はてなキーワード: 優等生とは
他の人よりも何かに興味が出にくかったり、感情が揺さぶられることがなかったりする。例えで言えば、視界がぼやけてる感じ。だから本もまともに読めなかった。大学の受験勉強によりかなり視界は良くなった。プライドが高いこと、いい子でいたいこと、生存本能は大学受験前は自分にとっても周りにとっても迷惑なものだった時が多かった。悪いやつとして振る舞うにも中途半端で、優等生になろうとしてもなれない。優等生になりたいから勉強しようとしてたけど、アドバイスをもらってもそれをいかせはしなかった。そもそも教科書に書いてあることが頭に残らないということを相談しても先生たちは困るだけだった。本は読んではいたけれど、読めているかは微妙だった。断片的に自分が印象づいたものの身を覚えていた状態で読解力はついていない。自分があまりいい立場でないことをネットで知って、宿題をすることから始まった。
そして今平均くらいの大学にいる。ADHD寄りなんだなと思う。(アスペかもしれない)危機感を覚えるのが早くはなった。だけど不安の方が多い。早いうちに予習するのが難しい。活字になると読んでいくうちにどんな内容かわからなくなってくる。オンデマンドの動画を流しても時間が経つにつれ、頭に入らず時間の無駄じゃんと思う。時間を限れば割といける。個人的に無理のない時間割りを心がけてる。復習はギリギリ間に合いそうだけど、今後どうなるかはわからない。
本人はゲームをクリアする感覚で勉強も人付き合いもこなしているが、どこか虚しい。
そんな少年があるきっかけで絵を描くことに生を感じ、美大を目指す高校生のお話
二期。
スタジオがシルバーリンクから老舗?のOLM(ポケモンとか)に移管。どうなるかなぁ
クソ臭しかしないが設定がちょっと気になる。MAPPA。神撃のバハムートコースかな?
広井王子は無責任に風呂敷広げるのは得意なはずなので(腐っても一世風靡したし)、MAPPAでどうなるか
タイトルでお腹いっぱいだけど脳死で垂れ流せる癒やしにはなりそう
まあ一個くらいはこういうのもね
なろうのタイトルって全部説明するAVみたいだよね。SILVER LINK。
ロボモノあんま好きじゃないから、ピンとこなかったら早期に切る予定
二期。
タイトルからは糞臭しかしないが、一期はここ数年でもトップなくらいの出色の出来だった。
知らなかったけど大場つぐみ&小畑健だそうな。要はデスノ、バクマンコンビ。
見ておく。
ネトフリ独占で一期が終わっていて、遅れて地上波で一期をやるらしい。
ほんとかわからんが評判いいように書いてあるので一話見てみる。
話で人気になった作品。
クソに作りようが無いというか、多分面白いはずだがどうなるか…。
ここ最近、急にオタク関係の諸々を、「あれもこれもそれもどれも統一教会だったんだー、な、なんだってー」みたいな話が増えたけれど
あれ、リベサとしては、どういう効果を狙ってんのかね?
ネトウヨ(右翼)と勝手にラベリングしたうえで、統一教会(朝鮮)をちらつかせれば、きゃつばらは野党に下るに違いない
みたいな感じかね
彼らが完全に頭オカシイのは
オタクは統一教会が絡めばフェミに恭順し萌え規制を受け入れる、なんてアリエナイのに、突然統一教会とか言い出して、斜め下にオタクdisを始めた点
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/korekichi_san/status/1442819707896168449
そうそうたるお左翼様が、陰謀論よろしく「オタク=統一教会」を展開してるぜ
その口がQアノンやらJアノンやら語るんだから、へそが茶を沸かすよな
自陣営にいろいろと暴走があって、コロナで一発逆転どころかワクチンは優等生国家、野党の支持率は2桁に届かず、妄想に縋りつく位追い込まれてんのかね
面白いし、わかるけど、フェミニストを擁護したい感じかな。平成期初期までのフェミニズムは、専業主婦家庭がまだ全盛で圧倒的多数派の時代で、「女は貞淑にしてろ」という保守的な社会規範への戦いが基本だったから、「貞淑」へのカウンターになるものであれば、AVもヘアヌード写真集も基本的に否定しなかった。事実、上野千鶴子の著作の表紙には、AVと見紛うものもあった。
平成後期になると、「女は貞淑にしてろ」という保守的な社会規範は表向き語られることはなくなった。過激さが「解放」を意味する素朴な時代も終わった。むしろ、女性が労働市場に進出するようになった結果、そこで受ける有形無形のセクハラの方が重要な問題となった。フェミニズムもこうした現実に対応して、仮想敵を「女性を性的な視線でしか評価しない」男性中心社会一般に向けるようになり、そうした視線から女性を保護することが運動の主目的になっている。
学校の変化もある。平成初期までの学校は男子校もかなり多かった。また男子は家庭科を習わない、女子には技術の授業がない学校も普通だった。生徒会長に女子は滅多にいなかった。現在の学校は完全に様変わりし、ジェンダー平等という点はむしろ日本社会の最先端にある。かつて上野は学校化社会を糾弾したが、現在は逆に学校で実現できているジェンダー平等を社会全体に広げるべきというのが、現在のフェミニズムのスタンスである。だから、フェミニストが保守的な優等生を基準にしてジェンダー問題を考えるようになったのは、ある意味で当たり前と言うことができる。
原則として動物は利己的で、人間は動物で、だから人間も利己的な存在だ。
人間は利己的な存在である、この前提で制度は設計されるのが理想だと考える。
利己的な動物である人間に対して、ルールを守らせるには、守った方が得をする設計を用意することだ。
欲望をコントロールしようと思うなら、動物を鞭で打つのではなくて仕組みの方を見直さないとならない。
正直結構ムカついてまして、ここから垂れ流す駄文には言葉が乱れてる部分もあろうかと思いますんで、以上のことに少しでも思いを馳せていただけましたらば、ここで読むのを辞めていただいても結構です。
※
現像すると、10年以上前も、私がまだ高校生だった頃、友達とキャンプした時の写真だった。
思いがけず掘り起こされた若かりし自分たちの写真から、仲間内では大層盛り上がり、思い出話に花が咲いた。
そのうちの一つは、道中での出来事だ。
キャンプの最寄り駅は、今現存してたら秘境スポットとして話題になりそうなほどにオンボロの無人駅だった。
今みたいな簡易改札機もなく、木造りの台が設置されているだけ。そこにめいめいが、切符や、差額がある場合は不足分を置いていくというシステムだ。
細部は覚えてないけど、とりあえず適当に切符を買って、着いた先で精算するつもりだったんだと思う。
地元から目的地まで、乗り越し精算で2000円ほどの差額だろう。今なら乗り換え案内アプリで瞬時に計算できるけどそんな時代でもなく、駅員もいない。たしか両替機も置かれてなかった。
最初からそんなつもりだったわけじゃない。誰も目的地が無人駅だなんて知らなかった。でも、ほとんどタダ同然で遠くまで来れちゃった。ラッキー。
ということで、私たちは無賃で駅を降りた。ただ一人、律儀にお金を置いていった人間がいる。そいつは、今では警察官として働いている。
曲がったことが本当に嫌いで、空気を読まずに正しい行いができるそいつ以上に、警察になるのに相応しい人物を私は知らないし、仲間や知り合いで、警察になったのは後にも先にもそいつだけだ。
逆を言えば、警察になるくらい正義感の強い人物でもない限り、分別のつかないガキが自ら進んで真っ当な行いをするなんてのは珍しい。
私たちは、とりたてて優等生でもなければ、かといって犯罪上等!喧嘩上等!卍!みたいなヤンキーというわけでもなかった。
日本の高校生としての分布図で言えば、年相応に頭が悪く分別がつかないという点も含めて、ごくごく平均的なクソガキだったに過ぎない。
自分の行いを正当化する気は一切ない。遠方まで運んでもらった見返りとして払われるべき対価を払わない。クソだなと思う。今なら私も、絶対に支払う。
けど、一方でこうも思う。果たして、誰にも咎められずに自分が得する機会が舞い込んできた時、わざわざ身銭を切れる人間はどれだけいるだろう、と。
誰しも自分が一番大事で、余裕があれば善行もするけど、自分の目先の欲望よりも他人を思い遣るのは難しい。
私は、漫画の海賊版サイトが流行した時にも同じことを主張した。何かを抑止しようとする時、利用者側に良識ある行動を呼びかけたところで効力がない、と。
本気で人の行動を抑制するには、良識に頼むのではなく仕組みで解決するしかない。
感染対策意識がザルで、開催地だった愛知県知事や常滑市長、および国民の皆様を激怒させた「NAMIMONOGATARI」がいまだに話題ですね。
大変申し訳ありませんでした。本当なら私も参加してました。
たまたまその時の私には“良識”が働いて参加を見送っただけで、出演していたラッパーのほとんどを好きなので、気分次第では実際に参加してたでしょう。ですので、重ねてお詫びいたします。
続きを話す前に、私が“良識ある大人”に成長したことをアピールするため、「あいち医療応援基金」に、ささやかではありますが反省の意を込めてチケ代に相当する額を募金したことをあらかじめここにご報告しておきます。
以下からふるさと納税の返礼品を希望しない形で募金し、額と支払い情報を確定させると、使い道を指定する画面が出てきます。ご興味のある方は是非。
そしてこの基金の存在を知るきっかけをくれた、Awich、CIMBA、CREAMに感謝👍
https://www.satofull.jp/static/oenkifu/corona_virus_pref-aichi.php
さて、「NAMIMONOGATARI」ね。書きづらいからもう波物語でいいよね。西尾維新の作品みたいに見えちゃうけどね。これこそ風評被害だね。
このご時世に、イベントに参加して、お酒を飲んで、大騒ぎして。全くケシカランですよね。
再三の呼びかけを無視して開催を強行。現場をコントロールできず、判明しているだけで数十人に上るクラスターを出してしまったのは波物語主催者の責任でしょう。
聞きましたか? 蓋を開けてみれば、当日の参加者は緊急事態宣言下の人数制限5,000人を大きく上回って8,000人ですってよ。あり得ないっすねー。
何より、行政に補助金を申請してたのにガイドラインを守ってなかったのがヤバすぎ。
ガイドラインを守る見返りに補助金がもらえるわけで、それは取引として成り立ってない不正行為でしょ。まるで高校生の私みたいですね(笑)。
その愚行は、慎重に開催してる他のイベント事業者の足を引っ張ることになるでしょう。大きな禍根を残したと言えます。
そして、ノーマスクで浮かれて、ゴミの始末もしない参加者。ヒートアップして観客を煽ってシンガロングさせる演者。
杜撰な体制の責を負うべきは主催だけど、それぞれも、心当たりがあれば自分の行いを省みる必要があるのではないでしょうか(ルールを守った参加者、ルールを守るよう呼びかけた演者もいます)。
ただ、それは各々がやればいいし、波物語単体が問題だったわけなのであとはもう発生したクラスターの対応などを粛々とするしかない。
しかし、波物語は今もなお、なぜか“日本のヒップホップを代表”して延々と叩かれてる。
いわく、ヒップホップフェスだから。いわく、ヒップホップファンは民度が低いから云々。
この件については、とにかく主語がデカい。みんな、普段はこういうレッテル貼りは良くないと呼びかけるくせに、なんでヒップホップだけはこんなに雑に叩いて良いと思ってんだ?
これについては、擁護派のせいもある。「これがヒップホップだ」みたいな頭の悪い反論がむしろきみたちが守りたいお仲間を後ろから刺してるのに気付いてねーのかYO。後ろ見とけ後ろ。
それでさ、みんな、どういう理屈で、他人に我慢を呼びかけてんの?
医療が崩壊してる。それはそうだ。未曾有のパンデミックに対応できるように設計されてないし、日本の医療にかける予算は世界的にも決して少ないわけではないけど、それでもこの異常事態に耐えられるだけの人出も病床数もなかった。
新たに深刻な感染症が生まれた以上、そのしわ寄せはいろんな形で発生する。それはとても悲しく不幸なことだと私は心から思うけど、これからも人は死に続ける。それは私かもしれないし私の大切な人かもしれない。けどもうそん時はそん時、天命と諦めてコロナと付き合うしかない。
定期的に交通事故で人は死ぬけど、誰も「車に乗るのをやめよう」とはならない。多くは良識的な振る舞いを守ってるけど、交通違反をする人間が定期的に現れるから、人類から車社会をぶっ潰そう、とはならない。それを望ましくないと思う人間が、黙って車に乗らないだけだ。
車は生きるために必要不可欠だから?じゃあ、イベントがその人にとって必要不可欠じゃないって誰が言える?何が不要不急か、他人のてめえが決めんなよ。
ワクチン派は、ワクチンを打たない人間を自分本位で身勝手な人間だと蔑む。
反ワクチン派は、陰謀論と結託してワクチン接種しないように呼びかける。陰謀論者は頭おかしいと思うけど、他人の行動を縛ろうとする点ではどっちも変わらなくないか?
法律の問題で、日本では欧米のようなロックダウンはできないと。だから、政府は国民に“お願い”をする。
この2年で、何度「正念場」という言葉を聞いてきたか。何度「国民の皆様へのお願い」を耳にしてきたか。
しかし、政治家は会合も会食も辞められない。政府の広報である報道機関、新聞社もテレビ局も、全国津々浦々を飛び回り、取材に出向き、毎日集まり続ける。
リモートワークができない職種もあるが、IT企業でさえも当たり前のように出勤させ続けてるところがある。理由は簡単で、その方が会社の利益になると考えてるからだ。
守っても“利益”がなければ、お願いは守られない。飯を食っていくために、リスクと天秤にかけて仕事をする。みんな一緒だね。
我慢するメリットを提供できない以上、要請を無視して営業を続ける飲食店もある。開催を強行するイベントもある。それで飯を食ってるから。
波物語は補助金を申請してたけど、補助金なんて要らないから開催するよ、というスタンスのイベントはこれまでもあったしこれからもあるだろう。これはどの業界でも起こってることだ。我慢するよりしない方が利益になるなら、そっちに傾くのは容易に想定できることだった。
五輪はやる。無観客とは言え、世界205カ国から選手だけで1万人以上が参加し、関係者は海外から数万人が来日した(https://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-58133532)。
五輪を開催した7月の訪日外国人数は51,100人。五輪開催前の6月の訪日外国人数9,300人から、6倍に膨れ上がった(https://www.jnto.go.jp/jpn/news/press_releases/210818_monthly.pdf)。
緊急事態宣言下、無観客開催なのに五輪閉会式に集まったのは9,350人(https://news.tv-asahi.co.jp/news_society/articles/000224902.html)。あれ? 波物語よりも多くね?
政府および委員会いわく「安心・安全な開催ができた」五輪だけど、みんなオリパラ関連の陽性者の数、知ってる? 最新の発表、878人だよ(https://mainichi.jp/articles/20210909/ddm/035/040/036000c)。でも「五輪はコロナを抑え込んで成功した」ってさ。
そしたらさ、あんたらはどのツラ下げて波物語を糾弾すんのよ。大村知事、あんたは立派だけど、五輪開催については反対してなかったくね?
パラ観戦にも、結局多くのガキが駆り出された。にも関わらず、遠足も運動会も修学旅行も禁止って。わけがわからないYO。
人は原則、損得勘定で動く。そこから外れる領域は、社会からの要請にどれだけ自分を擦り合わせられるかっていう善意や良識の話だ。
人によってこの良識の振れ幅がデカすぎるもんだから、いろんなところで分断が起きる。
国家がビジョンを示せず、政治家が範を垂れない。制度の見直しは経済崩壊のスピードに追いつかない。こんな国にしてしまったのは、私たちの選択の積み重ねでもあるのだけど、国民への“お願い”は、誰もが望んでなかった監視社会をついに令和のこの時代に爆誕させてしまった。
みんなそれでもお願いを受け取って、自分のできる範囲で、自分なりに我慢をしてる。
ジジイはジジイなりに、ババアはババアなりに、ガキはガキなりに、ラッパーはラッパーなりに、政治家は政治家なりに、みんな我慢してるんだろ。人によって我慢の閾値が違いすぎるってだけの話で。
いつまでヒップホップがどうとか言ってんだ。
波物語のあの場では、演者も観客も、あの振る舞いが精一杯の我慢だったんだろ。
だから、あの場所をつくり出した主催者が悪いし、ルール度外視で支援金を掠めとろうとしたツケは払わないといけない。
そんで、繰り返しになるけど、そもそもそんなザルな申請を通した制度の方を批判するべきだ。どう考えても、強行できるようになってるシステムに問題があるだろ。
みんながこぞって口にする「自分は我慢してるのになんで?」っていう発想がそもそもおかしくて、我慢の対価を用意できない制度の方に問題がある。
特別措置法なんてものをこしらえても、罰金科されてでも要請を突っぱねた方が得するならそりゃもう制度として破綻してる。それは制度の脆弱性であって、その脆弱性に目を瞑って人の善意に頼むのは無茶だ。
善意や良識がこれほど強く求められる空気が蔓延した時代を、私は知らない。
何度でも繰り返すぞ。人間の行動を善意(や理性や良識)で制限することはできない。それを守ることで得をする、というインセンティブでしか欲望は制御できない。
良識ある人間が馬鹿を見る状況を是正したいと本気で思うなら、(真面目な人間から見れば)良識のない人間に矛先を向けるのではなく、煮え切らない対策と方針で国民同士を監視・牽制させる状況にさせてる制度を批判するべきだ。
こんなことまじで言いたかないんだけど、この2年、政府や自治体は、何をしてくれた? 提供されたのは、ごく限定的な補償と、わずかばかりの給付金とみすぼらしいマスク。それと引き換えに政府から“お願い”されてるのは、自分たちの生活すべてを犠牲にすることだ。
人と会うのを控えてほしい、外食を控えてほしい、旅行を控えてほしい、対面授業を控えてほしい、修学旅行を控えてほしい、映画鑑賞を控えてほしい、ライブを控えてほしい云々。
それももう当たり前ながらとっくに我慢の限界だ。このままじゃ死ぬってなったら好き勝手にやるしかない。
食えなきゃ死ぬんだが? 品行方正な店や会社は今もガンガン潰れてるんだが?
自分と同じように苦しんでる人間に石投げて、足引っ張りあって何のつもりなん?
他人様に迷惑かけるくらいなら指くわえて死んどけなんてさ、俺も俺のことが一番大切だから、とてもじゃないけど口が裂けても言えねーわ。あんたら悪魔かよ。
いがみ合ってる国民ほど、国家にとって管理が用意な大衆もいないですね。このままじゃまじでディストピア一直線だぞ。
奴隷は自分の鎖の大きさを自慢するっての、ありゃガチだったんすね。
いや、奴隷たちのチキンレースって言った方がいいか。主催は自分たち自身でもある。
世間が言うように、ラッパーはもしかしたら、コロナへの警戒心が薄い(ように見える)人が多いのかもしれない。
暴力団や政治結社に入ってほぼ一般人と接触もしないようなお偉いさんへの階段をストレートに駆け上がるタイプ。
それと、解体工事とか鳶とか足場屋とかダンプの運転手とかになって真面目に働いて結婚して子供育てて家買うおじさんになるタイプ。
面白いもんで、後者は見た目が怖いだけの普通のおじさんなのよ、もはや。
文句言わずに激務こなすし、温厚だし、付き合いやすいおじさんでしかない。
何でもかんでもブチ切れる狂犬みたいな同僚が現れれば
と、当の本人が筋金入りの不良だったのにもかかわらず、ひたすらドン引きしてるのが傍から見ていて面白い。
逆にカタギをなぶり殺したり強盗なんかしたりして懲役や死刑食らう見境のないタイプの暴力団構成員とか半グレは、実は中高時代に優等生の部類に入っていた、とか外見は突っ張ってたけど実は根暗で不良ガチ勢から歯牙にもかけられていなかったタイプが多い。
これは半分真実だと思う。
学生時代に不良界の筋金入りエリートだった連中には当てはまっていて、
逆に不良界の二軍、三軍勢だったり、そもそも不良ですらなかった遅咲きデビュー勢には当てはまらないという感じに個人的には思える。
東証一部上場企業(証券会社とか不動産会社とかに多いが)の社員とか、役人とか、有名ベンチャー企業幹部とかで
「昔も俺かなり悪かったよ。今も怒らすとヤベエけどな」
感をすげえ出してる油っこいピリピリしてるタイプとかには、まず不良エリートだった過去を持つ奴はいないと自信を持って言える。
あの年齢相応の内面的老成のなさと、「社会的地位が高いのに悪党」というギャップを希求しちゃってる幼稚さが隠せてない感じは撮り鉄的な情けなさの表れだ。
余談だが、以前、地元の釣り仲間である型枠大工のおっちゃんに某予備校講師について聞いたことがある。
その予備校講師は暴走族出身で昔は手の付けられない不良だったことを売りにしており、
大学受験産業の超有名人なのだが、ひょんな事からこの予備校講師が型枠大工のおっちゃんと学年も出身高校も同じことに俺が気づいたので、伝説の真偽を確かめたのだ。
すると…
「いや、あいつはちゃんとしてる人だった……ちゃんと毎日学校来て問題も起こさないような奴で俺たちとは真逆だった。学ラン改造したりリーゼントにしたりなんか昔は真面目君でもやってたんだよ」
最近ずっと常駐してるような元増田だが、毎日紅衛兵みたいに党の言挙げ繰り返して野党ガーやってる奴に岸田プランの評価なんて出来るはず無いだろ。殆ど現状の政策のアンチテーゼだぞあれ。
https://anond.hatelabo.jp/20210908083306
毎日書いてる事もHanadaやWillの引き写しで高市が票取れると錯覚してやんの。その上でモリカケ再調査はバカげてるとか言ってる。
そもそもモリカケ問題が何故起きたかっていうと内閣人事局発足のせいなんだよ。官僚の人事権を官邸が一元掌握出来るようにした。
これは公共セクタ=行政各部署は自律して肥大し腐敗するという考えに基づいている。だから国民の代理人である総理大臣が直接介入して人事権を行使して風通しを良くする事を目的にしていた。閣法&予算要求→予算執行→閣法&予算要求のサイクルに外からフィードバック入れるって考えだな。
だが2014年の内閣人事局直後からこんな使われ方はされてねぇ。ずっと官僚の私的利用と汚職の為だけに使われてきた。
その結果公文書も統計もない国になってしまった。行政の風通しなんてN95マスクレベルだ。官僚の退職も続いている。
で、おまえはそれが国民生活に関係するなんて思ってないって事だろう。
ソ連がなぜ衰退してゴルバチョフが出てきたか知っているか?ゴルバチョフが何故ペレストロイカとグラスノスチ(情報公開)を進めたか判っているか?
共産国では物の生産量を中央で全て管理するが、ソ連末期には帳簿上は生産高が上がっているが実際には何も動いていないという状況に陥った。これは原料から加工の各部署で粉飾が横行したからだ。原料が規定量来ないから生産高も粉飾して…とやっているうちに最後工程では蓄積された粉飾の方が大きくなってしまう。
こうなるともう中央でも数量を把握出来ない、どこが詰まっているのか粉飾されてる数字はどこなのかが全く把握できない。セクショナリズムで風通しが悪くなった社会というのはこんな風に生産性がほぼゼロまで下がるものなんだ。それで西側のやり方とその精神である情報公開を導入する事にしたんだよ。
担当大臣の河野は「数量は自治体にプッシュできている」と言っている。なのに実際には10月の予約さえ取れないと嘆く人が多数いる。
こういう場面でおまえなんかの党員もどきは「出荷は出来ているから自治体のせい」と言って論破した気になって終わりだろ?戦争でどんどん南方行きの輸送船に若い兵隊押し込んで潜水艦に撃沈されてを繰り返してたのと同じだな。
そういうのをセクショナリズムという。言っとくがワクチン接種が終了するのが勝利条件だ。
どこに幾つモノが滞留しててこことここの間のバッファは幾つってのが判って都度の配送量を決められないと駄目なの。それを実現する為にPOSのようなシステムが開発されてきたんだよ。
だったら国だって出来るんだよ。2品目しか無いんだから。POSが出来る前でもカンバン方式とか「途中を把握」する方法は開発されてきた。POSが出来る前も日配品はスーパーに途切れず配送されていたんでな。
なのにセクショナリズムの立場から「それは自治体のせい」みたいな論破ールームでこと足れりとなっている。
人事局発足に端を発しているんだよ。これでもモリカケは国民生活に関係ないのか?
日本は島国なのに同じ島国の台湾、NL、豪州なんかと比べるとコロナ感染制圧が出来ていなくて防疫劣等生だ。感染爆発のせいで経済的ダメージも回復できない。
だけど日本というのは防疫では超優等生だった。家畜伝染病でも人の感染症でも多くの病気で清浄国だった。制圧が得意だったのだ。
なのにコロナではこんな事になっているし豚コレラも制圧できていない。この10年に大きな問題があると思わないのか?モリカケと関係がないのか?モリカケが起きた構造のせいじゃないのか?
おまえらは検査抑制にせいをだして防疫妨害してただろうが、安倍ちゃんは一貫して検査は拡充の必要があると言っていた。
だがトップが支持してもキャパを増やすことは出来なかった。末期ソ連みたいじゃないか。
人事局は汚職の指示には使えても真っ当な政策トップダウンには効果が無かったって事だ。モリカケ関係ないんか?これ。
(こいつはてなーの過誤としてノーマスクを詰ってるのにもっと大きな過誤の検査抑制は触れてないのhttps://anond.hatelabo.jp/20210831114802
その前日に検査妨害者戦犯リストがホテントリ入ってるのな。判り易い奴 https://b.hatena.ne.jp/entry/s/note.com/osamu_iga/n/nd17e78fe4a1b)
日本の空港税関で麻薬が入ってたと別室に呼ばれて賄賂渡さないと逮捕なんて事はないだろうが、こんなの放っておいたら日本もそうなる。
ソ連時代と今のロシアの国民生活はどうだ?韓国台湾の軍事独裁時代と今の国民生活は同じなのか?
モリカケの再調査っていうのはそういう事なんだよ。それが判っているから岸田は再調査すると言ったんだよ。
おまえみたいな連中に足引っ張られるから引っ込めちゃったけどな。
子供は親を選べないというけど、もっと言うと生まれる国や地域だって選べない。
その意味では、全世界の中において日本で生まれ育ったことは誇ってもいい事ではないか。
はてな界隈ではすぐに「日本氏ね」とかいうけど、では日本よりもいい国って一体どこよ。
真っ先に思いついたのが世界最大の経済大国の米国と、米国以上のGDPを持つEUの中心であるドイツの2カ国。
米国は名実ともにナンバーワンだけど、国内は銃社会であり、日本やドイツと比べて国民皆保険も満足に整備されていない。
ナンバーワンの割には、人間社会にとって一番大切な部分が欠落していて頭おかしい国に見える。
ヒトラーを称賛するわけではないが、ゲルマン民族は世界一優秀で素晴らしい。
欧州一の人口とGDPを持ち、治安や文化レベル、社会福祉、地方分権とどの分野も世界最高レベルではないか。
東京一極集中の日本と比べて、ドイツは首都ベルリンよりも存在感のある大都市(ハンブルク、ケルン、フランクフルト、ミュンヘン、デュッセルドルフなど)がいくつもあるのも羨ましい。
ただしドイツは周辺の国と陸続きで、東欧経由で中央アジアの難民が歩いて渡ってこれるのは恐怖だよね。
小学校ではクラスの同級生に虐められ、中学校では部活動の外部コーチから体罰と精神的苦痛を受け、高校では部活動の先輩やら顧問から退部スレスレになるまで追い込まれ、大学ではゼミ教授から自分の無価値さを何度も詰られた。
まあ、こんなの大小はあれど誰にでもある経験だと思う。
自分のメンタルが弱いとは思っていなかった。前述の事をされている特でさえ、一度寝たら忘れていた。不眠症や鬱などにはならなかったし、親や友人に相談などもしなかった。
ここ最近(でもないが)、「つらかったら逃げていいんだよ」系の言説がよく見られるが、自分が全てのことから逃げた結果は、一人では何一つ出来ることがなく、ただの頭の悪いニートだ。
働かなきゃいけない、とは思う。けれど、外に出るのは怖いし、友人と会っても今の状況を咎められるだけだった。
何一つとして成し遂げたことがない。
〇〇は優等生だったのにどうしてこうなっちゃったの、と親に言われた。
どうしてだろう?自分はずっと変わっていないと思うのだが。生まれて22年近く経ってはじめて表出した問題ではなく、元から自分はこういう気質で、それを改善しようと努力してこなかった。気付いていなかった。気付いていたとしても、現状解決する必要のない問題であると、放置していた。
貧乏家庭育ちの友人(貶しているわけではない)に、要約すると「お前は駄目な人間だ」、というような説教を最近受けた。
友人は割と優しい人間であるので、きっと奮い立たせようとしてくれているのだと思う。
だが自分は昔から、ハッパをかけられるとどうしてもやる気が消失してしまう気質であった。
じゃあお前が仕事を紹介してくれよ、と喉の先まで言いかけそうになって、あぁ自分って終わってるんだなぁ、と改めて思った。まあ、半日ほどでその自己嫌悪も終わったが。
昔から人の話を聞かなかったり、自己中心的な、いわゆるプライドが高い人が苦手だった。心の中で糾弾してすらいた。
だがプライドが高く、自己愛に塗れているのは自分の方だった。プライドは高くないよ、というプライド。自分は駄目人間なんだ…という自己愛。
まあ、ニートなんで。
いつ死ぬかな、とか考える。
まだ若いのに、と思う。思われる。
怠けてるだけ、と言われる。自分もそう思う。
じゃあその人はその人で頑張ってください。
ごめんなさい。
真面目という隠れ蓑を被った適当にしか物を考えてないバカなやつのことが、一瞬で頭に血が上り気が触れ過ぎて一瞬、失神するくらい嫌いだ。いじめがあるという報告に対して、いじめはよくない、はい、いじめはよくないです、とか尻馬に乗って軽々しく四角四面なことを堂々という。だから??????で??????っていう。もっと本当にいま考えるべき、考えなければならない問題は無限にあるだろ???おい、お前気が狂ってんのか?それとも意地悪で言ってんのか?おれがこういう状況でそういう発言をした場合、そのどちらかしか考えられないんだが?え、意地悪ですらないの???余計、信用ならないわ!!!!!すげーわ逆に。そういう心底、人間を舐め腐った軽蔑すべき適当なやつがお父さんお母さんありがとうとかいうテディベアとかを真面目に送ってる。だから俺はそういう奴らが雑談で単なるヘイトを撒き散らしていても涼しい顔で「そうですね」と返す。その光景は見るやつが見れば俺は”適当”なやつであろう。また私は自分で適当なやつであると自称もするし、他称されれば喜ぶくらいであった。が、それは嘘だ。本当に適当な連中とは、何も考えずとりあえず正当と思える凡庸なことだけを平然と言い、その実、それについては全く何も考えたことすらないような「真面目」な連中たちにこそ与えられる蔑称である。私はそういうことを言う奴らを何があっても信用しない。故に、ヘイトだろうと、事実確認論的なアホロボットの同語反復だろうと、意に介さず、涼しく適当に真面目にのみ応答するだろう。その振る舞いのデフォルメされた滑稽さをしてメタ的に「適当だ」と記述されることが快感であったのは、言わばその行為は、私がバカしかいない世間の写し鏡として私の批評性を担保していた、と同時に、それを見抜いた者(掛け替えのない仲間!)の発見を慶んでいたという訳だが、もうこんな周りくどい嘘を自分につくのはやめよう。適当なのは私ではない。むしろ私は適当さを唾棄している。真に適当なやつらこそ、頭悪いやつほど学級委員だの風紀委員だのをやりたがる、頭が悪くても優等生になれる、すでに誰にとっても明らかな正しさにのみしがみつくしか能がないだけで何らか他人と張り合えてると思ってる己の真面目さについての病識を欠落したまま、何がなしそのことにどうやら誇りを持って生きているほどに適当に人間を生きていることでおよそ人間というものをコケにし尽くし腐っていることにすらクソ無自覚なあいつらだ。そんなやつらともう一ミリも関わりたくない。奴らのことを人間と呼ぶなら私はいつ人間を辞めたっていい。
https://bunshun.jp/denshiban/articles/b1436
冷戦時代の墓から出てきたイマジンは、IOCからのリクエスト。
日本にはイマジンのカウンターとなるコンテンツを用意できなかった。それは最初、メッセージ性としては弱いテクノジャンルであるPerfumeを用意する予定だったから。AKBもアレですけど、Perfumeも客層考えるとサブカルの皮被ったアレですよ。キツい。芯がある歌を歌える人選じゃないんですよね。そして歌はドローンのイマジンが政治的な意味をもっていたように、歌はテクノロジーの添え物じゃない。開会式での歌は、自国の外交的スタンスの意思表示になるんです。国歌だってそうでしょう。サブカルには申し訳ないけど、優等生的でつまらなくても外交的にはMISIAの方がマシ。なおかつ、ここでAKBではなくPerfume出すと中田ヤスタカと秋元康の喧嘩にしか見えないじゃん。二者とも国際的にウケてるってどういう意味でウケてるんだよ。各国の個人的好みならともかく、公的な意味を持った外交の舞台なら両方無理だよ。ただ、秋元才加は今のAKBとかと客層が違い、秋元康サイドも国際舞台ぐらいわかって妥協できるってことがわかったんで、AKBと聞いただけで排除に頑張った椎名林檎が子供だったし、椎名林檎含めたサブカルサイドの人材に多様性も公共心もなかったと思う。
そして、IOCに対して日本がイマジン以上に、今の紛争や差別が絶えない国際社会に合ってるリリックのある歌を用意できなかったのが残念でならない。音楽監督が林檎さんに遠慮してるのか、そもそも小山田氏の件もありこんなことになってしまうぐらいには友達のノリで仕事回してただけで考えがないのかわからないけど。それでも本当に日本としてイマジンがよかったら日本人としてイマジンを和訳でもして日本語で歌えばよかった。日本語で歌えば外国から借りてきた言葉や思想っぽくなくなるから。英語の歌詞はドローンで出すんだし。イマジンをどうしても入れるなら、それも無理なら妥協して日の丸運んでる救急隊員を多めにして自衛隊にコロナ終戦をイメージさせるイマジンから君が代って流れ?これで今の時代的には古くて言葉が強いイマジンを多少は打ち消して、今の時代はコロナに打ち勝って長寿を願う君が代で行くという印象になるから。ドローン飛ばすと戦闘機想起になるんですけど今の時代の戦争ってそうじゃないでしょ。でも、テクノ界隈、メッセージ性のある歌詞のある楽曲の選択や制作、めちゃくちゃ弱そう。ダンスの添え物的な音楽作るのは強いけど、MIKIKOさんみたいなダンスに強い人いなくなった時点で音楽監督以下のテクノ界隈チームの強みが相当削がれた感はある。同じアホなら踊らにゃソンソンとならずに、森山未來と江戸消防記念会を出したのはよかったと思います。
あと開会式の台本はあっても、画だけあって、全体の一貫したシナリオがない。
各国や日本で傷ついた人が立ち上って共にスポーツができる目標に向かって手を繋いで歩み、スポーツができる平和を噛み締めるストーリーがない。
ネオ東京で日本すごい的なの、どうでもいいですよ。各国のおかげで日本が繁栄している謙虚さがなくて。ネオな『東京』だけじゃなくて、世界を包括するテーマが必要だった。
復興五輪がダメなら、もっと広く世界の人への歓迎と世界の傷ついた人に対する慈しみでよかった。日本すごい的な表現を自分でするんじゃなくて、ささやかな気配りで各国に言わせないと恥ずかしい。で、とりあえず鳩を飛ばせば平和でしょ、という安易さ。
パクリパクリ騒いでるけど、パクリは予算ない中でのプロジェクトマネジメントの延長でしかなくて、元の案も根底の外交やオリンピック憲章的な思想がなくて良くないよ。見た目派手なテクノロジーとダンサー入れておけってスタンスのMIKIKO案から、開会式当日までグダグダが続いててダメなんでしょ。
国際問題や問題に向き合うスタンスみたいなことからサブカルが逃げた結果がこれなんだよ。
本当にああいう派手だけど中身がないMIKIKO案みたいな案をひっくり返すの、他のプロジェクトでも面倒ですよ。ああいう派手だけど中身のない仕事の後始末って一番したくないものなんですよ。派手さに気を取られてわかってないサブカルみたいな人がうるさいから。だから、小林賢太郎は元々の経験不足や知名度、業界政治力の割にはよくやった。あれ以上のこと当時の彼にはできなかったと思う。
これは、椎名林檎たちミュージシャンの自己表現の仕事ではなく、電通的なクライアント絶対主義でもなく、スポンサーの言うことを聞くけどスポンサーに文句言いつつも自分の作家性は通す映画や舞台監督の仕事だった。
リアルタイムでは読んでないけど、
心の中に閉まって蓋をした。
私は、何も読んでない事にした。
この土日で、その蓋が開いてしまい、
いろんな事が飛び出してきた。
中学生から高校生くらいまでの出来事。嫌な出来事。ぶわーって出てきた。
だから思い出したくなくて蓋してた。
殴られて鼓膜が破れた人がいた事。
時代遅れの不良の残党みたいなのがいて、
怖かった。
その子が、廊下でみんなが見てるなか、他の女子と取っ組み合いの喧嘩をしてた事。
とてもオシャレだと感じて、心がキラキラした事。
同級生が亡くなった事。
生前、その子のお家に行った時、本棚に「完全自殺マニュアル」があったのを
思い出した事。それは誰にも言っちゃダメだと思った事。
援助交際に誘われたけど、断った事。
卒業式の日に「この制服ブルセラに売れるから売ろうよ!」と誘われた事。
売れる訳ないだろと思って断った事。
偶然会った 中学校の時の友人が、
円形脱毛症になってて、でも、それに触れられなかった事。
「ひょっとしたら」と思ったのに
なにも言葉をかけれなかった事。
そんな事を、
この土日で思い出してしまって、
うわぁあああーってなった。
疲れた。
巷では小山田圭吾のイジメ問題で大炎上している。……どんな時代でもイジメはなくならないというが、イジメのスタイルや感性は時代とともに変わってきたようにおもう。
70年代は、ゴリゴリの暴力やカツアゲという"利益目的のイジメ"だった。社会全体が貧しく、不良はイカつげで、弱者や障碍者はカモだった。だが大多数の層は「見て見ぬ振り」か、せめて白い目では見ていた。
80年代は、お笑いブームと金余りもはじまり、不良はヤンキー臭があってもお笑いもイケる奴が「モテ」になった。暴力や貧しさという負の側面はイジることで笑い飛ばす風潮になった。ヤクザはヤッちゃんと呼ばれ、貧乏長屋はパロディになり、弱者や障碍者はイジりの対象になった。暴力的な不良でなくとも、弱者のみっともなさや不自然さを笑えば勝ち組に回れる。暴力より笑いのほうが平和じゃん?と。弱者をマジ顔で擁護する正義漢なんてアナクロだしダサい。強きを助け弱きをくじくタケちゃんマンは笑いにくるんだ本音としてウケた。そんなライト感覚で従来の一般層も弱者を笑うほうに回った。
90年代は、社会が隠蔽する負の側面を見世物小屋的に取り上げるサブカル民の一部……つまり従来のモテの条件だった暴力も金も顔も微妙だが面白いことは言えるし弁は立つ……が、80年代モテ系のイジメ作法を真似し始める。知的階級は弱者や障碍者を擁護すべしという戦後リベラル的な不文律を、「だーってそんなんじゃモテないし、助けてもいいことないし、素直に見たら笑えるじゃん?」と開き直った感じでもある。つまりはビザール系な知的興味の"対象物"扱いである。
かくて不良系のみならず知的とされる階層までが、「ジョークだよジョーク」、「悪ふざけが過ぎたけど一緒に遊んでただけ」、「社会参加しさせろというから仲間に入れて遊んでるんじゃん」とうそぶく、そういう笑いにくるんだ「道化イジメ」に精を出す時代ともなった。
小山田圭吾が「俺はアイデア出してただけよ?」と言い募るのは当然だ。彼はサブカル民だから、「あたまのわるい不良みたいに直接暴力に訴えるなんてダサイ真似は、この俺がするわけないよ?」と言いたかったわけだ。
前フリが長かった。
この時代のEテレに、児童向け特別支援教育番組の"グルグルパックン"というものがあった(1994~1999年放送)。かの有名な"ストレッチマン"が最初に登場した番組である。当時の生活リズムとちょうど合う時間に放送されていたのと、自閉症や知的障害の児童たちのゆるさとストレッチマンのハイテンションの不思議な空気感に、何となく習慣的に見るようになっていた。番組内容はゆるくて差別感や悪意も感じず、むしろ怪人に扮した支援学級の先生たちの奮闘や障害児童の頑張らない日常……チャリティ番組的なお涙頂戴ではない……は穏やかでいい感じであった。
ある日、寝ぼけまなこでテレビをつけた時、そこには隅に小さく番組のロゴが映っていた。自分は目を疑った。
https://pbs.twimg.com/media/EubSIAtVIAEI9Rp.jpg
寝ぼけた目に小さなロゴは、"クルクルパークン"……"くるくるパー君"と読み取れたのだ。(画像を縮小して、目を細めてぼやっと見てほしい。) ものすごい悪意を感じて、たじろいだ。
もちろん。「自分の目がボケてた見間違いでしかないじゃん」、「差別意識や被害意識のある奴はどこにでも差別を見出すんだよな」、「障害児童を画面に出すのも微妙なのにそんなヤバいことしないでしょ?」と、矢のような反論が飛んでくるのはわかっている。ただの見間違いから因縁をつけているだけと言われるだろう。ただあの、「弱者や障碍者に親切顔で接近しながら裏では小馬鹿にして嘲笑うことは、知的でイケてる層のウィットに富んだ身振り」とされていた90年代の雰囲気を踏まえると、何とも奥歯に物がはさまったような釈然としない気持ちにもなる。ましてや、「NHKでは知性や学歴を鼻にかける高慢で反抗的な奴はEテレに回される」という風説を耳にしていると、陰でイジメをする優等生が「見間違いで妄想して何を言っているんだ。邪推でみんなの善意と努力を否定する気なのか?」とうそぶくような、抜け道確保済みの確信犯的な振る舞いじゃないかとも思えてくる。いや、出てくるみんないい人だよ。それら全部を身内ごとひっくるめて嘲笑うような"見間違い"だから、知識人特有の底意地の悪い見下しを感じたのだが。
そういえば、このあたりから日本の成長は失われていったな。二枚舌が使えない者が"発達障害者"としてあぶり出されはじめた時期でもあった気もする。
真偽は謎の上に、四半世紀前のことを持ち出して因縁つける気もないが、世間の話題にのっかって「90年代はそういう風潮だった」と確認し、「だれか同じようにロゴに気づいてた人いなかったのかな」と書きおいてみたかっただけだ。読み捨てていただきたい。