インセプションを久しぶりに見た。
インセプションには、ロバート・フィッシャーというキャラクターが登場する。
彼は初代社長である父親、モーリスとの間に、大きな問題を抱えている。
ロバートが幼少期に母(モーリスにとっての妻)を亡くしたときの言葉、
「話すことなんてなにもないな」。
やがて寝たきりになったモーリスがロバートを呼び寄せ、言ったのは
「お前には失望した」。
父親からのこういった言葉は息子であるロバートの心に大きな影を落とした。
それこそ、夢に出るほど。
私は被虐待児だ。
父親(片親だった)と死別するまでずっと、私はあれに、ありとあらゆる暴力を振るわれた。
身体、言葉、それらひとつひとつを浴びるごとに私は呪われていった。
お前はだめだ、お前には学習能力がない、お前はただのペットだ、お前なんかいらない、
お前は娘じゃない、お前は誰だ、死んでしまえ、死んでしまえ、死んでしまえ、死んでしまえ。
いまわの際に父が言ったのは、「こんなふうに育ててすまなかった」。
……。
は? いやいや、なんだよそれ?
こんなふう? 私のこと?
あの言葉によって、呪いは完成した。いまも私は呪われ続けている。
話がちょっと逸れるけれど、目に見えて不良になるわけでもなく
私はけして「いい子にするから家に置いて」タイプではなかった。
私は娘じゃないらしいので授業参観にも運動会にも父を呼ばなかった。
そうしたら教師が親を呼んだ。
親に「出てけ」と言われたので本当に出て行った。
そうしたら警察の世話になった。
もちろん、それができないひとを弱いと言いたいわけではない。
私が根っからの変人というだけのことだ。特に強いとも思わない。
話を戻す。
カウンセラーにそのこと、つまり「こんなふうに育ててすまなかった」と、
「それはそういう手段(虐待)を取ってしまってすまなかった、という意味ではないの?」
へー、なるほど、そういう解釈もあるな。
だが死人にくちなしだ。あの言葉の本当の意味など誰にも分からない。
できることなら父には生き返ってほしい。
生き返った父に、あれはどういう意味だったのか聞きたい。
だがそれは、ついで。
生き返ってほしい本当の理由は、私がこの手で、あれを殺したいから。
いままで受けた暴力をそのまま返す。
こんなことを考えているから、私もいつか誰かに殺されるんだと思う。
運よく殺されなかったとしても、
がんの家系であることが判明したので、肺がんか咽頭がんあたりで、
誰にも手を握ってもらえることなんかなく、ひとりでみじめったらしく死ぬんだろう。
私を殴り続けたあれみたいに。
私はロバートじゃない。
でも構わない、
私は無敵だからだ。
それにしてもディカプリオはどうして、一緒にいても幸せになれなさそうな女をヒロインにあてがわれてしまうんだろうな。
インセプションもそう。それとタイタニックとシャッターアイランドと華麗なるギャツビー。
あれ非当事者の立場からするとフィッシャーが可哀相過ぎる。嘘でもいい思い出の方が良いのかっていう。 まあみんな死ぬほど苦い体験と引き換えに最終的にはハッピーになってるわけ...
そもそも主人公たちのやってる事は犯罪行為だしね…