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2023-03-06

ベトナム独立宣言

全国の同胞たちよ、

全ての人はみな、平等権利を持って生まれています創造主は誰も侵すことのできない権利を与えました。その権利には、生存権自由権幸福追求権があります

 

この不滅の文言は、アメリカの1776年独立宣言の中にあるものです。より広く言えば、この文言は、世界の全ての民族がみな平等に生まれ、どの民族生存権幸福権、自由権を持つということを意味しています

 

1791年フランス革命における人間と市民の権利の宣言(※人権宣言)も、「人は生まれながら自由であり、平等権利を有し、常に自由であり、権利について平等でなければならない」と言っています。これは、誰も否定することはできません。

 

それにもかかわらず、この80年間、フランス帝国主義者たちは、自由平等博愛の旗を悪用し、私たちの国を強奪し、私たち同胞を抑圧してきました。彼らの行動は、人道と正義に反するものです。

統治において彼らは、私たち人民自由民主を僅かでも与えることはありませでした。

 

彼らは野蛮な法律施行しました。彼らは中部南部北部でそれぞれ異なる制度を作り、私たち国家統一妨害し、私たち民族団結を妨げました。

彼らは学校よりも数多く監獄を建てました。彼らは、私たちの国を愛し民族愛する人々を斬り殺しました。彼らは、血の海に私たちの蜂起を沈めたのです。

彼らは言論を統制し、愚民政策実施しました。

彼らは、アヘンアルコールを使って、私たち民族を衰弱させました。

経済において、彼らは私たち民族を骨の髄まで搾取し、私たち民族を困窮、欠乏させ、私たちの国をずたずたにし不況に導きました。

彼らは田畑を、坑道を、資源を奪いました。

彼らは紙幣印刷や、輸出入権利を独占しました。

彼らは数百の理不尽徴税を行い、私たち民族特に農民商人貧困に陥れました。

彼らは私たちブルジョワ台頭を許しませんでした。彼らは私たち労働者を情け容赦なく搾取しました。

 

1940年の秋、連合国に対抗する拠点を更に築くため、日本ファシストインドシナ侵略し、フランス帝国主義者らは跪いて日本私たちの国を明け渡しました。そのときから私たち民族フランス日本という二重の枷をかけられたのです。そのときから私たち民族は、日増しに困窮し、貧困にあえぎました。その結果、ついに昨年末から今年の初め、クアンチから北部にかけて、200万人の同胞餓死しました。

 

今年の3月9日日本フランス軍を武装解除しました(※仏印処理)。フランス帝国主義者は逃げる者もいれば、降伏する者もいました。

まり、彼らは私たち保護するどころか、5年の間に2回も私たちの国を日本に売ったのです。

3月9日以前に、ベトミン(※ベトナム独立同盟会)は何度もフランス人に対して、日本に対抗すべく同盟しようと呼びかけました。フランス帝国主義者はこれに応じず、より一層ベトミン迫害しました。更には、敗走の際、彼らはイエンバイとカオバン政治犯を多数虐殺しました。

 

しかし、フランス人に対して私たち同胞は依然として寛大で人道的な態度を保ちました。3月9日の変動後、ベトミン辺境へ逃れた数多くのフランス人を助け、日本収容所から多数のフランス人を救出し、彼らの生命資産保護しました。

 

実際、1940年の秋から私たちの国は日本領土となり、もはやフランス領土ではありませんでした。

日本連合国降伏したとき、全国の私たち民族は立ち上がり政権を奪取して、ベトナム民主共和国を築いたのです。

実際には、私たち民族は、フランスの手からではなく日本の手からベトナム国を取り戻したのです。

 

フランスは逃げ、日本降伏し、バオダイ帝は退位しました。私たち民族独立したベトナム国建設するために、100年近く帝国主義者たちと戦いました。私たち民族は、何十世紀も君主制と戦い、民主共和制を築いたのです。

 

ですから私たちベトナム国臨時政府は、ベトナム国民代表して、フランスとの関係離脱し、フランス署名したベトナムに関する全ての協定を破棄し、ベトナム国におけるフランスの全ての権限を破棄することを宣言します。ベトナム国民は、フランス植民地主義者の陰謀に対抗する覚悟を固めています

 

私たちは、テヘラン及びサンフランシスコ会議民族平等原則を認めた連合国が、ベトナム民族独立する権利を認めないということはあり得ないと信じています

ある民族がこの80年以上にわたりフランス奴隷であることに勇敢に対抗しました。ある民族が数年にわたり連合国と共にファシストに対抗しました。その民族自由を得なければなりません! その民族独立を得なければなりません!

 

これらの理由から私たちベトナム民主共和国臨時政府は、世界に向けて改めて宣言します。

ベトナム国自由及び独立する権利を持ち、実際に、自由独立した国となりました。ベトナム国民は、この自由独立を維持するために、精神軍隊生命、そして財産のすべてを持つ権利があります

 

これを以て「ベトナム日本ファシストから独立した」って喧伝してる人がいるけど、

 

ですから私たちベトナム国臨時政府は、ベトナム国民代表して、フランスとの関係離脱し、フランス署名したベトナムに関する全ての協定を破棄し、ベトナム国におけるフランスの全ての権限を破棄することを宣言します。ベトナム国民は、フランス植民地主義者の陰謀に対抗する覚悟を固めています

 

私たちは、テヘラン及びサンフランシスコ会議民族平等原則を認めた連合国が、ベトナム民族独立する権利を認めないということはあり得ないと信じています

ある民族がこの80年以上にわたりフランス奴隷であることに勇敢に対抗しました。ある民族が数年にわたり連合国と共にファシストに対抗しました。その民族自由を得なければなりません! その民族独立を得なければなりません!

 

これらの理由から私たちベトナム民主共和国臨時政府は、世界に向けて改めて宣言します。

ベトナム国自由及び独立する権利を持ち、実際に、自由独立した国となりました。ベトナム国民は、この自由独立を維持するために、精神軍隊生命、そして財産のすべてを持つ権利があります

 

普通にフランス支配から卒業しか言ってないんだよなぁ。

第二次世界大戦中の日本天皇制ファシズムに侵されていたという言説は今でも普通にあるわけだし。

2023-02-07

日本共産党綱領にみる変革主体についてのメモ

一、 戦前日本社会日本共産党

(中略)党は、この状況を打破して、まず平和民主的日本をつくりあげる民主主義革命を実現することを当面の任務とし、ついで社会主義革命に進むという方針のもとに活動した。

二、 現在日本社会特質

 (四)第二次世界大戦後の日本では、いくつかの大きな変化が起こった。

(中略)第二は、日本政治制度における、天皇絶対専制政治から主権在民原則とする民主政治への変化である。この変化を代表したのは、一九四七年に施行された日本憲法である。この憲法は、主権在民戦争放棄国民基本的人権国権の最高機関としての国会地位地方自治など、民主政治の柱となる一連の民主的平和的な条項を定めた。形を変えて天皇制の存続を認めた天皇条項は、民主主義の徹底に逆行する弱点を残したものだったが、そこでも、天皇は「国政に関する権能を有しない」ことなどの制限条項が明記された。

 この変化によって、日本政治史上はじめて、国民の多数の意思にもとづき、国会を通じて、社会進歩と変革を進めるという道すじが、制度面で準備されることになった。

三、 二一世紀の世界

(中略)国民主権民主主義の流れは、世界の大多数の国ぐにで政治原則となり、世界政治の主流となりつつある。人権問題では、自由権とともに、社会権の豊かな発展のもとで、国際的人権保障基準がつくられてきた。人権擁護し発展させることは国際的課題となっている。

最初社会主義への道に踏み出したソ連では、(中略)レーニン死後、スターリンをはじめとする歴代指導部は、社会主義原則を投げ捨てて、対外的には、他民族への侵略と抑圧という覇権主義の道、国内的には、国民から自由民主主義を奪い、勤労人民を抑圧する官僚主義専制主義の道を進んだ。「社会主義」の看板を掲げておこなわれただけに、これらの誤りが世界平和社会進歩運動に与えた否定的影響は、とりわけ重大であった。

(中略)

いかなる覇権主義にも反対し、平和国際秩序を守る闘争核兵器の廃絶をめざす闘争軍事同盟に反対する闘争諸民族自決権を徹底して尊重しその侵害を許さな闘争民主主義人権擁護し発展させる闘争、各国の経済主権尊重のうえに立った民主的な国際経済秩序を確立するための闘争気候変動を抑制地球環境を守る闘争が、いよいよ重大な意義をもってきている。

(中略)

(一一)この情勢のなかで、いかなる覇権主義にも反対し、平和国際秩序を守る闘争核兵器の廃絶をめざす闘争軍事同盟に反対する闘争諸民族自決権を徹底して尊重しその侵害を許さな闘争民主主義人権擁護し発展させる闘争、各国の経済主権尊重のうえに立った民主的な国際経済秩序を確立するための闘争気候変動を抑制地球環境を守る闘争が、いよいよ重大な意義をもってきている。

(中略)

日本共産党は、労働者階級をはじめ、独立平和民主主義社会進歩のためにたたか世界のすべての人民連帯し、人類進歩のための闘争を支持する。

四、 民主主義革命民主連合政府

一二現在日本社会必要としている変革は、社会主義革命ではなく、異常な対米従属大企業財界の横暴な支配の打破――日本の真の独立の確保と政治経済社会民主主義的な改革の実現を内容とする民主主義革命である。それらは、資本主義の枠内で可能民主的改革であるが、日本独占資本主義対米従属体制代表する勢力から日本国民利益代表する勢力の手に国の権力を移すことによってこそ、その本格的な実現に進むことができる。この民主的改革を達成することは、当面する国民的な苦難を解決し、国民大多数の根本的な利益にこたえる独立民主平和日本に道を開くものである

(一三)現在日本社会必要とする民主的改革の主要な内容は、次のとおりである

〔国の独立安全保障外交の分野で〕(中略)

憲法民主主義の分野で〕

1 現行憲法の前文をふくむ全条項をまもり、とくに平和民主的条項の完全実施をめざす。

 2 国会名実ともに最高機関とする議会制民主主義体制、反対党を含む複数政党制、選挙で多数を得た政党または政党連合が政権担当する政権交代制は、当然堅持する。

 3 選挙制度行政機構司法制度などは、憲法主権在民平和精神にたって、改革を進める。

 4 地方政治では「住民主人公」を貫き、住民利益への奉仕を最優先の課題とする地方自治確立する。

 5 国民基本的人権制限・抑圧するあらゆる企てを排除し、社会経済的諸条件の変化に対応する人権の充実をはかる。労働基本権全面的擁護する。企業の内部を含め、社会生活の各分野で、思想信条の違いによる差別を一掃する。

 6 ジェンダー平等社会をつくる。男女の平等、同権をあらゆる分野で擁護し、保障する。女性独立した人格尊重し、女性社会的、法的な地位を高める。女性社会進出・貢献を妨げている障害を取り除く。性的指向性自認理由とする差別をなくす。

 7 教育では、憲法平和民主主義理念を生かした教育制度行政改革をおこない、各段階での教育諸条件の向上と教育内容の充実につとめる。

 8 文化各分野の積極的伝統を受けつぎ、科学技術文化芸術スポーツなどの多面的な発展をはかる。学問研究文化活動自由まもる

 9 信教の自由擁護し、政教分離原則の徹底をはかる。

 10 汚職・腐敗・利権政治を根絶するために、企業団体献金禁止する。

 11 天皇条項については、「国政に関する権能を有しない」などの制限規定の厳格な実施を重視し、天皇政治利用をはじめ、憲法条項精神からの逸脱を是正する。

(一四)民主主義的な変革は、労働者、勤労市民、農漁民中小企業家、知識人女性青年学生など、独立民主主義平和生活向上を求めるすべての人びとを結集した統一戦線によって、実現される。統一戦線は、反動的党派とたたかいながら、民主的党派、各分野の諸団体民主的な人びととの共同と団結をかためることによってつくりあげられ、成長・発展する。当面のさしせまった任務にもとづく共同と団結は、世界観や歴史観宗教的信条の違いをこえて、推進されなければならない。


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2022-12-08

規範の内在化への反発 --- りゅうちぇる騒動に添えて

社会的な性規範の内在化されたものを心の性と呼ぶのは大きな誤りを孕んでいる気がしてならない。人間の心がまずあると仮定してもそこに性別があるなんてどう考えてもおかしな話である。これはLGBTの方々への権利制限に賛成する話ではない。むしろあらゆる権利はあらゆる個人とあらゆる形式集団付与されるべきである

婚姻制度なんてものはあらゆる人間のあらゆる組み合わせに対応すべきであり現在の状況がおかしい。そもそも法の下の平等概念からして法に男女という概念を持ち込んだやつの頭がどうかしている。同性婚禁止している現民法はどう考えても憲法違反である。そして重婚禁止するのも、複数人による婚姻禁止するのも憲法違反である。というのが私の個人的な意見だ。また恋愛感情などという定義不可能ものを前提としない純粋資本接続制度に作り変えるべきだと信じている。これはただの意見だ。もちろん国家宗教のいくつかのレゾンデートルの一つとして性規範固定化があるのは言うまでもないことであるが、そもそも国家も性規範も大嫌いな私にそんなものを持ち出しても意味などないし届かない。

しかしそれはそれとして、心の性などというものは私には看過できない概念だ。そんなもの存在しない。血液型性格分類と変わらない無価値有害幻想だ。

近年、ある程度は心の性がない人という概念も広く知られはじめてはいるがそれはあくま特別な人とされている。多くの人にはどちらかの心の性があると考えられている。これがおかしい。そんなものはある訳がない。常識的物事を考えろ。心の性なんてものは元々人には備わっていない。これは事実であり現実だ。

心の性概念などというものはくだらぬ性規範が内在化されたものにすぎない。自由主義においては規範の内在化に反抗すべきであり、あらゆる性規範の破棄を求めるべきだ。社会的性などというものは当たり前だが許されない。そして性を前提とされない社会においては心の性なんてものある意味がない。よって存在しない。そこにあるのはどういった生殖器が付いているかによる機械的分類だけだ。我々は人間である。まともな社会においてはそれより先にはなにも要らない。

女に生まれたが心の性が男である、というのは現在の性規範に縛られた糞のような観念だとあり得る。確かにあり得るがそれは性規範を内在化してしまっている、という意味では従前のゴミのような性別概念ほとんど差異はない。結局のところ自由度が2から4に増えるだけだ。そんなちっぽけな自由など自由ではない。無限バリエーションのある心を二分法で分類する心の性と呼ばれるものなど許される訳がない。性規範を信じる人間性差別者に本質的差異などない。心の性なんてものはその実際として現在の性規範に照らし合わせて自身価値観をどう縛り付けるかを考えより良いもの選択した結果にすぎない。二者択一ジェンダーのうちより自身にとって有利なもの意識的にもしくは無意識的に選択した結果に過ぎない。

心の性など存在しない。そもそも性別などは付いている生殖器の違いに過ぎない。付いている生殖器によって何かしらの束縛を受ける謂れなど我々にはない。自由主義において我々はこう言い切るべきではないのか。

自由な我々は社会とは独立して存在している。

そしてそもそも人は自らを知り得るのか。

恋愛は性欲の詩的表現を受けたものであると言う。恋愛感情という自己認識としてのその主観事実否定するべきではないし、当人自己認識自由権のもとで尊重されるべきだ。しかし性欲について言及した今もう一度考えてみたい。人は独りでに心の性を持ち得るか?

持たない。上述のとおりである

人はあくまでも社会的に心の性を与えられるだけである。もちろん心の性というものは確かに存在し得るがそれは生得的なものではなく獲得的なものである身体機能としての性に一対一対応した心の性なんてものはない。ある訳がない。あるのは社会的性の役割であり、ジェンダーと呼ばれるものだ。

スカートを履き、可愛いものを好み、ピンク色が好きで、私立文系に進み、事務職をする、男に恋愛感情を抱く実存。のようなそういう唾棄すべきステレオタイプの集合を心の性と言っているにすぎない。

人が持つのは極めて純粋身体機能としての性と、社会的役割としての性の二つだけだ。そして後者破壊すべき対象である。心の性などというものそもそも存在すべきではない。

2022-11-29

anond:20221129201409

要求についての話なんだから選択出来るのは明らかという自明な部分を後出し言葉遊びとするの読解力やば過ぎる。

 

自由権自己決定とかわからんの?

自分の体を自分選択して決める権利があるのは人権というコンセプトの根幹なのにそれについて他人がどうこうしろと「要求」していいという考えは人権という概念に真っ向から反すると思うんだが、倫理的にそれが正しいという主張?

2022-11-28

anond:20221128003844

それはお前が表現の自由強要してるからだよね

自由権とはそういうものです。

ユダヤ人居住移転の自由は近所に住むネオナチ我慢強要することであり、ロックを(常識的な音量で)演奏する権利は通りがかるKKKメンバー我慢強要することです。

2022-11-22

anond:20221122010041

倫理的にどうこうって水掛け論にしかならんだろ。倫理的というのならその倫理に基づいて何が悪くて何が悪くないを「客観的に」示してくれ。

うん、倫理的問題は個々人の問題から統一的な決着はつかないね

自分倫理からある言動批判対象にしているってことで合意できてなにより。

自分倫理的には問題いか別にいいだろって思うのも自由だしね。

ある人がある行為批判するということの是非なんだからそれで十分だよね、

ある集団に対して性的嫌がらせ押し付け行為が悪いという倫理観を持っただけだけど、それ以上何か必要

性的嫌がらせをする、根拠なくステレオタイプ押し付ける、これを倫理的に認めたくないというじゃあダメかね

そういう倫理観があるってくらいは理解できるだろうし、あなたもその倫理観で共通しろとは言っていないしなあ。

法的な定義はアウトセーフの判断基準として社会是認されているものなので、セクハラをその物差し判断するのは当然で、反論するならこれにまさる客観的判断基準示してくれ。

法的な話とは別の一般的用語でのセクハラ使用と何回繰り返せば理解してくれるの、私の書いたこと読んでないでしょ。

いや、あなたがこれは狭義の法的な用語しか認めないというならそれでいいけど、

それなら本件はセクハラ定義にあてはまりません。よって、セクハラという意味での法的な問題は生じません。合法あなたの言う通りです。よかったね。

 

id:wuzukiコメント問題ないことはズリネタ発言セクハラ要件クリアせず表現の自由を妨げる理由になり得ないことから示せてる。批判派はあのブコメ問題であることを全く示せていない。自由権を妨げる必要がある客観的理由をきちんと書いて批判しましょう

コメントを削除しろなんて言っていないので、自由権を妨げるななんて大上段に構えられても藁人形に斬りかかるなとしか言えないよ。

私は好きという表現も嫌いという表現もできますし、性的嫌がらせという範疇に入ると主観的に私が認識しているので当該コメントは嫌いですね。

まあ人の性的嗜好を勝手に決めつける行為客観的にも適切とは言い難いと思うけど、主観ってことでいいよ。

女性ミニスカートにするのは男性レイプされたい願望があるからだとかの言説があったとしてまったくもって合法だけど、批判はするよ。

それだけで発言妨害なんてかけらもしていません。

 

セクハラと用いた場合に、法的な意味しか考えない人がいる可能性があって、

そうなると違法性を帯びてくるので、セクハラと指摘することが削除を強制させると思わせてしまうという点は配慮必要かもですね。

日常用法よりは厳しく使えということで今後使用に気を付ければいいかな。うん

anond:20221121225021

倫理的にどうこうって水掛け論にしかならんだろ。倫理的というのならその倫理に基づいて何が悪くて何が悪くないを「客観的に」示してくれ。

じゃないと「みんなわかる」が妥当かどうか誰も判定できないよ。フェミの言う倫理的って、自分お気持ちだけでしょ?そのお気持ち言語化して示した上でコモンセンスであるエビデンスを出してくれ。

法的な定義はアウトセーフの判断基準として社会是認されているものなので、セクハラをその物差し判断するのは当然で、反論するならこれにまさる客観的判断基準示してくれ。

id:wuzukiコメント問題ないことはズリネタ発言セクハラ要件クリアせず表現の自由を妨げる理由になり得ないことから示せてる。批判派はあのブコメ問題であることを全く示せていない。自由権を妨げる必要がある客観的理由をきちんと書いて批判しましょう

2022-11-21

anond:20221121181158

公共空間環境セクハラしてるようなものですよ」って言っているんだが職場じゃないよな。

弁護士職場関係なくセクハラと言っているんだが「のようなもの」がつけばいいってもんじゃないだろ。

弁護士が言っているんだからなあ、セクハラなんて法的概念ど真ん中で法の専門家デタラメいうわけないんじゃないかなあ。

デタラメ言えないから「のようなもの」つけてるよね。これつけてる時点で定義から外れて拡大してるのは明白。

弁護士出してくるなら法律参照したら?セクハラを法的に定めてるのは男女雇用機会均等法11条(条文につきソース省略)。

中学校社会科レベルの話で申し訳ないが、日本では憲法13条で「生命自由及び幸福追求に対する国民権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重必要とする。」としており、さら憲法21条表現の自由保障されている。何が公共の福祉に反するかどうかは法が定めている。つまり法に定めのない行為憲法13条・21条で保障されるということ。

で、そのセクハラによる公共の福祉の侵害根拠法律表現の自由制限しているのが男女雇用機会均等法11条。

改正男女雇用機会均等法11

(職場における性的言動に起因する問題に関する雇用管理上の措置)

第1項 事業主は、職場において行われる性的言動に対するその雇用する労働者対応により当該労働者がその労働条件につき不利益を受け、又は当該性的言動により当該労働者就業環境が害されることのないよう、当該労働者から相談に応じ、適切に対応するために必要体制の整備その他の雇用管理必要措置を講じなければならない。

ここでいう

職場において行われる性的言動に対するその雇用する労働者対応により

・「当該労働者がその労働条件につき不利益を受け(ること)」 が対価型セクハラ

・「当該性的言動により当該労働者就業環境が害されること」が環境セクハラ

で、環境セクハラについては

労働者の意に反する性的言動により労働者就業環境不快ものとなったため、能力の発揮に重大な悪影響が生じるなどその労働者就業する上で看過できない程度の支障が生じること

と各局にて同様の解釈説明がなされている。

https://jsite.mhlw.go.jp/gifu-roudoukyoku/hourei_seido_tetsuzuki/koyou_kintou/hourei_seido/kintouhou/sekuhara/03.html

そういうことなので、現行法上、公共の福祉に反するものとして自由権を制約するセクハラ仕事に関することであって、キャバクラキャバ嬢に「毎日ズリネタにしてるよ」と言おうが要件を満たさないので所詮セクハラのようなもの」の域を出ておらず、セクハラには該当しない。つまり問題ない。読売新聞セクハラという用語を使おうが同様。なお、嫌がる高級クラブママの生乳を揉むのは刑法の方に抵触するのでこれもまたセクハラではない。

(脳内ルールを共有している人間だけでなく全員わかる)根拠を示してくれるかな?

2022-10-21

anond:20221021161639 のおまけ?

多数派場合は、多数決民主的にそれができます

少数派でも侵せないもの自由権として守るのです。

たとえば今だと多数決ならとある宗教を「邪教」として禁止さえできそうですよね。でも、多数決でも、「内心で信仰させろ」「儀式は続けさせろ」までは侵せない理由けが自由」です。

https://twitter.com/jikapan/status/1583275451552006144

多数決主義の難点という議論アメリカで古くからある。選挙で選ばれていない裁判官がなにゆ選挙で選ばれた国民代表議会法律を覆すことができるのか、というやつである。これは、単なる哲学的問題ではない。19世紀から20世紀前半にかけて、産業資本の著しい発展の弊害顕在化してきた。それに対して立法対処を行ったところ、裁判所が「契約自由」を盾にしてそれを違憲にしたところから来ている。

 もう少し具体的に言おう。ニューヨーク州議会が、パン屋労働時間規制する法律を作った。一日10時間、週60時間までという規制である。これに反して処罰を受けたあるパン工場経営者は、労働者をどのくらい働かせるかについては、契約自由があるのだからそのような規制違憲であると主張した。そして連邦最高裁はその主張を認めたのである。このような判例法理通用した時代のことを、この著名判例(Lochner v. New York, 198 U.S. 45 (1905))の名前をとってロックナー時代という。

 すったもんだの末ロックナー判決否定されるに至る。どのように否定されたかというと、これがある意味羮に懲りて膾を吹くというようなやり方なのである。すなわち、裁判所議会の制定した法律については、原則として合憲推定を与える。議会制定法については、①目的が正当か、②目的手段合理的に関連しているかしか裁判所審査しない。換言すれば、手段必要最小限度性を要求しないということであり、まことに緩い審査基準である。こうなるとまたしても困った事態が発生する。確かに労働関係規制については、そのくらいゆるい審査で良いかもしれない。しかし、議会に自らの利益代表してもらうことができないような少数派の利益を押し潰すような法律議会が作った場合も、そんな緩い審査基準適用して良いのだろうか。連邦最高裁は、戦前判例の中で、キャロリーヌ・プロダクツ判決脱脂粉乳規制に関する法律問題になったのだが、それは措く)の脚注4で、人種的宗教的あるいはその他の少数者の利益問題になった場合などは、別の処理をするかもしれませんよ(この事件はそういう人が問題になっていないが)、ということを仄めかしている(United States v. Carolene Products Co., 304 U.S. 144 (1938))。

 このような戦前アメリカ判例を取り入れて始まったのが有名な二重の基準である。二重の基準論は、精神的自由については厳格な審査を、経済的自由については合理性審査をという図式として受容されているのだが、実際には、一般的には裁判所合理性基準という緩い審査しか行わないが、政治過程の中で不利になっている少数者の利益問題になる場合は、審査基準厳格化する、というものなのである一般論としては合理性審査しかしない、というのがミソなのである

 芦部説はこのような議論を巧妙に換骨奪胎(?)し、精神的自由制限は、政治過程のものを傷つけるおそれがあるから原則として審査基準厳格化する、という議論を立てた。こういった議論アメリカにも見られる。ところが、これを逆に考えると、精神的自由制限であっても、政治過程のものを傷つけるおそれがない場合には、裁判所合理性基準審査するべきだ、ということにならないだろうか(ロバートボークというある意味悪名高い裁判官が直球でそういうことを言っている)。これが問題になる典型的な事例が「わいせつである。少なくともハード・コア・ポルノ※に関しては、その禁止政治過程を傷つけるとは言えないだろう(アメリカ場合猥褻obscenityに該当する言論については、第一修正によって保護されないので、合理性審査すらしなくても良いということになっているのだが、それは措く)。わいせつ規制は、精神的自由制限ではあるが、厳格審査に服しないというのが、反多数決主義の難点に対して一般合理性審査を行うという解決法を用意した司法審査論の帰結となる。

 ハード・コア・ポルノに対する規制を(も)廃止するべきだと考える者が、表現の自由論や民主主義を素朴に信奉するのも考え物である一般論として合理性審査をもたらす反多数決主義の難点という論点それ事態を疑ってかかる、つまり多数決によって事態が進行する議会政、多数決主義それ自体を排撃したり、あるいは、ハード・コア・ポルノ規制に対しても厳格な審査をもたらすような議論を何とかして立てるほかあるまい※。そういうことをしない表現の自由の信奉者は、表現の自由戦死せざるを得ない。

長谷部恭男憲法』などを読むと、刑法175条違憲論が、単なる「表現の自由」によって支えられているわけではないということが分かる。

anond:20221020172754

日本国憲法改憲して国民を縛る内容を加えたとしてもそれは「憲法」ではある

天皇臣民をただ働きさせたり罰を加えたり死なせたり売ることもできる」みたいな憲法は人の自由権遮断するし

そんな不利契約を進んでする国民がいたらバカだな

2022-07-31

anond:20220731091708

公共の福祉検索かければ出てくるな。

他の権利との衝突や矛盾は調整されるからどんな権利も無制限ではない。他の権利と衝突する権利制限される。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AC%E5%85%B1%E3%81%AE%E7%A6%8F%E7%A5%89

公共の福祉人権相互矛盾を調整するために認められる実質的公平の原理と解する。この意味での「公共の福祉」とは、憲法規定にかかわらず、すべての人権論理必然的に内在しているとする。この「公共の福祉原理は、自由権を各人に公平に保証するための制約を根拠付けるためには"必要最小限度の規制"のみを認め(自由国家的公共の福祉)、社会権実質的保証するために社会国家公共の福祉として機能する、とする[1]。

2022-07-28

anond:20220727115746

他の自由権と同等には守られるべきものなんじゃないの?

2022-07-23

大切なのは自由人権

新型コロナウイルス感染症に関する忽那賢志医師記事を読んだ。

私自身は「社会機能を維持するためには高齢者や基礎疾患のある人はコロナで死んでも仕方ない」という考えよりも「周りの誰かを守るために自身の行動は一時的に多少制限されても仕方ない」という立場にありますが、どちらが正しいというものではなく、日本人国民性死生観が問われるところかと思います

新型コロナ 日本は行動制限なしで第7波を乗り越えられるのか(忽那賢志) - 個人 - Yahoo!ニュース

忽那氏は「社会機能の維持」と「周りの誰か」を天秤にかけているようだが、それは的を外していると思う。重要なのは人間自由権利だ。

クマに襲われて人が死ぬ活断層が動いて人が死ぬ台風が直撃して人が死ぬ――これは悲劇だが、人間が直接的に責任を負うわけではない。人間意志はどこにも介在しておらず、不幸な出来事と呼ぶしかない。そして、感染症で人が死ぬのもこれと同じだ。直接的に人間責任はない。

一方で、人びとの行動の自由制限することは、人間人間自由権利を直接的に奪うことだ。クマ活断層台風による死と違って、こちらは人間の手による悪行であり、人間責任が発生する。

私たちは、まず人間による悪行を防ぎ、次に自然災害対処すべきだ。したがって、新型コロナウイルス感染症理由にした行動制限はすべきではない。なぜならそれは人の手による、人に責任がある人権侵害からだ。自然災害人智の及ばぬ領域にあり、起きてしまっても仕方ないが、人間意志による悪行は人間によって阻止することができる。私たちはまず人の手による人権侵害と立ち向かうべきである。そのうえで自然災害対峙しよう。行動制限という人権侵害はいらない。コロナ対策私たち一人ひとりの自由権を脅かさな範囲でのみ行われるべきだ。

2022-07-16

表現の自由戦士の人たち側が建前上はエロ自由以外も守るんだって言うことがそもそもよくわからん

いや、表現の自由戦士を叩く側がエロしか守ってないと叩くのは当然なんだけど、

なぜ表現の自由戦士側も「エロ以外も守るべき」っていう考え方にのっかったようなことを言ってしまうの?

全国比例の組織候補枠として山田太郎赤松健両議院を送り込んでるって話じゃなかったん?

特定支持母体のある議員支持母体の求めるイシューを中心に活動するのはむしろ自然な話じゃん。

例えば郵便局長会の人が郵便局に限らず運輸業一般のために働く義務があるとはあまり言われないわけじゃん。


オタクを「圧力団体」にして議会に送り込むのだ!って言うのならばそのオタクのための働きを期待するのが普通なのであって。

表現の自由というでかすぎるテーマ全体をその1人だけで完璧に行えること前提で投票するってのはなんか理解がたりてないのではって気がする。

N国がNHK問題しかやりません!と宣言して一応支持者の多くには受け入れられて、

逆に他の問題に手を出そうとすると叩かれてるような状態なわけで、同じような路線であるべきだと思うんだよ本来は。

それを例えばN国アンチ民放問題議論しろと言ってきたのでこじつけ民放にも対応してることにしてしまおう!とはあの人たちはしてないわけじゃん。

テレビというある程度の狭い話でもそうなのに、憲法上の自由権1つを総合的に扱うってのがどれだけのことか。

表現の自由戦士」のくせに表現の自由っていうのがどれぐらい大きなテーマなのかわかってなさそうな言動が多々見られるのはちょっとなんかよくわからん

2022-07-03

じゃあ大真面目に公共の福祉表現の自由の話をするよ

公共の福祉とは

公共の福祉とは、原則として権利利益同士が対立した時にそれを調整するためのものだ。

ここで問題になるのは『権利利益同士』であることだ。決して権利を超えた❝公共の福祉❞があるわけではない。それでは結局、『権利を超えたもの理由にすればいくらでも人権を制約できる』ということになり、「日本臣民法律範囲内ニ於テ」権利を有していた大日本帝国憲法と何ら変わらないことになってしまう。

具体例~公共の福祉表現の自由

表現出版の自由公共の福祉によって制約された例としては、『ジャニーズ追っかけマップ裁判』というのがある。

かつて出版社が『ジャニーズ追っかけマップ』という書籍を出しており、そこにはジャニーズメンバーに会える場所としてスタジオなどの場所の他に自宅の最寄り駅、自宅の住所、電話番号といった個人情報掲載されていた。

このことについてジャニーズメンバーが『プライバシー権利侵害』として訴えたことに対し、出版社は『表現出版の自由』を主張した。

そして最終的に『ジャニーズメンバーのような社会的影響力のある芸能人プライバシー権利は著しく制約されるが、それでも自宅で静穏に過ごす権利は認められるから自宅の住所と電話番号は削除するべき。それ以外については出版社表現出版権利を認め、出版自体は認められる』という判決が出た。

公共の福祉刑法175条

[刑法 第百七十五条]

わいせつ文書、図画、電磁的記録に係る記録媒体その他の物を頒布し、又は公然と陳列した者は、二年以下の懲役若しくは二百五十万円以下の罰金若しくは科料に処し、又は懲役及び罰金を併科する。

電気通信送信によりわいせつな電磁的記録その他の記録を頒布した者も、同様とする。

わいせつ文書、図画を作ったり売ったりすると罪になるということは大抵の人が知っている。だが、この法律が何を目的にしているのかは案外と知られていない。

刑法のこの条文が保護しているのは、性的な物を見たくない人の権利……ではない。

では何を保護しているか、というと。判例上は”最低限の性道徳である。(この解釈については流石に時代錯誤を指摘する声は複数あるし、増田おかしいと思うが前提として現時点ではそうなっている)

わいせつ図画の判例では比較的有名な(高校公民教科書にも載っているかもしれない)チャタレー事件で「社会の平均ではなく、あくまで最低限」という解釈が出され、、四畳半襖の下張事件で「その時代に合わせた性道徳」を基準にすることになった。

フェミニズムに基づく創作物規制正当化されるか

当然ながら、『私はこの創作物を見て不快になりました』を主張する権利は当然にある。

あるいは、「萌え絵性犯罪と地続き」と主張するのは自由だ。現在法律上、誰かの権利侵害しているという扱いにはならない。

同様に、「日本画は戦争と地続き」だろうが「彫刻殺人と地続き」だろうが「洋画差別と地続き」だろうが”萌え絵日本画、彫刻洋画”といった抽象的なジャンルならば誰かの権利侵害しているという扱いにはならない。

ただし当然ながら、『その主張はおかしい』と批判する自由もある。

一方で、業務(※なお、刑法における”業務”とは「社会生活上、何度も繰り返して行われる事項」のことをいう。だから自動車で人を轢き殺してしまった場合プライベート運転していた場合でも業務上過失致死罪になっていた。そういえば変わったんだった)

制作している特定作品について「この絵は性犯罪と地続き」や「このvtuber性犯罪を誘発する」のような発言ならば、その明確な根拠が示されない限りは偽計業務妨害罪が成立し得る。(実際に起訴されて有罪判決が出るかは分からない)

さて、フェミニストが主張するような創作物規制広告規制を行うとするならば、それは当然に『表現の自由』に対抗できるだけの権利利益が無いといけない。

なのでひとまず増田が思いつくものを挙げてみよう。

1.公共の場所で不快になる広告を見たくない権利

似たような『市営地下鉄不快になる広告放送を聞きたくない権利』を主張したとらわれの聴衆裁判で、『聞きたくない音によって心の静穏を害されることは、プライバシー利益と考えられるが、本来プライバシー公共の場所においてはその保護希薄とならざるをえず、受忍すべき範囲が広くなることを免れない。一般公共の場所にあっては、本件のような放送プライバシー侵害問題を生ずるものとは考えられない』という裁判官の補足意見がついている。

見たくない権利も同様だ。公共の場所ではむしろ受忍すべき範囲が広くなる。

2.女性尊厳

女性』には人権はない。これは何も「女性は二等市民からフルスペック人権は認められない」という意味ではない。人権があるのは個々の人物であって、『女性』という抽象的な存在の集団的人権は認められないという話だ。同様に「日本人は殺人狂だ」だろうが「在日朝鮮人人間のクズだ」だろうが「同性愛者は生産性がない」だろうが、現在のところ法律には触れない。

3.そもそも不快にされない幸福追求権

そもそも表現に限らず自由権の本質は『他者不快にして我慢させる権利』なのであり、「近所にユダヤ人が住んでいて不快です幸福追求権の侵害ですbyネオナチ」や「聞きたくもない韓国音楽を聞かされて不快ですby在特会員」や「『女と寝るように男と寝る者は殺されるべき』と書いてある旧約聖書不快ですby同性愛者」は配慮されないし、配慮されるべきではない。

将来、脳波脳内物質から人の現在感情を読み取る技術さらに発達し、「黒人を見ると気分が著しく落ち込み半日動けなくなるのですbyKKKメンバー」を同意の上で検査した結果、脳波脳内物質うつと同様のパターンになっていて主張が事実であることが判明したとしても同様に配慮されないし、配慮されるべきではない。増田はそれを自明のことである確信する。

4.『男性中心社会』を脱却するための平等権

萌え絵やそれを含めた女性アイキャッチャーにする広告公共の場所にあることで現在男性中心社会を拡大再生産する」というモデルのもの小宮友根氏や牟田和恵氏によっていくつか提唱されている。だが、それだけだ。

現実には男性中心社会を拡大再生産するもの候補萌え絵広告以外にも『周囲の保守的な親戚・教員・友人などから意見』『私企業採用活動実態』『女性向け創作物刷り込み』など無数にある。

その中から広告効果無視できないほど大きい」こと、および「それを打ち消す手段が他に存在せず、禁止以外の手段がない」ことが証明されない限りは規制されるべきではない。

なぜならば経済的自由権金銭補償可能であるが、表現や内心といった精神的自由権規制しようという動き自体が萎縮効果を生むため、より慎重になるべきだからだ。

以上のように、今フェミニストが主張しているような創作物規制は『公共の福祉』の観点からは成立しないと考える。

2022/07/04/10:10追記

ブコメなどへのレス

全然納得できないんだけど。"最低限の性道徳"が保護法益になるなら何だって保護法益にできそうだし175は良いけどフェミニズムに基づく立法ダメ理由ってあるの?

からこれについては多数の異論が出ているし俺も問題だと思っている。

ただ、これの合憲論を採用しても、創作物規制は「ジェンダー平等を実現するための最低限」しか認められないだろう。

"「在日朝鮮人人間のクズだ」だろうが「同性愛者は生産性がない」だろうが、現在のところ法律には触れない"。こいつ意図的に「ヘイトスピーチ規制法」スルーしてるよな。

ヘイトスピーチ規制法など存在しないのでスルーのしようがないですね。

ブコメが言いたいのは通称ヘイトスピーチ対策法」でしょうけれど、これはあくまで国や地方公共団体努力義務を課しているだけです。

フェミニストが主張するような創作物規制広告規制” 既にコメントがあるとおり私も法規制求めないしろ法規制させないために「違法じゃないから何してもOK」を控えてほしい 職場水着ポスター問題のように

会社従業員パフォーマンスを低下させ利益に反する行為排除できますが、公共の場所は他者危害でない行為排除できないし、排除するべきではない。そういう話です。

そもそも不快にされない幸福追求権」そんなものはない。ではなく、その権利を求めてるんだよ。だってその方がいいじゃん。そのための対話必要

そもそも不快にされない幸福追求権」を認めた社会では

同性愛者を見ると気分が著しく落ち込み半日動けなくなるのですbyムスリム」「『女と寝るように男と寝る者は殺されるべき』と書いてある旧約聖書聖典とする宗教信者を見ると気分が著しく落ち込み半日動けなくなるのですby同性愛者」が両方存在したり、

2つ以上の宗教が「我々の宗教は全ての人が我々の宗教信者になるべきと考えているため、異教徒不快です」を言い出した場合には

戦争しかならないと思いますがその点はどう考えますか?

2022/07/04/21:40頃追記

20220704214552のレス増田によるものです。

anond:20220702142927

2022-06-20

anond:20220620042418

全体主義結婚についてのみ都合よく採用されてもな。他の自分人権自由権剥奪しても構わないというなら別だが

2022-06-15

anond:20220613095621

性的自己決定権は「貞淑であるべし」ではなく「都合よく淫乱/貞淑を強いるな」だし結婚についてはそれに伴う法的社会的権利希求なのだが、物事に昏いとこう見えるのだな。アレな人の思考垣間見えたよ。

性的自己決定権」が「都合よく淫乱/貞淑を強いるな」?強いたら自己決定じゃないだろ。アホなのか。

性的自己決定権」とは、何より女性個人が自らの意思で、性的に奔放に振る舞い表現する/しない自由権のことだろ。

その自己決定権を「ジェンダー平等の解消」という大文字大義名分を守るために抑圧するアレなムーブは、(保守だけじゃなく)リベラルでもちょくちょく見かけるけど…

2022-06-13

anond:20220613230957

白人アジア人の顔の良し悪しが割と分からないし言語も片言だったりするんで、同郷の人間なら絶対に付き合わない性格顔面両方ヤバい奴でも付き合っちゃうんだわ

背が小さくて弱い奴は舐められるし、インセルになりそうな奴ってのがありありと思い浮かぶ

日本と違うのは、大部分の人は差別理解していて差別に反対していて性犯罪をよく理解していて民主主義理解していて人権理解しているってことだな

自由権行使の枠内にいるから、not for meで済むとこ

銃持ってたりすると危ないけど

日本だとマジョリティ女性蔑視性犯罪人権差別もよく知らなくて自浄作用もなく全部がそれだし中身がカルト集団暴走すんのよ。差別しない奴がマイノリティから話の通じなさが比じゃない

2022-05-16

anond:20220516203758

何かしらのネガティブ要素とは。

https://twitter.com/newjk225/status/1522515024085876736

これが普通感覚では。


人間性的自己決定権性的自由権人権の中心的要素だから、その人自身積極的に望まない限り、性が外部要素によって差し出すことを求められる構造性的決定権の軽視は暴力である当たり前の事実がわからない

AVエロ漫画ホモソでは女性凌辱してばかりだから女性性的に扱われて喜ぶと勘違いしてるよね

積極的ってのは、性産業しなくても豊かに生きていける社会の中で安全担保されて、性産業をしなくてもいい人が、気軽に断ったりやめたりできる精神的な安全性のある状況で、事前知識教育を与えられて、あえて性産業に対して自分で信念を持って選ぶような状況のことで

生活保護の代わりに性を差し出さざるを得ないのは積極的選択の自由ではない


AVで頭壊れたクソゴミオスたちが、女性男性に性を差し出すべきという搾取思考に甘すぎてお金で買うとか踏み躙ることの罪がこの国だとめちゃくちゃ軽いだけ

性だけでないよ

ゴミ掃除とか望まない汚い仕事を無理やりさせるのは奴隷に対する対応なのは理解できるでしょ

望まない相手と無理やりセックスさせられるのも人間尊厳を踏み躙ってるのはわかるでしょ

他人自分職業選択の自由性的決定権の自由を奪われる実態放置人権の守られた社会とは絶対言えないけどな

人に性を売らせることが積極的自己決定に基づかないなら奴隷に対する扱いと同じ。

日本オスと日本オスだらけの加害者に甘すぎる性加害・売春感覚がひたすらズレてるだと思うけど

キモいからエロ絵とAVホモソのエロ人形に慣れすぎて、現実人間との区別がついてない

2022-05-06

中絶禁止の流れへの反論の何がおかしいのか 反論への再反論

https://anond.hatelabo.jp/20220503215621

アメリカ宗教右翼言及していない等等』

言及する必要が無い。人権敷衍してこの問題を考えれば、プロライフ派になりやすく、胎児人権人間規定恣意性と言う重要問題を孕むこの問題を、女権拡大の意味合いからそれらの問題をまるっきり無視しているのがプロチョイスである

宗教的頑迷問題になるのは、宗教的教義信条が、近代法根底にある人権思想人権原理毀損する場合であって、そうではない場合からクレームは、単に個々人の思想信条に過ぎない。善意からであろうが悪意からであろうが法理的に矛盾があるのであればそれは矛盾があるのであって、個々人の内面の思いにフォーカスするのは、それこそ宗教的悪魔である。内心のことは証明可能性が皆無であり、相手悪魔視してリンチしてやろうと言う下種な自身の心情をまずは問うべきではないか

プロライフ派とプロチョイス派の争いは人権派と女権派の争いである。近代法に適合している人権派が、自らの内心の潔白を証明するべき理由は何もない。

女性人権無視している』

無視していない。女性身体自由権胎児生存権比較して胎児生存権により重篤公益見出しているだけである

すでに体制ビルトインしているので女性意識しない傾向にあるが、男性に対する法的優遇措置は皆無である女性に対する法的行政優遇措置は多数ある。女性専用車両についても、その経済的負担身体労働からの転換物であるので、より寿命の短い男性たちに「女性権益のために奴隷労働を課している」と言う面が多々あるが、それらは公益のためには正当化され得る受忍限度内の責務とされているのである

中絶の件は、一方に乗せられているのが生存権と言う極めて最重要権利であるため、通常一方的保護される立場女性が、公共の福祉において市民的な負荷を課せられるべきであるというだけのことである

昨今、問題になっているトランスジェンダーの扱いの件、ハーグ条約関連の問題重要人権案件のほぼすべてが女権と人権対立周りにおいて生じている。これは女権が人権に根差しているのかどうか、女性市民社会の構成員としての責務を果たす覚悟があるのかどうかが問われているのである人権に根差さない女権は人権毀損するのでナチズムのものである

かに寿命の短い男性に課せられている負荷は受忍限度内とみなされるのであれば中絶案件受忍限度である。子を産んだからと言ってマクロでは女性寿命は1年も縮まない。そもそも子を産むかどうか、それに至る行為をするかどうかの選択肢を与えらていての話である

私は女子大学存在性差別のものでありとても問題があるとは考えているが、男性である私が支払った税金女子大学に注がない選択肢はない。

徴兵制アナロジーがしっくりこない』

徴兵制アプリオリ人権侵害と見なされていないこと自体問題なのである徴兵制の根幹は、不可避性である逃げられないと言うことだ。

徴兵で生じる給与はその不可避性を正当化しない。また、「ならば妊婦にも給与をくれ」と言う言い草ナンセンスなのはことことから自明であるが、母体保護法やそれ以外の立法措置行政支援において、既に給与相当分は得ているとも見なせる。逃げられないのは無関係第三者だ。

もしこのアナロジーで男女対立を煽るのであれば、それは中絶問題ではなく「産む性」としての保護優遇女性が得ていること自体問題視されるべきであろう。そして「負担をイーヴン」にするのであれば、産まなかった女性たちは、徴兵忌避者や脱走兵がそうされるように収監されたり銃殺されることを甘受すべきであろう。

それらの反論がまったく成り立っていないのは、そもそも不可避性を満たしていないからだ。

食べて働いて眠って、だけであれば絶対妊娠しないのである妊娠することをしない限りは絶対妊娠しないのだ。

それでいうならば徴兵制中絶禁止よりも「ひどい」と言うことになる。そして徴兵制アナロジー自体は今も公式非公式に残っている。「男は女を守れ」と言う強制である

男性にも罰を与えよ』

与えればいいじゃないか、としか思わない。ただそれは妊娠した女性vs妊娠させた男の間で発生するものであって、どうぞ好きに民事裁判でも何でも起こしてください。現行法でも可能だ。

中絶コンフリクト妊婦胎児との間で発生するので男は、胎児にとっては無関係、というだけのことである

※元記事は間違いなく私が書いたものであるが、私は5/3には記事は書いていない。つまり現在ブクマされている元記事赤の他人が私が書いた複数記事をまとめて、再アップロードしたものである

2022-05-03

中絶禁止の流れへの反論の何がおかしいのか

アメリカテキサス州で、実質、人工中絶不可能になる州法が成立したらしい。

まず、これに関するリアクションのうち、それは間違っているよ、と言う諸々を指摘する。まず、この州法違憲、あるいは脱法的であると言う見解について。

そもそも合衆国憲法で、中絶権の規定は無い。今日妊娠中絶合法化連邦議会レヴェルでの立法措置も経ておらず、1972年のロー判決根拠としている。レンクイストホワイトは、ロー判決に関しては、「司法による立法措置であることを理由として、ロー判決に反対している。

まりそこにあるのは、司法解釈であって、法律や明確な憲法規定ではないわけだ。だからそもそも違憲」になりようがないし、脱法的にもなりようがない。そして司法解釈に過ぎないから、司法解釈で変更され得る。現在最高裁に今回のテキサス州法の案件が回れば、ほぼ確実にロー判決司法解釈棄却される。

違憲だ」「違法だ」と言うけど、保守派法廷闘争を待ち望んでいるのだ。法廷闘争になれば、負けるのはリベラル派であり、そうなれば「違憲だ」「違法だ」と指をさされるようになるのはリベラル派の人たちであり、人工中絶した女性はめでたく犯罪者だ。

ここ40年、おおむね最高裁保守派優位で推移してきたけども、ロー判決を廃棄できる機会が何度かありながら、それが出来なかったのは、レーガン指名されたオコナーケネディ、スーターの3判事が、最高裁陪席判事になってからスタンス保守派からリベラル派に変えてしまったせいだ。そもそも合衆国憲法自体リベラルなので、ごりごりの保守派とみなされていたスカリアでさえ、憲法原理主義的な解釈をする人なので、判決としてはリベラルになることもあった。

それの前例も踏まえて、今の保守派判事たちは、かなり強固な保守派が選ばれているので、最高裁長官職務にあるロバーツが職責上、敢えて中立的スタンスをとることもあるのを除けば、リベラル寄りの判決を出すことはまずあり得ない。今は最高裁は6対3で保守派が優勢なのだ

保守派にしてみれば、法廷闘争ばっちこい、と言う感じであるとはいえ、その6対3の保守派優勢の最高裁が、トランプ要求したオバマケア違法化にはNOを突き付けたように、100%党派的な思考をとるわけではないが、中絶は、命の問題から、そうそ簡単妥協する余地も無いのだ。

 中絶に関する議論で、男女平等と言う観点からもっと言えば「男も逮捕しろよ!」的な意見から立論する人もいるが、根本的にその人たちの論理が間違っているのは、これが公共の福祉の調整案件だと言うことを認識していない点にある。胎児人権女性の間での公共福祉の調整案件が発生しているのであって、そこには男性権利と調整しなければならない必然性は全く無いのである

 これは言うなれば過去徴兵制における男女不平等が、「機能的な軍隊必要とする政府必要」と「徴兵されることによって著しい負荷がかかる男性の諸権利」との間に発生したものであって、それは男女不平等ではなく、「女性関係がない」案件であったのと同じことであるロジカルにはそうでもあるし、歴史的に言えば、徴兵制のように女性には他人の命を犠牲にして、法益享受してきたと言う「実績」もある。

 言ってみれば中絶禁止は、「女にとっての徴兵制」であって、徴兵制の名のもとに、徴兵された男性たちの「戦死」を見守って来た女性たちには、「女にとっての徴兵制自体批判するロジカル資格は無いのである

 そして、中絶に関して言えば、どこからがヒトとみなすかと言う難しい問題はあるにしても、1月1日13:00に新生児誕生するとして、13:01に新生児を殺せば殺人で、12:59に”胎児”を殺せば器物破損に過ぎないと言うのは、機能的にも倫理的にもかなり無理がある。自然着床した受精卵にヒトと同等の、あるいはそれに準じる人権を想定するのは、最も無理が無い解釈だろう。放っておけばいずれヒトに至るのだから

 そして胎児受精卵はDNAが違うので、女性の一部ではないし、女性付属物でもない。他人の命を女性に無条件に与えていいのかと言う問題でもある。

 胎児人権生存権)と女性身体自由権比較した場合、どちらが重篤な損害を被るのかと言えばそれはもう生存権であるのは間違いないので、人権を重視すれば重視するほど、中絶違法化する以外には考えられない。この袋小路女性が逃れ得るとすれば、「胎児はヒトではない」とするか、より根源的な人権思想ではなく、単なる女権思想を至上としてその上に立脚して「女性に損害をもたらすから中絶禁止こそが違法である」とするしかないのである

 どちらもナチス的なファシズムに陥っている。つまり機能的には既に自立しているような胎児に対しても、ヒトではないと規定し得ると言うことは、障碍者、LGBTQ、ユダヤ人などをヒトではない、少なくとも生存が許され得るヒトではないと規定出来る権能を、政府社会に与えると言うことである人権思想の上に女権思想を置くことは、ナチズムのものである

 宗教保守から中絶禁止の動きが一方的に起きているわけではなく、リベラルの内部においても、人権思想観点から中絶には批判がなされていることには留意すべきである

 とはいえ強姦の結果としての妊娠出産まで強制するのはプロライフ派の大多数にとっても本意ではない。それは、性的被害記憶と結果が多大な負担と共に長期化し、心身ともに女性生存レベル危険に追い込むことに他ならないかである。この場合は「緊急避難」が想定されるだろう。誰も他人の命を救うために、死や死に等しい損失を甘受する義務はないのだ(徴兵制はこの意味でも、最も過酷で最も非人間的な強制であった。そして女性はそれを放置していた)。しか現実中絶案件ほとんど、かなり緩く見積もっても95%以上は、強姦案件ではない。性行為をしなければ防げるものであるし、避妊器具を用いれば防げるものであるし、ピルを飲んでいれば防げるものであるし、アフターピルを用いれば防げるものである。数多くのルート回避方法があるにも関わらず、それらの回避をしなかった結果の妊娠中絶である。当然、胎児生存権を上回る法益性がそこにあるとは考えにくい。

 私は、強姦案件での中絶合法、それ以外は違法、とするのが妥当だと思うが、その妥当な落としどころが「女性身体権の絶対性」主張派とは築くことが出来なかったがために、より人権原理的な立法措置が、アメリカヨーロッパでも徐々に取られつつあるのが現状である、と言う認識である

2022-05-01

anond:20220501123338

そもそも自由権自体が『他者不快にさせて我慢させる権利』です。

黒人居住移転の自由は『近所に住むKKK不快にさせて我慢させる権利』であり、歴史学学問の自由は『取り扱われた対象の子孫を不快にさせて我慢させる自由』です

anond:20220501182350

いやあれは最低限の賢さだろ

あの程度の賢さが最低限ギリギリなければ上に立つなり規約を作るなりの仕事なんてできやしないだろ

会話もまともにできねえじゃん

性善説的な判断力裁量必要になるんだから

頭いいって、もう少し上を指すと思ったわ

あれ以下の奴がそんなに多いなら自由権とか裁量とか言ってる場合じゃないで、法でガッチガチに固めないと無理や

2022-04-21

anond:20220418210759

フェミ騎士弁護士神原のお言葉を授けようじゃないか

弁護士神原元 @kambara7

現代では、表現の自由を中核とする「自由権」はむしろ保守派反動勢力武器であり、我々反差別勢力は「自由」を制約する「正義」を武器とせざるを得ないのだろう。

現代国家権力は、「差別する自由」を民衆保障、しマジョリティに好き勝手させることで支持を調達できることを覚えたのだ。

https://twitter.com/kambara7/status/1516063305282240514

我々は正義なのだから悪のナチ自由主義を特別作戦で潰そうとも正義なのだ

2022-03-22

anond:20220321232206

とりあえず、言論の自由表現の自由通信自由身体自由内心の自由宗教自由集会の自由結社の自由とかの各種自由権を想定してる。

それが守られるなら降伏してもいいかな。

それなら、税金の払い先と国旗の色が少し変わるだけなので、まーええかーと思う。

守られないないなら自由のために命を懸けてでも戦う。

歴史上、占領地に苛烈統治をした国家は恨みをかって早く滅亡して、

寛容な統治をした国は長続きしてる。

また繁栄した帝国黄金期は税金が安い傾向もある。例えばローマとかオスマントルコとか。

なので、自由税金安くて守ってくれるなら、まあいいんじゃない?

ここまで寛容なら逆らう理由ない。

ただそういう国家現代侵略戦争するとは思えないし、

戦争や軍備にはとにかく金がかかるから安い税も維持できないんだろうな。

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