はてなキーワード: 頭脳とは
経済のルールが変わるからそれに合わせないといけなくなったという事なのだ。
昔のルールは;お金を稼ぐのは日本国内で日本語を話していればいいよって言うルール。
これからのルールは:国内のお金はだんだん少なくなるからお金を稼ぐのなら英語を使って海外で稼いでねーっていうルール。
ルールが変わったからゲームのプレーヤー(この場合は国民とか産業とか小さな意味では先生とか学生)はこれに適応しなければ生存できなくなるかもっていうこと。
それを分かっていないと、小手先の議論になってしまって、入学試験制度は大学が自由に作れるはずとか、高校生の基礎学力が落ちているとか、今の大学制度に問題はないのに
なせかえるんだとか、入試制度を変えれば問題が解決する訳ではないとか (おもにここに書いてある事だが(笑)http://blogos.com/article/63882/?axis=&p=1)
今までのルールは
と言う形。日本は確かに輸出で儲けたがそれでも経済は内需型。2010年の対GDP比で輸出依存度は11.4%で先進国ではアメリカに次いで低い。
ちなみに韓国は43%、ドイツは33%、中国でも24%。2010年でもその程度なのでそれ以前はもっと低い。一桁だったときもある。
そのような経済状況で必要な教育は内需経済のために必要な教育でいい。
だから国内の大学同士を競わせ、優劣を付け、教育のレベルをあげるというのでよかった。英語教育もいらない。英語は優劣を付けるための手段であり、
では、これから20年後どうなるのか?
2)内需の縮小
3)経済のグローバル化、知識のグローバル化による日本の産業の競争力の低下
が見込まれる。っていうかもう始まってる。
日本の経済を成長させ続けるためには本格的に外需で食べる事が出来るような体力をつけないと、
そうなると日本は国策として国内の大学同士を競わせて内需向けの労働者を大学で育成しても
貴重な外貨を稼ぐ事が出来ない。
また、人口が少なくなる中、海外からの優秀な頭脳を取り入れなければ競争力を持続できないが、
インターネットをつかったコンピューターネットワークが出来てしまった事によって英語の優位性は
もう既に決まってしまった。今後300年くらいっていうか未来永劫英語は世界の言語になってしまった。
それ以外の言葉はあまりにもお金を稼ぐのに不利になってしまったんだ。
お金を稼ぐルールが変わってしまった以上、プレイヤーはルールに従ってお金を稼ぐしかない。
で、いままでのルールでは日本国内だけで競っていれば良かったものが、国外の経済と競わなければならなくなった。
内需ならばいくらでも保護貿易できたんだけど、外に行くとなると保護できない。それどころか排除される側。
しかも輸出したい国は中国韓国はじめとする新興国から、欧米の先進国まですべての分野で競争相手がいるのだ。
また競争するためには時には相手とくむ事だってある。そのときの相手も日本語話してくれない。
つまり英語使って交渉できなければ売る事も研究も、つまるところ仕事ができないのだよ。
今回の入試改革によって入学試験は学力の面では圧倒的に緩和されるだろう。
そして大学に入るのには、勉強するに足りる基礎学力(特に理数系)、仕事に使う英語、交渉の際に必要な論理性の3つにおいて
ある程度のレベルを達していればよいとなるはずだ。
またそのためには勉強のスコアだけではなくて面接(特に英語、論理性)が試されるようになるに違いない。
入学試験は学力で学生を選抜する試験ではなく、学生の適正、能力、伸びしろをみるための試験となる。
一部の一芸に非常に優れた学生(たとえば数学オリンピックに出るような才能)はその枠で、
それ以外の学生に対しても可能性という枠で席を与えていかねばならないのだ。
勉強のできる学生が選抜されて入ってくる従来の制度では大学は入試が大事であとは学生が勝手に勉強してくれた。
これからは可能性のある学生が入ってくるのであとは「大学が育てる」という形になるはずだ。
故に大学は本当に勉強も教えなければいけなくなるだろう。また勉強だけではなくてコミュニケーションと論理性を育てる場所である必要がある。
これまで大学は国内の学生の選抜システムという形で機能していたが、これからは本当の意味での「学びの場」にならねばならぬのだ。
ルールが変わったのだから今までの国内のランキングなど関係なく東大を抜かす事だって出来るのだ。
この変革によって大学のレベルはより平準化され、専門化される。そしてその事が日本の大学のへきんレベルを底上げするだろうし、一部の学校は
完全に体調を崩してしまった…
2月は稼働日が少なくて、今週半ばくらいから(というかトヨタと高炉の価格が記事で発表になってから) 公私共に、かなりハードだったのは事実だけど。来週から月末進行でさらに忙しくなるという現実。
私が休んだら、私の取引先に迷惑がかかるし、会社の人達にも負担をかけてしまう。
私がやれば決まるような注文も、決まらないであろう。結果、売上落ちる。利益落ちる。みんなの給料が落ちる。最終的にご飯が食べてゆけない。生きてゆけない。
社長も含め「仕事のことは心配しないで大丈夫だから」とは言ってくれているけど、基本的には頭脳労働なので脳みそが回るうちは、仕事に行かないと。
少人数の会社で「生きてゆく」というのは、そういうことなんだなって、改めて実感している。
勿論、見るもの聞くもの触れるもの全てが経営者に近いところで体験できるので、通常ならば出来ないような経験も、たくさんさせてもらっているので、有難いっちゃ有難いんだけども、辛いっちゃ辛いところだわな。
ヒト・モノ・カネ。そして情報。
「会社」を形づくる要素って、「凄いな…」と、感じると同時に「…怖い」と感じることが多くなった。というのが、現在の私の素直な感想です。
「やりたいようにやる」だけなんだけどもさ。
なんか人事考課が一定基準に達したとかで、管理職候補にさせられた。
年齢は30代後半、彼女いない歴=年齢、友達いない、コミュ障で顔面グロの根暗オタクの俺なんか無理だろ、と思ってらいきなりだった。
上司「そのくらい察せよ。色々と資格取らせてただろ?」後輩「先輩頑張ってくださいねwww期待してますwwwww」
知らないのは俺だけだった。辛い…
それ以上に辛いのが管理職候補者研修と選抜試験。来年度末までの足かけ14か月。
出来ることならなりたくないけど、研修や試験自体は辞退不可。落ちても通っても苦しみは同じ。
でも、管理職になれば業務や予算の裁量は広がるし、何より年収が跳ね上がる。(2M以上)
それに加えて自分はかなりの見栄っ張りなので、名刺の肩書きの役職が上がるとそれだけでうれしい。親兄弟に自慢もできる。(弟は別の会社の支店長クラス。正直もうちょっと見返したい。)
俺のようなコミュ障根暗な人で管理職になられた方はいらっしゃいますか?
管理職試験がこんなに厳しくなったのは去年度からのようだ。上記の試験内容の情報はその時に昇格した方から聞いた物だ。
リーマンショック前の管理職はもうちょっとお気楽に見えた。業務時間は自席で経済誌や社外資料などを読みながら、時々部下の報告を受けて指示を出す。
でも今は間接部門が縮小し、管理職の数自体もかなり減って、非常に忙しい。朝から晩まで会議や出張で捕まらない。
現場の業務はほぼすべて主任以下で処理。管理職はペーペーの課長でも予算や事業計画といった経営レベルのハイエンド頭脳業務。
管理職への報告や相談は基本はメールかメッセンジャーで。どうしても捕まえたい時はグループウェアのタスクツールで5分単位で上司にミーティング申請。
優秀でない管理職はみんな子会社に飛ばされたり退職・転職していったりした。
吸収合併した会社から来た管理職が上司になったりもした。吸収された会社の社員で吸収した側に管理職として生き残る人の優秀さをまざまざと思い知らされた。
今の管理職を見ると、自分に本当に勤まるのかと不安になる。正直、今のままの自分では無理だ。でも、自分を変えるのは辛いし怖い。
昔の管理職ならまだましだったも。
PGは、まず見積もりを依頼されます。この時ほとんどの場合、要求仕様書が無いか、あっても伝聞で情報が欠落もしくはエラーを起こしています。残念ながらエラー訂正機構は装備されていません。CRC、せめてパリティでも入っていればちょっとは違うかもしれません。期待出来ませんが。
ここでプロジェクトマネージャー(又は管理者・経営者等。以後PMと称する)から「最速でやった場合」「割り込みが入らない場合」「君がやった場合」or「部署内で最高ランクのPGがやった場合」「仕様変更が無い場合」という条件が付きます。
底辺PG諸君。ここでこの言葉を額面通りに受け取ってはいけません。
「【最速で】3ヶ月かかります」
と答えたらPMは【普通に】3ヶ月の工程を工程表に書き、見積書に3人月分の金額を書きます。そしてこれは後述する危険と隣り合わせとなります。
この危険を経験したPGは大抵リスクを込みで【黙って】見積もりを伝えます。
しかしPMはお見通しです。「高い」「そんなに時間がかかるわけが無い」と言い、受け付けません。何故なら実はPMの頭の中では既に「3ヶ月」なのです。PMは追い込むために見積もりの詳細を聞いてきます。
ここで素直に「リスク込み」と答えてはいけません。既にPMは前述の前提条件を述べているからです。無下に却下されます。
戦いたいPGかつPMが同じ会社であれば「後学のためにPMの詳細見積もりをお聞かせ下さい」と聞いてみるのも良いでしょう。ただし確実に印象悪化は避けられません。PMが発注元の場合は禁句です。まずキレます。そのまま発注されない事もあるでしょう。発注されなかった事を喜びましょう。
なぜキレるか。それは簡単です。「明確で論理的な理由が無いから」です。理由が無い上に実は既に予算が決まっており、それを超える事は許されません。予算を超えた見積もりはPMがさらに上層部・経営陣から怒られる事を意味するからです。理由が無いから理由をPGに考えさせているのです。PMが仕事をした気にさせるのも底辺PGの役目です。
予算を超えた見積もりはあり得ませんので、答えは「がんばります」しか残りません。しかしPMはそれすらもPGの口から言わせたいのです。でもよく考えて下さい。あなたの脳はオーバークロック出来ますか?
底辺PGが出来る事は、PMやユーザーが分からないように期間と予算を加算するくらいです。
一応、市場原理が働くため、安い方がいいに決まっています。金払いのいいユーザーや元請けってのはあんまり無いです。そして金払いの悪い所ほど後々してやられますので、最初の予算の付け方でどういう所かが大体予測出来ます。
そんなわけで、予算と期間に品質と内容は関わりがありません。もちろん企業の使命として、安くて良い品を、安くても利益を、は追求してしかるべきなのですが、日本の場合質と金額が比例するのは極一部。IT業では基本的に、安くて良い品を出来るだけ高速に、がモットーです。受注しなければ会社がやっていけないのは分かりますが、「安さ」だけしか売り物に出来ない会社は、IT会社として失格でしょう。
かくして、短納期低予算のプロジェクトが組まれるわけです。そのPMの理論からすると、高速バスで東京から新大阪へ行く方が、新幹線のぞみの指定席グリーン車で行くより高く、書留速達の郵便より普通郵便の方が値段が高い、という事になりますが。質、時間、価格の何がIT業と違うんでしょうか。
実のところ発注や作業開始は遅れている事が多く、納期に間に合わせるには発注前に作業を開始せざるを得ない場合が8割ほどです。実はここにも罠が仕掛けられています。
作業に取りかかろうとようやく出てきた仕様書を見ると、見積もり時の時と変わっていたり、追加されていたり、未だに仕様が無い場合がほとんどです。
「こんなものをこんな期間で出来やしない!」と憤慨してはいけません。なぜなら
という答えが返ってくるだけです。PMが見積もらない理由がここです。PMに見積もりを聞いてはいけない理由がここです。これは後々まで効いてきますので注意が必要です。「前提条件と違う」と反論するのは無駄です。PMはそれは忘れています。そもそも考えて発言していないので口が勝手に脊髄反射で言った事であり脳は関知していないのかもしれません。PMにとって最重要な事は「PG自身が言った事」です。そう、工程表にも議事録にも「3ヶ月」という数字のみが記載され、いわゆる「リスク」は何処にも書かれて残っていません。
PMやユーザーは絶対にリスクや前提条件を書き残しません。それがこの業界の伝統ある慣習だからです。
ここで言った言わないの不毛な戦いをしてもいいのですが、確実に査定は最低です。もしプロジェクトから外されたらそれは喜びましょう。
管理者や経営陣等からは「やる前に出来ない言うな。やってから言え」と怒られます。残念ながらこれも真に受けてはいけません。
設計、構築など作業をしている間もどんどん仕様変更・追加は流れ込みます。
PMは工程進捗を把握しているのでは無く、PGが【自ら】工程表や報告書に纏めます。遅延していれば遅延の理由も書き、挽回策があればそれも書きます。しかしPG個人が取れる挽回策などたかがしれています。と言うよりそれが分かっていれば遅延などしません。他の策は既に実行済みなので、挽回策には「残業・休日出勤」くらいしか書く事が残りません。しかしこれは現実にこれしか書く必要がありません。なぜならPMはこれ以外の挽回策は理解不能だからです。
仮に報告をしても「早すぎる。もっとやってみてから」「がんばれ」という答えが返ってくる事でしょう。
遅れを放置するPMもいますが、許容範囲はPMにもよりますがある程度遅れが見えてくるとPMから追求がやってくるようになります。
「なぜこんなになるまで報告しなかった」
そう、報告出来る時期というのは非常に限られています。多分プロジェクト工程(今の例なら3ヶ月)の中の30分くらいです。それより早いと相手にされず、それよりも遅いと怒られます。報告時期を見誤らないのもPG業の技です。
実装が難しかったり、無理難題は多々あり、その上工程が遅延しているので、相談をしに行きます。しかし、それは無駄です。
「自分で考えろ」
「やってから言ってるんじゃねぇ。やる前に言え」
他似たような答えしか返ってきません。非常に非生産的です。理不尽です。時間の無駄と考え報告・相談に行かないPGも多いとか。非生産的ですが、一応相談はしておきましょう。ただし時間は取られないように。
同僚やチーム員に相談してもいいのですが、昨今のプロジェクトは人員がスタンドアロンで動いています。したがって、隣の人やチーム員がが何をやっているのか知らない事が非常に多く、相談出来ない事も多いのです。PGにメンタル病が多いのは実は理由がここにあると自分は思っています。孤立感が半端無いのです。まぁ、元を追えば、そいういうチームを組む事、教育訓練しない事など、実は管理者・経営者が「カイゼン」や「効率向上」を題目に目の前の超短期的コスト削減だけを考えている結果なので、PGとしては何も出来る事はありません。管理者・経営者は中長期について考える必要が無いからです。なぜなら「その頃には自分は満額の退職金を貰って定年退職済み」だから。
実のところ単独の仕事をしていればいい、と言う事はあり得ません。同じプロジェクトの中からも割り込みや、他のプロジェクト・部からも割り込みは多々入ります。
始めに言ったじゃん。どうにかして。というのは無駄です。覚えてないし、「会社員なら当たり前だ」という答えが返ってくるだけです。「15分だけ」「ちょっとだけ」が頻発しますが、塵も積もればなんとやら、です。ちなみにこの件は査定・人事評価には全く影響がありません。
相談すれば「午前中はこの仕事、午後はこの仕事、定時後はこの仕事をすれば並列同時が可能だ」とあたかも新発見超名案を出したかのように返されるのが落ちです。そう、1日が24時間しかない事は忘れ去られ、PGが人間である事は忘れ去られ、思考の分断は効率を激しく低下させる事を知らないのです。
ここで断る勇気を持つのが大事ですが、職場内の雰囲気は格段に悪化します。評価は「人でなし」「自分勝手」「自分本位」「冷たい」。これらの視線に耐えられるのなら断りましょう。こちらからすれば「自分の時間を奪う方がよっぽど人でなしだ」と言い返したい気分です。
テスト工程も始まり、遅延が激しくなる上に、バグが発見されさらに遅延という状況が始まります。
ソフトウェアである以上、バグが無いプログラムなんてのはあり得ないのでバグを出す事自体は不可避です。
ところがPMは激しく怒り出します。バグの発見はPMに一報が行きPMが怒られるからです。
底辺PGはバグを出す毎にこっぴどく怒られます。中には仕様変更の事実がPGまで伝わっていないのにバグ扱いされる事も多々あります。
バグを出すと修正、テスト、再発防止策の考案などの厄介事が増えます。
再発防止策は通常「どうやったら自動的にそうならないか」を考えますが、あまりに根幹すぎるので、底辺PGの身分では権限が無く、出来る事が限られます。そしてPMが理解出来る策を考えねばなりません。結果「テストを増やす」「チェックシートを作る」とかになりがちです。しまいには「チェックシートのチェックシートを作る」などという意味不明の現象に陥ったプロジェクトを何度も見ています。
厳しく、それは厳しく怒られる上に、チームの前でさらし者にされる事、人格を否定される事も多々あるので、PGはバグを出さないように、見つけても出来るだけ極秘裏に解決しようとします。
「恐怖駆動型開発」
というもので、日本の場合ほとんどがこの開発手法をとられていると聞きます。この開発手法は書籍になっておらず、書籍としてよく売られているのはアジャイルな開発手法の本が多いです。知識として持っているのはいいと思いますが、役に立たないと思いますねぇ、恐怖駆動型開発の前には。まわりの人間も恐怖に巻き込まれないようにするため、どんどんスタンドアロン化が加速します。
その上、バグを隠すようになり、バグが出るようなテストを避けるようになるため、短期的に収束しているようにみえます。だから効果絶大と見るようです。リリースしてからが楽しみですね。
PMが空想から覚め、もう救いようが無くなった事が事実と認識出来るようになった時、ようやく、2度目の相談・報告時期が訪れます。ただし、PMの第1声は「どうしたらいい?」です。そんな事が分かっているのなら実行済みなので、黙っているしかありません。
するとPMは「何人入れれば良い?」と聞いてきます。意味が分かりません。IT業を労働集約型産業と勘違いしているのが未だに存在している事に驚きです。頭脳集約型の形態に人を入れて解決しようとはどういう脳をしているのか。一度解剖してみたいものです。多分、高校を受験する中学3年生の受験者が100人集まれば旧帝大の入試に合格すると考えているのでしょう。もしくは1Km走というのは1000人が一斉に1m踏み出せば1Km走った事と同じ記録である、と考えているのでしょう。
脳を電通で直結出来れば若干違うかもしれませんが、IT業の1+1は2では無く、良くて1.5。ましてやこれで増えていくのは3~4人までが限界でそれ以上は人を入れても上がらないどころか、マイナスになる事が常。
PGなら他のプロジェクト、他の部、他の会社に信頼出来るエース級のPGを何人か知っているかと思います。なのでついPMに「エース級を3人」等と提案しがちです。しかしこれは叶わぬ望みです。その提案に対する答えは「そんな事出来るわけないだろ」です。そりゃそうです。予算が無いのだから。
自分の仕事があるのに、何故かこの後から来た人員を纏めるようPMから指示が出ます。PMが指示出来ないからです。破綻は間近です。いや、既に破綻しています。
プログラムが出来上がっていく以上、バグをつぶす速度以上の割合でバグを注入していく事になります。
「混乱しているプロジェクトに人を入れれば、なお混乱するだけ」
という有名な文を実感する事でしょう。なお、実感するのはPGだけであり、PMは実感出来ません。
この辺で思わぬ事態が発覚します。実は発注が遅れていた事です。
発注日以前にドキュメントがあっては監査にひっかかるため、今まで作ったドキュメントを作り直しをしなければならないという、まさに想定外の事態です。ほとんどのドキュメントには作った日付や判子が押されているはずです。それを全部作り直しするのです。納期は間際です。これも納期までに間に合わさねばなりません。
PM(重ねて書くが、プロジェクトマネージャだけでなく管理者や経営者も含む)が発狂し始めます。宛先は底辺PGです。
中には「お前を精神的に追い詰めるしか手がねーんだよ」とストレートに言ってくれるPMもいたりしますが、あまり出会った事は無いですね。
あの手この手で精神的圧迫を始めます。圧迫すれば脳がオーバークロックして作業が進むと考えているからです。残念な事に、脳の別の部位がオーバークロックしてショートしてしまいます。
こういうプロジェクトを経験し、運がいいのか実力なのか、生き残った人達がSEとなり、いずれPMとなっていきます。
不思議な事に日本では、PGが成長してSEに、SEが成長してPMに、とクラスチェンジするものだと考えられている会社が多のですが。
自分としては、座標軸のX,Y,Z軸の様にPG軸とSE軸とPM軸と全く異なるベクトルだと考えています。X軸の先にY軸Z軸があるわけでは無い、と。もちろん、軸に沿っているだけでは無く、他の軸のベクトルも併せ持つのもよいエンジニアでしょうし、ベクトルの方向を伸ばし続けるのもよいエンジニアでしょう。
ところが、クラスチェンジするものだと管理者・経営者は思っているから、給与体系もPG<SE<PMとなっていたりします。この時代錯誤的階級社会はどうにかならないものでしょうか。
自分はPMを否定しているわけではありません。いいPMの元でいい仕事をしたい、と思っているだけです。今までに何度かそういう良い経験をした事はあります。それは成功経験としてモチベーションを保つために必要な事なのです。
PG至上主義でもありません。分業形態として、SEやPMは必要不可欠だと思っています。ただ、PGを粗末に扱っておきながら高品質の製品を要求する風習・慣習が納得出来ないだけなのです。
マスダに記録する。
韓国は、10才から18才までとにかく大学受験の試験勉強のマラソンが始まる。
この4年間でとにかく詰め込んで詰め込んで習い事させる。
そしてそれは、課外授業という形で学校の中で行われる。
これは社会人になってからもそうで、朝の出勤前に英会話スクールで
1時間の塾に通っている人も多いそうだ。
そして、できあがるのは、
頑丈で、早く、元気な人間。
相当な学力成績を残して帰ってくる。
之以外には無い。
ホワイトカラーとで、社会的立場が明らかに違うのもおもしろい。
興るようで、彼らはディスリスペクトされる。
情報処理をすることには長けていても
イノベーションを興したりすることは不向きだそうだ。
美しい髪をつくる美容師、さまざまな職種がリスペクトされている場合がある。
GPS(これは米国の技術)、翻訳機能、匠の技から生み出される工学機械は
両者では、労働の質が違うと言える。
いやこれはさすがに言い過ぎた。そういうわけでない。
正確に言うと、
粘り強さがなく諦めが早い弱点がある。
付加価値を創造するには、日本人的な面も必要であると言いたいのだ。
ハードワークに耐えうる体力を持つ。
同じ科学者でも、実験科学者と理論科学者とではアプローチが異なる。
--
結論、仮説ありきで、さも本当のように事実のように話すヨーロッパ人のスタイル。
仮説思考というと聞こえはいいけれども、それが、さも、本当の事実のように主張しながら実験を進める。
--
技術的な背景を大切にする。まず、やってみる。
私は、後者の実験科学者的な(と自分では思っている)スタイルだ。
それで、前者のヨーロッパ人のやってることが、ずるいやり方というか、なんで、データもないうちから、ドンドコドンドン主張するのかが、理解できなかった。
--
■頭がいい人が、必ずしも私の考えを理解できるわけではない。
頭のいい人と言うのは、特に東北地方などでは、察しの良いを指すこともあるが、情報を得て、それを整理することが得意なタイプの頭の良い人も、いる。
あうんの呼吸とか、1を聞いて10を知ることや自分の成果を誇らないことが、美徳とされる考え方を持っていた。
相手は、主張して、アピールする。
--
■グレーゾーンをついているように見えた。
サッカーのマリーシアではないが、反則の、審判の見えていないところや上司の見えていないところでは、結構、一緒に働く人をこき下ろしたり、こき使うような感じに私からは、見えた。
相手に罪の意識はないように見えた。
---
■相手からの言い分を聞くと、話してくれないと増田さんの考えは分からないということだった。
外国人、ヨーロッパ人が、理解をしないのは、こちらの考えを英語で明瞭に自信を持って伝えていないから。
相手の頭脳に私からの情報が伝わらない限り、私の考えは、伝わらない。
私が、どういう結論を持ち、どういう根拠に基いて、考えているのか、ということは、黙っていても、頭の良い人でさえも情報が少なかったら判断が出来ない。
伝えることや言い訳、説明を行うことに対して罪悪感を持っている必要はない。罪悪感を持つことで、空気を読むことを、鍛えてきた節がある。
自分は、人を傷つけないようにしよう、不快な思いをさせないようにしようということに、過剰に配慮しすぎて来たんだ。
相手との摩擦がある場合には、背景情報や知識や経験に、有している情報に差があるからだ。
私からしたら、相手の言い分は、言い訳にしか聞こえないが、相手からすると正当な説明責任を果たして、いるに過ぎない。
■別のもっと、他の可能性。
私も発達障害で、相手の外国人も発達障害だと、コミュニケーションが上手く行かなくて、当然。
更に、上司や部下の関係、先輩・後輩の関係であれば、なおさら。
アスペルガーってこともあるかも知れないし、文化的な前提条件が異なるからとも言える。
http://kokoromasic.com/repoat/82_asperger4.html
http://www.terashima-bunko.com/bunko-project/roost-program/837-petra211.html
・朝勃ちしてんじゃねー!!!
・開始五分でノルマ達成
・ほっちゃん「朝の交尾中でしたか~☆ さっ、どうぞお続けになって☆」
・先週は「ビビアンがお母さんと再会できてよかった」とか言ってたくせに「本当に母親だか怪しいもんだわ」とか言い出す姫様
・先週と言ってること違くない?と思ったけどいつものことだった
・サラマンディーネ様が優秀な頭脳でラウンドワンを復活させたことを延々と語り、重要情報もポロリしてしまうしもべ@レズの方
・失われし古代遺跡、その名はROUND1
・「自由は自分の手でつかみとれ!」というアメリカ人のようなメンタリティをしているサラマンディーネ様
・エースをねらえ!→巨人の星→サイバーフォーミュラという豪華なラインナップinクロスアンジュ
・ほっちゃん「今までわたくしと互角に戦える者などいませんでしたから…」
・※ツイスターゲームです
・サラとアンジュのラブストーリーは突然に展開に死んだ目をして微笑むタスク
・かと思いきやノーブル・オブリゲーションの話だった。
・自分はもう皇女じゃないからやらねーけど「オメーは皇族なんだろ」とノーブル・オブリゲーションを押し付ける姫様
・まではいいがタスクお前も乗り込むのか! 大きさ10分の1ぐらいだけど大丈夫か!
・まあタスクさんは有能だからどうにかしてくれるやろという謎の信頼感
・どんどん視聴者に馴染んでくる「おかあさんさん」という呼び名
ビビアン「おかーさんさん…」
ヒルダ「」
・いや確かにどうにかしてくれるやろという信頼は投げたけどタスクさん有能すぎない?
・急に歌うよ~♪
・「三割引でアレ撃ちなさいよ!ほら!月光蝶!」と無茶ぶりかます姫様
・姫様「割り引けないなら私が打ち消せばいいのね!」サラ「何言ってんだお前」
・乗機に向かって「気合でなんとかしなさいよ!!!」と叱咤する天才ライダー
・これは…スパロボですねえ~としか言いようのない精神コマンドである
・ていうか永遠語り砲、普通に強そうだからスパロボ参戦して欲しい。Z再世のガウェインぐらい強そう。
・楽しそうなので姫様とアンジュはもうずっとこっちの世界にいていいよ
・永遠がたり、「その歌はエンブリヲがこの世界を滅ぼしたときに歌ったもの…」ってことは関俊彦が「ルララリラ~♪」って歌うの?
■その1。
今回のテーマにあたって、かかしあさひろとロボット少女萌えの起源を辿っていたら、真っ先に出てきたのが、筆者が『メタルK』の冥神慶子で、かかしが『コブラ』のアーマノイドレディだった……まあ、実は、1965年にスタジオゼロが作ったアニメ『レインボー戦隊ロビン』に出てきた看護婦ロボット・ルルが筆者の知る限りでは、最古のロボット少女萌えであり、起源だと思うのだが、現在入手不可能なので、とりあえず忘れよう……。
それはそれとして、おたく向け作品の定番パターンの一つに、ロボット少女萌えというジャンルがある。『ToHeart』のマルチが大ブレイクした事で、美少女ゲームの世界では一気にメジャージャンルになった。
特に今年に入ってからは、『WoRKsDoLL』『MACHINE MAIDEN』『RIZE』と、ロボット少女ものが続けて出ている。筆者は『WoRKsDoLL』と『MACHINE MAIDEN』をプレイしたのだが、このジャンルでの定番なテーマである、人間性の欠落を補う為の美少女ロボットか、人間の欲望を充足させる為の美少女ロボットか、については『MACHINEMAIDEN』では対立するものとして描かれているし、『WoRKsDoLL』では選択するものとして描かれていた。ただ、『MACHINE MAIDEN』では、前者の概念が意図的に勝利している。これは、ユーザーが美少女ゲームに何を求めるかという意識の変化を反映したとも言える。
個人的な話で恐縮だが、筆者の本業はまんが編集者(ただし休業中)であり、仕事の参考用に市場の傾向分析をするのだけど、昨年あたりから、過剰な位に、癒しや郷愁をテーマにした作品を求める傾向が見られるようになった。元々、ユーザーの好みは、ハードエロとソフトな癒し系に別れる傾向があったが、かなり後者は先鋭化している。まあ、過剰なヒーリング志向そのものについては、場を改めて言及するが……。
■その2。
美少女まんがをエロ目的ではなく、「癒し」を目的として買う人が増えているという現実。それは、ゲームでも同じで、1キャラあたりのセックス描写が1~2枚程度な美少女ゲームが売れている理由は、この雑誌の読者ならば「CGのクオリティ云々~」に帰着させるんだろうけども、もう一つの背景として、ユーザー、特に男性の側に、失われつつある少女幻想へのニーズが高まっているという状況があると思う。
情報の氾濫が人間性を希薄にするというのは、いささかステロタイプな認識だが、「少女」の実像が曖昧になっているのは確かだ。たとえば、我々が考える現代の少女像は、概ね記号化されている。宇多田ヒカルを聴き、キューティコミックを読んで、援助交際に励む……といった程度が、おそらくイメージの限界なのだが、それはまた、多くのおたくにとっては唾棄すべきイメージでもある。何故なら、それは情報のキメラ化で生まれた「鵺」のような不快感が付きまとうからだ。そして、情報の氾濫により座標軸を失った人々は、古典的な価値観を求め出す傾向を示す。
■その3。
さて、ロボット少女の代表格としては、『ToHeart』のマルチが存在する。マルチには「少女」の記号がこれでもかという程、多く存在するが、これは、おたくが望む所の少女幻想を満たそうとすれば、年々侵食する大人の領域から逃れる為に、必然的に年齢が下がる。少女というよりは幼女にベクトルが向かってしまい、行き着く聖地は小学校の一階になるのだが、下がると同時に社会的な軋轢が生まれ、イノセンスとは別の要素も混じってきてしまうという欠点がある。というか、犯罪。
で、マルチの場合は、ロボットということでその障害を回避している。幼女=絶対的な処女性、ロボット=無機質の美、メイド=成熟した女としての意志が介在しない従順な存在、という要素群が、これほど見事に合致した例もないだろうし、だからこそ、ヒロインのあかりを差し置いてアイドルに成り得たのだ。ただ、個人的には、その濃厚な純粋性がちょっと……という心境ではある(単なるひねくれもの)。というのも、どんなに崇高かつ絶対的な少女を再現しても、ロボット少女はユーザーの欲望の為に用意された人工物に変わりはないのだ……。
ちなみに、この視点で見ると『マシンメイデン』には、問題が一つある。それは、タイトルは「機械の処女」なのに、アルシアは早々に処女を失ってしまうからだ(笑)。まあ、筆者などは、純粋性を維持した上で、淫乱さも持つなんて最高じゃん!と思うのだけども、逆に萌え要素が目減りしたと思うユーザーも多いのだそうだ。こうなってくると、何のための18禁ゲームなんだか分からなくなってくるのだが……。余談だが、ゲームの構造の相似性もあって、アルシアのキャラクターは、『ナチュラル』の千歳を彷彿とさせる。そういえば、千歳も従順でロボットのような少女ではあったが……。
話を戻すと、美少女ゲームが、少女まんが的な絵柄を用いて、イノセンスで従順な少女を描くことに腐心した結果、セックス描写を減らしていく一方で、当の少女まんがでは、あからさまなセックス描写が増えた。下手すると、18禁指定の美少女ゲームより、『少女コミック』や『マーガレット』の方が過激なエロを展開している状況もあるのだ……。そして、同じようにセックスを扱っていても、意図するものは正反対であり、保守的な価値観へ向かう男の子と、過激で積極的な女の子との距離は限りなく離れていく。その結果として、男性向けエロメディアの中にだけ、少女幻想が生き延びるというパラドックスも生じた。
今、手元に『火の鳥・復活編』の文庫版がある。というのも、現実の少女への絶望=人間性への絶望が、ロボット少女という形を取るならば、その描写のまんがに於ける元祖は、おそらく『火の鳥・復活編』に於けるチヒロであろう。念のため、ストーリーを軽く説明すると、交通事故で身体の大半を機械化されたレオナ少年は、全ての生物が無機物に見えるようになってしまった。
レオナはその代わりに、無機物であるはずのロボットに女性を感じ、チヒロというロボットに恋をする。無論、異常者として二人は社会から非難され、二人の恋はチヒロの電子頭脳に移植された記憶として昇華するが、結実した瞬間、醜いロボットと化した現実に直面する。
この話で一番痛いのは、普通の人間にとっては、機械剥き出しで無個性なロボットでしかないチヒロが、レオナの感覚では美少女として捉えられていることだろう。ロボット少女萌え属性な人には痛い描写だし、また、今日の状況を予見している描写でもあるからだ。
確かに、手塚治虫やトキワ荘の一派は、ロボットを描くことで人間性を問う作品を多く描いたし、ロボット少女も多く描いた。ただ、その存在を全面的に肯定することはほとんど無かった。何故なら、ロボット少女は、現段階ではあくまで空想の存在でしか無いのだ。ユーザーが現実の世界に生きている以上、何処かで折り合いを付けなければ、レオナと同じように社会から非難されるはずだったのだが……その点、現代のおたくは幸福だ。何故なら、おたくを取り巻くシステムもまた、完成されつつあるからだ。「メディアミックス」という、優しい収奪のシステムに取り込まれ、飼い慣らされた結果、ユーザーは電気羊ならぬ、電気少女の夢を、半永久的に見続けることができる状況が生まれた。しかし、システムの中に閉じることにより、一般社会との相対的な視点を失いつつあるユーザーもまた多いのだ。
従来のポルノグラフィが、無意識のうちにマチズモ(男らしさ)を規範としている以上、マチズモに耐えられずおたく化した人々が、相対する少女まんが的な技法と感性へ惹かれていくのは、当然のことだ。筆者にもそういう時期があったから、頭から否定はしない。ただ、世界(=社会)への目を閉じて、失われていく「少女」への感傷と、過剰に供給されるヒーリングアイテムを盲目的に消費し続け、快楽だけを享受している、最近のユーザーには、苦さと虚しさを感じるんだな……。
そう、僕らの居る世界は、天国かも知れないが、同時に地獄でもあるのだ。その認識だけは最低限、持っておいて欲しいのですよ。
■実はダメな人の総括。
相変わらず暴走している筆者です。えーと、ロボット少女だったら、個人的には『Automatic Angel~時計仕掛けの天使~』(樹崎聖)の笑(えみ)かなー。『BROTHERS』(小池一夫&叶精作大先生)のメモリーも捨てがたい(笑)。ちゃンとお兄ちゃン属性もフォローしているぞ!(笑)
さて、次回は「優雅で感傷的な美少女ゲーム」と題して、今回の続きです……いや、書いている方も痛いんですが、少女まんが的なポルノグラフィを供給する場所として、美少女まんがや同人誌の市場があったけども、同時にそれは収奪のシステムであり……というか。BGMは、ビーチボーイズ『グッド・バイブレーション』で。
島村英紀先生が長周新聞元旦号に「権力に囲い込まれた大学の研究崩壊」というコラムを書かれたとのことで、同じ内容がインターネットにも掲載されている。
http://shima3.fc2web.com/kakoikomarerudaigaku201501.htm
このコラム自体は昨今の国立大学事情を憂う含蓄深いものであるが、ちらほらと事実誤認や思い込みやホラ吹き寸前の誇張が含まれている。不思議なことだが、偉い学者先生に教育や大学のことを語らせると普段の科学的で論理的な思考が吹き飛んでしまうことがあるのだ。もちろん、これは科学的な論文などではなく単なるコラムであるから、一種のアジテーションとして書かれたのかもしれない。
このコラムを元にして社会で有益な議論が起こるには、アジテーションを真に受けるだけでなく、頭を冷やして考えることも必要だろう。ということで、本稿では島村先生コラムに対して揚げ足取りのような指摘を行うものである。ただし、この揚げ足取りは島村先生に敬意を込めて行うものであり、決して人格攻撃ではないことをお断りしておきたい。
まず冒頭。
このコラム全体の論旨からすれば、崩壊しているのは国立大学である。国立大学が勝手に崩壊しているのである。不確かな理由をつけて多数派である私立大学を巻き込み、大学全体の問題として論じるのは不誠実である。
他方、国からの予算を少しでも多く獲得するために文部科学省から天下りの官僚を国立大学に迎えることも一般的になっている。大学の経営にあたる理事に天下り官僚が入っていない国立大学はほとんどない。
国立大学の法人化以前から経営幹部である事務局長ポストが文部(科学)省人事だったことをお忘れなのだろうか。法人化後は理事という扱いになったが、実態は何ら変わっていない。国立大学が因循姑息として変わっていないことを批判することもできようが、変わっていないのにも関わらず変わったような印象を作って批判するのはゴシップ誌の手法である。定義不明な「天下り」はなんと便利な言葉か。
また学内の教官たちによって選ばれた学長候補をさしおいて天下り官僚が学長になったところもある。そのひとつ、山形大学では学長が替わって以来、窃盗など学内者による刑事事件が頻発するようになっただけではなく、それまで医師国家試験の合格者数で上位だった順位が大きく下落してしまった。大学のモラルが落ちてしまっているのである。
「天下り官僚が学長になったことで大学のモラルが落ち、刑事事件や国家試験合格率低下を引き起こした」のだそうである。これは一体何を言っているのか。因果関係に相当な飛躍があることが明らかであることを考慮すれば、その意図するところは「俺ら学者の島を荒らす奴は気に食わぬ。悪いことは全部あいつのせいにしろ」ということである。同じ理屈によって山形大学の学生・教職員による窃盗などの不祥事が相次いで地元紙に「報じられた」ことは想像に難くない。
モラルの指標に国家試験合格率を引き出すのもまず失当だが、この医師国家試験合格率は合格率が約9割と高く、各大学の医学部医学科の定員数の規模に大差がないことから、その順位は大きく変動するものであることに留意しなければならない。なお、事実としては昨年度の医師国家試験の新卒合格率は97.9%で全国80大学中19位と上位に返り咲いているが、これをあえて昨年度末に退任した「天下り学長」の薫陶と言う者はいないだろう。
じつは研究の面から言えば、このように「明日のゼニになる」研究はたやすい。研究資金さえ豊富で多くの研究員を雇えるならば、研究目的がすぐ近くにあって明確なものゆえに、材料や手法を替えながら大量の実験を繰り返すことによって「研究」が進むからだ。つまり研究にとっての革命的な進歩である研究の質的な向上をしなくてもできる研究だからである。
なんと、金を生み出す研究は「たやすい」のだと言う。「そんな順列組み合わせ作業なら大学ではなく工場でやればよい」と言っているようにも受け取れる。工学研究者は怒って立ち上がってもいい。が、しかし、
現在の研究全体のありようは、過去にはあった研究の質的な革命を生み出すことを止めてしまって「明日のゼニになる」研究だけに注力しているのが問題なのである。
ということだ。「明日のゼニになる」研究だけに注力しているのが問題。その通りであり、島村先生も基礎研究が応用研究よりえらいと論じているものではない。工学研究者の皆様はご着席ください。「明日のゼニになる」研究にも「研究の質的な向上」が必要なものであり、読者は注意が必要である。
もうひとつ、この種の外部資金頼みの研究には危険がある。それは防衛省が進める大学や各研究機関との共同研究が、近年急増していることだ。
防衛省や防衛産業にとってみれば研究者の頭脳はのどから手が出るほどほしいものに違いない。だが研究者には戦後ずっと軍事研究や防衛省への協力に抵抗感があった。しかし、その「歯止め」も年々弱くなって、旧制帝大7国立で軍事研究を実質的に禁止しているのは東京大と大阪大だけになってしまっている。
軍事研究が是か非かについては意見がわかれるだろうが、ここは島村先生の立場に則り「非」として考えてみよう。現状、軍事研究を実質的に禁止している大学がどういう状況にあるか。軍事研究推進派である右派団体・産経新聞は、大学のこの方針を徹底的に非難する。では、軍事研究否定派は大学の擁護をするかというと、そうではない。否定派の左派団体・労働組合は「この方針は我々の闘争によって勝ち取ったものであり、大学当局の弱腰を許さない!」と、なぜか大学を非難する側に回るのだ。軍事研究を禁止している大学は、賛否両派から攻撃を受ける状況にある。面倒極まりない。それではいっそのこと「歯止め」を外したくもなるというものである。否定派は、党派的な対立構造を作った上での主義主張という古風なスタイルが目的に対して逆効果となっていないか十分に内省すべきだろう。さて、この段落、島村先生の主張とあまり関係なかった。
大学は、井上ひさしの『ボローニャ紀行』にあるヨーロッパ最古の大学、イタリアのボローニャ大学のように、もともと権力とは独立したものとして生まれて育ち、それゆえ文化的で独自の価値を生み出してきた。しかし、いまの日本では、否応なしに権力に囲い込まれた形でしか暮らせなくなっているのである。
あらゆる権力から独立した存在としてのボローニャ大学。大学関係者が好んで取り上げる事例であるが、これも留意すべき点がある。そこには自治はあったかもしれないが、今日で言うアカデミック・フリーダム(学問の自由)、すなわち、教育や研究の内容に対する自由がなかったことはあまり言及されない事実である。アカデミック・フリーダム、特に研究を行う自由は国家権力の庇護下においてその権力に囲い込まれることによって成立した背景を忘れてはならない。「いまの日本では、否応なしに権力に囲い込まれた形でしか暮らせなくなっているのである」。然り。ただし、それは今に始まったことではないかもしれない。
大学は、権力との不可分な関係とどのように付き合っていくか。あるいは、不都合があるならばどのように新たな関係を構築するか。検討すべきはそこであり、この島村先生コラムはその議論に有益なものであろう。しかし、頭に血をのぼらせるようなアジテーションでは「権力の介入を許すな!」という小学生並みの感想にもなりかねないと思い、誰に届くかわからない増田にいろいろ書いた次第である。
それこそ20代後半まで専門教育を受けなきゃいけなくなってきてるとか。
1~2人の子供ですら血縁関係や、特に核家族で支えることが出来なくなってる。
経済的なコストに限らず、親の人格や子の成熟の質も問われてくるから、
増田阿鼻叫喚のアダルトチルドレンをはじめとして、発達障害や精神病理が表面化してきてる。
昔々の製鉄所や紡績工場で働くぐらいなら、別に文化資本や成熟についてとやかく言われることもなかったのにな。
したがって子供一人に対して父親母親の人生をすり潰すどころか、
("教育制度云々の議論は目眩まし"とはこのことで、一定数の人間に結婚を諦めさせて税負担に徹してもらうことを正当化するための作業をやってる。
教育改革なんてぶちあげてるが、税を負担する当人たちに気づかれないためのチキンレースでしかない。)
その外縁に養子制度とかがある。宗教によっては重婚も機能してたりするよね。
今後はもっと広く間口を広げて多数の産業従事者をコネコネ束ねて、
ずっと少数ずっと高度な頭脳労働者を気長に育てる社会にしないといけない。
少なくとも精子卵子の観念を捨てて、生理的なATフィールドもポイして
そこらへんの知らんおっさんと協力して、知らんおばさんの子を30年ぐらい育てることになる。
そうすれば高い生産性を維持した、見栄えのいい文明社会を再生産できる。
わけねーだろ...(´・ω・`)
http://b.hatena.ne.jp/entry/anond.hatelabo.jp/20141226041111
宿題=残業もしくは仕事を家に持ち帰るブラック体質、っていうブコメが割とたくさんあって、
よほどひどい担任に当たったならともかく、小学校低学年の宿題って、
修得に反復継続が必要なものや、学習定着のための予習復習が中心だよ。
自発的に勉強ができるようになるために必要な「練習」のようなもんだと思うんだけど。
それを、仕事が終わらないから家に持ち帰るブラック企業体質、と同じだと思っちゃうって。
宿題の意味も理解してないし、「仕事」というものの認識もすごく浅い。
頭脳労働してる人って、書類やら資料やらを家に持ち帰ることはしないにしても、
割といつでもどこでも仕事のアレこれを考えていたりする人が多いし。
共感した.自分も,(まわりと比べたら)早い段階でPCやネットというものに触れたことがきっかけで,そこから広がる世界こそが周囲との差別化要因だと思い込んで今ここに至っているようなふしがあるから.
ネットの向こう側にはとにかく情報があふれていて,分相応な情報だけ丁寧に渡してくれたりなんてしない.そこが,とても手強いところだと思う.現実社会の場合,頻繁に接する人々というのは,接するようになる過程でそれなりにバックグラウンドの共通化が行われるので,ある意味,分相応な情報しか入ってこない.そして,その分相応な相手(と言うとなんだか失礼な気もするけど)が,ある日突然,雲上人になってしまうなんてことも基本的には起こらない.昨日まで英単語を知らなかった人が,今日いきなりネイティブレベルになってることなんて,ない.そういう変化には必ず,時間という生々しい,リアルなリソースの消費が伴っている.
要するに現実社会では,日常的にフェーズの全く異なる情報発信に触れ続けることはあまり無いんじゃないかな,と思うわけです.そういう場もたまにはあるけど,それは日常に対する単発的な刺激として用意されるものであって,日常的にはやっぱり身の丈にあった範囲で暮らしていて,(できる人は)健全な程度の切磋琢磨をしている.
ところが,ネットの世界には分不相応な情報がありふれていて,色々なスキルを既に持っている人たちの情報が容赦なく飛び込んでくる.相手は億単位の頭脳を抱える集合知なのに,日常的にその勇姿に触れ続けていると,それが持つスケールやスピード感に対してだんだん感覚が麻痺してしまう.そうなると,自分の前に現れてくるものに対して,妄想としての自分はどんどんそれらを取り込んでいって「まともに」成長していくことになってしまうし,現実としての自分は時間ばかりが経ってしまって,それらの義務がぎっしりつまった袋をずるずる引きずりながら重い足取りで歩き続けることになる.
・・・のかなぁ.
それこそ20代後半まで専門教育を受けなきゃいけなくなってきてるとか。
全先進国共通で、血縁関係や、特に核家族で支えることが出来なくなってる。
経済的なコストに限らず、親の人格や子の成熟の質も問われてくるから、
増田阿鼻叫喚のアダルトチルドレンをはじめとして、発達障害や精神病理が表面化してきてる。
昔々の製鉄所や紡績工場で働くぐらいなら、別に文化資本や成熟についてとやかく言われることもなかったのにな。
したがって子供一人に対して父親母親の人生をすり潰すどころか、
("教育制度云々の議論は目眩まし"とはこのことで、一定数の人間に結婚を諦めさせて税負担に徹してもらうことを正当化するための作業をやってる。
教育改革なんてぶちあげてるが、税を負担する当人たちに気づかれないためのチキンレースでしかない。)
その外縁に養子制度とかがある。宗教によっては重婚も機能してたりするよね。
今後はもっと広く間口を広げて多数の産業従事者をコネコネ束ねて、
ずっと少数ずっと高度な頭脳労働者を気長に育てる社会にしないといけない。
少なくとも精子卵子の観念を捨てて、生理的なATフィールドもポイして
そこらへんの知らんおっさんと協力して、知らんおばさんの子を30年ぐらい育てることになる。
そうすれば高い生産性を維持した、見栄えのいい文明社会を再生産できる。
わけねーだろ...(´・ω・`)
なぜ「頭が良い凡人」になってしまうのか。
何社かの会社に籍を置いて仕事して、大手と言われる会社にも居たことがある。大手と言っても
本当の大手では無く子会社だけど。それでもやっぱり正社員は学歴も地頭も良い人が多いと感じた。
ただ、そんな中でも優劣はあるし、劣の中には記事に有るように”とても頭が良いのに成果にならない”人も居た。
記事にある内容も最もだと思ったけれど、私がその”頭の良い凡人”を観察して感じたのは少し違っていて
だった。
頑張っているのに成果が出ない人は、大体は頑張り方を間違えているものだと思う。この”頭の良い凡人”を見ていて
感じたのは、考える方向が違うと言うことだったように思う。
具体的には、顧客からの要求を満足させるために超えなければならない技術的な課題があって、どうすればいいか議論した際
「これはどう頑張っても解決できないので、代案を探して提案しよう」
との意見に対して、頑なに
「それはNG。顧客から指定された要求には必ずその通り対応する必要がある。解決方法を検討しなければならない」
と主張した。問題を一方向からしか考えられないことは、時に問題をより大きなものにしてしまう。
方向とともに、その優秀な頭の利用方法にも誤りを感じた。最も顕著だったのは、能力的・立場的に目下の者を擁して進めるプロジェクトで
彼は毎日のように配下のメンバーの問題点、欠点をその能力を遺憾なく発揮して列挙して指摘した。それは事実であり妥当なものでもあった。
しかしながら、”ではどうすればいいか?”と言った改善には踏み込まず、また、その後のフォローも無かったことから、上司は指摘を受け
続けたメンバーをフォローし、もちろん指摘を続けた彼をも何とかする必要に迫られた。
理由はよく分からないが、優秀な頭脳にも偏りがあったようで、特定の作業に関しては彼は全く的外れだった。文章力に富み、語彙も豊富で
日本語以外の言語にも対応できたが、簡単な報告書1つを作るのに1日を要することもザラだった。
こんなことを書いている私も周囲から時折「頭がいい」と皮肉たっぷりに揶揄されることがあり、「頭のいい凡人」たる彼とは良くその豊富な
語彙力を遺憾なく発揮して皮肉の応酬をしたものである。第3者が見ていると口げんかにしか見えなかったようで、仲が悪いと言われたものだが
私としてはそれも含めて仲良くさせてもらっていたつもりであった。
当の彼がいまどうしているのか。もう知りようもないわけだが、もしもまた合う機会が会ったら腹を割って話をしてみたいとは思う。
元記事の言ってることはもっともだし、そこに付け入る隙はきっとある。見たことも体験したこともない遊びを生み出したならたぶん、そいつが次の覇者だ。
だから起業なりなんなりして、勃興しつつあるマルチバースとか使った遊びを作ったりkickstarterなどで未知のプロジェクト生み出したりして何かを生み出すといいと思う。
俺はもちろんやらない。覇者を目指す絶望もあるだろうし、覇者になる絶望もきっとあるだろうから。
だからDeNAの偉い人とか、優れた頭脳を持つのであろうエンジニアの話を聞いて、へーとかほーとかいいながら生きるために意識の高いフリをしてゆっくり絶望しながらゆっくり死んでくのだと思う。
なんかDeNAの女経営者とか偉そうに講演してる訳ですよ。色々と。確かに素晴らしいし、為になる。その周りにいる人達も、俺たち時代をリードしてるぜ的空気満々で、凄い訳でよ。でもさ、賢い頭脳達が集まって作ってるものがソシャゲ。てか、パスドラとかそんなの。で、ガチャで儲けて。いや、いんすよ儲けるのは。たださ、例えばパチンコ屋の社長が偉そうに講演しますか?角海老の社長が、いかに指名をとって単価を上げるのが我々の使命だ、なんて講演しますか?そして、ソープ嬢の技術論とかを、ほぉなんてみんな聞きに行きますか?
てことを感じてしまうんだよ。もっと言えば、マルチ企業の代表者の話をみんながありがたく聞きますか?と。いや、ゲームが悪いなんて言ってない。技術の先端はいつでもカッコ良い。でも、ソシャゲって根本的にショボいじゃん。スースァミ程度じゃん。
そこどうなの?みんな。。