はてなキーワード: 巨大企業とは
ある街には5件の菓子店があった。それぞれの店で看板商品は異なっているものの、その街に住む人々の飽くことなき食への欲求を満たすべく、積極的に商品開発を行なっていた。
そんなある日、ニューヨークのある企業が革新的な菓子を開発した、とのニュースが流れる。その新たな菓子は、分類するならば”チーズケーキ”と表現するべき物のようだが、その味たるやチーズケーキはおろか、過去に作られたいかなる菓子とも比べても桁違いの芸術品であるとニュースは伝える。その味は個々人の好みを凌駕し、すでにニューヨークの大半の人々を魅了しはじめているようである。
何より驚くべきことは、そのチーズケーキの開発元企業インターネット上でレシピを公開していることである。Webページではレシピに添えて、この公開が世界の公益に資するものと強く信じている、という社長メッセージが掲載されている。彼らはもともと食品の販売を専門とした企業ではないとはいえ、ニューヨーク中を虜にしたケーキのレシピをなぜ一般に公開するのか、その真意は今のところ誰にも知りようがない。
レシピを見る限り、決して高価な材料や特殊な調理法を必要としない。むしろ安価で広く手に入る材料ばかりで構成されている。取り立てて珍しいものとしては寒天くらいであろうか、ただチーズケーキ作りに使われることは珍しくとも、一般的な菓子作りにおいて決して風変わりな食材であるとも言えない。
ともあれ、このレシピの公開を受け、この街の5件の菓子店も大きな決断を迫られることになる。
というのも、例のチーズケーキはニューヨークの菓子店の店頭に並ぶやいなや大きな人気を博し、従来の菓子市場をあっという間に席巻した。明日、この街において同じ状況が訪れないとは限らないのだ。今すぐこのチーズケーキの商品化に取り掛かるべきなのか?
奇しくも5つの菓子店が出した結論は全て同じであった。「このチーズケーキは商品化しない」
一体何故だ?決して製法が難しいわけでもコストが高い訳でもない。
その理由は、彼らの既存商品ラインナップにあった。彼らは、今の看板商品の売上がチーズケーキによって奪われてしまうことを恐れたのであった。
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以上、駄文でお恥ずかしい限りです。しかし愚にも付かない創作ですが、この結論に違和感を感じはしなかったでしょうか。
5つの菓子店はなぜチーズケーキの開発を進めないのか。仮にそのチーズケーキの味が本物で、5つのうち1つの店でもチーズケーキを売り始めてしまえば、彼らが恐れている看板商品の売上は他店によって大きく損なわてしまうでしょう。
ひょっとすると何らかの理由で5つの店は談合しており、このチーズケーキの販売を見合わせる協定をしているのかもしれません。たとえそうであっても、第6の新たな菓子店がそのチーズケーキをひっさげ、街の菓子市場に割って入るのも時間の問題でしょう。
市場経済が常に企業間の競争の連続の上に成り立っている以上、既存商品とのカニバリゼーションだけを理由に、あえてチーズケーキに手を出さないという決断をし、その結果市場にチーズケーキが供給されないという考え方は合理的ではないと考えています。
(もちろん現実はこれほど単純ではなく価値の捉え方・企業の戦略も多種多様ですし、イノベーションのジレンマが示したのはチーズケーキに手を出せなかった過去の巨大企業の実例でしょう。ただしその際は新たなイノベーターが市場を破壊しにきます。)
ただ、何故か医薬品においては起こりうるべきこととして考えてしまう人も一定数いるようです。(痛ニューの記事を一般論として書くのはいかがなものですが)
http://b.hatena.ne.jp/entry/blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1989967.html
今、世界中の製薬企業はアンメットメディカルニーズと呼ばれる既存薬での治療法が確立されていない病気の治療薬を、それこそ血眼になって探しています。そして、がんはその中でも最も大きな市場となっており、多くの製薬企業の主戦場となっています。
もし虫下しで癌が治るのであれば、2004年の発見から15年経っても市場に現れないということはまず考えられません。そしてそれが製薬企業の陰謀であるなどということも、まずないでしょう。一般的な薬の開発にかかる期間は7-10年程度かなと思います。最近
製薬におけるパラダイムシフトはすでに起こっており、これまでの低分子薬ではすでにあらかた取り尽くされてしまい、最近の新薬ではバイオやゲノムなどこれまでと全く異なる方法での研究開発が主となっています。
世界中で星の数ほどの製薬ベンチャーが生まれ、大手製薬企業はその中で見込みがありそうな薬を持つ企業の買収や提携により薬の種を仕入れることが珍しくありません。
これが製薬企業の陰謀なら、世界中のありとあらゆる製薬関係者が関与するカルテルでも作るんですかね。毎年研究者の卵が生まれるので大変ですね・・。どんな談合があったとしても、裏切ったもん勝ちな感じもします。囚人のジレンマってやつですかね。
なお別の記事のブコメで、この薬剤では治験にかかる費用がペイできないのでは、というコメントがありましたが、これも可能性としては低いものと考えています。
まず薬価については、日本では新薬の薬価算定方式が厚生労働省によって定められておりそれに従い価格が決定されます。
https://www.mhlw.go.jp/file/05-Shingikai-12404000-Hokenkyoku-Iryouka/0000144409.pdf
虫下しががんに効くとすれば、これまでの作用機序とは全く異なる新薬で、薬価基準制度における原価計算方式になります。ここで研究費や開発(=治験)費用も一般管理費として計上した上で、さらに営業利益等を上乗せした価格が最終的な薬価となります。
ただし日本の医療費は年々上がる一方で国も薬価引き下げのための施策を多数取っていますし、原価計算方式であっても必ず利益が出る薬価になるという担保はありませんが。オプシーボも想定以上に販売数が上がり、その結果劇的な薬価の引き下げに繋がりました。
いずれにせよ、がん細胞をこれまで止まったく異なる機序で死滅させるとすればそれこそオプシーボのような画期的新薬となり、採算を気にしなければならないような話ではありません。
ちなみに余談になりますが、がんに効くと言われた虫下し薬がどれだけ安価に作られるものだとしても、人間の治療に使う医薬品が同じような価格帯となることもまたありえません。薬が保険適用の対象となるまでには10年スパンの研究〜開発〜承認の流れがあり、また製造においても品質を担保するための様々な規制があります。それらのコストが全て医薬品にはかかっており、動物用薬と並べて比べられる類のものではありません。
かかるコストは決して安いものではありませんがそれが命、健康の重みでもありますし、万一承認された医薬品の安全性に問題があったとすれば、国も裁判で賠償責任を問われることとなるでしょう。私個人としては安心して薬を使うことができるということの価値を感じますし、総じて日本の医療制度は(先行きが不安であるとはいえど)非常に優れたものであると感じています。
話を戻して先ほどの虫下しがまだ上市されていないことを考えると、おそらくはまだ基礎研究段階、もしくは動物等を使った非臨床試験での問題が解消されていないものか、またはそもそもの2004年時点で話に尾ひれがついてしまったのではないかと思います。
最近はSNSの発展とともに(特にがんがひどいのですが)見ず知らずの他人が代替療法を提案したりするところを目にしてしまいます。これまで積み重ねてきた人類の叡智を以ってしても完治が難しい病気が存在する、というのは辛いですが間違いのない事実です。
いざそのような病気に直面した時、どこかに魔法のような治療がある、という言葉を信じたくなってしまう気持ちは察するに余りあります。(これは病気となってしまっった当人だけではなく、その周りの親類や友人にも当てはまります)
ただ今私たちが受けている医療は、それだけ多くの科学的エビデンスを過去から積み上げてきたからこそ享受できているものです。決して第三者の甘い言葉だけに惹かれてしまうことなく、担当医の見解を聞く、セカンドオピニオンを取る、各種支援団体に相談する、など出来る限り多くの情報を、出来る限り冷静に集めてみてください。
また治験では未承認ながらより新しい治療薬が利用できることもあり、条件さえあえばまた違った選択肢を取ることができおることもあります。治験についてもWeb上で実施している病院などの情報が公開されています。(治験という性質上、通常の治療とは異なります。リスクを含め必ず専門医に相談の上、治療方針を検討してください)
長々と書きなぐってしまいましたが、これがこの連休を締めくくる最後の活動になりました。少しでも薬についての理解につながることを祈って。
インセプションを久しぶりに見た。
インセプションには、ロバート・フィッシャーというキャラクターが登場する。
彼は初代社長である父親、モーリスとの間に、大きな問題を抱えている。
ロバートが幼少期に母(モーリスにとっての妻)を亡くしたときの言葉、
「話すことなんてなにもないな」。
やがて寝たきりになったモーリスがロバートを呼び寄せ、言ったのは
「お前には失望した」。
父親からのこういった言葉は息子であるロバートの心に大きな影を落とした。
それこそ、夢に出るほど。
私は被虐待児だ。
父親(片親だった)と死別するまでずっと、私はあれに、ありとあらゆる暴力を振るわれた。
身体、言葉、それらひとつひとつを浴びるごとに私は呪われていった。
お前はだめだ、お前には学習能力がない、お前はただのペットだ、お前なんかいらない、
お前は娘じゃない、お前は誰だ、死んでしまえ、死んでしまえ、死んでしまえ、死んでしまえ。
いまわの際に父が言ったのは、「こんなふうに育ててすまなかった」。
……。
は? いやいや、なんだよそれ?
こんなふう? 私のこと?
あの言葉によって、呪いは完成した。いまも私は呪われ続けている。
話がちょっと逸れるけれど、目に見えて不良になるわけでもなく
私はけして「いい子にするから家に置いて」タイプではなかった。
私は娘じゃないらしいので授業参観にも運動会にも父を呼ばなかった。
そうしたら教師が親を呼んだ。
親に「出てけ」と言われたので本当に出て行った。
そうしたら警察の世話になった。
もちろん、それができないひとを弱いと言いたいわけではない。
私が根っからの変人というだけのことだ。特に強いとも思わない。
話を戻す。
カウンセラーにそのこと、つまり「こんなふうに育ててすまなかった」と、
「それはそういう手段(虐待)を取ってしまってすまなかった、という意味ではないの?」
へー、なるほど、そういう解釈もあるな。
だが死人にくちなしだ。あの言葉の本当の意味など誰にも分からない。
できることなら父には生き返ってほしい。
生き返った父に、あれはどういう意味だったのか聞きたい。
だがそれは、ついで。
生き返ってほしい本当の理由は、私がこの手で、あれを殺したいから。
いままで受けた暴力をそのまま返す。
こんなことを考えているから、私もいつか誰かに殺されるんだと思う。
運よく殺されなかったとしても、
がんの家系であることが判明したので、肺がんか咽頭がんあたりで、
誰にも手を握ってもらえることなんかなく、ひとりでみじめったらしく死ぬんだろう。
私を殴り続けたあれみたいに。
私はロバートじゃない。
でも構わない、
私は無敵だからだ。
それにしてもディカプリオはどうして、一緒にいても幸せになれなさそうな女をヒロインにあてがわれてしまうんだろうな。
インセプションもそう。それとタイタニックとシャッターアイランドと華麗なるギャツビー。
今年もいろいろ買ったね。
定価20000円前後のところAmazonのタイムセールで14000円くらい。
主にスプラトゥーン2のプレイを録画して自分の立ち回りを省みる用途に使っている。
PCゲームはGeforce Experience(NVIDIA製GPUの付属ソフト)で録画できるし、PS4は本体に録画機能があるので苦労していないが、Nintendo Switchに関してはその辺が期待できないので購入。
付属ソフトのGame Capture for Windowsは録画する分には設定も簡単で動作も安定しており機械オンチにはありがたい。配信や実況動画を撮るとなるともう少し勉強が要りそうだが。(for Macもあるよ ※USB3.0必須)
パススルー機能も付いているのでスプラトゥーン2のようなシューターも問題なく録画できる。そもそもの遅延もさほど大きくないのでADVやSLGならそのままでも。
自分のプレイングをX上位勢の動画と見比べて改善したらS+の数字が安定して増えるようになった。目指せウデマエX
自分の粗がよく分かるけど味方の粗もそれなりに分かるのでもどかしさが更に募る。
ゲーム内スタッツも本体の録画機能も貧弱なのでそりゃ野良プレイヤーのレベルは上がらんわなと改めて思った。
ソフトウェアエンコード方式なのでそこそこつよつよPCが必要。よわよわPCの人はハードウェアエンコード方式のものを買おう。
元々音楽が好きでiPod classic 120GBをずっと愛用してきたが、生産終了を機に10年間にわたる酷使から解放してあげようと思った次第。
ストレージはどのみちmicroSDで拡張するので本体16GBで十分。
Bluetoothレシーバー機能が搭載されているので、手元にない音源をストリーミングサービス経由でiPhoneにダウンロードして、iPhone→ウォークマン→イヤホン・ヘッドホンというルートでiPhone内の音楽を聴けるのが便利。
あの忌々しい変換アダプタを持ち歩く手間を省きながらイヤホン・ヘッドホン選択の自由度を担保できる。有線/無線ありきでオーディオ選びたくないんですよね。
SONY純正の音楽管理・転送アプリケーションMusic Center for PCがクソ。
数百円で売ってるので何でもいい
買いもしない(買えない)建売住宅やら怪しいセミナーやらのチラシを毎日のように入れられてさすがにうんざりしたので購入。なんで今までやらなかったんだろうレベルで郵便受けがすっきりした。
PC用に使っていた古スピーカーが限界を迎えていたので5000円弱で購入。
この価格帯にしてはなかなか良い音で鳴る。1000~2000円台のスピーカーや内蔵スピーカーからの乗り換えなら明確に違いが分かると思われる。
良く言えばコストパフォーマンスが高く、非オーディオマニアには十分な性能
見た目に高級感はないが、さほど安っぽさもない
悪く言えば値段なりの音
低音がややこもる
最安値ではなかった
下手の横好きで将棋が趣味なのだが、安い駒しか持ってなかったのでせっかくならと某フリマアプリで中古の黄楊駒を購入。15000円ほど。
将棋の駒は主に材質と彫り方の組み合わせで値段が変わる。
安価← | →高価 | ||
---|---|---|---|
プラスチック | カエデ・ツバキetc | シャム黄楊 | 本黄楊 |
書き駒 | 彫り駒 | 彫り埋め駒 | 盛り上げ駒 |
これに加えて書体の違いがあって、これは好み。楷書体の他に錦旗、水無瀬、巻菱湖、源兵衛清安などなど。
更に美しい木目が入っていたり著名な駒師の号が入っていたりすると値段が跳ね上がる。プロのタイトル戦で使われるような駒は付加価値もあってかマジで高い。
今回は無銘・本黄楊の彫り駒という高級駒へのエントリーモデル的なポジションのものを購入。これは豆知識なんですけど指す時にプロ棋士の手つきを真似ると超ハッタリかませますよ。私はこれで大会全敗しました。
いい音がする
見た目が美しい
気分がアガる
将棋はうまくならない
Razer社のゲーミングヘッドセット。
締め付けがさほど強くなく、イヤークッションも大きく柔らかいので眼鏡常用者におすすめ。眼鏡をかけたまま長時間プレイしてもこめかみが殆ど痛くならない。
サウンドも十分ゲームプレイの向上に寄与してくれるが、エイジングしないとやや高音が痛いかも。マイクの性能については分かりません。なぜなら通話する友達がいないので…
自他共に認めるインドア派なのでアウトドアブランドには興味がなかったのだが、アウトドア使用に堪えるものが街中で無能なわけがない!と思いいろいろ手を出してみたところ完全にハマッた。
モンベルのアンダーウェア。L.W.(ライトウエイト)・M.W.(ミドルウエイト)・EXP.(エクスペディション)の順に厚く暖かくなる。
都市部ならL.W.で十分暖かい。屋内に入って多少汗ばんでもすぐ乾くので汗冷えしにくくて良い。
いわゆるインナーダウンというやつ。こんな薄っぺらいダウンで何ができる!あと見た目だせえ!と思ったがアウター下に着込んだらまあ暖かいこと。
あまり嵩張らないので暖かい日はくるっと丸めて鞄に入れておけばいい。(こういうことができるのもアウトドア用だからこそやなという気がする)
本当はユニクロのインナーダウンを買おうとしたのだが、「悪いこと言わんからもう4000円出してモンベルの買え」というディープウェブの声に従って購入。
古着屋で購入。オムニヒートというアルミニウムがプリントされた裏地に遮熱効果がある…らしい。そう言われてみると暖かい…ような気がしないでもない。
防風性能はそこそこあるのでこの下にインナーダウンやニットを着込めば都会の冬は結構いける。見た目も良いしね。
今話題のワークマンにも似たような加工のジャケットあるからファッションに拘りがなければそっちでもいいかも。
いろいろ見て回った結果、mont-bellやColumbiaあたりは比較的安価で手が出しやすいな~という印象。でもそのうち雪山全然関係ない東京の電車でMAMMUTやArc'teryxを着てイキり倒してみたいね。冗談です。
あったけえ…
高垣楓を、いやアイドルマスターを愛する人は皆これを購入するべきだ。
我々はこのようなクオリティのフィギュアを2000円以下で購入できる世界に生きているのだから。
良い
無い
漫画家・弐瓶勉氏の作品にスターシステム的に登場する巨大企業・東亜重工が開発した合成人間…という設定のフィギュア。
自分は元々弐瓶ファンだが、Twitterで検索すると弐瓶作品を知らない人もデッサン人形的に購入しているらしい。それほどまでに可動域が広く、自立能力も高いので動かしているだけで楽しい良いフィギュア。正座もできるよ!
品薄気味
御託は不要。
良い
あまりにも良すぎて体調崩した
・
本稿では、下記ブログで軽妙に紹介される釧路市の停滞について歴史的経緯から振り返ってみようと思う。
https://www.kansou-blog.jp/entry/2018/10/18/173838
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.kansou-blog.jp/entry/2018/10/18/173838
近世期には、釧路は「クスリ場所」という漁場が設定され、松前藩から委託された業者がそこからの利益を独占していた。
そこでは鮭や昆布、鰊などの海産物のほか、内陸やその他獣の毛皮が収集されていた。
釧路には港がある。というか、大きな港を構築できた。これが大きかった。
函館から太平洋側に航路をとると、日高の小さな諸港を数えるばかりで、大きな築港ができない地形が続く。
例えば十勝国は広尾港の小港を除けばずっと遠浅の地形が続く。内陸に続く十勝川河口も例外ではなく、ついに十勝では大規模な漁港を構築しえないまま現在に至っている。
苫小牧港は、実は昭和の初めから計画されたもので、陸地を魔改造した港。自然にできたものではない。
釧路は道東の地域に程良く近い。厚岸にもいけるし、白糠にも近いし、内陸を通って今の北見国にも通ずる。
港を基点に色々なところに行ける。
近世末~近代初期にかけて、釧路では石炭が取れることがわかってきた。
そもそも北海道の鉄道の濫觴は、採炭メインで三笠市に小樽市とを接続したもの(ファンが多い分野だからあえてここでは雑に触れる)。
っつーことで、明治34年に釧路駅ができる。そこから十勝方面に鉄路が伸びて、日高山脈と言うでかい山脈越えるのが明治40年。
これで札幌・小樽・函館・本州方面に鉄路でモノを送れるようになる。
明治40年にここまで行けたのは結構重要。結果的に、大正3年~の第一次世界大戦の好景気に間に合う形になり、色々な階層を潤わせた。
となりの十勝の連中は昔から今まで農畜産物を本州に輸送し続けてやがる。
北海道は森林資源が豊富だが、でっかいどう過ぎて、山奥から運べないし、そもそも北海道から運べない。
鉄道ができたことで、山奥から何とか駅まで運べば何とかなることになった。
製紙業が発展するのが大正時代。第一次世界大戦の好景気後に「なんだ? 釧路に工場作って船や鉄道で運べば産業になるじゃん」と本州資本が本腰入れ始めるわけだ。
王子製紙、富士製紙なんかの巨大企業が木材の切り出しから工場生産まで取り仕切るようになる。つまり、カネを投下してゴリゴリ生産し始める。まぁ切出しは下請けに任せるんだが。
また、水産加工業もまた、この時期にこうした大規模化がはかられる。ビートやでんぷんの工場も本格化する。
昭和の初めになると、全国的に観光ブームになる。すごいね、JTB(の前身)。
そうなると、阿寒ですよ。成熟した鉄道路線の観光利用が始まる。
こうした中で、食品の釧路ブランド化の萌芽が見られる。最近のB級グルメブームまで尾を引いている。
さて、読んでいてわかる通り、釧路を支えてきた要因が全て転換期を迎えている。あるいは既に転換してしまっている。
魚は食が多様化してしまったし、石炭は使わねえし、紙はIT化で打撃を受けた。阿寒に行きたい? ちょっと一回くらい行きたいかなぁーーーくらいでしょう?
唯一の望みは工場敷設。釧路には、近隣の農水産物を加工する工場があるわけだが、そこも絶対的に振るっているかというとそうでもない。
輸送技術や輸送ルートも多様化して、釧路の固有性が薄れてしまった。この辺りは正直詳しくない。
最近、日本製紙の釧路工場が規模縮小するというニュースがあった。また人口が減るねえ。
https://www.fukeiki.com/2018/05/nippon-paper-stop-production.html
もとより難関の受験を突破して卒業までに規律のある生活をするということはだれかの指示にどれだけだまって従えるかの基準で
一流であれば難関であればそれだけ抑圧に耐えられるという靭性テストなので学歴で裁定する基準はある
ただそれが自立した社会的共生性と関係あるかは別問題で、むしろない方が理不尽な会社の欲求を外に漏らさずにすむのでよい
大卒で問題なのはつぶしがきく耐性の数値を大卒という基準で持っているにも拘らずすぐに根を上げて一般以下に落ちてもかまわないという人生大事という求められていない人材が混じることだ
要するに大卒というのは、上流になればなるほど奴隷制度に適しているということで企業や団体の保有する財産を背負って歩く蟻が何匹つくれるかというところにある
寄付をしたり分与したり社会貢献の度がすぎたりフェアトレードを本気でフェアにしたりする人間が混じってはいけない
ひたすら残業させ自殺しても本人がわるかったねと言えるエリート奴隷が必要だ
一般人がいう社会的倫理観や道徳観、社会性というものがそこに必要かといわれたらむしろ不必要ではある
人間らしい生活で努力が満足に報われる生活をしたければ地元の商店や雑居ビル群、高架下で自営をしている生活などのほうが適している
でかい金だけでできている巨大企業という生き物が上から下まで様々な奴隷をその金の使い道だけにしたがって生かす構造の
大企業と一流企業といったところへの就職に関する進学については、そういう相関とかはむしろ関係がないといっている人間にこそ目を光らせ排除していく必要がるだろう
https://anond.hatelabo.jp/20180214155553
https://anond.hatelabo.jp/20180214160914
の続きです。最後まで
チェックを受けることのない4大企業のパワーは何よりも競争を抑制するものとして現れる。考えてみればいい。アマゾンはあまりにも独占的な力を持ってしまったので、潜在的な将来の競争相手がマーケットに入場してくる前にジェダイ的なマインドトリックで相手に痛みを感じさせることも出来てしまう。株はもともと二つのキー・シグナルに沿って取引される。会社の潜在的なパフォーマンス(ポッタリーバーンの1平方フィートあたりの売上が10%上昇する)とマクロな経済の状況(住宅の供給が増える)だ。しかし今では公共・民間問わず投資家は三つ目のキー・シグナルを加えている。それぞれのセクターにおいてアマゾンがなにをするかしないかということだ。直近の例をいくつか挙げてみよう。
アマゾンが歯科関係用品のビジネスに参入することをアナウンスした日、歯科用品企業の株は4から5%下落した。アマゾンが処方薬を売ることを発表したとき、薬局関係の株は3から5%価格が下がった。
アマゾンのホールフーズ買収発表から24時間以内に大型生鮮食料品店の株の価格は5から9%も落ちた。
独占的慣行の問題が取り上げられると、アマゾンのPRチームはすぐに都合のよい数字を持ち出す。4%――アマゾンがコントロールするアメリカの小売シェア(オンライン・オフライン合わせて)、ウォルマートの市場シェアの半分に過ぎない、というわけだ。これは怪物を分割するべきだという主張に対して強力な反論だ。しかし他の数字だってある。アマゾンのプレスリリースにはなかなかあらわれない数字だ。
・34%: 世界中のクラウドビジネスに占めるアマゾンのシェア
・44%: アメリカのオンラインコマースに占めるアマゾンのシェア
・14億ドル: 2008年以降アマゾンが支払った法人税。対してウォルマートは64億ドルだ。(アマゾンは過去24ヶ月でウォルマート丸々一つ分の価値を時価総額に加えている。)
フェイスブックはどうだろうか?私たちがスマートフォンで使う時間の85%はアプリを操作するのに使われている。世界5大アプリのうち4つ――フェイスブック、インスタグラム、ワッツアップ、メッセンジャー――はフェイスブックが所有している。そしてこの4つはザックの指示のもと、5つめ――スナップ社――の息の根をとめるべく同盟を組んでいる。これが意味するのは私たちが持っているスマートフォンはすでにコミュニケーションの手段ではないということだ。フェイスブック社へのデリバリーサービスなのだ。
フェイスブックは競合アプリがユーザーの関心を集めているときにそれを知らせてくれる内部データベースまで持っている。それによってフェイスブックはその企業を買収(インスタグラムやワッツアップにしたように)したり、あるいはその強みを真似ることで競合相手を倒してしまうこともできるわけだ(ストーリーズとボンファイアでやろうとしていることがそれで、標的はスナップチャットとハウスパーティーだ)。
グーグルはグーグルで現在インターネット検索の市場の92%を握り、その価値は世界中合わせると924億ドルに上る。これはアメリカ以外のどの国の広告市場全体よりも大きい。インターネット検索業界は今や次に挙げるような数々のグローバル産業より大きなマーケットになっている。
・ 製紙・森林資源: 810億ドル
・ 建設業: 790億ドル
・ 不動産管理・開発: 760億ドル
・ 都市ガス: 580億ドル
もしたった一つの企業が世界中の建設業の92%をコントロールしているとしたら我々はどう思うだろう。あるいは製紙や森林資源の92%だったら?その会社のパワーや影響力が常識的な範囲を逸脱してしまったと思うだろうか、それとも今グーグルに対してそうしているように、素晴らしいイノベーターだと思うだけだろうか?そしてアップル、低コストの製品をプレミア価格で売ることに大成功した企業が存在している。iPhone8の材料費は288ドル、価格ラベルにかかれている799ドルに比べるとごく一部だ。
別の言い方をすると、アップルはトヨタの量を生産し、フェラーリの利益率をとっているのだ。アップルユーザーはもっともブランドに忠実な消費者でもある。92%の顧客がアップルの製品を買いつづけるのに対し、サムスンユーザーでは77%にしかならない。2017年2月には全アクティブiOSユーザーのうち79%が最新のソフトウェアにアップデートしたが、これがアンドロイドになると1.2%にしかならない。
アップルは消費者の生活の中に占めるその特権的な地位を利用して、スポティファイのような競合相手に対するアプローチにおいて独占的なパワーを振るっている。2016年にアップルはiOSのスポティファイアプリのアップデートを拒否し、iPhoneユーザーがこの音楽ストリーミングサービスの最新バージョンにアクセスするのを阻んだ。スポティファイの利用者がアップルミュージックの利用者の2倍に達したのを受けて、アップルはその遅れを30%の税金を競合相手に課することで埋めたわけだ。
アップルは消費者の間での人気を利用することにためらいがない。最近アップルが意図的に過去のiPhoneのパフォーマンスを遅くしていることが暴露されたが、これはユーザーに必要以上に早くアップグレードさせるための戦略である。これは独占に対する自信がなければできないことだ。
19世紀の終わりに、特定のマーケットの大半を支配する巨大ビジネスを指して「トラスト」という言葉が使われ始めた。テディ・ルーズベルトは牛肉と鉄道のトラストを分割し、大統領在任中に40を超える反トラスト訴訟を起こしたことで元祖「トラストバスター」としての名声を得た。100年後の2016年に話を戻すと、我々は「極めて少数の手に極めて大きな力が集中してしまうから」AT&Tによるタイムワーナーの買収は許さないと話すトランプ候補に出会う。一年後、彼のもとで司法省は実際に合併を阻止するための訴訟を起こした。
つまり我々の大統領は今も正しい戦いを続けているわけだね?よし、もうすこし掘り下げてみよう。AT&Tは1億3900万人の無線契約、1600万人のインターネット契約、2500万人のビデオ契約(そのうち約2000万はDirecTV経由)を保有している。タイムワーナーはHBO、ワーナーブラザーズ、TNT、TBS、CNNのようなコンテンツ製作のブランドを所有している。この2者の垂直合併は理屈から言うと、何百万という単位の携帯電話・インターネット・ビデオ契約者のネットワーク全体にコンテンツを製作・供給する巨大企業を作り出しうるかもしれない。
少数の手に大きな権力?そうかもしれない。しかしコンテンツと供給網の重要性が心配事であるなら、テディであれば10年も前にジェフ、ティム、ラリー、マークたちの会社のドアをノックしていたことだろう。四大企業の全てが、AT&Tとタイムワーナーを合わせたものをはるかに凌駕するコンテンツも供給網も持っているのだから。
アマゾンは2017年にオリジナルビデオに45億ドルを投じたが、これはネットフリックスの60億ドルに次ぐ第二位の金額だ。プライムビデオは200以上の国でローンチし、最近は10回サーズデイ・ナイトゲームを放送するためにNFLと5000万ドルの契約をした。アマゾンは音声テクノロジーの71%を支配し、プライムを通じてアメリカ家庭の64%に供給の拠点を築いている。64%のマーケットシェアを持つケーブルネットワークが存在するか考えてみたまえ。これに加えて、アマゾンは2位から6位までの競争相手を合わせたよりも大きなマーケットシェアをクラウドコンピューティングのマーケットに持っている。アレクサ、この状況がイノベーションを産んでくれるのかい?
アップルは今年10億ドルをオリジナルコンテンツに投資する予定だ。アップルは220万のアプリをコントロールし、2013年にはiTunes上で販売した曲数が250億曲に達するという記録を打ち立てた。アップルのライブラリーには今や4000万曲が登録されており、10億台のアクティブなiOSデバイスに供給することができる。テレビとビデオについても言うまでもないだろう。でもやっぱりAT&Tはカートゥーンネットワークを売る必要があるんだろうね?
フェイスブックは21億の月間アクティブユーザーによって作り出されたコンテンツの激流を所有している。サイトとアプリを通じて、この会社はアメリカの全成人の66%へアクセスすることが可能だ。フェイスブックはオリジナルのコンテンツに10億ドルを投資することを計画している。フェイスブックは世界で最も多産なコンテンツマシーンで、世界中のスマートフォンの大半を支配している。さあ、「今なに考えてる?」。
ユーチューブには毎分400時間分ものビデオがアップロードされているが、これはグーグルが世界の誰よりも多くのビデオコンテンツを所有しているということだ。グーグルは20億台のアンドロイドデバイス上のOSもコントロールできる。これでもAT&Tがアダルトスイムを売却することが大事なんだね?
多分AT&Tとタイムワーナーの合併が理屈に合わないというトランプは正しいんだろう。だがもしそうだとしたら、我々は10年前にまず四大企業を分割しているべきだったのだ。四大企業のどれをとっても、結局彼らがしているのは、マーケットの独占を利用して取引を阻害するという有害な独占的パワーの乱用だ。だが司法省は一体何をしているんだろう?怒り狂ったトランプのツイートはどこにいったんだ?ドアの向こう側にいる彼らはテクノロジーで人類を救いに来た救世主めいたイノベーターだという神話に騙されて、政府の居眠り運転を許してきたのは我々なのだ。
睾丸を落としてしまったような西洋諸国の中で、EUの競争担当欧州委員であるマルグレーテ・ベステアーは 巨大テクノロジーを恐れず、または彼らに騙されないただ一人の政府高官だ。昨年の5月、彼女は、フェイスブックとワッツアップの間でのデータ共有能力についてEUに虚偽を言っていたという罪状でフェイスブックから1億2200万ドルを徴収し、その一ヶ月後にはグーグルに対して非競争的慣行を理由に27億ドルの罰金を課した。
これは出発点としては良いが、この程度の罰金では象の背中を蚊がさすようなものだということも言っておかなければならない。フェイスブックの罰金はワッツアップ買収価格の0.6%にしかならず、グーグルに関しても手元資金のたかだか3%にしかならない。15分毎に100ドル取られるメーターに金を入れなかったことに対して、25セントの違法駐車チケットを切っているようなものなのだ。我々はこの手の企業に対して、利口で株主が喜ぶやり方を教えてやっていようなものだ。法律を破れ、嘘をつけ、必要なことはなんでもやって、万一捕まったらはした金を払えば良い、と。
巨大企業の独占的なパワーは資本主義者にとってのマッチョ・テストになってしまっている。イノベーションクラスの抱擁は我々を心強く感じさせてくれる。私たちは成功、特に巨大な成功が好きだし、億万長者や彼らの設立した素晴らしい企業に勇気づけられる。規制と聞けば吐きそうになる。確かに規制には醜いラベルがつきものだ。アマゾンを分割すべきだと私が提案しはじめて以来、フォックスニュースのスチュアート・バーニーは放送の時に私を社会主義者だと紹介するようになった。今にヨーロッパ人とでも呼ばれるのではないかと思っている。
2017年のマーケットが、我々の経済が規制にうんざりしているという強いシグナルを送ったことは間違いない。しかし規制とトラスト分割の間には違いがある。我々が経済について知っている話から抜け落ちているのは、トラスト分割はマーケットの健全性を保つためのものだ、ということだ。それは、がさつで不細工な規制に対する解毒剤なのだ。マーケットが失敗する時、そして確かにマーケットの失敗というのは起きるものなのだが、我々に必要なのは黄色の旗を挙げて秩序を取り戻してくれるレフェリーだ。試合ではそうしているのだから。
四大企業のすさまじい成功――10月には四大企業だけでS&P500の利益の40%を占めた――は、彼らが活動しているマーケットそのものが不健康であるという事実を覆い隠してしまう。昨年末、リファイナリー29とバズフィードという二つのデジタルマーケティング企業の将来有望な新星がレイオフを発表し、アドテク企業のクリテオは時価総額を50%下落させた。なぜ?フェイスブックがいて、グーグルがいて、その他諸々がいるからだ。そしてスナップ社を含むこうした他の会社全てがもう死んでしまっている。ただ自分たち自身が死んだことに気づいていないだけなのだ。
こういった企業が死ぬのは自己責任だと私たちは自信を持って言えるだろうか?むしろ我々のマーケットの方が失敗していて、無数のデジタルマーケティング会社が成長し、雇用を生み出し、イノベーションを起こす健全な生態系の発展を阻害してしまっているのではないだろうか?
二種類のマーケットを想像してみよう。最初のマーケットには以下の会社が含まれる。
そしてもう一つでは次のような会社がそれぞれ独立して活動している。
アマゾン・AWS・?・アップル・アップルミュージック・フェイスブック・インスタグラム・ワッツアップ・グーグル・ユーチューブ
(訳注: 原文では各サービスがアイコンで示されているが3つめのアマゾン関係のアイコンが不明)
そしてダース・ベイダーが息子に言ったように、「自分の心を探って」みて、どちらのマーケットが
ことができるか考えてほしい。トラスト分割が短期的には株価に対して悪影響をもたらすのは確かだが、マ・ベルの分割はテレコミュニケーションの分野での株主価値の急速な成長に繋がった。同様に、マイクロソフトは1990年の司法省とのいざこざにも関わらず、最高の時価総額に達したばかりだ。アマゾンとアマゾンウェブサービスが、一つになっているよりも別々の会社になった方が価値を高める可能性が高いことを信じる理由もある。
22年前に比べてアメリカの上場企業は1.5倍に増えたが、イノベーション分野の会社のほとんどが、自分たちが生き延びるための可能性が最も高くなる選択肢――あるいは唯一の選択肢――は、巨大テクノロジー企業に買収されることだと知っている。バイヤーがいなければ、大きくなる(グーグルになる、ということ)かすごすご家に帰る(ビジネスを止める)かの選択肢しかない経済が出来上がってしまう。ホームラン級の買収は格好の見世物になるけれど、中サイズの企業による買収が2・3倍に増えた方が経済成長のエンジンとしては強力に違いない。
パワーの集中はあまりにも巨大な政治力と資源を持つ企業を生み出すことで、彼らが自分たちに課される税率を中サイズの企業を大きく下回る水準に設定し、逆進的な税制を作り出すことを可能にしてしまった。
どうして我々は巨大テクノロジー企業を分割する必要があるのだろうか。四大企業が悪で、我々が善だからではない。鉄道会社やマ・ベルにしたように、競争を保証する唯一の道として、時には木の天辺を切り落とす以外の手段がないことを我々は知っているからだ。これは四大企業に対する告発でも復讐でもない。そうではなくて、健全な経済サイクルのキーになるのが、侵略的で、生まれたての企業の死を招き、他の企業の登場を許さないような企業を刈り取ってしまうことだ、という認識なのだ。巨大テクノロジー企業は分割されるべきだし、分割されるだろう。なぜなら私たちは資本主義者だからだ。今がその時だ。
https://anond.hatelabo.jp/20180214155553が文字数制限?に引っかかってしまったのか途中で切れたので続きです。
「003: アメリカ政府より強力」~「005:ジェダイのマインドトリック」の前まで
続きはhttps://anond.hatelabo.jp/20180214161344
巨大テクノロジーに屈服してしまったのは連邦政府だけではない。アマゾンの第二本部への入札の一貫として、州とシカゴ市の役人はアマゾンに13億ドルの給与税を免除し、そのお金をアマゾンが適切と考えるやり方で使えるようにすることを提案した。すばらしい。シカゴは徴税権をアマゾンに渡してしまい、シアトルの企業がシカゴの住民に最適な方法でお金を使用してくれることを期待しているわけだ。
政府の服従はそれからひどくなるばかりだ。もしあなたがアイスキャンディーを作って子どもたちに売ろうと思えば、高額な食品医薬品局のテストを無数に受け、また原料・カロリー・糖分を表示した完璧なラベルをつけなければならない。しかし、インスタグラムのユーザー同意書にどんな注意書きが書いてあるだろう。我々はソーシャルメディアのプラットフォームがティーンエイジャーの抑うつ状況を悪化させていることを示す大量の研究の存在を知っている。自分自身に問いかけてみよう。もしアイスクリームが子どもたちを自殺させやすくしているとしたら、我々はドレイヤーズのCEOがシリコンバレーのディナーで大統領の隣に座るのを肩をすくめるだけで見過ごすだろうか。
こうしたソーシャルメディアのプロダクトがタバコと同様の中毒媒介システムであることを信じない人は、7才の子供からiPadを取り上げようとして、自分の殺人計画を告げるような視線で見られるといった経験がないのだろう。この手のプラットフォームの中毒性を信じないなら、どうしてアメリカのティーンエイジャーが一日平均5時間インターネットにつながったスクリーンに張り付いているのか、その理由を自分で考えてみればいい。ソーシャルメディアが与えてくれる様々なご褒美のせいで、我々はまるでスロットマシーンの前にいるように自分の通知をチェックさせられ続ける。子供や十代の少年少女はこうしたプラットフォームがもたらすドーパミンの欲望にとくに影響を受けやすいという研究もある。多くのテクノロジー企業の幹部が自分の子供にはこうしたデバイスを触れさせないと公言しているのも不思議ではない。
以上のような問題は全て正当な懸念だ。しかしこれらの理由のどれ一つとして、あるいはこれら全てを集めたとしても巨大企業の分割を正当化する理由としては足りない。これから述べるのが、私が信じる四大企業を分割すべき理由だ。
ヴァンダービルト大学のロースクールの教授であるガネシュ・シタラマンの主張は、アメリカには中産階級が必要であり、我々の代表民主制が上手く機能するために富がバランスよく分配されるよう、憲法もデザインされているというというものだ。富めるものがあまりにも多くの力を持ってしまえば、寡頭政治につながる。だからアメリカの民主主義という舟を安定させるためには中産階級が舵にならなければならないのだ。
経済とそのキーとなる主体である会社の基本的な目的は、中産階級を作り出し維持することであると私は信じている。1941年から2000年にかけてアメリカの中産階級は世界の歴史においてもっとも優れた「善」の担い手だった。アメリカの中産階級は正しい戦争に資金を提供し、戦い、勝利した。高齢者の世話をし、ポリオの治療にお金を出し、人類を月に送り、世界の他の国に対して、自分たちがモデルとなって、消費とイノベーションが社会・経済を改革するエンジンになりうることを示したのだ。
経済の上向きのスパイラルは家庭と企業の間での循環に依存している。家庭が資源と労働を提供し、企業がモノと仕事を提供する。競争は発明と優れた製品(ハッピーアワー、リアビューカメラetc.)を提供するモチベーションとなり、車輪はいつまでも回り続ける。巨大企業はステークホルダーに対して莫大な価値を作り出す。それなのにどうして私たちの目の前で、歴史上初めて、他の国の中産階級が成長しているのに自分たちの国の中産階級が没落するという事態が起きているのだろう。経済が中産階級と中産階級が育む社会の安定を維持するためのものであるならば、我々の経済は失敗してしまっているということだ。
過去30年でアメリカの生産性が大幅に向上したのは間違いない。アメリカの消費者があらゆるレベルで自由主義社会の羨望の的になったことを否定することはできない。しかし生産性の拡大と消費者の地位の向上の結果作り出されたのは、高給の雇用と経済の安定をすばらしい電話と1時間以内に配達されるココナツウォーターと交換してしまうようなディストピアだった。
どうしてこんなことが起こったんだろうか。2000年代になってから、企業と投資家が夢中になったのは人間をテクノロジーで置き換えることによって急速な成長と利益の急拡大を可能にしてくれるような企業だった。こうして作り出された巨額の富が安価に資本を引きつけ、他のセクターは脆弱になった。古い経済に依存する企業と巣立ったばかりのスタートアップには何の希望もなかった。
結果として出来たのは企業にとっても人々にとっても勝者総取りの経済だった。社会はイノベーション経済の側(領主)とそうでない側(農奴)の二つに分かれてしまった。一つの素晴らしいアイデアがウン億のベンチャーキャピタルを集める一方で、普通の人、あるいはただ幸運でなかった人々(私たちのほとんどだ)は退職後の貯金をするためにもっともっと働かなくてはならなくなった。
億万長者になるのが過去に比べて簡単になったり難しくなったというわけではない。痛いほど明らかなのは、過去30年で見えない手が行ってきたのが中産階級を締め上げることだった、という事実だ。30歳の人間がその両親が30才だったころに比べて貧しくなったのは大恐慌以来始めてだ。
何か手を打つべきなのだろうか。こうしたイノベーションのアイコンたちが、経済の調子を保つための一時的な撹乱を行っているだけだとしたらどうしよう。トンネルの向こうではより強い経済と高給が待っているという見込みはないんだろうか。しかしこんなことがありえないという証拠はすでにある。事実、二極化は勢いを増しているように見える。これは我々の社会に対する最大の脅威だ。これが自分たちの住んでいる世界なのだから仕方ないという人も多いだろう。でもその世界も私たち自身が作り出したものではないのだろうか。百万人の百万長者を生み出すことからひとりの一兆長者を生み出すことに、私たちは意図的にアメリカの使命を変えててしまったのだ。アレクサ、これって良いことなのかね?
今まさに我々は劇的なマーケットの失敗の只中にある。そこでは政府が巨大テクノロジー企業への大衆の熱狂によって黙らされてしまっている。頑丈なマーケットは効率的で強力だが、グランドに定期的に入って旗をあげ、チームを動かすレフェリーなしではフットボールのゲームが成立しないように、枷のない資本主義が私たちにもたらしたのは気候変動、抵当危機、そしてアメリカの医療保険だ。
独占はそれ自体常に違法だったり望ましくないものだったりするというわけではない。単一の企業が投資を行い、安価にサービスを行うのが合理的であるところでは、自然な独占が存在する。しかしこの場合トレードオフとして厳しい規制が伴う。フロリダ電力は1000万人にサービスを提供し、親会社であるネクストエラ・エナジーは時価総額720億ドルだが、その価格とサービスの基準は市民に受託された人々によって規制されている。
対象的に四大企業は厳しい規制なしに独占「的」な権力を維持しおおせている。私が彼らの力を「独占『的』」と表現したのは、アップルだけは例外かもしれないが、彼らがほとんどの経済学者が独占の核心だと考える、顧客向け価格の釣り上げを行ってはいないからだ。
しかし、四大企業は我々が本能的に感じる大きな政府への反感を見事に利用し、競争が――私有財産、賃金労働、自発的な交換、価格システムと同様に――資本主義のエンジンの不可欠なシリンダーであることを忘れさせてしまっている。彼ら四大企業のサイズの巨大さに加えてチェックを受けない権力によって競争市場は抑圧され、経済が本来の目的を果たすことも阻害されてしまっている。つまり、活力ある中産階級を作り出す、という目的だ。
どうしてこんなことが起きるのだろう。1990年代にマイクロソフトがどうやってネットスケープの息の根をとめたかを思い出すのは有用だ。はじまりは何の問題もなかった。ある会社が優れた製品(ウィンドウズ)を作り出して、それがセクター全体へのポータルになった。今であればプラットフォームと呼ばれるだろうものだ。その成長を維持するため、その会社はそのポータルを自社製品(Internet Explorer)の方向に向け、パートナー(Dell)をいじめて競争をシャットアウトした。ネットスケープのブラウザの方がより人気で90%のシェアを得ていたとはいえ、マイクロソフトが意図的にインターネットエクスプローラーを援助しているのでは勝ち目はなかった。
同じ状況は四大企業ではどこでも起こっている。グーグルが上手くマネタイズできるよう、検索結果の最初のページがゆっくりと支配されていくことや、iPhoneの画面上の準標準プロダクト(アップルミュージック等)、強豪相手(Snap)を邪魔し、叩きのめせるよう会社(フェイスブック)の持てる全ての資源を按配すること、他の会社がとても競合できないような要求水準の設定と攻撃的な価格設定(アマゾン)。
もしかしたら消費者にとってもこういった「自然な」独占の方が都合が良いのかもしれない。しかし司法省の考え方は違ったようだ。1998年に、連邦政府はマイクロソフト相手に訴訟を起こし、反競争的な慣行を非難した。裁判を傍聴していた人が報告するところによると、マイクロソフトの幹部はインターネットエクスプローラーをタダで提供することで「ネットスケープの空気の供給を断」ちたかったと証言したのだそうだ。
1999年11月に、ある地方裁判所ではマイクロソフトは反トラスト法に違反しており、会社を二つに分割することを命じるという判決が出た(一つはウィンドウズを売り、もう一つはウィンドウズ用のアプリケーションを売る)。会社分割の命令は高等裁判所で却下されたが、マイクロソフトは会社の独占的な慣行を抑えることで最終的に政府と和解に達した。
和解内容に対して甘すぎるという批判もあったが、司法省があの時マイクロソフトを有望新進企業を芽のうちに潰してしまうという罪状で警告することがなかったら、今のグーグル――今や7700億の市場価値があり、自由市場の信奉者にとっての希望の的だ――が存在しえたかどうか、考えてみる価値はある。反トラスト法がなければ、マイクロソフトはマーケットの独占を利用して、ちょうどウィンドウズによってネットスケープを安楽死させてしまったように、グーグルよりもBingを使わせるよう仕向けていただろう。
司法省のマイクロソフトに対する訴訟が、マーケットに新鮮な酸素を送り込むという点で最も大きな効果を持った例であることは確かだ。株価にして何兆円ものドルを解き放ったのだから。四大企業による力の独占は、酸素不足のマーケットを作り出してしまった。私は何十回も小さな会社によるベンチャーキャピタル向けプレゼンを聞いたことがあるが、そこで説明される内容はどこでも、いつでも同じだ。「四大企業とは直接戦えませんが、四大企業の買収先としては素晴らしい会社になれます」。その細い針の眼を通すことが出来なければ、会社はその幼少期を生き抜くために必要な酸素(資本)を絶たれてしまう。IPOもベンチャーキャピタルの資金提供を受けた企業の数も過去数年で着実に減少している。
かつて「悪の帝国」そのものだったマイクロソフトと違い、グーグル・アップル・フェイスブック・アマゾンは巧妙なPRを洗練されたロビイング――オプラ・ウィンフリーとコーク兄弟をかけ合わせたようなものだ――と組み合わせて、マイクロソフトに課されたような批判からほとんど逃れおおせている(https://anond.hatelabo.jp/20180214161344に続く)
世の中のほとんどは嘘と悪意が占めている
善良な人間の割合はわからないけど立派なことを言うとバカにされる空気はある
吉凶、神戸製鋼、オリンパス、ミートホープ雪印は全部巨大企業で
辻褄の合わない年金制度を作ったのはとーだい卒しか入社できない財務省
靖国で神と祀られるからと奴隷を突撃させて身障になって返ってきたら金を払わずこじきをさせる国が日本
でその国には古事記を政府に騙された被害者でなく傷痍軍人のフリをして寄付を要求する詐欺師だと信じる国民だけが住んでいる
陰謀論ではなくて実際でしょう
悪意と嘘が日本と世界の実際だからチェルノブイリも福島も安全なマニュアルが存在しないからちょっとのことで大爆発する
言わずと知れたこの件。
https://www.buzzfeed.com/jp/takumiharimaya/hachu-metoo?utm_term=.mnWjGlvXk#.ibkRwGQev
今回の論点は、
である。パワーを使ってセクハラをする、あるいは、パワハラの手段の一つとしてセクハラを使う、というものを告発しているのである。
パワハラとセクハラが絡み合い、その根元はパワハラであるというものについての告発である。
これに対して過去の童貞いじり発言には、パワハラがほぼ存在しない。(中にはちょっとした名のある人の全体に向けた発言に勝手にパワーを感じ取ってしまう人たちもいるため、「ほぼ」とした。)
「筋が悪い。」
この筋の悪い批判は、論点と関係ない部分をあげつらって攻撃しているだけであり、過去に実際に童貞いじりがあろうとそれがセクハラであろうと論点に関係がない。
論点に関係ないのに、論点に絡めた文脈での「童貞いじりセクハラ批判」は、完全に別件であり、誹謗中傷となり、下手すると「ただの人格否定」まで落ちてしまう。
童貞いじりがセクハラかどうかは、「セクハラを伴う”パワハラの告発”」が落ち着いた後にカウンターとして別で行うべきなのである。
こういった批判は、時間が経てば自然といつもの「はあちゅうさんが嫌いだから、ことあるごとにdisっている人たち」にまとめ上げられて過疎化するはずだったのだ。
過疎化していくにつれ、まじめに#metooについてやセクハラを伴うパワハラについての議論が活発になったはずだった。
また、きちんと考えてから投稿する人間の中には、平日暇ではない人も多い。
土日にいろいろ考えを投稿しようと考えていた人たちが見る見るうちに話が変わっていって「あーあ。」となってしまったケースも多いだろう。
じっとしていればよかった。
ということだけだったのだ。
それができずに、はあちゅうさんからヨッピーさんまで釣れてしまったために、論点の中心から離されてしまった#metooもBuzzFeedもいい迷惑である。
そもそも、今回の件、まず勘違いしている人も多いし、もしかしたら本人も思い込んでいるのかもしれないが、
はあちゅうさんのやりたかったことは、本当は#metooを後押しするであるとか、社会的意義を感じて立ち上がるなんてものでは全然なかったはずだ。
彼女を突き動かしたのは、
「あの岸ってクズやろーに一発かましてやらなきゃ、もう、ほんとどうにも気が済まねぇ!」
という一言に尽きるのだろうと思っている。
言ってみればいじめられっ子が、8年越しでいじめっ子に強烈な一撃でぶちかましてやっただけなのだ。
学生時代は自分はやられるタイプではないと思っていたのに自分はいじめられたんだというやるせない気持ち、
少し離れればただのクズ行為をするおっさんだという事実、そんなもんに当時傷つけられた自分の若さ、バカさ、
今の自分ならあんなおっさんやり返してやれる力を持ったのにという自信、
そんなやつに当時ただ従って人を差し出したんだという強い後悔、申し訳なさ、
こんな気持ちが普段見えない奥底に渦巻いていて、ふとした時に、やっぱり自分は傷つけられたんだという事実が心に影を落としてふと苦しくなっていたのだと思う。
同時に、まあ、別に今はもういいんだけど。とも。
しかしこういった気持ちは、消え去るものではなく何かの弾みで顔を出し、膨らんだりしぼんだりするものである。それは、その人の名前を見たり聞いたりしたときフラッシュバックする。
そんななか、岸さんは4月についに電通から出資を受け自分の会社を立ち上げ、あげく本も出して世間に注目されてと、自分の無視できない場所にどんどんと顔を出してきた。
あんな奴がいまだにチヤホヤされて評価されている理不尽さ、ますますの調子に乗りっぷり、…もう、耐えられるわけがない。
証拠は残っている。自らの発信力はある。世間に広めるのに筋のいい媒体も協力してくれる。
つまり、はあちゅうさんの中で、仕返しをするのにメリット・デメリットを天秤にかけた結果、ついに圧倒的にメリットの方が上回ったから実行したというだけの話なのだ。
岸さんとは近い業界にいるとはいえ、仕事の方向性は全く違うから手を回されたとしても大きな影響はない。むしろ自分はこういったネット上の流れに乗って自分の道を切り開いてきた自負も実績もある。
対して、岸さんはもともと電通のクリエイティブで個人の名前を売っていたとはいえ、所詮狭い業界内で巨大企業の庇護の恩恵を受けて活動していた中、
ついに独立して本当の意味で個人の名前で勝負しなければならない非常に大事な時なのである。
その流れで本も出している。
また、一部上場企業である電通の出資も受け、社会的信用が死活問題となった時でもある。結果からもわかるとおり、こういったスキャンダルは致命傷となる。
通常、こういった仕返しを一発やってやった場合、正面から暴力を使った場合は、心情的には同情され社会的には許されつつ制度上の違反については(酌量される部分もありつつ)淡々と処罰が下り淡々と受け入れたりする。
他の手段をとる場合は、誰がやったかわからない方法を取るなどやや陰湿的な方法になるため、世の中にあいつが勝ったんだということを見せつけることが難しくなる。
代表例は、なんだろう、まとめサイトの「スカッと」タグあたりでも漁ってみてください。
どちらにしても「完全勝利」はつかみにくい。
そんな中、今回は、目的も支持されるものである上に手段も正当であり、めったにない完全勝利が見込めるチャンスがやってきたのである。
やらない手はない。
その仕返しの中心的役割を担う媒体として#metooとBuzzFeedを利用しただけである。
これはこれで全く問題ないし、むしろ#metooはこれを社会的にサポートする機能となるだろう。いじめをした人は正直どっかでやり返されるべきなのだ。
BuzzFeedにはそれを周知する媒体になれるという社会的意義もあった。
なお、追随している人で相手の名前を出さない人もいるが、#metooは相手の名前を出して実行した時に、よりあなたを守る効果が発揮されるということは頭の片隅に置いておいて欲しい。
最初、はあちゅうさんがこの件に関してはもう取材は受けないという宣言をされた時、「すごい!やり遂げるんだな!」とカタルシスに似たものを感じたものだった。
しかしその後の、余計なことから何から何まで発言しまくりの現状を見ると、たぶん上記のことは肌で感じてスタートを切っただけで、やった後の自分の動き方の想定まではあんまりしていなかったんだなーと残念に思った。
やはりどこまでいっても、本質は自分がかわいい女子大生ちゃん止まりなのだなと。
https://lineblog.me/ha_chu/archives/67293039.html
それに対して岸さんという人は、さすがメディアの頂点の会社で第一線でやってきただけあって、撤退の仕方が完璧である。徹底的に完全撤退。その後完全沈黙。兵法!
1.まず、勝ち目のない内容と認識するや、発表前に個別に謝罪。
https://www.buzzfeed.com/jp/takumiharimaya/hachu-metoo?utm_term=.mnWjGlvXk#.ibkRwGQev
2.つぎに、発表されるとともに即謝罪。
それも改ざんの恐れがなく、最後まで通しで自分の主張を読んでもらえる自コンテンツのみで謝罪。
岸さん側の感覚に立ってあえて改ざんといっているが、謝罪メールを取材相手のBuzzFeedに送るとしたらどうなるか。
行間にたっぷりはあちゅうさんやBuzzFeedの見解を差し挟まれながら発表され、読者が読みながら大きく印象の誘導をされる恐れがあるのだ。
エビデンスのある部分、のちのちバレそうな部分は完全に謝罪し、ファジーでエビデンスが出なそうなところは否定してしっかり楔を打っている。(登壇をやめさせるように相談した経緯については、ついバレないだろうという希望的観測が出てしまったのだろうか。もう電通の庇護にないことを忘れてしまっていたのかもしれない。)
https://note.mu/kishiyuki/n/n363633a5776e
3.それでも沈静化の目がないと感じるや、代表取締役を即辞任。
(2017/12/29現在:今見たら会社ページが「2017年12月18日 代表取締役の異動(辞任)に関するお知らせ」だけになってる!まじか!まっさらに完全撤退。最初はまだ通常のいろんな会社情報が載ったままだったんだよ。)
いじめられっこの復讐の鉄則は「不意をついてピンポイントで大将に大ダメージを与え、ヒット・アンド・アウェー」である。
社会人としての戦い方で、せっかく大きな勝利を収めたのに、自らの自意識から、小さいながらもまたしても1つ負けがついてしまったのだ。
今回は力を持っているはずの自分が、自らの下手クソさで起こした敗戦である。
せっかく、消えはしないまでも大きな傷はスカッと仕返しして返せたのに、完全勝利で終われるはずだったのに。
はあちゅうさんの心の中に小さいシミとしてまたしても残ってしまわないだろうか。
最悪なのはヨッピーさんである。私怨の復讐を成し遂げた直後の「友達」が語る擁護の言葉には百害あって一利なしだ。
まず、内容云々ではなく、いくらもっともらしいことを言っていても「友達の発言」以上には聞いてもらえない。
それが正しいものだとしても(実際、筋として間違った話はしていないしちゃんとしたこと言ってるんじゃないかな)客観的に見ている人であればあるほど「友達の発言」をそのままでは聞かないし、聞くと泥仕合に引き込まれる怖さがある。今回はPCデポのケースとは違うのである。
鈴木一が石原に一発入れたあとに、スンシンがのこのこ出てきて「俺があいつ(石原)は間違ったことをしたからやったほうがいいって言ってやったんだ。トレーニング付けたんだ。」って出てきたら、
「お前、、出てくんなや。。」
って残念な気持ちになるはずだ。
一通り落ち着いてから、「近くで見ていた人として…」と語りだすくらいがヨッピーさんにできる援護だったはずだ。
インターネットの時間の速さの中で生きてきた人たちにとって、数週間黙るという行為はこちらが思っている以上に難しい、というか想像の範囲外の行為なのかなという感想を持った。
なお、ここから先は(いや、ずっとそうなんだけど)個人的な意見だから今後も好きなように続けていただければいいのだが、ヨッピーさんには基本的にオモシロ下品(今はどちらかというとオモシロ無礼かな)の世界で生きていてもらいたいのだ。もともと俺パンからのゴブ僕つながりでオモコロへと続いて読んでいった自分にとって、オモコロに書き始めた頃からヨッピーさんの記事は面白くて好きなのだが、自サイト等で長文で主義主張をするバージョンのヨッピーさんは全然面白くないと思っている。これ以上はやりすぎであると思っていることや、やる必要がないと思っていること、あいつがおかしいだろうということなど、書いている内容のバランスも悪くないし、よく考えられているし、そうだよね。同意するよ。と。
「でも、そんなことは知ってるんです。」
ヨッピーさんがそんなこと考えているのは知っているのだ。ヨッピーさんの記事を読めば、いつも、伝わっているか、誇張していないか、面白く作れているか、でもやりすぎていないか、人を傷つける笑いでないかというギリギリのところを自らに問い続けかつ読者にも問い、問いに回答があればそれを受け止めて、その視点を組み込んだり自分に問い直して組み込まなかったりしながらオモシロ下品(/無礼)な記事を作っていることは明らかだからだ。
長文で主張していることを考えていることなど、記事を読めばわかるのだ。だから完全に蛇足だと思うのだ。ヨッピーさんがTwitterでセクハラ発言をする相手だって、セクハラ発言に期待して絡みに来ている人たちなのは明らかなのだ。
フミコフミオさんはTwitterになると途端につまらなくなるから読まないのと同じように、ヨッピーさんがブログに長文を書いても読まないようにするだけだから構わない。
これはこっちの問題であって、本人に顔出しで文章で考えを書いて公開して、それによっていろいろなフィードバックを受けるメリットを捨てさせることまではしてくれとは言えない。どちらかというと本人のためには続けた方がいいことだろうとは思うので続けていただければと思う。
いちいちスタンスを説明されるのはこちらとしては面白くないが、やはりそこには、メディアの世界で一人の人間として顔を出して立ったことがない者にはわからないレベルのストレスとプレッシャーがかかり、説明する必要が出てくるものなのだなと感じている。
本来、今回のはあちゅうさんの告発は、スタート時点では非常に意義深く、社会に絶大なインパクトを与えうるはずのものだった。
なぜなら、
ということが言えるからだ。
高橋まつりさんがあのようなことになってしまった原因は、本当は「セクハラ(及び長時間労働)を伴う”パワハラ”」が原因だったはずだ。
原因を長時間労働に一本化され、1年かけて社会に対して働き方についての風向きを変えてきたが、それが大きくグルっと回って形を変えて返ってくるはずだったのだ。
実は人ひとり亡くなっていたのである。
#metooは今とは比べ物にならない大きなムーブメントとなっていたはずだったのだ。
もしかしたら周りで見ているだけしかできなかった人たちによる#hertooなども始まったかもしれない。(やり方については非常にセンシティブではあるが。。)
また、マスコミ業界・広告業界、その中でも特に当事者の電通は、傷の癒えないうちに二度目の爆弾を中心(今回は傍流ではないのだ!)に食らい、もしかしたら回復困難な処分が下される危険性すらあった。
二度目のダメージというものはでかい。墓所も傷の癒えないうちにガンシップの弾を食らった際には大きなダメージを受けていたことはご存じだろう。
これが、はあちゅうさんが悪手に悪手を重ねたことによって問題が歪曲、矮小化され、あさっての方角で炎上し、その間に本丸の火がすっかり鎮火してしまい、おそらくあちらの防御態勢もすっかり整ってしまったことだろう。
核弾頭で人を殴り、手が滑って足に落としているのを見せられた気分だ。
前述のように、はあちゅうさんは「あの岸ってクズやろーに一発かましてやらなきゃ、もう、ほんとどうにも気が済まねぇ!」という気持ちだけで動いているので、そこまでこちらの期待を負わされる謂われはないのだが、
自分のために#metooとBuzzFeedを利用したのだから、そのくらい#metooとBuzzFeedに見返りを与えてあげてもよかっただろうとは思う。つくづく惜しい。
ちなみに、童貞いじりについて、セクハラかといえば、まあセクハラだろう。(個人的にはどうでもいいと思っているが。)
これについては「あなたはパワハラにセクハラを混ぜられて辛い思いをしたかもしれませんが、仮にセクハラ単体でもいやでしょう?童貞いじりもセクハラですよね?」
という突っ込みをしてやれば、少なからず彼女にダメージを与えつつ、一部認めさせることもできたのではないだろうか。
いま彼女の中では「いつもの、話の通じない、頭のおかしい人たち、無視すべき存在、また人気があるから変なのに絡まれた」として十把一絡げにぽいっとされてしまっているのだ。
ここは良く考えずに脊髄反射してしまったあなたたちのミスですね。
なお、職場でパワハラをしたことがある人間には、「次はお前の番だよ。」という言葉を送っておくので震えて眠ったらいいと思う。
そもそものはなし、ある金額を稼げるAI(例えば、時代遅れになるのに10年かかり、10年で5000万円稼げるAI)をその金額以下で売るインセンティブってどこに有るんだろう? 売り主はそれを運用して5000万円もうければいいだけなのでは?
というか、そこまでAIが進化して安定した社会において、そのものを購入する必要なんてないよね。購入するものは「そのAIの運用で得られる利益を受け取る権利」だけで十分でしょ? 購入者はAIのソフトもサーバも見る必要がなくなる。でも、それって、要するに、利殖の金融商品を買うのと同じだよね? 初期にまとまったお金を払ってその運用益をもらう金融商品なんて、この現代でも溢れてるじゃない。庶民がみんなそういう金融商品(例えば株式)に投資して不労所得を得る貴族社会に、今現在僕らの地球はなっているのかな?
AIが発達して職を奪うっていうニュースに対して、働かないでお金が入ってくるとか格差が破壊されるとか期待を持っている人を見かけるけれど、実際には全く逆で、(少なくとも短期的には)格差は広がるばかりだと思うよ。
当面のところの業務遂行AIは、今まで人間のこなしていた業務を代行する(自動運転とか)タイプなので、この場合、利益を受けるのは資本家だよ。たとえば、運送会社で人件費が圧倒的に圧縮されて、利益率がドーンと上がる。資本家はその利益を受け取るけれど、この会社の従業員(運転手)は解雇される。経営陣と総務的な部署とオペレーターが残れば仕事は回るようになる。――この事例では、解雇された人にも、社外の人にもお金なんて入ってこない。
あるいは、市場で資金を運用するようなAIのタイプも有る。いますでに株式や先物の取引のかなりの割合をAIがこなしていて、運用益を上げている。AIたちは人間よりも予測能力や反射能力が高いので、相対的に人間たちより利益を多く取れる。でも、このAIが一般的になって市販されるようになると、今度はAI対AIの取引になる。そういう状況になれば市場で挙げられる利益を誰が取るかは、AIの性能(ソフト性能+ハード性能)勝負になるわけで、「AIだから勝てていた」時代は終わる(現実にはもう終わりつつある)。そんな社会において「最強の投資AIを持つ会社」はそのAIを一般公開/販売する動機がない。もし売られるとすれば、それはすでにより上位のAIに負ける(=カモにされる)ことが確定したAIであって、それを購入してきて運用を始めた時点で、財産をドブに捨てる意味しかない。
もちろんすごい時間が立って、AIが宇宙(ほとんど無限に資源が有る)で自己増殖して人類に奉仕するような環境になればまた話は変わるけれど、100年200年の間は、AIの発達は一部の資産家や巨大企業がよりますます大きく巨大になる方向への後押しであって、万民を幸福にするものではないよ。
個々人のネットワークから生まれる価値を称揚することで、リアルの権力者が持つ唯一絶対性を崩そうとする運動だった。
その目論見どおりに、と言っていいものか、
結果としてオールド・マスメディアの価値は薄れ、ボトムアップのムーブメントによって国家が崩壊するまでに至った。
が、その一方で。
メトカーフの法則によりネットワークはひたすらに強化され続け、インターネットはメガコミュニティだけが生き残る世界と成り果てた。
メガコミュニティは巨大企業を生み、人々はその庇護下に取り込まれ、かつての自由なインターネットは消え去った。
賛否両論はあるだろうが、
「自由だからこそハンドアックスを携帯して自身を守れ」といった殺伐としたインターネッツよりも、
なんだかんだで上手くやってくれる「大きな政府」のほうが(たとえ息苦しくとも)生きやすいことは確かだ。
企業の傘下から脱し、再びユーザーに「持ち家」を与えようとしているのがMastodonである。
早々に企業に取り込まれたのは笑い話だが、これからどのように発展していくかはまだ分からない。
Gumroadは死して(まだ生きてるよ)マイクロペイメントの皮を残した。
Mastodonがもふもふの毛皮以外の何かを残す可能性も十分にある。
さて、Twitterの最大の発明は、グローバル・タイムラインを隠してフォロー/フォロワーの関係を中心に据えたことだった。
これにより「相手の家を訪問する」というアナロジーはようやくにして消え、ウェブサービスは初めて「インフラ」となったのだ。
個人領域の確保を目指すMastodonが、個人領域を破壊したTwitterを模しているのは面白い。