はてなキーワード: 選挙活動とは
今回の衆議院選挙について、選ぶに値する党が存在しないことを歯がゆく思っていても、自分が立候補することは年齢規制から無理であるし、まず金もない。所属したい政党もないですし。
議員になることがまず、ごくごく普通の人間には無理である。ということについて考えてみよう。
衆議院は4年に1回解散されて議員の総選挙が行われるものだ、と私たちは小学校の社会で習った。また衆議院は参議院と異なり、総理大臣に解散権があり、総理が解散すると言った時が選挙の時である。総理は衆議院選挙にて第1党になった党から指名された人物(つまりボス)がなる、というのが日本のシステムです。
とまあ、考えてみると私たちは総理が解散を決意するまで選挙があるかどうかなんて知るすべなどないし、
告知期間もめちゃくちゃ短く、「よっしゃ選挙するぞ!!!」と言われたところで、「よっしゃ選挙出てみようぜ!!!」となる体力(金)もない。働いているひとが仕事を休んで選挙活動をするなんてことは無理だし、あと比較的理想に燃えやすい若者も被選挙権を与えられていないが為に何もできない。
政党というのはお金と選挙のやり方ノウハウが詰まったプロフェッショナル集団だ。
そんな彼らと関係を持たないままに選挙戦を戦い抜くことは厳しいし、また選挙に通ったところで何かしら提案をしても国会という場所で仲間がいなければ提案を成立させることも難しい。
そういう風に考えていくと政党という集団で思想統制をとり、集団で公約としたものを数の力で果たしていく、というスタイルは一見効率が良いようにも思える。
こういったらなんですけど私は、日本実は政党政治下手くそで向いてないんじゃないかなって思う。
私たちにはまず議論が苦手な部分がある。ディベートの最中にその議題について否定されると人格まで否定されたような気になって敵と味方の糾弾大会みたいになったりしませんか?友敵を明確に求めたがるきらいがある。私たちですらそういう節があるのだから、国会議員の人々もきっとそういう部分がある。
けれど、社会って、世界ってそんな簡単に、友敵に分割できないじゃないですか。
本当に「解決しなくてはいけないこと」について私たちは、話をするべきだと思うのです。
正直なところ、私は森友学園のことも議員の不倫のことも、どうでも良いのです。
福島のこと、原発のこと、自衛隊について、改憲について。すぐに答えをみつけることが難しいことばかりが山済みになっているけれど、これらは先送りにしたところで、何も解決されない。
私たち日々の暮らしに追われてしまっているけれど、同時に福島には防潮堤が建設されて村の風景を分断し続けていく。平和憲法は心意気としてはもちろん良いものであるけれど、自衛隊を合憲化することに頭ごなしに反対することは、議論を進めるものではない。
仙台に住んでるから,今回の仙台市長選の選挙活動とやらもそれなりにみていたんだけどさ.
今回当選した郡さんだかなんだかの支持者が,駅前のアーケードに大挙して声出してるのよ.それを結構な頻度で見かけていたんだけど.
すっごいんだよね.ひたすら名前叫んで,よろしくお願いしまーすって言うだけ.
くっそ暑い中,名前言ってるだけ.60か70か,とにかくお年を召した方々が,死んじゃうんじゃないかって感じの声出してるのよ.
もう,はっきり言ってドン引き.そんなことをして一体何の意味があるんだ.熱中症で倒れたりしたらどうすんだよ.
そもそも,名前以外の情報が一切入ってこない.そこまでしているのに,言ってるのは名前だけ.
こんなんで選挙に通る通らないが決まるとしたら相当政治って狂ってるんじゃない?
でも,少なくとも,選挙活動している側はそれで選挙が有利になると思ってるんでしょ?
こんなのを見た有権者が投票する人を決めると思ってるわけでしょ?馬鹿にしているよね.
それとも本当は世間のみんなはそうなのかな?だとしたら,投票する人も投票される人も実は相当頭おかしいんじゃない?
https://anond.hatelabo.jp/20170715102110
↑1「連邦議会・党試案」
党員数が多い順に掲載・1~10ランク付け。10は1万人以上。
①同胞団
連邦レベルでは、保守共和党のリベラル派や緑の協同体と連携している。
地方にまず合法的な事実上の解放区を作る方針も持つ。郡部では半ば成功している。
都市では労組の組織化、企業組合の設立と地方では共同体の建設も行う。
へき地など、経済的に貧しい地域では保守層にも浸透を図っている。8)
③公民ファーストの党
(→行政、議会改革と福祉国家の建設など穏健な政策を並べているが
連邦レベルでは、保守共和党や民主中道同盟に所属する一部の連邦議員を非公式に支援している。7)
(→特定の地方州に基盤を持つ小政党、農民や漁民など「生産者」のための政党。
地方議会や公益農業、漁業法人、福祉法人、土地改良区などの議員、役員にメンバーを送り込む。
農本主義の政党。緑風共生党や緑風社稷党とは共栄関係にある。6)
⑥新○○連合
直接行動をしつつも「合法部門」が一部の州や郡部の議会に議席を持つ。6)
⑦自由改革連絡会(リバタリアン党・急進減税改革党・表現の自由党)
(→3党はそれぞれ自由改新党から急進主義を理由に分離したグループ。
平和裏に分離したため、除名されたわけではない。
今でも非公式のつながりはあるため、改新党の「別働隊」という見方もある。
都市部に支持者が多い。連邦議員はいないものの、若干の地方議員がいる。
⑧生存のための共闘
行政や半公的組織が設立した「差別に関する諮問組織」には若干の役員を送っている。
街頭や職場の労組での直接行動を得意とする。都市部に支持者が多い。
国境線の廃止と政府の解体を呼びかけており、世界革命を志向する。
労組の組織率はかなり高く、ストライキなどの中核を担う場面も多い。5)
10.女性の権利党
行政や半公的組織が設立した「性差に関する諮問組織」には若干の役員を送っている。社民党の一部政治家を支持している。5)
時に直接行動(街頭活動や対象企業への直接抗議)をモットーとする。
12.スポーツ新党
(→スポーツの普及のために結成。健康志向。地方議員が若干いる。
13.連邦進歩同盟
国政から遥か昔に議席を失っている。
余り独自の動きを取らず、事実上の中道系の地方議員の交流会となっている。
国政では民主中道同盟に協力。
(→連邦建国功労者、宗教の権威に「王位」や「爵位」を授与するべく活動する団体。
ただし、当の当事者の多くは君主制には興味がないため、活動は一部にとどまる。3)
世界中を「連邦」の枠組みに取り込み、「世界新秩序」の確立を目指す。
現状の社会をスターリズムと規定しており、それに反対している。
自らを「前衛政治集団」と規定しており、街頭活動を盛んに行う。3)
16.自由労教会(連邦シェアスぺース連絡会議・隠者当事者連合
・労働時間短縮会議・最低所得保障を求める市民の会・教育制度を考える会)
(→自由主義者、福祉国家を求める者、宗教リベラルのグループ。
自由な働き方、学び方を求める。最低所得保障や多文化共生も求めている。
17.セックス新党
(性風俗業界に勤める人たちの団体。性風俗業界の正しい認知の拡大や雇用環境向上を掲げる。雑民の党とは友党関係にある。3)
①理性会議
そのたび毎に活動している。2)
②愛酒・愛煙家同盟
(→いわゆる「民酒主義」を掲げる。
夜の社交場こそが民主主義の原点という信念も持つ。2)
(→右派、直接行動主義。
右派各党から金銭的援助を受けて
④自然大麻党
都市中心の街頭活動から山間部、離島でコミューンを作る方向にシフトし始めた。
郡部の議会に隠れた支持者を送り込んでいる。2)
⑤快楽至上党(正式名:ポゴ無政府主義者と耽美主義者のための政党)
(→反議会制民主主義、反資本主義、脱労働、耽美主義を掲げる。
支持層はサブカル層やアーティスト、ニヒリストが多い。都市部が拠点。2)
⑥憂国無境輪
⑦禁欲党
(→禁欲主義を掲げる。
アルコールやタバコの販売停止は勿論、ポルノ雑誌や性風俗の禁止を求めている。
宗教右派系の影響を受けている。1)
(→自身の意識をインターネットに移植して、実質的な不老不死を可能とする
ことを求めている党。1)
主張としては…
「開星」して「銀河連邦」へ加入すべきと訴える。
オカルト雑誌の発行や示威行為、選挙活動でマス・メディアへの露出を図る。1)
10.反文明党
(→現状の世界は文明発展を急ぎすぎ、このまま行くと世界破滅が起きると信じる集団。
文明を退化させ、人口を減らして、人は自然に還るべきと主張する。1)
。
個人的な意見なので他の人は知らない。その事を分かったうえで聞いて欲しい。
周囲にケチつきすぎてて正直言うと早く代わってほしい。
でも替わりが居ない。
自民内の緊縮財政支持者を除外し、少なくとも任期中はトップに立ち続けられるだけの地盤を確保していて任せられるだけの実績を持っているという人材が居ない。
野党に任せるには民主党時代の記憶が未だ鮮明な上に選挙活動を見ても「反対」「廃止」「森友/加計学園」だのばっかりで、「どういう政策を実行したい」という言葉が流れてこない。
数々のスキャンダルがあったとしても、そういう面から判断したら「比較的マシ」であることに変わりはないので支持することになってしまう。
もっといい人が現れればそちらへ靡く。
この点がずっと不思議だったけど、やっと納得いく理由が浮かんだので、長文だらだらと書いてみる。
・「野党4党は籠池氏と手を組んでる、グルだ」という印象を振り撒くこと
だったのだと思う。
特に、有権者へ「野党=悪者の籠池氏とグル、共犯者」というダーティーイメージを抱かせて、解散総選挙で勝つことが一番の目的。
以下、そう考えた理由
籠池氏の証人喚問は、それまでずっと自民党は参考人招致にすら慎重だったのが、一挙に全てひっくり返る形で唐突に決まった。
この決まったタイミングは、3月16日に参院調査会と野党4党が籠池氏の自宅を訪問して話を聞いた数時間後のことだった。
証人喚問が決まるまでの国会では、総理夫人の昭惠氏が小学校の名誉校長である上に、
籠池氏は安倍総理と稲田大臣と同じ日本会議の役員だったから、安倍内閣は籠池氏と同じ側としてずっと防戦一方の立場に置かれていた。
これは完全な推測だが、そこで3月16日に野党4党が籠池氏を訪問したテレビ映像を見て
野党は悪者で、総理である自分や夫人の昭惠は被害者で正義の側という構図にして、一気に攻守逆転できる!」
と閃いて、いきなりの証人喚問を決定したのでは。
自民党の西田議員と葉梨議員が行った質問から、野党に関する質問をピックアップする。
「あなたは、3月16日の予算委員会調査のあと、野党議員だけを自宅に集めて話しをした。これ非常に中身がわからない。
なぜ野党議員だけを集めて、そこで話をするとかいうことをされたのか。
なぜ予算委員会とか、もっと開かれた場、与党側もそうだが、野党議員だけではなく。
ここ私は非常に私は疑問を、不透明感を感じる。なぜ野党議員だけだったのか?」
(籠池:私が招いたわけではないので、私にはわからない)
「あなたが国会でお話ししたいという事を最初におっしゃられたのは、3月16日に大阪で4人の野党議員と面会したあと。
(籠池:私が招いたわけではないが、ハシゴを外されて大変なことになっているという事は話した)
「そのときに4人の国会議員から、籠池さんの学園を応援したいとか相談にのりたいとか、そういう話を誰かしたか?」
(籠池:記憶にございません)
「国会で籠池さんが説明することについて、何らかの示唆はその4人からあったか?」
(籠池:今日の証人ではないが、参考人として出させてもらってもいいという話はした)
(籠池:あうんの呼吸)
「籠池さんの方から積極的に出たいというわけではなく、阿吽の呼吸、
相手は出てほしい、こちらとしても出てもいいかなと、そういうことと解釈していいか」
(籠池:おっしゃる通り)
「そのときに、籠池さんが捜査対象になったとか、そういう話は無かったか?」
「大阪府から監査を受けることについての、危惧をしているという話はあったか?」
(籠池:はっきりと覚えてないが、身の回りのこととしてそのような話はした気がする)
「その話については、何か反応は?」
(籠池:特段ございません)
「それはまさに忖度という事で、特に何の反応もなかったという事でよろしいですか?」
(籠池:おっしゃる通りです)
「じゃあその点についてはまた、あのー、議員の方もいらっしゃる訳ですから 関係者もいらっしゃいますので、
しっかりと確認していただいたほうがいいのかなあ というふうに思います。
以上の通り、自民党議員は二人とも、野党との会合について繰り返し聞いている。
それも、さも鴨池氏と野党議員の間に何らかの陰謀の相談があったかのように匂わせつつ。
これらの質問は、籠池氏の行為の法的な問題点や事実追及からは外れた間抜けな質問のように受け止められており、要旨まとめからも省略されていたりするけれど、
質問の目的が、特に「籠池=犯罪者で、野党は籠池とグル(共犯)だというレッテル貼り」を目的としていたとするならば、全て説明がつく。
特に葉梨議員の質問などは完全に共犯者を聞き出す時のそれで、気付きにくい形で「忖度」という言葉を入れていたり
相手の話は聞かず、事前に決めた「ストーリー」だけに沿ってそれに使える言葉を誘導しようとする、冤罪事件で問題視された警察や検察の取り調べ方法のように映る。
テレビや新聞の画像からは、籠池氏を何らかの罪で逮捕・起訴することが最も効果的。
だから、偽証罪で告発するために証人喚問だったのだと思う。(本来の目的である、事実の解明のためでも 法的問題の議論のためでもなく)
特にテレビでは、証人喚問の日までの報道は、殆ど籠池氏一人だけが悪人かのような報道だったので
「籠池氏、〇〇罪で逮捕!」「いま警察の車で××警察署に到着!」
NHKニュースしか見ないような普通のおじさんおばさんは、裁判での証拠とか推定無罪とかなんて考えずに
やっぱり籠池氏が悪者だった、と疑いもせずに終わっていたと思う。
こんな状況になれば、解散後の選挙活動で街頭演説やチラシ配り等の会話時に
「籠池さん?やっぱりとんでもなく悪い人だったわねえ。
昭惠さんと安倍総理はあの籠池に巻き込まれた被害者だったのね、かわいそう。
え、民進党や共産党などの野党はあの籠池氏とグルだったの?やっぱりねえ・・」
など、「野党=悪者、安倍総理夫妻と自民党=正義(少なくとも被害者)」の構図を作って、野党に対して攻勢で進められる。
ただ、当日に籠池氏が挙動不審にもならず淡々と回答して悪人らしく見えなかったことに加えて、
内容面では証言どころかFAXという総理夫人関与の物証が示されるなど 反論どころか手痛いカウンターパンチに遭ったために、
結果として自民党側の目論見が崩れているだけの状況では。
(この視点は、弁護士や元政治家など法律や国会のプロも気付いてない気がする。
事実の解明や法的問題点の検証といった本来の目的からかけ離れ過ぎてるから・・なのか?)
いま総選挙をすれば、衆院の任期は2021年春以降までになるので
「2020年の東京オリンピックまで衆院選の心配をせずに、首相を続けられるようになる」
他にも、総選挙をすることによって
・森友学園やスーダンPKOなど不祥事の禊ぎ(を済ませたと言い張れる)
安倍総理は、以前から東京オリンピックまでは絶対に続けたいと 並々ならぬ思い入れを示しているから。
実際に週末に入ってから、解散総選挙の話が出たり、籠池氏の代わりに野党の辻本議員を悪者にするようなイメージ戦略が出てきている。
安倍総理には、実際に「菅首相の海水注入デマを振り撒き、次の総選挙では政権交代を実現した」という”ポスト真実の成功体験”もあるから、事実無根のデマであっても躊躇する事はなさそうだし・・
親戚の手前、はっきりと口に出せずにいるが、信者との接触のたびに腹わたが煮えくり返り、その日、一日中気分が悪い。
うちは祖母が熱心な信者で、他宗教には排他的、他者にも信教を強制しようとする、ネットで語られる新興宗教信者を体現したような存在だった。独善的で独裁的で他者に反論を許さない祖母が私は大嫌いだった。
娘の母は二世で、家庭環境から価値観としての信仰はあるものの、他者に布教はしない消極的な(熱烈信者からはよく思われないタイプの)信者だった。祖母とは真逆のやさしい人で、私は母が好きだった。
私自身は記憶もないうちに入信させられた三世で、新年に謎の会館で数珠で遊んでいたり、自宅で行われる謎のイベントに参加した記憶はあるものの、物心つくと次第にその慣習が疎ましくなっていた。
思春期を過ぎた頃には、内心では完全にアンチと化しており、会合の誘いはのらくらと断り続けたし、選挙活動もその場は適当に応じながら、絶対に票は投じなかった。
近所で信者に挨拶されるたびに苦笑いと胃のムカムカが止まらず、挙句の果ては、当てつけのようにこれまた新興宗教の某証人の話に耳を傾ける始末だった。
この憎しみにも近い激しい感情がどこから来ているのか、ずっとわからなかった。
母は数十年、うつ病に苦しんできた。
うつで寝込んでいる母を、祖母は信心が足りないとなじり、私に母のために信心するよう強制した。
祖母への反発が強かった私は、祖母の前では頷きながらも、絶対に祈らなかった。
私が祈らないから、母は治らないのかもしれない。
母のために祈れない私は冷たい人間なのかもしれない。
私が母を不幸にしているのかもしれない。
「母を不幸にしている」自分を憎む代わりに。
私は「宗教」というフィルターを通して、「自分」を憎んでいた。
宗教を憎めば憎むほど苦しくなるのは当たり前だった。
私が某宗教を嫌いながら、表面上それを表に出せなかったのは、私の行動の責任が母にまで及ぶことを恐れていたからだ。
私が脱会することで母が信者内で悪く言われるかと思うと絶対に脱会できなかった。
玄関先に挨拶に来た議員候補を追い返したかったができなかった。
宗教を捨てることは、母を捨てることだった。
幼い子供は親が怒っていたり悲しんでいたりすると、自分のせいだと思い込む性質がある。
両親が不機嫌だったり、落ち込んでいたりする家庭で育った子供の自己肯定感が低くなるのはそのせいらしい。
親を幸せにできなかった挫折感は、「自分は人を不幸にしている」という呪いになる。
殆どの人は、その呪いに気づけないまま、一生、謎の生きづらさを抱え込む。
私は母の幸福を諦めることにした。
結局、私は母を捨てたのかもしれない。
オウムがあんな大事件をおこすとは思ってなかったけれど、なじみのない団体でもなかったんだよな。
かといってそこまで脅威も感じてなかった。
変なのーとかキモいwwwとか言ってたけど、人の生き死にに関わるとは思ってなかったから。
事件の内容はニュースやらなんやらで繰り返されるけど、そこに至るまでの間の一般ピープルの受け止め方っていうか。
時代の気分(?)ってどんどん再現するというか伝えるのが難しくなっていくのかもしれない。
これ読んで、ああ自分はちょうど吉田豪と春日太一の間に生まれたんだなーと。
(ああいう兄とこういう弟に挟まれたらスゴイwけどそういう意味じゃないよ)
テレビをそんなに見ない家だったので、とんねるずとか朝生とかに出ているのを詳しく見た覚えはないんだけど。
じゃあどこでオウムを見聞きしていたのかーって考えてもどうでもいい思い出しか出てこない。
多分、最初の記憶は小学校の頃に近所の誰かが入信したとかいう母親どうしのうわさ話。
70年代にじゃんじゃんばりばり造成した横浜の外れに住んでいたので、クラスの中でサラリーマン家庭じゃない家は商店街にお店を構えてる子1人しかいなくて。
一方で、新興宗教に入っている家の子は2人いたし、同じ学年じゃなくても近所にポツリポツリいたのね。
だから、受験に失敗した●●さんちのXX君がヨガにはまってオウムに入ったとか聞いても、なるほどなーくらいの。
入信してから生前分与を求めているとか聞いても、なあにそれ?みたいな。へぇ大変なのだねーくらいの。
中学の頃は真理党が選挙活動をしていたので、学校帰りに選挙カーを見た友達が「ショーコーショコー」って真似してて超笑った。
だから「しょうこ」って名前の友達の語尾を伸ばすとすごい嫌がられた。
ロングヘアの小汚い人をオウムっぽいって中傷するのもこの頃流行った。地味目の女子には非道い言い草だったと思う。
高校に通ってた時には、たまに最寄り駅のバス停に「原始仏典講義」という麻原の顔写真付のカラーポスターが貼ってあってギョっとした記憶も。
なんでギョっとしたかというと、ロータリーに立ってる案内板とか屋根とかの柱という柱に全部貼ってあったから。
同じポスターがある日、自分の住んでいる街中に貼られた事もあった。
さすがに人の家の塀には貼れないから、空き地や公園とかの基礎部分のブロックにまとめて5-6枚ずつ貼ってあって。
でも翌日には何もなかったように剥がされていて、母親に言っても「そんな事あったの?」と言われて狐につままれた気分だった。
この頃ずっと隣の駅に住む坂本弁護士一家が失踪したままだったけど、近所に住む子とは誘拐かなー怖いねーって言い合ってた。
大学では、貧乏な友達がマはポーシャのパソコンで研究をしていた。
なんたって安い。
起動する時に怪しい画面と音楽が流れるけど、変なサブリミナル効果で洗脳とかされてないといいなぁとか言って笑ってた。
どれもいろいろと変なんだけど、背後にどんな意図があって目の前にしているのが何の片鱗なのかちっとも分かってなかった。
今で言うならおもしろ画像とかビデオでわっと拡散して、ああまたやってるなぁキショいなぁって終わる感じと似ているかもしれない。
同じ新興宗教でいえば、家にやってきては玄関先でギターを弾くエホバの証人とか、
子どもにいろんな「しつけ」をする学会員の家に町内会の用事であがるのにどうするのか、とかの方が身近な脅威だったせいかもしれない。
下山して新聞を見て、あんまりの非現実ぶりと、距離の遠さで、クラクラした。
山に登る前にいたのと同じ世界に降りて来たのかなぁ・・なんて事を思った。
都内へ通勤・通学している家族が巻き込まれていたかもしれないとか、その時は思いもよらなかった。
家に電話して全員の無事を告げられてから「これで誰か亡くなりでもしていたら他の世界線に迷い込んだと一生信じただろうなぁ」とか思った。
10日後に国松長官が撃たれた時、心臓が三回止まったけど国の威信をかけて蘇生したみたいな話は新聞記者になってた先輩から聞いた。
国の警察トップがオウムにやられてたまるか、って現場はピリピリしてたとか。
なるほどー私みたいな一般人が間違って撃たれた場合は心臓1回止まったら死ぬんだろうなぁ、なんて思った。
どうでもいい思い出を連ねてみても、確かに何も出てこない。
そんなに受け入れていた気もしないけど、潰さなければ殺られる!といった危険を感じた事もなかった。
でもどこかに決定的に不味い兆候が見えていたはずで、それを乗りで見落としちゃったに違いないとも思っている。
日本の選挙において、経済的な格差というのが投票行動に影響を与えているようにあまり見えない。すなわち排外主義、財政大拡張、軍拡、警察拡張、ばらまき万歳な極右、極左政党、候補者があらわれ支持を伸ばすという欧米で起きている現象が起きていない。
維新の会、民主党政権、安倍政権、小池百合子をこういう現象にあてはめようとする論者も多数いるが、はっきりいって彼らの間に政策面での差異はほとんどないし、彼らが社会の分断を利用して支持を伸ばしているなんてことも全然ない。
では日本社会において、経済の発展や変化についていけずに見捨てられていった人々がいなかったかといえばそんなことは当然ない。では彼らはどこへ行ったのか。それは創価学会だ。創価学会は都市部において見捨てられ、コミュニティからはじき出された人々を吸収することで成長してきた。そして創価学会は彼ら見捨てられた人々を公明党を通じて穏健保守勢力に変換してきたといえる。これこそが日本社会が安定している最大の要因だ。
最も創価学会に批判的なジャーナリスト、例えば野田峯雄のような人たちが見積もったところによると、 2010 年代の日本においても創価学会員はおよそ 500 万人も存在しているという。これは日本の国政選挙における有効得票数がだいたい 5000 万とか 6000 万だとかいう数であることを考えると驚異的な数で、日本の政治勢力の 10% 近くを占めている。
創価学会がまとめあげている勢力の 30% が欧米のように過激派に参画し、残り 70% も公明党にまとめられることがないとすれば、トランプ現象のようなことを起こすことはできないまでも、ギリシャにおいて独立ギリシャ人が与党入りしたという現象ぐらいまでは起こせるだろう。
池田大作は創価学会こそが日本の背骨であり、自身は庶民の王者だなどとうそぶいていて、創価学会に批判的な人々からは厳しく批判されているところだが、はっきりいって客観的に見た限りそれは事実だ。創価学会こそが日本社会を底辺から支え安定させてきたし、池田大作は日本におけるもっとも偉大な宗教家であり、聖人の中の聖人だといえる。池田に批判的な人々は池田の思想は仏教とソクラテスから都合のいいところだけとってきたいい加減な思想だというが、それがなんだというのだ。ムハンマドの思想はユダヤ教のいい加減な解釈にすぎない。思想の内容が問題なのではなく、池田大作という偉大な個人こそが問題なのだ。
ここで問題となるのはなにか。それは池田大作自身がその事実を認識していなかったということである。池田は自身のことを宗教、政治ビジネスの天才と認識していても、偉大な宗教家とは思っていなかった。故に彼は大いなる過ちを犯した。彼は創価学会が成功したのは、選挙活動による成功体験を信者にあたえ、そしてそれによって得られる集票力を換金するというシステムがうまく回ってきたからだと認識していた。しかし実際には違う。創価学会員たちはシステムの一員なのではなく、個人の資格において池田大作という偉大なカリスマと繋がりをもつことによって精神的な安寧を得ていた。
池田はこの事実をうまく認識していなかったフシがある。というのも池田は自身の宗教帝国を息子たちに世襲させようと企んでいた。しかし池田は息子たち、すなわち城久や博正を鑑定するにおいて組織のリーダーとしての資質は厳しく鑑定したが、宗教家としての資質を重視していたということは全くない。池田はあくまで創価学会を詐欺的な政治ビジネスだと捉えていた。
もし池田大作が自身を聖者だと正しく認識できていれば、池田大作以後創価学会を正しくシステムとして回していくための方策をとることができただろう。しかしそうではなかったので、創価学会とは平等な個人が池田大作と精神的な繋がりをもっているだけの人間集団であって、組織たりえなかった。そしてその創価学会を放置したまま池田大作は倒れてしまった。
ここで池田博正が冷徹な組織の管理者として創価学会を大改革することができれば、それはそれで道はあっただろう。しかし池田博正は温厚かつ誠実な池田大作信者にすぎず、その大任を果たす意思も能力もなかった。
今はまだよい。惰性によって創価学会は続いている。公明党は穏健保守勢力として機能している。しかしカリスマ、池田大作亡き(亡きといっていいいだろう、生きてるんだろうけど)今、創価学会が機能を停止する日はすぐそこだ。そうなったとき、日本社会の見捨てられた人々を連帯させるものはなにもなくなり、その時はじめて日本社会は本当の極右、極左勢力というものを目にすることになる。
人工知能技術が進む一方で、仕事が無くなるなんて逆、むしろ仕事は増えるんだ、
といった論調を言ってる専門家気取りがいるけれど、こういう人の言う事を逐一読んでると、
人工知能によって、よりプログラマーが必要になるから労働需要は増えるんだ、中には、判断は人間がするので仕事は無くならない、という呑気な意見もある。
要するに、情報処理産業の労働需要が増えて、他の労働需要は減っていく、という事だ。
百歩譲って労働量が仮に増えたとしても、情報関係だって一時的需要増にすぎず、今までの人間の仕事が人工知能に置き換えられていく事には変わりなく、失業件数が増えるのは必須。年齢上がってからの職種変更なんてきついだろうから、ニートかホームレスも多くなるだろう。
人工知能もそうだし、外国人労働者もTPPによって増えるだろう。そうなったら、ごく一部の職種以外、職にあぶれる人間は増えてくる。じわじわと。
今だって年間自殺者ん万人。そのうち年間自殺者10万人も夢じゃない。まだ戦争してた方が死ぬ人間少ないんじゃないか、てくらいの数字になるかも。
まるでバブルはじける直前の頃のような気配。一部のメディアではバブルはじける記事や本が出されるが、まさかという雰囲気がしばらく流れ、銀行が潰れ、倒産した企業が続出した。あの時期と近いものを感じる。リーマンショックの時も、似たような感じだったんだろう。
人工知能賛成論者はこういう考え方を意図的に無視しているか、さもなくば本気に気付かないで専門家気取りしているなら小保方並みだと思う。
労働組合のみなさん、もうちょっと、これ考えた方がいいよ。選挙活動や政治活動なんか二の次でしょ?本来の仕事やりなよ。
じゃないと、そもそもの労働者人数が減って、自分らの給料も減額間違いなしだぞ。
どうせ、またこれも無視されるんだろうけど。
都知事選挙の公示直前のあの候補予定4人の共同記者会見をテレビで見たときは震撼した。
うつけんさんは都政に何が必要なのか、闊達にスラスラ爽やかな微笑みで語っていて、もう完全に良すぎた。
それに対して待望の野党統一候補の鳥越さんときたら、なんというか直視できる状態ではなかった。
これは翌日から、都内の民青同盟の結構な数の班と共産党の支部が崩壊状態になるんじゃないかと思った。
なんぼ志位さんリスペクトだからって、このペースで候補者討論とか繰り返される中で
うつけんさんではなくて鳥越さんに投票依頼するという活動しなくちゃいけないなんて
フリーダムな感じの共産党員や民青同盟員だったらもうメンタルが保てず脱落者続出必至と思われた。
共産党の区市議会議員だって党の決定に反してうつけんさんの応援する人も出るかもしれない。
うつけんさんの辞退を知って一番ほっとしたのは、そんな宇都宮けんじ大好きゆるふわ共産党員たちだったのではないか。
そのときはまだ候補者は鳥越さんだけど知名度を生かす顔の部分がそうなのであって、中身の政策はまるっと宇都宮なのだろうし
鳥越さんが都知事になるなら、副知事をうつけんさんにすれば解決と信じていた。
その後青山の鳥越事務所にボランティアに行ったときに見た応援ボードに寄せ書きされたメッセージでも
「うつけんさんを副知事に!」と目立つところに貼ってあり、実際それを心の支えにしてしんどい選挙活動を手伝っていた人たちは多い。
鳥越さんのチラシを配る時に、自分のカバンの中にはこっそり幻になった宇都宮さんチラシを忍ばせていた人もいる。
週刊誌に書かれた過去の女性問題は事実無根として告訴したのに、そのことで選挙最終盤戦に本人が公開で説明しないととか
女性の人権問題としてどうするのが望ましいかうんぬんより「政策はほぼ宇都宮といえど、鳥越の応援なんか断る」ってことよね。
ただね、甘いようだけど鳥越さんよく頑張ってくれた。宇都宮っぽい感じが板についてきて最終盤には堂々としてた。
まわりの叱咤叱咤叱咤激励によく応えてくれた。うつけんさん来なくても私たちは鳥越応援最後まで続けたよ。
で、選挙後になって宇都宮さんいろいろ発言なさっていて、それに対して反感や共感渦巻いているんだけれど
安保法制反対をきっかけにシールズの声掛けで野党共闘の流れができてから、うつけんさんはそれには目立った言及がなかった。
社共の推薦で2度の都知事選に出ているのにだ。都政オタクだからっていうより、先を見てのことだったんじゃないか。
時系列が前後しちゃうかもだけど、都知事選の候補になるかと噂されていたのは橋下徹。
うつけんさんが「政策を支持してくれるなら自民や公明の推薦も受ける」とか言ったのは煽りでなく本気だったのではないか。
築地移転中止や横田基地オスプレイ拒否や外環道路問題や給付型奨学金などで一致できるなら「改憲勢力」と組むのも有りと考えた。
ヘイトスピーチ対策が自民党の中でも右翼な西田議員の協力でできたように、
かなり意見が違う立場でも一致できる部分を積み重ねていくのを重視する立場を取ろうとしたのではないか。
それは、うつけんさんが新しく作る左翼からのポピュリズムだろう。
都民にすれば改憲でも護憲でも、生活面で自分たちにメリットが多い都政をするのが良い都知事。
「宇都宮さんは良い人そうで政策もピカイチだけど共産党っぽくてダメ」と言われていた過去から
「しっかり政策語れるのに左翼に意地悪されて気の毒な正義の人」にランクアップする。
次の都知事選がまた4年かそれより早く来たら。
宇都宮さんは着々と都政について語り続けるだろうし、同情する人だけでなく左翼を叩きたい人までそれを聞くかも。
選挙が終わって、色々と思っていたことを書く。まず結果は結構バランスのとれたものになったと思う。事前情報で色々あったにも関わらず、蓋を開けてみれば程よく与党勢力に勝たせて、しかも勝たせすぎなかった。自民党だけでは過半数を取らせない、というのもすごくバランスが良い。現状、野党はほとんど何もしておらず、実質公明党が自民党のカウンターとなっている状態なので、その公明党にキャスティングボートを持たせるような選挙結果に落ち着いたというのが、すごいと思う。なんだかんだ言って庶民はよく見ている、ということだよね。
それから今回強く思ったのだけれど、今の野党はおそらく自民党(あるいは安倍首相)の術中に完全にはまっているということなんだ。どういうことかというと、今の野党勢力の最大の弱点というのは、護憲を重視していることで、それをうまい具合に突かれているいるということなんだ。
もし自分が今与党を率いている立場ならば、例えばひどい内容の改憲草案をでっち上げ(内容に矛盾があったり、人権的に問題があったりするとなお良い)、自分以外の人間を使って、「我々は改憲を強く目指している」とやらせるわけだ。この時、できるだけ炎上するような発言をさせるとなお良い。発言があまり話題にならないなら、適当にマスコミにリークして騒がせるとさらに良いだろう。今の野党勢力は護憲を強く打ち出しているので、そうしたアクションに対して強く反発するわけだけど、それこそが狙いめだ。つまり「護憲」をテコにして彼らを思考停止に追い込んでしまうわけだ。そうして、彼らの意識を憲法改正問題に強く引きつけておけば、ほっておいても選挙のたびに野党は争点として「護憲」を取り上げることになる。誰の目から見ても与党の改憲案はひどいものだし、争点としやすいとついつい感じてしまう。しかし、それは単なる「エサ」なんだよ。だって、ほとんどの国民は、「護憲」に対してそれほど強い関心を持っているわけじゃない。それよりも日々の生活を良くすること、将来にわたって安心して暮らせることの方がよっぽど大事で、かつ政治に期待していることだからだ。でも野党は護憲という「エサ」につられてしまっているから、ついついそうした日常生活や将来についての話題については二の次になる。そこで与党側は、日々の暮らし、経済の活性化、生活保障を中心的な話題として選挙活動を行うわけだ。当然、憲法については特に何も言わない。そうすれば普通の庶民から見れば、自分たちの関心事について一番熱心に考えているのは与党だ、ということになる。別に野党だってそれを考えていないわけじゃないけど、それよりも「護憲」だ、とやるものだから、「なんだ、メシより思想か」と感じてしまうことになる。結果、与党は大勝し、野党は惨敗することになる。まさに今起こっていることだよね。
この巧妙な仕組みのうまいところは、「護憲」という旗印はあまりにも歴史的経緯がありすぎて、今の野党はその旗を降ろすに下ろせないところだ。だって、そんなことしたら、ただでさえ選挙に負け続けているのに、数少ない味方である護憲勢力まで敵に回してしまうからだ。もちろん、それを断行しなければ結局は勝てないわけだけど、下手をすると党が空中分解しかねない、危険な賭けなのでとても乗り出せないだろう。かくして与党としては、対して苦労もせずに安定した勢力を維持できることになる。
もちろん、現実の政治的状況はより多くのものが複雑に絡み合っているわけだけど、その中でも特にこの憲法をめぐる状況は大きな部分を占めているように思う。まあ、一種の陰謀論じみているところもあるとは思うけど、じゃあ考えてみて欲しいのは、現在の自民党を構成している面々が本当にあれほど粗雑な憲法改正案の問題点を気付くことができないのか、という点だ。今の左派勢力は、自分たちが賢いと思いすぎていて、しかも相手の知性を見下すところがあるので、「あいつら頭悪くて何もわかっていないし、人権なんてものを全く理解できていない」と考えて、ちっとも疑問視していないのかもしれないが、本当にそんなレベルの知性で、日本という国の運営が滞りなくできると思っているのかな(まあ自民党内には本当にそのレベルの知性の人もいるのかもしれないけれど)。そうだとすれば、この政治状況を抜け出すことは本当に困難なのではないかと思うよ。
この事件をきっかけに、学校(小学校など)、幼稚園、保育所などの児童・生徒・幼児が頻繁に利用される教育関連施設にも「警察官立寄所」の看板(プレート)またはシールが貼り付けられたり、学校にも部外者の学校施設内への立ち入りを厳しく規制したり、
警備体制を強化するなどの方策を主張する声も増えた。また、防犯ブザーを携帯する児童も増加したほか、保育士や学校の教職員が防犯や心肺蘇生を学ぶ機会となった[24]。
この事件は、日本の学校がそれまでの「地域に開かれた学校」から安全対策重視の「閉ざされた学校」に方針転換するきっかけとなった。
それまで小学校は、地域のコミュニティに重要な役割を果たし、校庭は子供たちの遊び場にもなっていた。
この事件後、学校に監視カメラを設置したり、部外者の立ち入りを原則禁止したりする傾向が強まった。
小学校などの学校への警備員配置、集団登校時に保護者や地域のボランティアによる見守りも行われるようになった[25]。
また、この事件を境に、小学校においては児童の名札を廃止したり、あるいは校内のみの着用に限定したりする学校が増えるようになった。
↑選挙活動でここまでの結果残せるか?
怒首領蜂のラスボスが人口爆発や環境問題さらに軍備拡張などの問題を解決させるために戦争を起こしたように
宅間守も、社会のセキュリティ意識を高め、未来の子供たちの安全を守るためにあの事件を起こしたと考えればものすごく社会的見地に立った偉人だったと認めざるを得ないんだよね
以前自分が匿名ダイアリーに書いた山田太郎参議院議員(以下、敬称略)の『「表現の自由」の守り方』の書評(http://anond.hatelabo.jp/20160623175909)はアマゾンのレビューにものせたのですが、評価してくれた5人のうち4人が「参考にならない」と投票したのはちょっとショックでした。同書についてのアマゾンの他のレビューには「参考にならない」が4票ついているレビューは他になかったので、自分のレビューだけ低く評価された感があって悲しかったです。
たとえば、冒頭の小説が「黒地に白文字で書かれている」というのは、他のレビューでは触れられておらず、購入を検討している人の参考になる情報だと思ったのですが。
さて、今回は山田太郎参議院議員が固定ツイートで説明する参議院比例代表での山田太郎への投票方法の説明(https://twitter.com/yamadataro43/status/745867526912020480?lang=ja)について補足したいと思います。
具体的には
の2点が「間違ってはいないが、誤解を招く」表現になっているので、ここで補足してみます。
この文章は「山田太郎の票になる」の意味が曖昧なため文全体の意味が曖昧になっています。
仮にこの文章を「『新党改革』と書いても山田太郎の当選の役には立たない」という意味にとらえるとすると、間違った説明になります。「新党改革」と書くと、山田太郎の当選の役に立つからです。(「山田太郎」と書いたほうがもっと役に立ちますが)
参議院比例代表では、「新党改革」と書かれた票+山田太郎を含めた新党改革各公認候補の氏名が書かれた票」の合計数で山田太郎を含めた新党改革への議席の割り振り数が決まります。
つまり、党名を書くと「山田太郎を含めた新党改革の票になる」というのが正しいので、「山田太郎の票にならない」は間違い、とも言えるわけです。
もっとも、参議院の比例代表では個人名で投票された数で当選順位が決まるため、「山田太郎」と書かれた票には特別な意味があります。「新党改革」票では「山田太郎」票の代替にはならない、というのはたしかです。そこを指して「山田太郎の票にならない」という表現が出てくるのは分かるのですが「新党改革」と書くと「山田太郎の票にならない」というのはやはり言い過ぎだと思います。
ここも、「当選が決まります」の意味が曖昧なため、文章の意味が曖昧です。
正確に書くなら、「『新党改革』票+『山田太郎を含めた新党改革各候補』の票」と「新党改革内での『山田太郎』票の順位」で決まる、というのが正しいです。
「新党改革内での『山田太郎』票の順位」の部分を取り出して「個人名の票数で当選が決まります」と書いているのでしょうが、主要政党のように一定の議席数の確保が確実ならばともかく、新党改革のように1~数議席とれるかも不明確な政党の場合、「『新党改革』票+『山田太郎を含めた新党改革各候補』の票」の部分をとばすのは、誤解を招きそうです。この点、ツイッターやホームページであまり説明しているようにも見えません。
上記のような説明の結果、一番欠けることになったのは「山田太郎」と書くと「新党改革」の票になり、新党改革の他の候補の当選につながる点の説明です。
山田太郎が比例代表で当選するのに足りる票(約100万票)を一人で集めた場合①山田太郎は当選し、「余った」票は新党改革の他の候補を当選させるために使われることになります。(なお、2010年と2013年の参議院比例代表で100万票近い票をとったのは、公明党の候補一人だけです)
山田太郎が比例代表で当選するのに足りる票を一人で集められなかった場合、②山田太郎は「新党改革」と書かれた票や他の候補者名の票のおかげで当選することになるか、もしくは、③山田太郎は落選して、「山田太郎」名の票は新党改革の他の議員の当選のために使われる(か、新党改革の候補が全員落選する)ことになります。
このように「山田太郎」票は、新党改革の得票、そして新党改革の他の議員の当落と切っても切り離せない関係にあるのです。
さて、ツイート添付の画像くらいだと、スペースも限られているから仕方がないかもしれません。また、比例代表の候補者が全員、比例代表の選挙制度を有権者に詳しく説明しないといけない、ということもありません。
しかし、新党改革の名前を出さないことを山田太郎は選挙活動用のビラやポスター(https://taroyamada.jp/?p=9029)でも徹底してします。いや、細かくいうと、下部に「新党改革」と書かれてはいるのですが、当該ビラやポスター内で一番小さく、薄い文字で書かれており、有権者に「新党改革」の候補であることを伝えるために置かれているものとはいえないでしょう。
「山田太郎」票が「新党改革(の他の候補)」に対する票にもなることについてもうちょっと説明があったり、ビラやポスターに新党改革の名前がもっとはっきり書いてあったほうが良かったのではないかと思いますが、新党改革から比例代表で選挙に出ること自体が直前に決まったことなのでなかなか手が回らなかったのかもしれません。
どうもこんにちは。反表現規制派として有名である山田太郎議員への比例区への投票を呼びかける声は投票日も近づいてきた事からか、日に日に高まってきています。特に今回は投票年齢が18歳に引き下げられてから初めての国政選挙という事もあり、ネット上では熱気を帯びてきており注目に値する事だと思います。個人的には当選してほしいものです。私も比例区では入れました。
最初に一言だけ。自分は政治には全くの素人で、wikipediaやネット上のニュース記事程度しか漁らない程度の浅い人間です。ツッコミどころは多々あるでしょうが、そこら辺はご容赦頂けると幸いです。あとはてブへの投稿も実質初めてですので至らない部分も多いです。すいません。
さて、タイトルを見て「山田太郎議員を否定する記事なんじゃないか」と思う方も少なくないでしょうがその意思は(全くではありませんが)有りません。むしろ支持者層についての感想と疑問がメインのテーマとして書かせていただきます。
山田議員の名前がネット上で大きく取り上げられるようになったのはいつ頃だったでしょうか。私の環境だと1年半前くらいからだと記憶しています。国会内でも秘密保護法の制定など小さくない動きがある中、独自の路線でアピールする山田議員はいつしかかなりのネット有名人になっていって行きました。従来の反表現規制派とは異なった考え方もその要因でしょう。私個人としても「オタクのために戦ってくれている議員がいるのか」とその存在を知った時にはある種の感動を覚えたものです。やたら所属政党が変わってたのが気になりはしましたが。
その山田議員も前回の当選から参議院議員の任期満了を迎える季節となり、再選するために選挙へのアピールも少しずつ増えてきました。おおさか維新の会を入党から2日で離党するなど危なげな動きもありましたが、新党改革の統一名簿から全国比例区で出馬する事が決まり(小政党ではありますが)全力で当選するために選挙活動を始めるスタートラインに立つ事が出来ました。元々所属していた旧みんなの党の分離・政界再編の激流に巻き込まれる、という不運が無ければ一番良かったのでしょうが。
それで、本題の山田議員支持や投票を表明するネット上の支持者の話です。ネット上(主にTwitter)で見る限り、全国比例で山田議員個人への投票をお願いしているのが基本のスタンスのようです。まぁ全国比例区で出馬しているのですからそれは当たり前ですね。ただ、ここからが私の疑問点で、選挙区に関する話題が全く出てこない、それどころか野党議員叩きを山田議員支持と一緒に発信してる人間も少なくない、という点です。野党叩きに関しては仕方ない部分もあります。そもそも山田議員がメインとして話をしているのは表現規制反対であり、野党共闘が(これは統一候補によってかなりバラツキがあるでしょうが)主に格差問題や経済問題、先の国会で成立した安保法制への反対など被っている部分は(主観ですが)かなり少ないように思えます。被ってる政策がなきゃ組いる必要ないしね。個人がそれに関してどう反応をするのは、個人個人の考えであり私が口出しする事ではないでしょうし。自分も「反安保や反原発だけ言ってるだけで自民に勝てるわけないだろ」とか「戦争反対とかお前いつも同じ事言ってんな」とか「あんだけ分裂合併繰り返して一人区の半分しか統一候補を擁立できなかった民進はまず身を固める事から始めろよ」とか思ってます。ぶっちゃけ。
ただ選挙区によっては事情が異なります。選挙区の野党議員が反表現規制派である場合において、特に一部議員は山田議員自ら「表現の自由を守ってやってきた先輩議員」と発言しているにも関わらず多くの山田議員支持者から「もしあなたの選挙区で反表現規制派の議員が出馬しているならば、投票して頂けると有難いです」とか「議員一人の力には限界があります。少しでも山田議員に共闘者を」とかそういう発言が全くと言っていいほど出てこないんです。(ソース:http://getnews.jp/archives/1479281)
山田議員自身も「政党人には党議拘束もあるからどれだけ力になってくれるかわからない部分もある(要約)」って事は言ってます。民進党もなんか逆風っぽいと捉えられかねない公約も出してしまってますし。それでもこういった党所属の反表現規制派議員の存在を無視して野党総叩きをしている人を見ると私は違和感を感じてしまいます。別に野党議員に投票してくれなんて言いません。しかし特定野党に所属しているというだけの偏見で、その議員への投票をするという可能性を消してしまうのがどうしても私は違和感を覚えてしまうのです。要は「まず選挙区の議員の公約を大規模政党だけでもいいので見てから判断しようよ」ってのを私は言いたいんです。それをしっかりしてからなら自民党でも民進党でも幸福実現党でも真理党でもいいので「良い」と思った議員に入れて下さい。選挙区の議員の公約を見るくらい5分10分で終わる話でしょう?まずは偏見を少しでも減らす努力をしてから投票に行っても遅くないのではないでしょうか。「いいな!」って候補者がいなければ選挙区は白紙で比例区にだけ投票したっていいんですから。