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はてなキーワード: 声変わりとは

2017-09-09

学校祭で女装したら友達の友達ナンパされた

中1の時、学祭女装コンテストクラス代表に選ばれた

選ばれた理由は一番似合いそうって事なんだけど当時は強く頼まれたら断れない物凄く弱気性格だったのでクラス雰囲気に流されてしまった

 

 

引き受けはしたけど女装なんて恥ずかしいし最初は本当に嫌だっただけど本気の本気で勝ちに行く

クラスの皆の熱気がすごくて"目立たないグループ"に所属してた自分にとっては皆に期待されたり

何度も女子に話しかけられるのは初めてのことだったので段々と女装するのが楽しくなっていった

 

 

そして本番当日はコンテスト宣伝として朝から女装をする事になり気合を入れてメイクされた

ウケが良いとチョイスされた服装が嫌だったが女装の内容に対してあんまり口出しして持ち悪い

と思われるのが嫌なので口答えせず要求提案はすべて飲んでた

その判断が良かったのか自画自賛になるけど普通に女子に見えるし寧ろ結構可愛いとさえ思った

お客さんの反応もかなり良くて中にはなかなか男だって信じてくれない人も居るほどで嬉しさも

あるけど少し恥ずかしかった

 

 

昼休憩の時間友達とご飯食べてたら友達の他校の友達が5,6人やってきて雑談を始めた

会話の内容は部活中心で参加できそなさそうだったので気まずさもあって取り敢えずトイレにでも

行こうとその場からスーッっと離れて学祭中は使用されてない4階に行こうと階段を登ってた所で

友達の友達の一人に呼び止められた

特に理由が会って呼び止められたとかではなくお喋りがしたいという好奇心で呼び止められたけど

別にトイレがしたかったわけではないので空き教室で二人で話すことにした

 

 

話すといっても僕は人見知りだし友達の友達典型的マシンガントークだったのでコチラは相槌

を打つ程度にしか喋れなかったが友達の友達は中々話が面白くて一緒に話しててとても楽しかった

 

 

会話の内容は最初は軽い自己紹介学校祭の事などの他愛もない話だったけど段々と会話の内容が

服装容姿の話に変化していき可愛すぎてビビったとか言われた

それも段々と変な褒め方(スカート短すぎない?とか足寒くない?)されていき太ももも触られた

何度も可愛いと褒める友達の友達もしかして女子勘違いしてるのかと思い、何とかして相手

なるべく恥ずかしくない形で男と伝えようと「女装コンテスト投票あとであるんでお願いします」

と男アピールしたが「もうちょいで行かなきゃ行けないんだ。ごめんね」と相手は全く動じなかった

その後も普通に会話を続けてくれたし女装理解した上で褒めたり話してくれてる良い人だと思った

というかいくら声変わり前とはいえ声で判断できるだろうと思ってた

 

 

30分程話をした後にそろそろ行かないといけないと言われたので友達の友達要望最後に一緒に

ぐるっと校内を回ることにした

廊下適当に歩き友達の友達希望お化け屋敷だけ入ることにしたが友達の友達がやたらと距離

詰めてくるし何度もボディタッチをされたけど嫌がると悪いだろうなとか体格的に反抗するの恐いな

とか思ってお化け屋敷に入る時にはされるがままに手まで繋いでしまった

 

 

本当は離れたかったけどお化け屋敷も恐いし友達の友達の力が強いしで結局手を繋いだまま進むこと

になってしまい手を繋いだまま玄関まで見送りに行くことになった

そして友達の友達から彼氏っている?」「付き合わない?」「今度遊びに行こうよ」と言われた

 

 

その瞬間、

何度か言った男アピールは届いていなかったんだと気付くと同時に一気に恐怖がこみ上げてきた 

男だとバレたらマジでキレられると思い彼氏がいると嘘をついてそれでも渋る友達の友達をなんとか

見送って後日送られてきたメール無視してたら特に何も起こらずに何とかなった

 

 

翌年の学校祭でも嫌がったのに無理やり女装をさせられ例の友達の友達が現れるんじゃないかと怖くて

自由時間なしでずっと働いてた

友達の友達は現れなかったので安心したけど何処か残念に感じた

2017-01-10

36歳男性による初めての女装サロン

キモい話をします。

http://anond.hatelabo.jp/20161229161258元増田氏とおそらく同じところに行って初めての女装経験をしてきた時のことを書きたい。といってもサロン内での話じゃなくて家に帰ってからの話。

サロン内で撮影してもらった大量の画像データは帰りに一式もらえるんだけど、家に帰ってPCDVD入れてファイルを表示してみると出てくるのは顔を白く塗って女性物の服を着て微妙姿勢の悪い立ち姿で奇怪なポーズをしている36歳男性の姿。

お化粧されて女性物の服を着て「かわいいかわいい!」言われながらの写真撮影はひたすら楽しかったけど、こうやって客観的にその容体を突きつけられると「まあ、そうですよねー」という感想しかなく、苦笑いしながら写真画像を順に眺めてた。

そうして見て行くうちにあるポーズ写真だけ、あれ、これ意外と女性っぽくないか、っていう写真が出てきた。

これは、ひょっとして…!、と思ってPhotoshop立ち上げて深く入りすぎてる豊麗線やら眉間のしわやらちょこちょこと除去してあげたら、目を細めてにっこり笑う女の子が目の前の液晶画面に現れて思わず泣きそうになった。

僕は体が小さくて、背の順は常に1番前で、走ったりボール蹴ったりがすごく苦手で休み時間教室図書館で大体過ごしてた。で、当時やってる男子向けの戦隊ヒーローとかスポーツものみたいなアニメ漫画より女子向けのそれの方が楽しくて、でもそれは全く間違っているような気がして、おもちゃをねだったりとか女の子遊んだりとかできなくて、そういう気持ちを内に秘めたまま過ごしてた。

小学校でも学年が上がってくると早い男子声変わりとかし始めて、でも僕は小さいので全然変わらなくて、あれ?ひょっとしてこのまま声変わりとか来なければ、女の子になれるんじゃないか、みたいなおかしなことを考え始めてたりした。まあ、中三くらいにきっちり僕にも声変わりが来て絶望するわけだけど。

成長して一人暮らしを始めたりしていろいろ自由度が上がって、隙あらばかわいいものを、女の子みたいなものをという日々をおくるも、ファッション難易度高い。かわいい服が着たいけどどうにも難しい。いや、何着か自分でも女性物の服を通販で買ってとりあえず着てみたりしたけど、髪もそのままメイクもなしじゃどうにもならなかった。

そんなわけで、思い切ってこういうところを予約して女装して撮影してもらった写真から、これは女の子に見える、人がどう思うかわからないけどともかく自分かわいいって思えるものが目の前に現れた時、なんだか自分の中にずっと居た女の子自分出会えたような気がしてすごく嬉しかった。ちゃんと女の子の僕が自分の中に存在して今までずっと一緒に居てくれてたんだなーって。自分で書いててどういう論理なんだって突っ込みたくなるけど、画像見たとき、反射的にそう思っちゃったんだからしょうがない。

行く前は良さそうなら自分でもメイク練習してコミケコスプレとかしてみようかな、なんて思ったりもしたけど撮影してもらった写真を眺めてそれはちょっと無いなーと思った。

でも、表情とポーズを作る練習してもう一回くらい行ってみようかななんて気はしてたりする。なんだかんだで体験としてかなり楽しかったので。

ちなみにダメ写真はいくらいじっても僕のスキルではどうにもできませんでした。あとその画像スマホに入れて事あるごとに眺めてますキモいです。

2016-12-24

声優に男をやらせ意味わからん

百歩譲って少年なら解らんでもないが、女声優より本物の少年が声を当ててるマルクルとかのが可愛いと思う。

声変わりした後の男になると本当に意味わからん

腐向けを狙った男ハーレムアニメ可愛い担当の男が女声優だとめっちゃ萎える、女の声に萌えない。

2016-08-16

声変わりしてるような男の子を男湯に連れてくる親ってバカすぎて言葉になんない

その歳になっても一人で風呂入れないのかよその子

障害があるなら父親いる時入らせろよ頭おかしいんじゃねーのって

精神年齢低かったら体がおっさんでも女湯入れんのか?

ちげーだろうが。見た目で判断されんだろ?なら無理なもんは無理だろ。

2016-08-15

増田小惑星男児は入ってこないでほしいということ。

夏休み増田に行ってきた。

クソみたいな短レストラバ合戦はとても美味しくて、ヤフー糞袋でやるような質問記事についたブクマ想像以上に参考になって満足なひとときだったのだけど、ひとつ不満が残っている。

増田の最新エントリ一覧(深夜)に男児が入ってきたことだ。

男児といっても小さな子供ではなく、声変わりも済んで、触腕、鉤爪、手が自在に伸縮する無定形の肉の塊と咆哮する顔のない円錐形の頭部を持つ少年だった。

万物の王である盲目にして白痴の神らしき女性と2人で入ってきたのだが、旧支配者なんてひとりで風呂に入れるだろうに、何故他の増田もいる増田に連れてくるんだ。

私はログインしてからまだ5分ほどだったが、名状しがたきおぞましさを感じたのですぐにあがってしまった。

本当はアザトースの方に非常識ではないかメッセージをとばしたかったのだが、家族水入らずのインターネットに水を差すような真似はできなかった。

さなミ=ゴなら微笑ましく見ていられるが、這い寄る混沌を受け入れることはできない。これは、私がもはや正気を失ったためなのか?

障害をもっていてひとりで無限宇宙中心部で不浄な言葉を吐き出せなかったのだろうか。それなら、ランドルフカーターは何をしているんだ?

どうしても母親なしで増田に入れないのなら有料の輝くトラペゾヘドロンがあるだろう。そちらを使えばいいのに。

はてなはてなで、千の異なる顕現のうちいくつまでがはてなのサービスを利用していいのかを明記していない。そもそも増田の入口に90度以下の鋭角がないのでわんわんパークもできない。

私は混沌宇宙に入りたくてわざわざグン増田まで来たのではない。気分が悪かった。さっきも吐いた。濃緑色嘔吐物に、無数の蛆がのたうっている。その一匹一匹が妙なる甘きコーラスを織りなし、まるで天上の音楽を聴いているようだ……ああ、ブラウザに、ブラウザに!


http://anond.hatelabo.jp/20160815142746

【追記】女湯に小学生男児は入ってこないでほしいということ。

夏休み温泉に行ってきた。

旅館料理はとても美味しくて、観光地想像以上に楽しくて満足な旅行だったのだけど、ひとつ不満が残っている。

旅館の大浴場(女湯)に男児が入ってきたことだ。

男児といっても小さな子供ではなく、声変わりの済んだ小学校高学年らしき少年だった。

母親らしき女性と2人で入ってきたのだが、小学生なんてひとりで風呂に入れるだろうに、何故他の女性客もいる女湯に連れてくるんだ。

私は入湯してからまだ5分ほどだったが、気持ち悪いのですぐにあがってしまった。

本当は母親の方に非常識ではないかと声をかけたかったのだが、家族水入らずの旅行に水を差すような真似はできなかった。

さな子供なら微笑ましく見ていられるが、小学校高学年男児を受け入れることはできない。これは、私が自意識過剰だったのか?

障害を持っていてひとりで風呂に入れなかったのだろうか。それなら、父親は何をしているんだ?

どうしても母親なしで風呂に入れないのなら有料の貸切風呂があるだろう。そちらを使えばいいのに。

旅館旅館で、何歳まで男児女児が女湯、男湯に入っていいのかを明記していない。そもそも大浴場の入口に従業員がいないので確認もできない。

私は混浴風呂に入りたくてわざわざ群馬まで来たのではない。気分が悪かった。

追記

差別表現ととられる部分があったようですのでまずお詫びします。

障害については、あるのなら保護者同伴であるべきだけれどそれなら父親と男湯に入れ という旨でした。

翌朝の朝食会場で父親がいることを確認したうえでの発言だと思っていただきたいです。説明不足でした。

そのうえで、母親同伴の必要があるのなら家族で貸切風呂を利用してほしいのです。

私自身、家族で過ごすために貸切風呂も利用しました。加えて、広い浴場でも寛ぎたかったので大浴場へと向かったところ男児も入ってきた次第です。

「背の高い低学年では」や「トランスジェンダーでは」とも言われておりますが、それなら尚更貸切風呂を利用すべきなのではないでしょうか。

何のための貸切風呂ですか。大浴場に入れない事情のある方や、家族で入るためのものでしょう。

また、本文では「声変わりの済んだ小学校高学年らしき少年」とのみ書いておりますが、下の毛も生えている子供でした。こんなことを書くと「しっかり見ているじゃないか」と言われそうで書きたくなかったのですが。

彼は、明らかに低学年ではないでしょう。嫌悪感をもってしまっても仕方のないことだと思っています

これは差別なのでしょうか。

2016-07-09

女がなぜヒス持ちになるか教えようと思う

女性感情の起伏が激しいのは一般的なことのように思える。

増田の嫁のようにヒス持ち、つまり感情の変動が大きな女性というのは少数派ではなく多数派であると思う。

女性男性も外では自分のだらしない部分、弱い部分、悪い部分は見せない。

家庭以外で女性ヒス観測する機会は少ないので、自分の嫁だけそのように思えてしまうのだろう。

 

ヒス持ちになる原因

では、なぜ女性ヒス持ちになってしまうのだろうか。

これは結論から言うとホルモンバランスによるものだ。

女性更年期でなくても、毎月生理周期に応じて2種類の女性ホルモンの量が大きく変化する。

生理前はイライラするし、生理後は割と寛容になる。

もちろん、それを盾に自分反省しない悪い女もいるし、ホルモンバランス以外の原因はいくつもあるだろう。

だが、客観的事実としてホルモン物質の濃度によって人間の気分は変化してしまうのである

ただでさえホルモンに振り回されるのに、更年期になるとさらにそれが顕著になる。

(これは男性も同様であるが。)

更年期中年は本当に感情的になりやすい。

父も祖父も母も祖母も、急に人が変わってしまったのを見て、私はそれを痛感している。

それらは一般的な傾向だから回避することは難しい。

成長期に声変わりをし、ニキビが増え、骨格が変化するのと同様、自然な流れなのである

 

体験しないとわからない

ではなぜ私が、ホルモンバランスの変化によって感情制御ができなくなることを理解しているのか。

それは、私はいわゆる元男性であり、体外からホルモンを入れて女性生理周期と同じような状態にしているかである

また、性転換手術をすると性ホルモンがなくなり、更年期障害状態になるので、性ホルモンが枯渇した状態感情性格の変化も体験した。

人間自分が感じ、観測したことからしか人間気持ち類推できないので、その変化を体験しない者には理解し難いだろう。

女性睾丸を蹴られた時の痛みを理解できないのと同様だ。

男性時代は私はかなり合理的で冷静な人間で、自身体験するまで、正直ホルモンバランス感情が変化するのは弱さだと思っていた。

前頭葉の働きが弱く、日々の生活の仕方が間違っている者の言い訳手段だとすら思っていた。

体験して初めてわかったのだ。それに抗うのはかなりの困難だということに。

(ただし、平均と比べると感情の起伏は小さいとは思うが)

 

女性ヒス男性の○○

余談だが、実は、女性ヒス持ちであるという負の傾向を持つのと同様、男性も年齢を重ねていくにつれある負の傾向を持つ。

それは、共感性の低下だ。

人を人とし見る前にモノとして認識してしまうのだ。

これは男性ホルモン状態によるものなのか、社会生活の中での人格の変化なのかはわからないが、

人間漏れのある特定パラメータ分析して優劣をつけ、それこそがその存在意義として認識する。

それは自身に対しても、自身家族に対してもだ。

心の中でパラメータが低いものに対しては存在すべきものではないと切り捨ててしまう。

しかし、年齢を重ね、自身地位や・衰えゆく能力に満足できるものはほんの一握りだ。

このような偏った価値観の中で、家族を責め、自身を責めてしまえば、不幸な人間を増やしていくだけになる。

男性であったが故気づくことができたその偏りがあるので、男性女性ヒステリーと同様認識しておくべきだと思う。

おそらく、そういう男性のモノの見方が、女性にとって癪に触っている部分もあるだろう。

彼女らが求めているのは、マニュアルによる機械的で的確な対応ではなく、仲間として認識した上での不器用な(器用なら尚良いが)思いやりなのだ

http://anond.hatelabo.jp/20160709002156

2016-07-06

DグレHALLOWってアニメ作画声優が酷過ぎてヤバい

視聴者おいてけぼりだってかなり叩かれてるけど

それ以上に声優1話なのに作画が既に死に体な件、こっちの方がよっぽど酷い。

声が軽すぎる。

ハンターも結局1話切りだった。

声変わりは駄目。

元の声優使えよって事、新アニメなのに作画を頑張らない事

こんなのアニメ組に受け入れて貰える訳ないじゃん。

ああ、そうか。売上気にしないんだね。

Dグレどう考えても1000枚未満のオーラを感じるから

もう別にいいや。

1話で切るの4期ぶりだ。

2016-04-01

http://anond.hatelabo.jp/20160331234103

俺は37だけど15歳の中3って言ってツイッターとかスカイプ20前後の子に甘えてる。

声はイケボじゃないけど可愛いと言われる。ちなみに声変わりほとんどしなかった。ちょっとボイチェン使ってるけどね。

二人程度趣味とか好みのタイプとか色々聞いて、30過ぎでも付き合ってくれそうなの見つけて本垢で付き合ってリアルで会ったことがある。

2016-01-19

http://anond.hatelabo.jp/20160119205327

いつも2chで何かっつーと「ジャニ圧ガー」って騒いでる人達

w-indsが売れなかったのは成長によるメンバールックス劣化が一番大きいんじゃないかな

最初声変わりもしてないようなショタグループだったし

Mステに出ない代わりに紅白には相当長い間ライジング枠で出てたよね

2015-10-15

魔法使いになれないなんて事は知ってた

ネタのつもりで書いたのにこの内容を登録するボタンを押した後泣いてた

私は本当に女になりたいんだなって。

完全に男の体になってから15年も鏡に映る気持ち悪い自分の姿を我慢して見続けてたんだから

何か救いがあってもいいじゃん。

ちんこがあって女の裸を見て興奮してかわいくない自分は男になった方がいいと思ってた

声変わりと体の成長が嫌なのは大人になるのが怖いだけだと。

でも、大人になっても自分の姿と声に慣れることはできなかったし、女になりたいって気持ちは燻り続けてた。

それでも、学生時代相手から声をかけて来てくれる友人もいて、なんとかなってたけど

物理的に距離が離れてからゆっくり疎遠になって、色々ちょっともう限界っぽくなってた。


最近色々調べてたらこんな気持ち悪い自分が女になっても良いのかもしれないって思ってしまって、

これまで我慢して過ごしてきた時間がただつらかっただけじゃなくってもう絶対取り戻せないんだなって

美少女になりたい



http://anond.hatelabo.jp/20151011003710

2015-08-15

「竿のない人生」における性欲とは?

例の、慶応法科大学院生(元プロボクサー)の局部切断事件なんだが、報道で見る限り、被害者弁護士は、「竿だけ」を切り取られたようである

となると精巣やその他の器官は残っているのだろう。

すると精液を製造する機能は無傷で残っているのだろうから、やはり精液は、それ以前と同じように製造され続けるのだろうか?

となると、いわゆる「たまる」状態になって性欲が湧いて来たりするんだろうか?

放出されない精液は、いずれ体内に吸収されるらしいが、つねに放出せずに吸収する人生を歩むことになるのだろうか?

性欲があるのに放出すべき竿がないというのは、かなり悲惨人生ではなかろうか?

あるいは、アナルから前立腺を刺激すると、竿を刺激せずして射精に至ることもあるらしい(ゲイの皆様のいう心太というのも、これらしい)から

今後はそうやって性欲を満たす生活になるのか?

それとも、腕を失った人が「ないはずの腕があるような感覚」に襲われるというように、ありえないはずの「勃起感覚」が知覚されたりするのだろうか?

そういえば、カストラート声変わりしないように去勢されたボーイ・ソプラノ歌手)には「性欲があった」という説と「性欲はなかった」という説があって、

映画の「カストラート」では後者採用し、むしろパイプカットした男」と同じ意味で、

お金持ちの女性とかにとって、おあつらえ向きの性欲解消の相手だったかのような描写になっていたが、

これは「竿は残して、玉はとった」結果であって、今回はまったく逆パターンなわけだよなあ。

・・・それにしても、自分はなぜこんなことに思いをはせているのだろうか?

少なくとも、我が竿は、「誰かに恨まれて切り取られてトイレに流される」ようなヤンチャはしておらず、もっぱら自ら愛でていることのほうが圧倒的に多いのだが。

2015-06-16

http://www.ishiyuri.com/entry/2015/06/16/25-examples-of-male-privilege-from-a-trans-guys-perspective

これについて生物学男性性自認はXと女性の間のTSとして男性だけじゃなく女性にも(私からすれば)特権があり、必ずしも男性強者であるというわけでないという事を言いたい。また、これは私が日常的に感じたこ事も、社会を見てて感じた事も含まれてるのであしからず

あと私が主に反論したいのは男性ヘイトをしてる米に対してであって、むしろ男女ともにそのような障壁がなくなることを願ってることも強調しておく。

1. 髪が長くても問題ない。

髪が長いと切れだのキモイなど言われる。無論こちらは不潔にならないように気をつけてる。また、髪型も色々選べる。仮に男性が髪が長くてもお団子やツインなどをしてたらおかしな目で見られるだけ。

2. 服に関してレパートリーが多い。

私は特に(浴衣だけじゃなく紬、小紋)和服が好きなのだが、男性和服カジュアルなのは少ない。また、洋服でも女性パンツスカートを選べたりする。成人式行きたくないわ。

3. 女性男性よりも女性に対して共感を示す傾向があるし、(表向きでは)女性はあまり女性に対して反論をしない傾向がある。

4. 女性はそれであることによって見逃してもらえることがある。

女だからいいということで見逃してもらえてる人ってかなりいる。もし男性がやったら叩かれてるようなことも……。

5. 痴漢冤罪を被せられる可能性がある

女性なら女性であるというだけで冤罪確率が大幅に減る。

6. (家庭内での大掃除等も含めて)肉体労働押し付けられない。

私の筋力は運動がある程度できる女性並みである。また、女性と買い物を手伝う際荷物持ちにされることも。

7. 責任押し付けられにくい。

特に私は姉弟(兄妹)の中で一番上であり、何かとあると2歳下の妹と9歳下の弟の面倒を見ろと言われる。無論妹は私ほど弟の面倒を見ろと言われない。また、家事等も私の方に振られる傾向がある。

8. (私の場合だが)趣味に対して文句を言われにくい。

裁縫が好きだが好きなこと、上手いことが分かったりすると変な目や好奇の目で見られる。また、料理掃除に関してもそう。特にお菓子作りが好きでも女性ならある程度当たり前だったりする。

9. 体毛を剃っても問題ない。

男性で毛の処理をしてると変な目で見られる傾向にある。また、そういった事があるため小学生の頃から好きだった水泳をやめる事となってしまった。もし泳ぐ必要あるなら着衣水泳してます

10. 化粧をしても問題ない。

こっちは主に男性ホルモンのせいで女性より肌が綺麗でないのですよ……。

11. 他者に甘えることができる。

男性がやるとまずおかしな目で見られるか、弱虫などと罵られる。

12. 少女漫画BL作品を(特定グループ内)で問題なく楽しめる。また話せる。

また百合についてもある程度女性好きな人がいるため、話ができる。

13. 甘いものが好きでも問題ない。

14. 女性男性より行動範囲が広かったりする。

CAトイレ掃除とか女性だけだよね。ある程度、もしくは何らかの理由があれば男性テリトリーに入っていける。買い物の際も男性が(小物、服等)女性向けのところにいると変な目で見られる。

15. 女性であるというだけで大切に扱ってもらえる。

私と妹の差って何言いたいくらい違う。(学業運動に関しては私のほうができる。) こちらが何かする必要があったら自分でやれと言われるが、妹の場合は親がやる。他にも学業成功をさせないとダメというプレッシャーが私よりはるかに少ない。(実際に親や親戚から急かされてない。)また、全般的に言えることだけどデートの時、男性は右側を歩く等をしてもらえる。

16. 微笑むだけで話が進む。

男性なら笑ってるだけじゃわからんだの何だの言われる。もしくは、キモいだの優柔不断と言われる。

17. 女性キャラゲームをしてるとネカマ/オカマロリコン、もしくは変態と言われる。

LoLAnnieとLuluしか使えないのだけどロリコンと言われる。モンハンの時はオカマ扱いだったかな。オカマTGは違うんだけどねぇ。

18. 助けを求めると動いてくれる。

男性なら男なんだからと言って断られる。

19. 子供は好きと言っても問題ない。

もし言ったらロリコン扱い。絶対に言えないし、子供をあやす上でできることの範囲が全く違う。

20. 馬鹿なふりをしてもそれで通る。

男性で知らないふりや気づかないふりをすると叩かれることが多い。

21. 女性向けのサービス等がかなり多い

TOHOシネマズの割引で男性向けのは無い。

22. 時間外でも女性専用車両に乗っても邪険な目で見られない。

(つくばエクスプレスでは)時間外でも女性専用車両には女性が多いし、男性が極端に少ない状況で乗ると邪険な目で見られる。

23. 趣味の一つの写真女性の方が撮れる範囲が広がる。

女性であるというだけで相手に与える不信感等が減る。それ男性がやったら変態だの〇〇に気があるのかよなど言われる可能性大ですよ。

24. 離婚した際子供親権を取りやすい。

父親の8割が親権を取れてない。私もできれば父親側に行きたかったです。

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以下のことは男性女性どちらに言ってもしょうが無いことだけど一応。

25. 性欲に支配されずに済む。(傾向がある、のほうが正しいかな?)

男性場合射精をしないとイライラしてくるし、朝起きた時下着が汚れる。

26. 声変わりの変わり具合が小さい。

今でもソプラノアルトを歌えたらと思うことは多々です。

26. 子供を産める。

どう逆立ちしても無理ですから技術的にはiPS細胞を使えば女性同士でも子供は作れますから

最後の3つ以外については社会が変わってけばどうにかすることができる問題から、互いの障壁がなくなるのが一番なんですけどね。

2014-12-15

一話で一年すすむ2クールアニメを見てみたい

主人公女の子最初の0話で生まれ(0歳)、最終話の25話(25歳)で結婚するような話(以下、ややこしいので話数は0話始まり、つまり話数が主人公の年齢と同じ数字とかんがえる)。

今まで、同じアニメ内で海に行く話やクリスマスの話など、季節系のネタをやるというのはよくあったけれども、もし一話で一年進むアニメがあるとすると、同じアニメの同じキャラクターによる小中高の入学式修学旅行卒業式、はたまた七五三成人式などの年齢にとらわれる時期ネタというのができる。

さらに、主人公が成長していくという成長アニメはよくあるけれども、もし一話で一年進むアニメがあるとすると主人公内面だけでなく、外見まで成長していくアニメということになる。そんなアニメはなかなかないと思うし、主人公の成長を父性的・母性的な感覚で見守るように見れるアニメになれるのではないかと思う。

「30分アニメで1年を描くということは、2分~2分半で1ヶ月分を描くということか? そんなの無理だ!」と思われそうだけど、そういうわけではなく、1年の中でメインとなる話を2,3抽出してその話を主に描くというイメージ。例えば7話(7歳)なら、小学校入学ネタ七五三ネタの2つをメインにもってきて、他の時期の話は短い時間で簡単に描くという感じ。サザエさんだって30分の間に3話分やってるし、現在放送中のアニメ、『デンキ街の本屋さん』の10話ではバレンタインホワイトデーを両方描き、さらにその前の9話のCパートではクリスマスの話をやっていたので、これだけで30分で数カ月分描けるということが分かる。

それでも、「その話は1話で数ヶ月じゃないか! 1話で1年なんて無理だ!」と思う人もいそうだけど、『琴浦さん』というアニメの1話では最初10分で15年を描いたので、30分で1年ならもっと余裕をもって描けるだろう。他に思いつくのは、映画だけど『おおかみこどもの雨と雪』は2時間で13年間を描いていた。

そもそも、自分がこういうアニメを見てみたいと思ったきっかけは、30秒で60年ほどの年月を描いたディズニーリゾートのCMを見たからであって、30秒で60年が描けるなら30分で1年も十分にできると思う。

さらにいうと、1話で1年進むというのは自分アニメぐらいでしかできないのではないかと思っている。実写ドラマでは無理だ。数年後みたいにいきなり話がとぶのではなく、前回の話の終わりと次回の話の始まりの間隔は数ヶ月しか差がないので、いきなり年齢にあわせて役者を変えるとなると非常に違和感があるだろう。やるとするなら、26年間の撮影必要になり、非現実的だ(ハリウッド映画の『ボーイフッド』という作品は、12年かけて撮影してたというから、もちろんありえなくはないが)。

では、漫画だとどうだろう? 漫画でもできなくはないが、場面転換が少し多くなるので難しいのではないかと思う。4コマ漫画ならできなくはないかもしれないが、個人的シリアスな話も入れて欲しいので4コマ漫画はあわないのではないかと思う(『琴浦さん』を例にあげといてそれはないだろ! とセルフツッコミ)。小説はできるかもしれないが、内面だけではなく外見の成長が大事作品となるのでやっぱりあっていない。

シミュレーションゲームアドベンチャーゲームならできるかもしれないが、操作が面倒だ。

もちろん、だからといってアニメだったら簡単にできるというわけではない。他のアニメ作品と比べると、主人公を演じる声優は0歳から25歳までを演じ分ける必要があり、非常に難しい役どころとなる。主人公女の子と考えたのも、男だと声変わりがあるので無理だと思ったからだ(こんなこと言うと、野沢雅子ならできる! とか、緒方恵美ならできる! 山寺宏一なら! 石田彰なら! とか言われそうだけど)。キャラクターデザインも同じく0歳から25歳で描き分けなければいけないので大変だろう(女の子なので身長だけでなく、胸の大きさも重要になってくる)。作画原画担当としても、主人公が描き慣れるということもないため、他のアニメと比べて難しいだろうと思う。だけど、それでもやっぱりアニメしかできない話だと思うので、やる価値は十分あるだろうと思う。

話の構成としては、0話で誕生し、3話か4話で幼稚園入園はじめてのおつかい、6話で卒園、7話で小学校入学七五三12話で修学旅行小学校卒業、13話で中学校入学、15話で卒業高校受験、16話で高校入学、18話で卒業大学受験、19話で大学入学自動車免許取得、20話で成人式、21話インターンシップ就活、22話で卒論23話で就職、25話で結婚という感じ。

上記で書いてない話は、他のアニメでもよくある水着回温泉回、はたまた季節系イベントクリスマスバレンタイン回をつければいいし、最終話結婚の話なら結婚相手との出会い告白の話も必要になってくるだろう。

シリアスな話を描くなら、ちょっと遠出してみたら迷子になる話、仲の良い友だちの転校、交通事故失恋就職難、それと25年も生きていれば身近な人の誰かは亡くなると思うので、葬式の話をやるのもいいと思う。

後、女の子の成長を描くうえで個人的にかかせないと思うのが初経の話。初経の話といえば、ないしょのつぼみだと思うのだけど、あれが小学校5年生の話なので、11話ぐらいになるだろうと思う。ただ、1クール目の最後の話は12話になるので、12話のほうがいいかもしれない。ただ、そうなると修学旅行卒業の話と12話にいろいろな話を詰め込む必要があるので難しいか。いや、修学旅行の話は前半でさっさと終わらせて、後半で初経と卒業ネタを織り交ぜた話にすれば・・・。少なくとも、2クールではなく、1クールになるようであればそうすべきだろう。

なんてことをよく妄想しているのだけれども、自分には2クールアニメを作れるような金も人脈も能力もないし、将来それらが身につく未来も全くもってイメージできないので、その事実にふと気づくと落胆する。なんとかして実現できる方法はないかなと思って、調べてみると、アイデアをだせばそのアイデアを実現することができるかもしれないクラウドファンディング Dmet idea というサイトを見つけたのだけれども、なんだかこのサイトで求められているアイデアと違う気がしてだしてない。一番可能性がありそうなのが、小説として書いて人気になってアニメ化するという展開になることだけど、先ほども書いたように小説向けではないと思うし、文才もない。何より、自分場合、確実に最後まで書けない。

本当、仕事中にふと、(13話はこういう展開にすると面白いではないか。それと、結婚相手は子どもの時に出会ってたという話にしたら面白い。だから9話はこういう話にして・・・)なんてことが頭に浮かんで困っている。

最後に、自分はそんなにアニメに詳しいわけではないのでもしかしたら知らないだけですでにあるかもしれないので、もしそういうアニメがあるのなら教えてください。

2014/12/16 8:25追記

うそう、一つ書き忘れたことがあった。キャラが歳を取らないサザエさんなんかでは、「いつの間にかカツオより年上になってた」なんて言われることがよくあるが、一話一年アニメとなると、「こないだまで自分より年下だったのに、いつの間にか自分より年上になってた」という逆転現象が起こる。こんなアニメはそうそうないんじゃないかと思う(とはいっても、自分子どもの時は、ドラゴンボール孫悟空がいつの間にか自分より年上になっていたが、それはちょっと違う)。というわけで、例えば『渡る世間は鬼ばかり』は自分の思うイメージと違う。

後、いくつかトラックバックブコメを頂いたのでちょっと返信する

・「主人公の成長を父性的・母性的な感覚で見守るように」と言いながら

女の子なので胸の大きさも重要」だの「水着回温泉回」だのと言ったエロ目線も当たり前のように加わっていて

「父親になったつもりで疑似娘と近親相姦したい」と言う願望丸出しできめえ

確かに、「水着回温泉回」という例をだしたのは少し浅はかだった。個人的にはそういう展開は他のアニメでも求めてないが、ニコニコ動画2ちゃんねるコメントを見てるとよく求められてる印象があったので、例にだした。

ただ、そもそも、『エロ目線』といわれるなら、『初経の話』のほうだと思ったのだけど、そちらのほうに触れられていなくてちょっと驚いている。

結婚女の子人生のゴールみたいな言説は嫌いだよ

こういうこと言われることは考えたけど、ある程度キリよく考えたらそこを最終話にするのがいいと思った(自分だって結婚がゴールと考えてるわけではない)。人生のすべてを描くために80話ぐらいやったら確実に後半マンネリ化するだろうしね。

浦島太郎とか

いや、それは違う。最終話で「数年後」となる話とあまり変わらない。

アニメではないけれど、「ハリーポッターシリーズも1作で1年だった。映画も2年に一度くらいのペースだったので、ハリー役の役者が成長していて時間を感じることができてたなあ。

なるほど。ハリーポッターは確かに近いかもしれない。読んだことないけど。

商業作品ではありませんがコミティアクロニクル第一集に掲載されてるおーみや先生の「余命100コマオススメですよ。

ありがとう。探してみる。

2014/12/17 0:40追記

帰ってきたら100ブクマ超えてた。こういう作品を見てみたい人が多いんだろうな。と思っていいのだろか。ブコメ見てると似たような作品の紹介コメントが多そうだけど。

以下、気になったブコメの返信。

・リチャードリンクレイターの「6歳のボクが大人になるまで」と同じコンセプトですな。

映画だけど、6才のボクが、大人になるまで。面白いんじゃないかな

これは、本文でも言及した、『ボーイフッド』のことですね。見てませんが自分ちょっと気になってます

小学校入学から1クール」ならまだしも、乳幼児期の1話2話を親馬鹿動画じゃなく鑑賞に耐えられる展開にするの

自分イメージでは、最初のうちは、母親がほぼ主役的立場という感じでいいと思ってる。特に0話は特別な数値だし、母親が主役だから『0話』としたといろいろいいわけがつく。

・2クールも要らないよ。5歳から1クールで充分ですよ。

・それだったら小学生以下を無視して13歳~25歳で1クールのほうがよくないか、とも思う。キャラクターデザインも中、高、大、社の4種類以下で済むし。

キャラデザ予算など課題はあるけどアリだと思う。でも小学校入学から高卒までで1クールにした方がいい。赤ちゃん園児時代は回想で充分だし。

1クールだと誕生小学校卒業までだと思ってたけど、そうじゃない案が多いのか。意外。

これなんなんだろ、と思ったら「手軽に「娘の結婚式に出るのお父さん」の気分になりたい」なのか。なるほど。

確かに、そういう感じかもしれない。ブコメの中では一番的を得ているコメントだと思った。

アニメ業界流行り廃りとかテクノロジー進歩歴史になりそうだ。

いや、個人的にはテクノロジー進化は描かなくていいと思ってる。ガラスの仮面名探偵コナンみたいに、作中の時間ではさほど時間がたっていないのに、最初の話では携帯電話なくて、最近の話では携帯電話があるという話があるけど、その逆。近年の0歳~25歳を描くイメージ(できるだけ普遍性はもたしたほうがいいとは思うが)。

一話一年って縛りだからつのイベント最大20分で決着付けなきゃいけないじゃん。尺とれば面白くできるような話もぶつ切りみたいになって絶対まらないと思う。

そうかな? ドラえもんちびまる子ちゃんだって30分の中で2話やってるけど、面白い話も多いよ。もちろん、自分が考えてるストーリー構成案もある程度話題になるとは思うけど、多くの人に面白いと思ってもらえるかどうかは自信ないけど。

一話ごとに「大の仲良しの○○ちゃん」が入れ替わったりする話に、果たして視聴者がついてこれるのか。

いや、一年で大の仲良しの友だちがそうころころ入れ替わるとも思わないし、入れ替わらない話にすればいいだけだと思う。

今回、いろいろブコメでいろんな作品が紹介されていて、でてくるかな? と思ったけどでてこなかった作品で、小学3年生から小学6年生までを描いた50話で1年進む『おジャ魔女どれみ』という作品が昔あったけど、あれだって友だちは入れ替わるわけじゃなかったし(増えはしたけど)。話それるけど、おジャ魔女どれみの続編(高校生編)のライトノベルは気になってるけどまだ読んでない。

2015/04/05 0:07追記

誰も見てないと思いますが、小説家になろう小説として書き始めることにしました。

一話一年物語

2015/04/11 23:28追記

から気になっていたアニメ制作舞台小説の『ハケンアニメ!』を読んでいると、一話で一年進むというアニメがでてきました。

ハケンアニメ!

まあ、こういうアイデア結構な人が思いつくのかもしれませんね。どこかのアニメ会社が作らないもんだろうか。

2014-10-05

子供のころの恥ずかしい記憶

子供のころって男女の違いが分からなくて、平気で恥ずかしいことをしたりしてましたよね。

男子と同じ部屋で体操着に着替えたり。

私は女兄弟のいない男子過剰反応して恥ずかしがるのが楽しくて、スカートの上から手をつっこんで目の前でパンツを脱いで、

脱ぎたてパンツ男子の顔に押し付け匂いをかがせたりしていました。

兄弟のいる男子が、ばっちぃ臭い!と言いながらガチで嫌がるのを見るのも好きでした。

そんな私も小学校高学年にもなると、慎みらしき物を覚えます

胸がだんだん張ってくるし、早い子は生理もくるし、男子声変わりする子がいたりして、

男女が混ざって遊ぶのも恥ずかしいことのように思い始めます

そんな時期に始まるのが性教育です。

なぜわざわざ、あんなタイミングで始まるのでしょうね。

もっと幼い時期から知識を仕込んでおけば、恥ずかしい思いをしなくてすむのに。

恥ずかしがる子供の姿を見て性的快感を覚える、一部のロリコン教師の陰謀に違いありません。

私のクラスではレディシールというのがあって、生理が来た子は名札の上からそのシールを付けます

レディシールを付けた女子は、そうでない子よりワンランク上の存在として扱われました。

大人の女性の仲間入りというわけです。

具体的には掃除時間に重い物を男子に持たせて、自分は何もしなくていい権利などが与えられます

私は小学生のうちには生理が来なかったので特権階級所属することはできませんでしたが、

今考えると、「私は初潮が来ています!」なんて意味シールを堂々と胸に張るなんて、正気の沙汰ではありません。

かと言って、体が成長して大人になりかかっている事を恥ずかしがり、ひた隠しにするのも、正しいとは思えませんが。

難しいところです。

そしてその日がやってきます

学習指導要領に含まれていて、誰もが必ず経験するあれです。

その日は男の子の体の構造勉強する日でした。

女の子生理が来るように、男の子にも精通があると。

先生が高らかに宣言します。

「はーい、好きな男女で2人組を作って、射精の仕組みを勉強しましょう!」

この瞬間、クラスに走る冷たい戦慄。

羞恥心を覚えたばかりの子供に向かって、『好きな男女』とな。

女子の間で見えない攻防が行われます

どうせならかっこいい男子と組になりたい。

だけど、先陣きってイケメンに群がるのもプライドが許さない。

最終的に自分が選ばれるならまだしも、選ばれなかった時の惨めさには耐えられません。

不登校になってしまます

から、気になる男子にそれとなく視線を送ったりしてみたり、待ちの一手です。

でも、なかなか男子も動き出せません。

恥ずかしいのでしょう。

そんな中、事の重大さをよく分かっていないガキっぽい男子が、たまたま近くにいた女子と組になったりします。

私の本命男子も、なにやらイモっぽい女子と組になってしまいました。

ショックです。

私よりそんな女を選ぶなんて。

そいつ自分おなら臭いをかぐのが趣味だぞ。

しかし、いつまでも待っているわけにもいきません。

本当に余り物ペアなんて、悲惨です。

隠し切れないショックを引きずりながら、地味だけどまだマシな部類の男子と組になりました。

周りを見ると、だいたい順当に組が決まっているようです。

だいたいイケメン男子クラスで派手に振る舞ってる女子と組になっていました。

ブサメンはブスと組んでいます

まるで人生の縮図のようです。

組も決まると、男子はそそくさとズボンを脱いで下半身裸になりました。

ちんちん丸出しです。

よく考えてみると、お父さん以外のちんちんを見るのも久しぶりです。

もっと幼いころは自分から男子を裸にひんむいていたものですが。

私の組になった地味メンは、すでに勃起し始めています

「じゃあ、女の子男の子射精を手伝ってあげましょ~!」

私は恐る恐る男子ちんちんに手を伸ばします。

触ると先っちょが濡れてて冷たいです。

そのままいじくっていると、ぐんぐん大きくなってきました。

フル勃起です。

彼も女子にあそこをいじられるなんて、始めての経験なのでしょう。

鼻息荒く、ふーふー言っています

しばらくこすっていると、

「きゃっ!」

近くの女子悲鳴を上げました。

見ると、顔中にどろっとした白い液体がかかっています

初めて見ましたが、あれが精子なのでしょう。

「はーい!みなさーん!ちゅうもーく!」

先生がその組に近寄ります

「○君は精通が来ていました~!拍手ー!」

パチパチパチ・・・まばらな拍手が起こりました。

「これが精子でーす」

先生女子顔面にかかった精子を指ですくい取って、みんなに見えるようにします。

そしておもむろに、精子のついた指をなめました。

「あー○君の精子は新鮮ですね~!甘いです!」

興味のある女子が何人か、同じように顔面から精子をすくい取って舐めては、

「本当だー」「甘い」「これが精子の味かー」

などとやっています

私はその光景を眺めて、なんだか子宮じんじんしてきました。

・・・・・・などと妄想しながらオナニーしていたらもうこんな時間になっていた。

続きは誰か頼んだ。

2013-12-24

おおかみこどもの雨と雪 感想

家族物語は常に未完である

1.本作の主題

 大々的に宣伝されていたこの作品の主題は「家族の絆」であった。「時をかける少女」「サマーウォーズ」で、揺れ動く思春期の心情を細やかに描き出してきた細田守監督が、特殊事情母子家庭の波瀾万丈を通して、母と子の結びつきを表現する王道家族劇であろう、と私は予想していた。

 しかし実際には、冒頭でおおかみおとこ主人公の花が「哲学」の講義きっかけに出会うことに示されているように、家族それぞれの社会的承認やアイデンティティの確立といった「生き方」への問いかけが大きなウェイトを占めている。いずれ花と結ばれ父になるおおかみおとこは、人間社会にひっそりと適応しながら、大学にもぐりソクラテスの「無知の知」についての講釈に耳を傾けていた。彼自身の特殊性人間社会との融和点、すなわち「自分は何者なのか」を彼はまだ知らない。もっともそれは花も同様である。彼らが「真に何者であるのか」が判明するのは、その後の人生の中で、主観的にも客観的にもそうだと考えられる地点に辿り着いた時である

2.おとぎ話から現実へ?

 13年という長い月日を描く作品であるため、一時期に割ける時間は限られている。花は前半の少ない上映時間の中で、おとぎ話のようなおおかみおとことの恋と別離から、残された二人の子もの育児という生々しい現実へと転がり進んでいくこととなる。わざわざアニメーションという媒体母子家庭の奮闘記を描くのであれば、母子家庭の「リアリティ」をどれだけ表現できるかが生命線となる。そのためにも花は一刻も早くおとぎ話から抜け出す必要があった。

 しか出産子育ても、半ばおとぎ話の状態からなかなか抜け出せずに進んでいく。その一つの要因として、花がすでに片親の父を亡くしている(母は離婚、別居済み)、という極めて日本アニメ文化的な手軽で便利な設定の中にいたことにある。したがっておとぎ話のような恋の終わりと厳しい現実の到来を告げるはずの「親との葛藤」のシーンはない。東京下宿させていた女子大生の娘が、フリーター(?)の狼に食われて子どもを作り大学を辞め、しかも(おおかみこどもであることを知られるわけにはいかないため)全く子どもに会わせようとしないなど、並の親なら勘当ものである。両親が既にいないにしても、親戚や最悪の場合行政施設の関係者などの後見人や身元引き受け人もいない、では未成年大学生が家を借りるにも何をするにも無理が出てきてしまう。しかし花は劇中ではほとんど言及されることのない両親不在設定を免罪符に、自由におおかみおとこと結ばれ雪を出産し、一年後雨を生んだ後におおかみおとこと死別するまで、誰と葛藤することもなく擬似的な新婚生活を満喫するのであるしか医者にもかからず独学で自然分娩を行い、子ども達も一度も医者には連れて行っていないなど、事情はわかるが少し無理のある状況が続く。リアリティのある家族を描くためには、例え核家族であったにせよリアリティのある一族が描けなければならない。そしてそのためには、リアリティのある社会が描けなければならない。しかし作品の土台となる花の周りの人々との繋がり(親族関係社会関係)が抜け落ちた「おとぎ話」のまま、二人はほとんど社会から孤立して描かれている。

 親族や後に移住する田舎社会の人々に、意を決しておおかみおとこの血を引くこどもたちの秘密を打ち明けていたなら、物語は一風変わった方向へ進んでいただろう(行政医療組織に打ち明けていたなら、悲しい話になってしまうかもしれないが)。しかしこれは二者択一の選択である。おおかみこどもの秘密を守り通そうとするなら、一家は孤立するしかない。秘密を打ち明けてある範囲の人々を味方に引き込んでいたなら、出産子育て環境リアリティはある程度担保されるが、おおかみこどもを受け入れる周りの人々、というまたまた別種のおとぎ話的な絵が出来上がってしまう。この部分のリアリティを保つのは並大抵のことではない。本作は前者、おおかみの本性を隠し通すことで、雨と雪の存在リアリティを保つ代わりに、一家を孤立させて社会生活との折り合いのリアリティを失うことを選んでいる。

3.本作の根底を貫く3つの近代概念:①選択権としての自由観

 社会から孤立した者を待ち受ける宿命は、社会から排除である。雨と雪を隠し続け、医者児童相談所も拒み続ける花は、居場所を失い田舎への引っ越しを決意する。この辺りから見え隠れし始め、映画クライマックスで明らかになるのが、取捨選択の権利としての自由を尊ぶ近代的な自由観である。花が田舎引っ越した主な理由は、人目を避けるためでもあるが、雨と雪が「人間か、おおかみか、どちらでも選べるように」したいということが大きなウェイトを占めている。そして学校田舎の人々に対して秘密を守りながら姉弟は大自然の中で育ち、おてんばの雪と引っ込み思案の雨という当初の関係性を逆転させ、最終的に雪は人間として、雨はおおかみとして生きていくことを決意する、と読み取れるあたりでこの作品は幕を閉じる。二人の姉弟が(そして母が)どのような生き方を「選ぶ」のか、というアイデンティティの「選択」が事実上主題となってくるのである。つまり、二人のおおかみこどもは、人間として生きる事も、おおかみとして生きる事も可能であり、その選択権を自分自身で持っているという考え方が根底存在している。こうした権利概念や自由観は、歴史悲劇から人類がようやく辿り着いた価値ある理念ではあるが、問題が無いわけではない。

 「おおかみであること」はファンタジーではあるが、現実の例えとして捉えることも可能である。元来日本語慣用句でも「一匹狼」などのように「狼」は単に動物を指すだけではなく、社会の周縁に生きるしかないアウトサイダーを指す言葉でもある(押井守監督の『人狼』に描かれているように)。そこから暴力的な存在という意味合いを除外して考えれば、「おおかみであること」は何らかの理由から迫害され、多数派と融和できない少数派に「非自発的に」刻まれた「抑圧のスティグマである。先の近代的自由観に基づけば、我々はあらゆることを強制されず、自発的に選択する権利としての自由を何よりも大事ものとして持っているが、実は選択していないにもかかわらず押し付けられているものもたくさんある。我々は男性として、あるいは女性として生まれることを選んだ覚えはなく、この国、この家族の元に生まれることも選んではいない。選択の自由を行使する以前に、強制的に親や社会から色々なものをもらって今の私たち存在している。こうした、我々が意図せずに所属しているアソシエーションから抜け出すことは、それが被抑圧的アソシエーションであればなおさら、多大な困難を伴う。

 いわば「人間か、おおかみか」どちらかの生き方を選べ、というのは私に対して「日本人か、男性か」どちらかの生き方を選べと言うのに等しい。日本人であることも、男性であることも、やめること自体は可能であるが、多大な葛藤と苦労を伴うし、何より大半の日本人日本人であることをやめたがっているわけではなく、大半の男性男性であることをやめたがっているわけでもない。当然私は「日本人男性」として生きざるを得ないが、それを嫌がっているわけではない。「おおかみであること」は、私にとって「日本人であること」以上に雨と雪の二人のアイデンティティに深く絡み付いている。彼らは望んで「おおかみこども」として生まれたわけではなく、そして何より自己の不可分の半面としての「おおかみであること」を辞めることは不可能だからである。逆もまた然り。雨と雪にとっては、「人間であること」も捨てることはできない。したがって大多数の人間が、国籍人種などの複数の非自発的アソシエーションに従属して生きざるを得ない以上に、彼らは「おおかみにんげん」としてしか生きられないはずである人間としてだけ生きていてもおおかみの本能は満たされず、おおかみとしてだけ生きていても人間の知性は満たされない。一方を選択して他方を捨てることでは、幸福な真の自由は訪れない。というのも、私を含め大半の日本人男性が、日本人であることや男性であることを嫌がったりしておらず、むしろそれを誇りに思うことも時にはあるように、雨と雪も本心から「おおかみであること」あるいは「人間であること」を嫌い、やめたいと感じているわけではない。真相は逆である。雨と雪に限らず「抑圧のスティグマ」を持つ人間が求めているのは、それを捨て去ることではなく、周囲が抑圧的な処遇をやめ、そのスティグマ価値あるものとして社会的に承認されることである黒人女性差別されるから黒人であること、女性であることをやめたがっているわけではない。彼、彼女らが求めているのは、差別をやめること、すなわち黒人であることや女性であることを誇らしく思えるような、他の人々と対等の処遇である自分の非自発的なアイデンティティ差別迫害を理由として捨て去ることは、雪がおおかみに変身することを必死に避けていたように、それ自身当人にとって新たな大きな抑圧となるだけであり、それを捨て去ることを強制することもまた、抑圧からの真の救済とはなりえない。

 「人間であること」のみを選択した雪は、今後もおおかみの衝動に苦しめられ続けるだろう。「おおかみであること」のみを選択した雨は、おおかみとして生きるだけでは無力であり、人間から森を守ることはできないことにいずれ気がつくだろう。したがって雨も雪も、「人間であること」か「おおかみであること」のいずれかを選ぶ権利としての自由を持つ、のではなく、彼らはどこまでも「おおかみにんげん」として生きることを運命づけられている。そのため彼らを幸福な真の自由へと導くのは一面を捨て去る選択ではなく、両面を受け入れる承認、すなわち抑圧されることなありのままの「おおかみにんげん」として生きていくことを人々、社会から認められることでなければならない。そしてその基点にして起点となるのは、二人の秘密を知る唯一の存在、母である花のはずだった。しかし雨と雪は選択権としての自由を行使し、「人間であること」、「おおかみであること」の一方を選んで他方を捨て去る。この彼らの選択は同時にもう一つの取捨選択となって現れている。それは、特に雨に顕著なように「個人」としての自己生き方を選択する代償として、それまで所属していた「全体」としての家族を捨て去っていくことである

4.本作の根底を貫く3つの近代概念:②家族を壊す個人観

 取捨選択の権利としての自由観には、この近代的な自由観と表裏一体になって形成され、社会に受け入れられてきたある考え方が寄り添っている。取捨選択の権利としての自由は、何に帰属しているのかを考えればその考え方も見えてくる。「生き方」の選択の権利は、国家にあるのでも何らかの組織にあるのでも、両親にあるのでもない。近代的な自由は常に「個人」の手の内にある。「個人」は選択の権利を持ち、それを他者に妨害されない権利もまた持っている、というわけである。こうした個人観も尊重されるべき人類の英知だが、その発達によって我々人間は別の問題に現在直面している。「個人」の肥大化により、家族社会等の共同体の絆を、そして古い慣習や信仰などに息づいていたいわゆる「大きな物語」や「宇宙的秩序」を破壊して、人類がただのバラバラの個人の寄せ集めになってしまう「アトミズム」に陥るという問題である。したがって家族という、人々の繋がりを描くべき物語根底に、こうした個人観を置いてしまうと、家族崩壊してしまう。雨は山へ飛び出したきりおおかみとして生活し、どういうわけか雪も全寮制の中学に入り、あとに残されたのはひとりぼっちの花だけ、というわけである。雨は個人としての自分を選び、家族を捨ててしまったのである

 家族を最小の社会であると考えたヘーゲルは、市民社会国家世界史へと繋がっていく人倫弁証法スタート地点を家族においている。そして王道的な家族物語はおおよそ、仲の良い親子(正)に何らかのきっかけで対立が生まれ(反)、最後和解して「雨降って地固まる」(合)という弁証法的なプロセスを辿るし、実際の子育てにおいても、子どもは両親べったりの幼少期から反抗期を経て、何らかの和解を踏まえて真の自立へ旅立っていく。反抗期が自立そのものなのではない。このようなプロセスが多くの家族ドラマ踏襲されているのは、それが流行っているからでも面白いからでもない。人間最初に個人として生まれるのではなく、家族という全体の一員として生まれることが不可避である以上、家族の絆を知るには、家族と対立して家族のものを対自化、対象化しなければならないかである毎日当たり前のように存在する両親と、本当に強い絆で結ばれているのかを知るためには、わざと両親に反発し、お互い真剣に向き合う期間が必要だというわけである。こうした視点から本作を見ると、ただただ雨と雪のためだけに「個人」としての自己を押し殺して子育てに奔走する花と、それをただただ当たり前のこととして享受する幼少期の二人は、弁証法の正の段階、無垢な統一としての家族である。そして二人が小学校の高学年に近づくにつれ、激しい対立、反の段階が現れてくる。雨も雪もお互いの違いを強く認識し、雨は特に自分家族の一員ではなく個人(個狼?)として考えるようになる。花の言いつけに反しておおかみの力を使ってしまった雪や、徐々に自然世界の魅力に飲まれ、家を空けがちになる雨、そして激しい姉弟喧嘩など、家族はそこかしこに対立の火花を散らすようになる。

 しかしここまでである。その後一家は和解して家族の絆を再確認することはない。雨は嵐の山から母を助けはしたが、家を飛び出して以後母と会話をすることはなかった。雪は草平と嵐の学校の中で自立への憬れを語り合い、その後母が迎えにくる描写も、直接会話をする描写もない。花は山で気を失っている間、おおかみおとこと再会し、彼にそれまでの人生を肯定し承認される言葉をもらっている。しかしそれは夢の中の出来事に過ぎない。花は以後雨の遠吠えを聞き、祈りの中でおおかみおとこと対話することによって家族の絆を信じ込むのである。真理は主観客観の統一にある。どれだけ心の中で絆を信じていようとも、花の現状は孤独である。そこには反発しつつも助け合うという家族現実的な絆も、現実的幸福もない。雨が個人(個狼?)として家族を捨てて旅立ち、残された花は母としてのアイデンティティを失い空虚に祈るしかない。この物語家族ドラマ王道スタイルである弁証法構造の反の段階以後を切り捨ててしまったような形になっているのである。だから少なくとも映画の終わりの段階では、家族がバラバラになり、皆、特に花は絆を失って見えるのである。そんな状況になっても、どんな時でも笑顔を絶やさない花の表情は不憫ですらある。この物語家族弁証法プロセスにおける対立から総合の段階へと移行できなかったのは、無論、前説の自由観に付随する個人観が差し挟まれ、家族の再統一、和解を妨害しているかである。個人としての生き方を選択し、家族を捨て去ってしまうことが子どもの「自立」である、という錯覚がここにはある。個人(個狼?)として生きることが家族として生きることと両立不可能なら、雨にも花にも真の幸福は訪れない。家族がバラバラの個人に分解してしまうことも、幸福でもなければ自立でもない。

5.本作の根底を貫く3つの近代概念:③価値放棄する平等

 そして何よりも花を不憫に思わせてしまうのは、単に雨がいなくなってしまたからではない。雨が「おおかみとして生きること」を選んだからであるしかし劇中では、雨がおおかみとして生きることに、花は戸惑いはしたものの最終的には肯定したし、作品全体のスタンスとしても、別れの悲しさはあっても、「おおかみとして生きること」自体肯定的表現されている。ここには、前二節の近代的な自由観、個人観から導かれる第三の概念が潜んでいる。すなわち、生き方の選択権としての自由が個人には備わっており、それは何者にも妨害されてはならない尊重されるべきものである。したがって、「個人が生き方を選択する」こと自体重要価値のあることであり、その選択自体尊重するために、政府や他者は個人の選択した生き方の「内容」にケチをつけてはならないという平等である。これも近代以後の社会には欠かせない重要概念である職業に貴賤はなく、魚屋として生きる生き方と教師として生きる生き方はどれも同等に尊重されるべきである、というわけである。この概念も、極端に押し進めると、我々人類文明的に発展させてきた一つの原則、すなわちチャールズテイラーがAuthenticity(ほんもの)と呼んだ理念のものの破棄へと到達する。この理念は、「ある生き方は、別のある生き方より価値がある」として、人間生き方には価値序列があることを前提に、真に人間が生きるべき姿、「ほんもの生き方」を模索するというスタンスを形成する。近代的な平等観に慣れ親しんだ人々にとっては、生き方の優劣を価値付けることは、政府による不必要な介入や、職業身分による差別など危険な事柄を助長するようにも思えるだろう。しかし逆に急進的な平等観の元では、あらゆる生き方平等価値を持つと見なされる。言い換えれば、「生き方」の選択を重視してその内容を無視するということは、あらゆる「生き方」の内容が平等に論争点にはなりえないどうでもよいもの、すなわち無価値となる。偉大な学者生き方も、高名な僧侶生き方も、愚かなギャンブル狂の生き方も、みな平等に無価値なのである

 このことが本作においてはどのように現れてきているのかというと、「人間として生きること」が「おおかみとして生きること」と平等価値ある選択肢として描かれている点である。そしてそれは裏を返せば、「人間として生きること」は「おおかみとして生きること」と同等に無価値であるということの表明に過ぎない。だから姉弟がどの生き方を選んで「決定」するのかということだけが重要視され、その選択した生き方の「内容」の善し悪しは一切吟味されないのである人間人生が理性を持たない単なる動物に過ぎないおおかみのPermalink | 記事への反応(2) | 08:36

2013-07-06

女装した自分に恋をした

小さい頃からその兆候はあった。長くなるけど昔話からしたい。

物心ついた頃、よく覚えていないけどきっと多分その頃から女の子になりたい、可愛くなりたいと思っていた。

背の順に並ばされると必ずクラスで一番前になる背格好や小学校に入って少し経つくらいまでよく女の子にも間違えられた容姿もそれなりに影響していたのかもしれない。

幼稚園に入る前あたりの自分写真を見ると全部首をかしげてニコニコして映っている。そのポーズをとると可愛く見えると思っていたから例外なくそうしていた。

両親はそういう行動を取る息子のことをさして気にはしてなかったようだ。「男の子なんだからしっかりしなさい」と言われるようなこともなかった。

しか幼稚園に入ってから、どうやら男の子はそういうことをしては変に思われるのだということに気がついた。

でもぼくは最初はあまり気にしてなかった。18cmのお気に入りだった赤い靴を履いてたらなぜか色々言われたりもしたけど、そこまで気にすることは無かった。

その当時ぼくは男の子にしては少し長めの髪型にしていたのだが、ある日幼稚園の同学年の男の子がぼくの髪をハサミで切り落とした事件が起きた。

その時は悲しくて泣いてしまったけれど、その時に男の子が可愛くなりたいと思うのはダメなことなんだなとようやく理解した。

それ以来、ぼくは表向きには一切そういうことは考えないように、そして他の男の子達が好むものを好きだというようになった。

好きな色は赤より青を、好きなテレビ番組カクレンジャーを推すようになった。

ちょうどその頃から好きなものが何なのかよくわからなくなってきた。いろいろどうでもよくなった。

そしてぼくも遅ればせながら中学校に入っていわゆる第2次性徴の時期を迎えた。そして好きな子ができた。相手は女の子だった。背が高くてちょっと同学年の中では少しませてて、ぼくの仲のよかった女の子だった。その時もしかしたら自分のことを同性愛者なのではないかと思っていたぼくは、差別的な言い方になってしまうけど正直少しホッとした。

かと言って、じゃあ告白するかとなるとそれほどでもなかった。一緒によく遊んだけれど。

付き合わなかった理由は、はっきりとしない。でもなんとなくその時にぼくは彼女彼氏には似合わないなと思ったのは記憶にある。

他の男の子ならもしかしたらそこで釣り合うようになるべく格好良くなろうと努力するのかもしれない。

でもぼくはそれをする気が起こらなかった。格好よくなろうという気にならなかったのだ。

しばらくして彼女は他のイケメン男の子と付き合うようになった。ああ、これはお似合いだなと他人事のように思った。

お察しの通り、その頃になっても相変わらずぼくの身長体重クラスの一番前に並ばされるくらいの低空飛行を続けていた。

確か中学入学時は140cm37kgだったし、卒業するときも160cmまでしか大きくならなかった。

でもその頃のぼくは一気に身長が伸びてガタイがよくなっていく周りの男の子たちを見ながら、この低空飛行状態を望ましく思っていた。もしあんなにガタイがよくなってしまったら、可愛くなくなってしまう、それだけは避けたいと誰にも言わなかったけど内心はそう思っていた。

容姿ももちろんもう女の子に間違われるようなことはなかったけど、あまりゴツゴツしておらず中性的な顔を保っていた。

から高かった声も少し声変わりした(と小学校の時から仲のよかった女の子には言われたけれど、一般的に言われるような声が出しづらくなるとかそういう明らかにわか変声期というのはぼくにはやって来なかった)けど甲高いままだった。顔を上に向けるとなんとなく喉仏らしきものが見えるかなという程度で、喉仏が目立つということもなかった。足も23.5cmでそこまで大きくならなかった。

遺伝的要素に感謝する一方で、高校入学してから一気に身長が伸びたいう母親の話を聞きながら、そのことを恐れる日々が続いた。

中学校入学した時、ぼくは自分の部屋にネット回線を引き、パソコンを手に入れた。

そのうちぼくは夜更かしをして女装している人達HPを観るようになった。可愛らしい人もそうでない人もいたけど、どの人も楽しそうにしているのが印象的だった。時々オフ会なんてものをやってて、友達もいるようでいいなと思っていた。当然ぼくにはそんな秘密を共有できる友達はいなかったから羨ましかった。

そして写真を見ているうちにこれはぼくのほうが絶対に可愛くなるとの確信をもった。単純に年齢の問題もあるけど、それを差し引いても。

そしてその日ぼくは初めて母親が若かった頃着ていた服を着た。やっぱりどうしようもなく古臭かったけれど、初めてのワクワク感で曇った目にはとても可愛らしく映った。そしてそのままぼくはオナニーをした。

そこからの転落は早かった。

中高とそんな生活を続けたぼくは、東京大学入学一人暮らしを始めた。家族の目を気にする必要のない空間と恐ろしく持て余した時間家庭教師バイト生活費お小遣いを捻出しても少し余るくらいのお金を手に入れ、趣味に恐ろしく拍車がかかった。

ぼくはずっと欲しいと思っていたものをその時に一気に揃えた。

周りの女子大生が買っているような(安い)ブランド洋服、バッグ、靴、メイク道具、ウィッグ…資金難になりながらも安いものを中心に通販で買い揃えていった。幸い高校生で急成長するという懸念はどこへやら、165cm52kgで成長は止まってしまい、足の大きさも24.5cmで止まってしまった。女性の体格としては大柄なほうではあるけれど、それでも普通のお店で手に入る大きさの服や靴を買えばよかったのでその面ではすごく助かった。

そしてある程度まとまった暇な時間が出来るたびに、ぼくは鏡の前に立って女の子になるようになった。

もちろん最初は鏡の前におてもやんが出来あがるだけだった。それも悲しくて、女性向けファッション誌を買って研究してみたり自分の顔に何度も塗りたくって練習するようになった。ちょっと痩せすぎててほっぺたに肉が無いなと思って笑顔を作る練習をしたり、ちょっとごはんを沢山食べるようにしてみたり、やれる範囲でいろいろやってみた。

そんなある日、奥二重の目をアイプチではっきりさせてやって黒髪ウィッグを被ってみたら、鏡の前に劣化松井玲奈(ファンの方々申し訳ありません)が出来上がった。あ、凄く可愛い、と自分で思った。

その場ですぐにオフホワイトブルーボーダーが入ったワンピースベルトをしめてカジュアルなバッグを持たせて帽子をかぶらせてみた。鏡の向こうの「玲奈ちゃん」はえ?って感じでちょっとカンとしていたけれど、ちょっと顔が赤くて贔屓目だってわかっていてもとても可愛らしかった。

それから玲奈ちゃん」はいろいろなことを経験した。ビクビクしながら外出もしたし、学校大学祭メイドさんになったりもした。酔っ払ってネットに少し画像を上げたりもした。知らない人に可愛いねと言われた。凄く嬉しかった。一人エッチもしたりした。「玲奈ちゃん」でいるとその間はニコニコしていられたし、幸せだった。

もう「玲奈ちゃん」とのお付き合いも5年くらいになる。ぼくも24歳になった。昔はある程度の年令になったら限界を迎えるだろうしその時には別れようと思っていたのだけれど、結局ズルズルと続いてしまって関係を持ってしまっている。むしろ社会人になってお金に余裕が出てきた分、玲奈ちゃんも貧乏女子大生からそれなりな社会人さんって感じになってきて、これはこれで可愛いかななんて思ってる。なんというか、本当に業が深いなって自分でも思う。

結局今まで彼女を作ろうという気も起こらないまま、そして作ることもないままズルズルと来てしまった。いくら「玲奈ちゃん」が可愛くてもぼくの客観的ステータス24男性会社員であるということには変わりない。数年したら結婚したらどうかとかそういう話にもなるだろう。その時にはぼくは「玲奈ちゃん」に『ごめん、一緒にはいられない。別れよう。』って言わないといけないのだろうか。そうだよな言わないといけないんだよな。

その時に「玲奈ちゃん」はなんて言うだろうか。

「わかった、いいよ」って言ってくれるだろうか。「ずっと一緒じゃなきゃヤダ。一生玲奈になって。」って言うだろうか。

いつか言わないといけない時が来るというのはわかってはいるのだけれど、悲しくて向き合えなくてまだずっと言えてない。

追記

これ酢豚ちゃんに載せてほしい。

2013-03-17

高校生とか男の娘を無理矢理「ショタ」にねじ込もうとするのやめてもらえませんかねえ

ロリという触れ込みで高校生とか中高生ぐらいの男装とかだったら非難轟々でしょ

 

ショタという名目筋肉付いて毛も生えて声変わりも済んだ体格も大人とさほど変わらない男子生徒出されても困るんですよう

 

百歩譲って中学生はOKでも、男子高校生ショタではないしJKロリではないでしょ

2012-11-20

知的障害者母親

昨日乗っていた電車の前の席に座っていた制服を着た中学生男子

突然「オオ~ッウワッ」とわけのわからないことを叫び始めた.

ああ,知的障害者なんだなと思った.

電車が駅に近づくと,彼は立ち上がってさらに叫ぶ.

何を叫んでいるのかよくわからなかったが,どうやらそれは彼の前の母親(らしき人)に対してのメッセージしかった.

「ガーザン!ガーザン!」と声変わりが終わった中学生のダミ声で叫ぶ.

母親ちょっと暴れる中学生を黙って目でたしなめる

駅につくと母親男の子背中を押して降りて行った.


以前までならなんとも思わなかった光景だが,子供ができた今では違う視点で見てしまう.

十数年間の苦労は並大抵のものではなかっただろう.乳児期の知能のままで体だけ大人になってしまうのだ.

乳児期の子供は本当に愛おしい.あの母親の愛おしさは今でも続いているのだろうか.

母親中学生を見る目は,愛おしさと諦めが混同したような複雑な目だった.

定型発達をしていれば,中学生ともなれば普通に一人で電車にのって学校へ通える.しかし我が子はいつまでたっても知能だけ赤ちゃんのまま.


自分の子供が生まれるときは怖かった.子供障害者だったら受け入れられるだろうか.妻が妊娠中はそればかり心配していた.

自分の子供が障害者であってほしいと望む親はいない.でも生まれてきた以上,否応なしに受け入れなければならない.

なんと残酷なことだろう.

障害は遺伝子の変異で一定確率で必ず起こる.

子供を作るということはギャンブルなのだ.多くの人ははずれを引かなかったことに安堵する.

そして,運の悪かった人だけが何十年にもわたって重すぎる荷物を背負わなければならない.

愛おしさだけが救いなんだと思う.

2012-07-26

おおかみこどもの雨と雪を観てきた

これほどつまらない作品も久々に観た。

ネタバレ

序盤。ヒロインの花と狼男出会い

何の障害も挫折もない二人の馴れ初めは退屈でしかない。

狼男が、自分の正体を曝け出すシーンは、あくまでも神秘的に演出されており、汚らわしくないものとして描かれている。

当然、花は彼を受け入れる。

ベッドシーン

メロドラマが長い。感情移入も糞もない展開。

しかし、逐一「成長した二人の娘」の声でナレーションが挿入されるので、

これはあくまでプロローグであり、本編まで暫くかかるな、と視聴者にもわかる。

さっさと始まらねぇかな。

ちょっとの辛抱だ。

結論から言うと、最後まで、始まることはなかった。

一人目の子供が産まれる。雪。

この時、花は病院出産することを恐れ、自然出産を選ぶ。

ん? ってなる。

例えば……この過程をすっ飛ばし場合、観終わってから

「そういえば、出産の時、狼の姿で産まれてたら、どうしたろうね」

っていう、クソどうでもいい突っ込みを、敢えて先回りして予防されたような、

なんとも腑に落ちない感じがした。

このシーン、要るのか?

つまんねぇし、長いんだよ。

イヤ~な予感は募るばかり。

翌年に二人目、雨を授かり、狼男死ぬ

シングルマザーとなった花の生活が始まる……。

バイト大学も辞めて貯金で暮らすぎりぎりの暮らし

(いや、保険くらい入っとけよ。とか、そもそも在学中に産むなよ、などと思ったりしたが、何でそんな野暮なツッコミ入れたくなるかと言うと、無駄に説明ばかりの作品の癖に、肝心な部分でリアリティが掻き消されているからにほかならない)

夜泣する子供に切れる隣人。

虐待の疑いがあるとして詰め寄る児童相談所

遂に大宅から立ち退きを促される花は、田舎に引っ越すことを決める。

ジブリ空気感』を出したいのは十分わかったから、

冗長をどうにかしてくれ。サクッといってくれ。

ボロ屋に引っ越す。廃屋同然の木造住宅テンションうなぎ登りの雪。

何を見ても大声で笑い、走り回り、また笑い転げる……。

どっかでみたぞ。

トトロじゃん。

なんて言うと、したり顔で見下されるんだろうが、何度でも言うよ。

トトロじゃねーか。

ところで、この幼少期の雪、まじで声を当ててる子役が、上手い。

笑い方、ぐずり方、ヒスの起こし方、走ってる時のブレス、どれをとっても、リアル子供だ。

よって、宮崎あおい演じる花の棒っぷりが完全に浮いてくる。

ジブリも、富野由悠季もそうだけど、

中途半端リアルを求めて、「声優の演技を身に着けてしまった人は使いたくない」とか嘯いて、

こーいうところで露骨なギャップを作られると、ちぐはぐで、いらつくんだよ。

耳悪いんじゃねえの?

床を掃除して、洗い場を掃除して、雨漏りも修繕して、住めるようになる。

綺麗にしてみると、実はガラスの模様が可愛かったりして。

素敵な一戸建てに生まれ変わる廃屋。(また無粋いうけど、そうはいかねーだろ)

日暮しのために自家栽培を始める。

何度植えても病気で枯れる野菜達。

もうダメか……そこで農家ジジイが登場!

ようやくか!

と思った。そーいうアニメかと思ってたからだ。

ジジイは無愛想ながらも的確に指示を飛ばし

結果、作物は育つ。

案の定、活躍している。いいぞ。

遠巻きに見ていた村人たちも、徐々に花と交流していく。

それも、全てはジジイの差金だ。いいジジイ過ぎるな。

何の、代償もなく。頑張ってたから、助けたのだな。

しかしだよ。だがしかしよ。

野菜が採れて、村人とお裾分けしあって、

協力して、この田舎でも、生きていける。

ということが、説明された途端、もう出てこないんだよ。

まじでもう活躍なかったよ、ジジイも村人も。

説明の材料に使われただけ。

「このようにして生活していけてますから大丈夫です!」

って予防線を張られただけ。伏線もクソもない。

何の障害もなくなったわけ。花たちも、脚本も。

冬が来る。降り積もった雪山を転がって、走り抜ける。

はっきり言って、「生の躍動感」の押し付けなんて、見飽きてる。

一緒に見に行った友達は、ここが一番良かったって言ってたが。

まぁ、視覚的に面白かったら、それで良いんだろうな。

そして順調に子供が成長して、小学校に入って、

ようやくナレーションの年齢まで育って、

この時すでに一時間は経ってたんじゃないか

狼として生きるか、人間として生きるか、選びなさい。

人間としての自我が育った雪と、

狼として山を愛する雨。

姉弟の喧嘩のシーンなんかは、

つの間にか力関係が前後していたり、

腕白だった雪が風呂場で泣いちゃったり、

よくできてた。

それにしても雨は十歳で声変わり半端ねぇな。

で、嵐が来る。

唐突クライマックス。そりゃ尺たりねーよ。

無駄が多すぎるもん。

もうね、頭の中では、ストーリーの結末が、

俺がこうあって欲しいという道筋が、全部出来てて、

狼がネコバスみたく活躍して嵐の中、人間を救う、

CGも使いまくって視覚的に盛り上がりまくって、

前半のグダグダを全部ふっ飛ばしてくれるような、

スカッとする展開を望んでたんだけど。

雪は、誰も残ってない学校教室で、

初恋男の子と二人っきり。

自分が狼の混血であることを告白して、終わり。

花は、嵐の中山へ入っていった雨を追って、

転落して意識を失う(あれは全身骨折だと思うが、つうか死ぬと思うが。御都合主義が過ぎる。その辺の説明も是非ききたい)。

三途の川ライクな場所で夫に慰められて(本当にありがちという言葉を使うのも恥ずかしいくらいクソ演出)、

目覚めたら、雨に運ばれて駐車場放置プレイ

自分の道は自分で決めなさいと言った手前で、

行かないで~と泣く花。

母の強さ? そんなテーマ

なんつうの。女の……何なのお前? っていう矛盾

で、結局、雨は独り立ちしてしまう。

ところでお前は嵐の中、山で何やってたの? 見せ場ねぇー。

というか……

盛り上がる場所、ねぇー。

延々と説明。説明。説明の使い捨て

エンターテインメントが、そんなに嫌いなら、大衆映画やめろって思うんだけど。

ポストジブリ狙ってるなら尚更。

「しっかり生きなさい」とか言われても、失笑もののけ姫キャッチコピー

ED曲のアカペラ部分で、残っている精気を限界まで吸われた。

なんだ、この、げっそりする感覚は。

「浅いよ」と言われようが、

「わかってねー奴」と罵られようが、

ジブリパクるだけパクっと食って、

盛大にゲロをぶち撒けたような作品だった。俺にはそう思えた。

2011-09-30

http://anond.hatelabo.jp/20110930075758

数としてはあまりいないと思うが、

性同一性障害ではなくても、先天的に骨格や見た目が女っぽいのがいる。

(特に最近の若い男子は色白で細く、小顔で目もパッチリで髭もあまり生えないし、中には声変わりしない人もいる)

もしそういう人らが女装趣味を持ったとしてメイク女装して、女っぽい動きをすれば街歩いててパっと見じゃ本当にわからない。

実際にそういう人も多かったりする。知り合ったり話したりして段々と気づくかもしれないが

街でスレ違うだけじゃまず分からない。

2011-07-19

女の子の声を目指してみたら、日常生活がすごく捗った。

いや、びっくりです

女声ボーカルの歌を原音で歌えたら楽しいだろうなーと思ってました。

それで、http://www.amazon.co.jp/gp/product/4798029025/Amazonで高評価なのをたまたま見て、駄目元で

買ってみて付属CDトレーニング4日ほどやったんですよ。

そうしたら、女の子の声には全然ならないんですけど、普段の声がびっくりする程きれいで楽に出るようになったんです

普通に喋るのに「楽」とか「大変」とか大げさなと思うでしょう。

僕も今まで考えた事も無かったんですけど、いや、これ本当に楽なの。まるで、のどに羽でも生えたかのよう。

普通に話した声が良く通るし、ささやきみたいな息の量でもかすれずきちんと喋り声になってくれるんです

逆に、いままでいかに喋りだすときに体が構えてのどに力を入れたりしていたのかと、愕然としました。

で、楽に発声できるようになると、頭の中で喋ろうと思った言葉がまるで坂道を転がるボールみたいにそのまま声として出ていくんですね。

なので、喋りだしにどもったりしなくなったし、無意識に発してた「あ」とか「えー」とかいった言葉が少なくなった気がします。

声質がよくなって以前より通る声になったおかげか相手にもきちんと話し言葉が伝わっている感じがするし、

以前はわりと一杯一杯だった話してる最中、気持ちに余裕が生まれてきた。


正直、僕は喋るのが苦手で雑談とかも出来れば避けたい感じだったんです

声変わりしたときにうまく喋れなくなって、どうもそれがコンプレックスになってたようで。

それが、ちょっとしたトレーニングで嘘のように解決ですよ。世界が輝いてみえます

まあ、今から考えればそれがどう考えても正攻法でしょうけど、僕自身がちゃんと正面から向き合ってなかったのかなぁ、と。

あと「オタクっぽい喋り方」って発声方法に大きく起因してるんだろうなって思いました。というのも、僕の喋りがまさにあんな感じだったから。

単語あいあいまにある「デュフ」的な息の音ってきちんと発声できてないからなんだな、と。

というわけで、ボイトレの教材として、僕はこの本、十分にもとがとれました。

女の子の声になれるかどうかは、わかりません。

追記

思わぬ反響にまたびっくりですこんなことなら、自分ブログに書いてアフィリエイト張るんだった

一応断っておきますが、「※.個人の感想です。効果には個人差があります。」ですからね。

明らかに人並み以下だったのが、人並みに手が届くかもくらいのところまでたどり着けたという話ですから

ちゃんと喋れてる人にはそれほど効果を感じられないかもしれないですし、

トレーニングの相性みたいなこともおそらくあるでしょう。

あと、書いた本人もこれじゃあ本の宣伝だよなぁ、みたいな事は思ってます。申し訳ない。

ただポイントはそこじゃなくて、ボイトレすると救われる人は他にも居るんじゃないか、っていうところです

Amazon検索すればボイトレに関する書籍は沢山有るようですし、

興味を持った方であの本に抵抗をお持ちの方はそういう物を選ばれるとよいと思います

まあでも、僕はこういう形じゃなかったらボイトレをしてみようなんていう気は起きなかったと思いますし、

本を手に取ることもなかったな、とは思います

さすがに本屋で買うのは恥ずかしいので、Amazonポチりましたが。

ちなみに、付属トレーニングCDは、地声が大体25分でファルセット20分の合計45分程度の練習コースになってます

結構、みっちり発声させられますが、内容的にはおそらく一般的な発声トレーニングだと思いますファルセットの分量が多めだったりするのかな)。

アマゾンのレビューにあった「おなかすいたにゃー」みたいな「女の子の声」的なものは、練習コースというよりも

講師の模範演技として掲載されているものです(あんまり模範になってないですが)。

羞恥プレイ的なトレーニングはないのでご安心を。

2010-09-05

私のばーちゃん

今年75歳になるばーちゃん。


ばーちゃんは、家事が好き。

趣味掃除と言うほど、掃除していなければ落ち着かないらしい。

家の中だけではなく、私の部屋までも掃除してくれる。

「入らなくていいから!大人なんだから自分でできるよ!」と言っても、

隅々までやってくれる。箪笥の服も綺麗に仕舞い直してくれる。

家具レイアウトやら、本棚の整理までキチッとやってくれる。

なので、何がどこにあるかはばーちゃんに聞くのが一番早い。

たまにそのせいで、物が無くなったりするんだけど・・・


ばーちゃんは、遠まわしに自慢する。

「昔ね、習字を習ってたんだけどね、よく先生から上手だねって褒められたんだわ。

 ××さん、才能あるよって。だから習い続けていたらもっと上手になっていただろうね」

小学生の時ね、ノートを書いていたら先生が上級生の教室まで持って行って、

 『このノートを参考にしなさい』って言ってたんだわ、字が綺麗だったからかね」

「昔はね、歌が上手だったんか知らんけど、よく学芸会で歌わされてね、

 でも声変わりになったら高い声でなくなっちゃってね」

遠まわしに自慢されているような気がするばーちゃんの話も、

何度か聞いているうちに気に障らなくなってくる。

そんな時私たちは「すごいねぇ!」なんて言ってあげる。

そしたら「いやいやすごくないんだわ」とか言いつつ、すっごい笑顔になる。


ばーちゃんは、他人優先で考える。

ばーちゃんのために買った健康食品は、いつの間にか私のものになっていた。

「私はもうすぐ死ぬんだから、あんたが食べなさい」

そして私が食べる姿を見て、満足そうに微笑む。

「もしかして病気かもしれない」と言うくせに、

病院へ行こうかと言うと、行かないと言う。

「だってあんたそんな(私を病院へ連れて行くような)時間ないしょ」

そんなばーちゃんも、あんまり気を遣い過ぎてストレスが溜まり、

いつの日だか呂律が回らなくなって、倒れてしまったことがある。

救急車を呼んで病気を聴いたら、「メニエール病」だった。

それストレスが溜まりすぎたらなる病気じゃん。

今は治ったけれど、気を遣い過ぎだよばーちゃん。


ばーちゃんは、家族が大好き。

私たち家族のことを第一に考えてくれる。

私が花札で勝ったとき、自分のことのように大喜びする。

「家の人が喜ぶ顔見るのが好きなんだわ」とか言っちゃって。


そんなばーちゃんに、私はなりたいです。

2010-01-08

正直、将来が不安でたまらない

将来というよりも未来って言ったほうがいいのだろうか。

「誰だって、将来は不安なものだよ」←それは知ってる。 それはちょっと置いといて、書かせてください。

オレは、下垂体機能低下症で、毎週2回くらい自分のふとももに注射打ってる。

下垂体機能低下症ってのは、下垂体がうまく機能してないって病気

下垂体とは

脊椎動物の体に存在する器官のひとつで、多くのホルモンを分泌する内分泌器官。

脳に接して、脳の直下(腹側)に存在し、脳の一部がのびてぶら下がっているように見えることからこの名がある。(wikipediaから引用

つまり、成長ホルモンとか甲状腺ホルモンとか、様々なホルモンが体の中で生成されないというわけ。

下垂体機能低下症になるとどうなるのか

身長が伸びない、精子が生成されない、チ○コが大きくならない、声変わりしない(低年齢時に発症した場合)、おねしょをしてしまう(かかりつけの医師によると体のなかの水をためる所が機能しなくなるらしい)などの症状がある。

たぶん一番辛いのは精子が生成されないのとおねしょすることだろう。

精子ができなければ受精もできない。←これを有利だと思う人もいるだろうけれども

治療としては、ホルモンを直接注射することくらいしかない。

で、何が言いたいのか

毎週2回も注射するのは嫌だってこと。まぁ治療だからしょうがないんだけども。

今毎週注射してるのは成長ホルモンの方で、このホルモン注射は80とか70くらいになるまでやらなきゃいけないんだって。

しかも毎日。(今は様子を見るために週二回なんだけど)

辛くてたまらないわ。

週に二回でも辛いのに、毎日やるとか耐えきれない。

しかもどうして発症したのか原因不明だしね。生まれた時からそうだったって医師に言われたけど、それじゃぁ八つ当たりできる所もない。

母親に当たるのは間違いだし、母親は毎日普通の顔してるけど相当参ってる。たぶんずっと責任感じてるんだろうと思う

話をもとにもどす

治療をやめたいと思っても、将来生まれるべくして生まれてくる自分の息子(娘)に頭があがらない。

まぁこんなブサメン結婚とかできるのかっていうのは別問題なんだけど、

ここで治療をやめて、生まれるはずだった息子(娘)が生まれなくなる、というのが僕はどうしても可哀想でしかたがないんです。

じゃぁ治療続ければいいじゃん、とか言われると思うけど、

とにかく辛いです。本当に。もうほとんど愚痴なっちゃったけど、つか言いたいことがまともにいえてない気がする

文章かくのとか超できないからなぁ

オチが見あたらないけど、この気持ちをどこに吐けばいいかわからなかったので

はてな特有の増田で書かせて頂きました。これよんで気分悪くなったひとはごめんなさい。

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