AtCoderというサイトでは毎週末競技プログラミングコンテストが行われてる。競技プログラミングは算数みたいな問題をプログラミングで解くスピードを競うってやつなので興味出た人はちょっとやってみてほしい。
で、ついさっきもコンテストがあったんだけどそこで色弱には判別が難しい図が出題されたんだよね。要するに2種類の点を移動したりすることで重ねることができるか?っていう問題なんだけど、問題文の後の例題にxy座標面に赤と緑で色別された点が配置されている図が使用されていて色弱の人にとっては若干不利になる問題構成となっていた。
自分自身色弱なのもあって、コンテスト中に件の図を見たとき「うわっ」とは思ったけど問題文しっかり読めば割と対応できる範囲の不自由だったんだよね。それでコンテスト終了後にTwitter覗いてみたら、今回のコンテストの一番の話題といってもいいくらいに”色弱”が取り沙汰されていたから結構驚いた。
中にはかなりブチギレている人もいて、「企業としてありえない」等の結構強めの発言が飛び交ってる。一方で運営側は「事前に気が付くことはできなかった、そういった全てのことへの配慮は難しい」というような主張でそれがまた追いブチギレを呼んでる感じ。
俺は今回のキレている人に聞きたい。本当に困った???????
色弱って先天的な機能の不具合、障害としてはかなり軽めの方だと思っていて、いわゆる色弱に当たる人のほとんどがそれで強い不自由を感じたことはないんじゃないかな。自分自身、高校で希望制の色の検査があったときノリで受けてその時初めて自覚したくらい。自分から見ると今回のひと騒ぎはマジで日常生活に支障が出ない”色弱”に数カ月から数年に一度のスポットライトが当たった結果、鬼の首を取ったように自分のアイデンティティとして主張したくなった人達の自己表現スピーチのように見える。言い方悪いけど。
そもそもこの手の障害っていうものは基準となる一般人モデルと比較して何かが足りてなかったり向きが違ったりという状態で、そうした基準モデルから外れた存在も平等に暮らせるようにしようという思想は素晴らしいし納得できる。ただ、基準モデルから外れた存在も基準モデルと同じ待遇を受けられなければならない、受けられるべきだという主張には個人的に納得できない。いまの時代そういった「基準モデルから外れたアイデンティティ」が何よりも強い時代だからこそ、余計にそう思う。
そもそも、今回の問題って”色弱を虐げている”のかな?足が無い人にジャンプしてみろよとか言うなら、それは明確な攻撃だけど、今日は東京武道館に集まった数万人の観客にコールアンドレスポンスでジャンプを要求してるわけでしょ。そのなかに足のない人がいたなら、謝罪こそするけど別に傷つける意図はなかったわけじゃん。今回のもそう。色弱ってのは一桁パーセントだけいる基準モデルから外れたステータスなんだから、そのマイノリティを100%カバーすることなんてできないわけ。だからこそ自分の考えは「マイノリティが共生できる社会を目指していこう」であって「マイノリティが暮らせなければならない」ではないわけ。今回の騒動で次回以降は多分対応してくれるでしょ。その色弱に配慮してほしいという要望を乱暴な言葉で、直接じゃなく多くの人の目があるところで声高に主張する必要はあったのかな?
あとここからは愚痴。競技プログラミングは数学や情報系の遊びということもあっで学問の道に興味がある優秀な人が傾向として多いんだけど、結構根っこの方は子供っぽいというか感情的な発言が目に付く。よく言えば、負けず嫌い、勝負事命みたいな感じで解けなかった問題が多い回とかはコンテスト自体に対しての文句が見受けられる。今日のコンテストは運営側の想定より難易度の高い問題が多かったこともあって、たまったフラストレーションがこの色弱問題に集中した感じもある。
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