昨日乗っていた電車の前の席に座っていた制服を着た中学生男子.
ああ,知的障害者なんだなと思った.
何を叫んでいるのかよくわからなかったが,どうやらそれは彼の前の母親(らしき人)に対してのメッセージらしかった.
「ガーザン!ガーザン!」と声変わりが終わった中学生のダミ声で叫ぶ.
以前までならなんとも思わなかった光景だが,子供ができた今では違う視点で見てしまう.
十数年間の苦労は並大抵のものではなかっただろう.乳児期の知能のままで体だけ大人になってしまうのだ.
乳児期の子供は本当に愛おしい.あの母親の愛おしさは今でも続いているのだろうか.
母親の中学生を見る目は,愛おしさと諦めが混同したような複雑な目だった.
定型発達をしていれば,中学生ともなれば普通に一人で電車にのって学校へ通える.しかし我が子はいつまでたっても知能だけ赤ちゃんのまま.
自分の子供が生まれるときは怖かった.子供が障害者だったら受け入れられるだろうか.妻が妊娠中はそればかり心配していた.
自分の子供が障害者であってほしいと望む親はいない.でも生まれてきた以上,否応なしに受け入れなければならない.
なんと残酷なことだろう.
子供を作るということはギャンブルなのだ.多くの人ははずれを引かなかったことに安堵する.
そして,運の悪かった人だけが何十年にもわたって重すぎる荷物を背負わなければならない.
愛おしさだけが救いなんだと思う.
愛おしさなんてない。あっても現実的な苦労や絶望に比べて遥かに小さい。 知的障害者は自我が現れる前に間引くべきだ。不幸しか産まないから。