はてなキーワード: 仲裁とは
俺の書き方が悪かったが、法律で決まっていないというのは全部作者の許可がいるってこと。
で、日本はオンライン上のものは本当は全部許可が必要でさんざん騒ぎになってる。
エロだから男では好むやつがそこそこいるから、エロも認めろとお前は言うのだろう。
では、グロはどうだ?好むのは一部だが、でも好きなやつはいる。
キャラの腹から腸出てるようなのとか、拷問器具にかけられてるのとか、体が切断されて血が出て嘆きの表情浮かべてるのとか。
そこまで込で認めてるコンテンツはあるんだよ。
で、そこは歴史が長いし、作者も棲み分けや創作を盛んにするためのいろいろ発言とか仲裁の言葉とかいろいろ気を使っているのはわかる。
んで、界隈の一部にいるんだよね。そういうえげつない創作をするやつも。でもそういうやつは好きなんだろうね。
作者も制御の仕方をある程度心得てるし、故に超長期コンテンツだし、ファンも多いし、表面的にはかわいいきれいな女の子たちが舞い踊ってるでしょう。
表面的に真似ようとするところは多いが、流石にあそこまでの闇を普通の作家や、サラリーマンコンテンツホルダーが制御できると思えんね。
一昔の漫画とかで、見たら気が狂うようなビデオテープとかあったんだけど、なんつーか、ああいうのが生まれて、原作者がさらされるんだよ。
で、どんな二次創作でも自由にしろというのは、そういうのも認めろということになるんだけど?
ある程度腹の座ってるやつじゃないとそこまでの許可はだせん。だから、作者側が制御できないとならんし、その範囲にエロも作者側は入ってる。
教師AとB(持つ権力が同じと仮定する)に対して、異なる態度を取る・・・権力勾配の有無とは関係ない。好悪で態度が変わるのは人間だから仕方がないが、それを言うなら教師も人間だからなぁとも言える。
偉い先生に言いつける・・・・生徒側がむしろ権力を利用し、おもねっている
嫌いな先生の言うことは聞かない!という態度を取って良いか問題は割と難しい。教師側の資質もあるからだ。
消えちゃったけど元増田の叙述を信じるとすれば、当該の数学教師は信頼できるタイプではなさそうだし(部活に行くなという)パワハラ行為を行っている。これはまさに権力勾配を悪用した例ではある。
ただしこれが、教師側の故意なのか、教師の能力が足りなかったからなのか(過失的)、そこまでやらないと当該の生徒に学校教育を行うことが困難だったからなのか(未必の故意的な)、判断が難しい。母親が中学からカウンセラーに通っていると書いてあるので、後者の可能性も否定できない。
嫌いな先生の言うことを聞くのは不快だし簡単ではないが、だからといって学校ですべき義務を「嫌いな先生が言っていることだから」と違えても良いということにはならない。
それとこれとは話が別なので、それぞれ別個に解決する必要がある。
元増田の、これも消えたから魚拓しかないが追記増田を読むと、学校側は取りあえず数学教師の問題行動について謝罪や仲裁もあり解決に向けた努力をした様子が分かるが、増田親子側の問題(嫌いなら義務を放棄してよいのか)は何も解決されていない。
どうあがいても折り合いの悪い母と姉。昔からずっと仲裁してきて、わたしは反抗期すら来なかった。いい歳になって、妹は、なんでこの二人縁を切らないのか?とすら思うようになりつつある。二人とも好きだし、そりゃ仲良くしてほしかったけど、無理でしょうよ。妹だって大概疲れてるし、いつもとばっちりで何度も泣く羽目になってて。歳をとってきた母が年々ストレスで変になってる気がするのと、姉は姉でかなり強迫性な性格がきつくなってるようで。私も、仕事して、結婚して、本当は自分のことでてんやわんやだけど、全部投げ出して愚痴の電話があれば全部聞いて。今日だって、昨日の当直1時間半しかねれず、ふらふらなのに、この時間まで電話。二人の喧嘩の愚痴がまた飛び火して、私は揉めたくなんかないのに母と喧嘩のようになって終わる。二人とも病んでるから、私まで影響を受けて、正直、こういうのは私にとっても良くない、です。でも心配なんです。あー、文章ぐちゃぐちゃだ。というか、母は定期的に姉と大喧嘩して私に電話して、そうやって爆発することでなんとかバランスをとってるのだろうか。だとしたら悪いことしたな。私が我慢できなくて怒ってしまったから。でも母はやはり55になって、だいぶおかしくなってきた。父も、祖母も、みんな歳をとればそれぞれのキツイ性格はよりキツクなる、そういうものだ。だから、それが悲しいとかじゃないけど……仕方ないことだけど…… ああ、でもな、ここまで愛情こめて育ててくれて、アグレッシブで尊敬している母。だから、私はもう愛してないとか会いたくないとかそういう結論には成り得ないし、これからも二人の仲を取り持つのだろう。あんなに仲悪くしていて、ある日には仲良くふたりで買い物にいったり温泉にいったりする。わけがわからず、結局私が振り回されて(眠いのにこんな文章まで書き殴って)るだけなのか。脱力感。相当裕福な家庭と思う、でもその内側はこんな有り様。そう変に客観的に眺めてしまうくらいには、疲れている。母と姉には早く今後の距離を確立してほしい。一生無理なのかもしれないが… 私は、二人の処し方を、いや、二人に振り回されない自分の心のいなし方を、作らないと、今後自分の生活がいよいよ追い詰められたときに病んでしまいそうだ。
ミサワさんがブラジリアンワックスでケツ毛を抜いたら
ケツがツルツルになってすべって
https://twitter.com/matsubaramakoto/status/984007546192220160
ご存命のようですね。
http://humin.jugem.jp/?eid=507
https://www.youtube.com/watch?v=vLN-rQ-Slgo
シモダテツヤと私(ヨッピー)048「立ち上げろ!ヨッピー党!!」
これまでの話
[小説]「(民事)訴訟を起こされたという体験」序話~第七話
「(民事)訴訟を起こされたという体験」第八話
「(民事)訴訟を起こされたという体験」第九話
この増田を読んでる皆さんへ
第一話についているコメントに対して
登場人物紹介
「(民事)訴訟を起こされたという体験」登場人物紹介(追記有り)
四回の期日を経て、裁判官から和解案が出されたが、K側が和解案を即日拒否したため私vsKの訴訟は判決を待つ形となった。
ここで一つ説明しておく事が有る。
一年間に日本で発生する民事訴訟の内、80%~85%は、和解で決着が付いているという話だ。
そもそも、民事訴訟というのは当事者同士の喧嘩・諍いであり、裁判所の役割は喧嘩の仲裁の様な物だ。
そのため、裁判官も双方の弁護士も裁判を行いながら和解のための落とし所というのを模索する。
そして双方の主張が出揃った所で和解案を裁判官が提示する。
裁判官は判決を出さなければならないとなると「判決文」という書類を作成しなければならない。
判決文という書類の作成は非常に長い文章を書かなければならないので実は面倒臭い。
しかし、和解で決着となれば長い判決文を書かずに済むので、裁判官としては和解で決着が付く方が望ましい。
裁判所が出す和解条件というのは「判決でも、多少の誤差は出ますがこのぐらいで判決を出しますよ。」という所で
条件を提示して来る。
この誤差が、どちら側に傾くかは裁判官が双方に対して持っている印象、即ち心証に左右される。
「弁護士としても、民事訴訟は和解で決着を付けられるのがお互いに納得が生じ易いですし建設的な結果とも言えて弁護士冥利に尽きるんですよ。」とAは言った。
その意味で言えば、判決は破壊的な決着なのだろうか?
先述したが、裁判官からの和解案は「25万円で和解しては如何か?」という物だった。
後に知る事だが、Kは、この和解案を聞いてSからの説得に対し「25万なんて安過ぎる。」
「判決で25万より高くなる可能性も有るんですよね?」
「なら考えるまでもない、和解拒否で」
という調子だったそうだ。
そして、和解案が出されてから二カ月後、判決が出た。
K側からの200万の請求に対して、判決は「20万円の支払いで」と記載されていた。
時を同じくしてOvsKの訴訟も判決が出た。
OvsKの訴訟は、K側からの請求が200万、裁判所からの和解案が「20万円で和解しては如何か?」
判決でも「20万円の支払いで」という物だった。
訴訟を起こすためには、裁判所に印紙を納めなければならない。
この印紙代を訴訟費用というのだが、訴訟費用の負担割合は、私vsKの訴訟では原告(K)側8割、被告(私)側2割だった。
OvsKの訴訟は、原告(K)側7割5分、O側2割5分となっていた。
その上で、私vsKの訴訟の判決文には「訴訟理由となった投稿が行われた理由の大半は原告にあると判断せざるを得ない」と。
こうして、この訴訟はK本人のみが納得しない結果に終わった…かに見えた。
訴訟の判決が出てから半年後、Aから電話がかかってきた。
最終話に続く。
詐欺の話に着目するのなら
クラウドファンディングの運営がプロジェクト実行者の信用を担保してくれない場合、
何らかの手段で信用を担保する必要があると思っています(トラブル時に仲裁に入らない、保証してくれない場合も含む)。
仰るように直接会うのも手段の一つでしょう。
ただ、詐欺をする気まんまんな相手なら会ったところで騙されるときは騙される
(物理的に距離がある場合は、会うこと自体に困難を伴うこともある)ので、
例えば、別の調査会社なりなんなりを間に挟んだり横に置くのも手(第三者に信用の担保をゆだねる)でしょうし、
あるいは過去の積み重ねられた実績から信用を推察するのもアリでしょうね(見極めに慣れが必要)。
いずれにしても、割りの悪いバクチ、みたいになるのは勿体ないので、
色んなトラブルを経つつ、プロジェクト実行者もBackerも、それなりに熟れていって
ニッチでエッジなアイデアに対する資金集めやファン醸成の仕掛けとして成熟していって欲しいな、
と思っています。
というマンガを書こうと思ったんだけどすっかり時機を逸してしまったので概要をメモしてみる。(一応書いておくと、ラース・フォン・トリアーはダンサーインザダークとかアンチクライストでお馴染みの後味の悪さに定評のある映画監督)
先輩「最近アナルでヌキの女王っていうのが流行っているらしいじゃん、全然観る気がしないけど合コンで女と話が合わないと困るからあらすじ教えてよ」
後輩「いいっすよ。僕の解説をきけば先輩も今日からいっぱしのアナヌキマニアですよ!」
・ここから本題
1.ある国の王家に生まれた二人の姉妹。幼い姉妹は仲良しだったが、実は姉エルサは王の浮気相手の魔女の娘であった(妹アナは本妻(王妃)の娘)。王妃は当然エルサを虐げる。さすがに王の手前エルサを殺すことはできなかったが、エルサは虐待の影響でコミュ障に育つことになる。さらに王妃は浮気相手の魔女を暗殺することに成功するが、魔女の怨念により王と王妃は旅行中に船が沈没し死亡する。
2.それから10数年経ち、女王に即位するエルサの戴冠式が催される。アナは早くに親を亡くしたせいか、生来の性格なのか、立派な尻軽女に育っており、来賓の他国の王子ハンスとパーティーで出会って即ファック。さらにエルサに対し「あんたみたいなコミュ障は結婚とか出産とか無理だから、さっさと退位しなさいよ。あたしとハンスで国を治めるから」と告げる。
3.それにブチ切れたエルサは城を脱走し、魔法で国中を雪で包み込み、山に氷の城を造って立てこもる。急激な気候の変化の為、子供と老人を中心に多数の死者が出る。
4.当然ながらエルサ及び王家に対する国民の怒りは頂点に達し、残されたアナも即刻処刑されそうになるが、ハンスの仲裁のお陰でアナがエルサを捕まえてみんなに引き渡せばアナの命は助けてやろうということになる。ただし軍の指揮権等は王家から剥奪され、単身でアナはエルサを捕まえに行かなければいけない。そしてアナを送り出したハンスはこの機に乗じて国を乗っ取る機満々で、アナはどうせエルサに殺されるだろうと考えていた。
5.アナは道中で知り合った山男クリストフを誘惑し、協力を求める。クリストフは童貞だったのでとりあえずセックスはエルサを捕まえるまでおあずけにして焦らしプレイ。
6.エルサの雪の城までたどり着いたアナとクリストフだったが、エルサに魔法で殺されかけ撤退。その後、アナのいない間に国を乗っ取りつつあるハンスが更に手柄を立てるため兵とともに攻め込み、何十人も犠牲者を出しつつもなんとかエルサをとらえる。
7.自力でエルサを捕まえられなかったアナは、このままではエルサの処刑後に自分も殺されることを悟り(クリストフはこの時点でアナを見捨てて逃亡)、とらわれたエルサを助け、エルサと和解してエルサの魔法で城にいる人間を皆殺しにし、逃げることを思いつく。
8.そのころ、一旦は捕らえられ城の牢屋につながれたものの、エルサは魔法により独力で脱走。しかしハンスの追跡によりエルサは再び捕らえられる。ついでにエルサをレイプするハンス(女は一発やったら殺そうという主義)。そんでいよいよエルサを処刑しよう、というところで間一髪アナが奇襲しハンスを殺害、助かったエルサは魔法で城にいた重臣たちや兵士たちを皆殺しにして姉妹は逃亡…しかし途中で民衆に見つかり、石を持って追われる。エルサは魔法で民衆を大量虐殺するが、王家に国をめちゃくちゃにされた民衆の怒りはすさまじく、最終的に雨霰のような投石によって姉妹は息絶える(とどめは子供を殺された母親の一撃だったという)
9.後日、クリストフはアナに協力していたということでついでに処刑された。童貞のまま死んだ。
10.こうして王政が廃され、民衆による革命が成功したかに思えたが、結局ハンスの母国が敵討ちの名目で軍勢をもって侵略、騒動でガタガタになっていたエルサの国はあっというまに滅ぼされ、国民は奴隷になったとさ。めでたしめでたし。
先輩「なるほど、よくわかったぜ! なんかディズニーっぽくない気もするけど、そういや大人が観ても楽しめるとかディズニーの王道から外れた画期的な映画だという評判だから、そんなもんか」
先輩「よーし、じゃあさっそく明日の合コンでかましてみるか!」
ラース・フォン・トリアーっぽいか?というと別にそうでもないかもしれない…。
普通の家ってなんだろう。
私は自分の家を普通の家だと思っていた。むしろ、大学まで行かせてもらって、その上生活費も出してもらっていたのだから、すごくいい家庭である。憎まれるほどいい家庭だ。
子供に暴力をふるうことはなかったが、父は母を叩いて殴って蹴って踏んで罵倒していた。母は金切り声の叫び声をあげてわんわん泣いていた。物心ついたときから家はこの状態だった。
記憶してるなかで一番はじめの夫婦喧嘩は、3歳くらいの、まだ市営住宅に住んでいたときだ。
夜遅く、母は洗濯物を畳んでいて、私は母のそばでテレビを見ていたと思う。車の音がして父が帰ってきた。母が玄関まで鍵を開けに行くと、酔っ払った父が家の中に入ってきた。私はなぜかすぐにコタツの中に潜って隠れた。父と顔を合わせたくなかったんだと思う。あと、酔っ払うと絶対に喧嘩になることを知っていたからかもしれない。私は真っ暗なコタツの中で息をひそめていた。しだいに口論になっていくと、突然父が怒鳴り声を上げる。いつもここでびっくりしてしまう。本当に突然大きな声で怒鳴るのだ。そしてバシッと叩く音が聞こえる。何度も叩く。母はその度に「もう!やめて!やめてよ!!」と甲高い声で泣きながら叫ぶ。ドカドカと殴る音になると「やめてーーーー!」と母の絶叫が聞こえる。私はコタツの中でずっと震えていた。隠れているのが見つかったら私も同じ目にあってしまうと思っていた。喧嘩が終わると、まだ興奮がおさまっていない父の口から漏れるシーシーという息と、母のすすり泣く声に変わる。怒鳴り声か金切り声はだんだん慣れていくが、すすり泣きの声だけはいつまで経っても心臓がぎゅっと掴まれるような痛みを感じる。
両親はほとんど毎日喧嘩していた。父がいない日は心からホッとした。母が私を寝かしつけたあとに父が酔っ払って帰ってくると、ドスドスという足音とひどい喧嘩で起こされた。それでも布団にもぐって怯えながら寝たフリを続けなければならなかった。母をかばったことは、たぶんなかった。
次に記憶があるのは、小学校の高学年のときだと思う。父は自営業を始め、母は事務を手伝っていた。工場に隣接されるように建てた一軒家には自分の部屋がつくられた。
仕事は忙しく、夕飯はいつも11時くらいに食べていた。共に自営業を始めたことで、喧嘩のレパートリーが増える。母も気が強い方なので、父に対して仕事の意見を言うが、父は「口出すな」「誰のおかげで生活できてると思ってんだ」「黙っとけ」と応戦する。「くらすぞ!!」と拳を振り上げ、しだいに喧嘩はヒートアップする。プロポーズだと笑われてる九州の方言だけど、聞くと少し複雑になる聞きなれた言葉。
また始まった...と呆れながらテレビを見続けた。うしろで行われる喧嘩が聞こえてないようにじっとテレビを楽しむふりをしていた。怒鳴り声で音なんか聞こえないのに、ずっとその場に固まったままテレビを見続けた。喧嘩が始まると、その場から動いちゃいけないという気になるのだ。トイレに行きたくても、立ったその瞬間に「聞こえてません知りません」のフリは解けてしまうと思っていた。自分の部屋に戻りたかったけど、その場から逃げることはなんだか卑怯だと思っていた。母を助けないくせに。
怒鳴りながら暴力をふるう父と、泣きながらやめていたいと泣き叫ぶ母と、テレビから目を離さない子供。今考えると異常な光景だった。すぐうしろで母が泣き叫んでるというのに、見ないふりをしていた。
その日はなかなか喧嘩がおさまらなくて、近所迷惑だなと呑気に考えていた。その時、怒り狂った父がとうとう台所から包丁を持ってきた。この時の光景はずっと忘れないと思う。父は「ころすぞ!」と怒鳴りながら泣きじゃくる母に向けて包丁を何度も振りかざすまねをしていた。母がその時やめてと叫んでいたのか、刺せばいいでしょと反抗していたのかはもう覚えていないけど、ただ包丁を母に向ける父の姿から目が離せなかった。
頭の中で「終わった...」と考えていた。父が母を殺して、両親をどっちも失うことになって、どうやって暮らしていけばいいんだとまで考えていた。その喧嘩はなんとか父が冷静を取り戻して終わったが、ずっとこの喧嘩のことは忘れないだろう。
父は交友関係が広い人だった。外に出ると、何度も友人や知人に明るく挨拶をする姿を目にする。外での父はとてもいい人だった。明るくて面白くて輪の中心にいるような人だ。私に対しても優しくて少し甘い普通の父親だった。だからこそ、その二面性がこわくて気持ち悪かった。
父の友人は私に「いいお父さんでしょ?」とにこにこしながら聞いてくる。私はいつもなんと言っていいかわからなかった。
やがて反抗期に入った私は父とまったくしゃべらなくなっていた。そこまでは良い。よくあることだ。しかし、私は母に対してひどい態度をとるようになってしまった。母を小バカにするような口はまるで父のようだった。私の中で無意識に「母にはひどい態度をとっていい」という意識が生まれていた。今考えると、父の母に対する態度の影響が出ていた。
大学に入って地元を離れることになった。簡単には両親と会えない距離だ。そこで私は一人暮らしのあまりの快適さに感動してしまう。怒鳴り声も暴力もない、近所迷惑も考えなくて良い生活は本当に心地よいものだった。
そして、両親が今まで不自由なく育ててくれたことに自然と感謝できるようになった。夫婦喧嘩の記憶もだんだんと忘れていった。
でも、正月や盆に帰るたびに夫婦喧嘩は日常的に行われていた。私は理由をつけて帰らないようになっていった。
大学にいる間、たびたび友人間で両親の話題をするようになる。もちろん良い部分だけを話した。そうすると友人の中でうちの両親のイメージは「優しくて天然なお母さん」「面白くてちょっと寂しがり屋なお父さん」という理想的な両親になる。私も誇らしかった。「私の両親は良い人なんだ」と思うことができた。久しぶりに帰ると、そのイメージは壊され、やるせなかった。
うちは普通の家庭である、と思っていた。喧嘩が少し多いだけの、普通の家庭だ。でも、親元を離れて暮らす中で、あれは普通ではなかったかもしれないと気づいていく。夫婦喧嘩で包丁は振らないし、「誰のおかげで生活できてると思ってんだ」なんて言葉は出てこないらしい。
大学を卒業して地元に戻ってきた私は、いまだ喧嘩を続ける両親に向かって言った。「夫婦喧嘩がほんとに嫌だった、辛かった。喧嘩するのもうやめてほしい」と伝えた。父は笑って「どこの家もこんなもん。だいたい喧嘩じゃなくてじゃれてるだけ」と言った。情けなくて、もう何も言いたくなくなった。
夫婦喧嘩について調べていく中で、「面前DV」という言葉があることを知った。直接子供に暴力を向けなくても、夫婦喧嘩で子供に精神的DVを与えるというものだ。たしかに辛かったが、私はあんまり精神的DVを受けたとは思っていない。なぜならいつも知らないふりをしていたからだ。母がどんなに泣き叫んでも庇わなかった。でも面前DVを受けたという話の子供はほとんど母を庇っていた。怖かったとはいえ、自分が情けなくてたまらなかった。
今では大人になり、父の言い分も母の言い分も理解できるようになった。仲裁に入るようになった。ずっと離れていたためか、暴力をふるう姿はあまり目の当たりにすることはなくなった。母方の祖父と共に暮らしているため、怒鳴り合いだけに抑えているのかもしれない。職場では、従業員の前でも怒鳴り合いの喧嘩をしている。人のいないところでまだ暴力をふるってるのかもしれない。
そういえば、病気で目が見えづらくなってきたのに配達に行かせるのよ、と母にこの前愚痴られた。なんでもないただの愚痴のように言われた。一歩間違えば事故を起こすというのに、「父は昔からそんな人だったのか」と改めてショックを受けた。
仲裁をしていく中で、私の意見なら父はちゃんと聞いてくれるということがわかった。母も「あなたの言うことならちゃんと聞く耳持つのよ」「あなたから言ってよ」と言うようになった。
私が言わなければならないということはわかっているし、母を庇おうとしなかった負い目もあるため私から話をすることが増えた。しかし口論になって、怒りを滲ませた父の表情を見ると、恐ろしいと思ってしまう。白目のところが赤くなっていくのだ。次には拳が飛んでくるのではないかという考えがよぎる。
離れたら穏やかに暮らせると思う。だけど、私がいない間の両親の喧嘩を想像すると苦しい。いつかどちらかが殺してしまうのではないかとずっと思っている。
私に対しては優しい父への接し方がいまだにわからない。
これまでの話
「(民事)訴訟を起こされたという体験」序話
「(民事)訴訟を起こされたという体験」第一話
「(民事)訴訟を起こされたという体験」第二話
「(民事)訴訟を起こされたという体験」第三話
「(民事)訴訟を起こされたという体験」第四話
「(民事)訴訟を起こされたという体験」第五話
この増田を読んでる皆さんへ
第一話についているコメントに対して
登場人物紹介
「(民事)訴訟を起こされたという体験」登場人物紹介(追記有り)
Sとのメールのやりとりを進める中で、Aから提案された策は、基本路線としては「相手の狙いをある程度掴んだら、和解を断る」という策だった。
Aが言うには「相手の狙いが何かは相手が請求して来る金額に出る」だそうだ。
これは、この増田を読んでいる読者も実際訴訟を起こされた時のために覚えておくと為になる話だと思う。
訴訟を起こす人間は大きく分けると二つの種類に分かれる。
①あまり無いタイプだが、請求金額を最初から類例案件の判決相場程度に低く設定してくるタイプ。
こういうタイプは「喧嘩というのは両方に原因がある、勿論自分にも原因がある」と考え「金額よりも真相と当事者双方の気持ちを大事にしたい」という事が解る。
こういうタイプを、Aは"誠実型"と呼ぶと言っていた。
"誠実型"には下手に交渉するよりも、こちらも誠実に対応すべきだと言える。
「この請求金額を類例相場程度に下げた状態で挑んで来る人を、誠実型と言うんですよね。これが一番敵に回したくないタイプです。
千件近く訴訟をして一人か二人こういう人と当たる事は有りますが、このタイプに当たると
まだまだ世の中捨てたものではないなと弁護士をやっていて良かったと感じるんですよ。」とAは言っていた。
仮に、こういうタイプの和解案を提示してくる相手だったならば、即座に和解に応じた方が良い。
②前述の、あまり無いタイプとは逆に、訴訟を起こす人間の99%は類例判決の相場同等額+自分の契約した弁護士の弁護士費用+精神的苦痛の費用を請求してくる。
こういう高い金額を請求してくる相手は、「真相と当事者双方の気持ちよりも金を優先したい」という事が解るのでこちらも手加減せずに争う事が出来る、
云わば「やり易いタイプ」なのだそうだ。
結局は、金か気持ちかどちらを取るかという話で、その両方を両立させる事は訴訟では難しいという事らしい。
弁護士は基本的に争い事の仲裁をするのが仕事だが、Aが長年弁護士をしていて辿り着いた結論は「弁護士に依頼しなければ争い事を解決出来ない人は頭が悪い」
という事だったそうだ。
「弁護士や訴訟という手段に頼らずに争い事を解決出来る人は、弁護士より頭の良い人だと私は思います。
だから私は、訴訟を起こしたいと当弁護士事務所に訪ねて来た人に必ず聞く事にしているんですよ。
その案件は本当に訴訟する必要が有りますか?と。」
さて、Kはどうだったのかと言うと…?
「和解したければ和解金200万円を払え」と私とOのそれぞれに提案してきた。両方合わせてではなく、一人当たり200万円だ。
これには流石に私もOも笑わざるを得ず、更にはAも笑っていた。
「住所や本名をネットに書き込まれたという場合の判決相場は10万~20万です。200万も請求してくるとは、これで手加減無く潰せますね。」と。
和解案をこちらから断った上で4カ月程が過ぎ、ついに、私vsKの訴訟と、OvsKの訴訟が始まった。
次回に続く。
・トランプ大統領は、望まれぬ大統領だったのだろう。メディアを支配する人々にとって。彼らにとっても、またトランプ氏本人にとっても思いもよらない結果となった大統領選だったのだろう。明らかに準備不足である。
・とはいえ過半数の有権者の心をつかみ、実際に大統領に就任してしまったのだから、氏の実行力・実現力は超能力といってよいようなレベルのものである(話題の書"Fire and Fury"のなかにも"Trump's sixth sense"という表現がある)。
・メディアによって大衆を方向付けられるものと考えていた人々はその考え方がすでに過去のものとなってしまったことを痛感しているのだろう。執拗にトランプ政権を攻撃し続ける大手メディア(特にNew York Timesが凄まじい)とトランプ政権とのやり取りを見るに、真の権力はどちらに存しているのか、どちらが真に権力を握るのかの内戦状態に見える。
【今後の予想】この状況から、確度高く予測できることは次の通り。
・米国は発砲なき内戦状態に陥っていることから、他国への干渉を控える。結果的に紛争は減少する。
・北朝鮮への挑発はポーズに過ぎないものとなる。北朝鮮も米国とやり合って勝てるとは考えていない。米朝衝突はあり得ない。
【付記】
・米朝軍事衝突はあり得ないからこその、慰安婦問題再燃が画策された可能性がある。であるならば、慰安婦問題は再燃し、さらに過熱する。日韓対立はより感情的なものとなり、外交問題化、深刻化する。日本政府は他国(主に米国)の仲裁を期待し、働きかけるが、米国側の本音は東アジアの混乱であるため実質的な解決には至らず、混乱のまま月日は経過する。
日本としては落ち着いて内政に当たり、経済力強化に当たるが吉。日本へちょっかいを出す連中はこの地域の混乱が望みなのだから、混乱に巻き込まれているふりをしながら、静かに国力強化に努めるべきと考える。
どのクラスにも1割程度は発達障害の子がいる。クラス編成のときにバランスがよくなるように振り分けられるから、だいたいどのクラスにも在籍する。
我々教員はその子らの対応に多くの時間を割く。それはもう仕方ない。
具体的には、友達とのトラブルの仲裁や終わらない課題のサポートである。授業中にふざけて迷惑を振りまいていれば叱る。上の空なら何か声をかける。言葉の使い方を改めさせる。
そんなこんなで心の8割はその子らの対応により削られる。まあこれはどこの学校でも同じだと思う。
不思議なのは、低学年のような小さな子供でさえ、発達障害の子がかかえる障害をなんとなく察知していることだ。うまく無視したり、世話をしてあげたりしている。だから「なんであの子だけ」というような不満はあまり出てこない。多くの子はそういうことに関して柔軟に捉えているように思う。
ただそれが差別的な態度としてさりげなく表れるときがある。一緒にグループを組みたくないなど。それを直接言葉に出したりしないところがすでに嫌な人間くささを感じさせる。なんとなく避けるのだ。だからそれを咎めることはできない。態度や言葉で分かりやすく傷つけているのであれば叱ることができるが、なんとなくもやっとした言動を指導するのは実に難しい。
我々教員はそんな発達障害の子を一生懸命に守る。守らない教員はほとんどいないと思う。一緒に過ごすうちに憐れみのような感情を抱くからだ。たぶんどの教員もそうだろう。職員室の話題もそういう子の話が多いし、その話ぶりはどちらかといえばポジティブだ。
離任式で教員が花束を受け取るとき、花を持つ子供を指名したりするが、そういう子を選ぶ教員が多い。
子供にとっては発達障害の子は煙たいかもしれないが、我々教員にとっては宝である。学校における全ての活動はその子らをどうするかということを念頭に置いて考えられている。
2000年代初頭の中学生~高校生の頃はよくチャットルームに居た。
まだwikipediaの認知度が低かった時代、アニメや趣味の分野などひとつのテーマやワントピックについて語るために作られたサイトは無数にあって、もう廃れてしまった検索エンジンのinfoseekや千里眼やgooを使って気になる分野の単語を調べれば、管理人のまとめた情報や考察が掲載された小規模な個人サイトが一軒家のように乱立していた。
決まってそういうサイトはページを開けばMIDIが流れ出し、アクセスカウンターが訪問者数をお知らせ、キリ番を踏んだらBBSに投稿、プレゼントとしてイラストをもらったり、管理人同士でバナー交換をしていた。そして何よりサイトの中心にはチャットルームがあった。
同じチャットルームに集った人同士で共通の趣味や好きなアニメについて喋りつつ、日常の出来事や個人的な悩み、時には荒らしの対応をしたり喧嘩の仲裁をしたりと、面識もない人間同士の部室のような空気の居心地が良くて入り浸っていた。
instagram、facebook、twitter等のサービスも好きなんだけど、あの頃の気持ちが満たされない。人がたくさん集まる活気のあるチェーン店みたいな感じで、明るい場所しか存在しない。
SNSなんて根本的には馴れ合いなのかもしれないけれど、スターやいいねで承認をしあう事、優しくし合う事、好意を返報し合う事、共感が支配している。
明るい場所に居続けると、共感の美しさがたまに、とても、味気なく感じられてしまう。
あの一見さんが入りづらい、よく分からない近所の小さなスナックや飲み屋のような雰囲気。実際勇気を出して踏み入れてみるとその場にいる人や状況によって楽しかったり、楽しくなかったり、娯楽として当たり外れが多く、共時性のある会話はほぼ現実と同じ様で、それでも同じ趣味を持つ人同士で交流を重ねていく。
インターネットって情報を保存したり、永遠性のある場所だと思っていたけど、サービスの終了や404エラーを見つけるたび実家の近所の親しんだ建物が取り壊されてしまった様な感覚になる。
youtubeで、日本会議での講演内容が流れてきている。それがまた基本的人権をないがしろにしたり、無駄な戦争をあおったりとひどい内容。
現に日本会議の委員がやっていた児童虐待とヘイトやってる幼稚園(モリカケのモリ)の話がある。
総理自身が立憲主義を全く理解してない。憲法が権力を律するのが絶対王政時代の話と全く逆の内容。
通じるのは「えらい俺様が完全に支配する社会であればうまくいく」という腐った儒教。
これが漫画の世界ならともかく、ナチスもユダヤ人への虐待について「あんな非常識なことしないだろう」と初期は言われてたり、初期は反対運動が起きていたことを考えると、
本当は、集団的自衛権も仲裁メインで戦争が収まらないところがあれば枠組みと制約があれば場合によってはとは思ったりもするが、まるでまともな改憲案や運用が見えないからもう憲法に触るなという気しかしない。
ゲームプレイする気力がなくなってしまったのを文章として書き留めておこうと思います。
*きっかけ
2つある。
1つはそのゲームに誘った友人(以降Sさん)がそのゲームのエンドコンテンツの固定(※1)に入ったため、一緒に遊ぶことが難しくなった
2つ、そのエンドコンテンツのギルド内で初最上階へのチャレンジを行うにあたり、配信しながら一緒に分かち合えるはずだったがそれを蔑ろにされた
*固定に入ったことに対して
一緒に遊ぶことが日課になっていた私から見れば、遊べる時間は限られているのに、
その遊べる時間はエンドコンテンツへ参加してしまうため、遊ぶ友達を無くしたことが心的ダメージ
*配信について
ちょっと経緯含めると長い
ギルドでは初の最上階へのチャレンジだし、みんなで応援の意味もあったから配信するということになっていた。
VC(ボイスチャット=通話)チャンネルにいると気まずいので別チャンネルへ移動した。
その後揉めていた2人はログアウトし、夜に行われたギルド同士の交流会中もVCにも来なかった
間に入って仲裁していたであろうフレも大変だったんだろうなあと思いながら心配してました。
ここまで挑戦しよう!という流れだったのにそのまま流れてしまうのではないか、ギルド自体を抜けてしまうのではないか…と。
そしてエンドコンテンツへ挑戦する時間になったころ、VCの別チャンネルにそのメンバーが揃っており、ギルドメンバーの現在地がエンドコンテンツのマップへ変わっていた。
配信もなかったので、今回は最上階へは行かないで流れたのかなと思ってまったりしていました。
2時間弱経った頃、Sさんが軽く涙ぐんでいるのかわからないような声で「最上階到達したよ」とVCに報告がありました。
最上階への挑戦権を得てわずか3日で最上階到達は偉業だし、それをこなしたことに対しては本当にすごいと思う。私では到底辿り着けない場所。
他のメンバーは報告来なかったけど
でも最上階行くのって配信して一緒に感動分かちあおうって話だったんじゃないの?
だから前日配信のやり方も説明もしたし、それに合わせて装備も貸したし、事前の予行練習も付き合ったんだけど酷くないですか
聞くだけ聞いて結局のところ「お前の力なんて不要だよ」ってだけにしか感じられない
しかもその固定に友人が入ってるわけで余計ね
もう笑いすら出ないし
そのうち1人は私と一緒に育成楽しんでた友人Sさん
Sさんにこんなこと言ったらきっとエンドコンテンツへ行くのをやめることだろう
そして、その固定はまたメンバーを集めなければいけない
固定として一緒にエンドコンテンツへ挑戦することは大多数のプレイヤーの目標だしSさんだって嬉しいはず
私ひとりのわがままで数人に影響を及ぼすなら、泣いて見なかったことをするしかない
※1
固定:
そのエンドコンテンツへは1日2回まで挑戦することができ、通うことで最終装備を手に入れるためのパーツが少しずつ集まる仕組みとなっている。
http://b.hatena.ne.jp/entry/345394704/comment/gokkie
角川って書籍映像が3-4でドワ関連事業が6-7で、決算に影響デカいのはドワ事業だからニコ解約は地味にダメージあると思うの。で、直近の4-6月はダの映画コケて赤だったし、書籍で数字上げたけもフレ捨てるの勿体ない。
http://b.hatena.ne.jp/entry/345405395/comment/gokkie
書籍扱いだけどシン劇に近いオリコン3万は出たIPだし、ここまで拗れてるなら社長が泥被って仲裁すりゃええのに。数字出してるうちはライセンス違反は大目に見よう。ダが意識高すぎて映画アニメ総ゴケで4-6赤字だし。
あと「シン劇」
昔とある作品の製作委員会に身を置いていたことがあるので、思い出を書く。
製作委員会というのは「製作」をする人たちの集まりであって「制作」をする人の集まりではない。
私も最初ここの違いが全く分からなかったが、中に入ってようやく理解した。
つまり、「その作品を作るためにお金を出した人たちの集まり」であって
原作者や監督や声優や脚本家が集まっているところではないのである。
(このへんがネット上では未だにけっこう誤解されている気がする。)
これは良いとか悪いとかいう話ではなく、カネのために集まった組織なのだから当然の話である。
■どんな人がいるのか/どんなことを考えているのか
会議に出席するのは、出資社(出版社とか、TV局とか、広告代理店とか、製作費を出す会社)から送られてくる、各担当者だ。
いろんな会社から、いろんな人が出て来て、異業種交流会みたいで、けっこう面白い。
そして、ここがポイントだと思うのだけど、この会議に出席してくるのは、必ずしも映像業界に詳しい人間ばかりではない。
彼ら(そして私もそうだったが)のミッションは2つ。
1.出資金以上のリターンを持ち帰ってくること
2.本業へ良い影響があるように、動き回ること
1つ目は分かりやすいと思う。株買って儲けようとするのと同じだ。投資だ。
でも、それ以上に、各社担当者にとって大切なのは、2つ目なのである。
例えば、広告代理店。
彼らが委員会に出資するのは、「その作品の広告の仕事が欲しいから」 以外には無い。
仮にその作品が映画だったら、映画のTVCMだけで何億円という発注を獲得できるのである。
それ以外にも、新聞・雑誌・交通広告・ウェブ広告・・・いくらでも仕事は降ってくる。
例えば、出版社。
出版社が参加している場合は、原作の出版元であることがほとんどである。
彼らが委員会に出資するのは、「原作がバカみたいに売れまくる事」を期待すること以外に無い。
そのための宣伝費と思えば、映像化する際の出資なんて大したことは無い
そもそも作品性なんてものは、監督や制作側の担当領域なので、製作委員会の担当社員からすれば、自分たちでどうにかできるわけでもない。
だから、 2つ目の目的=自社の利益になりそうなこと の達成ばかりに力を入れ始める。
■どんどん仲が悪くなる
各社が2つ目の目的を達成しようとすると、どうしてもバラバラな動きになる。
それぞれ目指すところ(=自社の利益)が違うからだ。当たり前だけど。
2社だけなら良いが、委員会はたいてい5社6社は当たり前。
ということで、担当者の仕事は「複数社間の利害調整」がメインになる というカラクリである。
■個人的な思い出
自分の経験からすると、他社の担当者とケンカしていたか、ケンカの仲裁をしていた思い出しかない。
何がめんどいって、「みんな業界が違う」 ので、企業文化どころか、業界文化が違う。
「こんなこと当たり前だろ」が各社バラバラなので、話がとにかく合わない。
それが一番面倒だった。
まず共通言語を作るところから始めるのが正しいんだろうけど、正直そんな時間はないので
出版社と広告代理店とTV局(この3つは大抵どの作品にもいると思う)の人たちの文化がとにかく古すぎて、いっつもイライラしていた思い出がある。いわゆるギョーカイ人側の人たちですね。
会社の人と話せば5秒で終わる話が、なんやかんやで1か月かかるなんてザラである。
ただ、いろいろな業界のお作法などが垣間見れたのは面白かったと言えば面白かった。
普通の会社にいながら、ギョーカイ人と触れ合える経験なんてあまり無いし。
スキルとしては、複数社間の利害調整能力というものが身についたと思う。大抵のケンカは仲裁できるようになった。
当然のことながら、映像に関する知識はあんまり身についていない。
自分は下っ端だったし、作品が成功するかなんてのは比較的どうでもよくて、目の前の仕事をこなすのに精いっぱいだったのが正直なところ。
だから、ネットで製作委員会方式が諸悪の根源扱いされるのも無理はないな、とは思う。
でも、本当に映像を作ってる人たち(監督とか)は、こうした状況を理解した上で、うまく利用してやろうという人もたまにいて、そういう人はどんどん有名になっていった。
今は全く違う仕事をしているので、最近どうなっているのかも知らないけど、
ケモノなんとか の騒動があったので、思い出して書いてみました。
(ケモノなんとか は見てません)
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こんな糞記事にコメントしてくれた方、ありがとうございます。
>だけど「複雑な力学が働いてるから、たつきが善というわけでは無いぞ」と言いたいのかな、と思った。
もちろんたくさんの人に愛される作品を作った人という点では善だと思いますが、組織の中でどう見られるかは別の話なのですよね。悲しいかな・・・
>「いわゆるギョーカイ人側の人たち」の考え方が古いのは何が原因なんだろう?
やはり比較的、伝統的な手法を重視しますよね。これは別に製作委員会がどうこう、という話ではないと思いますが。
過去の成功体験に人間というのは縛られてしまうものなのだな、ということです。
立場も分かるので、ボロクソに叩くほどのことでもないと思っています。うまく操作してあげればそれでよいのです。ある意味わかりやすい人たちです。
まさに、ですね。普通こうした問題は事前に根回しがされるので、可視化されることは少ないと思うのですが、このパターンは珍しいですよね(だから騒がれているのだと思いますが)
ただ、その手前で十分に調整がなされたかどうかは分かりませんが、監督のツイートは説明不足過ぎるがゆえに事態を悪化させただけで、窮状を訴えるには良い手段ではなかった、と感じています。
いずれにせよ、調整がうまい人がいるかいないか は委員会運営には重要な要素ですね。
>これを敷衍すると、出版利権のカドカワが同人とか一枚絵とかウチ通さずに出してんじゃねーぞ、全部抜かせろって話?
そのへんは作品によって契約内容が違うので、外からはなんとも言えないところかと・・・
ただ、この業界頭悪い人しかいないので(汗)、契約なんてあってないようなものでして・・・今どうなのかは知りませんが。
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最近は、制作会社自身が出資するケースも増えてきていると聞きます。個人的には良い傾向かと思います。
ただ、最後は出資比率のパワーバランスになるので、常任理事国入りできなければあまり意味ない・・・というのもあるかも。
それこそディズニーじゃないけど、制作側でも札束で関係者を引っ叩ける存在が生まれると良いですね・・・
これはね、自分自身も含めてそうだと思っています。ほんと自分はバカなんで・・・残念ですが・・・!
自分のことはさておき、頭が良いことがアドバンテージになりにくいんです。
頭が良いかは二の次で(もちろん良いにこしたことはないですが)、そんなことよりとにかく「運がいい奴」が残る場所だなー、と個人的には思います。
逆に言うと、みんながディスりがちな「学歴社会」ではないので、それはそれで居心地が良い人もいるかも?
半分ぐらい当たってます笑
というか、逆に言うと「制作」の領域が神格化されすぎていて、現場の忙しい人は業務上何もタッチできないんですよね・・・
良く言えば分業化、なのかもしれませんが。
だから、よっぽど個人的に好きじゃない限り、興味もなかったです。
実際にものづくりにも参加できていたら、全然違ったんじゃないかな、と思いますが。どうなんでしょうか。
>ケンカ
ケンカ と書きましたが、ケンカするほど仲が良い というのは全くその通りで、意外と「現場に近い者同士」は、会社が違っても強い連帯感が生まれがちだと思います笑
会社同士はケンカしてても、現場の担当者同士はちゃーんと仲良くしています。
ある意味、「なんか知らんけど偉いっぽい人達」という共通敵が生まれるので、超連帯しやすいです!
だから、仕事で嫌なことも納得いかないことも沢山あったけど、それ以上に楽しいこともたくさんありましたよ!
ところ変わって弟のほうは、祭囃子に備えて英気を養っていた。
その過程で、自警団キャンプにて母に小遣いをせびっていたのだ。
「母さん、お金ちょうだい」
「小遣いはお父さんから貰ったでしょ」
「出店で全部使っちゃったんだよ!」
「5000円も!? いくら出店の品物が割高だからって、さすがにそれがなくなるなんて……」
「えーと……金魚すくい、スーパーボールすくい、亀すくい、ウナギすくい、ドジョウすくい……」
見え透いた嘘である。
弟の後ろにくっついている仲間たちを見てみると、大量のよく分からない玩具っぽいものを抱えている。
「呆れた。くじびきに使ったの?」
「欲しいものがあったんだよ……」
「よりによってそんなもので散財するなんて……アレは当たるかどうか分からないのに」
「くじびきってそういうものだろ? 分かってるよ」
分かっていない。
母が言っている『当たるかどうか分からない』は、弟が思っているような意味ではない。
だが、それを弟に説明したところで理解できないと思ったので、母は説明を省いた。
仮に理解できたとしても、弟の性格なら面倒くさい事態になることは容易に推測できたからだ。
「ははっ、マスダさんとこの次男は祭りの楽しみ方をよく知っている」
いつもなら悪態の一つはつくタケモトさんも、今日は上機嫌に絡んでくる。
「タケモトさん、よしてください。息子は単にカモにされているだけです」
「なー、頼むよ。最新ゲーム機が当たれば、元がとれるんだ」
母は恥ずかしくて子の顔をまともに直視できなかった。
「……ダメ」
「ケチ!」
「守銭奴!」
「金の亡者!」
「パープリン!」
母は自分の聴覚にフィルターをかけて聞こえないようにしていたのだ。
「まーまー、親の言うことは素直に聞いとけ。ゲーム機なんて買えばいいんだ」
「でも5000円が……」
「店側の立場になってよく考えてみろ。ちょっとそっとのことで高額商品が当たったら、商売あがったりだろ。あーいうのは当たらないように出来てるんだよ。引き際が肝心なんだ。今回は勉強料ってことで割り切っとけ」
そして便利な言葉ってのは、こういう意固地な人間を黙らせるために使われる。
「もーいいよ! 自分で何とかする」
弟はそう啖呵を切ってキャンプ場を後にした。
俺はというと綿菓子作りにも完全に慣れ、カン先輩との雑談のほうにリソースを割いていると言ってもいいほどだ。
「俺としては一向に構わないことなのですが。俺をバイトに誘ってよかったんですか?」
この仕事内容ならカン先輩一人でもこなせただろうし、わざわざ俺を呼んだのが疑問だった。
「仕事ってのは楽できるよう運用することも大事なんやで……というのも理由としてある」
「その他の理由は?」
「夏祭りのイベントは出店だけじゃないってことや。それに参加するにはペアじゃないとあかん」
カン先輩の魂胆が見えてきた。
「優勝したら賞金が出る、とか?」
「察しが良くて助かる。どうせ金稼ぐんやったら、貪欲にいかんと」
「で、イベントの内容は?」
「ダンスや」
なんだか嫌な予感がしてきた。
私は大学に通うために去年の春から一人暮らしをしている。と、周りではそういうことになっている。正確には、15人か20人くらいの家族と一緒に家を出た。今もみんなで暮らしている。実家が好きなので寂しいけど、家族と励まし合って頑張っている。
私が今言った家族というのは、世間ではぬいぐるみと呼ばれるものに当たるのだと思う。が、彼女たちは私にとっては家族で人間だ。例えばくまや、うさぎや、ネコや、いぬや、ひつじなんかの形をした、れっきとした人間だ。私の大切な家族だ。
実家にも他に40人ほどの家族がいる。元々は父、母、姉、姉、私の五人家族だった我が家。段々と家族は増えて、今は合わせて60人家族くらいだろうか。その全員に名前が付いている。苗字と名前の両方がある。それから歳と、性格と、話し方や声なんかがそれぞれにある。家族だからもちろん全員のそれを記憶している。私の元からの家族も、もちろんそれを記憶している。ベッドやソファもあるし、小さな個室もある。二つ上の姉は裁縫が得意だ。それで、私の家族はみんなちゃんと服を着ている。人は家具や住居を必要とするし、人は裸では歩かない。そういうことだ。
旅行に行くときにはいつも家族がもめる。だれがその旅行に行くのか、喧嘩は絶えない。まだ小さい子が多いから、みんな行きたがるのも仕方ない。結局は私や姉や、母がその仲裁をして、代表の子と旅行を楽しむ。一緒に写真も撮るけど、それはもちろん人のいないところで。私たちの家族が、誰からも認められるものではないということは理解している。
小さい頃からずっと一緒に過ごしてきてもう中学生になる家族には、随分と悩みを打ち明けた。私の血を分けた家族よりも私のことを知っていると思う。本当に色々なことを話したのだ。彼女の故郷の話。私の将来の話。お互いに、布団にもぐっては沢山の話をした。
この間、友人にロック画面を見られた。私のスマホのロック画面は、家族の写真だ。家族を画面いっぱいに写るように並んでもらって撮った。みんなとても可愛くてお気に入りの写真だ。友人は「このすみっこぐらしのしろくまととかげ、なんで隣にしないの? すみっこぐらしはすみっこぐらしでまとめないと」「てかノーブランドのぬいぐるみ随分持ってるね。これカエル🐸?」と画面を指差して笑った。私にはよく分からなかった。この子はすみっこぐらしのしろくま、なんて名前ではないし、すみっこぐらしのとかげ、なんて名前ではない。この子には別の名前がある。ノーブランドも何も、生きてる人間なんだからそんなものあるわけないじゃん。カエルじゃなくて人だって。言いたいことは色々あったけど、理解してもらえるとも思わない。私は「質問多すぎてわかんないよ」と言った。友人は相変わらず笑っていた。
今日は他人から見たらパンダのぬいぐるみにしか見えないだろう、私の家族と眠る。この子は寒がりだから、お腹のあたりで抱っこしてあげて眠る。
誰に理解されるわけでもない。けれどこれが私の家族の愛の話だ。私と私の、家族の愛の話。
いつかわかってくれる人に出会えるかなあ。