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2017-09-06

わたしと‪SideM‬について

アイドルマスターSideM‬も3年目を迎え、アプリアニメ化全国ツアーメチャクチャに動き始めてメチャクチャに置いていかれたような気持ちになっている。

3年前スタートから超ロングロングメンテダダ滑りし、一部とはいアイマスPからホモマス呼ばわりされ、キャラクターに声もついておらず、女性向け界隈から見向きもされてなかった、いつサービス終了かと怯えていた‪SideM‬がこんなに展開されるなんて信じられないのだ。(言い過ぎではないかと思うかもしれないが、わたしは当時こう思っていた)

ブラウザポチポチゲーでしか恋愛ものでもなく、声もついていない‪SideM‬は周囲に勧めてもふぅんそうなんだー程度で流されてしまっていた。「声は?ついてないの!?そもそも女性向けでもないの!?」と驚かれたこともある。

そんな‪SideM‬、ぬるぬる動くアプリリリースされ数週間後にはアニメである女性向け雑誌だけではなくアニメ雑誌にも取り上げられ、未だに信じられない気持ちだ。

ところでわたしは、正直少し前までいわゆる「声がついてからSideM‬を始めたご新規P」があまり好きでは無かった。

初期にどれだけ宣伝してもみんな見向きもしなかったのに声優がついた途端になんなんじゃーい!わたしはこのアイドルたちが声もなくボロクソ言われてた時代から手を取って走ってんだぞ!声だけじゃないんだ!後から来たくせに並走しようなんて厚かましい!

まぁそんな感じのことを思っていた。(ちなみに今でもアイドルのことを声優名前適当に呼ばれると、言わないけれど腹がたつ)

それが、最近になってそういった身勝手気持ちがようやく和らいだ。

担当アイドルの声がようやく聴こえるようになった時、あまりに嬉しくてパソコンの前でむせび泣いた。

担当がはじめて素敵な役をもらったイベントリアル仕事そっちのけで走ったし、知らなかった過去が明かされるとそうだったのか!と感慨深くなった。

あの気持ち、そしてこの3年間は誰のものでもない、プロデューサーわたしアイドルだけのものだ。後から知った人は、何をしたって何年も支えてきた担当の声が、初めて聴こえたあの喜びは味わえないだろう。

反対に、後から担当の魅力を知って、必死にPとして担当のことを調べていく喜びをわたしは味わえない。

まりにも遅いとしか言いようがないが、最初から支えてきたPの手も後から魅力に惹かれたPの手も、アイドル達はしっかり握って「ずっとずっとその先へ」と走ってくれると、3年間支えて、ようやく自信が持てたのだ。わたしアイドル達のことをようやく心から安心して信頼できるようになった。

メチャクチャに置いていかれてるような気持ちにはなっているが、いかれているようなだけで、アイドル達はPの手を握っていてくれてるんだろう。

3年前、わたしが手を引いたアイドルが、今はわたしの手を引いてくれようとしている。こんなに嬉しいことがあるだろうか。

この記事を、「わたしは初期からアイドルを支えていたんだぞ!」と愚かにもアイドル達に惹かれその手を取ってくれた新規Pを嫌がっていた、わたしPの独占欲の墓としたいと思う。

ずっとずっとその先へ、これからも一緒に走らせてくれ!わたしアイドル達がだいすきだ!わたし担当アニメにはでれないけど他の部分で支えるからな!

2017-04-24

http://anond.hatelabo.jp/20170423184453

そもそも犯罪ってのが個人しろ法人しろ人格に関わるもの集団定義ができない。

集団組織区別なんてものはない。

そこで苦肉の策として中に犯罪をするとおぼしき、した経験がある、かさねて犯罪をするおそれがある要因を含む団体としているけどそれでいうと「刑務所からでてきた人を雇う企業」もその範疇に入りかねない。

そこで特定暴力組織として認定するということに。

そんなことは改めていう必要がないと思うけど、その上で団体組織に対してその時点での構成している個人すべてを対象に行動を起こせる法定義が今論点なわけ。

人で生垣をつくって中でなにかしててもバレないって手段暴力団で、それを株式会社やら養子縁組民事にしてたり外部からその犯罪行為確認できないように隔離しようと集団を使って行動してるのがおおよその暴力団体。

それを認定したものがしてるおそれがあるから立ち入れるって法だけじゃいまつらいって事。


たとえばこわもてのお兄さんたちが並んで立っててその向こうで暴力行為が行われていても通報できない雰囲気とか止めに入れない雰囲気にする、そこで行われたことについて首謀者が代わりのもの差し出して危険要素は社会に放たれたまま、というのが組織犯罪の例だけど、これを特定のそれを目的とした団体以外でも発生したりさせたりする要因が現在にはあるからなんとかする方法はないのかと。

たとえば救急車で救える命が野次馬で道をふさがれてまにあわなかったらどうか。ただの野次馬に人命救助の責任をおわせることはできないけど、ツイッターで「みんな道ふさげwwwwwwぜったい助からねえwwwww助ける意味のない命」などで一般市民無関係非暴力層が行動したらどうなるか。人しぬだろ。

同じように「テロ組織の崇高な使命感に感化された」とかい一般人なんかも発生しえないとはいえないだろ。

そうなったら、首謀者もみつけられないし、実際に行動して問題に関与した人間関係ないといいきれて、かつ問題行為が目の前で発生したり進行していた場合は何で取り締まってどう救済するんだよって話だよ。

まあSNS風評炎上あおりをうけていわれのない被害一方的にうけるやつがでてきても「残念」で済む国家をお望みならそれでもいいだろうとは思うよ。

以下追記

なんでも悪さをする団体と決めつければ無実の構成員も含め一網打尽にできて抑止力になる危険をはらむという問題について。

基本的法律に則って、ことに刑法に則って「被害者の発生する事案が犯罪」という定義を改めていえばその先へ理解が進むのでは。

合唱団犯罪行為とおぼしき隠喩を含む楽譜を持ち集まることは共謀「罪」にはならないが、それが特定個人や団体などを対象に明確な目的があれば「罪」なろうということ。

「本当の正義のために悪人を指摘する行為が結果集団的行動で仮に被害者を発生させる事につながるとはいえ、その善行の芽を摘むことになるのか」については憲法のもの人権尊重いくら罪人でも暴力行為などで抑止といった「被害」を発生させることを許容しない、警察通報しなさいってこと。

2016-06-25

TOKYOとその他。

東京地方を繰り返してきた自分販売業特に服飾系に対する雑感。

イ〇ンに比べて小売りはやっぱり厳しくて、そこで買い物するような人は本当に少ない。そんなことをつらつらと書く。

第一に、若者が少ない。団塊とその上のおじいちゃんおばあちゃんばっかり。

あの人達保守的思想は半端じゃない。強固で、染み付いて、それこそ白い服についたシミみたいに、ゆっくりゆっくり時間をかけて出来上がったそれはもう消えない。

第二に、みんなブランド大手のものが好き。それ以外で買い物をする理由特にない。

ここで挙がるのはSLPやLVLoeweじゃなくて、Hareや大手セレクトニトリスターバックスとか。

一番のブランドテレビの中の東京なんだな、とあらためて感じる。

第三に、小売りで買い物をするような人も、都内で見るようなセンスがいい一般人、今風にいうとCity boyみたいな、なんて皆無。

ほとんどがコミュニティの中での存在価値を買っているような人たち。

店側も本当はお客さんを選びたいんだろうけど分母が少なすぎる。少し無理をしてでも、コミュニティを作って、売り上げ、生活していく。お店に行っても内輪で会話をしているか自分のような新規はじろじろ見られて終わり。

(誤解がありそうだから先に書いておくけど逆恨みでこれを書いてるわけじゃない。むしろしょうがないと思ってる)

でも「地元」ではそれが売り上げだったり、信用につながるようだからもう抜け出すすべがない。どんどん店としての格や雰囲気はないがしろになっていく。

東京だとお客さんを店がふるいにかけるようなところがむしろ大事だと思っていた。良い言い方をするとターゲットを絞るということだけど、そういう人・力はもう地方にはない。

That's sell out

最後に、買った服を着ていくところがない。これが決定的だと思う。

若い子たちがデートに行く先はカラオケボーリング、飲みに行くくらいしか選択肢がない。どこも車でしか行けないようなところばかりで、別に着飾って気分を上げてまで行くようなところはない。

地元大学生の会話はパチンコ麻雀競馬、女、カラオケビリヤードくらいしかない。

だらだらと書いたけど、客の服装意識させるような良いお店・場所なんか田舎にはない。結局買った服を買ったところに着ていくことくらいしかない、上の話に戻る。

じゃあどうすればいいのかってすごく難しいと思うんだけど、自分地元にも面白いお店あるじゃん、って言いたい。

若い街だと老舗とかそういったお店も少ないけれど頑張ってるお店は見つけようと思えば、ある。

あとはうるさい爺婆を排除して、若者向けのイベントとかあったらいい。老害は自ら喪服を着るような気持ちを持ってほしい。


東京への憧れを葬って、その先へ

2016-04-22

[]4月21日

○朝食:なし

○昼食:おにぎり三つ(梅二つ、わさびチャーシューマヨ

○夕食:スーパーコーンサラダ味噌マヨネーズ)、ケンチキ和風チキンサンドポテトオレンジジュース

調子

むきゅー!

仕事では、契約の話を色々した。

まだちょっとわかんないけど、六月末まで今の所でお仕事になるかも。

凄く眠くて、家に帰って、お風呂入った後、すぐ寝てしまった。

が、朝までは寝てられず、こんな時間に起きてしまった。

むきゅきゅー! って感じなので、目覚ましなるまでもう一回寝ます


トラバブコメへの返信

増田メイツです

ポテサラ炭水化物です

ちゃんぽん中華丼はそれなりに野菜あるかと思うけど、餃子は「野菜入ってるし?」。た・・確かにな(量的に微妙だけどな)・・・ってなります

今の献立の昼飯か夕飯にサラダを加えたら健康的と思うよー

http://anond.hatelabo.jp/20160420011833

ポテトサラダポテトサラダ単品で食べたわけでなく、

ポテトサラダキャベツレタスニンジンなどを総称して、ポテトサラダと呼んでいるわけです。

っていうか、CoCo壱番屋メニュー商品名を書いただけなんですけどね。

出来る限り野菜も食べたいのですが、サラダを単品で買うのは中々割高なんですよねえ。

かといって、僕は包丁が使えないのでサラダ自炊するのはしんどいですし。

一応、今日はお財布に余裕があったので、買ってみました。

xbox360製造中止らしいです。

この件についてどう思われます

http://anond.hatelabo.jp/20160421095206

ゲームニュースのコーナーで取り上げる予定でしたが、せっかくお葉書もらったので、ここで書きます

本当おつかれさまでした。

思えば、こうして、ほぼほぼ毎日ゲーム日記を書いているわけですが、

最初Halo1のリメイクを楽しくプレイするために書き始めたんですよね。

Haloから始まって、FableブルードラゴンライオットアクトForzaやGearsやデッドラなどなど、色々なゲームプレイしてきました。

もちろん、まだ積みゲーは大量にあるので、これからも遊んで行くつもりですので、

僕が所有している360はまだまだ現役で使い続けるつもりです。

つもりですが、さすがに最近Oneの方ばかり起動してしまますねえ、Netflixフルハウス見るのが日課になってますし。

何にせよ、本当に本当におつかれさまでした、

ただ、360の残した物は確実にOneに、そしてその先へ続いて行くと思います

そしてそれには、旧箱のそれも含まれているはずです。

Xboxの今後が本当に楽しみです。

ボーダーランズ1

疲れて目がしょぼしょぼするので、今日はお休みです。

いつも通り土日とお休みなので、金曜の夜からじっくりやろうと思う。

2016-01-10

グランディアのスーとの別れは泣いた

グランディア世界の果てを超えるシーンは素晴らしい。それと、スーとの別れも印象的

スー(8)は主人公ジャスティン(14)の幼なじみ子供のクセに「ジャスティンには私がついていないとね」的なことを言って保護者ぶるBJピノコポジション

スーはジャスティンと一緒に旅に出て、世界の果てを越えた後も旅を続けるが、ムリがたたり寝込む。自分子供でジャスティンたちの足手まといになるからパーティー離脱を決意。ジャスティンはならばと先へ進むために取ってきたはずの転送アイテムをスーを故郷へ帰すために使うことに

その別れのシーンでプレイ当時、自分ボロボロ泣いて、今もちょっと調べてまたホロっとした

冒険途中でフィーナ(15)という真打メインヒロインが仲間になって、バトルでもスーの影が薄くなるんだけど、スーからするとフィーナみたいな圧倒的才能を隣にするプレッシャーは相当だ

増田が「上手が怖い」という流れでグランディスの話を始めたのでスーとの別れが出るかと期待したけど出なかったので自分で書いた

それでも、スーはジャスティンが居なければ世界の果てを越えてその先を見ることはなかったことも事実

世界の果てのその先へ冒険創作に喩えるなら、冒険者には様々な支援必要で、金銭的なものはもちろん、作品発表直後のポジティブフィードバックが一番精神的支えになるという言は多くの創作から聞く

スーはED後美しく成長し故郷でジャスティン、フィーナ達を待つ「港の女」ポジションに収まっているけど、こうして何者にもなれずにボンクラに年を経た自分でも「港の女」になれるなら、それはとても嬉しいことだと思う

ちょっとだけでも一緒に冒険した想い出が、冒険譚を語るその舌を少しだけ滑らかにし、彼らが次の冒険へ進む一歩の僅かな助けになるのなら

http://anond.hatelabo.jp/20160109222302

2015-09-10

世界いちばん遠回りな世界一周

http://anond.hatelabo.jp/20150910215231

からの続き

自分の本当の想いに気づいたなら、あとは現実的な算段をつけていくだけだ。

僕が主に学びたいのは経済学である。だから経済学部のある大学を目指す。それは確定として、どの大学を目指すべきだろうか。みんなどうやって志望大学を決めてるんだろう。調べても情報が多すぎて混乱してくる。旧帝とかMARCHとかってなんぞ。ゼミとか研究室とか修士とか博士とかもよくわからない。そもそも大学の仕組みがよくわからない。最初のうちは学ぶ側で、そのうち教える側だったり、最先端研究をする側にまわる、というのはなんとなく知ってる。以前は「4年勉強して卒業」としか思ってなかったので、これでも大学に対する理解はだいぶ進んだほうだけど、やっぱり前提知識がいろいろ足りてない気がする。

いや待て、そういった知識的な問題よりも何よりも、その前にまず僕には大学受験資格がない。僕は中卒なのである。正確には高校中退だけど、数ヶ月しか通っていないので取得した単位なんてないも同然だ。どこを志望するとか、大学に通う資金はどうするとか、それ以前の問題だ。受験資格を手に入れなければ、スタートラインに立つことさえできない。まずはその問題から片づけよう。あとのことはあとで考えよう。

そういうわけで大検について調べてみる。どうもいまは名前が変わっているようで、高等学校卒業程度認定試験、略して高認という名称になっているらしい。試験は年2回、8月と11月に行われる。科目は、国語英語世界史A/B、日本史A/B 、地理A/B 、現代社会政治・経済倫理、科学と人間生活化学基礎、物理基礎、生物基礎、地学基礎、数学I。これらの中から8〜10科目を受ける。合格ラインは40点前後らしい。半分正解できればいいのだ。しか高校で習う教科ってこんなに多いのか。けっこう大変そうだ。文科省サイト過去問が公開されているようなのでひとつずつ見ていく。

まずは国語。大問が4つで、現代文が2問、古文漢文が1問ずつ。現代文のほうは普段から本を読む習慣のある人なら普通に解けそうな感じだ。僕もいちおうコンスタントに本は読んでいるし、現代文に関しては問題なさそうだった。古文漢文に関しても文章の意味は7割以上わかるし、試しに問題を解いてみたら全問正解だった。あれ? 古文漢文って中学でやるんだっけ? 独学でやった覚えはないから中学でやったんだと思うけど、20年たっても意外と覚えてるものだと思った。文法とかはさっぱりわからんけど。

英語に関しても問題なさそうだった。英語は二十代のころに必死こいて勉強した時期がある。1回だけ受けたTOEICは680点だった。そのあと半年海外放浪して日常会話くらいなら問題なく喋れるようになったし、これで合格点を取れないってことはまずあるまい。

次は世界史。これに関しても最近やったばかりだし問題なさそうだった。AとかBとかどう違うんだろ、と思ったけど、Bのほうが範囲が広く、より深い内容になっているらしい。高認の試験ではかぶっている問題が多いし、そんなに違いは感じなかったけど。ちなみにA/Bどちらを受けるかは当日に試験問題を見てから決めていいらしい。

日本史、もしくは地理。これは願書提出時に事前選択するようだ。日本史はかなり難しい。半分正解できるか、ちょっとあやしい地理のほうが点数を取れそうだったので、こちらを選択することにした。半分は正解できそうだけど、これに関してはちょっと勉強しておいたほうがいいか。

公民は、現代社会、もしくは政治・経済倫理から選択する。科目数は少ないほうがいいので、現社でいくことにした。毎日ちゃんとニュースを見ている社会人なら誰でも普通に合格できそうな内容だ。これは勉強する必要はないかな。

理科系科目は、化学基礎、物理基礎、生物基礎、地学基礎のうちから3科目を選択するか、もしくは科学と人間生活+どれか1科目。これも科目数が少ない後者でいこう。

科学と人間生活って聞き慣れない教科名だと思ったけど、理科総合のことのようだ。学習指導要領改定されて、つい最近こうなったらしい。試験は基礎4科目からそれぞれ易しめの問題が出される感じ。でも半分いけるかちょっと微妙ラインだ。これは勉強必須だなあ。

あとの1科目は地学基礎にした。これも以前は地学Iとかだっけ。地学I→地学基礎、地学II→地学、みたいな感じで変わってるようだ。これも半分いけるか微妙。勉強必須

まあでも理科系科目がちょっと不安なくらいで、全体的にはけっこう余裕かな。なあんだ、身構えて損したよ。ハハ。ああ、そういや最後に数学が残ってたっけ。まあこれも余裕かな。ハハハ。じゃあちょっと過去問を見てみようかな。

え? これあれでしょ? 東大入試問題でしょ? ちょっと文科省さんしっかりしてくださいよアップするファイル間違えてますよやだなあもホントかんべんしてくださいよマジでマジで……。なんぞこれ……。1ミリわからん……。死にたい……。

マジやばい。本当に本気で1問もわからない。最初のほうのサービス問題っぽいのすらわからない。解き方がわからないとかじゃなくて問題文の意味すらわからない。なにこれマジやばい。というかいまさらだけど自分は文系だったのだとこのとき初めて気づいた。プログラミングで飯を食ってたりするんだからてっきり自分理系なのだとばかり……。マジかよ……。

嘆いていてもしかたない。これをどうにかしないことには大学には行けないのだ。ならどうにかするしかない。

まずは本屋で数Iの参考書立ち読みしてみる。なるほど、わからん。よし、次だ。中学数学参考書。なるほど、わからん。よし、次だ。算数の本。なるほど、わかります。でも、最大公約数とか最小公倍数とか通分とか約分とか、けっこう難しい。小学生ってこんなのやってるのか。すげえな。

参考書ドリルを何冊か買って帰り、勉強を始めた。地獄のような日々の始まりだった。

算数ドリルをやってみると、四則演算はさすがにできるけど、九九がところどころ記憶から抜け落ちてることに気づいた。やばい。そして分数の計算がまったくできない。分数の割り算ってなんだよ。割り算で割るってどういうことよ。意味わからん。と思いつつも、算数についてはなんとかなった。問題は中学数学からである

算数から数学になると急激に難易度が上がる。なんでマイナスマイナス掛けたらプラスになるの。分数の割り算が今度は逆数の掛け算になるとかどういうことよ。ちょっともう本当に意味がわからない。そうしているうちに1週間、2週間が過ぎる。やばい。それでもぜんぜんわからない。中学数学最初の段階でこれだけ時間かかってたら数Iを終えるまでに何年かかるんだ。本当にこんなので大学へ行けるのか。さすがに焦りが出てくる。心が折れそうになる。何より、やっていてまったくおもしろくない。つまらない。こんなの社会に出てから何の役に立つんだ。これを必修にするとか文科省陰謀だろ。あ、人が陰謀論に走るのは精神的にまいってるときなのか。ひとつ勉強になった。

そんな感じでウンウン唸りながらも参考書を読み進めていると、「-xは係数に1が隠れている」という一文が目に止まった。あ、そうか、-xは、-1x、-1掛けるxってことか。なるほど。でもこれって、マイナスだけじゃなくてプラスでも同じじゃないか? つまり、xは、1掛けるxなのだ。あ、これって文字じゃなくても同じか。つまり、5は、1掛ける5だ。あれ? もしかして、どんな数にも、係数として1が掛かっている……? ああなんだか考えすぎて頭がパンクしそうだ。脳みそギシギシと軋む音が聞こえる。でももうちょっと考えてみよう。

つまり、つまり分数も同じなのだ。1/2は、1掛ける1/2だ。算数的にいえば、ケーキ1個を半分にしたものがケーキ1/2個だ。うん、それでいい。でもよく考えたら、ケーキを半分にしたあとで他の誰かがやってきたら、その人は最初の大きさを知らないのだから、半分のサイズケーキを1個とカウントするはずである。1/2個とカウントするには、「半分にした」という事実認識必要なのだ。いや待て、そもそも、1/2という数字それ自体が「半分にする」という意味なのだ。これは、「半分」という名詞ではなく、「半分にする」という動詞なのだ。1/2というのは何か実体のあるものではなく、「いまからお前を半分にしてやる」という意思、考え方、概念なのだ

そのときバタン!」と音を立てて扉が開いた。それは数学の扉だった。

そうだ、数(すう)とは概念なのだ。いち、にぃ、さん、とものをかぞえるときに使う数(かず)とは違うのだ。そして前者を扱うのが数学であり、後者を扱うのが算数なのだ。僕はいままで数学をやっているようで、その実、算数をやっていたのだ。ぜんぜん違う教科をやっていたのだから、わからなくてあたりまえ、つまらなくてあたりまえだった。

数とは概念である。その前提を踏まえてみると、これまでとはまったく違う世界が見えてきた。数を感覚的に扱えるようになってきた。数式の手ざわりがわかるようになってきた。なにこれやばい。超おもしろい。いままで「数学おもしろい」っていう人のことがまったく理解できなかったけど、そうか、こういうことか。数の正体を知っている人と知らない人では、同じ数式を見ても、まったく違うものを見ているのだ。

それからはこれまでの苦悩が嘘のようにサクサクと勉強が進んだ。中学数学も予想より早く終わった。よし、ここからが本番だ。と気合いを入れて数Iに突入したけど、参考書パラパラとめくってすぐに拍子抜けした。なにこれ中学数学ちょっと発展させただけじゃん……。気合い入れて損した……。

よし、最大の懸念だった数学はなんとかなりそうだ。次は理科系科目にいってみよう。

まずはまた本屋参考書を何冊か購入し、読んでみる。数学ときほどまったくわからないということはないけど、なんだかいまいち頭に入ってこない。原子がどうの、位置エネルギーがどうのといわれても、なんだかいまいち実感がわかない。これはまた数学ときと同じく、勉強の仕方を間違えているのではないかと思った。こういうのを学校で習うときは、実験を行いながら、実感をともなって理解していくもののように思う。本を読むだけではその実感は得られないのは当然だ。でも個人で実験器具を揃えるなんて現実的じゃないし、わざわざこのためだけに予備校に行くのも大げさだ。そうだ、どこかの動画サイト実験映像がアップされてるんじゃないだろうか。それを見れば多少は実感もわくだろう。

いろいろとネット上を探していると、NHKの高校講座を発見した。どうやらNHKでは放送済みの高校講座をすべてネット配信しているようだ。理系科目はもちろん、文系科目もある。こんなんあったのか。もっと早く教えてくれよ。とかぼやきつつ、さっそく科学と人間生活の講座を見てみたら、バラエティ番組っぽい雰囲気ちょっと面食らった。NHKの高校講座ってこんなんだっけ。講師が延々と解説してるだけの、いかにも教育番組って感じの、おかたい雰囲気じゃなかったっけ。いまはタレントがメインで出ていて、講師あくまで補佐的な役割のようだ。そのぶん雰囲気はゆるくなっているけど、見ていて飽きない作りになっている。化学物理実験映像で見られるのもそうだけど、習った内容が社会の中で実際にどう活かされているのか、町工場や、最先端研究現場リポートもあったりして、興味をかきたてられる内容になっている。これを無料配信するとか、NHKすげえな。しかしやはりこういう講義形式はわかりやすい。本で独学だと、自分の理解が合ってるのかどうか、不安になることが多々あるし。

よし、どんどんいこう。化学基礎。いまはpHを「ペーハー」じゃなくて「ピーエイチ」って読むらしい。マジか。物理基礎。ダムの水が持つ位置エネルギーは何から与えられたエネルギーか。え、わからん。正解は太陽エネルギー。マジか。太陽パネェな。生物基礎。呼吸と燃焼の反応式は同じ。温度と反応速度が違うだけ。え? マジで? 生まれときから呼吸してるのに知らんかった……。ショック……。地学基礎。グリーンランド沖で沈み込んだ海水は、太平洋の表層に達するまでの5万kmを、1000年とか2000年とかかけて流れる。壮大すぎだろ。地球パネェな。地理。お、このケッペンの気候区分ってのは世界一周アプリに使えそうだ。GIS(地理情報システム)を本気で開発するなら、地理に関してはもっと突っ込んだところまで勉強しないといけないかもしれないな。

さら日本史世界史数学I……NHK高校講座おもしろすぎわろた、とかやってるうちに、試験本番の日がやってきた。


試験会場に集まっていたのは、ほとんどが二十歳前後若者だった。控え室には、参考書と格闘している人もいれば、友人同士で最終的な確認をしあう人たちもいる。そういえばこの人たちはベルリンの壁崩壊後に生まれてるんだよな。それはもはや教科書で習う「歴史なのだ。そして逆に、僕より上の世代にとっての東西冷戦は、自分たちが生きた時代のものだ。「あのままずっと世界は真っ二つに分かれたままだと思ってた」というような話はよく聞く。いまとなってはわからない感覚だけど、当時は誰もがそう思っていたようだ。僕はそのどちらでもない。十分に咀嚼された「歴史」でもなく、自分が生きた時代でもない。だからそれについて、誰よりも知らない。しかしだからこそ、誰よりも知りたくなったのかもしれない。そしてそのために、僕はいま、ここにいる。

高認の試験は2日間に分けて行われる。初日の1科目目は現代社会だった。まったく対策らしい対策をしなかったから、ここで初めて気づいたけど、グラフの読み取り問題がやたらと多い。間違い探しのように精査しなければならず、1問にかかる時間が長い。問題よりも時間配分の仕方がわからない。時間が足りない。もっとちゃんと過去問で練習しとくんだった……。

次は国語。問題文にちょっとおもしろい箇所があって、静まり返った試験会場で「デュフフwww」とかキモい笑いを漏らしてしまった。死にたいしかしおかげで緊張はほぐれた。

英語TOEICに比べたら楽勝だった。9割はいけたんじゃないだろうか。

そして数学。これがいちばん不安だったけど、落ち着いてやれば余裕だった。これも9割いけたんじゃないだろうか。あらためて問題を見てみると、捻った問題というか応用問題すらないので、基本的なことがわかっていれば確実に解けるようになっている。東大入試問題とかいってたやつ誰よ。

科学と人間生活。範囲が広いのであまり詳しく勉強してない箇所の問題もあったけど、半分はいけたはず。

1日目、無事終了。

2日目。地理海外放浪ときにまわった国の問題が多く出ていて、なんだか常識問題のようだった。ちょっとチートっぽいけど、こうやって実地で得た知識もれっきとした学力だ。うん。

世界史。これも範囲は広いけど、さほど突っ込んだ問題はない。9割いけたはず。

地学基礎。フズリナと同時期に繁栄した生物は、1.トリゴニア、2.カヘイ石(ヌンムリテス)、3.ロボク、4.デスモスチルス、そこまで詳しくしらんがな。クイズか。そんな感じの問題もあったけど、なんとか半分はクリアできた。

2日目も無事終了。

試験が終わると一気に力が抜けて、何もやる気が起こらなかった。しばらくは勉強もせずダラダラと過ごした。

1ヶ月後、試験結果が届いた。

全科目合格だった。

それが先週の話。

そしていま、こうして増田に投稿する文章を書いている。

からこのお話はここで終わりだ。正確にいうなら、ここから先の展開はまだわからない。


あらためて思う。世界は巨大で、そして複雑だ。

数学の扉を開いたとき、数式が以前とはまったく違って見えたように、新しい視座を得れば、世界がまったく別物に見えてくる。世界が変わる。そしてまた、以前は気づかなかった、新しい視座の存在に気づく。

あとどれくらい、そんなことを繰り返せばいいんだろうか。

方程式定理法則電気磁気エネルギー素粒子、宇宙、銀河太陽地球生命遺伝子、進化、化石燃料、製錬、農耕、富、労働、権力支配、隷従、社会自由イデオロギー宗教民族言語貨幣、法、国家議会政党福祉、教育、研究、産業、組合、企業、グローバリゼーション条約為替貿易経済

時間軸と空間軸を埋め尽くす、無数の点と線。それらが織りなすのは、世界という長大な書物。

そのことを考えると、なぜか胸が苦しくなってくる。無性に泣きたくなってくる。

人生のすべてを費やしても、その書物を読み解くことは決してできないと、どうしようもないほどに思い知らされるからかもしれない。

だけど、それでも僕は、次のページをめくらずにはいられない。

それはきっと、生まれながらに組み込まれた、僕の中の最もプリミティブなプログラム

未知の領域へ。さらその先へ

どんな権限をもってしても、そのプロセスを殺すことはできない。

から僕は、今日も本のページをめくり、旅をする。

たとえそれが、世界いちばん遠回りな世界一周の旅だとしても。

2015-06-13

"成長の限界"に達した「艦これ同人界隈のこれから

先日当落が発表された今夏の夏コミC88において、艦隊これくしょん略称艦これサークル数が大方の予想を大きく裏切って前同維持の1846サークルに留まる事態となった。

艦これ同人サークル数は、ゲームサービスが開始して以来、常に明確な増加の一途にあった。

それが、種々のコンテンツにおける"最大の華"であるアニメ化をもってしてもほとんど増加を維持することができなくなったことに鑑みれば、艦これ同人界隈はついに最盛期を越えて「秋」の時代突入したと言える。

約2年で成長の限界に達した艦これ同人界隈は今後どうなって行くのか、これまでの傾向を分析しつつ今後について言及してみたい。

尚、本稿は艦これやその他の作品並びにそれらのファンを煽ったり貶したりするものではないことを先に述べておく。

本稿を読み進める方は、あくまで冷静に数字とその結果を見ていただければ幸いである。


C88当落発表までの艦これ同人界隈の状況

序文で「大方の予想を大きく裏切って」と述べた通り、C88の当落発表まで、Twitterや各種掲示板艦これコミュニティでは「C88では艦これサークル数が2000を超える」ことがほぼ確実視されていた。

読者の方の中にも、漠然とそう思っていた方は多いのではないかと思う。

そのような意見が支配的だった理由を精査してみると、主に以下の2つの要素が根拠として挙げられていることが分かった。


艦これ同人サークル数の一貫した増加傾向

まずは、これまでのコミケにおける艦これ同人サークル数の変遷を見ることにしよう。


  ・C85(2013年冬):(1136) ※註1)

  ・C862014年夏):1498 [+362:前同131.9%]

  ・C872014年冬):1840 [+342:前同122.8%]

 ※註1)C85時点では「301:艦これ」というジャンルコード存在しないため、有志が計測した実測値となり誤差が含まれ


このように艦これ同人サークル数は毎回約350サークルという極めて高い増加率を誇っていたことが分かる。

(尚、C84の締め切りは2013年2月であったが、艦これゲーム本編の提供開始が2013年4月であるため、C84に艦これサークル存在しない)


アニメ版艦これの放映

また、2015年年始からアニメ版艦これの放映が始まり結果的賛否割れものの大変な盛り上がりを見せていた。

前述したように、ゲーム小説漫画原作とする作品において、アニメ化は一般にコンテンツ最大の盛り上がりを見せる場となる。

この傾向は、例えば最近ではアイドルマスター系列作品ラブライブ進撃の巨人などの作品でも明らかである

比較的誰でも簡単に確認することができて、かつこの傾向が顕著に表れる指標としては、pixiv大百科の各作品タグ掲載されている毎日の閲覧数を示したグラフが分かりやすい)

アニメが華と言われる理由はいくつかあるが、本分析テーマである二次創作同人に限れば「お金を払ったり特別装置を用意したりせずとも、TVで見るだけで手軽にその作品世界に触れることができ、新規のファンが増える」「声や映像によってキャラクター所作性格イメージやすくなる」という点が大きい。


上述の①及び②のような状況を見て、C88の1846サークル [+6:前同100.1%]という壊滅的な成長率を予想するのはほとんど不可能であろう。

特に②の要素は、他作品の当時の傾向に鑑みれば、本来であれば艦これ同人界隈に大きなプラス寄与をもたらしたはずである

では、何故サークル数は頭打ちになってしまったのか。


アニメ化は失敗だったのか?

C88での艦これサークル大幅躍進を確信する声がほとんどだった一方で、ごく少数ではあるがアニメの出来が良くなかったため、C88ではサークル艦これから離れるのではないかという意見もあった。

確かに、艦これアニメに関しては、一部の作画問題シナリオの迷走などで賛否が大幅に割れいたことは否定できない。

賛否割れた例としては、加賀の弓の構え方、赤城の食べていた大盛りカレー描写如月轟沈提督吹雪採用した理由など、激論が繰り広げられていたのを覚えている方は多いのではないかと思う)

これはニコニコ動画での放送アンケートの結果からも見て取ることができ、特に3話及び9話以降で顕著である


しかしながら、アニメ艦これ同人サークル数に負の影響を与えたという考え方には否定的にならざるを得ない。

その理由の一つが、C88の参加申し込み期限問題である

C88の参加申し込み期限は、郵送が2/4(水)、オンラインが2/12(木)であった。

艦これアニメ放映開始が、一番早いところで1/7(水)深夜であったため、C88の申し込み締め切りまでに4話あるいは5話まで放送されていたことになる。

アニメの前半期で大きく評価割れた回は3話の如月轟沈の回のみであり、1~2話及び4話以降はしばらく相対的評価の高い回が続いたため、サークル数の伸びをここまで抑え込むほどの壊滅的な影響があったとは考えにくい。(則ち、9話以降の影響は申し込み期限の時点では現れない)

もう一つの理由として、堅調なアニメDVDBDの売り上げが挙げられる。

あれほどまでに賛否割れたにも関わらず、アニメBlu-ray Discの売り上げは初巻で2万枚に達するほどの売り上げを見せている。

もちろん、BDの売り上げが艦これ同人界隈の盛衰をそのまま反映する指標であるとは思わない。

また、全巻同時予約かつ予約キャンセルを受け付けない前提で別途特典を付けるなどの一部の販売方法の影響も少なからずあるかもしれない。

しかしながら、それでもなお2万枚という販売数は昨今のアニメBDの中でもかなりの上位に位置しているものであり、それだけアニメ否定的でないファンがいるということであり、言い換えれば艦これファンの絶対数自体がまだ多いということに他ならない。

また、後述するが、同人界隈の動向を調べる上で相関性の高いpixivニコニコ動画投稿数等も、アニメ放映中に増加していたことも付け加えておきたい。

以上を考慮すると、アニメがC88のサークル数増加に負の影響を与えたとは言えないと結論付けるべきである


pixivニコニコ動画同人誌即売会などの分析

では、同人界隈と相関性の高いpixivニコニコ動画投稿数や実際の同人誌即売会サークル数はどのように変化していたのだろうか。

同人界隈の各種分析を行っているありらいおん氏の所見では、「2周年を迎えた艦これ二次創作は、pixivニコ動とも現在も拡大を続けていますアニメ放送後も、今のところ艦これ二次創作投稿が目に見えて減衰するような様子はありません。(中略)これからの1年も艦これでは活気のある二次創作活動が続くでしょう。」と結論付けていた。

文章は以下のASCIIからありらいおん氏の記事より引用

http://ascii.jp/elem/000/001/001/1001334/

しかしながら細かく数字を見ていくと、実際には2月をピークに緩やかに減少を続けていたことが分かり、特に記事掲載後には一部の指標で前年の極小値を下回る数字が現れていることが分かった。

言い換えれば、兆候はすでに現れていたということに他ならない。


まずはpixiv投稿数の変動を見てみよう。

pixiv同人サークルが多く利用している投稿サイトであり、そこでの作品投稿数と即売会でのサークル数の間には強い相関関係が見られる。


 【月ごとの週平均投稿数】

  ・ 9月:3653

  ・10月:3266

  ・11月:3287

  ・12月:3997

  ・ 1月:4089

  ・ 2月:4516

  ・ 3月:4423

  ・ 4月:4001

  ・ 5月:3790

  ・ 6月:3672 (6月のみ2週目まで)


上記の調査結果から艦これは昨年10月に極小値を示したあと、アニメ化の影響を受けて急回復し、今年2月にピークを迎え、その後緩やかに減少していることが分かる。

6月現在投稿規模は昨年9月とほぼ同程度であり、アニメ化によるプラスの影響は全くなくなってしまったと言ってよい。

ここで注目したいのは、C88の申し込み期限であった2月投稿数が極大値(実際には過去最大値)を示していることである

C87の申し込み期限は8/21であったが、投稿数が当時の2割増しの状態でなおC88の申し込み数はほとんど増えなかったことになる。


また、相関は劣るが閲覧数ベースで見た場合


 【月ごとの週平均閲覧数:単位は×100万】

  ・ 9月:13.15

  ・10月12.32

  ・11月12.04

  ・12月:13.98

  ・ 1月:14.92

  ・ 2月:15.61

  ・ 3月:15.57

  ・ 4月:13.84

  ・ 5月:13.02

  ・ 6月11.80 (6月のみ2週目まで)


となり、著しく減少していることが分かる。

特に6月はまだ全体平均が出せないとは言え、11月の極小値を下回る結果が出始めていることは驚きに値する。

pixivの傾向を見れば創作者、閲覧者ともに艦これ離れが進み始めていることが明らかになりつつある。


ニコニコ動画も伸び悩む。

投稿数を見ると、やはり2月の週平均投稿1200を境に下降の一途をたどり、現在は週平均500未満まで落ち込んでいる。

これは昨年10月~今年1月平均値とほぼ同じで、やはりアニメ化による効果は消滅したと考えて良い。

閲覧数もアニメ最盛期に週平均約13,500あったことと比較すると、現在の約8800という数字はあまりに寂しい。

これもやはりアニメ化以前の極小値である昨年10月数字とほぼ同じである


最後に、コミケ以外の同人誌即売会の状況を見ていきたい。

オールジャンルイベントではない、艦これのみを対象としたいわゆるオンリー即売会が振るわないという話を耳にしたことはあったが、実際にサークル数の増減を検証してみると、


  ・駆逐してやる!なのです!4:41(-4:前同93%)

  ・蒲田鎮守府3:59(-389:前同13%)

  ・(舞鶴)砲雷撃戦!よーい!16:106(-23:前同86%) ※註2)

  ・艦娘まりんふぇすた3:70(-28:前同75%)

  ・海ゆかば3:133(-74:前同64%)

  ・艦これtheフェスタ:25(-11:前同69%)

  ・我、夜戦に突入す!2有明:367(-52:前同77%)

 ※註2)「砲雷撃戦」は開催地ごとに規模が全く異なるため、同じ開催地のもの比較


と軒並み前同を割り込む事態となっており、増加したのは


  ・西海ノ暁5:145(+81:前同179%)

  ・駆逐してやる!~なのです!4:65(+6:前同110%)


など、わずかであったため、そのような話は強ち間違いではないことが判明した。

参加するサークル数が万遍なく減少しているということは、それだけ艦これ同人サークルが少なくなっていることに他ならず、コミケの参加サークル頭打ちになっている傾向にも合致する。

無論、艦これオンリーイベント比較的多く開催されているためサークルが参加するイベントを選りすぐって見かけ上分散しているという可能性もあるが、昨年と比較して開催されるオンリー即売会の数自体も減少しており、疑問が残る。


では、オールジャンルイベントではどのような傾向にあるのか。

コミケと同様に、艦これはその他のオールジャンルイベントでもサークル数が伸び続けていた。

しかしながら、実際に直近のイベント検証してみると、どうやらすでに頭打ち兆候は見えていたことが明らかとなった。


  ・コミックトレジャー:381(-34:前同91%)

  ・コミック1:736(-107:前同87%

  ・SDFスペシャル109(-36:前同75%) 


直近の同人誌即売会の状況を分析する限りでは、C88での艦これサークル数の頭打ちはむしろ予想されてしかるべきものだった可能性が高い。


今後の艦これ同人界隈を取り巻く環境

上述の各種指標が示す通り、艦これ二次創作の勢力が昨年最も低下した時期と同程度まで落ち込んでいて、尚且つ今もなお減少を続けていることを考慮すると、艦これ同人界隈はすでに成熟期を越えてその先へと足を踏み込んだ地点に達したというべきであろう。

アニメ化を経てその隆盛を維持することが困難であった理由考察するのは容易ではないが、敢えてその愚を犯して私見を述べるならば、艦これのものの手軽さゆえに訪れた結末なのではないかと思う。

艦これが多くの人に支持された一番の理由はやはり片手間で遊べる手軽さであると思う。

しかしながら、それ故にシンプルデザインは大幅な要素の追加を許さず、システムの改良やシナリオの設定・追加などの大幅な改定が行われることはほとんどなかった。

加えて国産艦で追加できる艦は最早ほとんど残されておらず(「信濃」を除けばほとんどが駆逐艦のみ)、海外艦に活路を見出そうと試みているものの、必ずしもユーザー好意的に受け取られているわけではない。(「ローマ」「リットリオ」などは残念ながらあまり芳しい評価を得られなかった)

イベントや改二、大型建造、キャラクターボイスの追加などで拡大・維持してきた人気を、ついに保てなくなる線まで達してしまったのではないだろうか。

言い換えれば、大変失礼な言い回しであることは承知の上で敢えて使うが、作品としての寿命が近づいているということになる。

再びC88に目を向ければ、半ば公式同人サークルであるC2機関落選していることも興味深い。

個別当落をあれこれと詮索するのは良くないことだが、同規模の「東方Project」で言えば「上海アリス幻樂団」が落選するに等しい事態であり、今後の動向に注目が集まるのは必至である


以上を踏まえると、今後艦これ同人サークル数が増えるというのはなかなか厳しい想定になると結論せざるを得ない。

これ以降もVita版やアーケード版の発売はあるが、アニメ以上のインパクトファクターになるとは考えにくい。

それというのも、艦これは先述の通りその手軽さがユーザーに受け入れられた大きな要素であり、専用のゲーム機必要とするVita版、衰退著しいゲームセンターに設置される大型のアーケード版などはむしろその流れに逆行するもので、一時的話題性はあるにしても、アニメほどの起爆剤には決してなり得ないからである


各々の創作者に迷惑をかけかねないため詳細は敢えて省くが、すでに一部では「ポスト艦これ」を探る動きも出始めている。

これらは間違いなく即売会サークル数にも影響してくることだろう。

すでにコミケサークル数が減り始めている東方Project場合は、しかしながら各地のオンリー即売会がなおも堅調で、特に博麗神社例大祭の参加人数が一転して増加に転じるなど一部ではむしろ復調の兆しすらも見られるが、これはひとえに東方ファンが10年以上にわたって積み重ねてきた"基礎体力"とも言うべき根強い人気に下支えされての結果である

近年のコンテンツ消費サイクルの激しい中、2年もの同人人気を拡大し続けた艦これではあるが、そのような理由で「単に規模が似ているから」と今後の艦これ同人界隈の行方東方Projectの現状をもとに比較することは困難である

成熟期のその先に到達した艦これ同人界隈が今後どうなるか、厳しい結果が予想されるが、見届けていきたい。

2015-03-29

藤田直哉は如何にして伊藤計劃の「計劃」を妄想円城塔言葉ねじ曲げたのか?

伊藤計劃以後とは何か?

http://d.hatena.ne.jp/naoya_fujita/20140323/1395596751

藤田直哉はこのブログの中で、伊藤計劃が自らの死を利用し、死後に作動するプログラムとして『屍者の帝国』という小説を構想したという考えを披露しています

伊藤計劃皮肉を込めて描き、死後にまで作動する「悪ふざけ」のプログラムを残し、そして「悪ふざけ/本気」としてそれを実行する/せざるをえない、この社会のものを相対化するプロジェクトであるのだと、ぼくは考えています。そこで必要なのは、きっと怒りではなく、(冷めた)笑いの共有なのではないかと思います

 そして、死人を利用する資本主義の話である。これが、自身の「死」の物語をどう利用されるか理解し、それを用いてプロジェクトを用いた、伊藤計劃という作家の壮絶なところ。感情や感動、物語に冷淡な目を向けていた。二次創作的な模倣が「感動」を生み出すことを理解して冷めていた。でも、自身の死という、物語ではない、絶対性の高いものを、そういう物語として利用した。そしてその「死」の物語を消費する人をあざ笑うかのようないたずらを仕組んだ。

 その結果、伊藤計劃を用いたビジネスもまた、伊藤計劃の仕掛けたいたずらの延長のようになった。この皮肉な仕掛けこそが、伊藤計劃という作家の最大のプロジェクト

 所詮商業レッテルでしょ、とか、故人を商売に利用しているんでしょ、という批判があるのはよくわかる。実際そういう側面はあるが、ぼくは、伊藤計劃というのはそれを理解して、わざと仕組んだと解釈する立場ある意味で、死を贈与した。それがSF界や出版社利益をもたらしたことは否定できない。その代わり、ぼくらは贈与だけではなく、このプロジェクトという呪いを受けるようになってしまった。「伊藤計劃言語」みたいなものが、解釈や、資本の中に残って蔓延している状況を作られてしまった。


僕は、この考えというものはとてもグロテスク不快ものだと思いますが、まあ藤田直哉がそういった考えを持つこと自体否定しません。人の死に物語を求めてしまうのは、ある程度は仕方のないことではあります

伊藤計劃は、自らが死ぬことによって作動するプログラムとして『屍者の帝国』を構想した。僕はこの考えにまったく賛同できませんが、藤田直哉の考えが間違っていると断定することもできません。伊藤計劃はもう死んでいて、その真偽を問うことはできないのですから

しかしながら、藤田直哉はこの妄想正当化するために、円城塔自分と同じ見解に立っているという嘘をつきました。

藤田直哉がこのブログ掲載している、「週刊読書人寄稿した『屍者の帝国』評」に次のような文があります

 悪質な冗談はこれだけではない。伊藤計劃はそのような屍者を労働させるプロローグを、死病に苛まれながら、書いた。まるで、自身の「死」がどう利用され、「物語化=伝説化」されるか理解したうえで、チェシャ猫のような微笑を死後に残そうとしたような「冗談」を伊藤は遺した。それを受ける円城も、あくまで本作が死後に駆動し続けることを見越した悪ふざけのようなプロジェクトとして理解し、そう書かれているからこそ執筆を引き受けた旨をインタビューで答えている。悪ふざけを受けつぐ粋な心こそが、プロジェクトを先に進めるエンジンとなった。


ここで、藤田直哉は「それを受ける円城も、あくまで本作が死後に駆動し続けることを見越した悪ふざけのようなプロジェクトとして理解し、そう書かれているからこそ執筆を引き受けた旨をインタビューで答えている」と述べていますが、そのような事実はありません。藤田直哉自分妄想正当化するために、円城塔言葉ねじ曲げています

円城塔は「『屍者の帝国あとがきに代えて」で次のように述べています

http://www.kawade.co.jp/empire/

伊藤計劃は『屍者の帝国』を自分の全てを語り切る畢生の作、最後作品として構想したわけではなく、次へと続く切り替えの場として、むしろ軽い読み物として考えていたはずです。


ここで円城塔は、伊藤計劃が『屍者の帝国』を自身最後作品として構想していた、という考えをはっきりと否定しています。「あくまで本作が死後に駆動し続けることを見越した悪ふざけのようなプロジェクトとして理解」などしていません。

確かに『屍者の帝国』が発表されたことのインタビューで、「悪ふざけは続けよう」といった言葉円城塔は語っています。当時のインタビューが乗っていたサイトはもう削除されているため、一部のみの引用となってしまますが、一応載せておきましょう。

http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1346917403/

http://ddnavi.com/news/87399/

「『死者が動く』話でなければ、やらなかった。当人が亡くなって、冗談のようであっても、誰かが引き受けなければならないだろうと思いました。

追悼というわけではなく、悪ふざけは続けようと」

「死者が動いてる話じゃなければ、やらなかったです。(中略)冗談の中の雰囲気で、中編ぐらいのボリュームで、死者が動く話。それで、当人は死んでしまう。“ええっ、(自分が)動かさないといけないのでは”と(笑い)。それが一番ですよ」


確かにここで円城塔は「『死者が動く』話でなければ、やらなかった」とは述べていますしかし、そのことが円城塔が「あくまで本作が死後に駆動し続けることを見越した悪ふざけのようなプロジェクトとして理解し、そう書かれているからこそ執筆を引き受けた」ことに繋がるとは思えません。先ほど引用したように、円城塔伊藤計劃が『屍者の帝国』を自身最後作品として構想した、という考えを退けています

確かに円城塔は、伊藤計劃の死によって中断された小説を書き継ぐ、という状況を『屍者の帝国』を書くにあたって利用しています

 しかし、『虐殺器官』で言葉による人間社会崩壊を、『ハーモニー』で人間意識自体喪失を描いた伊藤計劃が、「死んでしまった人間労働力とする」物語を構想した以上、その先へと進もうとする意図を読み取らずにいることはとても難しいのです。また、その脈絡を受け入れない限り、わたしが『屍者の帝国』の続きを書くという仕事を受ける意味はないとも考えました。なぜなら、『屍者の帝国』の続きを書くということはそのまま、「死者を働かせ続ける」作業となるに決まっているからです。偶然にも与えられたこの図式を最大限に活かすことが、わたしの作業目標になりました。


しかし、その図式は「偶然にも与えられた」ものしかありません。伊藤計劃がこの状況を意図して作り上げたという考えは明示されていません。

円城塔は「『屍者の帝国文庫本あとがき」でもこのように述べています藤田直哉ブログを書いた後に発表された文章ですが)。

そもそも自分の死の可能性が確率として高まっている状態で、次回作は死者を労働力としている世界について書きます、と嬉々としている時点で人の悪さも極まっている。

 ここでわたしは、伊藤計劃自分の死を見越して、そのあとに展開するはずの「死者を素材として利用する世界」を書こうとしていたといいたいのではない。


まあ、とりあえず藤田直哉が自らの妄想正当化するために円城塔言葉ねじ曲げた、ということはご理解いただけたのではないかと思います

藤田直哉伊藤計劃の「計劃」というペンネームに無理に意味を求めようとしたことが原因で、このような妄想を抱いてしまったのではないかと僕は妄想してしまますペンネームペンネームです。伊藤計劃プロジェクトという呪いSF界にかけたなんていうのはただの被害妄想しか思えません。

 
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