、そういう危ない仕事からは逃げ出そうとする。いくら実績を上げていてもね。
東大学生みたいだと思った?うん、そうなんだよ。だけど、そうやって東大卒はやっぱり仕事をするものはきちんとする。
そもそも、いい商品を部下を引き連れた上で作り出す能力がある人間というのは、古巣の会社の上層マネジメントがいいがゆえに存在できる。
だから、転職市場なぞにまず出てこない。つーか、自分で起業する。ヘッドハンティングのオファーに応じるのは、古巣の会社が定年退職間際とかで出てくる一部の人間。
そもそも、能力が有る人間といない人間がいる、で、能力が有る人間を高給で引き抜いてくれば、全てうまくいく。新規事業でも。みたいな。君はまるで両津勘吉みたいだね。
雙葉学園は、フランスのサンモール修道会の会員が1875年に設立した築地語学校を祖とする、私立の学校法人である。
雙葉学園はその長い伝統において、「徳においては純真に、義務においては堅実に」という校訓のもと、幼稚園から高等学校にわたる一貫したカトリック教育を行ってきたが、雙葉女学院大学の設立により、さらに4年間の大学過程をふくむ一貫教育が行われることになった。
というのも、雙葉中学校・高等学校は、東京大学をはじめとするいわゆる旧帝国大学や、慶應義塾大学などの難関私立大学に合格者を多数輩出し、全国有数の進学校と呼ばれるようになっていたが、多数の生徒父兄が、単なる学力の追及ではなく、カトリック教育のさらなる徹底を望んでいたこと、卒業生の多くがカトリックの信仰を保持していない現実を嘆くサンモール修道会の強い推薦により、2002年に大学過程を行う教育機関の設立が決議されたのである。その後、文部科学省の認可を受け、雙葉高等女学校の設立からちょうど100年となる2009年、開校に至った。
私が雙葉高校を卒業したとき、もしこの大学があったら、このエスカレーターに乗っていだろうか。キーボードを叩く手が止まり、ふと自分の過去を反芻した。
中学受験に成功し、晴れて雙葉の門を潜ることはできたものの、入学後は成績が低迷し、人生の目的も見出せないまま、あるいは、先生がたがおっしゃっていた、神に与えられた使命を感じることもなく、特に受験勉強もせずになんとなく大学受験をした私は、願書を出した中で最も無名な、平凡な私立大学に行くこととなった。
パッとしない4年間の大学生活の間、やはり人生に意義を見出せず、大学卒業後は、飲食店や塾講師などのアルバイトを転々としたのち、25歳で、あるカリスマ英語学者の執筆アシスタントとして雇われることになった。
受験生向けから社会人のやり直し英語のための参考書まで、様々な英語関連書籍を多数執筆し、そのほとんどすべてがベストセラー、2005年からは教育テレビでレギュラー番組も放送されている、クリストファー・トンプソン、その人である。
誰もが認めるカリスマ英語学者のアシスタント、ベストセラーが約束された数々の出版物の編集作業。やっと使命が見つかったかに思えた。
が、それもつかの間のことだった。
最初の数ヶ月で気づいたことは、クリス・トンプソンは執筆作業のほとんど全てを、彼の『アシスタント』に任せているということだった。それでも、はじめのうちは、英語学者である彼の理論を専門家でない一般大衆向けに落とし込むのに、アシスタントが最大限の貢献をしているのだろうと好意的に考えていた。
働き始めて半年が経った頃、主力の『アシスタント』が結婚・出産を機に退職することになり、私がその立場を引き継がなければならないとなったとき、彼女から真相が告げられた。カリスマ英語学者、クリス・トンプソンは、自分ではなんの理論も持っておらず、彼の博士号はディプロマ・ミルから得られたもので、彼のアイデアと言われるものはすべて、彼女の作品だったのだ。
『徳においては純真に。』私は、彼が世間を欺き続けるのを手助けすることはできなかった。
代わりの職を求めた私はその後、27歳にして都内にある無名の私立高校の英語教師として採用された。
須藤智くんとの出会いは、私がその学校で働き始めて3年目のことだった。
高校といえば雙葉高校しか知らなかった私は、おそらく世間では平均的であろう、学習意欲のない生徒たちを前に、教師として戸惑っていた。そんなとき入学してきた須藤くんは、『教え子』と——おこがましいが——呼びたくなるような、優秀で向上心の高い、私の初めての生徒だった。
彼はすべての科目の定期試験で満点を取り、全国模試では偏差値が80を超えていたので、瞬く間に教職員のあいだで評判になった。
彼の非凡な才能は、主に自然科学の理解に向けられているようであったが、彼の言語に対する洞察も、単に受験勉強ができるというレベルを超えているように思われた。
それは、彼が二年次に進級し、私の授業を受けることがなくなった新学期のことである。珍しく残業もなく、夕方6時に山手線新大久保駅で帰りの電車を待っていた私の元に、彼が歩み寄ってきた。
突然そう告げた彼は、意表を突かれてうろたえる私の返事を待つことなく、ノートを広げ、彼の発見を説明し始めた。
私は彼の理論を即座に理解することができた。なぜなら、中性子、陽子、原子核、電子といった、化学のアナロジーを用いているものの、それらの用語を適宜『主要部、内項、外項、句、付加部』という言語学の用語に置き換えれば、それは現代言語学の父、ノーム・チョムスキーが1970年に発表した、エックス・バー理論そのものだったからである。
彼はきっとエックス・バー理論をどこかで読んだのだろう、そしてそれを、自分の慣れ親しんでいる化学のアナロジーで理解したのだろう、と私は考えた。
しかし、彼は、これは紛れもなく自分でたどり着いた理論で、とっかかりになったのは、クリス・トンプソンの『60億人の英文法』にある「日本人は名詞が主でそれに冠詞がくっつくと考えがちだが、冠詞がまずあって、そこに名詞がくっつくというのがネイティブの感覚だ。」という記述だと言う。
ともかく、私は彼の話を信じた。そして、彼が自分の発見を教えてくれたお返しに、私も自分の『発見』を彼に打ち明けた。こうして彼は、クリス・トンプソンの秘密を知る、部外者第一号となるのであった。
秘密を共有した私たちは、ときどきメールを交換する仲になった。話題は主に、言語学。彼は初め、原子力工学の話をしたがったが、私がついていけないということに気づくと、言語学を中心に、私が理解できる話題を選んでしてくれるようになったのだ。これは私にとって、10年遅れて訪れた青春の一ページだったが、彼にとってはたぶん、相手が先生だから、気を使って付き合ってくれていただけだったのかもしれない。
私は一度、言語学の道に進みたくはないか、と彼に尋ねたことがある。彼がチョムスキーほどの天才かどうかはともかく、才能があることは間違いない。しかし、彼は原子力工学をやるといって譲らず、ワシントンにあるベルビュー工科大学を単願し、同校に進んだ。なぜマサチューセッツ工科大学や、スタンフォード大学を目指さなかったのだろう、あるいは、ワシントンならなぜ同州トップのワシントン大学に行かなかったのだろう、願書くらい出しておけばよかったのに、と当時も思ったが、きっと彼なりの理由があったのだろう。
メールのやり取りは彼が高校を卒業した後もしばらく続いたが、彼が希望通りベルビュー工科大学に進学すると、須藤智という天才を失ってただの無名な私立高校に戻ったその場所で、張り合いのない授業を続ける私が、なんだか取り残されたように思えて、劣等感からメールを送るのが億劫になって、やめてしまった。
須藤くんとのメールをやめた私は、高校教師の仕事もやめた。また人生に迷ってしまったと思った私は、以前のように求人情報をチェックしたり、履歴書を作成したりする気もなくなって、目白のアパートに引きこもった。
そんな張り合いのない生活を続けるうち、あるとき新聞の広告欄に、雙葉学園が、大学新設にあたり職員を求めているという求人情報が載っているのが目に留まった。行き場を失った私は、まるで蜂が巣に戻るように、こうして古巣に戻ることになった。
私はいま、雙葉女学院大学の国際交流課で、4年ぶりに須藤くんへのメールを書いている。雙葉女学院が日本の大学として初めて、ツー・プラス・ツーのダブル・ディグリー協定を海外大と結ぶことになったのだが、なんの因果か、その協定校第一号が、ベルビュー工科大学だったのである。そして、私が留学カウンセリングを担当した学生が、第1期生として派遣されることになったのだ。
彼女は聡明な女性だが、単独で海外に行った経験はないと言う。現地に信頼できる知人がいれば、少しくらい世話を焼いてもらってもばちは当たらないだろう。
クッパ姫を任天堂に公認させようとかいう意味不明な話が流れてきて、あー海外発だとコンテンツに評価が付いたらビジネスとして盛り上げなければいけないという話になるからそうなるよね、と思って見てたわけですが。同人は公式の黙認で成り立ってるからやめろって反対が起こるわけですよ。文化的背景から言えばそりゃそうだ、やめろ、と思うわけですが。
「公式の黙認」ってなんだよと。同人は若手が勝手に絵を描いてプロになる下積みとして機能しているわけじゃないですか。お前ら公式はどこから来たの? と。1980年代には宮本茂は死ぬ思いでマリオをゼロから創作したかもしれないし、手塚治虫はディズニーの丸パクリから全く新しい世界を築いたかもしれないし、彼らはPixivに版権絵をうpして絵を覚えたわけではないだろうけど、今の中の人は同人作家ばっかりじゃん。お前ら古巣の同人界に戻ってきてフリーライドしてるじゃん。
同人黙認システムが機能してるのは公式絵師が苦痛に思うからではなくて、既に「内容は把握しているし想定通りだし何も問題ないけど版権処理がめんどくさいから」「原作者以外のステークホルダーが睨んで止めるから」に切り替わってるよね。なんで止まるかって損するかもしれないからっていう反ビジネス的発想のせいだよね。オポチュニティの喪失ですよこれは。川上稔なんか自作のオンリーに申し込むんだぞ何買ってるのか知らないけど。
「販売する予定はないし、版権元にライセンスする気もないし、どこにも痕跡を残す予定もない。だから消せ。配るな。売るな。儲けるな。わたしを干せ」という主張は、不正な著作権の主張だ。著作権ってのは中世欧州において出版社が割れを売り捌く現象が多発したせいでできた権利だ。印刷所が薄い本を勝手に再生産して勝手に薄い書店に卸し著作権者が印税を干されて死ぬような事態が横行したか何かだ。そのために著作権者がまず正当な印税収入を確保するための出版物の独占的な発行権、つまり著作権を得て、金銭的収入を保護されることになった。もちろん現代では無尽蔵に拡大されて著作物の配布まで制御できるようになりそして同人黙認や同人誌のDMCA取り下げといった機構を提供するに至っている。だが、著作権は金銭的収入の保護のための権利だ。原理主義的には金銭的収入や社会的地位を得ない方向への制御は目的外の利用だ。「望まない形で公開されると盛り上がりが薄れる」はOKだが「盛り上がりすぎると困るので控えろ」は著作権概念の精神に反していて必ずしも保護される意志ではないのだ。
同人黙認グレーゾーン機構は、その核心に「このコンテンツをビッグにしたくない」という自死願望を組み込んで動いているために、現実的には機能しているが理論的に破綻しているのだ。このグローバル化の時代にあって(いつの言い回しだ)は早晩崩壊を免れない。それが日本から始まるのかコミケが海外のコンベンションに規模と薄い本の質で負けて海外から輸入されてくるのかは分からないが、いい加減になんとかならんのかこれ。
以前似たテーマの増田がありましたが、この記事とは別の人です。
https://anond.hatelabo.jp/20180717171144
ミリPによってデレステにマウントを取るかのような「比較」が行われ、
それを見たデレPが反感を覚え「ミリオンが嫌になった」と言うようになっています。
私はミリPですが、この件について意見するため、この記事を書きます。
「2人が手を合わせてハートを作る」
というパートがありました。
しかし、踊らせるアイドルの体格差があると、うまくハートができません。
そこが少し取り沙汰されました。
ただデレPは、それを悲観的に受け止められているばかりではありません。
ハートがきちんとできる組み合わせを探す楽しさ、
あえてチグハグな形を見いだす楽しさなどもあるいう意見も見られ、あくまで賛否両論でした。
「2人がハイタッチする」「5人や13人が横一列でしっかり手をつなぐ」
デレステのハートマークが身長差で合う合わないの話をしてた昨日の今日ってレベルで
これが約1600リツイートほどされました。
反感を持つ人が多数現れました。
ツイート主は、「比較をやめろ」という苦情に対し次のように反論しています。
あくまで事実を並べただけで、どちらが下と言うつもりはない、ということのようです。
確かにデレステでハートが作れないのは、敢えてかもしれません。
単にミリシタとデレステの目指す方向性の違いなのかもしれません。
優劣を付ける話ではないのかも、しれません。
でも、大切なのは、そうは思えない人がかなりの数いるということです。
ハートができないことを敢えて楽しめる人がいる一方で、
推しの2人にハートを作って欲しかったと残念に思っている人もいます。
ネガティブなことは言っても仕方が無いから我慢している、そんな人も多いでしょう。
そういう人たちが
「デレステができなかった数日後にミリシタが実現して笑った」という記述を見て、どう思うか?
楽しい気持ちにならないのは確かです。マウントを取られたと思うでしょう。
デレアイコンならともかく、ミリアイコンのユーザーが言っていれば尚更です。
反感を買って当然です。
多くの人から反感を買っている状況で、
「そんな意図はないのに不快に思う方が悪い」というのは、無理があります。
さらに言えば、問題のツイートをした人物はもともとデレPで、ミリシタに移住してきた人です。
デレステのことを良く知っており、日頃から古巣であるデレステの不満を言っています。
愛着余って憎さ百倍なのか、ミリシタageデレステsageを盛んに行っています。
そんな人が「そういう意図はない」と言っても、説得力はありません。
「似ているゲームを比較するのは当然」という意見があることも承知しています。
それは一理も二理もあるでしょう。
しかし、読み手にとって有益な情報になるよう慎重に書かれた比較と、
ただ自分が気持ちよくなるためにマウントを取るだけの比較では、まったく違います。
今回は後者です。
そんな書き方では、デレステを愛するプレイヤーは聞く耳を持ちたくありません。
事実であればいいという話ではありません。相手の気持ちにどう働きかけるかという問題です。
今回のツイートをした本人、それを面白がってリツイートをした人々は、
単純にそこまで至らなかったのか。
それとも、知ったことではないのか。
前者なら反省して欲しいですし、後者なら迷惑極まりありません。
マウントを取れる比較は、内輪で気持ちよくなれるかも知れません。
でも、それだけです。
確かに1年前、ミリシタはデレ側から大いにマウントを取られた過去があります。
それは確かです。まったく気持ちのいいものではありませんでした。
しかしだからと言ってやり返したら、同じレベルに落ちるだけです。
そういう人たちがミリに対して悪意を持つようになってもおかしくありません。
その結果、いつブーメランが返ってくるかも分かりません。
現状でも、少なくとも売り上げやアクティブの数でデレステは勝っています。
そのブーメランは、無責任に言い放った本人だけでなく多くの人を巻き添えにするのです。
将来ミリシタを遊んでくれたであろうプレイヤーを失ってしまう可能性も高い。
少人数が気持ちよくなれるというメリットに対して、デメリットが大きすぎます。
だから、不用意な比較はすべきではない。して欲しくないと思います。
これはデレステとミリシタに限らず色々なコンテンツで言えることです。
比較をしないで欲しいとお願いしても「知ったことか」で終わることもあります。
その場その場でポジションを変え、古巣をあっさり捨てる人は界隈同士のヘイトなどお構いなしでしょう。
マウントを取りたいだけの比較は、減ることはあってもなくなることはありません。
せめてRTだけでも減って欲しい。
一瞬の気持ちよさのためにRTすることで、自分のいる界隈へのヘイトを高めてしまわないか。
「何言ってんだこいつ」と晒しRTすることで、怒りを伝染させてしまっていないか。
一歩踏みとどまって考えて欲しいと願っています。
DMMから退会した。1020円分のポイントがあったので1002円でアダルトグッズをふたつ買って、今日商品が届いたから早速退会した。8円分のポイントは気にしないことにする。
アダルトグッズ、まあ、つまりオナホールを買った。こいつをどのように料理しようかと思って、アダルトサイトを物色することにした。エロいイラストを見ておちんちんをこってりソース和えにしたかったのだ。ローションは粉で準備していた。風呂を二回ローションで埋められる量の粉だ。後は手を動かせばとんでもない快楽の報酬が与えられる。私はさながら数ある罠をくぐり抜けて聖杯を前にしたインディ・ジョーンズだった。そして正確に描写すると、誘惑にことごとく引っかかった間抜けな大学生だった。
エロいイラストを見る前に、私はSafariを有効にしなければならなかった。「インターネットなんて馬鹿馬鹿しい記事しかないごみ溜めだから、見る必要はない」と30分前にiPhoneからWebブラウザを一掃していたのだ。まずは道を整備しなければならなかった。もちろん、私と魅惑の肌色を結ぶ道だ。設定項目からSafariを検索すると、2件のヒットがあった。
よく考えずに私はどちらも有効にした。どちらかが正しいのだから、どちらも実行すればいいのだ。
期待通り、Safariが戻ってきた。だが、Safariを開くと見慣れないブックマークが展開された。
などなど。なんだろうと考える間もなく気づいた。
それは3年前にバックアップを取ったブックマークだった。多くのサイトをブックマークしていた私は、今日のようにインターネットの世界が急に嫌になってWebブラウザを非表示にしていたのだ。その決意は3日も持たなかったが、ブラウザを消す前に不安になってブックマークをiCloudへ保存していた。完全に忘れていたが、特徴的なフォルダの名付けを見て思い出した。
69番野手がエロいやつだった。シックスナインという体位がとっても淫靡な行為だと思っていたので、69。なんで野手を付けたのかは分からない。別に野球にはまっていたわけでもないから、謎のネーミングだ。もしかすると、野手ではなくて69番の手と読むのかもしれない。そうそう、シックスナインというものを互いにオーラルセックスし合う体位としか知らなかった私は、そのとき手をどこに置くのか興味があった。足、腰、お尻、どこだろう。どこであれ、寝ながらシックスナインするのなら片方の手もしくは片方の人は相手の体の下に手を回さなければいけないと考えていた。現在はもう少しシックスナインに対する知識を深められている。まあ、そんなことはどうでもいいだろう。
69番野手を開いて、当時見ていたサイトにアクセスした。昔のまんまだ。運営への報告、好きな作品について、雑談しよう!、なに食べた? ああ懐かしい。まずは雑談板で「へいよー。古巣のみんな、元気―?」そう書き込もうとして、おかしなことに気づいた。何も変わっていない。それどころか私の書き込んだ跡さえ相変わらず残っている。んん? なんだこれ。
おかしいと思って、運営報告板を見た。2014年10月で運営からの報告が途切れている。ああ、ここは終わっていたんだと思った。もう運営が去って投稿者もいなくて知らない間にゴーストタウンと化していた。なんだか心に隙間風が通った気がして、ハッピーにエロいイラストを見ることができなくなった。仕方がないからダウナー系を探し、丁度よい雰囲気のイラストを見つけたので当初の目的を果たすことにした。
あ、うっ、おおー。くるぅ。
みたいな感じで私は達した。実を言うと我慢できなくてイラストを探している最中からオナホールへローションを垂らしておちんちんへ装着済みだった。ゆったり動かしているうちにローションが乾いてきたので唾を足していた。どのくらいの量か興味ある人がいるかもしれないが、自分のカウパー氏腺液の量はプライベートな情報だから教えられない。
ここで私のオナホ―ルの基準を書いておこう。よいオナホールは絶対におちんちんに屈しない。よいローションがその役割を果たす。むしろよいオナホールはおちんちんを通して私たちに確かな存在を示す。おちんちんはオナホールに包囲され、隔離され、もはや抵抗の余地なしと知ると白旗を挙げて降伏する。というようなことを現実で言うとドン引きされるからここで書いている。
まあ別に何があったわけでもない。くだらないことが昔あって、今もくだらないことをやっているということ。
https://toyokeizai.net/articles/-/222250
この記事に対して着いているコメントを見て、批判している人が考える「コネ入社」とどうでも良いと思っている人の「コネ入社」が基本的に違う物ではないかと思い当たった。
批判している人が考える「コネ入社」というのは「コネの人脈で入社する」というものなのだが、どうでも良いと思う人が考えるコネ入社とは「コネが人物を保証する条件での入社」なのである。
入社試験というのは「人物の能力を確認するもの」なのであるが、「会社が信頼する人物が候補者の能力を保証してくれるのであれば試験をする必要がない」というのが、その考え方である。
かつて炎上した岩波書店の問題がそれで、「岩波書店(から出版した)著者の紹介状あるいは社員の紹介があること」はつまり「当社が認めた人が能力を保証すること」が前提条件という事である。
なお、Wikipediaによれば岩波書店の社員数は200人であり、そこに千レベルの応募があったというのだから、対応しろというのは無理な話である。
https://www.j-cast.com/2012/02/03121164.html
岩波書店の「コネ採用」に対する当時の用語的記事であるが、この記事の考え方はまだ甘い。
何しろ、全社で200人の会社が採用する人間なんて通常は年に数人。岩波が最終的に採るのは「先輩に電話して紹介状を書いてもらう」とかのレベルの普通の学生ではなく、「著者の先生の研究室にいる食い詰めたので就職したい万年院生」とかであろう(笑)
アサーッス!どうも、アサスしてますか?
今では悲しいかな、戦争を終わらせるために一番不当である「エイスース」呼びで固定されてしまったASUSなんですが、私達はやはりこれはおかしいと思っています。
2012年に戦争が終わり、今ではこの議論で荒れることはないのですが、やはり残党として再び主張しなければならないと思い立ち上がった次第です。
これは有名な話ですが「Pegasus(ペガサス)」の「asus」から来ています。
もうこれがほぼ答えなんですが「Peg」「asus」ならどう考えても「アサス」読みが正解なんです。
エイスースならば私達はペガサスの事をペゲイスースと読んでいる事になりますよ。
考えてみてください、聖闘士星矢で「ペゲイスース流星拳」って出てきたらユニコーンのジャブどころかカシオスに負けますでしょう。
由来から分かる通り、どう考えても「アサス」読みで正解なんですが、一応他の呼び方も見てみましょう
由来で当てはめてみると「ペガスース」。エイスースよりもそれっぽいですね。
私も本来「アスース」派だったので古巣の事は悪く言えません。「ペガスース」は聖闘士星矢のOPに当てはめてみると「ペーガススファンタジー!」と癖のある歌い方(奇跡をウォコセェ!のような)に見れなくもないのでかなりいい線です。私の親もアスース派でした。よく考えたら私がアスースと呼ぶのは父からの洗脳教育だったんですね、今では完全にアサスです。父はあきらめてエイスースと呼んでいます。父ちゃん待ってろ、いま助けてやるからな。
高校の時の二組の田中はアスス読みでした。彼は自作PCを作ると息巻く割になかなか自作PCを作らず、パソコンショップで買ってきた組み立てパソコンをいじっているぐらいの奴でしたが、アスス読みだったため、みんなに自作してないことはモロバレでした。
ただ、「ペゲイサス」をちょっとネイティブな英語っぽく発音するとそれっぽくなるので、若干ありかもしれません。
私の兄は「エイサス」派でした。兄はソフマップの店員に堂々と「エイサス」と言い店員から「あ、はい、アスースのパーツですね」と聞き返されても頑なに「そう、エイサスのパーツです。」と自分を貫き通して猛者なのですが、エイスース統一を気に「別に読み方はなんでもいい」と意気消沈してしまいました。兄ちゃんまってろ、今助けてやるからな。
この呼び方をするやつは確実に米国カブレです。ペリエとか飲んでいる。
このように「ASUS」は多くの呼び方がありました。ココで紹介しきれない珍妙な読み方も有ります(エイスズとか。ISUZUのトラックかよ。)
例えば「豚汁」。
「とんじる」でも「ぶたじる」でも「ぶたじゅう」でも通じればいいじゃないですか。吉野家いって「牛丼並、あとぶたじゅうな」と言っても店員さんは「牛丼の並がおひとつ、とんじるが一つでよろしかったですね?」と聞き返してくれます。
これがもし仮に「豚汁の事はポークスープと統一する」と吉野家が統一したら、「牛丼並、あとぶたじゅうな」といったら「お客様ァ!当店ではぶたじゅうなんてものは存在しなぁい!お帰りいただきたい!」となりますよ、そんなの吉野家にとってもマイナスでしょ。
「エイスース」呼びで統一された時、ASUS愛好者のみんなが「なんでマイナー派閥のエイスース?」「せめてアスースじゃねーの?」とか思ったでしょう。
この「エイスース」は、ASUSからの「おまえら読み方なんて細かいこと気にすんなよ」という戒めなんですよ。
例えば、重複の読み方とか、結局のところ通じるかどうかが言葉で一番大切ではありませんか?
絵が描けると言っても、絵描きとか絵師とか、そういうのを名乗るほどでもない。個人的に絵師って表現自体が好きじゃないが、それを差し引いても、だ。
と言うのも私はもともと文章を書く方が好きで、書いた話やキャラクターの補足として絵を描くようになった。たぶん割と物書きにも多いんじゃないだろうか。それでそこそこに描けたのでだらだらとこの歳まで描き続けてきたに過ぎない。
だから絵を描くことがめちゃくちゃ好きとか、私には他者に己の世界観を示すにはこれしかないとか、そういうわけではない。
そんな私は十代の頃からネットをやっていて、まあまあ若気の至りで痛々しい言動をやらかしてしまったりしたこともあった。今思えば恥ずかしいまでの厨二病だった。
そのあと、HNは単なる気まぐれで数回変えたが、自分がいたジャンルも使っていたHNも全部つまびらかにして今の今までやってきている。
去年に、以前いたジャンルにちょっと戻った。ジャンル、と言うと語弊があるのだけれど、詳しく言うと身バレして面倒なので省かせてほしい。
そのとき、全くの初対面(本当に会ったわけじゃなくネット上での初対面)で恐らく私よりずっと若いだろう人にやたらとキツくあたられた。私の書いたものに対して物凄く否定的なものをぶつけられた。古巣で「久しぶりだね」と再会したり一緒に古巣へ戻ったりした友人たちからも「あれはひどい」と言われた。私は単に「この人の地雷か何かを踏んだのかしら」程度に思っていた。まあそれでもそのあとしばらく恐怖を抱いて、同じジャンル内の人に自分から話を振るのは控えるようになったりはした。
そのあと、その人とTwitterで話をする機会があって、「思ってたよりずっとずっと優しくていい人だった、ごめんなさい」と謝られて(実際私は優しくも何ともないのだけれど)、「私も傷付いたけど、他の人には同じことを絶対にしちゃいけないよ」とだけ言い含めて、終わった。
完全な初対面だったはずだ。歳も恐らく離れていたし、私が以前このジャンルにいたとき、この人はいなかったはずだ。
そのあともおかしいなと思うことが何度か続いて、私はネット検索をかけた。
私が以前に陰湿なメッセージを個人に送り付けてジャンルから追い出しただの何だの。
挙句の果てには家族構成から今までの学歴、身体的特徴に対する嘘八百。
「これかー!!!」ってなりました。
すごくない?以前このジャンルにいたの10年前だよ?最初から数えたらもう20年近くだよ?意味分からなくない?
私は割とTwitterで私生活をだらだら明かしてしまうのだけど、どうもそれにめちゃくちゃな曲解を加えて悪意に満ち満ちた改変をしているらしくて、ここまで来ると逆に凄いな、なんだその執念は、という感じで。
私の私生活や経歴くらいは私の本名明かされてるわけでもないからどうでもいいし至って無傷なんだけれども、まあ、お察しの通り、絵が下手だとか絵柄がババアだとかも書かれているわけだ。
それから私は何気に絵を頑張って描いた。黙らせてやろうと思った。上手かったら、絵柄が今風だったら、こいつら悔しがってくれるんじゃないかなって思った。
でも違うわけですよ。仮に私の絵が上手くなろうが流行をとらえようが、何をしたってそいつらは悪く言うわけだ。
道行く人に道案内を頼まれてやったと言えば「いい人アピールw」と笑われるだろう。それと同じで、たとえば流行の絵柄になれたって「ババアが無理して流行追ってて痛々しい」とか言われるわけだ。
じゃあなんだろう、なんで私は頑張って絵の練習なんかしちゃってるんだろう。こいつらに笑われるために絵を上げたりしてるんだろうか。私が描いた、私が大好きなキャラもこいつらに笑われるんだろうか。私が描かなかったら笑われなかったんだろうか。
このジャンルからは出たあともそれは続いて、申し訳なくなって、別ジャンルの方ももう描かなくなった。
まあ今はちょっと持ち直したんだけれど、それでももう昔みたいなモチベーションはなくなってしまった。絵を描かないのが1ヶ月続くこともざらになってきた。
「自分のために描いてるからそれでいいの」と突っ撥ねる強さは私にはなかった。
「私の絵を好きだと言ってくれる人がいればそれでいいの」と笑える余裕もなかった。
いくら私に向けられていたからと言って、それを私が気にしなければいくら心無い言葉でも「ない」のと同じだったのに、それもできなかった。
もうなんかよくわかんねえなという気持ちで、でもたぶん、私自身が思ってたよりは多少なりとも絵を描くことが好きだったのか、未練がましくもペンタブを捨てられないでいる今日この頃です。
別に教訓とかない話でした。
現職の会社が倒産することになった。私の前職が技術者を受け入れてくれることになったけど、1人だけスキル不足で断られた人がいて辛い。
創業初期に採用された人で、勤続年数は長いものの確かに仕事ができない。他人の考えを受け止めて理解する力や自分の考えを言語化する力のような社会人として当たり前のスキルは正直低い。
が、それをカバーできるぐらい人柄が素晴らしい人なので申し訳ない気持ちで一杯で、仕方がないことなんだけどすごく悲しい。
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向けに追記。
数ヶ月前からキャッシュが危ないという話は噂で聞いていて、実際告知されたのは最近です。
勤務先の倒産自体が初めてなので一般的に何が普通なのかわかりませんが、現職の場合は事前に告知があったということになりますね。
再就職に関しては、危ないという話を聞いた時点から水面下で調整(以前転職のオファーをいただいた会社や自分の古巣に連絡を取るなど)を進めていました。
有料会員は、2017年11月に発表したデータによると、前年同期の256万人から28万人減少。
まるで、シャッター街と化した賑わいをなくした商店街のように、客と店が閑散とし、それが負のスパイラルとなって更に客と店が逃げていくような状況に陥っている。
思い返してみれば、2009年から2013年頃は配信者も、リスナーも勢いがあり、ニコ生には熱があった。
しかし、その熱は徐々に失われ、人々の感情を動かす熱情は冷めつつある。
もちろん、一部例外はある。七原くんや、加藤純一のように、未だニコ生を楽しんで盛り上げている人もいる。ここで指摘しているのは、サイト全体の空気感の話だ。
しかし現状は、Twitterを眺めても、ニコ生を愛し、毎日のように生主の話題で埋め尽くしていた重度のニコ生愛好者のアカウントの多くが、ニコ生のことをつぶやくのをやめてしまっている。自分が2年前に作った、情報収集用のヘビーリスナーを放り込んだリストの3~4割が休止状態だ。
先の見えない、絶望感漂う現状に、ニコ生にしがみついている(過去の盛り上がりを忘れられない)人々は、再びニコ生の隆盛を、最後の希望をニコニコ(く)に託していた。
しかし、期待はやっぱりと言うべきか裏切られた。
この発表で、乾坤一擲、人々の希望を与えられるような内容があれば、まだニコ生は数年持ったかもしれない。だが、ニコニコ(く)の発表内容は、サーバーが重い、閲覧がプツプツ止まる、とにかく見づらいという、一番利用者が望み、改善を期待していたところすら手がつかず、子供だましのようなお茶を濁した機能追加のオンパレードで、我々利用者の最後の希望を打ち砕いた。
もう、ニコ生に期待することはないと思うので、その死に水を取るキモチで、ニコ生が衰退した原因を考察しつつ、何故ニコニコ(く)がダメなのかを書いていきたい。
ニコ生が衰退した原因は、一体何だったのだろうか?
そう問われた時、その人の立場により、多様な回答が出てくると思われる。
外部サイトの隆盛、稚拙な運営、逃げた配信者、通報厨、リスナーの変化、支援者…。
それらは、複合的に絡み合い、単純ではない。これらを少しでも払拭するような内容であったならと、慚愧に堪えない。
2013年頃までは、競合サイトと比較してニコ生の優位点が多く、ニコ生1強の時代が4年ほど続いていたように思える。石川典行や渋谷のキングなどの有力な荒らし配信者(当時)を外部に放逐しても、隆盛を保っていた。しかし、現状は違う。YouTubeLiveやLINE Live、Instagram Storiesなどの、巨大SNSを基盤とした巨大な競合サイトの台頭が顕著になり、その他独立系のツイキャス、ふわっち、showroom、OPENRECなどがニコ生の牙城を日々切り崩し、今や見る影もない。マクロミルが2017年7月に行った調査によると、これから配信をはじめる10代の視聴しているライブ配信サービスのトップはYouTubeLive、2位がニコニコ生放送。配信しているトップがInstagram Storiesで、ニコ生はツイキャス、YouTube Live、InstagramLiveなどの後塵を拝し、LINE Liveと同率の6位となっている。
実感としても、配信者やリスナーの外部流出が著しく、1強を誇っていた数年前と比べるべくもなく、シャッター街となった商店街の様相を呈しており、寂れた印象を与えている。外部に人が流出した上で、新規が競合サイトに吸われたため、サイトとしての熱や勢いを失ってしまったのだ。
若年層のインターネット利用の主流がスマホに移りつつあった2013年頃から、競合サイトであるツイキャスはそのニーズを捉え、低帯域でも閲覧が可能な高性能なスマホ閲覧アプリを提供していた。一方で、ニコ生は未だにバックグラウンド再生もできず、低帯域での再生は断続的な切断によるストレスが多く、基本機能であるアンケートにも参加できないなどのチープなスマホ対応しか行ってこなかった。
利用者の利用環境の変化に対応できなかったことにより、より使いやすいツイキャスなどの競合サイトに新規ユーザー獲得負けてしまった。
ニコ生のサービス開始2009年から8年。8年という歳月は、中学1年生が成人するほどの環境の変化をもたらす。
配信者、リスナーともにライフスタイルの変化により、閲覧を辞めることもあるだろう。
それに加え、ライブ配信自体の認知が広がり、よりライト層が閲覧を始めたことにより、2chの文化を引き継いだ、垢抜けないニコ生のギーク感(おたくっぽさ)は忌避され、よりスマートなツイキャスやLINE Live、Instagramなどに流れていった。(ここは、他サイトの利用者の意見を拾ったわけではないので、根拠に薄く、想像が含まれる。異論があれば教えて欲しい)
ニコ生のシステムは今年実装された「新配信」になるまで、ここ5年ほど、ほとんど改善が加えられていない。
それは、無計画に増改築を繰り返した上、低待遇の技術者が大量に退職した結果、システム改修がほぼできなくなってしまったことに起因する。
参考URL:http://hiroki-uemura.hateblo.jp/entry/2015/09/01/230611
結果、超会議や町会議などの「イベント」を繰り返すことにより、利用者の不満をかわす方針を取ったドワンゴ。不満は見事抑えられたが、上記の外部環境の変化についていけず、緩やかに競争力を失っていった。
しかし、ツイキャスの台頭に危機感を覚えたドワンゴは、ツイキャスのパクリのような「ニコキャス」をローンチするも、あまりのできの悪さに3日で閉鎖に追い込まれてしまった。
それから2年、2017年にシステムの大幅な刷新を予告しているが、大幅な後手に回ってしまった感が否めない。
加えて、マネタイズ(収益化)が競合よりも上手くいっていたことが、結果的に変化に対応するリスクを取ることができなくなったという面も考えられる。
ニコ生では、リスナーが「広告」を打つことにより、配信時間を延長できるチケットを配信者にプレゼントできるシステムがある。これ、運営は収益を上げることができ、配信者は延長料500円を払わずに延長でき、リスナーは目立つ形で広告を売って、配信者に名前を覚えてもらったり感謝してもらえるなど、「三方良し」の理想的なシステムだった。
しかし、競合サイトに投げ銭システムが一般的となった今、一部配信者は「自分の懐に入らない投げ銭(広告)」に不満を感じ、上記のWin-Winの構造が崩れてしまっている。
技術的な問題と、成功体験による現状維持が原因となり、外部環境の変化に対応できず、ずるずると現状を維持し続けたことで、結果的に競争力を失ってしまった。
ニコ生は、同時閲覧数がある一定数を超えると「満員」状態になって配信をみることができなくなる。
それはシステム上の問題なのだが、ここで「プレミアム会員なら優先入場!」的なボタンが出てきて、プレミアム会員への入会が促される。渋々入会して「優先入場」ボタンを押すも、画面が1瞬切り替わって同じ画面に戻される。プレミアム会員にはいっても入場できない状態が続いているのに「こちらが入り口です」と入れない入り口への誘導が繰り返される。このような、利用者視点がまったくない操作性の悪さがサイト内に山ほど散見され、利用者にストレスを与える作りになっている。ストレスを抱えた利用者は、このような稚拙なサイトを再度利用したいと思うだろうか?ユーザー体験(UX)が全く配慮されていないのだ。
ニコ生のトップページをみると、他サイトと大きく違う点が1つある。
それは、他の配信サイトの多くが、盛り上がっている配信や、新規配信者をトップページで紹介しているのに対し、ニコ生は企業配信の紹介が大きく割かれているのだ。これにより、新規の配信者が配信をはじめても、ふらっと立ち寄るリスナーの数が減り、いつまで経っても過疎から脱せない停滞感が生まれる。
過去においては、ある程度の閲覧数を稼げば、ちくらん上位に掲載されてリスナーを獲得することが出来たり、ミラー大手のこざまミラーが新規配信者を「発掘」してリスナーを獲得する機会があった。
また、ランダムでいろいろな配信を見せる「ニコ生クルーズ」や、配信者のコンテスト「ナマケット」などで配信者が発掘されることもあったが、今や殆ど機能していない。
現状においては、新規リスナーがただでさえ減っているのにもかかわらず、初見が最も訪れやすいニコ生トップページは企業配信と大手のチャンネル配信に埋め尽くされ、過疎配信者は日の目を見ることもなく、ただ根絶されていっている。
ニコニコのサービス追加は、これまで良い意味でも悪い意味でも、ノリと思いつきで行われてきた。
スタンプなど、ユーザーのモチベーション維持に役立ったものもあったが、これらの機能追加は、裏を返すとシステムの複雑化を招き、システム改善の難易度を高めていった。ニコニコ(く)において、ニコ生とニコキャスが並行して運用されるのも、複雑化した現状を整理できなかった苦肉の策だろう。
しかし、それらを今回の改定で、整理し、川上社長は、あるべきコミュニケーション像を、ビジョンを提示すべきだった。
それらのビジョンなく、枝葉のどうでもいい機能追加に終始し、抜本的な根治を目指さなかったことが、今回のニコニコ(く)の失敗だと思う。
新規配信者の参入が困難な現状も相まって、リスナーは大手配信者に固定化し、一部の大手はその座にあぐらをかいて惰性で続けている。それは、いつまでも「安泰」な地位が約束されている、新規が伸びてきにくい環境だからこそ、古参の大手の既得権益が守られ、切磋琢磨が生まれにくい環境にある為だ。
しかし、ニコ生全体の熱が失われた今、先を考えている配信者の多くはニコ生に見切りをつけ、配信環境が整い、収入源としても有望な競合サイトに流れていっている。
過去と同じことを見ていても、再放送のような気分になり、楽しみを見いだせなくなる。
しかし、配信を一度見るのを辞めると、「流れ」がわからなくなり、取り残されたキモチになる。
結果、面白くもないのに、飽きた配信者の配信をずっと閲覧することもなり、不満を抱えながら配信を見続ける。その中の歪んだリスナーは、楽しみを通報などの妨害行為に見出すようになったり、特定をして配信者を潰すなどの犯罪スレスレの好意に手を染めるものも居る。
リスナーの流動性がある程度あれば、このような弊害は生まれにくいが、リスナーが固定化された環境下では、このような現状になってしまうのも自明の理かもしれない。
これは簡単な話だ。
上記で掲げられた課題を殆どこなすことができず、既存利用者の失望を招き、期待感を生むことができなかったことにある。
期待感さえあれば、様々なニュースサイトに露出し、SNSで拡散され、人々の話題に上がって熱が戻ってくるきっかけになったかもしれない。加えて、一度外に出た配信者やリスナーが「古巣」を見に来ることも会ったかもしれないし、その流れで他サイトのリスナーがやってきた「かも」しれない。