はてなキーワード: 漠然とは
ここ10年くらい頭の中にぼんやりと『助けてほしい』っていう思考が頭から離れなくて、
何をどうしたらいいのかわからないけど漠然とした恐怖とか焦燥感みたいな感情がずーっっとついて回ってる感じがするんだよね
最近さ、今更ながらジョーカーっていう映画見たんだけどさぁ、すげー心に響いたよ
俺みたいなクズに愛してくれる人が出てきて人並みの幸せを手に入れたり金持ちになったりヒーローになったりは100%無理でも、ジョーカーほどの度胸はなくても
生配信中に富士山から滑落死したニコ生主だとか、上級ニート謳歌しながら調子乗りすぎて実の父親にぶっ殺された英一郎とか、電車でキチガイかましてたら正義マンに殺された性の喜びおじさんみたいに
大喜利みたいに哀れで滑稽で笑える死に方でもすれば5ちゃんねるみたいな狭いコミュニティの中で語られる存在くらいにはなれるかもなって
そんなことを考えるんだよ
どういう風に生きていくのかと考えていると、最終的には死に様に行きつくと思います。
これから先、結婚することはないだろうし、もちろん子供もいないでしょう。
年収も低いままだろうから、裕福な生活はしていないように思います。
そして60代か70代くらいで一人暮らしの賃貸で死んでいるのだろうなと思っています。
まあ何かしらの見守りサービスに加入しているだろうから、死体は悪くても1週間以内には発見されるんじゃないかと想像しています。
これが私の死に様のイメージです。
完全に忘れたというわけではない。ただ、ところどころイントネーションがあやふやになってしまっている。
時の流れというか、漠然とした寂しさを感じる。
府民の方なら分かると思うが、あの辺りはもともと関西弁が薄い。もちろん、南大阪に比べて、という話なのだけれど。
中、高、大と進むにつれて関西弁を使いこなせるようになった。
今は地方中枢都市の会社に勤めているし、プライベートでも滅多に関西弁を出さない。
地元の友人と会う度に、自分だけが「大阪」という都市から疎外されている気がする。
やたらハイソな千中の駅前、だだっ広い万博公園、高校行事で無駄に長い距離を歩いたこと。
母親から不当な扱いを受けていて、物心ついた頃から漠然と死にたいと思っていた。
死にたいと思いながら幼児の期間もローティーンもハイティーンも過ごしてきて、20代になりその思いは統合失調症という形で実を結ぶことになる。
それからもやっぱり死にたいと思い続け、しかし劇的に「君は生きていていい」と言ってくれる人と出会い、結婚することになる。
そして子どもが生まれた。子どもはとても可愛く、一見したら幸せそうな奥さんに見えることと思う。実際に幸せだとも思う。
子どもの頃ほど生きるのが辛いわけではないけれど、でもふとした弾みで「死にたい」と口に出してしまう習慣は消えないままだ。
脳にそういう回路が出来上がってしまっていて、今更消去できない、そんな感じ。
それは今思えば、望まぬ妊娠や暴力に晒されんことを祈り、娘を想っての言葉だったのだろうが、いかんせん言葉が足らなさ過ぎる。
モーセの十戒の内容だけを伝えても、伝えられた相手がモーセがどんな人物か、聖書がどんな内容か、ましてや聖書の存在理由などを理解してくれるわけねーだろうが!という感想しかない。
なので、隠れてエロ本を読むエロガキのような感じで夢小説を読み耽っていた。
多分内容は理解していなかったけど「悪いことしてる」感がたまんなかった。
子どもなのでバレて怒られていたが、その場ではションボリして、隙を見てまた読む。また怒られる。
私は「R-18」と書かれていると「まだ18才じゃないからダメだ」と激裏ページに行かないような、正真正銘のエロガキだった。
親とかいう(兄と違い私は父親が違う説があるので、望んでかどうかは微妙だが)望んで子種をばら撒き、私を腹からひり出したという実績を持っているだけの他人の言葉を信頼して拠り所にするのは間違いだったなと、今になって思う。
父親は気分が向いたら暴力振るうわ怒鳴るわ嫌味言うわ、かと思えば私の尻を触るし、親戚もそんな感じだし、兄は胸が大きくなってくると揉んできたし、使用済みナプキン漁るし勃起したちんこ見せてくるし家事してる私にちんこ押しつけてくるし。
母親は祖母と組み、やれ話す言葉がいやらしいだの、着ている服が派手だの、下着の色までチェックされ、時には罵詈雑言を浴びせてくるし。
最悪アベンジャーズか?
「汚いわね、売春婦が着るような色の下着なんて着て」「お前の胸が大きいのはお前がいやらしいからだ」「お前の初潮が早かったのはお前がいやらしいからだ」
他にも色々あるけど、どれも自分の土壌を作れていないし知識も頭に入れてない子どもには、よーく刺さる言葉だった。
他にも近所のクソガキにレイプ未遂され、電車に乗れば痴漢され、小さい頃には誘拐未遂と属性てんこ盛りである。
こんなに意味ありげに羅列しといて何だけど、そんな感じだったからか、ぶっちゃけた所わかんないけど「私は恋愛をすべきではない」という気持ちが強く根付いた。
灰色のパーカーを着て、毛玉がついたバッツバツのレギンスを履く。
靴はかかと踏みまくったスニーカー。
たるみきった体にはいつからか脂肪がつき、鶏むね肉の擬人化になっていた。
それから家に引きこもり、オタクになり、サンホラを聴き、アリプロを聴き、謎にワンピースをディスり(今は大好き)、孤独にもだんだんと慣れ、「私はずっとこのまま親のスネをかじり、恋愛とかできずに生涯を終えるのだろう」と薄らビジョンを描いていた。
とかなんとかしてたら、高校あがってすぐお母さんが死んだ。
持病だった。
良くも悪くも人生の転機だった。
お母さんっ子のティーンエイジャーが早々に母親の死が受け入れられるはずもなく、Twitterでは荒れまくった。怒り狂い、なんにでもキレてツイートする日々が続いた。
こんな事になるのなら母親ともっと一緒にいればよかった。いっぱいお話すればよかった。いっぱいおいしいご飯を食べさせてあげればよかった。
鶏むね肉の擬人化は、自分を責める想いを、誰かを責める形で穴埋めしようとしたのだ。別にそれで自分はすっきり納得しないことを分かった上で。
「多分このままじゃダメなんだけど、時間が解決してくれたらいいな〜」
とか言って、夢小説を読んだ気がする。
内容はよくわからなかった。
彼氏ができたのだ。
私は超舞い上がった。ツイート頻度は減った。
でも今よりイキりまくった。
性器を押し付けられたり、とにかく性的なことを強要されないことが幸せすぎて「生きてていいのかな?」と疑問さえ抱いた時もあった。
これまでも何度か喧嘩もして、「どうしよう」と慌てた。
そんな幸せの解像度が上がる中、pixivで夢小説を読み直してみると、解像度が上がりに上がった。
ぎゃあ!!!!!これが恋か!!!!!!!人を愛する想いか!!!!!!!!
私はただ、愛して欲しかっただけなんだ…ってお母さん死んでから気づいたよ。隣にはもう彼氏しかいないよ。
そんなある日に「そういえば彼氏の言うこと、全部夢小説で聞いたな????????」という考えに行きつき、電流が走ったような気持ちを味わった。
「君の髪、綺麗なんだから手入れしなきゃだよ」
「この料理おいしいよ」
「お前は華奢で小さいな」
「可愛いね」
「その服、似合ってるよ」
「大好きだよ」
「愛してる」
一例でこんな感じである。
ヤバいな!!!!!!!!全部魔法のiらんどで!!!!HPフォレストで!!!!pixivで見たことあっぞ!!!!!!
それを彼氏に初めて共有しようとした時、「…そうだね、俺もリボーンで、ちょっとね」と少し切なそうに笑っていた。
お前もかよ。
いわゆる更年期ババアなんだけど、更年期なの気付かなかったよね。
家庭環境が夏に激変したから、そのせいかなって漠然と思っていたけど、
やる気のストックが完全になくなっていて、資料を10回くらい見ても全然頭に入らないの。
とにかくやばかった。
んで、久々に生理痛がひどくて、胃の調子も悪すぎていつものは飲みたくなかったから、
漢方系飲むかーって、いわゆる血の道系のやつ買って飲んだのよ。
そしたら、次の日にしびれるようなだるさがちょっと楽になってた。
んで、試しに続けて飲んでみたら、日に日に状態が良くなるのよ。
頭痛は3日でなくなって、やる気は2週間くらいで少しずつ戻ってきた。
薬やばい。
今、1か月くらい経つけど、鏡を見て何かを思う元気が出てきたらしく、
けば立った鶏みたいな自分を見て打ちひしがれている。
美容院を予約する気力すらなかったから、仕方がないといえばそうなのかも。
年かさの女性に対して「更年期だからイライラしているんだよ」って嘲笑の言葉があるけど、
本当にそうだったんだなと実感したわけで。
イライラっていうか、だるくて出社しているのに!みたいな気持ちだけどね。
身の回りのそんな感じの方々に、婦人系漢方薬をお勧めしていきたいけど、
自分更年期良くなったから、あなたもどうぞ!とかいうと、絶対に怒られそうなんだよ。
会社の同期前後の人々、若く見えることに血道をあげている人多いから。自分もそうだけどさ。
更年期って言葉が、「お前はもう年寄りで、社会の主役から外れるんですよ」みたいに感じるから、
どうしようもないんだけどさ。
月々数千円で、体調良くなるよ!
ブロックチェーンや暗号通貨、Web3.0、Dweb というのはここ数年、そしてこれからのバズワードであるようだ。
ここ一週間ぐらいだろうか。マイナンバーにブロックチェーンを導入しようとしている事業に関して色々な議論が発生しているようである。例によって議論に向かない Twitter 上で発生している。というか何が議論の中心になっているのかイマイチよく分からない。ただ雑然と荒れているという感覚がある。
私は技術・歴史・文化といった面からブロックチェーンや暗号通貨に対して知識がなく、学び始めたのはここ一ヶ月と言ってもいいだろう。学ぶ、といっても転がっている日本語の一般的なメディアの記事を気が向いたときに読み散らかすぐらいである。真に技術的なことは何一つ分からない。暗号通貨は Bitcoin とEthereum しか知らないし所持しているのはたまたま貰った僅かな ETH しかない。金銭的に貧しい多摩川に転がっている石くらいどこにでもいる17歳JKである。と逃げの文言を置いておく。
囲み取材で数十秒話したことが記事になっているので、正確に伝わって無さそうです。
・マイナンバーカードをいずれカード不要にしてスマホにインストールできるようにしたい
・その前にそもそも、普及のためマイナンバーカードの発行総数を増やす必要がある
という趣旨かと。
加納氏のこの時期のタイムラインから現在に向けて遡れば様々な第三者の感想や疑問を得ることができるだろう。これらに纏めて答えているのが以下の記事である。
ブロックチェーンの優位性①疎結合|加納裕三/Yuzo Kano
https://blog.blockchain.bitflyer.com/n/n4b45329e308c
加納氏とは一体何者なのかは以下を参照。
東京大学大学院工学系研究科修了。ゴールドマン・サックス証券会社に入社し、エンジニアとして決済システムの開発、その後デリバティブ・転換社債トレーディング業務に従事。
2014年1月に株式会社bitFlyerを共同創業し、2019年5月に株式会社bitFlyer BlockchainのCEOに就任。
bitFlyer創業以降、法改正に関する提言や自主規制ルールの策定等に尽力し、仮想通貨交換業業界の発展に貢献。
日本ブロックチェーン協会代表理事、ISO / TC307国内審議委員会委員、官民データ活用推進基本計画実行委員会委員。
2018年G7雇用イノベーション大臣会合、2019年V20 VASPサミットに出席。
ttps://finsum.jp/ja/2019/speakers/recQMoKK5nD9yb8Ht/profile/
ブロックチェーンを語るうえで何が重要かというと、その言葉の定義である。議論に参加している人が同じ言葉を使っているのに、各人の言葉に対する定義が異なっていると、言葉は理解できるが内容が理解できないといった状況に陥ってしまう。このことは実生活でも頻繁に起こっているように思えるが、Twitter という短文が好まれるプラットフォームでは著しくないがしろにされ不毛な議論を生む原因になっている。
加納氏が代表の JBA (日本ブロックチェーン協会)に依ると、ブロックチェーンの定義は以下の内容である。
ブロックチェーンの定義
1)「ビザンチン障害を含む不特定多数のノードを用い、時間の経過とともにその時点の合意が覆る確率が0へ収束するプロトコル、またはその実装をブロックチェーンと呼ぶ。」
2)「電子署名とハッシュポインタを使用し改竄検出が容易なデータ構造を持ち、且つ、当該データをネットワーク上に分散する多数のノードに保持させることで、高可用性及びデータ同一性等を実現する技術を広義のブロックチェーンと呼ぶ。」
定義策定のアプローチ
まず、Satoshi Nakamoto論文およびその実装である、ビットコインのブロックチェーンをオリジナルのブロックチェーン(以下「オリジナル」)として強く意識しています。
狭義のブロックチェーン(定義1)は、オリジナルを意識し、それが備える本質的で不可分な特徴を捉え、言語化しました。
広義のブロックチェーン(定義2)は、昨今〜今後の技術の展開を鑑み、オリジナルが備える特徴であっても、別の実装方式や別の目的への展開などにおいて、置換や変化が行われていく広がりを許容しながらも、特徴を捉えられるよう、言語化しました。
総務省のページも見つけたが JBA が定義するものを基礎としている。
ttps://www.soumu.go.jp/johotsusintokei/whitepaper/ja/h30/html/nd133310.html
私が疑問と漠然としたモヤモヤ感を抱くのは、最近の一般層で使われているブロックチェーンの定義には「信頼できる第三者が不要である」という点が抜け落ちているように思われることだ。非中央集権SNSで暮らし脱中央集権を推進したい私にはこの点が"ブロックチェーン"の一番重要な点であると思うが、JBA の第一定義にはこの点が記載されている。不特定多数へのインセンティブによって不特定多数による合意を形成している。これによって「信頼できる第三者が不要である」は満たされている。
blockchain (3.6)
distributed ledger with confirmed blocks organized in an append-only, sequential chain using cryptographic links
Note: Blockchains are designed to be tamper resistant and to create final, definitive and immutable ledger records.
distributed ledger (3.22)
ledger that is shared across a set of DLT nodes and synchronized between the DLT nodes using a consensus mechanism
Note: A distributed ledger is designed to be tamper resistant, append-only and immutable containing confirmed and validated transactions.
ISO の定義によれば、ブロックチェーンは、暗号化リンクを使用した一連の鎖で、追記のみで構成された確認済みブロックからなる分散台帳を指す。改ざんに強く、最終的で確定的で不変の台帳記録を作成するように設計されている。分散台帳は、一連の DTL(分散台帳技術)ノードで共有され、合意メカニズムを使用して DTL ノード間で同期される台帳である。確認された有効なトランザクションを含む全てが、改ざん耐性、追記のみの不変性を持つように設計されている。
さて、加納氏の投稿やその他の加納氏に批判的/賛同的な人たちの反応を見ても、彼らの言っている内容がブロックチェーンの定義を満たすものなのかいまいち分からなかった。
・ビザンチン耐性(BFT)
・改ざん耐性
私はブロックチェーンの主な利点はこの5つ(ただし5つにだけではない)だと考えています。これをここでは5大利点と呼びます。
なおかつ、この5大利点を概ね満たしているものをブロックチェーンと呼んでいます(ただしブロックチェーンと呼んでいるものは、すべてこの定義だとは言ってない。かつ、ブロックチェーンの厳密な定義はこれではない。)
なぜ前提として厳密な定義を加納氏の言葉で説明せずに、勝手に加納氏が定義した内容を”ブロックチェーンである”と語っているのか理解に苦しむが、加納氏の説明したい"プライベート・ブロックチェーン"を ISO の定義を基に判断すると、
加納氏の上記の2つの投稿からは、"プライベート・ブロックチェーン"と"パブリック・ブロックチェーン"のどちらを指しているのか不鮮明ではあるが、note の記事では"プライベート・ブロックチェーン"を想定している、と明記されており、議論の発端となったマイナンバーとブロックチェーンに関しても"プライベート・ブロックチェーン"を指していると思われる。5大利点を満たす"プライベート・ブロックチェーン"は存在しないのでは…。
"一方で、誤解と批判を恐れずに書けば、ブロックチェーンがBitcoinの論文に端を発するものであるとするならば、いわゆるプラベートブロックチェーンやコンソーシアムブロックチェーンと呼ばれているものは、ブロックチェーンと呼ぶのをやめて、「タイムスタンプ2.0」のような別の言葉を使うことも考えてはどうだろうか。それは、これらの技術が、リンクトークン型タイムスタンプのデータ構造の上に、決められたノードによる合意アルゴリズムを加え、記録した情報に対するビジネスロジックに応じた情報処理を加えたものであるからだ。根っこの技術は、同じHaberらによるタイムスタンプを元にしているものの、ブロックチェーンの発端となったBitcoinの論文が目指した「信頼できる第三者機関を不要にする」という方向とは別の方向の進化をしているもので、その別の2つの方向のものを同一の枠で扱うことには無理があり、理解や発展を考える上で両方にとって弊害がある。"
https://link.medium.com/TgeOXv8Dlab
https://link.medium.com/4pz5oNlHpab
これらの記事を読むと、そもそもブロックチェーンと呼ばれるものにおいてパブリックではないものは、なんびとも信用しない状況において根本的に非改ざん性を保障することができないのではないかと感じる。"パブリック・ブロックチェーン"こそがブロックチェーンであり、他のものはブロックチェーンから発展してきた技術を使ったブロックチェーンの定義を満たさない分散台帳なのではないか。
加納氏に関して覚えておきたいことは、彼は bitFlyer の CEO であり bitFlyer は miyabi という"コンソーシアム・プライベートブロックチェーン"を開発しているという点だ。当然行政に対して彼がブロックチェーンを推しているのはこれを売り込むためなのであろう。これが厳密にブロックチェーンなのかは置いておいて、このプロダクト自体は素晴らしい取り組みだと私は感じる。デジタル化によって今までの煩雑な手続きが簡単になる可能性は大いにあるし、公的文書の保存にも役にたつ。黒塗り秘匿文書を撲滅しろ。
ただ、ブロックチェーンをただの空虚なバズワードとして扱うのではなく、厳密な定義の上で使うのは大事なことだ。今回の件は、果たして全てにおいて加納氏が良くない、と言えるのだろうか。言葉というのは多数が使うことによって定義が決まる。時代が変われば定義が変わってしまうこともある。ブロックチェーンという言葉を便利な魔法の言葉にしてしまったのは誰だろう。本質を見極めない我々だ。AI 搭載!!といたるところで見る言葉だが、何をもって AI と呼んでいるのか不思議になる。実際のところ今まで"システム"と呼んでいたものなのに。日々の中で言葉をしっかりと見つめ直すのは大事だ。
この記事は、そもそもブロックチェーンとは何か、という個人的な疑問をまとめたものであり、加納氏を批判する意図は無かったわけで、最後の締めはやんわりとしたかった。だが、加納氏は立場的には日本ブロックチェーン協会の会長で、言葉を定義する立場である。言葉を定義した側がこの有様というのは遺憾である。日本の行政のデジタル化の推進は頑張って欲しい。
これを理解してない奴に哲学を教わった人間が「あんなん俺、幼稚園児のときに気づいてたわーかーっ俺が歴史に残るべきだわー」とか抜かしてるのを聞くと本当にキッツい国になったなあってね。
あのな、中身は誰でも思いつくんだよ。それを後世の人間がサッと聞いてすぐに「あんなん」と言えるぐらいのレベルでスーッって頭に入るような表現をしたのが凄いわけよ。
「赤という言葉がない世界で赤という言葉を発明しなさい」みたいな感じかな?
いや、「ゼロの発見」に近いと言ったほうが分かるな。うん、こっちで行くわ。ゼロという概念そのものはみんな漠然と半分はわかってるんだよ。でも、それに名前を与え、定義を固め、その概念を完成させた上で無駄なくパッケージングして人類が末永く共有できるレベルにまでしたのが凄いわけよ。これが発明な訳よな。発明ってのは、世界で最初にその発想にたどり着くことって思われがちだが少し違っててな、皆が使えるような形で提供した奴らの中で運が良かった奴のものなんよな。(この辺はまた別の話やから割愛するけど)とにかく、みんなが使いやすい形になつてることが発明の条件なんだ。
哲学ってのは、発見って言葉が使われがちだけど、これはちょっと乱暴な言い方というか、若干界隈の方言が入ってて、一般的な用法だと発明って表現使ったほうがしっくりくるパターンが多いんよ。コギト・エルゴ・スムとかイデアとか、こうやってワシが適当に言葉をいうだけで、中身知ってたら意味が頭に浮かぶやろ?これが哲学的な概念の発明なんだな。言葉を作ったのでも、名前を当てはめたのでもなく、概念を発明したんよ。
その概念について、前々から薄々そういうのがあるって気づいてても、それを皆が使いやすくパッケージング出来てないならそれはまだ発明とは言えない。そして、その思いつくのと発明するのとでは間にスッゲー広くて深い谷間が広がってんのな。まさに谷間よ。降りていくのもしんどい、進むにも真っ暗、登り直すのは更にキッツい、長居すれば気が狂いそうになる。そこを乗り越えてきたのが凄いんだな。その谷間の近くで皆があれこれ頑張った末に橋までかかった状態でそれ渡って「こんだけ?」とか言ってもしゃーない。その辺をなー、上手く教えられる人の下で哲学は学んでほしいんだがなー。
まあ、大抵の中学高校だと哲学なんて社会科か国語のおまけ科目だもんなー。片手までやってる人に多くを求められんのはしゃーなしではあるわ。
それまでの私は、小学校で友達作りに悩み、習い事では虐められ、虐めていた本人が私から虐められていたと言われ習い事の偉い先生に怒られ、嘘をつく人が助けられる世界が憎かった。小学校の3階の窓から下を見て「ここから飛び降りたら」と考えた記憶は今でも鮮明に残っている。
中学の頃、何度か逃げた。電車に乗って終点まで行って、また電車に乗って知らない街を歩き、家に帰ると嘘をつく。そんな日を一年に何度か繰り返していた。私なりの、自分が壊れないための行動だったのかもしれない。
高校から女子校に入り、友達ができた。もう全然連絡を取っていないが、その当時の私は幸せだった。友達がいるってこんなにも楽しいのか、こんなにも幸せなんだと救われた気になった。
大学に入り、また友達が出来なかった。それでも、高校の友達とはまだ連絡を取り合っていたから寂しさとかもなかった。
でもその時から、漠然と自分は25歳ぐらいまでに死のうと思っていた。理由は今ではわからない。でもその時は、本気で思っていた。
どこで死のう、やっぱりふらっと何処かに行くのがいいのだろう、じゃあどこに行こう、やっぱり海かな。
冬の海に1人、下見に行ったこともあった。でもよく考えたら海にそのまま入って死ぬの難しくね?となり、やめた。
山がいいだろうかと何度か調べた。やっぱ富士山かなと思いながら、新幹線の車窓から見つめたこともあった。
絶対電車系はやめようとは思っていた。誰かに迷惑をかけてまで死にたくない。死ぬなら1人でひっそり。それが理想。
毎日毎日、あと一年だあと数ヶ月だと数えていた。どこに行くかプランは決めてなかったが、具体的な日付は決めていた。
その時、偶然実家の犬が虹を渡った。
最初に見つけたのが私で、悲しくて悲しくて泣いた。なんで私より先に死ぬんだと、少し恨んだ。
火葬した2週間後、ペットロスによって家族が消沈し、偶然知り合いにブリーダーがいたこともあり、新しい家族を迎える話になった。私が死のうと考えていた、1週間前のことだ。ブリーダーの元に行き、子犬を選ばせてもらった。私の掌の上で眠りながらしっかり呼吸をしている、今の愛犬の姿を見て、いつの間にか泣いていた。ブリーダーのおばさんがティシュで涙を拭ってくれた。
それでも、長年この日に死のうと思っていた決断が揺らいでいいものかと悩み出した、死ぬ3日前。
その日は大きな仕事の成果を発表する日。時間をかけて準備してきて、それが終わったら死のうとすら思っていた、大きなきっかけの日。この日、私は一度死んだ。
結果的には良くなかった。目標を達成出来たかと聞かれたら、首を捻るほど。しかし私の上司はその結果を踏まえた上で
「ちゃんとしてた、よかったよ」
と言ってくれた。他の人にも
「貴女の方がまともやった、何してるのって怒られちゃった」
と、私より結果が良かった人にも言われた。お世辞だったかもしれないが、それが嬉しかった。
そこで初めて、自分で何かを成し遂げたような気がした。
今まで友達作りに失敗し、何もかもから逃げて、いつ友達に嫌われるかビクビクしながら、自分の代わりなんていくらでもいると思い込み、私一人いなくなっても大丈夫だと思っていた。
でも、私が成し遂げたことを褒めてくれる人がいる、その人の期待にこれからも答えたいと思った。期待は時にプレッシャーだが、それでも乗り越えられるように強くなりたいと思った。
知らず知らずの内に私を生かしてくれた人たちのように、私も誰かを生かす人になろう。自分の為に生きながら、誰かの為に生きよう。そう思えるようになった。
新しく家族に迎えた愛犬を、最後まで絶対一緒に居ようと決めた。その瞬間まで愛してあげようと、誓った。
本当に苦しい人は、私なんかの悩みや考え方を温いと言うだろう。それもわかる、今の私もそう思うから。
でも、あの時諦めなかった命がここにある。それを噛み締めて踏み締めて、今を生きている。
「損をしない投資」を教えてもらって以来、ここ10年くらい金が減らないどころか増えていってる
最初は投資だけで毎日のつつましい食費がまかなえてた程度だった
それが月日を追うごとに光熱費、交遊費、家賃までもがまかなえるようになり、今となっては給料の倍以上の収入になった
趣味といえば1本しか持っていない安いギターで好きな曲を弾いたり、FF14で1日1~2時間ほどフレンドと遊んだり
サブスクで音楽を聴いたり、簡単な料理をするくらいなので月額3千円にも満たないし
服はZOZOでベーシックなものをそろえる程度なので月1万円程度で収まる
日本は不景気で明るい未来が見えないと言われてるが、全く実感がわかない
毎月、使い切れないほどの金額が貯まっていく
数年に1回スマホやノートPCを買い換えるときに20万円ほど出費するが、貯まっていく貯金と比べればすずめの涙程度だ
投資をすすめたいわけじゃない
金の使い道が全くないことの漠然とした不安に悩んでいるということを書き殴りたかっただけだ
数十年後、どれだけの金が貯まっているのだろうか?
そして、使われないこの金は死後、国の金としてどんなことに使われるのだろうか?
物欲が満たされない人たちは何を買っているのだろうか?
でも私は漠然と財力マウントしてるっぽく見えるアラフィフのことを書いたんではなく、同ジャンルの痛いアラフィフ個人のことを書いた
正直言って推しカプのイメージカラーは原色同士のほぼ補色で落ち着きのない配色だしそれでオーダーしたジュエリーはめちゃくちゃダサい
金もらったとしても身に付けたくない
と私は思う
その辺含めて全体的に価値観が合わなそう≒話してても疲れるだけで楽しくなかったので距離を置きたい
他のアラサーも似たようなことを思ってるようでよくLINEでもアラフィフの話題になる
なのにアラフィフ本人は距離置かれてるのにも気付かずにまるで仲間かのように誘い受け名指し空リプとかしてくるんだ
ちなみに相互じゃないし反応してないけどみんなでヲチってるので空リプされてるのは知ってる
カプの規模も小さいのでアラフィフも他に行くところがないんだろう
まったく羨ましくない
それと他のトラバとかで年上は全部お金出したら年下が喜んでついてくるよとか言ってる人いるけど、ヤバい年上からお金出されても関わりたくないから着いていきたくないし、年上の良い人がお金出してくれたとしても申し訳なくて困るから逆に気まずい
価値観の合う年上は逆に年下に気を遣わせないために毎度毎度おごったりはしない
趣味の世界では価値観の合う少数の人とだけ付き合って、そういう人がいなければ1人でいる方がいいって人、年代が下に行けば行くほど割合が増える感覚があるな
https://www.buzzfeed.com/jp/reonahisamatsu/zeni-yamete
こんな記事を読んだ。
このお母さんが言ってることは正しい。間違いなく。
ただ私はこの記事を見て、また、ここ最近の芸能人自殺の件を見て、自分の過去の事を鮮明に思い出した。
自分語りする場他に無いのでこちらで失礼します。長いから読まなくていいよ。
私は毒親から生まれた。母が特にヤバい。どうヤバいかは読んでる内に分かると思う。
父親もヤバいけどマシ。父親は私が5歳の時に借金が問題で離婚した。借金の原因は母であり、父が母に耐えられなくなったというのも離婚理由の一つ。
あと他に父親のヤバい所は私が3歳の時に未成年淫行で逮捕経験有り、今もたまに何かしらで逮捕されてるくらいでしょうか。
母は嘘しかつかない人だった。
自分がいかにすごいかを毎日私に語っていた。嘘じゃないかもしれないが運動が出来て頭が良くてとてもモテたらしい。
一番よく聞いたのは、母が子供の頃芸能オーディションに応募して最終選考まで残ったのに親に反対されて最終選考に出られなかった話だ。
だから、自分は子供を決して縛ることなく何でも自由にさせてあげるんだと息巻いていた。
他には、身内や近所からこんな酷い事を言われた!と言って悲劇のヒロインを演じていた。そして、自分は正当だって話をセットで私や色んな人にしていた。
母は家事を一切しない人だった。
私は物心ついた時には包丁を握って、火を使って料理をしていた。何度も火傷したり指先を切り落とした覚えがある。ピーラーは100%切ってしまうので使うのを止めたし今でも怖くて使えない。指先が無くなったことで病院に行ったことはない。幸い、今指の形が変とか火傷の跡が目立つとかは特にない。
洗濯や洗い物は一回分でも溜まるとその晩母は発狂して私は何度も殴られ首を絞められ怒鳴られ、学校へ行く時間(朝)になるまで逃げられなかった。
ちなみに寝不足なうえにわんわん泣いてから学校に行くから瞼は毎日一重。今は何もせずに二重だが、同級生からは整形を疑われることがある。
そういえば包丁を投げられたことも何度もある(シンクに置きっぱなしだったせいで)。運良く毎回避けられたが避けなければ刺さってた。
赤ちゃんの頃はどうしていたか。ホームビデオを見る限りでは父親が家事をしていた。母は自分がしていたと言う。だから、家事も何もかもを全て私にやらせておきながら「誰があんたを育ててあげたと思ってるの!」が口癖だった。
私は何言ってんだこいつと思っていたが、ふとした時に何故だか自分が悪いかのような気になった。言われたその時ではなく、あとから何もない時に急に罪悪感に襲われた。
母は働いたことが無い。
しかし、一度だけ、試食販売のバイトをした。私が中学の時一度だけなんだけど、それを一生やってるかのように「私は働いている!」と言い続けた。
母は身内や近所に嫌われていた。
祖母や伯母は「母は昔からこういう性格で褒められたのは芸能人並みの容姿だけ、だから結婚してないと駄目なのに逃げられた」と口癖のように言っていた。(ちなみに私は父親似のブス)
母はその言葉に誇りを持っていたらしい。歳は40超えていたけどいつでも芸能人になる気満々だった。頼むからそうしてくれ、家にいないでくれと思って40超えてても応募できるオーディションを色々調べて教えたけど、行動に移されることは無かった。
近所からは、毎晩発狂してる事で心配の言葉を掛けられた事がある。その時母は「うちの子が癇癪持ちで、すみません」と言った。
母は、一度言葉にしたことはその場を取り繕うための嘘でも本気で本当だと思い込める。その晩、私が癇癪持ちなせいで近所から恥をかいたと朝まで怒鳴られた。
その晩だけでなく、機嫌が悪いと必ずその話を持ち出した。
繰り返していく内に私は自分の記憶も信じられなくなっていった。
しかし、とある近所の人は私に「あなたは普通だよ、お母さんがおかしいだけだから」と何度も言ってくれた。その一言だけが支えになった。
母はその人の事をことさらに嫌っていた。こんな酷い事を言われた、という話は主にその人からだった。
最初に出した記事から思い出したのはここです。笑 マジで関係ないです。作者さんすみません。
母には愛人がいた。
私が生まれてすぐの同窓会で会った既婚者。ダブル不倫。結果として父より長く付き合っていた。
私が成人後家出した後、「〇〇が家出した原因は愛人がいたせいなんでしょ?それがショックで家出したんでしょ?別れるから帰っておいで」とメールが来た。死ねと思った。
父は愛人の存在を最近まで知らなかった(さすがに知ってると思って私が言ってしまった)。
父とまだ離婚してない時もその愛人とは家で会ってて、私が3~5歳の時(覚えてないけど離婚前)「今、家に借金取りのヤクザが来るから猫のフリしてて」と母に言われ倉庫代わりだった部屋の扉にガムテープを貼って閉じ込められた。
私は言われた通り、にゃーにゃー鳴いて扉を引っ掻いたりしていた。
ヤクザが何かもわからない私はガムテープが張られてない隙間から覗いてみた。見えたのは知らない男の人。しかしそれはその後小学生になって初めて顔を合わす母の愛人の姿だった。
母は生活保護を受けていた。
つまり私も受けていたことになるんだけど、暫くして不正があるってなって、全額返金を求められた。と、母は話していた。
私はここの詳細はわからないけど、心当たりあるとしたら祖母と父親から充分な生活費を貰っていたことかなぁ……。生活保護費は母の夜遊び代だったので。
その時高校生だったので、アルバイトをしていた私のお金、それまでのお年玉貯金(そもそもお年玉は母に取られてたので、内密に受け取っていた僅かな分しかない)や奨学金含めて、全て生活保護の返済に充てるという事で母に没収されました。
高校生の時のアルバイト代はその後も全て没収、生活がものすごく困窮した。お昼ご飯はお弁当だったけど、時間的にも金銭的にも作れなくなって、何もない日があって友達から少しおかずを分けて貰っていた。
しかし母は相変わらず夜遊びしていた。私は夜遊びに行ってもらう方が都合が良いのでその事を問い詰めるような事はしなかった。どこに行ってたのかも知らない。
もしかしたら、嘘をつかれて、私から取ったお金も遊びに充てていたかもしれない。
高校を卒業する時、私は県外の専門学校に行かせてもらえるはずだった。
小学生の時から良いなと思っていて身内全員に勧められ、漠然とそこに行くんだって思っていて、大学の勉強はしてなかった。
中学で1年半不登校して(この時は、完全に部屋に閉じこもって母とも誰とも顔を合わせない引きこもりをした)基礎が何も分からなくなってしまったのでその時点で勉強はだめだと思っていた。
けど、丁度進学を決めるタイミングで祖父が亡くなり、遺産で揉めて学費が払えませんとなった。
私も貯金がゼロ、なら就職しかない、と思ったら担任に「もうさすがに遅くて無理です」と言われた。そして勧められたのが、高校の系列の専門学校だった。推薦できるし安く出来るからって。母は最初から最後まで可能不可能の話はせず「あんたの進路はあんたが決めなさい」とだけ言った。
私は"家から出られれば"どこでも良かった。その話を担任にこっそりとしたら、寮があるから大丈夫と言われて、じゃあそうしようと決めた。
しかし、実際は寮には入れなかった。
推薦入学の為面接があって、面接の部屋に学生は5人いたのだけど私にされた質問は一つ。
「寮に入りたいって希望してるけど何で?きみ、家近いよね?」
そんな事聞かれると全く思っていなかった(担任とのシミュレーションにも無かった)ので、とにかく本当の事は言えないから「自立する為です!」と答えた。
それに対して「親孝行した方が良いよ?」と鼻で笑われた。それで私のターンは終わった。最悪だった。
その後3年は、放課後から朝までアルバイト漬け、家には風呂に入る為だけに帰り学校で寝る、というような生活を繰り返した。帰る度に母が何か喚いていたけど黙らせた。
話していなかったけど、私は小学校高学年くらいから母の暴力に暴力で返していた。私の方が力が強いので捻じ伏せることが可能だった。生きる為とはいえ今でも罪悪感しかない。それに暴力癖は今でも抜けない。普段生活していて手が出る事は無いが、彼氏と喧嘩して手が出てしまった事がある。別れた。子供は勿論結婚なんかも無理だろう。
それで、もう卒業式さえ出れば良いって時に東京のクソボロネズミ出まくりシェアハウスを借りて、必要最低限の荷物を送って、何も言わずに家出した。
あんなに働いたのに引っ越し後の残金(卒業式の為に一度故郷と往復する飛行機代を除いて)は2万円とちょっとだった。
慌てて就活を始めたが、最初に当たった企業が「きみ田舎から出てきたの?東京は甘くないよwでも仕方ないからうちが拾ってあげるよwうちの寮に住むならね。給料は14万もあげるよ、田舎だとこんなに貰えないでしょ?寮の家賃は6万。これは東京では物凄く安い方だからね。ほら、ここにサインして」逃げました。チェーンだから名前晒してやりたいくらいだ。
心折れてシェアハウスの近くでアルバイトする事にしました。給料の支払い日の都合が良くてラッキーだった。ギリ初回の家賃が払えた。
このかん、何度も自殺未遂した。物心ついた時から死にたかった。
幼稚園児の時も友達と喧嘩ばかりして友達が悪いのにその子の顔が可愛いから擁護されて、私が悪いんだって周りに指さされて、でも幼稚園の近くに住んでいた大人(変人)が「あんたは悪くないよ!この子が悪いんだ!」と急に怒鳴ってきて、ビックリしたし周りもあいつヤベーぞ不審者だ注意しろ!みたいな感じになったけど私はその言葉で救われた。その変人がいなかったら幼稚園の屋上から飛び降りていた。
小学生の時担任に親の事相談したら「そんなわけないでしょ、いいお母さんじゃない、ちゃんと育ててくれた人に感謝しなきゃだめよ」と言われた。児相の存在も知らないから最後の頼みの綱のつもりで相談したのに最悪だった。でも、私も当時は自分の状況をうまく説明できなかった。虐待されているとは思っていなかったし。でも、なんか説明できないけど不当な扱いを受けている、そしてそのせいで自分はとても苦しいという認識だった。だからその日死ぬつもりだった。放課後、当時好きな人と少し進展があった。嬉しかったけど私は今日死ぬんだぞ、今のが最後の会話だからな覚えておけよと思った。遺書にも書いた。その晩家のベランダの柵の上に身を乗り出して後は手を離すだけのタイミングで好きな人の事思い出してしまった。泣きながらベランダをよじ登った。
中学に上がり私は引きこもりになった。理由はなんかもう狂ったから。友達が私の事褒めると、嘘だと思ってしまう。私の脳内が勝手に誉め言葉に変換してるだけで本当はずっと貶されているんだ、私はキチガイなんだ、こうなったのは親のせいだ、そんな事を思いながら母が毎日扉前で「いい加減出て来い!」と怒鳴っているのを聞いていた。
ちなみに飲食は母が夜遊びに行ってる間にした。そういえば夜遊びも近所の人に色々言われてたけどそればかりは余計なお世話、私にとっては唯一の安息の時間だから正そうとするな。食料はちゃんと買っててくれた。と言っても、ほとんどツナ缶だった。育ちざかりにほぼツナ缶とマヨネーズしか食べなかったせいか身体が成長しなかった。友達にチビを弄られる。最悪。
引きこもってる間は元気にしてた。何故ならパソコンがあったから。2chに「死にたい人が書き込むスレ」みたいなのがあって、年齢など書きこむテンプレがあってその通り書き込んだら「まだ若いから大丈夫イキロ」みたいなレスをたくさん貰った。そうなのかあ、と他の書き込み見てみたら確かに50代とかが多くて、私若っ全然余裕じゃんと思った。
それでも一度だけ「そろそろ死なないとなあ~」と思ってまたベランダの柵の上に登ったけど、やる気になれずやめた。
引きこもることに飽き、死ねないし今のままじゃマジでやべえと思って2年の2学期からいきなり登校したらマジで誰?みたいな感じだったけど誰も何も聞いてこなかった。暫く過ごして、「転校生だと思ってた。自己紹介しないから変だなって」と言われた。物珍しさで人が集まり友達に恵まれた。小学生の時好きだった人はクソヤリチンになってて冷めたけどめちゃめちゃ楽しい中学時代を過ごせた。全国の引きこもり!デビュー、意外といけるぞ!もし失敗しても気にすんな!
高校~専門学校は家出の為に働くことに必死で自殺未遂はしなかった。何度も死のうとは思ったけど世間体も気になりだして、とりあえず、家を出てから考えようって思ってた。
家出後。家出直後は紆余曲折あったが、安定してきたのは3年後頃。それまでに2回転職した。1つ目、2つ目のアルバイトははっちゃめちゃのどったばったの学生の延長みたいなノリの職場だったので死にたくなってもすぐウェーーーーイwwみたいになれたのに、3つ目は無。職場環境も人間関係も金銭面も何も不満が無かったのに、何をしても楽しくなくて、ご飯食べてるだけで悲しくなって死にたい……死にたい……とずっと唱えていた。ある日職場の先輩が死んだ顔をしていたので「死んでますね」って言ったら「うん、何もないのにね、死にたい」って突然言われた。わかる~!って返してそこから「何でかよくわかんないけど死にたいあるある」を言い合った。ちなみにその先輩は私みたいな人生は送ってない。自分で「人生順風満帆で家族大好きだし最近大好きな彼と結婚したし最高に幸せ♡」と言っていた。最高に幸せ♡なのに何でかマジで死にたくなって死にたくなる意味が分からなくて解決法も無いから本当に死のうかな?でも死んだら旦那悲しむし……と思っていたそうだ。今思えばあの職場が何か呪われてたかもしれないが、私はそれを聞いて、あっ毒親育ちじゃなくても死にたくなるんだ~!って安心した。安心したらその意味不明の死にたいもどうでもよくなっていった。
でもその職場で、ある日上司が変わった。すると職場環境が一気に最悪になった。クレーマーが激増して日々殺意しかなかった。てかマジでここにいる人間全員殺して私も死ぬ!って所謂無敵の人思考になっていた。電車のホームに飛び降りようともしたけど、それよりもなによりも殺したくて仕方なかった。殺さないと死ねないと思った。でも殺しちゃいけない事は分かってるし犯罪したことないからやり方わからなくて、とりあえずその時から信号無視する車とかを避けることをやめた。あわや死ぬところだったみたいなタイミングでちゃんと死ねば悔いなく死ねる、失敗しても保険金貰えるだろと思って死を避ける反応をしないようにした。けど、運がいいのか悪いのか全部あわやで済んでしまった。
そうこうしてる内に仕事をなんとか辞められて、今。在宅ワークをしている。
リアルで誰とも触れ合わずにいるとぜーんぜん死のうとは思わない。けど、死ななきゃなあ……と思って過ごしている。あーいつになったら死ねるんだ。
テクノロジーの満足度が行き切っててトレンドに興味がなくなってきたってこと
例えばカメラね
youtubeでSONY α7sIIIのレビューみてて思ったんだよね
もうこれ完璧じゃんって
もうね、完璧なのよ
今まで不満だったところがことごとく解決されてる
もうね、不満がないのよ
それで変な気分になったのよね
うれしいというより、不安が沸き起こったのよね
俺、RPGのラスボスの前でやる気がなくなるへんな性格なんだけど
あれ?なんだこの感覚ってね
完璧じゃん!フロント液晶!手振れ補正やばい!完璧じゃん!ジンバルいらないじゃん!ってね
そりゃまぁ多少は買い替えると思うよ
小さくなりましたとか消費電力が少なくなりました的なやつね
そもそも8Kとか240fpsとかに興味がないのも影響してるかもなぁ
4k120fpsでもう十分なのよね個人的に
唯一まだ不満なのがGPUだね
RTX3090はがっかりだったから4090は頑張ってほしいけど
でも逆に言うと4090がすごいGPUだったら旅が終わってしまう
ことごとく頂上についてしまった感あるのよ
もうあとは下るだけだみたいな
あと登山系ね
私は楽しくない。楽しい時もあるけれど、トータルで見たらつまらない。つまらないと言うかつらい。
誰かの受け売りなんだけど、私の心には楽しいの器と死にたいの器がある。死にたいの器には常に『死にたい』がなみなみ注がれてるから、どんなに楽しいことをしているときでも死にたい気持ちが収まらない。父親はアスペで昔から散々迷惑をかけてくるから大嫌いだけど、母と姉とは仲がいいし、恋人もいる。友達は正直いないけど。
多分恵まれてる。贅沢だ!って言われると思うけど、つらいものはつらいし、死にたいものは死にたいんだからしょうがない。私だってこんな気持ちになりたくてなってるんじゃない。人生楽しいほうがいいに決まってる。
なんで死にたいんだろう。中学時代からずっと漠然とそう思い続けてる。ブスで友達いなくて発達障害グレーゾーンで、こんな時間に増田なんて書いてるからかな?「私はこの世界の存在していてはいけない」ような気がしてならない。世の中の全てに対する劣等感、罪悪感、焦燥感が溢れてる。
ねぇ、みんな人生本当に楽しい?なんで楽しい?どんなとこが?どうして死にたいって思わないの?人生を楽しくする方法を教えてほしい。
https://anond.hatelabo.jp/20200928113830
皆さま沢山コメントをくださって有難いです。トラバもブクマもひとつひとつ読みました。
アドバイスもとてもありがたいです。経験談や、色々なサイトへのリンクもありがとうございます。読んで参考にします。
「俺もそんなんだった」が一番救われる言葉でした。これで救われてはいけないのかもしれませんが。
こう見るとはてなってやはり高学歴が多いのだな、少なくとも一定数はいるのだな、と実感しますね。
慣例に倣い、この日記を印刷して学生相談室に持っていく予定です。
私はいつも優しい増田の皆様に救われています。実はB4の時も似たように、かけらもない進捗報告を発表するのが嫌すぎて逃げたしたときにも、増田で弱音を吐いたら優しく励ましてくれてどうにか復帰しました。あの時は3日で済んだんだよなぁ。
(つまりその時の失敗を全然生かせずにまた同じ轍を踏んでいるということでもある。成長していない。)
めちゃくちゃ赤裸々に書いたから特定されたらどうしよう。まあそれでもいいか。ラボの人間にはてなぁがいないことを信じて色々書きます。
めちゃくちゃ長くなっちゃったので冗長な文章ですが見たい方は暇つぶしにどうぞ。自分の思考の整理も兼ねて書きます。
1:現状報告、2:ブコメ返信、3:愚痴、の構成でお送りしたいと思います。はてな記法が分かっていればよかったんですけど、すみませんすべてベタ打ちで…、申し訳ないです…見出しの付け方分からない…
1:現状報告
昨日(9/28)、教授に相談し、同期にお叱りをくらい、とりあえず復帰することにしました。
最初10月頭からの予定でしたが、意外と必要な窓口業務が多いのと、せっかくなら平日に買い物や病院通いがしたいのと、あと10/1って内定式なので他のM2いなくて寂しいので、来週からにしてくださいとお願いしました。
私交渉した!頑張った!(自分で自分を小さいことで褒めていくスタイル)
それでも月曜日に無理そうならさらに数日後でもいいですかってお願いするんだぞ!出来たら金曜の昼とかに、最低でも日曜の夜には言うんだぞ!
私は「交渉」というスキルを手に入れるんだぞ!私が壊滅的に持っていないものだぞ!
さて、卒業や進路についてですが、事務や両親とも相談して、いくつかの選択肢で迷っている状態です。
・まず今年度の卒業は不可能だと言われました。ラボに行っていないため前期分の卒業研究の単位を落としており、これはどうあがいても今年取らせるつもりはないようです。
・留年して早くて21年の秋、もしくは22年の春になら卒業できるそうです。どちらにするかは多分私の意思で決められます。が、単位の関係で今年中には決め打つ必要があるようです。
・6月(通学再開時)に復帰してくれれば全然大丈夫だったのに、とめちゃくちゃ言われました。そこはそうだったな、家出して逃げるのではなくちゃんとラボに行けばよかったと思います。
電話もメールも手紙まで先生から頂いていたのに、全て無視していました。ご心配とご迷惑をかけて申し訳なかったです。
①専攻を生かした業種・職種
のうちどうするか決めあぐねています。また、研究生活の選択肢として、
A : これから半年研究し、21年の春に中退する(つまり大卒の第二新卒として就職する。この場合就活は必然的に②になる)(もしくは今中退してもいいですが、就職情報が手に入るので就職先を決めるまでは在籍したいです。)
B : これから1年研究し、21年の秋に卒業し、半年空けたあと、22年の春に就職する
C : これから1年半研究し、22年の春に卒業し、22年の春に就職する
D : (あまり視野に入れていないが一応)今年半年休学し、21年の春から1年研究して、22年の春に卒業し、22年の春に就職する
(ただ、さらに半年行かないでその後復帰できるん?という疑問は大きいからあまり選びたくない。ここから半年は就活に集中できるのが大きなメリット、とはいえ私は就活に集中なんてことをできる人材とは思えない。)(あと休学の書類は9月中だからもし休学するなら超急いでしなくてはならない)
E : (これも一応書いておく、Dだと今年一部の学内サービスが使えないので)制度上はCと同じにして、これから半年は研究室は休むという形を取り、Dと同様に21年の春から1年研究して、22年の春に卒業し、22年の春に就職する
のいずれかがあります。
先生のおすすめはおそらくC、親のおすすめもC、私の現状の希望はB、同期の友人のおすすめはAといったかんじになっています。
ちなみに家の経済的に金の問題は多分無いです。出世払いで返せばいいと言ってくださいました。
焦って決めなくてもいいとは思うので、できたら来週頭くらいを目途に方向性を決めたい。
どれがいいのだろうか。
2:ブコメ返信
目についたものだけですがブコメ返信的なものをします。引用の方法が分からなかったのでコピペベタ打ちで…すみません…
どのコメントも有難く読ませてもらっています。真剣で暖かな言葉をありがとうございます。
思ったよりいっぱいいて少し安心しました。優しい言葉をかけてくださって嬉しいです。
・進路に関するアドバイス
めちゃくちゃ有難いです。身近な人のアドバイスも有難いですが、やはり偏るので、関係ない人からの感想も参考になります。
B4の頃少し読んでいました。いいブログですよね。また改めて読もうかなと思います。
・kokojp 勉強は出来るんだろうからいざとなったら地方公務員試験でも受けるといい。M2までの経歴があればなんとかなるよ
なるほど、それはいいですね。すごく前向きに検討したい。学部時代から興味はあって、去年はそんな暇ない、でやらなかったのですが、今年は説明会くらい行ってみてもいいかもしれない。
誠に申し訳ない。めちゃくちゃ気にしている。どうしたら治るか分からない。この無駄に高いプライドはどう崩せばいいのか。
・augsUK yoppu7 雑誌会=研究室のゼミ、論文レビューみたいなもの
雑誌会はゼミのひとつで、学生が適当な論文を1つ選んでその内容を紹介するやつです。うちの研究室ではそう呼んでいませんが、雑誌会の方が伝わるかと思って使用しました。説明しておけば良かったですね。論文内で使用した反応全ての反応機構や選択性を書く必要があって、手抜きかつ難しくないものなら1週間ちょいくらいで仕上げられますが、やろうと思えばめちゃくちゃ手間をかけられます。学生の優秀さを比較するのに割と強く使われる会です。
・mbr 一大学教員としては「毎年のようにドロップアウトする学生が続出している」なら、増田よりも教員に問題があると見なすよ。増田が引きこもってる時にラボの人じゃなく親が引っ張り出す時点でそれは違うって叫びたい
そう、毎年のようにドロップアウトする学生が続出していたんですよ。偶然かおしなべて女子だったから次は私だってめっちゃ言われてて、事実そうなってしまったから本当にウケる。いつか先輩に会うことがあったら笑ってもらおう。
私としてはドロップアウトする学生それぞれの生来の基質もありますし、就活とかの進路の要因も大きいですし、学生同士の人間関係的な要因もありますし、そもそも有機化学の研究室は拘束時間が長く体力的にキツめ、というのも大きいと思うので、教授の責任はそこまで無いとは感じますが、内部にいるのでよくわかりません。少なくとも私は今の教授はいい教授だと思います。
先生も「自分のせいかな」と思ってはいると思うんですよね、それが申し訳ない。
一応言っておくと誓ってセクハラは無いです。セクハラがヤバい他の教授のエピソードは友人から山ほど聞いています。
・kinaco68 ここまで的確に言語化できて偉い。 M2の時って漠然とした焦燥感があるよね
的確と感じましたか。理解しやすかったのなら少し嬉しいです。今回は自分でも珍しく的確に書けたなと思います。普段の私の文章はもっと取っ散らかっていてかつポエミーで読みにくいです。
・mshota 大丈夫大丈夫。自分が何か間違ったことを言ったりやったりして恥をかくのが嫌なんだよね。
もう本当にその通りです。この無駄なプライドの高さをどうにかしたいです。
最近自覚したよくないクセのひとつに、怒られているときに「そうなんですよ」と返事をしがちなのがあります。つまり私はそれが悪いことだと分かっていますよアピールであり、つまり自分の心を守る言動な訳なので、素直に「はい」と言える素直さが欲しいです。
・トラバ
あなたは頭がいいし、なおかつ(自分が思ってるより)周囲からも愛される人なのではないだろうか?
可能なかぎり最善を尽くすべし。
何故かこれが一番泣けました。幸運にも周りの人には恵まれています。皆さん優しくていい人です。情けないとともに有難いです。
・トラバ
参考になるか不明だけど昔の自分の日記おいとく https://anond.hatelabo.jp/20140306080333
とても共感しました。比較的似ているタイプだと思います。最初は馬鹿みたいに張り切れるところが特に。私はこの基質は躁鬱のケなのではないかと自己診断しています。
そういえば、B4~M1の時、私躁だなーと思っていて、妹にこのままじゃ鬱になるよと言われていたのを思い出しました。まあ修士卒業までの3年くらいは持ってくれるっしょ!と思ってゴリ押ししていたのですが、今年の年明けくらいから躁が終わったな、と感じていました。就活のときこそ躁でいて欲しかったです。無駄な万能感が欲しかったです。
・tarume ここすき "引きこもっていた期間の行動や心理については、父が音読してくれたこのブログとほとんど同じである。どのブログだろう。探せなかった。"
このサイトでした。父に教えてもらいました。せっかくなので特に共感した箇所を引用します。
https://note.com/kazuaki3280/n/n95ea3a34bc06
(引用)
今思い返しても何も思い出せません。虚無です。とにかく毎日、何かを考える事が怖くて、スマホを手に取りゲームや漫画や動画、あるいは据え置き機でのゲームを、ひたすらしていました。最新のゼルダをやったのは確かこの時期でした。コンテンツが途切れると自分の現状に向き合わなければならず、その十字架に耐えられるほど強くなかった僕は、ひたすら絶える事なくスマホを握っていました。罪悪感を、周囲に対する劣等感を、将来への不安を、膨れ上がった負の感情全てを、ひたすらに薄めて薄めて一日をやり過ごしていました。スマホの画面を見ていない時間が、そこで顔を出す現実と孤独が怖くて仕方がなかった。弱さに向き合うことすらできない弱さに絶望し、ただひたすら感情を失ってゆっくり腐っていきました。辛いことも楽しいこともほとんどありませんでした。布団に入って目をつむると静寂の中不要な思考ばかりが空転するので、寝落ちするまで毎日眠りませんでした。生活リズムは崩壊し、朝7時に寝て夕方16時におき、夜22時に一日一回の食事を摂っていました。
(引用ここまで)
細かい箇所は異なりますが概ね同じ感じでした。当時の私の心情を代弁しているかの如く同じ気持ちでした。「コンテンツが途切れると自分の中の現状と向き合わなければならず」「膨れ上がった負の感情全てを、ひたすらに薄めて薄めて一日をやり過ごしていました」あたりが本当に共感できます。
ちなみに私るる鯖の人狼ログとかでした。増田もめっちゃ見ました。
3:愚痴
ここからは進路を決めるにあたっての不安とか懸念事項とかをつらつら書きます。
本気でめっちゃ長いだらだらした半分自己分析なので、本当暇な人だけ読んでね。キャリアカウンセラーに話す内容の下書きのつもりだからね!推敲していないしマジで口語の垂れ流しなので読みにくいよ。後から文句を言わないでね。
・就活について、私は研究職に向いているのか?…向いていないんじゃないか?M1の時からそう思っていたが、まあいけるやろでだましだまし就活をしていた。でもやはり向いていないんじゃないか?だって現状研究室生活を投げ出したし、そんなにできるほうかと言えば別にできるほうでないのは事実だし。コミュ力無いし。大学院ぽっちの研究を投げ出すようなら企業での研究なんて無理ではないか???
・あとおそらく世間は狭いのだから、私の大学での悪行は広まるのではないか?? 予約してすっぽかした説明会とか、予約をすっぽかした面接とか、予約したにも関わらずすっぽかした面接とか大量にある。把握すらしてない。そんなとこ来年のこのこと申し込めなくない???
・ぶっちゃけM1の1月から研究のやる気本当に無かったじゃん。行くだけ行ってほぼ何もしないみたいな日結構あったじゃん。研究の成果がちっとも出なかったのもあるし、就活で発狂していたのもあるし、先生からそろそろ自分で方向性とか色々考えてみればみたいな雰囲気を感じたので考えてみたけど全然うまくいかない感じとか、プライドが無駄に高いから他人にあまりものを聞けないから研究が行き詰まる感じとか(特にここが大きな問題)、後輩の研究指導が本当にできなくて比較的放り投げるか無駄な助言をするかしかしなかったのとか、その辺めっちゃあったじゃん。
・その辺を横目で見ていたから、同期の友人に「お前研究職向いていないと思うよ、事務職とかがいいと思う」とか言われるのよ。言われて図星過ぎて恥ずかしくて往来でブチキレちゃった。申し訳ない。
(研究生活とはあまり関係ない私的な生活の話だが、似たような恥ずかしい思いをしたときにすぐブチキレちゃうのをどうにかしたいがやり方が分からない。そのために妹とは口を開けば喧嘩ばかりしてしまう。そういえば研究室でもしょっちゅう廊下でこっそり紙を破ってキレ散らかしていた。ラボでも支障出てんじゃん。困る。)
・同期の友人が進路にAを勧めるのは、私の「プライドが無駄に高いから他人にあまりものを聞けないから研究が行き詰まる感じ」を見てるから、来年オレがいなくなった後がつらいんじゃないの、という心配が一番大きいんじゃないかと思うのね。来年と言わず就職後もきついと思うし。
事実色んな人とのそれなりのコミュニケーションや業務を、あいつにおんぶにだっこで研究室生活を乗り切ってきた面は大きい。
・先生に、「自分は本当は退学したいが親に説得されたからやる」では君のモチベーションが続くかは心配、と言われた。それはその通り。
・というか研究室に戻って実験やる気出してやれると思う?正直昔過ぎてどんな思いでやっていたかとかあんまり思い出せないし、今は「まあ行けんじゃね?」と思っているけど、それは半年前の研究のマジでイヤさを忘れているだけかもしれない。
そういえば2月くらいとかgoogleで「しんどい」と打って検索してはよく分からないキュレーションサイトを見る、とか、実験も文献を読むのも就活もやりたくなさすぎてケムステ(化学系ポータルサイト)のしょうもない記事をコアタイム中に読み漁ったりしてたじゃん。何なら一時期はてぶしてたわ。思い出した。やはり私に研究室生活は荷が重いのではないか?
・あれかな、肩慣らしに少し研究やってみて、ダメそうかどうか判断する、のもありなのだろうか。
ただちょうどテーマ変えるか、の段階だったら、どのテーマでやるかから決めなくちゃいけないのだけど。
ちなみにこれはこの日記がこんなにブコメつく前に書いていた研究の目標の文章
https://anond.hatelabo.jp/20200928200744
・M1の時に描いていた理想のキャリアプランは、いわゆる「中堅」と言われる、社員への面倒見がよさそうな企業の、技術系総合職に就職して、できたら研修を長―くやってその後配属を決めるくれるような企業で、研修をして、研究職に配属されて(まあここから違う職種でもいい)、そこで1-3年くらい研究をやったら「あ、向いてないな」と私なり企業なりが思うかもしれないから、技術営業だか知財だか管理部門だか窓際部署だかに異動するかもしくは転職して、後は適宜向いてそうな仕事をする、といったプランだった。
「中堅」にした理由に大きな理由は無いです。そういう企業が多い印象だったから。正直小さめの企業まで見ないうちに就活を投げだしたのもある。
・できることなら理系就職をしたいと感情で思ってはいるが、これは、いわゆる「せっかくこれまでかけてきた投資を無駄にしたくない」気持ち(コンコルド効果、と言うらしい)が8割を占めていると思うのよね。だからそこを差っ引けば私は別に理系就職したくないのかもしれない。
・だってぶっちゃけ増えてる増えてるとは言うが女子社員少ないしさ。普通に生きづらいと思ったこと大学で感じないことも無かったじゃん?
切れたので分けます。
実験がオンラインで行われ、ただでさえ理解力に乏しい自分にはちんぷんかんぷんだった。出せば添削してくれると言われてもレポートと呼べるレベルにすら達していないゴミを出すことができず、友人もいないため詰んだ。結局レポートの最終締め切りいつまでなんていう温情メールが夏休みの半ばまで届いていたのに無視した。留年です。
他大の友人はインターンに行ったり相談会に参加していたけど春に就活案内メールを一斉登録してフォルダ振り分けしてから一つも読んでない。
その時は本心から親の金で留年してやろうとか今年はコロナでとても満足できない学生生活を送ったのだからやり直そうなんて思っていた。やり直すのだから勿論就活も来年以降やればいい。
実験すなわち進級についていけなくなって何もやる気がしなくて同時双方向型の授業にほとんど繋ぐこともせずゲームばかりしていた。
数年やっていたバイトもバックレて店長からの連絡を一切無視した。
色々な人に迷惑かけてるな。
いっそ見捨てて欲しかった。その時は。
前期の単位をドブに捨てたあと下宿先に父が迎えに来て片付けられずにいた部屋を綺麗にしてくれ、そのまま実家に戻った。
両親は見捨てないし担任や本来留年しなかったら配属されるはずだった研究室の教授は丁寧にメールや通話での面談をしてくれる。担任から連絡が来たときは正直留年決まる前にやってくれればよかったじゃんと思った。ただ担任も実験の担当であり、更に本来の締め切りが5月あたりのレポートを8月半ばに出してもいいよってメールをくれていたのにそれは言い掛かりだろう。教科担当にできる最大の譲歩だったでしょう。
この優しさに数週間前までは漠然と死にたかったんだけど、数日前後期が始まってからは逆にもう一年単位落とさないように頑張るぞ!みたいな前向きな気持ちが湧いている。
ただ去年から躁鬱を疑っており下降するのが後期の半ばを過ぎた頃と予測されるので不安は残っているのだが。
ここまで書いておいて思ったのは、自分は元増田に共感するけど元増田は自分に共感は覚えないんじゃないかということ。自分は大学を辞めようと思ったことはないし、これから自分を変えたい。自分のできる限りで恥ずかしく生きようと考えているから。