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はてなキーワード: 1999年とは

2020-02-20

anond:20200220012929

正字正かな遣いクラスタの用いる言葉バーチャルすぎて半笑いになる。

本人は格好つけている、あるいは意義があってそうしていると思っているのだろうが、例えるなら日本語文法おかしい人が一生懸命頑張ってるみたいに見える。

まずほとんどの彼らの用語には底本というか、基準がない。

正字正かなといっても

A時代明治大正末だとだいぶ違う。昭和戦前が一番イメージやすいだろう。江戸時代でも鎌倉時代でもいい)で異なるし、

B書かれる媒体新聞なのか随筆なのか、個人日記なのか)で異なる

今でもそうでしょう。

1999年頃の、ギリギリまだ怪しい雑誌に怪しいライターがひしめいていた時代のあの文章。思い出して欲しい。

ちょっとカタカナ混ぜたり、トカ? ゲーム批評のガップ獅子丸みたいな文章。今だいぶ雰囲気変わったでしょう。

逆にいうと、今風の? 切込隊長やよっぴ〜みたいな文章も、ネットで見られる時代象徴的な文章としてのちに振り返られるかもしれない。

20年でだいぶ違う。

そして、これらの文章ビジネス文章国会の答弁、ニコニコ動画コメントなんかとはまた質的ことなる。

当然、歴史のどこかの時期にもこうした現象は発生していて、ほとんどの正字正かな遣いクラスタはその事態対応できていない。いつどこの文章か定めていない。

自分の、なんとなく知っている文字用語だけを用いてネットに書き込んでいる。

本人たちは別に自分用語を選んでいるんだからいいだろ、という認識のようだ。それは別に選択からいい。正字正かな遣いクラスタをやるのはなんらも問題ではない。

だが、その用語選択はとても格好が悪い、あるいは選択センスが低いということだ。何回も言うけど、任意日本語のあるバージョン選択すること自体別に問題ではない。選び方のセンスダメ。全くダメ

新しいジャンルならセンスも何もないのだが、日本語表現なんていういつもいろんな人間が手を染めてきた分野だから、やってることの格好の悪さが際立つということだ。

例えるなら小学校高学年くらいの時に50音にそれぞれ謎の記号をつけて、オリジナル暗号を書いていた人はいるのではないだろうか。

正字正かな遣いクラスタのやっていることはこれに近い。大人オリジナル暗号やってるみたいな。

周りの人は「大人」だから読めるし付き合ってやってる。これくらいの格好の悪さ。格好の悪さの格調が低い。

さてどうすればいいのか。私案。

自分のお好みの時代媒体文章を徹底して模倣することだ。

ネットに書く時には様々な制約がある。異体字縦書き横書きの制約。「つんぼ」とか差別的意味合いが深まった表現とどう対峙するか。

俺だったら明治大正時代行政文書、あるいは室町時代日記あたりで挑戦してみたい。

相当原典にあたり言葉に詳しくならないとならない。「正字正かな」を用いると言うことはそういうことが必要だと思う。

要するに、正字正かな遣いクラスタは、言語用語にこだわっているように見えて、実態のところ非常に個人的で恣意的操作をしている。

このアンバランスが最高に格好悪いということ。

いわば言語オナニーしているようなもんなのだ

2020-01-31

お笑い芸人世代分けを再考する

多くの人はこちらのWikipedia記事を参照していると思われる。

日本お笑い史 - Wikipedia

この記事も踏まえた上で、実際に主だった芸人を「活動開始時期」や「人気が出た過程」で並べ、あらためて世代分けを考えてみたい。

芸名活動開始人気が出た年代備考
横山エンタツ花菱アチャコ1930年1930年しゃべくり漫才元祖コンビとしては1934年解散するが、それから60年代までラジオ映画などで活躍アチャコ吉本看板芸人となる。
夢路いとし・喜味こいし1937年1950年代1949年ごろからラジオ番組上方演芸会』に出演して名をあげる。いとしが亡くなる2003年まで漫才を続けて「上方漫才の宝」と称される。
中田ダイマル・ラケット1941年1950年代1957年開始のテレビ番組ダイラケのびっくり捕物帖』はテレビの「上方コメディ番組元祖
ザ・ドリフターズ1956年1960年代1963年開始のテレビ番組大正テレビ寄席』に出演したこからコントを中心とするようになり、1969年開始のテレビ番組8時だョ!全員集合』にて大ブレイクする。
てんぷくトリオ1961年1960年代大正テレビ寄席』などへの出演で人気を博す。「トリオブーム」の中心的存在三波伸介1970年テレビ番組笑点』の司会に就任するなどしてテレビスターに。
コント55号1966年1960年代1968年開始のテレビ番組『お昼のゴールデンショー』『コント55号の世界は笑う』などで支持を得てドリフと人気を二分する。1975年以降は萩本欽一がピンで活躍する。
横山やすし・西川きよし1966年1960年代60年代後半に演芸ブームに乗って人気を獲得、80年代前半までバラエティ番組の司会などで活躍する。「漫才ブーム」では大将格となる。
B&B1972年1980年代実力は評価されつつ関西でくすぶっていたが、吉本芸人としていちはや東京進出したことで人気を得て、漫才ブームを牽引した。
ツービート1972年1980年代漫才ブームに乗って「毒舌」を武器に台頭。特にビートたけしは、1981年開始のテレビ番組オレたちひょうきん族』などへの出演からピンで大人気となった。
明石家さんま1974年1980年代70年代後半から関西で人気を獲得、東京進出してのち『オレたちひょうきん族』でブレイク。たけし・タモリと合わせて「お笑いBIG3」の一人と称される。
タモリ1976年1980年代キワモノ芸人としてマニアックな人気があったが、1982年開始のテレビ番組笑っていいとも!』の司会を務めるなどしてお茶の間の顔となる。
島田紳助松本竜介1976年1980年代漫才ブームに乗って「ツッパリ漫才」で若者の支持を得る。『ひょうきん族』にも出演して人気を博す。1985年コンビ解散して以降は、島田紳助がピンで活躍した。
とんねるず1980年1980年代お笑いスター誕生!!』に素人ながら出場して知名度を高める。ラジオ深夜番組若者からの支持を獲得する。1984年楽曲『一気!』がヒット、1988年に冠のテレビ番組みなさんのおかげです』を開始する。
ダウンタウン1982年1990年代1987年開始のテレビ番組4時ですよーだ』の司会をきっかけに関西若者から爆発的な人気を得る。80年代末に東京進出深夜番組夢で逢えたら』を経て、1991年に冠のテレビ番組ごっつええ感じ』を開始する。
ウッチャンナンチャン1985年1990年代結成当初に『お笑いスター誕生!!』に出場している。1988年開始の深夜番組夢で逢えたら』で知名度を上げ、1990年に冠のテレビ番組『誰かがやらねば!』『やるならやらねば!』を開始する。
爆笑問題1988年2000年代1994年開始のテレビ番組タモリのSuperボキャブラ天国』で人気を博す。90年代後半から深夜帯を中心に冠番組が増えはじめ、2000年ごろからゴールデンでもレギュラー番組をいくつも抱えるようになる。
雨上がり決死隊1989年2000年代1991年に結成されたアイドル芸人ユニット吉本印天然素材」のリーダー格。2000年開始のテレビ番組ワンナイR&R』や2003年開始の冠番組アメトーーク!』などで人気を博した。
さまぁ〜ず1989年2000年代90年代前半に「バカルディ」名義でいちど人気が出たが、2000年ごろに「さまぁ〜ず」に改名して再ブレイク、多数の冠番組を抱えるようになる。
ナインティナイン1990年1990年代吉本印天然素材」出身1994年開始のテレビ番組ぐるぐるナインティナイン』、1996年開始の『めちゃ×2イケてるッ!』など、早くから冠番組を持ってブレイクする。
くりぃむしちゅー1991年2000年代タモリのSuperボキャブラ天国』にて「海砂利水魚」名義で人気を博す。2003年ごろから再び人気が出はじめ、2000年代後半には多数のレギュラー番組を抱えるようになる。
ロンドンブーツ1号2号1993年1990年代ダウンタウンナイナイに続く、若者人気の高いコンビとして早くからプッシュされ、90年代後半から『ぷらちなロンドンブーツ』『ロンドンハーツ』など多数の冠番組を持つようになる。
ネプチューン1993年2000年代タモリのSuperボキャブラ天国』で人気を博す。1999年開始のテレビ番組『力の限りゴーゴゴー!!』で司会に抜擢されるなどしてブレイク2000年代には多くのレギュラー番組を抱えるようになる。
バナナマン1993年2010年代あえて『ボキャブラ』への出演をせず、ライブ中心に活動したことで売り出しが遅れたものの、2000年代半ばから徐々にテレビに出演しはじめ、2012年ごろから冠番組が急増してブレイクした。
有吉弘行1994年2000年代『進め!電波少年』の企画1996年に「猿岩石」としてブレイクするもまもなく停滞。2004年からピン芸人として活動を始め、2007年ごろから毒舌ネタ再ブレイク
タカアンドトシ1994年2000年代札幌で結成されたコンビで、2002年東京進出2005年ごろから笑いの金メダル』などで披露した「欧米か!」というツッコミ流行り、2000年代後半には複数冠番組を持つようになる。
ブラックマヨネーズ1998年2000年代2005年M-1グランプリで優勝する。2006年東京進出し、2010年ごろから冠番組を持ちはじめる。
チュートリアル1998年2000年代2006年M-1グランプリで優勝する。2007年東京進出し、2010年ごろから冠番組を持ちはじめる。
サンドウィッチマン1998年2000年代2007年M-1グランプリで敗者復活から優勝する。2010年代後半からレギュラー番組が増加し、2018年芸人好感度ランキングトップに立った。
オードリー2000年2000年代2008年M-1グランプリで敗者復活から2位となりブレイク
オリエンタルラジオ2003年2000年代結成してすぐの2005年ごろに「武勇伝ネタブレイクし、まもなく冠番組を含むレギュラー番組を持つことになった。
霜降り明星2013年2010年代2018年M-1グランプリで優勝する。

まず画期としては1953年テレビ放送の開始が挙げられる。この時期に人気があったのは落語家喜劇俳優であり、またコミックバンドも人気があった。上の表で言えばいとこいダイラケあたりが該当する。いわば「第0世代」であろうか。

次にやってくるのが「演芸ブーム」で、1963年開始のテレビ番組大正テレビ寄席』を中心に数々の演芸番組放送され、その勢いが1970年ごろまで続いた。一般にこの時期に人気が出た芸人が「第一世代」と呼ばれる。「寄席」をテレビでやるので落語漫談漫才コントコミックバンドなど幅広い芸人が登場した。てんぷくトリオを筆頭に三人組が多かったので「トリオブーム」とも呼ばれた。1970年代はドリフ萩本欽一コント番組が人気を二分した。やすきよもこの世代に含まれる。

続いて、1980年放送された『花王名人劇場 激突!漫才新幹線』『お笑いスター誕生!!』『THE MANZAI』などが立て続けに高視聴率を取り「漫才ブーム」となった。このブーム自体は二年ほどで終息するが、若手漫才師がアイドル的な人気を得て「漫才」のイメージを変えたり、吉本興業が東京進出したりするきっかけとなった。1981年から1989年まで続いた『オレたちひょうきん族』が『8時だョ!全員集合』の視聴率を超え、出演していたビートたけし明石家さんま山田邦子らは一躍スターとなった。たけし・さんまタモリを加えた「BIG3」を中心に、漫才ブームひょうきん族から出てきた芸人を「第二世代」とみなすべきだろう。

その次が「第三世代」と呼ばれる芸人たちで、お笑い養成出身の若手が、小劇場ライブで腕を磨き、夕方番組深夜番組きっかけに人気を得て、ゴールデン帯で「バラエティ番組」を持つ、といったキャリアを踏むのが特徴であるとんねるずダウンタウンウッチャンナンチャンがこの世代代表格となる。一般に「第三世代」は80年代デビュー組で区切るようだが、個人的には似たようなキャリアから早めにブレイクしたナイナイロンブーあたりも含めるべきではないかと思う。

次に来るのが「ボキャブラ世代である1992年から1999年まで続いた『タモリボキャブラ天国』は、当初は視聴者投稿型の番組だったが、徐々に芸人ネタ見せ番組に移行。この番組登竜門に「キャブラー」と呼ばれる芸人が続々と登場した。吉本興業が首を突っ込みそこねたらしく非・吉本芸人が多い。またボキャブラ終了とともに一時的に低迷した芸人が、2000年代に復活するあたりも共通している。先述したとおり、ナイナイロンブーなどを第三世代に含めるとすれば、この「第四世代」は爆笑問題くりぃむしちゅーネプチューンあたりが代表格となる。

2000年代に入って「M-1グランプリ」が始まったことで「お笑いブーム」が醸成された。また同時期に『爆笑オンエアバトル』『エンタの神様』『笑いの金メダル』『爆笑レッドカーペット』などのネタ見せ番組スタートしてお笑い人気に拍車をかけた。賞レースを目指してストイックに芸を磨く若手芸人と、多数のネタ見せ番組により短期的な人気を得た「一発屋」が混在し、芸人レベル底上げされたものの、数としては飽和した感がある。2010年M-1グランプリが終了するとブームも終息し、多数の「ひな壇芸人」を出演させてトーク中心に作られる低予算番組が増加した。(2010年までの)M-1ブレイクした芸人と「ネタ見せ番組」によって登場した芸人が「第五世代」といえるだろう。

2010年代になると、第二世代・第三世代がフェードアウトし、第四世代と第五世代バラエティの「司会」の座を奪い合う群雄割拠時代に入った。第五世代は図抜けた存在はいないものの層が厚いので、2000年代デビュー組の多くがつかえて中堅に留まっているように思える。そんな中で、霜降り明星および彼らが「第七世代」と称する2010年代デビュー組が既に台頭してきている。この場合2000年代デビュー組が「第六世代」とされるわけだが、2000年代デビュー組は遅咲きになりそうなので、おそらく2000年代デビュー組と2010年代デビュー組をあわせて「第六世代」と呼ぶようになるのではないか2020年現在芸人の主戦場YouTubeになりつつある。後世から振り返れば「第六世代」は「YouTube世代」と括られるのかもしれない。

2020-01-24

1999年8月21日

この世界にはバグがあって、深夜2時21分に65535分の1の確率時間1999年8月21日に巻き戻る。

みんな覚えてないだろうけど、既に17回巻き戻ってる。

2020-01-16

anond:20200116170542

おっちゃんも若い頃は、1999年7の月にノストラダムス予言は当たるのか確認することだけを生きがいに生きてたけど、

いろいろあって今も生きてる。

どうにも行き詰まったら自殺しようかなーとか思ってるけども、なかなか行き詰まらないんだなぁ。。これが。

2020-01-13

銀色500円玉

当方コンビニ店員。勤務中にあった出来事

店内の吊り広告で、ワンコインで入れる一日のみの自動車保険広告がある。そこにはデカデカ銀色500円玉が描かれていて、広告としてはとてもわかりやすいなーぐらいにしか思っていなかった。

ある日それを見た6歳ぐらいの男の子母親に「なんで500円銀色なのー?普通金色じゃないのー?!」と聞いていた。母親会計中だったのでうんうんそうだねぐらいしか言ってなかったと思うし、自分もその時は別に銀でもおかしくないけどなあ…程度にしか考えてなかった。

そしてまた別の日、レジに来たおじさんがお会計500円玉を出した。現在主に流通している「金色500円玉」ではなく旧硬貨である銀色500円玉」を。そこで自分はハッとして、そりゃあの歳の子銀色500円玉に疑問を持つわけだと。週に何日かレジに立ってる自分でも銀色500円玉を見るのはごく稀になのに、今の小学生ぐらいの子が知っているわけがない。

調べれば、旧500円玉1999年に発行が終わり、今の硬貨になったのは2000年からだという。

たまに高校生バイトの子が見たことのない旧札を見て偽札だ!って勘違いしたって話を聞くけど、あーこういうことかーってなったって話。

2020-01-11

成人の散文

私は1999年まれだ。

まり成人し、明後日の1/13に成人式が控えている。

しかし、私は参加しない。

当然、参加しないという人たちは多数いるだろう。どれだけの人が参加し、不参加なのだろうか。

私の周りでは参加する事が当たり前のようである。そんな中、参加するのかと聞かれて、正直に答えるのは面倒なので適当お茶を濁すのだ。

参加しない事自体には何も負い目を感じることはないのだが、一つ心に引っかかる事がある。

両親に成人式に行くという事実を伝えられない事だ。晴れ着姿で友達と意気込んで会場に向かう、その姿を見せられないことだ。

こんな息子は親不孝者であろうか、そんな念が頭をよぎってしまう。

高校に行ってない16歳もいる」

私はそうであった。高2の春から不登校になり、年内で中退した。

卒業式も親に見せることが出来なかった。これは私自身大変悔いが残っている。

そんな事もあり自責にも似た念に駆られている。

私は現在大学生であるが、高校中退をしているという事をカミングアウトした人物は2人しかいない。

怖いのだ。

何に恐れを抱いているのかは分からない。これまでに打ち明けた2人には大して気に留めず肯定的に受け入れられた。

実際、気にするような事でもないのかもしれない。

ただ、怖いのだ。

これがいわゆるコンプレックスなのだろう。

世代マイノリティになることへの恐怖として。

マイノリティというものへの潜在的な恐怖が私の頭を蝕んでいる。ただ、それと同時にただのマジョリティサイレントマジョリティにはなりたくない。

そんな中二病じみた自己矛盾を抱えながら成人の日を迎える。

2020-01-02

生モノ存在できない時代になりつつある

日々生きてると実感しづいかもしれませんが、現代社会は日々向上しています

とくに科学技術テクノロジーレイ・カーツワイル指数関数的に伸びてるとか言ってますが、それを信じるしんじないにしろ今の所確実に成長を続けています

なにか買っても数年後にはテクノロジーの向上で、価格が大幅に下落したり飛躍的に向上した製品が出現するので、現段階の商品サービスを無理して買う必要はありません。

かに今までもテクノロジーの変化のせいで過去遺産がだめになることがありました。レコードからCDへ変わったりVHSからDVDへ変わったり。その変化にかかる期間が狭まってます

歴史適当なのでずれてたらメンゴ

企業コンピューター利用が始まる


家庭に電子機器が入ってくる

一般家庭にPCが入ってくる

個人PC匹敵する無線端末を常時持ち歩く

動画コンテンツストリーミングで消費し始める

無線通信で動画コンテンツストリーミング消費、発信するようになる

人体の動作バーチャル空間アバター表現するようになる

社会の動きも目まぐるしく、当たり前だと思われていた年賀状を書く文化ももうありません。携帯ストラップをジャラジャラつけていたのさえほんの10年前だし、物理鍵や財布など、今まさになくなろうとしているものもたくさんあります

自動運転が出来るっていうのに免許を取るだとか、電気自動車が主流になるかもしれないのにガソリン車を買うだとか、新しい断熱材や最新の施工技術が出てくるかもしれないのに家を建てるだとか、日毎変化しているなかでものを所有するリスクが日々高まっている。

2019-12-23

氷河期世代統一試験だっけ

問題集とかあんの?勉強しとかな。

1999年派遣法改正がやっぱ氷河期歴史には重要から語呂合わせで覚えないとな。

ヒトクイクルシム タケナカヘイゾウ

うん。覚えられそう。

2019-12-22

インターネット老人のネットウォッチの思い出とotuneの事

インターネット老人と言うからには少なくともこれぐらいの前の話をしないとかなと思い、もちろん当時の情報網羅とは言えない私個人の限られた範囲ネットウォッチの昔話をしてみます

ネットウォッチはそれこそNIFTYなどの商用パソコン通信の頃から行われていて、インターネット歴史と共に綿々と続いてきたものです。

パソコン通信などやる人はギークナードな人しかいないので、変人ばかりで、中には我を通すために他人の心情など関係ないといったタイプもたくさんいました。

多くの人が自分も我がままな人間なのに小さいなコミュニティを守るため我慢してる中、傍若無人な振る舞いをする人に、あいつムカつくよなとか、なんとか揚げ足取ってやろうとか、中にはリアル情報を集めて何とか酷い仕打ちをしてやろうという人も出てきました。

今と違って、このコミュニティが気に入らないから別の場所と言えるほどネット世界は広くなく、ヘイトのるつぼになりがちな状況でしたが、逆にネットウォッチ的なもの情報集約コミュニティというものも皆無に等しく、あったとしてもNIFTYのPatioなど仲間内クローズドもの限定されてました。

私がこの界隈にうろつき始めたきっかけの山田AGパソコン通信東京BBSで暴れてた変人で、非常識言動で多くの人を困らせていました。

彼に接した全ての人間が彼に不愉快な思いをさせられたといっても過言でなく、有名なvoidさんのようにその態度はないけど理屈はわかるといった救いもない人でした。

そんな中、インターネットに「ネットワーカー研究所」(通称ネ研)が現れ、パソコン通信やあちこちBBS群などの困った人たちの情報を集めたサイトができました。

中身は個人情報などもありましたが、騒動の生ログが羅列されているものほとんどなので、事情を知らない人にはなかなか簡単理解できないものが多かった記憶があります

私がネ研を知ったのは1998年1999年の頃で、あめぞうにもあやしいわーるどにも出入りをしてない健全生活(2ちゃんねるは一応存在してたけど、私は知らなかった)を送っており、山田AG周りの情報のみを見てたので、それ以外の人の話はあまり見ていませんでした。

前述の通り、生ログ収集がメインだったので状況把握が面倒で、おそらくですが、ネ研を見てた人の多くに横のつながりはなかったんじゃないかと思います

otuneさんもここを見てたはずだし、どこかのBBSですれ違ったりしてたとは思うのですが、全く見た覚えがなく、少なくともこの頃は有名なネットウォッチャーという扱いではなかったと思います

とはいえ検索で引っかかるようなオープン場所で、特定の誰かだけでなく多くの情報を集約したネットウォッチ活動の場として実際多くの人が見に来るサイトは他になかった気がします。

ただ、IP抜かれるのは死に値するため閲覧にすら串差してた時代個人管理サイトに気軽に書き込んだりメールして情報提供する人は多くなく、情報の新鮮さにはかけていました。

そして2000年5月ネオ麦茶事件が起こり、2ch知名度が一気に上がり、私もそこで初めてネットウォッチ板(通称ヲチ板)を知るわけです。

山田AGヲチ活動2chに移り、私も入り浸り、彼以外の人も覗き見するようになりました。

そこで体験したことはきりがないので、個々の出来事は避けます

その当時、どのスレを見てもヲチ板モットーウォッチ先 さわらず荒らさず まったりと」というのが徹底されていて、少しでも当人接触しようものなら酷く叩かれてました。

この標語、私がヲチ板に来た頃から言われていたと思うので、最初からあったものだと思います

ネットウォッチ本来ネット活動倫理からは外れる全うでないものから、せめてヲチ対象を含めた他人迷惑をかけてはいけない、という建て前もあったけど、私を含めネットウォッチする人はヲチ対象不愉快な思いをさせられた事がきっかけだったりするので、人に迷惑をかける行動はヲチ対象と同レベルに成り下がる、同じ肥溜めの中にいるにしても顔ぐらいは外に出しておきたいという気持ちもありました。

そういった意識があったせいかヲチ対象に対するネガティブ言葉もせめて笑えるものお笑いツッコミのようにエンターテイメントになるようなもの理屈で殴るようなものより喜ばれてました。

ツッコミ面白くなるのはそれはもうヲチ対象に直接言う方が面白い事が多く、住人であることを隠してツッコミを入れる人もいたけど、それをスレで「あれは俺だ」と報告しようもんなら袋だたきにあうという、自己顕示欲が強い人にはなかなか難しい感じでした。

さて、そんな中、その均衡が崩れたのが古式若葉で、スレ住人がネカマになってヲチ対象をいじり倒す事があり、それが面白いと人気に。

からヲチ板住人の苦々しい視線もよそに、ネット上のおかしな人をいじって遊ぶがネットウォッチ意味に含まれるようになっていきました。

その後、1ch.tvなどでもヲチ対象突撃するという手法が取られたけど、ヲチ板では最初はそういうのはよその板でやっくれないかという人もたくさんいました。

今でもヲチ板代表的出来事としてこの二つが上げられたりしますが、ヲチ板原理主義者としては少々不服ではあります

長くなって来たので歴史的な話はこの辺りにしますが、その後、ヲチ板ネット一般的になっていくうち、多少の頭おかしい人がいても目立たなくなり、隔離することも自分の逃げ場もつくれるので、そういった事が難しいネットゲームの世界だけになっていくのでした。

ただ、ネットウォッチ的なものがなくなった訳でなく、それが普通場所普通に行われてるため、ネットウォッチゲスな事だと認識されないまま広まっているように見えます

そのため、逆にネットウォッチと名の付くからには自分たちの普段やっているものよりも更に酷くゲスな事をやっているものだという印象を与えてしまいがちです。

個人的には本来ならネットウォッチという言葉ヲチ板衰退と共に消えていくべきものだと思っており、それに意義をこじつけ延命させる行為は歓迎できません。

ネットウォッチャーotuneさんの事ですが、私の記憶だとネットウォッチャーと言い出したのは本人でなく、周りが面白がって言い始めたことで、上記の通り、ネットウォッチは影に潜んでこっそりやるゲス行為ということをよく理解してる人なので、一番最初蔑称だったと思います

本人がそう名乗った時は少し驚きましたが、自虐的ものだろうし、今でもその意味で使ってると思うので、ネットウォッチのすごい人って言われてるのを見ると私としてはずーっと悪口言われてる人のように見えてます

本人も苦々しく思ってるかと思いきや、ここ数年だとは思うのですが、自虐的ながらもまんざらでもない様子が出てきて、ちょっとおかしな感じになってきました。

きちんとヲチしてるわけではないので何かきっかけがあったのか分かりませんが、ネットウォッチというもの本質を知っているはずなのに、あえて都合がいいようにズレた意味合いに動かし始め、遂には商売をはじめ、そもそもネットウォッチ自己顕示欲は相反するものという意識が強い昔の人から冷ややかな目で見られるようになっています

彼をネットウォッチャー的観点でいうと、「ネットウォッチの原点を知らない人に俺は昔から知ってるというマウントを使ってズレた事をしているネットゴロ、とはいえ、まだまだ手の施しようが無くなるほどひどいとこまでは行ってない(行くほど儲けてない)ので、熟成するまでまだもう少し」という感じです。

さて、増田とはいえ、私もヲチャとしてはあるまじき自己顕示欲を出してしまったので、深く反省をし、これからも「ウォッチ先 さわらず荒らさず まったりと」を実践していきたいと思います

2019-12-19

anond:20191219233612

2009年でもネットサービスデジタルコンテンツに限ればもうかなり海外製の使ってたと思うんだよね。

検索Googleに始まりメールサービスGmail動画youtube通話Skype画像作成Photoshop及びIllustrator3DCG作成MAYA or 3DSMAX、OSは言うまでもなくWindows or iOS、買い物はAmazon

2019年現在マジで何の違いもない。

強いて言えば、1999年2009年比較した方が違い大きいかなって感じする。

2019-12-04

anond:20191204102045

20年ってすごいなー。そこまで出来るのって才能と根気がいるだろ。

調べたら1999年ってノストラダムスの大予言じゃん。懐かしい。世紀末から時間が止まってんだもんな。

anond:20191204144344

アポロで「ラブ・E・メールフロムビーナスなんて素敵ね」と歌いながらポルノグラフィティデビューしたのが1999年だったな。

anond:20191204102045

1999年ってメールそんなに普及してたっけ?

バイトの連絡で即日送れるほどにはカジュアルに使えてた記憶ないんだが

お互いデスクトップ立ち上げてダイヤルアップ接続してたなら話は別だけど

2019-11-27

anond:20191127190650

ONE PIECE1997年

HUNTER×HUNTER1998年

テニスの王子様1999年

NARUTO -ナルト-1999年

このあたり初版100万部超えたの2000年代でしょ。

ちなみにONE PIECE初版が史上最多を記録したのは2010年代に入ってから

80年代後半連載開始のジャンプ黄金期の連載陣が初版100万部を超えたのも90年代に入ってからだろう。

ざっくりで70年代1作品80年代5作品90年代7作品00年代6作品10年代3作品くらいと見るべき。

で、90年代半ば連載開始組は暗黒期でるろ剣くらいしかいないし、00年代後半から10年代前半はワンピナルトブリーチ三本柱が盤石で新連載があまり出てこなかった時期。

まりコミックスの売上どうこう以前にラインナップにムラがある。

まあ景気低迷や少子化による「単調減少」はあるとしても、ジャンプ本誌の事情がかなり大きいってこった。

いずれにせよ、元増田の「昔は雑魚でも100万部くらいは出てた」みたいな書きぶりはどう転んでも言い過ぎでしょ。

2019-11-25

anond:20191122230929

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%82%BA%E3%83%93%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B2%E3%82%A4%E6%98%A0%E7%94%BB

主なゲイ映画作品

ゲイ主題ゲイが準主役の映画重要キャストゲイが登場する作品を含む)

惜春鳥(1959年木下恵介監督

肉体の学校1965年木下監督三島由紀夫原作

薔薇の葬列1969年松本俊夫監督ピーター主演)

戦場のメリークリスマス1983年大島渚監督

らせん素描1991年小島康史監督

おこげ1992年中島丈博監督

きらきらひかる1992年松岡錠司監督

二十才の微熱1993年橋口亮輔監督

眠らない街新宿鮫〜(1993年滝田洋二郎監督キャストの一部にゲイが登場)

GONIN(1995年石井隆監督キャストの一部にゲイが登場)

渚のシンドバッド1995年橋口亮輔監督岡田義徳主演)

ブルースハープ1998年三池崇史監督田辺誠一池内博之主演)

御法度1999年大島渚監督司馬遼太郎原作

憚り天使1999年今泉浩一監督

ハッシュ!(2001年橋口亮輔監督田辺誠一高橋和也主演)

ゲルマニウムの夜2005年大森立嗣監督

真夜中の弥次さん喜多さん2005年宮藤官九郎監督

メゾン・ド・ヒミコ2005年犬童一心監督

46億年の恋2006年三池崇史監督 安藤政信主演)

BOYS LOVE2006年寺内康太郎監督

BOYS LOVE 劇場版(2007年寺内康太郎監督

いつかの君へ(2007年堀江慶監督

キトモ(2007年三原光尋監督

愛の言霊2007年金田敬監督

僕らの愛の奏で(2008年草野陽花監督

体育館ベイビー2008年深川栄洋監督

禁断の恋(2008年草野陽花監督

ALLDAYS 二丁目の朝日2008年村上賢司監督

BL 〜僕の彼氏を紹介します〜(2009年草野陽花監督

タクミくんシリーズ2 虹色の硝子(2009年横井健司監督

タクミくんシリーズ3 美貌のディテイル(2010年横井健司監督

タクミくんシリーズ4 pure~ピュア~(2010年横井健司監督

愛の言霊世界の果てまで〜(2010年金田敬監督

タクミくんシリーズ5 あの、晴れた青空2011年横井健司監督

悪の教典2012年三池崇史監督キャストの一部にゲイが登場)

EDEN2012年武正晴監督原作船戸与一「夏の渦」、主演:高橋和也ら)

どうしても触れたくない(2014年天野千尋監督

セブンデイズ MONDAY→THURSDAY(2015年横井健司監督

セブンデイズ FRIDAYSUNDAY2015年7月横井健司監督

怒り(2016年李相日監督キャストの一部にゲイが登場)

主なゲイドラマ作品

キャストの一部にゲイが登場する作品含む)

あすなろ白書1993年フジテレビ系、キャストの一部)

同窓会1993年日本テレビ系。主役がゲイで脇役がバイセクシャル。全編に渡り同性愛テーマ

告白1997年日本テレビ系。エンディング主題歌も同性愛テーマにしたユーミンの『告白』)

ロマンス1999年日本テレビ系、つかこうへい原作

麗わしき鬼(2007年中島丈博脚本フジテレビ系)

肩ごしの恋人(2007、TBS系、キャストの一部のみ)

花ざかりの君たちへ2007年フジテレビ系)

「翼のカケラ」(2007年テレビ東京恋愛診断」第1章より)

運命のコドウ」(2007年テレビ東京恋愛診断」第4章より)

ママニューハーフ2009年テレビ東京

クレオパトラな女たち2012年日本テレビ系)

シェアハウスの恋人2013年日本テレビ系)

佐藤家の朝食、鈴木家の夕食(2013年BSジャパン

隣の家族は青く見える(2018年フジテレビ系)

2019-11-21

anond:20191121154856

ドラゴンクエスト

ドラゴンクエスト1986年--
ドラゴンクエストII 悪霊の神々1987年1年
ドラゴンクエストIII そして伝説へ…1988年1年
ドラゴンクエストIV 導かれし者たち1990年2年
ドラゴンクエストV 天空の花嫁1992年2年
ドラゴンクエストVI 幻の大地1995年3年
ドラゴンクエストVII エデンの戦士たち2000年5年
ドラゴンクエストVIII 空と海と大地と呪われし姫君2004年4年
ドラゴンクエストIX 星空の守り人2009年5年
ドラゴンクエストX 目覚めし五つの種族2012年3年
ドラゴンクエストXI 過ぎ去りし時を求めて2017年5年

ファイナルファンタジー

ファイナルファンタジー1987年--
ファイナルファンタジーII1988年1年
ファイナルファンタジーIII1990年2年
ファイナルファンタジーIV1991年1年
ファイナルファンタジーV1992年1年
ファイナルファンタジーVI1994年2年
ファイナルファンタジーVII1997年3年
ファイナルファンタジーVIII1999年2年
ファイナルファンタジーIX2000年1年
ファイナルファンタジーX2001年1年
ファイナルファンタジーXI2002年1年
ファイナルファンタジーX-22003年1年
ファイナルファンタジーXII2006年3年
ファイナルファンタジーXIII2009年3年
ファイナルファンタジーXIV2010年1年
ファイナルファンタジーXIII-22011年1年
ファイナルファンタジーXV2016年5年

ポケットモンスター

ポケットモンスター 赤・緑1996年--
ポケットモンスター 金・銀1999年3年
ポケットモンスター ルビー・サファイア2002年3年
ポケットモンスター ダイヤモンド・パール2006年4年
ポケットモンスターブラック・ホワイト2010年4年
ポケットモンスター X・Y2013年3年
ポケットモンスター サン・ムーン2016年3年
ポケットモンスター ソードシールド2019年3年

テイルズ オブ

テイルズ オブ ファンタジア1995年--
テイルズ オブ デスティニー1997年2年
テイルズ オブ エターニア2000年3年
テイルズ オブ デスティニー22002年2年
テイルズ オブ シンフォニア2003年1年
テイルズ オブ リバース2004年1年
テイルズ オブ レジェンディア2005年1年
テイルズ オブ ジ アビス2005年0年
テイルズ オブ イノセンス2007年2年
テイルズ オブ ヴェスペリア2008年1年
テイルズ オブ ハーツ2008年0年
テイルズ オブ グレイセス2009年1年
テイルズ オブ エクシリア2011年2年
テイルズ オブ エクシリア22012年1年
テイルズ オブ ゼスティリア2015年3年
テイルズ オブ ベルセリア2016年1年
テイルズ オブ アライズ2020年4年

スーパーロボット大戦OG任天堂向けのラインなどは除いた)

第2次スーパーロボット大戦1991年--
第3次スーパーロボット大戦1993年2年
スーパーロボット大戦EX1994年1年
第4次スーパーロボット大戦1995年1年
スーパーロボット大戦F1997年2年
スーパーロボット大戦F完結編1998年1年
スーパーロボット大戦α2000年2年
スーパーロボット大戦α外伝2001年1年
スーパーロボット大戦IMPACT2002年1年
第2次スーパーロボット大戦α2003年1年
第3次スーパーロボット大戦α 終焉の銀河へ2005年2年
スーパーロボット大戦Z2008年3年
第2次スーパーロボット大戦Z 破界篇2011年3年
第2次スーパーロボット大戦Z 再世篇2012年1年
第3次スーパーロボット大戦Z 時獄篇2014年2年
第3次スーパーロボット大戦Z 天獄篇2015年1年
スーパーロボット大戦V2017年2年
スーパーロボット大戦X2018年1年
スーパーロボット大戦T2019年1年

コール オブ デューティ

コール オブ デューティ2003年--
コール オブ デューティ ファイネストアワー2004年1年
コール オブ デューティ22005年1年
コール オブ デューティ2 ビッグ レッド ワン2005年0年
コール オブ デューティ32006年1年
コール オブ デューティ4 モダン・ウォーフェア2007年1年
Call of Duty: World at War2008年1年
コール オブ デューティ モダン・ウォーフェア22009年1年
コール オブ デューティ ブラックオプス2010年1年
コール オブ デューティ モダン・ウォーフェア32011年1年
コール オブ デューティ ブラックオプス22012年1年
コール オブ デューティ ゴースト2013年1年
コール オブ デューティ アドバンスド・ウォーフェア2014年1年
コール オブ デューティ ブラックオプス32015年1年
コール オブ デューティ インフィニット・ウォーフェア2016年1年
コール オブ デューティ ワールドウォーII2017年1年
コール オブ デューティ ブラックオプス 42018年1年
コール オブ デューティ モダン・ウォーフェア2019年1年

結論

RPGばかりになってしまったのでそれ以外の長期シリーズとしてスパロボを。

さら洋ゲー代表格としてCoDさんにも来ていただいた。

DQFF横綱の開発期間が順調に伸びている一方、

携帯機を中心に開発されてきたポケモンや、

RPGと比べれば)ボリュームを求められないスパロボは、

意外にも発売ペースを守ることができている。

(ただしどのシリーズスピンオフバージョン違いが盛んにリリースされていることには留意したい)

AAAタイトルにもかかわらずCoDが毎年新作をリリースできているのは、

オープンワールド系ほどにはボリューム肥大化しないゲームジャンルであることと、

複数の開発会社を抱えて新作を出し分けていることが大きいのだろう。

もちろん他の作品もたとえばナンバリングスピンオフとで開発ラインを分けたりはしているはずだ。

テイルズナンバリングでも二つの開発ラインがあったことで知られている)

ゲーム機の性能向上により間違いなく「開発コスト」は増大しているものの、

からといって「開発期間」が増大しているとは限らない、といった結論になるだろうか。

anond:20191121135013

スターウォーズ70年代から現在まで新作がつくられている映画

1977年スター・ウォーズ エピソード4/新たなる希望--
1980年スター・ウォーズ エピソード5/帝国の逆襲3年
1983年スター・ウォーズ エピソード6/ジェダイの帰還3年
1999年スター・ウォーズ エピソード1/ファントム・メナス16年
2002年スター・ウォーズ エピソード2/クローンの攻撃3年
2005年スター・ウォーズ エピソード3/シスの復讐3年
2015年スター・ウォーズ/フォース覚醒10
2017年スター・ウォーズ/最後ジェダイ2年
2019年スター・ウォーズ/スカイウォーカー夜明2年

ターミネーター80年代から現在まで新作がつくられている映画

1984年ターミネーター--
1991年ターミネーター27年
2003年ターミネーター312
2009年ターミネーター46年
2015年ターミネーター/ジェニシス6年
2019年ターミネーター/ニュー・フェイト4年

ワイルド・スピード2000年代から現在まで新作がつくられている映画

2001年ワイルド・スピード--
2003年ワイルド・スピードX22年
2006年ワイルド・スピードX33年
2009年ワイルド・スピードMAX3年
2011年ワイルド・スピードMEGA MAX2年
2013年ワイルド・スピードEURO MISSION2年
2015年ワイルド・スピードSKY MISSION2年
2017年ワイルド・スピードICE BREAK2年
2019年ワイルド・スピード/スーパーコンボ2年

B'zのオリジナルアルバム1988年メジャーデビューしたロックユニット

B'z1988年--
OFF THE LOCK1989年1年
BREAK THROUGH1990年1年
RISKY1990年0年
IN THE LIFE1991年1年
RUN1992年1年
The 7th Blues1994年2年
LOOSE1995年1年
SURVIVE1997年2年
Brotherhood1999年2年
ELEVEN2000年1年
GREEN2002年2年
BIG MACHINE2003年1年
THE CIRCLE2005年2年
MONSTER2006年1年
ACTION2007年1年
MAGIC2009年2年
C'mon2011年2年
EPIC DAY2015年4年
DINOSAUR2017年2年
NEW LOVE2019年2年

BUMP OF CHICKENオリジナルアルバム2000年メジャーデビューしたロックバンド)

1999年FLAME VEIN--
2000年THE LIVING DEAD1年
2002年jupiter2年
2004年ユグドラシル2年
2007年orbital period3年
2010年COSMONAUT3年
2014年RAY4年
2016年Butterflies2年
2019年aurora arc3年

Official髭男dismミニアルバムオリジナルアルバム2018年メジャーデビューした音楽グループ

2015年ラブとピースは君の中--
2016年MAN IN THE MIRROR1年
2017年レポート1年
2018年エスカパレード1年
2019年Traveler1年

結論

別に遅くなってない。

2019-11-16

上越新幹線年表

anond:20191114163008

中山トンネル異常出水によるルート変更と急カーブ

中山トンネル高崎駅上毛高原駅の間にある長大トンネルひとつトンネルを掘っている途中で水が止まらなくて掘り進めなくなり、トンネルを曲げて貫通させた。そのため、半径1500mの急なカーブができて160㎞制限大清水トンネル下りでつけた勢いもここで一気に減速。スピードアップボトルネックになっている。東京から300㎞の新潟より、350㎞の仙台のほうが早く着くマジックはここにある。ちなみに新潟-東京の最速列車は1日1本の看板列車で1時間37分。仙台-東京は毎時走っているはやてで1時間30分。ほとんどは2時間以上かかっているので、とってもゆっくり新幹線なのである

割引による羽田-新潟線潰し

A特急料金から新幹線特急料金への急激な値上げを緩和するために、上越新幹線はしばらくの間、割引された。格安航空会社などない時代羽田-新潟線はあっけなく白旗を上げ、東京への空路は早々になくなってしまった。新潟から真南に飛べば、最短距離羽田に到達できるはずだが、横田空域関係福島太平洋洋上を迂回するルートを取っていたため、時間がかかっていた。中越地震による上越新幹線の不通時に空路一時的な復活があった。片道15000円。

200系 1982年

開業時に導入された車両。3列席が車両中央を境にしてそれぞれの進行方向に固定されていたので、後ろ向き走行体験できる不思議車両0系にもそういうのがあったので、シートピッチ的に3列席が回転できなかったのは、当時の風潮なのだろうか。昭和車両21世紀になっても走り続けることになる。最長は2012年で30年走り続けた車両もあった。

E1が2往復だけやってくる 1994年

2階建ての詰め込み編成がちょっとだけ登場。依然として主力は200系

E2が一編成だけやってくる 1998年

北陸(長野行き)新幹線オリンピックとともに開業たころ、北陸(長野行き)新幹線にはE2が集中配置。お情けで朝の東京行きのノンストップ便にE2が一編成だけ登場。2004年に召し上げられる。

E1のおさがりが集結 1999年

なりもの入りで登場したオール2階建て新幹線東北系統ミニ新幹線との併結運用をこなし、大量輸送をしていた。しかし、鈍足があだとなり、全車が上越左遷200系とE1の時代が続く。

200系リニューアル車 1999年

200系の後から導入された車両は、内装を取り換えて、塗装をやり直して、21世紀風にした車両。なんと3列席が回転するようになり大躍進。東京駅のホーム東北長野の新しめの車両に引け目を感じた。E2に乗りたい人生だった。

E4がちょっとだけ登場 2001年

8両の短い編成で登場。座れないはずれ車両イメージがあった。特に2階の自由席は切ない。指定席車両自由席になっている車両がねらい目だった。何も見えないない車窓と引き替えの静かな1階席。

200系シャークノーズ 2004年

100系の先頭デザイン拝借した仕様東北新幹線では、2階建てグリーン車を含むフラッグシップ編成だった。2階建てグリーン車を抜いて上越左遷。先頭のデザインがカッコいいだけで、中身は何の変哲もない200系だった。

中越地震脱線 2004年

(・〇・)

E4のおさがりが集結 2012年

E1を追い出した東北に登場したオール2階建てE4も結局はお払い箱。E5が出たころにスピードアップ足枷となり、上越左遷

8両編成+8両編成の16両でピー輸送活躍。必ず座れるのでオール2階建て16両にはメリットがあった。2011年2016年に全廃と新聞発表されていたが廃車するする詐欺が勃発。長野の車庫の水没でさら延命されるのか。

E1の定期運用終了 2012年

専用色に塗り替えられたおさがりがようやく廃車に。

200系の定期運用終了 2013年

リニューアル工事10年あまり延命した200系がようやく廃車に。

ついにE2が本格登場 2015年

北陸(長野行き)新幹線開業時に指をくわえて見ていたE2がやってきた。そのとき北陸新幹線にはE7、W7が導入され、北陸(長野行き)のE2は廃車になっていたのであった。上越にきたE2は、東北で使っていたE2で窓が2つつながっている1000番台。またもや一世代前のおさがりの登場だ。

E7がやってくるヤァ!ヤァ!ヤァ! 2019年

ついに上越新車が入る!ドンドン増備される!開業時の200系登場以来、まともに新車が入らなかった上越新幹線県民の喝さいを浴び、朱鷺色の専用帯を付けての登場だった。だがしかし長野の車庫の水没による10編成ロスト。E7の増備はおあずけに。E4とE2の天下はしばらく続くのであった。

2019-11-14

京大博論を元にした本が東大紀要書評フルボッコされてる件

日本大学特に文系学問に対する風当たりが厳しい昨今、文系学者達は自分たち存在意義を示そうと必死だ。大学で行われている文系研究は、どう役に立つかはともかく、それ自体研究としてちゃんとしたものなんだ!ということは前提となっているし、みんなそう信じている。文系先生達は決してSTAP細胞のようなデタラメをやっているのではないと。

だが、それは本当か? 証拠はあるのか? 最先端研究専門家でさえ評価が難しい。たとえばアインシュタイン一般特殊相対性理論を作ったけど、時代の先を行き過ぎていて正当な評価がされなかったそうで、ノーベル賞は他の業績に対して与えられた。文系研究基本的には同じで、研究の良し悪しを判断できる人は極少数だ。だから、知らないうちにトンデモない研究がはびこっていて、それに社会的評価が伴っていても、ほとんどの人にはわからない。専門家が厳正に評価してくれていることを信じるしかない。

パンドラの箱が開いた

本題に入ろう。最近、1つの書評論文東大言語学研究室発行の紀要に出た。

田中太一日本語は「主体的」な言語か―『認知言語類型原理』について―」『東京大学言語学論集』 41 (2019.9) 295-313

https://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/?action=repository_action_common_download&item_id=53475&item_no=1&attribute_id=19&file_no=1

書評された本は『認知言語類型原理』(京都大学出版会)。

https://www.amazon.co.jp/dp/4814001177/ref=cm_sw_r_tw_dp_U_x_6P9YDbPVN9WJ2

著者は、関西外国語大学 短期大学部 英米語学准教授中野研一郎先生

 

普通書評というのは基本的にほめるものだ。批判はあっても最後ちょっとだけ。しかし、この書評は、冷静な筆致でありながら、酷評酷評、ボロクソ、クソミソ、ケチョンケチョンフルボッコだ。一個もほめてない。批判が当たっているなら、トンデモ本に違いない。

こうすればあなた博士になれる

一番ヤバいのは、この本が博士論文を元にしたものということ! 一応説明しておくと、博士論文とは、最高の学位である博士」の学位を取るために大学院生が何年もかけて書く長大論文で、大雑把に言って本1冊以上の分量がある。もちろん、何でもいいからテキトーに書けばいいわけではない(はずだ)。自分オリジナルで、学術的に価値のあること、つまり、これまで誰も知らなかった知見を新たにもたらして人間知識を拡大するような研究の成果でなければいけない。どの分野でもそうだ。

そして博士論文原稿は、3~5人の審査委員審査する。審査委員は全員、その分野に詳しい大学教員だ。審査は3回くらいある。まずは博士論文の大枠ができた後、本格的な執筆にゴーサインを出すかを決める一次審査、そして論文が大体書けた後、論文大学に提出していいか審査する二次審査最後論文が完成し、大学に提出された後、博士学位を与えるか否かを決める最終審査がある。それぞれ少なくとも1時間はかかる本格的なものだ。ディフェンスと言われる最終審査の口頭試問は、公開で行われる。最後に別室で結果を審議した審査委員が会場に戻ってきて厳かに合格が伝えられると、みんな拍手で心から祝福する。

ミサト:おめでとう!

アスカ:おめでとう!

レイ:おめでとう。

シンジ:僕はここ(アカデミア)にいてもいいんだ!

研究人生のフィナーレではないが、1つのピーである。こうやって研究者の能力お墨付きを与えるのが大学存在意義の大きな一部分だ。

要するに、博士号を取るのはとても大変なのだ日本だと博士号を持っている人は1万人に1人くらいしかいないらしい。日本大学は入るのは難しいのに出るのは簡単だとよく言われるけど、大学院の博士課程はそうではない。入るのも修士課程ほど楽ではないし、文系では入っても博士号を取れない人の方が多いくらいだ。これだけ大変だから博士号はアカデミアでは評価される。大学教員になるなら、博士じゃないとエントリーすることさえほぼほぼ不可能。『認知言語類型論』の中野先生は、フェイスブックを見たところ、以前は高校先生だったみたいだけど、博士号をとってから、50歳を過ぎて関西外国語大学准教授になったようだ。周知の通り、大学終身雇用教員の座をめぐる争いは非常に激しい。博士号がなかったら就職できなかっただろう。

 

博士号はどこの大学でとっても価値は同じ、みたいなことを何度か読んだことがあるけど、あれはデマ。真に受けてはいけない。いい大学博士号ほど高く評価される(Why not?)。中野先生がお持ちの京都大学博士号は、京大が超一流なのと同様、超一流の博士号だ。50歳を過ぎて大学就職できたのも不思議ではない。しかも、中野先生師匠は、日本言語学界の大物中の大物、山梨正明先生だ。『認知言語類型原理』に山梨先生が解題を寄せているから間違いない。この大先生は、「日本代表する理論言語学者の一人」([wikipedia:山梨正明])。中野先生が在学していた頃には、日本語用論学会(2008〜2011)や、日本認知言語学会(2009〜2012)の会長を同時に務めもした大物中の大物だ。ちなみに、山梨大先生2014年度に京大を定年退官して、2015年から中野先生より一足早く関西外国語大学で教鞭をとっている。ちょっとややこしい話だが、博士論文審査が終わる前に京大を定年退官したようで、審査主査ではないが、審査委員には名を連ねている。https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/handle/2433/199376 博士論文を書くのに何年もかかるから、こういうことはよくある。

日本語に主語目的語、態、時制、格、自動詞他動詞はいらない?

さて、超大物お墨付き博士論文(を元にした本)はどんなもんなんだろうか。書評から拾っていこう。2節は専門的な議論でよくわからいかパス。3節「日本語に存在しないとされるものから見ていこう。まず、1節に同書のまとめらしき部分から引用がある。

日本語(やまとことば)」を深層とする日本語において、「形容詞 (adjective)」・「主語 (subject)/目的語 (object)」・「態(voice)」・「時制 (tense)」・「格 (case)」・「他動詞 (transitive verb)/自動詞 (intransitive verb)」といった、従来ア・プリオリに前提とされていた統語・文法カテゴリ妥当していないことも論証した。さらに、「膠着」言語の一つである日本語」においては、その語・語句・節の生成メカニズムは、「音」自体に「意味」を見出す「音象徴 (sound symbolism)」を基盤にしていることを論じた。

(『認知言語類型原理』[以下、中野 2017] p. 308、書評論文[以下、田中 2019]p. 295から禁断の孫引き。以下、同書の引用は全て孫引き)

昔、『日本語に主語はいらない 百年の誤謬を正す』[amazon:日本語に主語はいらない]という本が出て、言語学者に酷評されたことがある。金谷武洋日本語に主語はいらない』批判記事一覧 - 誰がログ https://dlit.hatenadiary.com/entry/20071216/1197757579

主語がいらないと言っただけでそうなったのに、『認知言語類型原理』は、ミニマリスト断捨離なんてもんじゃない。主語だけじゃなく、形容詞、態、時制、格、自動詞他動詞も、いらない、何も、捨ててしまおう~♪と謳っているらしい。全部なしで日本語の文法はどうなっているのかというと、「その語・語句・節の生成メカニズムは、「音」自体に「意味」を見出す「音象徴 (sound symbolism)」を基盤にしている」ということらしい。

「音象徴」の名の元に蘇る亡霊

これは熊倉千之氏の「音象徴理論に基づいているそうで、熊倉氏は、

膠着語にかんして、「イメージイメージを膠でつけるように、ことばができているのです。ですから、具体的なモノとモノをつなげると、言語(コト) としての「抽象」 性が生まれ、新しいことばが作られるのです (熊倉 2011: 18)と述べた上で、日本語の音素はそれぞれ何らかのイメージを持つという観察を根拠に、やまとことばの「音声と意味」には、ソシュールの説に反して、「恣意的」ではなく、密接な繋がりが感じられる」 (熊倉 2011: 30) と主張している。

(これも田中 2019: 309から禁断の孫引き

熊倉千之 (2011)『日本語の深層〈話者のイマ・ココ〉を生きることば』東京: 筑摩書房.

とのこと。

近代言語学の父、ソシュールの一番有名な恣意性原理否定しているが、それ自体はない話ではない。音象徴が当てはまる例として、ポケモンとか怪獣名前は、音と意味関係が全く恣意的なわけではない、みたいなことが最近よく言われている。ただ音象徴基本的オノマトペ擬音語擬態語)や新たに名前を付けるものについての話、しかあくま傾向性言語全体の「語・語句・節の生成メカニズム」になるようなものとして扱われてはいない。しかし、中野説はそういった主流の音象徴研究とは一線を画する。具体的に見てみると、

「あ/a/」は「空間出来の語基」 として、「い/i/・居」 は「様態化の語基」 として、「う /u/・続」 は「プロセス化の語基」 として、 「音象徴」 により語彙を創発させる機能を担っているのである(中野 2017: 247) 。

知らなかったー、日本語ってすごいですね(棒)。たとえば、「合う・会う」は、「あ/a/」+「う /u/」だから、「(出来)動詞」だそうだ。書評子が、

「「出来」が「プロセス化」すると「合う・会う」になるという説明は到底理解できるものではない」(田中 2019: 309)

と言う通りだ。「あい」(愛とか藍)はどうなるんだろう。中野先生によると、音象徴

日本語(やまとことば)」の同音異義の語の数の多さと、またオノマトペの豊穣さの、母体にもなっている」 (中野 2017:232)

そうだが、書評子は、ここに鋭く矛盾を見て取る。

この主張は、本書の議論を決定的に破綻させるものである。もし「音=意味」という恣意的でない結びつきが存在するならば、同じ音を(同じ順序で)組み合わせれば同じ意味になるはずである同音異義語存在が極少数に限られるならともかく、その数が多いのであれば、日本語の全体を「音象徴」に基づいて分析することが不可能であることは自明である。(田中 2019: 310)

かに。他にも、中野先生は「確かに」・「達する」・「頼みます」・「たった、これだけですか」・「立つ」・「経つ」・「絶つ」・「裁つ」などを例に、

日本語(やまとことば)」では、音部分が同根であれば、「音象徴」に基づき、その意味機能通底している 。 [中略] 「た/ta/」音を語頭とする語は「心的確定(確信)」を基に語彙が生成していることが理解できる。「日本やまとことば」の「た/ta/」音は、「音象徴」において「確信」を「意味」とする「音」なのである。 (中野 2017: 255)

と言っているそうだが、「立つ」とか中野先生自身の例でさえ、どこが確信関係があるのかわからない例もある。この説が無理なのはよく考えてみるまでもない。

そもそも、「音象徴」なんて流行りのタームを中野先生熊倉氏は使っているが、こういう説は「音義説」[wikipedia:音義説]と言うのがより正確だ。近代以前に唱える人がたまにいたけど、今ではググるとわかる通り素人が唱えているだけのものだ。ちなみに、このような形で同書に大きな影響を与えた熊倉千之氏とは、

1980年「『源氏物語』の語りの時間」でカリフォルニア大学バークレー校にてPh.D.取得。ミシガン大学サンフランシスコ州立大学などで日本語・日本文学を教える。1988年帰国後、東京家政学院大学教授1999年金城学院大学教授2007年退職

[wikipedia:熊倉千之]

という人。ウィキペディアでは一応「日本文学者・日本語学者」となってはいるけど、専門はどう見ても文学言語について言語学界とは関係なく自由思索著述をしている人のようだ。そういう独自言語論を唱える文学思想研究者はよくいるけど、普通言語学者はそういうのはまともに相手にしない。『認知言語類型原理』もその類の本だったなら、東大言語学を学ぶ書評子も取り合わなかっただろう。でも、これは京大言語科学講座で博士号をとるために書かれた論文(が元になった本)なのだ

驚愕の主張の数々

他にも同書には、業界震撼の主張が満載みたいだ。是非同書を買って私の代わりに確認してみてほしい。

日本語では論理的命題を表すことができない」(田中 2019: 305)
日本語は英語を含む近代ヨーロッパ標準諸語に翻訳できず、また近代ヨーロッパ標準諸語も日本語に翻訳できない」(中野 2017: 268)
科学数学物理学化学生物学法学経済学歴史学社会学言語学等)」と称せられるものの全ての言説は、日本語で書かれている限り、「日本語(やまとことば)」の論理によって、「客観的であるとする言語論理的根拠を維持できないのである。当然のことながら、この本自体も、日本語で書いている限りはその陥穽から逃れることができない。」 (中野 2017: 268)
日本語の「伝聞」というコミュニケーション様態においては、伝えられる内容は、伝える者によって「主体化」されており、したがって、その「主体化」された内容の真偽判断に関わっては、「権威」が必要となる。伝える者に「権威」が伴っていない場合、伝えられる内容は真と判断されない。」(中野 2017: 16)

しつこいようだが、これで5年前に京大博士号が取れたのだ。

ちなみに、なんで日本語が英語などと違ってこうなってるかと言うと、中野先生によると、日本語は歴史的文字を持たなかったからだそうだ。とはいえ英語だってそうだし、文字で残っている歴史の長さも日本語と同じくらいなんだけど。っていうか、どの言語も昔々は文字がなかっただろ!

ということで、書評の内容は変な言いがかりではないようだ。そもそもこんな空前絶後激辛書評論文大学院生が書くこと自体大きなリスクを伴う。(書評子、いろいろ大丈夫か?)無理なイチャモンをつけるためにそんな危険を冒すわけがないし、出版前に東大で止められるだろう。ま、『認知言語類型原理』は、博士論文審査から本の出版にいたるまで、誰にも止められなかったみたいだけど!

京大STAP細胞はありま~す?」

もう終わりにしよう。書評批判が当たっているなら、こういうことだ。超大物教員指導の元、こんな博士論文が書かれ、専門家達が「厳正な」審査をし、超一流の博士号が授与され、それをテコに大学で職を得た人がいる。これがわかったのは、本が出版されたおかげだ。ちなみにこの本、名もない出版からではなく、京都大学出版会が出している。もちろん、本の出版は著者が勝手にできることではない。本の最後に超大物元指導教員が「解題」を寄せているから、知らなかったはずはない。解題を見てみたところ、基本的にほめていて、特に批判らしい批判はなかった。実はその解題、公開されている博士論文審査結果の要旨とほとんど同じ。

https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/199376/1/ynink00705.pdf

審査結果からもいくつか引用しておこう。

論文は、個別言語における認知メカニズムの解明によって言語固有の形式文法カテゴリ創発する根源的理由説明を試みた意欲的研究であり、認知言語類型論という新た

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