はてなキーワード: ストレッチマンとは
なんか、ストレッチマンを思い出した
巷では小山田圭吾のイジメ問題で大炎上している。……どんな時代でもイジメはなくならないというが、イジメのスタイルや感性は時代とともに変わってきたようにおもう。
70年代は、ゴリゴリの暴力やカツアゲという"利益目的のイジメ"だった。社会全体が貧しく、不良はイカつげで、弱者や障碍者はカモだった。だが大多数の層は「見て見ぬ振り」か、せめて白い目では見ていた。
80年代は、お笑いブームと金余りもはじまり、不良はヤンキー臭があってもお笑いもイケる奴が「モテ」になった。暴力や貧しさという負の側面はイジることで笑い飛ばす風潮になった。ヤクザはヤッちゃんと呼ばれ、貧乏長屋はパロディになり、弱者や障碍者はイジりの対象になった。暴力的な不良でなくとも、弱者のみっともなさや不自然さを笑えば勝ち組に回れる。暴力より笑いのほうが平和じゃん?と。弱者をマジ顔で擁護する正義漢なんてアナクロだしダサい。強きを助け弱きをくじくタケちゃんマンは笑いにくるんだ本音としてウケた。そんなライト感覚で従来の一般層も弱者を笑うほうに回った。
90年代は、社会が隠蔽する負の側面を見世物小屋的に取り上げるサブカル民の一部……つまり従来のモテの条件だった暴力も金も顔も微妙だが面白いことは言えるし弁は立つ……が、80年代モテ系のイジメ作法を真似し始める。知的階級は弱者や障碍者を擁護すべしという戦後リベラル的な不文律を、「だーってそんなんじゃモテないし、助けてもいいことないし、素直に見たら笑えるじゃん?」と開き直った感じでもある。つまりはビザール系な知的興味の"対象物"扱いである。
かくて不良系のみならず知的とされる階層までが、「ジョークだよジョーク」、「悪ふざけが過ぎたけど一緒に遊んでただけ」、「社会参加しさせろというから仲間に入れて遊んでるんじゃん」とうそぶく、そういう笑いにくるんだ「道化イジメ」に精を出す時代ともなった。
小山田圭吾が「俺はアイデア出してただけよ?」と言い募るのは当然だ。彼はサブカル民だから、「あたまのわるい不良みたいに直接暴力に訴えるなんてダサイ真似は、この俺がするわけないよ?」と言いたかったわけだ。
前フリが長かった。
この時代のEテレに、児童向け特別支援教育番組の"グルグルパックン"というものがあった(1994~1999年放送)。かの有名な"ストレッチマン"が最初に登場した番組である。当時の生活リズムとちょうど合う時間に放送されていたのと、自閉症や知的障害の児童たちのゆるさとストレッチマンのハイテンションの不思議な空気感に、何となく習慣的に見るようになっていた。番組内容はゆるくて差別感や悪意も感じず、むしろ怪人に扮した支援学級の先生たちの奮闘や障害児童の頑張らない日常……チャリティ番組的なお涙頂戴ではない……は穏やかでいい感じであった。
ある日、寝ぼけまなこでテレビをつけた時、そこには隅に小さく番組のロゴが映っていた。自分は目を疑った。
https://pbs.twimg.com/media/EubSIAtVIAEI9Rp.jpg
寝ぼけた目に小さなロゴは、"クルクルパークン"……"くるくるパー君"と読み取れたのだ。(画像を縮小して、目を細めてぼやっと見てほしい。) ものすごい悪意を感じて、たじろいだ。
もちろん。「自分の目がボケてた見間違いでしかないじゃん」、「差別意識や被害意識のある奴はどこにでも差別を見出すんだよな」、「障害児童を画面に出すのも微妙なのにそんなヤバいことしないでしょ?」と、矢のような反論が飛んでくるのはわかっている。ただの見間違いから因縁をつけているだけと言われるだろう。ただあの、「弱者や障碍者に親切顔で接近しながら裏では小馬鹿にして嘲笑うことは、知的でイケてる層のウィットに富んだ身振り」とされていた90年代の雰囲気を踏まえると、何とも奥歯に物がはさまったような釈然としない気持ちにもなる。ましてや、「NHKでは知性や学歴を鼻にかける高慢で反抗的な奴はEテレに回される」という風説を耳にしていると、陰でイジメをする優等生が「見間違いで妄想して何を言っているんだ。邪推でみんなの善意と努力を否定する気なのか?」とうそぶくような、抜け道確保済みの確信犯的な振る舞いじゃないかとも思えてくる。いや、出てくるみんないい人だよ。それら全部を身内ごとひっくるめて嘲笑うような"見間違い"だから、知識人特有の底意地の悪い見下しを感じたのだが。
そういえば、このあたりから日本の成長は失われていったな。二枚舌が使えない者が"発達障害者"としてあぶり出されはじめた時期でもあった気もする。
真偽は謎の上に、四半世紀前のことを持ち出して因縁つける気もないが、世間の話題にのっかって「90年代はそういう風潮だった」と確認し、「だれか同じようにロゴに気づいてた人いなかったのかな」と書きおいてみたかっただけだ。読み捨てていただきたい。
元増田です。
昨日の有吉の壁でストレッチマン(のモノマネ)を見て、以前増田にストレッチマンのことを書いたことを思い出し久々に読み返そうかと思ったら2011年に書いたものに2020年になっていくつかブコメがついていたことに気づきました。
これを書いた数か月後に発生した東日本大震災の翌日、東北人の私は停電でテレビを見られる状況ではなかったのですが、教育テレビでもニュースや安否情報をやっていたと聞き、やっぱり阪神淡路大震災の翌日にストレッチマンをやっていたはずがないよなと思っていました。
ブコメで紹介されていた番組表タイムマシーンによると1995年1月18日の10:15からグルグルパックンが放送されていて、あの日のテレビに映っていたのが、かたや地震で壊滅的な被害を受けた街、かたや全身タイツのストレッチマンというのは夢ではなかったようです。
冬の彼氏がダサくて本格的な冬の到来が辛い
風が冷たいときはフードをかぶってファスナーを上まで閉めるから上半身まじでストレッチマンみたいだしやめてほしいのに、基本的にすごく優しい彼氏なのに、これは本当にどれだけお願いしてもやめてくれない
代わりのアウターをプレゼントしたいって言ったんだけど、彼氏が提示した理想のアウターは以下の条件を満たすものらしい
③割とあたたかい
というかそれを満たしてるウルトラライドダウンパーカが強すぎる、こんなものがこの世にあるからそのへんのアウターで妥協してくれない彼氏が出来上がってしまったのだと思うと辛い、ユニクロはなんてことをしてくれたんだ
助けてください、どなたか上記に該当するメンズの冬アウター知りませんか
それさえあればもっと冬が楽しくなるはずなんです
しばらく、数ヶ月くらい観察してたんだけどさ。
反応がワンパターンなんだよねー。
他人のエントリに噛み付いてくる、その行動理由は大体くだらない感情から(冷静に“反応しない”という対応が取れずガキみたいに暴発する)
↓
つまらない、下らないところに噛み付いて大騒ぎする(騒ぎたいだけのバカ丸出し)
↓
指摘されたそれは100%些細な問題なので、エントリ主が反論すると、必ず“顔真っ赤だな”と言う(顔が真っ赤なのは、誰よりも感情的になっている自分自身の方なのに)
↓
事実とは異なるので否定すると、“さらに顔真っ赤”と言う。(バカの一つ覚え)
↓
冒頭の些細な問題からどんどん話をずらしていこうとするので、話題を引き戻して改めて論拠を揃えて反論すると、“そんなことない”みたいに根拠もなく感情的に反駁する。(低脳の露見)
↓
それでは反論にすらならない事を指摘すると、再び話題をずらして全く関係ない侮蔑的な質問を投げかけてくる。(低脳ゆえの逃げ)
↓
その非礼を咎めつつ返答すると、“そんな事は訊いてねえよ”と答える(会話が成立しない)
↓
訊かれたから答えた、答えを求めていないなら質問するなと返すと、“何を言うのも自由でしょ?”と権利を訴える(もはやただのコミュ障)
↓
上記のいずれかの項目に戻る、以下エンドレス
匿名の影に隠れて人を殴り逃げできるとでも思ってんのかねえ?
やり返す主義の奴には必ずやり返されるのにね。
まあ、増田っていうのは、ネットでもなければこういう通り魔犯罪者みたいな真似もできないようなチキン野郎の集まりみたいだから、しょうがないのかね。
もう少しまともな、比較対象で言えば糞ねらー共よりは少しはマシな連中だと思って見ていたんだけどなあ。
失望したわ。
「良い子の皆! ネット界隈ではからかわれても殴られてもスルーする人を“空気読める”などと賞賛するが、賞賛を送っているのは殴る側だ!」
みたいな、さ。
まっ、こういう事書くと「噛みつかれるようなエントリ書く奴が悪いんだ!」とか言って顔真っ赤にして低脳の頭から湯気立てて反論してくる奴が出てきそうだけど、そういう人は、一番上に書いてある、「アノニマスダイアリー」の意味を思い出してねえ。
んじゃま、引き続き快適な増田ライフをどうぞお気の済むまでお続け下さい、っと。
楽しく見物させてもらうわ。
エロ漫画家のエロ傾向一覧とは (ヘンシュウシャタチノセイテキシコウイチランとは) [単語記事] - ニコニコ大百科を見ながら書きだしたけど、東山翔とかがいないあたり、編集者の好みで偏ってるからあんまり参考にならんね。
でも三峯徹が座敷童扱いされてて吹いたwwww
いかんエロについて語りだすとキリがない。もっと語りたい!語り足りない!
男一人の人生におけるエロ遍歴ってそれだけで一冊本書けそうなくらいやね。
うおおおおおおおいっこネタ思いついた!これでpixivにマンガ書こう!!!マンガどころか絵なんか書いたことないけど!!!!うっひょー興奮してきた!!!!このリビドーをすべて創作にぶつけろ俺!!!!!