2020-10-07

あの日、生きる決意をした私へ

2014年9月、私は一度死んだ。

それまでの私は、小学校友達作りに悩み、習い事では虐められ、虐めていた本人が私から虐められていたと言われ習い事の偉い先生に怒られ、嘘をつく人が助けられる世界が憎かった。小学校の3階の窓から下を見て「ここから飛び降りたら」と考えた記憶は今でも鮮明に残っている。

中学の頃、何度か逃げた。電車に乗って終点まで行って、また電車に乗って知らない街を歩き、家に帰ると嘘をつく。そんな日を一年に何度か繰り返していた。私なりの、自分が壊れないための行動だったのかもしれない。

高校から女子校に入り、友達ができた。もう全然連絡を取っていないが、その当時の私は幸せだった。友達がいるってこんなにも楽しいのか、こんなにも幸せなんだと救われた気になった。

大学に入り、また友達が出来なかった。それでも、高校友達とはまだ連絡を取り合っていたから寂しさとかもなかった。

でもその時から漠然自分は25歳ぐらいまでに死のうと思っていた。理由は今ではわからない。でもその時は、本気で思っていた。

どこで死のう、やっぱりふらっと何処かに行くのがいいのだろう、じゃあどこに行こう、やっぱり海かな。

冬の海に1人、下見に行ったこともあった。でもよく考えたら海にそのまま入って死ぬの難しくね?となり、やめた。

山がいいだろうかと何度か調べた。やっぱ富士山かなと思いながら、新幹線の車窓から見つめたこともあった。

絶対電車系はやめようとは思っていた。誰かに迷惑をかけてまで死にたくない。死ぬなら1人でひっそり。それが理想

毎日毎日、あと一年だあと数ヶ月だと数えていた。どこに行くかプランは決めてなかったが、具体的な日付は決めていた。

その時、偶然実家の犬が虹を渡った。

最初に見つけたのが私で、悲しくて悲しくて泣いた。なんで私より先に死ぬんだと、少し恨んだ。

火葬した2週間後、ペットロスによって家族が消沈し、偶然知り合いにブリーダーいたこともあり、新しい家族を迎える話になった。私が死のうと考えていた、1週間前のことだ。ブリーダーの元に行き、子犬を選ばせてもらった。私の掌の上で眠りながらしっかり呼吸をしている、今の愛犬の姿を見て、いつの間にか泣いていた。ブリーダーのおばさんがティシュで涙を拭ってくれた。

の子と一緒に生きたいかもしれない。そう思わせてくれた。

それでも、長年この日に死のうと思っていた決断が揺らいでいいものかと悩み出した、死ぬ3日前。

その日は大きな仕事の成果を発表する日。時間をかけて準備してきて、それが終わったら死のうとすら思っていた、大きなきっかけの日。この日、私は一度死んだ。

結果的には良くなかった。目標を達成出来たかと聞かれたら、首を捻るほど。しかし私の上司はその結果を踏まえた上で

ちゃんとしてた、よかったよ」

と言ってくれた。他の人にも

貴女の方がまともやった、何してるのって怒られちゃった」

と、私より結果が良かった人にも言われた。お世辞だったかもしれないが、それが嬉しかった。

そこで初めて、自分で何かを成し遂げたような気がした。

今まで友達作りに失敗し、何もかもから逃げて、いつ友達に嫌われるかビクビクしながら、自分の代わりなんていくらでもいると思い込み、私一人いなくなっても大丈夫だと思っていた。

でも、私が成し遂げたことを褒めてくれる人がいる、その人の期待にこれからも答えたいと思った。期待は時にプレッシャーだが、それでも乗り越えられるように強くなりたいと思った。

その日、過去自分を殺し私は新しい人生スタートさせた。

知らず知らずの内に私を生かしてくれた人たちのように、私も誰かを生かす人になろう。自分の為に生きながら、誰かの為に生きよう。そう思えるようになった。

新しく家族に迎えた愛犬を、最後まで絶対一緒に居ようと決めた。その瞬間まで愛してあげようと、誓った。

本当に苦しい人は、私なんかの悩みや考え方を温いと言うだろう。それもわかる、今の私もそう思うから

でも、あの時諦めなかった命がここにある。それを噛み締めて踏み締めて、今を生きている。

それが結局、1番大切なことなのだと気付けた私は、幸せなのだろう。

  • 習い事の先生は大人として最低だし、ウソをついて貶めるヤツは子どもとはいえ酷い。 増田さんにはきっと泣くことが必要だったんだと思う。 ご家族はそのキッカケをくれた。自分の命...

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