はてなキーワード: 修道会とは
脱コルや反ワクチンのように怪しいものから抜け出した体験談を語るとみんなから褒めてもらえると聞いたので私の体験を書く。
むかしシドニィ・シェルダンの人が書いた小説でこんな話があった。たしか「時間の砂」か「星の輝き」のどちらかだったはずだ。
あるところに二人の姉妹がいた。最初お姉さんはブスだけど心優しい女性だった。妹は美人で誰からも愛されてた。
最初姉妹は仲良かったが、姉は何をやってもかわいい妹と比べられた。何をやっても妹は愛された。努力して何でも妹より良くできるようになったが、結局愛されるのは妹だけだった。
そんな姉の唯一の自慢は歌うことだった。歌を歌っているときだけは家族も褒めてくれた。何もかも忘れて歌うことが一番楽しい時間だった。あるとき、妹が勝手に姉の録音をテレビ局に送ったらプロデューサーが家族のもとにスカウトにやってきた。そのとき何も知らないプロデューサーは見目麗しい妹が声の持ち主だと思って熱烈にスカウトした。テレビ番組デビューまで持ちかけた。しかし、その声の持ち主が姉だとわかると途端に手のひらを返し、「声優事務所にでもいけ」と冷たくあしらい、なおも妹をスカウトしようとした。
唯一の心の支えだった歌すらも自分を苛むようになった姉は絶望し、すべての執着を捨てようと厳格に清貧な生活を求めるキリスト教の教会に入った。その修道会で数年は平穏な日々を過ごしていた。しかし、ある時事件に巻き込まれ男を知った彼女は、押さえつけていた欲望を取り戻す。そして、自分がすべてを諦めるきっかけになったあのときのことを深く恨んでいたことに気づく。その後はキリスト教という正義を元にやりたい放題するようになる。あのとき自分を否定したものを逆に否定し、自分のほうが正しいと証明しようとする。
見た目に反して心は美しいと語られていた彼女だったが、最後には自分に逆らうものは見境なしに攻撃するような、見た目にふさわしいおぞましい怪物になってしまったのである。
子供の頃この小説を読んだとき私は怖くて仕方なかった。私にも可愛い妹がいて、コンプレックスを感じていたから、将来こんななってしまうのかと思うと涙が止まらなかった。
今の社会では女性は誰かから愛されてようやく一人前という扱いをされがちだ。男性でなくてもいい、だれかから愛されないと人間失格のような扱いを受ける。
そういう状況で、自分は愛されないのに自分の妹がアイドルのように美人であり、妹だけが家族からも周りからも愛されているのを毎日のように見せられる生活を考えてみてほしい。
毎日のように自己を否定され続けた人間はいったいどうやって自己肯定すればよかったのだろう。
これは私だけの話をしているのではない。普遍的なテーマだ。ファイアパンチの作者も少し位相を変えて妹の姉という作品を描いた。
ほかにも美人の友達に嫉妬するブスのマンガはtwitterでしょっちゅうバズっている。ああいうものに「痛いほどわかる」などと軽い気持ちで共感する女が私は大嫌いだ。本当にわかるならそんな軽い気持ちで共感などできるはずがない。私はそういう漫画が賞賛されているのを見るたびに怒りで震えそうになる。
妹のことは好きなのだ。妹を憎んでるわけではないし、憎んでも解決しない。しかしそれならこの劣等感はどうやって解消すればいいのだろう。
答えは決まっている。フェミニズムだ。
こんな劣等感を感じさせる社会が間違っているのだからそれを打倒するしかない。ルッキズムを批判したり、若くてきれいな女を好む男社会すべてを否定するのだ。買春している政治家などこの世で最も許せない存在だ。妹への愛情と妹へのコンプレックスという矛盾を解消するには、社会を打倒するしかない。それができないならキリスト教にでもはいって神の元の平等を願うしかない。大抵の人間はフェミニズムを選ぶ。
一歩踏み出せばあとは簡単だ。自分は妹より美しくないというだけで否定されてきたのだから、自分よりキモい存在が市民権をえていることなど許せるわけがない。私の願いは、表面的には全ては自分を否定した男社会への復讐であるが、本心は「私も妹のように美しく生まれたかった。自信を持ちたかった」である。そのために努力しても報われなかったのに、なんの努力もせずキモい姿を晒しながらヘラヘラしてる連中が許せるわけがない。
リベラルフェミニズムは自分に自信がある女性が自分の能力に見合った評価を得たいとする真っ当な社会運動だ。しかしこの形のフェミニズムは私を救わなかった。私が求めていたのは男女平等ではない。私自身が男中心社会でコンプレックスを抱かずに自身を持って過ごせることだった。
一方でラディカルフェミニズムは「美しく生まれることがなかった女性」たちのコンプレックスを解消してくれた。全ては男が悪いのである。こんなに簡単に自分を救ってくれる思想が他にあっただろうか。ラディカルフェミニズムを唱え、男を攻撃しているときだけ、私は私のコンプレックスから解放された。
男性に限らず、コンプレックスを感じたことのない女性も、ラディカルフェミニズムにのめり込む私をバカにするだろう。私だって頭の片隅では何かがおかしいとわかっている。しかし他にどうすればよかったというのか。そのくらい日本という国は、美しくない女性の心を蝕む力学が強い。私は努力していい大学にも入ったし恋人を作ったこともある。ボランティアで人から感謝されたこともあるし企業を設立して人の上に立ったことだってある。それでも女性であるというだけで汚らわしいオタクどもよりも低い自尊心しか得ることができなかった。他の何者も、ラディカルフェミニズムほどには私を救ってくれなかった。
フェミニストたちは二次絵にまでいちいちキレる頭のおかしいやつだというが、こちらからしたらおかしいのは男社会中心の現実の方だ。
井上ひさしの話を思い出したよ。便乗みたいでアレなんだが書いておこう。
井上ひさしは幼少時、親の都合でカトリックの修道会が運営する孤児院に入れられていたので、本人もカトリックの洗礼を受けて、大学も上智に行ったわけ。上智時代はカトリック系の男子寮に入っていたんだが、そこで新入寮生に対して行っていた「歓迎行事」ってのが酷かったらしい。まず、先輩達が新入生の部屋にやってきて拉致、着ているものを全て剥ぎ取り、明かりのない部屋に監禁する。暗黒の中全裸で怯えている新入生がちょっと落ち着いたところで、天井裏に隠れている先輩が、エロ小説の朗読を始める。ただし、カトリック系の寮だからな、こんな風にやるわけよ。
……そのときヨゼフは、マリアの秘所に指を這わせた。マリアは短く、悲鳴にも似た声をあげたが、その身体はもう……
要するに、濡れ場の男の名をヨゼフ、女の名をマリアに変えて朗読するわけ。最初は何かと思っていた新入生達も、段々エロ小説の濡れ場で興奮してきて、ナニがその、屹立してくるわけだ。
そこで残りの先輩連中が戸を開け、明かりをつけて入ってくる。
「お前たち、このカトリックの寮で、いやしくも聖母マリアと聖ヨゼフの名を聞いてその逸物はどういうことだ?まことにもってけしからん。罰として……」
で、罰として、まず逸物に空の薬缶の持ち手を引っかけて、廊下を往復しながら「アベマリア」(昔でいう天使祝詞……めでたし聖寵充満てるマリア、主御身と共にまします……ってやつ。「主の祈り」と共によく唱えられる祈りの文言)を百回唱えさせられる。そのうち萎えてくると、引っかけてた薬缶がカラーンって音を立てて落ちる。そうしたら最初っからやりなおし。哀れな新入生達は、一所懸命己が逸物をそそり立たせながら、泣きながらこれをやらされるわけだ。
井上ひさしって、文化人ですよーみたいな顔してたけどなあ。クソだわ。昔の男子校とかって、おそらくこういうノリだったんだろうと思う。
今から20年前だけど、男子校に通ってたころの下品な遊びが本当にくだらなかった。
あまりにも馬鹿なので紹介したい。男子校の雰囲気をわかってもらえれば幸い。
(色々ひどいので不愉快になりそうだなという人はそっ閉じ推奨)
性器とか直接的なのは下手で、暗喩が含まれるワードが出せるほうが賞賛される。
だれかが持って帰り、まただれかが追加する。
半年ぐらい不登校になってた奴のロッカーが、それになってしまい
本人来たときにブチ切れる事案があった。申し訳ないことをした。
一口1000円で基金を募る。届け先は昼間親の居ないやつの家。
大概なかみは大失敗で2回目が開催されることはない。
下手な女子高生よりも可愛くなる。中身ノーマルなことがほとんど。
でも付き合った人とかもいたらしい。
○ちん毛ばーん
ホイチョイプロダクションの四コマによると
ちん毛にムースつけて火をつけると青い炎がでるらしいので
みんなで実験してみた。実際青くなった。
一度ホットドッグexpressの彼氏募集コーナーに出てた女の子が
○合コン
(正しくは俺ともやってくれという大騒動になるので、みんな口をつぐむ)
なんでやってたのかは不明。
タイトルに入れましたよ。んでも偏差値65オーバーの進学校だったんやで。
井上ひさしの話を思い出したよ。便乗みたいでアレなんだが書いておこう。
井上ひさしは幼少時、親の都合でカトリックの修道会が運営する孤児院に入れられていたので、本人もカトリックの洗礼を受けて、大学も上智に行ったわけ。上智時代はカトリック系の男子寮に入っていたんだが、そこで新入寮生に対して行っていた「歓迎行事」ってのが酷かったらしい。まず、先輩達が新入生の部屋にやってきて拉致、着ているものを全て剥ぎ取り、明かりのない部屋に監禁する。暗黒の中全裸で怯えている新入生がちょっと落ち着いたところで、天井裏に隠れている先輩が、エロ小説の朗読を始める。ただし、カトリック系の寮だからな、こんな風にやるわけよ。
……そのときヨゼフは、マリアの秘所に指を這わせた。マリアは短く、悲鳴にも似た声をあげたが、その身体はもう……
要するに、濡れ場の男の名をヨゼフ、女の名をマリアに変えて朗読するわけ。最初は何かと思っていた新入生達も、段々エロ小説の濡れ場で興奮してきて、ナニがその、屹立してくるわけだ。
そこで残りの先輩連中が戸を開け、明かりをつけて入ってくる。
「お前たち、このカトリックの寮で、いやしくも聖母マリアと聖ヨゼフの名を聞いてその逸物はどういうことだ?まことにもってけしからん。罰として……」
で、罰として、まず逸物に空の薬缶の持ち手を引っかけて、廊下を往復しながら「アベマリア」(昔でいう天使祝詞……めでたし聖寵充満てるマリア、主御身と共にまします……ってやつ。「主の祈り」と共によく唱えられる祈りの文言)を百回唱えさせられる。そのうち萎えてくると、引っかけてた薬缶がカラーンって音を立てて落ちる。そうしたら最初っからやりなおし。哀れな新入生達は、一所懸命己が逸物をそそり立たせながら、泣きながらこれをやらされるわけだ。
井上ひさしって、文化人ですよーみたいな顔してたけどなあ。クソだわ。昔の男子校とかって、おそらくこういうノリだったんだろうと思う。
雙葉学園は、フランスのサンモール修道会の会員が1875年に設立した築地語学校を祖とする、私立の学校法人である。
雙葉学園はその長い伝統において、「徳においては純真に、義務においては堅実に」という校訓のもと、幼稚園から高等学校にわたる一貫したカトリック教育を行ってきたが、雙葉女学院大学の設立により、さらに4年間の大学過程をふくむ一貫教育が行われることになった。
というのも、雙葉中学校・高等学校は、東京大学をはじめとするいわゆる旧帝国大学や、慶應義塾大学などの難関私立大学に合格者を多数輩出し、全国有数の進学校と呼ばれるようになっていたが、多数の生徒父兄が、単なる学力の追及ではなく、カトリック教育のさらなる徹底を望んでいたこと、卒業生の多くがカトリックの信仰を保持していない現実を嘆くサンモール修道会の強い推薦により、2002年に大学過程を行う教育機関の設立が決議されたのである。その後、文部科学省の認可を受け、雙葉高等女学校の設立からちょうど100年となる2009年、開校に至った。
私が雙葉高校を卒業したとき、もしこの大学があったら、このエスカレーターに乗っていだろうか。キーボードを叩く手が止まり、ふと自分の過去を反芻した。
中学受験に成功し、晴れて雙葉の門を潜ることはできたものの、入学後は成績が低迷し、人生の目的も見出せないまま、あるいは、先生がたがおっしゃっていた、神に与えられた使命を感じることもなく、特に受験勉強もせずになんとなく大学受験をした私は、願書を出した中で最も無名な、平凡な私立大学に行くこととなった。
パッとしない4年間の大学生活の間、やはり人生に意義を見出せず、大学卒業後は、飲食店や塾講師などのアルバイトを転々としたのち、25歳で、あるカリスマ英語学者の執筆アシスタントとして雇われることになった。
受験生向けから社会人のやり直し英語のための参考書まで、様々な英語関連書籍を多数執筆し、そのほとんどすべてがベストセラー、2005年からは教育テレビでレギュラー番組も放送されている、クリストファー・トンプソン、その人である。
誰もが認めるカリスマ英語学者のアシスタント、ベストセラーが約束された数々の出版物の編集作業。やっと使命が見つかったかに思えた。
が、それもつかの間のことだった。
最初の数ヶ月で気づいたことは、クリス・トンプソンは執筆作業のほとんど全てを、彼の『アシスタント』に任せているということだった。それでも、はじめのうちは、英語学者である彼の理論を専門家でない一般大衆向けに落とし込むのに、アシスタントが最大限の貢献をしているのだろうと好意的に考えていた。
働き始めて半年が経った頃、主力の『アシスタント』が結婚・出産を機に退職することになり、私がその立場を引き継がなければならないとなったとき、彼女から真相が告げられた。カリスマ英語学者、クリス・トンプソンは、自分ではなんの理論も持っておらず、彼の博士号はディプロマ・ミルから得られたもので、彼のアイデアと言われるものはすべて、彼女の作品だったのだ。
『徳においては純真に。』私は、彼が世間を欺き続けるのを手助けすることはできなかった。
代わりの職を求めた私はその後、27歳にして都内にある無名の私立高校の英語教師として採用された。
須藤智くんとの出会いは、私がその学校で働き始めて3年目のことだった。
高校といえば雙葉高校しか知らなかった私は、おそらく世間では平均的であろう、学習意欲のない生徒たちを前に、教師として戸惑っていた。そんなとき入学してきた須藤くんは、『教え子』と——おこがましいが——呼びたくなるような、優秀で向上心の高い、私の初めての生徒だった。
彼はすべての科目の定期試験で満点を取り、全国模試では偏差値が80を超えていたので、瞬く間に教職員のあいだで評判になった。
彼の非凡な才能は、主に自然科学の理解に向けられているようであったが、彼の言語に対する洞察も、単に受験勉強ができるというレベルを超えているように思われた。
それは、彼が二年次に進級し、私の授業を受けることがなくなった新学期のことである。珍しく残業もなく、夕方6時に山手線新大久保駅で帰りの電車を待っていた私の元に、彼が歩み寄ってきた。
突然そう告げた彼は、意表を突かれてうろたえる私の返事を待つことなく、ノートを広げ、彼の発見を説明し始めた。
私は彼の理論を即座に理解することができた。なぜなら、中性子、陽子、原子核、電子といった、化学のアナロジーを用いているものの、それらの用語を適宜『主要部、内項、外項、句、付加部』という言語学の用語に置き換えれば、それは現代言語学の父、ノーム・チョムスキーが1970年に発表した、エックス・バー理論そのものだったからである。
彼はきっとエックス・バー理論をどこかで読んだのだろう、そしてそれを、自分の慣れ親しんでいる化学のアナロジーで理解したのだろう、と私は考えた。
しかし、彼は、これは紛れもなく自分でたどり着いた理論で、とっかかりになったのは、クリス・トンプソンの『60億人の英文法』にある「日本人は名詞が主でそれに冠詞がくっつくと考えがちだが、冠詞がまずあって、そこに名詞がくっつくというのがネイティブの感覚だ。」という記述だと言う。
ともかく、私は彼の話を信じた。そして、彼が自分の発見を教えてくれたお返しに、私も自分の『発見』を彼に打ち明けた。こうして彼は、クリス・トンプソンの秘密を知る、部外者第一号となるのであった。
秘密を共有した私たちは、ときどきメールを交換する仲になった。話題は主に、言語学。彼は初め、原子力工学の話をしたがったが、私がついていけないということに気づくと、言語学を中心に、私が理解できる話題を選んでしてくれるようになったのだ。これは私にとって、10年遅れて訪れた青春の一ページだったが、彼にとってはたぶん、相手が先生だから、気を使って付き合ってくれていただけだったのかもしれない。
私は一度、言語学の道に進みたくはないか、と彼に尋ねたことがある。彼がチョムスキーほどの天才かどうかはともかく、才能があることは間違いない。しかし、彼は原子力工学をやるといって譲らず、ワシントンにあるベルビュー工科大学を単願し、同校に進んだ。なぜマサチューセッツ工科大学や、スタンフォード大学を目指さなかったのだろう、あるいは、ワシントンならなぜ同州トップのワシントン大学に行かなかったのだろう、願書くらい出しておけばよかったのに、と当時も思ったが、きっと彼なりの理由があったのだろう。
メールのやり取りは彼が高校を卒業した後もしばらく続いたが、彼が希望通りベルビュー工科大学に進学すると、須藤智という天才を失ってただの無名な私立高校に戻ったその場所で、張り合いのない授業を続ける私が、なんだか取り残されたように思えて、劣等感からメールを送るのが億劫になって、やめてしまった。
須藤くんとのメールをやめた私は、高校教師の仕事もやめた。また人生に迷ってしまったと思った私は、以前のように求人情報をチェックしたり、履歴書を作成したりする気もなくなって、目白のアパートに引きこもった。
そんな張り合いのない生活を続けるうち、あるとき新聞の広告欄に、雙葉学園が、大学新設にあたり職員を求めているという求人情報が載っているのが目に留まった。行き場を失った私は、まるで蜂が巣に戻るように、こうして古巣に戻ることになった。
私はいま、雙葉女学院大学の国際交流課で、4年ぶりに須藤くんへのメールを書いている。雙葉女学院が日本の大学として初めて、ツー・プラス・ツーのダブル・ディグリー協定を海外大と結ぶことになったのだが、なんの因果か、その協定校第一号が、ベルビュー工科大学だったのである。そして、私が留学カウンセリングを担当した学生が、第1期生として派遣されることになったのだ。
彼女は聡明な女性だが、単独で海外に行った経験はないと言う。現地に信頼できる知人がいれば、少しくらい世話を焼いてもらってもばちは当たらないだろう。
エスコラピオス修道会(エスコラピオスしゅうどうかい、羅: Ordo Clericorum Regularium pauperum Matris Dei Scholarum Piarum、
略称: S.P.、西: Escolapios)は、キリスト教 カトリック教会の男子修道会。総本部はローマ。
青少年の人間的・キリスト教的な教育を通して、社会の刷新を図ることが目的。創始者聖ヨセフ・カラサンスは「幼い頃からの教育」が
重要であるとした為、活動の重点は基礎的な教育およびキリスト教要理の教育を目的とした小・中学校に置かれている。
広く哲学・神学の分野にも着目し、ガリレオ・ガリレイやトマソ・カンパネッラを認める等、各々の時代における革新的な面に大いに
貢献して、神学校の指導や中央ヨーロッパでの反宗教改革運動にも加わり実績を残している。
コンビニでマテリアルガールがかかっててふと思ったんだけど(-ガール、というsuffixがつくからといって中田ヤスタカの未発表曲じゃありません)マドンナのパパ・ドント・プリーチのときの教皇ってあのポーランドの人でよかったんだっけ。
別にことさらドミニコ会=説教者修道会に対するあてこすりの意図はないよな。全体としてカトリック信仰に喧嘩を売る意図はあまりに明瞭だけれど。しかしまあドミニコ会士の現代における等価物は人権団体とか環境団体のロビイストだろうな。同性愛者に権利を、とか無神論的自由主義、不可知論を標榜しながら、彼らのやってることは「キリスト教徒にふさわしい精神」の押し売りの現代版だ。そしてそれにすばやくすりよる金貸しども。カーボンエミッションの売買は現代の贖宥状そのものだ。マモンのかわりにガイアとか人権、健康とかを偶像崇拝するというのがこの「新しい中世」の堕落した教義らしいよ。そのうちタバコを吸ってると公共に対する毒ガス攻撃として異端審問にかけられる世の中にマジなりそう。タバコを吸うという愚行がいかに自然法の観点から正当化しがたいか、スコラ的に論証できるようになっとくと就職口に困らない、まっくらな未来が来るかも。下々はカルミナブラーナでも聴いてその日暮らしの楽しみを謳歌するすべを学んでおきましょう。(児ポがらみの論点はあえてスルーしますがもちろん関係ありありです)
「帰って家族を大切にしてあげて下さい」(ノーベル平和賞受賞の際、インタビューで「世界平和のために私達はどんな事をしたらいいですか」と問われて)
「やっぱり修行で得た力というのは他人のために使うものだと私は思います」
「・・・傷つき迷える者たちへ・・・敗北とは傷つき倒れることではありません。そうした時に自分を見失ったときのことを言うのです。強く心を持ちなさい。あせらずもう一度じっくりと自分の使命と力量を考えなおしてみなさい。自分にできることはいくつもない。一人一人がもてる最善の力を尽くす時、たとえ状況が絶望の淵でも必ずや勝利への光明が見えるでしょう・・・!」
「何もしなければまさに何もはじまらないでしょう?・・・ジタバタしかできないなら方法はひとつ・・・!!みなさん!ジタバタしましょう!!」
アバン=デ=ジニュアール3世(三条陸(原作)と稲田浩司(作画)による漫画及びそれを原作とするアニメ『DRAGON QUEST -ダイの大冒険-』に登場する架空の人物)
「少年をよく眺めてください。裁判所に悩む人が居なくなれば裁判所は冷たい箱になってしまいます。」
「あなたには少年事件はつまらなく見えるのかも知れない。確かに声の届かない子供達は多い。何も身につけていない絶望的な子供達も多い。しかし長く少年達を眺めていると判ってくることもあります。」
「多かれ少なかれ、みんな虐められた過去を持っている。小さな子は大きな子に。力のある子は頭のいい子に、女は普通の男に、普通の男は強い男に、強い男は組織に、組織はより強い組織に・・原因を辿っていくと尽きない。」
「私は普通の人間です。でも少年法を使えばその連環を断ち切れるかも知れない。貴方は知らないだけですよ。その恐ろしい輪の中から抜け出せた時に、人がどんな顔で笑うかを・・。」
「世界中のことテレビでざっと見てわかった気になったって、そんなのウソだぜ!世界は目で見える姿の何十倍、何百倍も広いんだ!それに比べりゃ怖い夢も、ハデな超能力も、小せえよ!ごくごく一部だよ!」
「ファシストになるより豚のほうがまだマシさ」
「ぼくがまだ年若く、いまよりもっと傷つきやすい心を持っていた時分に、父がある忠告を与えてくれたけど、爾来ぼくは、その忠告を、心の中でくりかえし反芻してきた。「人を批判したいような気持ちが起きた場合にはだな」と、父は言うのである「この世の中の人がみんなお前と同じように恵まれているわけではないということを、ちょっと思い出してみるのだ」」
ジェイ・ギャツビー(アメリカの作家F・スコット・フィッツジェラルドが執筆し1925年に出版された小説「グレート・ギャッツビー」に登場する架空の人物)
「だが、世界の死の乱舞のなかからも、まわりの雨まじりの夕空を焦がしている陰惨なヒステリックな焔のなかからも、いつか愛が誕生するだろうか?」
作成日は一昨年のクリスマス。
ファイル名は「doutei」
どうやら童貞についてまとめたものらしい。
以下
童貞の語源
「童貞」 の本来の意味ですが、「童貞」の「童」は子供のこと、「貞」は、貞節、貞操などというように、
つまり子供の頃の状態を守る、性的に清潔で「生まれたままである」「清らかな体である」 というような意味になります。
日本語の「童貞」という言葉が成立したのが正確にいつなのかは不明なようですが、「野球」「資本主義」などと同様、
外来語由来の新しく作られた日本語であるのははっきりしていて、「Virgin」の日本語化だったようです。
日本での初出としては、1678年、捨て子などを保護し教育に勤めたニコラ・バレ神父による、
パリのサン・モール街の修道女の養成所を出発点とした「幼きイエス会」が源流となるフランスのカトリック教サン・モール修道会が、
外国人の子女のために1874年、日本の横浜に設置したフランス語の学校の名称が「ダーム・ド・サン・モール」 であり、
それの日本語表記が 「仏語童貞学校」 であることから、これを起源とするのが定説となっているようです。
この 「仏語童貞学校」、前身は 1872年 (明治5年) に来日したフランス人宣教修道女メール・セント・マチルダほか4名の修道女(シスター) により設立された、子女の教育と貧困にあえぐ子供たちの救済を行う施設 (孤児院、施療院/ 仁慈堂)が基になっていて、
しかし当初は男性の性行為未経験者を指す言葉ではなく、性別を問わず生まれたままの者、
この場合は清らかな乙女、「主のために操を守り続けるカトリック教の尼僧」のことを指していたようです。
男も女もみんな童貞だった訳ですね。
セカンド童貞について
童貞を捨ててしまった後になることがあるもの
セカンド童貞の影響
今後の展開
「童貞は一度捨ててしまうと再び持つことは出来ない。」との主張や
これまで自らをセカンド童貞だと公言する者も、積極的に研究しようとする者もほとんどいなかった。
しかし21世紀に入り、価値観の多様化が進展したことで童貞であることの利点(というより、童貞非童貞の差異の無さ)が再認識され、
なんかセカンドインパクトみたい
童貞質量保存の法則
読んで字のごとく。「童貞」の「質量」が「保存される」という法則。
近年その存在が証明された。
実例1
B君は童貞を捨てました。でもまだB君は童貞を1つもっています。
実例2
B君は童貞を2つ持っています。
ある所でC君が生まれました。
B君の童貞は1つになりました。
影響
これによって童貞は「童貞である」「童貞でない」という0か1かのデジタルなものではなく、
また、童貞は持てば持つほど捨てにくくなる性質を持っているため、
近年の理論的発展
日本では少子化の進行により新規童貞受け入れ枠が減少し、童貞の一極集中化現象が起きていると言われている。
しかし地球規模で見るとむしろ人口爆発が起こっているため、現実の現象に対して研究者によって考え方が異なる。
以下にその例をいくつか挙げる。
まだあったけど今日はこの辺で勘弁。
一昨年のクリスマスなにやってんだよ、俺。
日曜の朝っぱらからなにやってんだよ、俺。