なぜ「頭が良い凡人」になってしまうのか。
何社かの会社に籍を置いて仕事して、大手と言われる会社にも居たことがある。大手と言っても
本当の大手では無く子会社だけど。それでもやっぱり正社員は学歴も地頭も良い人が多いと感じた。
ただ、そんな中でも優劣はあるし、劣の中には記事に有るように”とても頭が良いのに成果にならない”人も居た。
記事にある内容も最もだと思ったけれど、私がその”頭の良い凡人”を観察して感じたのは少し違っていて
だった。
頑張っているのに成果が出ない人は、大体は頑張り方を間違えているものだと思う。この”頭の良い凡人”を見ていて
感じたのは、考える方向が違うと言うことだったように思う。
具体的には、顧客からの要求を満足させるために超えなければならない技術的な課題があって、どうすればいいか議論した際
「これはどう頑張っても解決できないので、代案を探して提案しよう」
との意見に対して、頑なに
「それはNG。顧客から指定された要求には必ずその通り対応する必要がある。解決方法を検討しなければならない」
と主張した。問題を一方向からしか考えられないことは、時に問題をより大きなものにしてしまう。
方向とともに、その優秀な頭の利用方法にも誤りを感じた。最も顕著だったのは、能力的・立場的に目下の者を擁して進めるプロジェクトで
彼は毎日のように配下のメンバーの問題点、欠点をその能力を遺憾なく発揮して列挙して指摘した。それは事実であり妥当なものでもあった。
しかしながら、”ではどうすればいいか?”と言った改善には踏み込まず、また、その後のフォローも無かったことから、上司は指摘を受け
続けたメンバーをフォローし、もちろん指摘を続けた彼をも何とかする必要に迫られた。
理由はよく分からないが、優秀な頭脳にも偏りがあったようで、特定の作業に関しては彼は全く的外れだった。文章力に富み、語彙も豊富で
日本語以外の言語にも対応できたが、簡単な報告書1つを作るのに1日を要することもザラだった。
こんなことを書いている私も周囲から時折「頭がいい」と皮肉たっぷりに揶揄されることがあり、「頭のいい凡人」たる彼とは良くその豊富な
語彙力を遺憾なく発揮して皮肉の応酬をしたものである。第3者が見ていると口げんかにしか見えなかったようで、仲が悪いと言われたものだが
私としてはそれも含めて仲良くさせてもらっていたつもりであった。
当の彼がいまどうしているのか。もう知りようもないわけだが、もしもまた合う機会が会ったら腹を割って話をしてみたいとは思う。