はてなキーワード: トーマスとは
資本主義や民主主義の限界に対する修正や改善を目指す学問や思想は多岐にわたり、特に近年では貧富の格差や社会の分断などの課題に対応するための議論がさまざまな分野で展開されています。以下は、その代表的な取り組みです。
1. ポスト資本主義(Post-Capitalism)
ポスト資本主義は、資本主義に替わる新しい社会経済の枠組みを模索する思想です。経済学者や社会思想家の中には、技術の進展や労働の自動化が進む中で、資本主義に基づく経済システムの持続可能性に疑問を持つ声が増えています。ポール・メイソンやトーマス・ピケティなどは、資本の集中が引き起こす格差の拡大に着目し、持続可能な経済の実現のために富の再分配や共有経済を含む新しい制度の導入を提唱しています。
2. 社会的市場経済(Social Market Economy)
ヨーロッパ、特にドイツを中心に発展した「社会的市場経済」は、自由市場経済と社会的福祉政策を融合させたモデルです。市場競争の効率性を維持しながら、労働者や弱者を保護し、公正な所得分配を目指します。社会的市場経済は、資本主義の自由経済と民主主義的価値観を調和させる試みとされ、欧州の福祉国家の基盤となっています。
分配正義(Distributive Justice)は、財や資源の公平な分配を考える哲学的・倫理的分野で、アマルティア・センやジョン・ロールズが代表的な思想家です。特にロールズは「公正としての正義(Justice as Fairness)」を提唱し、社会制度が公平に機能するための条件を提示しています。この流れから、貧富の差を是正する手段として「ベーシックインカム」が注目されており、すべての国民に一定の所得を無条件に支給することで最低限の生活を保障し、貧困や格差の縮小を図ろうとしています。
4. 修正主義的資本主義とESG(Environmental, Social, and Governance)投資
修正主義的資本主義は、持続可能性と社会的責任を資本主義に組み込むことでその問題を解決しようとするものです。ESG投資は、この理念に基づき、企業の収益性だけでなく環境、社会、ガバナンスに配慮した投資活動を推進することを目指しています。企業活動が長期的な社会的利益に貢献するための枠組みを重視し、企業が利益のみを追求するのではなく、持続可能な成長を図ることが期待されています。
5. デル・メトリオクラシー(Deliberative Democracy)と共同体主義
民主主義において、社会の分断やポピュリズムの台頭に対抗するため、「熟議民主主義」や「共同体主義」といった思想が見直されています。熟議民主主義は、市民が公共の場で意見を交わし合うことで、合意形成を目指すアプローチであり、単なる多数決ではなく深い議論に基づく意思決定を重視します。また、共同体主義は、個人の自由とともに地域や共同体の価値を重視する思想で、アミタイ・エツィオーニなどが提唱しており、社会的な絆や共通善を再評価する動きが見られます。
ブロックチェーン技術や分散型台帳技術(DLT)は、新たな経済システムやガバナンスモデルとして注目されています。これらの技術を活用することで、中央集権的な管理を排し、分散的かつ透明性の高い社会システムが可能になると考えられています。ブロックチェーンを基盤にした分散型自治組織(DAO)や、暗号資産を用いた経済圏が試みられており、伝統的な資本主義や民主主義の枠組みを再考する材料となっています。
これらの思想や学問的検討は、資本主義・民主主義の限界に対して、社会の持続可能性や公平性を向上させるための試みとして重要な役割を果たしています。
お相手は日本航空のキャビンアテンダントをしていた直美さんという女性でした。
この結婚により安価で飛行機に乗れるようになった事で諸外国を訪れた池澤夏樹さん。
そして池澤さんが魅了されたのが南太平洋の島々。
後に池澤さんは「マリコ/マリキータ」や「タマリンドの木」、「南の島のティオ」など南の島が舞台となっている作品を発表。
さらに谷崎潤一郎賞を受賞した「マシアス・ギリの失脚」も南の島が舞台となっています。
きっと池澤夏樹さんは南太平洋の島々で創作意欲を刺激されたのでしょうね。
もし池澤さんが日本航空のCAだった直美さんと結婚していなければ現在ほどの評価はされていなかったかもしれません。
そう考えると池澤夏樹さんが人気作家となれたのは妻、直美さんのおかげと言っても過言ではないでしょう。
結婚後も非常に関係が良好だったという池澤夏樹さんと直美さん。
ただ、二人には「円満離婚らしい」「離婚後も友人関係?」といった噂があるんだとか。
それならば、なぜ離婚したのか不思議ですが当人達にしかわからない理由があるのでしょうね。
へー池澤って母方の苗字だったんだ
オレオレFCは26日、FWトーマス・ノレジーが今季限りでの退団と同時に現役を引退すると発表した。
豪州出身、現在34歳のノレジーは210cmの長身ストライカーで母国などのクラブを渡り歩き、昨年からオレオレFCに加入。昨年は20試合に出場し3得点を挙げた。数字以上に真面目かつ真摯に取り組む姿勢はチームから高く評価された。契約を更新した今季は怪我の影響もあり、26日現在まで11試合の出場にとどまり1得点。13日のサガン鳥栖戦はベンチ入り(出場機会なし)したが、21日のジュビロ磐田戦はベンチ外に終わった。
ノレジーはクラブを通じて「今シーズン限りで退団、そして私のキャリアにピリオドを打つ決断をしました。期待していた結果を残せなかった事が心残りですが、皆様の声援が力になりました。残りのシーズン、私のベストを尽くし、皆様と一緒に戦いたいと思います」とコメントした。
歌舞伎揚げは敢えて少し物足りない味にしてある。そうする事でもう少し、もう少しだけといつまでも次の手が伸びる。
っていうのを昔テレビで観て、それを今でも妙によく覚えてる。
欲を満たすのは人生たった一つの目的であり楽しみだけれど、それに振り回されるのも疲れる。その気分の波を乗りこなすのが人生を楽しむコツなのだろうけど、おれは自制心が超弱いので振り回されてばかりだ。
例えば一度アレを食いたいな、と思ったら四六時中その事ばかりに頭を支配される。
ガキの頃は今に輪をかけてそうだった。
トーマスのチューイングキャンディが好きだったけれど、一本じゃ満足出来ない。しかし聞き分けのないガキに徹する事も出来ないからねだれない。食べる度に満足よりもむしろフラストレーションの方が募る。
チューイングキャンディの事など忘れたまま高校の頃になって、ふと今ならいくらでも買える事に気が付いた。それに限らず、色んな憧れの駄菓子が買い放題だ。
しかしスーパーで高校生一人が大量に買うのになんだか異常な気恥ずかしさがあった。店員は気にしないだろうが、おれは気にする。
「いや差し入れですけど?」とか「弟に頼まれただけですけど?」的な顔つきで自分を騙そうとしても無理だった。方々で少数を買い集めるにしても、単品で買うのは気恥ずかしい。さりとて月5000円の小遣いじゃダミーの品を買う金も惜しい。
通販で買うにしても、あの手のものは大体マケプレ出品なのでコンビニ受け取りも出来なかった。
駄菓子ドカ食いは大学入学に持ち越され、一人暮らしを始めて真っ先にした事はそれだった。
とにかく食いまくった。毎日食った。
今や貼りたい場所もない転写シールの処遇に迷いながら、ハイチュウグレープ味と寸分違わぬ味である事に気付いたりしながら食いまくった。
食材を買うのが億劫な時はチューイングキャンディで餓えを凌いだりもした。腹持ちは非常に悪かった。
他の駄菓子も同じく食いまくった。
一切の妥協なく欲を満たすという体験は人生でこれが初めてだったかもしれない。
ゲームもしまくった。一月で500時間くらいMGSVTPPをやってた。今までは指を咥えてプレイ動画観るだけだったり、コソコソと携帯機で古い作品をやってばかりだっのが、今は自分の手でシリーズ最新作をプレイしている。まあ当時は発売からもう結構経ってたけど。
憧れてたマーチンも買った。靴擦れすらも喜ばしかった。嘘。でも絆創膏だらけの足をブーツで包んで涼しい顔しながらほっつき歩くのは気分が良かった。
ギターも買った。デカくて部屋に置いとけば目立つギターを。黙って買えばグチグチ言われるのが明白だし、かと言ってなんで小遣いでモノ買うのに一報入れなアカンねんという悔しさもあって買えなかったギターを。
バイト代もあるし、今まで誤魔化し続けてきた欲望とがっぷり四つで向き合った。
そんな生活の中で、自分の欲望はやはりドクダミのようにガンコである事に気が付いた。
十分食べたな、もうこれ以上はいいかな。というラインで止めてしまったらダメだ。
それは短期的に言えば「満足」のようにも思えるが、より大きなスパンで言えば到底満足とは言えない。また何かの拍子に同じ欲望が再来して自分を苦しめてくる。
これ以上食べたくない、もう嫌だ、二度と見たくない、というレベルまで行く。欲を食べ尽くさなければ満足とは言えない。
それまでは本当に欲望に悩まされてきた。
ふとした拍子に湧いてくる欲望は、最初は楽しげな期待をもたらしてくれる。しかし満たされなければ次第に苛立ちへと変わっていく。
適宜満たしてやっても良いが、そんな欲を抱え過ぎていては疲れる。時々「飽き」て殲滅した方が良い。
満足な生き方という観点において欲望、即ち「好き」を減らしていくのは持続可能性において問題があるのではないか。なんて懸念もあったけれど、情報過多の社会では杞憂だったみたいだ。割と定期的に新たな欲は芽生える。適度に「飽き」て剪定してやれば良い。
シンプルに欲との付き合い方が下手なのかもしれない。でもこういう生き方があったっていい。ファッキンブッダ。
こんなに苦しい思いをするのなら恋しなければ良かった、的なJ-POPに近い。
いやそれよりも浮気症の人間が悔いの残らないほどに激しい恋をして、また別の出会いを求めるという恋愛依存症めいた話かもしれない。
でも鶏皮だけはいくらもう飽きたと思うまで食っても、また食べたいという思いが不死鳥のように蘇ってくる。心の底から好きなんだと思う。
と思ったけど、採用の経緯聞いてアウト
感情移入出来ないので「私達の侍、私達の目となる存在を、探していた」(ファミ通インタビュー記事より:サイレント削除、魚拓やスクショで証拠あり)
弥助が侍かどうかの議論はもうどうでも良いんだよ。
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信長が人身売買してたポルトガルから、奴隷の弥助を解放したのでは無く、
弥助はエリート傭兵でパートナーとして日本にやってきて信長に雇われ、たった15ヶ月で重臣になり、本能寺の変では代々仕えてきた森蘭丸を差し置いて、信長の首と刀を託されたストーリー。
日本での史実では、その後弥助は獣扱いされて見逃されているが…
海外では弥助が元奴隷、という認識が無いので、日本人の常識を話した時点でレイシスト扱いされてる。
実際、UBIソフトの社長は日本人をレイシストと呼び、その発言は現在でも撤回されていない。
ゲームの話では無いよ?ゲーム関連の話題だから勘違いしちゃった?
未だに「弥助は侍なのか?侍じゃないのか?」と定義のないものを国内で議論して言葉遊びしているが、
弥助が侍であったかどうかは、もうどうでもいい。
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慣れてる人には普通のゴア描写だけど、個人的にはめっちゃ不愉快だった。
首を跳ね飛ばすシーンとかね。
黒人が日本人を殺して回る動画みて不快感を感じるのは、差別意識かもしれないけど。
感じるものは感じるわ。
日本人が日本人殺すのはええんか?と言われそうだけど、感情はね。
動画みたら分かるよ。
https://youtu.be/n4eNqdf2HZw?si=2ZlDRQYqmZRyEV-d
分からないのはケツの穴まで黒人ちんぽに堀り抜かれたリベラルだけだね。
あと、何度も言われてるけど、歴代のゲームが現地の架空の人間が主人公だったのに、
まぁゲームだから善政を敷いてた明智を悪党にして配下の武将を殺し回るのは別に良いけど。俺は差別意識あるからさ。
日本に来て数ヶ月の黒人が福知山で偉そうに正義ぶって日本人殺してたら不愉快にはなるよ。絵面みてもね。
トートロジーでは、
表現の自由戦士は弥助擁護しろ!ってのが左翼の言い分なんだけど、だから左翼はバカだって言われるんだよ。
さんざん左翼の言い分でゲームを規制しようとしてきた流れがあって、そこに不快なゲームが出てきたら
「お前ら、これは素晴らしいゲームだ。黒人が日本人を殺し回ってもフィクションだしなんの問題も無いだろ」って左翼に言われたら
って。
で、外人はこのゲームして、圧政から黒人侍弥助が「日本人を救う」ストーリーを楽しむわけだ。
日本人が盛んに奴隷売買していたという、トーマスロック・リー歴史観に基くゲームだからね。
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『日本には黒人奴隷なんて居なかった』って日本人なら普通に信じ込んでいる常識だけど、
東京国立博物館のアンバサダーで菅総理のブレーンだったデービッドアトキンソン氏が、一般人に「エビデンスは?」って絡みに行くくらい
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だから世界的大ヒットドラマSHOGUNに黒人が1人も出ていなかった事について、クレームが寄せられた。本当の話だよ?
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ネトウヨが頑張って発信するけど、もちろん反論する日本人はレイシストか、bot呼ばわり。
本当の日本人は「礼儀正しく謙虚」だから過去の罪は認めてるし、過去に黒人奴隷売買をしていたとしても、今はしてないんだから良いじゃないか、という扱いをされてる。
アメリカとかヨーロッパも黒人奴隷を使ってたのに日本人だけを責めるな、って位置にいる。
左翼の言うところの、世界に恥を晒している日本人ゲーマーの活動はそんなに恥ずかしい?
いや、居てももう無理かもね。
redditでは弥助は侍である、という事で運営からは議論すら禁止されたけどね。
弥助は侍で確定だよ。
日本ではまだ議論が許されてるけど。海外では(redditでは)確定。モデレーターが次話題にしたら荒らしとみなしてBANするって。
実際「日本人は自国の歴史を知らない」と欧米人どころか中国人にまで言われるよ。
日本人は驚くほど自国の歴史を知りません、と。外人に日本の歴史を学ばされる。
だからアトキンソン氏も一般人を「啓蒙してやろう」と絡んで行ったんだよね。
と。
今のところ一番科学的背景もしっかり書かれていて参考になる記事
なぜ彼女たちの女子カテゴリーへの出場資格が問題になっているのか?
国際ボクシング協会(IBA)は7月31日に声明を発表し、「認められた」テストにより、ケリフと林が女子競技の資格基準を満たしていないことが証明されたと説明した。IBAによれば、これはテストステロン検査ではなく、遺伝子検査のことだという。
2023年3月24日、IBAは林玉婷選手とイマーヌ・ケリフ選手をIBA女子世界ボクシング選手権ニューデリー2023から失格とした。この失格処分は、IBA規則に定められた女子大会への参加資格を満たしていなかったことによるものである。綿密な審査の結果下されたこの決定は、競技の公正さと最大限の完全性を維持するために極めて重要かつ必要なものであった。
注目すべき点は、選手たちはテストステロン検査を受けたわけではなく、別途認められた検査を受けたことである。この検査は、両選手が必要な資格基準を満たしておらず、他の女子競技者よりも競技上の優位性があることを決定的に示すものであった。
2023年3月24日にIBAが下した決定は、その後2023年3月25日にIBA理事会によって批准された。この決定の公式記録は、IBAのウェブサイトからアクセスできる。
失格処分は、両選手に対して行われた以下の2つの検査に基づいている:
林玉婷はIBAの決定をスポーツ仲裁裁判所(CAS)に上訴しなかった。イマネ・ケリフは当初CASに上訴していたが、途中で上訴を取り下げたため、IBAの決定には法的拘束力がある。
IBAの関係者は別途、両選手がXY染色体を持ち、テストステロン("高T")レベルが高いことを付け加えている。
「高T」とは、女性カテゴリーに属するアスリートについて語るときに、女性の範囲を逸脱したテストステロン値を表現する方法のひとつである。すぐ下の図1からわかるように、男性と女性のTレベルは13歳くらいで分岐します。下の図1と図2の両方から、思春期初期以降は男性と女性のTレベルに重なりがないことが明らかである。ドーピングと男性であることは、成人アスリートが "高T "である可能性のある2つの方法である。
5-ARDおよびPAISのアスリートは、XY染色体補体を持っており、精巣があり、精巣は正常な女性の範囲外のテストステロンを産生し、アンドロゲン受容体はその「高T」を読み取り、処理する。その後、彼らの循環Tレベルは、通常のパフォーマンス向上効果を持ち続けます。
言い換えれば、5-ARDのアスリートとトランス女性および性的に標準的な男性・女性を比較した以下の図3に示すように、男性標準からの変化(外性器の未発達など)は競技パフォーマンスには無関係である。彼女たちが女性の競技に参加するときは、男性の優位性を発揮する。
ひとつは、IOCが信頼性に欠けると主張するIBAのもので、ケリフとリンにはDSDがあり、不適格であるというものだ。つまり、IBAまたはその代表者は、彼らが男性優位の遺伝的男性であると言っている。後者は一般的に、彼らのTが生物学的に利用可能であることを意味し、アンドロゲン不感症ではないことを意味する。
もうひとつは、ソーシャルメディアや一部の報道でトレンドになっている、ケリフとリンはXX染色体、卵巣、すべてにおいて完全に女性であるという、根拠もないコメントである。選手たちの表現型が男性的であるという点は認めるが、多くの女性(彼らはトランス女性を含むと広義に読む傾向がある)が男性的な表現型を持っており、これはその前提を受け入れるだけの問題だと言う人もいる。
3つ目は、IOCの高度に暗号化された声明を注意深く解析すると、IOCの現在の立場であるように思われる。ケリフとリンには男性優位のXY DSDがあるかもしれないが、彼らは生まれたときに女性として識別され、現在もそのように識別され続けているため、女性なのだ。
IOCはここ数日、ケリフとリンへの攻撃を嘆くことに多くの時間を費やしている。本当にひどいことだ。しかし、この不安定な状況は、ほとんどIOC自身が作り出したものだ。スポーツにおけるセックスとジェンダーとの複雑な関係を考えれば、予想されたことではあるが、どうしようもなく複雑なメッセージを送っている。
IOCは6月、大会における選手の表現に性別に基づく表現を使用することを禁止し、女性であることを自認する性別多様性XYアスリートの扱いを明確にするよう求める言語ガイドを発表した。
この言語ガイドは、2021年にIOCがとった、性別が多様なXYアスリートは、男性であるという理由だけで、アリーナで男性優位とみなされるべきではなく、男性のTレベルは、最高の男性と最高の女性の間のパフォーマンスギャップの主な原動力として、科学的によく理解されている役割にもかかわらず、失格とされるべきではないという立場から導かれたものである。
このアイデアは、キャスター・セメンヤやリア・トーマスのようなXYのアスリートに関する論争を、関連する生物学と、それについて話すために私たちが使う言葉を消すことによって、女性カテゴリーから消し去ることだった。
もちろん、IBAがケリフとリンを女性カテゴリーに入れたことをIOCに指摘した時点で、IOCはこのまま逃げ切るつもりはなかった。しかし、IOCは事前に自らの手を縛っていたのである。そのため、IOCの広報担当者の口から語られたことの多くは、「内部事情」と「手品」の組み合わせであると私は思う。
それでも、『Inside the Games』のアレックス・オラー氏による8月2日付の優れた記事は、この質問に対する2つのXY DSDバージョンの答えのうち、どちらかを選んでいる知識豊富な記者たちが間違っていない可能性が高いことを物語っている。Oller氏のレポート全文(およびInside the Games全般)を読むことをお勧めするが、要約すると次のようになる:
形式的には、IOCはケリフとリンのパスポートに記載されている性別を採用している。これはIOCの現在の性別テストと考えることができ、法的な性別を性別および/または女性カテゴリーの資格の代理として使用している。
IOCはまた、ケリフとリンのパスポートに記載されているものが性別と一致していないことを示すものは何も見ていないと述べている。もちろん、IBAの声明はそうではないと述べているが、IOCは、IBAの声明が「恣意的」な手続きによって得られたものであるため、IBAの声明は信用できないとしている。
同時にIOCは、木曜日にケリフが初優勝した後、自らのウェブサイトから、少なくともケリフは-林もそうでないにせよ-T値が高いという表記を削除したことを認めている。その説明のために、T値は関係ない、女性でもT値が高い選手はたくさんいる、と一部で述べている。
T値が高い女性アスリート(多嚢胞性卵巣を持つアスリートを含む)は、T値が女性の範囲外でもなく、男性の範囲内でもなく、女性の範囲の上部にある。彼らの性別は疑わしいものではない。上で説明したように、女性のカテゴリーで競技しようとするアスリートの「高T」は、国際的なスポーツでは、外因性アンドロゲンによるドーピングか、生物学的に利用可能な内因性アンドロゲンによる男性であることを意味する。ケリフもリンもドーピングをしているという事実はない。
余談だが、多くの連盟やIOCが長年にわたってTを性差の代用として使ってきたのは、それが優れたものだからである。法的な性別よりも生物学的な性別を求めるのであれば、パスポートよりも正確であることは間違いない。
IOCはまた、実用的かつ無差別的に正しく判定する方法がないこと、そして科学的にケリフと林が女性であるというコンセンサスが得られていることから、性別判定を断念したと述べている。
ここでのIOCの発言を整合させることは、内部の人間であっても不可能である。専門家に選手のファイルを見させたのか、そうでないのか。もしそうでなければ、科学的なコンセンサスを得ることはできない。
オリンピック・ムーブメントの政治は、少なくとも2つの点で、この物語に大きな影響を与えている。
その第一は、IOCとIBAの戦いである。IBAは偶然にも、ドーピングやウクライナ戦争に対するIOCの姿勢に敵意を抱いている。
もうひとつは、IOCがトランス権利擁護派と協調し、性差に基づく女性カテゴリーを擁護する人々に反対するという政策的選択をしたことだ。ここでIOCはIBAだけでなく、世界陸上や世界水泳といったオリンピックムーブメントで最も重要な連盟とも対立している。IOCとは異なり、これらの連盟は、女性アスリートのための公正さと女性カテゴリーの維持を優先することを決定している。
確認してみたよ。
まず前提として、このポッドキャストはHistory HitがUbisoftとコラボしたものなんだよね。
情報発信の主体はHistory HitであってUbisoftではない。
アサクリに関連するさまざまな歴史をゲストと共に学んでいこう、という番組なんだ。
その弥助の回のゲストとしてトーマス・ロックリーが呼ばれているわけだけど。
もちろん「ロックリーがアサクリの開発に協力しました」とか「Ubisoftがロックリーの著作を参考にしてます」なんて話は出てきていない。
ちなみにこのポッドキャストのなかでロックリーは「弥助が侍だったかどうかは議論がある」と繰り返し語っているのでだいぶ慎重な論調だね。
オレオレFCはアウェイで野木FCに2-1で勝利し、親善試合の第1戦を勝利で飾った。前半13分にFWトーマス・ノレジーのゴールで幸先よく先制したが、同30分に野木FCのMF井上にゴールを決められ、同点に追いつかれる。それでも、後半アディショナルタイムに途中出場のDF大野のゴールで勝ち越して、勝利した。
劇的ゴールが決まった瞬間、オレオレFCのサポーターとベンチは歓喜に沸いた。そして、試合終了後にはイレブンは大盛り上がりし、勝利を分かち合った。野河田監督は「最高の試合やね。親善試合とはいえ今季ベストゲームだと思うよ。まさに強いチームの勝ち方やんか」と嬉しそうに話した。
前半13分にFWトーマス・ノレジーが一瞬で裏に抜け出して先制点を決めた。しかし、同32分にCKからMF井上に同点ゴールを決められ、前半は1-1で折り返した。後半開始早々、相手DFがペナルティエリア手前でFW森永を倒すとこれがDOGSOと判定され、数的有利に。その後、野木FCがFW山下やMF与田といった強力攻撃陣を投入してきた中、体を張って凌ぐと後半中盤からは数的有利を活かして主導権を握る。後半アディショナルタイムに途中出場のDF大野がクロスのこぼれ球を拾って強烈なミドルシュートを決めて勝ち越し。このままリードを守り切って、勝利した。
貴重な決勝ゴールを決めたDF大野は「今までリーグ戦で自分の実力不足で失点して勝ち点を落とした試合もあったので責任を感じていた。今日、決めたシュートはずっと忘れることはないと思う。やっとチームの勝利に貢献出来て嬉しい」と話した。親善試合の第2戦は26日にホームで開催される。
〇FWトーマス・ノレジー(先制点を決めて勝利に貢献)「今日は結果を残せてよかった。リーグ戦でもっと出場機会がもらえるようにアピールし続けたい」
〇今野監督(野木FC監督)「オレオレFCは優勝争いをしてないのが不思議なくらい強いチームだと感じた。第2戦では勝利したい」
マリーアントワネットの首が歌うシーンが興味深かったから、意図をしりたくて、いろいろ読んだ。
具体的に言及はされていなかったから、はっきりとはわからなかったが、インタビューはどれも面白かった。
id:hazlittさんが教えてくれた、ラジオ番組からいろいろ読み始めた。
増田はフランス語は多少わかるが、わからないところは、DeepL先生に頼っているため、正確性は保証できない。
ホスト:昨日私たちは、コンシェルジュリーにおいて、革命の中、斬首されたマリーアントワネットがゴジラ(というパンクバンド)とマリナ・ヴィオッティと歌うというシーンを見ました。このシークエンスは、いったいどのような意図で書かれたのですか、ダミアン。
ダミアン・ガブリアック(監督):まず私は一人で書いたのではありません。すべてみんな(4人の中心人物)で書きました。そして理由は極めてシンプルです。私たちは、選手が進むルートに沿ってシークエンスを進めていくことにしていました。そして、ここではコンシェルジュリーです。マリー・アントワネットが斬首の前に幽閉されていた場所です。我々は自分たちに、これについては言及せざるを得ない、と言い聞かせました。ここで起きた歴史的なイベントは世界中が知っています。私たちはそこにエネルギッシュであることを求めました。だからゴジラです。そして、斬首されたマリーアントワネット、その両方。私たちは顔を突き合わせ、私たちが価値を見出していた(後述する)ロンドンのエリザベス女王とジェームスボンドを改めて思い起こしました。これだ、これだ、と。
パトリック・ブシュロン:そうですね、まず私たちがやった、みたものは、完全に、楽しく、集合的であったと考えています。そしてそれは全く同じく、議論するつもりがないことです、正確に。議論するつもりはないのです。私たちが見たものはまさに、さきほど述べられた通り、似ているのです。この多様性の物語、これが私たちのあり方だと、私たちが、大胆に主張している、複雑さと。それらは、あの歴史的なモニュメント(コンシェルジェリー)と、その美しさ、威圧的であることを望まない美しさ、私たちを勇気づける過去と一緒に示されました。私たちは誇りを回復しました、国家はアイデンティティではなく、あくまで政治的プロジェクトなのだ、という誇りを回復しました。私はそれらを若者に見せることができてとてもうれしいです。私の娘もコースでそれを見ました。あの悲痛なものを見たのです。それこそが全てです。シンプルです。私たちは、わずか数分の間にバスティーユを奪還したのです。
(中略)
ホスト:ダミアン、実際にこのセレモニーは、世代間的でもありましたね、だれにとっても自分事であるような感覚、ミュージカルレベルでもそうですし、サウンドトラックはすばらしかった。ダリダもあったし、クラシックもあった。とてもエモーショナルでした。とても美しかった。そして、話を変えるが、橋の上でのクィアたちとの最後の晩餐。かれらと一緒に生きているというシーンでしたね?ダミアン。
ダミアン:その通り。クィアはいた。でも付け加えるなら、フランスのすべてがあった。背が高い、低い、太っている、痩せている、黒人、白人、アラブ人、みんな違う衣装で、同じプレイリストを踊ったんだ。グアドループ(カリブ海)の音楽、オーヴェルニュの音楽、ヨーロッパの音楽を、同じ時にね。
トーマス・ジョリー監督に選ばれたパトリック・ブシュロンは、このセレモニーに寄せられる期待や懸念さえも承知の上で、「私たちに似た」物語を望むと改めて表明した。 「私たちはバカバカしいことや傲慢にならないように努めます。それをやったら、とんでもなく長い道のりになってしまうよ」と冗談を言う。
(中略)
「最初のシーンには、『エミリーパリへ行く』シリーズを観たアメリカ人などが期待する、パリで見られるものをすべて詰め込みました。きっと反応は「ありきたりなだな」だろうけど、それは違う。少し忍耐が必要です。所要時間は 3 時間 45 分です。紆余曲折があるでしょう。次に、これらのイメージは正反対の方向に進み、スノードームが転がるように、私たちはエッフェル塔(私たちが期待しているもの)を目にするでしょう 。私たちはすべてを揺るがすでしょう。違うものが出てきますよ。 」
(中略)
共同執筆者たちは、過去の開会セレモニーを研究しました。そして、アテネの謙虚さと、ロンドンの自虐性を継承することとし、北京の誇張されたナショナリズムを拒否することにしたのです。
「ディベートの仕方を知っている国に生きることはとても大きなアドバンテージです。おそらく、(この国に暮らす)外国人たちが我々にもたらしている、楽しい面のカオス、それには多くの憤りと尊敬が同居していますが、私たちはそれを見せなければならないのです。」
開会セレモニーの原点は、セーヌ川の流れとともに進む、という点である。
「私たちが見せる、このゆっくりとした流れるイメージ、この空想上のパレードは、パリが示すべき力の中にあります。このステージは軍隊のデモンストレーションパレードではないのです。フランスはもはやー私は全く望んでいませんがー世界に対して、我々の歴史について講釈を垂れるような立場ではないのです。私たちは、持っているもの、信じているものでやるしかないのです。我々が込めたメッセージはシンプルです。言葉で、あるいは映像で、伝わればうれしいですが、そうです、それは、”すべてがある、それでも私たちは一緒に生きていける”ということです。」
パリの歴史から離れて、歴史家は、パリジャンの通勤のあり方についても、言葉を用いずに示すつもりだといいます。
「英雄的物語の反対にあるもの」を語る、というこの歴史家が大量のインクを費やしてきたフレーズにおいて、彼は、その立場を明らかにした。「私たちはしゃべりすぎです』と彼は笑う。宣言も挑発もない。オリンピックゲームは、包括性、平等性、多様性という価値観に基づいています。セレモニーはそうでなければならない。私は歴史家だから、ナポレオンの話をしなければならないなら、どうすればいいか知っているし、そうするつもりです!しかし、それだけではありません。絵画(Tableau)ではより完全なものになります。私たちは何も削除していないのです。追加しているんです。セレモニーは軍事パレードではないが、謙虚でないのに謙虚なふりをするつもりはない。その一方で、私たちは互いの違いに連帯感を示すことができる。誰もが楽しめるものになるでしょう。」
少し考えた後、彼はこう付け加えた。
「私に、世界(の見たくないもの)に対して目をつむることを期待しないでください。パリに世界を迎えるのであれば、ありのままの世界、ドラマなども含めて歓迎します。オリンピックは原義的に政治的なものですから、政治的なものを排除するということはありえません。しかし世界の最も公正な感覚の中にあってほしいとのぞみます。」
彼は微笑みながら、「こんなに複雑なものに参加することになるとは思ってもみなかった」と話した。
(増田はルモンドやリベラシオンに課金はしていないので、まとめ記事が助かった)
(略)
ジョリーと4人の作家が2022年末に共同の冒険を始めたとき、ルートはすでに決められていました。
東のアウステルリッツ駅から始まり、ノートルダム大聖堂、マリー・アントワネットが投獄されたコンシェルジュリー、ルーブル美術館、 ガラスのドームが特徴のグラン・パレなど中世の遺跡を通り過ぎ、エッフェル塔のふもとで終わります。
「私たちはダウンジャケットを着て、アウステルリッツ橋からエッフェル塔 までボートで川を上下しました」とジョリーはル・モンドに語った。
「私たちはパリの歴史の一部であるあらゆるものを見ました。通り、記念碑、広場、彫像。文学的な書簡、映画、ミュージカルも調べました。」
彼らは何度もブレインストーミングした後、約9か月間秘密裏に執筆を続けた。
フランスのカルト映画「アメリ」やアメリカのネットフリックスシリーズ「エミリーパリへ行く」の夢のようなパリに引き込まれることを警戒し、 彼らは「常套句やアメリカ流のフランス解釈についても、茶化さずに扱わなければならない」とわかっていたとジョリーは語った。
彼らはショーを12の絵画(セーヌ川沿い、セーヌ川の上、さらにはセーヌ川から出る)に分割し、約90隻の船に乗ったアスリートのパレードと掛け合わせた。
3,000人を超えるダンサーや俳優が岸壁や橋の上でパフォーマンスを披露し、それぞれの絵画は、パリのシンボルと、過去と現在の両方について呼び起こすものを描いており、世界をパリの歴史と建築の旅へと誘う。
例えば、ノートルダム大聖堂は、ゴシック様式の記念碑であり、19世紀の作家ヴィクトル・ユゴーとのつながりであると同時に、猛烈な地獄でもあるなど、人によってさまざまな意味を持っています。
「世界が最後にテレビでノートルダム大聖堂を見たのは、火災のときでした」とブシュロン氏は言う。「誇りと壮大さの物語だけではなく、感動の、再建の物語でもあるのです。私たちが演じたかったのは、どんな困難にも負けずに共に生きていこうとする粘り強く創造的な意志の物語です。」
自らを「現代を愛する歴史家」と称するブシュロン氏は、式典はできるだけ多くの人々に語りかけるものでなければならなかったと語る。
「パーティーを開いてお気に入りのプレイリストをかけるのとは違います。世界からフランスへ、そしてフランスから世界へ語りかけるものでなければなりません。私たちはただ、人々が共感できるように、当時の状況を描写しようとしただけです。」
(略)
エマニュエル・マクロン大統領は、セレモニーでは1789年のフランス革命から1948年の世界人権宣言まで、「解放と自由の偉大な物語」を提供すると述べた。
セレモニーの詳細は秘密のベールに包まれているが、フランスの価値観が何らかの形で讃えられると推測されている。フランス系モロッコ人の小説家であるレイラ・スリマニは、パリが集合的であろうとする努力に価値を置いていることーそして力を合わせることで考えられないようなものを生み出せるーを高く評価している、とル・モンド紙に語っている。
4人の作家は、自分たちの物語に寛大な精神を持たせたかったという。
「喜び、模倣、動き、興奮、輝きがなければならない。フランスが時に自信過剰に見せたがる伝統的、哲学的、価値観だけでなくね。」
(略)
一方、昨年9月にパリで開催されたラグビーワールドカップの開会式は、「反例となった」とブシュロンは言う。
『アーティスト』のオスカー俳優ジャン・デュジャルダンが、ベレー帽にバゲットという出立ちで、1950年代のフランスの村々を再現した模型を自転車で巡り、ミルク絞りの女性やダンサーに手を振るというこのショーは、多くの批評家から、時代遅れの陳腐なフランス表現だと非難された。そして、非常に内向きなフランスだった。
「ただの古臭い過去のイメージや、現在の単純な賞賛ではないものでなければならない。歴史は揺らいでいるもので、国家はアイデンティティではなく、政治的プロジェクトであることを忘れてはならない。だから未来を語るのです。だから、私たちはセーヌ川を大旅行し、みんなを巻き込もうとしています。」
ブシュロンは、最も感動的なショーとして、ジャン=ポール・グードによる壮大な舞台美術を伴った、1989年のフランス革命200周年記念式典を挙げている。
当時20歳だったブシュロンは、それを見て歴史家になろうと決意した。
「それは歴史を痛感した瞬間でした。1989年、ソ連、中国(天安門広場の抗議活動)など、世界では多くの出来事が起こっていました。当時、私たちは多文化フランスと呼ばれていたものの価値を声高に明確に宣言することができました。それはより困難になり、ある種の幻滅感もありますが、私たちは怯んではなりません。」
数週間前、フランスでは議会選挙後に極右政党「国民連合」が政権を握るかもしれないという懸念が真剣にあった。その場合、ショーは「ある種の抵抗のセレモニーに変貌していただろう」とジョリー氏は語った。
結局、マリーヌ・ル・ペン氏の党は好成績を収めたが、セレモニーの書き直しを必要とするほどではなかった。
「私たちは、切実に、いたるところで起こっている暴力から離れて、平和の瞬間、止められた瞬間を共有することを必要としています」とスリマニは言った。
「私は本当に、7月26日にみんなが流れに身を任せてくれることを願っています。私たちの中の子供の部分、発見する楽しみを思い出してほしいです。今では本当に珍しいものになってしまいました」
と思っていたけど、セーヌ川、コンシェルジュリーが先にあることがわかった。ルイ16世でない理由もそこにある。またマリーがサン・キュロット版のア・サ・イラをうたい上げた後に上がった数多くの血しぶきは、その後のコンシェルジュリーで数多く処刑された人々のものであろうとも思う。なぜなら、マリーはすでに断頭済みだから。そして、ガブリアック氏、ブシュロン氏のコメントから、別に完全に誇っているわけでもないこともわかりました。やるしかねぇな、と言っているのですから。またブシェロン氏はdéchirer(悲痛な、引き裂かれる痛み)という言葉を使って、あそこで起きたことを示しており、歴史家である彼は当然革命期のその後の悲劇を知っているわけですから。それでもなお、彼は「バスティーユを奪還した」といい、国家は終わるもので、政治的プロジェクトに過ぎないのだ、ということを「誇って」いるという点が印象的でした。右派が怒ることなども承知の上でしょう、なにしろ、「ディベートの仕方を知っている国に生きている」のですからね。
開会式全体に込められたメッセージから判断すると、別にキリスト教を揶揄はしていないんでしょうね。挑発はしているかもしれませんが。クィアは存在する(キリスト教がないものとみなしている)ということを目ぇ開いてしっかり見ろ、ということが言いたいのでしょうから。真正面からね。
要は、暴力やクィアなど、みたくない、特にオリンピックにおいて、というものも当然パリは包摂してるぜ、外国人問題とかもカオスだけど、でもちゃんと一緒に生きてるんだぜっていうメッセージと受け取ったね。論争が起きるのとか、まさに狙い通りでしかないんじゃないですかね。
たぶん元増田的には「保守の人たちがデマを拡散している」っていう記事を書く奴のことが気に入らなかったのよ
ジョークを真に受けてしまい安倍晋三が神格化されていく残念な様相 - 電脳塵芥
https://nou-yunyun.hatenablog.com/entry/2024/07/15/040000
『戦国大名・織田信長に仕えた黒人男性「弥助」と、弥助について書いたトーマス・ロックリー(日本大学法学部准教授)の書籍『信長と弥助 本能寺を生き延びた黒人侍』(太田出版、2017年)が話題を集めています。トーマス・ロックリー氏の同著に、戦国時代の日本において「地元の名士のあいだでは、キリスト教徒だろうとなかろうと、権威の象徴としてアフリカ人奴隷を使うという流行が始まったようだ」という記述があり「それは事実とは異なる」「日本が黒人奴隷を生んだというデマが世界に広まってしまうのでは」と非難・懸念されているのです。』
https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/00b9dff9cd6151ac3d61c0460481db6a9e83d92d
が広がっていることが問題だと思ったので記事を書いた、というだけのことだぞ。
ロックリーが『信長と弥助』で地元の名士のあいだでアフリカ人奴隷を使うことが流行したと書いたことを増田が問題だと思っているなら、遠慮なくロックリーを批判して良いんだぞ。電脳藻屑がその論点を隠したわけでもないし、なんなら記事でその点ちゃんと書いているんだから、増田が文句をつけるのはおかしい。
むしろ、ロックリーの主張についてデマを拡散している連中の勢いが弱ったあとの方が、ロックリーの実際の主張に対する批判が広く届く余地が生まれるだろ。
増田の本当の敵は「長崎奉行が黒人を使っていた記録があるから、ロックリーの記載には一応根拠がある」みたいな主張をしているやつらだぞ。そいつらに喧嘩を売ってこい。
『戦国大名・織田信長に仕えた黒人男性「弥助」と、弥助について書いたトーマス・ロックリー(日本大学法学部准教授)の書籍『信長と弥助 本能寺を生き延びた黒人侍』(太田出版、2017年)が話題を集めています。トーマス・ロックリー氏の同著に、戦国時代の日本において「地元の名士のあいだでは、キリスト教徒だろうとなかろうと、権威の象徴としてアフリカ人奴隷を使うという流行が始まったようだ」という記述があり「それは事実とは異なる」「日本が黒人奴隷を生んだというデマが世界に広まってしまうのでは」と非難・懸念されているのです。』
https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/00b9dff9cd6151ac3d61c0460481db6a9e83d92d
「トーマス・ロックリーによって『黒人奴隷は日本発祥』というデマが広がっている」というデマ - 電脳塵芥
って話がバズってるけどさ
問題は、地元の名士のあいだでアフリカ人奴隷を使うことが流行したってことを言ってる学者がいることであってさ
『黒人奴隷は日本発祥』なんてのは、問題を大きく見せて注目集めたいやつの自己顕示欲モリモリの戯言に過ぎない
極端なことを言ってるやつをピックアップしてきて、問題点から目を逸らそうとしてくるのおかしない?
これよくあるんだよ
慰安婦はいなかったとか、南京大虐殺はなかったとかいう極端な意見を拾って来て、保守は歴史修正しようとしてるみたいなこと言い出すやつ
慰安婦はいたけど韓国側が主張するような存在ではない、中国が主張するような南京大虐殺はなかったんじゃないか
アサクリの弥助・黒人奴隷と、そこから派生したロックリー・岡美穂子両氏の言説の元ネタっぽいものを見つけたので要約しておく。
○著者:David Wright
○題名:The Use of Race and Racial Perceptions among Asians and Blacks: The Case of the Japanese and African Ameridans
○出典:1998年、一橋大学社会学ジャーナル(https://hermes-ir.lib.hit-u.ac.jp/hermes/ir/re/8321/)
・16世紀半ばから、ポルトガル人の奴隷等としてかなりの数の黒人が日本を訪れていた。
・日本人は彼らに好意的で、彼らは尊敬の対象だった。特に弥助という者について、信長は厚遇した。
・ポルトガル人が頻繁に黒人奴隷を献上するので、日本人も彼らを見下すようになり、明治維新の頃にはその見方が定着していた。
・というか白人との接触前から日本では白い肌が美しいと言われてたけどね。(その割にはお歯黒は何故?)
・一方で、肌の黒い聖人もいたことから黒い肌に対する欧米のような差別感情は持ってなかった。オランダから入れ知恵されてたのに不思議だね。
(以下開国時の話が続く)
この、「日本人は彼らを尊敬していた」「肌の黒い聖者もいた」が、ロックリー・岡美穂子両氏による「弥助は神とされた」等に変換されていったのではないだろうか。
なお、知る限り弥助を神とした、または神に近かった、神のようだったなどとする史料は発見されておらず、専門家によるものでは、ロックリー氏や岡美穂子氏が述べているものがすべてのようだ。
特に八幡神は南無八幡大菩薩(那須与一)で有名な武士の神であり、これになぞらえるというのはとてつもない厚遇だし、文献にも残っていると思うのだが何を根拠にされたのだろうか。
信長に関する史料では弥助のビジュアルイメージが「八幡神に近かった」と言われています。あるいは、中国の史料ではアフリカ系の人を「黒鬼」と表記している。ですから、実用的な屈強さを求めただけでなく、そういう人間を自分の近くに置くことで「こんなに強いヤツを従えているんだ」という格付けに役立つと考えた、イメージ戦略の部分もあったと思います。
弥助もそもそもアフリカ大陸内の部族間闘争で生け捕りにされ、外国人に売られたといわれます。
(略)
ロックリー・トーマス氏によると、当時の都だった京都の住民と同様、信長は弥助の背丈や体格、肌の色に畏怖の念を抱いたという。
(略)
信長は弥助を「大黒天」ではないかと考えた。大黒天は豊穣(ほうじょう)の神で、寺院では通常、黒い像によって表現されている。信長は弥助の肌の色は墨によるものだろうと思い、こすり落とそうとした。本当に黒人だと納得すると、直ちに宴会を開いて敬意を表したという。
→通常の中国語ではその通りで、日本語に訳すと「黒い幽霊」といった意味合いになる。
あとは道教では鬼というのは死後の世界の人に該当するもので、鬼世界があって普通に鬼が暮らしていて鬼の役人がいたりもする。
いずれにしても中国語の「鬼」には日本のように「強い」「屈強な」という意味はない。(例えば「悪党(中世)」・「悪源太(源義平)」・「悪太郎(堀内恒夫)」という使い方はしない)。
なので、岡美穂子氏が「屈強な黒人」「神格化」という意味で取り上げたのは、解釈の誤りのように思う。御本人の説明を求めたいところだが。
ただ中国史については良く分からないので、昔はそういう使い方をしていたというのであれば補足よろしく。
→弥助はモザンビーク出身って記述があるんだけど、前半生は全くの不明で、岡美穂子氏が「部族間闘争の結果生け捕りになった」とした根拠は不明。
当時のモザンビークってインド人も大勢住み着いてるので、インド人とか混血の可能性は十分にある。
『アフリカ人奴隷を使うと言う流行が始まった』と言い出したのは氏が初ではないかも知れないが、
氏が大手ニュースメディアのCNNで語っていた、『信長は弥助を神だと思っていた』『日本で最も有名な外国生まれの武士となった』
『ヤスケの仕事は一族の権力を守ることでした』(信長の首を守護し息子に届ける) の根拠はそれぞれそれなりに気になる
日本人が知らない、少なくとも教科書では習わない事実なので純粋に興味があるよ
African samurai: The enduring legacy of a black warrior in feudal Japan |CNN
When feudal Japan’s most powerful warlord Nobunaga Oda met Yasuke, a black slave-turned-retainer, in 1581, he believed the man was a god.
Oda had never seen an African before. And like the locals in Japan’s then-capital of Kyoto, he was awed by Yasuke’s height, build and skin tone, according to Thomas Lockley, the author of “African Samurai: The True Story of Yasuke, a Legendary Black Warrior in Feudal Japan.”
“When Yasuke got to Kyoto (with Jesuit missionaries), there was a massive riot. People wanted to see him and be in his presence,” says Lockley, who spent nine years researching and writing the book, which was published last month.
Oda believed Yasuke to be either a guardian demon or “Daikokuten,” a god of prosperity usually represented by black statues in temples. He tried to rub the pigment from Yasuke’s skin, believing it was black ink. Once convinced Yasuke was real, he immediately threw a feast in his honor, says Lockley.
1581年、戦国時代日本の最も強力な戦国大名である織田信長が、奴隷から家臣となった黒人のヤスケに出会った時、信長はヤスケを神だと信じました。
「アフリカン・サムライ:戦国時代日本の伝説的黒人武士ヤスケの真実の物語」の著者トーマス・ロックリーによると、信長はそれまでアフリカ人を見たことがありませんでした。そして、当時の都であった京都の地元民と同様に、ヤスケの身長、体格、肌の色に畏敬の念を抱いたそうです。
「ヤスケが(イエズス会宣教師とともに)京都に到着した時、大規模な騒動が起きました。人々はヤスケを見たがり、彼の存在を身近に感じたがりました」と、9年の歳月をかけて研究し執筆した先月出版されたこの本について、ロックリーは語ります。
信長はヤスケを守護の鬼か、通常寺院で黒い像で表される繁栄の神「大黒天」のどちらかだと信じていました。信長はヤスケの肌の色素を擦り取ろうとし、それが黒インクだと考えていました。ヤスケが本物だと確信すると、すぐに彼の名誉を称える宴を開いたとロックリーは述べています。
https://edition.cnn.com/2019/05/19/asia/black-samurai-yasuke-africa-japan-intl/index.html
氏が出演したNHKの番組でも下記のように"侍"と書いてるので根拠はあるのだと思う
Black Samurai 信長に仕えたアフリカン侍・弥助 |NHK BS
織田信長に仕えた黒人侍、弥助(やすけ)。イエズス会の宣教師に同行していた弥助を信長が気に入り、家臣に取り立てたのだという。2人の主従関係は「本能寺の変」によりわずか1年3か月で終わったが、その前後の弥助の足取りはこれまでなぞに包まれてきた。しかし近年の研究により、アフリカからアジア、日本へ到る弥助の人生が次第に明らかに。ハリウッドで映画化も進むなど、今世界中から注目を集める、弥助の生きざまに迫る。
https://www2.nhk.or.jp/archives/movies/?id=D0009051309_00000
なお、『アフリカ人奴隷を使うと言う流行が始まった』という主張の根拠は、
京都国際観光大使で政府の成長戦略会議の委員も勤め、『中小企業であること自体が特権化している』
『子どもがいない専業主婦は脱税と同じ・社会インフラにただ乗りでモラルハザード』などなど
数々のありがたいお言葉を下さる、デービッド・アトキンソン氏によると、(アフリカ人奴隷の流行は)『資料にかなりあるけど』らしいです
日本人が知らない、少なくとも教科書では習わない事実なので純粋に興味がある
https://x.com/sessyun5021/status/1815008190398148816?s=61
ちなみ 群馬県立文書館 のレファレンス事例紹介コーナーによると『くろほう』について下記の回答があるね
問12 群馬県立文書館所蔵の古文書に、黒人と思われる「くろほう」という記述があるとききました。それは事実でしょうか。
栗間家文書(P00101)のNo1「年未詳加藤清正書状」(下川又左衛門ほか宛)には、豊臣秀吉の朝鮮出兵に関連する記述の中で「くろほう」という言葉が出てきます。そして2021年3月30日にNHK BS4Kで放送された「Black Samurai 信長に仕えたアフリカン侍・弥助」の中で、日本大学准教授のロックリー・トーマス氏がこの文書に出てくる「くろほう」こそ、織田信長に仕えた黒人武将弥助の後身ではないかと、述べられています。まず文書館内では、この「くろほう」をこれまで全く黒人として認識しておらず、トーマス氏のご指摘に驚いています。実は、この「くろほう」が弥助かどうかはともかく、黒人と推定する見解は以前からありました(中島楽章氏「16世紀九州末ー東南アジア貿易」『史学雑誌』118-8号ほか)。 ただし現時点では、この文書の1カ所にしか出てこないため、断定は難しいと思われます。例えば、『源氏物語』にも「くろほう」という言葉が出てきますが、これは「黒芳」(練り香)の意味で、日本の古典で頻出しているようです。また、当館文書を読むと、人間ではなく、物を指す記述と見た方が自然ではないか、という意見も係内で出ています。以上より、現時点では「くろほう」を直ちに黒人と即断するのは難しいのではないか、というのが当館古文書係の見解です。