はてなキーワード: メニエール病とは
こんにちは、Gemini in Google メッセージです。私とチャットして、メッセージを下書きしたり、アイデアを広げたり、イベントを計画したりしましょう。ただ会話を楽しむこともできます。
13:02
私は54歳の肉体労働者です。
立ちくらみが頻繁に起こるとのこと、ご心配ですね。立ちくらみの原因は様々考えられますので、一度医師にご相談いただくことをおすすめします。
立ちくらみの原因として考えられること**
**起立性低血圧:** 体勢を急に変えたときに血圧が下がり、脳への血流が不足することで起こります。脱水、貧血、高血圧の薬などが原因となる場合があります。
**自律神経の乱れ:** ストレスや睡眠不足などが原因で自律神経が乱れ、血圧が不安定になることで起こることがあります。
**内耳の病気:** メニエール病など、内耳の病気も立ちくらみの原因となることがあります。
**貧血:** 鉄分不足などによる貧血も、立ちくらみの原因の一つです。
立ちくらみを予防するために**
**水分をこまめに摂る:** 脱水は立ちくらみの原因の一つなので、こまめに水分を摂るようにしましょう。
**塩分を適切に摂る:** 塩分不足も血圧低下につながるため、適切な量の塩分を摂るようにしましょう。
**ゆっくりと立ち上がる:** 体勢を急に変えないように、ゆっくりと立ち上がるようにしましょう。
**規則正しい生活を送る:** 睡眠不足やストレスは自律神経の乱れにつながるため、規則正しい生活を送るようにしましょう。
**適度な運動:** 適度な運動は血行を良くし、立ちくらみを予防する効果が期待できます。
その他**
**飲んでいる薬がある場合は、医師に相談する:** 飲んでいる薬が立ちくらみの原因となっている可能性もあります。
**最近、体調に変化はないか振り返る:** 高熱、体重減少、めまいなど、他の症状が出ている場合は、早めに医師にご相談ください。
まとめ**
立ちくらみの原因は様々ですので、まずは医師にご相談いただき、適切な診断と治療を受けることをおすすめします。
丁寧なお返事、どうもありがとうございます!
参考にしたいとおもいます。
m(_ _)m
こちらこそ、ご相談いただきありがとうございます。
少しでもお役に立てれば幸いです。
立ちくらみが頻繁に起こる場合、ご心配かと思いますが、まずはお気軽に医師にご相談ください。
もし、何かご不明な点がありましたら、お気軽にご質問ください。
13:08
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やさしいかよ…😢
さすが良心回路!😅
実際死ぬのかわからないけど、死ぬんじゃないかなあという気持ちになっている。
積極的に死のうとはしてないし、希死念慮はたまにしか湧かないけどそれは元々。
残業時間が70超えて過労死ラインに近づいていて、そのせいか慢性的な頭痛、耳の痛みやめまいが常にある。
文字もろくに読めてないし、集中もできない、人との会話も言葉になってないことが増えて、些細なことでキレやすくなっている。
もちろん仕事に支障は出てるが、時間をかけたらどうにかできるからどうにかやっている。そのせいでこの残業時間なこともある。
メニエール病になって寝たきりになるのか、脳梗塞になって倒れるのか、頭がおかしくなるのか、わからないけど私は近いうちに死んじゃうかもな、と言う気持ちに苛まれている。
でもワイ、人生で3回限界を超えて努力した時、全部取り返しのつかないマイナスの結果になったんだけどなあ
・中学生の時やきうを限界まで頑張ったら、都大会でいいとこまでイったけど腰を壊して半年も何もできなくなり引退
・とある事情で関節ぶっ壊してプチ不具者状態(身バレ防止の為曖昧)
・仕事頑張り過ぎて顔面崩壊して老人様顔貌+顎関節症+奥歯削り取られる+メニエール病+鬱病
頑張ろうって言う根性は良い事だけど、人間は自分の上限を超えるのは不可能だと思う
そして「努力が足りていない」という説教はそれが全くのデタラメなので基本的に有害だし、そうすると「努力の方向性が悪い」と言われる事がたまにあるんだけど
KinKi Kidsは未成年のうちにカメラの前で裸で抱き合うレベルのゲイ役をやらされて本当にいやがっていた。
剛はストレスによるアレルギーを発症してた、それを直すために副腎皮質ホルモンをのんで顔がムーンフェイスという副作用で腫れていた。
光一はわりとゲームとかして1人でいることで癒やせるし舞台にも立てるタイプだったけど。
剛は本当に音楽が好きでギター弾いて作詞作曲してソロコンしてもなかなか長い時間がかかった。
アイドルが歌う歌としては「ファンうけしない・つまらない」といわれる歌が多かった。
それでも彼にアイドルであってほしいといってささえつづけたファンもいるけどね。
金銭面で支えたにしろ支えなかったにしろ本人からボスに食い物にされたという事実は消えないだろうし
どうすればよかったんだろう。
メニエール病だってアレルギーほどじゃなくてもストレスは関係あるとおもうけどそっちはよく知らない
特に日本の芸能プロダクションは一部を除いて奴隷商人で、ヤクザみたいなことをしている。
肺年齢が+58歳とかほんと笑えねぇ…。
でも笑って話したいぐらいには聞いてほしい。
事の始まりはたぶんワクチン3回目終わってしばらくして…3月中旬ぐらいかな?
もしかしたら違うかもしれない。
明確にはもう覚えていないけど、気づいたのがそのぐらいの時。
なんか疲れやすくなって、マスクを一日中つけていられなくなった。
当時はまんぼうがあって在宅勤務もあったから気づかなかったが、出勤した日は夕方頃にはもう息苦しくて辛かったし、仕事の引継とかで後輩にいろいろ教えてるとぜーはーして息苦しくなってくる。
プレゼンとかあったらたぶんできない。
なんかおかしいな?とは、ずっと思っていた。
リングフィットやフィンクホームフィットもすぐに辛くなって前よりもできない。サボって体重が増えるのは嫌なので休み休み頑張るけど息苦しくてできない。
とあったからそれも怖いよなぁと思いつつ様子見していた。
他にも不安要素はあったが、なにより深呼吸しようとしてうまくできないことにびっくりした。
さすがに一ヶ月以上経っても治る兆候もないので病院に行ってきた。
いろいろ受けた結果、
ただ、呼吸機能の検査で肺年齢が89歳になっていたことだけが異常だった。
通常の呼吸は問題なかったが、深呼吸で吸う力と吐く力が平均年齢の水準の三分の一もいってないとのこと。
これが肺年齢89歳になった理由。
中等症以上のCOPD疑い。
検査結果見た時は前に検査したおばあ様の結果を間違えて持ってきたの?と、思いたかった。
目の前で印字しているのを見てたから私の結果なのは間違いないのよ。
私は喫煙者ではないことと、喘息やメニエール病でもあることも伝えた上で、気管支か肺のどちらかの異常だろうと診断された。
どちらかを判断するためにいまはホクナリンテープで様子を見ている。
二週間後にまた病院に行く予定であるが気が向いたら後日談も書くかもしれない。
あ、あと。
これだからワクチンは〜とか言う人が出てくるかもしれないので先に言わせてもらうが、
私は喘息もあるし、糖尿病家系だし、自分も糖尿病に引っかかりそうな状態にもなっているし、家族で基礎疾患持ちの人がいるから、自分の判断でワクチン3回目をやると決めたこと。
そこに後悔はない。
ただ「心臓や肺の病気でやることができなくなるのも嫌だし、できる限り元気に生きていたいしな…」という感じで病院に行ったらこういうことがあったということを書いただけだ。
いつからこうなったのかわからないまま生活してて、たまたま3回目をやった後、たまたま私が気づいただけかもしれないわけだからね。
いつもは反ホロコースト否定論活動報告みたいな投稿してるけど、ちょっとだけ視点を変えてみようと思った。
地球平面説の広まりを知ったのは、Netflixにある「ビハインド・ザ・カーブ」を何年か前に見た時くらいからだと思う。いわゆる、トンデモ説を信じる人が昔から絶えないのは知っていたけど、まさか地球平面説を現代で信じる人がいると言うのは私にとっては衝撃的だった。科学万能の時代に生きていて、スマホには当たり前にGPSを使った地図アプリがあり、毎日の天気予報には観測衛星のデータが使われ、そんな人工衛星が宇宙ゴミになるほど衛星軌道上に存在してて、海外旅行では時差を合わせなきゃならないし、ネットを使って海外の人とリアルタイムでやりとりすればこちらは昼でもあちらさんは夜なんてよくある話――と地球が球体でないと考え始める理由が見つからないほど文明人全員が地球が球体だと知っていると思っていた。
そんなフラットアーサーたちが拒否する考え方である「地球が球体である事実」を何故、現代文明人のほとんどが受け入れているのかをアーサーたちに言わせれば、それは「NASAの陰謀」らしかった。アーサーたちは例外なく、たくさんの他の陰謀論を信じている。9.11は当然アメリカ政府の陰謀だし、人類は月へなど行ってないし、イルミナティだのロスチャイルドだのシオンの議定書だのと言ったよくある陰謀説をいくつも信じている。もちろん、ホロコーストだって連合国とユダヤ人による陰謀だ。アメリカン・アーサーのオキニの映画は『トゥールーマン・ショー』である。理屈的に言えば似たような発想である『マトリックス』にならないのは、正直、知性の問題だとしか思えないわけだが、アメリカン・アーサーの直感にピッタリなようである。(ほんの少しだがレベルが上がるとマトリックスの「白ウサギを追え」が合言葉になるQアノンになるけれど)。
どうも、それはないようである。アーサーにも色々な人がいて、積極的に「地球は平面か球体か?」を科学的に調べようとする人たちもいる。200万もする高精度ジャイロを使ったり、あるいは遠距離でレーザービームを飛ばしてカーブを調べようとしたりするのだけど、自分達で調べておいてその「球体である」と証明されたはずの実験結果を都合よく平面説の方に合わせてしまうのだからわけがわからない。私は、ネットを通じて何人かの人に聞いてみたのだけど、一様にその回答者全員が「信仰を変えさせるのは無理」との返事だった。都合の悪い様々なエビデンスは無視するか、何かが間違っているからだとか、都合よく解釈して平面説に無理やりに合わせてしまうので、どうしようもないらしい。
何故そうまでして平面説にこだわるのかを聞いてみると、直感に反するから、だけのようである。例えば、科学的に説明される「地球は赤道上で時速1700kmで回転しており、太陽の周りを時速10万8000km、太陽系自体も銀河系を時速85万kmで移動している――だなんてアンビリーバボー!」なんだそうだ。確かに、そんな速度で動いていたら人間はひとたまりもなく吹っ飛ぶ説を覆そうとすると、それらが相対速度であったりすることを「科学的に」説明しなければならなくなるので、アーサーの知性の方が早々に吹っ飛んでしまうだろう。
そんなアーサーは海外だからこそ見られる現象なのかなと思っていた。特にアメリカは、進化論を否定する人たちが大勢いることもよく知られているし、アメリカ人はアメリカこそ世界の中心だと思っている人も大勢いて、地球平面説が受け入れられやすい土壌があるから広まっているんだと普通に考えていた。しかし流石に日本は海に囲まれた島国だし、「日出る国」と呼ばれるからこその「日本」でもあるし、なんとなくイメージ的にフラットアーサーは皆無に近いと思っていたのだけど、そんなことはなかった。こんな本がとうとう日本にも。
地球平面説【フラットアース】の世界 単行本(ソフトカバー) – 2021/2/2
私が知らないだけで、昔にもあったのかもしれないが、レビュー欄を見て二度目にびっくり。一つだけ引用してみよう。
Eden Mediaというチャンネルで、CGIで宇宙を偽装している動画を見てから、フラットアースってありかもと思っていました。地球がとんでもないスピードで移動していることを、本を読むまで全く考えたことがなかったのですが、数字を見たらありえないスピードです。私はめまいがするメニエール病で苦しんだ経験があるので、考えただけでも気分が悪くなるような異常な速さの高速移動。こんなのあり得るの?と思いますが、実際に現実の地面は全然動いている気配がしません。あと重力とか引力とかが、単に仮説だったとは。とにかく自分が常識だと思っていることが、実は真実ではなかったという驚きの連続で、とても面白いです。
南極条約の不自然さがとてもよくわかりました。きっと南極条約で世界中がウソをつくことに契約したんだろうなと思います。騙されていたことに腹が立ちますが、新しい世界が見えてきたようで、なんだかすがすがしい気分。フラットアースはオカルトでもスピ系でもなくて、自然をちゃんと観察して出した結論だと思います。自分でも太陽や月を観察してみたいです。とにかく本当の世界が知りたいと思いました。
「南極条約で世界中がウソをつくことに契約した」だそうである。わたしゃ、南極条約というと、ファーストガンダムで「捕虜の扱いは南極条約に則ってくれるんだろうな?」のコズンのセリフしか思い浮かばなかったけど、そっか、南極の向こうは地球平面の縁だったもんな、アムンゼンの偉業は嘘だったんだね、――ともかく、結局そういう陰謀論で解決するんだと呆れた。
知性レベルが低いのは必要条件ではあっても、十分条件ではないとは思う。個人的に思ってるだけの話だけど、知性レベル(教育レベルであるとか元々の頭の回転の良さであるとか、特に定義があるわけではないが)が低くても、ほとんど大抵の人は自分が知らないことに対しては思考をシャットダウンする。例えば、私は歴史に非常に弱いのだけど、そうした知らない歴史の話が出てくると、普通に私は知らないだけなので話に加わることはほぼ出来ない。実際、誰もが知らないことがたくさんあるのが当たり前だし、そうした無知な世界に対しては、ほとんど大抵の人は考えること自体は無いはずである。極端な話をすれば、私の飼ってる猫のプリンが、地球が球体であるか平面であるかなど考えることがあるとは信じられない。
私たちは、そうした考える必要がなかったり、考えても知らないだけの事に対しては、普通は思考をシャットダウンするのではないのか。この話については、AIの領域の話で、「フレーム問題」ってのがあって、簡単に言うと「ありとあらゆることについて考えないと行動に移せないのであれば、そのロボットは永久に止まってしまう」というパラドクスである。私たち人間はどこかで思考をシャットダウンするからこそ行動が出来ているのである。例えば、道路交通法では自動車運転手は今から運転する自動車を最低限の点検しないことには運転してはならないはずだが、ほとんどの人が運転開始前の点検などしないはずだ。これを極端に考えて、自動車のありとあらゆる部分について点検しないと安全を保てない、などと考え出したら、一生かかってもその自動車を運転することは出来なくなるはずである。「ガソリンに異物が混入していないか」「バラして点検した後に組み付けた時に何かミスはしていないか」「何か部品に時間的な劣化はないか」等々。
一言で言えば「余計なことを考えるな!」だけの話ではあると思うのだけれど、その余計なことを考えるように仕向ける「自分の頭で考えてみろ」というアドバイスをする人がいるから困る。著名な哲学者ルードウィヒ・ヴィトゲンシュタインは「語りえざることについては沈黙すべし」と言ったが、私に言わせれば「考えても無駄なことは考えるな」と翻訳したいところである。
私は20代女、公務員だが休職中。復職は絶望的だろうと医師からの見解。診断はADHDと気分変調症。そして回避性パーソナリティ障害。
休職とは関係ないが持病で脳血管疾患(難病)とハウスダストアレルギーと成人アトピーがある。
両親や親戚はおらず、精神障害を持つ年の離れた兄がいる。
あまり詳しく書くと身バレが怖いが、時々辛くなって自分語りをしたくなる。
正直現状めちゃくちゃに生きずらい。薬がないとまともに生活を遅れないが、目に見える形の障害がないため健常者として生活を無理やり送ってきた。くそ長いけど私の人生を知ってください。
まず小学校中学年まではそれなりの生活を送ってきた。一軒家で両親健在。収入はそれなり。
問題は子どもへの愛がなかったことくらい。衣食住に金をかけてもらえず、幼稚園のころから同じ下着をずっと着ていたり、朝食は8枚切りの食パン半分だったり(朝食が出るだけ良いかもしれない)したが、その年頃の子どもは家庭内が世界の全てなのでそれが当たり前だった。
父親は仕事でほとんど帰らず家は母親の天下だった。帰宅すると宿題をやった後、母親のマッサージ。兄が帰ってきたら交代して、両親が買ってきた教材をやる。母親の機嫌を損ねるとヒステリックに怒られたあと無視され、ご飯を抜かれる。テストの結果が100点以外でも似たようなことになる。たまに甘えたくなり母親に近づくと「ウザいから近寄るな」と突き飛ばされる。触れ合った記憶は機嫌が良い時に耳掃除をしてくれたことくらいしかない。なので父親が帰ってきたときに必死に父親に甘えていた。母親はそれを冷ややかな目で見ていた。
両親は外聞を気にするタイプだったので、私たちは下着はボロボロでも服はそれなりに綺麗なものを着せられていた。外での母は優しかったが、そこではしゃぎすぎると帰ってから「調子に乗るな」と怒鳴られ叩かれる。いつも母親の顔色を伺っていた。
ある日の夜、私は全身麻痺を起こして倒れた。前々から半身麻痺の症状が出ていたが、両親に話してもまともに取り合ってもらえなかった。私は救急車を呼んで欲しいとお願いしたが、「救急車を呼ぶと近所で噂になる」という理由で拒否された。結局麻痺が収まらず呂律も回らなくなり、父親の車で救急病院に連れていかれた。1週間ほど入院したが、病院の生活がとても楽しかったことを覚えている。
半年後に手術をする予定ですすめていたところ、母親がくも膜下出血で倒れる。私の病気は母親からの遺伝だった。この際、母親が我が家の貯金を全額実家に横流ししていたことが発覚して両親が離婚する。私たちは両親のどちらにつくか選ばされたが、こんな状態で父親以外選べるはずもなく兄妹ともに父親について行く。手術は無事に終わった。
父親と兄と3人で暮らすことになり、平和になるかと思えば、父親も母親と似たような人間だった。特に父親はプライドが高く、少しの意見も口答えも許さなかった。まだ小学生だった私には生きるためにも父親の顔色を伺いながら生活を送るしか無かった。やはりテストの点は満点しか許されなかったし、褒める時は「俺の娘は他のバカとは違う」貶す時は「こんなの俺の前に出して恥ずかしくないのか」と常に父親が中心の声掛けをされた。そのうちテストを学校で捨ててくるようになったが気が付かれなかった。週に1回父親と家の掃除をやり、週に2回父親に連れられて買い物に出かける。父親は「年頃の娘と仲の良い父親」像に固執しており、出かけることを拒否したり、外で不満を口に出すと家に帰ってから怒鳴り散らされた。少し抵抗するような態度をとれば「俺にそんな態度とっていいとおもっているのか」と怒鳴られ、物をぶちまけられて脅された。この頃には自己主張ができなくなっていた。おまけに父親は娘を育てる知識がなく、極少ないナプキンしか買って貰えずしょっちゅう服や寝具を血まみれにしたし、ブラも買って貰えず膨らんできた胸が目立つのが嫌だった。生理用ショーツや胸パット付き下着の存在もこの頃は知らなかった。
兄は父親に反抗し帰宅が遅く、部屋に閉じこもりがちだった。父親は兄に興味がないようで成績以外で構うことがなかった。だが、お金もほとんど渡していなかったようなので兄の生活は苦しかったと思う。(進学校でバイトが禁止だった)父親からは兄の愚痴を聞かされ、兄からは父親の愚痴を聞かされた。
父親は地域の人との関わりを嫌い、学校行事にも一切顔を出さなかった。保護者ありきの授業参観や運動会はとても惨めな気持ちになって辛かった。周りに頼ることは恥ずかしいことだと教えこまれ、誰にも何も言えなかった。自己主張ができない私は友だちも少なく、地域との繋がりも希薄で家が世界の全てのようなものだった。中学生の時は部員との交流はあったが、土日に友だちと遊ぶことに父親が良い顔をせず深い仲にはならなかった。小学校高学年のころいじめにあい、学校に行きたくないと父親に打ち明けたが、「ゲームを買ってやるから行け」と言われてちゃんと行った。ゲームは年に1回誕生日にだけ買って貰えるものだったので、いじめに耐えるだけで新しいゲームができるならそれでよかった。これ以降父親になにか相談することはなくなる。
中学生になった私はADHDの特性が顕著に現れるようになった。遅刻したくないのに遅刻してしまう、授業に集中したいができない等のストレスから解離症状が出るようになり、色々な場面で意識を失うようになった。他にも色々と要因はあった(父親が洗濯を正しく行えず体操服がいつも生臭かったり)(家庭内でも意識を失うようになり起きていられなかったり)で不登校気味になっていった。その頃には父親は学校に行かないことに文句を言わなくなっていた。それだけはありがたかった。
そんな最中、父親が会社をクビになる。私が中学生の時のことだ。パワハラ、モラハラ、サボりが原因だ。父親は会社の営業本部長で実質No.2(本人談)だったが、母親と離婚してからどんどん帰宅時間が早くなっていった。職場まで車で2時間かかるのに最終的には朝は9時に家を出て、17時半には帰宅していた。あまりにも出勤時間が短いので大丈夫なのか聞いたことがあるが、営業先に口裏を合わせてもらって出張扱いにしているらしかった。とんでもないことだがさらに、「俺は他のやつらより効率よく仕事をしているから早く帰っても問題ない」と言っていた。今思うと頭がおかしいとしか思えない。そして女性社員に気持ち悪いメッセージを送り、新人の愚痴を言いふらす……典型的なとんでもパワハラクソ上司だった。そんなだったので部下から告発を受け会社を即日クビになったのだ。本人は「不当な解雇だ。裁判を起こせば俺が勝つ」と何度も言っていたが、自分に非があることはわかっていたのだろう。裁判は1度も起こさなかった。
クビになったタイミングが悪く家を立替えた直後だったため、収入が必要だった父親はコンビニ店長をやると言い出した。しかし、コンビニを経営するには連帯責任者としてもう一人人員が必要になる。父親には友人が一人もいなかったし、親戚も一人もいない。そのため、他社に内定が決まっていた成人したての兄を連帯責任者として引っ張りこんだのだ。今まで見たことがないくらい必死に拒否をする兄を力で脅して内定辞退させ、結局二人でコンビニを経営することになった。
その後研修のため2週間家を空けるとの事で、私は児童養護施設に一時的に預けられた。そこで、我が家の生活が異常だったことを知る。皆が好きなように時間を過ごし、ルールをこっそりやぶって笑いあったり、ご飯がまずいと文句を言ったりのんびり団欒を過ごしたりする。私はそこで初めて家庭の温かみを感じた(違うかもしれないが)、家庭の会話に温度を感じたのが初めてだったのだ。予定は2週間だったが、直前で兄が家出をしたため結局1ヶ月をそこで過ごした。兄は警察に保護され、父親と研修を受け、私は最終日に家に帰りたくないと大泣きした。そしてコンビニ経営がスタートする。
そこから半年ほど私は廃棄のコンビニ弁当だけで生活をした。父親と兄はローテーションでひたすら無休で働いていた。生活リズムはめちゃくちゃだった。兄は父親への反抗で風呂に入らず出勤したりしていた。4日風呂に入っていない兄は汚くて臭くて嫌だった。これでコンビニで接客してるのは今考えてもやばい。私は父親に捨てられることが怖くて、反抗はできなかった。食器を並べる時、父親の箸を少し崩して置くのが小さな抵抗だった。父親はメニエール病を発症していたがそれでも休むことはなかった。「このままじゃ破綻すると思う」と声をかけても「私への誕生日プレゼントとして休みを取ってほしい」と声をかけても「俺の仕事に口出しするな」と怒鳴られ物を投げられて終わった。いつか父親は死ぬだろうなと思った。死んだ。
中2の冬のある日。父親が死んでいた。
その頃の私は起きられている時に父親に学校に送迎してもらっていた。その日もいつも通り学校へ乗せていって貰おうと思っていたが、寝室に父親がいない。トイレにもリビングにもいない。家中探してもいない。けど、外に車はある。そうして車を覗きに行くと、眠るように死んだ父がいた。最初は普通に眠っているのかと思ったが、こんなに寒いのに白い息が出ていなかったため何かがおかしいと思った。大声で何度も父親に呼びかけるがピクリとも動かない。何度も何度も呼びかけても動かなくて混乱した私は中学校の先生に電話をかけた。
それからはあっという間で先生が来て、警察が来て、救急車も一応来て、警察の人に「恐らく煉炭を使用した一酸化炭素中毒による自殺で事件性はない」と説明を受けた。兄はコンビニに出勤していたので、事情聴取は私が受けた。警察の人に色々教えて貰って、家族葬の予約をとって父親を骨にした。
父親のために生きていたようなものなのに捨てられたんだなぁと思った。私と兄はみっともなくあがいて生きてまでどうにかしてあげたい存在ではなかったんだなって。
ちなみに母親は、父親の死を知り家に押し入って来て、殊勝な態度で「また一緒に暮らしたい」と言ってきた。どの口がと断るのだが断った途端に豹変し、ズカズカと家の奥へ踏み込んで家探しをして貴金属を持ち去っていった。
兄は対人恐怖症で私以外とまともに会話ができないので、来客や自治体等の対応は今も昔も私がしている状態だ。
なんか思い出してつらくなってきた。
・しばらく兄妹で生活する
・入れ違いで兄が入院
・安定して通学できず単位が危うくなるも担任の先生のサポートでなんとか進学
・薬でなんとか通学できるようになる
・公務員を目指す
ゴミ屋敷は支援員の方々の協力で脱却した。別に綺麗ではないけれど。
休職して半年ほど経つけれどいまだに無気力で何も出来ない。人とのコミュニケーションが怖いし、他人を信用できない。体調が良くなっても性格が、性格が良くなっても、特性が人生の邪魔をする。
目の前のことに必死すぎて友達もほとんどいないままここまで来てしまった。というか人の頼り方がわからなくて信頼関係が誰とも築けない。誰と話しても気を張ってしまう。相手を不快にさせないようにと顔色を伺ってしまうし、自分で自分を大切にできない。
兄は給料が少ないことと友達がいないことを度々気にしながらも、趣味のゲームで息抜きしながらなんだかんだ楽しそうに生きている。今はウマ娘にハマっているようだ。よく私に育成の楽しさを語ってくれる。
現状生きてれば良し、面倒なことは後回しで良くも悪くも細かいことは気にしない性格なのだ。私もそうなれたら良いのだが。
なんか今まで色々、色々あったけど社会に出たら一人の人間でしかない。親ガチャの失敗のせいにしたいけど、毒親持ちでも立派にやってる人はたくさんいて、自分を褒めてなんてあげられない。
わたしは中学生の頃に家庭環境のストレスから拒食症と強迫性障害を発症し、何度も精神科への入退院を繰り返してきました。幼少期からの虚弱体質に加えて、精神的にも不安定で弱い人間です。高校は通信制、大学は行っておらず、今は姉の仕事の手伝いで細々と暮らしています。
このような弱者女性当事者として、いわゆるメンヘラを狙う男性の殆どは、支配欲や性欲から近づいているというのは、事実だと思います。信じられないのならば、弱者女性という設定でTwitterアカウントを作ってみて頂ければわかると思います。ヤリモクの男性のアカウントからDMが届きますし、他の弱者女性なマッチングアプリで出会った彼氏にDVされて悲しくてODした、のようなツイートをしょっちゅうしているのを目にできます。
ただ、メンヘラと気づかずに近づいた男性の中には、情に駆られて「理解ある彼くん」になることもあります。相当重度でない限り、女性の場合見た目から障害がわかりにくいです。また、レアケースですが人間とは不思議なもので、交際中はメンヘラ女を虐げ浮気三昧だった男性も、デキ婚を期にすっかり付き物が落ち「理解ある彼くん」になることもあります。
ただ、これらは全て運が良かったケースです。運が悪ければ、、、最悪の場合、自殺願望のある女性をTwitterで探して殺したような男性の被害者になります。自殺オフでの強姦が多いのはご存知でしょうか?悪い人間はいつも弱みにつけこみ搾取しようとするものです。
わたしの知る限り、「理解ある彼くん」のいる弱者女性は圧倒的少数派です。そもそも身近な人の精神疾患に理解を示せる人自体が、体感2割程度ですし、初めから障害者とわかって付き合おうとする人は少ないです。傷のあるりんごと、ないりんご、どちらもあるなら後者を選ぶのが人間です。
「障害者の女だから」という理由で近づく人は、絶対とは言えませんが、何か心に歪みのある場合が殆どです。俗に言うイネイブラーもいますし、コントロールしやすい女性を好む男性もいます。そのような男性の存在が、弱者女性にとって良い影響を与える事もありますが、悪い影響を与えることも多いです。精神障害を持つ人間にとって、対人関係のトラブルは病気にダイレクトに深刻な被害を及ぼします。これは断言できますが、そのような悪影響はほぼ100%、自殺・自傷・再発・悪化に繋がります。弱者にとって、恋愛のリスクはとても大きいです。
リスクを乗り越え、宝くじに当たり、「理解ある彼くん」を手に入れた女性の未来も、必ずしも明るいものではありません。恋は一過性のものです。恋の盲目の効果は次第に切れていきます。次第に「理解ある彼くん」は疲弊していきます。そうして弱者女性は振られることも多いですし、付き合い続けたとしても、共倒れしてしまうことも多いです。初めは皆、理解を示そうとするものですが、それが続く事はとても少ないです。恋人は精神障害を治す魔法の薬ではありません。
「理解のある彼くん」の話をしていた人が、後になって別れている事はよくあります。さらに、いわゆるメンヘラのわたしたちは、恋人ができた時、過剰に美化し、熱烈に愛し、依存してしまうことが多いです。優しい普通の人が、初めに示すほんの少しの努力を針小棒大に話すこともあります。それは、家族や周囲から優しくされた経験が少なく、まいがあってしまうためです。見栄の嘘ではありません。
障害者が、理解のある恋人を得てサポートを受け続けるのが難しい事はわかってもらえたと思います。ですが、逆に交際後、結婚後精神疾患を持つようになった女性はそこそこいるようです。しかし、彼女らはもともとは強者です。鬱などになる前までは、学歴やキャリアを普通に積んできた人間です。そういう意味で、わたしのような弱者よりはずっと上の存在だと思います。学校や就職に耐えられる程度の健康さは待ち合わせていた側なのです。
最後にわたしの話をします。わたしは摂食障害を抱えていたため、脱ぐと皮膚がかなり弛んでいます。肌も以前よりはマシですが年齢+7歳は老けて見えます。長年の不摂生がたたって、ホルモンバランスも崩れていますし、体つきも直線的で女性らしくありません。また、極度の虚弱体質とメニエール病のため、性行為は失神すると思います。こんなわたしも20代前半の頃に、2人とのお付き合いの経験があります。あまりいい思い出ではありません。1人目は10も年上で、支配欲の強い人でした。2人目は、いいところも悪いところもある普通の人でしたが、わたしの身勝手な態度で振り回し、疲弊させてしまいました。結果、彼のキャリアに穴けさせ、お互いにとって最悪な関係で終わりを迎えました。恋人ができる事自体、男性の弱者にとっては羨ましい事なのかもしれません。ですが、私にとっては羨ましがられるような幸せな経験ではありませんでした。
わたしは、件のブコメを差別や侮辱だとは思いません。端的な事実であるからです。むしろ、そのようなリスクを隠し、「あなたにも理解のある彼くんが出来るはず」「彼氏を作れば治るんだから」と弱者女性の背中を押すことのほうが残酷だと思います。
献身することも、献身されることも難しいことです。犠牲が伴います。だから、国からは嫌がられることかもしれませんが、公助に頼って欲しいです。長くなりましたが、わたしの言いたい事は以上です。
私の母は私が幼稚園に入るか入らないかの頃には、一人でご飯の支度を出来なかったんだな。母方の祖母がメインでバリバリ家事をこなしていたからだ。
あるとき、私の従妹が肺炎をこじらせて長期入院してしまい、祖母が従妹の家に家事と看病の手伝いに行っていた。それで母が一人でご飯の支度をすることになったが、ガス釜でご飯を炊くことにすら失敗し、釜の中を黒焦げにしていた。おかずもかなり不味かった。
そんな母だったが、祖母の体力が落ちてきて家事をやりきれないことが多くなり、夕飯の支度なんかは母が仕事から帰って来てから怒りながらやるようになっていた。
「なにこれ、何もやってないじゃない! 昼間ずっと家に居るくせに、一体何をやってたの!?」
と、祖母に腹を立てながら。私は日中祖母が何をしているのか知っていたが、祖母はもっぱら掃除と草むしりと畑の世話と私ら孫達の世話をしていた。まあ普通に田舎の農家の主婦の生活で、夕方になると力尽きてしまい、早くに布団を敷いてその上にぶっ倒れて寝ていた。母はその、完全にへたばってしまった祖母の姿しか見ることがないので、怒るわけだ。
祖母は癌になって入院し、手術をした。乳ガンだったが、今ほど周辺組織を温存するという発想と技術力のない時代の手術なので、片胸と共に周りの筋肉組織まで根こそぎ削がれるほどの、大手術になった。結果、昔は物凄い勢いで家事などに勤しんでいた祖母は、殆んど家事が出来なくなった。
体力が無くてあまり家事ができないというのは良いとして、働けなくなった途端に、祖母の性格がガラリと変わってしまったのが、母には怒り心頭ポイントだったかもしれない。祖母は今まで面倒見てやった恩をこれからは返していくべきだとばかりに、母をこきつかいつつ依存するようになった。
私はその頃も祖母とよく行動を共にしていたから知っているんだけれど、丁度その頃、祖母の昔からの友達は続々と隠居していた。
祖母のお友達の家に呼ばれて行くと、祖母のお友達は家事を何もせず、台所の隅に設えられた女用の炬燵に当たっていて、お嫁さんがちゃきちゃきと家事をこなしていた。お嫁さんは、姑に対してすごく良い笑顔で従順に言うことを聞いている。まあ、実の母娘じゃないからそんなコミュニケーションをしている訳だ。
祖母はそんな隠居暮らしに憧れがあるようだったが、母はというと、実の母親から姑がするような仕打ちをされるなんて勿論当然だとは思っていない。ていうか、本物の姑だって、嫁をやたらこきつかうタイプの人ではなかったのもあり……。
そんな訳で、母は新婚の頃から祖母を家に置いて家事育児農作業を任せ、自分はバリキャリをするという人生プランを立てていたが、それを祖母に呆気なく突き崩されて急速に病んでいった。
当時まだ年齢一桁台だった私には、急に家庭内が不穏になっていった理由は、全部目の当たりにしているにもかかわらず全然解らなかったのだが、大人になった今振り返ると、そういうことなんだろうなと思う。
祖母が元気だった時期は食卓に並ぶ料理はいただきものでない限りは祖母の手作りだった。母が作るようになってからは、スーパーで買ってきた揚げ物を、家の使い回して古くなった黒っぽい油で揚げ直したもので、私はよくそれを食べて油中りしていた。父なんかは知らないだろうが、おかずの多くはスーパーのお惣菜だ。それが私にとっての母の味。
小学校高学年くらいになると、うちの近場にもコンビニが雨後の竹の子のようにあちこちにポコポコと建つようになった。スーパーのフードコートも充実するようになった。その頃の母はノイローゼとメニエール病で動けなくなり、土曜の部活の為の弁当は、お昼頃に父がコンビニやスーパーで買ってきたおにぎりやパンを学校まで届けに来てくれて、私は校門の前とかで受け取っていた。
母が寝込んでいるか逆に遅くまで働いて家を空けているのを、両親特に母が「可哀想」だといって、私ら子供達を外に連れ出せない埋め合わせとして、家にはスナック菓子やカップラーメンやジュースが沢山あり、おやつにはフードコートで買ったらしいお好み焼きとか焼き鳥をもらい、夜ご飯には茹でたパスタにパスタに混ぜるふりかけをかけて各自食べる、みたいな食生活だった。
そんな我が家だったので、コンビニの「お母さん食堂」というコーナー、そんなものは私の子供時代には名前としてはなかったけれども、実質そういう中食の類いが、小学生時代からの私を育ててきたのだし、四つ離れた妹なんかにはむしろ、それが完璧に母の味というものだったろう。妹は、祖母が出汁用の鰹節を毎朝削ってた頃のうちの食卓なんか知らないわけだから。
※この話は一応現実のものとして書いてありますが一部えっそれガチで言ってるの?と思われそうな箇所が多々あります。
※長いですし文章も下手なので読みにくいと思います。記憶もおぼろげな部分もあります。ご了承ください。
※いじめやストーカーなど胸糞悪い話ばかりで救いがあまりないですがそれでも大丈夫という方はどうぞ
登場人物紹介
私:かれこれ十数年以上オタクやってる同人女。二次元から三次元までいろいろ手を出してる。BLでもなんでも好き。かわいくはない。
友人S子:高校の友人そのいち。かわいい。鹿の間ちゃんに似てる。
友人Y?:M美の友人。一応友人(?)
職場の女M:年上そのに。
高校の友達二人S子Mと地元の遊園地で行われる合コンに行ったことだ。
その日は何故か深夜までカラオケで遊び、後日また会うことになった。
このときイケメンに舞い上がっていた私はあろうことかそのイケメンにアプローチ(?)をかけようとする。が、拒絶される。(当たり前)
拒絶された理由はS子だ。S子はいつの間にかイケメンと付き合う流れになっていたのだ。何故言ってくれなかったのか。そう思った私は思い立ってS子含め五人全員をLINEブロックすることにした。
(余談だが五人をブロックする直前、私は職場でパワハラにあっており、そのパワハラ同僚の特徴が自己愛性人格障害とピッタリ合った。それで五人のグループLINEで自己愛みたいな人に気を付けるんだよと最後にLINEし、そのあとすぐブロックをした。これがあとになってヤバいことになる原因とはいざ知らず……)
ブロックをした次の日、めまいが酷く立ち上がれなかった私はその後メニエール病と診断されることとなる。(余談)
めまいが30秒から1分おきにやってくる症状のせいでまっすぐに歩けなくなった私はそれでも外出し、本屋に通ったりしていた。
その頃だろうか。周りで変な輩が出没するようになったのは。
ある日映画をレンタルしようと本屋をうろついていると、前の方からにやにやしながら私の歩き方を真似してくる男がいた。すぐに不審者がいるなあと思った私は無視をした。男はいつの間にかいなくなっていた。
その後、勢いでブロックしたことを反省した私は(友人も少なかったこともあり)再び五人と連絡を取り合うことにした。まずはと友人Yに連絡をし、映画を見に行くことなった。映画を見終わった後、私のインスタのアカウントが何故かS子とMにフォローされており(二人のアカウントは非公開になっていた)何だか気味が悪かった私は友人Yにそのことを言うと友人Yはそう?と笑って流すだけだった。(周りでは右のテーブルも左ものテーブルも私たちの話題を出しており、少し怖くなった。が、偶然聞いていただけだろうと流した)そのあと、連絡をもう一度取り合いたいという話をした。
その頃、新しく入った職場にYという男がいた。Yは何故か私に謎のアプローチをしてきており、それをなんとなく気づかないふりをしていた。
新しい職場に慣れたおかげかどういうわけかめまいから復活していた私はあちこち出かけていた。その一つにリサイクルショップがある。そこへらんま1/2がないか探しにきたついでにBL本もちらっと見たときだ。男二人組がにやにやしながら私が見ていた本棚を見て何か喋っているのを見かけたときは。そのときは珍しいけど腐男子かな?とスルーしたのだけれど、その後移動した私はその二人組がついて来ていることに気付いた。気のせいだろうと何度か立ち止まったりあちこち移動したがまだついて来ている。気味悪く思った私はとりあえずお目当ての商品も見つからなかったことだしと帰ることにした。そのあとすぐに友人MにそのことをLINEすると気のせいじゃない?(笑)と返ってきた。
と、ここまでは気のせい程度に感じなかった出来事がここからだんだんとえ?おかしくない?どゆこと?になってしまう。
ある日私はS子と県外へ遊びに来ていた。昼食時、喋っていると「かわいい」と連呼する女の子二人組がいた。ちらっと見るとこっちを見ていたので多分S子を見て言ったのだろうと思いスルーした。
その頃私は合コンに一人で行こうと急に思い立ち、何度か通っていた。仕事にいらだっていた私は眼鏡の男に酷く当たってしまう。男と行った公園で道行く人に何故か、「かわいい」と連呼される。そしてもう彼女だと勘違いしていた男をフッて、そして最後に行った合コンで私はやっぱり何かがおかしいなと強く感じるようになっていた。急に知らない男にお疲れ様ですと言われる。このときに何回言われたかわからないくらい言われ、なんだこいつらとビビる。その日の帰り、駐車場の近くを歩いていると、にやけた顔の男二人に「あ、あいつじゃね?」と言われ何故か頭をペコリと下げられた。まあどうでもいいかとこちらも頭を下げて流していたが段々と流し切れなくなっていた。
あと映画見に行ったら途中で泣いてたのを見られ(真っ暗の中をポロっと泣いただけ)女二人組にあいつ泣いてたよ(笑)と罵られた。映画中人の顔見てたのか?と帰ってからちょっと怖くなる。
職場の話に戻る。職場の同僚Yが謎のアプローチをかけてきていたという話だったが、ついにその話に乗ってしまう(?)LINEで話を聞いてみたのだ。よくわからんけどどこか行こうか?的な話を持ち掛けたのだと思う。そうすると彼は何故か私を突っぱねて何それ?お前なんか知るか。確かそんな感じで話は終わってしまう。何故か?頭がはてなになった私は次の日ちょっと不機嫌気味に彼に接した。すると彼はその日から逆アプローチをしてくることになった。私のミスをいちいち指摘したり電話を何度もかけてきては出ないということを繰り返したのだ。いままでの態度と打って変わった彼を私はこいつは自己愛性人格障害と決めつけ、職場の一人の女性Yにこいつは自己愛性人格障害だから~とLINEで言いふらした。彼女は何それ(笑)と軽く流した。その頃、疲れた私は友人Mと映画に行き、焼き肉店で職場のYとMがヤバいという話を冗談交じりで話した。そのあとじゃあね、と友人Mに意味深に笑われた。その次の日から何故かMからのいじめもはじまった。職場の男Yが私が通うジムに同じく通いはじめたらしく、もうストーカーだよと職場の女Yが言っていた。Yも何故かどんどんおかしくなり、職場で妙な笑い声を出したり、Mと一緒に私でない他の人の悪口まで言い出していた。Mは真冬に冷房をつけてくしゃみをしていた。その後もMやYによる私の荒探しは続き、ついに仕事終わりのジムで私の仕事のミス(に見せかけてそうでもない話)の話の最後にもうやめれば?と書いてあるのを見た私はなんだかめんどくさくなり仕事を辞めることにした。
辞めたすぐあとに映画へ行こうと車のエンジンをつけたらすぐ近くの高架下でエンジン音が鳴り響いて真っ暗な中からライトつけた車が後ろに来てビビり散らしながらいつもとは別の道で映画館のレイトショーに行くと、男二人と謎の臭い男がいた。(謎の臭い男はYと後に判明する)男たちはあいつ喪女なんだよ~的なことを言ってこっちをちらっと見て無視かよと言い、いつもの祈るポーズ(よくやっちゃう)をしてたらあいつ祈ってるの?と笑われた。帰り際「県中に噂ばら撒いてやる~ぶっ殺す?」的なことをサラッと言われる。
その後、東京で行われる好きなアーティストのライブに行きたかった私は短期派遣に行くことにした。それが地獄を見ることになる原因になるのも知らずに……。
その日短期派遣の職場に行った私は、そこで会う人が会う人が最後の合コンで会った人が多いなと思っていた。もちろんそれ以外にもいるのだけれど結構大きな職場だったのでまあそういうこともあるかと流していた。
初日から私の椅子の近くであれがだめだこれがだめだと私の悪口を喋り続けていた。それが前の職場Y、Mの小言そっくりなのだ。真夏に暖房つけるところもそっくりで知り合いでもいるのかと疑った。
その後いじめはエスカレートしていき、ついに私のロッカー(その頃気が狂いだしていた私はロッカーの鍵を何故か二回回していた)の中のスマホの中身を見られたのだ。スマホは不幸にも鍵がかかっておらず、LINEやR指定の三次元小説などを全部見たらしい。「全部見たよ~あははは~~」みたいなことを言っていた。そのあとも精神のバランスは崩れ、めまいが再発していたのだがそれでも意地で通い続けようとした。あとはいろいろあったので箇条書きにしておく。
・辞める電話をかけようとエントランス近くをうろついてたらどこいったあいつ?あっいたー!と大声で叫ばれた。猿かお前は。
・猿女が携帯持ち込み禁止の職場に携帯を持ち込んで犬の音声を流し、コタロウコタロウ、と犬の名前を?連呼していた。何事かと思ったがその次の日に親戚の可愛がっていた犬(名前はコタロウ)が謎の失踪を遂げた。
・椅子を汚いのに交換される。
・マウスを触ったら汚いと言われ無言で同僚にマウス交換される。
・映画のタイトル名を出され、よっぽど好きなんだねと言われる。(劇場内は三人しかいなかったがそういえば一人こっちを見て笑う変な女がいた)
・辞めようとしてジムに行くと猿女が自慢げにこの人を職場でいじめてるんだ!みたいなことを言っていた。
・ホームセンターへ行くとまた職場の人が偶然通りかかってお疲れ様です(笑)と言いながら去っていった
・ペットショップに行ったら男女二人組が犬の前でずっとわざとらしい笑い声をあげていて通りかかるとこっちを真顔で見てきてまた笑い声を出してた
・休む連絡を入れるときに事務職の人から謝った方がいいよと諭される。
ついでにまともだと思ってた二人から電話越しに笑い声を上げられお疲れ様です(笑)みたいな感じで電話を切られる。
・食堂からどんどん人がいなくなる(いじめる奴か面白がってる人?しか残らなくなる)
・あまりにも辛いのでつい気が狂って音楽聞きながらご飯食べてたら何聞いてるのって後ろでうろうろ何往復も歩かれた。
・トイレの放尿音を録音される。(まともな人が電話越しに報告?してくれた)
・同じ仕事をしている同僚の一人には仕事を早くする方法を教え私には教えなかった。
などなど色々あったが仕事は辞めることにし、病院に行くことにした。
・病院一個目に行ったら近所のおばさんらしき人が私を見てにやにやしながら何事かを言ってた(何も悪くないのに病院に来てたらしく看護師さんに追い返されてた)
・病院二個目で問診票を書いている間、周りにいた人に音読され、一緒に来ていた姉と母に問診票を見えないように隠された。
・めちゃくちゃ睨んでくる作業着の男の人がいた。無視してたらフンって風に去っていった。
・ベビーカーを引いた女の人がおばさまと待合室で喋りだしたが受付に行く気配がなかった
・同時期に短期派遣に入ったまともな人がこの惨状を見てエレベーターのボタンを連打して逃げて行った。そのあと姿を一回も見てない
・猿女がポテトヘッド(笑)と馬鹿にしてきた(私の部屋にはポテトヘッドがいる)
・しなくていい残業をさせ、一回でも仕事の確認を忘れようものなら終わった…と言いいちいち監視をしてくる(?)
ライブに行く前に、急に京都へ祖父の納骨を私父祖母の三人で行くことになった。
偶然繁忙期なのに一人ずつ部屋が空いているホテルがあり、そこへ泊ることになった。
久しぶりに旅行が出来ると浮かれていた私は後にテンションがだだ下がりすることとなる。
つづく。
26歳(女)
発作回数:5回
難聴度:低(低音25dB、中音15dB)
耳鳴り度:中(高音が常時)
5回目の発作(2020年5月後半〜)が過去最高に酷くて、まだ治ってない。
そんでもって、治ると信じてる!!!
これ読んだ人、治るようにと、祈っててくれよな!!!
抗不安薬(メイラックス)がガッツリ効いてる間に、近い将来の自分のために書いておくよ!
2020年5月31日(日)が人生で一番辛い日だったから、それと比べたらなんでもないはずなんだけど?どう?
その日はね、絶対この難聴と耳鳴りが治らないと信じて、自殺しようとしていた日だよ!
え、覚えてない?まあ覚えてないならいいよ!
でもね、
てなわけで、
自殺しようと考えていた26歳のお前が、出来なくて後悔してたことは、
でした!
今もこのままかな?
だからそれが出来るまでは死なないようにしよう?ね?
26歳のお前は、これがやりたすぎて、死ぬのをやめたんだよ!
だから、それに向かって努力しような??他のことなんかどうでもいいから、ね??
めっちゃわかるー!!
16歳でメニエールで難聴耳鳴り持ちとかマジでありえないよね!不公平すぎるよね!
献血も行きまくり、フードバンクボランティアしまくり、ゴミ拾いとかまでしちゃう環境保持野郎なのにね?
友達にも今時お手紙書いて郵便で送ってあげちゃうぐらいのナイスガールなのにね?
日常的に落ちたスズメ助けたりとか、落ちてるものはなんでも警察に届けちゃうガールなのにね?
わかるよー、めっちゃわかる!
でも考えてみよ、
てか生きてるだけで丸儲けだからね?
糖尿病もないし、手足あるし、両目見えるし、ね??
お前がぶっ倒れて死んでも、多分親以外誰も気にしてくれない!友達も上司も誰も!
逃げろ、休め、めっちゃ休め、んでもって家族か友達に電話しろ!!
26歳のとき、耳が治らないよ〜〜っていう不安で、耳鳴りが悪化したの忘れたのかい??
もし自分でコントロール出来ることがあるのなら、それだけを考えてやること!
耳がまたダメになるのが不安なら、大丈夫、自分最優先の生活をちゃんと送れていれば、ならないから!
もう26歳で最後にしような!
とりあえず、
以上!!!
この人生最大のチャレンジを乗り越えた私は最強!!なはず!!!
そして抗不安薬すげえな