はてなキーワード: 優等生とは
同世代でサブカル趣味はなかったけどなんかわかる。「優等生や真面目に社会に反抗する奴と思われるのがすげー嫌」というのが90年代の雰囲気で、小山田にとっては、そういう「俺は真面目優等生じゃない、学生時代は結構悪かった」というアピールをするためのエピソードの一つにしかすぎなかっったんだろう。
多分当時読んでたら、「ひどいやつだな」とは思ったと思うけど、それでアーティストとしての評価が下がるということはなかったと思う。むしろ「いじめられていた」という告白の方が「カッコ悪い」という印象になったんじゃないかな。
当時のテレビはとんねるずとダウンタウンが席巻していたけど、ほぼ学校でのいじめをバラエティ化したもので、いじめが悪いという建前こそ一応あったものの、その意識は現在よりもはるかに弱かった。今テレビがつまんなくなったというけど、90年代には絶対に戻っちゃダメだと強く思う。
班長お疲れさま。周りの子たちの理解がない態度が悲しいね。私も独り言のように書かせて欲しい。
子供の頃は優等生タイプで物わかりも良かったので、障害学級に通う男の子と机を並べたり、ペアになったりすることがあった。物静かな相手だったし、嫌ではなかった。たぶん小学二年生のとき、風船にひまわりの種とお手紙をつけて飛ばすという行事があって、文章が上手くかけないその雄作くんの代わりに私が手紙を代筆して用意した。校庭に全員が揃って風船を飛ばした。極稀に風船がどこかにたどり着いて、返事が返ってくることがあった。そんな児童はクラスに1人か2人くらいで、それは鼻高々だった。そしてうちのクラスでは、かの雄作くんに3つ離れた市のおばあちゃんからお返事が届いた。クラスは一瞬沸いたあと、どうしよう…?という雰囲気になったのだと思う。私がまた返事を書き、以降、下島セツさんと私は10年近く文通をすることになった。
セツさんとお手紙をやり取りするのは楽しかった。先生でも親でもない大人の友達がいるのは面白かったし、いつも丁寧な文字で私のことをめいいっぱい褒めてくれた。けれど、この文通は本当は雄作くんが楽しむはずだった、という受け止めきれない思いがずっとあった。今でもある。私が雄作くんのお世話をすればするほど、先生も雄作くんの親御さんも私の親も、みんな立派だと褒めてくれて気持ちよかったけど、雄作くんはどうだったんだろう。私が良い人になるための道具みたいに、なってはいなかっただろうか。私ばっかりいい思いをさせてもらったような、居心地の悪さがついぞ消えない。
それに中学に進んでから、すっかり雄作くんみたいな子を表で見ることがなくなってしまった。元気にしているのだろうか。ご家族ともども、楽しい時間が人生の中にある日々だろうか。多様な人の暮らしに思いを馳せたくても、目に映らないからつい忘れて居ないように感じてしまう。あの日々、私は雄作くんの友達になれていただろうか。
消えた友達なら、正美ちゃんもいた。親同士が仲良くしていた一家の末娘で、出産時の事故で脳障害を負ってしまったという。意思の表明が難しく、楽しんでいるのか、嫌なのかも、私には常によくわからなかった。あまり上手く立てなかった気もする。ただ、とびきり綺麗だった。10歳近くになっても幼子のあどけない眼差しが残っていて、野山を駆け回っていた私とは比べものにならないくらい肌が白かった。故に、ちょっと大きいお人形さんみたいだと感じていた。お姉ちゃんと私が同い年ということもあり、学区は違えど休みの日にはしょっちゅう行き来して遊んだ。
ある日、大きなワゴン車1台に乗り合い、正美ちゃん一家と我が家は合同でお出かけした。私は助手席の後ろに座っていて、ふとバックミラーを見ると、薄暗い最後部に座る正美ちゃんがさっき買った油揚げをムシャムシャと食べていた。大人たちは仕方ないねえなんて笑っていたが、妖怪のように勢いよく食べる様子は冷や汗を感じるほど怖かった。あの日から接し方が分からなくなったのだと思う。もしかしたら、正美ちゃんがうちの家族じゃなくて良かったなどと不埒な思いが、頭をよぎったのかもしれない。それまで、お友達という存在は増えることはあっても減ることはなかった。私は正美ちゃん一家の消息を知らない。あんなに日々を共に過ごしたのに、いつしかいなくなってしまった。
もう一人、記憶に残っている子がいる。小松くんと言って、白いハツカネズミみたいな印象の男の子だった。こっちは普通学級にいたけど、おそらく今ではボーダーと言われるようなタイプで、問題児だった。座っていられない、話を聞けない、加減がわからない、善悪が分からない。優等生の私からするとエイリアンみたいだった。笑い顔が怖かったし、なんだか不潔な感じもした。なるべく関わらないようにしよう、私はああいう感じではないし、と軽蔑の気持ちがあったことは間違いない。天は人の上に人を造らず、みたいなお題目はさておき、クラスにはカーストがあることをじんわり感じ取り始めた小学校高学年の頃だったと思う。
当時、中学受験に挑戦する予定だった私は、学校のテストなんて勉強無しで受けて10分以内にすべて回答して95点〜満点をとることが当然だった。(特例で、終わったら図書館に行っていいことにすらなっていた。)特に国語は大得意だった、はずなのに、ある日のテストで1問解けない漢字問題があった。それはもう焦った。今までケアレスミスで失点することはあっても、解答欄を埋められないなんていう事態はなかった。悔しいことに、悩む時間はたっぷり残されていて、私はもんもんとその空白を眺めていた。ふと周囲を見渡すと、隣の席の小松くんが目配せをして、もぞもぞ体を動かしてくれた。何をやっているんだろう?と一瞬考え、すぐに私が彼の回答をカンニングしやすいように見せてくれていることに気がついて頭がカッとなった。私の埋められない例の一文、彼は埋めていた。
その答えを写したか、頑なに知らんぷりをしたか、どうしても思い出せない。モヤがかかったように思い出すことができない。私はもしかしたらカンニングをしたのかもしれない。でも記憶の端っこは、格下だと自分でカテゴライズした人に優しくされたときに沸き起こった、恥ずかしいような情けないような悔しいような、ドッと押し寄せた表に出せない感情で終わっている。自分の中に人様を格付けした卑しさを自覚し、またそんな存在が優しい気持ちを持っていることに驚き、さらに憐れまれたことを悔しく思い、そう悔しく思う自身の下卑さをまた思い、ぐるぐるとパニックになったのだろう。
やがて大人になり、権利を主張することも、自分の言い分がいかに正しいかを当たり障りなく主張する口技も、日頃から誠実そうに振る舞ってここぞのときに有利な立場を得る処世術も、覚えた。それで日々をなんとか乗りこなしているし、厄介事も避けて生きている。
けれどどうして、思い出が胸に蘇る日がある。誰かと誰かがせんなく争っていたり、白黒をつけたがっていたり、ジャッジメントを求められたり。人は助け合って生きていくのよと教わった日々から遠く離れて、誰かを助け、誰かに助けられることを受け入れられる大人になれただろうかと考えてしまう。人に上下はなく社会的な有利不利しかないという事実を自分が常に弁えていられているのか、思い出すたびに突きつけられて泣きたくなってしまう。
ほかは、解釈は広いし、そこまで酷くないだろ……
と思って、歌詞を見てみた。
https://www.uta-net.com/song/304161/
この歌、コロンブスは別として、2つ現実の事象を描写している。
それ以外はぼんやりした何とでも取れる話。
で、その2つは、
途方もない時間を割いて
捻り出してきた(ようやく)
拍子抜けに乾杯(完敗)です
ポテトヘッドは(what's rule)
謎めいてく昨今のルール
なのだが、
まあ、あだ名なしルールは、20世紀に子供時代を過ごした者にとっては違和感を持つところは無いではないが、現場の知恵として、有効だと考えてやっているのだろうし、単純に愚かな事と断じるのも浅はかだろう。実際昔からあだ名で加速するいじめはあった。そもそも、いじめ対策はそれだけでないだろう。
これに続けて、『正義ふりかざすいじめっ子 一番厄介な現実』と言うにいたっては、何が言いたいのかわからない。
そして、後者のMr.ポテトヘッドにいたっては、事実誤認である。
おもちゃのシリーズブランドが『Mr. Potato Head』から、『Potato Head』に切り替わるのであって、Mr. Potato Head も Mrs. Potato Head もキャラクターとしては変わっていない。Mr. も Mrs. もいるのに、ブランドが Mr. なのはどうか、というので単に「Mr.」を外すのだ。
https://corporate.hasbro.com/en-us/articles/create_your_potato_head_family_launching_this_fall
つまるところ、この歌の芯は、ワイドナショー史観というか、予断に満ちた『いきすぎた』ポリコレを笑うという程度の視点しかもたないのである。
(ワイドナショーでポテトヘッドの件を揶揄していて、わかってないなーと思った記憶がある)
本気で作ったという歌が、ポリコレを揶揄する視点しか持てないのは、まあなんというかね……。せめてそれ以外の視点もあれば説得力が多少あったろうに、自民党のLGBT法案めぐる情けなさとか、オリンピックのあれこれとかさ。
https://anond.hatelabo.jp/20210611131033
元増田ではないけれど俺が頭悪いなって思ってかつこいつ嫌いだなって言いたくなるのはこういうタイプですね。
hatebooon 非表示にするのはいい。ただし誰にも言わずそっとやれよとは思う。優等生がクラス全員の前で「頭悪い奴は嫌い」って発言したら、こいつ嫌いだなって思う。
こういう阿呆が何がタチが悪いかというと、自分は頭いいと思ってるところ。
逆に、こういう感情論でわめいてるだけの人は、ただの馬鹿だなあと思ってだまって非表示にするだけで特に文句はない。
tamatamayanyan お前が1番頭悪いわ
ちょっと前のセレブバイトの話、いろんな意見があったけど、ご本人もいろいろ反論してたようだけど
片手間に高度な専門知識が必要な仕事をやる女性、そんな女性を妻に迎える男性、という家庭に想像がつかない、自分が想像もつかないような上流階級があるのだなあ、という話なんだろうとは思う
自分も田舎の優等生、この発言者と似たような立ち位置だろうから気持ちは分かる
けどなんだろうな、そこに勝てない、とか妻に持つ、とかいう言い方を使ってくる価値観が、なんというか教育教養のなさ、田舎の貧しさを感じさせられるよなあ、と思った
本人は男女のキャリアの話やら女性のモノ扱いやらの話がしたいわけじゃない、そこは門外漢だし今自分が言いたいことではない、と主張されていたけど
無意識に刷り込まれ他に表現のしようがないから使う言葉の端々・思考の端々が教養の不足を感じさせられて、ああ貧しいなあと思った
セレブバイトを片手間にやる専業主婦の夫はさぞかし高給取りだろう、妻は十分な教育を受けられる良い家庭に育ち、高度な専門知識を得たのにそれをやすやすと捨てられるほどの家庭なのだ、という発想は分かる
けど、そう考えるところが叩かれるところの古い価値観に囚われている
実際のところ同時通訳のフリーランスのカップルということもある、ごく普通のサラリーマンの夫を持ち勤務時間の定まらない妻に対して家事は夫がやっていることもありうる
そういう発想に思い至らず、セレブバイト妻をゲットした超セレブ男性と考えた、そのことがなにかもう卑屈でみっともなく思えてしまう
7年前の成人式の夜、俺を嫌っている同級生とキスをした。俺は、彼女を好きでも、嫌いでもなかった。でも、恋人が途切れると、あの夜のことを思い出す。
彼女と俺は、同じ苗字だった。世間的にはそうそう多くはないが地元にはままある、といった苗字だ。1学年1クラスの小学校で、たまたま俺の学年には彼女と俺のふたりだけだったせいで、「お前ら夫婦じゃ〜ん」だなんだとよくからかわれた。
どうやら彼女は俺を嫌っているらしいと気が付いたのは、小学3年生の秋のことだ。運動会の練習中、俺は組体操の逆立ちができない彼女を笑ってしまった。言い訳をするならば、子どもらしい、ささやかなちょっかいだったはず。しかし、彼女はふーっとため息をつき「そうだね、できないよ」と答えた。それは「強がり」というには冷たすぎて、俺は少し狼狽えた。
勉強のよくできた彼女は、からかいやふざけたノリを快く思ってはいないようだった。俺や俺の悪友たちがちょっかいを出しても、ほとんど気のない返事しか返ってこなかった。頭のいい男子とは、楽しそうに話している姿をよく見かけた。
中2の終わり頃、彼女が1つ上の生徒会会長と付き合っているという噂を聞くようになった。彼女とよく話していた生徒会のガリ勉が、あからさまにショックを受けていた。俺は、なるほど、順当だな、と思ったくらいだった。要するに、そのくらい、彼女と俺との間には壁のようなものがあったのだ。
優等生だった彼女が成人代表の挨拶をしている間、俺は市営ホールの座席でパズドラをやりながら、隣のやつとこそこそ話していた。集合写真を撮るとき、彼女は挨拶までしたくせにささっと端に立ち、控えめに微笑んでいた。俺は、ばあちゃんに買ってもらったポールスミスのスーツを着て、真ん中でふざけたポーズで写真に写った。
成人式当日の夜、小学校のクラス会があった。任意参加だから初めから気心の知れた友達と飲んでもよかったのだが、俺は何となく成人式特有の空気に流されるようにしてお仕着せのクラス会に行った。
彼女と何年ぶりかに話をしたのはそのときだ。俺にだけ冷たいと思っていた彼女は、酒を飲んで上機嫌に笑っていて、なんとなく寂しいような気がした。大人になってもツンケンされるほど、気を許されているわけでもないような気がして。
「ぶっちゃけ、俺のこと嫌いだったっしょ?」
酒の勢いで、聞いてみた。「実は好きだった」とか、「素直になれなくて」的な答えを期待していなかったといえば嘘になる。
ところが、彼女から返ってきたのは、「……わかる?ごめんね、私ほんと子どもだったから」という肯定の言葉だった。彼女は当時の心情をオブラートに包み、ていねいな言葉で謝罪してくれた。早熟だった彼女はからかいやちょっかいといった面倒なやり取りが嫌いで、うるさくてやかましい男子に、嫌気がさしていたという。そこに「同じ苗字」で「やかましい」俺が、ぴったり合致していたのだと。
俺は、「ほんとごめん、俺うるさかったよな」と答えるしかなかった。
有り体に言えば、俺にとって彼女は「好みの女」ではなかった。「うるさくてやかましい小学生男子A」から、「うるさくてやかましい中堅グループのA」になった俺は、それ相応の相手と付き合いたいと思っていた。だから、それまで付き合った相手はスカートを2,3回折り、前髪をカラフルなピンで留めるタイプの女子だった。その点彼女はどこまでいっても「品行方正な優等生女子」で、制服のスカートは膝丈、髪を巻いているところを想像できるようなタイプではなかった。
大人しくて華やかなグループに属しているわけではない彼女だから、うまくやっている俺のことを憎からず思っているとしてもおかしくない、そんな驕りがあったのだ。蓋を開けたら、満更でもないと思っていたどころか、嫌っていたという。俺が幼い頃感じた衝撃は、何も間違っていなかった。
俺が不相応なショックに打ちひしがれているあいだ、彼女は俺をフォローしてくれていた。テニスで県大会に出たんでしょとか、そのスーツおしゃれだねとか、穏やかな口調の褒め言葉で。俺はものすごく恥ずかしくて、酒をがんがん飲んだ。すると、必然的にトイレに行く機会が多くなる。彼女はその度に「大丈夫?飲みすぎてない?」なんて声をかけてくれて、俺は自分の小ささを自覚させられた。
そのうち俺は彼女に嫌われていた自分が嫌になってきて、彼女の話を聞きたくなった。酔っているふりをして彼女の大学の専攻のこととか趣味の話とかを聞いているうちに、彼女は「ふつう」に笑ってくれるようになった。
一人の人間として見た彼女は聡明で、話も面白かった。俺もそれなりには大人になっているわけだし、無闇に彼女をからかおうと思わなければ「ふつう」の会話ができる。彼女は俺が持ち出せる精一杯のゴシップや下ネタにもくすくす笑ってくれて、まるで「ふつう」の友達みたいだった。俺が何の気無しにかけていたちょっかいがなければ、もう少しいい関係があったのかもしれない、そんなふうに思ったりもした。
2時間くらい、飲んでいただろうか。もう一軒行こうか、という話が出始めると、彼女のところにはわっと人が集まった。優等生タイプの男女以外にも、陽キャグループの奴もいた。俺はといえば、携帯に同じテニス部のメンツで飲もうという誘いと高校の同級生で集まろうというメッセージが届いていて、彼女と同じ店に行く流れは微塵もなかった。
友達が会計にもたついていたせいで、彼女はもう店の前にはいなかった。駅の方に少し離れて、はしゃぎながら歩く集団の端を歩く彼女が見えた。店の前で騒いでいる友達を置いて走って、彼女を呼び止めた。「忘れ物が」とかなんとか、適当な理由をつけたと思う。
「なあ、ホテル、行かない?」
冗談めかして尋ねると、彼女はあははと笑って「いいよ?」と言った。もちろん、それも冗談だ。「じゃあさ、思い出にキスしていい?」ふざけた口調で続けたら、彼女は笑って一歩俺に近づいた。
どこまでやっていいのかまごつきながら肩に手をかけると、彼女は俺の頭に手を回して唇を押し付けてきた。学生時代、ちょっとぽっちゃりしていた彼女は大人になっても胸と尻がデカく、思わず抱きしめたら胸がむにゅと潰れるのがわかった。街灯に照らされた首筋が真っ白に見えた。唇は柔らかく、ほのかにビールの匂いと、りんごのような香水の匂いが混ざって、酔っ払っている頭がぐらっと煮えたぎるような感覚がした。思わず口を開けると、ぬるりと熱い舌が俺の舌を絡めとった。
長いのか一瞬だったのかもわからないキスは彼女の意思と彼女の行動によってのみ行われ、俺は「される側」でしかなかった。唇を離した彼女は俺の背中を軽く叩いて、「またいつかね」と言い残し、友達を追いかけて戻っていった。
やっぱり、彼女は「好みの女」ではない。だから、このキスを思い出すのは、数ヶ月から数年に一回、女に振られた時だけだ。「またいつか」はくるのだろうか。そのときがくるとしたら、どこまで許されるんだろうか、とか。
今でも付き合うのはスレンダーな女ばかりだけど、動画を探すときは「ぽっちゃり」だの「むっちり」だの検索してしまう。別に、彼女の夜の顔を想像しているわけではない、そう言い訳しながら。
できれば50万人ともいわれる学生・就労ビザの在日中国人は全員母国に帰って頂きたい
習近平国家主席の目玉である巨大経済圏構想「一帯一路(BRI)」の世界的規模の挫折は、プロジェクトに関連する国々に失望をもたらした。関与しているのは68カ国である。
そのうえ、「中国製のワクチンはちっとも効かない」(中南米諸国)、「勝手に工事をして代金請求なんてトンデモナイ」(アフリカ諸国)、「えっ、あれ寄付じゃなかったの? 条件という台湾と断交までしたのに」(南太平洋の某国)。
中国に弱腰だったフィリピンのテオドロ・ロクシン外相も5月3日、「友人である中国よ。どうすれば丁寧に言えるだろうか。そうだなぁ、消え失せろ」と怒りのツィッターを発信した。フィリピンが領有権を主張する南シナ海・スプラトリー(中国名・南沙)諸島周辺に、多数の中国漁船が居座っていることに反発したようだ。
東京五輪・パラリンピックが近い日本は中国批判を控えているが、武漢コロナの死者は日本でも1万3000人を超えた(6月1日時点)。それでも、日本のメディアは中国に遠慮して「武漢コロナ」とは言わず、「新型コロナウイルス」と抽象的な語彙を使用している。台湾のメディアは断固として、「武漢肺炎」と表記している。
東南アジアの「中国経済圏」4カ国は感染がすごいことになった。
国境を越えて中国から入国がしやすいラオスは、首都ビエンチャンを封鎖。カンボジアも、プノンペン、シアヌークビルなどの都市を封鎖した。タイの首都バンコクでは外食を禁止し、ベトナムは「入国後の隔離期間」を21日間に延長した。
ベトナムは、アジアで最も被害の少ない「優等生」と言われたが、カンボジアからの不法入国者が持ち込んだ。「在外ベトナム人は帰省するな」と出稼ぎの人々に呼びかけた。
ウイルスの奇種(変異種)で痛手を被ったインドでは、死者が100万人を超えるのではないかと予測され、中国への怒りが渦巻いている。日本と米国、オーストラリア、インドによる戦略的枠組み「QUAD(クアッド)」を大きく宣伝し、インドは正面から中国に対峙(たいじ)して、「南アジアの覇者は俺だ」と態度で示している。
ミャンマーでも、中国の一帯一路プロジェクトが抗議活動の標的となった。インドネシアは、中国船を砲撃して沈めたり、なかなか挑発的である。インドネシアは、中国が建設する新幹線工事が5年も遅れていることにいらだち、不信感をあらわにした。
子育てって実は向き不向きが強烈にあるように思うんだよな。
特に子供の頃から優等生で生育過程のハードルを順序よく間違いなく越えてきたようなタイプにとってかなり不向きなんじゃないかと思う。「計画」とか「コントロール」みたいな考え方が軒並み通用しなくなるからね。能力云々と言うより性格的に向いてない。
そんで、共働きパワーカップルは男女共にこの手の優等生タイプが多い傾向があると思う。そういう人達は子育ての段階になって人生で初めて「向いてないこと」に取り組まざるを得ない事態になり、なんだこりゃ思ってたのと違う!!となって、それまでの人生で培った言語能力でもって大騒ぎし始めるんじゃないかという気がする。
たぶん小学校ではかなり勉強ができて周りからもたくさん褒められたタイプ。
中学、高校でもそれなりに「学校のお勉強」は頑張ったタイプ。ただ、高校生くらいになると周囲の人間の評価における「学校のお勉強」の比率はドンドン下がる。顔面偏差値やスポーツ、ファッション等の比率が上がり、知識だけ持っていることの比率が下がる。大学、社会へと進むごとに「実行力」の比率が割り込んでくる。
そうして「知識だけ詰め込んできたあたまでっかちな元優等生」の価値がなくなる。学校でも会社でも、しょうもない蘊蓄を垂れるだけの人間なんて大した価値がない。蘊蓄垂れ蔵に価値があるのはせいぜい中学生くらいまでだろう。
異世界転生モノで「〇〇の知識を持った俺が~」系が多いって結局、これに対するコンプレックスなんだよね。知識を持っているだけでチヤホヤされた時代カムバック! ついでに生まれ変わることで見た目もリセットしちゃお☆
なろう系なんか読んでる奴は底辺って言われることが多いけど、ガチのマジの底辺はなろう系なんか読まない。小説を読むってこと自体ができないし、そもそも一瞬でもちやほやされた時期がないから、生まれ変わったところで自分がちやほやされるなんてまったく期待してない。夢を見る余裕もない。
物に当たる行為が試合中の適切なアンガーマネジメントであるかのごとく正当化する評論家の口調を見て、自分もテニス界に失望した。ヨーロッパではスポーツの社会的地位が高いとされ、いくらスポーツに秀でていても社会人としての振る舞いが適正でなければ批判の対象となる、という。その中でもテニスのトッププロは社会意識が高く、しばしばその「ノーブレスオブリージュ」な振る舞いが例に挙がるくらい「スポーツ界の優等生」なのだというイメージがあった。だが、この件でそれが「勘違いした貴族意識」なのではないかとさえ思わされた。
「物に魂が籠もる」というのは、決してメジャーではない勝手な信仰に過ぎないのかもしれない。だが一方で、「金さえ払えば好きにしていい」という考えがメジャーなものだとも思わない。一流の料理人は、客が金さえ払えば自分の渾身の一皿を床にぶちまけられても平然と対応するべきか? 一流の家具職人は、客が金さえ払えば全力で作った家具を落下実験に使われても平気か? それでいいなら、テニスのトッププロとやらは、自分らが命を賭けて戦った大会の映像を使ってネタ動画作られても、一言の文句を言う資格もないことになるだろう。
何かを壊したいのなら、最初から自分で土をこねて焼き物でも作ってそれをベンチに置いておけと思う。別に彼女に限った話ではない。そもそもラケットを壊すな。少なくとも人の見本になろうとする人間の振る舞いとして、それは見苦しいことこの上ない所行である。
別に人に向かって言うとかじゃない 心の中でだ
今までは『自分よりしんどい思いしてる人はごまんといるぞ!なのに何だ?その程度で死にたいって』
とストップをかけていた
軽々しく言うなよ、みたいな
他者の痛みなんて推し量ることしかできないわけだから、比較しても無駄なんだけど
なぜか自分の辛さは軽めに見積もって比較して『お前なんかまだまだやれるだろ!』と己を叱咤していた
そしたら胃をブッ壊した
なんとなく兆候はあったけど『世の中にはもっと働いてる人いるぞ!』と無理やり身体にムチを打っていたらこの様だ。
色んな人に謝って仕事遅らせてもらったり、はたまた企画ごと消えたりとかして罪悪感に苛まれつつ療養した
1ヶ月後、何とか復帰して今に至るが、まだ完全に本調子ではない
そんな中で、誰にも迷惑かけない心の中ですら本音を殺すのってよくないのではと気づいた
本音を紙に書くのも考えたけど、文字にして視覚情報として目にするのはなんか嫌だ
なので、心の中には何の制限もかけないことにした
死にたくなったらうわーー死にたいなと思う
ストレスがみるみる減るとかじゃないけど、自分は心の中で素直になることでちょっと楽になった
他の人から見たらうざい人を見たらうぜーって思うのは多分普通のことだと思うし
「え?」って思ってると思うが
要約すると、自分は今まで心の中で優等生になろうとしていたということだ
当たり前のことに気付くのにかなり時間がかかった
これは免責事項だが、この文章はホッテントリに浮上しているほぼ同一テーマの増田とは一切関係がない。俺があれらを、例の増田とそれについての言及全てを読んだかどうかはお前らの知るところではない。そしてこれは単なる一個人の身に起こったことであって、白状するとタイトルは風呂敷を広げまくっている。誰かの子供が俺と同じIQと発達障害とを持っていたとしても、俺と同じ末路を辿るとは限らないし、おそらく俺は道を踏み外しまくっている。誰かがこうならないようにこの一瞬だけ適当に祈っておく。
まず具体的数値を挙げる。具体的数値というのは俺が中学2年の春頃に児童精神科で受けたWISCの結果の話だ。ちなみに俺の持つ発達障害というのはADHDであってそれ以上でもそれ以下でもない(数学的に言えばどちらでもある)。こちらにも責任というものがあるし、何よりもこれらを挙げずしてなんとなく高IQっぽさを示唆するだけというのは信憑性にもエンタメ性にも欠ける。
知覚推理:133
ワーキングメモリー:115
処理速度:118
どういう計算をすればこのような(例;なぜ下位分類4つの平均を全検査IQが上回るのか?)ことになるのかと言ったような、検査そのものに関する疑問には答えられない。それは俺も知らないしこれから俺が書かんとしていることには特に関係がない。標準偏差15の世界では70以下と130以上が異常値とされるそうなので非常にスレスレではあるがタイトルには高IQと入れた。だから何とかではなくこれから書くことにもこれらが密接に関わっているかと言われるとそんなことはない。深い意味はないし、インターネットではしばしば非・インターネット界との語彙の乖離が見られるので、これを読んでるお前が数値の高いか低いかを勝手に審査すればいい。オタクが勝手にMARCHをFラン扱いするようにな。
小学生の頃から勉強に困ったことはなかった。というか今でも小学生レベルの勉強に困る人間というのはちょっと想像し難いのでこれは何の自慢にもならないだろう。なので具体的なエピソードを挙げてどうこうというのは出来かねる。本当はこのタイミングで中学受験をするかあるいは駅の近くにあるような塾に通ってみるかすればよかったんだろうが自分の親はあまりそういうことを提案してくるタイプの人間ではなかった。のでそうしなかった。
中学に入ったばかりの頃はもう自分が無敵だと思っていた。受験も何もないただの公立中学での話でしかないのにだ。テスト勉強なんてほとんどしなくても学年1位を取った。一つのテストで5点以上失点はしなかった。書けることがあまりない。なぜなら何にもしてこなかったからだ。努力から逃げ続けてきたからだ。なのにそれを自分の能力のおかげだと思い続けてきた。実際には親ガチャだ。俺はSSRを引いて育成をサボった。本当に書けることはない。
これって俺が悪かったのか?(結論から言えばそうである)俺は勉強ができようができまいが怠惰な人間であることは確かだ。なぜなら俺は体育の成績が2だろうが3だろうが全く改善しようとしてこなかったからだ。五教科だって向き合い方としては変わらなかったはずなのに勝手に5が印刷されていた。じゃあなんで勉強ができるように設定されていたんだ? 初めからそこら辺の能力値を低く見積もってくれればよかっただろ。そうすれば俺は怠惰の対価として馬鹿を払うことができた。今は完全にそこら辺の感覚が麻痺している。
結局自分は恐ろしいくらいの怠惰と何かしらの何かが理由で学校を休むようになったし、授業を受けないのに家でも勉強しない(する習慣がない)からテストの成績もガタ落ちした(具体的に、いつ頃からどのように落ちたかすら全く記憶にない)。元から生活や人間関係は終わりまくっていた。ここでいう終わりとは発達障害の弊害として一般に思い浮かべられるそれとほとんど同じと考えてもらっていい。勉強ができるから優等生だと思われていただけで実際の人間性はゴミクズだ。勉強すらできなくなったので完全にそれが露呈していった。出席日数が足りないので地域で最も荒れていた公立のカスみたいな高校を受験するしかなかった。俺が1位を取り続けた間2位だった奴は県で一番の高校へ進学した。友達の、物分かりが悪いが努力家だった奴もそこそこの高校へ行った。俺がそこそことか評価する資格は別にない。二人ともめちゃくちゃ努力家だった。
俺はそのカスみたいな高校すらすぐに通えなくなって中退した。高校でのことはほとんど中学時代の後半と変わらない。
高認を取って今は受験を控えている。生まれてこの方努力というものをしたことがないので受験勉強もどう手をつけていいのか分からない。志望校も決めていないが多分落ちるだろう。もしくは高校と同じでカスみたいな私大にしか受からないだろう。模試も受けたことがないので判らない。申し込んだこともないしこれからそうしようとも特には思わない。結果が出たら自分の偏差値や全国順位みたいなものが出るんだろ。俺は何も模試の申し込み方法や受験会場を調べるのが億劫なわけじゃない。それらを目の当たりにするのが怖いだけだ。
努力するのが怖い。俺が今までに経験してきたのは「努力しなかったが上手くいった」場合と「努力しなかったので上手くいかなかった」場合だけだ。努力して上手くいかなかった場合にどうすればいいんだ? みんな、必死にテスト勉強をして、受験勉強をして、それで一位を取れなかったら、通える範囲内で最も偏差値の高い学校へ受からなかったら、どうするつもりだったんだ? どうしてたんだ? 俺はどうすべきだったんだ?(俺がすべきことが努力だったのは明白だ)
全ては個人の感想であって、もっと言えばこの文章は全て創作だと思っていただいても差し支えない。これが本当のことかどうかを確かめる術はお前らにない。ただ、もし自分のことを天才だと思っている中高生が、あるいは自分の子供がギフテッドだとか思っている親がこれを読んでいたら、考えを改めたほうがいい。それが難しければ孫正義育英財団でググって財団生紹介のページを上から下まで眺めてみればいい。そして学校にちゃんと通って、真面目に机に向かって、何よりも俺みたいにならないでほしい。それ以外に言いたいことはない。
テレワーク期間を利用してVHSの整理をしていたら2000年にHNKで放映された俺の中では6本の指に入る傑作「6番目の小夜子」が出てきた。
見てみると、当時俳優デビュー1年目16歳の山田孝之が出ていて「うおっ、えらい正統派美少年やなぁ。これが今のテストステロンドバドバの雄臭い個性派男優になるんか」とびっくりしてしまった。身長は伸びなかった。
山田の二つ年上の俳優の藤原竜也はデビューから蜷川幸雄の寵愛を受けていたからか、同年に出ていたバトルロワイアルでは今の「と゛お゛し゛て゛た゛よ゛お゛お゛お゛!」の原型は完成していた。
山田の一つ上の小栗旬は2年前の1998年にはGTO(ポイズン)に出演しており、いかにも線の細い優等生感ある軟弱そうな少年だったが今では立ってるだけでサマになる雰囲気高身長男優に立派に進化している。
当時の自分は彼らを20年後にこんな目で見るとは思わなかった。人生って不思議なもんだ。
今の若い子が見ている若い俳優が20年後にはどうなっているか、私にはよくわからんがジャニタレばっかりでかわいそうとも思わない。
TOKIOの長瀬智也、NEWSの山久智久は6番目の小夜子の同年というか同クールに池袋ウエストゲートパークIWGPに出演していたが今でもコンスタトに俳優活動を続けている。今では立派な男の色気溢れるいい男優だ。
前記事
https://anond.hatelabo.jp/20210508225508
書いてから一晩たったのと、いろんなブコメを読んで、頭の中が整理された。
で、ずいぶんひどいことを書いたと反省した。
池江選手を攻撃する意図はなかったのに、書いてるうちに熱くなってきつい言葉を使ってしまった。
「あのツイートは無責任だよね」ぐらいの気持ちしかなかったのに、人を死なせる覚悟を持てとか無茶なことを書いてしまった。あれは言いすぎた。持たなくていい。嫌なことからは目をつぶって生きていけばいい。みんなそうしてる。
前記事の追記にも書いたけど、アスリートは辞退すべきなんて微塵もおもってない。
5月7日に「池江璃花子のTwitterに五輪辞退求める声が寄せられている」という記事を読んだときは、「ああ、たちの悪い人にからまれてかわいそうにな。選手は何も悪くないのに」と思ってたぐらいだ。池江選手を応援してたぐらいだ。これは嘘じゃない。
でも、だからこそ、池江選手の一連のツイートを読んで失望した。
言っておくけど、これは俺が悪い。俺が勝手に池江選手を「心ない人から攻撃されるかわいそうなヒロイン」として高潔な人物に仕立てあげてたからだ(今となっては俺こそが池江選手を攻撃する心ない人間なわけだが)。
このタイミングで、公式な表明ではなくTwitterという私的なツールを使って発信するからには、きっと忌憚のない意見が読めるとおもって。
ところが、あの優等生の模範作文でしょ。なんじゃそりゃ。あえて言うことがそれかよ。そうじゃないだろあんたの本音は。
彼女は嘘はついてないけど、本当のことも言ってない。そう感じた。俺がひねくれてるだけかもしれないけど。
他のアスリートもみんな言いたいことはいっぱいあると思う。だけど我慢してる。自分の立場や、コーチの立場や、協会の立場を考えて。
その中で意見を発表するからにはさぞかし強い意志があるのだろうとおもったら、ぜんぜん本音が伝わってこない。いや、一箇所だけ伝わってきた。
それが
「私に反対の声を求めても、私は何も変えることができません。」
の一文だ。
これって言葉を飾ってるけど要するに
ってことでしょ。
いや、正しいよ。100%正しいよ。そのとおり。開催を決めるのは選手じゃない。何も間違ってない。
けど、今このタイミングで、わざわざ名前出して書くのがそれか?(くりかえし書くけど俺が勝手に期待して失望しただけだからね。彼女は悪くない)
私に責任はありません宣言かよ。だったら黙ってたほうがマシじゃん、って思っちゃった。
で、増田にひどいことを書いてしまったわけだけど、一夜明けてよくよく考えてみるとべつに池江選手だけが無責任なわけじゃない。
無言を貫いている他の選手だって「上の人がさっさと決めろよ」と思ってるだろうし、水泳協会の偉いさんだって「都や国が決めろよ」って思ってるだろうし、都知事は「国が決めろ」と思ってて、首相は「IOCが決めてくれ」って思ってて、IOCのトップは「日本が決めろ」って思ってるのかもしれない。要するにみんな無責任だ。
我々だって、自分に何の影響力もないってわかってるから「さっさと中止しろ」って言えるけど、もし自分が組織委員会の会長だったらぎりぎりまで決断できないとおもう。
つまりはみんなずるくて、みんなと同程度に池江選手もずるさを持っている。それだけ。いや名前を出して「私に責任はありません」宣言をしただけ、黙ってる人よりも潔い。
だからことさらに池江選手の発言をとやかく言うのはアカンなって思った。ごめんなさい。
【最後に】
増田を見にきて、鬼の首でも取ったように「匿名はずるい!」「増田は無責任」「Facebookで実名出して書け」って言ってるやつ(及びそれに賛同してるやつ)がたくさんいるけど、噴飯ものだわ。
その進路をとって周囲の優等生ぶりに驚き、伸びなやんで鬱になり逃げだしているとは考えないのだろうか
テストは大体100点だった。
ただ友達付き合いが壊滅的に下手で、中学に入ったころから学校に居場所がなくなり、年単位の不登校になった。それはここでは省略する。
高校からは真面目に登校し、友達もできて、勉強も遅れを取り戻すことができた。
高3になり、大学受験に向けた模試では毎回旧帝薬学部が狙えるレベルだった。
緊張して臨んだセンター試験は9割。正直、自分スゲエと浮かれた。
でも待てよ、と立ち止まった。
もし落ちたらどうなる?
学校や塾で授業を聞くのは苦ではないが、一人で勉強するとどうしてもすぐネットに手が伸びて1時間2時間が溶けてしまう。
コツコツ一人で机に向かうことが本当に苦手だった。
だからもし浪人すると絶対にネット漬けになり、ダメになってしまうという確信があった。
親元から遠くなるのに不安を覚えたから、地元から出なかった。(これは正解だった。のちに引きこもりになり生活習慣も精神的にも不安定になったので毎週実家に帰って会話する相手がいてかなり救われた)
当然合格し、駅弁大学に入学。どうやら50人以上の学科で入試の成績が一位だったようで、表彰もされた。
入学するとオリエンテーションやサークル勧誘で異性からたくさん話しかけられた。
新入生の女ならちやほやされて当たり前なのだが、こんな私でもリア充になれるかも?と少しだけ夢を見させてもらった。
しかしその少し後に、私は衝撃を受けた。
どこがわからないのか考えても、一から十まで全部としか言いようがない。
何せいきなり理解不能な単語や概念が当然のもののように出てきて、それを前提にどんどん講義が進んでいく。
その専攻は高校では好きな科目だったはずなのに、しょっぱなから「高校までで習ったことは嘘です。本当はこうなっています(意味不明な説明)」と打ち砕かれる。
極めつけは実験科目で、実験器具を目の前にして何をどうしたらいいのか教科書を見てもまったくわからず固まってしまい、「あ、これ無理だ」と確信してしまった。
授業にもついていけないし、人間関係も、最初は同級生と仲良くできたものの一歩踏み込んだコミュニケーションが取れずに徐々に距離ができていった。
次第に私は大学に行かなくなった。一人暮らしのアパートに引きこもってネットとゲームに明け暮れ、昼夜逆転生活を送るようになった。
土日や長期休みには実家に帰ったりアルバイトをしたりして、そこでだけ人と会話できた。
このままではいけない。なんとかしなければと学生支援センターのあたりをブラブラ歩いていると、入学後でも専攻が変えられることを知った。
これだ、これしかない。
私は文系学部の試験を受けた。普通の入試と似たようなもので、英語と小論文があったと思う。
無事に合格し、心機一転、同じ大学で二度目のキャンパスライフがスタートした。
この学部でも専門科目はわけがわからなかったが、前の専攻とは違ってまだ理解の糸口がつかみやすかった。
また文系マンモス学部なので講義で人と関わることはほぼなく、かつ編入生という明確な立場の違いがぼっちの安心材料になって、余計なストレスを抱えずに勉強できた。
あとはここで躓いたら二留か最悪中退するしかなくなるので、授業も試験も頑張るしかなかった。
幸いなことにその学部は卒業要件がゆるく、ゼミはあるものの卒論すら不要だった。また、私が選んだゼミはゆるさで有名なゼミで、ぼんやりとしたテーマでなんとなく発表する程度で許されたのも運が良かった。
かくして引きこもりぼっち大学生は、一留したものの専攻移動という手を使ってなんとか卒業までこぎつけたのだった。
ちなみに授業と並行して資格試験の学内講座も受けたが、そちらは教えるプロが試験突破を目的とした講義をしてくれるので非常にわかりやすく、自分が得意だった大学受験までの「お勉強」と似ていた。
大学を卒業して長いこと経つが、いわゆる優等生の方だった自分が大学でなぜあそこまで躓いたのだろうとたまに考えることがある。
1.大学で講義をするのは研究のプロであり高校までの教えるプロとは異なるということ。
2.高校までの参考書パラダイスと異なり、底辺大学生に一から理解してもらうための参考書が乏しいこと。(当時の私も一生懸命探したが自分の専攻では見つけられなかった)
3.高校までは「AはBのためCになる」のようなシンプルな絶対的事実をいくつも積み重ねて理解を深めていくが、
大学ではAからZやそれ以上のあらゆるパターンが先に出てくるばかりで絶対的事実に辿り着かず、「結局確実に言えることは何なの?どこから覚えたらいいの?」と地に足がつかないままどんどん先に進んでいくこと。
(よく考えたらお勉強ではなく学問や研究の世界なので当たり前である)
など色々あるが、結局、答えの用意されたお勉強が得意だっただけで、答えのない学問を追究すること、つまり大学進学自体がそもそも向いてなかったのだろう。
高校までのお勉強と大学で学ぶことは全く異なるということは全高校生に知ってもらいたいと思っている。
ここまで読まれた方は、私は発達障害だと思うかしれない。診断は受けてないが傾向があることは自覚している。
しかし「高校までの勉強が余裕だったのに、大学の授業が全く理解できなかった」という話は発達障害界隈でもあまり聞かない。私だけなんだろうか。
逆の理論もあるだろ。ヤンキー学校に属して、ヤンキーなんでしょと外部にあつかわれたら、ヤンキーみたいに行動するようになる。
偏差値で階層化が進んでも、その内部で優等生と劣等生が出る。それはそうだろうけど、でもじゃあ上階層の学校と、下階層の学校で治安に差がないかというと、それは絶対ににないわ。
上階層の学校なら、劣等生だとしても少なくとも授業の邪魔はしなかったり、赤点は取るとしても備品は壊さなかったり、そういうことは起きるよ。進学校の教師であることのある種の楽ちんさ、底辺高の教師であることの面倒さをしらんのか。
そんな風に考えたい気持ちも分かるけど、教育学的に考えれば、そのモデルが正しい保証はない。
たとえば偏差値による階層化が進んだ地域の高校を例にとれば、ある中学校から上位1/3がA校、中位1/3B校、かい1/3がC校ときれいに分かれて進学するとする(塾などの指導で実質これに近いことは起きる)。では、A校は優等生だらけ、B校は普通の子だらけ、C校は不良だらけになるか? …と言えば、そうはならないんだな。面白いことに、どの学校でも、それなりの割合の優等生、それなりの割合の普通の子、それなりの割合の手のかかる子……と分布する。B校にもC校にも、「その学校なりの優等生」は必ずいるし、A校にも必ず「手のかかる子」はいる。
つまり、学校におけるいい子悪い子というのは、かなりな程度、社会的に生み出されるポジションに左右されるということなのだ。考えてみれば分かるが、全員を混ぜていたら、B校で優等生になるはずだった子、C校で優等生となるはずだった子には、ずーーーっと光が当たる機会はなかっただろう。逆に、A校で手がかかるようになった子も、C校に行っていれば「開校以来の天才」として持ち上げられたかもしれない。
「じゃあA校に行かせる理由なんてねーじゃん」となるかというと、これはそうではなくて、多くの親は漠然と、もう一つの影響である「競争効果」に期待しているのだ。つまり、一般的に言って「競争」は、競い合いにふさわしい相手によってその効果が高まる。「とても敵わねええええ」という相手に競争心を発揮できるのはメンタルお化けくらいであって、普通の人は競争そんな風に考えたい気持ちも分かるけど、教育学的に考えれば、そのモデルが正しい保証はない。
たとえば偏差値による階層化が進んだ地域の高校を例にとれば、ある中学校から上位1/3がA校、中位1/3B校、かい1/3がC校ときれいに分かれて進学するとする(塾などの指導で実質これに近いことは起きる)。では、A校は優等生だらけ、B校は普通の子だらけ、C校は不良だらけになるか? …と言えば、そうはならないんだな。面白いことに、どの学校でも、それなりの割合の優等生、それなりの割合の普通の子、それなりの割合の手のかかる子……と分布する。B校にもC校にも、「その学校なりの優等生」は必ずいるし、A校にも必ず「手のかかる子」はいる。つまり、学校におけるいい子悪い子というのは、かなりな程度、社会的に生み出されるポジションに左右されるということなのだ。考えてみれば分かるが、全員を混ぜていたら、B校で優等生になるはずだった子、C校で優等生となるはずだった子には、ずーーーっと光が当たる機会はなかっただろう。逆に、A校で手がかかるようになった子も、C校に行っていれば「開校以来の天才」として持ち上げられたかもしれない。(※)
まして、今回の場合選別が行われているのは小学校入学時点である。正直なところ、その国立以外の2中学校で問題が起きるのは、やはりそれらの中学校が作り出してきた指導体制、学風といったものが大きく影響していると思う。あるいは「どうせ俺らは公立…」的な意識を作り出してきた地域全体の問題ではないか。
(※)
「じゃあA校に行かせる理由なんてねーじゃん」となるかというと、これはそうではなくて、多くの親は漠然と、もう一つの影響である「競争効果」に期待しているのだ。つまり、一般的に言って「競争」は、競い合いにふさわしい相手によってその効果が高まる。「とても敵わねええええ」という相手に競争心を発揮できるのはメンタルお化けくらいであって、普通の人は競争心を失うし、雑魚ばかり相手にしてもそれは同じだ。一般的に言えば、やはりA校の力をもった子はA校に行くのが一番「伸びる」。