はてなキーワード: アクセシビリティとは
言いたいことはわかるんだけど、声が変わるのはテレビを音だけで見ている人(ながら見の人や視覚障害者とか)に対して「発言している人が変わった」ことを理解させる意味もあるんだよね
ゼレンスキーが話しているときもプーチンが話しているときも同じ声だと、今話しているのは誰なのかがわかりにくくなってしまうんだ
映像を見ている人にとっては問題にならないことだけれど、映像を見ていない人や見ることができない人からすると同じ声で吹き替えられることは大きな障害になりかねないんだね
そういった事情で意図的に声を変えているわけで、これは演出ではなくてアクセシビリティの観点からの工夫と言えるだろう
ついでに言うと、これは多くの人が誤解していることなんだけど、実はニュースの吹き替えで声が変わるときに声優が変わっていることはほとんどない
ニュースの地の文を読んでいる一人のナレーターが声色を変えて全ての吹き替えを行っていることがほとんどだ
一つのニュース映像に何人もナレーターを起用するのは手間も時間もかかるから(特に、速報性の重視されるニュースだと複数人から収録するのは時間が惜しい)、一人のナレーターに演じ分けてもらうことになるわけだ
だからナレーターは子供から老人、優男から強面まで全部一人で演じ分けてるんだよね
元増田の見たニュースも、たぶん同じナレーターが声色を変えてゼレンスキーとプーチンの吹き替えをやっていたんじゃないかと思う
まあ流石に性別の違いは超えられないから男性と女性が一人ずつの2人体制にはなるんだけど、男性の声は男性一人、女性の声は女性一人が担当するのが基本と言っていいだろう
そんな事情を踏まえつつ、一人二役で視聴者に別人が話しているように聞かせるにはどうしたらいいかって考えてみよう
すると、一方はいわゆる善人的な声色に、もう一方はいわゆる悪人的な声色に葺き替えるのが違いを出しやすいし聞いている人からしてもわかりやすい
意図的に善人や悪人を演じようとはしないまでも、なるべく別系統の声色を意識すれば結果的に善人的悪人的な声色になりやすい、となる
……という事情があってのあの声色の使い分けをするに至っているんだよね
ちなみに、吹き替えの話になると「不自然な役割語を使うのをやめろ」という指摘もよく出てくるけど、これも同じ様な話なんだ
一人の演じ分けだけでは今話しているのは老人なのか中年なのか若者なのか子供なのかを表現するのには限界があって、だから役割語に助けてもらっている
吹き替えのしやすさと耳だけで見ている人に対するアクセシビリティを考えているというわけだ
で、話を戻しつつさらに踏み込んだことまで考えるなら、その善人的な声色と悪人的な声色をゼレンスキーとプーチン、どちらにあてがうかの判断が作為的ではないかって指摘が出るだろう
でも、残念ながらそれについては「ディレクターや音声担当がそう判断した」としか言えないんだ
ゼレンスキーとプーチンの声を逆にしてもそれはそれで作為的だって言われるだろうからこれは押し問答にしかならないだろう
声を使い分ける以上は、残念ながらこの指摘についてはこれ以上言えることはないと思う
長くなったけど、吹き替えの声を変えるという行為は決して余計なことじゃないし、邪魔をすることが目的なわけではないってことを理解してもらえると、末端ながら報道に関わる身としては嬉しい
パナソニックはアクセシビリティや品質に対する基準は用意されてるんだけど、いわゆるUX(ユーザ体験、使いやすさ)に関する基準は無いに等しいからな。
限られた開発リソースがカタログスペックや基準を満たすことに割り振られるので、相対的にUXがクソになる。
カタログや広告の項目として書ける内容の開発を優先してしまい、使う人のことはあまり考えていない。技術力ではなくマネジメントの問題。
基準の優先度を変えようという動きはあるにはあるみたいだけど、事業部に浸透するにはまだ数年かかるかな。
IoT家電は総じてクソだけど、エアコンアプリは比較的出来がよいので、エアコンに近い組織から徐々に良くなることを期待している。カーナビは知らん。
この記事はみす51代 Advent Calendar 2021(https://adventar.org/calendars/6313)の22日目の記事です。
知ってる方はお久しぶりです。知らない方ははじめまして。MiniDragonEggです。
この名義を名乗って出るのは約5年ぶりです。関連付けてもしょうがないのではてな匿名ダイアリーにて失礼します。
tommiさんのバトンを受けとりました。といいたいところですが執筆時点で内容がnullで#VALUE!のため実質ほわいとなっとうさんからということになります。
げんたろうさんが街がどこまで続いているかのツイートでバズって自分のところまで回ってきたり、naka3さんがバーチャル受肉したりした中、自分もゲーム関連の肩書きをいただいたりしました。
DTMメインのnaka3さんのイラストがかわいく多彩と感じました。他にもMIS.Wの方が受肉していたのでいつかバーチャルコラボできたらいいですね。
閑話休題。
VTuberの数も増えた昨今ですが、今年は引退(卒業・"無期限休止"含む)の発表も多く7月1日の桐生ココさん引退時にはMIS.Wでもundoさんがはてブロの記事(https://u-ndo.hateblo.jp/entry/2021/07/03/060000)にしたりと少なからず反応もありました。
その他キズナアイさんが来年2月26日で活動休止など挙げきれないほどありますが、その中でもバーチャルライバーグループにじさんじ((運営はいちから株式会社:現ANYCOLOR株式会社))所属のギバラこと御伽原江良さんが3月10日に"卒業"((この記事では今後表記を"引退"に統一します))したのは記憶に新しいと思います。
しかしこの発表前の3月4日にメンバー限定配信((メンバーシップ登録者限定配信。有料登録している人のみ観られるライブ配信/アーカイブ。))で発表していてこれが正式発表前に広まり問題となりました。自らも遠くない経験をしているのでいつかこのような問題が起こるのだろうなというのは思っていましたが、これが本当になってしまった件です。
ここでの最大の問題点は
です。
他にもニュースサイトPANORAが広めた記事についていちからの「いちからに確認した上での記事化になります」→「いちからの要請により記事を削除いたしました。」の流れも問題となりましたがここではメインとしては扱いません。
情報アクセシビリティとは目や耳が不自由な方にも情報をということ(広く情報を提供できるべき)が主な議論とされますがここでは制限する必要があるところに制限する必要があるということにも目を向けることとします。
一般論としてメンバーシップは有料会員サービス同様に考えられるがあります。
PANORAに限らずTwitterや掲示板に書き込んだことで有料会員限定の情報を一般に公開するということは有料会員で得られるはずだった利益も失うため"妨害"とも取れます。
しかし証拠として提出するのは難しくモラルに頼るしかないことや、内容の一部を公開することで有料会員の宣伝になること(YouTubeで言えば切り抜きの効果に近いこと)もあるため取り締まるのは難しいのが現状です。
一般に公開されていることは高齢者やスマートフォンの所持の有無に関わらず知られることはもちろん重要ですが(一般的な情報アクセシビリティ)、制限するべきところも少しずつ議論されてほしいものです。
最近VTuberを見ていると打たれ弱く休止といったことが多く自分に近い年齢だとアンチや面倒な人が回りにいる経験がなく免疫もないのだろうなと経験者は思いました。
ジョニー度さんのコミケ感謝のツイート(https://mobile.twitter.com/oiorsme9k1/status/1028543887416090625)を見かけたのでこの場でこちらこそのお礼とします。
※反応や書きたいことがあったら追記するかもしれません。
私は情報技術者だ。今風に言えばデータサイエンティストやらセキュリティエンジニアなどと名乗ったほうが良いのかも知れないが、ながらく情報技術者という肩書で活動してきたため情報技術者と名乗ったほうが私の肌感覚的に合っていると考えている。
山田太郎議員が赤松健氏らと共に表現の自由の擁護を掲げ、政界では小さいながらも一定の存在感を示しているのは皆さんご存知だろう。
これまで地域のための政治家や特定の例えば自動車業界のための政治家や、更には女性のための政治家、共働き家庭のための政治家など様々な政治家が登場したが、サブカルの擁護、その中でもマンガアニメゲームを中心とした表現の自由の擁護のための政治家は非常に新しいと言わざる得ない。
これは本邦で「女が政治なんて」と怪訝な目を向けられても女性が参政権を獲得し、そして時間をかけて女性政治家の登場を果たしたときのような変化だ。
今の時代はまだ「マンガオタクが政治なんて」という怪訝な目がまだまだ多いように思われるが、無理解が理解に変わってくる節目なんだろうと思う。
さて、私は前述したように情報技術者である。何なら私の両親も情報技術者という言葉が生まれる前から情報技術者であり、私が生まれ育った家庭は情報技術という点においては非常に先進的であったと評価できる。
はじめて私の専用機として両親あたえられたのがPC9801であり、パソコン通信の後期あたりから私自身の意志でネットワークへアクセスしていたという経歴がある。
学生時代は高校教育に情報技術という科目がなく電気科目の一分野であったため工業高校へ進学し、そこから東京大学へ進んで計算機科学、情報技術関連を中心に履修した。根っからのIT畑であると言って良い。
そんな私が最近ふと思うのはまだまだ政治の分野は情報技術に疎いということだ。
このように感じた一番の切っ掛けはやはりマイナンバー制度と銀行口座の紐付けによる税務処理の簡略容易化が、個人情報保護という御旗によって実現に至らなかったことだろう。
ITへ専攻を持たない方々には理解が難しいと当時の一般市民や政治家たちによる意見交換を観ていて実感しているが、たとえ銀行口座の金額の増減がマイナンバーによって国から監視されていても、個人情報ひいてはプライバシーの保護は可能なのだが、プライバシーを気にする層は商取引の詳細、つまり自分が何を買ったり何処へ訪れたのかを国に監視されるわけにはかないという意見が支持されてしまったのだ。
本当にこの件は誠に無念と言わざるを得ず、私たち情報技術者の説明不足と力不足を痛感させられてしまった。
一応、この件に関連する技術情報としてフランス国立情報学自動制御研究所が公開した「GNU Taler」を紹介しておこう。
GNU Talerは プライバシーの保護が可能な決済システム。顧客は匿名のままでいられますが、事業者はGNU Talerでの決済を通じて収入を隠すことはできません。これは脱税やマネーロンダリングを避けることが可能です。(抄訳)
銀行口座がマイナンバーに紐付けられ、日本円に裏付けされた匿名決算システムが本邦へ導入されていれば、事業者や個人事業主、確定申告を自ら行う者、政治家たちは事務コストの大幅な削減と、我々全国民は所得税や法人税に関して現行税制のままであってもより平等に恩恵を得られたはずだ(ここでは現行税制が平等であるかは判定しない。所得隠しが難しくなることで現行税制の平等化が進むという意味)。
GNU Talerは例として挙げただけであり、これだけでどうにかなるというものではないが、一部の情報技術者、特に分散ネットワークへ興味を示している情報技術者の中では比較的好意的に捉えられている概念方式の決済システム。
我々情報技術者はこういった一般層が興味示しにくい、示すことができない技術情報を多く持っているが、技術者全般の悪い癖で自分たちだけで理解・納得・満足をしてしまう傾向がある。
これまでマンガアニメゲームのクリエイターが作り発表するだけで満足してしまっていたのと同様の問題を我々技術者も抱えており、このままでは良くないと危機感を覚えている。
ならば我々情報技術者の中から政治家を選出するべきなのではないかと思うのだが、我々は情報技術者が好きなだけであって政治は別に興味もないので、この好き嫌い、感情部分を乗り越えた赤松健氏には頭が下がる思いだ。
はてなユーザの興味が向いている情報技術関連といえば新型コロナウイルス接触確認アプリ「COCOA」の諸問題が挙げられるであろう。FLOSSで開発が始まったというのは評価に値するが国へ引き継がれた途端にAndroid版でのバグや、そもそも利用が広がらないなど運用に窮してしまった。
これに対する責任の声も少なからず聞くが、利用を促進するには国が強権を発揮するくらいの無茶が必要なので多少の同情は禁じ得ない。
WindowsではPowerToysが便利なので導入を国の制度で強制導入を決めるくらいの無茶だろう(※PowerToys : Microsoft謹製のWindows機能拡張ユーティリティ。様々な要因でWindows標準機能へ含まれなかったユーティリティ群とされる)。
ただ、強権を発動しないまでもゲーミフィケーション的に楽しく使うことや、割引クーポンを発行するみたいな市民の利用を促進するインセンティブが必要だったのでは?とは感じる。
本邦ではまだまだ情報技術者からすると不可解な情報技術運用が多くある。
例えば文科省のGIGAスクール構想までは良いが学校や請け負ったベンダーが端末パスワードを共通化してしまうことや、総務省がジャストシステム一太郎花子の事実上排除を決定してMicrosft Officeへ一本化してしまうというものだ。
GIGAスクール構想ではGoogle Chrome OSが支持を集めたのだからClassroomサービスによりパスワードを共通化する必要はそこまで無いと情報技術者は知っているし、Microsft Officeへ一本化するくらいであるならば保存形式をOpenDocument Format(ODF)にすることでMicrosft Officeと一太郎花子を共存させ無駄な予算の抑制、更に今後新たなオフィススイートが導入されても移行に手間は最小限に抑えられると知っている。
もっと言ってしまえば多くの行政機関や自治体、政党や政治家のWebサイトは極端なまでJavascriptへ汚染されアクセシビリティが地に落ちているのも視覚障害者にとって非常に問題である。
確認してみたいのならばJavascriptを切って各Webサイトへアクセスしてみたら良い。Javascriptが機能しなければコンテンツへテキスト1文字すら表示されないWebサイトの存在や、おそろしく醜い(見にくいではなく)トップページがレンダリングされることを知ることができるだろう。
視覚障害者のためのいわゆる「音声ブラウザ」はモダンで高度なレンダリングを解釈できるとは限らない。あまつさえ「今は高度な読み上げ機能を持つiOSやAndroidが主体だから良いじゃん」という視覚障害者がタッチスクリーンディスプレイを操作することへの無理解な声すら聞こえてくる始末だ。
これらの不可解さを解消するには「情報技術で国内外問題を解決する」というワン・イシュー綱領を持った情報技術へ深い見識のある政治家が登場しなければならないのではないかと思うのだ。
そして私はその一歩を踏み出すべきなのかどうなのか最近毎日悩んでいるのだ。
私は情報技術が好きだからこそ、情報技術は国内外の問題を解決できると信じているからこそ政治家にならなければいけないのかも知れない。
原因は DX という「日本のIT失敗パターンの王道」を経ているからです。やる前から失敗するってわかっていたことです。富士通は悪くない。
アメリカにない DX という概念を、通産省が音頭を取って開始するときには、注意が必要だって「シグマプロジェクト」「ユビキタス」とかで学んだのじゃないか?無理矢理に官需をつくって、その需要に応対したプログラマをつくって、路頭に迷わせるというのは、もっと犯罪だぞ。
つまり、儲かんねー、ってだけだろ。無理に DX なんて要らないのですよ。アクセシビリティやバリアフリーといった市場経済だと無視される領域に税金を投じるのはわかる。だが、本来なら DX すると利益になってしまう領域なら、すでに金をかけているはずだろ?
ないですよね?つまり、DX なんて世界標準ではないのです。もし、DX が有用ならマイクロソフトがやる気を出していると思うが、違うのかい?
さんざん学んだはずだぜ、民間ができない領域だけ国や市や町にさせるって。国が「〇〇をしましょう」という音頭を取る方式で、どれだけ民間企業が生産性を低下したのか忘れたのかい?
要は、富士通は「DX は赤字です、儲かんないです。」と主張して、さっさと馬鹿げた国家プロジェクトから抜けたいのだろ?そもそも、DX なんて「市場経済に揉まれて生き残ったもの」に負けますよ。
スティーブ・ジョブズが iPhone でアクセシビリティ関連の投資をパーにしてくれました。ドコモの iMode はアクセシビリティに投資してたけど、もうオーテクになっちゃいました。残念。
よく知らんけど、この彼女のような活動家が「法律の変更時に何らかのアクションを起こす」だろうなーと旧国鉄の法務部隊が推測して、予想可能なアクションをエミュレーションしてイレギュラーな事態を「なんにも問題なし」で解決したのは、プログラマーとしてはすごいと思いました。
それはさておくとして、昨今の DX を理由に React や Vue といった Virtual DOM の推進派が W3C の「アクセシビリティ」で noscript タグなしで動的なサイトを作る現状は、アクセシビリティを高くするために戦ってきた自分としては辛く思います。
これと、伊是名夏子さんになんの関係もありませんが、昨今のサイトの作り方が React とかでアクセシビリティを軽視する流れは、残念なこと限りありません。どうにかならんか?
真面目に「駆け出しエンジニア」が、入力に対するパフォーマンスの不一致が原因で、勉強停止が起こる理由を説明しよう。
そもそも、インフルエンサーのつく「フリーランスで年収一千万」という主張に再現性が無いのだ。まず、Rails + React を使う教材が多いが、その手の連中の壁が英語なんだよ。まず、「ちょっと、できるようになった」エンジニアが「ググって問題解決できる知識が書いてある」ところが、英語で書いてある。別に「英語を使えたら、年収一千万」なんじゃなくて、日本人の絶対数が英語圏より少ないことから生じる事象であって、日本人が解決するネタは「欧米人が解決している」可能性が高いのだ。そのせいで、欧米人よりも日本人は応用性に劣るというギャップが生じる。これは、差別ではないから、今後も解決できないです。
それが、間違うのよ。なんでかというと、Google や Likedin のようなサービスには MapReduce や Kafka のようなミドルウェアを生み出す原因をつくっていることがあって、後になって「似たようなものと違った」原因となる OSS として公開されるのよね。そして、我々が Rails や React として使えるようになるのであって、順序が逆なんだよ。
日本マイクロソフトでは、早慶を出た文系がたくさんいるけど、彼らは「アメリカで作ったものを日本で売る」というビジネスが成り立つから、コードを書く必要ないの。だから「コードを書いてないのに、年収が高い」という矛盾は、全く問題なし。日本人の給与でコードを書いたら、コストが馬鹿高くなるのよ。
そりゃ、君の使っている教材って、日本においても無料だし、浮いた学費は「自前で問題解決するため」にクラウドでも使って勉強した人の方が評価されるよ。ジャムおじさんも「美味しいパンを作ろう」といいながら、アンパンマンを作っちゃったから、世の中そういうもんだよ。
雇用の硬直化、および「専門学校や大学」といった勉強した連中が、貴方を選ばない原因の人材となります。だって、教材は同じだもん。ちゃんと勉強した人が、供給されている以上は負けますよ。
だから、マナブはタイに行ったんじゃね?しかし「NTT DATA が SEO を頼んできた」という Tweet は本当にウケけた。今どきの SEO なんて、NTT DATA なら Google から加点するっしょ。落ちぶれても、「デー」は一流だよ。タイにいる胡散臭いアホに頼むぐらいだったら、社内の「SEOエンジニア」に勉強と社益を兼ねてやらせるよ。ちゃんと利益出るし、SEO 真面目にやったからアクセシビリティも上がるからね。
ウェブデザインの「やるべき/やらないべき (Dos/Don’ts)」
https://github.com/UKHomeOffice/posters/tree/master/accessibility/dos-donts/posters_ja
これ。
https://www.city.urasoe.lg.jp/
旧ページがこれ。
https://web.archive.org/web/20210624230957/http://www.city.urasoe.lg.jp/
とにかく無駄なスペースが増えた。
旧ページは画面上部でコロナ関係のトピック5個とカテゴリ5個,英語中国語,アクセシビリティ用の色変更がひとめで視認できた。(FullHDのPCで見た場合)
新ページは海の画像で9割を占めてる。言語選択は右上の小さなアイコンになった。
3件。
画像自体のサイズは旧と同じく幅1000pxのままなのに200pxぐらいに小さく表示している。
ちっちゃい。スペースはあまりまくっているのに。
なんでそこなんだ。
何の脈略もなくこのページが。
https://www.city.urasoe.lg.jp/article?articleId=609e86d63d59ae2434c0025d
情報を減らして広大なスペースを置くスッカスカのスタイル,やけに流行ってるけど使いにくくない?
市長は優秀だぞ。念のため。
ソフトウェアはアクセシビリティをほんの少し気をつけるだけで、使う人全員にとってなんのデメリットも無く全員が使える。
意識せず作ったものを後から「対応」するのはものすごく大変だけれど、最初からやっていればコストはほぼゼロなので、何を作るにもやっておいた方がいい。
やるだけなんだからやるのを当たり前にしていこうよ、と普段から普通のこととして言うのが大事なので、そのケースで困った人が実際にいたのかは、あまり関係ないかな。今回困らなくても、同じやり方を続けたら困る人が出る。
コールアンドレスポンスでジャンプすることは全ての人にはできない。それでジャンプの代わりにするアクションを作ったり、ジャンプするための装置を開発したりするような、例外に対する特別な対応とは違う。対応できないからジャンプは止めましょうなんてことも必要ない。みんなでやるためのコストを均等に負担しあう必要もない。全員でジャンプする価値を損なわずにみんな同じことができる。できるんだからやろうよ、という感じ。できることを知らなくて、知っていたらやっていただろうから知らせる。
伝えるための言い方ってあるし、言い方によって伝わらなくなったりするから、怒りをぶつけるのが良いやり方だとは思わないけれど、行動原理としてはこういうことなんじゃないかな、ということを書いてみた。
プレイヤーの傾向に関しては、負けず嫌いが勝ちを競うゲームだし、そこは仕方が無いかな。たとえば格ゲー界隈もたまに荒っぽいけれど、アドレナリンを刺激して遊ぶゲームだし、終了後にいきなり下がりはしないだろうし。
はてなーの皆さんはボクのように繁華街に出てウィンドウショッピングするのもコロナ禍で躊躇われることに嫌気が差していて「暇すぎてたまらん」と感じないのかも知れないけど、ボクはマジで暇である。
休みの日に1日2日程度は出歩かないなんてのは丁度よい休みだななんて思うけれども、こうも毎週毎月のように出歩けないのはストレス発散の場が無いので精神が擦り切れる。
あー暇だなぁと日々考えていたら、ふと思い付いた。
「この辺りに住んで長いけどそう言えば行ったことのない路地とかあったよな」と。
しかし、近所の行ったことのないところへ行って「ハイ終わり」ってのも難だな、そうだアレだ「OpenStreetMapへ現地の情報を反映しよう」と思い立ったのだった。
暇を潰せる上に、密にならないし、コロナ禍で無駄に溜め込んだカロリーを消費しつつ、しかも社会貢献できる。これ以上無い暇つぶしなんじゃなかろうか。
ここまで当たり前のようにOpenStreetMapや略称のOSMと書いてきたけれどご存じない人々へ厳密な正確性を無視して小難しくなく説明するのであれば、地図という独占されがちな情報をフェアユースしようという試みでボランティアの協力によって維持されているオンライン地図サービスのことだ。
例えば有名なオンライン地図サービスには Google MapやYahoo!地図などがあるけれども、これは営利企業によって運営されているので特に経済的価値の高い情報は有料機能として提供されていたり、採算が取りにくい機能は省かれてしまっているし、いつサービスが終了してしまうかもわからない。
OpenStreetMapはそんな現状を良しとせずに地図情報は人類の共有財産だとしてボランティアが反映する情報を無償で公開している。
OSMの地図情報は無償であるが、もちろんOSMだって地図サービスを提供するサーバーを維持しなければならないので寄付を歓迎している。
OSMが配信してくれる地図情報は多岐にわたる。
まぁその情報の元はOSMが定めた仕様に則ってボランティアが情報を反映してくれているのだが、多くの人は「OpenStreetMapってGoogle Mapの代替なんでしょ?」程度にしか考えていないので「お店の名前とか公共交通機関の時刻表とか施設のフロアマップとかでしょ?」が想像できる限界だろう。
もちろんOSMはそれらの情報に対応しているけれども、Google Mapには実装されてない興味深い地図情報もあるので紹介しよう。
OSMにはその道には街灯が存在するか否かという情報がある。
これはおそらく夜間犯罪数や率の高い地域で需要がある機能なのだろうけれども、日本でも女性が夜道に危険を感じたりするらしいので有益な情報と言えるだろう。
OSMには道の材質に関する情報がある。
アスファルトなのかコンクリートなのかタイルなのか?や、未舗装であるのならば砂利なのか砂なのか土なのか?のように様々な材質を道路情報へ反映できる。
特にバイク乗りや自転車乗りに取っては非常に嬉しい情報だろう。
ついでに言えば自転車レーンに関しても明示的に歩行者と共有、明示的にバスと共有、明示的に自転車専用、明示的に自転車専用でかつ両進行、明示的に自転車専用でかつ一方通行などの情報も反映できる。
書いているボクもなぜこんな仕様が存在するか理解が出来ないけれど踏切遮断器の形状反映できる。
どういうことかと言えば、踏切遮断器が存在しない、踏切遮断器駆動装置が1つでかつ1つの遮断棒で両道遮断、踏切遮断器駆動装置が1つでかつ1つの遮断棒で片道遮断、踏切遮断器駆動装置が2つでかつ2つの遮断棒で片道ずつ遮断ということだ(ボク自身この書き方でわかりやすいとは思ってない)。
何に使うんだろうか?自動運転?
OSMはバス停に屋根や椅子があるかどうかの情報を反映できる。
これは地味に便利だ。ボクは社会人になってバス利用の頻度は減ったものの学生のときバス停でよくずぶ濡れになってバスを待ったものだ。
色々話題になった車いすのアクセシビリティだけどOSMには車いすアクセシビリティに関する情報を反映できる。
舐めちゃいけないのが町中には1段2段程度しか無い階段が存在することがあるのは皆さんご存知だろう。
OSMはその小さな階段にすらスロープがあるかないかの情報を反映できるのだ。
あの話題には色々皆さん意見はあるかと思うが、ちょっとした階段であれ詳細が分かれば車いすユーザーは助かるはずなのだ。
これも需要がよくわからんが建物の屋根が三角屋根なのか平坦なのか円弧なのかなどの情報を反映できる。
雪国あたりの需要だろうか?
言うまでもなく自動車ドライバーに助かる情報。
特に大型自動車ドライバーは物凄く助かるだろう。
ボク自身、OSMの地図情報の仕様をすべて知っているわけでないが「こんな細かな情報まであるの!?」と驚くほど詳細に充実している。
こういうのを近所を散策しながら反映していくのだ。
ここまで読んだ人の中で一部の人は「そんな細かな情報をいちいち反映なんかしてられないだろ!」と思うであろう。
実際にボクもそう思っていた。
StreetConpleteに出会うまでは。
StreetCompleteはスマートデバイス向けアプリで、OpenStreetMapへの情報反映を省力化してくれるアプリだ。
極力テキスト入力をさせないという設計になっており、地図上に表示されるアイコンをタップしていくだけでOSMへ情報を反映できる(住所や電話番号など一部ではテキスト入力が必要)。
アプリ自体の見た目デザインもモダンでオシャレ、ただ歩いているだけでココの情報が不足しているとアイコンで教えてくれて、ユーザーはただ指示通りに現地と比較しながらタップしていくだけ。
しかも、ゲームでは定番の進捗バッヂ機能もあり「車いすユーザーのための情報を〇〇件反映しました」的に確認できてしまうのだ!
更には自分が今まで反映した情報種別の比率を視覚的に示し、自身の得意分野を比率から知ることも出来る。もっとも編集している国は日本、得意分野は街灯などと自分の得意分野の判別ができる。そしてこの画面も面白い!
ただStreetConpleteには最大の欠点がある。
提供されているのはAndroidアプリのみでiOS/iPadOSアプリは存在しないんだなぁ・・・。
オープンソース系プロジェクトじゃAndroidアプリオンリーってありがちなのよね。
さていろいろ書いたけど、ボクがOpenStreetMapへの情報反映数は7,800件超。単なる暇つぶしがここまで膨れ上がった。
このエントリを読んだ皆さんもどうかな?
気候変動に立ち向かう。すべての声を一つにして。
30年後のあなたは、何歳ですか?
30年後の自分は、何歳なのでしょうか。1
30年後には、さらに30年後のことを考えているかもしれません。
30年後の、その先へ。
足し算の答えが分からなくてもご安心を。Siriに話しかけてみてください。2
究極の反省を、決して伝わらない形で。
とても反省しています。反省している色が見えない、という点を。
Super Retina XDRディスプレイは、反省している色を鮮明に映し出します。3
アクセシビリティ機能を使うと、反省の色が見えやすくなります。
“46”、それはマジックナンバー。
30でもなく、50でもなく、46。
シルエットが浮かんできました。
おぼろげながら、浮かんできました。“46”という数字が。
ですが、ご注意を。くっきりとした姿が、見えているわけではありません。4
今のままでは、いけないと思います。
進次郎のサポート
今すぐチャットする 〉
3. 約10億6433万色、2,000,000:1コントラスト比(標準)
4. 2021年4月時点での数値目標です。今後、根拠を示さずに変更される場合があります。
5. Appleにおける環境への取り組みは https://www.apple.com/jp/environment/ をご覧ください。
6. クリステルは進次郎のオフィシャルパートナーです。
https://anond.hatelabo.jp/20210426101419
ネタ元を見る 〉
https://anond.hatelabo.jp/20210425041223
「妻」の表現がApple的でないため本文から削除し、脚注6を追加しました。
一部ユーザーから要望のあった「のどぐろ」は、1.1時点では実装されておりません。
一部ユーザーから要望のあった「のどぐろ」は、1.2時点では実装されておりません。
Anonymous Diary Academyは本日、毎年恒例のAnonymous Diary Literary Awardsを開催し、世界中の増田文豪による最も優れた55の増田文学作品をたたえました。受賞者はAnonymous DiaryにおけるHatena Bookmarkの件数を反映して選ばれます。毎年、Anonymous Diary Literary Awardsの受賞者は大胆でクリエイティブで独創的なテキストに命を吹き込んでいます。これらの受賞文学を執筆・デザイン・模倣した人々は、その技能、ビジョン、スタイル、意志の強さ、ウィット、釣りを通じて、増田の文芸コミュニティの仲間だけではなく、ワールドワイドウェブにおけるすべての人にもインスピレーションを与えています。
「この前、私は小名浜で地元の組合長とお会いしましたが、いま試験操業で何が獲れるんだと言ったら、『最近ノドグロが獲れるんだ』と。『あ~福島、ノドグロ獲れるんですか、私ノドグロ大好きなんですよね』って言って、『じゃあ今度一緒に食べよう』って、『環境大臣室にぜひお越しください』と。『一緒にノドグロ食べましょうよ』って言ったときの、あの『いいんですか』っていうね、喜んだ顔。嬉しかったですね。なので、けっしてそういった皆さんが、ふたたび傷つけられることがあってはならないと。その思いで、こういった問題にもしっかり向き合っていきたいと思っています」と、環境担当元プレジデント、進次郎は述べています。
Anonymous Diary Literary Awardsを受賞した作品は、最新のMac、iPhoneおよびiPadを通じて全世界で購読できます。
受賞作品をまだご覧になっていない増田文学ファンの皆さんは https://anond.hatelabo.jp/20211226173836 から無料で購読いただけます。
何かソースを出せという人が多かったから出す。あと本旨があまり理解されてないっぽいのでそれも再確認する。
前の文の下に繋げようとしたらできなかった(長すぎたのかな?)ので、トラバの方にぶら下げることにする。
フィンランドの鉄道については、元増田が引用したソースの下の方で
"Most stations are accessible." (ほとんどの駅はアクセシブルです)と書いてある通り。
accessibleとは直訳すれば"アクセスできる"という意味で、バリアフリーの文脈では障害等に関わらず利用可能な状態であることを指す。
ノルウェーの鉄道の場合、ありがたいことにノルウェー国鉄の全駅の情報が見れる。→https://www.banenor.no/en/startpage1/Search-for-stations/
ここにリストアップされている全336駅中、"Wheelchair access to platform"が無いのは34駅(有っても不完全な駅も含む。完全に無い駅に限ると23駅)。
Vakås駅のページにはアクセスできなかったので、23~34/335=約7~10%の駅が車椅子利用者にとって"not accessible"と言える。
これはド田舎まで含めたノルウェー全土の数値なので、ほとんどの駅でアクセシブルと言ってもいいだろう。「90%程度では"ほとんど"なんて言えない」と言う人は、まあ私と感覚が合わなかったということで一つ。
スウェーデンのほぼ全ての駅に関する情報はhttps://www.dinstation.comで提供されている。
掲載されている124駅のうち、アクセシビリティの情報が書いてあるのは97駅、そのうち車椅子でアクセスできないエントランスがあるのは12駅。
約12%の駅(情報なしは除外して12/97)が車椅子ユーザーにとって"not accessible"である。ただし仮に情報が無い駅を全部"not accessible"とカウントした場合、それは約31%(="accessible"な駅は69%だけ)になるため"ほとんどの駅でaccessible"という私の見解が揺らぐことを、公平のために記しておく。
地下鉄はエレベーター完備。列車の乗降口はプラットフォームと無段差。追加の支援が必要な場合は列車やプラットフォームにある呼び出しボタンが使える。→https://dinoffentligetransport.dk/en/customer-service/rules-and-guidelines/disability-access-conditions/
Lokaltog(地方鉄道の総括,123駅)についてはhttps://www.lokaltog.dk/kunde/handicaphjaelp/に書いてある。これは追記前にも言及済み。
曰く"Du kan som kørestolsbruger, spontant rejse med toget på alle Lokaltogs strækninger uden at aftale nærmere med Lokaltog på forhånd. På de stationer, hvor tog og perron ikke er i niveau, vil togets lokomotivfører lægge en rampe ud./車椅子利用者は、すべてのLokaltogで自由に事前連絡なしで旅行出来ます。もしプラットフォームと電車の乗降口に段差がある場合、車掌がスロープを設置します。"
ただし、Østbanen(デンマークの地方鉄道)のLille Syd線ではGadstrup、Havdrup、Lille Skensved、Ølbyの4駅についてはlevel-freeではないため、ここを利用したいなら事前(利用12時間前)にハンディキャップサービスに連絡が必要。そうした場合、最寄りのlevel-freeな駅まで送ってもらえる。
DSB(デンマーク国鉄)の駅に関する情報はhttps://www.dsb.dk/kundeservice/stationer/でみられる。
ここではアクセシビリティとして階段とエレベーターの有無が見られる。
リストされている317駅で"階段はあるがエレベーターが無い"駅は30である。またどちらもある駅が129、どちらもない駅(=平屋建て)が156。
ノルウェーと同様、9割以上の駅が"accessible"である。
「どちらもない駅がバリアフリーとは限らないじゃないか。階段がないだけで段差だらけかもしれないだろう」という意見もあるかもしれない。
このリストにはLokaltogの利用駅も含まれており、それらがlevel-freeと見做されている以上、他の駅もそうだろうと考えるのが自然と私は考えた。
ただGadstrup、Havdrup、Lille Skensvedの3駅はLokaltogのサイトで言ってる通り階段ありエレベーター無しだが、Ølbyは両方あることになってる。同名の別駅か、最近改修されたのか、情報が間違っているのか。
氏の紹介した例は要予約のサービスであり、別に予約しなくとも駅は使える。
車椅子ユーザーにとって"not accessible"でありかつその支援サービスが提供されている駅でのみ発生する事態なのだが、"not accessible"な駅自体が少ないことはこの追記で述べた通り。
なお駅が"not accessible"で支援サービスもない場合は諦めよう。駅員さんが賃金外労働で助けてくれたりはしないぞ。
これには特にソースを出さずに言ったため、疑問に思った人が多かったようだ。なので追記で根拠とソースを出した。私としてはこれで十分と思うが如何に。
(1)と若干被ってるか。事前連絡が必要なケースは北欧の方が日本より少ないのは確かだが、無いわけじゃない。(あと必須じゃないがした方が得なので自発的に連絡する人は多い。)
なので"伊是名女史のケースは北欧でも事前連絡が必要なケースに該当するかもしれない。"と書いた通り、「北欧なら伊是名女史は連絡なしで乗れたのに!日本は遅れてる!」という意見があるとすればあまり正しくない。
仮に伊是名女史がノルウェーのVieren駅(https://www.banenor.no/en/Railway/Search-for-stations/-V-/Vieren/)に行っても列車に乗るのは不可能だっただろう。この駅なら事前連絡しても無理だろうけど。
北欧ではどうやってエレベーターとかきっちりつけてんの?金もつん?という疑問が見受けられた。その疑問に一部答えよう。
バリアフリー化が法律で義務付けられてて、駅や列車の新築/新造や改修時に基準に沿ってないと許可が下りない。
福祉国家故か高い税金分ジャブジャブ注ぎ込む。スウェーデンなんかは何年か前に250億くらい突っ込んでた気がする。
あと平屋建てが多い。エレベーターとかなくともちょっとスロープ付けるだけでなんとかなる。
ぶっちゃけるとド田舎ではプラットフォームが線路の脇を舗装/草刈りしただけとかもままあるため、特になんもしなくても車椅子で行けたり、手作りや既製品のスロープがポンと置いてあるだけなんてことも多い。
一方でそういう駅ではプラットホームと列車の間の段差はそのままだったりする。
ゆくゆくは Adobe Creative Cloud を契約する
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ホワイトカラーでリモート出来るやつが上からリモートしないの?
って聞いてくるのはなんなんだろうか。まるでリモートできない奴らを下に見てる言いぶりである。
図書館は法律がそうだからというのは理解している。
はい、非常に真っ当な疑問ですね。図書館法というのはいかにも特別法特別法していますし、
そんな特別法をあえて作った理念はなんぞや?という疑念を持つのは論理的思考の当然の帰結です。
こういう時は当の法律を見ましょう。
図書館法
図書館法第1条 (この法律の目的)
この法律は、社会教育法(昭和24年法律第207号)の精神に基き、図書館の設置及び運営に関して必要な事項を定め、その健全な発達を図り、もつて国民の教育と文化の発展に寄与することを目的とする。
社会教育法第一条 (この法律の目的)
この法律は、教育基本法(昭和二十二年法律第二十五号)の精神に則り、社会教育に関する国及び地方公共団体の任務を明らかにすることを目的とする。
はい、また飛ばされました。特別法の濃い匂いが漂っていたのは伊達じゃないですね。
教育基本法 前文
我々日本国民は、たゆまぬ努力によって築いてきた民主的で文化的な国家を更に発展させるとともに、世界の平和と人類の福祉の向上に貢献することを願うものである。
我々は、この理想を実現するため、個人の尊厳を重んじ、真理と正義を希求し、公共の精神を尊び、豊かな人間性と創造性を備えた人間の育成を期するとともに、伝統を継承し、新しい文化の創造を目指す教育を推進する。
ここに、我々は、日本国憲法 の精神にのっとり、我が国の未来を切り拓く教育の基本を確立し、その振興を図るため、この法律を制定する。
はい、「前文」ですよ、前文。さすが基本法、憲法級の重厚さです。
読みましたか? 前文だけに、その内容も高邁な理想と理念を謳う大上段な代物です。
さて以上からわかるのは
・「図書館法」(昭和25年制定)というのは、教育基本法、社会教育法を受け、その目的を直接に受け継いで補完するために制定された。
・その目的というのは「民主的で文化的な国家を更に発展させ、世界の平和と人類の福祉の向上に貢献する」という「新憲法の精神」そのもので、
・新憲法の精神実現のためには、「我が国の未来を切り拓く教育の基本を確立し、その振興を図る」のが重要という認識がなされています。
・具体的には、憲法公布(S21)→教育基本法(S22)→社会教育法(S24)→図書館法(S25)、というダイレクトな流れがあり、GHQと国会は新憲法制定後、大急ぎで、この教育関連法セットを整備してるわけです。
当時の情勢的には、とりあえず占領して、「自由な民主主義国家」を作ってみたものの、GHQにしてみればこの間まで「天皇陛下万歳!」とやってたファシズム国家の人民がいきなりこれを使いこなせるのか甚だ不安だったわけです。ならば対策は教育、それも学齢のみならず社会人も含めた全国民の教育が必要、という危機感があって、教育基本法の大上段な前文と大急ぎの教育関連立法の背景になっているんですね。
(そんな事情なので、「大急ぎ」と書きましたが、実際にはGHQは基本法から図書館法の整備まで3年かかっていることすら苛立って督促かけまくってます)
この「【日本国民再教育計画】になんで図書館まで含まれるのか?」というと、そこは(欧米的な)「議会制民主主義のイデオロギー」の部分になります。
・「議会制民主主義」は健全で良識ある市民がいてこそ成り立つ。
・健全で良識ある市民が育つには自由な言論と知識へのアクセスが必要
これが欧米的ポリアーキー(おおざっぱには「自由を重んじ議会を中心に据えた民主主義体制」と思ってください)を支えるイデオロギーの柱の一つなのです。
大日本帝国は法的な主権者こそ天皇でしたが決して絶対君主ではなく(機務六条)、普通選挙による衆議院を持ち、三権分立を整備し、(憲法上の規定外ですが)議会が首相任命に影響力を持っている、という結構民主的な制度を持つ国家でした。それがガチガチのファシズム国家として(ワイマールドイツはもっと民主的だったわけですが)連合国に挑んできたわけですから、連合国としては戦後日本の「ファシズム再発防止」にはかなり細部まで気を使いました。その重点施策の一つが「全国民再教育」で、とはいえ全国民対象の「再教育キャンプ」を作るのは手間も費用も膨大。ということで社会人教育向けとして白羽の矢が立ったのが広報宣伝やマスコミ統制と並んで図書館だった、というわけです。そりゃ気合も入りますし特別扱いもするってもんです。
大日本帝国にも無論図書館はありましたし、「図書館令」という法令(勅令でした)もありました。ところが、この図書館令は「この令を守れば作っても宜しい」という認可のための法整備で、
など、欧米的な「健全で良識ある市民の拠り所たる図書館像」とはかなり方向が異なるものでした。
この違いが「健全で良識ある市民の育成に失敗した」(欧米的観点では、そうでなければ民主的な国家がファシズム化したり革命が起きたりするはずがないのです)原因の一つに見えたため、この認識に基づいて、
・市民の知識へのアクセシビリティの確保(無料で全国津々浦々に)
・改正図書館令のような「図書館が思想統制の末端機関となる事態」を防げる図書館の独立性
「自由な知識の集積、その集積への市民の自由なアクセスなくして民主主義なし」というのは、自由な議会制民主主義の根幹をなすイデオロギーで、だからこそGHQは全力で推進したわけです。
あくままでイデオロギーですから、「功利の観点で利が多い」という判断から図書館を特別扱いしているわけではありません。「民主主義が成り立たない」という「(エビデンスがあるとは言い切れないにも関わらず)重要過ぎて試すことすらできない根幹の部分」を盾にとっているからこそ特別扱いOK、というか「特別扱いしなければならない」という理念なのです。
そういう背景ですから、例えば体育館を図書館と同じような強力な法的地位を与えるよう運動する際には、「図書館が特別に位置付けられている理由」は全く参考になりません。図書館のケースと全く別の論理、例えば「功利のエビデンスを示して財政難でも優先すべき、と多数の賛成を得られるよう説得」なんかを行う必要がありますので、なかなか実現は難しいのではないでしょうか。
もし図書館同様の理由で体育館が特別で強力な法的地位を得ようとするなら、まずは「健全な精神は健全な肉体にしか宿らない」とかの、現在の民主主義と異なるイデオロギーを持った国家体制に作り替えるところから始める必要があります。
うちは夫婦はともに30代で地方県庁所在地出身の私と、横浜市出身のパートナーの構成だけど、
子供の教育、学費の積立や習い事について話し合っていくなかで、
彼が与えられてきた教育や、その周辺の学ぶことに関する環境が、
ものすごく!圧倒的に!自分の実家より上だったことを早々に気づいて驚愕した……。
(なお、どちらの実家も教育については「できるだけのことはしてあげたい」という前向きな家庭)
というか、東京近郊の教育に関するリテラシーや文化資本の豊かさ…レベチすぎ……。
都会の子が小学校3~4年生から塾に行ってるなんて30歳になるまで知らなかったよ…
塾なんて早くても中学になってから行くものだったよ…小学生は公文式くらいだよ…
私は個別指導塾入れてもらったけど、同じクラスでそこまでしたらもってるのも私くらいだって驚かれるくらいよ…
あと東大をはじめとしたトップ大学に進学する子が、中学受験→都内私立中高一貫校のルートをたどる人が爆裂多いなんてのも知らなかった…
あと、塾のレベルもね!!SAPIXも鉄緑会もSEGも…そんなのあるの!?
地方には!?そんな塾がめちゃ選べて!?エリート養成塾みたいなのがあるなんて!?想像もつかないよ!?
習い事の種類だって数だって、ぜんぜん違う。え?勝負は未就学児の時代から始まっていた…だと!?
そもそも地方勢には塾や習い事を精査するなんて文化がねぇ!母数が少なすぎて選択肢は3択くらいだからだ!
居住地によるアクセシビリティ格差が拡大してるってだれかがコメントしてたけど、これはガチ寄りのガチ。。。
文化資本の圧倒的な違いがどんどん開いていってるし、なによりも怖いのは、地方勢にはそれが可視化されていないってこと。
知らされない間にドンドンドンドン置いていかれてる。たぶん国は知ってて置いてってる。
今この瞬間もさ、「捨てられてる」言うの分かるくらい、本当に格差についてつまびらかにせず放置されてる。
これ読んでると、地方出身の私、保護者や子供に配り歩きたくなってくる、
そんで、みんなー!!!気づいて!!って言いたい。
"私は東京に生まれて彼らと同じ環境にいれば東大に合格できた。"
これは本当だよね、きっと、本当にそうだと思うよ。きっとすごく悔しいよね。
子供の教育につい話し合うようになってから、夫婦で2人で地方に旅行に行き、
離島とか山村とか風光明媚な土地に立ち寄ると「綺麗だね」と言いながら、教育格差について思い馳せることが多い。
「こういうところに生まれたら、遺伝子的にすごく頭のいい子が望んでも東大に行くのはすごくハードルが高いだろうね」って話して…悲しくなる。
不公平は人生につきものだけど、それでも地方と都会のこの教育格差はあまりにも不正義じゃない???って思う。
逆に言うと都会勢は下駄履きすぎじゃない???ってことなんだけど。
でも、もちろんその人達の努力を否定するつもりはないんだけどさ。
ただあまりに悲しいんだよ、「勉強したい、学びたい」と思ったりした、素質のある一生懸命な子供が、ただど田舎に生まれた、ってだけで圧倒的に救われないことが。
私は頭が良くないし増田みたいな努力家じゃないから、自分がマシだったはずなんて言うつもりないけど、