はてなキーワード: バスターミナルとは
寝台では浅く眠っただけだった。起きるとそこは横浜駅を発車したばかりで、車内は人々がまばらに朝の眠気を横たえていた。
金曜、仕事が定時を少し回って終わった。
エンジニアとして現場研修をしている私は、帰路につくためバスから電車へと乗り換える赤羽駅にいた。
――どこか遠くへ行きたい。
そう思いたち、改札を抜ける前にみどりの窓口へと向かった。
用意されたのは、琴平行きの座席特急券。それを手にしたあと、大宮にある自宅へ一旦戻って、身支度を始めた。
最低限の替えの着替えと、歯ブラシ、タオル、文庫本をリュックサックへ突っ込み、口座から少しだけ金を引き出し、気付くと東京駅9番線ホームでサンライズ瀬戸を待っていた。
入線してきた赤色と薄茶色の車体に乗り込み、間もなく発車したサンライズ瀬戸号の車窓へ目を向ける。
通過する品川駅にはまだ多くの通勤客が帰路を急ぐ。彼らを裏切るかのようにして、私は東京を離れた。
小学生の遠足のときのように、興奮で眠りは浅く、然し心地の良い揺れはまるで子守唄のようだ。
沼津を過ぎるまではそんな調子で、しかし体がいよいよ慣れたのか、それからは岡山で出雲市行きと分割するまでぐっすり眠った。
瀬戸大橋線に入り、車窓には瀬戸の島々が並ぶ。それまで横になっていた私は、その時を待っていたかのようにすぐさま体を起こし、洗面台で丁寧に顔を洗い、歯を磨いた。高松では多くの乗客が下車し、それから延長運転を行う琴平行きの車内は伽藍であった。
定刻で琴平に到着したサンライズ瀬戸は、しばらくホームに身を横たえ、旅を始める我々を見送っていたように思えた。
観光案内所も閉まっている。まだ9時前だった。
急ぐ必要もない私は、とりあえずその足で気の向くままに、初めて足を踏み入れた四国の道を歩き出した。
金比羅山の長大で急な階段参道はやはり足に堪えたが、御本宮からの眺めを見てそれも消えてしまった。
初詣からまだ数週間足らずで再びお参りをするのは変な気分だったが、この旅の無事を願い、参道列に加わり手を合わせる。
いきあたりばったりでこのあとの予定も何一つ決まってはいない。不思議とそれが心地よかった。
来た道をそのまま下り、琴平駅に戻る間に土産の品をいくつか買った。飴、手ぬぐい(今治のものだ)、饅頭。
すれ違う人々は意外にもスーツ姿の団体が多く、1人の私は割に目立った。それもまた不思議と気分を高揚させた。
予讃線に乗り継ぐ多度津駅で近くの食堂に入り、日替わりの昼食を注文した。
予想はしていたが、メニューにはナチュラルにうどんが設定されていた。かき揚げやおにぎりと一緒にいただく。もちろんとても美味しかった。
予讃線下り松山行きの特急いしづち、しおかぜの自由席は半分ほど埋まっていた。
空いている窓側席に腰を下ろし、金比羅山で蓄えた疲労をしばしの間、癒やす。
文庫本を開いてすぐ眠ってしまい、松山駅の到着案内で目を覚ますことになった。
松山駅を降りると、失礼ながら想定していた風景とはだいぶ違った街並みが広がった。
すぐそばに伊予鉄道の路面電車が走り、人々が休日らしい顔持ちで道を往きかっていた。
バスターミナルにて1Dayパスを購入し、中心市街である大街道電停に向かう。
大街道電停は松山城の目と鼻の先にあり、電停を降りる瞬間、目に入った。
琴平駅では松山方面に向かうか、高知方面に向かうか一寸悩んだのだが、松山に来て正解だったようだ。非常に立派な天守閣だった。
城を横目にマンホールカード収集のため坂の上の雲ミュージアムに赴き、1時間ほど観賞したのち、喫茶店に入りたばこを吸った。
道後温泉行きの時刻に合わせて喫茶店を出て、再び路面電車に乗り込む。
きっとこのまま温泉宿に泊まるのだろう。車内は温泉客でほぼ席が埋まっていた。
道後温泉街は本当に賑わっていて、改めて今日が土曜日だということを私に再認識させた。
――少し急がなければ。
人混みを縫うようにアーケードを抜け、道後温泉本館で湯に浸かった。
復路の寝台が高松駅を21時半前に発車する。
琴平駅のみどりの窓口ですでに確保していた、その列車のことを念頭に置きながら、再び路面電車に乗り、JR松山駅前電停で降りる。
駅前のキオスクで少しのビールとつまみを購入し、もうすぐ発車する高松行きの特急に乗り込んだ。
もうこの旅も終わりだ。
余韻と若干の寂しさを感じながら、日が暮れかかっている四国の風景を見て、ビールを飲んだ。
2時間以上瀬戸内海のふちを走りきり、降り立った高松駅は、高層ビルがいくつかそびえ立つ、立派な港町だった。
連絡船時代の面影をほんの少しだけ残したホームでまたうどんを食べ、キオスクでビールとつまみを買い足す。最後の晩餐ともいえるような光景だった。
もう少し、ここにいたかったな。
そんな気持ちを奪い去るようにして、寝台特急サンライズ瀬戸は高松を出発。途中の岡山で出雲市から来た列車と連結し、東京に私を運んだ。
<追記>
「座席特急券」と書いたのは、ノビノビ座席について、寝台券の必要がなく座席として発券される特急券というニュアンスを込める為です。
・高知について
今回でサンライズが大好きになったので、また近いうちに乗って、高知城も見てみたいです。
あと、四万十川も。
春月庵を出てしばらく歩き、大橋駅から大牟田線線に揺られて暫くすると太宰府に到着した。
太宰府では参道にある隈研吾設計のスターバックスも見たかったが、あまり寄り道をしていると日が暮れてしまう。
入り口前で既に多くの外国人の興味を集めているそれを通り過ぎ、天満宮に向かう。
何だろうと覗いてみると、天満宮の象徴の一つ、御神牛が石座の上に蹲っていた。
一枚撮ろうと並んでみる事にする。
待ってる間に御神牛について調べてみると、頭をなでれば頭が良く、疾患のあるところを撫でれば快癒するらしい。
良く見れば御神牛の頭は磨かれてピカピカだ。
自分の番が来てファインダーに収めたのち、折りたたんでいる前足をさすった。肘の痛みが治れば良いのだけれど。
鳥居を潜った太宰府天満宮は、その隅々までが美しく、息を呑んだ。
島の自然の中、雄大で幻想的な美しさを湛えていた厳島神社とは全く違う、配色まで計算して端整に造り込まれた様な美しさだ。
店内を撮り、店員のお姉さんと香港名物 鴛鴦茶風の仕上がりを再現できるカスタマイズについて話し合った後に一休み。
行きに通り過ぎた時に入り口で写真を撮っていたのもおそらくは中国人だったが、店内にも中国、韓国、香港、或いは台湾から来たと思しき人は多い。
残りの滞在時間に福岡でできることは多くないが、博多駅から驚異的な近さの国際空港、福岡空港国際線ターミナルは見てみたい。
降り始めた小雨に、折り畳み傘を広げ、スタバを出た。
大牟田線を天神まで引き返して、案内カウンターのご婦人に福岡空港までの行き方を尋ねると、バスが出ているという。
天神駅3階のバスターミナルに向かい国際線ターミナル乗車の列に並ぶ。
一緒に並んでいるのは当然だが外国人で、言葉を聞けば韓国の人だった。
あっという間に着くと思われた空港行きバスは遅々として進まず、結局国際線ターミナルまでは1時間30分程の乗車。
しかし、その大半は駅前の渋滞に巻き込まれていて、渋滞しない時間帯なら天神バスターミナルからは30分足らずで着きそうな距離だ。
降り立ったターミナルは思いの外落ち着いた雰囲気で、ややコンパクトな印象だったが、綺麗で近代的だった。
到着便の出発元は
桃園
全てアジアだった。
どうやら時間帯によってアムステルダムやグァムの便もある様だが、21:00過ぎには閉まってしまう福岡空港国際線ターミナルにあって、19:00過ぎのこの時間帯ではほぼアジアの到着便しかない様だ。
何れにしても全ての時間帯で東アジアからの到着便が一番多いのだろう。
歴史的な経緯からか、外国人の中で意外と欧米人の比率が多かった広島と違い、福岡は日本におけるアジアの空の玄関口である様だった。
行きの天神で、バスは渋滞に巻き込まれて正確な時間を計れないので、今度は国際線から国内線の短距離送迎バスを経由して、地下鉄を利用する。
このルートで戻ると、国際線ターミナルから博多駅はわずか20分だった。
これは、仁川から国際線に乗れば、出入国手続きやチェックインに1時間30分ほどかかったとして、フライトが1時間30分、諸々の待ち時間が30分あまりあっても、4時間あれば博多市内にやって来られる事になる。
韓国のLCC エバー航空で1週間後の往復便の価格を見れば、1万円余り。
韓国人にとって一番身近な外国の大都会が、北京、上海と、この福岡だった。
ネットで韓国の芸能人がナショナリズムめいた騒動に巻き込まれると、すぐに「Kの法則」だの「縁を切れ」だのと言った意見が書き込まれるが、そういう人はどうやって韓国人を御断りする気だろう。
日本旅行記を書く韓国人に「放射能まみれの汚染食品で死ね」「塩分過多で成人病まっしぐらだね御愁傷様」と海を挟んだ半島側で書き込む人々と、こちら側で「本当に…気持ち悪い…来なくていいです。」「チョウセンヒトモドキ」と書き込む人々はお互い相手の国に行った事があって書き込んでいるのだろうか。
そんな人々にきっと目も向けることなく、たくさんの韓国人、日本人がお互いの国を訪れ、ソウルや福岡の食べ物を食べ、街を見て、お土産を手に、思い出を胸に祖国に帰っていく。
この目で見てこの身体で感じない事を「知っている」ということは出来ない。
http://www.anzen.mofa.go.jp/m/mbcrimesituation_020.html
だいたい上記1.(2)と同じような内容です。
・登場人物
女 - ハゲの嫁。
・詐欺の導入について
一人でぶらぶらしているところ、“Japanese?”とだけ声をかけられました。そうだと答えると、日本のことや俺のことについて聞かれたのでしばらく話をしていましたが、この時点で相当怪しい臭いは充満していました。職業や収入、旅の資金のこと、親の仕事、使っているスマートフォンの価格などを聞かれていたのです。姪?娘?が日本に行くからなにかと教えてあげてほしいと言われ、怪しみつつも約束をして翌日会うことになりました。(この時にラオスの詐欺情報について調べておくべきでした。)
翌日、すでに怪しんでいたこともあり意図的に予定の3時間後に約束の場所に赴きましたが、メガネはまだいました。この時の俺は「こんなに待っていてくれるなら怪しくないのかな」という謎の思考により、少しばかりの猜疑心を抱いたまま彼の家へ向かうこととなります。
・メガネの家で
トゥクトゥクで向かったメガネの家では”ato “という名のハゲとその嫁である女を紹介されました。初めは少し雑談をし、旅のことなどを聞かれつつ食事を勧められましたが、ちょうど昼食を食べたあとであったために水だけをいただきました。(水は開封済みのペットボトルを渡されます。一瞬睡眠薬混入が頭をよぎりますが、俺は一瞬で忘れて気が緩んだ際に飲んでしまいました。結果的に水には問題は無かったようですが、飲むべきではありませんでした。)
その後日本のことを教えてほしいと言っていたことなどなかったかのように、ハゲがカジノの話を始め、日本でのカジノの開始に伴ってディーラートレーニングのために日本に呼ばれたことがあると言い出し、ハゲがディーラーをやっているブラックジャックのルールレクチャーが始まります。この流れでなぜかイカサマのレクチャーを始め、お前がカジノで俺の卓にこれば勝たせてやるよと言われました。その後、”Lee”の名を自称する白髪(ハゲが嫌いな大金持ち)からハゲに電話がかかってきます。この時ハゲは白髪を適当にいなしますが、しばらくして白髪がハゲの家へ訪れると、ハゲがいいチャンスだから白髪から金を巻き上げようと提案してきます。なんとタイミングのいいことでしょう、俺の猜疑心は膨れ上がる一方です。俺は自信がない、難しいからそんなことはできないと伝えましたが、メガネ帯同のもと強引に白髪とのブラックジャックが始まります。
ここで教わったイカサマ、および実際のゲームにおけるイカサマはかなりお粗末でした。白髪はカジノの常連だと聞かされていた俺は、こんなのに引っかかってたらカジノなんて負けばっかりで行かないだろうと感じました。詳細は後述します。
・ゲームについて
このゲームでは、はじめに資金としてハゲから1000USD渡されます。
当然そのゲームで私は勝ち、次のゲーム、またその次と次第にベット額が上がっていきます。私はハゲのいうままにcredit(信用払い?)を利用してゲームを続けることになります。
5ゲームほど交わし、この時は一度のドロー以外全て俺が勝っていました。ここで白髪は負けたままでは帰れないと言いだし所持金全て(10センチぐらいの100USD札束2つ)をベットしてきます。ここではゲームは続きますが、その後の3,4戦で白髪の持っているチップ(カジノなどで用いられる現金の証明となるコイン)が尽きようかというタイミングで、お前の支払い能力が信用できないからという理由で、現金又は金のアクセサリーなどで証明を求められました。
はじめにハゲは所持金の提示を求めてきます。私はバッグの中を隠しつつ、所持金の一部分である100000キップ(約1300円)、および2000バーツ(約7000円)を出します。ハゲとメガネはバッグをオープンにして全て出せと言いますが、私は探していて聞こえないふりをしてしのぎました。(この金額は、所持金としておかしくなさそうで、かつ失っても我慢のできるものとしました。特に強引にカバンを見られる、奪われると言ったことはありませんでした。)
当然100USD札の束に敵うはずもありません。
ハゲは俺を別の部屋に呼び出し、ハゲがサポートできる現金の額や、金のアクセサリーを知らされました。
私はここで詐欺だという確信が持てました。それは、ハゲの妹が入院していて金が必要だと話されたこと。それほどの現金が必要な人が金のアクセサリーをいくつも持っているはずがありません。また、以前に白髪もハゲのイカサマの片棒を担いだことがあるというのです。そんな人がどうしてこんなに雑なイカサマに引っかかるようなことがあろうか。いや、ない(反語)。加えて、ハゲが口にする俺が用意するべき金額が二転三転し、どうにも定まらないのです。しかし、下手に拒否することで手荒な真似はされたくないと思った私は、ハゲがデビットカードかクレジットカードでも良いと言ったことにすかさず反応し、話を遮ってトイレを借りることにしました。なぜなら俺は幸運にも、数百円しか残高のないデビットカードを持っていたからです。
トイレでは、クレジットカードや現金をより安全で外から見えづらい場所に移動させました。クレジットカードを入れていた財布の中には前述の、現金が数百円しか入っていないS○Iの国際キャッシュ、デビットカードのみを残します。ここでこの行動をとったこと、および残高のないデビットカードを持っていたことはとても幸運かつ英断であったと思います。
トイレから戻ってきた俺の前には、女(ハゲの嫁)から金を借りるハゲという構図のリアリティーを持たせるための演技がなされていました。
そして俺はデビットカードを保証にゲーム続行を求めますが、白髪はおそらくそれがデビットカードであったことを理由に、プラスチックは信用できないとゲーム続行を拒否します。
私は再度ハゲに別室に呼ばれ、なんとかハゲがサポートできない範囲の現金や金のアクセサリーを用意してほしいことを伝えられます。(メモの内容ではスマートフォンでも良いようでしたが、口頭では何も言われませんでした。)ここでは旅の詳細や大学院の学費なども聞かれ、ハゲはお前にも現金が必要だろうと言いますが、俺はさっき渡した現金、加えて宿にある200USD相当のタイバーツ、提示したデビットカードに10万円程度、残りは全て親に預けてあり、すぐには引き出せないと頑なに言い張ります。渡した現金以外の金額および親に預けてあるということは全て出鱈目です。クレジットカードの提示も要求されますが、私は学生であることを理由に持っていないと嘘を続けました。ここでも強引にカバンをチェックされることはありませんでした。
やり取りを続けていると、所持金のことは諦めたのか銀行に行って預金を引き出すよう言われます。私は提示した銀行の口座に残高が無いことを知っているので、とにかく外に出られるということに歓喜しつつ快諾します。
ここで厳重体制で俺に勝利を確信させる作業が入った後にゲーム状況の保存をします。しかしそれ以前にも手札を残して私が部屋を離れる機会が存在するため、勝利を確信させるためには不十分な体制と言わざるを得ないでしょう。
手札や掛け金などを俺と白髪の双方で厳重チェックの上でゲーム状況を保存し、すぐに銀行へ向かいます。
銀行に向かうトゥクトゥクの中では、ハゲから親の職業、俺の収入などについて質問がありますが、嘘を織り交ぜつつ、俺にも親にも金がないことをアピールしておきます。
ちなみにこのトゥクトゥクドライバー、最初にメガネと乗ったトゥクトゥクのドライバーと同じでした。おそらくグルなのでしょう。
銀行へと到着し、ハゲをトゥクトゥクに残してメガネと現金の引き出しに向かいますが、残高オーバーのため当然引き出すことはできません。私は金はあるはずだがなんで引き出せないのかと言った演技で乗り切り、メガネは15分くらいのうちに10回程度引き出しを試みますが遂に引き出すことはできませんでした。
メガネは諦めてハゲの待つトゥクトゥクへと向かい引き出せないことを伝えると、ハゲは口座には金がないのかと俺に聞いてきます。俺は引き出す意思をアピールするために、金はあるが銀行か口座にトラブルがおきているのだろうと伝えます。ハゲは俺に対して、今日のゲームはキャンセル出来ないか白髪に打診してみようと言い電話を掛け、私に交代します。口座がトラブルで使えないこと、ゲームをキャンセルする意思を伝えると、負け続きの白髪はその提案を快諾します。
俺が協力の意思を偽装していたことが功を奏したのか、メガネとハゲは俺を騙せていると確信したのでしょう。ハゲは白髪に隠して抜き取っていたという100000キップと2000バーツを俺に返却し、今日は帰れ、また数時間後に電話すると言います。俺は前日にメガネに教えていた国際通話およびローミングのできない番号(実際に日本で使っている電話番号です)を使えと伝え、トゥクトゥクの料金だという100000キップのみを徴収されて無事その場で解放されました。
解放後すぐにラオスの詐欺情報や宿へのルートを調べたかったのですが、道中をメガネとハゲに付けられていた場合にiPhoneを所有していることがバレてしまうとの考えから、何も調べることなくなんとか宿へとたどり着きました。
宿ではすぐにラオスの詐欺について調べ、同じような手口が多数報告されていることを知りました。
私に連絡を取れないメガネとハゲ、白髪がどうしているかはわかりません。すでに宿と私の名前は把握されているため多少の恐怖感はありましたが、今後夜は出歩かないこと、昼間でも細心の注意を払って行動することを心に誓いました。
・イカサマのお粗末さについて
後述するとしていたお粗末なイカサマ手法についてです。ここではブラックジャックの基礎知識があることを前提としています。(この基礎知識というのはもともと俺が持っていた多少のもの以外、全てハゲから教わったものであるため、間違いを含んでいる可能性があります。)
ここでは、私が常にブラックジャックにおける子であることを前提にレクチャーが始まりました。
ディーラーであるハゲが親の背後から手札を盗み見て、各指に割り当てた数字を利用して伏せられた親の手札を俺に知らせると同時にデッキの一番上のカードを俺に見せるというものです(親指から1,2,2,2,2で、ハゲが立てた各指の数字の合計、また、じゃんけんにおけるグーの形は10を示す。例えば、親指と人差し指を立てていれば3を示しています。)。
また、ベット、レイズ、コールの方法は、親に勝利していれば常にオールイン、およびコールをしろというものでした。
俺はこの時点で、流石に雑すぎるのでは?と感じました。トランプを用いたカードゲームはただの運任せではなく、勝ち確時のチェック、少額レイズ、負け確時のハッタリなど、心理戦の要素を多分に含むものでしょう。現に白髪は一度としてフォールド、チェックを行うことはありませんでした。
白髪との実戦では、私に勝たせるためにレイズとオールインの嵐です。この実戦でもイカサマ手法のお粗末さが現れていました。
ハゲは伏せた白髪のカード番号を教えるために私に指を見せる必要があるわけですが、なんと白髪のすぐそばで卓に叩きつけるようにして目立たせて私に示します。いくらなんでもそんなものは怪しまれるでしょう。また、私のサポート役としてすぐ横に配置されていたメガネ(白髪にはサポートだと知らされていない設定)は、私に逐一取るべき行動を耳打ちしてくるのです。それも白髪の見ている目の前で、白髪にも聞こえているであろう声量で。
これに全く気づかない白髪は負け続け、全額ベットへと誘われるわけです。
以上がラオス、ヴィエンチャンにおけるトランプ詐欺の詳細です。
あまり文章を書くことが得意ではないので、読みづらいところ、誤植、一人称のブレなどあるかもしれません。めんどくさいので詳しくチェックしていないです。
もしあなたがラオスに行く、知人がラオスに行くと言うことがあれば、このような詐欺の存在をぜひ頭の隅にでも留めておいていただければと思います。(この詐欺手法はラオス以外の国でも使われる場合があるようです。)
ラオスは密度こそ低けれど、とても綺麗な観光地もあり良い国だと思います。もし機会があれば一度訪れてみてはいかがでしょうか。
ただ、宿泊していた宿のオーナー、およびハゲが言うところによると、首都ヴィエンチャンは面白いところが何もないそうです。自然が素晴らしいバンビエン、街が世界遺産指定されているルアンパバーン 、そして古い寺院遺跡にほど近いパクセをオススメされました。たしかにヴィエンチャンはメコン川とバスターミナル以外何もない気がします。
キレが悪いですが、めんどくさいので以上です。この出来事の後に帰った宿で、オーナーにマリファナを一本だけもらったことはまた気が向けば書こうと思います。(向きません。)
http://imokennpi1989.blog.fc2.com/blog-entry-69.html
https://3bakayottu.com/blackjack/
https://life-traveller.com/swindle-in-asia
http://iphonedocomoss.com/201412298360
https://amazing-taraland.hatenadiary.com/entry/2018/04/08/174501
奈良県のせんとくん、経済効果が2105億円だか何だか知らんけど、いろんなもんが多過ぎ
まわしを締めた「相撲せんとくん」、桜の花が頭を飾る「桜せんとくん」……。現在、オリジナルのせんとくんを含め、8パターンのデザインが存在する。
県の使用指針には「違う要素を加えたり表情など細部を部分的に加工することはできません」と著作権保護のため、厳格な規定がある。テーマに沿ってせんとくんをアレンジするには、その都度、新たなデザインが求められるのだ。
県は売り上げや製作費用の3%をライセンス料として納めることなどを条件に、商品や広告に利用することを認めており、遷都祭があった10年度には約4900万円の収入があった。
ところが祭りが終わって一段落した11年度は、699万円に激減。同年に県のキャラクターになったのを機に、県は12年度に、「官服」「桜」「紅葉」の3デザインを追加しててこ入れを図ったが、各地に次々と特徴的なゆるキャラが誕生する中で存在感の低下は否めず、16年度は154万円にまで落ち込んだ。県は先月、さらに「はかま姿」を投入し、起死回生を狙う。
通称「海づくりせんとくん」。2014年に開かれた「全国豊かな海づくり大会」PRのため、前年に誕生した。デザイン料約60万円、着ぐるみ代約180万円をかけて作成したが、大会終了後は大型商業施設でのアマゴ販売イベントなど、3回しか登場していない。
県農業水産振興課の一角で、「海づくりせんとくん」は箱に納められている
昨年の「国民文化祭」「全国障害者芸術・文化祭」に登場した通称「はかませんとくん」も、同様の状況に陥る危機にある。デザイン料約60万円、着ぐるみ2体計約330万円をかけて生み出したが、運営を担った大会特別課そのものが、来年度にはなくなる見込み。
実は、私たちが目にするせんとくんには、2種類があるらしい。県の主催事業や県外で催されるPRイベントで会えるせんとくんの多くは、プロのスタッフによるもの。自治体が主催する小規模な行事などでは着ぐるみを貸し出すだけで、自治体職員などがその役目を引き受けているという。県観光プロモーション課幹部は「時々、『元気がない』と指摘をもらいます」と明かす。
ツイッター社の公式マークがついているのが「せんとくんのつぶやき」だ。
奈良県庁の担当者によると、こちらのアカウントでは、主に奈良県全体に関わる情報を発信しているという。もう1つのアカウントが「せんとくん 《OFFICIAL》」で、こちらはせんとくんの活動報告などをメインに発信している。
ツイッターでは奈良県庁が管理する公式アカウントのほか、非公式アカウントもあり、人気のものではフォロワー数は7万を超える。
県ならの魅力創造課の担当者は「問題になる内容はなく、目くじらを立てるつもりはない。持ち味の違う2人のせんとくんを楽しんでもらえれば」と静観しつつ、「公式のフォロワーも増えればありがたい」と期待する。
※なら和み館の場合
「今は売り場のほとんどが『しかまろくん』で、『せんとくん』の売り場はここしかありません」
奈良市観光協会が5年前に作った「しかまろくん」に追いやられてしまっています。
【土産物店の人】
「『しかまろくん』のほうがやっぱり。『せんとくん』は商品がかなり少なくなっている」
お客さんが手にとるのも、「せんとくん」ではありません。
【子供は】
「駅前の土産店なんですが、他のキャラクターグッズに比べると、せんとくんのグッズはやや少ないように感じます」(記者リポート)
店内には奈良市観光協会のマスコットキャラクター「しかまろくん」が所狭しと並んでいて、せんとくんは片隅に追いやられています。
「だいぶ減りましたね。遷都1300年祭が終わった年くらいから、問屋さんが在庫で終わらせていくみたいな感じで」(土産物店)
数年前、実家に帰省したら駅前通りの5階建てのデパートが取り壊されている事に気がついた。。
小さいころは、あそこで服を買ってもらったり、ガンダムのガチャガチャをよく回しにいっていたのを覚えている。
そうとう栄えたデパートだった。
更地になって新しく建ったのは、小さな一階建ての携帯電話ショップだった。
過疎化により、町にあったバスターミナルはなくなり、ただの停留所だけになった。
平成元年3万人いた人口も30年たったいまや2万人、産業がどんどんやせて言った。
子供の人数も加速的に減り平成元年の三分の一程度しかいなくなってしまった。
学校が統廃合され、町の端の方の子はスクールバスをつかって、子供たちは町の中心にある学校に通うようになった。
同窓会を開いても、半分以上の人は都市部に住んでいるためなかなか集まらない。
地元には仕事が無く、家業で農家をやってる家の子くらいしか地元に残っていない。
自分がいたときは1クラス40名程度だったが、廃校が決定した当時には1クラス5人程度しか居なかったらしい。
たった30年で、そこまでの変化があった。
30才になってしまった。
つくづく思う。若さがもたらすエネルギーはすごい。10代の頃を思い返すと、とても正気だったとは思えない。
誕生日の記念に自分の人生をざっと振り返ってみたい。長くなるか、すぐに終るか、それは書いてみないとわからない。
2年前からイーストヴィレッジのセントマークスで仲間達とバーをやっている。大抵はヒップホップがかかっている。客層は黒人、日本人、ヒスパニック。
日本酒がメインのバーにするはずだったが、すぐにうやむやになってしまった。夏はフレンチスタイルのパナシェがよく売れる。地元の人がこれを読んだら、もう場所を特定できてしまうと思う。
大儲けとはいえないが、店はそれなりに繁盛している。僕はほぼ毎日カウンターかDJブースにいる。ちなみに趣味はボディビルで、アマチュアの大会で2回ほど入賞したことがある。
まさか自分がこんな生活を送るようになるとは思わなかった。中学生の頃は、江戸川乱歩と京極夏彦に傾倒していた。将来は図書館司書になるつもりだった。顔は青白く、ひどい猫背だった。ある女性との出会いが僕を大きく変えた。
そうだ、あの子について書こう。
最初に彼女と遭遇したのは、高校に入ってまもない頃だった。校庭と校舎をつなぐ階段の途中ですれ違った。彼女はジャージ姿だった。背が高く、涼しげな目が印象的だった。かっこいい人だと思った。一瞬だけ目が合い、僕はあわてて逸らした。
当時の僕は最低だった。勉強も出来ないし、スポーツも苦手。しかもクラスではパシリだった。どういう経緯でパシリになったのか、まったく思い出せない。梅雨の訪れのように自然な成り行きだった。
僕をパシリに任命したのはNというクラスメートで、彼は教室内の権力を一手に握っていた。髪を金色に染め、足首に蛇のタトゥーをいれていた。15才の僕にとって、蛇のタトゥーはかなりの脅威だった。
昼休みになると、僕はNを含む数人分のパンとジュースを買いに行かされた。金を渡され、学校の近くのコンビニまで走らされる。帰りが遅かったり、品切れだったりすると怒鳴られる。そういう時はヘラヘラ笑いながら謝った。歯向かう勇気はなかった。そんなことをすればさらに面倒なことになるのは目に見えていた。
いじめられていないだけマシだ、パシリに甘んじてるのもひとつの戦略だ、そう自分に言い聞かせていた。
ある日、いつものようにパンとジュースを買って裏門から教室に戻ろうとした時、また彼女とすれ違った。相変わらずクールな表情。今度は制服姿だ。ジャージの時より断然かっこいい。ネクタイをゆるく結び、黒いチョーカーをつけていた。目が合う。すぐに逸らす。前と同じだ。
僕はすっかり彼女に魅了されてしまった。教室に戻るのが遅れて、Nに尻を蹴られた。いつも通りヘラヘラ笑いながら謝った。
それからも広場や廊下で何度か彼女を見かけた。一人だったり、何人かと一緒だったりした。彼女は常にクールだった。それにどんどん美しくなっていくようだった。どうしても視線が吸い寄せられてしまう。そのくせ目が合いそうになると、僕はすぐに逸らした。
彼女のことをもっと知りたいと思った。気を抜くとすぐに彼女のことが頭に浮かんだ。できれば話してみたい。でも僕ごときにそんな資格は無い。きっと冷たくあしらわれて終わりだろう。遠くから眺めているのがちょうどいい気がした。
なんだか出来損ないの私小説みたいになってきた。こんなことが書きたかったんだっけ? まぁいいか。もう少し続けてみよう。
30才になった今、少年時代の気持ちを思い返すのはとてもむずかしい。あの頃は恋と憧れの区別もついていなかった。おまけに僕は根っからの小心者だった。彼女の目を見つめ返す勇気もなかった。世界は恐怖に満ちていた。蛇のタトゥーが恐怖のシンボルだった。
1学期の最後の日に転機が訪れた。大げさじゃなく、あれが人生の転機だった。
よく晴れた日の朝。バスターミナルに夏の光が溢れていた。まぶしくて時刻表の文字が見えなかった。僕はいつものように通学のために市営バスに乗り、2人掛けのシートに座った。本当は電車の方が早いのだが、僕は満員電車が嫌いだった。それにバスなら座れるし、仮眠も取れる。僕は窓に頭をあずけて目を閉じた。
発車する寸前に誰かが隣に座った。僕は目を閉じたまま腰をずらしてスペースを空けた。香水の匂いが鼻をくすぐった。
ふと隣を見ると、彼女が座っていた。目が合った。今度は逸らすことができなかった。彼女がにっこり微笑んだのだ。彼女は気さくに話しかけてきた。
校内でよく僕のことを見かけると彼女は言った。その時の驚きをどう表現すればいいだろう。うまく言葉にできない。
さらに彼女は僕の頭を指して「髪切ればいいのに」と言った。たしかに僕の髪は無造作だった。でもそんなに長いわけでもなかった。わけがわからなかった。彼女が僕の髪型を気にかけるなんて。
彼女はひとつ上の2年生だった。ふだんは電車で通学しているが、初めてバスに乗ってみたという。色々なことを話した。幸福なひとときだった。なぜだろう、初めて喋るのに僕はとてもリラックスしていた。きっと彼女のおかげだと思う。人を安心させる力があるのだ。
車窓から見える景色がいつもと違った。こんなにきれいな街並みは見たことが無かった。行き先を間違えたのだろうか。ふたりであてのない旅に出るのか。落ち着け。そんなはずはない。もういちど景色を確認してみる。いつもの道だ。たまに彼女の肘が僕の脇腹に触れた。スカートから伸びるすらりとした足が目の前にあった。目眩がした。
特に印象に残っているのは、彼女が小学生の時に"あること"で日本一になったという話だ。でもそれが何なのか、頑なに言おうとしないのだ。絶対に笑うから教えたくないという。それでも僕が粘り続けると、ようやく白状した。それは「一輪車」だった。
一輪車駅伝の全国大会というものがあり、彼女はジュニアの部で最終走者を務めた。その時に日本一になったらしい。僕はそんな競技があることすら知らなかった。
あまりに想定外だったので、どう反応すればいいかわからなかった。でもこれだけは言える。彼女が恥ずかしそうに「一輪車」とつぶやき、はにかんだ瞬間、僕は本当に恋に落ちた。
彼女は一輪車で燃え尽きて、中学から一切スポーツをやらなくなった。部活に入らないのも体育を休みがちなのも、すべて「一輪車で燃え尽きたから」。ずいぶん勝手な理屈だ。なんだか笑えた。そんなことを真顔で語る彼女がたまらなくチャーミングに見えた。だいぶイメージが変わった。
会話が途切れると彼女はバッグからイヤホンを取り出して、片方を自分の耳に差し、もう片方を僕の耳に差した。ヒップホップが流れてきた。ジェイZだった。いちばん好きなアーティストだと教えてくれた。
僕はジェイZを知らなかった。そもそもヒップホップをあまり聴いたことがなかった。素晴らしいと思った。リリックなんてひとつもわからなかったが、極上のラブソングだった。本当はドラッグの売人についてラップしていたのかもしれない。でも僕にとってはラブソングだった。
あの日のバスは僕を新しい世界へと導く特別な乗り物だった。バスを降りて、校門で彼女と手を振って別れた瞬間から、あらゆる景色が違って見えた。すべてが輝いていた。空は広くなり、緑は深さを増していた。
次に彼女と目が合った時は必ず微笑み返そう。蛇のタトゥーはただのファッションだ。この世界はちっとも怖い場所じゃない。
新しい世界の始まりは、夏休みの始まりでもあった。僕は16才になった。(14年前の今日だ!)人生が一気に加速した。そう、書きたかったのはここから先の話だ。ようやく佳境に入れそうだ。やっと辿り着いた。
僕は髪を切った。坊主にした。そして体を鍛え始めた。近所の区民センターのトレーニングルームで筋トレに励んだ。それから英語の勉強に没頭した。図書館の自習室で閉館まで英語と格闘した。単語、熟語、文法、構文、長文読解。最初は暗号のように見えていた文字の羅列が、だんだんと意味を紡ぐようになっていった。
英語と筋トレ。なぜこの2つに邁進したのか。理由は至ってシンプルだ。ジェイZになろうと思ったのだ。彼女がいちばん好きなジェイZだ。
①僕がジェイZになる
②彼女は僕に夢中になる
できれば夏休みの間にジェイZに変身したかったが、さすがにそれは現実的では無かった。でもとにかくやれるところまでやろうと思った。僕は筋トレと英語に励み、ジェイZの曲を聴きまくり、真似しまくった。日差しの強い日には近所の川べりで体を焼いた。
夏休みが終わった時、僕の見た目はジェイZにはほど遠かった。当然だ。そう簡単に変われるわけがない。日焼けして、少しだけ健康的になっただけだった。でも内面は違った。ヒップホップマインドが根付いていた。誇りがあり、野心があった。闘争心に溢れていた。
僕はパシリを断った。特に勇気を振り絞ったという感覚もない。単純に時間がもったいなかった。昼休みは英文のリーディングに充てたかった。誰かのパンやジュースを買いに行ってる暇はない。
パシリを断ると、彼らは一瞬どよめいた。こいつマジかよ、という顔をした。Nが笑いながら尻を蹴ってきたので、笑いながら蹴り返した。教室全体がざわついた。Nはそこで引き下がった。
それからしばらくの間、 嫌がらせが続いた。机や椅子が倒された。黒板には僕を揶揄する言葉が書かれた。でも相手にしている暇はなかった。早くジェイZにならなければ。僕は黙って机を立て直し、Nをにらみつけながら微笑んで見せた。Nの表情にわずかな怯えが走るのを僕は見逃さなかった。
筋トレ、英語、ラップ、筋トレ、英語、ラップ。その繰り返しだった。僕は少しずつ、でも着実に変わっていった。あの日からいちども彼女と会っていなかった。校内でも見かけなかった。でも焦ってはいけない。どうせ会うなら完全にジェイZになってからの方が良い。
そんなある日、柔道の授業でNと乱取りをすることになった。たまたま順番が当たってしまったのだ。組み合ってすぐにわかった。こいつは全然強くない。いつも余裕ぶった笑みを浮かべてるが、体はペラペラだ。とんだハッタリ野郎だ。絶対に勝てる。
Nが薄ら笑いを浮かべながら、足でドンと床を踏んで挑発してきた。腹の底から猛烈な怒りがこみ上げてきた。なぜこんなやつのパシリをしていたのだろう。さっさとぶちのめすべきではなかったのか?
僕はNを払い腰で倒して、裸締めにした。Nはすぐにタップしたらしいが、僕はまるで気付かなかった。先生があわてて引き離した。Nは気絶しかけていた。僕は先生にこっぴどく叱られたが、その日から誰も嫌がらせをしなくなった。勝ったのだ。
でも連戦連勝というわけにはいかない。ヒップホップの神様は残酷だ。僕は恋に敗れた。いや、勝負すら出来なかった。なんと彼女は夏休みの間に引っ越していたのだ。僕はそれをずいぶんあとになってから知った。
彼女とは二度と会えなかった。筋肉と英語とヒップホップだけが残った。なんのための努力だったんだろう。せっかく坊主にして、体つきも変わってきたというのに。仮装パーティーで会場を間違えた男みたいだ。マヌケ過ぎる。しかし、そんなマヌケな彷徨の果てに今の僕がいる。
高校を卒業して、さらに英語を極めるために外語大に入った。それからNYに留学して、今の仕事仲間と知り合い、色々あって現在に至る。仲間達はみんなヒップホップを愛している。それだけが共通点だ。すべてのスタートがあの日のバスの中にある。
ずいぶん長くなってしまった。まさかこんな長文になるとは思わなかった。そろそろ止めよう。
僕は今でも週に3回は筋トレをしている。当時よりずっと効果的なトレーニング方法も身に付けた。知識も格段に増えた。でも本当に必要なのは、あの頃のような闇雲な熱意だ。
30才になってしまった。
http://anond.hatelabo.jp/20160927012839
続き
現在:P160
最近伝言板についての記事がネット上に上がっていたように記憶している
もしくは、いつも行っている歯医者で、ニュースで見たのだったか
私の街、その最寄駅にも伝言板があった
バスターミナルの中心に近い所に、天井まであるような大きな伝言板
あれも昔は使われていたのだろうか
ところで、訳知り顔の評論家なら
「ソーシャルメディアの発達によって人々は本当の意味でコミュニケーションを取らなくなった
クリスマスに人を孤立させるウイルスによって、却って人が周りを見るように、つながろうとするようになるとは
これが寄生虫による本来あるべき共存の形だったのではないだろうか」
とでも言うだろうか
恋する寄生虫が売れた暁には、新聞の天声人語や書評にでも挙げられそうだ
くそくらえ
さておき
序盤でも思ったが村上春樹の影響があることはここで言うまでもないのだろうか
どうでもいいか
「でも、佐薙に汚されるのはどうしてか許せるんだ」
読み始めていたときから、私にとっての潔癖症なんだろうかと考えていた
以前も考えていたが、きれいは汚く、汚いはきれいなのだ
「堕ちよ、生きよ」である
つながるということは、生きるということである、たぶんね
こういうセリフを書かせるのが、げんふうけいだったと強く思い起こさせるセリフだった
行ったところないところに行きてえな、広島?仙台?新幹線でン万、じゃ飛行機乗っか!今なら割引?じゃあ札幌行くか!なにするんだ?この日は野球ないのか。じゃあ福岡にするか!西武?まあいいや。ついでだし海外行っちゃお!香港行こ!帰りは…エチオピア航空?おもろいやんけ!→成田…
成田に21時?もう帰れる電車も高速バスもないやんけ!一泊しちゃお!
これが計画の立てられない無い内定で卒業後3年目に入った職歴なし工場派遣のゴールデンウィークです。
普通はもっといい計画に組みなおしますよね?仮にこれに乗るとして、あ、これだとここが無駄っぽいなとかバカみたいだなつって。
最初は飛行機乗りてえなってだけの話だったんだよね。福岡行って帰ってくるだけでもよかったよ。海外行くにしてもまずセントレアやら羽田まで行ってから海外でよかったよ。
でもバカだからまず福岡までの飛行機取って、次に香港までの飛行機取って、福岡ドームのチケット取って、福岡のホテル取って、香港から成田の飛行機取って、成田のホテル取って、香港の宿取って、成田というか東京から帰ってくる電車を取ったんですね。
去年は行きの格安高速バスと神宮のナイターとホテル1泊だけ取っていきました。
2日目はなにもすることがないし帰りの便取ってないのでバスターミナルやらチケットショップ行ってアレした結果バスは席ないしお得な切符はゴールデンウィーク使えませんってことになりました。
んで東京ドームの巨人阪神戦のデイゲームのチケットがあったんで買って、東京ドーム行って、よく見えないから寝ちゃって、なんだかわかんねえやって感じて正規料金の新幹線つうか特急つうか、とりあえず電車乗って帰りました、
駅の周りは道が狭く、雑居ビルがところ狭しと並んでいる
そんな狭いところに駅直通のデッキを作ってしまって、デッキ上では周りの小汚いビルが目に入ってしまい
飲食店は軒並みラーメンと居酒屋、カフェバーとか言うただ高いだけのランチボックスに淘汰された
どうあがいてもつめ込まれたブロイラーのくせに、イメージだけは立派なところも気にいらない
それらの穴は現れては消え、現れては消え、その度に街にポッカリと穴を開けていく
まるで俺が記憶障害を起こしているかのように、あった店が消え、穴だったところに詰め込まれていく
夜になれば裏通りから風俗の呼び込みが現れ、天下の往来で立ち止まり品定めをする
駅から5分も歩けば、死んだような個人経営の店と、人が住んでいるのかどうかも定かではないような生気のない家が立ち並ぶ
典型的な旧道だ
人の姿のない細い道を車が列をなして進んでいくのは、ディストピアのベルトコンベアのようだ
薄暗く、埃っぽく、生気がない
古いだけの旧家が多いせいで区画整備も出来ず、人が十分に生活できるスペースを作れないために生活環境と線路が密接してしまっている
この陰鬱な映画から抜け出すには、目の前の事を少しずつ片付けるしか無い
部屋の引き払いまであと3週間
私はもう眠りはしない。
私には時間がない。
騒がしいバスターミナル
じわりと肌を湿らせる汗を拭いた
夏が来ると次は秋だと忙しない
誰も気には止めやしない
私の事もそう。
静けさがやってくる。
繰り返す毎日
無関係の誰かを横目に走る。
私は見た、帰り道にラジオを聴きながら
私は橋の上で肉を食う。
私は道で大声で笑う。
私は蛭子能収が好きだ。
私は必要以上の金に執着しない。
私の何がいけないのだろう。
それを宇宙人にぶつけたのだ。
すると宇宙人が微笑んだ気がした。
さすがに宇宙人と一緒に暮らす場合はおっぱい丸出しで体に変なペインティングをし槍を持って儀式をしなくてはならない風習があるならば私も少し躊躇うが、宇宙人は真夏に灰色のダウンコートを羽織りジーンズ的なものを召していた。
http://j-town.net/tokyo/column/allprefcolumn/194240.html
これな。
Googleがあったら1時間もあれば誰でも調べられる内容の記事ですねェ。
で、失敗事例としてウォッチャー(と中央官庁)からクールどころか絶対零度並の冷たい視線向けられてた大阪府の「クールジャパンフロントのまちづくり事業」
『関西国際空港の対岸にあるりんくうタウン(泉佐野市)。大阪府はここをアニメやゲームの集積地にしようと計画、』
『東京の練馬区や杉並区はアニメ制作会社が多く立地していることで有名だが、両区とも行政が企業を誘致したわけではなく、「23区内にしては土地代が安くて、アクセスもまあまあ」だから集まったにすぎない』
これ見ると(あるいはググったりブコメ見ても)アニメやゲームの制作会社をりんくうタウンに集めようとしてた構想、って勘違いの入れ食い状態。
本当はどういう目的の事業かは大阪府のホームページに書いてある。
http://www.pref.osaka.lg.jp/townkanri/cjfmatizukuri/index.html
ワードやエクセルやPDFばっかりで分かりにくい? 俺もそう思う(笑)
ワードやエクセルやPDFが嫌いならこっちを読めばいい。事業内容もついでに引用しておく。
http://www.icic.jp/cooljapan.html
これ自体がツッコミ所なんですが、制作会社の『せ』の字も出てこないですねェ。
研究会のメンバー見ても、ショッピングモールでも作りましょうかって顔ぶれなんですねェ。
本当ならここで「ではどうしてこんな誤解が広まったんでしょうか?」と続けるところなんですがね、
この『クールジャパンフロント研究会』のホームページがある『新産業文化創出研究所』なる団体の方が気になるのが人情ですよねェ。
代表取締役所長の人脈を追っていくと見えてきた物もあるんですが、個人攻撃を書いて拙いことになっても困るんでこの位で勘弁しといたるわ(吉本新喜劇)。
福岡人は「並ぶ」という概念を、みんな大濠公園の池に落としたのか、できない人が多いですね。特に西鉄バスの停留所はまったく並んでおらず、初心者はどこに並んでいいのかわかりません。まあ、列がないので並びようがないのですが。
そうなんだよ。博多駅前や天神など大型のバス停では、どこのポイントにバスが停車するのか未定なんだ。だから列が作れない。
だからバスターミナルのような停車位置が固定されている場所だと並んでる。
ちなみにJRでも並んでる。西日本鉄道でも並んでる。地下鉄でも並んでる。
バス停でのバスの停車位置が固定されない理由は、先行のバスがバス停に留まっているから。後続のバスは、先行バスの後ろに停車して客を乗降させるから。
小手指のモスバーガーで昼食を摂っていると、男一人、女二人の大学生と思しきグループが、談笑しながら通りを歩いている。
これから彼らはアパートの一室で3Pをする。そう直感が告げた。
直感でなくても、最近の高校生はセックスを覚えてから大学にくるので、目的は違っても手段としてカラダを求めることはあるだろう。
不況のさなかに危機感が無いと思われるかもしれないが、あくまでも彼らは、将来を嘱望されたエリート候補である。バッファはそこらの大学生とは比べものにならないだろう。
新学期も始まってまだひと月である。
しかし、彼らの風貌はよくいるリア充そのものだ。髪を染め、適度に着こなし、適度に肌の手入れをする様はまさしく現代の若者その者であると言えよう。
所沢は早稲田大学の巣である。正確に言うと所沢には日芸や他の専門学校もあるのですべてがそうだとは言わないが、その環境は早稲田大学生に特化したものである。
私が昼食を摂っているモスバーガーこそ社長は日大だが、周りを見わたせば西友、西武鉄道、西武タクシー、西武球場と西武グループの管轄内に有り。
銀行も三井住友銀行が支店を出していて、みずほ銀行も出張所こそ出しているが、支店ではない。MUFJに至ってはATMである。なんという待遇の違い。
出している店の数々も早稲田生をターゲットにしている。西友に似つかわしくないスタバ。みずほとマクドナルド、ボボラマーマが西友と同じ敷地内にある。
通りの向かいにミスド、和民、早稲アカなど、「ポスト早稲田生ならここを使え」と言わんばかりのメンツである。
ちなみに小手指駅は始発で鉄道が出る場所でもあり、交通の便はよい。
駅前のバスターミナルには、朝早稲田大学生と見える大学生が、エンジ色で早稲田大学の装飾が施された送迎バスを目当てに、開店前のラーメン屋のごとく列をなしている。ざっと20人はいるだろう。もっとかもしれない。これは大学のイメージとしてどうなのだろう、と個人的には思っているが、まあ彼らはそれで満足しているのだから、何も言うまい。
そんな小手指にも、将来を期待されてか、大手企業が手をとり、「小手指タワーズ」なるものを建設することが既に決定している。先のマクドナルドの向かい、MUFJのATMの隣の建物は、タワーズの外観ショールームを常設展示しており(水曜定休)、小手指で骨を埋めようという人たちに強烈なイムパクトを与えること請け合いである。
しかし、駅前に10階以上のビルが建つと、駅がひどくしょぼく見えるだろう。おそらく、そのタワーズ完成にあわせて駅舎も建て替えるにちがいない。そうでなければ駅前のなか卯とオリジン弁当がかわいそうだ。
http://anond.hatelabo.jp/20091212145706
治安が悪化したからといって被害者バッシングをするのがいいってことにもならないし
あのさ、治安が悪化したら被害者バッシングしていいなんて一言も言ってない。そういう曲解が、どれだけ誤解と無駄な反感を生んできたと思ってるの?
http://d.hatena.ne.jp/Dr-Seton/20091212/1260629555
女性差別、しかもレイプがらみのそれと、被差別部落や在日朝鮮人の差別と、同列に論じられると信じてられるほうがクラクラするわ。全然、差別の次元が違うじゃない。こういうの、詭弁による自己正当化って言うんだよ。
例えばの話、曾野綾子の若い時代は、基地の周辺でも、繁華街でもいいし、夜道を女が一人で歩いてるのでもいいけども、そういうのは避けましょうというのが女性の嗜みだった。例えばの話だよ。
今だって、先進国の夜道でも、暗いバスターミナルでも、自国の若者や移民の若者グループに、レイプされる女性がたくさんいる。自衛「厨」とかじゃなくて、「できることなら」そういうところを一人で歩くのは避けましょうという話になるのも、また当たり前でしょう。ここでは、強姦は顔見知りによる犯行が多いとかいう話は抜きにしてね。しかも、そうしなかったからって被害者が悪いという話に一直線にはならない。当たり前。
それだけの話が、なんで自衛「厨」とか努力「厨」って話になるんだ。曾野綾子の若い時代ならともかく、今のご時世、よほどのバカはともかく、ほとんどの日本人は被害者を責めないよ。極端なんだよ、議論の運びが。
追記すると、なんで女だけって議論は無駄。理由は女のほうが物理的に弱くて狙われやすいからって理由以外にない。男だってオカマが集まる公園とかには普通はいかない。でも、オカマが男を差別してるんじゃない。ましてその逆でもない。
社会的地位とか仕事の待遇とかで男女平等を求めるのは大事だし、女はミニスカートをはいたっていいんだけども、そういう議論と、レイプにかかわる問題とは次元が異なる。何でもごちゃごちゃにして論ずるなって。
先日フィリピンへ行ってきた。海がやばい!
フィリピーナ目的の人も多いだろうけど、僕の乗った安いノースウェストはアメリカ人やフィリピン人ばかりだった。
じゃあまずは飛行機から書こう。
フィリピンの首都といえば、そうマニラ。一番安くマニラへ行けるのは成田発のノースウェスト航空の格安航空券。これは夜着なので慣れてない人は昼の便を利用した方がいいと思う。
今回は燃料サーチャージとか込みで5万円前半。7月後半まではもうちょっと安くなってるんじゃないかな。ただし、これにはマニラのニノイアキノ空港の使用料(出国時)は含まれてないので注意!750ペソとっておきましょう。
1ペソは大体2.5円くらい。物価は日本の1/2くらいの感覚。交通費は安くて(なんかオイル税がなくなる、みたいな記事を読んだけどもっと安くなるのか?)マニラの電車(LRT・MRT)は12ペソとかから。ジプニーは8ペソ。バナウエまでの夜行バス9時間で500ペソしないです。
ただマニラ空港のタクシーはたちが悪く、特に夜に着こうものならぼられないことがない。僕の中でワースト。下手をするとどこへ連れてかれるか分からない。
なので夜に着くならホテルにタクシーの手配をお願いしておこう。といっても空港クーポンタクシーのとこにはIDを下げた係員たちがいて、案外しっかりしてそうだったから、それを利用すれば怖がることはないと思う(僕は以前だまされたし、今でもぼったくりプライスでフィックスされてるけど)。
昼なら少し歩いて幹線道路に出れば流しが捕まえられるから、そしたら交渉で安くすませられる。
空港のあるパサイ市内なら100ペソ台で行けるはず。今回はそのパサイにあるカバヤン パサイの予約をしていった。
http://www.kabayanhotel.com.ph/pasay.htm
YouTubeに動画があがってるので見てみるとわかるけど、部屋とかはそんなに悪くない(窓の外は壁だけど)。
http://jp.youtube.com/watch?v=VjHLCWnrW_E
ただスタッフの対応は期待しない方がいい。何か質問してもシカトされたりテキトーだったり。およそサービスというレベルではないけど、まあフィリピンはそれがデフォルトと思ってればいいです。ちなみにフィリピンはチップいらないので。
このホテルは値段も安いけど、なにより場所がいい。空港(国際、国内、プライベートとも)に近く、すぐ隣がMRTとLRT(電車)の駅でマカティ方面へ行くにもマラテ・エルミタ方面へ行くにも至極便利。目の前にはアジア最大級(そうか?と思ったけど)のモールSM Mall of Asiaに行くジプニーも停まってるし、さらに長距離バスターミナルも集まってる。
ただ今回は世界遺産の棚田で有名なバナウエ(ガイドブックにはバナウェとあるがそれでは通じない)へ行くのにバスに乗ったのだけど、これはパサイから出てない。ほとんどはケソン市のクバオから出てるよう。KABAYANはクバオにもあるから、バナウエへ行くつもりならそっちの泊まってもいいと思う。マニラははっきりいって見るとこないから(ショッピングモールくらい)。
クバオはパサイから遠く電車も通ってない(多分)ので行きにくい。そこで歩き方にあったオートバスというバス会社を探すことにした。これはLRTで行けるキアポ(駅の名前は違う)の東にあるサントトーマス大学近くにある。ただ歩き方の場所から移転していて、そこからさらに10分ほど歩く。
ということで、やはり不便なとこにあるけど、バスターミナルの目の前をキアポ始点/終点のジプニーが通ってる。キアポのマーケットの東側にあるジプニー集結地が分かれば「オートバス!」とか言えば目的のとこで降ろしてくれるでしょう。ターミナルの目の前にミニストップがあって(マニラはミニストップが多くて驚いた)目印になる。
バナウエ行きは夜10時発。早く行ってもすることがない、かといって直前に初めて行くのも大変&危険なので、昼のうちにマニラのダウンタウン散策がてら一度行って予約しておきましょう。
メインは海だったのに、ここまでの情報だけで長くなってしった。続きは別で。
ジプニーはこんな乗り物です
http://www.flickr.com/photos/omsel/2316950732/
バナウエはこんなところです