はてなキーワード: 仲裁とは
うんそうだね、新人の子がミスしたね。確かにその子は反省しなきゃしけないね。
でものそのあと
「お前が悪いんだろ、俺は知らん」
って言ってそのあとなにもしなかったのは何なの?
いちいち俺に仲裁させなきゃ気が済まないわけ?
「新人の子がミスしちゃって悪いね~。ほんと申し訳ないけどフォローしてあげてよ」
っていちいちいちいち俺が言わなきゃなんねーのかなぁ~~~~~!?
そういうのも俺の仕事のうちって言えばそうなんだろうけどさ
新人の子に電話させて「私がミスしてしまって」から始まる状況報告させてさぁ
君に電話代わってもらうとさ
君は新人の子が100%悪くて自分は無垢な被害者みたいな態度取ってるけどさ
君が新人とケンカ中どんな態度取ってるのか皆に伝わってるからね
何人か君のせいで新人辞めてるよね、君はそういう時だけ素知らぬ顔してるけど
ファンではなかったが夏の魔物で大森靖子を観た。騒動は知らなかったがなんかつらそうな様子はあった。しかし騒ぎの件に隠れてあんまり言われてない感じだけど、魔物でのパフォーマンスが物凄く良かったということは書いておきたい。
パフォーマンスが良いので許せ、とかではなく、そもそも売り言葉に買い言葉的なやり取りから始まったらしいから、冷静に「サンプラザ」氏の仲裁を待てば良さげだし、各ファンが推しアーティストへの想い余って対立側を責めるのはアーティストのせいじゃないから放っときたい。
よく知らないけどメンヘラっぽさは確かに感じた。ならなおさら周りが騒いで関係修復を困難にするのはやめたい。
とにかく俺はこんなつまんないことで大森のあの才能が束縛されるのが忍びない(対するヨ氏についてはパフォーマンスを直接観てないのでコメントしがたいがたぶん同様)
伝統、伝統とはやし立てる一方、伝統と距離を置きたがる人は大勢いる
さてこれを正確に音読できる人はどのくらいいるのだろう
「ちはやふる」と書いて「ちはやぶる」と音読できる人にはたわいもないことだろう
同様に
けんくわ・こうろんにより人をきる事ハ,ておいおほきかたのりうんたるへし。たゝしておい・しにんおほくとも,かゝり候ハヽ,かゝりてのをつとたるへき也
喧嘩や口論で人を斬った場合、怪我人が多い方の言い分を優越させなさい。ただし、怪我人や死人が多くても最初に手を出した場合にはそちらの罪である
戦国時代は怪我人や死人が多数出るほどの「喧嘩」「口論」が絶えなかったので、大名がこういった法を出さざるを得なかったわけだ
「喧嘩」「口論」といっても現代の感覚では理解できない規模だったと想像できる
戦乱に明け暮れていた大名が、地元の喧嘩口論の仲裁に頭を抱えていたとか、あれこれ想像するのもまた一興ではないかな
塵芥集のケースでは喧嘩両成敗の原則はとられていないが、今川領国内の場合は以下の通り
喧嘩に及輩、不論理非、両方共に可行死罪也、将又あひて取かくるといふと
も、令堪忍、剰被疵にをいてハ、事ハ非儀たりといふとも、当座をんひんの
はたらき、理運たるへき也、兼又与力の輩、そのしはいにをいて疵をかうふ
り、又は死するとも、不可及沙汰のよし、先年定了、次喧嘩人の成敗、当座
その身一人所罪たる上、妻子家内等にかかるへからす、但しはいより落行跡
においてハ、妻子其咎かかるへき歟、雖然死罪迄ハあるべからさるか
喧嘩に及ぶ輩は理非を論ぜず両方ともに死罪を行うべきなり、さてまたあえて
取りかかるというとも、堪忍せしめ、あまつさえ疵こうむるにおいては事は非儀たり
というとも、当座穏便のはたらき、利運たるべきなり、かねてまた与力の輩、その支配において疵をこうむり、
または死するとも、沙汰に及ぶべからざるのよし、先年定めおわんぬ、次に喧嘩人の成敗、当座その身一人所罪たる上、
妻子・家内などにかかるべからず、ただしはいより落行跡においては、妻子その咎かかるべきか、しかりといえども死罪まではあるべからざるか
□ロシア
核の能力をどんどん確実なものとしてくれ。世界でのロシアの覇権奪取に協力するならこちらもばっちり協力するぜ。ウクライナそのほかでの恨みを晴らして、悪の枢軸たる米国をつぶしてやるわ。
金氏は我々には逆らえまいて。崩壊したら中国と面倒なことになるので、北朝鮮国家は温存がよし。
□韓国
うまく日本にミサイルを向けさせたい。こっちに火の粉がこないのなら、日本なんぞどうなってもいいわ。
できれば米国にはそっと撤退してほしい。北が平和的に接触してきて、韓半島を朝鮮民族で統一されるだろう。米国が引っ込んだら、憎い日本は過去資産を貢ぐATMとしてしか東アジアで生きのこれなくなるし、経済的価値がなくなったら中国と組んで侵攻してしまえばよい。
□中国
放っておいてもいずれ東アジアは我々のものになる、じっくり適当に付き合ってやろう。もし戦争になって資源豊富な北朝鮮の領土が我々のものになりそうならそれも別に構わんし、日米韓のあいだで仲裁するふりして漁夫の利を得ていようか。
難民うんぬんなんてあまり困らない。タングステン他あの豊富な資源が手に入れば、兵器や13億人を食わせる経済の足しになるし、派遣国家として万全となる。北朝鮮は温存しようが崩壊しようが、本音からすればどっちでもよい。
□米国
面倒くさいなぁ...国内でいっぱいいっぱいだわ、そろそろ手打ちするかね?国際社会からの一致した北朝鮮非難に持ち込むにはだいぶ道のりが長いし、なにしろ韓国が戦禍を嫌がっている。米国内の主流マスコミも(中国共産党とグルか知らんが)反政府状態だ。
妄想70%だが、日本国やばいな。。上記に依らず、どんな結果になるにせよ、なるべく被害を小さくするために、いまのうちにできることはあるかな?
平時のマニュアル外の行動を個人の責任で勝手にやってるのかそれとも上にやらされてるのか不明だけど
統率のある組織行動がとれてないことからその場でイレギュラーな何かが起きてるのが明らかだから
増田が「薬の成分が血液から検出されなかった」の部分が真実なのか疑って健康被害を心配する背景はわかる
不正があると考えるとそもそもの出発点の「血液から何も出ない」が事実ではなくて
敵にわざと嘘を伝えて状況を操作しようとしてる可能性を疑わないのはノー天気だろう
やりとりが事実だとすれば治験に応募してくる患者の命は安いが医師免許を持つ側の常識で
まともな人がこういう仕事に関与してない世界なんじゃないのかな
仮にそうなら監視や仲裁を行うとされる組織もただ建前的に存在してるだけで仕事する場所とは誰も思ってない
性善説で登場人物がぜんいん正直者とすると残りの可能性は薬の製造のどこかにミスがあって薬が解けずにウンコと一緒に排出された可能性だな
はてなの外で擁護生地が出ててそこでは増田の話は信じない前提なのに機関側の主張は全面的に信用して薄気味悪さを感じて書き込んだ
・波風立てるな。
・何事も黙って従え。
・本音を隠せ。
私にはこの三つの呪いが掛けられている。だいたい十五年くらい生きてきたけど、この呪いに振り回されなかった日がない。
きっかけはまだランドセルも背負ったことのなかった時の夫婦喧嘩。離婚届を出されて二人の間に流れる空気が変わったのを敏感に感じ取ってしまった私は、咄嗟に泣きじゃくりながら「やめて!」と叫んでしまった。その時の親の表情。邪魔するな、黙ってろとかそういう感情がごちゃごちゃになった顔を見た瞬間、私に三つの呪いが掛けられた。
その呪いを引き摺ったまま私は小学校の入学式を迎えた。ぴかぴかのランドセルの裏に呪いを隠して、学校に通う私。せっかく出来た友達にも、本心を隠して対応しなければいけない辛さは想像を絶する物だった。学年が上がるごとに、行きたくない日が増えていった。複雑化する人間関係。そして、悩む私に大きな転機が訪れる。
十歳年下の弟が出来た。
病室で小さな弟を初めて抱いた時、咄嗟に思った。私が、この子を守ってあげなきゃいけないと。あの日から未だ止まない親の揉め事と、精神を蝕む呪いから。
初めて制服を着て入学式に出た日。この日から、私は着実に壊れ始めていた。友達に流されるまま入った吹奏楽部では顧問に行き過ぎた指導を受け、ついていけない勉強内容にテストの点数を見て絶望した。しかし、何より衝撃的だったのは、周りの生徒が空気を読んだタイミングではなく、自分の好きなタイミングで笑っていた時だった。
あぁ、私、間違っていたのか。だから苦しかったのか。そう気付いた時、安堵と共に悲しみが襲ってきた。何だか今までのすべてを否定された気がして、涙が溢れて止まらなかった。
そして一年の夏休みの少し前、私は学校に行けなくなった。家に引きこもり、毎日泣いていた。
私が引きこもっている間も、親の口論は止まらなかった。あの日の私と同じくらいの年の弟を庇いながら、必死に仲裁する。けれど内心、守ってくれる存在がいる弟が羨ましくもいた。
その後、不登校のまま二年生に進級。相変わらず事態は停滞していて、私は時間を食い潰して生きていた。教科書を開いてもやる気が出ない。文庫本一冊読み切るのも難しい。昼夜逆転生活で体調を崩し、親とぶつかり合う。私、生きてていいんだろうか?そんな思いを抱えながら、ついに、三年生への進級が決まった。
そして今、進路に悩む三年生。とりあえず高卒資格は取りたい、しかし全日制高校には通えない。じゃあ通信制にしようという事で、公立通信制高校の説明会に行ってきた。高校で何がどう変わるか分からないけれど、少し未来のビジョンがはっきりしてきた気がする。
2015年に、新宿のクリニカルリサーチ東京病院で治験(新薬の実験のバイト)を受けた。
ネット上でよく治験が楽なバイトとして治験が紹介されているけど、あんなのアフィリエイトで広告費がたっぷり出てるからブロガーが無責任に勧めているだけだ。
自分が受けた試験の内容は、飲み薬で確か病院に10泊を二回して約25万円ぐらいをもらえるような試験だったけど、受けたあとが最悪だった。
試験が終わって一週間ぐらい経ってから、自分の携帯に東京クリニカルリサーチ病院から連絡があった。
どうやら、自分の試験結果におかしなところがあったようだった。(自分は医学的なことは詳しくわからないけれど、薬の成分が血液から検出されなかったようだった。)
電話口にでたスタッフはすごく威圧的な口調で、不正をしただろ、不正をしたことを認めないと25万円の謝礼を支払わないぞ、と脅しのようなことを言ってきた。
もちろん、自分は不正なんてしていないし、試験中は穏やかだったそのスタッフが急にそんな威圧的な態度を取ってきたことに驚いた。そのスタッフの本性を見たような感じだった。
不正はしていないと言っても、そのスタッフは不正をしていたことを認めろ、そうしないと謝礼を支払わないの一点張り。
要は、たとえ嘘でも私が不正をしていたことにして、今回の試験結果がおかしかったことを誤魔化したいのかなと思った。
自分は不正はしていない、謝礼を支払わないなら裁判をする、そして自分の試験結果がおかしいのであれば、医療的な保証をするべきではないのか、というとそのまま電話は切れた。
数日後、その上司だというスタッフから先日のスタッフの態度に対する謝罪とともに今回の試験の結果がおかしいことに心当たりはないかという連絡があった。
もちろん、自分に心当たりはない。
そのことを伝えると、その上司はこれまでの試験の経緯と、私たちの質問に答えてくれないか、といってきた。
上司の質問は、私が薬を吐き出したりしたことはなかったか、薬を飲んで気分が悪くなったりしなかったか
などという、試験結果がおかしくなった理由をさぐるような内容だったが、わたしはそんな覚えはないので、吐き出したりはしていない、通常通り試験を受けたと返事をした。
返事をすると、その後その上司から連絡は全くなくなった。メールを送っても返事がこない
私は、25万円は期日通りもらえるのか、私の健康は大丈夫なのかという連絡をしたが返信はなし。試験結果がおかしいのだから、きちんと私に検査をさせるべきではないのかとも伝えたければ返信はない。
それから数日後、その上司からまた当日の体調がどうだったかなどという質問があった。
こちらの質問には返事をしないのにそちらばかり質問をするのはおかしいのではないか、というと上司は平謝りをしてきた。
しかし、上司からの質問に答えると、またその上司とは連絡が取れなくなった。
返信をしてくれ、と言っても返信は全くない。
その後、一週間ほどしてから上司から連絡があり、また試験当日の体調がどうだったかなどという質問があった。
自分は前回と同じく、こちらの質問にはきちんと答えないのにそちらの質問ばかりするのはおかしいのではないかというと、また平謝りをして、どうかこちらの質問に答えてくれという。
仕方ないので質問に答えると、またその上司とは連絡が取れなくなった。
その後、また数週間後ぐらいに上司から連絡があり、今回の試験結果がおかしかった理由がわかるまでは25万円は支払わない、という連絡があった。
それはおかしいだろう、支払わないのであれば裁判をする、というとあっさり25万円は振り込まれた。
その上司の対応があまりにもおかしいので、クリニカルリサーチ東京病院の治験を紹介している(株)アイロムという会社に連絡をした。
するとアイロムのスタッフはまた平謝りで、今回の件について確認をして、その上司とともに私の家に謝罪に来るということになった。
しかし、謝罪の日程を決めるまでに何ヶ月も時間がかかり(メールを送ると、その返事に一週間以上かかる)、結局謝罪のためにうちに来ることはないという連絡があった。
治験に参加をすると、治験倫理審査委員という機関を紹介されて、そちらが施設と参加者との間のトラブルを仲裁するということだったけれど、相談をしても何もしてくれない。
今回の治験の主催である製薬会社も社名を伏せられていて、製薬会社を教えてくれと問い合わせても教えてくれない。
試験の結果がおかしいのであれば、自分の健康をきちんと確認してちゃんとフォローをするのが筋だろうけれど、そういうこともなかった。
労基署、消費者相談センター、厚生労働省に相談をしたけれど、治験は通常の労働とは違うということもあってきちんとした対応はしてくれない。どこも、クリニカルリサーチ東京病院と話し合ってくれというばかり。
クリニカルリサーチ東京病院からしたら、参加者はただの金儲けのための実験台で、その後何かおかしいところがあっても誠意を持ってフォローをするという気持ちは全くないんだなと感じた。
治験なんて絶対にするもんじゃない。あんなの、ただのモルモットだ。
クリニカルリサーチ東京病院が特殊だったのかもしれないけど、あんなめには2度とあいたくない。
【追記】
寄せられたコメントの中で、私の説明不足だった部分があったように感じたので記載しておきます。
→どうやら、自分の試験結果におかしなところがあったようだった。(自分は医学的なことは詳しくわからないけれど、薬の成分が血液から検出されなかったようだった。)
という記載について、薬の成分が全く検出されなかったわけではなく、想定される量が検出されなかったようです。そのため、私が飲んだ薬がプラセボだという可能性はありません。
想定される薬の量がどうなのかという詳しいことは、電話で伝えられただけできちんとした説明やデータなどを当方のもとに送られてきていないのでわかりません。
→今回の治験の主催である製薬会社も社名を伏せられていて、製薬会社を教えてくれと問い合わせても教えてくれない。
こちらの記載に関して、治験参加時に配られた書類には書かれているはずだから、私がその書類を無くしただけだろうという記載がいくつかありましたが、私はその配られた書類をきちんと手元に保管しています。
そちらの書類を私なりに何度も何度も読み込みましたが、製薬会社がどこなのかという記載はありませんでした。
問い合わせをしても、製薬会社は教えられないと言われました。そのため、私はこの状況を製薬会社に伝えるすべがありません。クリニカルリサーチ東京病院以外の、第三者の立場でこの状況の相談を受けてくれる組織がない状況です。
以上、追記させてください。
みなさんのコメントはとても参考になっています。ありがとうございます。
友達の父親は脳梗塞を起こして、後遺症で半側空間無視の症状が出てる
まだ脳梗塞から三ヶ月で、退院直後、外には注意しなければならないことがたくさんある
血液を溶かす薬を6ミリ飲んでるから、絶対転ばないようにと医者から説明を受けたと言ってた
空間無視は自分の体にも当てはまって、無視するほうの体に明らかにぶち当たるような電柱とかがあっても避けられないらしく
激突なんかしたら命に関わるし、友達は神経をすり減らすと言ってた
私の働くショッピングモール(友父の通院するリハビリ病院のすぐ先にある)に友父のリハビリ用の衣料品を買いに来たとき、
モールの駐車場が縦長で、しかも駐車した人がモールまで歩くための歩行スペースが準備されてなかったから
友達は父親のことを考えて、車椅子の絵が書いてあるところに駐車した
友達はきちんと思いやり駐車場利用許可証ステッカーも取得していて、それをミラーにもかけていた
許可証のステッカーは京都府で発行していて、しかもきちんと手続きを踏んで必要と認められなければ発行されない
そこまでしっかりしてるからステッカーの利用期限まで設けられてる
でもショッピングモールは県をまたいでいて、思いやりステッカーのことを知らない人が多かった
利用者の多いモールだから、混み合う時間はいつも車椅子スペースも取り合いで、そこに外見上健康にしか見えない友達と友父が駐車したから、他の利用者と喧嘩になった
駐車場に常駐してる警備員が仲裁に入り、モールの責任者が呼び出された
警備員は仕事柄か思いやりステッカーのことは知ってたらしいけど
肝心の責任者がステッカーのことを知らずに、友父の利用を断ってしまった
しかも断った理由の一つに、病気や障害を表明するためのものがなかったから
友父は精神障害と身体障害の手帳が出てもおかしくない症状があるんだけど、手帳申請するためには最低でも発症時から半年経過しなければならず
さらに症状固定が確定しているということを、国が認めている資格を持つ医者に診断してもらって書いてもらわなければならない
でも、資格があれば必ず書いてもらえるわけではなく、資格があっても面倒くさい症状の人は医者が書きたがらなくて拒否されるらしい
加えて書ける医者はそんなに多くない
ステッカーがあるから、買い物ごときに個人情報がぎっしり書いてある診断書を持ち歩くわけもなく
友達と友父はせっかく来てくれたのに腹を立ててとんぼ返りしていった
警備員は立場上、責任者には逆らえないので、ステッカーのことを知りながら黙ってたらしい
友達からこんなことがあったとメールを貰ったあと、仕事辞める覚悟で責任者より上に伝えて上記諸々が発覚した
思いやりステッカーはユニバーサルデザインとして考案されたらしいけど、利用者にしか知名度が行き渡ってない現状にため息が出る
お客様の声を整理してたら、友達に難癖つけたお客からの投書が混じっていて、その中で友達を不正利用と決めつけて「本当に必要な人が使えない」と批判が書いてあった
後日、その返答を書いたのが責任者なんだけど、そこでも友達が不正利用していたことを前提として返答を書いていて神経を疑った
きっとこの投書をしたお客は今後もその駐車場を必要とする人から奪い続けるんだろうなと思うと腸が煮えくり返る
http://kohada.open2ch.net/test/read.cgi/kankon/1497147367/694
まだ若者の範疇だけど、そろそろ女の子とも言いがたくなりつつある。
世にはアラフォーでもまだきれいなかわいいお姉さんって感じの人がたくさんいるし、
わたしもまだまだお姉さんで通る見た目だと思う。だってまだ23だし。
でも確実に老いは来る。そして、それに抗って若い見た目を保つ努力はめんどくさい。
おばさんは嫌だ。ババアになりたい。だから、見習いババアを自称しはじめた。
わたしの母親は適度にズボラで適度にサバサバしていて、いいババアみを持っていると思う。強烈な天然パーマもババアみにちょっと寄与している。
ただ、外見にはそれなりに気を使っているし、気遣いもすごくできるし、ババアっていうかマダムって感じ。
最低限の気遣いやマナー、身だしなみも生きていくうえですごく重要だと思うけど、マダムというのもなんだか癪である。
近所のガキどもにババアと呼ばれて慕われて、そのたび「ババアとはなんだババアとは」ってがなるけど怒ってはいなくて、だから子どもたちもババアって呼ぶのをやめないみたいな。
喧嘩している子がいたらかっこよく仲裁してやったり、休みの日には宿題教えてやったりとかして。
その子達の親が「○○さんに向かってババアなんて失礼でしょ!」とか言ってたら「ババアはババアだからそのままでいいんですよ~あ、でも他のババアのことはババアって呼ぶなよ!」とか言いたい。
だって日々問題山積なんだからね。時代が変われば問題ができ、それで利害対立が出来て議論がされ、政治が仲裁する。
だけどね、批判されないってのの最も楽な手段が「言論統制」であって、往々にして使われてるんよ。
現に、ネトサポというかたちでレッテル貼りで、政治に問題ある言論をさせないようにとかしてるじゃない。
日本会議系、森友で見えたのも、「上に言うことは従順に従え」という腐った儒教。
本来の儒教は上は批判を受け止める。そのための心構えもいっぱいあるが、日本会議系は全部無視して「下が従順に従え」だけ切り取る。
更に、それを押し付ける。
とすると、「批判のない政治」と聞いて、ある程度政治の知識、歴史がある人間がみれば、上級階級様が好き放題やっても批判のない社会。
多様性ということについてみなさんも昨今様々に課題と向き合っておられるだろうとおもいます。
そして寛容ということの難しさ(自分の対峙する課題を口にすることすら難しいこともあるでしょう)を痛感することとなった方が少なからずいらっしゃるのではと想像します。
就業中に役場の公務端末でパチスロや世間話や幼い女の子の動画に魅入ることを抑制することのできない男性同僚と、同じ職・地域・隣家で任務の遂行がどのように可能なのか(私の主な任務は赴任地域が安心安全で魅力的な育児環境を有していることを広報することによって地域の次世代問題に対処すること)。予想しなかった(この事が課題であると感じる私の感性を過敏であると受取る方のあることを認識することも含め様々な) 事態に私なりに(本来任務に邁進する傍らではありましたが)全霊で取り組んだのですけれど進捗が遅々とする中で年度末が迫りました。行政の納得のいく対応あるいは私の赴任地の変更がなければ公務を続けることはできないというのが私の考えでしたが、3月も終える間際までその方向性は見えてきませんでした(対応が形になるまでの報酬を頂かない休職も提案しましたが、かないませんでした)。対応の中で私の契約形態である特別職非常勤の公務員は一般労働者としても公務員としても法的な枠組みから外れていて職場での公的な仲裁の支援を受けることが出来ないこと─それは公務員の守秘義務等を記した公務員法の枠外であることでもあります─を知ることにもなりました) 。
私は新たな一年を真剣に公務に邁進する決意表明としての首長からの辞令の受領を行いませんでした。
この決断は公務に就くものとして(昨年8月不退転の決意で職に臨んだのではありましたが私の決意などそれほどの重力を備えてはいなかったことになります。私の職務の予算は特別地方交付税の対象でしたので全国のみなさんの税金から報奨を頂く身でもありました) 、また地域で接してくだすっていたみなさんへの私なりの誠意の示し方でもありましたが、 その結果現在私は公の職になく、よくして頂いた地域からも既に離れ(住居も職務とセットでした)数ヶ月が経っています。
私はこの課題を解決したり正しく問題提起したり寛容する度量を持ち合わせていませんでしたし、現在に至ってもわかりません。
いま、私は新たな場所で、より私らしさに眼差した小さな生活を始めています。
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S25/S25HO261.html
■総 行 公 第59 号 平成26年7月4日
https://anond.hatelabo.jp/20170614201508
普段、ブコメ欄でしか活動してないんですが、名指しされたので書く。記法はよくわからない(甘え)。
私が警官だったとして「増田は口答えした。反社思想だ。逮捕」となったら嫌でしょ。でもそういう時代があってこの憲法は生まれたんです。いかなる思想、感情であっても国家権力を介入させない、という権利なんです。
・ブコメ欄に書ききれなかったこと:
気に入らない表現は私もある。山ほどある。
少女がひどい目にあう話は、少女じゃなく少年でも嫌だし、老若男女問わず、力の弱いものが暴力でどうにかされる展開は苦手です。
でも、それを国家になんとかしてもらおう、って考えはないです。
嫌な表現を見た時に、その相手がなんであれ、どうであれ、「私は嫌だ」と言える権利が、表現の自由です。
「表現を規制する」というのは、その「嫌だ」を誰かに代わりに言ってもらおう、という理屈だと私は思っています。
誰かに悪口を言われた時に、その仲裁を誰かにお願いすることはあるかもしれませんが、「私が仲裁してさしあげますよ」と第三者がしゃしゃりでてくるのは余計なお節介というか、単に邪魔です。
それ、99%こじれるし。
不愉快なことがあったら、自分の口で「不愉快だ」と言いませんか?
これが右翼思想なのか左翼思想なのかは分かりませんし、興味もないですが、かつて、この国に住んでた人たちが欲しくてたまらなかった権利だと思うんですよ、これも。
https://www.youtube.com/watch?v=_WknKNSxq7c
>試合終了のホイッスル後、浦和が喜ぶ間、韓国人達はまたしても襲撃に出た。本当の人狩りだ
>仲裁に入ったMF阿部勇樹に対し、ベンチからサブの選手であるDFぺくドンギュがビブス姿でピッチに乱入すると80メートルをダッシュした後、阿部にジャンピングエルボーを見舞い退場となった。
>DFクォン・ハンジンは、浦和スタッフに飛び膝蹴りを食らわせ、試合終了後にもかかわらずレッドカードを提示されている。済州は3人の退場者を出すなど、信じられない醜態をさらしてしまった。
「Ubuntu」とは、「他者への思いやり」のことです。この単語自体が、人間としての精神を体現しています。
我々は、生産的で、幸福で、複雑な領域における新しい発想を歓迎できる柔軟性を持ち、また、あらゆるプロセスを常に改善し、さらに、各々が全く異なる要求や関心、能力を持つグループの間の協力を促進するコミュニティを希求します。
我々は、メンバーの多様性によってコミュニティを強靱なものにするために、多様な参加者を活発に探します。このUbuntu行動規範は、多様なグループがお互いの利益と喜びのために協調することを確実にするために存在しています。我々は、誰であっても、プロジェクトへの参加に障害がないよう努力します。
行動規範は一般的に、公的であれ私的であれ、我々がどのように振る舞うべきかを統率します。我々は、プロジェクトの代表者(公式・非公式を問わず)、関係者、そして直接の参加者が、このUbuntu行動規範を尊重することを望みます。
我々は、下記に真剣に努めなければなりません。
我々の成果物は他者によって使われるでしょうし、また逆に他者の成果物にも依存しています。いかなる決定であっても、利用者や関係者に影響を与えることを頭に置いて、決定をするときにはそのことを考慮する必要があります。
意見に相違があるからといって、無礼な振る舞いをとってはいけません。衝突を解決するために協働し、他者が善意で行動していると仮定し、親身になるよう努力しなければなりません。苛立ちが個人攻撃に発展することがあってはなりません。不快感を覚えたり脅威を感じるコミュニティは、生産的ではありません。
間違いを犯すことは誰にでもあります。そのときには、責任を取らなければなりません。もし誰かが傷つけられたり攻撃されたときには、注意深く、そして思いやりを持って意見を聞き、間違いを正すよう行動しなければなりません。
我々が作り上げようとしているものは複雑で、それぞれに想いが込められたたくさんのパーツでできています。各々が違ったゴールとビジョンを持つチームの間での協調は不可欠です。ただのパーツの組み合わせ以上の成果物を作り上げるには、各々のパーツが全体を理解するよう努力しなければなりません。
協調して取り組むことで、冗長な作業を減らし、品質の向上につなげることができます。プロジェクトの内外を問わず、協調することは大切です。可能な限り、アップストリームのプロジェクトと共同で作業し、フリーソフトウェアのコミュニティと協調することが必要です。透明性を確保し、その作業に関心を持つ人とはなるべく早期から協働するのが良いでしょう。
社会的な、あるいは技術的な意見の不一致はよくあることです。しかし、意見をまとめずそのままにしたり、何を合意したのかを不明確なままにして他の人を悩ませることがあってはなりません。
プロジェクトの参加者は、意見の不一致を建設的に解決することが期待されています。もしも合意に至らなければ、あらかじめ決められたリーダーに仲裁を依頼し、透明性 (clarity) と指示を求めます。
誰であっても、完璧であることを求められてはいません。誰かに質問することは、後で発生するであろう問題を回避できるので推奨されます。ただし、適切な場所で質問してください。質問を受けた人はすぐに反応し、手助けしてあげてください。
プロジェクトを離れるときには、与える混乱を最小限にするよう動くことが求められます。プロジェクトから離れることを他の人たちに伝えて、離れる人が作業を中断した地点からほかの人たちが再開できるようにしてください。
我々は、実例と議論と行動によって動かされます。新しく参加した人は、もしプロジェクトの改善につながる新しい考えがあれば、ぜひ人々を率いて、行動を起こしてください。リーダーシップは、行動を起こすことだけで誰でも実践できます。その機会があれば、誰かの許可を待つ必要はありません。
プロジェクトに関する責任は「慈悲深い独裁者」を頂点として、そこから特定の範囲について責任と権限を委任されたコミュニティ・カウンシル、その下にいるチームや委員会 (councils) 、個人に委任されていきます。コミュニティ・カウンシルまたはその代表者が、争いごとの解決を行います。
我々は実力主義に基づいて、意思決定や統率、リーダーシップを、長く参加している人から、能力があって関心の高い候補者に委任していきます。
評議会 (boards) や委員会 (councils) への任命は、コミュニティ・カウンシルが決定権を持ちます。ただし、事前にコミュニティに対してインプットを求めるものとします。
リーダーシップは、表彰や権利や肩書きではありません。リーダーシップは権限であり、そこには責任が生まれます。リーダーシップはコミュニティから委任されたものです。リーダーの権限は、委任するコミュニティから支持されている間だけ得られるものです。
我々は何かものごとを決める前に、意見やデータ、関係者からの意見表明を集めます。リーダーの役割として、チームが決定を遅滞なく行う手伝いをし、ガイダンスを与え、合意に至らなかったときに決定をし、決定の実施に責任を持つことが期待されています。
何かを決めないことには、先に進めません。明確な指示には価値があります。ときには、データが足りなかったり、合意が得られがたいこともあるでしょう。それでも、何らかの決定を下さなければなりません。いつでも完璧な決定を下せる保証などないのです。決定を先延ばしにするより、失敗して、失敗に学び、将来の役に立てることが大切です。
我々は、問題をより把握しているチームを信頼して決定を下してもらうことで、プロジェクトはよりよいものになると認識しています。もし決定に不満があれば、それを下したチームと調整します。調整が付かなければ、その決定についてレビューする統治機構 (governance structure) があります。つまるところ、責任を持つ人が決定を下し、それがプロジェクトの統治 (project governance) に支持されていれば、その決定は有効であるとします。我々はある決定について納得しないこともあるかもしれませんが、それでもプロジェクトを信用し、たとえ内心では違うほうがよいと思っていたとしても、プロジェクトとしてその決定が実施されることを支援します。
誰であっても、どの組織に所属していようとも、どのようにプロジェクトに関わろうとも、我々は参加を歓迎します。コミュニティは開かれたものであり、能力や適性を持っていることを示せれば、職責を負うことができます。
「名演奏家はその演奏によって評価され、リーダーはチームの行動で評価される」リーダーは、行動すべき・身を引くべきときを知っています。チームは、リーダーに権限を渡したりそれを取り戻すべきときを知っています。
良きリーダーはスポットライトを浴びようとせず、他のメンバーの活躍をたたえます。リーダーはチームメンバーの中で目立つ存在でしょうが、良きリーダーはその注目を他のメンバーの優れた活動に対してスポットを当てるために使います。
リーダーはときに、理解されず、合意に基づかず、一般的ではない冒険的な決断を下す必要があります。我々は、完全な合意を得るよりも物事を進めることを優先し、勇敢にもそのような決定を下すことを評価します。とはいえ、冒険的な決断には十分な検討が必要です。ある人にとっては頭の痛いことになるかもしれないことを肝に銘じ、影響を抑えるようにしなければなりません。変更について、その理由を明確にして、そして早めにコミュニケーションをとることは、その変更を実施するのと同じくらい重要です。
もしもリーダーが自身の雇用関係や他のプロジェクトとの関わりによって利益相反状態になっている場合には、それに気がつくことが期待されています。そして、私利私欲のためとみなされることのないよう、棄権したり決定を誰かにゆだねたりすることが期待されています。リーダーに限らず全てのプロジェクトメンバーにも、私利私欲のためではなく、ユーザーの暮らしをよりよくするために決定を下すことが期待されています。
もしも利益相反が疑われる場合には、誰かにセカンドオピニオンを求めてください。利益相反状態にあることを明らかにすることが、解決への道筋にとって重要です。リーダーは、たとえ一般的ではない、あるいは特定のグループに有利・不利となるように思われるものであっても、決定が信用できるものとなるよう行動すべきです。
このUbuntu行動規範は、網羅的でも、完全なものでもありません。ルールブックでもありません。協調的で共用の環境 (a collaborative, shared environment) とゴールに関する、我々にとっての共通の理解を引き出すためのものです。
このUbuntu行動規範は、クリエイティブ・コモンズ 表示 - 継承 3.0 非移植ライセンスのもと配布されます。あなた自身のプロジェクトにこれを再利用することができます。また、好きなように改変することもできますが、あなたの改変を他の人が利用することも許可し、Ubuntuプロジェクトの著作権表示を付けるようにしてください。
「俺がお前の普通に会話が出来るのは、俺がお前に気を使って会話の内容を選んでるからだ」
家族構成は父母私弟の四人。十年以上前に離婚して私は母親に引き取られた。
お金の問題があったので両親は離婚しているだけで会っていたし、諸事情で離婚後に年単位で同じ家に住んでいたこともある。
父は切れやすく、母はその愚痴を私に話す。弟は、特に何もしてなかった気がする。
自立する前は両親の間にはいって仲裁をするのはいつも私の役目だった。
その代表が高校を辞めたことだ。国からの奨学金で高校に行ってた。払うのは卒業後の私だ。
田舎なので私立は滑り止めで受けてた。行きたかった市立高校には少しだけ偏差値が足りなかった。
じゃあ一つランクを下げようとしたら当事の担任から「お前の学力だったら受かるけど、ここを受験しろとは勧めらない。そういう校風だぞ」と止められた。ものすごくお世話になった担任だった。今でも恩師だと思っている。そんな人が止める学校を受けようと思えなかった。
結局ランクをもう一つさげた。すると運の悪いことに偏差値もガクンと下がった。
私は少し足りないだけなら挑戦したかったけれど、母親に「私立に行くお金は無い」といわれ結果として行きたくもない高校に行くことになった。
そのこともあいまって結局辞めてしまったのだと思う。私自身ここは後悔していない。
両親の猛反対を押し切って高校をやめたとき、約束を一つした。専門か短大が四年大、どれになるかはわからないけど、高認取って進学するよ。
最終学歴ちゃんと塗り替えるよ、と。
数年掛かったけどフリーターをしながらなんとか無事高認を取ったとき、弟が大学受験だった。
母親に言われた言葉は「弟が受験だから一緒に進学しないで」当事の私はもっともだと思った。
別に普通から逸脱してしまったのだから、一年ぐらい遅れてもいいや、と思った。「別にいいよ。私のまだ進路決めれてないし」と。
弟が受験を失敗した。滑り止めも受けていなかった。それはまぁ、仕方が無いことだとも思う。
来年チャレンジするよ、という弟。母親には「次は待たないからね」とだけ言った。
後に弟が「ほんとは大学受かる気なんてしなかったんだよね。受験の頃から専門学校行きたくてさぁ」と言い出したことに殺意を覚えたけれど、それは今回は流す。
犯罪心理学の勉強がしたかった私は家から通えそうな大学を調べ、受けたいところを一つ見つけた。
ここなら一人暮らししなくても実家からなんとか通えるだろう。家のこともできるし、なんとかなる。
偏差値は高く、しかし予備校に行くお金も無い私はとにかく友人知人に教科書や参考書を貰ったり、勉強を教えてもらったりしてた。
当事は大学キャンパスの中でバイトをしていたので大学生の知り合いに訪ねたりもしてた。
しかしバイトから帰宅してみると母親が電話越しに声を派って喧嘩している金切り声が聞こえてきた。相手は大体父親だ。
電話が終わった母親に呼び出されて言われた言葉は「うちは解散するので貴方たち二年後には自立してください」
当事は百年に一度といわれる不景気真っ只中。ことが順当に運べば二年後は私が大学二年の秋になる。
三年生から就職活動が始まるのに、そんな中で追い出されるなんて溜まったものじゃない。
「私四年大行きたいって言ったよね」と喉まででかかった言葉は「お母さんもうお母さんやめたい」と泣きながら溢した母には言えなかった。
結局私も弟も二年で終わる専門学校に行った。犯罪心理学が学べる専門学校は無く、まったく別に進路を選ぶことになった。
自分で決めた学校なので後悔はしていないが、母のあの言葉が無ければどうなってたのかな、と思う。
母を解放してあげなければならないのだ、と思ったあの頃の私に一言伝えるなら「お前が背負う必要はどこにもなかったよ」とだけ伝えたい。
なぜなら二年以上たち弟が正社員として働いているにも関わらず、家をでたのは私だけだったからだ。
専門学校の進学と同時に父親に頭を下げて家を出た私は、今も一人暮らしを続けている。
二年後の卒業との時「私はあなたの言葉に従って家をでたけれど、弟はどうするの?ちゃんと解散するんだよね?」と母に聞けば「弟ちゃんはまだ仕事が決まっていないから」
弟の就職が決まったときに「就職決まって何ヶ月だったの?家は解散しないってことかな?引越ししないの?」と聞けば「引越しはするよ!あんたも早く残してた荷物取りに来てよ」
弟を言い訳にし、次は飼っていた犬を言い訳にし、最終的に母が私に言った台詞は「お母さんはでていけなんて言ってない。あんたが勝手に出て行ったんでしょ」だった。
一人暮らしをして、知ったのは自分は母親に洗脳されていたことだった。
上京した友人は「いやーインフルかかったって親に電話したら次の日にはおかゆとポカリが黒猫で届きましたね」と言った。
別の友人は「奨学金は私の名前で借りてるけど、親が払ってくれてるよ」と学生生活を楽しんでいた。
年末年始に犬の顔を見に帰った私が母親に言われた言葉は「あんたが帰ってくると金が掛かる」だった。服なんて強請ってない。化粧品だってねだってない。そんなもの買う余裕があるならご飯が食べたかった。食費を世話になって言われる言葉がこれなのかと思った。
スナックとコンビニでバイトしながらなんとか生活をやりくりして二年頑張った。付き合いが悪いといわれてもクラスの飲み会に参加する余裕が無くとも、なんとか卒業を目標に頑張った。
無事に卒業し、一人で生活を回していたけれど、体調を崩しどうにもならなくなった。
母に戻りたいんだけど、と伝えれば今までの喧嘩はどこへやら「戻っておいでよ」と言ってくれた。
泣きながら話し合った。
私は「弟にも許可取らなくてどうするの。貴方一人で決めても安心して戻れないよ。弟と相談しなくていいの」といえば「弟がなんと言ってもあなたが戻ってくればいい」と言ってくれた。
洗脳されてたなんて錯覚だったのかもしれない、私がひねくれてただけなのかもしれない、と思った。
後日母親に伝えられた内容は「弟ちゃんが貴方に戻ってこないで言ってるからうちにはこないで」だった。
泣きながらの話し合いはなんだったのかと思った。母が母であることを辞めれるようになんとか自立した私より、寄生している弟の方が優先されるんだな、と思うと情けなくて情けなくて一人で泣き喚いた。
一人暮らしをしてから、何かと私を助けてくれたのは父親だった。
月に一度は連絡をくれ「ご飯は食べれてるのか」「生活はやっていけてるのか」と心配をし、父も母にお金を渡しているので財布は厳しかったと思う。それでも、時には食費を送ってくれ、時には夜行バスの乗車賃を肩代わりしてくれ、何かと自主的に世話をやいてくれた。
母親から聞かされていた父は「浮気をする」「殴る」「すぐ怒鳴る」「すぐきれる」「女癖が悪い」他にももっとたくさん愚痴を聞かされていた。
そのうちのいくつかは私も目にしているけれど、少なくとも私に手を差し伸べてくれる父は、母よりもずっと親だったように思う。
「毎月やってあげれるわけじゃないけどね」「出来るときだけしかできないけどね」と言いながら、何かしら声をかけてくれたのは父だった。
今も現に父には金銭的にとてもお世話になっているので食事に連れて行ってもらうことが多い。
父は「お前が変だから母親も弟もどうしていいかわからないんだ」「俺がお前と会話できるのは俺が会話を選んでるからだ」となんの悪気もなく言われてしまった。
父から見た私は、私が変だから関係がおかしくなったんだ、と思っているんだなと思うと涙が止まらなくなった。
父は知らないのだ。私が本当は大学に行きたかったことも、それを諦めた経緯も。父がいなくなってからずっと、私は常に弟よりも優先順位が低かったことも。私がどんなに頑張っても、何をしても、何もしない弟の方が愛されていたことを。
父は知らないのだ。
私からすれば両親や弟の方がずっと変なんだよ。
私の知ってる親は、小学生の子供を残して毎日パチンコには行かないんだよ。
責任を問えば「またそうやってお母さんのせいにして!」と自身の発言や責任を認めない母親は変なんだよ。
私の影に隠れてなんの責任も背負ってこなかった弟が「言うことを良くきく子」と評価されているのも、私のとってはなんか違うんだよ。
でもこれを伝えても「お前が一番じゃないことが気に食わないんだろ」って言われてしまうことも変なんだよ。
追記:20170312
まさかこんなにたくさん反応されるとは思っていなくて驚きました。
トラバ(ここでは枝?になるのかな)やブックマークコメントでお言葉を下さった方ありがとうございました。
私とは違った視点の意見や、厳しい言葉などはっとさせられるコメントもありました。
また家族以外の言葉や意見を目にしたことで少し前向きになれました。ありがとう。
上記はあくまで私の視点であり、両親や弟から見れば私はおそらくろくでなしなのだと思います。
両親も変だな、と思いますが私もきっと変なのだと思います。変でも別にいいじゃんと思っているから家族の中で浮くのだと思います。
悔しくて悲しくてやるせなくて泣きながら書いた誤字脱字誤変換(今見返してみると本当に酷いですね。笑)まみれの吐き捨てでしたが、色々な意見をいただけて吐き捨ててよかったと思いました。
病気が治ったら(鬱等のメンタルヘルス系ではないです)バリバリ働いて家族とは少し距離を取ろうと思います。犬ももう死んでしまったしね。
なんというか、何回言うんだよって感じなんですけど、厳しいのも優しいのも、同調するのも、全部コメントありがとう。色々と救われました。
前提が間違ってる
人と人とのトラブルなんて、双方の言い分があるのは当たり前。
特に学校のいじめなんてのは、余計に「被害者」と「加害者」の子供同士で真っ向対立する案件。
その仲裁をする時に、学校の先生や教育委員会は「被害者の弁護士」であり「加害者を告発する検察」であり「加害者を断罪する裁判官」の役割を世間に求められる。
つまりこれがどういうことかというと、「加害者」の認定を受けた子供の立場を代弁する人物が学校に誰もいなくなるということだ。
世間は学校組織に圧力かけてこういう不公平な状況を作って「加害者」断罪に勤しんでいるのが現状。
韓国民団、少女像の撤去求める 「在日同胞共通の考え」:朝日新聞デジタル変更する
http://www.asahi.com/articles/ASK1D5JXGK1DUTFK00V.html
「韓国政治にはできるだけ関与しないというのが民団の立場。ただ、この問題で一番の被害者は在日同胞だ」と強調し、
駐韓大使らの一時帰国や通貨スワップ再締結協議の中断といった日本政府の対抗措置については
「大変厳しいが、早く問題を解決してほしいという日本側の思いも理解できる」と述べた。
(武田肇)
いや実際難しい立場になってるとは思うけど
「自分達の為の身の可愛さのために母国が道を曲げろと言ってるのか」
「お前らなんか知るか裏切り者」
ってなるじゃん。
「その論法は母国で慰安婦で騒いでる人達と全く同じ論法では…」
ってなるし。
そこはやっぱり自分達の身や自分達の都合の話をするんじゃなくて
みたいな言い方するもんじゃない?
実際わたしら板挟みで困るわー
っていう感覚や都合まで捨てろって言ってるんじゃないですよ。
と思ったら韓国人にキレられまくってるし。
http://oboega-01.blog.jp/archives/1063723302.html
うーん…
総会で無意味な発言や質問、スキャンダルに関する質問を繰り返し、議場を混乱させることで己の存在を認めさせた上で、その行為を止める事への「対価」として利益を得ようとする者。
嫌がらせのタイプも幾つかあり、幹事総会屋の下に、攻撃屋、防衛屋、仲裁屋と役割分担し台本を書いて動く者を始め、無意味な株式分割で他の総会屋を呼び寄せる者(分割屋)や、噂をばら撒いて企業の信用を毀損する行為を行う者(事件屋)などが居る。与党総会屋になる者も存在する。
父親が死んだとき、生命保険金の半分を母親の額面にすることになった。兄弟の総意だしそれは問題ない。
受取人が俺になっていたから、俺が管理して毎月母親に送金することにした。月20万。でも10年も持たずに使い切ってしまう。
ところが母親は20万では足りないと言ってくる。ペットの病気だの何だの。
だから月22万送金するようになった。減りは早くなった。
でも働ける体じゃないし、大変そうだから、俺が地元に帰って家でも買って生活費用を抑えようと提案してみた。
家を探そうとしたけど、なかなか良いのが見つからない。1700万円ほどの家を見つけたら、そこは部落地区だから止めろと言ってくる。
場所とのバランスを考えて母親が気に入ったのは2700万円ほどする場所。まあ、でもそれは俺のためもあって言ってるんだろう。だから怒るということはなかった。
他の地区と色々検討しているときに、「もし結婚したとして、子供のことを考えるなら、荒れていると評判の地区は困るなあ」と俺が言うと一言。
あのさあ…。俺の金を何だと思ってるんだ?
俺は中学生の時、公立の2番手校に行きたがった。それを言ったら1番手校じゃないなら学費は出さない、と怒鳴ってきた。これは完全に見栄だけの理由。後から公立高校の学費なんて高校生自身でも全然問題なく払えるレベルだと知ったことは置いておく。
結局、私立の特待生で学費免除になったんだけど、それでも俺の教育費が高いと文句を常に言われた。バスの定期代が高いとも言われたから学期の途中から自転車で通うことにした。片道40分。
それだけなら普通だろうけど、小遣い1円もくれないからバイトもして、特待生を切られないために勉強もして、成績は学年トップ5には常に入っていた。
浪人はしたけど(浪人中の生活費や受験に関する金は母親も父親も一切払っていない)、良い大学に入って名のしれた場所で働いている。
俺は間違いなく努力して、悪くない結果を出していると思う。
「勉強なんかしても何の役にも立たない。勉強しか取り柄のないお前は人間としての魅力がない。運動出来ないノロマ。運動が出来る従兄弟は格好良いな。本当にお前は格好悪いな」
ずっと言われてきた。でも勉強を続けてきた。
やっと手に入れた俺の結果を、かつて俺を馬鹿にし続けてきた母親は当てにしている。
家でも買って、なんて言ったのが間違いだった。家を買った後の生活費は俺が中心で出すことになるだろうけど、そもそも現状の生活費の切り詰めからからしておかしいから、いくら持っていかれるか検討もつかない。
母親は「生活が苦しくて、おかゆだけの日が続く」とか言ってるんだけど、ウォーターサーバーをもう何年も置いている。解約を提案したら絶対に逆上して会話にならないから言わないけど。
この間なんか、携帯電話ショップに言われて家にWi-Fi接続を導入したらしい(俺は見ていない)。でも実家はパソコン置いてないんだよ。通信機器は母親のスマホだけ。そのスマホはちゃんと回線繋がってる。Wi-Fi要りますか?
Wi-Fiの解約を提案したら「解約手数料がかかる」ってさ。Wi-Fiに金を2年払い続けるのとその解約手数料今すぐ払うのと、額面計算して比べてくれよ。
こういうのをポンポンと契約されかねない。その解約の度に金がかかって、所得に対して支出が馬鹿みたいになりそうだ。
逆に、前にトイレの換気扇を俺が付けっぱなしにしていたら(俺は自分の家でもずっと付けている)、凄く文句を言ってきた。付けないことによって節約しているらしい。それで一ヶ月の電気代いくら浮くんだよ。付けっぱなしでも300円程度だろ。こういうところで自分は節約上手の生き方上手であるかのように振る舞ってくるのも疲れる。
で、月20万円で過ごせないのが信じられないから、月の支出を見せてくれ、削れるところを見直していこう、と言うと「何でプライベートなことをお前らに教えないといけないんだ」とキレる。
一緒に暮らしてやっていける気がしないよ。
育ててくれた恩は感じているけどさ、俺が母親から受け取ったのって、一般的な家庭からすれば遥かに少ないんだよ。それもありえないレベルで。
暴力・暴言の虐待は日常茶飯事だったしな。夫婦喧嘩の仲裁を子供たちでやったことなんて数え切れない。
すねて飯を食わないと言い出した母親におかゆを作ったら、「しつこいんじゃ!!!」と怒鳴ってお椀をゴミ箱に突っ込まれたこともある。
それなのに俺が、一般的な家庭における息子が親に渡すものよりも遥かに大きな世話をする必要ってあるんですかね?
というか、俺がいるから母親は俺の金を当てにしてくるんだよな。元々俺は家の中で存在するはずのなかった子供なんだし、いなくていいよな。
残額800万に俺の取り分を加えた1000万を全部送信して、バックレようか。
【追記】
予想以上の反響で驚いています。応援の言葉をくださった方にお礼を申し上げます。ありがとうございます。
いくつか補足をしておきます。
・他の兄弟
兄弟も手伝ってはくれています。帰省のときに小遣いを母親に渡したりしているそうです。自分は小遣いは渡していません。
本文からも退場したわけではなく、見直しを提案したときには同席してくれていました。母のセリフが「お前らに」となっていたのはそのためです。
ただ、結婚していたり、正社員ではなかったり、ということで面倒を見るのは自分以上に困難と思われます。精神的にどうかは知りません。
・年金
評価は受けていたと思いますが、受取人が自分だったのは評価されていたからではなく、母を受取人に出来ない理由があったからです。(法的にどうなのか分からないので書きません。役所からはこの回避方法で問題がないという回答をもらっています。)
だから母は自分が本来の受取人であり、「管理してもらっているのではなく、預けているだけ、本来は自分の金である」ことを主張します。
贈与税がかかるから一度には渡せない、ということで自分の扶養に入れて、生活費を送っています。(ここは法に触れたら金を没収されるものなので母もすぐに言うことを聞いた)
税金の話をするまでは、「私が正当な所有者なのに、あいつは私に金を渡さない。100万ぐらい持ってくるのが筋だ!」と兄弟に愚痴を言っていたそうです。これは傷つきました。
・文章力
ごめんなさい。元々上手い方ではないのですが、それに加えて感情が爆発しそうになっていたので、何を書けば自分の感情が読み手に伝わるのかよく分かっていませんでした。
思い出したエピソードを詰め込んだ感じです。
10日ほど前に、やはり腹が煮えくり返って書いたものがありますので貼っておきます。ただ、一部ノイズをかけようとして情報に齟齬があります。両方にリンクを書き加えたのを以て本人だと見なして下さい。
自分語り。かいつまんだつもりですが長くなりました。ごめんなさい。
http://anond.hatelabo.jp/20161204200529
・「生んで~」
自分は母親に生んでもらっていません。兄弟は母親の実子ですが。自分は母親と養子縁組をして母親を扶養に入れています。ちなみに実母は実母で嫌いです。
http://anond.hatelabo.jp/20161219005939
【追記2】
騒動の最中に、母に「それなら増田じゃなくて姉と一緒に住むっていうことを考えてみても良いんじゃない?」と言ってみた。
母の回答は「それは私も考えたけど、すぐに良い人見つかったらって思うとなあ……(だから住むなら増田)」であった。
姉が母と一緒に住んだとして、再婚すれば母から再び独立する未来が見えている。
ここには何をかいてもいいんだよね?
女だけど女とうまく友人関係を構築できない事について考えを整理したいのでこの場を借りる。
同性の友人ができない原因としては
自分の家族がコミュニケーション不全だったからじゃないかと思っている。
主に父親の悪口、祖母や親戚の悪口、世間への悪口ねたみ、自分がどんなに不幸か、つらいか。
私が部屋に居ないときでも、声に出して次から次へずっと独り言で誰かへの憎悪をぶちまけていた。
(酒を飲み過ぎて電車のなかなどでずっと独り言言ってるおじさん居るけどシラフでああいう感じ)
気分が盛り上がってくると「くそ!」とか「あーもう!」とか大きな声が母の居る部屋から聞こえて来るので私はとても怖かった。
母親の事を、宇宙人みたいな遠くてわけのわからない存在のように感じていた。
この人は病気だ、普通じゃない、治してみんなみたいな普通のお母さんになって欲しいって感じてた。
いつ、なにをきっかけにキレだすかわからないので家の中ではいつもビクビクして顔色うかがっていた。
母親におはよう、などの挨拶や、おそるおそる「お母さん」と声をかけても基本無視。返事はかえってこない。
聞こえていないのかと用件を言う事をあきらめたら「早く言え!」と怒鳴ってくる。
イエスである事はほとんど無かったけどそういう時は「勝手にしろ」もしくは無視。
中学生ぐらいまでは躾と称して殴られる事がよくあったので
母親が私に向かってよく言ってた言葉は「クソの役にも立たない」
とにかく支配的な人物で自分が何か想定した通りに物事や人が動かなければ気に入らなかった。
核家族だったので父、母、娘の三人揃っている場では必ず2:1の構図にさせられた。
父がいるとき、母親は父に媚び仲良くしようとする一方、私をのけものにした
(居ない時は24時間父の悪口を言っているのに?と混乱したし理解できなかった)
私が話に入ろうと発言したり、場の中心となるような事をしようとすると
軽んじる、馬鹿にする、中傷、無視、のような感じで黙らされた。
そのうち私は三人の場では何か思っても、どうしても我慢できない時以外喋らないよう、気をつけるようになった。
(子供にとって23時以降に帰宅する存在は「居ない」と感じる)
絵や工作、釣り、囲碁や将棋を教えてくれたりいろいろな場所へ連れて行ってくれたりしたので好きだった。
特に父親と二人になったときの楽しみは一緒に母親の悪口で盛り上がれる所だった。
だけどわたしが母親に頭のおかしな言いがかりをつけられて心底困っている時でも
表だって盾になり守ってくれる場面はほぼなかった。
家の中で母娘の大げんかが勃発している時でも
薄いドア越しに絶対耳に入っていると思うのでが仲裁に出てきてくれるような事は無かった。
波風の立たない事(自分にとって)がこの人にとって一番大事な事だったんだろう。
私にとって家庭内のコミュニケーションはこの二つが全てだった。
こんな事で友達がつくれるわけはないと今なら思う。
誰かと仲良くなりたいと思ったらまず何か悪口を持ちかける子だもの。
女の子三人で仲良くするっていう事ができない、必ず誰か一人気に入った子を独占して、残りの友達を蹴落とそうとする子だもの。
自分の都合の良いように利用するものとしか友人を見てない人間だもの。
前日まで仲良くしてくれていると思ってた相手がある日突然口を利いてくれなくなるって事が大人になるまでに何回もあった。
私は頭が悪いのでその事に対する原因が何なのか長年まったくわからなかった。
そのうち女友達を作ろうとする事をあきらめるようになった。
男相手ならマブダチになれるのかっていうとそんな事は決して無かったのだけど
男性というものは、こっちが女性であるというだけでよほどの事が無い限り積極的に排除しようとはしてこないし
こっちも相手を「異性」として扱い、対等に接する気はなかった(この部分がいわゆる媚びなのか?)ので比較的長続きしたというだけの事。
こういった状況を少しでも健全な方向に変えるには、どういった行動を始めればいいのか
そういう事が書いてあるオススメの本などありましたら教えてくれないでしょうか。
図々しいお願いをしてごめんなさい。
大好きなじーちゃんが死んだ。
息を引き取ったのは先週だったけど、葬儀場の予約が取れなくて、結局今週末まで自宅で安置する事になってる。
ばーちゃんが認知症ってこともあって、同居してるおじさんもずっと見てられないってことで、孫の俺が泊まり込みで世話してる。
認知症っていっても、徘徊するとかそういうレベルではなく、数分前、数時間前、数日前の記憶が全くなくなる程度のものだけど、
葬儀に使う写真やら、毎日来る親戚への対応やら、戒名やら、墓地やら、事務的な準備でおじさんのサポートをしている。
私の母はもともとヒステリー持ち?というかADHDぎみの所があり、ここ数年は伯父と認知症の祖母と3人で揉めていた。
冷静に話しをまとめられるのは私だけだということで、毎回仲裁役というか、方針決定や意思決定をしているのだけれども、
今回もその仲裁役として、孫である私が毎日世話することとなっている。
父親は長くから海外勤務で別居状態が10年以上続いているため、サポートは期待できない。
母が葬式の準備や認知症の祖母の対処で、伯父、祖母で怒鳴りあいになるたび、仲裁してたのだが、今日、遂に私が切れてしまった。
もちろん母親のヒステリーに拍車をかける結果になり、いい歳して母親に頭をグーパンで殴られてしまった。
伯父の仲裁もあり、落ち着いて皆で話し合ったが、相変わらずばーちゃんは意味のわからないことを言っているし、
母親は、私は何も悪くない。私は何もできない人間なのに家族であるお前が優しくしてくれないのは酷い という主張。
落ち着いたあと、思ってること話せって言われたから、
母がヒステリー起こすと、私が幼い頃母が包丁を持ち出した事が思い出されて、辛いと伝えた。そしたら、
私だって、受験期のお前に殴られた事あるから、それでチャラにしろと言い返された。
うーん、反抗期の子供の態度と、小学校低学年生に包丁持ち出すのって、イーブンなのかなーとか思ったけど、言い返せなかった。
明日も来るのかと聞かれ、
じーちゃんの為だけにも、俺は投げ出さない
と呟いたら、
私の為ではないの?と泣く始末。
もう理解不能。
仕事も行けず、俺もストレスがたまってきてしまっていて、なんか書き出さないと落ち着けないから書いてみた。
読み返してみたけど、結局は、大変だったんだねって言って欲しいかまってちゃん丸出しだし、自分クソだなってなってる。
母親も母親で辛いはずなのに、それをカバーしてあげなきゃいけないんだろうなーとか思ったりするけど、
なかなか、難しい。
今日は一旦帰宅することになったけど、明日もばーちゃんの面倒で揉めるだろうし、事務仕事残ってるし、
母親に、逃げ出したと言われるのが嫌だしなー