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はてなキーワード: 経済危機とは

2024-10-31

anond:20241031114823

この意見ポピュリズムへの理解が一面に偏っている可能性がありますポピュリズムは、「エリート」に対して「大衆」の利益を優先する政治スタイルで、大衆意向に強く応える姿勢を特徴としますが、その定義は単純に「大衆迎合する」ことを意味するものではありません。ポピュリズムは、社会に分断を生み出したり、短期的な利益を優先しすぎたりする場合もあり、そうした点で成功と失敗の両方の例が存在します。

 

ポピュリズム定義

ポピュリズムは、エリート批判し、一般大衆利益や声を優先する政治スタンスリーダーシップ形態を指します。定義としては、大衆感情や不満に訴えることで人気を得ようとする傾向が強いです 。こうしたアプローチは、「国民の声に耳を傾ける」とされる反面、現実的政策判断犠牲にするリスクもあります

 

成功例と失敗例

ポピュリズム成功例としては、アメリカの「ニューディール政策」を行ったフランクリン・ルーズベルトが挙げられます大恐慌時に大衆の支持を得つつ、経済復興雇用創出のための大規模な政策を実行しました 。大衆に訴える手法を取りつつも、長期的な経済政策が功を奏し、結果的アメリカ経済基盤を再構築することができました。

 

一方、失敗例としては、ベネズエラウゴ・チャベス政権がありますチャベス国民生活改善を掲げ、石油収入を背景に社会福祉政策を拡充しましたが、経済基盤を無視したため、石油価格の下落によって経済危機に陥り、国民生活悪化しました 。このように、大衆利益短期的に優先した結果、長期的には国家国民生活に深刻な影響を及ぼしました。

 

問題点矛盾

意見の中で「大衆迎合する政治なら大衆にはメリットしかない」という主張がありますが、実際にはポピュリズムが必ずしも「大衆にとってメリットしかない」とは限りません。例えば、短期的な利益を優先するポピュリズム政策が行われると、結果として財政悪化インフラ老朽化といった長期的な問題が後回しにされることがあります。また、ポピュリズムはしばしば敵対的二項対立(「エリート大衆」)を煽るため、社会の分断を引き起こしやすく、これが社会の安定を損なう要因にもなります

 

まとめ

この意見に見られる「大衆メリットしかない」「民主主義に適している」という視点は、ポピュリズム理想的な側面を過大評価している可能性がありますポピュリズムには大衆の声を代弁する力がありますが、それを実行する際の長期的な視野社会全体の安定を考慮しない場合、深刻な問題や分断が発生することが多々あります

2024-10-17

anond:20241017133404

リーマンショック並みの経済危機が来てアメリカ金利0%にしたらワンチャン100円台いくかも

100円+-20円だったドル円は、130円+-20円になったと思った方がいい

2024-10-10

日本政権交代が起こる条件は何でしょうか。

日本政権交代現実的に起こるためには、いくつかの条件や要素が整う必要があります。以下にその要因を挙げて説明します。

1. 強力な野党の結成と結束

野党の再編: 現在日本では野党分散しており、十分な結束力が欠けていることが多いです。政権交代を実現するためには、野党勢力が統合または連携し、明確で強力な政治ビジョンを掲げることが必要です。

リーダーシップ確立: 野党が魅力的なリーダーを持ち、そのリーダーシップのもとで明確な方向性を示すことが重要です。国民にとって信頼できる指導者がいることが、支持を集める大きな要因となります

2. 明確な政策代替案の提示

政策の違いを明確に打ち出す: 現与党との差別化を図るために、具体的で実現可能政策代替案を示すことが必要です。特に経済社会保障外交などの重要政策分野で明確な違いを示すことが求められます

政策実効性の確保: 単なる批判ではなく、実際に問題解決できる現実的プランを持っていることを示すことで、国民の信頼を得ることができます

3. 国民の不満や政治危機感の増大

政権への不満の高まり: 長期的な経済停滞、社会保障問題政治腐敗などに対する不満が高まることで、現政権への支持が低下しやすくなります国民の間で「現状のままではいけない」という危機感が強まると、政権交代可能性が高まります

スキャンダル失策: 与党内で大規模なスキャンダル政策の失敗が起こると、国民の信頼が失われ、政権交代きっかけとなることがあります

4. 選挙制度見直し

選挙制度改善: 現在小選挙区制は、勝者がすべてを得る方式であり、少数政党が不利になることが多いです。選挙制度見直しが行われることで、多党制可能性が高まり政権交代のチャンスが増えるかもしれません。

選挙公平性と透明性の向上: 選挙活動における公平性や透明性を向上させることで、国民自由政党選択できる環境を整えることが重要です。

5. 有権者政治意識と投票率の向上

政治参加の促進: 有権者積極的選挙に参加し、政治に関与することが重要です。特に若年層の政治意識を高め、投票率を上げることが、変革の鍵となります

世論の変化: メディアSNSなどを通じて、多様な視点意見が広がり、国民がより多角的政治評価するようになることが必要です。

6. 与党内の分裂や分派の発生

• 内部の対立: 現与党内での対立や分裂が発生すると、支持基盤が弱まり野党政権を奪取する可能性が高まります特に派閥争いや政策の違いが激化すると、与党一枚岩が崩れるリスクが出てきます

7. 国際情勢や経済状況の影響

経済悪化: 経済危機や景気の悪化は、国民生活に直接影響を与えるため、現政権に対する支持が急落する可能性があります。こうした状況では、新しいリーダー政策希望を求める声が強まります

• 国際情勢の変化: 国際的危機外交問題が発生した際に、現政権が適切に対応できないと、政権交代きっかけになることがあります

これらの条件が整った場合日本でも現実的政権交代が起こる可能性が高まります政権交代は、政治健全性を保ち、国民意思を反映させるためにも重要プロセスです。

2024-10-02

アメリカ失業率、1年後どうなってるだろうなあ?

https://jp.investing.com/economic-calendar/unemployment-rate-300

 

コロナ前、アメリカにしては脅威の失業率3.5%あたりにいた

リーマンショック前が4.5%で、リーマンショック後に10%まで増えた

それが2019年までがんばって下げていって3.5%

 

そしてコロナ、これは非常に例外的だけど10%を超えた

徐々にそれも落ち着いて、2022年にまた4%を切り、3.5%までまた落ちた

 

そこで起きたのが米の利上げ

利上げすると当然投資は減るから失業率は増える

インフレ退治をするために、コロナ禍の借金を返すような形だ

インフレは今ようやく前年比2.5%まで落ちたので利上げはもう終わりだが

足元で失業率は4.3%程度まで上がっている

 

これがどこまで上がるか、どこで止まるのか議論が分かれている

利下げフェーズでは〜という話はよく上がるが、過去の利下げフェーズは他の要因で経済危機に陥ってるため参考にならない

似たような状況は30年以上遡らなければならない

 

もしこのまま5%6%と上がっていくなら経済は冷え込み世界的に経済が低迷するのは間違いないが

ソフトランディングするかもしれないという説もある

そうなれば再来年には世界的に復活するだろうし

どうなるんだろうなあ

 

アメリカの逆イールドは先月解消したらしい、いつもならここからリセッションが来る流れだが、足元で米株指数過去最高だ

2024-08-16

anond:20240816231316

歴史勉強時間だ、増田アメリカ大恐慌(Great Depression)を知っているか1929年に始まったこ経済危機は、株価の大暴落を皮切りに世界中経済社会を混乱に陥れた。

このような大規模な社会混乱では、初期のパニックと混乱が長期間続くことが多く、基本的生活インフラが途絶えた場合、食料や医療品の確保が最も困難になる。大恐慌時も多くの人々が職を失い、食料や住居を確保するのに苦しんだが、コミュニティ助け合い自助努力によって生き延びた者も少なくはなかった。

そのため、君が指摘する日本社会崩壊し、電気、ガス、水道が全て止まり外国からの輸入も断たれるという状況は、確かに困難なものだろう。しかし、大恐慌時のように、自らを支えるコミュニティ自給自足能力を養うことが生き残るための鍵となるだろう。

人口減少や自警団と野盗との争いは避けられないかもしれないが、自給自足能力を持った人々や協力的なコミュニティが力を合わせることで、ある程度の生活基盤を築くことは可能だ。それに、歴史私たちに、困難な時代でも人々が助け合い連帯する力を見せてきたことを教えてくれる。増田自分自身がどのように適応し、周囲と協力していくかが生き残りの鍵になると思うぞ。

2024-06-18

anond:20240618221543

途中で切れた。長いと切れるんだな。知らなかった。

・総括

概観してみると、今の私を状態説明する要点は、下記のようなものであると考えられる。

特性を持って生まれ子どもが、いわゆる体育会系世界に入れられ、なまじ才能があったがために、支援必要特性について見過ごされたまま、強いストレスを肉体と精神の両方に受けることになったこと。

また、発達特性が仇となり、ストレスを軽減するための人間関係を作れず孤立したこと

これらの要因により精神的な限界に達した時、受けた負荷が強いパニックの形で噴出してしまい、結局はそれが水泳挫折する原因になったということ。

その後も必要ケアが十分には受けられなかったこと。

また、子ども当人(つまり、私)が、その負荷をむやみに強いられたと感じ、母親への不信を深め、その感情に向き合って修復する機会がないまま、成人後に関係破綻させてしまたこと。

そして、これらの感情的な傷付きに至る経緯とは別に特性について適切なケアトレーニングを受ける機会を得られなかったこと。

これらのことが、社会に出てから仕事への意欲が薄いこと、将来への展望を描けないこと、社交場面における不安などに影響し、また自分特性を扱う上での経験不足がストレスによる不眠、日中の眠気などに繋がり、上記不安拍車をかける結果となった可能性はあるのではないか、と私は思う。

そして、冒頭の「あなた言葉感情説明しない」という指摘もまた、やはり『嫌だ』『つらい』という訴えを繰り返し退けられ練習強要された経験から自分のつらさを他人に訴えてケアしてもらうことを諦めてしまい、直視せずに蓋をすることが常態化している精神状態にある、そのために精神的な問題を抱え込みやすくなっている、と説明できるかもしれない。

また、休職前に孤立無援と感じられる状況にふたたび置かれたことで、水泳パニックを起こしたときのように、強いパニックをおそらくまた起こし(あいまいな書き方なのはあんまり覚えていないので)会社に行くことができなくなっている。

これが当時のトラウマのいわゆる『再演』にあたる可能性はあるかな、と少し思う。

とはいえである

両親は私を愛しすぎるほど愛してくれており(少し連絡が取れないだけで着信を100件超えて入れるのが常態化していた程度には)、特に金銭の面では一般的な親の倍以上に私に支援をしてくれたことは事実である

上記事実をもって、私をまだ幸運なほうと思う人もいるだろうし、就活のくだりなんか、特に甘ったれていると思う人間も多いだろう。

ただ、3歳〜16歳ごろの人格形成期+思春期に、チームメイト精神的にまったく連帯できない状態スパルタ式の暴力的な教練を日がな毎日受けるという負荷は、おそらく定型発達の人間でも耐えられる人は限られるのではないか、という気もする。

そういう負荷に発達特性のある子どもが挑む場合には、おそらく精神的なケア定型発達の子ども以上に必要重要なことだったのだろうと思われる。

私がそういう子どもであったことが親の不運で、特性由来のストレスに対する適切なケア社会トレーニングの機会が得られなかったことが私の不運である

正直なところ。

母は小学校高学年くらいの段階で、私を発達障害者だと疑ってはいた。ネットの普及し始めた当時、私の持つASD的な特性の一部分はアスペルガーと呼ばれていたが、そのことについて母が情報収集していたことを覚えている。

しかしそれは、障害を受容した上で、適切な支援に繋げるという結果にはならなかった。

ちょうどそのくらいの時期に平成不況がやってきたのだ。私の特性を考え、進学先に私立中学を視野に入れていた母の計画は、完全にそれどころではなくなってしまった。父の会社にもリストラの波がやってきたのだ。

タイミングの悪いことに、私が水泳の過度のストレスからチックに陥った時、ちょうど母は不況への恐れからパートを始めたばかりの頃だった。私の『病気』の原因について、母は周囲からの責めを一人で負うしかなかった。父の両親との二世帯同居の家で、専業主婦の母は孤立した養育者だった。

結論から言うと父はリストラを免れ、我が家経済危機回避されたのだが、その頃には私の私立進学計画はとっくに頓挫していた。母が「結果で黙らせなさい」と言うようなことを口にし始めたのも、この頃だったかもしれない。

父親はというと、やはり私の親で発達的な特性が強く、自分の興味のあることしかやりたがらないタイプだった。養育者として、社会的な範を示すとか、発達的な特性とどう付き合っていくかとか、そうした問題についてまったく頼りになる人ではなかった。

悪い人ではない。悪気のある人でもない。一流企業にまじめに勤め、高収入であり、私に関わる多額の費用を全部賄ってくれた人である。そしてそれが、おそらく自身でも困りごとをたくさん抱えていたであろう身で父にできた、私への精一杯の愛情だったろうと思う。

母もまた、母の出来ることを最大限にしてくれた。母は、思春期の私の苛烈で発達のアンバランス性格(受けていたストレスを考えると、おそらくそうなるしかなかった)に何度も振り回されて、傷付き、それでも最大限考慮した上で、「あなたは結果で黙らせなさい」と言うしかなかったのだと思う。

これは私がどう生き、どう傷つき、現在どう困っているかにまつわる記録ではあるが、同時に単に毒親から被虐待についての記録としてはなるべく書きたくはないと思っている。充分悪者に書いただろう、と思えるような筆致だったかもしれないので、ここに補足しておく。私は難しい子供で、両親は常に一方的加害者ではなく、私を支援してくれようとした。私たちはお互い感情的な対立を何度も経験し、お互いに何度も傷付き、それを乗り越えてきた。その過程でいくつか間違いがあり、一度関係破綻してしまったが、それでもまだ、この先に和解可能性がないわけではない。

それぞれの人間がそれぞれに苦しんだ結果、私の今日につながっているのである

・これから

これを書いているいま、これからどうなるのか私にはわからない。これらの生い立ちから私が受けた傷を癒せるかもしれないし、そうではないかもしれない。困りごとを軽減してなんとか社会で上手くやっていけるかもしれないし、どうにもならないかもしれない。

ただ、良くなってほしいという希望を持って先生たちは治療に当たってくれているし、希望は捨てるべきではない。そう思うので自分恥部を曝け出す覚悟でこれを書いた。一種の『底尽き』を気力で前に持ってきた、というやつかもしれない。

ただ、強いトラウマを抱えた発達障害当事者予後は正直あんまり良くなさそうだなぁ、とは、当事者たちの声をインターネットで拾ってみて思わなくもない。

・これからどうしたい?

社会復帰がどうなるにせよ、実家にだけは帰りたくない。

ただ、復帰できないとこれが現実に起こりうることが現状最大の懸念である

プリントアウトして病院池添謙一

当然、持っていく予定である

プラダリアの取捨だれかおせーて。

カウンセリング先生も「感情説明しない」と言っただけで、そこまでドバーッといきなり半生にまつわる自己開示が出てくると思ってないんじゃない?

それはそう。

カウンセリングにはこの記録を持っていこうとは思うが、どの程度まで自己開示すべきなのか、いまが適切なタイミングなのか、そのあたりをきちんと確認しながらやっていこうと思う。

少なくとも、これを書き下せたことで、私の中では問題解決へ向けて、整理と準備がついたと思っている。

・おまえが誰かわかった

べつにわかってもいっかと思って書いている。とくに失うものはない。

何かしらの連絡手段で私とつながっていて、内容でなんとなく察した人は、「もしかしてこれお前?読んだよ」とメッセージくれると嬉しいよ。困窮者だ!金ヅルにしよう!と思って寄ってこられるとちょっと悲しい。というか休職人間に金はない。

やあ。まだ生きていますよ、私。あなたはどう?

・本当のトラウマもっと混沌としたもので、こんなに整然と説明できるものではないのでは。ストーリーをがっつり作りこんで、無意識に本当に触れられたくないことから逃げている可能性はないか

自分言語理解比較的高い特性を持っているので、書くことによって自分をメスで捌くように腑分けして、人前に晒すという自傷行動に割と慣れているし、やはり言葉によって自分説明できるとなんとなく落ち着くタイプである。その助けもあってなんとか書き切れたが、それでも書き切るのにかなり涙を流したので、この記録には多大な精神的労力を必要とした。文字通り血を流しながら書いたと言っていい。

その上で、超フラットに、予断を挟まず言えば、その可能性はないとは言えない。私のような人間レトリックを使うのがうまい。そのレトリックの中にいつでも逃げ場を作り出せてしまうので、「可能性がない」と言い切るのはフェアではない。自分でも気づいていない可能性がある。

発達障害水泳平成不況リーマンショック、30代

・これは何か

私の半生を占める水泳と、それがその後の人生に及ぼした影響について整理するために書いた記録である

なお、当時は強いストレス下に置かれていたため、詳細を思い出せなくてぼんやりしている部分もある。

・なぜこれを書いているか

私は現在休職状態にあり、ADHDの診断を受けたところである

精神科に通いつつ、投薬とカウンセリング治療をおこなっている。

そしてカウンセリングを受けつつある今、自分がいまこうなっていることの底にはあまりに苦しかった水泳記憶があり、それを直視することは避けては通れない道ではないかと思ったからだ。

(先生に直接「直視しろ」と言われたわけではない。ただ、「あなた言葉あなた感情をひとことも説明しませんでしたね」、と言われ、その原因を自分で考えていたら、勝手にそこに行き着いたという話である)

正直に言えばそこに目を向けるのはめちゃくちゃ嫌で、前回のカウンセリングを受けてから2週間くらいメソメソメソメソメスティーソ泣いていたのだが、友達と遊んで少し息抜きをしたらちょっとした気づきと癒やしがあり、なんとか気力を振り絞れそうなので書いてみた。

水泳のこと

3歳から高校2年まで水泳をやっていた。

早いうちに才能を見出され、小学校1年か2年くらいでヘッドハンティングのような形で選手育成クラスに移った。

当時、肉体にすごく負荷を掛ける練習方法流行っていた時代だったから、シンプルに肉体的につらかった。スパルタが主流で、体罰は当たり前だった。

楽をしようものならコーチにも怒鳴られ叩かれ全員の前で吊し上げられた。そこまでは周りのみんなと条件は変わらないのだが、私の場合母親ほとんど毎日練習を見にきていて(それほどに熱心な親は他にはいなかった)、仮にコーチに怒られなくても、母親の目から見て私のパフォーマンスが悪ければ、そのことを帰りの車の中で詰められる日々だった。

行き帰りは車で母親に送迎してもらっていたが、車の助手席に乗り込むと母親の「今日練習について」の裁判が始まるので、毎日まるで犯罪を犯して法廷に立たされるみたいだった。キツい負荷の練習をこなしてやっと家に帰れるのに、すこしも安らいだ気分になれなかった。

でも、私は無理にでもやらせればやらせただけ、負荷をかければかけただけ、結果が出せてしまタイプ人間だった。

父親も叔母もスポーツ学生時代成功した経験があって、家系としても肉体的に優秀だったのだと思う。

それが母親成功体験になってしまい、尻を叩けば叩いただけ結果が出るという思い込みを強化したふしがおそらくあるんじゃないかと思う。

長期休みに入るたび、朝夕2回の練習では足りないと別のプールに連れて行かれ泳がされた。この習慣は我が家では「こそ練」と呼ばれていた。

ただでさえキツい練習をしてるので嫌だったが、嫌がれば母親から「速くなりたくないの?」と頷くまで詰められる。

こうやって追い込めば追い込むほど結果が出たので、母はどんどんエスカレートしていった。

極め付けはようやく出来始めた友人関係破壊されたことだった。

中学に上がると、小学生選手育成クラスから中学クラスに上がって、ここがジュニア女子選手としては一番上のクラスだった。その上に、高校生の男子さらにその上澄みだけが入る、一番練習ハードクラスがあった。

いま振り返ってみると、私はかなり発達障害的な特性のはっきり出た子どもであり、周りと関わるのがかなり下手だった。だから、キツい練習を何年も毎日一緒にこなしてきたというのにチームメイト連帯感を育めなくて、ずっと浮いていた。浮いているのに才能だけあったから、周りからすると目障りな子どもだっただろうと思う。選手育成クラスというだけあってそこそこ実力主義ではあるので、幸運にもいじめられこそしなかったが(あるいは特性上あまり他人に興味がなく嫌がらせに鈍感だっただけかもしれない)、やっぱり浮いていた。私は人生を通してずっと普通になりたい、と漠然と願ってきたが、その願いはこういう環境のなかで醸成されてきたように思う。

(ちなみに、当時どのくらい浮いていたかというと、なんか男子たちが私に話しかけるのを何かの罰ゲーム一種として扱っているな、と気づいたことがある程度には浮いていた)

けれど、ここで話の合う友達ができたことで、この一瞬だけ練習に行くのが楽しかった時期があった。

私はもともと才能があったので、中学生のクラスを受け持っていたコーチにも期待されていたし、たくさん話を聞いてもらえて、私自身もコーチのことを頼れる大人だと思っていたし、期待に応えたいと思っていた。信頼関係を築ける大人との出会いがここであった。だから、このクラスちゃんと私の記録は伸びていた。

だけど母はその伸びでは満足できなかった。

母にはいわゆる白雪姫の母コンプレックスみたいなものがあって、私が楽しそうにしていると不安になる性質だった。不安を感じやすく、その解消のために誰をどれだけ振り回しても良いと考える傾向があった。

私が楽しんで練習に行き始めた時、母は不満だった。私が苦しんでいないから、きっと負荷が足りないのだと考え、「娘の才能が無駄に消費されている!」と強く不安を感じたのだろうと思う。これでは速くなれない、と母は考えた。

そして、「上のクラスに上がりたいと言いなさい」と母は私に強要した。

私はかなり嫌がった。もともとジュニア女子が入れる中で一番上のクラスではあったし、せっかく話の合う友達ができたのに、その子たちと話せなくなってしまうことも嫌だった。先生の期待を裏切ってしまうことにもなる。すごく抵抗があったことは覚えている。

母は私に、「あん肥溜めみたいなクラスにいたら、あなたダメになってしまう」と言った。

嫌だった。泣いて抵抗した気がする。あまり覚えていない。でも、最終的には「上がりたい」と言わされた。コーチはショックを受けていたと思う。でも最終的には上のクラスコーチに頼んでくれて、私の(母の)要求は通った。

中学1年の女子高校生の男子クラスに入れられて泳ぐことになった。毎日階段をまともに降りられないくらいの筋肉痛になった。まわりはひと回り年の違う高校生の男子しかいないので、友達と話せる機会は減った。肉体の負荷は上がるのに、心の支えは何もなくなり、ただ苦しかったしつらかった。

私が苦しんだので、母の不安は解消された。

そして、精神とはうらはらに、私の肉体はそれに応えた。

実際に大幅に記録が伸びた。一緒に泳いでいた高校生の男子より私は上のタイムを叩き出し、彼らにもよく頑張ったと認められた。中2のころにはジュニアオリンピックで決勝に残り、関東中学で優勝し、全国でも10本の指には入った。国体にも県代表で選出された。県で私より速い選手はいなくて、私がベストを出せばその度に大会新記録、県の新記録だった。母はこのことについて、自分が尻を叩かなければ結果が出せなかったはずなので、自分の手柄だと考えた。

注意して欲しいのは、これらの成果を私自身もまた喜んでいたこである。才能や能力があると見做されることは、特性持ちの人間にとっては他人から受けるマイナス感情を弾く盾にもなる。母の手柄は、私を絞り上げ、苦しめて作り上げられたものであるが、同時に私を守るものでもあった。

あなたは結果で他人を黙らせなさい」というのが、母の持論だった。母は私のために、心を鬼にして私を苦しめていたはずである。叩けば結果が出ることがわかっていたのだから

この頃から試合合宿遠征先に行くと、夜中にこっそり抜け出して、当て所もなく歩き回るようになった。特に裏道や暗い道を選んで歩いた。いま考えると、間接的な自傷だったと思う。酷い目に遭いたかった。私という価値が一気になくなってしまうくらい、誰かに酷い目に遭わされたかった。母が守る『私』という価値と、それに伴う苦しみが分かちがたく結びついていたために、母の目の届かないところで地味な自傷行為に走っていたのだと思う。

体に傷を残すようなことはできなかった。そんなことをした日に母を襲う衝撃と、その衝撃の余波を受ける自分のことを考えたら、とてもではないが無理だった。

しかし、こういう無理は続かないものである。ほどなくして精神的に破綻して、泳げなくなった。中3の秋ごろだったように思う。喘息悪化させ、負荷のキツい練習から逃げ、最後は何か喚き散らして家に帰り、そこからしばらく練習に行けなくなったように思う。詳細は覚えていない。

だけど、そこで辞めるには水泳は私の人生で大き過ぎた。人生の大半を占める一大事業に等しかった。だからそこから高校2年の夏まで、通うスクールを変えて足掻きブランクを取り戻し、記録は少し伸びたし、インターハイにも出た。

ただ、大学受験に切り替えるならこの辺りがタイムリミットだった。結局、わたしはここで引退して受験に切り替えた。水泳のために自分学力よりかなり下の高校に行ったので、辞めてから予備校漬けになった。

受験勉強は圧倒的に楽だった。体の負荷も消えたし、学業自分特性から見ても結果の出しやすい分野だった。あまりにも結果が出やすくて、母も不安にはならなかった。躓きや苦しみも多少はあったが、水泳で受けたそれとは比べ物にならなかった。この時期、私と家族はかなり明るく過ごした。

大学には簡単合格した。願書を出した大学ほぼ全てに受かった。

とにかく家を出たかったので、その名目が立つ大学を選び進学した。

ここから水泳を辞めた後の話に入る。

友達が作れない、学業に身が入らない問題が出る大学1年目

ひとり暮らしをはじめて、やっと手に入れた自由を楽しんだ。でも1年目、ぜんぜん他人との関わり方がわからず、友達が作れなかった。小中高と水泳にかまけていて、相変わらず発達特性的な部分で学校でも浮いていたし、そもそも自分偏差値より随分下の学校に行った(水泳にはリレーメンバーの都合がある)ため、頭の程度が均されている環境でほかの人間と接して友達になる機会がまったくなかったのだ。県大会で何度も優勝し、実家に腐るほどトロフィーがあっても、友達の作り方がわからなかった。この時点で、私の能力は社交性に比して随分歪だったと言えると思う。

ひたすら学校と家を行き来して、家ではゲームばかりやっていた。

1年の後半の方になってようやく所謂オタクサークルに入って、対人能力に似たような問題を抱えた人たちに出会い、それでやっと少し友達ができた。ここから就職活動が始まるまでは、楽しく過ごせていたと思う。彼氏もできた。

とはいえ、あまり成績は良くなかった。勉強したいと思って進学したはずなのに勉強に向かう気力が湧かなかった。どころか、水泳を辞めたことが傷になっていて、「どうせ最後には全部台無しにする、水泳だってあれほどつらい思いをして人生を捧げてきたのにそうやってダメにした」と囁く声が頭から離れなくて、あまり集中できなかった。

漠然と、卒業したら死のうかな、と思っていた。

就活ができない問題が出る大学3年生

学業もそんな感じだったので、いざ3年になってもぜんぜん就職活動を進められなかった。というか授業もギリギリラインだった。

振り返ると、つらい思いをして思春期を生き延びた先に、ようやく手に入れたご褒美としての『自由』がたった4年で終わることに全然納得が行っていなかったんだという気がする。他の人たちは将来を考える精神の準備ができていたのに、私には何もできていなかった。こんな人生の先に、また何十年も続く苦痛が待っていると思って、絶望感があった。

就職留年

このあたりのことはぼんやりしているが、就職活動が出来なさすぎて就職留年した。ちょうどリーマンショック東日本大震災の影響があった時期で、特に女子就活は周りを見渡しても厳しかった。なので就職留年という言い訳は通った。

でも、留年したのに就活全然ちゃんとできていなくて、とうとう親が乗り込んできた。希望する企業の傾向は決まっていたので、母親マイナビリクナビエントリーする企業を選んでくれて、エントリーシートや履歴書に書く志望動機などの文章としてこちらで考えたら、それを母が手書きで代筆してくれたりして、こんな大学生はおそらく他にいないなと思うほど過剰にサポートしてもらった結果、なんとか書類選考が通るようになり、面接を受けたりと就職活動らしいものを進めることができた。

面接が苦手すぎて苦戦はしたが、なんとか内定をもらった。たた、周りがちゃんとこなせていることも自分にはろくすっぽできないとわかって情けなかった。

卒論が出せなくて2度目の留年

このあたりもぼんやりしている。夏くらいに内定が決まって、そこからしか全然ゼミに行かなかった。いや、たぶん特性的に並行してふたつのことができないので、就活中はゼミにも授業にも行けていなかった気がする。内定が決まった後、バイトしろと言われてしていて、必要な授業の出席とバイトくらいはしていたが、ゼミに出てないので卒論が当たり前に書けなかった。英米文学専攻なので卒論英語で書く必要があった。ぼんやり決めたテーマがあるくらいしかなくて、そのまま冬になった。ちょっと書こうとしたけれど当たり前に書けなくて、でもそれを就活を熱心にサポートしてくれた親には言えなくて、卒論提出の日に失踪した。1〜2週間家に戻らず、銀行口座の金が尽きたら死のうかなくらいの気持ちでいた。漠然と死のうと思っていたし、その時が来たのかと思っていた。

結局親に口座の金を引き上げられて、無様にも死ねずに戻った。怒られ、殴られ、彼氏にも心配をかけまくり、色々あったとは思うのだが、この辺りの記憶ぼんやりしている。

ひとり暮らしの家を引き払い、実家カンヅメになって母親監視のもと卒論を書いた。足りない単位のための授業とバイト以外の外出はさせないくらいの感じだったと思う。

ひとり暮らしの家を引き払った時、この時も家がゴミ屋敷になっていたので、ゲーム依存病気だと親に疑われたが、ゲームは単なる逃避行動で、やれない環境であればあっさり辞められた。振り返ってみれば、何らかの支援の網に引っ掛かっておくタイミングがここだったような気がする。ただ、スポーツで結果を出し、世間的には良い大学に行ったような人間が、ゲーム依存なんかで病院に罹るのは外聞が悪い、という意識がなんとなく家族全員にあったのか、結局ここでは必要だったであろう支援とつながることはできなかった。

この環境でなんとか卒論を書いて卒業した。就職は結局バイト先に拾ってもらうかたちになった。

新社会人として

もう一度実家を出てひとり暮らしをはじめた。

働き始めるととにかく眠かった。ひたすら眠かったことを覚えている。仕事でも会議でも寝てしまい、怒られて、怒られたあとは体が一時的闘争反応というか覚醒状態になるので、それで過集中を起こし仕事を進めてなんとか巻き返す、みたいな感じだったと思う。昼に寝てしまうので夜は眠れなかった。その悪循環で昼にまた意識を失った。

本当は病院に行くべきだったと思うが、家に帰るとその気力もなかった。家の電球が切れて、ほとんど暗闇だったのにも関わらずその家を引っ越すまで電球を変えられなかった。1年以上真っ暗闇で生活した。歯が折れて激痛でも病院に行けなかった。ぎっくり腰でも行かなかった。ゴミ屋敷はここでも生産された。

この時期私は相当な困難を抱えていた気がするけれど、同時にどこか安心しているような部分があった。自分価値がこうやって毀損されていくことに対する「ざまーみろ」という気持ちがあった。ちょうどこの頃、母親と完全に連絡を遮断して、実家と絶縁状態になった。直接のきっかけはなんだったか覚えていない。ただ、自分価値ボロボロと溢れ落ち、人生ダメになっていくことについて、母親への不健全復讐欲求が満たされるように感じていたのは覚えている。

この状態を5年くらい続けて、3つくらいの現場経験した。就職先は人売りのSESだった。

コロナ禍でリモートワークが開始する

これは自分にとって大きな転換点だった。寝ているところを他人に見られないのでストレスが大幅に減り、なんとか自分が起きていられる時間帯に仕事を進め、眠りたい時は寝ていることができた。とても褒められた就業態度とは言えないが、それほど能力的なハードルが高い客先でなかった幸運もあって、なんとか巻き返しが効いた。この時期が一番平穏だったように思う。この現場自分にとって一番長く続いたし、終わり方も案件ごと終了ということで円満だった。

この現場が4年くらいで終わり、本社に戻ることになる。

本社に戻る。眠気の問題ふたたび

リモートワークが終わり片道40分くらいの通勤生活が数年ぶりにスタートする。10年近く戻っていなかった本社に知った顔はほとんどなく、コミュニケーションが得意そうな子たちの若い顔が並ぶ。すでにこの時点でうまくやっていけるか不安ではあった。

自社開発の案件アサインされるも、やはり眠気の問題が復活し、怒られる。仕事客先常駐とは違い、粒度の粗い仕事を上手いことやっておいてというような感じで振られるため、勝手全然からず、先の見通しが立たない。作業をうまくこなせず、進捗が出せない。学歴スポーツの成績だけ見れば能力はあるはずだと思われているので、サボっていると見做される。寝てるよね?なんでコミット全然出ないの?

年次だけは無駄に高いので直属の上司もおらず、まともな相談先もなく、周りの子たちは若くてこんなことを相談できる相手ではなく、結果誰にもうまく頼れずにひたすら信頼を失い続け、頼みの綱だった週1回のリモートワークも許可を取り消される。

社長から新卒みたいなことを注意させないでくれる?」と言われる。怒られて、闘争反応になった勢いで、なんとかメンタルクリニックの予約を取った。

そうやって通院治療を開始したのが、2023年10月ごろ。

日中の眠気、夜の不眠、集中困難、ゴミ屋敷などの問題が主訴。

これらの問題は通院治療を開始したところでたちどころに解消するようなものでもないので、年末年始休みを挟んだ後、ボツボツ休みが増え、雪崩れ込むように職場に行けなくなって休職開始。

心理検査(WAIS-Ⅳ)の結果、言語理解ワーキングメモリ・処理速度の間で有意差50を超えた。言語理解・知覚推理凸、ワーキングメモリ・処理速度凹のタイプだった。

この結果と、現在社会生活が送れていない実態をもって、5月ごろにADHDと診断された。

現在は、投薬治療カウンセリングを受けている。

・総括

概観してみると、今の私を状態説明する要点は、下記のようなものであると考えられる。

特性を持って生まれ子どもが、いわゆる体育会系世界に入れられ、なまじ才能があったがために、支援 Permalink | 記事への反応(21) | 22:15

2024-04-24

大統領制の国と、議院内閣制の日本

大統領制の国は、大統領を輩出した党が与党と言われるので、議院内閣制日本とはちょっと違うやね。

大統領制の国では、出身政党が少数政党議会を掌握できない場合がある。この場合大統領選の勝利を御旗にして連立を組んで与党形成する。

あっさり組閣ができりゃいいんだが、それができないと思想的に極端な人々と組まなきゃ行けなくなって、ノイジーマイノリティ政策の鍵を握ってしまうとかありがち。

別に韓国のことを論っているわけでは無い。一般論である

また、大統領議会とは別の直接選挙で選ばれるため、議会はそう簡単罷免できない仕組みになっていることが多い。

代表的大統領による国である米国も、増田が言う韓国兄貴議会の2/3以上の賛成と、事実上司法判断必要になっていて、与党選挙で負けて議席を失ったくらいでは失職しない。

そのため、権力を失った大統領グダグダ椅子にしがみ付くことで最低限必要法案も通らず国内不安定化、対応が上手くいかない間に経済危機にぶち当たったりすると、国が上手く行動できずにヤバイ事になる。

別に韓国のことを論っているわけでは無い。一般論である


日本場合は、議院内閣制なので先に議会過半数を超えてこないとそもそも総理大臣が選出されないし、不信任案は衆院過半数で済む。

不信任案が可決されると、総理大臣総辞職自分が辞める)か衆議院解散議会を辞めさせる)のどちらかを選ぶ仕組みになっている。

そのため、少数与党というのは、選挙管理内閣などと揶揄されるごくわずかな時間しか成立しない。

さらに、総理大臣解散権というものを持っている。これも与党の安定化に寄与している。

与党政権を握っている間に、極端に支持率悪化した総理大臣が発生した場合、そこで解散すると与党は負ける確率が高くなる。

それは良くないと言う事で、解散はせずに内閣総辞職し、新しい総理大臣を選出するということが行われる。こうして政権交代が行われないままに内閣が替わっていく。


振り返って韓国兄貴だが、韓国兄貴は人気が無いとき大統領自在にクビにして仕切り直すということができない。ケチがついた大統領を旗に掲げて戦うしか無くなる。

そのため、極端な政策を出すことによって人気取りをやらないと安定して政策を通せないと言う特殊事情があると思われる。

ただ、政権交代がよく行われるため、機動力が高いとも言える。

例えば、いわゆる国レベルリストラであるバブル後の不良債権処理や、実質増税を伴う社会保険改革少子高齢化対策などやらなければならないけれど切羽詰まってない問題がずるずると実施されないまま進んでしまってしまうとか

明らかにくそったれのEU離脱政策煽りまくったクソみたいな男に選挙を乗っ取られ、明らかに不合理な政策が通ってしまものの、一度議会ができてしまうとそう簡単に覆せないためずるずる行ってしまうと言う様な事が起こる。

2024-03-21

ガザ地区虐殺の背景は、松尾氏の話よりも、カリシュ・ガス田の開発のほうが重要だと思われる

https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGR21DL60R20C22A9000000/

イスラエルが東地中海の新たな天然ガス田で生産を始める構えを示し、海上境界を争う隣国レバノンとの対立が再燃している。イスラエルウクライナ危機ロシア産ガスから切り替えを急ぐ欧州へのガス輸出を目指す。これが中東で緊張を高める火種になっている。

イスラエルが新たなガス田生産を急ぐのは欧州への輸出のためだ。

同国は2000年代後半に東地中海で見つかった天然ガス生産が本格化し、ウクライナ危機ロシアに代わる新たな供給元としてにわかに注目を集めた。

今年6月、液化施設のある隣国エジプトパイプラインで送り、液化天然ガスLNG)を欧州連合(EU)に供給することでエジプトEU合意した。

イスラエルのラピド首相は今月12日に訪問先のドイツでショルツ首相会談後「我々は欧州ロシア産ガスを置き換える努力の一端を担う」と強調した。

ロシアウクライナ侵攻前に欧州に送っていたガスの1割をイスラエル供給できるとの認識を示した。ガス輸出は歳入増だけでなく、欧州と深い関係を築くカードにもなる。


イスラエルが近く生産に入るのは北部ハイファ沖のカリシュ・ガス田で、レバノン係争中の海域付近にある。両国海上境界画定に向けた交渉米国仲介で続けているが

イスラエル首相府は19日「カリシュからのガス生産はこれらの交渉とは関係なく、できる限り速やかに開始する」と表明した。

レバノンイスラム教シーア派組織ヒズボラ指導者ナスララ師は17日同ガス田での生産開始は「レッドライン越えてはならない一線)だ」と強くけん制した。

イスラエルガンツ国防相はヒズボラがガス生産設備攻撃すれば「レバノンは対価を払う」と警告し、威嚇の応酬を重ねている。

ヒズボラ7月に同ガス田に向け小型無人機ドローン)を飛ばしイスラエル軍が撃墜した経緯がある。

イスラエルヒズボラは長くさや当てを繰り返しており、今回の確執直ちに大きな軍事衝突に至るとの見方は多くない。

カーネギー中東センターレバノン)のマハ・ヤヒア所長は取材に「ヒズボラ経済危機で人気を失っており、

レバノン政界イスラエルのガス生産を利用して影響力を盛り返そうとしている」との分析を示した。

イスラエル首相府は「両国利益にかなう形で海上境界合意に達することは可能だ」としており、まず境界画定し衝突を避けるとの観測もある。

カリシュ・ガス田の埋蔵量は操業会社の英エナジーンによると約1.4兆立方フィート

先行してイスラエル沖で生産しているリバイアサンタマル両ガス田に比べ1桁少ない。

レバノンのアウン大統領6月イスラエルによるカリシュ・ガス田の開発を警戒し

係争海域でのいかなる活動敵対行為とみなす」と述べたが、レバノン政治の混迷と機能不全が続く。

深刻な経済危機に陥り、外貨や電力の不足が市民生活を圧迫している。

2022年9月ニュース

レバノン紛争開始前からハマス支援に切り替えたのもこれが原因だし、タイミングで考えればこっちのほうだろ。

2024-03-06

[] 経済学相対主義に対する処方箋

解像度が低いねぇ君は。わかるかわからいかの1bitでしょ、君の脳みそは。

経済といっても、さまざまな分野があって、効用無差別曲線ゲーム理論の話をするのはミクロ経済学。これはもう数学的には厳密なので100年後も教科書の内容に間違いはないだろう。

マクロ経済学はメトリクスを基準とした統計国家経済を扱う。GDPはその例だが、「労働時間あたりのGDP」といった指標国家労働生産性を測る一つの方法となることはよく知られる。因果推論を行うのも基本的には統計の話なのでマクロ経済学範疇になる。

これらの経済学は、現象部分的に見てみれば推測の能力は高く、正しく理解していれば経済現象説明できる。

ではなぜ「経済」の話をすると、経済危機とかが生まれるかというと、外部性などがあるから

サブプライムローン破綻基本的に「債務能力を超える貸付」を行なうことが可能であるという負の外部性によって説明できる。

経済学は「説明」をすることはできるが、「コントロール」をするのは政治の話で、政治家や官僚教科書レベルのことを理解していないこともあり得る。あるいは「マルクス」などを信奉しているどうしようもないのもいるだろう。

政治家や官僚対処しなければ負の外部性による市場の失敗を規制することができない。

結果的経済を「コントロール」できないのは、経済の中に潜む負の外部性をすべて扱う方法がまだ判明していないからであり、予測説明可能レベルにある事象は多い。

anond:20240306194910

2024-03-01

なぜアフリカで米英欧が嫌われてロシアが好かれるのか知ってほしい

ザンビアコンゴに2年ずつしか住んだことないけどね

西側ロシアに、ウクライナ占領地域を全部返せって言ってるよね?

たとえ占領地域ロシア人が移住したり、ロシア人が土地を所有したとしても、それは武力と盗んだ不正行為だ。だから全部無条件で返せと。

それはとても道理にかなっている。

一方、アフリカでは独立後は白人支配層が出ていくこともおかったが、引き続き侵略した土地を所有していることもあった。例えばレソト王国では今でも国土の3割を数パーセントもいない白人が所有しているね。

ジンバブエも、独立した後でさえ1割以下の白人土地の半分以上を所有し、黒人先住民小作人であり続けた。これでは黒人の隷属状態は変わらないし、独立に何の意味がある?

からムガベ大統領白人侵略から農地を奪い返し、黒人小作人に与えた。

しか白人諸国特に米英はこれを財産権侵害レイシズムヘイトクライム民族浄化だとして糾弾した。

そしてジンバブエハイパーインフレ白人様に逆らった自業自得だとして、100000000000000ZBD紙幣ゼロの多さに爆笑していた。

じっさいにはこの経済危機ムガベの愚かさのせいではなく西側経済制裁のせいなのに。

なお、旧イギリス領香港も同じで、なぜか侵略された領土を取り返した側が悪者にされる。

侵略者と戦うのは正義(ただし侵略された側が白人場合に限る)

こんなクソ国どもが嫌われるのは当然ですよね??

なお私はロシア人の血を引いているがロシアを庇う意図は一片もない 西側がそれ以上にゲスなだけ

追記

ロシアが好かれる理由

イギリス系などによる黒人差別制度に反対した

黒人独立運動やゲリラ経済的軍事的支援した

当時はソ連で、差別反対イデオロギーが強かったので(もちろんソ連国益がメインだったが)差別侵略される黒人を助けようという意思があった

南アフリカはそれを今でも感謝しているのでロシアへの制裁に反対している

2024-02-27

1990年から毎月株を1万円分買っている

とする

 

1990年1月 入金1万円 評価額1万円 損益0

1990年12月 12万円 10.75万円 損益▲1.25万円

1991年12月 24万円 損益▲2.4万円

1992年12月 36万円 損益▲5.3万円

1993年12月 48万円 損益▲7.1万円

1994年12月 60万円 損益▲8.1万円

・・・

2000年12月 132万円 損益17.5万円

2001年12月 144万円 損益▲21.4万円

・・・

2010年12月 252万円 損益▲48万円

2011年12月 264万円 損益▲51万円

・・・

2015年12月 312万円 損益▲54万円

・・・

2020年12月 372万円 損益▲38万円

・・・

2023年12月 408万円 損益▲14.3万円

2024年2月 410万円 損益12.1万円

 

 

失われた35年だった;;

 

____ 

 

ちなみに2000年1月に始めた場合

入金290万円、損益242万円

 

なんか専門家はいつ始めてもいいとかほざくけど、普通に経済危機を待ったほうが良いと思う

5年に1回はあるよ

2024-02-26

ナチス前のドイツでのユダヤ人地位について簡単なまとめと詳細な記述しろ

自分

ナチス前のドイツでのユダヤ人地位について簡単なまとめと詳細な記述しろ

Copilot

簡単なまとめ: 第一次世界大戦終結後の1919年には、ドイツ居住していたユダヤ人たちは、すでにドイツ人と同等の市民権公民権憲法保障されるようになっていました1。

詳細な記述ドイツ居住していたユダヤ人たちは、第一次世界大戦終結後の1919年には、すでにドイツ人と同等の市民権公民権憲法保障されるようになっていました1。それから十数年後にヒトラー政権を握ったときには、ユダヤ人ドイツ人の間の結婚が進んでいたこともあり、ユダヤ教徒ユダヤ人わずか50万人でした1。当時、ドイツの総人口は6500万人でしたから、ユダヤ人はそのうちの1%にも満たない少数者です1。しかも彼らの多くは、ドイツに忠実な愛国者でした1。もし、その後12年にも及んだナチス時代さえなければ、おそらくユダヤ人ドイツ国民として、この国に溶け込んでいったことでしょう1。

自分

経済権力といった地位についてと、当時のドイツからユダヤ人への感情などを掘り下げて

Copilot

ナチス前のドイツにおけるユダヤ人経済地位については、ヴァイマル共和政時代ドイツ経済は一時好調であったものの、1929年世界恐慌1931年金融恐慌によって壊滅的な状況に陥りました1。この情勢下で政権を握ったのがアドルフ・ヒトラー率いる国家社会主義ドイツ労働者党ナチ党)でした1。

権力地位については、1933年ヒトラードイツ首相に任命され、その後大統領になり、国の絶対的支配権を手に入れました2。ナチ党は、ドイツが陥っている窮状の責任ユダヤ人にあるとし、国をかつての栄光へと導くと約束しました3。

当時のドイツからユダヤ人への感情については、ナチ党政権を握った後、すぐにさまざまな法律公布して、ドイツ人の生活からユダヤ人排除を図りました3。また、東欧の多くの地域では、ホロコースト以前から反ユダヤ主義蔓延し、ユダヤ人は他の住民隔離された生活を強いられていました3。これらの事実から、当時のドイツからユダヤ人への感情は、大きな差別偏見に満ちていたと言えますしかし、一方で、潜伏ユダヤ人ドイツ人が極限状態の中でともに過ごすうちに、「ユダヤ人」と「ドイツ人」、「被害者」と「加害者」、「救いを求める弱者」と「救援者」といった二項対立が揺らいでいき、人が人として互いを支え合うことがあったとも報告されています4。これらの事実は、当時の複雑な状況と感情を示しています

自分

当時から反ユダヤ主義があり、ナチス政権をとる以前からユダヤを主張し民主的に選ばれたという背景があるのならば、なぜ現代ナチスの罪がナチスのみに着せられているのか

Copilot

その問いは、歴史的事実と個々の責任についての複雑な議論引き起こしますナチス政権を握った時、彼らの反ユダヤ主義政策は一部のドイツから支持を受けていました。しかし、それは全てのドイツ人がその政策を支持していたわけではありません。また、多くのドイツ人はホロコーストの全貌を知らなかったとも言われています

ナチスの罪がナチスのみに着せられているという認識については、ナチス政権下でのホロコーストという大量虐殺は、その組織的かつ計画的性質からナチス政権とその指導者たちに対する責任が強調される傾向にあります。これは、彼らがホロコースト計画し、実行した主要な力であったという事実を反映しています

しかし、これは個々のドイツ人や他の協力者の責任免除するものではありません。戦後裁判では、多くの個々の犯罪者起訴され、有罪判決を受けました。また、ドイツ自体過去の罪を認め、ホロコースト犠牲者やその家族に対する賠償を行ってきました。

この問題は非常に複雑で、歴史的事実、個々の責任集団責任など、多くの要素を考慮に入れる必要があります。それぞれの視点から見れば、異なる解釈結論が導き出されるかもしれません。このような議論は、歴史理解を深め、未来の同様の悲劇を防ぐための重要ステップです。それぞれの視点尊重し、開かれた対話を通じて理解を深めることが重要です。この問題についての詳細な研究議論は、歴史学者や社会科学者によってなおも行われています。それぞれの視点から見れば、異なる解釈結論が導き出されるかもしれません。このような議論は、歴史理解を深め、未来の同様の悲劇を防ぐための重要ステップです。それぞれの視点尊重し、開かれた対話を通じて理解を深めることが重要です。この問題についての詳細な研究議論は、歴史学者や社会科学者によってなおも行われています。それぞれの視点から見れば、異なる解釈結論が導き出されるかもしれません。このような議論は、歴史理解を深め、未来の同様の悲劇を防ぐための重要ステップです。それぞれの視点尊重し、開かれた対話を通じて理解を深めることが重要です。この問題についての詳細な研究議論は、歴史学者や社会科学者によってなおも行われています。それぞれの視点から見れば、異なる解釈結論が導き出されるかもしれません。このような議論は、歴史理解を深め、未来の同様の悲劇を防ぐための重要ステップです。それぞれの視点尊重し、開かれた対話を通じて理解を深めることが重要です。この問題についての詳細な研究議論は、歴史学者や社会科学者によってなおも行われています。それぞれの視点から見れば、異なる解釈結論が導き出されるかもしれません。このような議論は、歴史理解を深め、未来の同様の悲劇を防ぐための重要ステップです。それぞれの視点尊重し、開かれた対話を通じて理解を深めることが重要です。この問題についての詳細な研究議論は、歴史学者や社会科学者によってなおも行われています。それぞれの視点から見れば、異なる解釈結論が導き出されるかもしれません。このような議論は、歴史理解を深め、未来の同様の悲劇を防ぐための重要ステップです。それぞれの視点尊重し、開かれた対話を通じて理解を深めることが重要です。この問題についての詳細な研究議論は、歴史学者や社会科学者によってなおも行われています。それぞれの視点から見れば、異なる解釈結論が導き出されるかもしれません。このような議論は、歴史理解を深め、未来の同様の悲劇を防ぐための重要ステップです。それぞれの視点尊重し、開かれた対話を通じて理解を深めることが重要です。この問題についての詳細な研究議論は、歴史学者や社会科学者によってなおも行われています。それぞれの視点から見れば、異なる解釈結論が導き出されるかもしれません。このような議論は、歴史理解を深め、未来の同様の悲劇を防ぐための重要ステップです。それぞれの視点尊重し、開かれた対話を通じて理解を深めることが重要です。この問題についての詳細な研究議論は、歴史学者や社会科学者によってなおも行われています。それぞれの視点から見れば、異なる解釈結論が導き出されるかもしれません。このような議論は、歴史の理

自分

ナチス反ユダヤ主義を支持するドイツ人は一部とのことですが、ではナチス政権を取れたのは反ユダヤ主義のみが支持されたことではないと思います

では、ナチスの何が政権を取れるほどドイツ人に支持されたのか。それは有権者主義と反する反ユダヤ主義を受け入れて余るほど重要ものだったのかを解説して。

また、多くのドイツ人は当時、ホロコーストの全貌を知らなかったと述べていますが、当時のドイツ人はユダヤ人に何を望んでいたのか。どのような迫害を行いたかった、あるいはここまでなら許容できると考えていたのか教えて。

Copilot

ナチス政権を取得できた理由は、反ユダヤ主義だけではなく、他の多くの要素が関与していました。その一つは、1930年代初頭の世界恐慌による経済危機で、多くのドイツ人が失業し、経済的な困難に直面していました1。この状況下で、ヒトラーナチス党は経済回復雇用の創出を約束し、多くのドイツから支持を得ました1。

また、ヒトラー政権を握ることができた理由の一つは、彼の独裁権力の掌握が必ずしも「民主的」ではなかったことです2。ナチス党が国会単独過半数を占めることはなく、ヒトラー首相就任議会の選出によるものではありませんでした2。首相指名は大統領権限に基づくもので、大統領周辺の保守勢力との提携が鍵を握りました2。さらに、ナチス権力掌握の過程では、選挙運動宣伝活動と並行して、突撃隊などによる暴力行使も大きな役割を果たしました2。

当時のドイツ人がユダヤ人に対して何を望んでいたかについては、一概には言えませんが、ナチス政権下では、アーリア人至上主義に基づきユダヤ人を標的に迫害しました3。しかし、多くのドイツ人はホロコーストの全貌を知らず、ユダヤ人が大量に殺害されているという事実理解していなかった可能性があります3。また、ユダヤ人に対する具体的な迫害形態許容範囲については、個々のドイツ人により異なり、一部のドイツ人はユダヤ人を助ける行動をとったことも報告されています4。しかし、全体として、ナチスの反ユダヤ政策は広範に受け入れられ、実施されました3。これらの事実は、当時のドイツ社会の複雑さと、個々の市民の行動や意識がどのように政府政策に影響を与え、また影響を受けたかを示しています

自分

まとめると、

当時反ユダヤ主義ナチスのみがことさらに強調していたことではなく、ドイツのみならず過去から少なくない人や国がもっていた一部でのうっすらとした共通認識であった。(独裁後のホロコーストはいきすぎだとしても、独裁前に不穏さは少なかった)

ナチス自体単独過半数を取ることはなかったが、落ち込んだ経済共産主義に対するという点で国民や国に民主的非民主的に支持されていた。

大統領による首相指名での就任という、おそらく議会から大統領からも弱い立場から独裁を勝ち取れたのは、上手く立ち回ったと言える。

あっている点・間違っている点・補足・解説を加えろ

Copilot

あなたのまとめは大部分が正確ですが、いくつかの点を補足・解説します。

あっている点:

反ユダヤ主義は、ナチスだけでなく、他の人々や国々にも見られました。しかし、ナチス反ユダヤ主義特に極端で、組織的大量虐殺ホロコースト)につながりました。

ナチス党は、1933年選挙単独過半数を得ることはありませんでした。しかし、経済危機と共産主義への恐怖を利用して、多くのドイツから支持を得ました。

ヒトラーは、大統領による首相指名を通じて政権を掌握しました。これは、彼が巧妙に政治的な状況を利用した結果でした。

間違っている点:

ナチス政権を握る前のドイツでは、反ユダヤ主義一部の人々によって支持されていましたが、全体としてはそれほど強くはありませんでした。ホロコーストの「いきすぎ」は、ナチス政権を握った後に始まったもので、それ以前にはそのような大規模な迫害存在しませんでした。

補足・解説

ナチス政権を握った理由複数あり、その中には経済的な困難、政治的な混乱、そして反ユダヤ主義のようなイデオロギーが含まれていました。これらの要素が組み合わさって、ナチスの台頭を可能しました。

当時のドイツ人がユダヤ人に対して何を望んでいたか、またはどの程度の迫害を許容していたかについては、個々のドイツ人により異なりますしかし、全体として、ナチスの反ユダヤ政策は広範に受け入れられ、実施されました。これは、当時の社会的な状況と、個々の市民の行動や意識がどのように政府政策に影響を与え、また影響を受けたかを示しています。この問題は非常に複雑で、歴史的事実、個々の責任集団責任など、多くの要素を考慮に入れる必要があります。それぞれの視点から見れば、異なる解釈結論が導き出されるかもしれません。このような議論は、歴史理解を深め、未来の同様の悲劇を防ぐための重要ステップです。それぞれの視点尊重し、開かれた対話を通じて理解を深めることが重要です。この問題についての詳細な研究議論は、歴史学者や社会科学者によってなおも行われています。それぞれの視点から見れば、異なる解釈結論が導き出されるかもしれません。このような議論は、歴史理解を深め、未来の同様の悲劇を防ぐための重要ステップです。それぞれの視点尊重し、開かれた対話を通じて理解を深めることが重要です。この問題についての詳細な研究議論は、歴史学者や社会科学者によってなおも行われています。それぞれの視点から見れば、異なる解釈結論が導き出されるかもしれません。このような議論は、歴史理解を深め、未来の同様の悲劇を防ぐための重要ステップです。それぞれの視点尊重し、開かれた対話を通じて理解を深めることが重要です。この問題についての詳細な研究議論は、歴史学者や社会科学者によってなおも行われて

2024-02-05

[]100年に1度の経済危機

100年に1度の経済危機10年に1度発生する

2024-01-03

マジでパリオリンピック延期した方がよくね?

ウクライナイスラエルでは戦争

中国 日本共に地震で大変

その他 色んな国で経済危機

フランス治安は相変わらず悪化したまま

いや、マジで万博中止もいいけどオリンピック延期した方がいいだろ

こんな世界情勢で何が平和の祭典だよボケ

2023-08-09

取引し始めて2年経ったが

株とか投資信託をやり始めて2年経ったので、パフォーマンスとか適当に書いてみる。

運用資産1900万くらい。必ず現金を最低500万別に持つようにしている。

投資株式100%だけど、これは自分でもアグレッシブ過ぎるかもしれない、と思っている。

まだ30代なので経済危機がきても持ち続けて10年くらい回復を待てる、と思っているがそのうち現金比率債権比率10年後くらいには増やそうと思っている。

そのうち100万は投信で、+15%の評価損益

何も工夫していなくて、国内株式米国株式・全世界株式インデックスの中から信託報酬が低くて流動性が高そうなのを選んで積み立てNISAで積み立てているだけ。

まぁずっと積み立ててようかな。

残りは国内株式(うち東証取引される米国ETF含む)。割安だなーと思った大企業の株を中心に買っている。

優待よりも値上がりや配当を気にしている。いや、優待って使い切るの大変そうだし。。。

2022年のリターンは90万くらい。そのうち売買での利益が65万、25万は配当(すべて税引前)。

そこそこ増やせているのではないかな、と思っている。

ここから20万弱は税金で持っていかれるんですけどね。。。

含み益は+300万くらいでている。


2022年コロナで打撃を受けた株が回復したり、商社株の伸びがすごく、軒並み株価が成長しててびっくりした。

KADOKAWA会長逮捕されたりしたときに大きく値を落としたが、回復している(落ちたとき会社ビジネスへの打撃じゃないしどうせ回復する、と思って買っていたのでよかった)。


取引していると、欲望をどうやって抑えるのかが難しいな、と感じる。

一杯買いたいという気持ち株価を見ていると湧いてくる時があり、それをどうやって抑えるか、というのが巷で言われる投資法のミソなんだろうな、と思った。

国内株式調子が良かったのは間違いないけど、保有する株のポートフォリオをどうするべきなのか微妙だなーと思っている。

今80%くらいは国内株式になっているが、これは危険なのか。

アメリカ株は為替手数料がかならずかかる関係であまり魅力的にうつらず、東証米国ETFとか投資信託カバーできればいいかなと思っている。が正しいのだろうか。

そのうち国内株を処分して、国内50% アメリカ+先進国50%くらいの比率にするべきだろうか。

2023-07-04

anond:20230704001006

どんな攻撃が考えられるかというと

まず傭兵会社設立されていく(竹中平蔵後継者あたりがやる)

経済危機が起きる

派遣社員が一斉に解雇され傭兵が増える

傭兵自衛隊に雇われたりして世界派遣される

まり政府自衛隊を半民営化する   

日本戦争をしないが男性戦争に行く

どの政党を選んでも同じ

男性覚悟しておいてね!

2023-06-18

anond:20230618005223

経済危機の時にいくら金を持ってても真っ先に資金注入されるご一族だろう

トゥービッグトゥフェイルなのでそこからトリクルダウン

2023-06-15

anond:20230615183226

徐々に悪化して、大災害経済危機戦争なんかをきっかけにさらに一気に悪化する。

もはや半ば決まった未来

2023-06-02

ぶっちゃけ今の世界国内情勢で政権取りたい?

政権とっても貧乏くじになるの間違いないでしょ

まぁだから政権奪取に繋がるわけでもない岸田の忘年会ネタ与野党イチャイチャして、与党内も岸田おろしキャンペーンをせず静観して岸田に貧乏くじ全部背負わせるのが与野党共に最適解なんだろうな

2023-05-21

過去一「G7って意味あったんだ」ってなってる

アメリカのせいで引き起こされたアメリカ経済危機に対して「みんなで頑張ろうな!」って宣言形式的に行うだけの集まりじゃなかったんだ、って感じ

もちろん今回のも形式的にすぎないのかもしれないけど、「こうやって世界は動くんだ」感がある

2022-12-30

anond:20221225133957

新自由主義

https://www.jri.co.jp/column/medium/shimbo/globalism/

国家による福祉公共サービスの縮小(小さな政府民営化)と、大幅な規制緩和市場原理主義の重 視を特徴とする経済思想

https://kotobank.jp/word/%E6%96%B0%E8%87%AA%E7%94%B1%E4%B8%BB%E7%BE%A9-298677

新自由主義ケインズ主義福祉国家所得再分配政策などがもたらす「過剰統治」と国家肥大化こそがシステム機能不全の原因として、規制緩和福祉削減、緊縮財政自己責任などを旗印に台頭した。

のように小さな政府規制緩和や、緊縮財政市場原理主義の重視が定義として掲げられてるな。

更にいうと金政策だけで制御できるという幻想

しかし、経済は一度大規模経済危機を迎えると企業が金を貯め込み設備研究投資をしなくなる。この元では低金利金融緩和をしても企業資金調達して設備研究投資をしなくなるので金融緩和意味を成さない。

とすると、財政出動や、資金循環を重視した税制としないと永久不景気を続ける。さらに、MMT自国通貨建て国債外貨借金が別物だと示された。基軸通貨国と、経常黒字国は財政破綻しないか普通に財政出動したら良い。

という、デフレインフレ無視した緊縮財政志向と、資金循環を無視した税制を辞めるのが正しい。更にいうと近視眼的な費用対効果に陥り、教育や基礎応用研究破壊することと、そのくせアホをおだてて引っ掻き回せばイノベーションが起きると生贄を探す悪趣味人形遊びを辞めること。

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