はてなキーワード: ソナタとは
野外コンサートだったのかぁ。歌詞で言ってるのね。うんもうちょっとがんばってほしいぞ。いや素人っぽさがよいのか。
ベートーヴェン野外コンサートなんてしてたのかな。チラッと調べた限りでは見つけられず。
できましたか(1808)。かっこよいアレンジ。冒頭ヴェルディの《運命の力》かと思った。あ、運命つながり?
ルドルフ大公(歌)「奇跡のスピード 次々生み出す 交響曲 協奏曲 未知の大きさ 新しい音 今こそ 目覚めた かく めい かー」
モーツァルト「どれも傑作だぁー」
ハイリゲンシュタットの遺書を書いた後10年間ほど(1802-12)はベートーヴェン中間の充実期とされている(傑作の森)。実際は交響曲第3番《英雄》が皮切り。《運命》は"傑作の森"期の後半に入るころの作品で、ここまでにヴァイオリンソナタ《クロイツェル》、ヴァイオリン協奏曲、ピアノソナタ第23番《熱情》、交響曲は第5番《運命》と同時に作られた第6番《田園》までかな。
かわいすぎる。
あらま!改訂中?それともまだ完成前だった?あらま!望海氏弾いてる!生観劇時も配信も同じところでミスタッチ?わざと?
げー、無声口唇破裂音(p)ってあんなに速く出せるものなの?そして望海氏はダブルタンギング要らずの人か(t)。うーむ、滑舌の訓練のたまものなのかな。管楽器かじった人間として恐れ入る。
ヴェーゲラー夫妻は1807年からコブレンツに移り住んでたようだけど、まあボンとそれほど離れてないか。
「もし対位法と同じぐらい戦術に精通していたら、目に物を見せてくれように」
ナポレオンウィーン侵攻中、謎の女が《運命》を献呈されつつ家政婦としてがんばっててかわいい。
ナポレオンとゲーテの場面きた。史実では1808年の諸侯会議の場で、日を接して3度会っているとのこと。ちょっと遡ってるのか。ナポレオンはウェルテルの愛読者で、エジプト遠征中(1798-9)に7回読み返ししたという。
「これこそ人間だ」「ここに人有り!」ナポレオンがゲーテを見るなり言った。
ゲーテはナポレオンに傾倒していたとのことで、ほんとはこんなこと言ってないと思われるけど、なるほど。
ナポレオンの理想を認めつつあくまでその達成手段には否定的な本作のゲーテ。主人公ベートーヴェンとの現実の関わり度合いからしてなぜゲーテが2番ではなく3番なのかと思っていたけど、ゲーテがナポレオンの心の代弁者の役割か。まあゲーテとは年齢も開きすぎか。
ナポレオン「余を毎夜さいなむ問いは、進むべきか、否か」
ベートーヴェン「否ー!」
再び盆が回っての見事な場面転換。あれ部屋きれいだ。
かいがいしく世話してる笑。家事からきしダメだったけどがんばったのか、掃除も食事も。なんでがんばってんだ笑。
ベートーヴェンの部屋はずっと汚かったっぽいけどな。ごはんも食べずに、とかはどうだったかなあ。食事に招いても現れずに作曲に夢中になっていたというのはNHKのプロファイラーでやってたか。
ベートーヴェン「なんだその格好は」
ツッコんでくれてありがとう気になってた気になってた!
謎の女「これ?すてきでしょう?あたしを見てどう感じる?」
なんかここ、市原悦子みがあった笑。家政婦だけに?
ほう!
ベートーヴェン「お前は、俺の才能なのでは⁈ もしそうだとしたら、まさにお前という才能こそが、俺の、恋人ということになる」
配役になかったしベッティーナは飛ばしますわね。そしてゲーテとベートーヴェンがテプリッツで会ったのはまあ一応偶然だった模様。
1812年きてる!
《悲愴》1798が今きた。難聴に苦しみ出したころの作品、と思うと、エレオノーレの語ることばとシンクロする。
ナポレオンのウィーン侵攻から3年経ってるから、エレオノーレは2人目の懐妊?
なお3楽章はショーで使われるのでした。
エレオノーレ「耳のことを隠して」
ベートーヴェンっていつまで難聴を秘密にしてたんだっけか、少なくともハイリゲンシュタットの遺書まではそうだとして。
謎の女「いいの?帰らなくて」
グイチャルディきましたか。1802年にピアノソナタ14番《月光》を献呈された女性。ベートーヴェン死後遺言書に書かれた有価証券と共に見つかったミニチュアの細密画に描かれていた人物。1803年に結婚してベートーヴェンとの関係は切れたと思うけど、ここも少しずらしたか。
ふむ話の流れからしてやはり初演だったっぽいけど、初演時点ではもうナポレオンへの献呈はやめてたはず。これは、ベートーヴェン→ナポレオン終始尊敬説を取ってるのか、時間軸を変えてるのか。
そしてウィーンの王侯貴族との会話の中でナポレオンを礼讃するアグレッシブな自由主義者ベートーヴェン(第3番はナポレオンへの献呈をやめるまえの題名は『ボナパルト』だったけどこれは『英雄』になってる。ボナパルトは英雄だよ、という表現か)。
ナポレオンて、いい人?ナポレオン掘り下げの予習はやや足りなかったか。
かつらをかぶらない"芸術家"爆誕。宮廷や教会に雇われずに自立して生きた最初の作曲家ベートーヴェン。
難聴。クララ・シューマンの映画『愛の調べ』(『翼ある人びと』きっかけで鑑賞)でのシューマンの病気の表現もこんな感じだった。実際にベートーヴェンの難聴が始まったのは1796年ごろ、かな。
きましたな。
ゲーテ 「不幸な人間たちが、重荷を背負って喘ぎ喘ぎ世間を渡っていき、それでも例外なく、この世の太陽の光を1分でも長く見たいと願っている」
ああ!月光がウェルテルにつけた音楽になっとる。ピアノソナタ8番《悲愴》は出てこないんか、望海氏2楽章練習してたし弾くと思ってたんだけども。
きた、なんか美しい、構図、なんたってBGMが美しいのもある。
!うつく、し、おんがく。幻想的シーン。でもこれむつかしそうだ。ごめんウェルテルたち全然見てなかった。
シュトゥルム・ウント・ドラング(疾風怒濤)。感情の自由と人間性の解放。ロマン主義の先触れ。小説の出版は1774年(ベートーヴェン4歳)。フランス革命より前。
謎の女=死
第2楽章もきたー、はぁ、好き。美しすぎる。
ロールヘン「美しい曲、月の光みたい」
月光ソナタの呼称はベートーヴェンの死後、ドイツの評論家、詩人のコメントに由来。
実際は先に触れたとおりちゃんと献呈している。
映画『不滅の恋/ベートーヴェン』には、難聴のベートーヴェンがピアノに耳をつけて《月光》を弾く非常に美しいシーンがある。グイチャルディとその父親がその姿を覗き見て、その後グイチャルディはベートーヴェンに近づき肩に手を置く。気が付いたベートーヴェンは怒り狂って飛び出す。ベートーヴェンの耳が聞こえていないことがわかったグイチャルディは、翌日ガレンベルク家に嫁ぐ(実際は本作で描かれた通り身分違いのためとされている)。
手塚治虫『ルードウィヒ・B』は、グイチャルディに捧げるために月光ソナタを作曲しているところで、手塚氏が絶筆(実際は曲は先にあり、献呈は後付けだったとのこと)。
ふむ。ハイリゲンシュタットの遺書(1802)くるか。でももう《英雄》の初演終わってるけど。
ハイリゲンシュタットの遺書は難聴とグイチャルディとの恋愛の破綻に苦しんでる時期に書かれたらしいけど、青木やよひ氏の著書では、失恋しても特にそんなに凹んでなかったとも書かれていた。
王侯貴族の使用人にはならない、と言いつつ貴族の娘ばかり好きになるベートーヴェンね。出会いがないのか、ジュリアン・ソレル的な感じなのか、障害があると燃えるタイプなのか、潜在的に結婚すると創作の妨げになると思っていたのか。
耳が聞こえないって、この静寂か、恐ろしい、と思ったのはここだったかなあ。
【回想】
ベートーヴェンがウィーンへ出るのは1792年。ヴェーゲラーとロールヘンが結婚するのは1802年、ロールヘン30歳のころ。この時代にしては晩婚のロールヘン、実はベートーヴェンが帰ってくるのを待っていたのではないかと青木やよひ氏は推測しているらしい。
ああー、ウェルテルがピックアップされてたのは、、自殺もキーワードだったか…。
ウェルテルと同じ。
https://anond.hatelabo.jp/20210210062305
なんかクラシック音楽が話題に上ってるので、ちょい前に居酒屋で飲みながら、クラシックピアノやってみたいって友達(元軽音楽部のギター)にクラシック音楽と作曲家について適当に教えた時を思い出して書いてみる。主にピアノに絡んでる人しかおらん。その他ジャンルは知識に乏しいし必要ないのであんま触れなかった。しかも雑談の極みなのですべてにおいて雑、いろんな音楽家に失礼だけど天国で俺の事なんか見てないだろうしへーきへーき
■バロック以前・・これは好事家しか知らんから今は覚えんでええわ
■バロック
なんかRPGで教会や宮殿で流れるBGMか、メタルの前奏で仰々しく鳴ってるオルガンを想像してくれ。そんな感じの曲調。
①バッハ
めっちゃ有名。結構お堅い宗教曲なんかが多い。メロディが何層にもなってて弾くのは脳が大変。奇人変人が多いクラシック作曲界で貴重な真面目枠や。立派な社会人。息子がみんな音楽家。
《オススメ曲:主よ、人の望みよ喜びよ》
②ヘンデル
そこそこ有名。バッハより親しみやすくてちょっと陽キャ寄りな作風のイメージ。実際当時の人気投票ではヘンデルのが人気あったらしいで。世の中そんなもんやね。
■古典派
「優雅なクラシック」って聞いて大体想像するのがこのへんちゃうかな。そういう曲ばっかでもないけど、まぁある意味「クラシック音楽っぽさ」の完成系がここ。
①ハイドン
めっちゃ有名なはずなんだけど俺ぜんぜん知らん。何をオススメしたらいいのかもわからん。「クラシック音楽はこういう構造ですよ」ってのを考えて確立した人らしい。
Aメロ→Bメロ→サビみたいな概念を考案したと思うと確かにすごい気がするな!
これはさすがに有名。メロディが可愛い作曲家というイメージ。あとすごい譜面が読みやすい。音が脳にスイスイ入ってきて、次に来てほしいトコに音が来てくれるみたいな感覚がある。
ストレスに効果があるとかは眉唾だけど、フラストレーションや負荷がかかるような音楽じゃないのは確か。色々破天荒な人だけど、子供が凄い技術獲得したまんま大人になったんだろうなあって感じ。
ちなみに当時のきらきら星って今と歌詞が違って娘が自分の初恋を母親に伝えるみたいな歌詞らしいで
それまでの優雅~な感じのクラシック像を破壊しにいった人。思想がメタルとかハードロックなんよ。静と動、強弱を思いっきりつけてドラマティックな展開を作りまくる。当時の人は驚いたやろなあ。
この人現代でロックやったら絶対5弦ベースとか入れてくるわ。ギターも歪みかけまくりそう。あと性格は作風の通りだったらしいで。
■ロマン派
ロマン派音楽ってなんやねんってよく言うけど、ちょうどそのころヨーロッパでは革命とか起こりまくって一般人が貴族とかやっつけてたわけ。そうなると「そんなお高くとまった音楽聴いてられっか」みたいな感じになってドラマティックで人間的な曲が好まれるようになるやん。つまりロマン派って現代におけるロック・ポップスみたいなもんやねんな。だからそのノリと近い触れ方で良いと思うよこの時代。
歌で有名。「魔王」とか「ます」とかやね。実際メロディメーカーで代表曲も歌曲なんだけど、本人はオケとかピアノ曲をもっとやりたかったらしい。ベートーベンに憧れてたんだって。ただベートーベンほど派手な曲展開をしないのは性格からかもね。メロディが奇麗でちょっとおしとやか。弱気そうな肖像画と貧困で若くして死んだ印象が強いけど死因は手出した女から貰った梅毒らしいからアイツもやる事やっとるで(無粋)
②ショパン
かの有名なピアノの詩人。ノクターンとか別れの曲とか。激しい曲もたくさん書くけど、どんな曲でもとにかくメロディにフックがあってまるで歌謡曲を歌ってるみたいなんよ。ピアノなのにね。
大体の作曲家はオーケストラ曲書いて、バイオリンの曲書いて、歌も書いて・・・って色々なジャンル書くもんなんだけど、ショパンさんマジでピアノ曲しか書かん。これって割と珍しいんよ。ただ、弾く方の視点から言うと、すごく楽譜が指の理にかなってるんよね。だから初心者でもワルツやプレリュードのいくつかの曲は全然ちゃんと形になるで。これホント。
《オススメ曲:なんでもいいけど、いろいろな曲調あるからエチュード集作品10》
③リスト
超絶技巧イケメンピアニスト。べらぼうにピアノが上手くてコンサートを各地で開いて絶大な人気を誇り、そしてめちゃくちゃモテた。楽屋に女性ファンが乱入して私物がよく盗まれたらしいで。怖。ジャニ系かV系の狂ファンやん(偏見)。曲は華やかで派手な曲か、甘くてロマンティックな曲かで二極化してて、ライブ映えする。そして演奏が難しいね。
あとこういう奴に限って性格もイケメン陽キャで、チャリティーコンサートの主催とかしてた。世の中そういうもんよね。
有名な人のはずなんだけど、なんか地味な人。上の世代だとウルトラセブンの最終回のBGMがこの人の曲だったからそれで有名だけど、他の世代だと『トロイメライ』とかかなあ。
この人のピアノ曲は小説の短編集みたいに各曲に小さいタイトルがあったり、数曲またいでストーリー性のある流れを作ったり、コンセプトアルバムっぽいんよね。そういう作りが好きなら気に入るかも。
『この人、悪い人ではないんだけど、ちょっと近寄りづらいな』的なイメージの人。とにかく重厚で厳ついんよ。こう内にこもるエネルギーが凄い。綿密に曲作りこんでるなって。軽い気持ちで流し聴くような感じじゃないんよ。ものすごい準備して作った曲だろうからこっちも心して聴かねば・・ってなりそう。モーツァルトと真逆。
てかこの人見た目もそんな感じなんよ。性格も当たり前のように陰の者。その中で接しやすい曲でピアノと言ったらワルツ集とかになるんちゃうかな。でもちょっとだけハードル超えて接してみるといい人なのよ。曲もそんな感じ。
■印象派
印象派ってもともとは美術用語らしい。まあクラシックっぽいお堅い和音から逸脱し始めた人をまとめてこう呼んでるんちゃうか?たぶんここらへんのカテゴライズ適当だと思う。ぶっちゃけロマン派終盤のフランス人作曲家をこう呼ぶ。
作曲家下ネタ使用頻度をマーラーと常に争っている人。ちょいちょいオーギュメントをわざとつかって宙に浮かぶような感触を聴き手に与える。この辺が輪郭がボヤっとしてる美術界の印象派と被ったのかもね。複雑な曲展開やストーリー性よりも、「ある一瞬の風景をとらえました」みたいなテーマの曲が多い。クラシックぽさあんま無いなと思う。
本人の性格は下ネタ使用頻度高い名前に同情心が全くわかなくなるほどアレ。自分の不倫旅行をネタに曲を書く畜生。
②ラヴェル
ドビュッシーと同じようにちょいちょいそれまでのクラシックでは使わんかったコードを使うけど、ドビュッシーよりも上品だと思う。というかクラシックっぽさをきちんと残しているというか。きちんとクラシックの道の先に居る感じはする。輪郭線がぼやけているという感じもなくて、ところどころにジャズみたいなオシャレ和音も入る。
ビル・エヴァンスとか好きな人は結構好きかもしれん。オシャレ感すごいけどやっぱり本人もオシャレだったらしいで。ちなみに楽譜が簡単そうに見えても死ぬほど弾きにくいから気を付けろ。
③サティ
この人は「音楽大学なんかやってられねえ」って退学してカフェでピアノ弾きとして働きながら音楽活動してた異端な人や。その経験からかヒーリングミュージックやBGMというコンセプトの音楽の始祖みたいな感じや。聴き流す音楽の極致やね。たまに意味の分からないタイトルの曲を作る事でも有名だけど、まぁ最初に聴く分にはそういうの抜きに分かりやすい曲を聴くのがいいんちゃうかな。性格は変人そのものや。変な人じゃないとこんなことやらんかったんやろなあ。
坂本龍一の映画やCMの曲が好きならサティのたまに作る真面目な曲がハマるかもしれん。弾くのは初心者でも挑戦可能やで。
■国民楽派
クラシック音楽もいきつくとこまで洗練されると、逆に民族音楽とかから素材を取ってくるみたいな音楽家が増えて、まぁ大体そこら辺をこう呼ぶようになったけど、たぶんここら辺のカテゴライズ適当だと思うし、もめごとの発端になるで。メタルのジャンル分けみたいになってしまう。
チェコの作曲家やね。基本オーケストラの人だけどピアノなら一番有名なのはユーモレスクちゃうかな。とにかくクサメロをいかんなく繰り出してくる人。ちなみにえげつないほど鉄ヲタだったらしい。
スペインの作曲家やね。この人はかなりの割合ピアノ曲が多くて、本人も上手いピアニストだったみたい。スペインと聴いて思い浮かぶ熱情的なノリ、裏でカスタネット鳴ってそうなリズムがどの曲にもある。一部はギターソロに編曲されてたり。確かにスペインならそっちのが風情ある。スパニッシュギターっぽくね。
ロシアの作曲家やね。豪傑っぽい見た目からイメージ通りの曲調が繰り出されるぞ。まぁピアノやってると話題に上がるのは主に展覧会の絵なんだけども。軍人上がりのアル中で、酒の飲みすぎが原因で入院した際に友人に差し入れされたウォッカを飲んで死亡したらしい。ロシア人どないなってんねん。
まぁ他にもいるけどキリないからこれでいいや。
■近代
まぁこれもなんか第二次世界大戦前後くらいに活躍してた人を適当にまとめた感ある。正解がないと思う。
ロシアの作曲家やね。一番有名なのは「のだめ」のピアノ協奏曲2番とかになるんかな。とにかく体が大きな人で手もめちゃくちゃデカいピアニストだったので、それを生かしたスケールの大きな曲を作るのが得意。譜面見ると「コレどうやって弾くねん」ってツッコミいれたくなるわ。同時に鳴るわけない距離なんよ。凡人には。
ときおり演歌のように懐が深いメロディを繰り出してくるので、かなり日本人好みなんじゃないかなって思ったりする。
ハンガリーの作曲家やね。一番有名なのは、これも「のだめ」のアレグロ・バルバロかな。のだめ便利やな。
民族音楽由来のクセのあるメロディと変拍子が特徴だと思うで。プログレッシブロックとか聴ける人はここら辺の方がむしろハマるかもしれん。現代っぽい不協和音も多いけど、メロディとリズムがきちんとあるから、開き直れば割と聴きやすいと思う。弾くのは、難しいかなあ。あえていうなら、ルーマニア民俗舞曲とか異国情緒たっぷりで弾きやすいかもしれんの。
ロシアの作曲家やね。なんか最近ロシアが多いのは俺の趣味や。すまんの。生きてる間にコロコロ作風を変えたことで有名な作曲家で、初期はメロディがロシア風にエモくなったショパンのような曲を量産していたが、中期は印象派風の曲も作り出して後期は不協和音バリバリの現代チックな作風に転化していった。バンドなら3回くらいは音楽性の違いで解散しとる。
なのでどれが気に入るかはわからんが、どの時期でもエチュードを書いているのでそれつらーっと聴けばええんちゃうか。
■現代・・これも好事家しか知らんから今は覚えんでええわ。50年後残ってたやつを聞けばええと思う。
・どういう人?
フランス生まれ(1835-1921。七月王政~第一次大戦後)。小さいころは神童で、ピアノもオルガンも超一流で教養もあったすごい人。旅行も好きだった。オペラ、バレエ、合唱曲、あとは超絶技巧ものみたいな総合芸術が流行ってたフランスで、交響曲とかソナタみたいな堅苦しいジャンルをフランス人が書くならどうすればいいか模範を見せた。意識的に「フランス音楽」を作り上げた功績は大きいけど、長生きしすぎた(あと口が悪かった)せいで晩年は時代遅れ扱いを受けた。
・普通に有名な5曲
ザ代表作。交響曲とかいうドイツ語圏名産の重苦しい形式を、華、明快、節度が大事なフランス流の美学で仕立て直した金字塔。近いコンセプトのピアノ協奏曲第4番、ヴァイオリンソナタ第1番を聴いてみると、編成に合わせてどう曲想を変えてるかも楽しめる。
www.youtube.com/watch?v=eTsbgDBC4_k
サン=サーンスといえば協奏曲。ヴァイオリン協奏曲第3番とかチェロ協奏曲第1番も名作だけど、この曲は重厚な第1楽章、軽くて無邪気な第2楽章、情熱的な第3楽章とそれぞれ対照的な雰囲気が一度に楽しめる。
https://www.youtube.com/watch?v=tk_eqKUjDXE&list=OLAK5uy_kFlhz7yMPIyXhc1pQ-5NDDtQL0XezyFz8
若いころのサン=サーンスは「現代音楽家」で、古典を大事にもするけれど、形式の堅苦しさからは脱出しようとした。交響詩は当時最新鋭のジャンルで、死神のヴァイオリンとか、ガイコツを描写する木琴とか、ちょっと品のない表現もたくさん使って悪夢的な情景を表現しようとした意欲作。「オンファールの糸車」「アルジェリア組曲」もおすすめ。
www.youtube.com/watch?v=k1s28gmLicc
本人は発表を嫌がったっていうのもわかるけど、言いたいことを短く言い切る発想力と技術、やっぱりサン=サーンスだからこそ書けた作品だと思う。神秘的な「水族館」と馬鹿騒ぎの「化石」が個人的ハイライト。
www.youtube.com/watch?v=7SjagpXeNhM
サン=サーンスの堅いところと砕けたところが両方いい感じに出たオペラ。全部聴くと長い(でもオペラとしては短め)から、オリエントっぽさ満点の「バッカナール」が入ってて最後も派手な第3幕をとりあえず聴くといいと思う。異国趣味だとピアノ協奏曲第5番「エジプト風」の第2楽章とか、本人なりになんとか日本っぽさを出そうとがんばった「黄色の王女」も面白い。
www.youtube.com/watch?v=GNa8HOMcDvk
・そんなに有名じゃない(好きな人はたぶん知ってる)5曲
20代半ば、1860年ぐらいはサン=サーンスが最初に輝きはじめた時期だと思う。自分はこの曲が一番好きだけど、序奏とロンド・カプリチオーソ、ピアノ協奏曲第1番、交響曲第2番、チェロとピアノのための組曲 作品16、冒険心と若々しい覇気を感じる秀作ばかり。
https://www.youtube.com/watch?v=J34_SiyzsUw&list=OLAK5uy_nfoGOwtSlxkICv6SpIOPGmTsLh7soAVnU
ドイツっぽいド根性(ベートーヴェンとかブラームスとかワーグナーとかそういうやつ)はサン=サーンスの持ち味とは違うけど、この曲は珍しくベートーヴェンっぽい激しさ、硬質なかっこよさが味わえる。普仏戦争でドイツに負けて、自分たちのとこでも交響曲とかソナタとか作ってやろうと奮起した時期の曲だからだろうか。いわゆる「精神性」「深み」みたいなのは、「糸杉」作品156とかクラリネットソナタの第3楽章とかにある。
https://www.youtube.com/watch?v=AU2Eq1jKJGE&list=OLAK5uy_najeRAiKZJwnS2_n9wzLaYdgzMiOZ1RtY
ピアノの名人だったからピアノソロの曲もたくさんあるけど、楽器が身近すぎたからか良くも悪くも一瞬のひらめきで書いてて、波長が合わないといまいちアガらない。むしろ2台ピアノのほうが頭を悩ませながら作ったみたいな感じがあって工夫を楽しめる曲が揃ってる。この曲は優雅なワルツが軸なんだけど、ちょっと気を抜くと不穏な世界があるみたいな前衛的なシュールさもあって面白い。
www.youtube.com/watch?v=wNc7UNFcPMA
「オルガン付」で一度総決算して一息ついたあとの60代(20世紀に入る前後)は完成した作曲技術をつぎこんだ、地味だけど傑作の森だと思う。ヴァイオリンソナタ第2番、チェロ協奏曲第2番、弦楽四重奏曲第1番とかを経てこの曲はヴァイオリンとチェロの二重協奏曲。どこをとってもいい音楽を聴いてるなあと思う。
www.youtube.com/watch?v=wDT21gGt9FQ
そして死んだその年の曲。年をとって無邪気になるというか、どっか遠いとこを見るようになる作曲家はいろいろいるけど、86の爺さんはやっぱり格が違う。もう思い残すことはなさそうな感じ。クラリネットソナタとファゴットソナタと合わせて三部作だからそっちもぜひ聴いてほしい。
『BADDAY』『星逢一夜』『金色の砂漠』と進んできたけどなんかしっくりこなかった因数分解したい。
『金色の砂漠』は最初花乃さんが明日海さんに(もうそれぞれの役名忘れた)死罪を言い渡すのがしっくりきてなくて、友人に話すうちにしっくり答えが見つかって、ああやっぱすごいなあと思ったから。
それから、『fff』に向けてという意味もある。上田久美子氏のクラシック音楽に材をとったものは、もしかして自分受け付けないんじゃないか、いやいやいや、せっかくだから受け付けるようにしておきたい、みたいな?
『金色の砂漠』を見たあとに、改めて上田久美子氏についてグーグル先生に尋ねたところ、宝塚への見方(昭和なことしててすごい、この文化は途絶えさせてはいけない)、東京と労働への考え(東京砂漠という表現と稼いで使ってという燃費の悪さ)が自分と同じで驚いた。そして単純計算して、自分の1つ年下か、ということも弾き出した。出身大学もまあ、親戚みたいなもんだ(言い過ぎか)。
ブラームスのイメージは、昔友人が言っていた「俺らの大学の気質に合ってるんだよ、クララにひそかに恋しちゃったりしてじとじとしてるところが。あと真面目。交響曲こだわりすぎて4曲しか作れなかった。」「交響曲第4番ほんともうスコアの見た目からして美しい(確か。ベートーヴェンの5番と共にこの2曲を挙げてた)」。
それから、ビジュアルイメージも完全に髭面のそれだった。若いときのやつあんまり記憶になかった。
自分の携帯に入ってる唯一の交響曲が、ヴァントのブラームス交響曲3番だった(あ、最近幻想交響曲入れたんだった)(ヴァントにこだわりがあるわけではない。Kugouの中で選んだ)。交響曲1番、4番はメジャーすぎ(というか主張が強いのかな、メロディラインというか)、2番は自分にとって手垢が付きすぎているため。
あ、あと、暗くてじとじと、とはいえ、交響曲1番1楽章とか激しい。
まあとにかく、やっぱ気質なのか、あとはミュールフェルトのおかげか、自分にとっては1馬身出てる作曲家。
シューマンは、交響曲4番(のVnソロ笑)。あと『子供の情景』の<知らない国々>だ。自分の体験としては夢々しい、というイメージ。だけど、これも別の友人が言っていた、シューマンを聞きだしたら、闇落ちしていることに気がつく、と。
ヨハネス・ブラームス、クララ・シューマン、ロベルト・シューマン、ヨーゼフ・ヨアヒム
知ってる人らだからと油断していたら名前わからなくなった罠。ヨハネス、クララ、ロベルト、ヨーゼフ。
ヨーゼフは、フランツ・ヨーゼフ1世と混ざる…。
【】翼ある人びと
1838年:『子供の情景 Op.15』『クライスレリアーナ Op.16』
1841年:シューマン『交響曲第1番 Op.38』。シューマン交響曲第4番初演するもイマイチ(メンデルスゾーン体調不良によりフェルティナンド・ダーヴィトが指揮)、出版されず。
1846年:長男エミール誕生【秋音光】。シューマン『交響曲第2番 Op.61』
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1853年(ブラームス20歳、クララ34歳、シューマン45歳、ヨアヒム22歳、リスト42歳、ワーグナー40歳、フランツ・ヨーゼフ1世23歳)
10月:いっぱい滞在。初旬にシューマンが『ヴァイオリン協奏曲 d』を作曲するもヨアヒムが封印(21世紀に入り、ワーグナーを先取りしたような斬新な和声の使用などの先見性が評価されるようになった)。
秋頃(それ以前という説もあり):『ヴァイオリンソナタ』シューマンは出版を提案するもブラームスの判断で破棄
11月:シューマンのもとに『ピアノソナタ3番 Op.5』の譜面が送られている
12月17日:『ピアノソナタ第1番 Op.1』初演@ライプツィヒゲヴァントハウス。シューマンの紹介でブライトコプフから出版、ヨーゼフ・ヨアヒムへ献呈。シューマンは当初別の作品を作品1として出版することを提案していた。
12月30日:シューマン『交響曲第4番(改訂版)Op.120』初演(現在一般的に演奏されるのはこれ。翌年出版はするがあまりハネなかった模様)
2月27日:シューマン投身、エンデニヒの精神病院へ。ブラームスデュッセルドルフへ駆けつけ、シューマン家を助ける。クララとの距離近づく。
春?:『ハンガリー民謡の主題による14の変奏曲 Op.21-2』
6月:四男(末子)フェリックス誕生【次男、花菱りず】。ブラームスが名付け親。ブラームスの子供説あり。ロベルトによく似ていてクララもとても可愛がる。
夏:『4つのバラード Op.10』この曲集の作曲とほぼ同時期にクララへの生涯にわたる愛が始まっている。
1855年:クララを手紙の中で「君」と表現。『2つのガヴォット』『2つのジーグ』『2つのサラバンド』『ベートーヴェンピアコン4番のカデンツァ』『格言(この欺瞞の世界で)』。交響曲第1番着想(シューマンの『マンフレッド序曲』を聞いて)。
1856年『フーガ』『前奏曲とフーガ a』『モーツァルトピアコン20番のカデンツァ』『キリエ』『ミサ・カノニカ』
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1857年:『前奏曲とフーガ g』『子供のための14の民謡』『モーツァルトピアコン17番のカデンツァ(着手)』
1858年:25歳の時、友人の家で知り合ったアガーテ・フォン・ジーボルトと婚約。『セレナード第1番 Op.11』
1859年:結婚生活が音楽活動の制約となることを恐れて婚約破棄
1861年:『シューマンの主題による変奏曲 Op.23』ユーリエへ献呈。
1863年:エリザベート・フォン・シュトックハウゼンがブラームスに弟子として受け入れるも、ユリウス・エプシュタインに送り返している(彼女のまれにみる美貌と才能のため必要以上に惹かれてしまうことを恐れてか、エプシュタインへの配慮か)。
1867年:オーストリア=ハンガリー二重帝国誕生。戴冠式@マーチャーシュ協会のミサ曲はリストが作曲。
1869年:36歳の時、ユーリエに心を寄せるも内気ゆえいつもの癖で気持ちを打ち明けられずにいるうちにクララがイタリアのラディカーディ・ディ・マルモリートからのユーリエへの求婚を容れて婚約させてしまい、ブラームスは怒りをもって『アルト・ラプソディ(ゲーテの「冬のハルツの旅」からの断章)Op.53』を作曲(別のサイトの表現では、プロポーズを承諾したときににわかに不機嫌に。『アルト・ラプソディ』はユーリエへの嘆きの歌)。
1876年:『交響曲第1番 Op.68』21年の歳月をかけ完成。
1876or7年 *43歳:「結婚すればよかったと思うこともある。……しかし適齢期のころには地位はなく、いまでは遅すぎる」と友人に語った
1879年:フェリックス病没。悲しみにくれるクララを慰めるため、ブラームスは『ヴァイオリン・ソナタ第1番<雨の歌>Op.78』を作曲。クララ「この曲を天国に持って帰りたい」。また同時期にフェリックスの詩に付曲(Op.86-5)。
1883or4年 *50歳:コントラアルト歌手ヘルミーネ・シュピース(23歳年下)に出会い歌唱力の素晴らしさと女性としての魅力に惹かれるが結婚にまでは踏み切れず。
1889年:フランツ・ヨーゼフ1世から「芸術と科学のための金の大勲章」を授かる。暮れに謁見。シューマン交響曲第4番初稿版を再演(クララは改訂版派だった)
1890or1年 *57歳:コントラアルト歌手バルビと出会って音楽家としての魅力に惹かれる。
1891年:『クラリネットクインテット Op.115』@バート・イシュル夏。シューマン交響曲第4番ブラームスヴェルナー校訂版出版、世に知られるようになる。
1893年:『シューマン全集』刊行(ブラームスとクララで編纂)
5月07日:『4つの厳粛な歌 Op.121』完成。辞世の作品とみなされている。
5月20日:クララ没(76歳)。埋葬式のあと体が衰弱し、肝臓癌であることがわかる。
6月:『11のコラール前奏曲 Op.122』@イシュル。第11曲「おお、この世よ、われ去らねばならず」。作品を書き終えたブラームスの健康は日に日に衰えていく。医者の治療を受けても病状は一向によくならず。
1937年:シューマンの『ヴァイオリン協奏曲 d』がヨアヒムの蔵書から発見される
※出典:ウィキペディアとか奇特な方のブログとかブラームスインスティテュートとか、、余力があれば追記…。
あと書籍類もぼちぼち読んでいきたい
あと映画も
結構ブコメで「paypay銀行になると取引先への振り込みや事業用の口座として使うのが恥ずかしい」というのが多かったが、
こういう人は何も考えずにネットバンクに事業用の口座を作ってしまった人だと思う。
それほど支店名がひどい
鳥の名前。適当につけたんだろうけど、すずめとはやぶさの落差がひどい。事業用の口座で「すずめ支店」とかなってたら恥ずかしくない?すぐ踏みつぶされそう
すずめ
ふくろう
あか支店
きいろ支店
あお支店
むらさき支店
・楽天銀行
音楽系。ダンス支店とかマンボ支店とか書かれてたらふざけてんのかと思う
エンカ支店
誕生月の宝石なんだけど、ポケモン臭がするので逆にガキっぽい感じ
食品。ひらがな表記のものは楽天銀行に次ぐふざけてんのかシリーズ
おもち
おべんとう
果物。カタカナ表記なのでローソンよりはマシだが「バナナ支店」はゴリラでもいるのかと連想してしまう
多すぎるし以下参照。一貫性がなさすぎる。何も考えてなさそうな感じしかない
https://gmo-aozora.com/contents/code-branch.html
・結論
paypay銀行になるのが嫌だ、とか言ってる人は最初からネット銀行で口座作らずに大手銀行で口座作っておけばよかったので総じてアホ
ららマジというコンテンツがある。「キミと奏でる、音と魔法の学園RPG。」だそうだ。こんなこと言ってる時点でもう丸わかりだが、完全なる未プレイのままこれを書いている
そして自己紹介をすると、クラシックオタである。オタクと言ってもどれくらいかという話だが、バッハからギリギリウェーベルンまでと言った感じである
(ルネサンスの完全ポリフォニー音楽は正直よくわからんし、ウェーベルンで十二音音楽がギリギリって程度で、ベルクとか分からんし、セリエル音楽とか完全にダメである)
まあ要はクラシックオタとしては及第点ぐらいなのではないかという感じだ。自分で思っているだけだが、流石に新ウィーン楽派必修はキツすぎるしこんなもんだろう
そして、ららマジの存在は知っているのだが、それ故に全く手を付ける気になれない
要はミリヲタが艦これに文句つけてるアレである。知ってるとどうしたってアラが見えてしまうのだ
というわけで以降アラをあげつらう。ただ、最初に書いておくが、クラシックを題材に据えてくれたことそれ自体には感謝したい。大概な過疎界隈なので…
まず最初に引っかかったのがこれである。ワグナーチューバ専がいたのだ。おそらく人類初のワグナーチューバ専の演奏者ではないか?
どういうことか説明する。ワグナーチューバとかその名の通りリヒャルト・ワグナーが導入した楽器である
問題はその役割である。ワグナーチューバというのは、端的に言うとホルン奏者が持ち替えで吹くチューバ、要は補助楽器なのである
まず楽曲に登場する際もその様な管弦合奏の中での役割しか無い。無論ワグナーチューバの独奏曲なるものも地上には殆ど存在していないと思われる
ワグナーチューバ専の彼女が何の為に生きているか深刻に謎なのだ。もっと彼女の存在意義を明らかにして欲しい
単にワグナーチューバがちょっと奇を衒ったチョイスだと思ってこんなことをしたのなら…正直それは最もオタクが憎むところである
さっきの発想を拡大していけば自然とこういう結論が導き出されるのだ
まず編成が滅茶苦茶である。ワグナーチューバは勿論だが、なぜか胡弓がいる。譚盾でもやるのか?
ピッコロ・フルート奏者と、ファゴット・コントラファゴット奏者とそれぞれ別々ににいるし、オーボエもいないのになぜかイングリッシュホルンがいる
というか弦楽合奏の縁の下の力持ち、ヴィオラがいない。クラシックやる気ねえだろお前
まず、各楽器一人づつしかいないのが致命的におかしい。これで合奏なんかできるわけないじゃないか
一応確認してみたが、弦楽合奏はヴィオラが居ないのでまずどの編成も無理だし、金管五重奏をやるにはチューバがいないし
オーボエも居ないので木管五重奏も出来ない(イングリッシュホルンの奴を強制的にオーボエに持ち替えさせればイケなくはないが)
率直に言ってこの部活、端から演奏活動をする気があるとは思えないのである。演奏活動をしない音楽部ってなんだ?
まだ楽器弾けないクラシックオタが放課後に集まって一緒にクラシック聞く方がよほど真面目に部活動してると言えそうである
まず何のチューナーなのかが全く聞こえてこない。そこ、いちばん重要な情報である
…が、状況を見れば十中八九ピアノの調律師であろう。そうすると次の問題が出てきて、器楽部なんかで遊ばずにピアノ調律師の専門学校へ行けということだ
ピアノの「チューニング」自体は、実は器具さえあればクソ簡単である。あれは打弦楽器であり、本質的にギターのチューニングと同じなんだから当然だ
ピアノ「調律」のミソはピアノ全体の調整、とりわけハンマーの調整である。逆にここは素人が立ち入れるところでは全く無い
というかピアノ調律師は国家資格なのである。苟もこんな場所で遊んでいる暇などないはずなのだ
(ただ、ピアノ調律師なのではないかという推測は、チューナーくんがあれほどモテモテな事実への一つの根拠となる気がしている
ピアノ調律師はピアノ全体の調整をやらなきゃいけない都合上、一定程度のピアノ演奏の腕を持っていると考えていい
…そうピアノ奏者である。室内楽をやりたい器楽部に致命的に欠けていたピアノ奏者がここにいるのだ
ピアノとの二重奏による室内楽ソナタというのは各楽器に果てしなくあり、というかほぼその楽器の独奏曲レパートリーと言っていい
ピアノ演奏ができる、そして部員としてそれぐらいしかすることのないチューナーくんは引っ張りだこになること請け合いなのである)
ここまではららマジの方に100%非があることだと思っているが、これはららマジの方の非が50%、この増田の方の非が50%ぐらいだと思う
その前置きをした上で言うが、ららマジの曲チョイスはクラシックへの愛が欠片も感じられず、はっきり言って嫌悪感がするのである
Act 1「いばら姫」:バレエ音楽「眠れる森の美女」(チャイコフスキー)
Act 3「どうにもとまらない」:「どうにもとまらない」(山本リンダ)
Act 4「マイフェアレディ」:ミュージカル「マイ・フェア・レディ」(フレデリック・ロウ)
Act 5「ある晴れた日に」:歌劇「蝶々夫人」(プッチーニ)
Act 7「マランドリーノ」:喜歌劇「怪盗団/山賊の仕業」(スッペ)
Act 9「美しく蒼きドナウ」:「美しく青きドナウ」(ヨハン・シュトラウス2世)
Act 11「ハッピーアンバースデイソング」:映画「ふしぎの国のアリス」(オリバー・ウォレス)
Act 12「カノホナピリカイ」:フラソング「カノホナピリカイ」(ケアリィ・レイシェル編曲)
クラシック好きと言うのはガチの選民思想的なところがあり、こういう事をされると相当カチンと来るのである
そんなPOPなチョイスしたいなら吉松隆でも選べばいいじゃないか
数少ないクラシックのチョイスにしても、スッペの怪盗団を選んだ所以外全く評価できるところがない
24の前奏曲から第15番を選び、更にそれに「雨だれ」の題名を冠するのとか最悪である
今どきベト5を「運命が扉を叩く音」と言い出すぐらい古臭い最低なセンスである
音楽を、ただ音楽それ自体を聴いてくれ。エピソードはそれをやったもののみが語るべき要素である
毎週熱心に見入っているアニメ「響け!ユーフォニアム」も、気がつけばあと1話でおしまいである。
この作品、プロ・アマ問わず音楽に取り組んだことのある人、更に部活に明け暮れた経験のある人は否応なく引き込まれるのでは?と思わされる。
とにかく京アニブランドの名に恥じない、とんでもなく作り込まれた傑作であり、見どころも沢山あるのだが、その一つはなんといっても滝先生。
主人公たちが所属する弱小吹奏楽部に赴任するや否や、どこまでも紳士的な物腰と笑顔で効率よく、かつ凄まじい勢いで部員たちを引っ張り上げ、それまでのどこかダラっとした集団を、コンクールを戦い抜くガチグループに変えてしまった顧問である。
巷では「あんな人が指導者だったらなあ」という声も少なからず聞こえてくる。
自分も何となくそんな気分でいたのだが、よく周囲を見渡してみたらリアルでそういう人がいた。
既に習い始めて数年経っているせいでそのスタンスに慣れてしまっていたが、振り返ってみるとかなり衝撃的な教え方だったので、それをつらつらと書いてみる。
赴任早々、滝先生は部員たちを集め「どのレベルまで行きたいか」選ばせ、そこで部員たちが大した考えもなく、かなりいい加減な流れで「全国を目指す」と決めてしまったことから、先生の猛特訓が始まる。
翻って自分の場合、レッスンを再開するのは大学受験を機に止めて以来だったが、今思えばなんとも身の程知らずというか、「○○の協奏曲と✕✕のソナタをやりたい」と言ってしまったため、ガチのメニューが始まった。曰く
「実はそんな厳しくやらず『いいですよ~よく出来ましたね』とひたすら言って楽しく教える方法もあるのですが、増田さんがやりたい曲は本当に上手くならないと出来ません。
そして本当に上手くなりたいのであれば、私もそうそう甘い顔はしません(にっこり)」
さて、レッスン再開当時の自分は、高校まで習っていた分の貯金を相当食い潰しテクニック的に荒れ放題、かなりアクの強い音を平気で出すレベルに落ちぶれていたのだが、一番まずかったのはその場のノリと勢いだけで演奏してしまうこと。
それの何が問題か分からなかった自分に、先生は「増田さんの演奏を真似してみますので見ていて下さい」と、自分の楽器を借りて再現してみせた。
そのあまりに破廉恥な音に、しまいには「もう勘弁して下さい」と言って止めてもらったが、ショックで帰宅後泣いた。まさしく「悔しくて死にそう」だった。
それに限らず、あの頃は毎回レッスンが終わるたび「あー今日も上手く出来なかったなー」と思いながら家路についていた。
帰ってからの練習は悩むを通り越し、真剣に苦しんだ。「まだ音が荒い、一体どうしたら・・・」と試行錯誤の日々だった。
また先生は自分の特性を見抜き、かなりフレキシブルな教え方をしてくれている。
例えば練習メニュー。
普通器楽でも声楽でも、練習と言ったら基礎練と曲練がセットである。そうじゃない練習なんて聞いたことがなかった。
それもさらう曲は全てコンサートピース級の名曲ばかりで、さらう過程で問題が出てきたら、問題箇所のため部分的にロングトーンとかの基礎をやってみるという練習方法。
こちらとしてはそんな思い切った練習では不安なので基礎練はしないのか訊いてみたところ、こう返された。
「生徒さんにも基礎練で伸びる人と伸びない人がいますが、増田さんは基礎練では伸びないと思います。
多分増田さんは基礎練のスケールやエチュードをやっつけでこなすタイプでしょう?
その先にあるのは曲練もやっつけ、更には本番もやっつけ・・・それだと何のために演奏しているんだ?という話になります。
レッスンを止めた後、そうやってどんどん音が荒れていったのではないでしょうか。
ですから基礎練はやらなくていいので、その分曲練に集中して下さい。
そもそも曲が仕上がることが一番の目的なのですから、だったら直接曲に取り組むほうが分かりやすいでしょう。
技術は演奏出来るようになるために、必要に応じて身に付けていけばいいのです。
その代わり、一音たりともいい加減な音を出すことは許しません。
どういう音を出したいかきちんと頭でイメージし、それが音になるまで一切妥協せずさらってきて下さい」
・・・とまあ、そんな感じでレッスンを受け続けた結果、どうなったか。
これ以上ないくらい厳しい目で見ている先生をして
「半年でここまで出来るなんて、順応性が良すぎて逆に出来てるか疑いたくなります」
「一年前とは別人です。以前どんな音で増田さんが演奏していたか忘れてしまいました」
と、そんな褒められ方生まれて初めてというアウトプットを得られた。
この先生は本物だ!と思い知らされた。
そうは言っても、目指す高みはまだまだ遠い。
でも結果が出ていると意外と気にならなくなるのだから、「人は単純だ」。
わたしの職場に、自他ともに認めるクラシック・マニアがいる。近・現代の作曲家は一通り聴いているというが、中でもお気に入りはスクリャービンで、携帯の着信音とアラームには「神秘和音」が設定してあるくらいだ。
その彼が、最近、急にジャズに興味を持つようになった。なんでも娘さんが部活でサックスを始めたのがきっかけらしい。彼の机には娘さんの小さいころの写真が立てかけてあるが、父親と血がつながっているとは思えないかわいらしさだ。パパだってジャズくらい分かるんだぞ、ということにしたいのかもしれない。
彼はわたしがジャズ・ギターを弾くことを知っている。音楽に関して(だけ)は寛容なので、各種イヴェントの際には有給を消化しても嫌な顔ひとつしない。
「ちょっと私用なんだが」と彼は言った。「こんどの休みは空いてるか? お前の好きなジャズのCDを10枚くらい持ってきてくれ。うちのオーディオで聴こう」
「CDならお貸ししますよ」とわたしは答えた。特に予定はないが、できれば休日はゆっくり寝ていたい。
「まあそう言うなよ」と彼はつづけた。「プレゼンの訓練だと思えばいい。ジャズの聴きどころを存分に語ってくれ。昼はうなぎを食わせてやるぞ。それとも――」
「それとも?」
「もう有給は当分いらないということか?」
こうして、わたしは休日をつぶして彼の家を訪ねることになった。どのCDを持っていくかはなかなか決められなかったが、一日でジャズの百年の歴史を追いかけるのは無理だと割り切って、わたし自身がジャズを聴き始めた高校生のころ――もう15年も前の話だ――に感銘を受けたものを選ぶことにした。マイルス・デイヴィス『カインド・オブ・ブルー』、ビル・エヴァンス『ワルツ・フォー・デビー』、ジョン・コルトレーン『ジャイアント・ステップス』はもうコレクション済みだということだったので、それら以外で。
手土産の菓子と20枚ほどのCDを抱えて最寄駅に着くと――結局10枚には絞り込めなかった――彼の車が目に留まった。
「きょうは夕方まで家に誰もいないからな。気兼ねしなくていい」
「そうでしたか」
「いるのは猫だけだ」
「猫? 以前お邪魔したときには見かけませんでしたが」
「公園で拾ってきたんだ」
「娘さんが?」
「いや俺が。子供のころに飼っていた猫とよく似ていたものだから」
ノラ猫を拾う人間と、ショスタコーヴィチの交響曲全集を部下に聴かせて感想を求める人間が、ひとりの男の中に同居している。この世界は分からないことだらけだ。
「ちーちゃん、お客様にご挨拶だ」と彼は居間の扉を開けながら言った。ちーちゃんと呼ばれた白い猫は、こちらを一瞬だけ見るとソファのかげに隠れてしまった。そそくさと。
「ご機嫌ななめだな。まあいい。そっちに掛けてくれ。座ったままでディスクを交換できるから。いまコーヒーを淹れてくる」
――これ以降は対話形式で進めていきます。
( ・3・) さっそく始めよう。
――マイルスについてはご存じだと思いますが、次々に作風を変化させながらジャズを牽引していった、アメリカの文化的ヒーローです。デューク・エリントンはマイルスについて「ジャズのピカソだ」と述べました。
――はい。その作品の後に注目したいんですが、60年代の半ばに、ウェイン・ショーターというサックス奏者がマイルスのバンドに加わります。この時期の録音はひときわ優れた内容で、ジャズのリスナーやプレイヤーからはヒマラヤ山脈のように見なされています。
Prince of Darkness (1967) http://youtu.be/-wckZlb-KYY
( ・3・) ヒマラヤ山脈か。空気が薄いというか、調性の感覚が希薄だな。テーマの部分だけでも不思議なところに臨時記号のフラットがついている。
――主音を軸にして、ひとつのフレーズごとに旋法を変えています。コードが「進行」するというよりは、コードが「変化」するといったほうが近いかもしれません。
( ・3・) ピアノがコードを弾かないから、なおさら調性が見えにくいのかもしれないな。
――はい。余計な音をそぎ落とした、ストイックな演奏です。
( ・3・) 体脂肪率ゼロ。
――マイルスのバンドには一流のプレイヤーでなければ居られませんから、各々が緊張の張りつめた演奏をしています。
Nefertiti (1967) http://youtu.be/JtQLolwNByw
――これはとても有名な曲。ウェイン・ショーターの作曲です。
( ・3・) テーマで12音をぜんぶ使ってるな。
――覚めそうで覚めない夢のような旋律です。このテーマがずっと反復される。
――ボレロではスネア・ドラムが単一のリズムを繰り返しますが、こちらはもっと自由奔放ですよ。ドラムが主役に躍り出ます。
( ・3・) おお、加速していく。
――テンポ自体は速くなるわけではありません。ドラムは元のテンポを体で保ったまま、「そこだけ時間の流れ方がちがう」ような叩き方をしています。
( ・3・) ドラムが暴れている間も管楽器は淡々としたものだな。
――はい。超然とした態度で、高度なことを難なくやってみせるのが、このクインテットの魅力ではないかと思います。
Emphasis (1961) http://youtu.be/QRyNUxMJ18s
( ・3・) また調性があるような無いような曲を持って来よって。
――はい。この曲は基本的にはブルースだと思うのですが、テーマでは12音が使われています。ジミー・ジューフリーというクラリネット奏者のバンドです。アメリカのルーツ音楽と、クラシックとの両方が背景にあって、実際に演奏するのはジャズという一風変わった人です。
――ドラム抜きの三人のアンサンブルというアイディアは、ドビュッシーの「フルート、ヴィオラとハープのためのソナタ」に由来するそうです。
( ・3・) いいのかそれで。ジャズといえば「スウィングしなけりゃ意味がない」んじゃなかったのか?
――スウィングしたくない人だっているんですよ。といっても、ベースはフォー・ビートで弾いていますが。
( ・3・) これが録音されたのは……ええと、1961年か。ジャズもずいぶん進んでいたんだな。
――いえ、この人たちが異常なだけで、当時の主流というわけではありません。さっぱり売れませんでした。表現自体は抑制・洗練されていて、いかにも前衛というわけではないのに。同じ年のライヴ録音も聴いてみましょうか。
Stretching Out (1961) http://youtu.be/2bZy3amAZkE
( ・3・) おい、ピアノの中に手を突っ込んでるぞ。(3分16秒にて)
――まあ、それくらいはするでしょう。
( ・3・) おい、トーン・クラスターが出てきたぞ。(4分16秒にて)
――それでも全体としては熱くならない、ひんやりした演奏です。
――さて、次はエリック・ドルフィー。作曲の才能だったり、バンドを統率する才能だったり、音楽の才能にもいろいろありますが、この人はひとりの即興プレイヤーとして群を抜いていました。同じコード進行を与えられても、ほかのプレイヤーとは出てくる音の幅がちがう。さらに楽器の持ち替えもできるという万能ぶり。順番に聴いていきましょう。まずアルト・サックスから。
Miss Ann (1960) http://youtu.be/7adgnSKgZ7Q
( ・3・) なんだか迷子になりそうな曲だな。
――14小節で1コーラスだと思います。きちんとしたフォームはあるのですが、ドルフィーはフォームに収まらないようなフレーズの区切り方でソロをとっています。1小節ずつ意識して数えながらソロを追ってみてください。ああ、いま一巡してコーラスの最初に戻ったな、とついていけたら、耳の良さを誇ってもいいと思いますよ。
Left Alone (1960) http://youtu.be/S1JIcn5W_9o
――次はフルート。
( ・3・) ソロに入ると、コード進行に対して付かず離れず、絶妙なラインを狙っていくな。鳥の鳴き声というか、メシアンの「クロウタドリ」に似ている。
――鳥の歌に合わせて練習していたといいますから、まさにメシアンです。あるいはアッシジのフランチェスコか。ほかにもヴァレーズの「密度21.5」を演奏したり、イタリアのフルートの名手であるガッゼローニの名前を自作曲のタイトルにしたり、意外なところで現代音楽とのつながりがあります。
参考 Le Merle Noir (Messiaen, 1952) https://youtu.be/IhEHsGrRfyY
It’s Magic (1960) http://youtu.be/QxKVa8kTYPI
――最後にバスクラ。吹奏楽でバスクラ担当だったけど、主旋律で活躍する場面がなくて泣いてばかりいた方々に朗報です。
――いえ、当時、長いソロを吹いた人はあまりいませんでした。
( ・3・) バスクラ自体がめずらしいという点を措いても、独特な音色だな。
――村上春樹の『ねじまき鳥クロニクル』にこんなくだりがあります。「死の床にあるダライ・ラマに向かって、エリック・ドルフィーがバス・クラリネットの音色の変化によって、自動車のエンジン・オイルの選択の重要性を説いている……」
( ・3・) どういう意味?
――楽器の音が肉声のようにきこえる。でも何をしゃべっているのかはよく分からないという意味だと思います。あと、ミニマリズムの作曲家のスティーヴ・ライヒはバスクラを効果的に使いますが……
( ・3・) 「18人の音楽家のための音楽」とか、「ニューヨーク・カウンターポイント」とか。
――はい。彼はドルフィーの演奏を聴いてバスクラに開眼したと語っています。 [1]
――真打登場です。サックス奏者のオーネット・コールマン。50年代の末に現れて、前衛ジャズの象徴的な存在になった人です。といっても、難しい音楽ではありません。子供が笑いだすような音楽です。ちょっと変化球で、70年代の録音から聴いてみましょう。
Theme from Captain Black (1978) http://youtu.be/0P39dklV76o
――ギターのリフで始まります。
( ・3・) あれ、ベースがおかしなことやってるな。キーがずれていくぞ。
――はい、各パートが同時に異なるキーで演奏してもいいというアイディアです。イントロのギターが床に立っている状態だとすると、ベースは重力を無視して、ふらふらと壁や天井を歩きだす。
( ・3・) 複調を即興でやるのか?
――どのていど即興なのかはわかりません。コンサートに行ったことがあるのですが、譜面を立てて演奏していましたよ。でも、別にダリウス・ミヨーに作曲を教わったというわけではなくて、アイディアを得たきっかけは些細なことだったんじゃないでしょうか。たとえばサックスが移調楽器であることを知らなかったとか。「なんかずれてるな、でもまあいいか」みたいな。
( ・3・) それはいくらなんでも。もし本当だったら天才だな。
Peace (1959) http://youtu.be/bJULMOw69EI
――これは初期の歴史的名盤から。当時、レナード・バーンスタインがオーネットを絶賛して、自分がいちばんでなければ気のすまないマイルス・デイヴィスがたいそう機嫌を損ねました。
( ・3・) さっきのに比べると普通にきこえるが……
――1分40秒あたりからサックスのソロが始まります。集中してください。
( ・3・) (4分12秒にて)ん? いま、俺の辞書には載っていないことが起きた気がするな。
――ここはいつ聴いても笑ってしまいます。そのタイミングで転調するのか、脈絡なさすぎだろうって。ソロをとりながら、いつでも自分の好きな調に転調していいというアイディアです。
( ・3・) 言うは易しだが、真似できそうにはないな。
――どの調に跳んだら気持ちよく響くか、という個人的な経験則はあるはずです。突飛な転調でも、「これでいいのだ」といわれれば、たしかにその通り、すばらしい歌ですと認めざるを得ません。
――お昼はうなぎだと聞いておりましたが。
( ・3・) そのつもりだったんだが、いつの間にか値段が高騰していてな。「梅」のうなぎよりも、うまい天ぷら蕎麦のほうがいいじゃないか。
――この人も、オーネット・コールマンと同じくらい重要なミュージシャンです。テキサス出身のオーネットに対して、セシル・テイラーはニューヨーク出身。都市と芸術の世界の住人です。ピアノを弾くだけではなくて、舞踊や詩の朗読もします。これは1973年に来日したときの録音。
Cecil Taylor Solo (1973) http://youtu.be/X7evuMwqjQQ
( ・3・) バルトークとシュトックハウゼンの楽譜を細かく切って、よくかき混ぜて、コンタルスキーが弾きましたという感じだな。70年代にはずいぶん手ごわいジャズも出てきたんだ。
――いえ、テイラーは50年代から活動しています。チャック・ベリーやリトル・リチャードと同じ世代。この人が異常なだけで、当時の主流ではありませんが。さっきも似たようなことを言いましたね。
( ・3・) このスタイルでよく続けてこられたな。
――継続は力なり。2013年には京都賞を受賞して、東京でもコンサートがありました。
( ・3・) どうだった?
――会場で野菜を売っていたので、買って切って食った。
――文字通りの意味なのですが、それについては別の機会にしましょう。演奏の話に戻ると、混沌と一定の秩序とがせめぎあって、台風のさなかに家を建てている大工のような趣があります。「壊す人」というよりは「組み立てる人」です。また、あるフレーズを弾いて、復唱するようにもういちど同じフレーズを弾く箇所が多いのも特徴です。
( ・3・) いちどしか起こらないことは偶然に過ぎないが、もういちど起こるなら、そこには何らかの構造が見えてくるということか。
参考 Klavierstücke (Stockhausen, rec. 1965) http://youtu.be/mmimSOOry7s
――きょう紹介するのは北米の人ばかりなのですが、デレク・ベイリーは唯一の例外で、イギリス人です。さっそく聴いてみましょう。これも日本に来たときの録音。
New Sights, Old Sounds (1978) http://youtu.be/nQEGQT5VPFE
( ・3・) とりつくしまがない……。
――そうですか? クラシック好きな方には思い当たる文脈があるはずですが。
( ・3・) 無調で点描的なところはヴェーベルン。でも対位法的に作曲されたものではないみたいだ。あと、初期の電子音楽。ミルトン・バビットとか……。
――模範解答です。
( ・3・) でも即興でヴェーベルンをやるというのは正気の沙汰とは思えんな。
――即興の12音技法ではありません。それは千年後の人類に任せましょう。ベイリーがやっているのは、調性的な旋律や和音を避けながら演奏することです。最初に聴いたマイルス・デイヴィスも緊張の張りつめた音楽でしたが、こちらも負けず劣らずです。文法に則った言葉を発してはいけないわけですから。
( ・3・) 「どてどてとてたてててたてた/たてとて/てれてれたとことこと/ららんぴぴぴぴ ぴ/とつてんととのぷ/ん/んんんん ん」
――ちょっと意味が分かりませんが。
( ・3・) 尾形亀之助の詩だ。お前も少しは本を読んだらどうだ。それはともかく、こういう人が観念的な作曲に向かわずに、即興の道に進んだのは不思議な気がするな。
――いちプレイヤーとして生涯を全うしたというのは重要で、ベイリーの音楽はベイリーの体から切り離せないと思います。彼の遺作は、病気で手が動かなくなってからのリハビリを記録したものでした。
( ・3・) プレイヤーとしての凄みが音楽の凄みに直結しているということか?
――はい。技術的にも高い水準のギタリストでした。無駄な動きのない、きれいなフォームで弾いています。気が向いたら動画を探してみてください。
( ・3・) まあ、ギター弾きのお前がそう言うなら上手いんだろうな。
――楽器の経験の有無で受け止め方は変わってくるかもしれません。ジャズ一般について言えることですが、鑑賞者としてではなく、その演奏に参加するような気持ちで聴くと楽しみも増すと思いますよ。
ベイリーの即興演奏(動画) http://youtu.be/H5EMuO5P174
参考 Ensembles for Synthesizer (Babbitt, 1964) http://youtu.be/W5n1pZn4izI
――セロニアス・モンクは、存在自体が貴重なピアニストです。生まれてきてくれてありがとう、とお母さんみたいなことを言いたくなる。
( ・3・) 初めて聴く者にとっては何のこっちゃの説明だな。
――とてもユニークなスタイルで、代わりになる人が思いつかない、くらいの意味です。まあ聴いてみましょう。
Everything Happens to Me (Monk, 1959) http://youtu.be/YW4gTg3MrrQ
( ・3・) これは彼の代表曲?
――いえ、そういうわけではありません。モンクの場合、どの演奏にも見逃しようのない「モンクの署名」が刻まれているようなものなので、わたしの好きな曲を選びました。有名なスタンダードです。最初に歌ったのは若いころのフランク・シナトラ。
Everything Happens to Me (Sinatra, 1941) http://youtu.be/ZWw-b6peFAU
――1941年の録音ですが、信じがたい音質の良さ。さすがスター。さすが大資本。これがヒットして、多くのジャズ・ミュージシャンのレパートリーになりました。ちなみに曲名は「僕には悪いことばかり降りかかる」というニュアンスです。恋人に手紙を送ったらさよならの返事が返ってきた。しかも郵便料金はこちらもちで、みたいな。もうひとつだけ聴いてみましょう。
Everything Happens to Me (Baker, 1955) http://youtu.be/UI61fb4C9Sw
( ・3・) このいけすかないイケメンは?
――チェット・ベイカー。50年代の西海岸を代表するジャンキーです。シナトラに比べると、ショウビズっぽさがなくなって、一気に退廃の世界に引きずりこまれる。で、モンクの話に戻りますが――
( ・3・) ショウビズではないし、退廃でもない。
――もっと抽象的な次元で音楽を考えている人だと思います。
( ・3・) 素材はポピュラー・チューンなのに、ずいぶん鋭い和音が出てくるな。
――調性の枠内で本来なら聴こえないはずの音が聴こえてくると、デレク・ベイリーのような無重力の音楽とはまた別種の怖さがあります。幻聴の怖さとでもいうべきか。さいごにぽつんと置かれる減5度の音には、「聴いてはいけないものを聴いてしまった」という感じがよく出ています。
( ・3・) 減5度はジャズでは珍しくないんじゃないのか?
――はい。でも、その音をどう響かせるか、その音にどういう意味を持たせるかというのは全く別の問題です。そういう音の配置に関してモンクは天才的でした。
( ・3・) カキーン、コキーンと石に楔を打ちこむようなタッチで、ピアノの先生が卒倒しそうだが。
――意図的に選択されたスタイルだと思います。プライヴェートではショパンを弾いたりもしていたそうですよ。 [2]
( ・3・) 見かけによらないものだな。
――小さいころから必死に練習すれば、いつかはマウリツィオ・ポリーニの水準に達するかもしれません。しかし、ピアニストとしてモンクを超えるというのは、端的に不可能です。それがどういう事態を意味するのか想像できませんから。
( ・3・) 四角い三角形を想像できないように、か。
――アンドリュー・ヒルは作曲・編曲に秀でたピアニストです。『ポイント・オブ・ディパーチャー』というアルバムが有名ですが、録音から半世紀を経たいまでも新鮮にきこえます。ペンギンブックスのジャズ・ガイド(なぜか翻訳されない)では、初版からずっと王冠の印が与えられていました。
( ・3・) 英語圏では別格扱いということか。
――ヒルは若いころ、ヒンデミットの下で学んだという話もあるのですが……
――誇張も混ざっているかもしれません。ヒルの経歴は、生年や出身地も事実とは異なる情報が流れていたので。
Refuge (1964) http://youtu.be/zquk2Tb-D6I
( ・3・) 何かひっかかるような弾き方のピアノだな。
――ヒルには吃音がありました。 [3] 言いたいことの手前でつっかえて、解決を先延ばしにするような演奏は、しばしばそのことに結びつけられます。
――ヒテーシンガク?
( ・3・) ほら、メルヴィルの『モービー・ディック』で、神秘的な白鯨の本質については語れないから、迂回してクジラにまつわる雑学的な記述が延々とつづくだろ?
――どうでしょう。アナロジーとしては分からなくもないですが。
( ・3・) 形而下の世界に戻るか。あれ、このサックス奏者、さっきも出てきたんじゃないか? (2分58秒にて)
――エリック・ドルフィー。共演者の共演者を辿っていくと、きょう紹介する人たちはみんなつながっています。
( ・3・) デレク・ベイリーも?
――はい。セシル・テイラーと共演していますし、この次に紹介する人ともアルバムを出しています。
( ・3・) なんだかドルフィーに耳を持っていかれてしまうな。
――圧倒的です。ねずみ花火のような軌道と瞬発力。数か月後に死ぬ人間の演奏とは思えません。
( ・3・) すぐ死んでしまうん?
――はい。ドラッグでもアルコールでもなく、ハチミツのオーバードーズで。正式な診断ではありませんが、糖尿病だったといいます。 [4][5]
( ・3・) ハチミツって、くまのプーさんみたいなやつだな。――ん? いまミスしなかったか? (6分36秒にて)
( ・3・) やり直しになるんじゃないの?
――ジャズは減点方式ではなく加点方式ですから。ミスがあっても、総合的にはこのテイクが最良という判断だと思います。
ツィメルマンは、現役ピアニストの中では一番うまい、と私は思っている。彼の音が一番好きだ。
だから毎年彼のコンサートだけはなけなしの金をはたいてS席で聴くことにしている。
今回も、非常によかった。
彼は、フォルテは単に力で弾くものではない、単にデカイ音を出せばよいというものではない、というのを体現していて、
相変わらず全然大袈裟ではない自然な動きで物凄く深く豊かなフォルテを出していた。
ピアニッシモも珠玉のうつくしさだった。透明できらきらした全く濁りのない音だった。
彼はいつもそうだけれど、ただ漫然と弾かれる音などただの一音もなく、かつ重過ぎない。
うまくいえないのだけれど、ツィメルマンは抜群のリズム感というか拍子感というか、
クラシックに似つかわしくない言葉でいうのならグルーヴ感のようなものを持っていると思う。
ショパンのバラ3、4とか、とても心地よく体を揺すってしまうような。
私は曲に入り込みすぎてあまりにアゴーギグをきかせたルバートな演奏は苦手で、
彼はそのへんの匙加減がちょうどよくて、流すでもなく入り込むでもなく、
その曲にうまくのっていけるような拍子感を出してくれる。
主題を繰り返す解釈は初めてだったのでちょっとそこだけ戸惑ったけれど、
その意味で31番がとてもよかった。第一楽章もよかったし、フーガもとても気持ちよかった。
ちょっと急ぎ過ぎている気がしたし、珍しいことに濁っていた音があった。
この解釈はもう一度聴いて考えたいと思った。が、実際は貧乏なので一回きりしかいけない。
一番感動したのは32番第二楽章だった。
それにしても、このまま時が止まってほしいと思う瞬間が何度もあった。
32番のトリルとか、あまりにもうつくしくて、ぞくぞくして、しあわせで、
このままこの空間にいたい、元の日常に帰りたくない、と思った。
この音をずっと心にとっておきたい、そう思うのに、
演奏会が終わって、荷物をとって、会場を出て、駅へ向かって、電車に乗って。
そのうちにどんどん消えていってしまう。
家に着くころには、大切に包むように心に刻みつけてきたはずなのに、
テクノロジーが発達してたいていのものは再現できる時代になったけれど、
あの音は一回きりでもう戻ってはこない。
時を止めておきたいなんて思うことはそうそうないのだけれど、
そう思わせてくれるのだから、
ツィメルマンは腰痛のため今回のコンサートスケジュールを大幅に変更した。
ミスタッチもあった。
どの程度のミスタッチが演奏そのものの価値を損ねるかは人によって許容量が違うだろうけど、
今回ぐらいのミスタッチだったら私は気にならなかった。
ただ、昔よりは確実に増えていた。
当たり前なのだけれど、これほどの人でも加齢には勝てない。
ポリーニを見てよくそう思っていたのだけれど、ツィメルマンだって例外ではないと今回思った。
その先も、聴きにいけるだけ、聴きにいくだろう。
時間を、止めたい。
ていうか。
あなたが完璧主義なのは知っている。要求レベルが高いのはわかっている。
だけどもう完璧じゃなくてもいいから、少なくともこの感動を思い出すよすがとしたいから、
CD出してくれ。
金があれば全会場聴きに行くさ。でもないんだもの。
ショパンのソナタと今回のベートーヴェン出して下さい。お願い。
当時はそもそも古典派以降の、要するにクラシック音楽というカテゴリーで主流になっている曲を全然知らなかったし興味もなかったし、そこでやたら沢山音符を弾かされる、管弦楽というジャンル自体が自分の手に余るものだった。
クラシック音楽の凄さが分かってきたのは、しばらくオケを離れて、就職して数年後に社会人オケに入ってからだったかな。
そこでやっと必死に作曲家のことやスコアを勉強して、とてつもない世界があることに気づいたという・・・。
つまり、自分は楽器を手にした年齢だけはとても早かったけど、あとは色々遅い。笑っちゃうくらい遅い。
それでも好きになったクラシックを、出来る所を見つけて続けているだけなのだ。
だから4歳から始めているとか、出来れば訊かれても答えたくないわけで。
メンコンやチゴイネルワイゼンはやっていて当たり前、ラロもクライスラーもスプリングソナタも四季も楽にこなせるレベルまで、かなり短期間で叩き上げてきたメンタリティってそういうもんなのだと思う。
強烈な自負と自意識がなければ無理というか。
妙に迫力も出ちゃうし、何より自信溢れる態度で、モテても全く不思議はないし。
それでも4歳からやっている人相手ならそれなりに敬意を示すんだろうけど、逆にそれくらい早くから始めていてメンコンも弾けないどころか、バッハのコンチェルトやヘンデルのソナタを勢いでやっつける程度では、軽く見る理由にしかならないと。
何しろあっちは指板のどこでも快適にフィンガリング出来て、かつ上級のボウイングと音造りが出来るのに対し、こっちはそこそこハイポジションで弾けて、初歩の重音とヴィブラートがせいぜいだったわけで。
今だから分かるけど、とんでもない差だと思う。
そしてあの頃からかなりの年月が経ち、ようやく古典派やロマン派の歌い方が分かってきた今だからこそ、メンコンというドイツ前期ロマン派の名曲を完璧に、かつ最高に楽しく弾いてやり返したいのだ。
このままやられっぱなしで、中途半端で終わらせてたまるか!と、やっと奮起できた感じ。
それに、そこまで弾けたらもっともっと楽しい領域が待っていると思うから。