はてなキーワード: 人生の縮図とは
まるでもなにも人生の縮図やで
テレビと権力者の都合でスポーツ選手がかけっこや玉遊びするのを「平和の祭典」と持ち上げること自体がそもそも無理があった。
人類がまだ幼く、ゴミのような文化しか持っていなかった頃はこんなことでもよかったんだろうが、いまやスポーツなんてものは野蛮人の遊びでしかない。
筋トレのために寿命を犠牲にし、試合のために健康を害する、極めて不健全な行為の集合体のどこに「平和」への祈りがあるのだろうか?
オリンピックは終わらせるべきだ。
少なくとも、パラリンピックなんてもので「障害者理解」が深まるなんて思わないでほしい。
障害を抱えて生きるということは、特殊なレギュレーションのスポーツで勝ったり負けたりすることとは無関係なんだ。
そもそもスポーツというものが持つ「勝つことこそが全て」「誰もが勝利したがってる」「他人を蹴落とすのが人生の縮図」といった価値観は、人類全員が好んで戦争をしていた時代の遺物だ。
必要ないんだ。
万博だけをやろう。
オリンピックをやめよう。
病気、障害の認定をするつもりはなく、ただ知れば知るほどこれはかなり生きづらいだろうなと思うのと、自分の経験とあまりにも重なったので整理のために書く。(自分は診断済みASD)
Vは全く見ない上に詳しくもない。自分ならこのときこう感じてこう動くわって話。
恐らく根本にあるのは、本人の「自信のなさと不安」ではないかと。
自分の名前でエゴサする→新人と似ている、または新人がパクっているのでは?といった感想が目に入ったとする。もちろん感想そのものに悪意はないはずだが、親切にしてお節介なリスナーが「これ大丈夫か?」と疑問を唱えたりした場合、強烈な不安を抱くことになってしまうだろう。
不安が頭を占めた場合、元々狭い視野はさらに狭くなり、とにかく周りが見えなくなってしまう。自分の場所を守らなければとパニックを起こして攻撃的になる。
昔仕事で「大丈夫? 人事に確認取った方がいいよ」と言われて不安になって確認取ったら人事から「そんなことで呼び出して時間を取らせるな」って評価が下がった思い出。親切のつもりだろうが、マジで不安にさせないで欲しい。
箱のルールとして「直接のやりとりを禁止している」にも関わらず直接話すことに拘ったのは、自分の思いが正しく伝わっている確証が持てなかったからではないかと。
結果を待たせた運営に対する信頼は既にないし、とにかく自分(の居場所)を守るため、必死に相手に要求を飲ませようとしてしまう。一年半~も、自分がどれだけ必死かを伝えるためのものだと思う。
もう相手のバックボーンなど全く見えず、自分を害する(かもしれない)ものなのでどうにかしなければと暴走する。
「第三者を挟んで後日」では調整に時間も掛かるし、運営は新人の味方かもしれない。話し合いの日までずっと不安で頭がおかしくなる。だったら自分から直接話そう、今すぐ話そうってなる。相手の状況はもう見えてない。とにかく相手を納得させて自分の不安を取り除いて今まで通りに戻したい。
昔仕事でどうしても納得できないことがあって上司に長文メールを送ったらお前気持ち悪いよと言われて後日クビになった。とにかく変化や不安が強くなると攻撃的な暴走をしやすくなりがち。自省。
自分のことで精一杯なので自分の目に入る範囲のもの(自分のリスナー)にしか謝罪しなかったのではないかと。
さすがにその辺ちゃんと見てやれよ企業だろとは思う。後からでも付け足せば良かったんだろうが、自分には非がないと思ってないと謝れないのもまたわかるので複雑。あれだけの速度で広まってたら間に合わないかもしれんが。
で、目に入る範囲に前に仲良くしていたライバーの話があったので『あくまでも善意で』関係ないと発言して飛び火させたかもしれない。
謝るのも下手くそだし余計なことしがち。根本的にズレてるヤツは親切はしない方が親切なんだよと思いながら生きるしかない。それでも役に立ちたい好かれたい気持ちから親切にすると99%空回りする。
近々の炎上案件とは別だがこっちも(そもそも件の人を知ったのはこっちの炎上の時)
人間の怒りって切符制で、ある点数を超えると免停=絶交になる。免許と違って元には戻らないけど。
仲良くなればなるほど相手に対して無自覚に失礼を働きやすくなる。また、相手もいちいちそれを指摘したりはしないが、確実に心の中で点数を減らしているし、態度にも出してくる。
しかしその「お前それはアカンやろ」が全く読みとれず、自分のことだけを優先して失礼を働き続けるのでもちろん絶交の結末からは逃れられない。本人的には「よくわからないけど突然嫌われた」という結果になりがち。
(このときは方向性のちがいやらリスナーのお節介やらもあったっぽいが)
毎回人間関係が終わる原因がこれなのでなるべく関わらないことにしたら傷つけないし傷つかないしでとても快適になってしまった。不快にさせて嫌われるよりぼっちの方がずっといい。時々寂しいけど。
ASDかどうかはさておき、彼女は「不安や自信のなさ」が極端に大きい人間なのかもしれない。かといって攻撃的な行動は許されるものではないし、現状、復帰も絶望的だろう(たぶん精神的に耐えられない)
一年半の間に自信が持てるような成功体験が積めなかったのかなと思わないでもないが…。
あまりにも自分のしてきたいろんな失敗と重なっていたので勝手に心配になってしまった。
カウンセリングがすべてを解決するわけではないが何もしなければ今後も間違いなく人間関係でトラブルを起こすことになるので、なんとか生きやすくなる取っ掛かりに繋げて欲しいと思う。
なんのことを書くか一切決めてない
できるだけ多くの文字数書きたいという気持ちだけは強くもっています そのためにも書いた文章は消さずにいきたい
支離滅裂でもいいから、とにかく生の考えというものをだせたらいいよね
さっき思ったんだけど、冬になったら星を見にいきたい
夜中に家を出て、できるだけ灯りの少ないところに行って、自己陶酔しながら地面に寝転びたい!
ただ悲しいのは視力が落ちて肉眼では全然星が見えなくなってしまったこと
視力が落ちて一番悲しいのが空関連な気がするんだよな コンタクトにすりゃいいのかな
天文学の知識全然ないし感性も劣ってるから正直星を見てもたいして楽しくないんだが、星を見ている!という事実がいい
冬の夜にひとり星空を見上げたという既成事実が欲しい 20代の思い出のひとつとして
俺にだって星を愛でるだけの感性は残っている 残ってるとか残ってないとかって感じのもんなんだろうか?感性
俺の場合幼少期から感性の少なさに悩まされ、むしろ最近になってようやく美しいものを評価することができるようになってきた気がする
実際そのほうがいいよな 成長だ成長
星はいい 点にしかみえないものがどっかでは太陽クラスの存在感持ってるっていうのがいい
星空の星、ほぼ全部恒星と思うとすごいぜ
陽キャが消えた空でハシャぐ陰キャ達、ではなく全員陽キャだからな すげえよマジで
陰キャなのは月くらいだ 月は衛星だし光ってもないしで陰キャと言って良さそう
デカいってだけで夜の女王みたいな扱いをされることもあるが実際はいちばんショボい存在
人生の縮図っぽい気がしてきた
そろそろ10分経つな 意外とかけた気もするが全然短い気もする
何文字くらいなんだろう これで300とかだったらヘコむな しょぼすぎるから
600くらいほしいな 600秒で600文字ならまあよかろう感がある
でもこれ体感的には1秒1文字より多く打ってるから800くらいあるかもしれん
そう考えるとなかなかすごいぞ
やるじゃないか俺
でも中身は全然ねえな
ああもう何も思いつかない うああ うああとか書くのはレギュレーション違反っぽい
ーー
終わった。
※注意※
【未来のミライ】を見てきました。
賛否両論ありますが、個人的には細田守監督作品のなかでは一番好きです。鑑賞後勢いでパンフレットも買いました。
見終わった日の夜は「いい作品を見た!」と最高の気分で眠りについたのですが、朝起きてツイッターのレビューを確認して唖然。
とんでもない酷評を見て、映画にいちいちエンタテインメント性を求めすぎではないか?監督が作りたいもの作ってなにが悪いのか?と面倒くさいオタクが花ひらいてしまいました。
まず、この作品を一言で表すのならば、「現代オタク向けおもひでぽろぽろ」。残念ながら時間軸を通したアドベンチャー・ファンタジーではありません。
ただし、主人公としての焦点は、未来ちゃんの兄であるくんちゃんに当てられていますし、当の未来の未来ちゃんのいる時間軸の未来のくんちゃんもそれほど出てきません。なんなら未来の未来ちゃんもそれほど出番はありません。
この話は、くんちゃんが未来ちゃんをきっかけとした愛を巡って人間的な成長していく「くんちゃんの成長日記」なのです。
タイトル詐欺かと思われますが、未来ちゃんがいなければくんちゃんはお兄ちゃんとして成長できなかった。そして、未来ちゃんの未来を形作っていくのは、くんちゃんをはじめとした家族や周りの人々・環境ということになります。だから、【未来のミライ】なのではないかと私は思います。しかしながら、家族のルーツを辿って家族賛美をしているわけじゃありません。パンフレットのなかにも「愛をめぐる話」とあります。今まで当然のように受けていた愛が急に別の人に注がれるのは子どもだって、大人だっていやだと思うのは同じです。繰り返しになりますが、この映画は「くんちゃんが未来ちゃんをきっかけとした愛を巡って人間的な成長していく」のが本筋なのです。
そういえば「(雛人形を気にするなんて、)未来ちゃんが女子高生らしくない」というレビューも見かけましたが、未来の未来ちゃんは中学生です……。
次に、「子どもを知らない人」にはこの映画、あまりおすすめができません。この作品には子どもの「よくする行動」が多くでてきます。
片付けしなさいと言われたときについつい物を広げて遊んでしまったり、黄色いパンツのくだりみたく自分の思い通りにいかないときは駄々をこねてみたり、自分が未来ちゃんにかまってもらえないときは理不尽に「好きくない!」と言ってみたり……。とにかく子どもはそういう行動はよくするんです。くんちゃんが夏の日に置いて行かれた時の反応や、誰もいなくなった静けさなんかは特に子どもの感覚に寄せて作られた作品であるともいえます。
くんちゃんは4歳です。ということは、学校にもまだ通っていない未就学児です。学校で叱られることもなく、くんちゃんにとって集団社会は家・家族という限られた空間の中にしかありません。その中で一番若くてかわいがられていれば、大抵の場合暴君になるでしょう。そんな暴君が、若干スレた姿を未来の未来ちゃんの時間軸で見せます。学校に通って家族や家だけでなく、外の世界の空気に触れて、やっと大人に近づくのです。スレることが大人への一歩というには些か問題ありますが、成長過程においてはそういう道もあるのかな、と思います。
さまざまレビューで、くんちゃんがクソガキすぎてみていられないと書かれているのを見かけました。実際クソガキはあんなもんじゃないです。これは一般的な例ではありませんが、家族以外の人には「嫌い」と言いながら唾を吐きかけてくることだってあります。そういった体験もあって、雛人形のくだりを見ていると、お父さんの目をゆっこと未来の未来ちゃんから自然に逸らそうとするくんちゃんは聞き分けがいいというか、とても頭がいい。すごい(小並感)
ストーリーに関しては、「ジャンル:創作」の超大作同人誌のように思えました。
スコンスコン!というハッキリしたストーリーの筋があるわけでなく、くんちゃんがお兄ちゃんとして、人として成長するためのステップが淡々と現れます。家族全員のルーツや思い出をたどるには壮大すぎて描き切れなかった部分が多い気もしますが……。それは抜きにしても、1ステップずつのこだわりが強い。ゆっこが擬人化したり、くんちゃんが赤ちゃん返りのはずみでゆっこになって走り回ったり、未来の未来ちゃんがかわいく恋してたり、お母さんもお片付けできないくんちゃんに似てたり、ひいじいじがかっこよかったり、ひいじいじがかっこよすぎたり、未来のくんちゃんが軽くスレてたり、くんちゃんが未来の東京駅に迷い込んだり。あ~、監督こういうの描きたかったんだな~というのがそれぞれの描写で伝わってきました。そういった節々のフェチ感が私は好きでした。こじらせたオタクも、たぶん好きです、ああいうの。
家族の描写は、「恵まれた家族」というよりは「安心できる家族」のほうが印象が近いかと思いました。くんちゃんが何かしでかしても、なんだかんだどうにかなってしまうので、見ていてとても安心するのです。家族のバランサーであるお父さんも、奥さんに怒られ子育てにハラハラしながらも、地道に努力していくんですね。影の主人公は実はお父さんなのではないでしょうか。過去にこんなことがあって、こんな成長があった、と見ている私たちも人生を振り返ることのできる良い映画だと思います。
キャラクターに関しては、じいじとばあばを除けば強烈なキャラクター付けをされていました。
私はゆっこが一番好きです。犬が好きだというのもありますが、いいおじさんのくせに自分のことを王子だと言ったり、敬語でしゃべったり。最初は「なんでこんな人間みたいな顔した犬なんだ」と思っていましたが、最初にくんちゃんと人間の姿で出会うシーンを経ることで、ゆっこという「犬(家族)」の人間くささをより思い知ることになりました。彼が初めに登場することで、この物語はただ子どものリアルに寄せた話ではなく、異質を伴った子どもの妄想、つまりはファンタジーなんだぞ、というのが伝わるので、かなり重要な立ち位置だと思います。
あと、忘れてちゃいけないのはひいじいじ。まごうことなきイケメン。あからさまに「こういうお兄さん好きだろ」と言われているのが見え見えなのですが、まんまとはまったのが悔しいです。あれをカッコいいと言わずしてどうする。また犬に続いて馬もすき、続いて私の父もバイク乗り。思うところありありで呟かれる「下は見ねえで、遠くだけを見ろ」のセリフ。成長せずにはいられない。戦争で生き残って、なおも前向きに生きようとした人生の縮図のような言葉。罪深い福山雅治。
最後に未来の未来ちゃん。未来の未来ちゃんについてはストーリー上ではふんわりさわったかな?くらいの描写だったのですが、あの気の強さはお母さん譲りなんですよね。それから手のアザ、あれは未来ちゃんが未来ちゃんであることの証明になっていました。髪の流れや面影はあっても、あの手のアザがなければくんちゃんが未来の未来ちゃんであることを瞬時には認識できなかったでしょう。
子ども独特の危うさを感じる重心運動がこれでもかというほど詳しく描かれています。生まれて間もない赤ちゃんの柔らかさ、ふんわりぷにぷに。長年アニメを見てきたオタクとしても「すげ~!」と声を漏らしそうになるもたもた感の描写、ただ動いている様子を見ているだけでも楽しかったです。家に入ってくる光の表現もまたまた綺麗。ジブリ映画などとはまた違った、ギラつきのない自然光の美しさが映画にはあふれていました。また、家という閉鎖空間からでは感じ取れない四季を表していたのがあの樫の木ですね。たまに入るCGもくどいと言ってしまえばそれまでですが、細田作品の醍醐味でもあると思います。それがファンタジーであることの証明にもなりますから。
そんなことより増田はアルトパートを軽視してる感があるけど、アルトはいいぞ、なぜならその歌を知ろうとしたからこそ聴こえる旋律を自ら歌えるからだ
多分ソプラノが主旋律の歌を想像しているのかなと思いながら語るけど
主旋律はなんとなく聴く立場でも知ることはできる、でも実は副旋律に支えられているから楽譜以上に輝いていられるのだ、そのことにちゃんと気付けるのは副旋律を聴けるまたは歌えるものだけなんだ
すなわちアルトパートは練習するだけでその歌をもっと素敵に聴けるようになるお得なパートなんだ
熱く語ってうざくなってしまったけど最後にこれだけは主張したい、合唱や合奏はピアノ含め全てのパートが主役だから自分の音も周りの音もちゃんと聴いて存分に楽しもう
1.温泉
同性の性器が生で見れる。異性の子供の性器が生で見れる。ロリコンショタコンホモレズには重要な施設である。だが、私にとってはジャグジーと電気風呂を味わうための施設だ。やりすぎた反動で結果的にコリは増えるが知ったことか。
2.焼肉
家でやれば家が臭くなる。店でやれば服と髪が臭くなる。ボロボロの服を使い古す前に行けば最強である。店員の目線は気にするな。
3.バーベキュー
家でやると家が臭くなるけど店では手に入りにくいものをダラダラ食うのに適している。謎の肉や変な臭いの缶詰やよく分からん野菜をダラダラ食べるのだ。燻製作りを並行して行うと効率的だ。
4.飲み会
年齢は関係ないだろ。そもそも薬物パーティーなんざ21世紀の人類には必要ねえんだ。ヒッピーもどきは全員死ねや。
5.お宅訪問
訪問してくる知り合いがいないからセーフ。同僚が来たらそのときは殺すしか無い。上司が来たらこっちが飛び降りて死んでやる。部下だったら断る。
大勢集めて野外でやる必要ないだろというのなら、コミケだってわざわざ印刷して集まる必要ないだろネットでやれ。
7.映画
4DXを体験してない田舎者がいるようだな。映画館に行っておいて4DXにしないならそれは愚か者だ。
8.ゲーム
戦術を思いつく頭脳と、それを実行できる繊細さ、動体視力、実装力があれば楽しめる。攻略サイトをなぞるだけの脳死はアニメでも見てろ。
9.スポーツ観戦
野球が好きという時点でスポーツを楽しむ才能がないな。あんな座ってる時間のほうが長いものはスポーツじゃない。スタミナの限界に挑むか、瞬発力の限界に挑むのがスポーツ。半端なダラダラはスポーツじゃねえ。
http://anond.hatelabo.jp/20161225132445
恋愛において数打てばあたる的なマッチョイズムを実践してるものです。
ちなみに恋愛以外では全く体育会系ではありません。ひょろいプログラマーです。
数打てばあたるっていうやり方が辛いのってのは、振られるたびに自分を否定されたような気持ちになってどん底に突き落とされるからだと思うんですよ。
自分もこういう実践はじめたころほんと辛かったんですが、今はまあまあつらいけど慣れてきました。
なんというかそういう自分を否定される体験て恋愛以外でもいくらでもあって、たとえば仕事で自分の成果物否定されたりとかあるんですけど、
思うのは、恋愛で否定されたり仕事で否定されたりしても、決して自分自身の尊厳が否定されたわけではなくて、どれだけ否定されても俺は俺、みたいなのあって、それに気づいた瞬間否定されることはつらいけど、大したことではなくなりました。
そう考えると、恋愛で数多くあたって否定される体験て人生の縮図みたいな気がして、恋愛で否定されることを忌避したとしても、どのみち人生の別の場面で同じようなことに向き合わなきゃいけないきがする。
これは乗り越えなきゃ、とか重く考えるより人生そんなもん、と開き直ったほうが楽な気がした
自分としては体育会系というより、ありのままを受け入れた結果のつもり。
ブッダ系。
今思えば、あのゲームは一回一回のプレイがまるで人生の縮図のようだった。
初めの頃は、周りに出現する敵も弱く、簡単にレベルアップできる。
手に入る道具もまずは身につけて、荷物がいっぱいになるまで溜め込んだ。
その方が何かと便利だし。
出てくる敵も強くなってきて、状況を見誤れば窮地に陥ることもある。
お腹を減らしながらもレベルアップを続けて万全の状態で次の階層に向かうこともあれば、
なんとか敵をやり過ごして次の階段を見つけたらすぐに降りてしまうこともあった。
階層が深くなってくる頃、立ち回りはさらにシビアになってくる。
出現する敵は、1体でも厄介なのに、複数で出現したり、モンスターハウスに出くわした時なんて
逃げ回るのに必死だ。
さらに、このゲームには罠がたくさんあり、とらばさみに引っかかったり、
階層を降りたくないのに落とし穴で強制的に次の階に進めさせられたりする。
確か最終ダンジョンをクリアできずに、そのままゲームを止めてしまったままだったように思う。
だいたい、最下層あたりで、装備もレベルも十分でない状態で、ドラゴンに焼かれて死ぬのだ。
でも、鍛えあげた武器や財産を失うのが怖くて、道具はいつもなるべく持ち込んでいなかったんだ。確か。